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2011/08/27 (Sat) むしろ元気な時しか通院できない

精神科医ってどこまで患者の訴えをまともに聞いてるんだろう? 医者は、患者の状態を正しく把握するために最善の努力をしているんだろうか?
うつ病で通院している友人から、とある話を聞いて、精神科医と患者の理想的関係とは一体どんなものか?久しぶりに強い疑念を抱いて考えてみた。

医者と患者の関係は、主に診察室においてのみ。その診察室で物理的に患者はどれくらいの時間医者と顔を合わせてるのか、ざっと計算してみよう。
1回の診察時間を5~10分、1ヶ月に2度の診察と仮定する。1年間通院した場合、医者と患者が会う総時間数は僅か2~4時間になる。
医者は、患者の生活そのものに関わってくる書類を書く機会がある。障害者手帳はじめ、障害年金の申請、職場への休職願いに添える診断書。医者の書きようで受けられるサービスが変わってくる。

友人の場合、医者が友人の家での生活能力について、実際とは異なる状態を書類に記した。気付いた友人が訂正を求めたけれど、頑として訂正に応じないのだという。友人は「できません」と申告しても、「あなたはできているはずだ」と医者が譲らないという。実際のところは、医者が譲らないのではなく「(医者個人のプライドの点から)譲れない」だけなのだろうけれど、医者が年間2~4時間の診察のみで、診察室外の患者の常態まで把握していると妄信するのはいかがなものか。


自分自身を鑑みると、私が病院に行く時は大抵元気な時だ。家にいる時とは、状態がまるで違う。
受付時間内に外出するにはメンタルとフィジカル両面の調子が整っていなければ不可能だ。身支度して病院までの道のりを乗り切れるだけのパワーがある時でないと病院へは出かけられない。診察室では医者と話すわけだから、人と話せる精神状態でなければならない。
条件が揃った時に病院へ行く。だから、医者はかなり元気な状態の私と毎回会っていることになる。
前述の友人もまた、元気な時しか病院に行けないという。

普段は、症状ひきずって体を引き摺るように仕事へ行って、へとへとで帰ってきて他に何もできずぼろきれのように眠り込み、まるで眠れない夜もあり、悶絶して朝を迎えてまた仕事へ行く繰り返し。休日は屍のように横たわったまま、食べ物を買いに出る元気もない。
けれどいよいよ薬が切れてきて、どうしても病院へ行かねばならなくなった時、数日前から病院へ行くため準備を始める。体力を確保し、計画的に調子を整え、努力の末に確保した元気でようやく病院へ。
「病院に行ける時は、結構元気な時。だから医者には実際より軽い症状に見えているだろう」という話を、私は他の闘病仲間たちからもよく耳にする。

経験豊富な医者ならば、勿論ある程度予測して診察してくれるのだろうけれど、診察室と家で患者がどのくらい状態が異なるかは、結局患者本人から聞くしか確認する術はない。
だけど中には患者が訴える生活状況の困難さを「そんなわけはない」と否定する医者がいるとは驚きだ。

「医者だからといって、患者の何もかも知ってるわけじゃない。何もかも把握できるわけじゃない」
という、人間として当然の前提を持つのは、医者にとって何か不都合でもあるのだろうか。あるのだとしたら、医者の個人的な保身しか見当たらない。それはもはや治療とは無関係だ。

患者の密かな頑張り、密かな苦悩、誰にも見せない生活上の惨状、病院にたどり着くまでの苦労、患者が胸に秘めて歯を食いしばって頑張ってる瞬間がいっぱいある。それらを知ってくれとまでは思わないけれど、せめて「診察室での患者だけが全てじゃない」ことを医者は最低限頭に留めていて欲しい。
実際私は比較的元気な時にしか通院できていない。



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2011/08/25 (Thu) 生にはしっぽがない 

20110824.jpg

数日前の19日、誕生日だった。お祝いにベトナムコース料理を食べに行った。
以前ベトナム滞在記を読んで、登場する料理すべてにはまってしまった。見たわけでも嗅いだわけでもなく、読んだだけではまってしまうのだから本を書いてくださった方のおかげだと思う。よくぞ美味しく書いてくださった。

私は大抵何でもどこの料理でも食べてみたい性格なので大満足だったのだけど、食べた全員が「美味しい」「ベトナムに行ってみたい」と言ったのだから、日本人の口に合う料理なのだと思う。どれも、やたら美味かった。

写真を撮ったのは前菜だけ。あとは食後のベトナム珈琲まで写真がどうだとか吹っ飛んでしまって夢中で食べた。美味しかった。
トップの写真は、ベトナム珈琲。コーヒー豆の産出国として世界で2位だとは知らなかった。フランスの植民地だったから、フランス式の道具で淹れる。植民地だった名残で、フランスパンもやたら美味いらしい。私はフランスパンが大好きなので、ベトナムはどこまでも気になる。食道楽の旅をしてみたい。

カップの上に置いたドリッパーから、ぽたぽた一滴ずつコーヒーが落ちてくる。ゆっくり落ちてくるのがいいドリッパーらしい。ベトナム人は30分かけて1杯のコーヒーを淹れて飲むのだとか。せわしい日本とは違う時間の流れも味わえる気がした。豆の味は暑い国の珈琲だからか、夏向きな味。ベトナム珈琲ならではのコンデンスミルクと相性が良い。いつも思うことなのだけど、その国の人はその国の特産物の一番美味しい食べ方飲み方を心得てるものだと感心する。

ところで私が誕生日を迎えるにあたって1,2ヶ月前から周囲で話題になったのは「美鳥は一体現在何歳なのか?」だった。
私は、どうしても自分の年齢を覚えていられない。極端に数字に弱いからだ、解離性障害のせいだ、年齢というものに一切関心がないからだとか、諸説考えられるけれどとにかく忘れてしまう。書類で年齢記述を求められると冷や汗をかく。自分が何歳か分からないんですとは言い出せず、一か八かで予想年齢を書くのが常だ。それでも後で確認しようなどと考えたことはない。多分極端に関心が持てないのだと思う。
今年は自覚を持って己の年齢くらい知っておくべきだと正解を確認したのだけれど、努力の甲斐なく1ヶ月ほど経ったらまた忘れてしまった。時々自分の脳はどっか壊れてるんじゃないかと本気で心配になる。これも解離の一種の記憶障害に入るんだろうか。

