--/--/-- (--) スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

スポンサー広告 |


2009/08/03 (Mon) Q.E.D.

20090803.jpg
雨上がりの庭で。ブルーベリーの実。


一文鳥として、これほどの方々にお悔やみいただくのは光栄でならない。

このブログを始めた頃には、三羽の文鳥が私と共に暮らしていたが、最後の一羽ももが永眠して、私は一人になった。
最初は、ももの妻きりが、今年の3月に娘のむくが、そして先月7月にももが旅立った。それぞれに、このブログでご報告させて頂いたので、その度に私の大切な文鳥たちへ温かい心こもった言葉を、色んな方たちから手向けて頂いた。今はもういない彼らのかわりに、私から深く深く感謝している。


むくがなくなって以来、ももは一羽になってしまい、以後歌わなくなった。私が彼の10年変わらぬ歌を聴いたのは、4月までだった。
私が知る限り、文鳥は本能が優れていて、仲間の死体を見ずとも死を察知する。察知して数時間で、まるで忘れてしまったかのように切り替わる。切り替える際には、どのように生きていくのか話し合う。
きりが死んだ翌日、ももとむくは盛んに鳴き交わし、以後、それまでの不仲から一転して、夫婦のように身を寄せ合って愛情を示しあうようになった。飛べなくなって足もおぼつかないももが転ぶと、むくが私より先に察知して、飛んでいっては蹴り起こしてやっていた。それでもどうにもならないと、私に助けを呼びに来たものだった。

歌わなくなったももを見るのは、辛いものがあった。
このブログでも、むくの死後、私とももの2人暮らしをどう書こうかと迷い続けた。

文鳥の時間は、人間の10倍速く過ぎる。

雛の頃は、私がももの母親だったが、あっという間に、彼は私を追い越してしまった。

ももは妻を娶り、三羽を立派に育てあげ、センスの良い巣作りをし、オリジナルソングを完成させ、その人生の中で3度、歌に少し手を加えた。何度かの闘病も経験し、指を切断する手術も乗り越えた。
飛べなくなること、見えなくなること、老いていくことの恐怖や不安も味わった。自らの老いに初めて自覚した時のももの様子は、明らかに動揺し、全ての自信を喪失した。
妻きりを亡くした時、彼は娘のむくと数時間話し合い、共に支え合って生きていくことを決めた。本能とはいえ、文鳥も耐え難い孤独を感じるのだと確信する出来事だった。
そのむくを失い、ももは歌わなくなった。

私は、ももの歌を聴きたかった。彼の歌が大好きだったから。
どれだけ辛いことがあっても、もものイントロからクライマックスまで完璧に作りこまれたメロディアスな歌を聴くと、いつも思わず笑った。私が暗記して、時々ももに合わせて歌うと、ももは迷惑そうな顔をしたものだった。

何度かももに「歌ってよ」と話しかけたが、むくが死んでからは、ももは私に用件を頼むときも小声しか出さなくなっていた。しんどいというよりも、その気がなくなったようだった。歌を忘れてしまったようにすら見えた。

私は、どうしても人間で、ももは、どうしても文鳥だった。
私と文鳥たちの絆と、ももと他の文鳥たちの絆は、その質も深さも違っていた。

きりとむくを失った孤独を、私とももはそれぞれに抱え、一つ屋根の下に暮らしていた。それが、ももが死ぬ日まで4ヶ月間続いた。

時々私に甘えることがあり、私も、ももを掌に抱いて、その重みや柔らかさや温かさに頬を寄せた。ももが寂しがり、私の体調が悪い時は、掌に抱いたままベッドで眠った日もある。
どんなに寂しくても、安らかでも、ももは歌わなかった。
私も歌ってとは言わなくなった。
彼は、ただ毎日眠り続け、ただ一羽になっても空腹になれば餌を食べ、きちんと水を飲み、不自由な体で羽を繕い、ももは淡々と生き続けた。


ももは、きりやむくの死を理解し、受け入れていた。むくの死後、生前のように彼女らに呼びかけることは一切なかった。
ただ淡々と、与えられた残りの生を生きることに専念していた。
淡々と、私も見守り続けた。
10年半歌い続けてきたももの無言は、彼に仙人か哲学者のような威厳を与えた。
雛の頃、私は、ももの母親だった。
いつしか、ももは私の人生の師の一羽となった。


