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2009/05/26 (Tue) 対人関係の怒りの表現はボケとツッコミでいけ ? 上質な知恵と悪意 ?

職場でも、学校でも、近所でも、友人でも、「嫌な人」というものは必ず存在する。気が合わない程度じゃない。何故か向こうから絡んで来て、こちらを不愉快千万な気分にさせる「嫌な人」。「嫌な人」とは、働き蟻が何匹になっても必ず2割は怠ける法則を持っているように、どこへ行っても遭遇する。生きている限り、避けられないらしい。

たとえ相手が関わりたくない「嫌な人」であっても、私は「対等」であるかどうかに敏感だ。
嫌なことをされれば、されっぱなしで耐え、「何か文句を言っても自分が疲れて損するだけだし」などとは考えない。何だか理不尽だと思えば「ここが?で、おかしくないですか?」と投げ返すことにしている。
そんなこと煩わしい、無駄な労力だ、疲れるだけだ、とはよく聞かれる言葉だが、方法をしっかり身につければ疲れることなく気持ちもすっきりして、身軽に生きられる。


嫌な人との対人関係において重要なのは、どれだけ腹に据えかねていても、決して声を荒げたりしないことだ。感情も荒げる必要はない。そんなことをするのは、野暮だ。

心境でいえば、バラエティトーク番組の司会者のような気持ちでいると丁度良い。それが、大阪人のノリだと最高だ。相手の短所はボケとして、あまさずツッコんであげる。相手のボケぶりが引き立って、よりキャラが立って来る。これぞボケに対する適切な愛情表現だ。場の面白みも増して来る。

ツッコミスタイルは、揺ぎ無く維持しておくべきだ。予測がつかないボケにいつでも柔軟に対応できるように、自分らしいツッコミ方を身に着けておく。
ボケとツッコミのコンビ芸人を見ていたら分かるだろう。独特のボケがあり、対応したツッコミがある。そこに絶妙な間が加わると、エンターテイメントとして上質となる。


この技を、例えば嘘がうまい傲慢な偽善者に応用してみよう。
こちらがひたすらにボケのおかしさを的確にツッコミ続けていると、偽善者は仮面が剥がされ混乱して来る。
元々偽善者の構造は、偽善か善かの境界を曖昧にして、自分の利だけ押し通すところにある。彼ら特有の曖昧さを取っ払い、解体して純粋に偽善のみをツッコみによって曝け出させるのが肝要だ。嘘吐きは、自らの嘘に自らはまって自己破綻すると相場が決まっている。それでこそ、偽善者としてのキャラも立とうというものである。

とはいえ、私がやっているのは攻撃ではない。あくまで、おかしいなぁと感じた点をおかしいと指摘するのみで余分な労力は必要ない。
私はただ、事実をありのままアホのように繰り返し言っていれば良いのだ。やることは、それだけ。至ってシンプルだ。

対称的に、偽善者はコロコロと言うことを変える。目的のためには手段を選ばない品性のなさが、偽善者の偽善者たる由縁なのだ。それはもう呆れる位にペラペラと事実を捏造してくれる。挙句、偽善者は嘘に嘘を重ね、自分で自分の嘘にはまっていく。何が本当なのか分からなくなり、何故自分の利が通らないのか考える余裕も失い、小賢しい思考は停滞し、途方に暮れる偽善者というのは、一見の価値ありだ。


最終的に、何が真実であるかを相手に認めさせる必要は全くない。言い負かす必要もない。
大切なのは、自分に揺らぎがなく、相手はおかしい、ということを自分が実感できればそれで良い。偽善者が、自分の嘘がばれてしまうと焦っている時、逆に後ろめたいことがなく泰然としている自分を体感する事が大切だ。
場合によっては、自分が間違っていたと感じるときもある。その時は、潔く自分を正す。これもまた、自分が自分に対して品性を保つためだ。勝ち負けではない。自分の人生に自分で責任を取る。それだけのことだ。


