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2009/08/09 (Sun) 記憶は決して死ぬことがない ? 解離性障害 ?

次々に記憶が掘り起こされたり、揺らいでいたものが根を張ったり、現実に変化が起ったり、幻覚に襲われたり、内側の声に意識を阻害されたり、色々なことが毎日起きている。
これら全ては、回復途上で避けられないものと捉えている。
指先への自傷は止まらない。苛々していることに気づく。
内的な変化のスピードに比べて、現実に行動できるスピードが追いつけない。自分への歯がゆさが、自分の指を削るという行為に転換されている。
私は、今感じているままに動きたいのだ。思ったことを、すぐに実行したい。実行して試してみなければ、本当の答えを自分のものにできない。

土曜日にカウンセリングに行ったが、全く予期しない話の流れで、完全に眠っていた記憶が蘇った。殆ど空白になっている高校時代の1シーンだ。
当時の私は、職員室のその場面にあって完全に無感情だった。
しかし、思い出した瞬間に、抑え切れない怒りがこみ上げて来て、私はカウンセリングルームで激しい頭痛とパニックと幻覚に引きずり込まれた。

数十センチ目の前で私の内側にいる少年が教師に飛びかかった。教師のはらわたが引き裂かれ、鮮血が飛び散った。私は頭から血しぶきを浴びて、少年が更に教師に暴行を加え続けるのを見ていた。彼が怒鳴ったのか、私が怒鳴ったのか、実際の私の声だったのか、「私の人生を返せ!」と泣き叫んだ。
気がついたら、先生が立っていて、私は涙で顔中どろどろになっていて、自分の記憶なのか何なのかしばらく分からず、茫然としていた。


どこからが現実で、どこからが幻覚で、何が真実なのか、どれもあまりにリアル過ぎて区別がつかなくなる。最近、特に多い。

3人目の今のカウンセラーの先生に出会ってから、私はどんどん変わってきている。
人格障害の症状は、ほぼ出なくなった。心性が変わったと言ってもいいかもしれない。人の中にあって苦しくない状態というものを、もしかしたら生まれて初めて味わっているのが今の私かもしれない。

治療は、まだ続く。
ここからが本当の治療だ。
私は、過去の空白を掘り起こして行かねばならない。今、その作業をしている。
一体何が起こったのか。私は何をしたのか。どう感じたのか。本当はどうしたかったのか。目を背けたいことも、直視しなければならない。
といっても、何が掘り起こされるのか、まるで見当がつかずにいる。何が出てくるのか分からない地面を掘るのは恐ろしい。いっそ地中にあるものが、掘り起こした時には全て死んでいてくれたらいい。

けれど私の場合、全てが土の下で確実に生きながらえている。腐敗し、腐乱しても尚も当時のままに生々しく蠢いている。一つ掘り当てただけでパニックを起こした私は、次に土を掻くのが恐ろしくなっている。けれど、それらを土中に埋め続けていても、決して死んではくれないらしい。


性的被害に遭った記憶以外に、殆ど空白だった高校時代。空白だからこそ私は生きて来れたのかもしれないと思った。
しかし、記憶が消去されたわけではない。
だから、解離性障害という私の病がある。

記憶は死んでくれないのだ。
記憶は、絶対に死なないのだ。



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感情の噴出 

美鳥さん、こんにちは。
過去起きた出来事に対する感情が「いま」リアルに溢れ押し寄せてくる感じでしょうか、かなり激しいものを感じました。混乱の渦の中から戻って来れたこと(すぐではなかったと思いますが)良かったです。
えぇえぇ、記憶は消えないです。どれほど封印しても消化しても消えないですね。。。よしんばすっかり消えていても、どこかで息づいていて頭をもたげてきます。それとの戦いは激しさも数万倍になりますね。
以前からお話ししている私の友人は何度となく戦い(自分の中で)を試みたようですが、その都度錯乱状態になって保護されているようです。今も連絡は取れないままですが、「自分に負けるな」と心で念じています。
ほんと、カウンセラーの先生が替わってからぐんぐん状況が変化してますね。自傷による傷と戦いながらは大変だとお察しします。美鳥さんの気持ちが晴れるまで応援させてくださいね。

2009/08/10 14:44 | エコペン [ 編集 ]


