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2008/09/06 (Sat) 依存恐怖症らしい ? 境界性パーソナリティ障害・対人恐怖症 ?

サッカーのバーレーン戦が、夜中の3時からだから起きてないといけないんだよね、と私は話した。

それじゃ一度寝たらいいよ、3時に起こしてあげるよ、それから一緒に見ようかと友人は言った。

やったーと言ってから沈黙し考えた末、大丈夫だからいいと断った。

怒りを含んだ声に、友人は戸惑って笑った。

なにがいいの?と訊いた。

怖いからいい、と答えた。

何が怖いの?と友人は、不思議そうに問うた。

何が怖いのか分からなかった。怖いものは、怖い。怖いものについて、何故考えて言葉にしなきゃならない。怖いだけでは、何故駄目なのか。

違う話をしていたのに、またサッカーの話になった。気が合う。困る。

何が怖いのか訊いていいかと友人が言った。

その頃には、精神状態を密かに立て直していた。いっそ言ったほうが友人が病んだ人格に気づいて距離を取ろうと考えてくれるかもしれない。思いつくまま答えてみることにした。

依存するのも、依存されるのも疲れた。

自分が言った言葉に気づき、気がついたら泣いていた。怖くて泣いた。悲しくて泣いた。泣いていることを気づかれたら共依存の始まりになるかもしれないと思い隠した。

私は、依存に疲れているらしい。

人を振り回すのも、振り回されるのも、悲しくて哀れで疲れるし自分も相手も駄目にする。

私は、他者を尊重して、今までゴミにしてきた自分自身も尊重したい。

サッカーの話一つで、ここまで過剰に反応しなければならない私という女に、業の深さを見る。

恋愛とか無理なんだよ興味もないし依存と好きの区別も説明も、永遠につかないことくらい知っている。恋愛は嫌でも微量でも依存を含んでいるものだ。

ボーダーの自分と、ボーダーのチープで巧妙でドラマチックで陶酔的な振り回し行為と媚びに喜んで尻尾振る男を見るのが嫌になった。

餌を与えなきゃいいのに、私は餌を与えようとするから、餌を与えようとする手を切断しようとしたが、切断できるものではなかったから、いっそ自分を消してしまいたくなった。

しかし生きていきたいし自分も他者も尊重できる人になりたいから、何でもひとりで出来る寂しくない自分になることにした。不可能でも、試みようとしないよりはいい。

極端だと事情を全く知らない友人は、言った。俺達は似ていると言ったから、相手に自己投影するのも依存の始まりだと私は怖くなった。怖い怖い怖いしか頭の中に湧いて来ない。

類似点も錯覚も何もかもが、依存の始まりに見える。

距離が縮まることは、破滅への駆け足のようにしか見えない。距離は縮めずにいようよ、楽しくいこうよ、面倒なことは置いておいてさ、と笑って言う私は道化のようで、友人も見抜いている。黙っているだけで。

3時に起こすことがどう依存なの?と訊くから、物理的距離が縮まれば精神的距離が縮まる、依存にならないかもしれないけれど、依存のスタートを切ることになるかもしれない、だから私は頼らない赤ん坊じゃないと答えた。

彼が不登校児を登校させるまで尽力した話に私は感動し涙したけれど、直後に怖くなったのだった。

人を助けようとする人は、紙一重で依存し依存してくれる相手を探しているのかもしれない。私を助けようというのならば、私に依存してもらいたがっているのかもしれない、と邪推したのだった。

