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2008/04/27 (Sun) 原本アンドロイド 5(1)

※長く休止していた◇原本アンドロイド 5話目です。
当事者の回復への一助となりますように、願いを込めて。

人格障害者の自覚のなかった私が、同じく人格障害の友人と
泥沼の共依存に陥り、共倒れとなったまでの実体験を、
過去の友人ごとに書いています。
嫌いな相手とも延々に関係を続けてしまう、断れないACとも重なる、
見捨てられ不安、過剰な自己責任意識が私を
極度の対人恐怖、失語症、希死念慮、他殺願望へと追い立てていきます。
ご興味があれば、最下行のリンク先過去記事をご覧ください。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

友人Mと出会ったのは、大学の下宿先だった。
腰まで届く真っ黒な髪と、青や黒、グレーなどで
埋め尽くされた部屋が印象的だった。
良く言えば大雑把、悪く言えば極度の無神経な人だった。
当初は、無神経とは思わなかった。
当時の私は、心の隅々にまで博愛精神と綺麗ごとと、
一矢偽らぬ慈悲に溢れていて、他人のどんな欠点も温かい目で包み込めた。
私を嫌う人間は、少なくとも寮では皆無だったといえる。

皆の居心地を考え尽くされた部屋と、もてなしの心を持った私を中心に、
私の部屋には、常に誰かが24時間、いた。
最も長くいたのは、Aちゃん、もしくはMだった。
Mは、朝起きれば一番に私の部屋にやって来て、そこから大学に通い、
大学から私の部屋に戻り、皆と夕飯を食べたり遊んだり漫画を読んだりして、
夜、そのまま私の部屋で眠ることも多々あった。
当時、私の部屋は、そんな部屋だった。

一人でいることが苦手で、
常に誰かの好意を確認できなければ日常を送れなかった私は、
有難かった。
鬱陶しいと思うことは、殆どなかった。
一人になりたいとも、思わなかった。
たまにそんな日があっても、「一人になりたい」とは言えなかった。
言えば、皆の機嫌を損ねてしまうことが、今思えば怖かった。

親元をはじめて離れ一人暮らしを始めた私は、
これまで家庭で必要とされてきた「見捨てられ不安」に、
いよいよ蝕まれ始めていた。

時々、私のプライベートを尊重して、皆がいなくなることがあった。
そのうちそんなこともなくなったが、Mだけは、皆が去っても当然のように
私の部屋に居続けた。


Mは、虐待を受けて育っていた。
彼女の臀部には、両親が争った際に
やかんの熱湯をかけられた痕が残っていた。
彼女は、父親を激しく憎み、セックス、妊娠、出産に異常な嫌悪感を示し、
異常なまでに正義感が強かった。
彼女と出かけた先で、マナーを守らない他人に出くわすと、
彼女は烈火のように怒り、
他人と殴り合いのケンカになるまで、つっかかる。
その都度、警官が駆けつけることが常で、私は多少、うんざりしていた。
しかし、彼女はいつでも正論に固執した。
正論なだけに、私も反論しようがなかった。
ただ、危ないからほどほどにね、としか言えなかった。

彼女が痴漢にあったとき、彼女は相手の免許証を奪い、自宅を突き止め、
遥々他県まで、その男の家庭を壊してやる、と出かけて行ったこともあった。
結果は、恐ろしくて聞かなかった。
警官に渡すのではなく、自身の手で鉄槌を食らわしてやる、と
憤怒する彼女に常軌を逸したものを感じ、黙っていた。
他の友人も、同様だった。

彼女の中に、得体の知れない怒りが眠っていることを、
私はうっすらと感じていた。
心理学を独学で学び始めていた私は、彼女の怒りの根源は
幼少期の虐待経験にあるらしいと、彼女との会話から察し、
私は他の友人のように、Mをただの厄介者として見ることが出来なかった。
今思えば、自己投影していた。


彼女の、私への信頼は篤かった。
一方で、嫉妬心や競争心も強かった。
一緒に海外に旅行へ行ったとき、ケンカになった。
海外に来たのだからと、その地の料理を味わい、
その地の人たちと仲良くなり、
その地の言葉を覚えた私と違い、彼女は、とても保守的な感覚を持っていて、
いつも中華料理屋へ行きたがった。
また、引っ込みじあんな彼女は、現地での会話を全て私に任せることになり、
私と彼女の適応能力の差が、旅行中に明らかになった。