自分は何故ここまで年齢を記憶しておけないのだろうと考えていたら、気付けば長文を書いていた。纏まりがつかないから、それは別記事に移動した。キーワード「年齢」で過去の記憶に検索をかけてみると、具体的な記憶が次々蘇ってくる。殆どが苦々しい思い出ばかりだ。
年齢を短期間で完全に忘れてしまうのは、故意なのか無意識なのか、それとも過去の決意の為せる業なのか。考えれば考えるほど、極端な忘却には理由があるように思えてならない。

とにかく、まさか今日まで生きているとは思ってもなかった。生きるのは難しいけど、死ぬのも難しいってことなんだろう。そうそう死なない図太さも持ってるってことなんだろう。そしてまた死にたくなったりもするんだろう。
いまだに生も死も私には掴み所がなさ過ぎる。それでも生きて誕生日を迎えた。案外しぶとい。


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2011/08/16 (Tue) 明日から

20110815_1.jpg
明日からしばらく実家に帰省する予定。全然荷造りしてなくて、ちょっと焦り気味。東京の弟も帰ってきて、遅めのお盆休みだ。

実家の父の飼い鳥、赤ちゃんだったいろは(コザクラインコ)も、先月でちょうど2歳になった。
耐え難い事件もあったけれど、概ね空気が読めない父と、小鳥のくせに完璧に空気を読むいろはのペアは、紆余曲折の末、噛み合ってうまくコミュニケーションが取れるようになった。初めてペットを飼った子供のように父は当初いろはを前に硬直していたものだけど、今では人間に対するようにいろはに話しかけている。カッとなると何をするか分からない父だから安心はできないけれど、生物が情操教育に良いというのは本当だなと思う。父は変化して、いろはも成長した。動物の持つ飼い主への無条件の敬意や愛情のパワーを感じる。

小鳥は、2歳を迎えると落ち着きが出て丸くなる。文鳥は皆そうだったのだけど、コザクラインコもサイズが近いせいか2歳になって突然丸くなったという。人間でいう成人の時期。生れ落ちた世界に馴染むまで小鳥は2年かかるらしい。

トップの画像は、去年帰省した時にいろはに渡した誕生日プレゼント。店でわざわざプレゼント包装までしてもらった。
私の愛情や包装紙のありがたみを分かっているのかいないのか、ひたすら開封に勤しむ、いろは。紙を切るのが大好きだ。上質な紙ほど大好きで、人間が切られては困ると思う紙ほど切りたがる。包装紙の噛み具合はたまらないようだ。

20110815_2.jpg
↑ コザクラインコは、アフリカのナミビア出身の鳥で、巣材を運ぶ時に葉や木の皮を細長く切って腰にさして纏めて運ぶ。
いろはも切った紙は全部尻尾にさす。飼い鳥にも野生のDNAを感じる。

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凄い集中力。くちばしが鋭くて顎の力も凄いので、紙なんてサクサク切れる。噛まれると流血必至。家族全員、気が強い彼女のくちばしを恐れている。彼女に一番なめられているらしい私は、頻繁に噛まれる。鳥のクチバシに慣れてる私でも涙が出る痛さ。いつか力関係を分からせてやろうと誓うままに2年も過ぎ、いまだ勝てずにいる。

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プレゼントは、キティちゃんの電子ピアノ。コザクラインコは相当知能が高いので理解できるか一か八か。
何やねんこれと立ち尽くすいろはに、父が演奏してみせた。

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いろはの全身から遠慮なく放たれる退屈オーラ。↑ プレゼント主の気持ちインコ知らず。
家族から期待されてる空気を読んで立ち去りはしないものの、まったく興味を持ってない。そういえば、いろはの性格は体育会系。頭を使うことよりも、破壊や綱渡りや危険な遊びが大好き。
ピアノの電子音が嫌いだったらしいいろはが、「やめろ」と演奏者に抗議して噛むので、そのうち誰も触らなくなった。凶器のくちばしには逆らえない。

この他にも私は数知れず貢いできたけど、報われたことは殆どない。インコ心はまるで分からない。孫の好きな流行の玩具が分からないじいちゃんばあちゃんと同じだ。

しかしさすがに今年は手ぶらで帰省する。
部屋の中を小鳥が飛んでて肩にトンと乗る重み、小鳥と一緒に食べものを分け合って食べ、一緒に遊んだりドライブしたり、ちょっとした言葉が通じたり。久しぶりに小鳥と暮らす生活が楽しみだ。
動物がいる暮らしって、めちゃくちゃ癒される。


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2011/08/14 (Sun) 手首にいる別のだれか

甘え方が分からない。助けても言えない。
自分を傷つけることをやめたら、他にどうしていいのかずっと分からない。
自分を傷つけることって誰かに刃を向けるのと同じだから、私はもうできない。
でも終りがない。
変わっていくようでなにも変わらない。

なんにも怖くない。
私はなんにも持ってない。
多少怖くても痛くても必ず通り過ぎるまで耐えられる。
望まれないなら存在しないでいい。
でも終りがない。

なんで泣くのかな。
なにがつらいのかな。
なんで悲しい。

徹底的に自分を無価値に貶めたら楽だろうなって思う。
自分の命を踏みにじりたい。
私はごめんなさいって泣いて謝りながら多分笑うんだろうな。
泣きながら笑って、笑いながら泣くんだろうな。

