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2008/02/15 (Fri) 原本アンドロイド 1

そういえば私は、ここで一度も
最悪だった大学時代のことを書いていないと気づいた。
卒業後の、友達との最悪な2年間の同居生活、
超がつく貧乏生活のこと、私を壊していった宗教団体での人間関係。
人格障害が招きよせた人間関係だったのか、
人の中で揉まれ続け、私は疲弊し死を考えるようになった。
対人恐怖が高じ、自殺、殺人、集団殺戮、あらゆることを考えるようになり、
重度のニコチン中毒になり、違法ドラッグに手を出しかけた。
最終的に枯れ果て、死を待つばかりになった。


私の心が受け入れられる範囲の出来事から少しずつ、
<原本アンドロイド>というタイトルで、シリーズとして書いていくことにした。
私の二十歳前後の友人関係は、いつも同じパターンだった。
私は、人からコピーされ利用される人型原本だった。
それ以外の友情を望んでも、なぜか手に入らなかった。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

私は、女友達に恵まれなかった。
友達とは、そんなものなのか、ものすごく仲良くなっては、
悉く破綻していった。
皆、私をカリスマのように愛し、まるで異性を愛すかのように私を愛し、
私に転移し、私に依存し、私を母のように思い、
同性が故に満たされきれない思いで感情が破綻し、
私への愛情は憎しみや激しいライバル心へ変わり、異常な行動となった。
いつも、そのパターンだ。
そうでない友達だけが、今残っている。
前述のような友達とは、私が全部縁を切った。
苦しかったし、正直寂しかった。
でも、私にとってマイナスになる友人は、
何年もかけて全て縁を切った。
理由は、カテゴリー<Is it happy?>に属するので、
そちらの記事で書こうと思う。


一人は、Sちゃんという。
関東出身のSちゃんは、出会うなり私を気に入り、私の関西弁を真似し、
私と誰かが仲良くすると嫉妬し、私が好む服を着て、
私が好むインテリアを好むようになり、私を丸々コピーしていった。
最初は、気が合って楽しいと思っていた私は、
そのうち不気味なものを感じ始めた。
私の手を24時間、握ったまま離さないのだ。
振り払っても怒っても、とにかく無理やり手を繋いでくる。
テレビを見ていても、学校でも、食事中でも、移動中でも、どこでも。
薄気味悪くなってきた。
常ににぎられている手は、いつも彼女の体温で汗ばんでいて、
決して離すまいという断固とした力がこめられていた。
私は恐怖を抱いた。

Sちゃんから見ると、私は出身地の響きの良さから
都会のお嬢様に見えるらしく、
やたら何の話でも「美鳥はお嬢様だから」などとはやした。

私をコピーする、私を異常に讃える、それは、
私へのやっかみ、妬みと紙一重だった。

毎度、同じパターンだった。
24時間手は繋ぎっぱなし、怒っても振り払っても聞かない。
私の何もかもをコピーし続ける。
私を誉めそやしたかと思うと、からかい気味に絡んでくる。
真綿で首を絞められるような、友情とも敵意とも知れない、
何か得体の知れない威圧感で、私はジリジリと追い詰められて行った。

彼女と縁を切ったのは、一緒にカレーを作ったときだった。

関西育ちの私は、カレーは当然牛肉だと思い、牛肉を買ってきた。
静岡育ちの彼女は、豚肉が一般的らしかった。
「美鳥は都会育ちだから、牛肉なんや?さすがお嬢様や?」
と、下手な関東なまり、私の関西弁をコピーした言葉でやはされた。
延々、同じことを繰り返す。
もう、何万回聞いたか分からない言葉。

それまで、耐えに耐えてきた私は、ついに爆発した。

「うるさい!いい加減にしろ!」
叫んで、部屋を飛び出した。
それきり、彼女とは付き合いがなくなった。
私は、せいせいした。

そうしたら、友人のMちゃんが今度はSちゃんの標的になった。
今度は、Mちゃんのコピーを始め、やはり24時間手を繋ぎっぱなしだという。
何度も喧嘩していると言っていた。
私は、解放されたことに、ほっとした。
けれど、Sちゃんが企画した卒業旅行に、
当然のように私は加えてもらえなかった。
何も知らない私が知ったのは旅行前日のことで、
それはそれで、私は死にたくなった。

私は、Sちゃんとうまくやれないが、他の皆は楽しく付き合っている。
なぜ、私は極端な愛情か拒否しかないのだろうか。
なぜ、そんな場にばかり立たなければならなくなるのか。
わけが分からず、ただ孤独だけが、くっきりと浮き上がって見えた。


◇原本アンドロイド 2 へ続きます



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◇原本アンドロイド 2
◇原本アンドロイド 3


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許して下さい・・・ 

《私には人に温かい言葉をかけられるだけの余裕と、成熟さがないので自分のことばかりになってしまって》
*****
私は原本ではありません。
素敵に思えるいろんな部品を片っ端から集め安価に作られた、特徴のないガイノイド・・・です。
片っ端から少しずつデータを取ってきては保存してしまったので、デフォルトの自分がどんな特徴を持っていたのか、それともそもそもそんなものはなかったのか、見分けがつかなくなってしまった。見方を変えれば『透明人間』と言えるかもしれません。

私は2つの事に悩んでいました。
1.他人に特別な人と注目されて、いつも取り巻き集団をコントロールしたい
2.私の周りに張った結界の内側に入り込んで欲しくない

けれど、私に異常な関心を持つのは母だけ。それ以外の人は私に関心がないのです。関心を引こうといろいろしました。人の心を操作しようとして、小さなアクションを起こしました。けれども、他人の心は自分の思う通りには動かない。

