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2011/03/10 (Thu) 船と涙 - 解離性同一性障害 -

こんな状態でブログを書くのは、久しぶり。
心が不安定で壊れそうだ。書かないと、もっと取り返しがつかないところまでいってしまいそうだから、書く。
絶対に乱文。読んでくださってる方、すみません。


昨夜と今日と、黒色が全て怖くなる黒色恐怖症(自称)に襲われることが時々ある。世界中のあらゆる黒色が襲い掛かってくる。数分で過ぎ去るから、あまり気にしないようにしていたけど無理だ。黒色が怖くなる時期は、心の状態の何かと関わっている気がしてきた。

さっき突然ふいに唐突に、「なんでAのこと見てくれないの?」と声がして、そういう声はよくあるから放置していたけど、何とはなしに考え始めてしまい、気がついたら地を突き抜ける落ち込みぶり。苦しくて悲しくて、不安で絶望的で、孤独だ。途方もなく孤独だ。
Aについて、自分が持っている情報から考えてみても、人間ってどうしてうまくいかないんだろうか、どうして単純にできていないんだろうかと悲しくなった。

私が抱えている問題とか精神的な病気は、生まれ育ちから来ているだけではないという事実。今まで生きて経験してきたこと、出会った人々、味わった感情、喜び苦しみ、知恵、愚かさ、すべての掛け算の結果、今の自分があるという事実には、時々絶望する。
回復という目標が、途轍もなく無謀に思えてくる。
無数にある過去の、どのポイントで自分が何に遭遇し、何を味わい、実際はどうで、結果今の自分にどう帰着しているのかなんて、把握しようがないじゃないか。カウンセリング諸々で受ける治療とは、まさに把握しなおす作業。過去のポイントポイントを見つけ出して繋げていく作業。気の長い作業。取りこぼしてきた自分を掬い上げ、自分の目で検分しラベルを貼って自分という棚に陳列し直す。気が遠くなる。死ぬまでに私は、せめて自分が何者かくらいは分かって死ねるんだろうか。怖くなる。


私は、節目節目で全く違う自分を生きている。
例えばアダルトチルドレンのような、他人の顔色をうかがい、他人の役に立てるか否か、他人にとって都合が良く重宝してもらえるかという基準だけで生きていた時期がある。一人で大勢を救って生きていかねばならないと信じ込んでいた。大げさでも何でもなく、常に苦しんでいる誰かにとっての「救世主」でなければ存在価値が揺らぐ気がした。
「救世主」という自己像を保てなくなり、破綻した後は、自分を救ってくれる「救世主」を探して生きた。どっぷり対人関係に依存し尽くした時期だ。依存される側から、依存する側にまわった。依存するも依存されるも、根本的には同じ質のものだから、起こるべくして起こった転換とも思う。どちらにせよ、苦しいことに変わらない。
どちらの時期も、私は常に空虚で、ドラマチックなもので自分を埋めて埋めて生きようとしていたけれど、実は底に大きな穴があいていて、ドラマチックなものも日常のささやかな喜びも、全部その穴から抜け落ちていたのだと気づいた。

この依存と依存の狭間だったか、ロボットとして生きていた。感情がなくて、痛みもなくて、大怪我や大病一歩手前で命拾いしたり、とにかく自分が壊れることに無頓着だった。

「自立」を精神科医に目標とされて始めた治療。自分を許すとか、自分を甘やかす、自分に優しくするということを意識して生きていた頃。具体的な内容を、今の私は殆ど覚えていない。この時期あたりの記憶や意識が殆どなくて、今の私がいきなり生まれたという感覚がある。

裁判をしていた時期は、自分の外殻が作られた頃のように思う。私が何をするために生きているのか、はっきりしてきた時期。あらゆるものを、身に着けるか切り捨てるか精査しなおした時期。積極的ではなかったかもしれない。人生の流れみたいなものが、私に要求した。


