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2011/12/31 (Sat) 繋ぐ

20111231.jpg
今年最後のブログ更新です。

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昨日から鬱状態が酷い。
朝起きてベッドから起き上がるまでに6~8時間。起き上がって1時間したら再びベッドへ。次に起き上がるまで1,2時間。
非効率もいいところ。

うつ病と診断も受けてる私だけれど、普段は解離の症状が強いせいか鬱を自覚することはまずない。だから無茶して動きまわって、ある日突然どーんと倒れる。
昨日と今日は珍しく鬱状態をはっきり自覚できて、きついったらない。
死にたいなぁと思う程度には苦しいんだけれど、死ぬ気力もないし本当に実行するほどでもない気がする、でも底辺すれすれに苦しいからやっぱり死にたい。心が薄暗い沼の底をぐるぐる這い回ってる。

うつ病の方々は皆こんな重い重い楔を心の中心にぶら下げて24時間を過ごしているのだろうか。私は解離で色々なものを麻痺させてるかもしれない。


あと20時間ちょっとで来年が来るなんて、不思議だ。

なんとか今年も生き延びたなぁ。生き延びることを目指してるわけでもないのに、生まれちゃったら人間て死ぬのがなかなか難しい。諦めて生きていくのも難しい。生きてる心は希望を持つし、より幸せになりたいと願う。笑っていたいし、傍にいる誰かにも笑って欲しい。自分は死にたいって思うくせに、大事な誰かが死にたいと言うととても辛い。失うのは怖い。気がつくと引き止めている。もう死にたいと言った同じ口で、一緒に生きようよと訴える。
この感情はポジティブだのネガティブだの仕分ける暇がないくらい、私もあなたも誰かも心をくるくる巡らせて生きている。


ありのままでいたいなと思う。
ありのままを認めるのが存外難しいことだと、年々ひしひしと感じる。
長所を長所と認めるのは、慣れてくると出来るようになった。困難なのは、当たり前かもしれないけれど欠点を欠点と認めること。過ちは過ちとして認めること。だけどそれでも歩くことは止めないこと。


私のブログは、あわよくば誰かの参考になればという思いはあるけれど、回復するためのヒントを書いているつもりは一切ない。私自身が回復できるのか分からないままに生きてる。これは私の日記、私が私自身に向かって書いている日記。
平常心の時も、平常心のつもりで取り乱している時も、ODや自傷、今度こそ死のうと思って書いた記事、これでもかと私の黒歴史が詰まっている。特にボーダーが酷かった頃の記事は、自らの犯罪履歴のように感じるので抹消できるなら抹消したい。でも、全部を平等に並べて晒すということ以外に自分の表現が見当たらない。


こういう性質のブログには、欠陥がある。私の感じ方を通して書かれた言葉に偏りがないわけがないし、それが時として事実と異なる印象を与えることがある。書きますと言って続きが書けなかった記事は一つや二つではないから、一部だけを伝えたままになった記事が与えた印象は多分事実とは異なっている。だけど、必ずきちんと書ける時にだけ書いていたら、今日までブログは続けられなかった。

偏りも過ちも未熟さも、とにかく書き続けない限りは修正も訂正もできない。生きている限り書き続けないと嘘になる。自分に都合の悪い記事を削除して何もなかったような顔をしたくない。ブログに流れる時間を積み重ねていくことで、私のどんな面も降り積もってくれればいいと思う。有罪でも無罪でもいい。きれいか汚いかも考え始めたらきりがない。私はここに自分のあるがままの形を刻みたい。そのためだけに書いていると言ってもいい。だから、これからも今までどおり書いていくしかないんだと思う。


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今年一年、読んでくださった方々、本当にありがとうございました。
普段感謝をお伝えする機会がありませんが、応援クリックにも励まされています。あまり外に出られない対人恐怖の私が、多くの方とネット上で出会うことができたのはクリックしてくださった皆さんのお陰です。ありがとうございます。

コメントを書いてくださった方々。今年は不調が続き、1ヶ月2ヶ月遅れの返信ペースにも関わらず書いてくださったコメントは私の宝物です。私は言葉が怖いけれど、言葉がとても好きです。コメント欄で頂く言葉を私がどのくらいかみ締めているか。噛めば噛むほど美味いするめのように私はいつも味わっています。人生の味がします。

Ustream放送に遊びに来てくださった方々。意識が薄くなってろくすっぽ喋れない時にも励ましてくださってどれほど心救われたかしれません。一時は喋れない病だった私が今放送を通して声で誰かと繋がることができています。見てくださる方なくしては決して続けられないものが、Ustream放送です。視聴者の皆さん全員に本当にお世話になりました。


書ききれないくらい今年、いろんなことがありました。
十分に振り返る時間もなく、来年がすぐそこまで来ています。こんなふうに慌しく去年も一昨年もやって来ては過ぎて行きました。時間は止まることがない。だから生きていけるのかもしれません。
私の未熟さや努力や迷いや葛藤、苦痛や恐れや希望。全部このままで来年がやって来ます。どれ一つも取り残さぬように、生を来年に繋げます。
今年一年、ありがとうございました。
美しいものも醜いものも、全部抱えて生きていけますように。
また来年も皆さんと生きていけますように。

よいお年をお迎えください。


美鳥 


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2011/12/30 (Fri) 黒の部屋で書く日記

20111230.jpg

1週間前はクリスマスだったのに、あと48時間で今年が終わる。
皆さんは年末如何お過ごしですか。

私は、30日に実家に帰省する予定でいたのだけど、31日に届く荷物待ちで大阪に留まることになった。
IKEAのデスクライト、とてもお得なお値段で買えたのは良かったけれど、ハロゲンランプが切れた。購入以来はじめて電球を取り外してみたらソケット?が特殊な型で、ネットでしか買えなくて、ちょうど年末で発送が混みあってるらしく一週間近く待っているのに一向に発送されない。
ハロゲンランプ待ちの年末です。