怖い場所を避けて避けて、誰のことも傷つけまいと真逆の道を歩いていた筈なのに、元の木阿弥に戻ってきている落胆。

明るい話をしても笑っても、誠実な彼は、私の言葉を忘れることはなかった。不都合だ。私の弱さを知っている人が存在することは、私の虚勢を脅かすのだと知った。

泣きながら言った私の言葉、あれだけが本当なのだろう。

依存すること、依存されることに疲れた。

胸が張り裂けそうに悲しいが、何が悲しいのかは分からない。肝心なことは、いつも恐ろしくて考えられない。都合よく、普段は忘却している。

サッカーの話一つで、まっすぐに正した筈の私の人格は醜く歪んで崩れ落ちる。

努力とは砂上の城だ。

心臓が痛い。



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境界性人格障害 | comment(19) |


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依存の裏側 

今回の記事は、すごく共感を持ちながら読ませていただきました。
アイザも人に依存して失敗した経験がありますので・・・。

3時に起こしてあげる、というのも、
【その相手に自分の身を預ける≒依存】
という図式なんじゃないか、と勝手に想像しておりました。

間違っていたらごめんなさい。

2008/09/07 16:23 | 久我瀬アイザ [ 編集 ]


 

ランキングから、失礼します。

依存…。確かに言葉では言い表せない程恐ろしいものがあります。

僕は植物と触れ合う機会が多いんですが、
人間も、自然は目に見えないところで支え合い、依存、共依存はごく自然な事だと思えるようになりました。
長い目で見ればメリットもありますし。

何が正しいのか。

幸せってなんなのか、考えてしまいました。


2008/09/10 22:35 | よしき [ 編集 ]


>>久我瀬アイザさん 

アイザさん こんばんは。
いつも読んでくださって、コメントありがとうございます。

まずはじめに自分の依存心に気づくことが、私自身の経験からして難しいと感じています。
依存で失敗した、と気づくのは、もう一段階先の話で、これもそれなりに客観視できないことには難しいですね。
けれど、ここから自立を目指す心が始るのだと感じています。

>3時に起こしてあげる、というのも、
【その相手に自分の身を預ける≒依存】
という図式なんじゃないか、と勝手に想像しておりました。

↑うまく表現できなかったのですが、まさにその図式です! 3時に起こしてもらうということに何故ここまで抵抗感があるのかといえば、ひとまず午前3時までは「相手に自分の身を預ける」状態だったからだと思います。
おおお!そのとおりでした。そんな感覚でした。
ありがとうございます。

2008/09/18 23:26 | 美鳥 [ 編集 ]


>>よしきさん 

よしきさん おはようございます。はじめまして。ランキングから来てくださったんですね。ありがとうございます!

依存は、人間関係だけでなくアルコールをはじめ、これがなければ自分を保てない状態を指すと理解しています。私は一時期重度のニコチン中毒だったのですが、何をするでも煙草がないとできない状態で、一日の大半を煙草で奪われていたような状態でした。
人間関係も、似たものだと思います。本来であればそれぞれが自立して、それぞれの人生を自分で充実させることが第一にあって、愛情関係や支え合いが生まれると思うのですが、相手のために自分を抑圧したり、自分のために相手が自分の人生を捧げたり、投げ出して自分の世話だけに生きがいを見出したりという状態は、いずれ行き詰まり、互いの抑圧された鬱憤が自動的に蓄積されていく状態になります。

よしきさんが例に出された植物のお話は、私は依存関係ではなく、「相互扶助」関係だと理解しました。それぞれが個々の機能を果たすことで、一部を扶助しあう関係です。

支えあうためには、依存は適切ではないというのが私の考えです。依存・共依存が自然な関係とも私の経験からは、感じません。相互扶助の関係が最も望ましく、依存関係は一見、心の病を持つ人間などには特に効果を発揮するように感じるものですが、最終的には互いを成長させない、互いを食い合う状態と実感しています。

依存と相互扶助の違いについて、最近よく考えます。恋愛は、特に依存を僅かながらも含む宿命にあって、難しい問題です。
記事を読んで何か感じてくださったのであれば、光栄です。
コメント、ありがとうございました。

2008/09/19 09:50 | 美鳥 [ 編集 ]


 

