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2008/04/05 (Sat) 癌と生き死ぬこと

今日は、祖母の命日だ。
亡くなったのは、何年前だろう。
年の感覚がない私には、思い出せない。

今朝は、大阪はとてもよく晴れていて、気持ちが良かった。
温かくて、春っぽいラベンダー色のストールだけ巻いて、
赤い自転車で、病院へ出かけた。
途中、桜が満開だった。
もくれんの白い花も咲いていた。
パンジーも咲いていた。
それから、名前の分からない色とりどりの花が、
街のそこかしこに咲いて、春の柔らかい風に揺れていた。

祖母が亡くなったのも、こんな日だった。
末期癌の祖母を自宅で、家族で看病し、
ホスピスケアの専門の先生に往診して頂き、
1週間ほど眠りっぱなしで、最後は眠るように息を引き取った。

祖母の死期は、医者から知らされた。
一枚の紙を渡された。
そこには、人が必ず辿るという死への段階が細かく詳細に書いてあった。
呼吸が、階段を下りるように変化していくことだとか、
体温が数分おきに35度台?40度程までの間を上下すること、
体に青紫の痣が出始めること、筋力が格段に落ちること、
カテーテルでつけられた導尿器に尿がたまらなくなること、
顎が開き始めること、様々なことが具体的に書かれてあり、
死までの1週間の間に、
この全ての症状が書かれている通りの順に起こることを聞いた。


病院では、必ず死の間際には、蘇生処置が執られる。
それは、医者としての使命、責任とされるから、
最後まで患者の生命維持に尽力せねばならない。

祖母の場合、自身で選んだ安楽死のようなものだ。
それまでは、本当に長く長く、苦しい死への恐怖、
それ以上に、生きる気力を奪い、精神力まで破壊する痛みとの戦いだった。
肺癌だったために、突然呼吸が出来なくなり、
とっさに祖母が自殺しようとしたこともあった。
運よく、酸素ボンベが到着したから、助かった。

祖母は、死にたがっていた。
往診に訪れた医師に、「来週までもは待てない」と叫ぶように言った。
後ろ向きな死、というよりも、自身の死期を知っていた。
それ以上に、動けなくなること、自分の好きなことが何一つ出来ないこと、
ただベッドの上に横たわり、数時間置きにモルヒネ等の痛み止めを服用し続け、
そのために意識も朦朧としていた。
生きている意味があるのか、とは、
祖母自身だけでなく、私も傍にいる家族も、皆が胸に抱いた疑問だった。
人は何のために生きるのか?という問いは、そこら中に溢れているが、
人は何のために死ぬのか?という問いは、見当たらない。


「来週までも待てない!」と言った祖母の声を、私は隣室で聞いていた。
ショックだった。
できるだけ、生きてほしいと家族として、当然のように思っていた。
けれど、こんなに苦しい毎日がいつまで続くのだろうかとも思っていた。
祖母は気丈な人で、決して家族には泣き言を言わなかったが、
そのときだけは、医者に食ってかかった。
一週間の処方箋を決めるときに、もう待てない、と言ったのだ。
うんざりだ、と言ったのだった。
一年間に何人も末期癌患者を看取ってきた医師に、迷いはなかった。
祖母に、言った。
「大丈夫ですよ。安心してください。必ずお迎えが来ますから。大丈夫ですよ」
と、言った。
私にとって、衝撃的な言葉だった。
確実に死を迎える祖母と、明日も明後日も生きているであろう私達家族の間に、
決定的な溝があることを自覚した瞬間だった。
祖母にとって、死はもはや恐怖ではなく、救い、希望だったのだ。
家族を前にしても、医師も看護婦も、祖母の本心に寄り添うことを躊躇わなかった。
「必ず死ねますから安心してください」
とは、不謹慎な言葉でも何でもなかった。
そのときの祖母にとって、最も必要な励ましだった。

