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2010/11/27 (Sat) 受け継ぐ 受け入れる ? 解離性障害と統合失調症 ?

20101127.jpg

昨日は、病院の診察日だった。

先生は、最近、私の解離や人格交代の頻度について必ず質問してくる。
最近自覚してきた「2ヶ月前からの解離」についてと、「友達が、美鳥から来るメールが誰が書いたのか分からないような美鳥らしくない文章がたまにくると言っていた」などを話した。

そこで、思い出した。確か2週間くらい前に、自分は解離性障害ではなく統合失調症なのではないかと考えて恐ろしくなって、翌朝一番に予約なしで病院に駆け込む気でいたのだった。友達がくれたアドバイスが鎮静剤のように効いて、鷹揚に構えられるようになったものの、頭の隅に引っかかったままだ。

「私は、統合失調症なんですか? 解離性障害なんですか?」
何度目か分からない質問。
通院し始めて、折に触れてこの質問を投げかけてきた。返ってくる言葉は「絶対に統合失調症ではない」だ。それでも私は疑いを拭いきれなかった。幻覚や幻聴は、確かにある。これが解離性障害がもたらすものであって、統合失調症が原因でないとする医者の根拠がまるで分からなかった。もし解離ではなく統合失調症ならば、治療法と心構えを変えねばならない。

言い方を変えて質問した。
「もしかして私は、本当は統合失調症じゃないんですか?」
私がショックを受けることを見越して、医者はわざと嘘をついているのかもしれない。正しい判断力が働かない。この話題になると、私はまるで冷静でいられない。


統合失調症はとても苦しい病気だと知っている。この目で見てきた。もう亡くなったが、父方の祖母が統合失調症だった。自分も発病するのではないかと、ずっとずっと思ってきた。
耐え難い苦痛と孤独と差別と偏見に晒される病気だ。


祖母の陽性症状が激しくなると家中が荒れた。
猜疑心や警戒心、何かに追われている妄想、特に夜中に取り乱して家族中を起こしてまわったり、そうでない時にも常に幻覚や幻聴に襲われている様子だった。当然、生活を営むのも困難で、下の始末も大変だったと記憶している。祖母の様子を見ているだけで、自分の精神が妄想の世界に連れ去られてしまいそうな恐怖を感じていた。当時、私は小学生だった。

祖母の苦しみを理解する者は、うちの家族には誰一人いなかった。むしろ、無理解と偏見と見下しが基本だった。
私は、祖母に随分辛くあたった。機能不全家族の一員として立派に役割を果たしていたとも言える。私は、他の家族にならって子供心に優越感に浸り、祖母に厭味を言ったりすることで自分の安泰な地位を一時期確保した。親たちが悪く言う者をいっしょに悪く言うと、自分の株があがるし、自分への信頼度が上がることを知っていた。家族も団結した。祖母以外の家族からどう評価を受けるのか常に気にして振舞っていたことを、はっきりと思い出せる。


成人して自分が本格的に精神の破綻を迎えたときに、祖母に対していかに無理解で残酷なことをしていたのか知った。激しく後悔し、深く恥じた。謝罪したくても、祖母はもうこの世にはいない。最後まで、辛く厳しい人生を歩んだ人だった。病気によって苦しみ、孤独にも苦しんだ。

私は、「父方の祖母の血を引いているキチガイ」と、あらゆる機会に家族から罵られてきた。私は、自分に流れる血が生まれながらに汚れていて、どう頑張っても「まともな人」になれないことに絶望した。そもそも祖母がそんな病気だから私が罵られるんだと密かに恨みにも思った。
今になれば、親たちの罵りには根拠がない。私は祖母を恨むべきではなかった。


「統合失調症」という病名は、私にとって特別な響きを持つ。本来の意味以上の意味を含んでいる。
「私は頭がおかしい」「私は汚れた血を引いてしまった」「私はいつか発狂する」「私は誰からも理解されない」「私は世の中の邪魔者である」「私は友達ができない」「なぜなら、父方の精神異常者の血を引いているから」
日常的に繰り返される刷り込みによって、私の劣等感には頑強な根っこが生えた。「統合失調症」という根っこ。「宿命」ともイコールだったかもしれない。


病院の待合室はごった返して、いつになく混んでいた。
明らかに落ち着きをなくした私を見て、医者は丁寧に時間をかけて説明してくれた。
「解離性障害の解離状態、複数の人格が存在する状態、幻覚幻聴時の状態は、統合失調症のそれと全く同じなんです」
「それじゃ・・・私は統合失調症なんじゃないんですか?どっちなんですか?」
「説明が難しいです・・・脳の状態が同じなんです。まったく重なっているんですよ。しかし、あなたには今自分を一方的に罵る声もなければ、何もない壁と話したりテレビと話したりはしない。だから、大丈夫です」
「大丈夫といわれても、祖母が統合失調症でした。遺伝します」
「そうです。2人に1人の確率で遺伝するといわれています。でも、病気が遺伝するんじゃない。そういった脳の傾向が遺伝するだけです。たとえば、感受性が鋭い、繊細で神経質、ナイーブで対人関係で傷つきやすい、そういった性質を受け継いでいるということです」

「遺伝」というならば心当たりがある。私の赤ん坊の時のエピソードだ。

私は、生まれたときから異常に聴覚やそのほかの感覚が過敏だった。両親が食事するとき、私は2部屋分襖を隔てた部屋に寝かされていたが、両親が新聞を慎重に慎重にめくる「パラリ」という新聞のかすかな物音すら聞きつけて泣き出す神経質な子供だったらしい。
「どうしてあの音が聞こえるのか不思議だった」
と、今でも両親は言う。

この話をしたら、医者は「そういったことですよ」と言った。
私は、どうやら本当に祖母の血を引いたのだ。それは、重い重い事実だった。小学生だった私は祖母に辛く当たって理解しようともしなかったし、自分は祖母よりも正常だと信じて疑わなかった。かわいそうで惨めそうな人だなと思った。いつも俯いていて、孫としてどう接したら良いか分からず「頭がおかしい祖母にあれこれ教える頼れる長女」のスタンスを選んだ。とんだ傲慢で優しさのカケラもなく、無知で恥ずかしい人間だった。

私の人生が、両親や祖母の代、そのまた前の前の先祖から受け継がれてきたものの集大成だとは受け入れている。やっと受け入れられるようになった。けれど、そこに自分の過去の罪が加わると、重みに心が潰れそうだ。


次第に重くなっていく心の中で、医者と話して何点か確認した。
私が祖母の資質を受け継いだことが、必ずしも私が過去「辛かった」と感じた原因の全てではないということ。自分が辛いと感じた出来事は、資質とは別にやはり辛かったし、不当な出来事はやはり変わらず不当なのだということ。
一方からの見方に捉われず、全体を捉えられるようになったのはカウンセリング治療のお陰だ。


その後も統合失調症と解離性障害のかかわりを説明し続ける医者が、「統合失調症の資質を持った人は、傷つきやすい」と繰り返すことに、私は少し苛立った。
「それは、例えば、同じ辛い出来事にであっても、傷つきやすい人は傷つき、平気な人は何ともないということですか?」
辛い出来事は、辛いことであるべきだ。そんなふうに私は白黒つけたかった。傷つきやすい人間に非はなく、平気な人間は単に鈍感で感性が鈍いのだと白黒つけたかった。
けれど、
「そうです。生まれつき傷つきやすい人は、います。平気な人は、平気です」
あっさり、医者は答えた。私は、感情的になった。傷つくやつが悪い、と言われた気がしたのだ。

「たとえば、先生はどうなんですか?」
突然水を向けられた医者は、え?と身を乗り出した。
「先生は、傷つきやすい人ですか?それとも案外平気な人ですか?」
意地悪な質問だなと思った。私は、意地悪な質問をしている。自覚があった。

「私も、受け継いでいる人間なんですよ」
先生は、言った。私は、衝撃を受けた。
小さな悪意でぶつけた質問に、先生は真っ直ぐ答えてくださった。
「ぼくも、2人に1人、遺伝した当の人間です。だから、この仕事をしている。統合失調症も解離性障害も、悪いことばかりじゃない。他人に共感できる力がある、ホスピタリティ豊かな人が多い。そうでなければ、ぼくはこの仕事はできていません。うまく使えば、自分にしかできないことができる。同じようにあなたも、そうでなければ東京で講演会なんてできなかったでしょう」

気がつくと、私は泣いていた。
医者は、どうせ「私は、まあ・・どうなんでしょうね」とか言って言葉を濁すだろうと思っていたのだ。相手は精神疾患だ。相手が執拗に質問してくることについては、無難に答えておくのが常道だ。下手に情緒不安定になられても困る。医者が自分の個人的な話を語る必要なんてない。少なくとも、これまでの医者はそうだった。

けれど、躊躇なく自分について答えた医者の姿勢に、感銘を受けた。患者としてというよりも、人間として対等に接してくれているのだと感じた。

「あなたが統合失調症になることは、絶対にありません」

安堵と、何か言葉にならない悲しみが溢れてきて、ボロボロ涙がこぼれた。
解離と統合失調症の症状が一部完全に重なっているということも事実。祖母は、統合失調症だった。孫である私は統合失調症ではなく、解離性障害になった。
この病気は、果たして苦しいのだろうか。自分のことは、まるで分からない。私がもし客観的に自分を見たら、自分も苦しんでいるのかもしれない。やっぱり自分のことは、よく分からない。