お返事ありがとうございます。

わざわざ時間や労力を割いて頂いた事に感謝しています。
ありがとうございました。

その上で、自分の考えを述べてみてもいいでしょうか。

僕の考えは、少し違います。

赤ん坊は育てて貰う人が居ないと死にますし、花も水がないと枯れます。

人も、食べ物やお金にすがらないと生きていけない場合もあります。

依存と相互扶助を分ける事はできますし、
「良い支え合い」と言うのも目に見えて分けられるでしょう。

ただ、僕はそれを一面的な捉え方としています。

恋愛が辛さと分けられないように、
足の引っ張り合いの中にも、長い目で見ればお互いの成長に繋がったり、
またそこでぶつかる事によって周りの人との関係が成りたっていたりもします。

あくまでこじつけみたいなもので、
依存関係が切迫していて、
苦しみがあれば相互扶助なんてとても口にできないとは思いますが。

一応、不自然な事象ではないかなと思いました。

それをわざわざ書いたのは、
そう考えて自分にゆとりができたなら、その「依存」の苦しみを緩和、または関係を変えていく一歩になるのではないかと常々感じているので。

コメント、僕も浅はかでした。
気分を害されたならすみません。

2008/09/20 10:55 | よしき [ 編集 ]


 

依存=悪、って訳でもないと思う。程度が大きければ、本人にとってはそりゃ負担だろうけど、誰でも依存しているものが何かしらあると思う。私は自分をネット依存と言える。リアルでの人間関係も持ってるけど、ネットほど感情が見えないだけに容易じゃないからね。。。
私に関して言えば、ネット依存を持ちつつ、生活を営んでる、ってとこかな。きっと、ネットを生活から切り離せないよ。カフェインが手放せないのと一緒でね。

善とか悪とか言うんじゃなく、何でもほどほどがいいってとこなんじゃないかと思う。ワタシ的には。それが難しいところだろうけどね。

2008/09/20 14:41 | 依里 [ 編集 ]


>>よしきさん 

よしきさん おはようございます。
コメントありがとうございます。
この記事で取り上げた「依存」は対人関係についての依存を主としていますが、性質としてはタバコやアルコールやその他と質的には変わらないと思っています。
つまり、依存症とは生活や人生に支障を及ぼした時点で依存症となります。大抵、本人は否認するというのも依存症の特徴になっています。否認の病とも呼ばれています。

以下、Wikipediaからの引用です
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BE%9D%E5%AD%98
大量・長時間・長期間にわたって依存対象に異常に執着するため、重要な社会的・職業的・娯楽的活動を放棄・減少させる。また、精神的・肉体的・社会的問題が起こっても、対象に執着し続ける。動物実験でも、脳に電極を埋め込まれた出産後のラットは、子供を放置してまで報酬系への電気刺激を求めることが知られている。

否認
依存症患者は、病的な心理的防衛機制である「否認」を多用するため、しばしば依存症は『否認の病』とも言われる(否認言動は診断に必須ではない)。また、家族や恋人などが依存症患者に共依存している場合、共依存している者も否認を行う。


一点、よしきさんが見落とされている点があるとするならば、長い目で依存関係を見ていくとしても、人の精神力や思いやりには限界がある、という点です。依存する側も依存される側も、真綿で首を絞めるように疲弊していくのが人間関係における依存症の恐ろしいところです。

精神的に個々は自立、尊重しあっていかなければ、家庭内では虐待や機能不全家族に発展します。
私は、ここで具体的に自身の体験や家族について書いています。長い目で見て「足の引っ張り合い」でもメリットがあるのだとは思えません。
足の引っ張り合いは失敗です。足を引っ張り合わなくても良い関係を築ける人間がいるのであれば、その関係には執着しないことが成熟した自尊心の使い方だと思います。

赤ん坊と母親の関係は初期では依存関係です。しかし、それを自我が発達した後の人間にあてはめたり、植物の相互扶助関係を安直に「依存」という言葉で表現するのは語弊があり、これは単純に語義の問題と感じました。

