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2008/01/10 (Thu) 生者の特権

実家の庭が、好きだ。
土をいじっていると、とても心穏やかになるし、
驚くほど色んな生物が棲息していて、
虫も鳥もトカゲも蝉の抜け殻も、どれも命を感じて、面白い。


畑の管理と果樹は父の担当で、花などは母の担当、
剪定や草抜き、掃除は、私の担当になっている。
この間の暴力事件以来、自分のマンションで大半暮らしているので、
久しぶりに戻って、伸びた草を抜いていった。
風は柔らかくて、日差しは温かく、
前日に降った雨のおかげで土はふかふかと良い匂いがして、
草抜きは、とても楽しかった。
時折、ミミズが驚いたように土に潜り込んだり、
うっかり冬眠中の幼虫を掘り返してしまって、
土のベッドに返してやったり。
そのうち、目白が群れをなして柿の実を食べにきて、
大きな一羽のツグミが羽を休めにやって来て、
蜂は羽音を立てて色とりどりのパンジーにとまり、
ふと、聞いたことのない鳥の鳴き声が響く。
庭に、あらゆる命が営み、鎮座し、訪れて去っていく。
二本の足で立つ人間である自分が、どことなく不自由にも感じる。
庭に出ていると、小宇宙の渦の真ん中にいて地球を眺めているような、
不思議な高揚感に包まれる。


午後になって、父が苗木を二本買ってきた。
大きな実がたくさんつく品種のグミの木と、
ブルーベリーの木だ。
わずか30センチ程の木だが、最終的には私の背丈ほどになるという。
ブルーベリーを提案したのは、私だった。
ブルーベリーのジャムなんかは食べないが、
生のブルーベリーはすごく好きだ。
偶然、父もテレビでフィンランドの野生のブルーベリーを見て、
植えてみよう、ということになった。
あらかじめ決めた場所に、スコップで穴を掘って肥料を加え、
苗木を置いて、上から埋める。
木を植えることは、案外簡単なものなんだな、と思った。
うちには他に、柿の木、いちじくの木、7本のみかんの木、
山椒の木、そして松だとか、もちの木、さざんかの木、などなど、
他にも数え切れないほどあって、思えば木だらけだ。
中でも、食べられる実がなる木というのは、
やっぱり特別嬉しい。


ブルーベリーは、今年食べられるかもしれないけれど、
グミは2年後位になるだろうなぁ、と父が言った。
私は、瞬間、2年後に、
果たして父や母が生きているのだろうか、と想像した。
15年引きこもっている重度の強迫性障害の弟は?
そして、私は?

自分で自分の思考回路に、軽い衝撃を覚えた。
私の一時の口癖は「人間、いつ死ぬか分からない」だった。
以来、常に自分の死、人の死を考える。
何度も死の淵を覗き込んでいると、死というものは、
本当に気紛れで、生きている人間が考えているより軽く、
生と死の境界は、ほんの偶然で線引きされているような気がするのだ。
離人症や自傷、パニック障害、対人恐怖、原因不明の怪我、病気、
色んなものに背中を押されて、死へ、ふらふらと追いやられて、
そのまま気がつけば踏み越えてしまうような、
そんな感覚が今でも忘れられない。


人は必ず死んでしまうもの、と脳に焼印を押されたかのように、
強烈に、私は信じている。
自殺に限らず、病気や事故で、いつ死ぬか分からない。
この感覚は、生きていく上で重要なようであって、
でも時々、息苦しさも感じる。


ノイローゼで、意味不明なことを叫びながら、
頭を抱えて床を転げまわり、壁に頭を打ち付けて、
泣き叫んで暮らしていた頃、
私は、最初の文鳥、ももを飼い始めた。
最初から、文鳥の寿命を調べた。
6?7歳と知ったので、10歳目指して生きようね、と
文鳥のももに、よく話しかけた。
自分は明日死ぬかもしれないのに、ペットを前にすると、
可愛くて、10年生きようね、なんて言っていた。
通じていたのか、彼は9歳になった。
無責任な愛情だったと思い返し、
けれど文鳥3羽を誰が幸せに飼い続けてくれるだろうか、という懸念が、
何度も自殺を思いとどまらせてくれた。