だんだん夜が白んで朝になるなら良いのに、
真っ暗闇の真夜中が来て恐怖で叫んでるうちに突然昼間になって、
光に慣れてほっとした頃に、また突然真っ暗になる。

生きたいって思ってるのは私で、
死にたいって思ってるのは私なのかな。
胸の真ん中に、重くて真っ黒な塊が棲んでる。
息が詰まる。
頭上に夜と太陽があるんじゃなくて、体の中で夜と太陽が喰い合ってる。

苦くて苦いだけの薬と、甘くて苦い薬と、どっちを選ぶのか考える。
どちらも毒薬に違いないから口にしないのが正解なんだけど、
正解になんて意味はない。
壊したいのか、壊さずに明日へ明日へ持ち越すのか決めるだけ。
でもなんにも考えたくない。
自分のことは壊したいけど、ひとのことは壊したくない。
わたしと一緒に壊れたい人にも壊させたくない。
生ぬるい壊し方しかしないって知ってるから。
中途半端に贅沢な自分はバカだ。


また左手首が痛い。
リストカットの痛覚だけが戻ってきた。
何度確かめても傷なんてない。
過去が舞い戻ってきてる。
手首はきっと私のものじゃないんだと思う。
自分の体が自分のものだって思えない。
涙も流したくて流してるんじゃないし、
過去を思い出して手首が痛むんでもないし、
ばらばらで、めちゃくちゃで、からっぽ。
昼も夜も長過ぎる。


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2011/08/13 (Sat) ガラス瓶の中の子供

20110813.png
毎日暑い暑い。昼に作った冷たいハイビスカスティーを写メ↑ ハイビスカスの花の赤色は、夏らしい赤。


前回の記事◇いつか自分を許すために、たくさんの方から温かいコメントを頂いた。びっくりした。本当にありがとうございます。ツイッターでも何と返して良いのか分からないくらい温かい言葉を頂いて、読んでくださる方々の無言の温かさが有難くて、泣きすぎて吐くかと思うくらい泣いた。実際ちょっと危なかった。ただでさえ女子力とは無縁なのに、感動し過ぎでゲロってマイナスを振り切ってしまうところであった。


ここまで書いて、小学校時代を思い出したから長文を書いたのだけど、感情に飲み込まれ言葉に纏まらなくて別記事に保存した。
2年生になってから、私は作文を書く度に賞を貰うようになって市や県の文集に掲載されるようになった。引っ込み仕案でうまく喋ることもできない私にとって、原稿用紙に向かって文章を書くときが、唯一現実世界で呼吸できる瞬間だった。その頃のことを書いていた。
私を助けてくれたものの一つが、文字の世界、本の世界だ。本がなければ子供時代の私は生きられなかった。文字の世界に恩がある。言葉を大切に扱おうと苦心する人に恩がある。それは今も変わっていないのかもしれないと、頂いたコメント欄を読みながら考えていた。


想起すると酷く情緒不安定を呼び起こす過去の部分は別記事に移動したにも関わらず、ここまで書いてまた沈没しかけている。何が辛いのか誰のためなのか涙が止まらない。

大切にすべき自分らしさみたいなものを思い出す時、どうして常に悲しみや痛みが伴うのだろう。
決して悲しいばかりの思い出じゃないはずなのに、生々しく今も生きているのはぽっかり心に穴が開いた私の姿だ。まぶたの裏に浮かぶポツンと校庭に立つ私、放課後に誰もいなくなった教室に立たされたままの私、ぼんやりと表情のない私、こっちの世界に私がいるのが全ての間違いなんだ、だから皆苛々するんだ、と途方に暮れて泣きそうな私。
押し寄せてくる無数の光景は、全部遠くから私が私を見ている。記憶の世界に温度がない。垂れ下がるように頭上にのしかかる重力しか見当たらない。あの真下でくたびれ果てて、ぼんやり立ち尽くしているちっぽけな子供に、私は何をしてやれるのだろう。


コメント欄を使って誰かと、温度と表情を持った言葉をもってやりとりできる。ブログを書き続けていて良かったと心から思う。
こんな気持ちでブログを書きコメント欄で返信を書いていると、感覚が蘇る。
色も匂いも温度も持たないはずの文字と意味の連なりが、確かに色も匂いも温度も音も手触りも帯びている事実。「書く」ことや「言葉」の重みは、もしかしたらあの頃も今も何も変わっていないのかもしれない。切断され分断されたままだと思っている子供の頃の私と今の私は、何か同じ一本の糸で貫かれ繋がっているのかもしれない。


言葉について考えていたら、過去に書いた記事を思い出した。
◇2007/12/15 (Sat) 両目を開いて生きる 2 - 人格障害者の生 -

2007年の12月に書いたものだから、ブログを始めて3ヶ月過ぎた頃のものだ。
今日読み返してみて、おかしな表現だけど少し自分を頼もしく感じた。
文章は青いし、今の私と少し違うと感じるところはある。だけど、何年経っても私は言葉や人に向き合う時の気持ちは何ひとつ変わっていない。相手をよく映せる鏡でありたい、自分を出来るだけ磨いていたいと思っている。


子供の頃、耐え難い現実から逃れるために本の世界を貪っていた。
今の私はきっと、現実に生きるための言葉を書こうとしてる。



お気軽にコメントお待ちしています :D


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◇両目を開いて生きる 2 - 人格障害者の生 -
◇言葉が媚びれば私が消える
◇いつか自分を許すため


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2011/08/10 (Wed) いつか自分を許すため 



きちんと書こうとするのは今日はやめるよ。
昨夜書こうとした内容を書き留めようとしてる。昨日は頭が混乱した。今日は途中で記事が全部消えた。1時間前は書こうとしたら過呼吸でダウンした。それからずっと涙が止まらない。書くのが辛い。だけど書かなきゃ駄目だよ。

数日に一度は死にたくなる。マンションの真ん中が吹き抜けになっていて、真下がコンクリートの駐車場。あそこに頭から落ちよう乗り越えて飛び越えてしまったら一瞬で終る。何度も覗き込んで踏み止まる。今日死ぬなら、なんであの時や昨日や一昨日死ななかった?自問したら、壁を乗り越える足から力が抜ける。生きるのも難しいけど、死ぬのもなんて難しいんだ。