部屋の大掃除は早々に諦めた。机の上だけ片付けた。心の中の大掃除はしたから部屋にダンボールのビルが何本建ってようがどうってことない。

などというわけはなく、散らかっているのは苦痛だ。早く整頓された居心地の良い部屋に戻したい。精神状態が落ち着いたら、部屋も生まれ変わるんじゃないかと来年の自分に淡い期待を持っている。


部屋といえば、このブログも私にとって部屋のようなものなのだけど、ブログのテンプレート(PC用)を変更した。
心境と状況の変化を迎えたら、途端に黒背景が嫌になってしまった。友達から、黒背景に白文字は読みにくいから黒はやめてくれと何度言われても「いいや黒でいく!」と貫いてきた黒背景なのだけど、ある日突然耐え難くなってしまった。

黒以外の明るい色にと急いで変更した。ついでにブログの説明文やプロフィール文もちょっとだけ書き換えた。年が明けたらトップを自分の写真に差し替えて、きちんとリニューアルしなおす予定。


なぜ今日まで黒背景にこだわっていたのか、必ず理由があるのだと思う。
というのも私は普段、黒色恐怖症(自分でそう名づけている)を持っている。
ごくたまにだけど、突然周囲のあらゆる黒色が不気味な存在感を持って迫ってきて恐怖を感じることがある。

黒色恐怖症に襲われると、小さな黒から大きな黒まで全部恐怖の対象になる。こうして書いてるブログの文字も黒色だし、キーボードにプリントされた文字も黒、携帯充電器のコードも黒、パジャマのボーダー柄も黒、睫毛も黒、時計の数字も黒、目を閉じても闇は黒。
知らず恐怖が去って普通の世界が戻ってくるまで、黒に怯えてしばらく過ごす。
だから、私は普段からできるだけ黒いものを持たない。

私の中で黒は、どうやら死や自殺のイメージと心理的に結びついているらしい。
普段遠ざけている黒色を背景にしばらくブログを書いていたのは、我ながらおかしい。
でも、黒色が助けてくれた。
部屋(ブログ)の壁も天井も床も真っ黒に塗り、真っ黒な部屋で私は何とか息をしてた。書く日記のどれも、自分の何かについて書いているようで書けないもどかしさがあったけど、何も書けないよりましだった。
一時期私にとって黒色は、恐怖をもたらすのではなく、親しみや寛容を与えてくれる色に感じられていたのかもしれない。

自分でも制御できない心境の変化がたまにある。一個の生物のように色や形を変えている心が不思議だ。


前のテンプレートは黒ベース、その前は確かパステルカラーだった。
私がパステルカラーというのもキャラに合わないので、友達からどういう心境の変化だ、誰のブログかと思ったとまで言われた。その頃から私は現実での自分がよく分からなくなっていたから、ブログのテンプレートって結構精神状態を反映するものなのかもしれない。


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2011/12/29 (Thu) ライブ放送MitorixTV Vol.9 まとめ

配信直前に気付いたら両手が小さく震えてて、まずいなと思った途端に緊張して吐き気が止まらなくなって、今日こそ配信できないんじゃないかと思いました。
毎回思いながらも配信ボタンを押し、押したからには何か喋り始める。始めたら誰かが必ず見てくれていて「こんばんは」と書き込んでくれる。「こんばんは」と声に出して挨拶を返すと、そこでやっと私は、ああこの向こう側に人間がいるんだ温かいなと思い出して、ちゃんと喋れるようになる(それでも喋れない時もあるのが悔しいけど)。その繰り返して今日まで放送できています。
いつも綱渡り、波乗りのように怖くて楽しいです。

今年最後の放送、見に来てくださった方々ありがとうございました!
自業自得の複雑な心境のまま配信したら、私は何を喋るのだろうかと自分で自分が分かりませんでした。私は繕うのだろうか、テンションで誤魔化すんだろうか、憂鬱に沈み込むんだろうか、それとも手近な自虐に手を伸ばして悲劇ぶるんだろうか。

配信してみたら、いつもの私でした。いつもの自分でいることを最近ずっと心がけています。何かあっても自分に戻ってくること、自分でい続けること、自己嫌悪になっても有頂天になっても出来るだけいつもどおりの自分の頭と目と耳と口をキープすること。投げ出して泣いたり寝込んだりする方が楽なんだけど、それをなるべくやらないようにしています。ちゃんとした大人でい続けることに踏みとどまらねばと自戒するようになりました。既にとっくにいい大人だけど。

内容予告は、こちらでした。↓

▼ ネイティブ関西弁でお届け
▼ 診断名って何? 「過敏」・マイノリティは病か
▼ 地域福祉課に行ってみた
▼ オッサンに絡まれてオッサンの幻覚がうちのキッチンに立ってたことで医者に誤診されそうな件
▼ 自殺するにもググってしまう時代に生まれちゃった哀愁
▼ 来年の抱負はなんですか?
▼ 本日のおやつ⇒あったかハーブティー


①ネイティブ関西弁でお届け
今回、これだけができなかった・・・・!
それ以外は全て、ついでに今年の総まとめまで話せたのに、私のスタンダード装備関西弁はどこへいったのか。
今日は全く無理でした。関西弁なんか知りませんくらいに私の中に見当たらなかった。意識変容ってやつなのか、気分なのかモードなのかテンションなのかまるで分からない。相変わらず自分が掴めないところがあります。


