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2010/05/15 (Sat) 皮膚の着ぐるみ ? 解離・自傷・自殺 ?

5月12日。

朝から解離が酷かった。
一切合切が頭上や目の前や眼下を通り過ぎていく。何もかもに置いて行かれる。世界中で一人だ。

苦しみについて冷静に考えようとしたはなから、自殺する自分の姿がオーバーラップしてうまく頭が働かない。
鈍色の刃を頚動脈にあてて一気に引いたら、首筋から天井まで真っ赤な動脈血が吹き上がる。
このイメージは、私の周囲で実際に起こった自殺事件。真相は永久に闇の中。容疑者死亡で不起訴になった。真犯人は見つからず仕舞い。容疑者は、首切って死んだ。努力一筋の人だったけれど、競馬と株ですっちゃって金を借りてた老婆を殺してどこかに埋めたのかもしれない。埋めてないのかもしれない。殺してないのかもしれない。殺したのかもしれない。全部、真実は死人がもってった。何一つ語らずに。


一日中、自分の死と自傷が誰かの死のイメージと重なり続ける。

解離が酷くなると、現実に生きているのか幻想が現実なのか分からなくなる。
でも、表面上は至って普通で健常人と変わらない。
変わって見えないように、着ぐるみの私が数センチの肉をかぶって、普通に喋ったり笑ったりしてくれるから、私は肉の着ぐるみの中で反響する自分の声だけを聞きながら、このまま偽りの肉に同化して取り込まれて、人知れず私は消えてしまうのかもしれないなと思う。


リストカットしなければ、誰かを傷つけてしまいそうだった。「誰か」じゃなく、どんどん対象が明確になっていってしまった。大事にしたい人の心を傷つけようとしている。

相手を傷つけてはならないと思うと、今の私はある程度抑制がきくようになったけれど、そうして持ちこたえている間に何か刺激が更に加わると、もう坂道を転げ落ちるように破滅に向かっていく。それも僅か数分で。
コントロールできない。


自傷することで何とかなっちゃう面が皮肉にもあるんだよねとブロガーさんがTwitterで声をかけてくださった。
そうだ。そうなのだ。自傷をしないに越したことはないけれど、今の今を乗り切って未来に繋げようとしたならば、抱えている時限爆弾をどこかで必ず処理しなければならなくなる。爆弾処理は、爆発させてしまうに限る。爆発させる以外に、うまい解体方法を見つけることができない。


切るなら、手首より腹か頚動脈だと思った。
切腹願望は、自分をぐちゃぐちゃにしたいときに傾く願望。

だめだ。死にたいときは美術館に行かねばならない。過去の教訓だ。
足さえ運べば、何とかしてくれる。誰かの何かの作品がひょっとしたら言外の力でもって死ななくてもいい生き方を教えてくれる。


ぼーっとしながら服を着替えて、もはやどうでもいい格好で外に出た。
死ぬつもりで外に出た。
でも、足は美術館に向かった。東京都現代美術館。行きたかった美術館の一つだ。

電車に乗る前に、駅前の100円均一ショップに入った。
文房具のコーナーで、カッターナイフを買った。2本入りで100円。自分を切るための道具がたった100円で選り取りみどり。皮肉な世の中だ。

カッターと一緒にライターを買った。
煙とニコチンで体の中のあらゆる管や毛細血管を全部真っ黒にしよう。石炭工場の煤で真っ黒な煙突か、もしくはアウシュヴィッツの焼却炉の煙のように。煙草は既に持ち歩いている。


美術館への道すがらに一眼レフを点検した。
写真を撮るのか? 自問した。
撮りたいものなんて何もない。世界が私を拒絶している。私は私という着ぐるみの中で窒息寸前だ。視界は狭いし、目は曇っていて、まわりがよく見えないから断崖絶壁をふらふらと歩いている気分だ。
誰か助けて。

言えたらいいのに、誰にも私を助けられるわけがない。私を殺そうとしているのは私だから。
だけど大事な人だけは傷つけたくない。でもそれだけ大事な人だから、私が死ぬこと死んだことは知って欲しい。ジレンマで脳が灼ける。

これってエゴだ。とんでもない自己中で、死んだことを知って欲しいなんて最大の嫌がらせ。暴力だ。
やっぱり私は死ななくちゃ。どうしようもなく醜くて救いようのない自分と刺し違えて死んだら、まだ少し自分を見直すことができるかもしれない。死んだ後で。