今の私。
よく友達から「男らしい」と評される性格。自分でも、母性より遥かに父性が強く、守るために抱きしめ慈しむより、守るために戦うことに向いていると感じる。
恋愛下手。依存心ゼロ。依存することもされることも嫌い。好き嫌いが、はっきりしている。ただし人間に限っては、あらゆる種類の人たちを実は好きなんじゃないかと思う。ドライなのか、ウェットなのか分からない。ただ、ある一点まで強く、ある点を越えるとポッキリ折れやすい。そんなところも男性的といえば、男性的だと思う。
自分がやりたいことと、誰かのためになる、ちょうど重なる部分にとても興味がある。誰かのために自分を投げ出したり、奉仕するという気はさらさらない。そんなことをすれば、これだけしてやったのにと相手にルサンチマンを募らせる仕組みをよく知っているから、自分がやりたいことが誰かのためになれば良いなと考えている。以前とは全然違う点。

ひとりごとみたいに書いてる。
私は、自分が何だかよく分からなくなっているから。怖い。私の中に、どうしようもなく柔らかくて潤っていて弱くて傷つきやすい生き物がいることに気づいた。怖い。

「どうしてAのこと見てくれないの?」
誰に言っている言葉なのか、それを考えた瞬間に私は自分が崩れ去る気がしたのだ。
多分、Aが出会った過去すべの人間に対して言っているんだと思った。親とか、恋人とか、治療者とか、限定された一人じゃなく、ああもしそうだったらとても救われるのに、彼女の過去をひっくるめて、見てもらえなかったと言いたいんだなと思った。誰からも見てもらえない人生。忘れ去られた人生。酷い人生。


私は、自分とAを切り離しているつもりは全くない。できるだけ、自分の一部であると考える。そうしなければ、前に進めないようだから。でも、圧倒的に感覚が追いつかない。自分とは違う人間だ。正反対だ。私はAじゃない。Aは私じゃない。
「別の人格であるということが大切だ。」
そんなふうに思っている。考え始めると、必ずこの感覚にぶち当たる。それから、自分とAや他の人たちとの感覚と、外側の現実世界で自分と他人の関係は、微妙に違うことに気づく。
ここから先を考えていくと、自分が崩壊しそうになって怖くなる。とんでもないことが起こる。一歩踏み入れるごとに、予感は明確な警告に変わって、生命より大切な私の何かが全て弾け飛んで死んでしまう恐怖にかられる。


さっきから頭の中は警笛が鳴り響いている。
私という船が沈むという。Aの悲しい一言が、船の横腹に大きな大きな穴を開けた。気づかぬふりをして航海を続けようとしても、船はかしいで沈みかけている。もうすぐ沈む。沈む。大変なことになる。警笛が続いている。

逃げられない私は、ただただ絶叫して泣き叫びたい。
過去を全部消すことができたなら、私だって沈まずにいられるかもしれない。だけど、過去は膨大過ぎて太刀打ちできない。どこから消していいのかも見当がつかない。どうして人生は掛け算なんだろう。あの人もあの出来事もあのときのあの気持ちも、あの瞬間もあの苦しみも、あの笑顔もあの涙も、全部消してまわらなくちゃ私は取り返しがつかない。

あなたは間違えていた。Aにそれしか言えない。見て欲しいなら、存在しなくちゃならない。過去の亡霊としてじゃなく、本物の人間として。だけど私にそれを言う資格があるのか。私だって、亡霊だったじゃないか。ちょっとだけ輪郭を固めただけで、底には大穴あけて、必死であらゆる人や物を詰め込んで、虚しい虚しいまだ足りないと貪っていたじゃないか。
難破した船には、私しかいない。なぜだ。


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美鳥(みとり)

Author:美鳥(みとり)
被虐待サバイバー。解離性同一性障害、うつ病、対人恐怖症ほか色々闘病中。境界性パーソナリティ障害寛解しました。毎日の光と影を綴ります。生育歴・来歴・病歴・活動はこちらをご覧下さい⇒<はじめに Profile>

講演活動・ユーストリーム放送しています。
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診断名の有無に関わらず、生き辛さを抱える方々と温かい繋がりを目指しています。ご感想ご意見など、お気軽にどうぞ。お待ちしています。

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