9歳になって、ももは飛べなくなった。
それはそれで、慣れると元気に走り回るようになった。
高い場所へは、人間に頼んで上がる知恵をつけた。
むくは、片目を白内障で失明した。
それでも、毎日食いしん坊を発揮して、
飲んで食べて、の生活をしている。
ももの妻きりは、衰えた夫をある程度理解し、
自立心をもつようになった。
以前は、ひとりでは遊びに行けなかったキッチンの隅だとか、
ガラスケースの中だとか、ひとりで遊びに出かけるようになった。
時間が、確実に過ぎていく。

文鳥たちが体調を崩すと、
彼らに孫のような愛情を抱き始めた両親は、とても動揺する。
もう死んでしまうのではないか、と思うらしい。
私は、死の力も信じるが、生きる力も信じている。
文鳥たちに、自分の子供のような愛情を感じている。
でも、いつ死んでもおかしくない、と私は冷静に考え、
出来るだけの看病をし、そして冷静にまた死の可能性も考えている。
なんだか自分だけ変な感覚に陥っている気がする。
愛情に関わらず、関係性に関わらず、
死ぬかもしれない、という気持ちと、生きるかもしれない、という気持ちが、
妙に50パーセントずつ、きっちり存在する。


数年前、祖母が末期癌で亡くなったときも、
私は宣告をすんなり受け入れ、祖母の死ぬ日に向かって、
冷静にカウントダウンしながら、祖母と一緒に出来る限りのことをして、
その日を迎えた。
母は、その感覚が分からない、と言って泣いていた。
近親者の死を、そんなふうに事前に覚悟して、行動できることが、
情が深い彼女には、不気味に冷徹に映ったようだった。


どこか不自然だと思う。
何かが麻痺してしまったのか、
本当に、これでいいんだろうか、と思う。
これが人間らしい感覚なのだろうか。
この感覚を、何という言葉で表せばいいのか。
命のありがたみ、重み、ぬくもりを知っているのに、
死神の意図が、まるで私の脳に電流となって流れこんでくる感覚。


植え終わったグミの木の根元をかためながら、
父は、満足げに「二年後には食べられるぞ」と言った。
幼く頼りない苗木を眺めて、もうその実を口にしたかのように
幸せそうに笑った。
私は、そうだね、と一応笑った。
2年後に、必ず実るグミの実を、
必ず口にできると信じられる父が、羨ましくもあり、怖くもあった。
2年後には、誰が生きているか分からないのに。
所詮、生きている者の感覚など、あてにならないのに。
私には決して言えない父の言葉。
けれど、それでも、言ってみたい言葉だ。

でも、私も例えば、
あなたは1年後に死ぬよ、死期を宣告されれば、
ああ、あの実を口に出来ると信じていたのに、
と、思わず口走るかもしれない。
そう考えると、私の頭の中を二分する、
生者と死者の感覚は、所詮、戯言にも思える。


2年後に誰が生きているのか、分からないけれど、
真赤に実った瑞々しいグミの実を想像してみた。
私の目の前には、やはり果実と同時に、
甘酸っぱい赤い実を際立たせるかのような、
真っ暗な漆黒の闇も見える。
赤と黒。
違うようで、似ている色。
どちらも、天上から俯瞰すれば美しく、
ときに魅惑的で、甘美で、狂おしい。
生も死も、元々同じ木に実る果実のようだ。


でも、私は今生きている。
まだ、生きていたい。
死んでしまったら、この世を生きる木の実は、
少なくとも味わえない。
味わえないことを、何度も死の淵に立つことで、私は知った。


だから、今から二年後、
あのグミの木が育ち、やがて実を結ぶ日に、
私も木のそばに立っていたい。
赤い血の一滴にも似た実を舌にのせ、
口中で弾ける酸っぱい果汁に顔をしかめ、
同時に広がる甘い果汁に歓声をあげ、
大切な人たちやペットと一緒に、
植えてよかった、美味しいねぇ、と
弾けるように笑ってみたい。



