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2007/12/26 (Wed) モニターの向こう側

クリスマスだから、と自分の精神状態を奮い立たせていた。
でも、実際の私は、数日、殆どベッドで寝たきりの生活だった。
色々な、避けられないことが重なった。
気力の全てを奮い立たせて、一本の電話をかけた。
今の自分自身ができる、精一杯のことをしたい、と思ってかけた電話だった。
誇るべき行為だった。
でも、電話を切ってから、震えが止まらなくなった。
深く関わっていくであろう人が、一人増えた。
自分で決めて、自分で距離を縮めた。
望んだことなのに、対人恐怖は関係ないらしく、
全て済ませた後になって、気が抜けた瞬間、恐怖に襲われた。


ネットの中でだけ、なんとか動くことが出来た。

とある宗教をされている方から、勧誘のコメントが来た。
私のブログを読んで、自身が救われたという、
ある宗教団体の有名な著書を「お気軽に読んでみてください」と紹介していた。
そのコメントに、私は理由を書いて辞退した。
我ながら、過剰反応かもしれない、と思ったが、せずにはいられなかった。
電話の後で、手の震えが止まらないまま、かなり無理をしてのことだった。

勧められたのは、
よりによって、私が一番よく知っていて、一番拒絶したい宗教団体だった。
勧めた方は、私が同じ信者だったとは思えなかったのだろう。
両親の意向で3歳の頃から供にあった信仰だ。
紹介された著書を、私はリアルタイムで読んできた。
教義だって、システムだって、紹介されずとも何だって私は知っている。
なぜ、私にその人がその宗教を勧めるのかも、自身が信者だったから分かる。
教義、心理状態、私がこう書けばこう反論するだろう、
まで全て手に取るように分かった。
もう二度と、私は戻る気はない。


ブログだから、顔が見えないからといって、
無神経に宗教の話を扱うべきじゃない。
初めて出会った相手には、
何を信じているか、という前に、自分はどんな人間か、を語るべきだ。
これを信じてみたら?と言う前に、互いのことを知るべきだ。
それが、当たり前のコミュニケーションだ。
それが、ネットの世界であれ、互いを尊重する基本だと思う。


自身が深く信じている宗教に人を勧誘したいと思ったとき、
間口を広くしようとするあまり、
「どうぞお気軽に」と、妄信している人間ほど言う。
まるで無人契約機の宣伝文句のようだと思う。
そう勧める自身は、「お気軽に」なんて、決して考えてない。
重要だからこそ、人に教えたいと考えている。
ならば、お気軽ではなく、誰にだって慎重に大切に、
語らなければ勿体無い。
宗教、信仰とは、決して気軽なものじゃない。
人間が生きていく上で、とても重大な問題だ。
命を語るように、宗教は語られるべきだ。
コメントは、私のものだけ公開させて頂く旨、伝えた。
近く、宗教論の記事を更新する予定だ。


手が震えて止まらず、吐き気と頭痛と倦怠感、不眠と悪夢でうなされた。
同じシーンを夢の中で6回繰り返しさせられて、
背中をマシンガンで6回撃たれた。
背中の肉がボロボロになった。
でも、リノリウムの床を染めた自分の真っ赤な血が、美しかった。
怖くて凶悪で美しい夢だった。
薄いペールグリーンの病室、広い夜のショッピングモール、
300キロ程の速さで飛んだ東京の上空、
螺旋を描いたコンクリートの巨大な建物、
小さな薔薇色の部屋に住む少女が書いた、美しい恋愛小説、
悲しい少年と、黄緑色の草が両側に生える小道、
銀色に光るナイフ、世界の終焉、世界の始まり、
風の音、少女が小声で歌った綺麗な歌、絶叫、
マシンガンの音、真っ赤な血、黒髪の女性の怒り、
私へ向けられた刃、何度も殺される私、何度も生きる私。
イブの夢は、鳥肌が立つ程に恐ろしく、凶暴で、
それでいて、穏やかで美しかった。


夕方になって、パニック発作を起こし、ようやく頓服を飲むことを思いついた。
きっちり1時間で薬が効いて、やっと1時間だけ熟睡できた。
自分のことだが、いつまで経っても他人事のような感覚。
あまり進歩がない。