カッターは封を開けずに持ち歩いた。
いい天気だ。美術館までの道すがらに小さな子供と母親が、公園の水のみ場で遊んでいた。
ようやく歩けるようになった年の幼児が、蛇口から出てくる水を前にはしゃいでいた。
満面の笑みの合間に時々不安をのぞかせながら、蛇口に小さな小さなかわいらしい指を突っ込んでは、流れ出てくる水に歓声をあげて喜んだ。隣にしゃがんで見守っている母親らしき女性が子供に「不思議だねぇ」と相槌を打っていた。

温かい光景に、思わず笑んだ。
いつもなら声をかけて、一枚撮らせてもらえませんかとカメラを向けるのに、そんな気分になれなかった。

世界中の温かいものも酷いものも、私とは無縁に流れていく。無常観しかない。私は、果たしてここにちゃんといるんだろうか。


車道にかかる橋を渡っているときにふと眼下を見ると四車線をかなりの車が行き交っていた。
咄嗟に地上までの高さと、走行している車のスピードと重量を計算し、ふらふらと欄干に吸い寄せられた。
橋の下に、私を待つものがいる。
死ぬことは逃避でも何でもなくて、本当は自分の頭をガツンと殴って正気に戻りたいだけなのかもしれない。
いやそれとも私はやっぱり、自分が憎くて仕方ないから、落下して車に撥ねられるだけじゃ足りなくて、何台も何台も後続車に轢かれ続けて肉片にならないと気がすまないのかもしれない。

そうして、自分にとってどうにもならない何かにカタをつけようとしているのかもしれない。


欄干を離れて、また美術館への道を辿った。
なぜそっちへ向かうのかは分からない。
ぼんやりする。
今死んだらたぶん、私はぼんやりしたまま自分を切り刻んで、ぼんやりしたままどこかへ飛び込んで、でも涙だけは壊れたみたいに溢れ続けているんだろうなと考えた。

美術館の展示は、面白かった。
でもやっぱりぼんやりしていたから、何を見てどう感じたのかちっとも分からないまま帰ることになった。


前日の雨に打たれて、咲いたばかりのツツジがどっさりそのまま地面に花を落としていた。
行きにみずみずしい落ちた花々を見ながら「何もかも死んでしまえ」と踏みにじりたくなった。
帰りも同じ街路樹の下を歩いたら、踏みにじりたい気持ちは変わらないまま今度は何故かカメラのレンズを向けた。「全部枯れてしまえばいい」と呪いながら撮った。あの花は、多分私なのだ。

すぐ上には、甘い芳香を放つツツジの花が満開なのに、私はそちらにピントを合わせようとはせず、地面に落ちた大量の花房ばかりにシャッターを切った。何度も涙が溢れてきた。着ぐるみの私が流している涙なのか、内側で死に掛けている自分の涙なのか判別がつかなかった。どうでもよかった。


暗くなるまで、あちこちふらふらしていた。
死にたいという気持ちはいつもとても気まぐれなのに、やって来たときには大きな鎌を携えている。確実に自分を殺す死神が気まぐれにやって来る。


何となく死に損ねて、歩き疲れて滞在中の弟の家まで帰ってきた。
死ぬのは難しい。何かに後一つ偶然背中を押してもらわないと人間って死ねない。そのかわり、偶然が重なると呆気なくふらりと死ぬ。この日の私は、死ぬチャンスに恵まれなかった。かわりに生きねばならない課題を与えられた。
ベッドに倒れこんだ。


翌朝、足の痛みで目が覚めた。両足が血まみれだった。
血は乾いてこびりついて、どこが傷でどこが無事なのか分からなかった。
痛みをこらえながら足を洗った。傷が深く、肉の中に入ったままかたまった血液のせいで、やっぱりどこにどれだけ傷があるのか分からなかった。

床を見たら、流れた血が褐色に固まっていた。
おびただしい数の肉片が散らばっていた。
箱に入れたままだったはずのケッターナイフが二本とも開封されていた。
自分を傷つけた記憶は一切ない。

片付ける気力もなかった。
私の胸には心臓がなく、あるのはぽっかりと開いたままの死人の口のような何もない暗闇だけだ。

夜になって、床の血痕と肉片を片付けた。
腑に落ちなかった。
足への自傷は、いつも私は記憶にない。
私が自傷して私が忘れているのか、それとも他の人格が自傷して私は知らないのか。
記憶にない自傷の後を片付けるために雑巾で血痕を拭っていると、惨めな気分になって仕方ない。
私の24時間という時間や意志や人格や感情は、果たしてちゃんと私のものなんだろうか。