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こんばんわ 

調子良くなって、よかったね。

間違いなく、1年後、2年後、3年後も
生き続けるから、生きること前提に
考えようよ。

自分で自分を、死の淵に追い込まな
いでね。

2008/01/10 22:15 | チュン太郎 [ 編集 ]


>>チュン太郎さん 

チュン太郎さん こんばんは。
ご心配いただいて、ありがとうございました。

一年後、二年後、三年後。
生き続けていたいですね。
死生観は、末期癌の祖母を在宅ホスピスで看取り、そのとき、死に至るまでの経緯をつぶさに見たことも影響しているかもしれないと思いました。

私は、もう自殺は考えません。
でも、死って身近だよなぁと思う私は、軽い後遺症なんでしょうか。
ありがとうございます。
精一杯、生きていきたいと思います。

2008/01/10 22:39 | 美鳥 [ 編集 ]


 

庭がひとつの世界のように感じること、あります。
その閉ざされた小さな空間には邪魔者も存在せず
雑音は消え、ひと時の休息を与えられます。

どれだけ自然にわたしが救われているかを
自然は知らないのだろうなと思ったりします。

もう、15年くらい前のことですが
死期が迫った父が 葉っぱ一枚一枚が
光輝いて見えることや、生きていることが
とても素晴らしく感じることなどを
話してくれたことを思い出しました。

あの無念さを思うことが、時折消えたいな
と思ってしまう自分を戒めてくれます。
命があることに慣れすぎてしまってるのかなと。

あれから猫に話かけてます。前より距離が近くなった
ようで、ほんのちょっぴり猫のして欲しいことも
伝わってきているようです。いいアドバイスを
ありがとう!

2008/01/10 23:10 | ももつ [ 編集 ]


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2008/01/11 00:30 | [ 編集 ]


>>ももつさん 

「閉ざされた小さな空間」、同じ感覚です。
自然に感謝されるももつさんの心が、とてもやわらかくて美しいな、とコメントを拝見して思いました。

死を目前にした人というのは、生きている者とは全く違う世界を見るようですね。15年前のお父様の姿が、いまだももつさんの心に焼き付いていることは、お父様にとって、何よりの回向になるのではないでしょうか。
私も、数年前に祖母を亡くしましたが、彼女の生き様、人生を完結した瞬間、そしてその後のことを、自身の人生に重ねて度々考えます。
自殺ではなく、向こう側から訪れる死に覚悟を固め、受け入れて余生を過ごす人間の姿は、遺される者の心に刻み込まれ、その後の人生を支えてくれるものとなる気がします。

癌との闘病について、書きたいと思いながら日常に流されていましたが、ももつさんのお父様のお話を聞いて、もう一度文に起こしてみようと思いました。

猫さんとの会話、聞いてみたいです。よかったですね!
うちの文鳥の脳は、おそらく小さじ半分もありませんが、かなりの言語を理解しています。猫の脳だと、大概のことが分かってるような気がします。
以前飼ってた猫は、人語が分からないだろうと思って「今夜、お風呂に入ろうね」などとうっかり言うと、お風呂嫌いな彼は、ふらりと夜遊びに出かけ、一晩帰ってこないのが常でした。ちゃんと聞いているようですよ~(笑)
猫さんの写真、また楽しみにしていますね!

