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2009/04/08 (Wed) ゼリー

20090408.jpg

数日前、ダンスレッスンの日だった。
<自由奔放で明るくて元気で前向きで、やる気満々>
既に私の一定した印象がクラスメートに行き渡っているようだ。早い。
人が怖いくせに誰彼ともなく自分からガンガン話しかけるのは、どこへ行っても私のスタイルになりつつある。大人しくしていればいいのに、事前に頓服をかっ込んででも私は攻勢を遵守する。その方が楽だし、正確ではないが本来の私に近いイメージを持って貰える気がしている。


レッスンで知り合ったHちゃんに、帰りに買い物に付き合って貰った。
周囲からは私とHちゃんは昔からの友人に見えるらしいが、まだ数時間しか喋ったことがない。初日に意気投合した理由を、Hちゃんは「びっくりするくらい話しやすい相手」と言った。

ボケとツッコミとネタ話とウィンドウショッピングが楽しくて、2人で笑い転げて歩いた。
お互い空腹だったから、居酒屋へ行った。
乾杯してまずは腹ごしらえ。
踊った後の食事は、格別に美味しい。

個室で、思いつくままガールズトークした。
恋愛話やファッションの話、ダンスの話、気になるイベントの話、色々。
Hちゃんには、最初から簡単に病気のことやなんかを話していたから、そんな事も話題に上った。
楽しかった。


Hちゃんは、飾り気がなくて面白くて、でも恋愛には不器用で、色んな面を持っている。
喋っていたら、あっという間にラストオーダーになり、終電が気になってきた。
「このまま朝まで喋りたいなぁ。みとりちゃんとこ泊めてや」とHちゃんが言った。本気なんだなと分かった。
私は、咄嗟に今の自分の部屋が酷い有様なのを思って断った。
むくの看病をしていた先月から、もっと前からかもしれない、私自身が住んでいて気分が悪くなる位、半端なく散らかっているのだ。私ですら嫌な部屋に、友達は泊められまい。

「今度本当泊まりにおいでよ。部屋がもうちょっとましになったら」と、帰りのエレベーターで私は言った。社交辞令が嫌いなので、自分で本当にそう思えるか少し考えてから言った。

言ってから、無理をしている気がした。気がつくのが遅い。
自分ひとりでは守られていた自分のペースが、健康体の友人とは違うことを実感した。
私は朝まで他人と一緒にいられないし、朝まで起きて喋り続けられたら楽しいかもしれないけれど、やはりダウンしてしまう。
健康な人の生活テンポ、活動量と私のそれとは雲泥の差だ。
一月に1度どこかへ遊びに出かけたら、残りは精神的不安定か体調不良で寝込んでいる私に出来ることは限られている。


今年に入って私が治療以外で外出したのは、たった数度だ。病院ですら足を運ぶのが苦痛だ。外出すれば寝込む。精神的に不安定になると家事も一切できなくなり、精神が不安定でなければ無理した分はきっちり体調に出る。
アンバランスなシーソーの上で、常に右左に揺れ続けて疲れているのが普段の私だ。
一際物怖じせず社交的で元気にレッスンに行っている私からは、想像もできない事だろう。
極端なスイッチのオンとオフ、白と黒、活動と停止。
私は、なぜかそんなふうに出来ている。


一緒に美術館に行こうかとHちゃんと話した。
3日後ならあいてるよ、とHちゃんが言った。
その時、私はその場で約束できなかった。その日自分の体調がどうなっているのか、私は自分のことなのに分からない。数日後の予定が立たない。自信がない。


彼女と別れて家路に着く電車の中で、突然全てが怖くなった。
頭の中がぐちゃぐちゃと混乱して、自分は一体誰で、何ができて何ができないのか、何が楽しくて何が苦痛なのかすら分からなくなった。
何もかも放り出したい。

電車の中で頓服を齧って、吊革を握りなおした。
対人恐怖が発動したのだと自覚した。
「気が合う。仲良くなれる」
と思った瞬間から、対人恐怖、人間不信のスイッチが入る。
自分のこんな解離システムを、私は、いつも忘れている。
そして、いつも唐突に思い出す。


人間全てが怖かった時期に比べれば、今の私は強い
今だになれないのは、親密になってきてからの関係だ。
心理的距離、物理的距離が近づくと、「危ない」と本能が警告する。
信じたら裏切られる、親密になれば相手は自分の領域を侵す、仲が良いからと都合良く操作される、そんな警告が数限りなく一瞬で襲って来る。
この警告に黄色信号はない。青と赤だけだ。
予告がないから、私は毎回恐慌状態に陥る。


Hちゃんに、現段階での私に対する印象を訊いた時「自由奔放」と一言で返ってきた。それから、こんなふうに付け足した。「明るくて自由奔放で、嘘をつかれるのも、嘘をつくのも大嫌いで、言いたいことをズバズバ言う人。それから、みとりちゃんは恋愛経験豊富そう」と。
私は、そんなわけないよ、私は、ずっと俯いて生きてきたし、人と視線も合わせられなかった、今とは180度違うよと話した。下手な謙遜と思ったらしく、Hちゃんは「嘘や?嘘や?」を繰り返した。信じなかった。