もう死んでしまえば楽なのにと思うのは一日に何時間置きか。
私はそういうの決して人前で見せない。極端に人前では元気で明るくて、誰も私が病気で障害者なんて思いもしない。暗かった性格も表面的に変えたから、どこに行ってもそんなに困らない。土曜日にライブイベントに行って、以前なら行く前から対人恐怖でぶっ倒れてた。だけど元気に行って踊りまくって、友達が次々紹介してくれるプレイヤーの人たちと臆面なく喋って、不愉快なナンパだってあしらえる。

だけど私は死にたくなるよ。何度でも死にたくなる。自分がどうしても好きになれない。前よりずっとずっと好きになった。死ねと罵るよりも、よく頑張ってるね今日も生きたねって自分に声をかけてやれるようになった。それでも私は、時々殺したくなる程度に自分が嫌い。そんな気持ちを、私は多分このブログにも綴ってきて、綴る度に今みたいに声をあげて、指が震えて何度も打ち間違えながら泣いた分書いてきた。
ドキュメンタリーに出た時、私がノートに書き殴ってた言葉がVに流れてた。何行も何行も真っ黒になるまでノートに書き殴っている間、1時間でも2時間でも声をあげて泣いてた。ずっと密着で撮ってたカメラマンに言われた。そんな凄まじい感情を抱えた毎日は大変じゃないですか疲れないですか、と。率直な質問で思わず笑ったけど「疲れます。死にたくなります」それが本心だった。

今この記事を書いてて、これはもう記事って言っていいのか分からないけど、私は自分を抑えるのをやめるって決めてこれを書いてる。多分、前回の記事とも全然違うし、別人が書いてるって思う人もいるかもしれない。ちゃんと美鳥だよ。私しかこのブログは書いてない。ここは私だけのありのままの場所なんだ。

こうして溢れてくるものを何の推敲もなく書くこと、この2年ほど、私にあっただろうか。私は、抑えて抑えて抑えてきた。もう過去の自分については十分に悼んだ。辛かった、可哀想だった、寂しかったね、怖かったね、不安だったね、一人ぼっちだったね、私すらあなたの味方についてあげられなかったね。そんなふうに、過去の自分についてある程度手当てができた気がしてた。だから次の段階へ。ちゃんとしっかり生きていける自分になろうとした。

頑張った。寝ること食べること、普通の人からしたら馬鹿みたいなことに1日中費やした。ちゃんと寝て起きることができるようになるまで、1年間かかった。その間、大袈裟じゃなく24時間をきちんと寝て起きるためだけに費やした。片っ端から調べて片っ端から試していった。殆ど起き上がれなくて自炊できなくて不健康だった食生活も変えるのに時間がかかった。合間合間にぶっ倒れて、解離起こして、希死念慮に襲われると何も手につかなくて振り出しに戻る。交代してるのか時間や記憶が飛んでも振り出しに戻る。使途不明でお金が消えたことも一度や二度じゃない。自分のことなのに自分で把握できない。だけど、またまともに生活しようとチャレンジするしかない。必死だった。

生活が整ったら、パンクする精神の息抜きや自分を知るために、やりたいことをやろうとした。音楽やダンスや歌や美術館巡り。これも治療過程でダウンしたり、対人関係や悩みが生じると簡単に駄目になった。障害者手帳の関係で市営の交通パスを支給されているけれど、去年は殆ど使えずに終った。

なんでこんなに私はやりたいことすら出来ないのか。
私の精神の病は勿論感染症でも何でもなくて、生まれた頃からのCPTSD。家庭環境に宗教団体に学校のいじめに、いまだ完全に蘇ることがない保育園時代の性的事件の記憶、一文なしになったこともあったし、過去の全部が決して過去になってくれない。私には記憶すらないものがたくさんあるだろうに、私の精神の病として確かに私の人生を支配している。私は運命から逃れてやろうと、失声症から抜けたときに強く強く誓ったけれど、そうして戦うべき何かが常に眼前にあって決して消えてくれないことが本当は苦しくて苦しくてたまらないんだ。

考えないでいたら? もっとリラックスしたら? もっと前向きになったら?
聞き飽きるほど聞いた。きっと一つの真理だろう。だけど私はたとえるならば戦場の強制収容所で育った。いつまで経っても銃や剣を手放すことはできない。安楽に眠ることができない。恐怖や不安がどうしても消えない。安心できる世界が分からない。馴染めない。

だけどちょっとは馴染んできた。以前の自分と比べるしかない。前より遥かにこの世界の生き方がわかってきた。もうちょっと寛いでいてもいいこと、そんなに怯えなくてもいいこと、信頼できる人の存在、信頼できない人の見分け方、いろんなことをやっと学んだ。
常に身から離れない世界への違和感も、うまく隠せるようになった。隠しておかないと不都合なのは自分なのだ。そんなに世の中は甘くない。無用な感覚は適度に蓋をする。


この間は、駅から家まで帰る夜道で、どんどん幻覚が脳裏を流れた。私なんて死ねと思ったんだ。真夏の通り雨みたいに、突然ぱらぱら死の欲求が降ってきて、あっという間に胸の真ん中に沁み込んでつま先から髪の先まで真っ黒になった。
誰か私を今すぐ酷いやり方で徹底的にぐちゃぐちゃにすればいいのにと思った。殺しが大好きな誰かよ、私と一緒に私を嬲り殺そう。協力してよ。私を肉塊になるまで切り刻んでレイプして束にして火をつけた花火を突っ込んで内臓まで焼いて焦がしてくれ。腐るまで引き摺り回して、私と一緒に私を嬲り殺して遊んでくれ。

映像はいつもどんどん流れる。なぜなんだろう。私の頭には、なぜこれが流れるんだろう。自分の生活を自分で作り始め、信頼できる友達もできた、全然うまくないけど自己表現も覚えた、喋れるようになったし笑ったり泣いたり怒ったりできる。
でもまだ過去が死なない。殺しても殺しても過去が追いかけてくる。今を育てても育てても、私の進歩は脆弱だ。希望を持つよりも絶望することに馴染みがよく、人を信じる能力よりも、警戒して恐怖する能力に長けている。


