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2008/01/28 (Mon) 処女の足だって縺れる

私は、宮崎駿作品が苦手だ。
殆どの日本人が宮崎駿を好きなようだ。
CMだとか宮崎駿の仕事ぶりだとか、
やたらマスコミがもてはやす風潮にある。
こんなことを言えば、殆どの日本人に嫌われるだろうが、
私は、宮崎アニメは、生理的に受け付けない。

あああああ・・・言ってしまったよ・・・!


なんだかんだで結局殆どの作品を見ていて、
セリフを一部覚える位には、何度も見ている。
しかし、正直、落ち着いて見ていられない。
そわそわする、苛々する。
和みはするが、落ち着かない。
感動はするが、どこか腑に落ちなくて居心地が悪くなる。
肝心のヒロインに、なぜか全く感情移入できないのだ。
「魔女の宅急便」と「耳をすませば」は、例外。
大好きだ。何度も見た。


MTに、宮崎駿作品は、私は見るのしんどい、正直嫌い、と話したら、
そりゃそうだろ、とあっさり返ってきた。
え、なんで?と訊いたら、

「宮崎アニメに出てくるのは、全員少女やん。
 姉貴、少女が嫌いやん」

と言われた。


ああ!そうか!そうだよ!
凄く納得した。
さすが。
私の嗜好を知り尽くした、彼ならではの鋭い一言。


宮崎アニメを見ていて、いつも私が無意識に呟きたくなる言葉は、
「どいつもこいつもセックスしてから、もっぺん出直してきやがれ」
という、下品も下品、
酒瓶抱えてやさぐれた、おっさんみたいなセリフである。
実際は、もっとアレな言葉で毒づいていたりしなくもないが、
私の人品も疑われかねないし、禁止用語なので控えておく。

子供の情操教育には、とても優れた映画だと思う。
宮崎アニメを否定する者は、
純真な子供心を解さない日本人、という空気をひしひしと感じるが、
その空気ともども、私には息苦しい。私の心が薄汚れているのか。
しかし、私は大人であって子供ではない。
あくまで大人の私の目線で書いてみようと思う。


「少女が嫌い」

確かに。
私は、大人の心を宿した少女は好きだが、
少女ということに甘んじている少女が好きではない。
肉体的に処女だろうと、どうでもいいが、精神的処女が苦手だ。
大人にも、この「精神的処女」がいて、
そういう女性が私はとても苦手なのだが、
詳細を書いていると、この先の本題からずれるので、今は控える。

いい女になりそうな空気を、肌身離さず持っている少女が、好きだ。
年齢関係なく尊敬する。
あまり見かけないが、たまに、そんな奇跡的な少女はいる。


宮崎作品に登場する少女は、全て「精神的処女」に見える。
この「精神的処女」は、宮崎駿世界を構築している象徴的柱だ。
宮崎駿映画に「いい人」は登場するが、「いい女」は出て来ない。
登場人物の男も女も、ことごとくセックスしなさそう、と感じる。
作中、たまに大人の女が出てくる。
でも、皆大人の顔をしているだけで、色気がない。
ズボンをはいている、スカートをはいている、
しかし性器を持たない、そんな人形劇を見ているようで、
私には、窮屈で仕方ない。
リカちゃん人形を着替えさせているときに、
何となくスカートをめくって性別を確認したくなる違和感に似ているのか。
これじゃ、ただの変態と思われかねないので、別の言葉を選んでみる。


「いい人」になることは、案外容易い。
しかし、「いい女」の空気を少女でいながらにして纏うには、
少女本人の意志と大変な努力がいる。
無邪気なままでは、決してなれない。
「精神的処女」は、無邪気で一途で、よそ見をしない。
そんな「少女」が主人公の物語。
私が、宮崎アニメに感情移入できない理由は、
そこらへんにあるのだと思う。


いい女が出て来ない作品というだけで、
嗜好が偏った私は、興味が半減する。
宮崎アニメは、私にとって肝心な「色気」に欠ける。
宮崎駿自体、色気なんて出す気はないだろうから当然だが。
例外の二作は、どこか色気を感じるから好きなのだろう。
主人公が「少女」でなければならない説得力がある。
私にとっての「いい女」とは、
大人であることを存分に味わえる度胸を持った女だ。
大人となることを、自覚して行動する少女だ。


