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2008/01/22 (Tue) 自殺は迷惑か

よそ様のブログで、なんじゃそら、というコメントを見つけた。
とても面白いブログなので、息抜きに通わせて頂いているのだが、
ブロガーさんが、ある日、電車の人身事故について書いた。
いつも明るい調子とは違い、ショックを受けた様子が伝わってきた。
そこに、ある人がつけたコメントが、こんなものだった。

「物凄く冷たいのかもしれませんが、故意の人身事故って、
色んな人に迷惑をかけるのだから、勘弁してほしいです。
生きたくても生きられない人がたくさんいる中、
自ら進んで永遠の安息を選ぶのなら、
それなりに人に迷惑をかけないようにしてもらいたいですよね」


私は、爆笑した。
すばらしいコメントだなぁ、と惚れ惚れした。すばらしい。
こんな完璧なコメント、そう滅多に出会えるものじゃない。
この手の人間が必ず言うキーワードを、
奇しくも全て備えた、パーフェクトなコメントだ。
冒頭に「物凄く冷たいかもしれませんが」と、
枕詞を決して欠かさぬ配慮も、また一流だ。
「生きたくても生きられない人がたくさんいる」
とは、この手の人たちの共通の教科書にでも書いてあるのか。


他人の生に頭が巡る位ましな状態なら、誰も死にはしないのだが。
いまだ自殺を「迷惑」といえる方たちのツルツルなオツムの中には、
綺麗なお花がいっぱい咲いてるんだろう。
さぞや「安息」で満ちているだろう。羨ましい。
こんな方には、一度ぜひとも自殺死体と対面して、
同じセリフで、自殺者に直接、大いに語って貰いたい。


このコメントを書いた誰かは、
自殺は全く自分と関係がないと高を括っているようだが、
自殺は、とても身近になった。
他人事じゃない世の中になった。
自殺者が毎年、増えに増えて、日本じゃ3分に1人自殺している。
実際、私の知人の中で、自殺した人は数人いる。
私の過去の恋人は、身内に自殺されてPTSDを抱えて生きていた。
私自身、一日中何とか自殺できないかと、それしか考えなかった。


その頃、私の仕事場の裏の駐車場が、
近所でも有名な投身自殺スポットだった。
現場に遭遇しないときでも、翌日、
飛び降りた人の身体で、破壊されたフェンスなどを、よく見た。
ブロックまで粉々に砕けていた。
それらの痕跡だけでも、私は、いつも言葉にならない衝撃を受けた。

そのビルが選ばれるには、理由がある。
人目に付かない階段で、自由に屋上まで上ることができ、
確実に死ねる10階以上のビル、そして、
裏通りに面した駐車場に、車があまりとまっていないからだ。
私の仕事場の駐車場から救急車で運ばれていった人たちの安否は、
翌日の新聞記事などで、知った。
自殺者の身元や年齢や当日の状況を読むだけで、胸が痛んだ。
階段入り口の防犯カメラから、時間も割り出される。
階段を上り始めて投身までの時間は、わずか3分。
九州から出てきた女子大生。
下着姿で朝に下宿先のマンションをふらふらと出て、
まっすぐにビルまで約15分ほど歩いて来て、
徒歩で階段を上り、3分後投身。
よく晴れた、青空の朝だった。
落下した場所が悪く、フェンスに一度直撃して落ちた。
そのために、直後は血まみれで、まだ息があった。
私が出社したとき、人だかりが出来ていた。
いまだに私は、
私の仕事場の裏で亡くなった人たちの出身地や経歴、年齢を覚えている。
忘れられない。


人の死は、すべて悲しい。
事故でも自殺でも病死でも老衰でも、悲しい。
そして人の死は、平等に重い。
私は、いつも思う。
命の平等は語られるのに、なぜ死の平等は語られないのか。


誰も心から自殺を望む人間なんていない。
本当に死が「永遠の安息」なら、今の瞬間にでも私は死ぬ。
心の病気のみならず、借金、不治の病、身体障害、老老介護、
生活苦、失恋、職場の人間関係。
懸命に生きていれば、死にたくなる理由には困らない。