本当は今日書く内容は、自分ってまだまだ駄目なんだよなって反省の内容だと思ってた。
書き出したら、こんな内容になった。反省なんかより、ずっとずっと大事なことを書いた。こんな自分のことは、やっぱり憎んではならないんだ。静かに内省して、こんなことが分かりました、これから頑張りますなんてかっこいいことが書きたくてブログ書いてきたんじゃない。きっと2年前から私のブログは半分死んでる。更新頻度のことじゃない。私自身が私を監視するようになった。だけどそれは間違ってる。間違ってた。理屈抜きに心の底から思う。これまでの2年間を否定するのは怖い。だけど、今日こうして書かなければ私はもっとくだらない血の抜けた人間になる。

リストカットもODも、2年前から完全に自分に禁じている。他の方法で自己表現できるようになったこともあるけれど、最近自分を徹底的に抑制することが本当に良いことなのか疑問を感じてる。私は人の心をコントロールしようとしたり罪悪感を植えつけるために自分を傷つけたことは一度しかない。その他の無数の自傷は、泣きながら誰も読まないノートに書き殴ってきた言葉のように、自分ひとりに向け自分のためだけに、それから神様や運命や宿命や過去に向かってぶつけてきた。私が自傷する姿も傷も誰ひとり見たことがない。
だったら何故私は自分を抑えるのか。頭蓋に突き刺さる「切らなきゃ駄目だ」という自然な感情を、なぜ抑えるのか。抑えることで私は、もっと違う形で他人を巻き込んではいないか。「ODして意識不明で数日を越えたい」という苦しいなら当然抱く感情を、何故私は抑えるんだろう。何故だ。


昨日何気なく寄ったいつもの精神科の診察室で、最近の拒食の話をした。
食べることに罪悪感を抱いている。食べものが全部私に訊いてくる。「生きるのか?」「食べるのか?」「なんのために?」そんな話をした。初めて、解離性障害の症状にあたるらしい一般的には奇妙な感覚、体験を話した。それから、1,2ヶ月前に私の内側に突如あらわれた「G」に「私」をかわってもらうべきか悩み続けていることを話した。

医者は、拒食だろうが解離だろうが最終的にはどうでもいい、あなたが自分を許せていない事実だけが最も重大なんですと言った。あなたは生まれて今日まで、こんなに長い間生きてきた、その自分をもうそろそろ許してあげませんか、自分が嫌いなんてこの世で最も苦しい辛い感情です、生きてる自分を許してあげませんか。医者はそう言った。

「許す」
私は何故自分を「許す」ことができないのか。一体何の罪を犯したというのか、確かに「許せない」と感じている。徹底的にいたぶって殺したくなるのも、単に死にたいからじゃない。憎くて憎くて大嫌いだから、死んでも死んでも死に切れないくらい自分に暴虐の限りを尽くしたいだけ。そしてその感覚は、私が自殺できない最大の理由でもある。死にたいわけじゃない。自分が憎すぎて死ねない。あっさりぽとりと落ちておしまいなんて許せない。

被害者ぶるつもりはない。もしそうならブログなんて書いてない。人目につく場所で自分の内面を書きたいだけ書いている。これは被害者や弱者のスタンスなんてもんじゃない。真の弱者とは、具体的なことを何一つ書かず情にだけ訴えるのが勝ちだ。私はそれをしたくない。私の両親もこのブログを読んだことがある。なぜ私のブログだと分かったのか、それは私が嘘を書いてないからだった。だから余計に詰られたしおよそ思いつく非難という非難を浴びた。人非人だとか、家族を売ってると両親が私を苛烈に責めた気持ちは理解できる。申し訳ない気持ちもある。でも、私は私にとっての事実を書いてきた。書くべきだった。理解されにくいのは承知で言う。この点を貫いてきた自分を誇りに思う。

書く行為そのものが、何度も何度も私を救ってくれた。
耐え難い苦しみから逃れるために、私は感情や記憶や感覚を切り離して隔離し、別の自分で網状に拡散させて生き延びることを選択してきた。そのまま私は一つの体に一つの人格ではいられなくなった。だけど、書いているときは私が私であると感じられる。いつも手探りで大抵声をあげて泣きながら、一人の部屋で一人の自分の心に必死で触れてはキーを打っている。

私は、私を許せてない。
治療を始めて10年以上が経つ。それでもまだ、私は完全に自分を「許す」ことができてない。自分を随分好きになれたのに、もっともっと好きになるべきだという。私は、これ以上自分のどこをどう好きになれるのか分からない。3歳から発病したDID(解離性同一性障害)は多分一生完治することはない。
年齢相応の経験も少ないだろう。意識を失ったり動けなかったり、獣のような声をあげて床を転げまわり、希死念慮や自傷や幻覚幻聴、無差別大量殺戮願望に引きずり回され、多大な時間を費やしてきた。
人の心を傷つけるものが許せない。今こうしている間にも、どれだけの人が過去の生傷に苦しんで越え難い夜を越えて朝を迎えるんだろう。
頑張ってる私がいる。意地で、ただひたすらに弱い自分に負けまいと、敵味方区別がつかなくなるくらい必死で戦うときがある。私は全然強くない。
苦しい。自分に負けそうだ。寂しい。怖い。誰か助けて。もう無理。もう限界。もういやだ。死にたい。誰か殺してくれ。