そんな言葉を、祖母にかけてあげたかった。
できるならば、私が。
私は、祖母が死んだときに自分が後悔したくない、
生きている間に精一杯孝行したいという気持ちで、
指すら動かすのがままならない祖母に発破をかけて、
合作で、モチーフを編み続け、祖母が生涯愛した家のリビングのソファカバーを、
作り上げた。
裁判の書類を書きながら、ソファで眠り母と交代で24時間看護し、
夜は指が痺れても、動かなくなっても、ひたすらモチーフを編んだ。
死に物狂いだった。
祖母の限られた残り時間が、私にとっての残り時間でもあった。
何百枚、編んだだろう。
デザインも、祖母と相談した。
起きているのも苦痛だっただろう。
でも、一緒に決めなければ私は納得できなかった。
私の作品にしたくなかった。
最初から最後まで、私と祖母の作品にしたかった。

無機質なベッドの白いパイプ、取り付けられた導尿器の屈辱、
寝返りを打つにも数十分を要する痛みへの憎悪、
数時間おきに、回復するでもない薬を延々飲ませる空虚、
抗っても抗っても、確実に迫ってくる死という見たこともない悪魔の姿。

その中で一際、私達が編み続けるモチーフの色とりどりの毛糸が
鮮やかに私の記憶に灼きついている。
水仕事で荒れて固くなった祖母の指、
毛糸で擦れて血いが滲み、バンドエイドを巻いていた指。
黙々と編み続けた指。
私が裁判でいない日も、編み続けていると電話で話した祖母の声。
全て、鮮やかな毛糸の色彩と共に、灼きついている。

歩くこともままならなくなった祖母を無理やり起こし、
リビングに連れて行き、完成したソファカバーを敷いて、
綺麗にセッティングしたテーブルを置き、そこに祖母を座らせた。
祖母は、ずっとずっと眺めていた。
生涯、貫いた九州弁で一言「夢んごたる・・」と、繰り返していた。
祖母は、生きている間に完成させることは不可能だと思っていて、
私に後を引き継がせようとして、私に編み方を教えた。
私は、冗談じゃないと思った。
祖母が死んだ後で、祖母が編んだモチーフの続きを編み、
祖母と相談するでもなく、たった一人でそれを完成させ、
一人で眺めなければならないこと、
そんな寂しさを、人生の中で味わいたくなかった。
完成した作品を、言葉を失ったかのように眺め続ける祖母の姿を見て、
私は祖母の死を完全に受け入れた。
祖母は、死ぬのだ。

祖母の限られた余命数日と同時に、
私の人生の一部を、見事完結することができた。
痛み止めも効かなくなった体で、尚も生きてくれている祖母に感謝した。


息を引き取る数日前には、一度だけ目を開いた。
会話ができた。
祖母は、まるで子供のような無邪気で明るい表情をしていた。
氷を、美味しい!美味しい!と、
砂漠で水を飲んだ旅人のような歓喜の声を上げて
幾つも幾つも食べた。

再び眠りについた祖母の横で、葬儀のための喪服の準備をした。

息を引き取った瞬間に、私は立ち会った。
階段を下りるように何度も呼吸のペースが落ちて、
ゆっくり息が止まった。

私たちは、笑った。
完璧な死だと確信した。
祖母が私に癌が見つかるはるか昔、
もし自分が死んだときは、葬儀でみっともなくないように、
固まるまで顎を閉じて押さえているように、
と遺言していた。
だから、そのとおりに私は祖母の顎を押さえていた。
涙は、出なかった。
晴れやかな気分だった。

祖母は、命ある限り癌と闘い、癌と共に生き、
治療法から死に方まで、全て自身の思い通りに自分で指示し、
望みどおりに亡くなった。

息を引き取ったのを確認してから、医師に電話した。
すぐに看護士が来て、医師が来て、死亡診断書を書いた。
死因は「肺癌」と書かれたが、肺に最後まで空気は通っていて、
何が最終的な死因なのか、今もついに分からない。
人の死とは、もっと正体の分からない何か神秘的なものに導かれて、
決まった段階を通り、体が死への準備を全て終えた後で、
最後の幕引きのように、ゆっくりと迎えるのだと知った。