彼の死が、天晴れであったことは以前の記事に書いた。
彼の生の何が天晴れであったのか。私は、ももの最後の4ヶ月間を思わずにはいられない。
苦しくても、孤独でも、命を全うした姿に私自身のこれまでの葛藤を重ねずにはいられない。


何故こんなに苦しいのに生きなければならないのか。
何故、どうしようもなく孤独で誰もいないのに、生きなければならないのか。
こんなになっても、まだ生きなければならないのか。

なぜ?
なぜ?

生きたままに自分に問うことを、私はこれまで何千回、何万回繰り返してきただろう。
なぜ?に答えられないまま、生きる意味とは何だ?に気移りし、そのうち、私は存在する価値があるのか?とも自問し続けてきた。
どれにも、不思議と答えが出なかった。
人生の殆どの時間を費やし考えてきたにも関わらず、答えへの手がかりの予感に掠ることもなかった。
闇の中で空を掻く両手が、私の気力を削り続けてきた。

何故生きなければならないのか?という問いは、つい最近まで私にとって必要な疑問だった。
自問することで、悪足掻きを続け、どう生きるのか考えずに済ませられた。それはそれで苦しかったが、どんな条件下であれ今自分が否応なしに生きているという事実を受け入れるよりは、遥かに楽だったのだ。

そんな手探りの10年あまり、思えば常にももが傍にいてくれた。


今年の春、私は、楽であることを捨てた。
自分らしくあるためならば、どんな苦労も孤独も痛みも全部引き受けることにした。
「引き受ける」と言葉にすれば簡単だが、致死量の毒で満たされた杯を毒と知りながら呷る勇気と覚悟を要した。死線をさまよった後にしか、私の病気には確かな光を見ることはできなかった。


最近、ある展覧会で目にして以来、深く心に刻んだ言葉がある。
壺井栄の言葉である。


生まれたのだから 生きねばならない


この言葉に出会ったとき、雷に打たれたような衝撃を受けた。わが意を得たりの言葉だった。


何故?も、意味も、価値もない。
生まれたのだから、生きねばならない。厳然たる事実に過ぎないが、誰もが口にできる言葉ではない。私が、何としても拒絶したかった事実だ。しかし、何をやっても逃れられなかった事実だ。そして、この事実が私の全てを苦しめてきたと言っても過言ではなかった。



大往生であろうが、自殺であろうが、病死であろうが、何であろうが、生まれた瞬間から、命は生きることを強いられる。
ももは、生まれたから死ぬまで生きた。
私も、生まれたから死ぬまで生きねばならない。
命を貫く、シンプルな命題だ。
恐ろしく残酷にして神々しい命題への答えは、それぞれの死をもって証明される。
私は、その日に向かって生きている。
何故?という自問は、もう必要ない。
相変わらず、幻聴と頭痛と悪夢、ともすれば逃げたい現実ばかりが行く手を阻む。人格Aに大きな変化があったのか、私へと流れ込んできた彼女の意識が精神を掻き乱している。
それでも、最後の治療と、目の前の時間と、大切な方々との繋がりを結んでいくだけだ。
私のこの決意が昇華しようとするとき、毅然と生き抜いたももが私の傍から旅立った意味を、ずっと考え続けている。



心の病気や虐待について理解が広がりますように。ランキングに参加しています。応援よろしくお願いします。  
a_04.gif にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ

関連記事

治療日記 | comment(6) |


<<治さなくても良いと思っていたかった ? 解離性同一性障害・自傷・幻聴 ? | TOP | 文鳥もも10歳8ヶ月 永眠しました>>

comment











管理人のみ閲覧OK


 

こんばんは。次男が珍しくおねしょをしてしまい、洗濯機を回しながらこんな時間におじゃましています。

生まれたのだから
生きねばならない

この言葉を、ようやく、正面から受けとめられるようになった自分がいます。
また、前の自分に逆戻りすることもあるかもしれませんが、今を生きることや、これから私たち親子にやってくるであろう苦難?試練?うまいことばが見つかりませんが…私がこれまでほとんどケアしてこなかった息子たちの中のトラウマ、どうしてあの時守ってくれなかったんだという彼らの私への怒り、ちょっとした場面を目の当たりにするたび自分の脳裏に蘇る暴力シーンの記憶と痛みと苦しみとどうしようもない罪悪感など、そういうものにしっかり向き合い、引き受けていく覚悟を、私もようやくきめました。