②診断名って何? 「過敏」・マイノリティは病か
医者にとっての診断名と、患者にとっての診断名。区分した後、特に後者について自分の何種類かの体験をお話しました。「メンヘラーあるある」のツッコミには笑った。我こそが真の●●病なりといったネット上の争いを目にしたことがあるのは私だけではないのだなぁ。
その他、診断名をもらっている私と、一切なにも持っていない私の家族の話とか。強迫性障害の話を少し。ボーダーという診断名をプロフィールに書くことの意味とか。はじめて診断を下されたときの私の気持ちとか、その後変わっていった気持ち、今現在の状況。
この話題で私は今回喋りっぱなしだったのだけど、実は何回かに分けなきゃ無理だと思って今日は喋るばっかりと決めていたのでした。ということを最初に前置きするのをすっ飛ばしてしまった気がする。診断と精神薬の処方は切っても切れない関係だし、社会のあり方と新しくつくられる診断名も深い関わりがある、私には重大な問題に思えるので、色んな方のご意見を今後聞いてみたいと思ってます。私はこっち方面(複雑な話?)の能力が低いので、お知恵を拝借させて頂けたら嬉しいです。
この話題は、いろんな方向からまたお話していきたいです。


③地域福祉課に行ってみた
酔っ払いのオッサンに絡まれる⇒オッサンの幻覚がキッチンに現れる⇒統合失調症を疑われる⇒訪問看護士をすすめられる⇒不安を感じて地域福祉課へ行って相談
この流れで全部話せたのが良かったです。私にとって全部繋がっていて、かつ「普通」「普通じゃない」のものさしをずっと自分にあてられ続けたエピソードという点が一貫してました。
質問に答える中で何度も窓口の方が、「普通、解離性障害は~はできない」「普通、解離性障害は~だ」といったセリフを口にされたことで、私の複雑な心境は極まってました。今も極まってます。
訪問看護士をお願いするか否かの葛藤があるのですが、その理由も珍しいと言われました。詳しく話せなかったから、また次の機会にでも話せたらいいなぁ。

④オッサンに絡まれてオッサンの幻覚がうちのキッチンに立ってたことで医者に誤診されそうな件
私の解釈だと、あんなふうになります。自分から咄嗟に引き剥がした恐怖のツケが、後で転換されて幻覚になった、解離性障害の一症状だと思う。
けれど、医者やカウンセラーの解釈では私は統合失調症に限りなく近い、黒に近い灰色のようです。
私が持っている感覚、脳内が4つに割れる状態も、内側にある次元空間の異なる複数の世界の存在も、「異常」「普通ではない」と警戒され、すぐさま既存のカテゴリーのどこかへ放り込まれる。DIDが統合失調症に誤診されやすく、誤った処方でさらに余計な副作用を負って人生が狂う人がいる。DIDに限らず、あらゆる神経症や精神病での誤診は「普通ではない」と大雑把に片付けられる可能性が高くて、怖いと思う。
「普通ではない」感覚を持っている人たちは、口にすることを避けている場合が多いと思います。私もその一人で、言っても変人扱いや何らかの良くないレッテルを貼られることを経験から学んでいるから、できるだけ口にしないでいることが当たり前になっている。少し口にしたことで、やはり早速今までと異なる見解が専門家の口からするすると出てくる、そのことに私は不審を持って仕方ないです。
解離性障害が咄嗟に隔離した恐怖が後に幻覚へ転換という考え方は、精神医学ではどう捉えられるのか、お恥ずかしいことに無知過ぎてよく知らない。ただ、こういう捉え方はきっと精神医学よりも民俗学や神話や土俗的な民間療法に見られるんじゃないかと最近そちらに興味があります。視聴者の方が「狐つき」を挙げられて、時間があればお話を聞いてみたかったです。

⑤自殺するにもググってしまう時代に生まれちゃった哀愁
30分延長して話したかった話。
数日前の私の体験、「ひっそり消えてなくなる」死に方について。
樹海へ行くにも今はググって最寄り駅を調べられる、乗り換え案内で所要時間も交通費もあらかじめ知れて、テントが必要ならアマゾンでワンクリックで翌日に届き、届くまでの時間が親切にカウントダウン表示され、必要な食料や水を買うのに使える現地の店が家にいながらに調べられ、ストリートビューで道を体感できて、GPSで詳しく道案内してくれる。何だか複雑な気持ちになる。うまくいえない気持ちになる。
昔、言葉が話せなくなった頃に、何日も徹夜で新聞の自殺者情報を集めて地図で住所と発見された場所を調べ続けたことがありました。そんな話もできてよかったです。うまく伝えられたのか分からないけれど、自分が何度も求めてきた「死」、求めてもなかなか得られない「死」というものを実際に越えて向こう側へ行った人たちの情報は、私にとって負でも正でもなく、とにかく無視できない。新聞に載る味気ない無数の数行記事がずっと心に残っている。なぜなのかは、いまだ自分でもよく分かりません。


⑥来年の抱負はなんですか?
放送内で話した、書き出してみた箇条書きを書き留めておきます。

▼今年良くなったこと
・足カットをしなくなった
・痩せた(心労でだけど結果オーライで)
・減薬した(実は別種の増薬があったけれど飲まずに返しました)
・ボダらなくなった
・自分のありように観念した(せざるを得なかったので正直痛い。来年もこれでもう少し足掻きそうな気配)
・講演内容がはっきりと定まって私自身とちゃんとリンクした
・夢の形がととのってきた


▼今年良くなかったこと
・汚部屋が完成(ゴミを溜め込んだりはないけれど物が増えすぎ。不安を物で補填しようとしている)
・服が増えすぎ(室内にダンボールのビルが建った。自分を固めてくれる型を探した結果の惨状)
・自分を見失った(拒絶されるのが怖くて何かのフリをしようとする。案の定メンタルが悪化)
・講演できなかった(今年一番の反省。しかしどう考えても今年やるべきじゃなかった。やれなかった)
・やつれた
・症状がいくつか変化した(良いことか悪いことか今後次第)