そのままベッドにうつされた。
上半身だけ枕に預けて泣いていると、過去の罪や後悔が押し寄せてきた。
祖母が症状に振り回され、半狂乱になっていた姿が幾つも幾つも思い出された。その時に何もできず、ただぽかんとしていた自分の愚かさを呪った。私が今精神疾患と闘い、過去祖母もまた精神疾患と戦っていた。同じ病気ではないが、幻覚幻聴がどれほど辛いか今の私には分かる。現実と異なる世界を内側に抱えて人から変な目で見られたり、家族からも理解されず偏見の目で見られる惨めさ、症状に振り回されて自我が崩壊していく苦痛、恐怖。今なら分かるのに、今もう祖母はいない。

様子を見に来た看護士が、私の襟元まで毛布をそっと引き上げながら、私を覗き込んで、
「くるしいね」
と優しい声で言った。
いつものように、私は暴れだしそうになった。自分が弱っているときに、手当てされたり優しくされるのが苦手だ。看護士は安心させようと私のそばにいてくれている。でも、私には逆効果だ。気持ちは有難いけれど、抗いがたい暴力性が頭を擡げてくる。
「大丈夫です。大丈夫ですから」とだけ答えて目を閉じた。そうして誰もいないことにした。

内心で、違うんだと思った。
自分は、苦しくて泣いてるんじゃないとハッキリ分かった。
どうしようもなく悲しいから泣いているんだ。

今なら理解できるのに、祖母に自分だけでも寄り添えなかったことが悲しい。祖母は、どれほど孤独だっただろう。私たち家族の中にあって、幻覚や幻聴と現実の区別がつかず、おかしな言動を取ってしまう自分を抑える術もなく、きっと生きていることすら辛かっただろうに。理解されない悲しさは、どれほどだっただろう。
誰かが自分の悪口を言っている、警察が追ってくる、息子をさらいにやって来る、誰かが自分を捕まえようとしている、殺される、そんな妄想をよく口にしていた。そんなときの祖母の目は、この世を見てはいなかった。地獄を覗き込みすぎて、黒目は無明の底なし沼のようだった。


血というものに、どんな意味があるのか分からない。
けれど、虐待も含めて自分の過去を振り返り、受け入れていけばいくほど、現実とはスッキリと分かりやすいものばかりでできているのではないと気づく。私の両親はあくまで私を生んだ両親であり、彼らは悪人ではなく一般的に善人だ。そして、長い年月の中で変化してきた部分もあり、全く変わらない悪質さもある。
両親に期待することをとうにやめた私は、自分の人生をどう生きるかだけを考えている。そこで再び、両親や自分に流れる血に気づく。どうしても両親の生き方が反映される。ときに反面教師として、ときに自分に実りを与えてくれた人たちとして。

統合失調症だった祖母の血も、私は受け入れようと思う。私が思わなくとも、私に流れる血は自然の理のままに受け継いでいる。
私が克服したいと思った。私の代の課題なのだと思った。受け継いだものの中から苦しみを取り除き、自分らしく生きることは私の課題だ。挑む価値があると思った。私は、心無い罪を犯している。亡くなった祖母に会って、詫びることも話を聴くことももう絶対に叶わないことだ。



薬局で薬を受け取った。
泣きすぎて、鏡を見ると目が真っ赤だった。

統合失調症の薬も、昔より遥かに改良されて、症状を抑えて生活することも可能になってきているという。
祖母は、現代医療を全否定する宗教洗脳を受けていたせいで、薬は絶対に飲もうとしなかった。薬を飲んでしまったら神の国にいけないとでも考えているかのように、頑なに薬を拒んだ。

宗教は異なるけれど、私も宗教洗脳に苦しんだ。苦しんで苦しんで、命からがら抜けることができた。
私と祖母は、よく見てみれば似ている。
ただ、私は生きていて、祖母はもう死んでしまったことだけが違う。
せめて、私はちゃんと生きてます、苦しみも孤独も受け入れて温かな人間として生きていきますと言えるように、生きていきたい。
私は生きているのだから、ここまでどうにか生きてきたのだから、懺悔ではなく誓いとして、祖母の生も死も胸にしっかり抱いていたい。



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治療日記 | trackback(0) |


2010/11/23 (Tue) 無音世界の日記

明日、とても大事な用事があって、あまり時間がないのだけれど、書いておこうと思う。涙が止まらないから。

私は、このブログにありのまましか書かないことに決めている。ブログだけじゃないかもしれない、私が存在するには、ありのままでなくてはならないと思っている。どんな気持ちも、どんな過去も、さらけ出している人たちに、私は恩があるからだ。

私は、明日生きているか分からないことを念頭に生きている。いつも、そう。別段、悲壮な決意でもなんでもなく、闘病生活や、自分が目にしてきた人の死から、自然そう思うようになった。
そんな意味で、このブログは私の遺書だと思っている。紙1枚の遺書もあれば、毎日書く遺書もある。それでもいい。このブログは私の遺書になると、随分前に東京に住んでいる弟に託している。

前置きが長くなってしまった。

私は、ブログで自分について、あらゆることについて、時には性的な嗜好についても、全部をありのままに書こうと思っている。これまで、実際にそうしてきた。死にたいと思ったときには死にたいと書き、殺したいと思ったときには殺したいと書いてきた。「そんなこと書くもんじゃない」と通りすがりの良識的な方々に窘められたことなど、何度あるだろう。数え切れないほどある。なぜそんなに何でもかんでも書くのかと詰め寄られた厳しい体験は、一度や二度じゃない。
「それでも書くのか?」何度も何度も自問した。それでも書かなきゃならない理由がある。


ブログを始める何年も何年も前に、私は失声症になった。精神的ストレスから、喋れなくなった。言葉を発しようとすると目から大量の涙がこみ上げて止まらなくなる。そのうち、自分の感情について考えただけで涙が溢れて喉が詰まるようになった。呼吸もできない。
同居していた友人から、嫌がらせを受け続けていた。私は何も言えなかった。ただ殺意だけ募らせた。その殺意についてさえ、考えようとすると声が出なくなるので、考えられなくなった。悲しみも、なくなった。考える時には言葉を使う。その言葉が頭から消えてしまったから、私は本当の空っぽになった。


私が恩を受けたのは、失声症に完全に支配される前後のことだ。
当時、ホームページが主流でブログは殆ど存在しなかった。皆、大概は自作のホームページだった。
苦しんで苦しんで、言葉を失いつつある頃、私は幾つかのサイトに巡り合った。虐待体験や解離性障害との闘病、人を信じる怖さ、それでも信じたい孤独、信じても信じても裏切られる悪循環、親への潜在的怒り、親への慕情、腕を切り刻み、大量服薬し、フラッシュバックにのた打ち回り、どうにか一夜一夜を越えて朝を迎える人たちの、死に物狂いの日記があった。

その中でも主に3人の方の日記を、私は貪るように読んだ。更新がなければ、繰り返し繰り返し過去の記事を読んだ。なぜそんなに読むのか、そこに何があるのか、私は本当は分かっていなかったと思う。当時の私は、自分について何ひとつ知らなかったも同然だった。

私は、本当にいるかいないかも分からないネット上の日記を書いている匿名の誰かと、一緒になって泣いたり苦しんだりした。
当時の私は、「私は苦しいと感じて良いのか」分からず悩んでいた。ずっとずっと悩み続けて、答えが出ないまま衰弱していった。自分に対しては恐ろしく鈍感で、自分をぞんざいに扱った。けれど、人一倍他人の苦しみや悲しみに敏感だった。
当時の私は、勇気がなかった。
臆病で、力がなく、立っているのも限界で、知恵がなかった。他人に襲いかかる運命と立ち向かおうとするくせに、自分に襲いかかる運命には為す術がなかった。
無力な自分を罰することは考えるのに、自分を罰する運命に対しては思考を停止した。

私は、怖かったから。


当時、私が毎日死に損なって生きる勇気も死ぬ勇気も持てず、臆病なまま、ただ漫然とゴミクズみたいに生きてた頃。ネット上にありのままにご自身の日記を書き続けてくださった方々へ、ただひたすらに感謝する。

孤独で孤独で世界中で一人ぼっちで発狂しそうでも、そのアドレスに行けばいつも24時間サイトがあった。眠れない夜も、眠れないまま明けた朝も、死に損ねた日も、生き延びた日も、いつでも変わらずそこにあった。変わらず同じアドレスにいて、日記を書いていてくれることが心の支えだった。それがどれほど私の心を慰め、次の一日を過ごす力をくれたことか、言葉にできない。
苦しみも憎しみも壮絶な過去も、死に物狂いで書かれた言葉には力があった。
幸運なことに、どなたも閉鎖することはなかった。今も、私の密かな恩人の方々はサイトを続けてくださっている。
私はいまだにその方々にはメール一通書けない。敬意と共感と感謝と言葉にならないあらゆる感情でいっぱいになって言葉が出ない。


本当はもっと当時のことを詳しく書くつもりだった。
ここまで書いても、どうしても涙が止まらない。乱文かもしれないから、明日にでも書きなおすかもしれない。でも今は、考えどころか感情まで纏まらなくなったから、最後に大事なことだけ書いて、このままアップしようと思う。




