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2008/11/25 (Tue) 金曜に濁る私と清い世界(前編) ? 解離性障害?

20081125.jpg

20時45分全文加筆修正
<カウンセリング 2008.11.21 の記録> 
「心理学とは、どこまでいっても全て仮説」とは、今月から通い始めた新しいカウンセラーの言葉。
人間の心を定義の枠にはめずに、あくまで一対一で対しようという姿勢は、今までのロジャース派のカウンセラーとは明らかに手法が異なる。

8年間、私はあるカウンセリングルームで女性カウンセラーの治療を受けてきた。
来談者中心の、いわゆるロジャース派のカウンセリングだったのだろう。
うまくいっていたようでもあり、これ以上は限界だと思うところ多々あり、最後のカウンセリングで私は初めての怒りを露わにし、以来行っていない。
医者に紹介してもらい、試しにと通い始めたカウンセリングルームは、電車に乗らずに行ける近所ということで続いている。先週の金曜日で、3回目。
カウンセラーは、今週から私を苗字で呼ばなくなった。本名は、苗字も名前も違和感を感じて仕方ないと言ったら、「みとりさん」と呼んでくれるようになった。私は、それだけで有難い。

前回のカウンセリングは、不審な思いを残して終わった。
一時間のはずのカウンセリングが、1時間も越えた。
カウンセラーが私に家族構成など質問し、家族のツリーを図にしていった。その最中、カウンセラーが言うには小学校時代の友人関係の話になった時点で、私が倒れたという。

先週のカウンセリングのことを覚えていますか?とカウンセラーが訊ねた。
嫌な話だ。カウンセラーが変わってから、こうしてカウンセラーの方から話題を提供されたいと散々求めていたというのに、話したくないこと思い出したくないことに直接切り込んでこられるのも、辛いものだ。あらためて実感した。

前回のことで記憶にあるものを、思いつくまま話した。
◇頭蓋に泳ぐ短編小説-解離性障害・境界性人格障害・カウンセリング-(前回の記録)

ブログの記事にした後で思い出したことは、泣き叫びながら、抜いたコンセントの先で自分の足を何度も何度も突き刺していた気がしたが、遠い過去のことなのか、さっきのことなのか分からない状態だったことだ。いつものソファに座りなおし足元を見たら、抜けたコンセントが目に映り記憶が混乱したままだ。

もう1つ、私の脳裏に一枚の写真のように焼きついて離れない光景が、ふと浮かんで消えなくなった。
カウンセリングルームの椅子にカウンセラーが座り、その手前のデスクの下に潜り込んでカウンセラーに顔を向けているらしい人物を、2?3メートル後ろから映したような周囲が暗がりで覆われた光景だ。

カウンセラーが何を話すのか、私はカウンセラーに前回何があったのか問い返した。警戒心で全身が金属のように凍てついた。

カウンセラーは、先週私は解離し、<あや>が出てきてカウンセラーと話し、あやが机の下に潜ったり、小さな人形で遊んだりしていたと答えた。
小学校1年か2年。言葉の使い方や発声、行動から、それ位の年齢だという。幼稚園でもないし、3年生でもないという。

あやの性格について、私は、初回のカウンセリングで「彼女と私は水と油。正反対の性格で嫌い」と説明したらしい。記憶にない。
カウンセラーが会ったあやは、まさに私とは正反対だったという。
時間にして数十分間だったとカウンセラーは言ったが、その数十分で「正反対の性格でした」と言うまでに、何かやりとりをしたのか。何があったのか。

あやは、気が済めば引っ込むという。3歳くらいの人格だと理解できずそれが出来ないパターンが多いが、あやの場合気が済んだら引っ込み、数分で私が戻ってきたらしいから、彼女は現実を割と把握できているから、もっと幼い人格よりは何か希望が持てるようなことを言っていた。


こういった事実を聞くのに、私は相当精神を破壊された。粉々といっても良い。
自分の中の他人。
これをどう受け止めればいいのか。
交代しても、ちゃんと戻って来られるようだといわれても、一人で暮らす私は希望とも何とも思えない。
次は無理かもしれない。
真っ黒なあの空間に落ちてしまったときの恐怖を思い出すと、淡々と話すカウンセラーに苛々した。自分にも苛々した。


私は誰なのか?
もしかしたら私は、あやの系図を引き継いでいるのかもしれないと考え、ぞっとする。
あやには、「逗子の男=ママ」がいる。
私は、この男に激しい殺意を抱き続けている。あやに対しても殺意が抑えられない。私の中に、最も憎むべき人間が存在している。
私には、「ママ」はいない。私という人格は、ふいに現れた気がして仕方ない。
強いて言うならば、私という人格の母親は「孤独」で、悔しさと怒りと意地だけが私には備わっている。「孤独」から生まれて、生きるということにしがみつくために私は生きている気がする。


その後のカウンセラーの言葉で、私はとどめを刺された。
現在の精神医学のカテゴリーに必ずしもあてはまらないのが心というもので、心理学とは全て仮説に過ぎないというカウンセラーらしい言葉だったが、私を絶望に突き落とした。
私の診断はどうなるんですか?と問い詰めたら、カウンセラーが答えたのだった。
「解離はあるが、解離性同一性障害ではない可能性があり、しかし、あやという人格は確かに存在する」というものだった。