私は諦めました。そして、環境に合わせて自分を進化させることが目下の関心事になりました。自分は魅力的な人間にはなり得ない。長年もがいた末、やっとそれに気がつき辿り着いたのが、「いちいち動じない私」。「無感情で、無関心な私」。時に親しみやすく振舞うことができ、礼儀だけは欠かさない。
次第に可笑しくなってきました。どんなに邪な気持ちを持っていたとしても、どんなに冷たい人間だとしても、対人関係は回るんだね、と理解し始めてから。
そうすると、むやみに傷つけられることもなく、助けてくれる人さえ現れた。対人関係とはこんな表面的なものなのか!?こんなテクニカルなことなのか。。。次第に馬鹿馬鹿しく思えてきました。

人に好かれるために自分を変化させる、と言うのは私には複雑過ぎたのでしょう。実際には求められた事だけ手助けすることくらいしか出来ないのに。それも、線引きをした外側ギリギリまで。周りを見ると、他の人もそうしていた。それでいいんだ、そう、思いました。他人に注目されたい、他人と密着していたい、そう思っていた私は何なのでしょう。苦しかった努力を止めたら、急に解放されました。

1は本当に私の望みなんだろうか。。。ある人から、それは単に周りの環境に毒されただけではないかと言われて、ハッとしました。貴女は集団の中にいないと寂しい人ではありませんよ、と。
確かに1と2は相容れない。自己洗脳し、むやみに他人の心に侵入しようとしていたのは私の頭の中だけで起こっていたことだった

2008/02/25 01:01 | 依里 [ 編集 ]


依里さんへ 

お返事が遅れて、申し訳ありません。
コメント、ありがとうございました。

この記事に対して書いてくださった依里さんのコメントは、とても感情的に感じました。言葉の端々に、書いてあることと逆のお気持ちが見える気がしたのは、私の気のせいでしょうか。


>対人関係とはこんな表面的なものなのか!?こんなテクニカルなことなのか。。。次第に馬鹿馬鹿しく思えてきました。


私も依里さんの仰る「テクニカル」に走ったことがあります。ちょうど、この記事に書いた直後あたりから、病で苦しみながらも必死で探り当てた方法でした。例えば言葉遣いをちょっと変えてみるだとか、ちょっと作り笑いをしてみるだとか、口先だけの思いやりの言葉を並べてみるだとか。
そういった中味のないただの行為でも、意外と人というのは、こういった言い方をすると誤解されますが「騙されてくれる」ものだと思いました。
人間関係を円滑にするために身に着けたテクニックですが、あまりに効果が絶大で、そのことが逆に私の人間不信を深めました。
なんだ、あんなに苦労していた円滑な人間関係とは、こんな薄っぺらな見かけだけのものだったのか、という失望と、同時に達成感と虚しさと、今後自分は無敵なのではないかという高揚感。


>周りを見ると、他の人もそうしていた。それでいいんだ、そう、思いました。他人に注目されたい、他人と密着していたい、そう思っていた私は何なのでしょう。苦しかった努力を止めたら、急に解放されました。


他人から拘束されるということは、まずないのではないかと最近思います。人と人との関係を決めるもの、誰かを縛るもの、自分を縛るもの、それは全て自分の心が配分を決めているのではないか、と。
依里さんの仰る「努力を止める」とは、ある意味諦観に似ているのでしょうか。


>1は本当に私の望みなんだろうか。。。ある人から、それは単に周りの環境に毒されただけではないかと言われて、ハッとしました。貴女は集団の中にいないと寂しい人ではありませんよ、と。
確かに1と2は相容れない。自己洗脳し、むやみに他人の心に侵入しようとしていたのは私の頭の中だけで起こっていたことだった


依里さんが書いてくださったこの部分が、一番私を考え込ませました。1も2も、私の解釈が違わなければ私も同様に考え行動していた時期があったので、お気持ちは分かる気がします。
確かに、1と2は相容れません。表面的には。
しかし、少なくとも私の中では根は同じものでした。一言でいえば「寂しい」です。
人の中にいたい。人から踏み躙られるのでも、領域を侵されるのでもなく、対等な人間として、もしくは対等よりちょっと多めに人から愛されたい。
そんな気持ちでした。

「他人の心に侵入したい」とは、まさにこの記事の頃、私の頭の中に無意識にあった欲望です。
しかし裏を返せば、他人の心に触れるだけでは足らず、侵入せねばならない程に、他人を求める心が切羽詰っていました。
触れ合うよりも、侵入して支配した方が、より強いつながり、絆を築けると私は思っていました。

「貴女は集団の中にいないと寂しい人ではありませんよ」
という言葉。
「寂しい」とは、何だろうかと考えました。
一人でいるときの寂しさと、集団の中にいるときの寂しさ。これは質が違うようで、全く同じではないかと私は思います。集団の中にいると、とにかく忙しいものですから「寂しい」と感じる時間が減ったりします。または、その忙しさが逆に「寂しい」を自覚させたりします。また、一人でいるときも同様に、何をしてどう過ごしているかで「寂しい」を感じる度合いは違います。
でも最終的には、それは同じ寂しさだと思うのですが、依里さんは、どんなふうに感じられているのでしょうか。
一人でいても寂しくない人は、集団の中にいても寂しくないし、集団の中にいなければ寂しい人は、一人でいても寂しい人だと私は思います。

私の中の「寂しさ」とは、とりあえず周囲の人数など関係なく、私一人が抱え込んでいる、私だけの一種妄想的な「孤独感」です。
その孤独感と依里さんが書いてくださった寂しさとは似ているように思いました。