当時、読むしか勇気のない私は、掲示板に匿名で一言お礼を書き込むことすらできなかった。現実世界で声を失った私は、ネット世界でも自分の言葉を持てず、ただただ読むしかできなかった。だから私という存在を知ってもらうこともできず、ありがとうの一言も伝えられず、いないも同然だった。

私がブログを書くとき、「いないも同然」の誰かが、このモニターの向こう側にいるのだといつも考える。私は、かつてそこにいた。自分が存在していることも許せなくて、小さく蹲り、できるだけ誰にも見つからないように息を潜めて生きていた。

でも、誰かに分かってもらいたかった。分かってもらうことなんて不可能だと言い聞かせてみても、誰かに知ってもらいたかった。自分が苦しいこと、悲しいこと、寂しいこと、存在していてもいいのか分からなくて孤独で孤独でたまらないこと。死にたいこと。死ぬのが怖いこと。


恩返ししたくて、書いている。



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2010/11/20 (Sat) ノーライス・ワンビール・フル肉(焼肉食べ放題の心得)

昨日は、久しぶりに美容院に行ってきた。
ストレートをかけるのに、朝9時前から行って終了したのが午後2時。約5時間かかっている。いつもこれくらいかかる。ずっと椅子に座っているとパニック発作の可能性があるので、必ず事前に頓服を服用。そのせいで眠らないときがない。

起きている間は、担当の店長と喋りまくる。楽しい。それでも5時間座りっぱなし。今回はストレートだけだったので、明日はカラーリングに再度行ってくる。これまた同じくらい時間がかかる。今日から体調を整えておかなくては。

母も実家から美容院にやって来て、ストレートを受けていた。二人とも終ってから、私の自宅へ。途中、いつものリサイクル店に寄って、私はコート3つと指輪とランプを買った。コートは、赤と朱色と紫の三点。カラフルなものは良い。好きだ。

昼食を食べ損なって、我を忘れて買物していたので(女は食欲より買物欲である)、日が暮れかけた頃に焼肉屋へ。ツイッター画面の傍に出るCM欄で、ジュージューに焼けた美味そうなステーキ肉の宣伝画像を見てから、すっかり脳は肉のことしか考えられなくなっていたのだ。

行ったことのある焼肉屋へ。食べ放題で肉もそこそこ美味しい。食べ放題って、いい響きだ。何を食べてもいいっていうんだから幸せだ。食べ放題って、そういうものだ。
しかし、この店は違う。ルールがある。
ちょっとでも食べ残したり、ちょっとでも飲み残したりすると500円の罰金を払わねばならないのだ。その「食べ残し」判定が、実に厳しいのだ。以前友達と行ったときに、もう胃袋に1ミリの水も入りませんってときに、グラスに1,2センチほどドリンクを残していたら、空いた食器として下げてもらえなかった前例がある。
だから、注文する度に互いの腹具合を確認しあわねばならない。とても神経を遣う。

私は、浅ましくも肉だけで腹を満たしたいので自分に標語を掲げている。
「ノーライス・ワンビール・フル肉」
胃袋に詰める割合である。
ごはんなどという普段食べられるものは一切腹に入れず、ビール1杯を合間の口直しに、あとはひたすら肉を食べるのだ。
罰金は払いたくない。お金の問題っていうより、店に負けた気がする。
食べられるのか食べられないのか、いやしかし食べたいという葛藤と戦って、腹具合と相談し続ける。焼肉は合間に焼かないといけないし、焼きつつ次を頼まねばならないし、制限時間もあるし、「残せない」「食べきらねばならない」「しかし食べたい」プレッシャーにすっかりやられて、帰りは疲れ果てていた。
生真面目に焼肉屋に挑んでしまった。

でも、久しぶりの牛肉フルコース。美味かった。当分、肉は見たくないくらい食べた。すっごい食べた。腹十二分目くらい食べた。焼肉屋に入る前にミスドで買ったドーナツを後悔するくらい食べまくった。


ところで、この焼肉屋には開店初日にも行ったことがある。店内に金魚がいる。入り口すぐに大きな水槽があって、金魚がうじゃー!と泳いでいた。赤い琉金(オーソドックスなひし形の体系で尾がヒラヒラしている)と、黒い出目金が美しかった。水槽内は金魚で芋洗い状態ではあったが、他では見られない壮観な図だった。CGかと思えば本物の金魚たちだったから、順番待ちの間も水槽の前にいて見飽きなかった。

それが、今回見てみたならば、たった7匹しかいない。
あれ?何か細いニンジンの千切りが入ってる・・・?と思って目を凝らすと、小さい普通の金魚が入っているような状態だ。どうしたことだ。あの大量の金魚は、どこへいったのだ。

ずっと気になったので、帰りの会計のレジで思わず「あの金魚、死んだんですか?」と訊きたくなった。好奇心が抑えられない。でも、さすがに飲食店で生き物が全滅したなんて話、風評に響くだろうから結局訊けずに店を出た。

そうしたら、エレベーター内で焼肉屋の店長と一緒になった。今から駅前でビラを配りに行こうとしている。エレベーターの個室に、私と母と店長だけだ。好奇心が疼いた。早速、訊いてみた。
「開店のときから来てるんですけど、あの金魚たち、死んだんですか?」
単刀直入過ぎる質問。
しかし、店内でないこともあり、オープンな大阪人気質もあるのか、
「いやーあれね、あんなに入れちゃまずかったみたいなんですよ」と店長は語り始めた。
誰かに話したかったのか、訊いてもないのに色々話してくれた。
「あれね、最初はね、あの水槽に150匹入れてたんですね」
「150匹!?・・・確かに、イモ洗い状態でしたよね。ワンサカ泳いでましたよね」
「そうそう。でもね、それじゃーだめらしい。死んじゃうらしくてね。次々死んじゃった。後で詳しい人に聞いたら、あの水槽には今入れてる7匹の金魚くらいの小っちゃいやつね、せいぜいあれ30匹で限度だって言われちゃってね、いやぁ・・参りますよね」

いわば店の売り、サブ看板の予定だったであろう。設計から設置、維持費、相当デカかった150匹のリュウキンとデメキンは、かなりの金額だっただろうと察する。しかし、それが殆ど無に帰してしまったとは・・・。
水槽は、長さが約3メートル近くある。数字や目測つけるのが弱いので、もうちょっと小さいか大きいかするかもしれない。でも、相当にデカい水槽だった。
あそこに30匹かぁ・・・と考えると、自分が住んでる居住空間の方が狭い気がする。金魚って案外繊細なのか?
飲食店だからといって、苦労は肉の質だの何だのだけじゃないんだなぁ。金魚で悩むこともあるんだなぁ。

母を駅まで送ったら、駅前で店長が店員とチラシを配っていた。「ありがとうございました」と言ってくださった。
何か、色々応援したくなる店である。
金魚問題を乗り越えて、頑張ってくれ!と心の中からエールを送る。

この翌日、つまり今日のことなんだけど、美容院と買物と焼肉食べすぎの疲労が祟り、大事な大事な用事に寝坊して行けなかった。その話は、次回。

おおおっ!この記事は久しぶりに、普通の日記ぽいぞ!
ちょっと元気になってきたのかも。


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2010/11/18 (Thu) バナナを使って解離を説明してみた ? 解離性同一性障害 ?

すっかり外出できなくなっている今、外から客がやって来た。ケースワーカーの家庭訪問だ。
私は、私担当のこのケースワーカーが初対面から苦手で、苦手っていうか正直嫌いであった。初めて会ったときの印象が悪かったのだ。私の精神状態もあまり好ましくなく、卑屈な気持ちが多分にあった時期だから、時が変わればもしかしたら好きになれるかもしれないと思い、顔を合わせる度にイメージ修正しようとしたが失敗し続けていた。嫌いなものは、嫌いなのであった。

そのケースワーカーが自宅に来る。前回は、私は歩けない状態で室内で松葉杖をついていたから、玄関先での立ち話だけだった。今回は、そうはいかない気がした。何かとお世話になっている。それに何より、今のぼーっとした状態では刺激がないので、あちらから刺激がやって来きてくれるのは良いことかもしれないと思った。

部屋を片付けようとしたが、相変わらず意識がアレなので一向に進まない。考え事もあったので、ますます進まない。早々に諦めた。座る場所があれば良かろう。

ダンスレッスンに行くときにはシャワーを浴びることができなかったのに、なぜか今回はシャワー完了。入浴恐怖も波があって、全然読めない。


予定より少し早くにケースワーカーが到着。部屋に通して、世紀末のように散らかっている部屋の真ん中で1時間ほど話した。1時間のうちに、私はケースワーカーの人柄を勘違いしていたことに気づき、やっと自分の心の眼鏡が曇っていたことに気づいた。
彼女(ケースワーカー)は私に性格が似ていて、はっきり物を言わないと気がすまないし、相手が子供だろうが権力者だろうが関係なく自分の筋は通しますという、まさに私とそっくりな性格の持ち主だった。同族嫌悪から、いけすかないやつだと私は感じていたのだ。

