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2009/06/24 (Wed) 中立という凶悪  - 機能不全家族・対人・解離性障害 -

母に久しぶりに失望した。
案件が案件だけに、人間として見下げた。見下げたよ、それだけ生きてきてそんな価値観か、と電話口で私は何度も言った。

母には、人格というものがない。
ふわふわと漂っている。
「まだ生まれていない人」とは、私のカウンセラーの言葉だ。
いつも中立で、自分の意見というものがない。しかし人間だから、それなりに他人に不満や憤りを抱え、話してきたりする。かといって、打開策を見つけようとはしない。母は、まるで意志を持たない水のようだ。傾いた板の上を、ただただ流れ落ちていく。

母は、記憶のアーカイブが殆ど存在しない。すぐに何でも忘れてしまう。母こそが、重度の解離性障害かもしれない。
母の中立は、私には保身にしか見えない。感情は起るのに、行動にしようとしない。あっちの顔もうかがい、こっちもうかがっては、どちらも正しい、と言って済ませようとする。そして実際、そんなふうに行動してしまう。そんなふうにとは、何もかも曖昧に、どっちつかずに、だ。
結果、彼女を取り巻く事柄は規律を失い、場の力関係によって彼女は善悪を右へ左へやって、問題を混乱させる。

自分を当面の正しさの物差しにする覚悟のない人間は、関わる人間を不幸にする。
母と話していると、世の中は混沌として黒煙に覆われているかのように感じる。
母は、おっとりとして主張がない。だから、母という人間が一向に見えてこない。だから、母は自分自身でも言っているが、心許せる友人はいない。母を理解している人間も、一人もいない。



私は、母とは真逆に生きている。
昔は、そうではなかった。
今も、名残はある。意識や記憶がぼんやりとしていることは多い。解離性障害のせいだ。
これに加えて自分というものがなかった。これは、私の過去最悪の罪の一つだと、今は考えている。

自分が意見を持つということは悪いことで、誰の言うことも平等に聞き、考えるべきだと思っていた。結果、私は私でいては都合が悪いのだった。その場の混乱をいつでも治められる賢く理性的な人間であろうとすれば、感情よりも理屈を先に立てるしかなかった。誰かの役に立つことに喜びを見出し、自分のためだけに自分を主張すると居心地が悪くて、怠慢を働いているような気がして、奉仕の心に生きた。その方が、楽だった。人から感謝されると、殺した自分も報われるような錯覚を抱いていた。

しかし、理屈は正論であるのにも関わらず、無力だ。
無力に頼り続ける私は、どんどん輪郭を薄めていくしかなかった。
私は、システムでいられなくなり、はじめて自分は欠点があり、抑えられない感情もある人間なのだと気づいた。苦しいという感情に終始支配され、理性的でなどいられなくなった。他人のことに首を突っ込む余力は、勿論なくなった。なくなっても、自分の役割を果たそうとし続けた。

過去の私は、母自身である。
しかし、私は、自分を殺すことはついに出来なかった。その差は何だろう。分からない。
とにかく、今の私は、母と真逆に生きている。

私は、批難を覚悟で自分の物差しを持ち、自分自身にも他者にも明示して生きている。最初に自分の姿を明らかにしなければ、相手は反応しようがないし、余計な気を遣わせてしまう。私は、ありのままであると、いつでも誰かに言えるように生きている。対人恐怖を持っていた私、今は境界性人格障害の私は、特に人が怖いという人の気持ちがわかるから、実質的に裏表のない人間でいようと生きている。
母は、明確な私に拒絶反応を示す。自分自身を明らかにするということは、自然、他者との対立を意味することが多い。尊重し合えるような筋の通った人間ばかりではないどころか、信念をもって主張している人間を前にすると、無関係であっても何故か自分の領域を侵されると危機感を覚える人が多い日本だ。