バンドで知り合ったB氏とは、短期間とはいえ様々あった。
最初から最後まで、私は嘘をつくことなく、社交辞令も一切使わず、真直ぐにいることを心掛けた。相手が、私の人間性も見たいといったし、私も相手の人間性を見たかったからだ。相手を映す鏡となる私が歪んでいれば、相手を正しく知ることは出来ない。

偽善たっぷりのメールを貰ってから、即座に私は電話したということは以前の記事に書いた。その時の会話が「決して言い争いではなく、会話の3分の1は笑ってすらいた」というようなことも書いた筈だが、その理由は上記のような「ツッコんで自己破綻を待つ」方法を取ったからだ。ついでに、ボケに華を添えるべく、シュールな冗談もところどころに散りばめておいた。これは、私個人大いに笑えた。

彼との会話は実に面白いネタとなり、誰に話しても笑ってくれる。カウンセラーも大笑いした。笑いのセンス、ウィットが人生のスパイスであるとは誰が言った言葉だろう。
偽善者に腹を立てるだけは、やめにした。やつらは、うまく料理すれば実に立派な笑いのネタになる。


考えがここに至ったのは、過去の自分の七転八倒、失敗しっぱなしの経験があった。


理不尽な言動で絡んでくる相手、偽善と嘘を織り交ぜて利用してくる相手、無神経な相手に対して、真直ぐ生真面目に生きようとしている人間が、なぜいつも道を譲らねばならないのだろう。
なぜ、理不尽を耐え忍ぶことが、人間関係において一種の美徳であるとすら言われるのだろう。
それが、果たして本当に最善の方法なのか。
それが、本当に精神的省エネなのか。
それで自分は笑って流せるのか。蓄積されてはいかないのか。

私の、長年のテーマだった。


真直ぐあるべきものを曲げると、必ず目に見えない部分が壊れていた。
私は、大人しくて、主張もできず、怒りは全て悪いものだと思っていたから、全て笑って流していた。そのかわり、誰かに依存すること、依存されることに執着し、人間関係の虚無を濃密過ぎる関係で打ち消すようになっていた。
実際は、打ち消せてなどいなかった。糸は絡みに絡み、私の心は捩れ続けた。苦しかった。死んだ方がましなくらい。

私は、確信した。
怒りは、怒りとして真直ぐあるべきだ。
愛情は、愛情として真直ぐあるべきだ。
そこに相関関係を作ってしまってはならない。

怒りを抱いた時、怒りの内訳をしっかり考察し、その怒りに関係した人間とその場できちんと解決するべきだ。
そうしなければ、扱いきれなくなった怒りは、人間を内側から崩壊させる。

誰も彼もの区別なく周囲に怒りを振りまくヒステリックな人間になってしまうかもしれない。向けるべき相手に怒りを向け片をつけておかないと、無関係な周囲に過剰な怒りの反応を示すようになる。

もしくは、誰も彼もの区別なく、周囲に私が悪いからどうか許してくださいと縋りつく人間になってしまうかもしれない。とにかく何でもいいから誰かどうにかしてくれと全て投げ出し、自暴自棄と自己憐憫に陥る。プライドは地に落ちるので、自分のことが嫌いになる。



過去どちらも通った道だ。
どちらをも完全に断ち切ることが出来たのか、今再度確認する時期にある。しかし、ほぼ確信になりつつある。少なくとも私は、以前より賢明に生きている。



無神経な嘘吐きが大手を振って歩いていても、私は対等に大手を振って歩く。
譲る必要のない道は、譲らない。
運悪く嘘吐きと出くわした時は、あなたは嘘つきですね、と微笑んで挨拶すれば良い。
不愉快な言葉を吐いて来るだろうが、そのうち嘘吐きは自分が掘った穴にはまる。穴の底で彼は、何だかよく分からないが恥ずかしくて苛立たしく後ろめたい思いにかられるだろう。
その時点から、私が負担する謂われのない怒りは、以後そっくり嘘吐きが負担することになる。