まずはケースワーカーが調査票のようなものを取り出してペンを握り、私に幾つか質問してきた。
体調はどうかと訊くので、「健康です。元気です」と答えた。「じゃあ精神状態は?」と訊くので「悪くないです。元気です」と答えた。「でも、解離が酷いので生活状況はボロボロです」と続けたら、紙に走らせていたペンを止めた彼女は、意味が分からないという顔で私を見た。

彼女は解離性障害、特に解離性同一性障害を持った人を担当するのは初めてのことらしく、本で勉強するのが嫌いな性格で、すべてフィールドワークでしか身に着けたくないタイプだ、だから知らないことが多い、話して欲しいといわれた。

何でも答えますと言うと、まず人格の数について訊かれた。
とある理由で、このブログでDID(解離性同一性障害)の「交代人格」とか「マッピング」とか「内部構造」に詳しく触れるつもりがまだないので今回ここで明らかには書かないけれど、人数を答えたら「そんなに!?」と驚かれた。でも、当事者にとって「多い、少ない」という感覚は全くないので、どう返したら良いのか困った。


それから人格それぞれの年齢や何かについて訊きたがったので、分かる範囲で答えた。でも、すべてを把握しているわけではないし、何よりもさっきから人格についてしか訊かれないのが気になった。慣れてはいるけれど、「DIDです」というと、即ビリー・ミリガン、その次に人格それぞれについて知りたがる人が多い。実際に私が困っていること、苦しんでいることはそこではないから、ズレた質問ばかりに答えるのに疲れてきた。

私から話の方向を変えた。
まず、DIDの人格だけではなく、それらが存在する「内側の世界」があることを話した。彼女は、「その世界はどこにあるの?人格はどこにいるの?脳にいるの?」と訊いてきた。

これだ。最初に人格について。次に、どこに世界や人格は存在するのか。よくある質問の2つ目だ。
用意しておいた説明の出番だ。
「当事者の感覚は脳にあるというような感覚じゃないです。例えば、今私が「バナナ」って言いますよね?ほら!今あなたの頭にバナナの映像が浮かんだでしょ?味も知ってるでしょ?浮かんでいるのは脳の中じゃないですよね?そこらへんです。その場所ですよ!」
我ながらうまくたとえたなぁと思った。

「そうか!」と、ケースワーカーは心得たようだったけれど、次のセリフは、こうだった。
「じゃあ、思い浮かべると、その人格の子が出てくるのね?」
「や・・・ちがいます・・・そういうふうに出てきたりはしないし、部屋があって、入れたり入れなかったりするし、部屋も消えたり場所が分からなくなったりするし・・・うーん・・・・」
やはり説明に困ってしまった。

こういう話をしてみたのは、実はDIDについて調べれば調べるほど、文献・書籍の類は殆どが当事者の実際とあまりに掛け離れていることに気づいたからだった。
まるで、日本語には存在しない表現を持つ外国語を無理やり日本語に翻訳したような違和感が拭えない。健常者の感覚で健常者の表現で解離性障害を説明するから、当事者の感覚との齟齬が生じるのだと思った。(今のところ1冊だけ、これだ!という本には出会っている)
だとしたら、当事者である私はどこまで自分の感覚を伝えられるのか。本当に注目して欲しいこと、困っていることサポートを必要としていることは「人格」にまつわることではないのだと、どう身近に感じてもらえるか。最近、このブログ記事でも試行錯誤している。前回の詩めいたものは、その一つだ。

思ったことは行動に移して確認しないと気がすまない性格なので、今回ケースワーカーに試してみた。バナナという譬えで途中まで非常にうまくいった気がしたけれど、やっぱり敢え無く失敗した。

去年は同じパターンで、「精神疾患者であるということを、全く無知な人に説明したらどう伝わるのか」を実践してみたこともあった。その時の相手は、たまたま電気の点検に来た普通のおっちゃんであった。面白いやりとりになったのだけど、そういえばこのブログに記録していない。もったいないことをした。


ケースワーカーに感覚を伝えることは諦めて、実際に生活で困っているひとつひとつを具体的に伝えていった。
今一番困っていることといえば、予定がことごとく無駄になること。それでもまた予定を立てる。立てなければ、ただ生き長らえているだけになってしまうから、自分らしい時間を作ろうと苦慮している話をした。
「カレンダーに書いていたらどう?」と提案される。
「書いてます。スケジュール帳にも書いてます。でもこの間それを開いたら、予想外にプレッシャーで過呼吸起こして嫌になっちゃいました」と話した。ケースワーカーは、絶句した。

その他にも、金銭管理の面、突然のフラッシュバック、唐突にやって来る体調不良、物の紛失、物の増殖、ダイエットなんて無理なこと(交代している間に菓子など食べられてしまう)、解離が酷くなると翌朝生きているのはラッキーだということ、幻覚幻聴の疲労は著しいこと、たまに世界が同時に4つに割れてそれぞれが稼動し続けること、あれやこれやと思いつくまま話した。
引ったくりも解離の最中にやられたし、でも数ヶ月に渡って後始末をしたのは私だった。部屋を大掃除していても、気がつくとバラッバラになっている。また後片付けから始める。そんなことも、ざらだ。

人格の○○ちゃんがいてどうのこうのなんて話、当事者にしたら、それどころではない。DIDにもタイプが分かれるようなので一概には言えないし時期によって症状の出方が変化し続けている。私の場合は、とにかく生活を維持できないことに困っている。

ケースワーカーは、しきりに「大変やなぁ」「それは苦しいなぁ」と言った。私は、まったくピンと来なかった。というのも今の私は物凄く元気だ。数年前に、毎日どうやって自分をとことん殺してやろうかと考えていたり、失声症になったり、大量無差別殺戮衝動で頭を占拠されたり、共依存でのたうちまわったり切腹の真似事したりリストカットしたり、貧し過ぎて飢えてたり、そんな時期に比べたら奇跡的に安定している。
「いやいや、すごく楽です。本当に過去に比べてびっくりするくらい楽ですよ」と話したら、余計に痛ましい目で見られてしまった。よほど過去が酷かったのだなと察してくださったらしい。

今は今で解離状態が深めなので、自分の苦痛などには鈍感な時期かもしれない。だから、今言ってる私の感想もあてにはならないんですが、と一応付け加えておいた。


そこから先は、ケースワーカーが、今の仕事の愚痴(老若男女、あらゆる人たちと会う仕事で、垣間見る人間のド汚さと素晴らしさに翻弄される毎日らしい)や、彼女が児童保護施設や知的障害者施設で働いていた時期のことをたくさん話してくださった。
人間について興味がある私にとって、初めて聞く話ばかりだった。耳を疑うような残酷な話、私などが想像もつかない現実、厳しい環境の中でも必死で生きる人たちの姿、さまざまな話を聞いた。

「人間が好きなんですね」

思わずそう訊いたら、ケースワーカーは言葉に詰まった。
「うーん・・・・」
と、唸った。
「好きなんかな・・・興味はあるけど・・・好きなんかなぁ・・・子供は大好きやで。人間が好き・・・?うーん・・・」

私は、人間不信だけれど人間に興味がある。普通興味を持たないようなところにまで踏み込んで、人間について知りたい。でも、好きかと真っ直ぐ問われると、やっぱり彼女のように言葉に詰まる。人間の素晴らしさと狡さの両方を幾つも幾つも見ていると、即答できなくなる。私は人間が大好きだけれど、人間不信だ。アンビバレンツ。本当は言葉では表現できないグレーゾーンの只中にいる。ずっとここに立ち続ける気がする。ここに立ち続けることが、私が私であるスタンスのように思えてきている。


玄関まで見送って、声をかけた。
「ずっと引きこもっていたから、生身の人間に会って対面で話すのは久しぶりでした。お陰で元気が出ました。ありがとうございます」
「また時々来るよ」

次に会えるときが来るのが、楽しみになった。


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2010/11/15 (Mon) 波打ち際で ? 解離性同一性障害 ?

波打ち際で、人形を作る。
砂をかためて、素手で作る。

砂は、それぞれ勝手な粒子だから、両手を汚してしっかり固める。
地を掴んで立つ足と、折れない脚、風に揺らがない胴、自分に似た腕、似た手首、物に触れられる指、据わった首、頭、世界を見聞きする両目両耳、語ることのできる口。


できるだけ丁寧に形作り、海風に頼りなく飛ばされる意思を手繰り寄せ、明日こそは明日こそはと念じながら海を去る。


翌日には、崩れ落ちた人形と対面する。来る日も来る日も私の魂は、砂になる。
生きている限り波は止まらず、波打ち際の人形は、どれだけ魂を込めても生まれ変わることがない。
足元を掬われ崩れた砂は、私によく似た形をしてる。
波が砂に形を与え、波が砂から形を奪う。

波の息の根を止めてしまおうか。それとも逃げてしまおうか。

私に与えられた場所はここ以外にはなく、他に私をつくるものはない。
波の生命は止まることがなく、私は海に囲まれて、どこにも行く場所はない。

泣くことは、やめた。諦めることも、やめた。俯く理由は手放した。
砂をかためる私の汚れた手は、本当は誰の手なのだろう。
海風を聞くこの耳は、本当はどの世界の音を聞いているのだろう。
この目に映る世界は、この舌が知る味覚は、この喉が発する声は、一体誰のものだろう。

