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2008/02/09 (Sat) キッチン 1

私が生まれたとき母は
「この子は、東大に入って女医になる」
そう確信したという。

私は、決して勉強ができないわけではなかったが、
東大に入って当然、良い大学に入って当然、
そんな両親の下では、手離しに褒められることは殆どなかった。
何度良い成績を取ろうとも、最終的に東大に入って女医になるまでは、
両親は決して満足しないし、私もそれをよく分かっていた。


6歳の頃、今の実家がある土地へ、祖母と両親、弟と引っ越した。
新築の一戸建ては、両親と特に祖母の自慢だった。
小学生の頃は、友達の家へ遊びに行って帰って来る度に、
私が、友達とどんな遊びをしたかではなく、
家の綺麗さ、家具の高級さ、出てきたおやつの量と質、
友達の着ている服の質、友達の両親の様子、
質問責めにされるのが常だった。

何度も繰り返し質問されていると、
友達の家に遊びに行く度に、
私は頭の中にチェックリストを携えていくようになった。
両親や祖母たちに喜んでもらうため、
しっかり友人の家の貧しさや粗雑さ、ケチぶりを記憶して帰らねばならない。
そして、両親や祖母が後で喜ぶように、
友達の親に完璧な礼儀正しさを印象付けねばならない。

どこへ行こうと誰と遊ぼうと、私は単なる両親や祖母の偵察機に過ぎなかった。

両親たちは、私が持ち帰る情報に大喜びだった。
何度も同じことを訊いてくるから、どんな情報が嬉しいのか分かる。
「あそこの家は、壁の木板が合板で安物だ」
などと言うと、何度も
「あそこの家の壁はどうだったって?」
と、私の口から何度でも聞きたがった。

「おやつは、ポテトチップス一袋だった」
「麦茶だけだった」
「何も出なかった」
そんな情報も大歓迎だった。

逆に私の家に遊びに来る友達は、まるで大臣か何かのように歓待された。
食べきれない位のお菓子、フルーツ、
1時間おき位に次々出てくるあらゆる飲み物。


両親と祖母が喜んでくれるから、私は得意満面だった。
友達の家を両親たちとあざ笑う時間は、楽しかった。
嬉しかった。

両親と祖母の、私への期待は相当大きかった。
小学校に上がる前に、今の土地に越してきて、
一番に両親たちが調べたのは、地元の高校の数とランクだった。
小学校にあがるときから、私は、地元でトップの高校に行くように言われた。
校区の関係で、地元には30程の高校があった。
その中で1番の高校へ。
2番目、3番目になど行くなら馬鹿だ、
というのが私たち家族全員一致の感覚だった。

無邪気に私は、トップの高校へ行くのだと信じた。
それ以外の選択肢など、考えもしなかった。
そして、「トップの高校」がどこにあって、どんな学校なのか、
私は全く興味がなかった。

とにかく、トップだから意味がある。
近所に自慢できるから、トップの高校に行くのだ。
そして、私は女医になるのだ。
とにかく、両親が自慢できる職業に就くのだ。


中学に入ると、私への期待はいよいよ増した。
ついに高校受験だ、という期待と熱気を、中学入学の日、
両親と祖母から感じた。

学校生活など、どうでもよかった。
学校でいじめられようが、何があろうが、とにかく毎月の試験の結果のみが
私の家庭内での地位、扱い、おやつ、小遣いの額まで決められる。
弟と競わされ、向かいの家の子と競わされ、家での会話は成績と受験の話のみ。
学校生活では、虐めと馬鹿げた友達との争い。
塾では、成績順に毎月、席替えが行われる。
一番前の左から右へ、後方へ。
誰が今一位で二位で、どれだけ勉強が出来るのか、席がえで分かった。
毎月、見せしめとして後ろから三人までは、「ケツバン」と言って、
皆の前に立たされ、教師に背を向けて黒板に手をつけて尻を差し出す。
そこへ、「ケツバン」のための「ケツバン棒」で思い切り叩かれる。
ものすごい音がする。痛みも、凄い。
しばらく、席に座れなくなる。
知っているのは、私もその後、地を這うような成績を取るようになったからだ。

ケツバン棒は、厚さ数センチある木の板で出来ていて、
握り手は、握りやすい太さで、重く、
あれだけの生徒を叩いても折れないのはすごいものだ、
と休憩時間に触って、思った。

叩かれた瞬間の生徒の痛がる様子は、愉快だ。
優越感と、生贄への親しみ、自分ではない安堵。
他の生徒たちは嘲笑した。
私も、毎回思わず笑った。
私は、常に一番前の列に座っていた。
勉強ができない人とは、一体どれほどの馬鹿なのだろうと不思議でもあった。
勉強なんて、簡単じゃないか。


祖母の提案で、私と下の弟は、あるレースに参加させられることになった。
学年350人ほどの中学校だったが、
その中で、テストの度に何位を取るかで、お小遣いを決めるというものだった。

ある日、母に呼び出された。
「話し合った結果、こんなふうに決まったから」
と、ある紙を渡された。
話し合いも、決定通知も、私の偵察結果報告も、成績表の提示も、
罵倒も、暴力も、虐めも、お前は狂っている、死ね、などの暴言も、
全ては、新築の家、自慢の「白亜の城」のキッチンで行われる。
機嫌が悪いとすぐに暴れる父の舞台も、やはりキッチンだった。