宮崎駿は男性だからなのか、少女に夢を持てて羨ましいと思う。
宮崎アニメの少女は、まるで草花のように、すくすくと、
真っ直ぐ太陽目指して、美しい雨粒だけを吸って息をしているかのようだ。

私にとって、少女とは、もっと、生まれもって女だ。
まなざしは真っ直ぐでも、体は基本的に軟体で、しっとりと潤っている。
精神は、外気に敏感で、刺激によって、くぼんだり膨らみを帯びたり、
うねりを伴ったりする。
少女の精神には、生まれながらに女という機能が具わっている。
一例として、女というものは幼女であっても、友達との関係性や、
他者との力関係を、誰から教わるでもなく、肌で知っていたりする。
少年とは、まるで違う。
私から見ると、少年の方が草花に近い。

そういう少女という存在が先天的に持っている生々しい女らしさに、
宮崎駿は常に虚勢手術を施す。
メルヘンチックな手法で、女性器を縫い閉じてしまって作品を仕上げる。
それが、宮崎作品の魅力なのだと思う。
宮崎アニメの中には、幻想の子供、理想の少女が生きている。


ここまで宮崎駿を連呼しておいて何だが、
実は、この記事は、宮崎駿のことを書きたいのではない。
例の「世界で一番聞く価値のある言葉は?」の、あの映画についてである。
映画評など、文才のない私には到底無理だ。
例の映画で与えられた衝撃は、昨日の今日では、ちょっと言葉にできない。
けれど、そのうち感想位は書いてみたいな、と思っている。

私に、文才がないばかりに、まずは宮崎駿などを持ち出している。
宮崎駿について語りたいのではなく、
あくまで私が、「精神的処女性」がくだらない、
と思っているのだと理解していただけると有難い。
有難いというか、平身低頭、お願い致します。


次は、私の体験を持ち出して、文才の欠落を更にカバーしてみよう。

海外を旅行したときのことだ。
いわゆるバックパッカーで、あるヨーロッパの町に泊まった。
気が優しいゲイ男性が一人で管理している可愛いコンドミニアムだ。
5階建てのアパートの2階部分だけが、観光客の宿泊用になっていた。
出入り口で、アパートの住人の少年に出くわした。
彼は、6,7歳に見えた。
当時、私は二十歳くらいだったと思う。
少年は、女性である私を見るなり、さっと身を引いて道を開け、
ドアを押さえて手を差し出し、「どうぞ」と彼の国の言葉で言った。
彼は、少年だったが、既に立派な大人の端くれだった。
私は、思わず日本の6,7歳の子供と比べてしまった。
率直に言えば、日本の子供は彼に比べて遥かに幼稚だと思ったのだ。

育てる親の意識も、多分全然違っているのだろうし、
日本の子供のあり方と、海外の子供のあり方、
自立心の養われ方などが、まるで違うのだと思った。
日本では、子供が子供らしくあることが良しとされる傾向にある。
大人と子供の区別がつかない子供が多い。
実際、子供だか大人だか分からない大人もいるけれど。

その国では、子供と同様に、老人の姿も、日本とはまるで違った。
明るい色の衣服を身に付け、ユーモアセンスがあり、
いつでも恋する準備が出来ているような老人が、多く目に付いた。
大人になって、失ったものを数えるのではなく、
「大人」でいることの愉しみや幸福を、
現在進行形で味わい続けている人たちと、多く出会った。



長々と、前置きを書いた。
「精神的処女性」に価値、関心を見出せない私は、
大人であることの豊かさと味わい深さの真髄を、
先日出会った映画から、再び、痛烈に感じたのだ。


前回の記事で書いた、映画に登場するセリフ。
「世界で一番聞く価値のある言葉」の正解は、


「Pussy」



映画「セント・オブ・ウーマン」の中で、
アル・パチーノ演じる、失明した老人が言ったセリフである。
耳を疑うが、本当にこれが、
ストーリー展開においても重要なセリフの一つだ。


上記に限らず、
この映画のセリフは、全て名言、と言っても過言ではない。
これ以上に素晴らしいセリフ、胸を打たれたシーンは数え切れない。
多分、MTは、その中から、間違いなく私が飛びつくシーンを
見事ピックアップして、私に話した。
今となっては、この映画と出会わせてくれたMTに感謝している。