終わりがない。終わりがない。
作るしかない。
今日も明日も、作るしかない。
泣いてる暇なんてない。
また明日が来る。



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2010/11/14 (Sun) 明日が怖いんだ -外出恐怖 -

明日が怖い。明日が怖い。ブレーキのない車に乗って、猛スピードで障害物競走をやってる気分。ハンドルをうまく握れない。障害物の位置はあらかじめ全て知ってるのに、ことごとく避けきれない。連戦連敗。もともとなかった自信が微塵もなく消し飛んだ。

自分をコントロールできない。体調は悪くはないのに、精神状態も悪くはないのに、「解離」だけが酷い。日々の時間の流れに猛スピードで流されて、自己判断する暇もなく次から次に失敗する。そんなことが最近続いて、すっかり外出恐怖症が復活してしまった。

思いつきで徒歩1分のスーパーに買出しには行ける。でも、自転車で10分の役所には行けない。家のまわりをちょっと散歩はできる。でも、好きなダンスレッスンには行けない。電車を乗り継いで教室まで辿り着き、着替えて、さほど知りもしない人たちとレッスンを受けるなんて恐ろしくて出来ない。どうして今まで出来ていたんだろう。

レッスン代は、前払いで一括してある。行かなきゃ行かない分損をする。お金も払い損だし、大好きなアフリカンミュージックにも大好きなダンスにも触れることができない。でも、どうしても怖い。そのレッスン日が明日またやって来た。

前回は、頑張ったら行ける気がした。ちょっと怖い気持ちもあったけど、私のダンスを好きな気持ちは強いし、踊れば気分がびっくりするほど上向いた経験だってある。行けばいいんだ、とにかく行けばいいんだと思っていたけど、解離でぽんと飛んで気がついたらレッスンが始まった時間だった。当然、私は家にいて、呆然と時計の針を眺めていた。


昨日も、惨敗した。
夏から楽しみにしていた、穴場のバザーに行けなかった。前日に入浴恐怖を乗り越えて、シャワーを浴びようとしたけど無理だった。後で自己分析してみれば、シャワーが嫌だったわけじゃないんだと分かった。シャワーを浴びたら翌日出かける準備のひとつが整ってしまう。あとは、「出かける」という難関に向き合わなくちゃならなくなる。シャワーの先にある外出が怖くて、私は他の用事に逃げた。そうして自分に「明日の朝がんばろう」と言い聞かせた。でも、そんなものその場の言い逃れにしかなってない。うっすら自覚はあった。


今月の後半は、昨日のバザーから始まって、数日置きに予定が入っている。
ある日、1ヶ月を見開きで見ることができるスケジュール帳で確認した途端、過呼吸を起こした。数日置きの予定を、ちゃんとこなすことができるのか自信がなくて、不安発作を起こしたのだ。挙句に左胸が痛くなって、「心臓がいたいいたい」と自分の弱さに笑えばいいのか泣けばいいのか分からなくて、椅子の上で蹲って敗北感をとっくり味わった。

誰に頼まれたわけでもなく、自分が好きで入れた用事なのに自分でノックアウトされて、どうする。

明日は、行けるんだろうか。
多分先生が、私が欲しかったアフリカのバラフォン奏者だかジャンベ奏者のCDを持ってきてくれているはず。私の脳内イメージと全く違って、実際の私は腹立つくらいまだまだうまく踊れないけれど、あの決して俯かないアフリカのダンスが好きだ。
自信を失ったら、取り戻すのは自分しかいない。でも怖い。明日が来るのが怖い。明日を乗り越えても、また次の明日が来る。スケジュール帳の予定が、全部トラップに見える。歩きたくない走りたくない一歩も外に出たくない。


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2010/11/14 (Sun) twitterの記録/感情が解離して自分が誰だか分からない記録 ? 解離性同一性障害 ?

前回の記事は、後で見たら結構な行数になってたなぁ。誰か読んでくださる方いるんだろうか。自分でも読んでると目が疲れる。

解離しっぱなしで何日経ったのか。かなり酷い状態だってことが、日に日に判明してきた。
バランスを欠き始めたのが恐らく2ヶ月くらい前。昨日、友達と話して確認した。さりげなく私の状態を覚えていてくれるので、記憶障害気味の私よりも私について情報を持っていることが多い。ありがたい。

今日も、前回と同じ方法で自分の解離の度合いをはかってみようと思う。(括弧)内の注釈・説明も前回と同じく思ったことをメモしてみる。こればっかりは、本当に自分のために書く。どうしても、しんどい。今日もダメな一日だった。本当に自分にがっかりすることがあった。そのことについては、次の記事でアップするつもりでいる。不調だろうが何だろうが、そろそろ自分がどれくらいの状態にいるのか把握しなければ、「生きてる意味ってなに?」などと詮無いたわごとを口にしそうだ。


?Twitterの記録?

------11月9日------
▼日本酒なう。酒瓶の住所見たら友達の家から徒歩圏内で笑った。世間は狭いなぁ。人間は多様だなぁ。なんだか私疲れたんだな。底上げをしたいの。それだけなのよ。個人的にわかってもらおうとか期待してない。期待してたらドキュメンタリーにも出なかったさ。
(解離と全く関係ないけど酒の中で日本酒が一番好き。生原酒が一番好き。酒の話から、なぜかいきなり人間の多様性について語りだす私。何か思い出したらしいが思い出せない。自分のプライバシーは殆どどうでもいいから、底上げをしたいという気持ちはこの3年間全く変わっていない。ちなみにこれを書いてる今はワインなうです。)

▼ブログに記録を残しておかなくちゃ
(意識が朦朧としていたので、日常があっという間に流れてしまう。記録しなければ記憶障害を持つ私は基盤から砂のように流れてしまう危機感が強い。)

▼だめだ・・・やっぱ駄目だ。ブログ書いても読み直す作業ができない。また意識レベル落ちてる。中途半端な記事アップするのと、まったくアップしないと、どっちがいいんだろうな。いつもそこ迷う。
(迷います。特に、最近のように優秀な記録係のような意識しかなく、自分のオリジナリティが見当たらないとき、自分が書いているようで他人に代筆させているような気がする。それを読む方は不愉快ではないだろうか、どんなふうにこの私らしさのない文章を読んでいるのだろうかと気がかりになる。)


------11月10日-----

▼人格が複数存在するDIDの症状の一断片「多重人格状態」を可視化するとまさにこういうことかもしれない / 『脳と感覚を共有する、美少女結合双生児 : ギズモード・ジャパン』http://www.gizmodo.jp/2010/11/post_7947.html(リンク先は動画も含まれます。弟MTから知った情報。脳を共有していながら異なる人格を持つ二人。結合双生児には別の観点から、以前から興味を持っていたけれど、今回の彼女たちの事例は本当に稀で不明な点が多い。DIDとの共通点を見て、私の自我状態も視覚化すれば、この姿が一番妥当な気がした。)

▼アホみたいな理由で不安発作。過呼吸ぎみになってきた。スケジュール帳を見たら、あさってから数日おきに予定が入ってる。こなせるのか不安で発作。なに私って自分が思ってるよりもしかして弱っちいの?
(この発作は、久々に耐え難く辛かった。書く余裕がなかったが心臓痛も起こったので痛み止めと頓服を飲んだ。私は自分を過信している。何度自己修正しても過信している。何回同じ失敗繰り返したら気が済むねん。)


▼政治に関するニュースで「今後面白いことになりそうですね」て発言する解説者、どうかしてると思う。面白いことって、お前の生活も含んでんだぞ野球中継じゃねーんだぞって思う私の感覚の方がまともだと思うんだけど、スポーツ解説感覚の人間が後を絶たないね。
(Twitterまで読んでくださってるコアな読者の方はご存知だと思いますが、以前から政治に関する話題を結構Twitterで発言しています。でも私、右派でも左派でもありません。政治や国際問題に興味があって、興味があるだけでなく当事者意識を持っていたいのです。Twitterは個人的なひとりごととして使っているので、政治的発言はTwitterで好き勝手呟いてます。全くの不勉強だけど。)

(この後、江頭2:50の話題で彼への賛同心と敬意を呟いた。その後、自身のSM論やSM体験、愛すべき変態たちの話題にシフトしそうになるも、キリがないほど話したいことはあるので自粛した。)

▼今日は割と元気かもしれない。下ネタとか言ってるもんな。いいぞ自分。この調子だ!まだ「人格交代OK」意識だけど、明日どうなるかは分からないけど、今日は元気な方。
(「人間臭く生きる」ということが、私の元気の源かもしれない。)

▼涙が後から後から溢れて全く止まらなくなった。まさに壊れた水道の蛇口。なぜか分からない。子供の頃の1シーンずつ、たくさん流れこんでくる。どうして私は泣いているのか。
(急展開。なぜこんなことになったのか。何も悲しくないのに泣くことがある。感情と「私」が解離しているのだろう。感情だけが迸り、私はポカーンとしたまま。流れ込んできたシーンは、学校での1コマ1コマが多かった。前後関係は相変わらず分からないシーンばかりだ。)


------11月11日-----

▼ブログ更新しました 「Twitterの記録 / 人格交代願望と内部構造 ? 解離性同一性障害 ?」 
(私をよく知る友達に、「みとりのブログにあり得ないタイトル」と言わしめた記事。読み返してみたら、皮肉な方向に解離状態がうまく働いて、実に客観的に自己分析できている。「自分のことではないと思う」感覚のせいで、容赦なく他方向から自己分析できるのだろう。乾ききった心地で書く文章は、殆ど苦行だ。しかし、記録としては役に立つ。私はやっぱり今、誰なのか。なぞだ。)