これまでの私は、そこからなんとか目を背けたくて、自分の内面の苦しみにばかり目を向け、どうしたって消せない・変えられない過去を悔やんでばかりで、それを背負っていくことを悲壮感や孤独や絶望感としてしか感じられず、そんな「可哀相な自分」に酔い……、いちばん大切な、我が子と共に濃い時間を重ねて絆を結びなおしていくということを、なんだかんだ理由をつけて意識的に避けてきました。避けているうちに、我が子と呼べる存在がこの世にいること、一緒に喜怒哀楽しながら日々を過ごし我が子に親として育てられていくことの尊さ、感動、感謝を忘れていました。
ようやく、スタートラインに立てた気がしています。美鳥さんと最後にお話してから、私は本当に大切なことを気づかされました。
今を生きてるってことを、はっきりと実感できる瞬間。
そんな瞬間が自分にも、自分次第でやってくるのだということに、ようやく気がつきました。
美鳥さん、本当にありがとうございます。


ただただ感謝の言葉をと思い書き始めたのに、私事ばかり並べてしまってごめんなさい。。

また、時間のあるときにお邪魔させていただきます。

2009/08/04 01:55 | kazu [ 編集 ]


 

>自分らしくあるためならば、どんな苦労も孤独も痛みも全部引き受けることにした。


「自分らしくある」って、本当に孤独な戦いですよねぇ。

必ずしも他人から理解されないどころか、説明すればするほど益々歪んで曲解する人も居ますしね。

本気で苦労・孤独・痛みを引き受ける覚悟がないと潰れてしまいますのぅ。


たとえば多数派とかマイノリティとか関係なく、おかしいことに対して疑問を持つという事は当たり前の事だと思うんですが、実際に物凄く生き辛いんですよねぇ。

他者評価を基準にして行動すればもっとお得で楽な生き方もあるのでしょうが、私の場合はそれをやると自分で自分を嫌いになってしまいます。

自分は決して幸せにはなれないかもしれないけれど、それでも自分で自分を軽蔑(もしくはそれに気づかないフリをする)する生き方よりはマシかなぁと。


美鳥さんへ。

イイ言葉が見つからず、何も書き込みできないことが多いですが、いつもブログ拝見させていただいております。

私には何も出来ませんが、これからも見守り続けさせていただきたいと思ってます。

2009/08/04 16:31 | まゆげ [ 編集 ]


お帰りなさい 

美鳥ちゃん、お帰りなさい。
今回の記事を読んで、本当にシンプルな言葉だけど、欲しかった言葉って、まさにこれだなって思いました。

生まれたのだから、生きねばならない

何度、放棄しようとしたことかと、思い出したり、すごい本当に、私も胸のど真ん中にストレートに入ってきました。

文鳥たちの生き様に、また命の尊さを学びました。
私は今、小さな命を育てているんだなって、心に改めて、命の大切さを刻みました。

素敵な言葉をありがとう。

2009/08/04 18:00 | あおぞら [ 編集 ]


>>Kazuさんへ 

Kazuさん おはよう!
コメントありがとうございます。
なかなか連絡できる環境になく、ひたすらどうされているかブログストーキングしながら見守っておりました。悪天候が続いてますが、ご家族みなさんお元気ですか。

Kazuさんが引き受けようとされてらっしゃるものは、重く重く、私も勇気付けられています。言葉にできない感謝です。何かここに書こうとするのですが、全然言葉になりません。
また今度、ゆっくりお話したいですね。
遠い大阪の地で、Kazuさんの存在を勇気に、私も頑張ります。

2009/08/11 09:20 | 美鳥 [ 編集 ]