今の私を一番信じないのは、昔の私だろう。
髪もメイクも服も歩き方も好みの食べ物も読む雑誌も本も聴く音楽も話し方も話す内容も趣味も、好みの人間も考え方も行動も私という人間をまとっている雰囲気全て、きっと昔の私とは180度違う。

私は、元から私じゃない。
今も何かの道半ばにいる私は、対人恐怖を抱えていることをおくびにも出さず、誰にも知られることもなく、レッスンでは踊って喋って、はしゃいでいる。
180度変わったんだよと新しい友人に話す私は、やはり昔の名残をとどめてはいない。
説得力がない。中途半端な自分を小さく恨む。
仲良くなりたいと思っていることも、泊まりにおいでよ、と言ったことも本当だ。
けれど、直後に怖くなった私も本当だ。
複雑過ぎて、どんなふうに自分のことを話そうかと考える。


自分をありのままに受け入れ表現することに、随分成熟したような気がしていた。けれど私はまだ未熟なのだ。
柔らかい透明のゼリーに棘を混ぜて、スプーンで無邪気に掻き回している子供のようだと思った。
透き通った柔らかい喜びの中に、無数の尖った痛みが細切れに紛れ込んでいる。
喜びも痛みも、どちらも嘘じゃない。
けれど手にしたスプーンでゼリーをすくっても、口に運ぶ気にはなれない。グチャグチャと悪戯にスプーンで掻き回す。
せっかくの美味しいゼリーを台無しにしているかもしれない。
不満だけれど、今の私には他に思いつかない。目の前の憂鬱を、手遊びに掻き混ぜて眺めている。



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こんばんは。 

古代,鏡のない時代は,自分の顔を知らずに生きている人が多かったのかもしれません。
普段,他人と話をしている時は,当たり前ですが相手しか見えず,それで良いのでしょう。
ふと自分一人になった時に心の鏡が自分を映して,心の鏡だから実態はないので,デフォルメして映して,自分の足りない部分だけを考えてしまう私がいます。この頃,心の鏡が現れ,自分を映してしまい,完璧にならない部分で落ち込み嫌になってしまいます。他人からは見えない自分の中の悩み。
なぜ最近他人からの評価が気になるのか,完璧になりたいのか,自分でも嫌なのですが,ず~っと心の鏡が陰に控えているのがわかります。
最近,自分の中でひっかかっていたことと妙にリンクしたので書いてしまいました。初めて弱音?を書いてしまいました。すみません。あまり気にしないで下さい。でも,書きながらも今もそんな感じがしています。

2009/04/09 00:31 | df504 [ 編集 ]


どちらもあるから 

人生楽しい。
そして人間らしい。
明るい部分だけしか出さない人は怖いです。
どちらも自分ですよね。
今日が美鳥ちゃんにとって実り多い日でありますように!

(文字のグリーンが素敵です)


2009/04/09 08:40 | 土鍋ごはん [ 編集 ]


>>df504さんへ 

df504さん こんにちは。

この記事を書く数日前から、そして書いた後も、私は鏡が映しているものをどう捉えればいいのか、目の端に入れながらも、どう逃げようかと考えていました。隠し通せば誰にも見えないで済む、しかし自分だけは知っている。これが救いのようであり、より苦痛をもたらすものでもありました。表向きは自尊心を保てるが、孤独は深まるという具合に、どっちを選んでも追い込まれる状況にありました。そんなことを書いてみた記事でした。df504さんの今のお気持ちとリンクしたこと、このもやもやとした自己嫌悪を共有できたこと、光栄です。
あまりに中途半端などっちつかずな心境だったので、書く価値があるのか?と、これまた自分に自信が持てなかったのでした。


ふと一人になったときに「お前は誰だ?」と自分に問いかける声が聞こえること、よくあります。
相手に受け答えしている間は聞こえない声なのでしょう。
問いかけに答えようとすると、自分自身の足元に必ず出来る影のようなものを直視せずにはいられなくなるようです。
df504さんの「自分の足りない部分」というのは、自己があってこそ出来る影ではないかと思いました。私は、これは自分が作っている影だな、と最近気づきました。

解釈が変わったところで、どう事態が変わるわけでもないのですが、とても重要な点だと思うのです。
影に苦役を強いられて自身を定義付けられてしまう事と、自分自身が作った影を影であると認める事。影に対して受動的であるか、能動的であるかで、自己同一性は大きく変わってくるように思います。
これは気の持ちようというレベルの話ではなく、生きていく上で常に問われる覚悟なのだと感じました。
他者に対して向き合う自分、その自分の足元に必ず作られる影は決して自分から離れることもなく消えることもない。その真実に対し徹底的に向き合っていけば、最終的には自分と影を同一の物として捉え、融合するしかなくなってくるように思います。
観念的な話になってしまいました。具体的な話の方が私は好きですので、具体的に自分自身の事を考えてみると、私は生理的、感覚的に受け入れられないものの方が断然多い、という事実を認めなければならなくなりました。
df504さんの記事の中で一番好きなのは<持論>ですが、あれを拝見していて私は「生きにくいだろうなぁ」とよく感じます。これは決して否定的な意味ではなく、簡単に表現すると好意を感じます。私も、とても生き難さを感じているからです。
有り体に言うと誤解される方も多いと思いますが敢えて言うならば、世間ってくだらないなぁと世間に失望する瞬間が、一日に何度も何度もあります。