依存について、何が依存で何が嗜好なのかが曖昧に語られる場面によく遭遇します。危惧を感じます。
食べ物やお金がないと生きていけない、という不便さと依存もまた全く質が異なるものです。
言葉遊びのようになりますので、ひとまず語義を共有するのが第一歩かと感じました。心理学的な「依存」と、依存について深く考えたことがない方の世間話に出てくるような「依存」とは、明らかに意味が違います。ひとまず、この記事では後者について書いたつもりはありません。大切なのは前者の「依存」です。人を疲弊させ時間と精神力を奪い、心に傷まで負わせる「依存」です。

いずれ依存症について、私のタバコ依存や恋愛依存、友人のアルコール依存症や(本人は否認していました)、愛情と依存、相互扶助と依存の違いについて、具体的に書く予定です。
機会を与えてくださって、ありがとうございました。

2008/09/21 10:04 | 美鳥 [ 編集 ]


>>依里さん 

エリィ おはようござります。

依存については、そこらの世間話で話される依存と、本当に深刻な病気としての依存が混同されて認識されてるように思う。

ので、以下、Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BE%9D%E5%AD%98

嗜好と依存は全く違って、依存というと生活や人生に支障を及ぼす段階のことを呼ぶのだと思ってます。
自分で「依存している」と認識している場合は、大概ほどほどにとどまっていて、「ほどほど」なレベルだとそれは嗜好しているけれども依存はしてない状態が大半。
私のアル中の友人は「アル中じゃないよ」と言って立派なアル中でした。なぜって、私との関係にアルコールが大きく関わって障害になってたから。
生活に大きな支障を及ぼすのが依存だと思う。

これが人間関係になると最悪で、依存されるにも2パターンあり、一つはベッタリと寄りかかられること、逆に執拗に攻撃してきたりも感情をぶつける形の依存対象となっていることが多くて、虐待や機能不全家族なんかはこれにあてはまる場合が多いです。
人間はパソコンやコーヒーやタバコとは違って、互いを傷つけあったり互いの時間を奪い合ったり、心に消えない傷を残したりする。
心は無尽蔵ではないという点で、人間関係における依存、共依存は大きな問題だと思ってます。

依存の語義の問題になってくるので、このへんで。
実際の私の体験なんかを今後も書くことで依存について明確な問題点を提起できればと思っています。

2008/09/21 10:26 | 美鳥 [ 編集 ]


よしき 


乱文、失礼しました。

僕の言い方も悪かったと思いますが、
なんだか、さらに誤解が生まれたみたいなので訂正させて下さい。

美鳥さんの言われる事は大方、正しいと思います。

緊迫感もあり、事実を述べているとも思います。

ただ一つ誤解しないで頂きたいのは、

僕は依存を支持する立場を取ってはいません。

色々語弊のある表現を使いましたが、

僕が伝えてみたかったのは
少し、心を大きく持ってみてはどうかとそれだけです。

僕は、依存者です。

毎日が死ぬか生きるかの瀬戸際だった時もあり、

今は過去と愛して笑い飛ばせるようにもなりましたが、
同時に今も心に傷を恐怖を抱えてもいます。

今更、依存の危険性については語りません。

ただ、率直に言います。

足の引っ張り合いは失敗、他の関係を探すべきだと、

はっきり否定して、
何か変わりますか?

対人関係は悪化し、
共依存であるならなおさら、
改善の見込みも取れず、

見た目で良くなっているように見えたとしても
無理は祟り我慢は募り。

いつかそれは情緒的に、
または具現化する現実問題として、必ず自分に跳ね返ってきます。

思考パターンや行動欲にすら影響を与え、
前に進んでいるようで同じ場所でループを繰り返したりします。

自分も他人も、人の心や体は理屈で割り切れるようにはできていません。


あまり理屈屋でマジメに考えすぎるのも

依存のスパイラルにはまる要因の一つだと僕は考えているので。

例えば「否認」と言う症状が自己防衛機能だと言うのなら、
それを疎かに取り組む事もできないのではないでしょうか。

何だか自分を見てるようで、
思うところがあったんです。

頭が悪いのでうまくまとまりませんでしたが、

重ね重ねの乱文、すみません。


2008/09/22 03:14 | no name [ 編集 ]


>>よしきさん 

前回のコメントで書かせて頂いたのは、一言で言えば、「依存」という言葉を使うべきでないところで使って私に何がしかを伝えようとするために、意志の疎通ができていないのでは、と申し上げました。

依然として「依存」について語られますが、前回リンクを貼らせていただいたとおり、「依存」の語義はああいったものです。

>足の引っ張り合いは失敗、他の関係を探すべきだと、はっきり否定して、何か変わりますか?