苦しんで思いつめ、孤独で心の中に誰もいなくなったとき、
ちょっと背中を押されれば、ちょっと電車が走りこんでくれば、
思わず飛び込む、思わず飛び降りる、思わず首を吊る、
自殺とは、そんなものだと思う。
直前までは、誰もが何とか生きようと本能的に踏み止まっている。
生きることを本能とする生物だから。
しかし生きることが、苦しい。
一秒でも息をしていることすら苦しい。
苦しくて何度も発狂する。苦しいから、死へと背を押される。
生きようとして、死へ。苦しんで、死へ。
そうやって、少しずつ牛馬のように孤独に鞭打たれて、
死に追いやられるのが人間だ。
最後は、枯れ果てて干からびて、ぽとりと死ぬ。
センセーショナルな行為であっても、
自殺者の心は乾いて何の情動もない。
自分で「進んで」死ねるほど、死ぬことは楽じゃないし、
人間の意志は、万能ではないのだ。


人が死んだことを「迷惑」だと、片付けられる人間は、
なぜか、生きている人間にも、平気で「迷惑」だと言える。
自殺者のお陰で電車が遅れて、
会社に遅れて「迷惑だ」と言ってる位なら、
ああ、オツムがツルツルなんだね、と笑って一蹴できるが、
死に鈍感な人間は、人の生にも鈍感だから、嫌いだ。
実際「生きたくても生きられない」ような弱者を前にしても、
この手の人間は、きっと、こう言うのだ。
「物凄く冷たいかもしれませんが、
人の世話になって生きてる人って、迷惑ですよね」と。
病気でやむなく休職していても、
「あなたに休まれて、迷惑」「会社にしがみつかれて迷惑」
「暗い顔されてたら迷惑」「存在自体うざい」「給料泥棒」
「休めるなら私も俺も、病気になりたいよ」
平気で言う。


「物凄く冷たいかもしれませんが」と念入りに前置きしようが、
何だろうが、自分で前置きしているとおり「物凄く冷たい」のだ。
自覚がありながら、言いたがる。

こんな笑える人間が世迷言吐いても、
思想・言論の自由なんてものが、守ってくれる。
自殺者の思いは、守られない。
死んだら負けだと、こういう人間の言を聞くにつけ思う。
そんな甘っちょろい世の中だから、
私も大いに生きて、せいぜい遠慮なく毒づいてやろうと思う。



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自殺 | comment(19) |


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美鳥さんへ 

美鳥さんの記事を読んでいて、最初は眉間に皺を寄せて読んでいましたが、美鳥さんの最後の言葉で心がスッキリしました。
美鳥さん、大いに生きて遠慮なく毒づいてください!



2008/01/22 21:27 | [ 編集 ]


そのとおり。 

この手の人って、まったく何も考えずに、世の中で流通する最も安易な言説を語りますね。自分はあくまで部外者という発想です。こういう人は自分が善良な市民だと思い続ける事でしょう。多数派であれば何でも許されると考えているはず。でも、こんなことを言うと必ず怒りますからね^^。

2008/01/22 21:51 | ジブラルタルの風 [ 編集 ]


初めまして 

初めてコメントさせて頂く、楸と言います。
こんばんは。

とても頭が良さそうな文章を書かれるので正直尻ごみし、ぼくなどがコメントをして良いものか2時間ほど悩みました。
が、「こいつバカだな」って思われてもいいや。
高レベルなレスが返ってくると焦るので、お手柔らかにお願いしますね。

ぼくも似たような記事・コメントを見て眩暈を感じたことがあります。
そのブログではあろうことか、パニックになっている現場の写真まで撮って掲載してました。
やれ迷惑だの、罪だの、嫌悪するだの、迷惑でしかないだの、嫌な場面に出くわしたものだ、だの…。
そういう人たちは自分の残酷な行為(発言)が更に苦しんでいる人を追い詰めるということには気付かないんでしょう。
いや、おそらく気付こうとさえしないんでしょうね。
自殺が罪だと言うならば、自殺を間接的にでも後押ししている人たちの発言はいったいなんだと言うのか。
うーん…なんかモヤモヤします。

2008/01/22 22:57 | [ 編集 ]


 

なんだか世間の病気への理解の低さ、人への思いやりが欠けていることが露骨にでたコメントで悲しいですね・・・。

>命の平等は語られるのに、なぜ死の平等は語られないのか。

私もそれはとても疑問です・・・。
命が平等であるなら、自殺してしまった人の命も尊く思ってほしいですね。
(これは私の我侭かな・・・?^^;