相変わらず、内側の世界とはアクセスできない。
だから私は一人で生活をこなさねばならない。それが得意分野だから、きっと私はちゃんとできるだろう。
でも時々、ひとりであることに耐えられなくなる。
自分ひとりの背中や足や腕や胴に、過去の通り過ぎた出来事や人間が絡みついて私を殺そうとしている気がする。私ひとりでは立ち向かえない。だけど、私は依存して誰かを潰したくない。潰さないために、私は自傷で折り合いをつけようとする。自分の過去で無関係な誰かを傷つけるより百倍マシだ。


足への自傷は、私がやっているのかもしれないと思う。記憶がなくても。
「もう頑張りたくない。前に進めない。歩きたくない」という潜在意識が高まると、足を切ることで自分を動けなくするのでは?と最初のカウンセラーが解釈していた。

思い当たることがあるとすれば、自分の人間不信や境界性人格障害の症状に向き合いたくなくなったのだ。
もう頑張りたくない、耐えたくない、人間不信の自分では歩いていきたくないと思っていたのは確か。今も思っている。私は依存されて死んだけど、依存して殺しもした。だからこのトラウマを乗り越えなくてはならない。毎日毎日毎日毎日・・・うんざりになったのだ。


今日は生きている。
死ぬ必要も、自分を傷つける必要も見当たらない。
でも、人間不信が根っこに絡み付いている。それはずっと変わっていない。少しずつ解きほぐしていかなきゃいけないのだろう。でもその「少しずつ」に時々絶望する。少しずつやってたら、私は明日にでも絶望して死ぬかもしれないし、とんでもない傷つけ方で大事な人の足を引っ張る。


誰か私をここから出して。

私という肉の着ぐるみの中で、ぶつぶつと独り言のように繰り返す。
カッターナイフで切り裂いたら、私がじゃーんと登場するのだろうか。
それとも、着ぐるみと私は臍の緒で繋がっていて、着ぐるみが死んだら私も死ぬのかもしれない。
でも私が死んでもきっと、肉の皮は死なずにニコニコしてるだろう。カメラで何か撮ったり、美術館を歩いたり、見たり聞いたり食べたり飲んだりして、生きてるみたいに動き続けるんだろう。


地面に振り落とされた花のほうが、よっぽど本物に見えた。
落ちた花に何を見出しているのか分からない。
雨に叩かれ、風にもぎ取られ、冷たい地面に折り重なり、踏み躙られたいのは私かもしれない。
あれが私なのかもしれない。
誰ももぎとってくれないから、自分で切りつけたくなるのかもしれない。
地面に落ちてはじめて、私が私を発見できるのかもしれない。
こんなことを考える私は、卑しいのかもしれない。


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ありがとう 

美鳥さん、おはようございます

絶えず、ツイッターを携帯からも覗かせていただいていたのでハラハラ
していました。なかなか掛けさせていただく言葉は見つかりませんが、
今日も生きていてくれてありがとうという気持ちです。

講演会の時に輝いて見えた美鳥さん、そんな美鳥さんにまたお会いする
機会があると信じています。

もう一度言います。
今日も生きていてくれてありがとう!

2010/05/16 10:37 | ブラックジョーク [ 編集 ]


 

「着ぐるみ」。
うん。それそれ!
私が会社にいる時ってそんなんだ!

モビルスーツとも考えたんだけど、私操縦してないし、誰が動いてるんだろう?と思ったら、やっぱ私だったか。(笑)
元々着ぐるみみたいな体形なのに更に着ぐるみって…。(笑)

バッチリな言い回しに気付かせてくれてありがとうです。

2010/05/17 06:59 | 桂子 [ 編集 ]


 

こんにちは、大変だったのですね、記事読んでびっくりしました。
遅くなりましたが、講演会はとても行って良かったって思いました!!ありがとうございました。
お会いできてハグまでしてもらって良かったです。
ツイッター、ワタシもやっているのでフォローさせて頂きました。nikoniko888です。

2010/05/17 14:00 | ニコ [ 編集 ]


>>ブラックジョークさんへ 

ブラックジョークさん、こんにちは。
ほぼ断煙状態ながらも友人の誘惑、居酒屋の誘惑、お酒の誘惑、コーヒーの誘惑に勝てず、すすめられると吸ってしまうエセ禁煙みとりですw
禁煙が続いてらっしゃるようで、はらはらドキドキ見守っております。がんばってください!