こうしてクリスマス前後の自分の様子が分かるのは、
今日になって、客観的に自分を見ることができたからだ。
自分のことが分からない私もいるが、分からない私を見ている自分もいる。

来てくださる方、訪問先、どこのブログでもクリスマスの話題で、
殆どベッドにいた私は、クリスマス気分を味わえて、とても救われた。
自分でも何かできないか、と画像をアップしてみたりした。
クリスマスというイベントを前に、逆に鬱を悪化されている方もいた。
そんな正直な姿にも、私は勇気付けられた。

モニターの向こう側の誰か、顔も見えない誰か、
それでも、大切なたくさんの誰か。
私の深くに、確かにリンクしている。
元信者と知らず、私へ勧誘のコメントを書いた方にも、今は感謝している。
コメントを返し、そのコメントに、謝罪の言葉を添えて返信してくださった。

モニターの向こう側で生きている人たちが、色んな形で、
私の脆弱で曖昧な人格、ばらばらのパーツを、補強してくれている。
不思議な事実だ。



興味をお持ちの方は、よろしければこの下のコメント欄をご覧ください。
信者の方宛のものなので、元・現信者しか分からない専門用語だらけですが。
今回、都合上、ある宗教団体について書きましたが、
特定の宗教団体を攻撃、批難、中傷することは、私の意ではありません。
ご了承ください。

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>>鍵コメさん(12月23日分転載) 

コメント、ありがとうございます。

あなたがご紹介くださった著書ですが、私は既に熟読しております。教学試験も受かりましたし、御書も拝読し、新聞、大白蓮華、S新報、果ては新聞に掲載されています漫画も発刊されたものは全て持っています。同中も、通いました。選挙活動も、やりました。
あなたが「先生」と呼ばれる方を、幼少時から私は最も身近に感じ、当たり前のように先生、先生、と呼び、育ちました。現在も、両親は信仰を続けており、母は「無冠の友」です。
私はいわゆる「二世」です。
今は、信仰はしていません。
戻る気もありません。
後日更新致します宗教論の記事で、主な理由はご説明できます。

あなたは、私がその本の著者や内容や、宗教団体、教義等に触れたことのない人間だ、と私のブログからお感じになったのだと思いました。
ご自身のご病気と、私の病気、また精神状態を重ね、私が持つ「業」や「宿命転換」「変毒為薬」などに、思いを馳せられたかもしれません。

しかし、私は、3歳で入信し、そこから出発し、その宗教を人生の根本に生きてきた人間です。その延長線上で生きている人間です。
両親は、40年以上信仰していますが、当ブログの過去の記事を読んで頂ければお分かり頂けますが、私たち子供を虐待してきました。
私の家庭に、あなたが勧めてくださった著書は、全て並んでいます。他の会員同様だと言えば、その光景はご想像いただけるでしょう。
私の家庭で、信心は無力でした。むしろ、悪を助長させました。
詳しくは、私の過去の記事からも、あなたであれば、読み取れることだと思います。今後も、書く予定です。

顔が見えないあなたから頂いたコメントですが、以上のような経緯から、宗教、特にあなたが信仰されている宗教に関しまして、私は過剰に反応せざるを得ません。どうか、このような長文でのお返事となってしまう事情をお察しくださり、以下にもお付き合い頂ければ、幸いです。

あなたは、名誉会長の著書を「お気軽に」勧められたのかもしれません。過剰反応のように思われるかもしれませんが、あなたが書かれた言葉は、あなたの予想外に、私を刺激するのです。
いまや日本人の10人に1人が信者だといわれている巨大宗教団体です。入信者も多いですが、脱会者も多くいます。
私のような人間も、モニターの向こう側にはいることを、どうかご承知ください。


あなたは、ご自身のご経験と共に、著書に「救われた」と書かれました。それは、あなたにとって、とても重要なことだと思います。心の病を持った者として、どれほど重要に思われているか、よく理解できます。「一念三千」「宿命転換」など、その哲学が、何度これまでの私を救ってくれたか知れないからです。

しかし反面、その重大な宗教を勧められるときには、あなたは「お気軽にどうぞ」と仰られます。本当に、そうでしょうか。

私は、自身が信じる宗教を人に勧めるときに「お気軽に」とは言えません。相手への責任、相手の幸福を祈る決意、相手への思い入れを動機とするからです。一念を持って、当たりたいからです。また、初めてコメントされるときに、「お気軽に」宗教のお話をされるのは、私は人と人の距離として、最適とは思えません。