2008/01/22 22:59 | マルタ [ 編集 ]


昔の私なら 

きっと、同じような事を言ったかもしれません。
「会社に着くのが遅くなる」とか。「早く家に帰りたいのに…」って。
でも、今は「生きたくても生きられない人がたくさんいる」から、死んじゃだめだ、って自分に言い聞かせるようになりましたから。人ごとにはできません。
それしか考えられない時って、ほんのささいなことで、ちょっとした事で、踏み越えちゃう気がしてなりません。
自殺してしまう人も、心の中では、必死に生きたくて生きたくて、でも苦しくて。の葛藤。
「生きたくても生きられない人がたくさんいる」そんな中の一人なんじゃないのかな、って思います。

自殺にしても、事故死、殺害にしても、日々亡くなる方のニュースで心が痛みます。

2008/01/22 23:08 | akatokikudachi [ 編集 ]


 

うつ状態が重い時って 本当に
理性はどこに行ってたんだろうと思う
くらい通常の心理状態ではないですよね。

意識がある間中、死ぬことしか
考えられなかったとき、あったなぁ。

子どもがいても 自分のような
人間だったらかえっていないほうが
よいと本気で考えてしまうようなことも。

今思えば そんなことは絶対無いぞ!と
言い切れますが。。

なんだかなぁ、そういう無神経すぎる
くらいのことを言い放つ方って

逆に、人生の暗い闇の部分をとても
怖がっていて、ないものとして意識から
無理やり追い出しているように感じることが
あるんだけどな。

だからこそ、そういうことをわざわざ
言わずにおれないというか。

もしかして怖いんでしょ~とか
言いたくなっちゃうときあるんですけど。。

2008/01/23 02:02 | ももつ [ 編集 ]


 

難しい問題ですね。私は歯痛で『死んで痛みがなくなるなら…』と考えた事があります。イジメや虐待でも思った事ないのに・・・。こんなの他人に言ったら笑い話ですが、私にとって本当に『背中を押される瞬間』であった事は間違いありません。本人にとって何が苦しみであるかなんて他人には知る由もなく、また他人にとっては笑い話でも、当人には笑って済ませられる問題でもなかったりします。
悩まない人には悩む人の気持ちは分からない。
『迷惑だ』と言い放つ人ほど、普段周りから迷惑がられている事に気付いていない張本人だったりするもんね。美鳥さんの今後の毒づきっぷり楽しみにしてます(笑)

2008/01/23 05:13 | monokuro [ 編集 ]


 

美鳥さん、こんにちは。

読んでいて、目がしらが熱ーくなりました。
私は関東に住んでいますが、都心に近付くにつれ、いつも殺伐として攻撃的で苛立ちが募るばかりの世界に見えて仕方がありません。
息苦しさを感じます。
人の死など他人事、他人事と認識するから死と向き合わない。
人間の生死より、たとえばプロ野球の結果のほうがよっぽど気になるのだと思います。

2008/01/23 12:52 | うさ枕 [ 編集 ]


>>空さんへ 

ありがとうございます。
鬱病など、心の病気を患った方は、病気の性質上、自分の権利や痛みを叫ぶ、訴える、怒る、ということが難しいですね。
怒りは見苦しいものだとこの社会では思われるようですが、辛い人、苦しい人を守るために怒りの声をあげ戦うことを、私は躊躇いたくありません。
力強い応援をいただいて、感激しました。
空さん、ありがとう。

2008/01/23 21:19 | 美鳥 [ 編集 ]


>>ジブラルタルの風さん 

ジブラルタルの風さんが仰るように、残念ながら、ここで取り上げたコメントがいまだ「世の中で流通する最も安易な言説」であり「多数派」ですね。
これだけ鬱病をはじめ、神経症、精神病患者が増え、テレビで鬱病への理解などのCMを見るようになったのに、いまだ無理解・無神経が主流だということに、愕然とします。
こういった言を平気で口に出来る人たちを少数派へと追い込まない限り、社会は変わらないのだと実感しました。
無神経・無理解が社会の主流であるばかりに、休職などしている方たちも、十分に治療に専念できず、余計な罪悪感や劣等感を抱くことになっているのだと思います。
社会の様相に目を向ける、大変参考になるご意見、ありがとうございました。