はじめまして。 

はじめまして。
私も解離性障害を持つものです。

>空白だからこそ私は生きて来れたのかもしれないと思った。
>しかし、記憶が消去されたわけではない。
>だから、解離性障害という私の病がある。

この言葉、本当にその通りだと思いました。
よく、解離は心の防衛反応、生き延びるための本能のように言われますが、それでも、そうやって生き延びてきても、空白の記憶に悩まされたり、突然のフラッシュバックに心も(時には体も)ズタズタにされるという現実があり、結局どこかでその目をそむけた記憶の代償を払っているように感じます。

記憶に蓋をしてまで生き延びても、結局今こんなに苦しむ羽目になるのなら、いっそそれが起きたその場で現実に押し潰されて死んでしまった方がよかった、と思ってしまうこともあります。なんの為に生き延びたのか、それは私が願ったのか、そんなことを考えます。

2009/08/11 03:20 | みつこ [ 編集 ]


>>エコペンさんへ 

エコペンさん こんばんは。
すっかりご無沙汰しています。ブログも更新せず・・・・何をしていたかというと、遅い盆休みを過ごしておりました。エコペンさんは、いかがお過ごしですか?

この記事に書いた状況は、エコペンさんが仰る通り、かなり激しいものでした。フラッシュバックと幻覚がミックスされて、たまらなく苦痛でした。こんなことの度にカウンセラーの先生にはご迷惑をおかけしてしまいますが、いつ何のきっかけで訪れるのか分かりません。記憶を<封印している>状態というのは何となく想像がつきますが、何のきっかけでそれが<解放>されるのか。完全に把握できないもののようで、偶然のタイミングで思わぬ過去を見せてくれます。

記憶は眠っているだけで死んではいないんですね。押さえ込まれていた分、余計に表出したときには強烈なのかもしれません。


> 以前からお話ししている私の友人は何度となく戦い(自分の中で)を試みたようですが、その都度錯乱状態になって保護されているようです。今も連絡は取れないままですが、「自分に負けるな」と心で念じています。

大変な状況でいらっしゃるようですね。思うに、解離性障害を患っての過去との対決は難局の難局ではないでしょうか。解離性障害ほど、治療者との信頼関係が大切なものはないと思います。各人格が治療者の人となりを評価し、信頼し、預けてみようとある程度合意した後で、過去との対決は試みるべきだと思います。そうでなければ、死の可能性がとても高くなるのではないかと思います。
私の場合は、人格Aがカウンセラーの先生と最初に親密な関係を築いたので、Aを通して知る先生の人間性も大きな判断材料の一つとなりました。
治療者との人間レベルでの信頼関係。これが必須と個人的に感じています。
ご友人が、少しでも安定した環境で、ある程度無理のないペースで治療を進められること、切に願っています。


> ほんと、カウンセラーの先生が替わってからぐんぐん状況が変化してますね。自傷による傷と戦いながらは大変だとお察しします。美鳥さんの気持ちが晴れるまで応援させてくださいね。

ありがとうございます。
カウンセラーの先生がかわってから、ぐんぐん変化してきました。驚くほど回復してきました。絶対に不可能だと思えていた境界性人格障害から先に回復し始めたことも驚きでした。
この経験は、必ずどなたかのお役に立てるよう、新しい連載を考えています。

すっかり長い盆休みで、なまくらになってますが、明日からまたシャキッと頑張ります。
コメント、いつもありがとうございます。

2009/08/30 01:26 | 美鳥 [ 編集 ]


>>みつこさんへ 

みつこさん こんばんは。
はじめまして。
コメント、ありがとうございます。
出鼻から当方の事情で返信が大変遅れまして、申し訳ありません。


みつこさんも、解離性障害を持ってらっしゃるとのこと。
解離性障害は、何か難しい病気のように捉われがちですが、根本にあるのは「人生が空っぽだったら良いのに」という、悲痛な憧憬ではないかと最近思うようになりました。

共感いただいた、
>
> >空白だからこそ私は生きて来れたのかもしれないと思った。
> >しかし、記憶が消去されたわけではない。
> >だから、解離性障害という私の病がある。

という部分は、私にとって、かなり重要な部分です。
ブログにいまだきちんと書いたことはないのですが、解離性障害、特に記憶の欠落や人格が派生した過程を遡るうち、子供の頃(恐らく発症した3歳前後と思われます)から私がずっと無意識に想い続けてきた、「人生は、空っぽの卵のカラだったら良いのに」という声が、ふと聞こえてきました。
中が空っぽなら、楽しい空想や本や物語の世界や架空の友達をいっぱい詰め込むことが出来る、と考えていました。