▼来年の抱負
・訪問看護士を受け入れる(色々な理由あって、これができれば私の対人恐怖は相当改善されるはず)
・講演する(抱負というか、これは確実にやるべきこと)
・人の輪をつくる
・人が入れる部屋にする(羞恥がどうのではなく物理的に人が入れるスペースがある部屋の意)
・生活リズムを戻す(ガッタガタ。これがきちんとまわっていれば精神は安定し部屋もきれい。経験則)
・人と繋がる(人が怖い私の最大の難所。挑戦する気にすらなれなかったけれど意欲が出てきた)


⑦本日のおやつ⇒あったかハーブティー
不眠気味が続いてるのでカフェインレス、アルコールレスで過ごしてます。スタート直後は吐き気が酷くて飲む気になれず、配信中にやっとリラックスして飲んだときには冷たかったです。お酒持参で配信するのも楽しいし、今度は熱燗でもやりたいなー。お酒のみつつ見てくれる方もいるのが酒好きな私としては嬉しいです。



今回纏めてみたら、よくまあこんだけ喋ったな私・・・・!
他にも、私がつけてた指輪のお話もそういえばしました。盛りだくさん過ぎる。

しかし濃い内容でお伝えできたのではと思っています。思っているだけで実際は薄かったかもしれません。やっぱり録画を見返すことができません。羞恥で転げまわるスペースが今部屋にないので、部屋を片付けたら見直してみます。


「よいお年を」
て言うことができてよかった!
皆さんが、温かい。画面越しなのに何故あれほど温かさを感じるのか不思議です。
今年最後の放送に付き合ってくださった皆さん、過去放送に顔出してくださった皆さん、本当にお世話になりました。たくさんの元気を頂きました。長年の友人か家族のように支えてくださって、ありがとうございます。
今年一番の喜ばしいことは、Ustを始めて視聴者の方々と出会えたことかもしれません。無音の部屋でブログを書くのでもなく、片手間に携帯で呟くのでもない、生身の体と声で、ライブで話す時間は私にとって貴重です。
Ustream放送を始めて、本当に良かったです。

来年も、Mitorix TVをどうぞよろしくお願い致します。


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2011/12/28 (Wed) 私の両手は自由で温かくあれ -境界性パーソナリティ障害・ボーダー・対人恐怖 -

「どのツラ下げて」と自問自答し考え続けたけれど、ある人に突然連絡を取った。
行動は一瞬だったけれど、ずっとずっと考え続けてきたことだった。

私の願いは拒絶された。当然だ。

ボーダー真っ只中だった当時の私の言動は目に余った。毎日が凶暴な嵐。中心にいる自分自身も前後すら分からず息継ぎするのも精一杯に生きていた。目に映るもの全て、疑心暗鬼な私には罠に見えた。他人を攻撃したその手で自分を攻撃し、自己嫌悪に陥ると今度は世界中の人たちや神様に謝ってまわり殺して欲しいと思うまで自分を憎んだ。
自分が抱いた恐怖にかられて見境なく攻撃することも、過度に身を投げ出して謝罪することも、どちらも精神的暴力なのだと知ったのは後からだ。

徹底的に関係が壊れてしまった後、私は混乱したまま日々を過ごした。
荒れ狂う自分を離れて見続けてきた自分がいた。同時に、荒れ狂ったままの自分もいた。人間はすぐに変わることが出来ない。訪れた結果を感覚的に理解できない自分がいた。他方で、関係が壊れるまでの過去の細部まで検討し始めた自分がいた。
当時から今日までの私の心の変遷を書こうと思う。内容の性質上、一気に書いて読み返さずアップするつもりでいる。きっと文章は酷いからあとで文を修正するかもしれない。でも内容まで修正するつもりはない。乱文はご容赦ください。



当時の私の心は、合わせ鏡の世界を彷徨うようだった。
どこまで行ってもどこを振り返っても、何かが自分の恐怖を映し出し、映し出されたものがまたさらに恐怖を映し出す。私は閉じ込められているのだと思った。恐怖でさらに頭の中が血の色に染まった。

一方で、必死に自身に課さねばと強く強く思っていた一事がある。
他人を不当に貶めないこと。
しかし、情けないことに困難だった。
私は貶められることにも貶めることにも慣れていた。習い性のように、その場その場で私の心はコロコロと変わる。私は数年前までそんな人間だった。
どんなふうに変わるかというと、安心を得るために場を支配する。(支配という意識は当人にはまるでなかったが)支配するためには、主に2つの強みを使う。強者になって強者の強みを行使し、強者が通用しない場面では弱者となって弱者の強みを行使するのだ。
「強者と弱者の強みを使い分けて支配する」なんてことは、私にはまるで自覚がなかった。私自身には常に苦しみと混乱と恐怖が居座っていた。こんなふうに客観視して、あの凶悪な精神暴力の手口について当時の私が説明できる状態なら、きっと私は境界性パーソナリティ障害をとっくに克服していただろう。説明できるほどに自分のやっていることを自覚できる賢さと勇気があれば、私はもう少し他人を尊重することができたはずだ。


境界性パーソナリティ障害を抱えたままで生きてはいけない。少なくとも私は、自分自身を信じることができない苦痛はこれ以上抱えていられないと思った。何もかもが恐ろしく見えるのは、信用に足るものに出会っていないからじゃない。自分が自分の目と耳を信用できないから、世界中を信用できないのだ。

境界性パーソナリティ障害は、悲劇陶酔依存症なのだと思った。アルコール中毒から立ち直るには、アルコールを断つしかないと聞く。飲んでいる限りはアル中なのだ。同じく悲劇に陶酔している間は、私は永久に境界性パーソナリティ障害だ。恐怖は飼い馴らして生きていくものであって、その中で溺れ酩酊するものではない。正気を失った私は他者を悪気なく踏みつける。踏みつけてしっかり傷つけた後で、自発的なのかすら不明な自虐と反省に襲われ精一杯謝罪したところで、他者の自尊心を傷つけた罪がどう償われるというのだろう。