------11月12日-----

▼うをををををを!と無言の雄たけびを上げて←マンションだからね、明日ごっそり服買いに行く前に、ごっそり部屋の服を捨ててやるぅぅッ!!
(昨日の呟き。実はこれを書いている今日13日は、私の服の買出し日だった。年に1度のイベントがあり、そこへ行くのを夏から楽しみに、下準備で服を捨てようとしたのだ。はじめて5分で気勢は削がれたが。)

▼BGM Evanescence バンドまたやりてぇぇ!歌わせろー!
(ならば音楽の力を借りようと、EvanescenceをBGMに流して作業した。服の整理よりもバンドをやりたくなって気もそろぞになり、かえって無音が良かったという見方もあり。)


------11月13日-----

▼みとり玉砕ッ!もうッ!みとりはッ!二度と外出できないィィ! ちっくしょー!夏から楽しみにしてた予定だったのに行けなかった。最近だめだ。入院だ入院。やっぱりパジャマを5組揃えるわ
(前述したイベントは、行けなかった。外出が怖くて仕方なくなっているのだ。失望感を突き抜けて、わけのわからないテンションになってしまった。しかし入院準備の「パジャマ5組」の面倒くささに阻まれる。パジャマを5組も揃える手間を考えると、頑張って自己管理して外出できるように努力し尽くしてからでいい。もうちょっとだけ、あとちょっとだけ頑張れるはず。)

▼大人しく家で本読んどく。それからここのとこの外出恐怖について纏める。自己認識が甘いから今日みたいなことになるんだ。いつまでも解離でぼーっとしてるわけにもいかないし。解離についてもあと一歩踏み込んで纏めよう。
(冒頭で書いたように、私の状態をさりげなく把握してくれている友達が、手がかりとなるような考えを話してくれた。対処法についても話し合い、自分にとって何がサポートとなるのか少し分かってきた。もしこれが成功したなら、困難にある同病DID患者さんたちに有益な提案ができそうだ。)

----------

以上、八方塞り状態の中で、自分が誰だか分からない状態で、できる限りの分析をやってみた。
次の記事で、今日の悲しかった出来事を書こうと思う。
そちらは、Twitterの記録の引用はせず、通常の記事としてアップする予定。
今回も、ここまで無味乾燥な文章にお付き合いくださって、ありがとうございます。
コメント返信も、このような状況でできません。私がいるのは確かだけど、私はいない。このまま違う私になってしまうのか、私を取り戻すことができるのか。どこかへ行ったままの「美鳥」は、どうして私から離れる必要があったのか。「離れる」と表現するからには、ここにいる私は、一体誰だというのか。
すべて謎。謎を手がかりに謎を解こうとしている、その行動がもう謎。悪夢のループだ。


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2010/11/11 (Thu) Twitterの記録 / 人格交代願望と内部構造 ? 解離性同一性障害 ?

障害者ではあるが、何病ですか?と訊かれると、いつも言葉に詰まる。診断名が多すぎて、どれを口にして良いか分からないから。ブログでも同じく、私が1日で見舞う症状は「診断名」という括りで言えば複数の病名に跨っている。読んでくださる方が混乱しないように、できるだけ1つの記事で1つの病気に触れることにしている。また、私自身も自分の記録として、そのほうが参考にしやすい。

今回の記事は、解離性同一性障害(以下、DIDと表記)について。
Twitterから、体調と解離に関するツイートを時系列に抜粋してみる。最近、あまりにもDIDの症状に苦しんでいるから、抜き出して分かることがあれば何とか自分を立て直すヒントにしたい。

多分、今の状態(人格交代を歓迎する心理状態・自分が自分であることへの執着が皆無の状態)に陥ったのは、1ヶ月?2ヶ月前からだと思う。そこまで遡るのは難しいので、異変をはっきり自覚し始めたらしい11月2日のツイートから抜き出してみる。
(括弧)←内は、私が今日書き足した注釈や纏め。


-------11月2日-------

▼時間がとんだ。夜なの?怖い。誰か助けて!てなったけど、時間がとんだだけ。うっすらとした自分への恐怖、うまく誰かに伝えられない。
(「自分について何もかもわからない」というのが苦痛。そして恐怖。記憶がない間、自分は世界に存在していなかった気分がする。「分からない」のは不安で孤独)


▼次の講演会とワークショップの企画を進めねばならないのですが。DIDの症状がここに来て大きく障害になっています。前回よりも情熱は倍増し、勉強量もスキルも倍増しなはずなのに体がついてこない。PTSDの諸症状が邪魔する。歯がゆい。来てくださる皆さんに早くお会いしたいです。
(スタッフに何度も講演会の打ち合わせ日について打診されるも、随分前に打ち合わせがフラッシュバックの引き金になってパニックで泣き喚くことがあって以来、無意識に避けている。気持ちは強いのに、いざとなるとフリーズする)

--------11月3日-------

▼めっさ頭痛い。さっき痛み止め飲んだけど効く前に来たらしい。早く効いてくれー・・・
(大体、毎日どこかしら痛いので痛み止めが欠かせない。頭痛がなければ、全身痛がある。ストレスや緊張で神経自体が傷んでいると病院で言われた。カウンセラーからは、男性人格と交代する(しそうになる)と筋肉が強張っているからだろうと指摘されたこともあった)


▼反動から今度は躁に転じそうな気配。落ち着こう。大掃除と読書の日。
(不調にこだわらず、生活することに重点を置こうと自分に言い聞かせたツイート)


▼内側にある乳白色の海に溶けそうで怖い。DIDの人によっては、綺麗な海や展望台があるんだってね。私の内側の世界の海は、怖い。自分が溶けて他の人格と溶けあわされる。思考もなくなる。怖い。
(「内側」は、人格や世界がある場所を指す私の感覚的表現。内側に乳白色の海水で満たされた海があって、私は「人格の廃棄場」だと感じている。二度と近づきたくない恐ろしい場所。)


▼自分の病名が不安になってきた。診断、あってるのか?突然襲ってきた不安。明日にでも病院に行こうか。この間行ったばっかりだけど。誰かーDIDの人助けてくれ。統合失調症じゃないって医者が断言するのはプレコックス感がないから?本当に?怖い!
(新しく処方された薬が「人格交代を抑える」といわれたものの、自分で調べていくうちに自分はDIDではなく統合失調症ではないのか、それを医者は隠しているのではないかと考えて、急に恐ろしくなった。ツイートを読んでくれた詳しい友達が、DIDに効果的とされ使用する医者も多いらしいとメッセージをくれてから、落ち着いた。私の祖母は統合失調症で、彼女の陽性症状を子供の頃から見ていて遺伝を疑って生きてきたので、DIDの幻覚や幻聴が酷くなると、必ず統合失調症の可能性を感じて私は怯える。実際、DIDの症状は統合失調症と重なっている部分が多い。しかし私は何度確認しても「あなたは絶対に統合失調症ではない」と医者から断言されている)


▼「いじめと賢者タイム」て記事書こうかなー
(いじめについて考えたらしい。私の場合、理屈よりも自分が実際に体験した個人的体験抜きには考えないことにしているので、過去の色々を思い出したのだと思う。それなりにストレスだったかもしれない。「賢者タイム」と絡めて書こうとしたのは、いじめっ子の行動原理を分析、解体して、役に立ついじめ論を展開するため。結論まで頭の中で考えたが、文章には起こさず)


-------11月4日-------

▼今朝起きたらキッチンの床がピッカピカで何事かと思ったら、そういや昨夜眠剤でふらふらしてるときにノンシュガーのミルクティーを一杯ひっくり返したんだった。牛乳で床拭くとピカピカになるって知っちゃいたけど、ここまでとはな。ツルツルで、すっ転びそうになった。
(解離で記憶を喪失している場合と、眠剤で夢遊病のようにふらふら動いているときがある。起きたら既にピカピカだったので、眠りながら床掃除をしたのだと思われる。その記憶はない。)


▼本当に毎日格闘です。そして今のとこ殆ど全敗。自分をコントロールできない自分への失望感ったらないです。社会性を保って生活していくこと、DID患者にとって難題です。当事者は必死です。人格って呼ばれるのも本当嫌。私はパーツじゃねーぞって思う。
(DID同病者とツイッター上で交わした会話。DIDは、さまざまに誤解されている。DID患者のすぐそばで支えているらしき人間が発している誤情報が出回っているのを目にすることがあり、脱力することが最近多い。当事者としては、怒りを覚える情報も中にはある)


▼まじで「心身不調ケアに時間を奪われる」ですわ。本当にもうそればっかり。どこかに出かけなければならないとなると、まず私は仮眠を取らなくちゃならない。倒れない準備なんだけど家族には「行く直前まで寝るなんて行く気がないのかと思った」と言われます
(DID同病者とツイッター上で交わした会話。症状の苦しみと、症状によってやりたいことが自由にできない苦しみの二つに同時に襲われる毎日。格闘。)