こんな自分を認めて生きていこうとすることには、当然、無理解と孤独と対立を余儀なくされますが、ここまで来ると仕方ないというのが結論となりました。

弱音というよりも、私が知る限りのdf504さんらしさで生きていくのであれば、避けられない命題なのではないかと感じます。だからこそ一層、こちらに書いて下さったコメントは貴重に思えて、数日、返信を考えていました。

私にとっても重要なテーマです。
思わず長文でのお返事、お赦し下さい。

2009/04/12 16:52 | 美鳥 [ 編集 ]


>>土鍋ごはんさんへ 

土鍋ちゃん こんにちは。
コメントお久しぶり。ツイッター諸々、お世話になっております。
芋けんぴスイッチを発動させたのは、土鍋ちゃんですw ガリガリ。

人間らしさって、確かに明暗の両方を合わせて完成されるもの。
根暗一辺倒だった頃の自分は、死体同然だったなと思うように、明るい部分しか出せない自分もまた、生きてんのか?と疑問を持つ。これは当然のことかもしれませんね。

何事もタイミングというものがあって、たまに図ったようにあらゆる事柄が起こって、どの一つが欠けても今の結論には至れなかった、そう感じる一連の時間が訪れることがあります。
こうして過去の記事を読み返し、頂いたコメントを読んでお返事を書いていると、余計に強く感じます。

実りがありました。
ありがとう。
私は、どちらも自分だということを観念的に知ってはいても、どうしてもどちらともを引き受ける覚悟が固まりませんでした。別次元のことだったんですね。

どちらも自分、どちらを表にしたとしても離れない友達は離れないし、離れて行くのなら引き止めない、泣き言を言わない、その覚悟を固めました。自分自身に責任を取り、自分の人生の主人公であると名乗り出るのなら、その覚悟が必要でした。

とはいえ、すぐに変わるわけでもなく、またうだうだしたこんな記事を書くかもしれないけれど、主にツイッターなんかじゃ好き勝手呟くかもしれないけど、どうぞ温かい目で見守ってやってください。

コメントありがとう!
感謝感謝。

2009/04/12 16:58 | 美鳥 [ 編集 ]


 

 この閉塞的な時代に王様の耳はロバの耳,はだかの王様に出てくる少年でいたいと思います。そう思うこと自体が生きづらいこととなりますね。その折り合いを諦めという思いでつけたくなくて,かと言って正面切ってぶつかるもの骨が折れるので,もがいているような気がします。
 美鳥さんの深遠な思考にとても魅力を感じます。

2009/04/13 22:31 | df504 [ 編集 ]


>>df504さんへ 

とても共感を覚えます。
王様の耳はロバの耳でいたいものですが、そもそもロバの耳であると気づく人も少ないように思います。あろうことか、はだかの王様がはだかであることを褒めそやしたり迎合したりする風潮まで強まって、ますます息苦しい世の中です。テレビが見れなくなりました。
日本は生き辛いです。かといって外国も別の生き辛さがあるのでしょうが、日本の閉塞感にはうんざりしています。横並び主義にも、うんざり。能ある鷹は爪を隠すが美徳とされながら、では果たしてそのうち隠している爪を出すことが歓迎される場面が日本にあるのか。疑問です。

折り合いを諦めという思いでは、つけたくないですね。
本当に、そう思います。

バルザックの名言に、
「孤独はいいものだということを我々は認めざるを得ない。 しかし、 孤独はいいものだと話し合うことの出来る相手を持つことは一つの喜びである。」
という言葉があります。

この私という人間を歪ませることなく、どう生きていこうかと考える度に、浮かんでくる言葉です。
コメント、いつも本当にありがとうございます。

2009/04/14 18:54 | 美鳥 [ 編集 ]


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プロフィール

美鳥(みとり)

Author:美鳥(みとり)
被虐待サバイバー。解離性同一性障害、うつ病、対人恐怖症ほか色々闘病中。境界性パーソナリティ障害寛解しました。毎日の光と影を綴ります。生育歴・来歴・病歴・活動はこちらをご覧下さい⇒<はじめに Profile>

講演活動・ユーストリーム放送しています。
講演のご依頼ご相談は、当ブログメールフォームからお願い致します。

診断名の有無に関わらず、生き辛さを抱える方々と温かい繋がりを目指しています。ご感想ご意見など、お気軽にどうぞ。お待ちしています。

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