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2008/12/01 (Mon) 誰かが殺してくれるなら ? 境界性人格障害・AC・機能不全家族?

20081201.jpg
記憶にあることだけを書く。解離性障害のため、いつも記憶は不完全。機能不全家族の中で育ち、私は境界性人格障害になった。



我が家は、近所でも自慢の新築の家だった。
しかし、毎晩、父の怒鳴り声と子供の泣き喚く声が絶えない家だった。
両親と祖母は「大きな声出して!近所であんたはキチガイだって有名になってるよ」と、私に口々に言った。「あんたたちが泣くから、本当外でも恥ずかしいわ!」と罵られた。
誰よりも大声で非常識なことを叫ぶのは父だったが、父の大声は咎められない。なぜなら、父が怒鳴る理由を作る子供達が全て悪いからだ。


父は、一言で言えば機嫌屋で一貫性のない暴君だ。現在の私の主治医は<反社会性人格障害>と診断している。犯罪者と変わらない。つける薬がない。

父が、野球中継を見ているときは、家中が葬式のように静まり返るのが常だった。
不自然に静かな静かな家の中、二階の父の部屋から、野球中継の賑やかしいアナウンスとざわめきと、バットがボールを叩く金属音、歓声と、その都度上がる父の「クソッ!!」か「やった!!」の声だけが聞えてくる。
父が、どの球団のファンなのか私は大人になるまで知らなかった。恐らく、弟達も知らなかった。
ただ知っていたのは、野球の結果次第で父は劇的に機嫌を悪くし、殺人鬼のように顔中の筋肉を怒りで引き攣らせ、子供達の失敗を探しにやって来る。
野球というスポーツは、忌まわしいスポーツでしかなかった。言葉では説明できない反射的嫌悪感は、大人である現在まで続いている。


野球の結果で父の機嫌が左右されることは、家族の誰の目にも明らかだった。恐らく、一番下の弟まで理解していただろう。
しかし、父が悪鬼の形相で暴れる際に欠かさず口にする「まだ宿題してないんか!」「さっさと風呂に入れ!」「また漫画読んでんのか!」「子供は勉強しろ!」などの、もっともらしい口実が、さも最も真実であるかのように、まかり通った。父の理不尽を無言で支援したのは、ただ見ていただけの大人たち、祖母と母だ。


母は、野球が始ると私たち子供に小声で「早く宿題しなさい!お父さんがまた怒るから!静かにしてなさい!」と言った。母もまた、父を扱いかねて父に反抗するよりも、子供達に言うことを聞かせることに専念した。
父の怒りは、どう考えても子供達に向けられるものではなく、家具が壊される理由にも値せず、まともな人間であれば、父を諌めただろう。
しかし母は、常に父という暴君から私たち子供を守ろうとはしなかった。そんな発想もないようだった。力に屈するのが母の習性だった。
子供達に何の役にも立たない忠告をするのみで、父が暴れ始めても黙っていた。物が壊れたり、暴力が過ぎると「あなた、そこまですることないじゃないの」と父に忠告した。


私達子供は、父という狂気の暴君と、その父に追従し怯える子供達に対してすら常に傍観者の母を、両親に持った。

その2人を支配していたのが祖母だった。
祖母の言葉は絶対で、たまに父と衝突はしたが、口の悪さと気の強さで結局は父をも言い負かした。父を言い負かす際の祖母の決まり文句は「あんたんとこはキチガイの血筋だから」だった。父は、言い返せなかった。父自身がそう考えていたのだ。
彼の母親が、ある宗教に入れ込んでいた。息子である父は母親に従い、生活の全てをその宗教に則って生きてきた。しかし、成人後に入信した現巨大宗教団体は、その宗教を完全否定し<邪宗>と呼んだ。間違った宗教を信仰したものは、重い業を背負うのだ。
確かに俺には邪宗の血が流れている、と父は思い込んでいた。
人生においてうまくいかないことがあれば、「邪宗の命がまだ宿命転換できていないからだ」と必ず言った。この思い込みは、現在も続いている。余談だが、私はなぜか家族の中で唯一「あんたはキチガイの血筋。父方の邪宗の血」と言われて育った。