そんなふうに思ったのは、最初に依里さんが書いてくださった一文からも強く感じました。

>《私には人に温かい言葉をかけられるだけの余裕と、成熟さがないので自分のことばかりになってしまって》

寂しさや孤独は、人から余裕を奪うと思います。
ここ数日の私は、人間不信に強烈に襲われ、余裕どころか思いやりも周囲への心配りもままならない状態です。いくらテクニカルなものを身に着けていても、自身がこういった状態に陥ると何ひとつ発揮できません。
意外にもテクニカルな表現というものは、不便です。それよりも万能な表現とは、感情に基づいた素直な表現だと思います。
最初に私へお気遣いくださった一文に、依里さんの葛藤のようなものを感じました。
「テクニック」は、成熟、未成熟という言葉が妥当だと思います。程度、レベルというものが存在するからです。
でも、「温かい言葉」や「余裕」は、頭脳からは出てきません。温かい血が巡る心からしか発せないもので、ここに血が巡ることで心が温まり、温まった心からは、自然に温かい血が通う言葉や気持ちが溢れてくる、そんなふうに私は感じています。

依里さんは、色んな方達と出会い、その中で揉まれ、葛藤し、支配しようとしたり、支配されたりを経験されてきたのでしょうか。
支配する必要もなく、支配される必要もない、支配以外の対人関係を築くこと。
私にとっても難しい課題ですが、依里さんも同じ課題を抱えてらっしゃるのか、気になるお話でした。

今回感じたのですが、依里さんと、一度、全く互いの過去と関係のない世間話などできる機会があればいいな、と思いました。
なんだか、それが必要な気がしました。
感覚人間ならではの、ただ理由のない感覚なのですが。
依里さんのお考えをお聞きできれば、嬉しいです。

また、ぜひコメントください。
勝手ながら、皆さんのコメントにきちんとお答えしたい思いから、自身の調子を見てコメント返信の順を変えさせて頂いたりしています。お返事をすぐに出来ないときもありますが、必ず書かせて頂きます。
コメント、ありがとうございました。

2008/02/27 01:08 | 美鳥 [ 編集 ]


無題 

最初に断りを入れたのは、私が人と付き合う上で必要不可欠だと思う事だからです。
私には博愛的精神はありません。他人(自分以外の人)に対する感情が薄いのです。

他人に同調して傷つき、泣いたり怒ったり、ジェットコースターのような毎日。そんな時期が長く続きました。ですが、次第に気がつきました。「日常に悲しみや怒りがない」生活に耐えられないが為に演じていたのだと。。。私は家庭内で感じる自分の気持ちを、家の外でも再現して得ようとしていたのです。そう気がついたとき、愕然としました。自分が感じている感情は、人から写し込んだものだったのです。私はそう、『悲劇のヒロイン』です。
一方、人を支配しようとするのは、母の役割を自分で演じようとしていたのかもしれません。

それを捨てるのは骨が折れました。私は自分ではめていった足枷を外したくなかったのです。自分じゃなくなるような気がしていた。。。一方で限界が近づいていました。少しずつ自分の一部が滲み出て、他人と自分の線引きにこだわる所、本当は他人のやることにそれほど関心がない所、干渉を嫌う所が強くなってきました。これらは、常に集団で密着して生きようとする自分と軋轢を起こしました。苦しい。この努力は何故報われない?そう思っていました。集団生活が苦痛で堪らない。

本中の言葉や人のアドバイスを集め始めました。決定的な言葉は「あなたはそのままでいいんだよ」「友だちが少ないからと言って悩む必要はない。大切な人が少数いればいいんだよ、自分を分かってくれる人が」でした。

他人に対しての思いやりの言葉や行動が必要だと言うことは分かっています。けれど心底そう思っていない時でも、これらを欠かさなければ人は手を貸してくれると分かりました。大げさにする必要はありませんでした。「ありがとう」を欠かさず、きちんと挨拶すること。困っている時には手を貸すが、むやみに親切心を振りまかないこと。他人に不利益になりそうな事を頼むときは丁寧に説明すること。相手が怒っていても、礼儀を欠かさないこと。早とちりしないこと。そんな基礎的なことで良かった。

私には他人の心がよく分かりません。ずっと、私は人の心が読めると思っていました。ところが、少しずついろんな人と話してみると大きな勘違いがある事が分かりました。私は分かっていなかった。希望的推測で勝手に他人の心をはかっていた。にも関わらず、人の心を支配しようと傲慢で、歪んだ優越感を持つ愚か者以外の何者でもなかった。正直さが足りないのは、それを強調する自分自身でした。

対人関係のコツは会社で覚えました。友人間では使いません。
拒絶されたら?
そうですね。。。仕方ありません。ありのままの自分が受け入れられなかったと諦めるしかありません。

私にはテクニックを使う場所と、そうでない場所を分ける必要があります。なぜか、学校や職場では、仲良くなった人といつもすぐに離れ離れになる運命にあります。みんな違うクラスや、違う会社、土地に行ってしまう。不可抗力もあるし、その人の意思もある。いずれも、私に止める事はできません。彼らがいなくなった後、友だちも味方もいない集団生活の中でやって行くには《何か》が必要なのです。私の事を好きじゃなくてもいい。そんな事は望まない。だけど、手を貸して欲しいんだ、必要なときに。私の友人でないあなたたちに。

*****
話がしたいと言って下さってありがとうございます。ただ、普通の会話をすると、私はつまらない人間かもしれませんよ(苦笑)

2008/02/27 20:35 | 依里 [ 編集 ]


>>依里さんへ 

依里さん こんばんは。
頂いたコメントに驚いています。

前回、私が依里さんへの言葉に感謝しましたが、今回の依里さんのコメントを拝見すると、

>最初に断りを入れたのは、私が人と付き合う上で必要不可欠だと思う事だからです。
私には博愛的精神はありません。他人(自分以外の人)に対する感情が薄いのです。

と書かれてありますから、前回のあのフレーズは「社交辞令に過ぎず、心から出たものではありません」と仰っているのだと私は自然、解釈しました。 依里さんは、思うままに書かれたのだと思います。 しかし、あの前置きは事務的なものに過ぎず、心はこもっていません、と最初に宣言されたも同然と私は感じました。