2008/01/11 12:19 | 美鳥 [ 編集 ]


>>鍵コメさん 

ご丁寧に、こちらこそ、ありがとうございます。
私の戦友に、あなたの言葉を伝えたいくらいです。
ありがとうございます。

過去のために現在を生きるのではなく、現在のために過去を振り返る。
前向きに生きるとは、そんな作業の連続なのかもしれない、とコメントを拝見して思いました。
ご家族を大切に思われ、行動しているあなたの姿に、心打たれます。どんな過去も、乗り越えられる、と勇気を与えてくださいます。

今後も、どうぞよろしくお願いします。

2008/01/11 12:26 | 美鳥 [ 編集 ]


 

こんにちは。

いつも隣には死ってあるはずなのに、基本は考えない。
死って身近なものなのに、遠ざけて生活してます。

やはり死ってものを目の前にしないと向き合いません。
たとえ死を目の前にして、死ぬんだな、、、と悟っても、
死の世界を理解することは出来ないでしょうね。

誰も入れない領域の死の世界、怖いのか、何もないのか、
新しい世界?今より楽?生まれ変わる?わかりません。。。

わたしも、まだ生きていたいと思います。

2008/01/11 13:35 | yorke [ 編集 ]


>>Yorkeさん 

Yorkeさん こんにちは。
世界中に、色んな死生観がありますが、どれも人間の想像の域を超えず、死とは、やっぱり生きている限り正体不明ですね。
心の病を自覚してから、死と生の明暗が、ときどきによって明確な境を持ったり、混ざり合って曖昧になったりするようになりました。
それでも、やっぱり生きたいです。

先日は、ありがとうございました。
記事が更新されましたが、音楽のお話の続きをしに遊びに行きたくてたまりません(笑)

2008/01/11 17:10 | 美鳥 [ 編集 ]


 

美鳥さん、こんばんは。
私は身近な人間の死を経験したことがまだないののもあるのか、自分の死も、他人の死も、なんだか遠いもののように感じます。麻痺してるのかもしれませんね。
「死ぬかもしれない、でも生きるかもしれない」
そういう思いを留めて、日々悔いのないよう
生きていきたいな、と感じます。
突然いなくなってしまった人に、
「ああしてあげれば良かった」と
後悔しないように。

美鳥さんと、文鳥のももちゃんたちの
心が通い合っている様子、心が温まりますね。
以前、何か飼いたい…と思ったときに
文鳥が候補になっていたことがあって
「非常に賢く、飼い主に愛情を持ってくれる」
…という説明に惹かれたのを覚えています。
ほんと、かしこいんですねぇ。

2008/01/11 20:05 | hima(ひまわり) [ 編集 ]


>>hima(ひまわり)さん 

himaちゃん コメントありがとうございます。
突然いなくなる、というのを何度か経験しましたが、それに比べてみると、例えば死期が宣告される末期癌などは、明確にカウントダウンされるため、周囲も覚悟して充実した日々を送れる。悲惨な病ですが、不思議な病だと思います。
死生観について、祖母の在宅ホスピスの様子を取り上げたいと思いながら、私自身うろうろと病に振り回される日もあり、なかなか叶いません。
毎日を、充実したものでいっぱいにして生きていきたいですね。

文鳥は、意外と賢いです。
インコに比べるとアホなんですが、我が強くそれぞれ性格がはっきりしていて、自立心旺盛です。猫科の鳥といった感じです。
年々知恵をつけて、朝晩定時になると起こせとか寝せろとか、ご飯くれ、とか、テレビがうるさい、とか、抱っこしろとか、文鳥語で指示されます。文鳥に人間が遣われています(笑)
himaちゃんのペットとして、文鳥が候補にあがったことがあったとは・・・!「文鳥様と私」という、文鳥飼いでなくても面白い今市子さんの漫画、おすすめです。文鳥飼いたくなるよ(笑)
いつもコメント、ありがとう。

2008/01/12 11:51 | 美鳥 [ 編集 ]


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プロフィール

美鳥(みとり)

Author:美鳥(みとり)
被虐待サバイバー。解離性同一性障害、うつ病、対人恐怖症ほか色々闘病中。境界性パーソナリティ障害寛解しました。毎日の光と影を綴ります。生育歴・来歴・病歴・活動はこちらをご覧下さい⇒<はじめに Profile>

講演活動・ユーストリーム放送しています。
講演のご依頼ご相談は、当ブログメールフォームからお願い致します。

診断名の有無に関わらず、生き辛さを抱える方々と温かい繋がりを目指しています。ご感想ご意見など、お気軽にどうぞ。お待ちしています。

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