--/--/-- (--) スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

スポンサー広告 |


2008/08/11 (Mon) 人間不信の申し子 ? 機能不全家族 ?

東京へ行く前からだから、かれこれ1ヶ月はカウンセリングに行っていない。次の予約は、していない。8月は、行かないかもしれない。

重い問題にぶち当たった。カウンセリング療法7年目にして、はじめて。
私は、とても警戒心が強いらしい。ちょっと見ないくらい強いようだ。そのせいで、治療が進まない。けれど、これだけはどうしようもない。私もカウンセラーにもっと打ち解けて早いこと高額出費と精神的苦痛を強いられるカウンセリングを終わらせたい。
幾ら私本人が思っていても、心は自動的に警戒する。人間不信は、理屈ではどうしようもできない。
けれど、ここを乗り越えなければ私は、また容易に死の溝に転げ落ちる。
孤独である、誰一人信じられないということほど、人間を確実に殺せるものはない。

私は、根深い人間不信から一つも立ち直っていない。
無関心な父親と過干渉な母親、世間体第一の祖母、両親のルールに従い水面下で蹴落としあう姉弟の最悪なメンバーで構成された機能不全家族の申し子、それが私で、私はいまだに誰一人にも心を許してはいない。家族はおろか、大切な友人たちにまで。

東京旅行を1週間後に控えた7月10日、知りたくも無い事実を知った。
大切な気づきだが、最悪な気づきでもあった。
迷ったけれど今日、記録として残しておく。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

<カウンセリングの記録 2008.7.10 前編>


東京行きを、カウンセラーは心配した。
私の体調は不安定で、症状もどんどん変わる。入院したいと言ったかと思うと、次の週にはやたら元気だったりする。そしてとにかく焦っていた。東京でやらなければならないこと、その下準備すら殆ど進まないことに私は苛立っていて、カウンセリングに殆ど義務感で通っていた。先月は、そんな月だった。

カウンセラーの心配に対し、私は「そうですか」と適当な相槌を打っただけだった。
それから「心配してどうするんですか?」と不思議に思ったので問いかけた。
カウンセラーは、色んな表現を使って私に、何がどう心配なのかを言葉にして説明した。
私は、耳を傾けた。心は一切傾かなかった。
「心配だ」という言葉を聞いて私が抱く感情は、全くの無関心、無感情、もしくは冷ややかな怒り。いつもそうだ。

カウンセラーが言うことは、理屈ではもっともだった。治療という目的で繋がっているだけではなく、人間としての7年間という付き合いがある。私にとっては、ここ1、2年の付き合いのように感じているし2年以上前のカウンセリングなど記憶にない。けれど、カウンセラーは全て覚えているし、私と感情を交わそうとしてきた。だから、カウンセラーの「心配」は、何も偽らざるもののように思った。
けれど、カウンセラーの「?が心配」「?なってしまったら、どうしようかって心配」と聞くにつれ、徐々に私の無関心は度合いを深め、終いには冷淡な気持ちに変わっていた。

「心配だから、何なんですか。私が東京で困ったときに、先生がどうできるわけでもないから、どうでもいいじゃないですか。私が東京で死んだとしても、先生に何がどう関係あるっていうんですか。そんなことは、どうでもいいことじゃないですか」

感情は一切混じらなかった。心底、何を言ってるんだろうこの人は、とカウンセラーに対して感じた。
心配って何だろう。心配だから、どうだというんだろう。何が出来るわけでもなく、そんなものはただの先生の個人的感情だ。私に伝えられても私には何の利もない。

後から振り返れば、カウンセラーはカウンセラーであることを越えて、私と関わっている人間らしい感情として「心配だ」と言いたかっただけなのだった。その言葉に私が普通ではない無関心を示すから、繰り返し私に本当に心配だと伝えようとしていただけだった。

一方私は、同じことばかり何度も話すカウンセラーを胡乱に思った。なぜそんなに、どうでもいいことを繰り返すのか。そんなにも「心配だ」と伝えたがる裏側が気になる。
「心配」と口にすることで、私との心理的距離を詰めようとしているのだろうか。それとも、私を試しているのか。もしくは、私を感情面で突き崩そうという意図でもあるのだろうか。