博愛的精神が全ての人付き合いに必ず必要だとは私は思いません。相手によります。
付き合いの浅いせいなのか、依里さんは、こちらで一人語りのようにご自身のことを語られています。一番最初のコメントは私宛だと感じました。それ以降は、私のブログという場で依里さんが思われることを、私という存在を省いた状態で語られていると感じました。ですから、前回依里さんにご質問という形で幾つかお気持ちを確認したく、お返事を書かせていただきました。あなたとの距離が、コメントの回数を重ねても、今のままではこれ以上変わらないと思ったからです。
前回の私のコメントにお答えくださったものが今回の依里さんのコメントでしたら、私は大変残念です。


>他人に対しての思いやりの言葉や行動が必要だと言うことは分かっています。けれど心底そう思っていない時でも、これらを欠かさなければ人は手を貸してくれると分かりました。

確かに、そうだと思います。しかし上辺だけのものは、一過性の力しか持ちません。私は自身の経験から確信しています。人間の心理として、当然のことです。また一度は手を貸してくれても、二度目はありません。二度目、三度目があるとするならば、その相手の方も、同じ考えの方なのだと思います。つまり、お互いにただ都合が良いという関係です。心での交流ではなく、物理的に偏った交流です。それを良しとされる方もいらっしゃるかもしれませんが、少なくとも私は違います。


依里さんが、こういったブログの在り方をどのように認識してらっしゃるのか分かりませんが、少なくとも私は、単なる都合でのお付き合いはしないことにしています。

人とは、交流を重ねなければ互いのことを知ることはできません。こうして顔が見えないブログなどになると、尚更です。言葉だけが、この世界での表現方法です。そして言葉とは、その方の人間性だと思っています。
依里さんは、私のブログから私の人間性というものをご覧になっていると思います。
同様に、私も頂くコメントから、依里さんを始め、皆さんの個性、人間性、悩み、苦しみを感じ取っています。間違いがあるかもしれませんが、私は分かりたい、共感したい、知りたいという欲求を基盤に、こうしてコメント欄でビジターの方たちと交流しています。当初は、そのような気持ちはありませんでした。独り言さえかければよかった。ですから、コメントは当初受け付けていませんでした。

今は、いざとなれば、顔を出しても構わないし、実名で書いても構わない、気が合うのであれば実際お会いしたいと思っている人間です。
ブログ、ネットだけの関係とは、はなから私は考えていません。ネットとリアルという区別をつけずに、皆さんとの交流を重ねています。これは私個人が一方的に勝手に考えていることですから、お相手がどう考えていようと関係ありません。
ただ、私は私の考えに則って、実際にお会いしても恥じない私、このままの私、一度きりではない私でいたいと思ってブログを続けています。

私は一期一会という言葉を信じています。
これだけ膨大なブログが存在する中で、気が合う方と出会えることは、現実世界と同じく、貴重で大切で奇跡的なことだと思えるからです。
しかし一方で、現実世界と同じく、私も一個人として、気が合う方、合わない方がいます。
どこで分けているのかと考えると、お相手の方の今現在抱えていらっしゃる背景、悩み、苦しみの程度、症状の軽重、また、病気だろうと健康であろうと、とにかく「支えあいたい」という相互関係を望んでいる方かどうかだけが基準です。
依里さんは、どんなお考えで、私のブログのコメント欄にご自身のことを綴られていらっしゃるのでしょうか。


>彼らがいなくなった後、友だちも味方もいない集団生活の中でやって行くには《何か》が必要なのです。私の事を好きじゃなくてもいい。そんな事は望まない。だけど、手を貸して欲しいんだ、必要なときに。私の友人でないあなたたちに。

「私の友人でないあなたたちに」とは、少なくとも私も含まれているのでしょうか。

依里さんは「私の事を好きじゃなくてもいいから手を貸して欲しい」ということですが、申し訳ありませんが私は、そのご期待には添えません。私は、個人的な動機でしか動きません。好きでもない相手に時間を割こうとは思いません。好きな人にしか自分の時間を使いません。だからこそ、微力な私であっても、少しでも誰かに何かを伝えられるのだと信じています。

以前の私は、好きでもない相手に社交辞令だ、思いやりだ、共感だと時間を割いてきましたが、結局それは全て長続きせず虚しい思いを抱えるだけに終始しました。何か手助けをしたときには「助けてやった」としか思いませんでしたし、助けてもらっても「私が望んだとおりに動いてくれただけ」としか思いませんでした。助けても助けられても、結局私の心は貧しいままで、豊かさを感じることはありませんでした。
ですから、現在の私は「友人」にしか手を貸しません。私の時間は24時間しかなく、人生は一度しかなく、そして私の腕は二本しかないからです。相手が私を友人と思っているかどうかは関係ありません。あくまでも、私の自己満足です。

私が考えに考え共感できたときに心から出てくる言葉だけを、相手への敬意をこめて届けたいと思います。それは、すぐには出てきません。自分の状態が悪くなれば、自分のことだけで頭が一杯になります。相手のトラウマと自身のトラウマが重なれば、知りたくなかったと思うことも山ほどあります。それでも時間をかけて考え感じたことしか、相手に届けません。好きな相手に手を貸すこと、友人に手を貸すこと、これは私にとって糧になります。理屈抜きに共感してしまう相手に対し、何か力を貸すことが出来、それで相手が少しでも元気になってくれたり、何かに気づいてくれたり、また笑ってくれるだけで、私の糧となります。それ以上は望みません。しかし、それ以下も望まない人間です。 このブログでも現実でも、私のそんな姿勢は変わりません。