そんな不都合もあわせて、私は引き受けている。私は、こうやって生きていく。


母の価値観は、最悪だ。
今日、母の知人との付き合い方を聞いていて確信した。

母が「可哀想なのよ」と頻繁に話題に出すTさんは、独身で守銭奴で四六時中孤独で、プライドがなくて、プライドが高く、金持ちなのにまだ金を欲しがり、友達は金で買うものだと言っているが、友達すらいない人だ。
Tさんは、札束でベッドを作れる位の金持ちだった。しかし、人間不信だ。被害妄想も酷い。なのに、そこらの男を簡単に引き入れる。そうして、自分の部屋の掃除などをさせ、報酬をやらないから相手が怒ったり付きまとってきたりする。その度に、男って嫌だ、皆私の財産を狙っている、と言っている。

Tさんの懸念は、お金がなくなったらどうしよう、という一点だ。不安で夜も眠れない。そのうち思いついた。ボケかけている男性Hの妻になって、彼が死んだ後も年金を貰い続けようと考えた。しかし、彼女の財産は既に今でも使い切れないほどある。なのに、まだ欲しがる。

Hさんが家族といないときを見計らって家へ先回りし、Tさんは婚姻届に判を押させた。その後、彼女はHさんについてではなく、Hさんの年金額を調べ始めた。それから、Hさんの子供達に自分の財産を奪われないように、弁護士に相談もした。


母は、最初は悪いことだと思っていたし、止めようとしていたが、今は助けてやる気になってきたという。Tさんに、結婚の証人になって欲しいと頼まれ、引き受けるつもりらしい。

母の理屈は、でたらめだ。
Tさんの立場に立ったら、哀れに思えてならないし、自分もTさんだったら同じように考えるかもしれない、と思ったらしい。
確認したが、母はではTさんと同じことをするのか?と訊ねると、即刻、「しないよそんなこと」と返ってきた。2,3度確認したが、しないということだった。
哀れに思える知人なんて、友人ではない。ましてその禄でもない友人の詐欺紛いの婚姻届に、私の母が証人として名を記す。私は怒りで眩暈がした。

哀れだったら何をしてもいいのか。
可哀想なら、関係ない他人を巻き込んでもいいのか。


「それだけ生きてきて、まだそれか。哀れだから何だ。その人が何故今哀れなのか分かってるだろう。なのに、友人としてお母さんがやることはそんなことか。まして、自分ならやらないと即答するような行為を知人がしようとしてるのに、心の中だけで「間違ってるのに。哀れだなぁ」と思うだけで、言ってやらないのか。怒りを感じないのか? 自分の近くにいる人間が、他人を陥れようとしているのに、一人の人間として憤りを持てないのか?」

母は、何か色々言っていた。
母は、色々言うのだ。だってTさんはこう言ったから、などと。誰が何を言おうが関係ない。母がどう思っているかだ。母の価値観を問うと「最初は間違ってるかなと思ったけど、Tさんがあまりに可哀想で、自分がTさんの立場だったらそんな気持ちになるかもしれないなぁと思って」と答えた。
Tさんは、詐欺だ。詐欺師の言葉に同情してやる必要などない。何故引きずられるのか。母は、そして自分という物差しを持って他人から批難されることを恐れる人間は、必ずあっちにもこっちにも共感してまわる。どっちの理屈にも引きずられ、最後は自分の感情的都合で物事を採決してしまう。


「お母さんは、情にだらしない。最低な人間。自分がないわけ?哀れと思ってしまう相手なんて、友達でも何でもないよ。対等な人間を見つけたら? そんな哀れで卑怯な人間に加担してる暇があるなら、MK(引きこもり15年・重度の強迫性障害)のことでも考えたら? 情にだらしないから、引きこもりのMKをどうしようもできないんだよ」