母が丁寧に定規と色んなペンとボールペンを使って描いた表だった。

1位は3万円。
2,3位は、1万円。

その後は、4位?8位、9位?15位、16位?25位、26位?30位。

全てに、金額が書き込んであった。
30位以下は、表に存在しなかった。
つまり、お小遣いは0円だ。

「こうは書いたけれど、5位以下は、本当は書きたくないのよ。
そんな成績取るなんて考えられないから」
と、母は、おっとりと言った。

当時、1?5位を常にとっていた私は、なるほど、と思った。
確かに30位以下どころか、10位以下だって、馬鹿が取る成績だ。
私には、関係ない。


私は弟を蹴落とすことを考え、弟は私を憎んだ。
両親と祖母の愛は、成績や行いによって激しく変動する。
奪い合い、競り合い、どうすれば自分が生き残れるか考えた。


システムに違和感を覚え始めたのが、中学一年の後半だったと思う。
いくら良い成績を取っても、
望む両親と祖母の愛は手に入らない気がし始めた。
これは、永遠に終わらない従属関係のように思えた。
目の前にぶら下げられたニンジンを追って走り続ける馬。
学校では私は「礼儀正しく勉強が出来る子」だが、
家庭では、永久に「ニンジンを追って走る馬鹿」なのではないか。

成績が、落ち始めた。
両親たちの自称、白亜の豪邸の一室、キッチンで、
私は毎晩、両親と祖母から馬鹿にされ嘲られ罵られ殴られ怒鳴られ、
毎日死にたいと願い、明日殺されるかもしれない、もしくは、
いっそ殺して欲しいと、両親や祖母に絶叫し、懇願した。



この先を、書かねばならない。
思い出した、この先を。

高校受験と、合格したその日のことを、書かねばならない。

私が、数十年後に必ずやり遂げてやる、と復讐を誓った日のこと。
復讐が、私の夢そのものになった日のこと。
復讐心は、家族だけの留まらず、世界中への憎しみへとなった。




私の記憶の、ほんの一部。
この記憶が蘇ったことで、自身の今を考えた。
今の私は、生まれたときから決まっていたように思う。

「東大に行って、女医になる」
それは、新しい命を生み出した母ならば、誰でも願うものなのか。
両親と祖母の願いを叶えるべく私は生まれたが、
あるときから私は、
両親と祖母の願いを裏切り復讐するため生きるようになった。
私の人生を、支配し続けている、両親と祖母の期待。
これは、愛情だったのか。


決して告白できない過去がある。
私はそれを、誰にも告げず墓場まで持って行こうと決めている。
その過去に比べれば、こんな過去は、取るに足らないこと。
思い出したといっても、具体的には、やっぱりどれも曖昧で掴みどころがない。
それでも、書くべきだ。
思い出せることを、思い出した分だけ。

また、記憶がどこかへ去ってしまう前に。


一日中、破壊欲求が止まらない。
蘇った過去が、私を殺そうとする。
何を壊したいのか分からない。
薬を飲んで、眠れるだけ眠った。
それでも、数時間すれば目が覚めてしまう。

愛情と性、破壊欲求。
これが私のテーマらしいが、じゃあ私は何をすべきだ。
破壊すべきだ。
破壊したい。
壊したい。



破壊すべきは、何だ。





◇キッチン 2 へ続きます。

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2008/02/10 00:06 | [ 編集 ]


>>鍵コメdさんへ 

このような記事に、コメント本当にありがとうございました。
私の体調が思わしくなく、お返事が遅れました。
申し訳ありません。

大切なお話をお聞かせくださり、心から感謝しました。何度も読ませていただきました。

>事実だけ書きました。こんな文書ですみません。あなたに報告したい気持ちになったので急いで書きました。

ありがとうございます。
事実だけが書かれたコメント。
しかし、あなたの思いが文面から強く私に訴えかけてくださいました。

あなたが、私にとって苦痛の記事を読んでくださり、何を私に伝えようとしてくださったのか、私は確かに感じ取れました。
受け継がれるものは、
負の遺産だけではないのですね。
あなたは、ご自身の大切なルーツを私にお話くださることで、私へ、未来への希望を語ってくださったのだと思います。

ありがとうございました。
私の気持ちの整理がつきましたら、後日、あらためてあなたのブログへ訪問させて頂き、コメントさせて頂いてもよろしいでしょうか。

とても貴重なお話を、ありがとうございました。
あなたが私へ送ってくださったような優しさ、励ましの方法もあるのだと驚いています。
心から、感謝いたします。

2008/02/11 23:15 | 美鳥 [ 編集 ]


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プロフィール

美鳥(みとり)

Author:美鳥(みとり)
被虐待サバイバー。解離性同一性障害、うつ病、対人恐怖症ほか色々闘病中。境界性パーソナリティ障害寛解しました。毎日の光と影を綴ります。生育歴・来歴・病歴・活動はこちらをご覧下さい⇒<はじめに Profile>

講演活動・ユーストリーム放送しています。
講演のご依頼ご相談は、当ブログメールフォームからお願い致します。

診断名の有無に関わらず、生き辛さを抱える方々と温かい繋がりを目指しています。ご感想ご意見など、お気軽にどうぞ。お待ちしています。

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