何だよそれ。と思った。
過去の記憶、子供の頃のことなど訊かれたが、最近思い出したくないことを思い出したこともあって、考えたくないから黙っていた。

解離性障害ではない可能性を挙げる理由として、カウンセラーは言った。
「解離性障害というには、「美鳥」という人格、あなたは、あまりにも鮮やかです」

抽象的な言葉だが、カウンセラーが何を言わんとしているのか瞬時に理解し、納得した。
確かに私は、鮮やかだ。
数年前までは、なかった鮮やかさだ。対照的だから分かる。

3歳頃から数年前まで、私は酷い離人感の中生きていて、それが当然と思い生きてきたがために、その違和感を誰かに言語化して伝えて自分の感覚を確かめようなどと考えたことすらなかった。
カウンセリングを開始して2年が経過した頃、ようやくカウンセラーに指摘され、私を覆い続けている数十センチもの分厚いゼラチン質の膜のようなもの、たまに音がこもって聞えない現象、手足や身体や顔が自分のものと思えない、名前も実感できない、部屋が突然数十倍に広く感じたり、人から話しかけられても現実感が持てなかったり、すべてがのっぺりと見えたり、自分という感覚がなく、意識を保っているだけで酷い疲労を抱えていたことなどが自覚できた。

自覚して以来、目覚しいスピードで膜が晴れていったような気がする。
今の私は、大きなストレスがかかった時に無防備でいると急激に解離に襲われる。最近の解離は特に顕著で、恐怖さえ感じる。しかし、それ以外はしっかりと自分という形を留めていられる。自分の価値観や、やりたいことや考え、嗜好が明確にある。


しかし、はっきりと病名が分からないということは、治療方針も定まらないことになる。
私は、これまで10年近く闘病してきた。一回7千円を越えるカウンセリングに月に4回、8年通い、通院も続けている。しかし、いまだに私のカルテには無数の病名が散らばっていて治療方針は、いまだ定まっていないように感じる。
治療なんて、ちっとも進まない。
私はもう10年も闘病しているのに何がゆっくりだ。ふざけんな。


あやと会話したというカウンセラーに侮蔑の目を向けた。怒りが湧いた。
あやと話す人間を、私は心から軽蔑する。特に相手が男性であれば、あやと会話した最中に刺激されたであろう男の劣情を想像し、侮蔑の心が押さえられない。
治療が進まない絶望と、淡々としたカウンセラーの態度と、どうしようもない自分という曖昧さと、回復への焦りや、色々なものが混濁して渦巻いた。

男は皆あやが好きですよね? あやと話せてよかったですね。私は可愛げがなくて、あやは可愛いですよね。
カウンセラーに答える隙を与えず、罵り半分に言葉を投げつけて靴をはいた。
カウンセラーは、あやさんが好きではないとか、ゆっくり一緒に考えていきましょうなどと言っていた。カウンセラーは、いつでもそうだ。ゆっくり、ゆっくり。ゆっくりやってる暇なんてない。
カウンセラーは、信用できない。あやと接触する男は、全部遠ざけたい。

絶望がどんどん追いかけてくる。後ろを振り向かずカウンセリングルームを出た。


もう、うんざりだ。


ドアを出た。死のうと思った。
歩いて歩いて走って、突き当たりの踊り場から身を乗り出した。飛び降りれば全て終わる。

猛烈な怒りが湧いて湧いて、悔しくて泣いた。泣きながら、呆然とした。
カウンセラーも、あやも、あやを生んだ男も、私も、何も一向にどうにもならない私自身も、何もかも、もうどうにもならない。
憎しみがこみ上げて、死ね死ね死ねと自分に向かって罵倒する私がいる。
一方で、疲れ果てて無感覚な私がいた。
何がこんなに憎いんだろう。何がこんなに腹立たしくて、どうにもならないんだろう。もう分からない。考えるのも疲れた。

下の道路を通行人と車が行き交っていた。
罵りが私の頭蓋一杯に満ちてあふれ出した頃には、ここから飛び降りられると思い、じっと待った。踊り場から身を乗り出して、色んな人が歩いていくのを見ていた。真下のマンホールまで、遠いようで近かった。距離感が分からなくなってきた。
風が強くて、煽られた髪が唇に纏わりついて不愉快で唸った。
頭が真っ白になった瞬間に飛び降りる。


◇金曜に濁る私と清い世界(後編)?解離性障害・境界性人格障害? へ続きます

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美鳥(みとり)

Author:美鳥(みとり)
被虐待サバイバー。解離性同一性障害、うつ病、対人恐怖症ほか色々闘病中。境界性パーソナリティ障害寛解しました。毎日の光と影を綴ります。生育歴・来歴・病歴・活動はこちらをご覧下さい⇒<はじめに Profile>

講演活動・ユーストリーム放送しています。
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診断名の有無に関わらず、生き辛さを抱える方々と温かい繋がりを目指しています。ご感想ご意見など、お気軽にどうぞ。お待ちしています。

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