そう言ったら、母はTさんのこととMKは関係がないなどと言っていた。
関係は、あるんだよ。


母は、いまだ生まれていない人だ。
私は、怒りでクラクラしている。
いまだ生まれてきていない人間は、何と情にだらしなく、卑怯で、利己的で、無力だろうか。
私も、かつてそうだった。
弱いということは、罪悪だ。自分に向き合わないということは、誰とも向き合わず、彼岸から無言で嫌がらせをしているようなものだ。


母は、私の怒りに、こう言った。
「それは、あんたの価値観でしょ。お父さんに聞いてみる」
「何を聞くのよ? 私は私の価値観に照らし合わせて、母の娘としてそんなことする母親は気持ち悪くて腹立たしくて、自分なら友達になりたくないと感じて、そのまま怒ってるだけよ。自分がどう思うかでしょ?お母さんはどう思うのよ?感情を出したらどうなの?」

母は、「感情を出すのが良いことなの?」と批判的な声をあげた。それから、また言った。「それは、あんたの価値観でしょ」

結局、母は自分の価値観はどうなのか口にしなかった。
ないのだそうだ。
感情もないらしい。
私は、とにかく腹が立つ。
感情もないならそれでもいい。だが、間違っているのではと少しでもひっかるようなことを友達がしているとき、勇気を持って指摘し、時には怒らずして、何の意味があるのか。
そんなふうに生温い目で私を見てくる友人など、私は友人とは思えない。


母は、まだ生まれていない。
今頃、父に意見を聞いているのだろう。
そして父は、よく分からないからおざなりに答えているだろう。手に取るように分かる。私が育った家だからだ。


この話は母の中で育つこともなく、
だから私はここに書き、
私の胸に留め、
私は母にはなるまいと固く強く誓う。


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(私個人の体験のみ書いています。解離性障害、境界性パーソナリティ障害、人格障害からの回復への道程として)

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こんばんわ。 

どうも、wstです。
私は母親が大好きなので、
今回の記事はとっても興味を惹かれました。
読んでいくうちに、
少し、
思ってしまったことがあります。
「・・・(美鳥のお母さんと)・・・似てる」
と心の中で、
思ってしまいました。
誰がというと、
もちろん自分とです。

書きたい事があったのですが、
頭の中で整理ができなくて、
おかしな文になっちゃいそうなので、
やめておきます。
ではでは、
おやすみなさい。
アナタがあきらめない事をいのりつつ。

2009/06/25 00:27 | wst [ 編集 ]


母親と娘 

美鳥さん、こんにちは。
母親に対する不快感。記事を読ませて頂いて思い出しています。
母との会話に疑問を感じ、突き詰める。その先に母の意志はない。私への思いやりももちろんのことない。あるのは、母の極めて自己中心的な都合であり、自己満足のみ。母には言い訳もない。聞けば言うけれど、それは話しを作りながらの作業で、「だからどうなの」の問いの答えにはならない。そのうち母親も混乱するらしく無言になる。それは、こちらの出方を見て反応するため。
結局、不満ばかり並べ立てるだけで、問題を解決しようとか、自分も反省して考え直すとか、そう言う観念がない。全くない。全て不都合の責任は他人にあり、母に責任はないらしい。
私は母が幸福であるようにと自分を殺して生きてきたつもりでした。ところが母は「幸福になりたい」と言いつつ、目の前の幸福を見ようともせず、不満ばかり並べ立てては自分を正当化する人間でした。ある時、その衝撃に目から鱗が落ちた。私の人生なんだったのか。自分のことばかりですみません。。。
私も同じように「母のようになるまい」と固く思っています。そして美鳥さんにはご自分の人生を生きて欲しいと心から願っています。

2009/06/26 17:07 | エコペン [ 編集 ]


>>wstさんへ 

wstさん こんばんは。
大好きと仰れるお母様がいらっしゃって、何よりの幸せと思います。

私は、長い時間をかけて自分自身の家庭がどこでどうおかしくなってしまったのか、そして今どんな問題から、私が病に、そして弟は更に重大な病にかかり15年も引きこもったままなのか、考えてきました。考えようとも考えずとも、現実が横たわっている以上、答えを探し続けてきました。