謝罪は、安易な自己慰撫に過ぎないと思った。
他者の尊厳を傷つけるとは、私が思ってきたような軽いものではないのだと痛感した。その重みの前では、これまで口にしてきた心からの謝罪の言葉も姿勢も茶番のように見えた。
どんなに止まらない自分を憎み、その都度他者に心から謝罪したとしても、結局また同じことばかり繰り返す私は狼少年と何も違わない。私自身が感じている罪悪感の痛みも毎回無意味に浪費しているだけだ。人生も人間関係も信頼も愛情も築けない、進まない。それを最も近くで見ている自分自身こそが最も自分を愛せない。


ここまで書いて、私は自己弁護しているように見えないか恐れている。
過去の自分の心理とはいえ、本当に甘ったれているなぁと思えて仕方ないからだ。これを書いているからといって今の私が当時の私を弁護するつもりがあるわけじゃない。境界性パーソナリティ障害の当事者にとって、症状は手のつけられないモンスターに似ている。自分のもののようでいて何もかもが自分の手を離れて暴れている、それをどこか傍でぽかんと見ているような虚無感だ。当時の私はそこにいるようで、そこにいなかった。過去にいるようで過去にもいない、現在にもいない、未来には儚い希望があったかもしれない。けれどそんな遠くまで見る目はその頃の私には備わってなかった。



どこまで具体的に書くべきか迷いながら書いている。書いてよいのかも分からないので、書けると思う範囲まで書こう。


私に欠けているのは、一貫性だった。
自分を貫く勇気。
とはいえ私はどこに自分の照準を合わせることが「自分」なのか分からなかった。自我同一性に欠けているところもボーダーからの回復には妨げになった。しかしこれは解離性障害でなくともボーダー患者は多かれ少なかれ自己像が定まらない。

今私は「自分の照準を合わせる」と書いたけれど、思えば無意識にこんな表現が出た。
ボーダーから回復したい、もうボーダーの自分は嫌だと思ったときに、私は自分を一掃して殺したくなるくらい憎んだ。絶望したのは、当時の自分のどこを探しても愛すべき箇所が見当たらず、他人と対等に向き合える価値ある自分がどこにも見つからなかったからだ。
だけどまさに「照準を合わせる」だった。
こんな自分なら誇りを持てると感じる一瞬があった。漠然とじゃない。具体的にだ。
そこにずっと照準を合わせ続ければいい。ずれたらまたやり直す。やり直している途中でまた恐怖に襲われ、自分を傷つけ他人を傷つけ、自己嫌悪で死にたくなっても死なない。ただただ、また照準を合わせる。

誰に褒められるでもない。当たり前だ。人と対等であること、他者を尊重することが普通にできて当然なのだ。そんなことを大人になって最初からやり直している自分を他人の目から見たら正直すぐに死んだほうがましだと思った。なのに私は、またも気が狂うほど同じ失敗をするのだ。失敗をする度に指摘される。指摘してくれる人に対する申し訳なさと、こんなことを後何回か繰り返したら見捨てられる恐怖と、自分は何故こんなに愚かで薄汚く生きているのだろうと恥ずかしさで死にたくなり、それでもまた自分ができることとは、自分の中の正しさに自分を合わせることなのだ。


この期間のことを、私は具体的にブログに書いたことが殆どない。
私の人生の中で、自ら目的と覚悟を決めて自身の弱さに飛び込んだのは恐らく生まれて初めてだった。多少の弱さと向き合う機会は幾らでもあった。生まれた頃に入信した信仰の影響で、常に客観視は癖になっていた。宇宙のどこか、この世界の遍くすべてが自分を監視しているように感じていた。けれど、それらは生易しい内省だ。自分の外側からやってくる弱さの認定だ。
境界性パーソナリティ障害を治したいと取り組んだ日々は、自分の内と外から徹底的に解体する作業だった。見たくないものしか出てこない。同じように境界性パーソナリティ障害を克服した人複数から話を聞くと、皆口をそろえて「回復を目指し続けるのは死ぬより苦しかった」と言う。本当に、死んだ方がましな毎日だった。


自己の解体といっても、最中の最低限のルールは一つだけだ。
他人を不当に貶めないこと。
自分から何が出てきても、どんな恐怖が襲ってきても、恐怖にかられて他者を不当に傷つけないこと。
会話も行動も、すべて他者を貶めるものでないかあらかじめチェックすること。
チェックするためには、安定した精神状態と時間が要る。不安発作にかられた状態ではチェックできない。だから同じ失敗を私は何度も繰り返した。恐怖に毎回負け続けたのだ。


思うに、その頃まで私が生きてきた世界というのは、パワーゲームで成り立つカオスワールドだった。
混沌とした世界で生きづらいかというと案外そうでもなく、場を支配した者が一時の安寧を得られるところが実に分かりやすかった。手段は何でもいい、誇りなどどうでもいい、理屈や正当性など無力な世界だ。
その世界で子供時代を過ごした私は、知恵が浅い分ずっと他者のパワーゲームに巻き込まれる側だった。
パワーゲームに負けて私が精神の安定を欠いても、パワーゲームの世界では大した問題として挙げられることはなかった。

むしろ不安や恐怖にかられた私を利用したい人たちにとっては、誰かの脆弱さは好都合なことも多かっただろう。手に負えなくなれば捨てればいい。実際にそんなことが繰り返されて、私の人間関係は安定しないままに大人になった。
誰と出会っても私はパワーゲームしかやれなかった。それ以外の対人関係が理解できなかった。理解できないものは恐ろしい。多分私は、無自覚に良い関係を遠ざけて生きてきたのだと思う。

長らく生きてきた混沌世界の空気を吐き出し、混沌世界の言葉で他者を思いやったり労わったり共感したりし、混沌世界の作法で関係を作り、信頼もどきや愛情もどきに終始して生きてきた。
強者になったり弱者になったり、苦もなく習い性で自身を使い分けて生きていた。虚しい、どこまでも虚しいけれど、華々しい行動化や事件を織り交ぜれば何とか生きていける。生きるとは、そんなことだと思っていた。