あっぷあっぷに溺れかける状態が時々あって、ご心配おかけしますmm
以前より苦しさも少なくなってきた気がするので、死ぬことはないのではないかと思っています。
ドド暗い記事は最早独り言でして、それでもコメントくださってありがとうございます。
講演会では、来てくださった皆さんにパワーとぬくもりをたくさん頂きました。
ご恩返しができるよう、回復を諦めずに日々粛々と生きていきます。
秋めいてきました。ブラックジョークさんも、クロちゃんも、風邪引かれませんように。

2010/09/15 14:53 | 美鳥 [ 編集 ]


>>桂子さんへ 

桂子さん、こんにちは。
ついに、教えてくださったミントチョコが発売されて、買いだめまでしたみとりですw

> 「着ぐるみ」。
> うん。それそれ!
> 私が会社にいる時ってそんなんだ!

いわゆる「離人感」というやつですね。すっぽり何か分厚いものをかぶせられていて、こっちから発するものも外側から入ってくるものも、鈍くぼんやりしている感覚。
自分が自分じゃないような感覚、でも確かに自分が動いて、仕事や何かをしているのは分かる状態。
これは疲れますよね。すごく疲れます。
桂子さんも、会社でとても無理されてらっしゃるのではないでしょうか。疲労がピークなときや、その場にいたくない時に離人は発動するようです。


> モビルスーツとも考えたんだけど、私操縦してないし、誰が動いてるんだろう?と思ったら、やっぱ私だったか。(笑)

モビルスーツww 
どっちかっていうとモビルスーツの中の人感覚じゃなくて、操縦されてるモビルスーツの感覚かもしれないですねw

自分の感覚を記録として留めている面が強いけれど、書いて読んでもらうことで、自分もそんな感覚!と言っていただけるのは何だかうれしいです。
うまく言語化できないことって、もやもやしてしんどいですよね。何の解決にもならないけれど、言語化するのは大事だなぁと思います。
ガンダムは、ちゃんと見たことがないので勉強しますw ガンダム00をすすめられてますw

2010/09/15 15:00 | 美鳥 [ 編集 ]


>>ニコさんへ 

ニコさん、こんにちは。
お返事がとても遅くなり、その間にニコさんに起こった出来事を思うと胸が痛みます。
ブログでいつも拝見してます。

> こんにちは、大変だったのですね、記事読んでびっくりしました。

いつものことといえばいつものことで、治療は長くかかるようです。特に人の中で生きていく、自分が自分を背負って生きていく生きづらさが私の課題です。
すごく元気なときは大抵人前にいるときですが、何かの拍子にプツリと糸が切れて、ガーッと死の方向へ倒れこんでいく。それでも何とか今日まで生きていることを思うと、自分のしぶとさにあきれますw

> 遅くなりましたが、講演会はとても行って良かったって思いました!!ありがとうございました。
> お会いできてハグまでしてもらって良かったです。

こちらこそ、本当に遠い遠いところから時間もないのにありがとうございましたmm
本当はもっとお話したかったです。もっとお伝えできることがあるのに、うまく伝えられなかったことを悔いています。なので、今勉強中、次の講演の企画中です。冬には、何倍にも有意義に分かりやすく、当事者に必ず役に立てる情報を持って臨みたいと思っています。

またぜひお会いしたいです。
お会いできること願っています。
お気軽にブログにまた遊びに来てくださいね~!

2010/09/15 15:06 | 美鳥 [ 編集 ]


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美鳥(みとり)

Author:美鳥(みとり)
被虐待サバイバー。解離性同一性障害、うつ病、対人恐怖症ほか色々闘病中。境界性パーソナリティ障害寛解しました。毎日の光と影を綴ります。生育歴・来歴・病歴・活動はこちらをご覧下さい⇒<はじめに Profile>

講演活動・ユーストリーム放送しています。
講演のご依頼ご相談は、当ブログメールフォームからお願い致します。

診断名の有無に関わらず、生き辛さを抱える方々と温かい繋がりを目指しています。ご感想ご意見など、お気軽にどうぞ。お待ちしています。

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