身軽になった私は歩き去り、大切な友人に会った時、こんなことがあったよと笑って話すだろう。
それから、友人がもし似たような嫌な人間に会って困っている時は、忍耐する必要もないし、泣き寝入りする必要もないし、耐えることは美徳でもなく、疲れる必要もなく最後は笑えるネタにすることだって出来るんだよ、と笑って話すことが出来る。



次回は、楽しい実践編をお送りします。

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初めまして。 

初めまして、wstと申します。
ブログ検索にて、このブログを見つけ、読ませて頂きました。
最初に読んだ記事が、
「嫌な人の対処法」
だったので、変な先入観を持ってしまったかもしれません。
でも、とっても面白かったです。
そっか・・・
お笑いですね!
分かりやすいです!
これからも、
読ませて頂き、
コメントさせて頂くこともあるかと思いますが、
よろしくお願いします。

2009/05/27 02:46 | wst [ 編集 ]


 

リンクフリーとありましたのでリンクさせて頂きました。

よろしくお願いします。

2009/05/27 16:06 | 蓮(RENN) [ 編集 ]


初めてコメントさせて頂きます 

toruです。

いつもブログ読ませて頂いております。

そして私のブログにも着て頂きありがとうございます。

最近ブログを始めたばかりなものですから、拍手のお礼の仕方がわからず、次の日のブログの末尾にコメントしました。

すいません。笑



以下の文章に考えさせられることが、あったので。

>最初から最後まで、私は嘘をつくことなく、社交辞令も一切使わず、真直ぐにいることを心掛けた。

という一文です。

最近私は自分にも他人にも真直ぐでいることができなくなってしまいました。

自分に真直ぐでないから、気づいたら他人にも真直ぐでいられなくなり、何やら空っぽなただ辛いだけの人生を歩んでいたような気がします。

ここ数年私を動かしていたのは、劣等感・自己顕示欲・気負い、などの感情や欲求と、社会的な通説・モラル・美徳etcでした。

そこに”自分”というものはなかった気がします。

美鳥さんの文章を読んで改めて、自分にも他人にも真直ぐに生きていこうと思いました。


何やら、今回の日記にピントはずれなコメントなような気がしないでもないですが・・。

今後も読ませて頂きたいと思います。

それでは失礼いたします。

2009/05/27 21:52 | toru [ 編集 ]


こんばんは。 

人の話は覚えてて当たり前…と自分では思っているのですが,かつてその人が言ったことを忘れている人がけっこういます。
前にこう言ったでしょと指摘すると,怖がられてしまうようになります。困ったもんです。なので,言わないようにしています。
自分では当たり前,当たり前は自分の枠内で,当たり前でないのが当たり前なのかもしれません。

2009/05/27 23:10 | df504 [ 編集 ]


難しいですねぇ… 

私は何もかも話して、開示しているのに
相手が大事なところに来ると、遮断してしまう。
そして「もうやめろ」と言われる。

そこまでがなんの為の会話だったのか脱力してしまう…

ただの傷の見せ合いじゃないか…


強迫性が強い人は、自分がこれは罪である、と認識してしまうと
誰にどんな言葉をかけられても変わる事はないのですね…
カウンセラー能力が欲しいです、ほんと

まぁ、人を変えるなんて、おこがましい事思っちゃいけないんですよね…


ただ、その人が別にこのままでいいと言ったのを
「でも苦しいんだよね?(=気にしている)」と
突っ込んで泣かせてしまったのは、ほんと私やな奴だと思いました。はぁ。

ごめんなさい。自分の愚痴になってしまいました。

2009/05/28 19:55 | ミミ [ 編集 ]


>>wstさんへ 

wstさん こんばんは。
初めまして。検索で来てくださったとのこと、ご訪問、ありがとうございます。
どんな方が読んでくださっているのか、私の方では普段殆ど分かりません。お声をかけて頂けると、とても嬉しいです。
にも関わらず、返信が滞っておりまして、誠に申し訳ありません。
本当にコメント、ありがとうございます。