家庭内は、優越感と劣等感と差別が日常的に横行し、ヒエラルキーの基準は血筋にまで及んだ。カースト制度が布かれていたようなものだ。


見栄張りな祖母は、私たち子供の成績から行儀まで何でもルールを定め、ゲームよろしく兄弟同士を学校の成績で競わせ、毎度の勝者と敗者を決めた。
勝者は、向けられる笑顔の数から褒め言葉、お小遣いの額、おやつの質や量、家庭内での発言権等で常に優先された。
敗者は、常に罵られ嘲られ、努力が足りない、勉強しなさいそんなことで国立大に行けるのか、お小遣いいらないのか、おやつはやらない、勉強頑張らないから駄目なんでしょうと言われ、泣くまで吊るし上げられた。

勝者と敗者は、常にころころと入れ替わり、今月下にも置かない待遇かと思えば、次の月には散々にこき下ろされ、近所の誰々は何位だったのに負けている、恥だ、など劣等感と羞恥心を繰り返し刷り込まれた。
私達子供は、ある日は弟よりも優遇される自身を鼻にかけ弟を両親たちと一緒に嘲笑い、翌日には弟と両親達から蔑まれる。そんな毎日だった。


祖母という気分屋の絶対君主を筆頭に、軍事政権の父と、常に傍観を気取り子供を守らず権力に阿る母、そんな3人の大人それぞれの日によって変わる機嫌や顔色や扱いに応え、我先に愛され特権を得て優位に立とうと必死で互いを蹴落としあう私たち子供3人で、一家族を成していた。

毎日は、家族6人で繰り広げるパワーゲームだ。
ひと時も息をつける瞬間などない。

目を離した隙に子供の一人は兄弟の失敗を母に告げ口し、従順な母は必ず祖母と父に報告し、そして「家族会議」が開かれる。
悪い子供の罪人は、会議が開かれる前から有罪が確定されている。
会議は、祖母のからかいや毒舌、逆らえない母の曖昧な薄笑い、父の喚き怒鳴り威嚇し物を叩き「叩くぞ!」「殺すぞ!」「死んでまえ!」「穀潰しが!」などの言葉が次々と浴びせられた。
弟が会議にかけられると、逃れることができた私は安堵し、いい気味だと弟をにやにやと眺めた。立場はすぐに入れ替わり、冷笑で眺められるのは次は私だったりした。

「お前のせいでこんな時間になった!」と怒鳴り、子供が罪悪感と屈辱で泣き喚き、父に威嚇され、恐怖で更に泣き喚くか、殺される恐怖で押し黙り、祖母と両親が飽きるまで続くのが常だった。

「勉強しないお前が悪い」
それが、全てのルールだった。しかし、今思えば私たち兄弟は皆成績が良かった。トップクラスだった。それでも決して1位にならないと完全には褒めてもらえない。1位を取ると、次も1位を取らなければ、ため息を吐かれる。溜息は、次の有罪裁判を暗示させるものだった。


私は、思いやりや共感というものが何なのか、つい数年前まで理解できなかった。
物凄く冷酷な顔を見せるときがあると、高校時代の友達が言ったことがあった。実際私は他人の痛みに無関心で、同情してみせるという芸当も思いつかなかった。
同様に私もただの物体であり、自分自身の感情に無関心だった。


私が14歳の頃、反抗期を迎えた私は、祖母が作り両親が監視する成績によって細かく小遣い額が定められた金額表に耐えられなくなった。私は勉強することをやめた。正確に言えば、勉強に取り組めるような精神状態ではなくなった。

父の癇癪は恐ろしく、些細な事で物を投げたり壊したりした。暴力を振るわれたような記憶があるが、靄がかかったようで分からない。とにかく、父は恐ろしく、私は常に怯えていた。
勉強しないなら飯を食うなと言われ、夕飯時は毎日私のための「家族会議」の時間となった。
以前書いたことがあるが、食事に毒が入っていると考え、恐怖で食事ができなくなったのがこの頃だ。以来、PTSDで私は余程信頼している相手とでないと薬なしには食事ができない。

毎日絶望で泣き叫ぶまで加虐され、泣き出すと「冗談なのに何泣いてんの。おかしな子ねぇ」と言われ、腹を抱えて笑い出す大人3人は、私にとって最早悪魔に見えた。家出や自殺をよく考えた。しかし、大人3人が間違っているとは思わなかった。大人全員が私を指差し「キチガイ」「勉強ができない」「友達なんかできないよ」「またわけのわからないことを言い出した」と決まって言う。「違う!」と叫んでも、また3人は毎日毎日一貫して私を責める。
私は、自分がキチガイで頭が悪く、将来は貧乏で幸福になれず、友達は全てキチガイの私に合わせてくれている善良な嘘吐きなのだと思うようになった。洗脳といっていい。