冒頭から最後の最後まで、
人間の喜怒哀楽全てが詰まった映画だった。
こんな作品が作れるものなのか、と、ただただ驚嘆。
既に見た方も、たくさんいらっしゃると思う。
何年も前の映画みたいだから。
素晴らしい映画だった。

以下は、見たことがある方にしか分からないかもしれない。
ちょっとだけ、ネタばれ注意。



自殺シーンが、リアルだ。
作り物である映画に対して言うセリフじゃないかもしれないが、
あれは、作り物じゃない真実のシーンだ。
自殺を止める、命を救うには、等価の命を要する厳しさ、現実がある。
そして、今日生きられれば、今はそれでいいのだ。
銃を置くことを、
「放棄するのではない。ただ、ここに置くだけだ」
という言葉が、それを象徴している。
下手な映画だと「二度と死ぬなんて言わない」
などと、安いセリフを吐くシーンだろう。
明日のことなど見える位なら、人生、苦しみもなければ味もない。


子供であるということは、損だ。
人生を味わうための舌が、未発達なのだ。
大人になることは、大切な何かを失う、なんて言葉は嘘っぱちだ。
子供でい続けるということは、
人生の味わいを取りこぼしていくことなのだ。
大人になること、一人の人間としての人生、
その苦味も甘みも味わい酔えることは、何て豊かで贅沢なことだろう。
ジャックダニエルを、「付き合いが長いから」と<ジョンダニエル>と呼ぶ老人。
時間をかけてじっくり熟成させた人生の芳醇な味を、
味わえる舌を持つ人に、私は熱烈に憧れる。
囲炉裏端で背を丸めて、もっともな人生訓、昔話を語る老人もいいだろう。
けれど、私自身は、年を取ることを楽しみ、
楽しみ続けて、悩み続けて、若者と対等に生き続けていたい。
アル・パチーノ演じる老人が、咆哮のように若者に投げつけた言葉。
「Grow up!!」
腹の底まで響いた。



ジョンダニエルを味わい、ダンスも女性のエスコートも完璧、
しかし盲目の老人の足もまた、
ときにもつれ、倒れこみ、往来でひっくり返る。
「足が、もつれても踊り続ければいい」
タンゴの調べが、あんなに美しいとは思わなかった。
人生、誰もが足はもつれるもの、
それすら味わい楽しむことが、生きるということなのか。
それとも、もつれる足が、既に人生の味わいそのものなのか。


人生の泥沼に足を取られ続け、視覚を失った老人にとっての
「世界で一番聞く価値のある言葉」は、「Pussy」。

「セント・オブ・ウーマン」は、
人間くさい生き方とユーモアが大好きな、私の心を鷲掴みにした。



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こんにちは 

精神的処女性がくだらない、というこの記事、なんだか特別な感銘を受けました。感銘、衝撃。なんだろう。私が同じく宮崎アニメの主人公の少女達のように(あんなに美しくも強くもありませんが)、女性性を虚勢された大人であるというように感じつつ生きているからかもしれません。宮崎駿の世界の中性的なヒロイン・ヒーローが支持されているのかもしれませんが、現実で生きている人間が、自らの持った性を排除して生きようとすると、やはり歪みやいびつさが出てくるよなぁと思います。って、自分語りをつらつら書いてしまってすみません。

セント・オブ・ウーマンは見たことがないのですが、「Grow up!」っていい言葉ですね。人間がなんのために生きるかって、草花や動物のように育つために生きるのではないかなと最近思うようになってきています。私も本当の意味での大人に育っていきたいものだな…。
ところで、日本で宮崎駿が苦手って言うの、タモリが嫌いって言う以上に勇気がいることかと思います。美鳥さんの勇気に、拍手!