> 最初に読んだ記事が、
> 「嫌な人の対処法」
> だったので、変な先入観を持ってしまったかもしれません。

そうですね・・・至極まっとうなご意見です!(笑)
最新記事もSMについてですし、普段からとても毒舌でして、それをきっちり読める形に書こうとすると、このような感じになってしまいます。
「嫌な人」について書くと、誰もが無意識に「自分のことでは?」と考えるように人間できています。ですから今回の記事は、ある意味冒険でしたが、誰にとってもやはり困ってしまう相手というのはいます。
そんな時に役立つヒントにでもなれば、という思いだけで書きました。
実は、これにはまだ続きがあり、そこらへんから真骨頂です。

> でも、とっても面白かったです。
> そっか・・・
> お笑いですね!
> 分かりやすいです!

ありがとうございます。ふかぶか。
お笑いです。笑わないとやってられません。私は、大阪に住んでいるのですが、この大阪という町は何でも笑いにしてナンボ、てところがあります。
この実践編として、私が実際に嫌な人と、一片の悔いなくお笑いを混ぜ込みツッコミ続けた実話を記事で書く予定です。wstさんが、まだ飽きてらっしゃらなければ、是非御覧下さい。

> これからも、
> 読ませて頂き、
> コメントさせて頂くこともあるかと思いますが、
> よろしくお願いします。

コメント、是非お気軽にお寄せください。
私については、プロフィール欄から読めば、何だか怖い人に思われます。カテゴリーSMから読めば、エロ女に思うでしょう。カテゴリー大阪駄文を読めば、ああアホなんやな、とお分かりいただけるかと思います。

時間が経ってしまったので、wstさんがコメントに気づかれると良いのですが。
本当にお返事が遅れまして申し訳ありませんでした。
またぜひ遊びに来てください。
楽しみにお待ちしております。

2009/06/09 22:37 | 美鳥 [ 編集 ]


>>蓮さんへ 

蓮さん こんばんは。
はじめまして。
リンクのお知らせ、ありがとうございました。
とても素敵な絵を描かれますね。イラストの類が一切描けない、けれど漫画マニアな私としては、羨ましい限りです。
お返事も遅れてしまい、近々御挨拶におうかがいします。
お声をかけてくださって、ありがとうございます。
蓮さんのプロフィール画が、たまらなく好きです。
こちらこそ、どうぞよろしくお願いします。

2009/06/09 22:47 | 美鳥 [ 編集 ]


>>toruさんへ 

toruさん こんばんは。
お返事が遅れまして、申し訳ありません。
読んでくださって、ありがとうございます。

私はブログに拍手を設けていないので、尚更返事の仕方は分かりません(笑)
拍手コメントで失礼しました。


> 以下の文章に考えさせられることが、あったので。
> >最初から最後まで、私は嘘をつくことなく、社交辞令も一切使わず、真直ぐにいることを心掛けた。
> という一文です。

嘘をつかない、社交辞令は使わない、曲がらない、は私が自分で決めていることの一つです。今までは、全部嘘の自分だったといってもいいからです。いい子でいようとし、優等生であろうとし、友達からは好かれたいし、先生からも好かれたい、良い成績を取り、人から羨望の目で見られたい、けれど本当は心細く、不安でたまらず、自分の価値観を超越した生き方をしている人間を見つけては、自分の足元が揺らぎ、確かな道だったはずなのに所詮は他人のレール、自分は満たされていないのだと気づく、そんな過去があったからだと思います。