>対人関係のコツは会社で覚えました。友人間では使いません。

確かに社交辞令と、友人間での表情は全く違うと思います。

ここで問題なのは、依里さんと私の関係だけです。

私は、あなたと友人になりたいと思った第一歩として「普通の話をしませんか」と提案しました。
出会ったばかりの依里さんと私が私的な感情を抱くのは時間を要するし、回数を要するし、何よりも、いきなり互いのトラウマばかりを語るのではなく、友人にならなければ、互いに何の実りももたらさない関係になると思っています。
一人語りのように感じた前回の記事と、今回のコメントから、その思いはより強くなりました。 あなたは、私からの返信をさほど重視していない、または、私に好意を示すわけでもなく、示すことにも躊躇っていらっしゃる、もしくはそのお気持ちがない、もしくは過去のトラウマから、そういった発想自体をされない方かもしれないと考えました。
普通のお話をしてみなければ第一歩は踏み出せないと感じました。
ですから、まずは友人になりましょう、とお伝えしたかったんです。

「私の事を好きじゃなくてもいい。そんな事は望まない。だけど、手を貸して欲しいんだ、必要なときに。私の友人でないあなたたちに」と仰る「あなたたちに」の一人が私であるのならば、私はこれ以上依里さんとお話することは残念ですが、出来ません。
私は、一見博愛主義者に見えるかもしれませんが、全てに動機を持ち、自身にとって糧になることしかしない主義です。
ブログを続けていると、色んな方が来られます。
全てに対して平等に接しようなどとは思いません。しようと思っても無理です。人間ですから。また、ブログは、それぞれの部屋のようなものです。ブロガーは常に部屋の主として、そういった采配をやむなく求められます。避けられないことですから、私は私の信条でお付き合いの仕方をその都度考えることにしています。


>話がしたいと言って下さってありがとうございます。ただ、普通の会話をすると、私はつまらない人間かもしれませんよ(苦笑)

つまらないのは、互いの人間性を知ることなく、ただ自身の苦境や思いや感情を語ることです。これが、私にとって一番つまらないことです。相手が私でなくてもいい言葉、相手が依里さんでなくてもいい言葉、届く前に空中で霧散してしまう言葉を幾ら交わしても何にもなりません。無意味です。
つまらない人間とは、どんな人間なのか、もし友人候補として私をお考えくださるのならば、まずそこをお話してみたくなりました。

ブログでこのような記事を書いていますから、順序が逆になることは多々あります。互いのトラウマや人間不信を知り、苦悩を知ってから、それから互いの基本的な情報や趣味やたわいない日常を知るパターンの方が遥かに多い。
でも、そういったたわいない会話抜きにしては、友人にはなれません。

友人になれない方のお心内を聞きつづけることは私には出来ません。私は、相互関係を望みます。


会話の内容が面白い、つまらないではなく、例えば私と依里さんとの関係性の中で生まれるものが、面白いかどうか、それだけです。言葉だけの世界ですが、言葉には人間性が宿ります。と同時に、常に互いの心の内を知ろうとする姿勢がなければ、誤解も生じやすくなります。
多分、私にとっては、依里さんがこれまでお話くださった続きをお聞きしても、つまらなく感じることと思います。大変ストレートな言い様で申し訳ないですが、それが正直な気持ちです。
あなたが、私に特別好意を持って私に接しているのではない、とあなたから伝えられたと感じているからです。

一方通行は、つまらないです。
例えば、依里さんがブログをされて、そこで語られることに私がコメントをしたり、また多くの方と交流ができたり、そんな場があれば、また違うと思います。
しかし、私のブログ内でのコメント欄は基本的に私宛となります。ですから、ご自身だけの都合でもしかかれているコメントでしたら、自然、関係を継続していくことは困難になるのです。
極端に言えば、ここに書いてくださるコメントが、別に虐待やいじめや何かと関係なくても構いません。ここは私のブログですから、私の記事と関連して感じてくださったものであれば、不快なもの以外何を書かれても私は嬉しいです。
センセーショナルな体験も、心理学のテキストから引っ張り出してきたような文章も、取り繕ったおべんちゃらも、意味のない悪意も、どれも不必要で、つまらないものです。ただ、私という人間に興味を持ち、好意を持ってくださり、相互に関わってみたいと思ってくださるお気持ちがあれば、私はどんなコメントでも構いません。

以上のような私の考えから、前回のコメントを書かせて頂き、また今回の依里さんのコメントを拝見しました。

「私のことを好きでなくてもいいから、友人でない美鳥に手を貸して欲しい」ということでしたら、申し訳ありませんが、私はご期待に添えません。
ご理解いただけた上で、普通のお話でも、普通の記事へのコメントでも、交わすことが出来れば、私は嬉しいです。その場合、鍵コメでも何でも構いません。

友人候補として私に興味をお持ちでないのであれば、私は依里さんとお話することも、交流することも不可能です。
その場合であれば、お返事は結構です。

2008/02/28 02:36 | 美鳥 [ 編集 ]


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2008/02/28 09:03 | [ 編集 ]


>>鍵コメ依里さんへ 

依里さん こんにちは。
早速お返事くださって、ありがとうございました。

最初にお断りしておきます。
私も、あなたと同様に人間不信で、病気です。
あなたとも誰とも不幸比べをするつもりはありません。それは、記事を読んでくだされば、私という人間がどういう者かは、ある程度分かってくださると思っています。