ここに私にとって厄介な問題が加わっていた。幼いときから入信している信仰だ。だけどこの話は込み入っているから別の機会にする。


とにかく私は、数年前の地獄の日々をきっかけに境界性パーソナリティ障害の症状が激減して行き、現在では殆どなくなった。完全に回復したなど甘いことは考えていない。心性として残っていくだろう。けれど、数年前になかった芯が私の中にできた。単なる照準合わせが、か細くもしっかりと形を持った芯に育った。生き地獄の中で見た自分のことは、忘れることはないだろう。生まれてはじめて直視した自分の醜悪な生き方、あの頃の心理や恐怖の前での無力さ、無知さ、根性のなさ。
きっと私は恐怖で暴れて怒りで我を失う状況で、自分の醜さを直視したことがなかったのだ。見捨てられ恐怖から来る希死念慮とは比べ物にならない、恥を晒す自分を殺害したい純粋な殺意に何度も襲われた。

忘れてはならない。あの苦しみを経て生み出した芯は、苦しかったからこそ二度と手離してはならないのだ。苦しかったからこそ、私は二度と戻りたくないと決意を何度でも新たにできるのだ。



この2年ほどだろうか。BPD(境界性パーソナリティ障害)について殆どブログに記事を書かなくなったのは。言葉が出なくなった。私は、何の病気でも語るときに「●●病は~」を主語にしたくない。「私は~」と話していたい。けれど、BPDについて「私は~」と語ろうとすると言葉が出てこない。Twitterでは、割合過去にボーダーの症状が酷かったときの心理など連続して呟くことがあるけれど、話し始めの主語はいつでも「過去の私は」「あの頃の私は」であって、「いまの私」では決してなかった。

言葉が出てこない間、私は自分を救ってくれたらしい生き方について手ごたえを確認し続けた。疑い深さは、これまでの人生から身につけた教訓だ。私は自分で試して確かめなければ、もう何も信じることはできない。どんなものにも良い面と悪い面、強い面と弱い面があるだろう。そのどれもを引き受ける気になってはじめて、私は変わったのだと言える。
毎日の生活の中で、対人関係で、私は自分が決めた生き方を貫けるかどうか、貫くことで何が起こるのか試し続けた。
詳しいことは省くけれど、その生き方は早死にするぞと近しい人に言われた。覚悟の上で始めたことだけれど、言われたようなことが何度か実際に起こった。そうなると私は何度も決意がグラグラと揺れた。私は多分痛がりなのだろう。苦痛に耐えることが苦手だ。人から拒絶されることが多分何よりも怖い。

けれど、痛かろうが怖かろうが、この生き方をしている限り私は魂まで砕けるような苦痛を味わうことがなくなった。
砕けたように感じてもう死ぬしかないと思っても、誰かの一言や小さな振る舞い、信頼できる関係の気配、半ば機械的に眠って食べること、日常で見つけるささやかな楽しみなどに掬われて、数日で生活に復帰することができるようになった。

ダウンしなくなったわけじゃない。傷つかなくなったわけじゃない。
苦痛が去ることが幸せなのではないのだと思う。
誇りと信念が芯に育つことが幸せなのだと痛感している。



自分から症状を追い出したことで私はボーダーから無縁になるかのように思えた。
けれど、不思議なくらいそうはいかなかった。私を別の生き辛さに直面することになった。

これまで何とも思わなかったようなやり取りの中に、不自然なパワーゲームの気配を見つける。気のせいかと思っていたら、放置している間にそれはみるみる大問題になり関係を壊した。最初は気のせいかと思った。ボーダーから抜けるために徹底して極端に自分を固定したものだから、過敏になっているのかもしれないと思った。
けれどどれだけ経っても私の感覚は戻ることはなく、むしろどんどん鋭敏になっていった。
一旦、苦心して自尊心を作り育ててみれば、手塩にかけた自尊心を不用意に傷つけるものがそこらに溢れていることに気付き始めた。今まで何ら問題に感じなかったことが、苦痛でたまらなくなった。特にボーダーの症状を持っている人と出会うと、普通のやりとりの中にたくさんのパワーゲームが見つかる。その言動のもとにある不安や恐怖、それらと戦っているであろう心細さは語られなくとも理解できる。私自身もボーダーである、ボーダーであったから。
以後、共感はできるけれど信頼関係は決して結べないという歯がゆい状況に陥った。この感覚の変化には、いまだに私は何と感じていいのか分からず茫然としている。けれど、多分これでいい、これは自然な道なのだろう。


一方で、それまで私を強固に支配していた「信頼関係は恐ろしい」という観念が驚くほど薄らいだ。何が変わったのでもない、私は自分の目と耳を前より信頼できるようになった、ただそれだけだ。回避気味ではあるものの、安定継続した関係性を築けるようになった。精神が不安定になった時、SOSが出せる友人が何人かできた。これまではSOSを出し、寄りかかって潰してしまったり、寄りかかられて潰れたりしていた。そんなことがなくなって、信頼関係のもとに相談したり相談されたりすることができるようになった。

私を傷つけるものから離れ、私を強く温かくしてくれるものと出会う機会が増えた。関係が壊れないようにと過度に「距離感」を考えることもなくなった。距離なんてどれだけ近くても遠くても、まず自分さえしっかりしていれば自尊心を損ないあうことなどないらしい。そんなこと考えもしなかった。