私は、あらゆることが変わりました。人生が変わりました。人から利用されることがなくなりましたし、人を愛したいと思えるようになりました。
足の引っ張り合いに終始し、不安の恐怖だけでピエロのように必死で踊り狂って生きていました。自分の依存を自覚するまでは。
タバコなどでも膨大な時間とお金を費やしました。健康も害しました。これも私はやめました。私から奪っていくものと認めたからです。気分転換であればタバコでなくてもいい。そんなふうに、より良いものを選択していけず一つに執着するのが依存です。選択肢を大らかに持つためにも、何が依存かは明確にしておかねば、ふらふらと根無し草で場当たり的に生きていかねばなりません。

人間関係を語る上では、私はグレーゾーンを大切にします。しかし、「依存」という病は病ですから、これを曖昧に語ろうだとか、理屈のみで語ろうとは一切考えません。大変大きな問題ですから、おおように考えようが考えまいが、人は傷つき、傷つけられるものです。「依存」という言葉を使って人間関係全般を語られているように感じますが、やはり語義として「依存」は不適当と思います。あなたが語られたいことを伝えようとされるなら、「依存」という言葉を使うべきではありません。誤解が深まるばかりです。あなたの表現ですと「思いやり」や「他者を尊重する」ということまで「依存」に含まれてしまっています。語義から見て、これは単純に不適切ですので他者との会話では誤解を招きます。

>あまり理屈屋でマジメに考えすぎるのも依存のスパイラルにはまる要因の一つだと僕は考えているので。

具体的にどのように依存のスパイラルに陥るのか分かりません。依存の特徴として「思考停止」があります。相手の気持ちや自分の苦痛や無理を考えないという思考機能です。目の前の事象と自分の妙な願望に振り回されるのが依存と考えます。現実を捉えようと知恵をこらしていなければ、漠然と人生とは流れていくものと実感しています。

>例えば「否認」と言う症状が自己防衛機能だと言うのなら、それを疎かに取り組む事もできないのではないでしょうか。

本文をよく御覧下さい。否認が自己防衛機能なのではなく、依存という病の一つの症状なのです。よって「否認」を取り込んでいる患者ほど、依存からの回復は難しいです。私の経験からも、そうでした。


あなたは、人間関係全体を「依存」という局地的な言葉で全て説明しようとされていらっしゃいます。
私は、「対人依存」という病についてのみ書いています。
これは、見方がどうこうだとか、理屈だとかではなく、単に語義についてのやりとりをしているだけなのです。
人間に対して私がどう思いどう接しているかは、これ以外の記事など見ていただければ分かることです。
理屈にとらわれると、この記事でのやりとりのみに固執します。私は理屈で語るのは嫌いです。

文章は常に、読む方の鏡だと思っています。私が書いてないことまで、鏡に映し出されることがあります。
私は、あなたが仰りたい人間に対する姿勢、愛情、優しさや思いやりの示し方は、ここには書いていません。
理屈が嫌いですので、語義について争うことは好きではありません。辞書を見て片付く話です。共通の語義を持った上で、人間性を交わらせていくのが交流と考えています。
実際問題、どんな状況に対し、どう対処できたか。人生の選択肢において、狭窄的にならずに意志を持って人とよりよい関係性を築いていこうとしているか、生活にのみ答えは出ていくのだと思っています。