日に日に地に堕ちていく私という存在価値と、耐え難い侮辱と、しかし愛されたいという思いの間で私は引き裂かれた。毎日、引き裂かれ続けた。


恐怖と悲しみと罪悪感と絶望、あらゆる負の感情が私の中で暴れまわり、発狂寸前の毎日だった。
どうすれば愛してもらえるのか分からなかった。勉強しなければと思うのに、私の頭は混乱し続けていて、家庭内での地位は激しく変動し続ける。対応できない。大人たちの気紛れさや理屈が私を破壊していく。
愛してもらえない自分が情けなかった。自分自身への失望と悲しみと絶望で泣き叫ばずには、いられなかった。大人たちは、うるさがって「あああ!キチガイはよそでやんなさい!」とよく怒鳴った。「近所に恥ずかしいからやめてよー」と、母が困り顔で私を見ていた。

泣くことだけが、もはや私に残された感情表現だったが、それすらも「キチガイ」と言われる。私は一体どうすればいいのか、自分自身を持て余して泣き疲れては、よく玄関のドアを見ていた。

繰り返し、夢想した。
あそこから誰でもいいから入ってきて、この悪い子供である私を殺してくれないだろうか。ナイフで突き刺され、倒れ、流血し、苦しみで呻き死にかけたら、両親は抱きしめてくれるかもしれない。馬鹿な子供でも、死ぬなと言ってくれるかもしれない。哀れに思って、痛いだろう苦しいだろうと自分のために泣いてくれるかもしれない。
そのためなら、私は今すぐ殺されたい。


「キチガイだから話を聞いてもムダ」と夕飯の残りを食べている祖母と、鬱々とした顔で食器を洗う母と、もはや私など存在しないかのようにテレビに夢中の父と、私は泣き疲れて腫れ上がった目で見ながら、暴漢に不運にも刺され、致命傷を負い、死んでゆく私に心配顔で駆け寄り、抱き上げ、私のために泣き、精一杯の注目と愛情と同情を一身に受けることを想像した。

その一瞬の空想の世界でだけは、私はありのまま愛される幸福な子供でいられた。
そして翌日、また6人のパワーゲームが何事もなく続く。
犠牲者と、犠牲者を嬲って愉しむ人間が醜悪な家族ごっこを繰り広げた。
犠牲者の役ばかり引き受けることになった私は、耐え切れずに「殺してくれ!」と両親と祖母に土下座して頼むこともあった。そんな私の姿はただ滑稽で、腹を抱えて笑われるだけだった。もしくは、不快だと眉を顰めて「何バカなこと言ってんの」と気味の悪いものでも見るように無視され、更にキチガイ扱いされた。「被害妄想が酷い。キチガイだ」と言われた。


少女時代の唯一の幸福な空想「誰か私を殺してくれたなら」は、現在の私の境界性人格障害という最悪な病に通じている。
死よりも恐ろしい見捨てられ不安と、愛されるためであれば死に物狂いの努力をし、相手の顔色ひとつに怯え、過剰に反応し、話をしようとした相手の前にも「蹴るなら早く蹴って!」と反射的に土下座せずにはいられない。どうすれば相手から気に入ってもらえるのか、何をやっても駄目な自分は早く死んでしまえと呪わずにはいられない。
「誰か私を殺してくれたなら」「もし私が死んだなら」
いっそ死ぬでもしなければ、私の感情には目を向けてもらえない、苦しみにも痛みにも共感してもらえないと絶望する。

実際、大人たちは私を虐める割に、異常なほど心配性な面を見せた。門限を遅れると「誘拐されたかと思った」と本気で青ざめていた、という具合に。格好の玩具である私の喪失を予感すると、祖母も両親もやっと私を人間として扱ってくれるのだと学習した。そんなときだけ、彼らから愛情に近い慰めが、私へ与えられた。しかし、それは決して愛情ではなかった。
しかし、心配は怒りへ変換され「家族会議」でのネタになる可能性も高く、私はひたすらいい子でいようとし続けた。