もう一つ。
私が投げかけた質問にお答えくださった今回のコメントで、私が図りかねていたあなたの真意が分かりました。
また、私がなぜあなたの言葉を「一人語り」のように感じたのか、そしてあなたが、なぜそのような語り方をされるのかも、了解しました。前回書いたように、不快に思っていたのは確かです。今回のコメントを読んで、私は不快ではなく、楽しく拝見させて頂きました。ようやく、あなたの輪郭が少し見えました。あなたの体験談からではありません。
あなたのストレートな感情が、ほんの少し私に伝わったからです。

私は、人を決め付けることは嫌いで、普段このような書き方はしません。しかし、あなたに対しては、私勝手な考えですが、何事も言い切った方があなたが理解しやすく、またお互いの今後のために良い事だと判断しました。
かなり強引ですが、不愉快なやり方だと思われるのでしたらご指摘ください。私も、このような形でコメントすることは例外です。

あなたが今回書いてくださったコメント、

>それならいっそ正直に言って欲しかったんです。「あなたに興味はない」「あなたの事は嫌いです」と。その方が混乱は少ないし、ショックは一時的で済んだから。そう言った事が何回かありました。その内に、警戒心が強くなってしまいました。

この恐怖心、警戒心を、私は嫌というほど知っています。境界性人格障害ですから、分かります。私も数日前そんな激しい恐怖心にかられ、大切な友人達に言葉の暴力、刃を向けました。さっさと私を見切るか愛するか、どちらかにしろ、と脅迫したくなったのです。私もいまだ症状を引きずっているため、あなたが現在もこういった感覚で私にも接していらっしゃるのだろうと想像しました。私へコメントを書かれる度、特に今回のコメントへの私の返信を待つあなたは、そのようなご心境ではないかと思います。

以後、私は白、黒、そしてグレーと、はっきりと三種類に分けてお話したいと思います。
私が了解したことには、分かりました、了解しました、と言い切ることにします。
なぜなら、あなたがこれまでに書かれた内容、なぜ私に向けて書かれるのか、そしてなぜあなたのコメントの中にあなたの感情を感じにくいのか、その理由が私には分かりました。
なぜなら、あなたと同じ思考回路、似た経験を私は今のところ、あなたが語られたもの一つ残らず経験しています。また、同様に感じ、考えてきました。

今、ここで記事を書いている私が、あなたとは多少異質に思うかもしれません。しかし、私はあなたでした。


>「あなたたちに」と言ったのは、美鳥さんの事ではありません。

この言葉で、全て了解しました。
あなたは、私と関わることを怖がりながら、私に勇気を出して声をかけて下さった。一人語りのように語られるのは、あなたがこれまで、そのように具体的に0から100まで語らねば人からの共感は難しかった、また、難しいどころか、幾ら具体的に話し、共感のような言葉を貰ったとしても、あなたの心が納得しきれなかった、だから私のブログを訪れ、私に共感してくださり、コメントを下さったのだと思いました。
しかし、あなたはやはり、見えない私という存在に向かってどう接していいのか分からず、まずはご自身が発する言葉の一つ一つの裏側、理由付けを私に具体的に説明しなければ伝わらないと思っている。そうでなければ、私が誤解したり、ご自身の思いが伝わらないと思ってらっしゃる。でも、私は分かっています。あなたの過去の詳細は知りませんが、共感とはそのようなものです。
戦争に行ったことのない人間に「戦争に行ってきた。辛かった」と言っても、意味がないことをあなたは嫌という程これまでの人生で経験されてきたのだと思います。
しかし、同じ戦争に出かけて生き延びて帰ってきた人と出会い、心から共感されたことはない。違いますか。
私は、そうでした。
ですから、心の中のもの、記憶の中のもの全て一つ残らず誰か聞いてくれる人に話し終えるまでは、その人から理解が得られない、共感が得られないと考えていました。ですから、辛い、苦しい、寂しいと泣く前に、出来るだけ事実ありのまま伝わるように努めて冷静に客観的に自身を分析し、事実と心理状態をカウンセラーなどに話したものです。
しかし、それは年表を読み上げるようなもので、心には響かないのです。
そのことに気づくまで私は何年も何年もかかりました。
いくら事実を話しても共感してもらえず、人とは何と冷たく、また心の距離とは何と遠いのだろうと、徐々に絶望するだけでした。

同じ経験、似た苦しみ、通常では目にしない凄惨な光景、それを見てきた者に対しては「戦争に行ってきた」の一言で、大方済んでしまいます。
それが本当の共感というものだと私は考えています。ただ、この共感を共感と認めるか、尚も否定するかは、相手が干渉できることではありません。例えば、依里さんご自身が決めることです。しかし、私は一度きりでNOとは言いません。心の病やトラウマが1年や2年で片付くものだとは、私は自分の治療過程を見ていて、絶対にありえないことだと感じているからです。だから、時間をかけますし、あなたに質問します。どうでもいい相手であれば、コメントを削除し、お返事は書きません。
なぜコメントを削除せず、あなたにこうしてお返事を書くかというと、あなたに「共感」しているからです。
美鳥に何が分かる、とお思いかもしれません。しかし、共感や思いやりは、あなたが今考えていらっしゃるような「相手を知るまでは社交辞令になってしまう」というようなものではありません。


けれど、私とあなたは別々の人間です。このことは、今も、そしてこれからも変わらない、一番尊重しなければならないことです。


>言葉を省きながらばっさりと書いたのは、自分を知ってもらおうと思ったためですが、一気にやり過ぎたのかもしれません。実際の人間関係では、会ったばかりの人に自分の事をすぐに話したりしないのに、何故か話してしまいました。

一気にやりすぎたのでも、小出しにすれば良いのでもありません。あなたが省いた言葉の更に裏側に、本当のあなたの感情が生きています。その感情が垣間見えるから、私はこうしてあなたと関わっています。それが最初から一つも見えないのであれば、私は二度目にコメントをお返しするのは、やめていました。