2008/01/29 11:18 | hima [ 編集 ]


あー。 

なるほど。
ぼくは文章がうまくないからアレコレと書けないけど、この記事を読みながら鳥肌が立ちました。
実はこれで何度目かわからないくらい読み返したんですけどね。

プッシーの話もまた興味深かったんですが、個人的には宮崎駿の作品について書かれていた部分。
すっげーとオンと他!
…ほら、興奮してキーボードを打つ指までこうなる。
思った、です
凡人はなにか違和感を感じてもそれを明確に自己分析できましぇん。
あるいはしようとしないか、気付かずに通り過ぎてしまう。
ちょっとここで考えてみるのが、感性・感受性を育てることに繋がるんでしょうけど、それをさぼっている人間はもったいないほど多いですね。

さてさて宮崎駿の作品ですが、おいらはもののけ姫とほたるの墓(これは絵だけ?なのかな?)以外はさほど見入ったことがありません。
美鳥さんと同じく一通りは見ましたが、うん…、で、どこで感動したらいいのかな?という具合。

もののけ姫は人物がどうとかより、壮大な自然と動物をメインに見ていましたね。
ほたるの墓はやはり時代をメインに。
そう考えるとぼくも宮崎駿の作品に、登場人物の個性を求めてはいないかも。
その背景に関心があるだけで。
だからと言って、嫌い、とまではいかないし、子供は喜ぶので見せたりしてますが。

魔女の宅急便は主人公のキキが飛べなくなるのが印象強いです。
あれはきっと初潮を迎えたせいなんだろうな、と勝手に思っています。
ただそれだけでなぜかキキを見る目が変わりましたね。
そういうのを感じるのは女性特有かもしれませんが。

2008/01/29 15:00 | [ 編集 ]


>>himaさん 

ひ・・ひまちゃん・・・!
こんなコメントしづらい記事に、コメント、ありがとうございます!
正直、ブルッてまして、himaちゃんからコメントいただいたときには、神の救いのように感じました。
後光さしてるよ(笑)

>日本で宮崎駿が苦手って言うの、タモリが嫌いって言う以上に勇気がいること

「タモリ」基準なんや(笑)爆笑しました。
なるほど、と心から納得できる基準です。
実は、この記事をアップしてから「宮崎駿」で検索してみたら、どこだったか、検索結果を円グラフで表示するところがありました。
見てみたら、「宮崎駿」の記事で75%は「肯定的記事」と書いてあって、否定派はわずか10%足らず・・。ああ・・・もう殆どの人を敵にまわしてしまったよ、と、潔く自分を諦めていたところでした。

アダルトチルドレン、引きこもり、いじめなどについて考えるとき、同時に精神的処女性について、いつも考えます。
感覚をうまく説明できなくてもどかしいんですが、
私が説明できない部分を、himaちゃんが、うまく汲み取ってくださった気がしました。

>現実で生きている人間が、自らの持った性を排除して生きようとすると、やはり歪みやいびつさが出てくるよなぁ

私も、そんな感覚です。
社会と関わる上で、名前の次に性別を自然と意識するのが人間ではないかと思います。幼ければ幼いほど、そういった人間の根本要素をまず意識して育っていくんじゃないかなぁ、と。
本来備えつけられている受動的な「性」に対し、能動的に関わっていこうとする姿勢が、少女を脱して大人へ成長する重要な過程のように感じます。
社会(家庭や学校も含め)と関わるための、生身の身体を持った人間としての能動性を意識することが、自立の第一歩なのかな、と。
そこから、人の中でどんな自分を表現し、どんな自分を受け入れてもらいたいのか考え行動し、アイデンティティーの確立へと繋がっていくように思います。

>草花や動物のように育つために生きるのではないかなと最近思うようになってきています

himaちゃんと同じ意味なのか分かりませんが、最近ちょうどそんなふうに思っていたところで、興味深いコメントでした。
私は、動物のように生きることを目指しすぎていたなぁ、と。3倍頑張っていたという、あれです。
最近読んだ本の一節から、ああ、私はしばらく植物のように生きてみよう、と思いました。

何だかhimaちゃんには助けられっぱなしです。
ありがとうございました。

2008/01/29 23:01 | 美鳥 [ 編集 ]


こんばんは。 

面白く読ませて頂きました。眼からウロコのような,面白かったです。鋭いです。
私は「嫌いなものは嫌いというタイプ」・・・ちょっと違うな,好きとか嫌いじゃなくて「駄目なものを駄目と言ってしまうタイプ」です。
人ってみんなこだわりが違いますよね。例えば散らかっている部屋が気になる人は片づけないと落ち着かない。逆に気にならない人は散らかっていても全然気にならない。
これは部屋でなく万事のたとえです。
世の中には,心の中のスケールの違いが存在します,が,皆,意外と気づいていない。はっきり言われたときに気づいて傷ついて仲が悪くなったりします。私はつい言っちゃうようで。散らかっているよと。(駄目なものは駄目だよと。)スルーするかこだわるか,皆違うのですが,そんなことまで考えてあげない自分がいます。事実やもんな~と納得してしまう自分がいます。