語義がすれ違ったまま議論に固執することが理屈屋だと思っています。
私は何度も書いたように、ここに書いてあるものが全てではありません。2,3の記事、しかも症状が出ているときだけの記事を拾って読まれても、自我同一性障害他複数に罹患している私という人間の多面性は理解できないと思います。

例えば私やあなたが、恋人とどんな会話を交わし、何に痛みを覚え、何を苦しいと感じたか、生活の中の具体的なエピソードだけがリアルです。
私は恋愛に足を踏み入れ、そして具体的にこの記事を書いています。
理屈を書いているわけではありません。

このお返事をもって、単なる語義と人間観を混同した議論はやめにしましょう。上の依里さんという方にお返事した中にも依存について書いていますし、後に記事としても書く予定です。次にコメント下さっても、この点で議論は無駄と感じますので拝見できかねます。あしからずご了承ください。

2008/09/22 03:55 | 美鳥 [ 編集 ]


 

僕はただ、お疲れ様、無理しないでくださいとお伝えしたかっただけです。

バカを演じたり比喩的な表現を持ち出したり
語義とか語弊とかあったかもしれませんが、
そこは謝ります。

議論がしたいわけでもないし
難しいことを説明したいわけでもない、
真に受けて逆鱗にふれてしまったのならちゃんと謝りたいのです。
本当にもう、議論はしたくありません。

言いたいことはそれだけです。


2008/09/23 21:21 | よしき [ 編集 ]


お久しぶりです 

きんたろうです。
覚えてらっしゃらないかもしれませんね。

サッカーの話と
よしきさんとのやり取り

拝見しました。
距離感は難しいですね。

きんたろう

2008/09/24 23:20 | きんたろう 美鳥さんへ [ 編集 ]


>>よしきさん 

よしきさん こんばんは。お返事が遅れまして、申し訳ありません。

この記事、特に依存については、境界性人格障害で今も頻繁に希死念慮に襲われている状態ですので、真剣に書いたものでした。
「真に受けた」のではなく、「逆鱗に触れた」といったことは一切ないので、ご安心ください。
真剣に書いていたからこそ真剣にお答えしたと解釈いただければ幸いです。

無理しないでくださいと仰ってくださって、ありがとうございます。ボーダーの回復期にさしかかり、今まで痛い目にあい続けてきたもたれあう人間関係に抵抗を抱き、支えあう人間関係を目指したいのだと思います。苦しかった分、回復への気持ちが強いので、よしきさんが仰るように、頑張りすぎているように見えるのかもしれないと思いました。

コメント、ありがとうございました。

2008/09/27 22:11 | 美鳥 [ 編集 ]


>>きんたろうさん 

きんたろうさん こんばんは。お久しぶりです。
確か私がブログを始めたばかりの頃、FC2の管理画面の件でお世話になった方かと記憶しております。記憶違いでしたら、申し訳ありません。

境界性パーソナリティ障害と闘病中の身として、対人関係の距離はとても重大な問題になっています。
思うとおりに自分をコントロールできればと思いますが、それがなかなか思うようにいかないのが心の難しいところと実感しています。

ブログでは文字だけが交流ツールですので、突然訪問された方の突然のコメントは距離をはかりかねて正直困惑します。現実と同じく、相互理解は段階を要するもので、難しいものです。
お久しぶりのコメント、ありがとうございました。

2008/09/27 22:31 | 美鳥 [ 編集 ]


憶えていてくださって 

ありがとうございます。

距離感が分からない人もたくさんいるのが
現状でしょうね。
しかし、美鳥さんは
歩み寄る姿勢を大切にされているのが分かります。
写真、うまいんですね。

きんたろう

2008/09/28 21:47 | きんたろう 美鳥さんへ [ 編集 ]


美鳥さんへ 

判りました。では、そのように受け取っておきますね。

きんたろうさんへのコメントを拝見したのですが、困惑しつつも、歩み寄りの姿勢をとって下さったんでしょうか?
だとしたら、それについても謝らなくてはいけません。
それと、付き合って下さってありがとうございます。