>ただ、これまでのやり取りで既に私に嫌悪感をお持ちであれば、私たちの交差点は一過性という事になるかもしれません。その場合は残念ですが、それでも私はそれを受け入れなければなりません。ここは美鳥さんの空間だからです。

コメント欄は、私とビジターさんの空間です。
私は、依里さんがここに来ることを止められません。ドアは常に開いている、鍵がかからない家と同じです。ホスト拒否でもしない限り、止めることはできません。しかし、私はあなたを拒否するつもりはありません。今回のコメントを頂いて、そう決めました。


>美鳥さんは知らない人に警戒心を抱くことはありませんか。私は距離が縮む前は、誰にでも警戒します。様子を見ながら近づく。


警戒心を抱きますよ、めちゃくちゃ。
だから、あなたに前回質問しました。
すごい警戒心を感じませんでしたか?(笑)
私のことが好きじゃないなら去ってくれ、と感じませんでしたか?(笑)

私は、距離が縮む前もそうですが、縮んでからが逆に警戒します。見捨てられたり、自分が相手に失望したりすることの方が怖いからです。自分にとって大切だと思える人ほど、思えば思うほど警戒し自戒します。
私は、依里さんから見ると「優しい人」に見えるようですが、どうなんでしょうか。ある種の人から見ると、私はかなり嫌な人種のようです。自尊心を傷つけてやろうと思って近づくような人を、私はケチョンケチョンにやっつけるからです。容赦しようとは全く思いません。そんな相手には、容赦する必要もないし、社交辞令すら必要ないと考えているので、実際、現実でも、嫌いだと思ったら社交辞令すらやりません。大人げないけど(笑)

依里さんが私を「優しい人」だと感じてくださっているのであれば、私も依里さんを「優しい人」だと自動的に感じます。人とは、もっとそんな感覚的な互いの了解、共感で成り立っていると思います。私は、そう信じられなくなる時期もありますが、信じられるときにだけ人と相対したいと思っています。


>様子を見ながら近づく。それが美鳥さんに取って許されないやり方なのであれば、私そのものを受け入れていただくのは難しいかもしれません。

今の私が、まさに「様子を見ながら近づく」状態です。依里さんが怖がられるように、私も怖いのです。あなたと同様に、私もあなたの様子を見ています。それが対等ということです。
依里さんは「私そのものを受け入れていただく」と書いていらっしゃいますが、私はあなたをそのまま受け入れたいと思っているわけではありません。
こんな書き方をすると、絶望されるかもしれませんが、それは一過性の絶望です。他人と自分の傷がどこも重なっていないと、全てそのものを受け入れてもらいたいと思います。しかし、少しでも重なっている、共感してもらっている、と実感できれば、それでいいのだ、と安心できます。
では逆にお訊きしたいのですが、あなたは美鳥そのものを受け入れていただけますか?

もし、相互にそのような関係が出来たとしたら、それはあなたとお母様が築かれたような、「相互支配」の関係になります。共感ではなく、支配です。
全てを受け入れてもらうということは、自分自身の余地が全く、なくなるということでもあります。
そうなるとまた、不満や抑圧や憎しみが生まれます。
私達被虐待者は、自然、そのような関係を避けようとしながらも、また同じ関係をトレースしてしまいます。隙間なく埋め尽くす理解や愛情は、私も頻繁に憧れを持ちますが、いざとなれば息苦しくて死にそうで、自尊心は微塵に砕かれ、相手への憎しみが自然湧いてきます。愛情と一緒に憎しみが訪れます。


>実際の人間関係では、会ったばかりの人に自分の事をすぐに話したりしないのに、何故か話してしまいました。

私が今のところ興味を持つのは、この部分だけです。
依里さんの事務的で冷静で客観的な文章の中で、この一文だけが不明瞭です。不思議なくらいに、不明瞭で、私には浮き上がって見えます。
この一言がなければ、私は依里さんと関わることをやめていたと思います。
「何故か」では、「なぜなのか」これこそが、たわいもない話、私達にまず必要な話です。大前提です。お互いのことを知らなくても、理屈が通らなくても、これだけは事実です。
あなたが全て冷静に説明できる事実は、私と依里さんの関係にとって、今のところ不要と言っていいかもしれません。
私が拝見したところ、あなたはご自身のことを語られるときと私について語るときに、必ず、社交辞令でもなく謙遜でもない、「位の違い」のようなものを持ち出されています。ものすごい徹底ぶりに、あなたの幼少期がどれほど苛烈なものであったかをうかがわせます。
あなた自身が仰るように、あなたが幼少期に受けたトラウマをそのまま持って、私に相対されるからだと思います。

私は、あなたと対等にお話したいと思っています。
支配するでもなくされるでもなく、ただ対等に互いの言葉に支離滅裂でもいいから感情を込めて話すこと、これができたらいいな、と思っています。
すぐには無理だと思います。
けれど、あなたの事実を聞かずとも、ある程度の了解と共感が既に成り立っているのだということを、はっきりとお伝えしたいと思っていました。
あなたがここに書いてくださったコメントを、ここに訪れる人達も見ています。
その中で、あなたに共感のコメントを寄せたくなったと私に仰ってくださった方がいます。
あなたは、一人ではありません。

>心からの言葉をかけるには、まだ時間が足りないと思います。心からの言葉と取れる言葉は、相手を知っていなければ偽善になってしまいます。

相手を知らなくても、偽善にはなりません。
偽善かどうかは、相手が決めることです。
私は偽善と思いませんし、時間が足りないとも思いません。あなたに何が分かる?とも思いません。
あなたが感じた「善」が善です。届かなかった時点で「偽善」になります。相手に届けてみなければ、善か偽善かは分かりません。
悪意は一発で人を傷つけますが、善意は何度繰り返し伝えても足りないものです。一度で足りないなら二度、三度、積み重ねていくものが善意であり共感だと思います。継続しない一度きりの完璧な善などは空想のものに過ぎません。完璧を目指すと、人に共感もできませんし、善を成すこともできません。
私はそう思っていますから、少しでも希望があるなら、相手のことを少しでも好きな気持ちがあるならば、質問や会話を繰り返しながら継続していくことが善だと思っています。