長い付き合いのカウンセラーは、私のそんな心理を見抜いていたらしく、私に逆に問いかけた。
「それじゃあ、どうしたら心配してくれてるなぁ、と感じられるの?」
そんなことを考えたこともなかったが、気がつくと迷わずスラスラと答えていた。

「私と運命共同体なら信じます。例えば文鳥たちは私が死ぬと困ります。でも先生は、私が死んでも困らない。私の経済状態がどうなっても、それはそれで困らない。このカウンセリングルームを出れば、私にとっても先生にとっても、どうでもいいことです」

それから、過去の体験を話した。これまでも、同じだったことを話した。

この数年で私は色々なトラブルを抱えてきた。精神的な問題だけでなく、住宅での被害と賠償請求を二度、引越しを一度、男性とのトラブル一件、殴られたりした。祖母の容態もいよいよ悪化し、私の経済的困窮は極まっていた。そして、労働裁判をしていた。ほかにも色々あったみたいだが忘れた。

その都度カウンセラーに相談したが、それは大きな助けになってくれたときもあっただろうが、決断するときは私一人であり、決断の責任を取るのもまた私一人だ。当然のことだ。
2年間の労働裁判は私の精神状態をかなりおかしくしたようだが、私はやり遂げた。あの裁判でもし負けたなら、私は精神的にも経済的にも生きていなかったと思う。

負けた場合、私は無職で弁護士会に数十万円の借金を負い、敗訴という汚名を着せられ侮辱された名誉は侮辱されたまま、証言などで協力してくれた友人たちにも顔が立たない、大阪のマンションも引き上げなければならない、病気の治療もできなくなる、そんな最悪な結末も起こり得ると覚悟していた。
法廷へ何度も出向いた。弁護士との打ち合わせも。私は、いつも一人だった。
法廷の証言台に立ったとき、そのときも当然1人だった。
裁判長以下、裁判所にいる全員、傍聴席の人間までも全てが一斉に起立し、私は宣誓書を読み上げた。そのときも1人だった。
被告が長々と冗長に書き綴った嘘八百の屈辱的な陳述書は、私一人に向けられた侮辱だった。
被告が作り出す嘘や嘘の証言は、全て私一人を憎むが故だ。

怒りや屈辱や耐え難い苦痛で何度震えたか分からない。そんな私を見ているのは、いつも私一人だった。カウンセリングルームで裁判について話しても、ただ話しているだけの感があった。裁判に限ったことではない。

カウンセラーを前にすると、私はいつも口述筆記の機械になる。感情がなくなる。ただただ1週間で自分の身に起こったことを忠実にカウンセラーに話すのが私の役割だ。
恐らく、自動的に他人からの共感を拒絶しているのだと思う。
相手が共感を示すのをあらかじめ予測してまで、心を鎧っているようだ。これは、このときのカウンセリングで初めて気がついた。
私にとって、あまりにも自然な習性となっているために、全く自覚したことがなかった。
共感を拒絶するからといって、私が人の好意を解さない人間なわけでもないし、人に対して不親切なわけでも冷たいわけでもない。人からの共感の言葉は、聞いているようで実は私の耳を右から左に素通りしてしまうというだけなのだ。

そのとき私は、ふいに思い出した。
男友達N氏が私の部屋にいたとき。◇死臭の獣
私は酷い発作を起こして倒れ、リストカットしようとしたり切腹しようとしたりしてN氏と揉み合い、私は泣き叫んでは倒れて、呼吸困難と失神と痙攣を繰り返した。
あのとき、N氏が私の横に座って一言、言った。
「何があった?」
私の過去を問うものだった。
1人の人間として、私と向き合おうとしてくれた。
けれど私は、確か首を横に振って
「話しても信じない。話しても信じない」ばかり言って泣いた。
N氏が
「なんで?話さな分からんやん」
と穏やかに言ったのに、私は悲しみを通り越して怒りで一気に目の前が真っ赤になった。
「信じない。絶対信じない。誰も信じない。話しても信じない。信じない」
そればかり叫んだ。

あのときの自分の言葉を忘れていたが、ふいに思い出したのだ。
「私の苦しみ、私に何があって何がどう辛かったかなんて、話したところで誰も信じてくれない」
N氏に言ったときよりも、具体的にカウンセラーを前にして言葉にできた。