どうやらその元となっているのは私の両親であり、そのまた両親たちであり、連鎖し続けているということを知りました。

私は、母を好きになる努力をするべきだとは思っていません。
むしろ、血の繋がりにこだわって、物事の真実から目を逸らすことが、問題を放置することとなり、連鎖を引き起こすと考えています。
私の母は、自分が受け継いだものに気づいていません。それを私達に伝播していることにも気づいていません。
しかし、都合が悪い事実に目を向けていることには気づいていますから、私の感覚を否定し、私が感覚のままに生きようとすることを妨げます。
例えば、カウンセリングを受けてもカウンセラーに洗脳されるだけだとか、あんたは薬でおかしくなっているのだとか。

wstさんがどういう意味で「あきらめないことを祈ります」と書いてくださったのか分かりませんが、私が諦めないことといえば、私の人生です。
母は、母自身の人生があります。自分の人生に虚無を抱えている母は、諦めています。
諦めないことの大切さを証明するには、私自身が自分を諦めないことだと思っています。

2009/06/30 00:11 | 美鳥 [ 編集 ]


>>エコペンさんへ 

エコペンさん こんばんは。
私や、エコペンさん、他の機能不全家族の親に見られる傾向の一つは、<よく分からない理屈で筋道を混乱させる>会話法があると思います。
ある時は愛情に溢れた親密な家族を名乗り、都合が悪い時は曖昧な一般論に逃げ込む。こうした会話法で子供を混乱させ、混乱しているところを感情的な発言や行動で無理を押し切る。
そんな思考回路の人間は、親に限らず主体性がない人間です。
主体のない人間の誤魔化しを暴くには、余程の知恵と覚悟がなければ、うまく逃げられてしまいます。
主体である覚悟のない人間は、自然、保身と自己の正当化に走るようです。


こうした親に、世間一般で美徳とされる「親孝行」をしても、悲しいかな報われません。
保身と正当化が身に馴染んでしまった人は、誰かを守ることも、誰かのために戦うことも、更には誰かに共感することも出来ないからです。

私が、この記事で書いたのは、私の身の内に母がいる、と感じたからでした。
物理的に離れていても、精神的に離れていても、それでもまだ私の感受性や行動様式、思考パターンは、母の要素を含んでいて、更には無関係な誰かの中に母に似た部分を見つけただけで、精神的に不安定になります。

私が決着をつけるべきは、母の持つ歪みです。
私自身が誰かを不当に攻撃しないように自戒すると共に、母が被害者を出すような行為に加担するならば、私は無駄であっても何であっても、私自身のために「否」とはっきり否定する必要があります。

母のグダグダっぷりは、今に始ったことではなかったのですが、これまでは金を持ち逃げされたりして被害は家族だけに留まっていました。今回の件は、そうはいきません。
かといって、これ以上私は介入できませんが、母がこれが自分の価値観だというのなら、そう行動すれば良いと思っています。
私は私の人生の責任を取り、母は母の責任を取れば良い。
私の線引きは、ここらへんで丁度良いと思っています。

頂いたコメントから、思いつくままに返信させて頂きました。


2009/06/30 19:02 | 美鳥 [ 編集 ]


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プロフィール

美鳥(みとり)

Author:美鳥(みとり)
被虐待サバイバー。解離性同一性障害、うつ病、対人恐怖症ほか色々闘病中。境界性パーソナリティ障害寛解しました。毎日の光と影を綴ります。生育歴・来歴・病歴・活動はこちらをご覧下さい⇒<はじめに Profile>

講演活動・ユーストリーム放送しています。
講演のご依頼ご相談は、当ブログメールフォームからお願い致します。

診断名の有無に関わらず、生き辛さを抱える方々と温かい繋がりを目指しています。ご感想ご意見など、お気軽にどうぞ。お待ちしています。

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