久しぶりにボーダーについて書いたら、案外と長文になった。
言葉は尽くしても尽くしても何も語れない。
ひとつひとつの体験を重ね味わってきた感情。爆発し投げ出しそうな自分を押さえつけ考えることをやめなかった忍耐力。それらを一瞬で砕く自尊心を傷つけた出来事。ない知恵を絞り、投げ出してはまた取り組み、どれだけ友人から知恵を借りたか分からない。ボーダーはボーダーであるが故に、互いの苦痛に共感できても、安定した関係を築くことは難しい。けれど、ブログやTwitterに散らばっているBPDに負けまいと執拗に挑戦し続けている一部の当事者の存在それだけで、どれほど励みになったかしれない。


私にこの生き方を教えてくれた人がいる。
生き方を教わったならば、私はこういう順番とやり方でしか自分なりの誠意が示せない。
ここまで来れてやっと私は初めて、謝罪や感謝を口にすることができる。その資格すらなく私は生きてきた。私は、私から正当性を奪う世界のものをすべて捨てなければならない。たくさんたくさん捨てた。手足を切り落とすような痛みとともに捨てた。まだ私の身には残っているかもしれない。
私が恐怖にかられて書いたものは、このブログにもたくさん詰まっている。読み返すのは今の私には苦痛で出来ない。だけど、恐怖と錯乱の中自分がどういう状態にあったのか、当時よりもよく見えるようになった。


恐怖が恐怖を映し出す合わせ鏡の世界の中で私が見たもの聞いたもの、一体何が真実だったのだろうかと、これまで考え続けてきた。
一個の人間にとって、尊厳がいかに魂と同等に価値を持つものか知って、合わせ鏡の世界は徐々に私の一人舞台へと様相を変えていった。
「悪魔とスゴロクを」という記事を、書いたことがあった。ボーダーの真っ只中にいた頃の記事だ。思い出して今探して読んでみたら、奇しくも私がBPD患者として出たドキュメンタリーで使われたシーンの話が出てくる。
過去の私は、こんなふうに書いている。

「永遠に、振り出しに戻る。
この手は、いつでも悪魔の手をしっかり繋いで、走るから。」
◇悪魔とスゴロクを(2008年4月18日)

BPDという障害を持っていて良いことなんて当然ひとつもない。本当に一つもないのだ。
そして損ねた信頼関係は戻らない。徹底的に壊したのは、私だ。
己の罪と、己が傷つけたものの真の尊さを、この順番これだけの時間をかけてしか私は気付くことができなかった。


だけど私は、振り出しには戻らない。
もう二度と悪魔と手は繋がない。何年も繋いでない。
繋いでいたこの手を汚らしく感じることがある。だけどそれでも私はこの手でこの先繋ぎたい誰かと手を繋ぐ。全部引き受けて生きるしかない。自分がやったことから逃げるわけにはいかない。ここまでに今日までかかった。長い長い時間かかった。
心の真ん中に生まれた誇りと信念を育て続ける。
やっとここまできた。ここからだ。生きるとは、ここからなんだ。


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2011/12/27 (Tue) ☆★ライブ放送MitorixTV Vol.9配信のお知らせ★☆



メンタルの悪化やメンタルの悪化、悪化を立て直そうとあさってな方向に頑張っちゃってメンタルが悪化という体たらくで少しの間休止状態になってたUstream配信を再開します!ゴゴゴゴゴゴ・・・・

私の自宅からライブ放送でお届けしてます番組MitorixTVの次回配信は、12月28日よる22時~(1時間半)開始予定です。

プライベートな雑談、メンタルのお話、本日のおやつ・お茶紹介、参加型システムを使って投票やチャットでみなさんとフリーダムに交流。PCとネット回線お持ちの方はどなたでも無料で視聴可能です。ぜひ遊びに来てください。
今年最後の放送、「よいお年を」を皆さんと交わして新年を迎えたいと思います。久しぶりで楽しみです。

☆★☆★☆★☆★ Mitorix TV Vol.9 番組内容予告 ★☆★☆★☆★☆
(いつものように当日のコンディションにより予告は変更されるためにあるけど今回は多分そんな変更あんまない多分)

▼ ネイティブ関西弁でお届け
▼ 診断名って何? 「過敏」・マイノリティは病か
▼ 地域福祉課に行ってみた
▼ オッサンに絡まれてオッサンの幻覚がうちのキッチンに立ってたことで医者に誤診されそうな件
▼ 自殺するにもググってしまう時代に生まれちゃった哀愁
▼ 来年の抱負はなんですか?
▼ 本日のおやつ⇒あったかハーブティー

▼ ご意見募集 「あなたが精神疾患治療中に納得できないこと・愚痴・面白いエピソード・ためになった体験・教えてください」

☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆

番組アドレス→ MitorixTV  http://www.ustream.tv/channel/mitorixtv


主にメンタルな話をする予定です。いつものように、私自身が実際に体験したことしかお話しません。今回は、この2ヶ月で起こった色々です。こうして並べてみると、年末慌しい時期にさらに憂鬱になりそうな暗い話題に見えますが、変な話ですが多分最終的には笑えてしまうのです。生きること自体がユーモラス。そんな気がして最近仕方ありません。

1時間ちょっとでこんなにたくさん話せるわけがないけれど半分はお話したいなと思っています。


見てくださる絡んでくださる皆さんのおかげで、気付けば既に8回も放送を続けてくることができました。
対人恐怖なのにUstream放送やるとか、放送やった日は興奮して眠れないとか、自分の喋りの拙さに公道を転げまわって懺悔したくなること毎度なのですが、放送するのが大好きです。

2011年の残り数日のうちの1時間ちょっと、お時間許せば是非番組に遊びに来てください。


では!
明日よる22・00~ MitorixTV Vol.9(22:00~開始予定)みとり家からライブ放送@大阪年忘れ
で、お会いしましょう。


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2011/12/27 (Tue) ここにいていい

20111227.jpg

2ヶ月近く更新してなかった。
あまりにたくさんのことがあった。
連続して謀ったように同じパターン同じ構造を持った出来事に打ちのめされた。
1日1日を過ごすだけで精一杯、碌に意識がない日もあり、とある事件で幻覚を見るようになり、それを知った医者やカウンセラーから統合失調症を疑われたり、訪問看護士を入れる話が出たり、3日前にはテントを持って樹海へ出かけてそのまま失踪する予定を密かに立てた。

