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2008/07/02 (Wed) 致死の家

去年から医者からもすすめられている生活保護について、さらりとメールで書いて母の携帯に送っておいた。病気の回復の時期が分からない今、やむをえない。認定を受けるには、役所の承認がいる。実家へ調査員が出向くのだと聞いたから、もし行ったなら私は生活保護を受けるからどうぞよろしく、と書いて送ってあった。
送ったことを、忘れていた。
昨夜から、私はかなり酷いうつ状態に襲われている。
躁状態だったのだろう。そんなときの実家へのメールなんて、忘れてしまっていた。意識すらなかった。

別件で昨夜、母と電話で話していると、おもむろに母が「それはそうと、これは言っておこうと思って」と切り出した。
「お金のことだけど」と、母が口にした。
お金・信仰・私の病気は、我が家の三大タブーだ。私がそこに加わると、私の命が危うくなる。
私は、黙っていた。
母は、優しい声で、
「お金がなくなったら、いつでも実家に戻ってきて、いいんだからね」と、言った。
脱力した。
ああ、この人は、あの家族は、いまだ何にも分かっちゃいないんだな、と思った。
相変わらず、何にも考えちゃいないんだな、と分かった。

とりあえず、「こっちでしたいことがあるから」と答えた。そうしたら母は、いや、違う、と遮った。
「最初からこっちにずっと住んでいたら、やりたいことも、ここで家族とするんだろうけどね。普通は、そうなんだろうけどね。一度離れたから戻る気はないんでしょ?」と言ってきた。
一見、母が言っている内容は、私が言ったことと何ら変わりない。
しかし、同じことを私が言おうとするとまた「いや、違う」と遮るのだ。
彼女が別のことを言わんとしていることを、感覚的に理解した。
彼女は私が私の意志で大阪に住んでいて、実家に戻る気がない、ということを否定したいらしかった。
経済的に困窮しようとも、生活保護を受けることになろうとも、どれだけ困難であるとも、私が戻る気がない理由を、母は本能的に察知して、否定したいのだ。私への反駁は、彼女なりの現実逃避なのだ。


私は、とっさに15年近く引きこもりっぱなしの実家の弟MKを思い浮かべた。
飼い殺しだ。
まるで、飼い殺し。
とにかく物理的、金銭的に共同生活していれば<家族>だと思いたがる。
この枠からはみ出すと、子離れできていないうちの両親は不安になり、ついには自身から離れていこうとする子に怒りをもつ。全て無意識だ。自分たちでも感情の出所を理解していない。理解しようとは、ついにしなかった。家族の距離感が異常だということを、認識すらできなかった。

私は随分と努力してきた。
弟の引きこもりについて何とかしようと必死になっていた時期は、家族問題などの専門書から分かりやすい手引書まですすめたし、病気について理解してほしいと訴えてきた。出来る限りのことは、やった。しかし、彼らは終始「家族ごっこ」から抜け出ることはなく、むしろ家族ごっこに興じ続けて死にたいらしかった。
これまでの人生に、軌道修正を加えることを、彼らは拒んだ。
私を反乱分子と見做し、力の限り非難し罵った。

最終的に両親が選んだのは、弟を飼い殺し、できるなら私のことも金銭で束縛し、家族ごっこを維持することだった。
私は、そこから専門家の力を借り、あらゆる症状や発作に耐えて、逃げ出した。言葉の暴力を、どれほど受けたか分からない。
弟は、逃げおおせることは出来なかった。長くあの家にい過ぎて、外界を知らない彼は、自身が飼い殺されている現実も見えていない。
私一人が逃げるだけで精一杯で、弟のことはどうしようもなかった。


例えば、その弟の生活に対し、両親は非難はするが、力は貸さない。相談にも乗れない。病気の知識も、いまだ持たない。
非難しては無言の弟に腹を立て、悲嘆に暮れる、が1セット。これを延々15年近く続けている。
1セット終えた後に必ず言う言葉がある。
父は「お前、それじゃ死ぬしかないやないか。信心しろ」
母は「もう本当に・・・・だめよそんなの・・・何とかせなあかんよ・・・」

