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2008/08/24 (Sun) 殺される前に死にたい ? 境界性人格障害・人間不信 ?

限界が近いと感じていたのは気のせいではなかった。
大好きな作家の新刊が出たので嬉々として読んだら、内容がまずかった。
抑えてきた境界性パーソナリティ障害の症状が、臨界点を越えてしまった。

その作家が書く主人公は、いつもアダルトチルドレンの典型みたいな主人公。劣等感と人間不信と見捨てられ不安で一杯で、本当は誰かに助けを求めたいけれど、諦めて黙って生きている主人公。
恋することで、ありのままの自分を受け入れて貰える喜びだとか自信だとか、生きている実感、人生が外に開かれていく新鮮さ、信頼し、信頼してもらえる安堵だとかを覚えていく。心の成長物語といっていいかもしれない。
心情をいつも丁寧に描く作家だ。作家自身、間違いなくアダルトチルドレンなのだろう、しかし、ありのまま誰かに受け入れてもらえる安心感、ありのままでいいのだという承認を実体験してきたのだろうと、いつも想像する。

作家の短編「真珠のカケラ」は、まさに私自身の物語のようにも感じる位、作家が書く小説は、いつも私の心を丁寧に一つ一つ拾い上げて言葉に変換してくれる。
だから、シンクロ率が高い。感動もするが、衝撃も大きい。

主人公は、恋が出来るが、私は恋が出来ない。恋愛を嫌悪していると言っていいし、男性を信用していない。信用できない。では、女性を信用しているのかと問われると、やはり信用できていないらしい。つい最近のカウンセリングで初めて自覚して衝撃を受けた事実だ。
随分と人間不信から回復したと自分では思っていたのに、実際は、私はただ意固地に一人で生きることに固執するようになっただけで、誰かに心預けるだとか、誰かの前で心を解く、もしくは寛ぐことができていない。言葉が話せるようになっただけ、人を好きだと思える瞬間が増えただけ数年前よりも千倍、万倍もましだが、その頃とは単に苦しみの質が変わっただけのような気もする。

私は、恋が出来ない。恋愛は、文字通り私を殺す気がしている。真夜中の山中で無理心中されかけた経験のせいかもしれない。
その時のことを私は情報としか思い出せず、私でない私の記憶としか自覚できないけれど、「恋人の前でうっかり眠ると殺される」だとか「愛していると口にする男は危ない」だとか「情熱は人を殺す」「愛することは殺すこと、支配すること」だとかいう警告だけは、明確に脳に刻まれている。


これまでの長い長い苦しみは何だったのか。うっかりメールを書いて送ってしまった。
至極冷静に書いたつもりでいて、メールを短くしよう、短文に短文に、と考え削れるだけ言葉を削って用件だけにしたら、最悪なメールになったようだ。
送信してしまった後で、読み返すのも恐ろしいが最低なものを送ってしまったかもしれないと思った。


崖っぷちに追い詰められたとき、誰かが私を突き落とそうと一歩ずつ私に近づいてきたとき、選択肢は二つしかない。
相手に突き落とされれて死ぬか、突き落とされる前に自分から飛び降りて死ぬかだ。
前者の方が、私は怖い。
どちらにしろ私は死ぬのだ。だとしたら、前者はショックが大きい。殺されるショックも大きいが、相手が私を嫌ったという事実が更に大きい。
後者は、まだましだ。傷つけられる前に死んでしまえば、せめて相手から嫌われてはいないかもしれない、という僅かな可能性だけは残していられる。自分から死んだのだと思えば、相手から嫌われていないかもしれないという微かななけなしの慰めを残していられる。