感情的でもなく悲劇的でもなく、思考や想像の飛躍も一切なく、冷静に客観的に死と死に至るまでの方法を、死ぬ理由に照らし合わせて計画立てた。決行日までのカウントダウンもおよそやった。普段、数字や時間の計算が苦手な私が、あらゆる条件を足したり引いたり掛けたり割ったりして算出した。たまに自分が目的に向かって進み果てるだけの鉄の魚雷のように感じることがある。不良品を間引くように事務的な手つきで不良品を選出し、私が決して受け入れることができない醜いものを私自身でくるみとり、私ごと丸めて捨てることができるならと思った。

最近の私は、心がとことん苦しくなると口を閉ざす。連絡も断つ。にも関わらず私が今回本気で決行するつもりでいることが何故分かったのか、気付いて迷わず手を差し伸べてくれた友人たちを不思議に思う。ありがとうと言うべきなのかもしれないけれど、空想の樹海で一度死んだ自分がまだこの体の中まで戻ってこれないのか、何だかぼーっとしている。
僅か3日後の今、こうしてブログを書いているのは3日前の死のうと決めた気持ちが軽かったわけでもなく、3日の間に劇的に私が変身したのでもなく、ただいつもの自分に戻ることができたそれだけ。

微々たる進度でも私は少しずつタフになってきている。打たれ慣れたのでもない、打たれ強くなったんでもない。私は多分この種のダメージには生まれて今日までずっと弱い。もっと鈍感になれたらいいね、スルーできるといいねとアドバイスされる。心配してくれる色んな人に言われる。
だけど、私は私が醜悪で残酷だと感じるものに対して鈍感になるつもりはない。私は、このままで生きていく。このままでしか生きていけない。決まっている。あらゆる理由で私はこのままでいい。このままでいいんだ。

タフになってきたのは、私の心の皮膚が分厚くなって鈍くなってきたからじゃない。
どんな形のどんな重量のどんな性質のどんな凶器が、どの角度からどんな手段で自分の生命の心臓に突き刺さるのか、きちんと目を開いて見ることができるようになったからだ。

凶器を握った手がどんな手かも見える。凶暴な手はすぐ分かるから、すぐ退けられる。怖いのは、一見優しい手。きれいな手、礼儀正しく常識的な手。見栄えのいい正義や愛情を美しい絹の手袋を纏うように装っている手は、凶器よりも恐ろしい。

善良に見える手ほど、残酷に凶器を駆使する。そうして私の苦痛と血で汚れたままの手で日常へ帰ってしまう。私は置き去りのまま。私の血も苦痛も絶叫も涙も、何もかもなかったことになってしまう。もしくは実際よりも何倍も軽んじられる。同意しなければ私は狭量で神経質な人間として烙印を押され、全ての出来事に曖昧な始末がつけられる。

純粋な悪意から生まれた純粋な害意は、私にとって殆ど無罪だ。
分かりやすいものの何が怖い?何が痛い? 苦い毒は、親切だ。甘い毒は、飲み干して息の根が止まるまで舌に優しく甘いのだ。

私自身のこの手も、知らず凶器を握り誰かへ刃を向けていないかいつも考える。にこにこしながら誰かを殴りつけてないか、心配顔で踏みつけてないか考える。こうして考える癖は多分一生消えないだろう。やめる気もない。私は自分が被害者なのか加害者なのか考えたいんじゃない。自分や他人をジャッジするために考えたいんじゃない。

私は多分、子供の頃の私自身を目の前にしてずっと生きている。
私は私自身に向かってこの日記を書いている。幼く、悪に無知な子が無防備に傷つき続け、守る術もなくさらされ続け、魂を蝕む甘い毒を泣きながら飲み続けていた子供。無言で喉を掻き毟って一人で泣いていた子供。あの子に、もうこれ以上同じ毒を飲ませるわけにはいかない。もう沢山だ。
他人が飲むのを見るのも嫌だ。ましてこの手で飲ませるのも嫌だ。


2ヶ月の間に味わった痛みは、場所も関わる人も全部違うのに謀ったように質も深さも同じ痛み。繰り返し繰り返し、同じ場所同じシーンで自分を守れず絶望する繰り返し。
たまに戦闘ゲームのような夢を見る。何度も何度も同じシーンをやり直しさせられる。殺されても殺されてもまた挑戦させられる。相手を倒すまで夢は私を自由にしてくれない。あの夢とそっくり同じ。

こんな場面ではいつも、私に与えられた道は2つしかない。負けを認めて絶望に絡め取られて死ぬ。もしくは、突然自分の明瞭な声を聞く。
一声で絶望が霞んで色を失くす。

絶望をまた一つ捨てた。
きっと私はどこへも行かなくていいのだと思う。
なのにここに踏みとどまる勇気がなくて、臆病にかられて闇雲に歩きだす。
ここまで来れた。この場所は私の心でちゃんと見てちゃんと聞いてちゃんと確かめて見つけた場所だ。
私はどこへも行かなくていい。


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美鳥(みとり)

Author:美鳥(みとり)
被虐待サバイバー。解離性同一性障害、うつ病、対人恐怖症ほか色々闘病中。境界性パーソナリティ障害寛解しました。毎日の光と影を綴ります。生育歴・来歴・病歴・活動はこちらをご覧下さい⇒<はじめに Profile>

講演活動・ユーストリーム放送しています。
講演のご依頼ご相談は、当ブログメールフォームからお願い致します。

診断名の有無に関わらず、生き辛さを抱える方々と温かい繋がりを目指しています。ご感想ご意見など、お気軽にどうぞ。お待ちしています。

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