> 最近私は自分にも他人にも真直ぐでいることができなくなってしまいました。
> 自分に真直ぐでないから、気づいたら他人にも真直ぐでいられなくなり、何やら空っぽなただ辛いだけの人生を歩んでいたような気がします。
> ここ数年私を動かしていたのは、劣等感・自己顕示欲・気負い、などの感情や欲求と、社会的な通説・モラル・美徳etcでした。
> そこに”自分”というものはなかった気がします。

toruさんを動かしていたものがどういったものであったのか、私は自分の経験からしか察することが出来ませんが、いわゆる「AC(アダルトチルドレン)」の特徴に似ていると感じます。
ブログで人格障害についても触れてらっしゃいましたが、ここまで辿って来られたtoruさんの経緯を少し垣間見てもまた、それ以外の生き方はここまではとりあえず他にはなかったのではないかと、個人的ながら思いました。
私自身、壊れてしまうまでは、他人のために生き、他人の尺度に適うか怯え、他人が喜べば自分の辛苦は帳消しになるような気がしていました。


> 美鳥さんの文章を読んで改めて、自分にも他人にも真直ぐに生きていこうと思いました。
> 何やら、今回の日記にピントはずれなコメントなような気がしないでもないですが・・。

的外れでもないと感じます。
自分に真直ぐとは、誰かと対立する場合であっても、誰かに嫌われるとしても、自分の喜怒哀楽をまずは内側で優先させることが前提と考えます。
100人いたら、99人から謗られようとも1人の共感者がいれば自分は揺らがずにいられる、それが自分に真直ぐに生きているかどうかの目安ではないかと思います。

この記事には、重要な続きがあります。
私は、自分に真直ぐ生きるために博打に出なければならなくなりました。物凄い恐怖でした。
そのときのお話と、その後の私について、記事にする予定です。
真直ぐ生きることは、時に死にそうな恐怖を伴いますが、その都度勇気と覚悟を試されていくうちに、歪んでいた自分が真直ぐに正されていくのだと思います。

最近、多少忙しい日々が続き、更新頻度が落ちていますが、書くときには一気呵成に書きたいと思っています。読んで頂ければ幸いです。
コメント、ありがとうございました。

2009/06/10 02:50 | 美鳥 [ 編集 ]


>>df504さんへ 

df504さん こんばんは。
まずは、ブログを継続してくださって、ありがとうございます。
なるほど、そんなアイディアがあったのか、と私もコメント欄で拝見して膝を打ちました。

> 人の話は覚えてて当たり前…と自分では思っているのですが,かつてその人が言ったことを忘れている人がけっこういます。

いますね。います。今回は、あらかた忘れてしまう相手でして、唖然としました。ノリだけで喋ってんのか?と(笑) 重要なことも、そうでないことも、区別なく平らな意識で話す人らしく、そのつくりが私などには理解不能でした。

> 前にこう言ったでしょと指摘すると,怖がられてしまうようになります。困ったもんです。なので,言わないようにしています。

何だか分かる気がします。怖がられる、という状況。忘れてしまう人は、覚えている人が怖いのですね。確かな輪郭を持っているものは、曖昧なものを脅かさすのでしょう。


> 自分では当たり前,当たり前は自分の枠内で,当たり前でないのが当たり前なのかもしれません。

df504さんらしい言葉でしたので、思わずブログの自論を思い出しました。「当たり前」というのは「普通」という言葉に置き換えることも可能でしょうか。これらは、人の数ほど存在するパラレルワールドのように感じます。どこまでいっても平行線。交わることはないけれど、すぐ近くにあって、間違い探しゲームのように難解で混乱を来す。

それでも、これはおかしいぞと思い、私は自分の世界と相手の世界、どちらが通用するのか徹底的に試してみたくなりました。そんな後日談を記事にする予定です。
いつも読んでくださって、ありがとうございます。

2009/06/10 03:01 | 美鳥 [ 編集 ]


>>ミミさんへ 

ミミさん こんばんは。
あまりのお返事の遅さに、自分でびっくりしています。ごめんなさい。何だこの遅さは・・・・!?