私は、一切何も挑戦しようとしない彼女に、苛々した。
私も話せるわけではない。
だから、言葉を間違えて、現地人に怒られるようなこともあった。
そんなときだけ、Mは口を出した。
自分には、相手が言ってることが分かっていた、と言った。
また、Mは自己防衛の意識が薄く、旅先の路上で詐欺に何度もあった。
警戒心の弱い彼女に、苛々した。
そんなことが重なって、旅行中の関係は最悪になっていった。

日本へ戻ってきたときには、私とMの亀裂は決定的になっていた。
でも、私は誰にも話さなかった。
二人の間で、二人の旅行で起こったことだ。
密な人間関係が軋轢を生むことは、いわばお互いの責任であって、
誰のせいでもないと思い、旅行中の苛々に全て口を閉ざした。

Mは、すぐにAちゃんに話した。
不満の全てを、ぶちまけた。
Aちゃんの口から事実を聞いて、私はショックを受けた。
私は、謝った。
けれど、もうどうにもならなかった。
私らしくあることと、彼女らしくあることが、単に衝突しただけだった。
謝る、謝らないのレベルではなかった。


長い長い絶縁状態が始まった。
Mとは、隣の部屋だった。
息が詰まりそうな毎日が始まった。
相変わらず私の部屋には、友達が溢れ、皆、なぜかMの部屋を訪れない。
Mの方も、他の友人を避け始めたために、私と友人達対Mのような
異常な関係が出来上がってしまった。

隣室の彼女からの、嫌がらせが始まった。

私の部屋のドアを通りざまに蹴りつける、
自室のドアをけたたましい音を立てて開閉する、
部屋続きの壁を蹴りつける、殴りつける、叫ぶ、
私の朝の掃除当番の日には、私より先に起き出して、
私がミスしないか動向をうかがう、すれ違うときにため息をつくなど、
地味だが断続的な精神的圧迫を常に与えられ続けた。


その他、寮での人間関係に消耗しきっていた私の体に、
徐々に異変が起こり始めた。
37.4度という微熱が、一日も下がらなくなった。
この微熱は、その後、6,7年続いた。
1秒間隔の眩暈も始まった。
ひどくなると、真っ直ぐ歩けなくなった。
常に何かを掴んで、伝いながら歩いた。
呼吸困難と、割れるような頭痛も、一日たりとも去る日がなくなった。


Mの存在は、大きかった。
壁一枚向こう側で、私へと執念を燃やすMの熱が、
じりじりと私を焦がし、心を燻らせ続けた。
好意と敵意と同調と反発全てを孕んだ、狂気に限りなく近い執着だった。
鳥肌が立つような経験を、幾つも重ねた。

出会ったばかりの私は、彼女へ好意を持ち、異質な彼女に興味を持った。
彼女の無神経さに、距離を置く友人も多くいたが、
私は、欠点も含めて彼女と付き合っていこうと、博愛精神に満ちていた。

時間と共に、思いは刻々と移り変わっていった。
一緒に楽しい時間を過ごし、虐待経験を持つ彼女に同調し、
過ぎた正義感に嫌悪を感じ、私自身への異常な執着に恐怖し、
嫌がらせの数々に異常性を確信し、その後、仲直りした。
家族以上の親愛を持つようになった。

私は、大学生活一番の悩みが解消され、安堵した。
それも束の間、
1年間の絶縁状態から復縁したMとの、
更なる泥沼の関係が始まった。




◇原本アンドロイド 5(2) へ続きます。


関連記事
◇私を殺せる唯一のもの(原本アンドロイド主旨紹介)
◇原本アンドロイド 1
◇原本アンドロイド 2 
◇原本アンドロイド 3 
◇原本アンドロイド 4 前編 
◇原本アンドロイド 4 後編