これも本当のこと。ずっと書けなかったこと。自分が自分を監視してた。だけどそれはもうやめる。今泣いてるのは辛いからだけじゃない。安心した。ほっとしたんだ。私は強くない。私が私の目に、私は強くないってことを見せてやらないと駄目なんだ。許すってよく分からない。だけど、過去がまだ過去でないなら、まだ傷が開いたまま血を流しているなら、どれだけ時間がかかって悔しくても、何度同じことを繰り返してバカみたいって思っても、進歩ねーなって思っても、過去のことなんて忘れて前向きに生きろってありがちなこと言う人がいても、私はそうじゃないって言おう。
柔らかい頃に傷ついた心は、簡単には癒えないんだ。私は自分の傷の深さを甘く見てた。実際より浅いと思いたかった。
いつまでも痛がる自分が駄目なんじゃない。こだわってるわけでもない。悲劇に酔ってるわけでもない。私は幸福に酔いたい。健康になりたい。やりたいことがいっぱいある。信頼しあいたい人たちがいっぱいいる。

私は過去をまだちゃんと理解できてない。自分の弱さを弱さとして認めきれてない。傷ついたままの子供を放置している。もう一度やり直す。このブログを書き始めた頃の気持ちに戻って、原点に返るよ。



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2011/08/06 (Sat) 「私」をはこぶ

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「病気全部治ったんじゃないの?」と我ながら考えることが増えてきた昨今。毎日やたらアクティブ。殆ど体を起こすことができなかった去年よりも随分体力がついたのは確かだ。
生まれてこの方続いてきた症状がそんな簡単に治るものではないので、きっと期間限定。今のうちに色んなことを楽しもうとしている。
同時に、自分に燃料を注ぎ続けて一瞬も休まらないように努めている気もする。意識の階層の上澄みあたりを漂う自分に絶えず現実的な刺激を与えて、表層に繋留している。
私は、こんな自分が面白くない。半眼で生きている気分。水槽に閉じ込められた魚。かごの中の鳥。牙を抜かれた蛇。
適度な安寧さに無理やり押し込められた鬱屈がある。とても危ういバランスで成り立っている。
1日に何度かは、押し込められたものを解き放つべきか考える。ツイッターもブログも、半分は自分を鼓舞するために書いている。嘘じゃないけど、それだけじゃない。不安や苦しみや恐怖や痛みや怒りがある。深層からの声が毎日たくさん聞こえる。拾い上げてもいい、深く潜ってもいい。でも私は、現実に浮かぶことを選択している。
心が感じることを無視しているわけではない。だから、あとちょっとだけこうしていようと思う。

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堂島リバービエンナーレ2011 に行ってきた。
事前にホームページを見てみたら、画面が淡白過ぎて流し読みしてしまった。テーマ「アートと建築」、場所「大阪」に魅かれて何の前知識もなく会場へ。
看板↑ 淡白。

展示は、1階2階4階の3ステージ。
面白かったのは、アニッシュ・カプーアの31点の建築マケット。
内臓や性器や膜を思わせる建築物は、無機質であると同時に有機的で静的であり動的だ。空虚でありながら、同時に生々しさに圧倒される。何ともいえない気持ちになる作品たち。
ラッパ状に穿たれた穴の前に必ずといっていいほど人が立って内部を眺めているのが印象的。作者である彼自身の強い願望なのだろう。私も作品に穴を見ると必ず覗き込んでまわった。穴が向こう側に通じているのを見ると、少し嬉しくなる。砂場遊びでトンネルが貫通したときの嬉しさに似ている。あちらとこちらが繋がる様を見たいのは何故なのだろう。

森万里子・隅研吾の「ホワイトホール」。
洞窟のような建築空間の中でブラックホールを時間反転させるホワイトホールの理論に着目してつくったという映像が流れている。中にいると妙な感覚になってくる。ずーっと天井を見上げたまま時間の感覚が変化してくるし、天井の形状もよく分からなくなってくる。不思議な感覚を味わえて面白かった。
洞窟自体は、99%空気を含むノンフロンのウレタン素材で作られているらしい。てことは、1%の物質と99%の非物質で作られているわけだ。どこまで来てたか知ってるわけじゃないが最近の技術はここまできたのか。

安部典子
壁にかけられていた作品が一番好きだった。とにかく紙を切り抜いて切り抜いて切り抜いている作品は、私好みだ。紙が地層のように重ねられている。いい意味でとことん変態的、執拗な情熱とこだわりとシンプルさと思想が凝縮されている。

そのほか、藤村龍至の喪失を癒し死者を悼むための「リトルフクシマ」を構想した建築模型や、チームラボ 柳原照弘の「百年海図巻 アニメーションのジオラマ」は引き込まれた。


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雨宿りも兼ねて古民家カフェへ。
静かな場所で外の雨を眺めるのは好き


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わらびもちフォンデュと、豆乳ほうじ茶ラテのセット。ソースは、黒蜜、抹茶、豆乳クリームの3種類。豆乳クリームは、口の中でふわっと軽く溶けて優しい味。人との飲食では食べられるのが今回の拒食の特徴かもしれない。
約1年ぶりに会った友達との話は尽きなくて楽しかった。

その後は、ディジュリドゥ奏者GOMAの「GOMA記憶展~第二章~」へ。
GOMAは、3年前に交通事故に遭って以来、記憶の一部が消えてしまったり、新しい事を覚えづらくなる高次脳機能障害が残り、後にMTBI(軽度外傷性脳損傷)と診断されたそうだ。
事故後に突然描き始めたという緻密な点描画の数々。事故後、意識を回復するまでにGOMAが体験した眩しい光景を描いたという絵には、人間を超越した世界を見た。美しい色彩と眩しいまでの光を放つ絵で、見ていると怖くなってくる。ポスターから想像していたものより実際は遥かに素晴らしかった。見てよかった。
GOMAの演奏するディジュリドゥの音楽が流れていた。私はどの音がディジュリドゥか分からないので友人に教えてもらった。音の響き方や粒が、GOMAの描く点描に通じている気がした。

展示会場の屋上は、ガーデンバーになっている。
最初の写真は、ガーデンバーのもの。屋外なので、雨が降ったせいでびっしょびしょだった。残念。今度は晴れた日にハンモックに揺られながらのんびりしたい。