宗教に限らず、人には、適切な距離というものが存在すると思います。こうして、顔が見えなくても、距離感というものは大切です。人との繋がりは、少しずつしか築けないものです。
何を信じるか、という宗教のお話は、私にとっては大変重いものです。少なくとも、あなたにとっては慈悲に根差したものだとしても、私にとっては思いやりを欠いたコメントのように、自然、感じられるのです。

<下種><折伏><広宣流布>といった言葉がありますが、特に折伏の際<下種>という観念を、大勢の信者が、あまりにも無造作に扱い過ぎているように思えます。
<下種>が成功した例は、多く教団内で語られますが、<下種>と称して行われる数々の無神経な行為、その行為に傷つき腹を立て、信仰の機会を失う人については、語られる機会が滅多にありません。また、語られる際にも「確実に下種された。いつか必ずまた正法に出会う」というような、ご都合主義ともいえる注釈付きで語られる場面を、教団内で多く目にしてきました。

宗教というものは、人のイデオロギーを刺激します。日本人は、宗教に関して鷹揚な姿勢を持つ人が多く、気軽に語ることを良しとされる空気がありますが、私は、大切なことだからこそ、力がある哲学こそ、慎重に丁寧に語られるべきだと考えています。顔が見えない表現の自由が守られたネットの世界でも、他人のブログへ寄せるコメントに限っては、私は同様に考えています。

特に、今回お話の宗教団体は、他宗教を邪宗として認めず、末法の世を救い得る、唯一の宗教、哲学、として自身を位置づけています。
同時に他宗教も認めながら広宣流布、世界平和を成し遂げようとしています。
私の幼少期は、折伏とは正に「折って伏せる」という激しいものでしたが、「先生」が現在「新しいステージ」と言われているように、今や通用しなくなっています。「折伏教典」という、他宗教を第二代会長が一つずつ具体的に破折する本が昔はありましたが、今は見かけなくなりました。
宗門問題を契機にしたとはいえ、「会友」などという言葉が作られたことも、こういったワールドワイドな時代への変遷を象徴していると思います。

以前から、私は信者の方達の折伏の方法、姿勢には疑問を感じてきました。
大切なことほど、ご自身にとって重いものほど、人に伝えるときには、慎重になられる方が良いと思います。宗教に限らず、そう思います。


私の体験を含め、宗教に関しまして、私の考えをシリーズ化して、こちらのブログで論じたいと、記事を準備し終えたところでした。
あなたがわざわざ鍵つきで送って頂いたコメントに対し、失礼かとも考えましたが、そんな事情から、公開という形で返信させて頂きたいと思いました。

あなたの目から見るブログでの私は、元信仰者として、または罪深い「退転者」として、どのように映るのかは分かりません。
しかし、私の記事を読まれる前に、ご自身の信仰される宗教団体の著書を「お気軽に」お勧めになるのは、率直に申し上げて、もったいないと思います。
ブログとはいえ、せっかくの出会いを台無しにしてしまうような気がしてなりません。

「先生」は世界でも数少ない桂冠詩人です。知っていましたから、あなたがコクトーに学んで、と書かれていたとき、連想しなかったわけでもありません。しかし、このようなコメントを頂くのは、とても残念です。

以上の私の言葉に、不快に感じられたのであれば、お返事はいりません。
あなたから頂いたコメントに、私も過去、信仰を人生の根本に据え生きてきた一人の人間として、お答えしたくなりました。

2007/12/26 01:26 | 美鳥 [ 編集 ]


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2007/12/26 01:29 | [ 編集 ]


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2007/12/26 02:20 | [ 編集 ]


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2007/12/26 11:07 | [ 編集 ]


>>鍵コメさん×3 

いつも、ありがとう!
友達を心配できるって、幸せなことです。
迷惑だなんて、とんでもない。
あなたと出会えて本当に良かったです。
偶然と、お互いの根性(笑)、お互いの葛藤の末、手に入れた友情ですね。
私は、本当にあなたが大切です。
大切に思える友人と、こんな形で出会えたことを、何かれとなく感謝したい思いです。
これからも、どうぞよろしくお願いします。

2007/12/26 12:10 | 美鳥 [ 編集 ]


よくやりましたね 

よくやりましたね

実際どうだか解りませんが、あなたにとって最大の敵を撃退したのかもしれませんね。

そのための休養だったのではないですか?