僕としても、あくまで励ましの意味を込めた、表面上のコミュニケーションの一環として会話文を用いたつもりでした。
ニュアンスは伝わるだろうとたかをくくり切迫さに疎かった分、申し訳ないと思います。

逆鱗云々、その表面的な会話がそのまま展開された事に恐怖を感じたため、誤解を起こしてしまった事、重ね重ね謝りたいです。

距離についても、少し勉強させて頂きました。

その点は、ありがとうございます。

2008/09/29 15:05 | よしき [ 編集 ]


>>きんたろうさん 

きんたろうさん こんばんは。
あの時お世話になりましたよね。教えてくださったので、あの後数人の方に私もお知らせしました。
あれから1年です。

適切な距離感や接触の仕方をその都度相手の調子を見ながらはかっていくということは、難しいようですね。ブログのみならず現実でも、同じような機会に遭遇することがあります。
対人関係は、最終的には快・不快におおざっぱに分けられると思うのですが、投げかけられた言葉には意志をきちんと表明した上で、互いの間を取れる関係なら良いなと思います。

写真、褒めてくださって、ありがとうございます。
上には上がいらっしゃって、先輩方からこれから本気で学ぼうというところです。
励みになります。
ありがとうございます。

2008/09/29 22:09 | 美鳥 [ 編集 ]


懐かしいですね 

もう、一年になるんでうすね。
あの時は、大変なトラブルだと思って
連絡したんです。

私も、距離感についてはいつも考えてきたので
美鳥さんのおっしゃりたいことは理解できます。

みんな距離感を誤ることはありますが
それぞれ、その誤りからすぐに立ち直ることが
出来る人もいるし、
致命傷になる人もいる・・

それぞれでしょうが
分かろうとする人がいるから、いつか・・
そんな人に励まされるのかもしれません。

写真、僕も取るんですけれど
ヘタッピです。(泣

それでは、また、機会があったら
コメントしにきます

きんたろう

2008/09/30 20:48 | きんたろう 美鳥さんへ [ 編集 ]


>>きんたろうさん 

きんたろうさん こんばんは。
再びコメント、ありがとうございます。

そうなんですよ~もう1年経ちます。三日坊主が得意技の私も、ブログだけは続けて来られて嬉しい限りです。きんたろうさんもご健在で何よりです。

あれは大変なトラブルでしたね~びっくりしました。あっちゃならんシステムエラーでしたね・・。

きんたろうさんも考えてこられた距離感、私はボーダーの回復期にあるので、依存も共依存も実害も回避も、また複雑な構造ですが、攻撃や絡みつきといった陰性転移なるものも体験してきました。

ボーダー回復期の私や友人などは、最適な距離感を保つ意識を備えている者が多く、健常者よりも考える機会が多かった分、絶妙な関係を作るのが上手に思います。
ご理解頂けて、嬉しいです。

距離感のミスは、いまだ私も多々あります。けれどその都度立て直していこうとする自省の心は、いつも持っていたいと心掛けています。
自分を客観視できなければ、健常者であっても対人関係は見誤りがちですね。

写真は、私も本当もう・・・何も分からずシャッターを切ってました。多分・・・先週くらいまで(笑)根がものぐさで、いまひとつ真面目に取り組んできませんでした。頑張ります。
また遊びに来てください。
コメント、ありがとうございました。

2008/10/01 22:17 | 美鳥 [ 編集 ]


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プロフィール

美鳥(みとり)

Author:美鳥(みとり)
被虐待サバイバー。解離性同一性障害、うつ病、対人恐怖症ほか色々闘病中。境界性パーソナリティ障害寛解しました。毎日の光と影を綴ります。生育歴・来歴・病歴・活動はこちらをご覧下さい⇒<はじめに Profile>

講演活動・ユーストリーム放送しています。
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診断名の有無に関わらず、生き辛さを抱える方々と温かい繋がりを目指しています。ご感想ご意見など、お気軽にどうぞ。お待ちしています。

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