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↑ 今日、アフリカ雑貨屋で一目惚れて買ったかんざし。サイズは、房の部分だけで掌くらい。天然木にガラスに紐に麻にフェルト、アクリルにビーズに花の立体刺繍。カラフルでアイディア満載で手が込んでいる。こんな大好きなものに偶然出会えると幸せだ。


明日は、野外イベントへ出かける予定。
いつもなら既に4,5回は寝込んでいるペース。なぜこんなに元気なのか分からない。でも元気だから予定をどんどん入れる。怖い。不安。でも先のことなんて今はいいじゃないか。
翌日へ翌日へと自分を運んでいる。



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2011/08/02 (Tue) うつむかない日

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今日は、アフリカンダンスのレッスンに行ってきた。
楽しかった。楽しくてたまらなかった。行ってよかった。

あまり食事を取ってなかろうが少々体調が悪かろうが、それは障害持っていれば日常デフォ。
最悪倒れてもしょうがないなくらいの気持ちで通っている。
当然、メンタル悪化で欠席、体調悪化で欠席、向かう電車の中で発作起こしてリタイアが多く、レッスン料の半分はタダ払い状態。

それでもやっぱり懲りずに通い続けてるのは、ダンスが大好きだからなんだな。
今日帰りの電車の中でふとそう思った。

2年ほど前に初めて参加したレッスンで先生が、
「アフリカンダンスは、アフリカの人たちの生き方そのものです。厳しい自然環境、人種差別、貧困の中でも、彼ら彼女らは決して俯かない。アフリカンダンスの振り付けには、下を向いたままの振り付けはありません。辛い中だからこそ顔を上げて前を向き胸を張って踊る。どんなことがあっても歌って踊る。それがアフリカンダンスなんです」
というようなことを仰った。

今日のレッスンで先生は、
「アフリカの人たちは、持っていないものを嘆くより、たとえ少なくても今持っているものを最大限喜び楽しもうとする。それがダンスにもあらわれています」
というようなことを仰った。(どちらもうろ覚え)


私にとって、こういう性質のダンスは良くも悪くも紙一重だ。

ネガティブさで頭が一杯になっている時に、俯かずに胸を張って踊れなんて無理な話だ。今すぐにでも飛び降りて死にたいと思っている時に何がダンスだ。レッスン日はとても気が重い。踊っても踊っても浮上できず、踊れ踊れと呪いのように聞こえるジャンベのリズムは忌々しいし、振り付けなんてどうでもいい。手足は重いし気分も重い。身体がいうことを聞いてくれない。大鏡に映る自分はやる気がなく、ただにょろにょろのたくっていて不恰好だ。ひたすらに早く帰りたいなと思いながら、にょろにょろと時間をやり過ごす。

でもちょっとだけ、ほんの少しだけやる気が上回っている時は、踊らなければ損だ。
音楽に任せて身体を動かすことに夢中になっているうちに、ネガティブな気持ちは吹き飛んでしまう。
いつの間にか体中に楽しさが駆け巡っている。気がつくと笑っている。ちょっとくらい不恰好でも踊ろうとする自分が好きだ。少しでもカッコよく踊ってやろうと野心に燃える。集中すればするほど不思議と体がいうことを聞いてくれる。


今日は幸運にも後者の日。行きの電車でパニック発作を起こしかけたけど、そのままレッスンに駆け込んで音楽や先生や生徒さんやアフリカの精神に触れたら元気になった。ダンスの時だけは巻いてるパーニュ(西アフリカの布)が湿るほど汗をかく。

数日前から体調を調えて、絶対行くんだと心に決めていた。無理やり気分をあげようと言葉で自分に発破をかけたり、やれるだけの鼓舞をやった。私が自分で発する言葉の半分は、未来の自分自身に投げている気がする。このボールを取って来いよとあらかじめ自分に見せて遠くに投げるのだ。私は元来臆病だから、追うべきボールがないと遠くまで走れない。


小さく縮こまって出来るだけ目立たないように生きてた頃の私。上がり症で声が出なかった私。うまく笑うことができなかった私。
そんな過去の私が洗われて、臆病者の仮面の下に、ぴかぴか輝いている自分を発見する。
楽しいことも悲しいことも、本当は全身で表現したかった。本当は私はこうしたかったんだ。
理屈じゃない。身体がそんなふうに言う。
なんて幸せなんだろう。




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2011/08/01 (Mon) 千のおにぎり - 拒食・解離性障害・境界性パーソナリティ障害 -

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徐々に始まった拒食傾向が悪化してきた。1ヶ月前から、食べることが難しくなってきた。
意識しなければ朝起きて寝るまで一口も食べずに済んでしまう。体が受け付けない。がんばって食べると、吐く。
何故だろう?何故だろう?と理由が見当たらず、あれこれ試行錯誤しているうちに悪化してしまった。

ダイエットを始めようと思ったわけではない。
そもそも私は美味しい食べ物が好きだし、体重計の数字には興味がない。筋肉は欲しいなと思うけれど、それは健康的でいたい、かっこよく踊りたい、ちゃんと歌いたい理由がある。無意味な痩せには興味がない。
何故なのか、とにかく食べることが苦痛な日が増えてきて、そのうち普段着ている服がぶかぶかになってきて、あまりの変化なので測ってみたら以前より7キロ減っていた。会う人会う人に「小さくなった!」と言われるので、余程変わったんだと思う。

ここまで食べることが苦痛になったのは、2年程前の心理療法時以来だ。
あの時ととても似ている。
空腹は感じるのに、いざとなると食べる行為がたまらなく苦痛だ。体が雲みたいに軽くてつかみ所がなくて、何にも入れたくない。食べ物を入れると、私が掻き消えてしまいそうになる。

意志の力で何とか向き合うと、目の前の食べ物全部が私に訊いてくる。

「食べるのか?」
「生きるのか?」

一皿に5品目載っているとしたら、それぞれ全部が一斉に問いかけてくる。スーパーに行けば全ての棚の食材から問いかけられる。軽い恐怖とパニックで頭の中がぐちゃぐちゃになる。逃げ出したくなる。