看護士と一緒に、祖母の身支度をした。
生前好きな服を着せるように言われたから、
祖母のタンスの中から、下着から全て、娘である母と、
私達三人の孫たちで決めて、着せた。
下着は、上質な真っ赤なレースの下着を着せた。
80も過ぎて、こんなものを持ってたんだ、と皆で笑った。
30代の看護士さんが、これ、同じものを私も持ってる、と言って、
看護士さんとも笑った。
祖母らしい、派手で上等なスーツを着せて、ストッキングをはかせ、
靴をはかせ、私と看護士さんでメイクして、
祖母が生涯愛した香水を首元に振りかけた。
全ての作業が、晴れがましくて穏やかで、楽しかった。
皆、笑っていた。
心の底から、皆同じ気持ちだったのだと思う。
死が、こんなにも穏やかで美しく、全てがおさまるところにおさまったような、
自然を感じさせるものだとは思ってもいなかった。
私たちは、盛んに笑い声を立てた。
祖母を見ると、祖母も笑っていた。
本当に、穏やかに明らかに笑っていた。
なんて美しいんだろう、と、私も家族も皆、見惚れた。
癌で苦しんでいたときは、別人のような顔をしていた。
母が、「ああ、これが本当のお母さんの顔。戻ってきた・・」
と、懐かしさを滲ませた声で感嘆のため息をついた。
えらく笑ってるなぁ、綺麗だなぁ、と私達孫も笑って、
あんまり美しいものだから、祖母の写真を撮った。


葬儀会社に手配し、すぐにドライアイスが担ぎ込まれた。
酸素ボンベとレンタルしていた介護ベッドなど、全てすぐに引き取ってもらった。

その日は、祖母が大好きだった巻寿司を、母の友人が作ってくれたので、
笑っている祖母の横で、皆で食べた。

翌日、葬儀会社が棺を持ってきて、祖母をおさめ、白い布で覆った。
棺が担がれて、家を出るのを家族で見送った。
祖母が一から築き上げた自慢の庭には、色とりどりのチューリップが咲き乱れ、
パンジーが咲き、公園にも花が咲き、街路樹のモクレンと桜も満開だった。
抜けるような青空が広がり、甘い香りが春の風に乗って私達に届き、
風で散る髪を洗うように、優しく流れていった。
車が見えなくなるまで、見送った。
道の両側を満開の桜が咲き誇り、まさに花道だと思った。


癌だから、叶った死に方だった。
祖母は残りの数年を、癌と共に生きていた。
最後まで、癌と共にあった。
祖母自身、家族それぞれに、宣告されてからの日々を、
死と向き合って暮らした。
もしかしたら、という期待と、やっぱり勝てない、という失望との狭間で、
皆、無言で懊悩した。
祖母は、悩んだ末に選んだ。
葬儀会社の手配まで、済ませてあった。
私たちのための喪服まで、きちんと揃えてあった。
何があっても病院へは行かず、愛した自宅で亡くなることを選んだ。
迷っても、最後には自分が望むままのものを選んだ。
選ぶことには、覚悟がいる。


祖母の介護をさせてもらったことで、
祖母を通して、自死以外の死と向き合うことで、
私は、死について、またひとつ学んだ。
死ぬことは、悲惨でも極楽でもない。
生きたようにしか、死ねない。

満開の桜を見ると、祖母の微笑んでいる美しい死に顔を思い出す。
私にとって、死は、悲惨でも極楽でもなくなり、
逃げ場所ですら、なくなった。
死ぬことは、生きること。
いつ死のうが、どう死のうが、どう生きたかだけが問われる。
祖母の死に方に、心から感謝する。
祖母が、癌と闘い生にしがみついた姿も、放棄したくなった姿も、
鬱になった姿も、歩くことすら、寝返りすら打てなくなった姿も、
廃人のようになった姿も、それでもモチーフを編む手を止めなかった姿も、
私は、どれも覚えている。
醜くも美しく、みっともなくも天晴れだった。
死とは、そうでなくてはならない。