そうだ、と自分の言葉に手ごたえを感じた。
これで繋がった。あのときの意味不明な私自身の言葉「信じない」に繋がる。
何を信じないのか。それは、私の苦しみや辛さを指していたのだ。
無意識に叫んだあのときの言葉は、無意味ではなかった。私にとって、もしかしたら最大の意味を持つ言葉かもしれない。
話したって誰も信じないのだ。信じたとしても、意味はないのだ。
私はとっくに一人で、とっくに傷ついた後で、そして時は過去になっている。過去を抱えて今を1秒1秒経ていく私にあった真実を、今更誰かに話したところで何になる。
信じるわけはない。
信じてもらったところで、それは何の力も持たない。
そんなもの、ただの言葉だ。
言葉を私は信じない。むしろ、言葉を憎んでいる時間の方が遥かに多い。

そんな私が、カウンセリングに7年も通っていることは、思えば馬鹿馬鹿しいことではないのか。言葉を信じず、なのにただ対話するだけで何がしかの成果を得ようとしている。しかも乗り越えるべき問題は、重大だ。私は、ここへ何をしに来てるんだろう。

相変わらず無感情なまま、しかしふと自分自身へ疑問が生まれた。


<カウンセリングの記録 2008.7.10 後編>に続きます。



関連記事
◇ありのまま書く
◇死臭の獣
◇手首に真っ白な小鳥


心の病気、
虐待・暴力の残酷さへの理解を広げたく、ランキングに参加しています。
応援よろしくお願いします。  
  
a_04.gif にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ

関連記事

機能不全家族 | comment(3) |


<<万能の子羊なんていない ? 機能不全家族からの回復 ? | TOP | リアルタイムつぶやきTwitter始めました。>>

comment











管理人のみ閲覧OK


 

だったら、カウンセリングやめましょう。

2010/05/23 17:48 | もうやめた [ 編集 ]


 

2010年5月の記事でも、カウンセリングに通われているようですね。「馬鹿馬鹿しいこと」「カウンセリング」で検索してブログを拝読し、コメントしているものです。私は、カウンセリングアホらしいのでやめます。なくても社会生活営んでいけますので。くやしかったら、美鳥さんもやめてごらんなさい....!言うことなら、誰だってできます。美鳥さんは、口だけの人なんでしょうね。

2010/05/23 18:00 | もうやめた [ 編集 ]


>>もうやめたさんへ 

うーん・・・なぜうちにコメント書いたのか分からないですが、もうちょっと知性あるコメントを心がけては如何でしょうか。
たかがネットの知らない誰かの記事を読んで、「くやしかったら~」などとヒステリックに書き込む心境って、ちょっと大丈夫なのかなぁと心配になります。

あなたはカウンセリングはアホらしいからやめるとのことで、それはそれでいいじゃないですか。あなたの人生、あなたのカウンセリングです。

他人に責任転嫁するのはやめましょう。
潔く、自分のことは自分で決めて、決断が怖くても自分ですべて引き受ける。無関係な他人に無駄口叩かない。推測で人を決め付けない。ものを言うときは、自分の実名・住所・連絡先をすべて明かすつもりで発言する。
これらは、常識です。

2010/05/24 00:54 | 美鳥 [ 編集 ]


| TOP |

プロフィール

美鳥(みとり)

Author:美鳥(みとり)
被虐待サバイバー。解離性同一性障害、うつ病、対人恐怖症ほか色々闘病中。境界性パーソナリティ障害寛解しました。毎日の光と影を綴ります。生育歴・来歴・病歴・活動はこちらをご覧下さい⇒<はじめに Profile>

講演活動・ユーストリーム放送しています。
講演のご依頼ご相談は、当ブログメールフォームからお願い致します。

診断名の有無に関わらず、生き辛さを抱える方々と温かい繋がりを目指しています。ご感想ご意見など、お気軽にどうぞ。お待ちしています。

最近の記事

最近のコメント

カテゴリー

月別アーカイブ

QRコード

QR

ブログ内検索

リンク

このブログをリンクに追加する

RSSフィード

メールフォーム 

お気軽にメールください。返信までお時間頂く場合があります。

名前:
メール:
件名:
本文:


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。