責めるだけ。前進せずに停滞し、現実から逃げて幻の安泰に身を任せるだけ。たまに感情をぶつけるだけ。暴力に転化するだけ。しかしすぐにまた、気がおさまったら「家族ごっこ」の再開だ。

そんな、あの家の空気を吸いたくない。空気を吸っていたら、私まで侵食されてしまう。


実家は、何もなさすぎる。居場所がない。そして、執着があって、自立と責任に裏付けられたゆるぎない愛情がない。すぐに暴力に変わる。
去年ではなかったか。私をボコボコに殴って、石をつけて神戸港に沈めると言ったのは。あれは冗談ではなかった。母は、顔を真っ赤にして涙を溜めて、私を睨み付けて「どつきまわしてやりたい」と言った。弟は私を蹴り、倒れた私が床で転げてうめいていても、父は何事もなく一瞥するでもなく、果物の皮をむいていた。

いつもそうではない。
ただ、一瞬にして日常に滑り込んでくる暴力が、いつの瞬間にも潜んでいる。
母は、いいだろう。
彼女が標的になることはない。これまでも、なかった。家族の中で、一番心安らかに誰からも非難されず生きてこれたのは、多分母だけだ。
一見かわいそうなのも母だし、何か心配してそうに見えるのも母だ。やさしげなのも母だ。
けれど、すべてまやかしだ。
私を殴りに殴って、石をつけて神戸港に沈めようといった弟の横で、私を憎々しげに睨んで頷いた、あれが母だ。
私が、女性恐怖がいまだ抜けないのは、母と関連があるとカウンセラーは言う。

私は、家族を棄てた。とうに棄てたと思っていたが、本当に棄てることができたのは、去年の8月だ。
父が発狂したように私に向かってきて、大雨の中、私は殺されないように庭に隠れていた。
東京の弟MTに電話し、ブログは私の遺書だ、私が殺されても虐待は隠蔽されてしまう、社会に、できるだけ多くの人にこの真実を伝えて欲しいと泣きながら頼んだ。私が出来ることは、それしかないと思った。負けたくなかった。どうせ死ぬなら、成し遂げたいと思った。

MTが、しっかりと約束してくれたのを確認して、MTが「とにかく何でもいいから、すぐにその家から離れろ」と言ったから、最悪な体調で薬の力を借りて、実家から命からがら逃げ出した。
あの日、大阪までの電車の中で、私は家族を棄てることを決意した。
その決意だけで、今日まで生きてきた。
武者震いなのか恐怖なのか、私は始終震えていて、電車の中で空を睨んで泣いた。覚えている。

私が棄てる以前に、関係性など壊れていたのだ。医者が言うように、「残念ながら、これまでのあなたは親御さんたちのおもちゃ」だったのだろう。

私は人形じゃない。人間だ。
私が生きている限り、私を生んだ親であろうと「殺してやる」「死ね」なんて言葉、私は許さない。
この命は、私のものだ。私は私を護る。
誰にも「死ね」なんて言わせない。
聞いたところで、私はもう動じない。
死ねだとか、お前は生きててもしょうがないだとか、穀潰しだとか、前世の業が深すぎる、頭がおかしい、きちがい、精神病院に入れ、どれも聞き飽きた。
中身のないスッカスカの家族ごっこにも飽きた。
甘い言葉で招きよせる手管にも、飽きた。

あの家は、致死の家だ。


◇殺されてたまるか
◇奇形の臍の緒


◇生きてやる生きてやる
◇調教師の纏足

今見たら、8月でなく11月だった。ずっと8月だと思っていた。私の記憶中枢は、いつも改竄を含んでいる。


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美鳥(みとり)

Author:美鳥(みとり)
被虐待サバイバー。解離性同一性障害、うつ病、対人恐怖症ほか色々闘病中。境界性パーソナリティ障害寛解しました。毎日の光と影を綴ります。生育歴・来歴・病歴・活動はこちらをご覧下さい⇒<はじめに Profile>

講演活動・ユーストリーム放送しています。
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診断名の有無に関わらず、生き辛さを抱える方々と温かい繋がりを目指しています。ご感想ご意見など、お気軽にどうぞ。お待ちしています。

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