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虐待の連鎖 

こっちにコメント残すよー。(どっちでもいいか?)
お友達にね、解離性同一性障害の人がいて
40近くの人格を持っていて、お付き合いするのが
とても大変なのです。でも、どの人格もその人自身なんだと思って、受け入れようと思って話すんだ。
だけど、やっぱり私、素人だし、すごく難儀だなー
と思ってしまう。虐待を受け続けた結果の彼女を
見てると、感情移入し過ぎて、自分も辛くなって
しまうんだ。程よい関係を築くべきなんだな、と
記事を読んで思った。私にできることは、普通で
いることなのかな。難しいです。

2008/04/28 22:28 | あおぞら [ 編集 ]


>>あおぞらさんへ 

あおちゃん こんばんは。
お返事が、とても遅れてしまいました。
ごめんね。

コメントタイトル<虐待の連鎖>に、この記事に込めたかった私の思いを、あおちゃんが読み取ってくれたのだと胸が熱くなりました。

>お友達にね、解離性同一性障害の人がいて
40近くの人格を持っていて、お付き合いするのがとても大変なのです。

40近く。カオスだね。
私は、想像でしか書けないけれど。
一人で抱え込んでいる当事者がまず苦しいと思います。だから、お付き合いするのがとても大変、というあおちゃんの言葉、「大変」では尽くせない思いをしてるんじゃないかと思ったよ。

>でも、どの人格もその人自身なんだと思って、受け入れようと思って話すんだ。
だけど、やっぱり私、素人だし、すごく難儀だなー と思ってしまう。
虐待を受け続けた結果の彼女を見てると、感情移入し過ぎて、自分も辛くなってしまうんだ。

「どの人格もその人自身」と、よく言うよね。本当のところ、どうなのだろうと考える。治療者の立場から見れば「どれもその人」なのだろうけれど、経験が人を作るとするならば、それぞれの人格がトラウマを受けた時点で年齢が固定されていたり、その後の経験や記憶は別の人格が持っていたりして、結局のところ、当事者にとって、また付き合う人間にとっては、本当にどれもそれぞれ違う人間なのだと私は思ってしまう。
その人格もあなただよ、と言われても、私にはぴんと来ないどころか、他人と自分を取り違えられたようで腹が立ったり。
私は、DIDになる一歩手前のグレー状態らしいから、この先は、現時点での延長を想像することでしか理解できない。
けれど、それぞれ違う人間だと接してもらうことが、当事者(各人格)にとっては有難いのではないかと、これまで学んできた中でも感じています。

>程よい関係を築くべきなんだな、と
記事を読んで思った。私にできることは、普通で
いることなのかな。難しいです。

トラウマを抱えた人は、まず似たトラウマの人と惹かれあうように出来ているのかなぁ。転移、逆転移というけれど、人は相手に自分を投影することを避けがたい生物で、そこから情も生まれるけれど、この情に足をすくわれる危険性は、とても高いと思う。例えば、人格障害の私にとって、普通の人が傍にいることが、とてもとても有難いことだったりします。
心的距離は、常に慎重になるべきだと思うよ。
治療者以外は、「治そう」とか「力になろう」とか敢えて思うことなく、ただ普通に自分らしい自分で、その人の傍にいること、難しいけれど、それだけで十分すぎるくらい十分な思いやりだと思う。
傷ついている人ほど、最も人を求めている人ほど、近づく人を傷つけてしまう。
経験から、そう思います。
あおちゃんの心が、あおちゃんらしくいられる距離。それが、時には誰かにとって酷であっても、どんな病気でも病気でなくても、一番に大切にすべきことだと思う。
私で力になれることがあれば、いつでも。
心の病を抱えた人との心的距離について、いつもいつも考えています。
再考する契機になったよ。
あおちゃん、ありがとう。

2008/05/02 00:48 | 美鳥 [ 編集 ]


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プロフィール

美鳥(みとり)

Author:美鳥(みとり)
被虐待サバイバー。解離性同一性障害、うつ病、対人恐怖症ほか色々闘病中。境界性パーソナリティ障害寛解しました。毎日の光と影を綴ります。生育歴・来歴・病歴・活動はこちらをご覧下さい⇒<はじめに Profile>

講演活動・ユーストリーム放送しています。
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診断名の有無に関わらず、生き辛さを抱える方々と温かい繋がりを目指しています。ご感想ご意見など、お気軽にどうぞ。お待ちしています。

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