▼メモ:ボーダーからの回復/ 罹患までの過程としての他人からの「自己否定」と、回復に向かう段階での「自己否定」。 / 自立までの孤独な格闘で獲得する自信→完全自己否定から立脚した自己像/ 病理を説明する上でも、回復を考察する上でもやっぱりボーダーのキーワードは「美意識」
(境界性パーソナリティ障害(ボーダー・または境界性人格障害)からの回復について、講演・講義をする予定のため整理し続けている。真剣に治りたいと苦しみながらも生き抜いている方に、必ず役に立つワークショップにしなければ無意味だと思っているので、自己の経験と失敗をベースに形を作っていっているところ。このメモは、講義の導入部分。ボーダーについて考えたらしい。)

(この日は、DIDやボーダーについて、割合前向きな姿勢でいた模様。)


-------11月5日-------

▼パン買いに出たら、猫に遭遇。友達になるべく、ただ今何気なく佇んでる作戦なう。白い長毛でかっこいい!
(最近、パンが好きで仕方ない。猫としばらく空間を共有したが、興味を持ってもらえず去られてしまった)


▼朝ごはん買いに出たら、そのまま歩き始めて、あちこち寄り始めて、帰宅したら昼過ぎ。たくさん写真撮れたからブログにアップしよう。青山先生のブログ見に行ったら、人間ドックに入ったという記事。プライベートな青山先生、キュートだ。キュート。2回言っときたい。
(「青山先生」とは、医者ではない。私の生き方の手本となっている方。)


▼朝から調子こいて散歩したらダウン。なんか気持ち悪いし、パニック障害出てきた。ベッドで大人しく本読みます。健康になりたい・・・。
(散歩ごときでダウン。思っているより自分は健康ではnないのかもしれないと毎度思うのだけど、すぐに毎度忘れてショックを受ける。最近パニック障害が再発してきている。その時期と、解離が悪化したと思われる時期が重なっているように思う。何があったのかは思い出せない。)

-------11月6日-------

▼また「入院しなきゃ脳」になった。泣きたい。いっそ休止のカウンセリングを再開して催眠で人格交代させてもらおうか。何か耐え切れない。私には生活していくの荷が重過ぎる。そんなに私は自分が思ってるより強くないみたいだ。私じゃ無理かも。Sとかわりたい。昨日から考えてた。考えてないふりして。
(Sは、去年か一昨年あたりに頻繁に意識の上層にいた人物。Aを守らなくてはという私とは正反対の意見を持ったS。でも淡々と事務的で一番信頼できるから、何かあるとSが浮かぶ。でも、確かこの時Sは見当たらなかった。)

-------11月7日-------

(1日丸ごとすっぽ抜けた感覚。9日になってから、自分の感覚が1日ずれていたことから、この日の異常を自覚した。)

-------11月8日-------

(朝起きるなり、携帯でツイッターに一気に書いた。泣いていたと思う。)

▼何でこんなに打ちのめされた感があるのか分かってきた。ボーダーからの言い掛かりや縋り付きや謂れのない罵倒、白を黒と言った直後にまた白と言い、関わった人間のせいに全部するそれに付き合わされたからだ。誠意や努力を悉く徒労にさせられるばかりか、それを取っ掛かりに次の罵倒への悪循環。→

▼→残る誠意をかき集めて出来ることは、何もしないってことしかない。私が出来ることはすべてやった。自分でやらずに私にまた丸投げすることに、何の思いやりも感じない。言うこととやることが違う人と関わると生きる気力が失せる。罵倒の内容も記憶に残り二度と消えない。

▼→何病でも診断名は構わない。対人関係において無関係。自己矛盾に他人を巻き込む堪え性のなさや無責任さが大嫌いなだけ。罵倒という行為に言い訳は通用しない。不安定だったからなんて通用しない。私は自分にそれを課してる。だから人にも課す。罵倒も脅迫もうんざりだ。

▼他人の魂をエサにする依存的人間は、必ずもっともらしい言葉(家族・友達・恋人・愛・心配・思いやり)を根拠にしたがる。それを持ち出せば何しても許されると胡座かいて自分を律しようとも自立しようともしない。たとえ相手をメッタメタに傷つけたとしても、愛のうち。そんなでたらめ、もううんざり。

(ここまで書いて、自分が誰なのか分からない、交代しても別に構わないという心地は、最近のこれらの体験から来ているような気がした。でも、確信は持てていない。)


▼こんな偉そうなこと呟けるのは、私がもとは無責任で感情にだらしなくて依存で他人を食い荒らし逆に食い荒らされてきて生きてけなくなって、命懸けで何度も自分を立て直して今があるから。この点だけは私は自分に誇りを持ってる。自分を恥じずして自分は変えられない。
(何度か死に掛けて、死んだほうが楽な気がした治療を経てボーダーたる最悪な状態から脱したので、この誇りはしっかり自分の中に根付いて不動のものになっている。)


▼ここらへんに最近の不調の原因があるのかもしれない。気付けば薬漬けだし何もできないし、人との関わりに無気力だし、電話恐怖症は前より悪化したし、一日の大半記憶か意識がない。<美鳥>にしがみついてる気力も殆どない。今なら交代してもいい。Sが生活してくれたらいい。本当に私は疲れたよ。
(また「S」。「S」に特別信頼があるというわけではなく、単に距離が2番目に近くて、適格だろうというだけ。SとAの間にあるような親密さというものは殆どないので、私はもっぱら孤独を感じる。Sの答えはなし。)


▼「自殺か他殺の可能性の場合は即入院」と医者に言われてるけど、「人格交代してもいい」「自分は降りたい疲れた」てのは自殺願望に入るんだろうか?自殺よりまだ全然前向きな感情かな。わかんねー。既に解離起こしてんのか??自分の感情が随分前から分からないんだよな。どうしたんだろう私は??
(ここらへんから、Aの声が幻聴でうるさくなった。幻聴は、とにかく神経が疲れる。)


▼意識とんでる間に見たかった番組録画してあって、自分がやったのか「人格」とやらがやってくれたのか分からないけど、こういう優しさに触れて踏ん張らなくちゃと思うのはこれで3度目。孤独だけど孤独じゃないこのシステム。ちょっと頑張る気力が湧いた。私が諦めたらそこで試合終了です。(安西せんs
(「龍馬伝」を見たかったけれど意識が朦朧とするので、どうでもいい心境になっていた。翌日見たら録画してあった。前にハーゲンダッツを大量に買い込んでいてくれたのと同じパターンだと思った。他にもあったけど詳しくは忘れた。ほだされるような、たかがこれくらいで私が必死で生活をやりくりしてる苦労には値しないような、複雑な心境になった。)


▼諦めたい諦めたい。本当は諦めたい。もう頑張りたくない。消えたい。降りたい。休みたい。自分のどこにもエネルギーが見つからない。涙も出ない。死にたいって明確な意識もない。解離解離解離で意志も思考も靄になる。本心が自分で分からない。全員の意思を聞いてまわろうかという気になっている。
(私の本音。「全員」は、内側の人たちと世界。でもこれは言ってるだけで、私の意志では行けない場所が殆どだ。)


▼今このタイミングで内側に潜ると二度と戻ってこれなくなる気がする。とても潜りやすい意識状態だとは思うんだけど。それとも今の状態は、「潜れ」て示唆なんだろうか。「青い部屋」が見当たらない今、それもあまり意味がない気がする。なんとなくだけど。何が正解か分からない。私が決めるしかないのか
(自分で決めるのも嫌になっている呟き。全てが面倒で無気力。でも容易に決断すると危険な気がしていた。同病の友達2人から、「自分ひとりでそれをやると危険」と言われて踏みとどまった。
「青い部屋」は、内側にある人工的な青く光っている部屋。カウンセラーの解釈や自分の経験から、自分にとってメリットがある部屋らしいと最近知ってから、常に気になっている。色々この部屋を巡っては事件があって、簡単に説明できない。中の人たちに直接会ったことはないが、部屋自体のシステムに一番興味がある。)


▼動悸止まらず何日目かなので、結局今日も頓服投入。敗北感著しい。
(薬では治らない病気を抱えているので、副作用で行動制限されたくないので薬は最小限と決めている。なのに頓服を飲まなければ、じっとしていることもできない。「頓服をのまない」という低いハードルも越えられない自分には、しょっちゅう無力感を感じる。)


▼私が人生の大半を過ごしてきた某巨大宗教団体。久しぶりに実家に帰ってみれば、あの新聞の異常さが更に際立って見えた。洗脳から抜けるには随分かかった。あの団体の異常さ、洗脳度の高さは、中にいた人間にしか分からない。傍から見てもそこそこ異常だろうが中にいると言葉に尽くせぬ狂気の沙汰。
(尖閣諸島の問題から、政治の問題、政治に絡んでいる某巨大宗教団体へとシフトしていって、頭の中が過去のエピソードあれこれを思い出す状態に。)


▼自分が実際に中にいて見聞き体験したことは、ブログに書くか、講演するか、とにかく形にして全て公開する準備をずっとしてる。あの団体の存廃はどうでもいいのだ。ただ、私が体験したことだけ、そのままを伝えたい。ネットが普及して、ようやく私のような「退転者」にも発言の場ができた。活かしたい。
(存廃がどうでもいいのは本心。攻撃する気もない。宗教や団体が問題ではなく、人間のさがが問題だと思っている。)