2008/01/23 21:28 | 美鳥 [ 編集 ]


>>楸さんへ 

楸さん あらためて。
はじめまして。
ご訪問いただき、また2時間も葛藤された由、全くの徒労です。が、私にお声をかけてくださった楸さんのご英断に、感謝致します。
あなたが最近書かれた「イ○ー!」(←お互いの立場を考慮しまして伏字にさせて頂きます)などの記事は私のドツボでした。楸さんがアホでしたら、私も相応のアホかと思いますが、いかがでしょうか。
頭が良さそう、とどこらへんで思っていただけたのか分かりませんが、難解な文章は愚かしいと思っています。分かりやすければ、いいのですが。

現場の写真までとは唖然としました。
私は、記事に書いたように、痕跡を見ただけでも胸が痛み、また胸が悪くなりましたが、そこにシャッターを向けられる人間というのも、また一流の鈍感人間ですね。
そういう方は、一生気づかないと思います。そういう方に向けて、私は何の主張も浮かびません。
後の記事での私信で少し触れさせて頂きましたが、この記事を書こうと思っていた矢先、楸さんの足跡から、楸さんが書かれた自殺未遂経験の記事を拝見しました。私が実感してきた「自殺とは見かけはセンセーショナルだが、自殺者の心は乾ききっている」という事実を、あなたの記事で確認した思いでした。
私は、今度、記事で詳しく書きたいと思っていますが、自殺は事件ではなく事故だと考えています。たとえ遺書を残そうと、本人に意志があろうと、自殺という結果そのものは、事故だと思います。
乾ききって重みをなくした体は、ほんの少しの風に吹かれるだけで、誰かの心ない一言で、誰かの何気ない悪意の気配で、人を死に追いやります。
飛び降りる、身を投げ出す、首を吊る、動脈を断つ、どれも簡単なことだと思うんです。
無神経な言葉とナイフは、何らかわらないことが、文字で交流するネットの世界から訴えることも出来るのではないかと、この記事を書きました。
楸さんの記事に描かれた風景は、どのシーンも、私の中の過去の情景と重なるものでした。
死んでしまった人たちには語れないことを、自殺から生き延びた人は語ることが出来ます。一人の生き延びた証言が、一人の亡くなった人の生の一片でも、語る言葉に代わればと願います。
失敗した後のあなたのご様子、心中、そして、ある日世界が美しく色づいた瞬間、走り出したあなた。
私自身の転落と再生を、再び見せていただいた思いでした。ありがとうございます。
今後とも、よろしくお願いします。

2008/01/23 21:53 | 美鳥 [ 編集 ]


>>マルタさん 

マルタさん こんばんは。
来てくださって、コメントまで、ありがとうございます。

>命の平等は語られるのに、なぜ死の平等は語られないのか。

自殺を考えるにつけ、いつも、私が悔しく思っていることです。この一文にコメントを寄せていただいたことが、とても嬉しかったです。ありがとうございます。
生を全うした者と自殺した者、決して平等に語られることはありません。だからこそ、自殺してしまったら負けだと思うのですが、それだけでは自死を望む人をとどまらせることは出来ないのが現実です。
周囲の者にとっても、自殺はその後の人生を根底から覆されてしまう行為です。でも、自殺というものが確かに存在する中で、自殺をどう捉えるのかだけが、生きる者に常に投げかけられている命題だと思います。
ブログを拝見していても、マルタさんは、とても鋭敏な感受性と優しい心を持たれている方だと感じます。コメントくださり、ありがとうございます。
また、お気軽に遊びに来てくださいね。
お待ちしています。

2008/01/23 22:01 | 美鳥 [ 編集 ]


ちょっとだけお久しぶりです。 

こんにちは。
無事退院しました。
またよろしくお願いします。

自殺・・・私も考えたことありました。

なんでとどまっているかと言うと、
私を否定するものへの怒りがあるからだろうね・・強烈な否定ね。

そしてもう少しやりたいことがある。
息子達の苦しみを自分の苦しみとして感じられる日が来るのを待ちたいし。
自殺された方はもういっぱいいっぱいだったのかな。
ひと言で済ませられることではないんですよね。
葛藤の毎日です。

2008/01/24 12:26 | 土鍋ごはん [ 編集 ]


