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2010/10/08 (Fri) 痛みと砂 ? 虐待・いじめ・解離性同一性障害 ?

指の負傷と手の疲労で、文字を打ちにくい。記録として書いておきたい。

無意識に指先の皮を剥ぐ自傷行為は物心ついてからずっとだ。私の指先が無傷だったことは、人生で殆どない。
カッターナイフで指の肉を削っていることが多く、ふと気づくと本を読みながらでも削っている。本好きの性か、絶対に本を血で汚さない。自慢できることなのか何なのかよく分からない。

右手をより酷く刻む傾向があって、神経の近くをやってしまったのか、じっとしていても指がツキツキと痛む。

昨日は幻聴が酷かった。うるさくて仕方なかった。
ふいに色んな声で、色んな声の大きさで、色んなことを言う声が聞こえる。耳元で叫ばれるような大声は、うるさい。けれど、現実の声とは違うことを私はいつも知っている。
何を言っているのか、いつもすぐに私は忘れてしまう。音声は明瞭なのに、内容を忘れる。だけど、精神力が消耗する。異常に疲れる。


苦しむ子供は、死んでしまえ。

昨日は、そんなことばかり考えた。
過去の氷山の一角でもない、多分ゴミクズくらい小さな小さな埃だろうに、過去の1シーンだけでダメージが大き過ぎる。フラッシュバックには、簡単にのみこまれてしまう。怖い。
受け入れるんだ、しっかり見るんだ、怖がって目を閉じるものかと覚悟を決めているはずなのに、ちょっとした友達との会話の合間に、突然過去に吸い込まれて、気がついたら私は子供だった。

じっとしていられなくなって、泣き喚きながら部屋をうろうろして泣くしかできない自分と、119番に連絡して収容しなければと冷静に考える自分と、他人に世話をされることに強烈な拒否反応を示す私が今の状態で救急隊員に出くわせばかえって事態が悪化することを知っている自分と、3,4方向から自分を見ている自分でいっぱいになって、絶望した。

自分の中にいる、自分が体験した「子供」なんて死んでしまえばいいと思った。苦痛で仕方ないから、あの子供ごと死ねばいいのに、どうして親たちは虐めることを愉しんで、殺すことを愉しまなかったのかと悲しみで一杯になった。

殺してあげて。
殺してあげたほうがいいのに。
子供だった私がもし、純粋で柔らかいから傷つきやすかったのなら、そんなに傷つきやすいものは、傷がつく前に砂にして散らして、最初から誰もいなかったことにしてあげて欲しい。

私の方がいっそ砂のように形もなく感情もなく、涙も汗も血も持たない乾いた砂になりたかった。あの場で、誰も私のことを抱きしめる気がないのなら、抱きしめなくていい理由が子供の私にあったらよかったのにと思った。それなら納得できたのかもしれない。人間の子供にうまれたばっかりに、尊厳を踏みにじられると魂が傷つく。心に痛覚を備えられて生まれてきてしまった。


高校時代の性被害の体験は、最初に思い出したときに意図的に「人格名」をつけ、また忘れたけれど2度目に思い出したときには、うまく私の記憶の年表におさまってくれた。一度目に思い出したときの感情の追体験は、まるでなかった。ただ事実として思い出せた。解離について少しずつでも学び、うまく活用できた成功例として自信になった。でも、あれは本当にまぐれなのだろう。

家庭で受けたことに関しては、私は殆ど自分の視点で思い出すことができない。大抵、正面から自分を見ていたり天上から見ていたり、大分離れたところから全体を見ている記憶ばかりだ。
一昨日は珍しく、私はまさに子供そのものになって、あの過去の時間のあの瞬間、あの場所にいた。

今日は、小学校時代のいじめについて思い出した。その教師が指定した生徒を、教師がリーダーとなってクラス全員で虐めるのが恒例だった。私は標的にされた。女性の教師だったが、虐め方が狡猾で集団心理を利用するのが巧く、クラスメート達も示し合せたわけでもないのに阿吽の呼吸で立ち回って、私を虐めるという一つの目的に向かって毎日鋭意工夫を惜しまなかった。


いろんな人を見てきた。
いろんな人たちが、私を前に繰り広げる感情劇に、私は呆気に取られてただただ見ていた。皆本当は夢でも見ているんじゃないか、おかしな薬でも飲んでるんじゃないか、そうでもなければ私の頭がおかしくて私が見ているものが嘘なんだ、本当は人間とは強くて美しくて勇敢なものなんだと信じていた。信じていなかったと思ってきたけれど、私はどうしても人を信じたかったのだ。信じてなければ傷つかない。


私は、自分を砂にすることはできなかった。
かわりに出来るだけ薄く薄く希釈して、茫洋とした意識の世界のあちこちに流しやって、できるだけ遠ざけた。遠ざけたものが、ぜんぶ苦しみの声をあげている。
その声を一昨日から聞き続けて、最近ずっと聞き続けて、私はどうしても逃げられなくなっている。逃げたくない。「殺されたくない」と並ぶくらい、私の中で強い感情が「逃げたくない」かもしれない。この感情は、多分私の人生の中で私が一番強く持っているものであって、他のどのキャラクターにもない感情だ。今のところ私が知る限りは。

逃げないことが、生きる唯一の道だと私は知っている。
だけど逃げたくなる。怖い。ただ1シーンに引き戻されただけで、私はあの過去のあの場で受けた傷の深さに痛い痛いと泣き叫ぶしかできない。それどころか、悲しいのも苦しいのも嫌だから殺してほしいと考える。私の存在意義は生に根ざしているのに、私の欲求は死に馴染みやすい。


フラッシュバックに襲われたら以前は1ヶ月は寝込んでいたけど、今の私は違うんだちゃんと生きていけるんだと自分に示してやろうと思って、今朝から道具を買いに行って、大きな大きな家具を組み立てた。汗だくで、工具で手が更に傷だらけになったけれど楽しかった。
終ったら達成感が来て、その直後に悲痛な気持ちになって泣いた。本当は泣きたかったのに、一人なのにバカみたいに虚勢を張って泣かなかったんだと気づいた。自分が惨めになるから。

正直な気持ち、私は生きていたくないんだと思う。あんな過去やこんな過去や、まだどこに埋まってるかも分からない地雷にこの先もつまずく度に足吹っ飛ばされ続けて、それでも這いずってでも生きてやろうと思うほど私は強くない。もうやめてくれ!と思っている。でも「逃げたくない」と思っている。でも、そんなに強くない。でも、泣きたくない。生きること、呼吸することが苦しい。でも、砂にもなれない。だから今日は生きている。


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美鳥(みとり)

Author:美鳥(みとり)
被虐待サバイバー。解離性同一性障害、うつ病、対人恐怖症ほか色々闘病中。境界性パーソナリティ障害寛解しました。毎日の光と影を綴ります。生育歴・来歴・病歴・活動はこちらをご覧下さい⇒<はじめに Profile>

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診断名の有無に関わらず、生き辛さを抱える方々と温かい繋がりを目指しています。ご感想ご意見など、お気軽にどうぞ。お待ちしています。

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