>>まゆげさんへ 

まゆげさん こんばんは。
お久しぶりです。お元気ですか。

ある意味、使い古された感のある「自分らしさ」という言葉、実はなかなか深い言葉だなと最近富に感じています。
自分だけのものということは、孤独なんですよね。孤独がセットで際立つ個性なんだと思います。確かに、曲解する人いますしね。どっちかっていうと日本では横並びが歓迎されるので、「自分らしさ」はどこか後ろめたさを感じる傾向にある気がします。

> たとえば多数派とかマイノリティとか関係なく、おかしいことに対して疑問を持つという事は当たり前の事だと思うんですが、実際に物凄く生き辛いんですよねぇ。
> 他者評価を基準にして行動すればもっとお得で楽な生き方もあるのでしょうが、私の場合はそれをやると自分で自分を嫌いになってしまいます。

そうですね~。おかしいことは、おかしいですよね。あかんことは、あかんやん、て思います。
他者基準は、あんまり碌なことないですね。納得できないことは、やらないに越したことはないと年々思います。まゆげさんが、それをやると自分が嫌いになってしまうという感覚、分かります。私も、それをやると鬱になります。どよーんと自然と暗くなってしまいます。

人って、究極は自分を騙せない生物だと思っています。欲求を抑圧すれば、どこかから歪んだ形で噴出するし、納得できないことを敢えてのみこもうとすると笑えなくなる。複雑な感情パターンを持っていながらも、一貫性を保とうとするのが人の心ではないかなと思います。一貫性とは、「まっすぐ」生きることだと思います。

> イイ言葉が見つからず、何も書き込みできないことが多いですが、いつもブログ拝見させていただいております。
> 私には何も出来ませんが、これからも見守り続けさせていただきたいと思ってます。

ありがとうございます。
以前、随分前にコメント頂いたことを覚えております。
読んでくださっていたんだと知って、あらためて感謝です。
最近は、更新頻度が落ちていますが、大きな変化が次々に起っている時期で、これを過ぎたら、休止していた4ヶ月の間のことや、最近のことを、具体的にすべて文章にしてこちらにアップしたいと思っています。
コメント、お気軽に是非どうぞ。楽しみにお待ちしています。
どえらく暑かったり、突然雨が降ったり、不安定な天候が続いていますが、まゆげさんもお元気で。
コメント、ありがとうございます。

2009/08/13 23:03 | 美鳥 [ 編集 ]


>>あおぞらさんへ 

あおちん こんばんは。

「生まれたのだから 生きねばならない」
は、本当にシンプルな言葉で、初めて見た時、びっくりしました。
初めて納得した言葉かもしれません。
ここには、励ましも厳しさも含まれていて、生命の力強さも感じます。

> 何度、放棄しようとしたことかと、思い出したり、すごい本当に、私も胸のど真ん中にストレートに入ってきました。

この言葉を前にずっとずっと立ってましたが、その間に考えたのは、生きることを放棄したかった自分や、他の闘病されてらっしゃる方達の壮絶な生でした。
「自分に生きる価値があるのか?」と、鬱病や神経症や人格障害に本気で悩んでいる人達は必ず一度は考えることだと思います。
「生まれたのだから、生きねばならない」
は、一つの答えだと思います。
少なくとも今の私にとっては、最上の言葉でした。
共感してもらって、嬉しいです。

2009/08/13 23:19 | 美鳥 [ 編集 ]


| TOP |

プロフィール

美鳥(みとり)

Author:美鳥(みとり)
被虐待サバイバー。解離性同一性障害、うつ病、対人恐怖症ほか色々闘病中。境界性パーソナリティ障害寛解しました。毎日の光と影を綴ります。生育歴・来歴・病歴・活動はこちらをご覧下さい⇒<はじめに Profile>

講演活動・ユーストリーム放送しています。
講演のご依頼ご相談は、当ブログメールフォームからお願い致します。

診断名の有無に関わらず、生き辛さを抱える方々と温かい繋がりを目指しています。ご感想ご意見など、お気軽にどうぞ。お待ちしています。

最近の記事

最近のコメント

カテゴリー

月別アーカイブ

QRコード

QR

ブログ内検索

リンク

このブログをリンクに追加する

RSSフィード

メールフォーム 

お気軽にメールください。返信までお時間頂く場合があります。

名前:
メール:
件名:
本文:


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。