>>akatokikudachiさん 

akatokikudachiさん こんばんは。
お元気ですか? 
コメントいただけて嬉しいです。
akatokikudachiさんの不調な時期と私も重なります。どうぞ、ゆっくり日々を過ごされますように。

>ささいなことで踏み越えてしまう
私も、本当にそう思います。死にたいなら死ねばいい、という言葉も同様に氾濫しています。でも、誰も死にたくて死ぬわけではないことを、少しでも多くの方が知ってもらえたら、と思います。

心の病気は、色んな大事なことを教えてくれますよね。私も、随分と以前と変わったようです。
今日、自宅謹慎を一時休止して、1週間ぶりに外に出ました。風が吹いてきて、「うわー風が吹いてる」と、感動しました。部屋は暖かいですが、冬の匂いがする風は吹きません。こんなに、冷たい風がありがたいと感じるんだ、と感動しました。
akatokikudachiさんが、お元気に過ごされているといいな、と願いながら、また更新される日をのんびりお待ちしています。
コメントいただけて、少し安心しました。
来てくださって、ありがとうございます。

2008/01/24 22:41 | 美鳥 [ 編集 ]


>>ももつさん 

ももつさん コメントありがとうございます。
何度も読ませて頂きました。
実体験された方の言葉は、本当に貴重で有難いです。皆さんのお力を借りて、一つの記事が出来上がろうとしています。ありがとうございます。

理性は、働きませんね。しかし、ももつさんが書かれた「子供がいても」という言葉は、私は想像したこともありませんでした。理性が働かないということは、確かにそういうことですね。逆に、「子供にとっても自分などいない方がいい」という考えに陥ってしまう、希死念慮の凄まじさが垣間見えるお話です。

>もしかして怖いんでしょ~とか
言いたくなっちゃうときあるんですけど。
私も、そんなふうにも思いました。
楽しさを追求しているブログで、こんなコメントを書かずにはいられない理由を、この人は持っているんだろう、と。ブログ内で浮いたコメントだっただけに、ももつさんが書かれている、意識から追い出そうとしている何かの存在を感じました。
冗談のような話ですが、電車事故で誰だよ飛び込んだ奴は、と見てみれば自分の父親だった、という話も聞きます。
身近な死や苦悩を、無意識に避けようという人もまた、自身の感覚を鈍らせて、こんなセリフを口にしたがるのかもしれませんね。

>今思えば そんなことは絶対無いぞ!と言い切れます
ももつさんのブログから、気迫を感じます(笑)
自殺することなく生きていることが、今のご家族の礎になっているんだと思います。誰か一人でも欠けたら、家族は一生悲しいですから。
楽しいご家族の話も、また記事で拝見できるのを楽しみにしています。
コメント、本当にありがとうございました。

2008/01/24 22:53 | 美鳥 [ 編集 ]


>>monokuroさん 

monokuroさん こんばんは。
あちらで現状を知って、心配しています。
また、眠剤飲んでコメントを書いて失敗するのは私もよくあることで、やや後悔されてたこちらのコメントに返信すべきか迷いました。
コメント、いつもありがとうございます。

悩まない人は、確かに悩みませんね。その点では、難しい問題だと思います。こういった言葉を口にされる方は、多分確実に「悩まない」人だと思います。
「背中を押される瞬間」は、本当に些細なことから重大なことまで、何が災いするか分からない気がします。魔が差すという言葉があるように、そのときの心の状態と現実の事件が作用して、ふと生まれる隙間のようなものに魂を盗られるような感覚でしょうか。
monokuroさんの方が落ち着かれたら、こちらに来てくださると思うので、お礼をこちらに書いておきます。
雪うさぎ、ありがとうございます。
気持ちだけで、読んだだけで、すごくすごく嬉しかったです。それだけで幸せになりました。でも、万が一雪うさぎできたら送ってくれー(笑)
余談ですが、私は今後も毒づくと思いますが、多分monokuroさんを越えることはないと思いますわ(笑)

2008/01/24 23:03 | 美鳥 [ 編集 ]