私は、はじめからこのような私であるわけではありません。全て支配され失い諦め、手離した状態から、自分で作り上げてきました。多くの人の助けも借りました。過去の私は、自分を守ることができませんでした。あらゆる手段を使い知恵をこらしましたが、あなたが思われているように、自分が能無しだと思っている間は、守っているようで守れませんでした。生きている意味や幸福を全く感じられませんでした。

ここに書いている私だけが私の全てだと思わないでください。だからこそ、これからの関係に希望があるのだと思ってください。
調子を崩すと、私も人間不信の真っ暗闇に沈みます。今度、いつ沈むか分かりません。でも、浮上したときには精一杯、私の希望をお伝えするつもりです。


長々と書きました。
全て断定形で書きましたこと、自分勝手な判断ですが、あなたを傷つけることは避けられないけれど、痛みと同時にあなたに確実に私の思いが届きますようにと祈っています。

私が、今の依里さんからお聞きしたいことは、ただ一つだけです。
なぜか私へご自身の経験を語られます。
それは、なぜですか?

そのことだけでも、1ヶ月、2ヶ月かけてお話したって私はとても有意義で楽しいことだと思います。同時に、私がなぜ依里さんとお話したいかもお伝えできると思います。

個人的なお話でしたら、メールという方法もあります。フリーアドレスでも教えていただけましたら、ご連絡します。

あなたとここでお話したいと感じてらっしゃる方が、ここに来ていらっしゃいます。
あなたと対等に話したい、あなたに偽善と取られてもいいから思いやりを届けたい、届かなくても共感したいと思っていらっしゃる方は、私だけではありません。

今回のコメントで、私と関わることが苦痛だと思われましたら、お返事は結構です。
私と依里さんの関係は、私とあなたで半分ずつ決めます。
私は、次回もお話できることを楽しみにしています。あなたの趣味のお話や、ペットのお話、ご主人のお話、何でも構いません。あなたがブログを作られるのでしたら、私は喜んで遊びに行きます。

私のお返事です。
判断の半分は、あなたのものです。
依里さんが、決めてください。
私は、あとは祈るだけです。



追記です。

>初めに、美鳥さんの意図を感じ取る事ができなかった事について、美鳥さんを傷つけてしまったことについて、申し訳なく思っています。

私は、実はコメントやメールは推敲できず一発書きです。ですから以前書いたかと思いますが、感覚で書いています。意図はありません。そんな感覚で書いたなぁと後になって思っただけです。

私は傷ついていませんから、安心してください。私が傷つくのは、あなたがあなたを偽るときだけです。
あなたは、ご自身を偽らない方だと今回分かりました。ですから、私は傷ついていません。

2008/02/28 18:41 | 美鳥 [ 編集 ]


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2008/02/29 23:54 | [ 編集 ]


>>鍵コメ依里さんへ 

依里さん こんばんは。
お返事、ありがとうございました。
大切に拝見しました。

私は、あなたのことを掴んでいるわけではありません。私が通ってきた道、私が知っている感情、恐怖、防御法だから知っているだけです。
それから、あなたと共感しあえたらと思っています。

依里さんから、はじめて、依里さんの感情をお聞きできた思いで、嬉しいです。
あなたが、私に「うれしい事」を伝えてくださったのは、初めてです。
ありがとうございます。
私まで、嬉しくなりました。

>美鳥さんの存在に実感が沸いてきました。

良かったです!
私も、実は今回のコメントを頂いて、初めて依里さんとちゃんとご挨拶できた気がしました。

今、実はあまり体調と心理状態が思わしくありません。
落ち着いて、必ずお便りします。

私も、フラッシュバックなど起こす可能性があるため、依里さんと共感すればする程、また依里さんも私の存在を実感すればする程、距離が難しくなっていきます。
依里さんが私に聞きたいと思ったこと、私が依里さんに聞きたいと思ったこと、キャッチボールのように少しずつ、お話できたらと思います。
時間は、たくさんあります。
依里さんが決めてくださいました。
アドレス、ありがとうございます。
短い会話でしたら、お話できます。


前回の私のコメントは、荒療治と表現すると傲慢に過ぎ、お恥ずかしいですが、これが最後と書きました。
あなたに届いて良かったです。
あなたが受け取ってくださる方だったこと、感謝します。あなたがもし受け取ってくださらなければ、私は傷ついていたかもしれません。

少しずつ、お話できればいいですね。
私は、いつでもここにいます。
お気が向いたとき、またお声をかけてください。
アドレスへは、後日、私事の理由で短くしか書けないかもしれませんが、ご連絡させて頂きます。
お返事が遅れまして、申し訳ありません。
お応えくださって、本当にありがとうございました。

2008/03/03 21:20 | 美鳥 [ 編集 ]


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2008/03/04 20:39 | [ 編集 ]


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プロフィール

美鳥(みとり)

Author:美鳥(みとり)
被虐待サバイバー。解離性同一性障害、うつ病、対人恐怖症ほか色々闘病中。境界性パーソナリティ障害寛解しました。毎日の光と影を綴ります。生育歴・来歴・病歴・活動はこちらをご覧下さい⇒<はじめに Profile>

講演活動・ユーストリーム放送しています。
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診断名の有無に関わらず、生き辛さを抱える方々と温かい繋がりを目指しています。ご感想ご意見など、お気軽にどうぞ。お待ちしています。

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