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2008/07/06 (Sun) 私が死ななかった理由

パニック障害と希死念慮について、私の体験の一部を書こうと思う。
十年近く前の話だ。

最初の発作は、ある日突然、前触れもなく起こった。
眠っていた真夜中、突如不気味な不快感に襲われ、目が覚めた。ベッドから立ち上がったが、数歩進んで息ができないことに気づいた。吐き気と眩暈と幻聴に襲われ、そして何も聞えなくなった。
目の前が真っ暗なのに、ぐるぐると渦を巻く狂気が、その輪を部屋いっぱいに広げたかと思うと、次の瞬間には眼球の奥へ砂粒ほどに窄まった。何度も何度も繰り返しだ。静寂という騒音が頭蓋の内側で打ち鳴らされては共鳴し、前も後ろも右も左も、自分が立っているのか倒れているのか、座っているのか、どこにいるのか、生きているのか死んでいるのかも分からなくなった。
自分が声を発しているのか、喚いているのか、絶叫しているのか、沈黙しているのかも分からない。
死ぬかもしれないだとか、発狂するかもしれないだとかいう感覚すら、発作中は一切なかった。
意味も意義も理由も契機も見当たらず、ただ私は嬲り殺され続けた。
けれど、死んではいなかった。
気がつくと、狂乱は去っていた。真っ暗な部屋のカーテンの隙間から、外の街灯の明かりがほの白く射していた。
助かった。
何から助かったのかも自覚はなかったが、それだけ思った。
感想は、それだけだ。
このわけの分からない発作は、その後度々起きるようになった。助かっても、助かってはいない。永久に続く拷問だった。真っ暗闇のプールに投げ込まれ、もがいてももがいても頭を押さえつけられ、発狂して窒息するまで頭を押さえ続けられる終わりのない絶望。


当時の私は「パニック障害」という病名すら、知らなかった。
今でこそよく知られるようになったが、その当時は通院していた私でも、聞いたことがなかった。

診断が下りるまでの間、わけが分からなかったが、自分なりに解釈した。
「キチガイの血が流れている」とは、子供の頃から耳慣れてきた言葉だったために、ああ、私もいよいよ発狂するのだな、と絶望した。
それから、死の瞬間とは、あんなふうに暗黒の世界で窒息したまま、足を掴んでぐるぐると無闇に振り回されるのかもしれないなどと、発作の経験は私を恐怖に陥れた。安寧としての死ではなく、凶暴で終わりない死を喚起させる病が襲ったことは、死に方を探していた当時の私にとって、皮肉な話だった。発作は、死にたい気持ちを確実に後押しした。


私が今生きているのは誰かのお陰というのなら、それは美談として人から歓迎されるかもしれない。
けれど現実は、全く違った。

私には、誰もいなかった。
私は当時、ずっと一人で、唯一の同居人は殆ど顔を合わせることはなく、顔を合わせては蔑まれ、嘘をつかれ、嫌がらせを受けていたから、24時間殆ど私は死神と二人きり、物で足の踏み場もない6畳の部屋で蹲ったり、転げまわっては絶叫したり、壁にひたすら頭を打ち続けたりしていた。
両親も祖母も、毎日私に「死ね」もしくは「キチガイ」と罵倒を浴びせた。

あのときほど独りだったことはない。
誰かがいても、誰も見えなかった。
人の存在そのものに、私は傷つき続けた。息をしているだけで傷ついた。もう死ぬだろうと思っても、また翌日も生きていて、また顔も見えない誰かの呼吸にすら傷ついた。
とにかく死にたくてたまらなかった。
生きているメリットは、ひとつもなかった。
生きていても、どうせ泣いたり喚いたりパニック発作で死に掛けても死にはしないのだ。
「終わらせたい」と、ただそれだけを念じるようになった。
息をしているだけでもう、うんざりだった。
私を止める者は、いなかった。いつでも死ねた。
自殺は、難しいようでいて実にイージーなのだと分かった。


理想的な死の形を私は具体的に思い描くようになった。
偶然見た深夜の香港映画のワンシーンが、まさに理想の死そのものだったのだ。
そのワンシーンについては、ブログのどこかで何度か書いた記憶がある。
この方法なら、私は私を一度きりで殺すことが出来ると直感した。この方法でなければならない、と信じた。自分への憎しみが、イージーな自殺を別のものに変えてしまった。皮肉にも簡単に死ねなくなった。
近いもので代用しようかとも考えた。しかし、妥協するには自分自身への憎しみが勝りすぎていた。
私を徹底的に跡形もなく嬲り消し去る残酷さを見つけ、憧れ求めたた。
恋焦がれた残虐な死に、ブラウン管の外の世界で出会うことは、ついに叶わなかった。