愛情と信頼の関係を、私は体感したことがない。
私は境界性人格障害を負うこととなった。
人間を信じることができず、自分の価値を信じることができず、死と自傷と自暴自棄と依存に蝕まれ、耐え難い孤独感と虚無感に襲われる絶望病だ。
健常な女性に比べて、境界性人格障害者は200倍の死亡率といわれる。



関連記事
◇心配という名の制御-機能不全家族・AC-
◇致死の家



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2008/12/02 12:16 | [ 編集 ]


 

PTSDは連鎖する

親に受けたトラウマを子供にぶつけ子供もPTSDになって・・・・・・


子供の逃げ場所ないとダメですね

2008/12/02 16:00 | ガンジャーばぁちゃん [ 編集 ]


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2008/12/03 02:58 | [ 編集 ]


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2008/12/03 10:59 | [ 編集 ]


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2008/12/03 22:04 | [ 編集 ]


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2008/12/04 07:19 | [ 編集 ]


 

お久しぶりです
私よりも辛い、辛い過去ですね
私も小3の時、舌を噛んで死のうとしたり
乾燥剤を飲めば死ねると思い飲みましたが
たった一袋では死ねませんでした
子供の私には食べるな危険の字で
死ねると思ったんですけどね
ここんとこ又、不安定です
私もブログやってみようかな・・・。
どうか、少しでも穏やかに過ごせますよう
祈ってます。

2008/12/04 10:23 | うさぎ [ 編集 ]


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2008/12/04 22:15 | [ 編集 ]


 

美鳥さん、生きていて。
今がどんなに残酷でも、絶望しても、あなたはいつかあなたの幸せを掴まなくてはいけない人。
あなたにだって、幸せになる価値がある。
あなたに安らぎが、生きる実感が、いつかあなたを包み込むように祈っています。
本当に祈っています。
きっと、ここのみんなも。

思ったことをうまく書けなくて、消しゴムのコメントしかした事ない私ですが、私はあなたが大好きなんです。
あなたの綴る想い、写真、フリマで値切るあなた、大阪の町が好きで、おっちゃんと掛け合うあなた、子供を愛するあなた、みんなみんな大好きです。
待っています。

2008/12/05 01:37 | たるるっと [ 編集 ]


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2008/12/06 00:17 | [ 編集 ]


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2008/12/06 06:58 | [ 編集 ]


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2008/12/09 01:31 | [ 編集 ]


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2008/12/09 05:53 | [ 編集 ]


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2008/12/10 06:46 | [ 編集 ]


ゆっくり休んでください 

美鳥さん、ゆっくり休んでくださいね。
生きてるだけで精一杯という時はパソコンの画面を見ること自体無理なもの。

それにもともとブログは付けるも付けないも全く本人の自由です。
誰にも責める権利なんてありません。

どんな声にも惑わされず、今はとにかく生きることのみに集中してください。

2008/12/10 15:23 | sereins [ 編集 ]


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2008/12/11 19:35 | [ 編集 ]


 

はじめまして。
私も以前、境界性人格障害のブログを書いていました。
本当にこの病気はやっかいで・・
なった人にしかこの苦しみはわからないですね。。

私はやっとボーダーを克服。。とはいきませんが、
「軽減」させることができました。

幼少期の過去・成長期のトラウマを忘れました。
今まで憎んでいた「親」を許したんです。
私がこんな人格になったのが、親のせいであるのなら、
親も病気であった。というわけです。
そう「割り切って」しまうことで(難しいですが・・)よくなりました。

過去はもう2度と変えることはできないけれど、
”未来”は変えられる。ということに、やっと気づいたのです。

それから、、自分にとってマイナスになるものは、
「すべて切り捨てていく」ことで、この病気はかなり軽減するようです。
私の周りの3人のボーダーの方もこの方法で、良くなっています。

強い意志と信念を持ち続け、自分を見つめなおし、
性格改善を試みることで、絶対にこの病気はよくなります。
偉そうな発言で申し訳ないです。
でも、「必ず良くなる。」ということを伝えたく、コメントをさせて頂きました。

人格障害は、周りからの理解が得られにくい、
とても辛いものです。
気持ちが晴れる日を願っています。
負けないで!!