私を敵視して食って掛かる人間など、どうでも良い。罵倒や拒絶には、子供の頃から慣れている。不快な感情は、今の私を生かせこそすれ、私の自尊心を一筋も疵付けることは出来ない。
好意や友情や愛情は、違う。温かい信頼ほど、恐ろしいものはない。
信頼する気持ちが育てば育つほど、私はすぐさま死ぬべきだと自動的に考える。
悪意や敵意の先にあるものは、見慣れている。暴力と支配、服従か反逆かだけだ。
温かい信頼の先にあるのは、一体何なのだろう。
その先を、私は知らない。唯一、情報として持っているのは、信頼すれば殺される可能性が高い、ということだ。体も殺されるが、その前に心を殺される。
心を少しでも誰かに傾けて肩透かしをくらうくらいなら、最初から1人で立てる限りは立っていたい。

けれど、実際の私は一人で立ってはいない。
誰にも完全には心許さず、ふとしたことで孤独に絶望しては、生きていて何になる、と死にたくなる。本当に死にたくなる。完全なる孤独は、何も生み出さない。真っ白なだけだ。

小説を読んでいて、いつの間にか主人公に自分を重ねていた。
愛されること愛すること、誰かとささやかでありふれた生活の一部を共有すること、自分がいなくなったら困る人がいること、温かく抱きしめあえること、手を繋げること、食卓を共有できることは、いいなと思った。ドラマチックでなくてもいい。
私は多分、恋愛がしたいんじゃなくて、家族が欲しいのだ。ありふれた家族が。

私の今の生活の中には、小説に描かれたシーンのひとかけらも存在しないことに気づいてしまった。これまでにも、そんなものが存在しただろうか。存在したかもしれないが、全ては殺されてしまった。信頼の先には、裏切り、惰性、暴力、エゴしかない。


今日まで頑張ってきたボーダーの症状に、私は負けてしまった。
泣いたらきりがないと思い自分を誤魔化し、眠ってしまおうとしたらパニック発作に襲われた。死ぬかと思った。死ぬかもしれない以上に、家族にばれるのが怖かった。えらい騒ぎになることは必至だ。頓服を1錠飲んでも効かなくて、出来るだけ飲みたくないが落ち着くまで追加した。
涙が止まらなくなってきて、布団をかぶって泣いた。死にたかった。方法はどうでもいいから、とりあえずあと5分後には生きていたくないと思った。思っただけで、死ぬのも面倒だった。
今の私は、中途半端に回復していて、ぽとりと死ぬことが出来ない。
思うよりも遥かにエネルギーが要る。
分かっているから、責任の取り方にエネルギーを回すべきだと思った。
渾身、気力を振り絞って出来うる限り冷静に何日も何日も考えに考え、抑え付けて抑え付けて書いたメールは、最悪だった。でも、信頼と恐怖の半分半分で常に出来ている私の半身、恐怖には完全に即した内容になっている。あれもあれで、嘘じゃない。でも、あれだけじゃない。
光と影のように、怒りや悲しみや絶望の傍らに、いつも信頼や好意や期待や確信が立っている。
たまに片方しか見えなくなる。光がふいに消えてしまう。死に物狂いで努力しても努力しても、歯を食いしばっても地に爪を立てても、光はふいに消えてしまう。

嘘をついたようでいて、嘘ではない。影は、私の子供時代。
光は、私の意地。でも、意地だけでは光は護れないようだ。

信頼に足る人、近しい人が天敵。
罵倒する人、支配したがる人、虐げる人は、不本意だろうが懐かしくて身に馴染む。
DNAに刻まれてしまったのかもしれない。
人間不信、対人恐怖、境界性人格障害。
影を押さえ込み、光を大切に護り続ける方法がどうしても分からない。
ボーダーの私は、また人を傷つけた。


○お知らせ○
お返事が遅れています。本当に申し訳ありません。回復を見て必ず返信させて頂きます。応援して下さる方、クリックしてくださっている方、まだお話したことがない読んでくださっている方、お一人お一人に感謝をお伝えしたいです。いつも本当に、ありがとうございます。


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Author:美鳥(みとり)
被虐待サバイバー。解離性同一性障害、うつ病、対人恐怖症ほか色々闘病中。境界性パーソナリティ障害寛解しました。毎日の光と影を綴ります。生育歴・来歴・病歴・活動はこちらをご覧下さい⇒<はじめに Profile>

講演活動・ユーストリーム放送しています。
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