破壊的カルトについては私もほんのちょっと、勉強したことがありますが(アンチカルトです)

カルトから抜けることは非常に難しいのではないかと思います。

でも

あなたはそれをやり遂げました。

これからも無理せずがんばってください。

参照
「マインドコントロールの恐怖」スティーブ・ハッセン著

2007/12/26 14:30 | OS2男 [ 編集 ]


>>OS2男さん 

OS2男さん はじめまして。
ご訪問、コメントありがとうございます。
また、ナイーブな話題に、ご参加頂きまして、ありがとうございます。

私にとっての「最大の敵」は、昔も今も、自分自身です。マインドコントロールに関しては、実感しています。3歳から固定された思考回路を、自分のものとして取り返すまでは、本当に長く辛い戦いでした。まさに、最大の敵でした。
「カルト」という言葉は、最近は当初より遥に広汎な意味を持つようになり、大多数の宗教に関しては(私が信仰していた宗教団体も含め)、今やどこか違和感を残す言葉になってしまった、と考えています。

ここで話題に取り上げました宗教団体に関わらず、宗教、信仰、恋愛等、信じる行為というものは、必ず排他的な側面を持つ宿命にあると思います。何かを信じるということは、信じない何かと必ず対立します。現在の「カルト」という言葉は、その排他的な側面が、個々人のイデオロギー、生活をどの程度刺激するのか、という、とても曖昧な基準によって、安易に使われているように感じます。例えば、フランスでは、この宗教団体はカルト認定を受けましたが、日本という土壌においては、また違う感覚であるように思います。破防法などが適用される極端な例を除き、カルトという言葉は日本では使い古され、現代の有象無象の宗教を語る上では、不十分ではないかと思い始めている、最近です。

記事で触れたコメントをくださった方には、申し訳なくも思っています。本来、私が戦うべきは、私自身であって、その方ではないからです。刺激されると、ご本人に反論したくなるのは、当事者としての私の弱さかと、反省もしています。こうして記事を書く契機を与えて頂いて、結果的にその方に感謝しています。今後も、交流を持っていきましょう、と互いにお話しました。理想的な交流関係を保つきっかけとなり、率直にコメント差し上げたことは良かったのかもしれない、と、相手の方からコメントを返して頂いて、はじめて思えました。

信仰は、それぞれ自由です。とても、大切なことだと、信仰を離れた今でも私は思います。信じるということの大切さ、同時に怖さを、今後、宗教論の記事で書いていきたいと思っています。

ご提示くださった本、よく見かけますね。被虐待児の心理、アダルトチルドレンの心理、人格障害者の裏側、どれもマインドコントロールという言葉で説明することができます。その果てには、人間という妙、一人の人間が持つ力の大きさを示していると思います。使い方によっては、善にも悪にもなる。それが人であると思います。

思うつくままのコメントになってしまい、申し訳ありません。
コメントという形ではなく、記事で近々アップします。読んで頂けましたら、嬉しいです。

こんな私に、労いの言葉、本当にありがとうございます。OS2男さんの記事、拝見しました。鬱病の治療について、分かりやすく説明されていますね。森田療法について深く学んだことがないので、興味深いです。

長文でのレスになってしまい、すみません。
OS2男さんも、どうかゆっくり休養され、少しずつ回復されますように。
また、ぜひ遊びに来てください。

2007/12/26 16:32 | 美鳥 [ 編集 ]


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2008/03/30 04:10 | [ 編集 ]


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プロフィール

美鳥(みとり)

Author:美鳥(みとり)
被虐待サバイバー。解離性同一性障害、うつ病、対人恐怖症ほか色々闘病中。境界性パーソナリティ障害寛解しました。毎日の光と影を綴ります。生育歴・来歴・病歴・活動はこちらをご覧下さい⇒<はじめに Profile>

講演活動・ユーストリーム放送しています。
講演のご依頼ご相談は、当ブログメールフォームからお願い致します。

診断名の有無に関わらず、生き辛さを抱える方々と温かい繋がりを目指しています。ご感想ご意見など、お気軽にどうぞ。お待ちしています。

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