私の目標は、家族を持つことになった。
私が老いて死ぬとき、
何があっても自宅で死なせてくれる家族を持ちたいと思った。
私達がそうしたように、私の好みに合わせて、
不謹慎だといわれようが、真っ赤なレースの下着をまとって、
棺に入りたいと思った。
その姿を無言で見せることで、
死は、生と同じようにかけがえのない財産なのだと、
伝えられたなら、どんなにか幸せなことだろう。

私の中に、かけがえのない財産が眠っている。
祖母が最後の最後に、私に与えてくれたもの。
無言の死という、素晴らしく、世界中の宝玉にも勝る財産だ。




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◇祖母の思い出


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2008/04/06 00:22 | [ 編集 ]


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2008/04/06 05:17 | [ 編集 ]


死ぬということ 

この記事を読んで、私も学んだ。
死ぬ時は、こうでありたいと思った。
私も癌を患ったけど、生死を賭けた闘いでは
なかったから、いまだに実感がないというか
そんなことあったな~位にしか思ってない。
怖いから、死ぬことを避けて考えてたけど、
こういう死に方でありたいって、真正面から
向き合えたよ。ありがとう。

2008/04/06 15:11 | あおぞら [ 編集 ]


素敵な話をありがとう! 

とても素敵なおばあさまだったのですね。
お互いに自分の奥にある力を信じて一歩ずつ進んでいきましょうね。
きっと、そこには望むものがあるはずですよね!

そうそう、せっかく来て戴いたのにアバターが消えててごめんね。
復活させたのでよかったら観に来てね!まあ詐欺なんですけど(笑)
・・・こっそり追加もあるよ。

2008/04/07 14:44 | ももつ [ 編集 ]


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2008/04/07 15:26 | [ 編集 ]


>>鍵コメUちゃんへ 

Uちゃん おはよう!
私にとって大切で思いいれの強いこの記事に、
Uちゃんの大切な思い出をお話くださって、ありがとう。
死の場面とは、人の数だけ存在するように思います。ただ、死というものが、当人にとって必ずしも不幸ではないこと、人間が自然生まれてくるように、自然死んでいくこと、遺された者に、必ず何か気づきを与えてくれること、気づきを与えぬ死など一切ないこと・・・・うまく今は書けませんが、生まれてくることがギフトなら、死ぬこともまた、ギフトなのだと私は思っています。
生前、どんな人生があろうと、老後、どんな姿をさらそうとも、その人が亡くなるまでの数年ではなく、生まれて死ぬまでの全てが財産だとお伝えしたいのかもしれません。
カテゴリー「自死と癌」に入れたこの記事ですが、
自殺者と遺族に対しても、全く同じ感覚を私は持っています。
死の直前どうあろうとも、どんな状況で亡くなろうとも、死は生と等価です。
私は、そう思っています。
また、あらためて大切にお返事を書きたいと思っています。
ありがとう、Uちゃん。

2008/04/08 10:37 | 美鳥 [ 編集 ]


>>あおぞらさんへ 

あおちゃん おはよう。
癌を患った経験のあるあおちゃんにとって、私とは全く違った観点から読んでくれたのかもしれない、と想像しました。

>死ぬ時は、こうでありたいと思った。

私も、こうでありたいと思った。
あおちゃんと出会ったころには、もうこの世にはいなかった祖母の死に様が、あおちゃんに少しでも何かの糧となったなら、私の祖母も僥倖です。

>私も癌を患ったけど、生死を賭けた闘いでは
なかったから、いまだに実感がないというか
そんなことあったな~位にしか思ってない。

当事者にとって、病とは必ずしもイメージどおりのものではないよね。癌=死という構図も、薄れつつある最近だと思います。それでも、やはり大なり小なり死を意識させる病であることには、まだまだ変わりないと思います。

>怖いから、死ぬことを避けて考えてたけど、
こういう死に方でありたいって、真正面から
向き合えたよ。ありがとう。

ありがとう。あおちゃん。

#一部、文を追加しました。
今後も、この記事はちょこちょこと手を加えるかもしれません。
再読してもらえたら、嬉しいです。

2008/04/08 10:42 | 美鳥 [ 編集 ]