子供らしい発想ではなく、むしろそうしなければ生きていけない危機感を本能的に持っていた結果だと思います。自分の人生を、壊れやすくて空っぽの卵のカラと重ねること自体、幼いながらも人生に対して何の希望も抱かず空虚であったことがうかがえます。

> よく、解離は心の防衛反応、生き延びるための本能のように言われますが、それでも、そうやって生き延びてきても、空白の記憶に悩まされたり、突然のフラッシュバックに心も(時には体も)ズタズタにされるという現実があり、結局どこかでその目をそむけた記憶の代償を払っているように感じます。

私も同感です。
「心の防衛反応」といえば何か聞こえが良いですが、実際には現実に起ったことをなかった事にするという認知の歪みが起きています。自分の感覚(五感や記憶、感情も含め)を捻じ曲げる、もしくは麻痺させ、切断し、切り刻むことを日常的に繰り返さねばならなかった。それが解離性障害だと思っています。

実際、その後も「心の防衛本能」が自分を護ってくれるかといえばそうでもなく、患者はかなり過酷な日常をやむなくされます。「目をそむけた記憶の代償」と仰るみつこさんの感覚に、私は共感します。

とはいえ、目をそむけなければ生きていけないような環境にあったことは間違いなく、そうして今生きているから回復への希望が残されています。
解離性障害の全ての患者が等しく絶対に回復するわけではありません。むしろ回復はかなり困難な病だと自覚しています。
解離性障害が治療過程において、うまく感覚を逸らしたり休息させてくれたりしてメリットがないわけではないなと感じてはいますが、「心の防衛本能」とやらによって死ぬ場合も少なくありません。
解離性障害への理解は、もっと進むべきだと思います。


> 記憶に蓋をしてまで生き延びても、結局今こんなに苦しむ羽目になるのなら、いっそそれが起きたその場で現実に押し潰されて死んでしまった方がよかった、と思ってしまうこともあります。

私も、カウンセリングなどで突然フラッシュバックに襲われるまでは、何だか回復してきている気がするのですが、全く覚えていない、むしろ「知らなかった」ような過去が意識に上って来ると、しばらく「死んでしまった方が良かった」などと精神的にすっかり沈み込みます。
もしくは、ある程度治療が進み、物事の理非曲折に感情が伴うようになっているので、今の私が過去の私の出来事に向き合うと、「何故こんなことをされたのに許したのか」「何故殺さなかったのか」などと怒りが湧いてきて抑えがたいことがあります。


>なんの為に生き延びたのか、それは私が願ったのか、そんなことを考えます。

非常に、強烈に、共感を覚えました。
なんの為、という疑問は、私は今のところ「生まれてしまったので」という答えを持っています。
「それは私が願ったのか」という疑問は、本当に毎日毎日考えずにはいられません。

先日、医者が人格交代について、「あなたが隔離したんです」と私に言ったので、私は吃驚してしまいました。私は隔離したつもりもなく、そもそも誰が私を何等分かにしたのか、私が訊きたいくらいなのに、医者は「あなたが隔離した」と言います。それを私が望んだかのように言われましたが、私が望むのは、私が私でいたいだけです。


同病のみつこさんからのお返事を書いているうちに、色々と思い出し、つい長文になってしまいました。
境界性障害について、実に新しい視点から本を書いてらっしゃる先生がいます。
「解離性障害」(柴山 雅俊)の本は、とてもおすすめです。
何か私で力にできることばあれば、今後ともお気軽にお声をかけてください。
またコメントも是非お気軽に。
お待ちしています。
ありがとうございました。


2009/09/03 02:12 | 美鳥 [ 編集 ]


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プロフィール

美鳥(みとり)

Author:美鳥(みとり)
被虐待サバイバー。解離性同一性障害、うつ病、対人恐怖症ほか色々闘病中。境界性パーソナリティ障害寛解しました。毎日の光と影を綴ります。生育歴・来歴・病歴・活動はこちらをご覧下さい⇒<はじめに Profile>

講演活動・ユーストリーム放送しています。
講演のご依頼ご相談は、当ブログメールフォームからお願い致します。

診断名の有無に関わらず、生き辛さを抱える方々と温かい繋がりを目指しています。ご感想ご意見など、お気軽にどうぞ。お待ちしています。

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