私は、死に損なったまま、発作で中途半端に嬲られ続けられながら、不本意に生き続けた。

死を希求する思考から逃れるのは容易ではなかった。理想の死、自分自身に自分自身の気が済むまで徹底的に罰を与えいたぶってから殺したい思いは、ずっとずっと消えなかった。このときのイメージとSMの世界は、ある部分で重なっていた。死に損なった私が、その後を生きた数年は、SMという麻薬のお陰かもしれない。


今、私が生きているのは、ただの偶然に過ぎない。
自分への憎しみが過ぎて、100回以上自分を殺したくても殺す方法が見つからなかったからだ。
当時の私に、救いも希望もなかった。想像していたよりも現実は無慈悲で、何にもなかった。
必然なんて、この世にはない。美談やきれいごとを、私は信じない。
私は、ただ死に損なったから命を継いだ。運があと少し背中を押せば、気まぐれに私は私を殺せていた。それが私にとっての真実だ。

後々になって、そうした真実を持ったまま、一言も残すことなく運悪く自分を殺すことに成功した人間は、これまで数え切れない程存在しただろう、と私はよく考えた。
実際、私の周囲で自殺した人間は複数存在する。そんな人たちの思いは、どうなるのだろう、とよく考えたものだった。

死に損なった私は、しばらく生と死の丁度境目に立っていた。心は生きているわけでも死んでいるわけでもなかった。境界線の真上に立つ私は、いまだ世界に生まれたことのない異世界の生物だった。
生も死も、思っていたよりも不確かで偶然で人間などが、ああだこうだと口にできるものではないということだけ、確信していた。

テレビでは、不治の病と健気に闘う少女を追ったドキュメンタリーが流れ、万人の涙を誘い「生きたくても生きられない人がいるんだから」と、周囲は、決まり文句のように口にする。
その傍らで、異界に生きる私は常に沈黙し、じっと考えた。

「生きたくても生きられない人がいるんだから」と同様の言葉は、この世に溢れかえっていた。
生きてさえいればいつか良いことがあるだとか、前向きでいればいつか報われるだとか、努力すれば必ず良くなるだとか、人を信じてみようよだとか、人に感謝する人は人からも感謝されるだとか、すべては自分次第なんだよ、だとか。
「きっと」「いつか」「必ず」「?していれば」は、そんなに人々を安心させるのか。
同様に「苦しいことには必ず意味があるんだよ」「今苦しい分、必ず未来に嬉しいことが待っていてくれる」「その人が乗り越えられない困難は与えられないんだよ」等に対しても、世の中は歓迎ムードだ。
私が幼少期から信じていた信仰でも、耳が腐るほど聞いてきた。


「生きたくても生きられない人がいるんだから」何だ?と思った。
それが私の苦しみや痛みや叫びや滴るような憎しみと、どう関係があるというのだろう。
生きたくても生きられない人間の死は、人の感動の涙を誘う。
自分を殺したくて自分を殺せてしまった人たちへ向けられる悲嘆の涙は、どうだろう。
残された誰かにとってでなく、死んだ当人にとって、どんな意味があるんだろう。
違うのだろうか。同じなのだろうか。
何がどの点でどのくらい同じで違うのだろうかと、考えるでもなく考え続けた。

「きっと」「いつか」「必ず」「?していれば」の言葉に希望を見出す多くの人は、運命を論じることを好む。論じることは、ある種のカタルシスをもたらしてくれる。


しかし、そんな言葉が本当に力を持つのか?
偶然生き延びた私にとって、全ては戯言にしか聞えなかった。
まるきり異界の、わけの分からぬ呪文だ。
「給食の前には手を洗いましょう」なんて書かれた、誰も見もしない学級目標と何ら変わりないんじゃないのか。
死神と二人きりの人間が首を吊ったって、そのロープの1本すら切ってやれないじゃないか。
少なくとも、私は救われなかった。


パニック障害を罹患したことや、ついに自殺できなかったことや、今生きていること、あらゆる出来事のタイミング等に、私は何らかの啓示など一切感じない。
啓示など、必要ない。すべて後付けの屁理屈だ。
屁理屈は、死神と二人きりの私を救えなかった。