的を得ていないような気もしましたが,心に浮かんだことを書いてしまいました。何か書きたい衝動が起こりました。初めてなのに済みません。

また,寄らせて下さい。読んでいて何か爽快な感じがしました。

2008/01/30 00:05 | df504 [ 編集 ]


>>楸さん 

ひさぎさん こんにちは。
何度も読んでくださったということで、本当に至らぬ文章ですので、羞恥プレイのような心境です。
お返事を打っている私の指も絡みがちで、ひさぎさんの誤字同様、二人で何やってんだか状態ですね(笑)

ひさぎさん、文章すごいうまいですよ。不思議です。うまいのに・・・?
いつも滑らかな語り口調で、笑わせて頂いてます。完璧なネタフリとオチ!大好きです。

>うん…、で、どこで感動したらいいのかな?という具合。

爆笑!そうそう。そんな感じなんです。仲間がいてよかった~!
もののけ姫は、私は映画館で二度見みました。何となくなんですが、ナウシカを作った段階で見逃していたあれこれを、カバーしたかった映画なのかな、と思いました。どちらにも一貫しているのは、自然の神には生娘を捧げるべき、という日本古来の処女神話がベースになっている点かと思います。違うかもしれません。

>魔女の宅急便は主人公のキキが飛べなくなるのが印象強いです。 あれはきっと初潮を迎えたせいなんだろうな、と勝手に思っています。

ひさぎさん凄い!そうですね。飛べなくなるんですよね。あそこらへんのくだりが、私は大好きです。自然がどうだじゃなくて、一人の少女として、大人として、キキが初めて人の中で孤独を味わうじゃないですか。初潮を迎えたときほど、少女が孤独を味わう瞬間はないと思うんです。そうでしたね~ひさぎさんの言葉に、手を打って納得しました。

先ほど、ひさぎさんのブログにお邪魔したら、エロスネタで某方と私をご指名くださってまして、爆笑しました。記事内で名指しいただき光栄です♪ 後でコメントに参りますね~!
コメントしづらい記事に、ありがとうございました。

2008/01/30 14:11 | 美鳥 [ 編集 ]


>>df504さん 

df504さん ご訪問&コメント、ありがとうございます。
記事を読んで感じでくださったことを、思うがままに語ってくださること、私はとても嬉しくて楽しみにしています。
ありがとうございます。

写真を拝見していてお人柄を想像するのみでしたが、こだわりが強い方なのだとコメントからお察ししました。何気ない瞬間を切り取られるdf504さんならではの目線なのかなと感じました。

何かを自分なりに表現しようとしたとき、こだわりや思い切りというのは、大事ですね。強すぎる自意識が自身の体から溢れた分を、すくいとって初めて作品として成立するのかなぁ、と。写真や絵画、アート全般、ジャンルは違えど、最終的には自意識の扱い方が肝心なのかと思います。

とはいえ、私のブログはメンタルヘルスといわれる、ちょっと複雑な事情のブログで、臨床心理では「I'm OK. You are OK.」というスタンスが最善のようです。その間で、常に揺れます。
思い切って思うまま書いてみた今回の記事に、読者の方からの反応を怯えてお待ちしていましたが、この記事にdf504さんがコメントしてくださるとは、思ってもみませんでした。幸せです!
基本、エロ・グロ・ラブを柱とする当ブログですが、またお気軽に足を運んでくだされば幸いです。
コメント、ありがとうございました。

2008/01/30 14:51 | 美鳥 [ 編集 ]


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プロフィール

美鳥(みとり)

Author:美鳥(みとり)
被虐待サバイバー。解離性同一性障害、うつ病、対人恐怖症ほか色々闘病中。境界性パーソナリティ障害寛解しました。毎日の光と影を綴ります。生育歴・来歴・病歴・活動はこちらをご覧下さい⇒<はじめに Profile>

講演活動・ユーストリーム放送しています。
講演のご依頼ご相談は、当ブログメールフォームからお願い致します。

診断名の有無に関わらず、生き辛さを抱える方々と温かい繋がりを目指しています。ご感想ご意見など、お気軽にどうぞ。お待ちしています。

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