2年前は、初めての経験だったから、顔つきが変わるまで打つ手が浮かばず痩せた。水一滴でも飲むと吐いてしまう状態だった。色々症状の地獄めぐりをしてきたものの、今度こそ死ぬかもと思った。

過去の経験から、今回は色んな工夫で何とか最低レベルの食生活を維持している。

食べるときには、できるだけ食べている意識を持たないように上の空で少しだけ食べる。
大好物のすいかの季節なので、すいかだけは切らさない。
食べるより飲むほうが苦痛が少ないので、牛乳でシェイクしたプロテインを飲んでいる。
一食は、たっぷりの生野菜を食べる。サラダには、蒸したささみをプラス。
ドレッシングは出来るだけ質素な味が良いので、エキストラバージンオイルと酢と塩と胡椒。
新たに編み出したのは、自らの解離的脳をうまく利用して、食べものそれぞれが植物であって食べものでないと自分に思い込ませて食べること。レタスは、レタスだと思わないようにする。ふかふかの畑の土の中で太陽を浴びている緑色の瑞々しい「植物」だと考える。椎茸は、原木の並ぶ高原や森を想像する。そうすると私の意識や五感は実際にそこへ飛んで、土や森や陽射しや気温や湿度や空気の匂いを感じる。そうすると不思議と気が紛れる。
厚揚げも、大豆畑を想像して食べると口に入れることが出来た。
食べることは当たり前のことかもしれないが、拒食になるとあらゆる工夫をしなくては食べられなくなる。こんな食べ方は正しくないって言う人がいるかもしれない。でも、とにかく食べなければ生きられない。今を乗り切るためには仕方ない。できることは何でもしようと思う。


最も難しいのが、炭水化物の摂取。
過食のときにはパンやお菓子など炭水化物を詰め込みたくなるのに、拒食になると最も抵抗を感じる。過食と拒食は、きっと根っこが繋がっている。背中合わせになっている。
パンやごはんを食べると、胃の中にどすんと砂袋を落とされた気分になる。体が重くて重くて耐えられない。涙が出る。
吐いちゃ駄目だ生きるんだ、苦しみに陶酔するかと自分を叱咤する。
何のために食べるのか?
自問しそうになる自分も抑えつける。何のために?じゃない。理由や目的を求めるのは、きっと単に生きることを否定したいからだ。
同時に妙な納得感もある。自分の今の在り方に、これでいいと感じている心もある。否定しなければならない。納得しそうになる自分を徹底的に無視して食べものを身体の中に捻じ込む。毎度やらなければ、食べられない。


偶然昨日読んだ本「解離性障害」(著:柴山雅俊)の中で、拒食について書かれてあった。
以下抜粋。(P161~162)
<拒食症にはどこか転換型ヒステリーと同じ「満ち足りた無関心」を思わせるところがある。彼女たちは人間関係にまつわる不安や感情を身体の肉とともに削ぎ落とし、制御し、それによってそれまでの自己愛的意識の連続性を維持しており、それなりに満足しているように見える。思春期にあらたに生じてきたさまざまな問題を、自己身体(=肉)との関係に置き換えて、自らの身を削ぐことによって葛藤を処理しているようにみえる。ちなみに私は身を削ぐという意味で、このような防衛を「身削ぎ=禊ぎ」と呼んでいる。
 拒食症の患者は不安や感情を肉とともに切り離し、自らの身体全体を変容させることによって意識の連続性や同一性を保持しようとしている。自分の身体に向けられた他者の視線については、ひどい痩せにもかかわらず、むしろ否認しているようにも見える。>


私は、現時点で拒食症と診断されたわけではないし、そこまで悪化しないだろうと思っている。どんどん違う手を考え続ければ、今のところ対処できている。
でも、ここに書かれてある「身削ぎ」の感覚はとても理解できる。
前回の拒食の時も、私は自分の中の一部を否定するために全存在を否定して削ぎ落とした。そうするしか方法がなかった。そうすることを私が選んだ。そこまで追い詰められた「治療」が、果たして本当に良かったのか未だ答えは出ない。下手をすれば死んでいた。治療者が解離性障害を理解していたわけではかったから、BPD向けになされた治療は悪影響も及ぼしたと思う。当時の治療法で心のバランスを失い命懸けの毎日で随分辛かった理由が、この本を読んで分かった気がした。


「周囲に迷惑をかけない」ということが、常に私の大前提になっている。
そこそこ迷惑をかけて生きているものだよ人間は、とよく言われるが、私にはまだよく分からない。以前より理解できるようになったけれど多分そんなふうに鷹揚になれないでいる。ある時期からの私の信念と通じているところがある。難しい。
本の後半に、解離の治療には安心できる場所と信頼関係が必須だと書かれてあった。読んでいたら涙が出た。
食べたくないのに無理やり食べるのは疲れた。自分で自分を叱咤し続けて他人から隔離するのも疲れる。ロボットみたいに自分を操縦してる。頑張ってる自分と頑張れない自分を、淡々と監視するのは虚しくて疲れた。だけど、これ以外に何の方法があるんだろう。

「千と千尋の神隠し」の中で、千がおにぎりを食べて泣くシーンがある。食事の時間になると思い出す。
あの涙と今の私の涙は違うな、と思った。涙に含まれている感情の分量が違う。
千のように泣いておにぎりを食べたい。



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美鳥(みとり)

Author:美鳥(みとり)
被虐待サバイバー。解離性同一性障害、うつ病、対人恐怖症ほか色々闘病中。境界性パーソナリティ障害寛解しました。毎日の光と影を綴ります。生育歴・来歴・病歴・活動はこちらをご覧下さい⇒<はじめに Profile>

講演活動・ユーストリーム放送しています。
講演のご依頼ご相談は、当ブログメールフォームからお願い致します。

診断名の有無に関わらず、生き辛さを抱える方々と温かい繋がりを目指しています。ご感想ご意見など、お気軽にどうぞ。お待ちしています。

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