私は、自分を憎み過ぎて自分を殺し損なっただけだ。
私は、心底、死にたかった。100回殺しても気が済まない程に、自分が憎かった。憎くて、たまらなかった。最初に憎んだものは、きっと違うものだったのに、いつしか私は自分だけを憎んでいた。
自分を憎み過ぎて、死ねなかった。
そんな私を助けるものは、あの瞬間、一切なかった。
それが、事実だ。
自殺しようとした幾度もの瞬間を止めたのは、誰でもない。
ただの偶然だ。
こうして私が生きてブログを書いていたり、キーボードを打つ合間に冷たいカフェオレを飲んだり、クーラーの温度設定を見たりできるのは、偶然が与えた時間だ。


当時の、今日も明日も死ねなかったという絶望と、運命に対する失望の感覚を、私は今だに手離していない。自分の意志で手離したくないのだ。私が知る「運命」とやらは、実にいい加減なものだ。

私が死ななかった理由は、成功談でもなく、感動秘話すらない。
それでも私が今、精一杯生きていたいと思うのは、生も死も私にとっては偶然に過ぎないからだ。
自分の身に何が降りかかるかすら読めない人間にとって、運命なんてものは、ほとほといい加減なものだと思うと、私に実際「キチガイの血が流れているか?」など、どうでもよくなった。僅かに常についてまわる疑念が拭いきれないのは、長い洗脳の名残だろう。
ついでに、正しいか正しくないかも、どうでもよくなった。
あのとき何度も死に損なった私と、偶然自分を殺すことに成功し死んでしまった人間のことを考えると、せめて私が知る真実に忠実でいたいと思う。


こんな私が生きている事実をありのまま、今生きている私が伝えたかった。



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偶然 

自分のことも考えちゃったな。
私も何度消えたいと思ったか、うーん
私が今、生きてるのも偶然なのかもな。
いろいろなことがあったけど、でも
生きてるのは、いろんな条件が偶然重なったり
偶然が偶然を呼ぶ?みたいな感じなのかな。
生きてるんだけど、どうなんだろうって思った。
今も、ちょっと思うことがあるんだ。
私が消えたら、どうなるかなって。
消えたいのかな、私はまだ。
事実はきちんと伝わってるよ、ありのまま。

2008/07/06 23:40 | あおぞら [ 編集 ]


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2008/07/07 15:16 | [ 編集 ]


誰もいない 

私も「自分を助けてくれる人は誰もいない」と、小さな子どもだった頃、絶望的でどうしていいか分かりませんでした。
喧嘩しても家族なら受け止めてくれる、とか、家族は最後の受け皿、とか、私には理解できない。それどころか、「自分には関係ない」言葉だと思います。
きっと、そのころ、結論が出たんだと思います。どんなに苦しくても誰も助けてくれない。そう言うことがあるとしても、そう簡単に人は手を貸してくれるもんじゃない。じゃあ、自分を守るのは、自分自身なのか。と。そしたら、命を題材にした番組を見て罪悪感で苛まされる自分に苛ついてしまったんです。

命の美談はよく、TVで放送されますね。たまに見ますが、やはり商売で作ってるTV側の動機が盛り込まれて流れてくる様な気がしてなりません。素直な受動的私たち視聴者は罪悪感を呼び起こされますが、それがTVの思惑でもある。多分。

もちろん、命のために戦ってる人は多くいる。でも、他人のために泣くのなら、私は五感を使ってちゃんとその人を直に見つめたい。スクリーンを通すのでもなく、他人の口から聞くのでもなく。。もしも、スクリーンを通して泣いたり、感動したりしたのなら、その後は自分から切り離さなければ、自分が分からなくなる。もしくは、揺れない為に私は触れない。揺れるのはきっと、私に取ってのタブーのボタンだからなんだ。

だって、やっぱり私は私の人生だけでもう精一杯なんだ。スクリーンで見た、私と接点がない人の為に自分の一部を裂く事なんて大それた事はできないんだよ

2008/07/13 23:51 | 依里 [ 編集 ]


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プロフィール

美鳥(みとり)

Author:美鳥(みとり)
被虐待サバイバー。解離性同一性障害、うつ病、対人恐怖症ほか色々闘病中。境界性パーソナリティ障害寛解しました。毎日の光と影を綴ります。生育歴・来歴・病歴・活動はこちらをご覧下さい⇒<はじめに Profile>

講演活動・ユーストリーム放送しています。
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診断名の有無に関わらず、生き辛さを抱える方々と温かい繋がりを目指しています。ご感想ご意見など、お気軽にどうぞ。お待ちしています。

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