>>うさ枕さん 

うさ枕さん こんばんは。
来てくださって、コメントまで頂いて嬉しいです。ありがとうございます。

私にとって東京は、好きな街でもあるのですが、こちら大阪でも人身事故は多く、都心では、もっと多いのではないだろうかと、いつも思います。

>人命よりもプロ野球の結果が気になる
とは、本当に一言で言えば、そんな感覚ですよね。
人は、自分が経験したことには、なかなか想像力が及ばないものですね。
私は、阪神淡路大震災を直下で経験したのですが、それまで全く気にならなかった他県の地震情報に、やたら胸が痛むようになりました。
鈍感さは確かに私の中にも存在していて、でも人の生命には出来る限り心を配っていたいと思います。

私にとって、大切な記事になりました。コメントを寄せて頂いて、本当にありがとうございます。
また、ぜひ遊びに来てください。

2008/01/24 23:12 | 美鳥 [ 編集 ]


>>土鍋ごはんさん 

土鍋ごはんさん こんばんは。
まずは、退院、おめでとうございます。
久しぶりのご自宅で、ご家族とゆっくり過ごされていらっしゃるんでしょうか。ご回復されて、本当に良かったです。コメント頂きまして、安心しました。ありがとうございます。

この記事は、いつの間にか、コメント寄せてくださるお一人お一人の気持ちが集まって、一つの記事として出来上がろうとしています。ご参加くださって、本当にありがとうございます。

>なんでとどまっているかと言うと、
私を否定するものへの怒りがあるから

コメントを拝見して、私自身の奥底を覗き込む思いがしました。怒りは悪いものだと、ずっと私は封じ込めてきましたが、自分自身を否定されてきたものへ怒りを持つことが、私を生きることへ駆り立てる原動力になりました。「希望を失うな」とは、よく言われる言葉ですが、既に希望を失って死を望む人間には、あまり効果のない言葉のような気がします。
人を生へ押し上げてくれるものは、意外と、怒りなどの本能的な感情の方が力を持つのではないかと、よく思います。


>息子達の苦しみを自分の苦しみとして感じられる日が来るのを待ちたい
土鍋ごはんさんのご決意を感じる言葉です。
まずは、完全にお体回復されるまで、どうかご無理なされませんように。
また、日々が始まりますね。
毛糸を縦に横に丹念に編みこむように、葛藤される一日一日を繋いで、土鍋ごはんさんのご家族の絆が強まりますように。応援しています。
コメント、ありがとうございました。

2008/01/24 23:26 | 美鳥 [ 編集 ]


愛する人の自殺が教えてくれたこと 

はじめまして。初めてのコメントです。

愛する人が自殺しました。彼が命を懸けなければならなかった理由を必死で探し求めました。それは、命懸けの理由が無ければ、死ぬはずがないと決め付けていたからです。言い換えれば、死ぬことは逃げることだと心の奥底で思っていたのです。そして、命懸けの理由が存在した時だけ、自殺は許されるのだと決め付けていました。「彼は"愛"の為に死んだ」そう自分に言い聞かせることで、彼の死を決着させようとしていました。

この記事の冒頭に書かれているコメントの主と私は、同種の人間なのだと思います。

でも、最近やっと分かりました。生と死は対義ではないってこと。握っていた鉛筆が、ストンと机の上に滑り落ちる瞬間のように、死は生と同じように日常。空虚な心に命懸けの理由など存在しないと分かった今、この記事がとても腑に落ちるのです。

そう分かっても、私にはコメントの主を批判することができません。自殺した人の立場で命の意味を考えることができたのは、自殺した人が愛する人だったからです。そうでなければ、私は相変わらず無神経な人間だったに違いありません。そして今も、自殺を否定か肯定かの両極端な発想でしか捉えられなかったでしょう。

人の命が紙一重なように、何かを理解するもしないも紙一重なのだと思います。きっかけが必要なのです。

2010/04/19 10:13 | いろは [ 編集 ]


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プロフィール

美鳥(みとり)

Author:美鳥(みとり)
被虐待サバイバー。解離性同一性障害、うつ病、対人恐怖症ほか色々闘病中。境界性パーソナリティ障害寛解しました。毎日の光と影を綴ります。生育歴・来歴・病歴・活動はこちらをご覧下さい⇒<はじめに Profile>

講演活動・ユーストリーム放送しています。
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診断名の有無に関わらず、生き辛さを抱える方々と温かい繋がりを目指しています。ご感想ご意見など、お気軽にどうぞ。お待ちしています。

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