>>鍵コメmさんへ 

おはようございます。

子供の頃の話、胸に迫る思いで読みました。
いつかは死ぬ。
そんな意識を私は持っていただろうか、と思って。
殺されたい、殺されるかも、そんな思いはあっても、やっぱり「死」という具体的なイメージが掴めなかったなぁ。

眠れなくなるほどの恐怖。子供の頃のあなた。
切ないです。

この記事が、少しでも楽観的な気持ちにすることができたらなら、幸せです。
子供さんが、いるんだもんなぁ。
老いること、死に対しても、また違った感覚なのかな、と思いました。
コメント、いつもありがとう。

2008/04/08 10:48 | 美鳥 [ 編集 ]


>>ももつさんへ 

ももつさん こんにちは。
コメントありがとうございます。

>とても素敵なおばあさまだったのですね。

気が強く、ヤクザとも平気でサシで勝負して勝つような祖母でした。大正生まれですが、当時からすると、かなりヤンチャな女性だったようです。
ありがとうございます。祖母も、喜んでいると思います。

>お互いに自分の奥にある力を信じて一歩ずつ進んでいきましょうね。
きっと、そこには望むものがあるはずですよね!

あるある!あるはずだ!
沈んだときは、そこから宝箱持って浮上してやります。お互い、一歩ずつ着実に進んだり下がったり、でもまた進んだりしていきましょう(笑)

>そうそう、せっかく来て戴いたのにアバターが消えててごめんね。
復活させたのでよかったら観に来てね!まあ詐欺なんですけど(笑)
・・・こっそり追加もあるよ。

ありがとうございます!
さっそく拝見しましたが・・・ももつさん、惚れていいですか?w
アバターなんて、基本詐欺でございますよ。開き直って、おしゃれを楽しんでる私です。
髪型が、私のももつさんのイメージそのままでした。さーしゃ様は、リアルを知っているので、もっとお美しい、と思いました(笑)もっとなんていうか・・・・地面じゃなくて、一段高いとこにいらっしゃるような猫様様なイメージです。
さーしゃ様ファンでしたが、今後はももつさんファンにもなりましたので、よろしくお願いします(笑)
また、おしゃれしたら呼んでください。
あれ、素敵だから消えたら悲しいです。
保存しちゃいますよ?(笑)

2008/04/08 11:26 | 美鳥 [ 編集 ]


>>鍵コメMさんへ 

ありがとうございます。
娘さんまで・・・・どうぞ、よろしくお伝えください。ありがとう、と。

この記事では書ききれないたくさんのエピソード、思い出があり、それも含めて、この記事は私にとって、大事な大事な記事です。
あなただけでなく、娘さんの心にも何かが届いたこと、とてもとても幸せです。

うまく書けているとは思えず、これからも、この記事は加筆したり修正したりしていくと思います。
読む度に、私は号泣して、あまり手が加えられずにいます。
とても大切な記事です。
ありがとう。
くれぐれも、娘さんによろしくお伝えください。

娘さん、よかったら、これからも読んでね。
受け取ってくれて、ありがとう。
涙を流してくれて、ありがとう。

大阪のお姉ちゃんより。


2008/04/08 11:29 | 美鳥 [ 編集 ]


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プロフィール

美鳥(みとり)

Author:美鳥(みとり)
被虐待サバイバー。解離性同一性障害、うつ病、対人恐怖症ほか色々闘病中。境界性パーソナリティ障害寛解しました。毎日の光と影を綴ります。生育歴・来歴・病歴・活動はこちらをご覧下さい⇒<はじめに Profile>

講演活動・ユーストリーム放送しています。
講演のご依頼ご相談は、当ブログメールフォームからお願い致します。

診断名の有無に関わらず、生き辛さを抱える方々と温かい繋がりを目指しています。ご感想ご意見など、お気軽にどうぞ。お待ちしています。

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