2008/12/13 15:34 | あみ吉 [ 編集 ]


 

美鳥さん、こんばんは。

美鳥さんがご無事なことだけを
ただただお祈りしています。

2008/12/16 01:06 | Muumipeikko [ 編集 ]


読ませて頂きました。 

話の中の両親は、子どもを自分と同じ「人間」としては扱ってくれなかったんですね。

愛情も、厳しさも、ヤツ当たりも、ものや人形に対するようなそれと感じました。

美鳥さんを愛してくれる方は必ず居ますよ。
泣いても、泣けなくても、無理に泣こうとしなくても。

ささやかながら、美鳥さんが幸せを掴める事を願っています。

2008/12/16 12:35 | ひろ [ 編集 ]


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2008/12/17 15:59 | [ 編集 ]


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2008/12/20 01:31 | [ 編集 ]


Merry Christmas 

今宵は、素敵なひとときを。

2008/12/24 22:17 | チュン太郎 [ 編集 ]


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2008/12/26 16:22 | [ 編集 ]


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2008/12/30 00:08 | [ 編集 ]


良いお年を 

12月に入って、止まっちゃってるね。
ちょっと、心配。
Himaの助も止まっちゃってるし・・・

元気かな?

よいお年をお迎え下さい。

2008/12/31 15:07 | チュン太郎 [ 編集 ]


あけましておめでとうございます。 

美鳥さん、おはようございます。

お元気でいらっしゃいますか?

今日は大阪も寒いみたいですね。
どうぞご自愛ください。

今年も宜しくお願いします。ぺこり。

2009/01/01 05:55 | Muumipeikkoreo [ 編集 ]


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2009/01/01 21:41 | [ 編集 ]


 

検索から来ました。

私は母一人娘(私)一人の家庭でしたが、
殴る蹴るなどされて泣き出すと
「あ?何泣いてんや?」
「その涙は何の涙や?言うてみ!!」
でした。

母の機嫌がいいと、恐ろしく静まり返って、
私は、“このままで過ぎますように”
“母の機嫌が損ねませんように”
と、ずっと母の顔色をみて過ごしてました。
だから、小中高と家に帰るのが苦痛でなりませんでした・・・

そして、中学の時、1度だけ手首を切ってみようと
試みたことがあります。
でも、傷をつける程度で、それ以上何もできません
でした。

あの時、成功して死んでた方がよかったのか、
こうして今でも生きてる方がシアワセなのか、
未だにわかりません。

2009/01/02 09:08 | ジゼル [ 編集 ]


明けましておめでとう 

新しい年が明けました
少しづつゆっくりと今年も歩いて行きましょう。
ゆっくりと・・・

2009/01/03 09:46 | 哲老 [ 編集 ]


美鳥さん 

どうか息を、していて欲しいと、勝手に願います。
貴女の言葉にまた触れたい。

2009/01/11 00:59 | あまみ [ 編集 ]


 

体調悪いですか・・・・・・・・


無理せず低空飛行で生きてください

2009/01/12 19:36 | ガンジャーばぁちゃん [ 編集 ]


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2009/01/20 12:02 | [ 編集 ]


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2009/01/22 11:24 | [ 編集 ]


こんばんは 

深夜なのでこちらに…まだまだ寒さも厳しいけど体調大丈夫かなぁ?食べれてる?
冬は『暗い』感じのイメージだけれど、私は好きなんだ。寒いほど空気が澄んで空がキレイに見えるから。冬は朝も昼間も夜もよく空を見上げます。美鳥さんの心に少しでも余裕が出来た時、キレイな景色でも見れて気分が良くなるといいなと思います。またメールかコメントしにきます。

2009/02/09 01:39 | monokuro [ 編集 ]


 

こんにちは。
お久しぶりです。
美鳥さん、大丈夫でしょうか…?
心配です。
でも無理してほしくないです。。。

ずっと待ってるので、いつか戻ってきてください。

2009/03/01 15:04 | 泡沫 [ 編集 ]


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プロフィール

美鳥(みとり)

Author:美鳥(みとり)
被虐待サバイバー。解離性同一性障害、うつ病、対人恐怖症ほか色々闘病中。境界性パーソナリティ障害寛解しました。毎日の光と影を綴ります。生育歴・来歴・病歴・活動はこちらをご覧下さい⇒<はじめに Profile>

講演活動・ユーストリーム放送しています。
講演のご依頼ご相談は、当ブログメールフォームからお願い致します。

診断名の有無に関わらず、生き辛さを抱える方々と温かい繋がりを目指しています。ご感想ご意見など、お気軽にどうぞ。お待ちしています。

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