--/--/-- (--) スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

スポンサー広告 |


2008/06/27 (Fri) 孤独の小箱

<カウンセリング 2008.6.19>


前回の私が、カウンセラーに頼んだらしい。殆ど覚えがないが「いつも前回の話題が次回に持ち越されない。自分で持ち越すことが出来ない。だから、次回は先生から話題を継続して欲しい」と。

これが功を奏したのか裏目に出たのか。
久しぶりに、最も話したくない話題が先生の口から早速出た。

「今、美鳥さんが一番困っていることは?」だ。

これが、よく分からない。
私は、カウンセリングルームをただの箱だと思っている。毎週、自動的にやって来ては私が自分に起こった1週間の出来事をベラベラと喋る。しかし、喋り始めるまでが少し苦痛。頭の中が空白だ。
いつも何もこの1週間、取り立てて何もなかったし、何も苦しいことも困ったこともなかった気がするのだ。そのせいか、話し始めて4,50分経って、要はカウンセリングのタイムリミットが来たあたりで、ようやく本題に到達するのだ。そのパターンの繰り返しを、この数年続けているような気がしている。

しかし、自分が先生に頼んだのだ。私は、しょっぱなから考えなければならなくなった。
今一番困っていることは何だろうか?

よく分からない。ただ、記憶が飛ぶこと、気絶すること、体調が悪化すること。でも実家での体の痛みよりまし。起き上がれなくなる。そのことを今回の帰省ではじめて実感したこと。
洗濯機の前で倒れていたこと。その後で起きてみたら、知らない間にアイスクリームを3つ食べられていたこと。
自己管理ができない、体調がわからない、自分があてにならない、入院したい、せめてヘルパーを雇いたい。気絶していても死んでいても誰にも見つからない。
そんなことを話しているうちに、うっかり「私が死んでも困る人がいない」という一言が出そうになって、それだけはのみこんだ。

昨日、この続きをカウンセリングで話してきたのだが、多分この「私が死んでも困る人がいない」などといった、卑屈な感情ほど口に出すべきなのだ。先週の私は、のみこんだ。なぜなら、甘ったれたことが嫌いだからだ。かわいそうな悲劇のヒロイン気取りになりたくないからだ。けれど心の底からそう感じ、一人のときに泣いているときは考えている。うっかり死んでても、当分発見されないだろうなぁと。


今の交友関係の話なんかもした。
これは、順調だと思う。ボーダーの自覚は大切だ。自分が自分を律することを、私は覚え始めている。練習している。新しい信頼できる人たちと出会えたことで、人間観が大きく変わってきた。同時に私自身も変わってきた。
先生は、信頼できる誠実な友人ができているみたいですね、でも少し会わないだけで、少し言葉を交わさないだけで恐怖心や猜疑心が頭をもたげることもあるみたいですね、と言っていた。
そうかもしれない。以前は恐怖と猜疑で脳の99%支配されていたわけだから、今のこの程度は、それでもましと言える。でも、まだ課題は残っている。


話は、一番触れてほしくない前々回の話になった。いつもは私に話題を完全任せる先生が突っ込んできた。これは、少し恐怖だ。

「倒れたときのことだけど、どんな気持ちだったのかな」と聞かれた。
私は、やけっぱちになった。

正直、ショックだった。かれこれ7年、このカウンセリングルームに通い、同じカウンセラーにカウンセリングを毎週受けてきたが、私は一度も自分のみっともない姿を見せまいと頑張ってきた。頑張ってきていたのだと、倒れたときに気づいた。
あれだけは見せまいとしてきた。というよりも、耐えてみせる抑えてみせるという意地への妙な自信があった。何しろ七年抑えてきた実績に裏打ちされていたのだ。
実家でも同じことだ。全身が痛いだとか起き上がれないだとか息が出来ないことはあっても、派手な発作は実家では不思議と出ない。弱みを見せないことが保身であるから、私の自衛本能が体調をぎりぎりコントロールできているのだと考えている。
ただし、パニック障害の発作だけは、抑えられないようだ。そんなときは今まで、実家のトイレにこもって薬の飲んで耐えてきた。
誰にも私が倒れたところは見せない。見せない自信があった。

なのに、5月末のカウンセリングでは、解離した挙句、過呼吸を抑えきれず、更には暴れて叫んで怒鳴って倒れて、気絶して痙攣して。最悪だ。今までの全てが台無しだ。

「まあ日ごろは、うちではしょっちゅうあんな感じですよ」と、背もたれに身を投げ出して吐き捨てた。思わずそんな動作になった。これじゃまるで、安い刑事ドラマの取調室での犯人みたいだな、と思った。


「不安に思っていることは?助けてほしいことは?ここではどう?私に何をしてほしい?」
と、先生が訊いてくる。

いつも訊かれる。しかし、これがさっぱり分からない。
私が倒れても放置してくれていればいい。ここは箱だ。私が勝手に訪れて、喋り倒して帰っていく箱だ。先生は、それをいつも持っているレポート用紙にひたすら書き付けていく。何を書いているんだろう、なぜこの話は書かないんだろう、なんて疑問はとうの昔にどうでもよくなった。
私は喋る。私が喋る内容のみで、カウンセリングの質は高くなったり低くなったり。
先生は書きとめる。たまに質問する。私は喋る。答える。その繰り返し。
何をして欲しいだとか、箱に要求しろといわれても何も出てこない。
多分、7年通っていても私は、カウンセラーを人だと認識できてない。理由が、分かりそうで分からない。
中途半端に私もカウンセラー養成所に1年通ってたり、その後も本を読んでたりして知識があるから絶望する。私はカウンセラーに転移していない。転移しない限り、進まない。カウンセリングは、気だるい時間になっている。

けれど、話しているうちに涙が溢れて止まらなくなった。涙の理由も自分で分からない。ただ、会話の都合上、話さねばならなくなった。
葉っぱを数えていた人格の話だ。
絶望的な気分が蘇った。私にしか見えない人格を、誰が信じるだろうか。
先生は、結構長く観葉植物を眺めていたけど、あれは葉っぱを数えていたのね、と言ったから、私の絶望感は更に増大して、嗚咽を抑えきれなくなった。
気味が悪いを通り越して、寂莫とした孤独で体中が干からびて痺れが走った。


今回話したことを私はまた忘れるから、私はあてにならないから、この話の続きを次回言ってください、と先生に頼んだ。



心の病気、
虐待・暴力の残酷さへの理解を広げたく、ランキングに参加しています。
応援よろしくお願いします。  
  
a_04.gif にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ

関連記事

治療日記 |


| TOP |

プロフィール

美鳥(みとり)

Author:美鳥(みとり)
被虐待サバイバー。解離性同一性障害、うつ病、対人恐怖症ほか色々闘病中。境界性パーソナリティ障害寛解しました。毎日の光と影を綴ります。生育歴・来歴・病歴・活動はこちらをご覧下さい⇒<はじめに Profile>

講演活動・ユーストリーム放送しています。
講演のご依頼ご相談は、当ブログメールフォームからお願い致します。

診断名の有無に関わらず、生き辛さを抱える方々と温かい繋がりを目指しています。ご感想ご意見など、お気軽にどうぞ。お待ちしています。

最近の記事

最近のコメント

カテゴリー

月別アーカイブ

QRコード

QR

ブログ内検索

リンク

このブログをリンクに追加する

RSSフィード

メールフォーム 

お気軽にメールください。返信までお時間頂く場合があります。

名前:
メール:
件名:
本文:


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。