> 私は何もかも話して、開示しているのに
> 相手が大事なところに来ると、遮断してしまう。
> そして「もうやめろ」と言われる。

「もうやめろ」とは、何だか色んな意味を含んでいるなぁと感じました。話したくないこと、聞きたくないこと、言われたくないこと、言いたくないこと、色んなものの糸口をミミさんが握ってることに気づいた瞬間に出る言葉なのかなぁと思ったり。
痛い真実を前にすると、直感的に避ける人っていうのは、私も出会うことが多いように思います。
そんな時の自分の孤独感って、ポッツーン・・・・。て感じです。
二人なのに一人みたいな。

> そこまでがなんの為の会話だったのか脱力してしまう…
>
> ただの傷の見せ合いじゃないか…

あああ・・・・何か過去の何か思い出しそうです。特に「ただの傷の見せ合いじゃないか・・」て言葉。
さあここから、というところで、慌てて逃げ去られるのを見ると、何だったんだろう、知るだけ知ってしまって、痛みだけ感じて、これからどうしたらいいのか丸投げか・・・、と脱力してしまう。


> 強迫性が強い人は、自分がこれは罪である、と認識してしまうと
> 誰にどんな言葉をかけられても変わる事はないのですね…
> カウンセラー能力が欲しいです、ほんと

本人は罪とも思ってないような気がします。「保身」。これ一つに注ぐエネルギーが凄いというか、反射能力も凄いし、防御力が高い。嫌な防御力ですけど。これを外側からどうにかするのは到底無理のように思います。誰でも自分の人生は自分で責任を負わなければならないのは、こういった点に如実に表れるように思います。
保身を捨て、あるがままで真実に飛び込む勇気。
当人にこれがなければ、たとえカウンセラーであってもどうにもしようがないのではないか。

と、この記事とは全く種類が異なる保身の殻に閉じこもって、どうしようもなかった自分の経験上感じます。

> まぁ、人を変えるなんて、おこがましい事思っちゃいけないんですよね…

変わることが怖いと思っている人は、変わらないですなぁ。実際、怖いことは怖いので仕方ない面もあるのかもしれないけど、友人なんかの立場では寂しい思いをしますね。


> ただ、その人が別にこのままでいいと言ったのを
> 「でも苦しいんだよね?(=気にしている)」と
> 突っ込んで泣かせてしまったのは、ほんと私やな奴だと思いました。はぁ。

あーりーまーすー。私も、あります。
つい見えちゃったものを口にしてしまう。せずにはいられない。すると、そこは相手の一番の泣き所だったりして、そんな時の罪悪感といったら重いものがあります。
最近は、見えているものを、どちらの方向に流すのか考えるようになりました。とはいえ、基本的には、やっぱり耳に痛いことを言ってしまいます。何故なら、自分自身が耳に痛い真実を、実は欲しているなぁと思うから。
ミミさんも、社交辞令が嫌いな人、嘘が嫌いな人。
お互い、こんなふうに生きてるんですよね。
そんな人がいてもいいんじゃないかと思います。見えているということは、できることもきっと多いですから。


> ごめんなさい。自分の愚痴になってしまいました。

とんでもないです。
愚痴でも何でも歓迎です。とても興味深いお話です。
ブログ記事は、私が実際に体験したこと、体験から学んだことしか書かないことにしています。
ミミさんのお話は、とても具体的でリアルで、私と似た場面に直面し、葛藤されているのだなぁと励みになります。

いつもコメント、ありがとう。

2009/06/10 23:05 | 美鳥 [ 編集 ]


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プロフィール

美鳥(みとり)

Author:美鳥(みとり)
被虐待サバイバー。解離性同一性障害、うつ病、対人恐怖症ほか色々闘病中。境界性パーソナリティ障害寛解しました。毎日の光と影を綴ります。生育歴・来歴・病歴・活動はこちらをご覧下さい⇒<はじめに Profile>

講演活動・ユーストリーム放送しています。
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診断名の有無に関わらず、生き辛さを抱える方々と温かい繋がりを目指しています。ご感想ご意見など、お気軽にどうぞ。お待ちしています。

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