-------11月9日-------

▼大阪、本日、晴れ、突風。意識状態、下の中。思考状態、中の下。やる気、上の下。身体状態、上々。リプ、メール返信、DM返信状態、下の下。2ヶ月前から停滞。
(ブログを書いて、自分がかなり良くない状態にいることを自覚。翌日から朝に自己チェックをすることにした。)


▼今日はダウンする前にちょこちょこ意識的に休みを挟んでみようと思う。読みかけの本とあわせて3冊読破したい。大掃除もちょっとでもいいから進めたい。13日までに終らせたいな。
(工夫して自分を何とか制御しようという意識。実際は1冊何とか読み終えただけ。掃除は進まず。)


▼頭痛がぁー・・・解離と頭痛は切り離せないものなのかぁ・・・・ちょっと本気で入院して静養したい。二日にいっぺんは「入院」て言ってるな自分
(そういえば、1,2ヶ月前から「入院するべきか」と考えている。解離が悪化した時期と重なる。何があったのか。)


▼目標とする人まで、遠く遠く、とても遠い。自分が間違えていないか、常に気になる。がんばりたい。
(ありがたいことに、目標としたい人、手本としたい人が私には数人いる。自分に執着できないが、尊敬する人の生き様に触れるともうちょっと頑張る勇気が少し湧いた。)


▼あと2週間もしたら青山先生に再会できるのか。考えると怖気づいてきた。がんばれ自分。胸張って会えるように頑張れ。とにかく意識をちゃんと持っておかないと。
(自分が怖気付くくらい尊敬できる人に恐れずぶつかっていくことをやらないと、自分の未熟さもお恥ずかしいお粗末さも思い知ることができない。自分の分を弁えず、とにかく当たって砕ける度胸だけは持っているのが幸いだ。生き方に触れたいと思う人を見つけたら、たとえ有名人だろうが何だろうが、直接会うことにしている。でも、今の状態だと卑屈さと恐怖が先に立つ。その日に自分が自分でいられる保証もない。)


中途半端に、私の内側について記述することになってしまった。誤解や不足部分を想像で補われる可能性を避けるために、一度に全て説明したいのだけど、まずは感覚自体が相当異なることを最近知ったので、どう表現すれば正しく伝わるか苦慮している。それに、私自身が明確に把握し理解できているわけでもない。
でも、今のところカウンセリングはドクターストップがかかっているから、自力でできることはやるしかないので、殆ど私個人にしか分からない記録になってしまったかもしれない。
後日のTwitterも、また纏めてアップし、回復へのヒントを探したい。

今日のブログ記事も、とても無味乾燥な文章になった。
私は、血や涙を含んだ人間なのか。私から感情が消えているとき、感情はどこに行っているのか。考えても絶対に分からないことは、無闇に不安と脱力感をもたらす。


◇関連
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2010/11/09 (Tue) 「永久に人格交代してもいい」て気持ちは自殺願望と似てる - 解離性同一性障害 -

(※治療上、内側の構造についての詳しい説明は今回つけません。DID(解離性同一性障害)は、意識が向くとひゅっと内側に吸い込まれてしまう傾向が強いので今回は省略します)

前回の記事が7日。今日が9日。いちいち確認しないと、何日経ったか分からない。

解離が悪化しているのだと思う。「思う」と曖昧な表現しかできないのは、まさにそう思う私が解離であてにならない状態だから。入院が必要なのかどうかも分からない。ポンポン記憶と時間が飛んで、打ちのめされている間にまた自分の意識が戻ってくるから慌ててぼんやり頑張って、途中でまた次の時間軸に飛ばされる。

実は内心に「別に人格交代を起こしてもいいんじゃないのか?」という気持ちが湧き起こっていた。言葉にすると現実になりそうで躊躇っていた。いつも私は、自分の体調への悔しさをバネにしている。自分が自分でいることにしがみついてでも生きていきたいと思っている。その姿勢は、この間の診察で主治医からも評価された。嬉しかった。これでいいんだ、間違っていないんだと勇気を持った。

なのに、ある日突然、解離のせいなのか何がきっかけなのか分からないまま、心持ちがすっかり変わってしまった。移ろいやすさ、固定されない自我状態が解離性障害の特徴とはいえ、自分という人格に執着を持たない心地は死に似ているように思えて、ショックだった。ショックとは裏腹に、やっぱり自分でい続けることに何の執着も持てなくなった。
「別に自分以外の誰かが生活してもいいと思う。むしろ、そうして欲しい。私は、もういい」
こんな言葉がずっと頭から離れなくなった。
否定するのが自分の務めのように思えたから、口にしないようにしていた。でも、Twitterに呟く独り言の中に、そしてDID同病者と話す会話の中に、私の本音は駄々漏れに漏れた。


一般的にひとりの人間の中に人格はひとつ(統一され連続した意識状態)。肉体が死ぬときに、その人が死んだことになる。
ひとりの人間の中に分裂した自我が存在する場合は、どうなるのだろう。肉体は生きたまま、分裂した人格一つが「もういい」と人生を降りた場合、それは誰の死になるのだろう。誰も死んではいないのか。それとも「もういい」と降りたい私にとっては、それが死なのか。

何もかもが曖昧で、曖昧だから苦痛だ。
楽しみも苦しみも悲しみも、霞のようにぼんやりしている。
「生きている!」とか「死にたい!」のように、コントラストがはっきりした感情がなければ、自分の座標が定まらない。どこにいるのか分からない自分を、分からない自分が探り続ける疲労ったらない。生きているのがつまらない。どっちでもいい。死にたくもない生きたくもなくて、どうせどっちにしても自分が曖昧なら、人格交代でも何でも起こして自分は消えてもいいな。

そんなことを、ぼんやり考えた。

どんどん辛くなっていって、ぼんやりぼんやりと消える計画を立てた。
「私って、生きてるべきかな?」と、意識の内側に落ちて皆に聞いてまわろうかと考えた。自分で考えて決めることすら面倒になったのだ。どうでもいいと思った。「じゃあ私がやるよ」と言ってくれそうな人格(という表現は嫌だけど仕方ない)に会えれば、うまくいきそうな気がした。私は、死にたいわけじゃなくて、ここにいたくない、自分の意識を手放したいというのが本意なのだ。


解離性障害に罹患した経緯も、多分こんな心境だったのだろう。死にたいわけじゃなくて、ここにいたくない、自分でいたくないと思ったんだ子供の私は。
この日、はじめてそんな確信を持った。


消えたいなら、今後の身の振り方を考えなければと思った。
私の習性、常にある意識だ。自分の面倒をみなければ、生活をつつながく送れるように努めなければといつだって考えている。自分に与えられた唯一の仕事のように、放棄することができない。
自分でいることを降りるのなら、後のことなんてどうでもいいはずなのに滑稽なことだ。やはり自分が大きなシステムの中の小さな小さな部品に過ぎない気がしてくる。私は、自分の意志で動いているのではない気がする。
医者からは、「自殺・他殺の可能性があるときは即入院」と言われている。
私が私でいることをやめたいという欲求は、「自殺願望」に入るんだろうか? 解離性障害によくある不調だから、自殺願望には入らないのだろうか?単に人格交代して、私は何も感じたくないというだけなのだけど、適切な処置は入院なんだろうか?
一見バカみたいなことを真剣に考えている。
肉体の死は死だが、命ある肉体の中の一部の人格の消失は死なのか?と。


「自分は消えてもいいから誰か私をやってくれ」という気持ちは、今こうして書いている間にも私の全身を包み込んでいて離れない。なぜだろう。この状態を引き起こした理由がある気がして、考えるのだけれど掴めそうで掴めない。足掻いている。


冒頭で確認したように、どうやら2日しか経ってないらしい。
普段から、できるだけTwitterをメモがわりに使っている。手早く記録できて、時系列に残せる。
最近の不調時のTwitterの記録を抜き出して、自分の行動を分かりやすく纏めることにした。
正直、纏めてもあまり何かの役に立ちそうな気もしない。どうしたらいいのか分からない。

ただ、一時期本気で取り掛かりかけた「自分で人格総当りして交代してもらう」というのは、やめた。同病者の友達数人に止められた。ひとりでやると危険だと。確かに、戻って来れない気がしたから躊躇していた。本当にそれしかないと思ったら、催眠療法もやっている今のカウンセラーにお願いに行く方法を取ろうと思う。


あーどんだけ書いても、ブログ記事の言葉に感情が乗らない。自分が誰なのか、まるで分からない。ただ記録を書きとめて、できれば分析したいなと考えているけれど、こういう時は多分、泣いたり喚いたり暴れたり下手な詩を書き散らしたりして感情を吐き出すべきなんだろうと思う。思うけど、私に感情が見当たらないから出来ない。ロボットみたいで気持ち悪いけど、読んでる方も気持ち悪くなってないだろうか。

Twitterは、比較的感情的だと思う。Twitterで呟けるときは、割合状態が上向いたときだから。
でも、ちょっと抜き出してみただけでも一日の間に体調の波がこんなに激しいのかと他人事にも感じる。
人格交代どうのは、どうでもいい。時間が飛ぶのも、この際どうでもいい。この、自分がいるのにいない曖昧で掴みどころのない亡霊状態にうんざりだ。

記事が長くなったから、次の記事にTwitterの抜粋を並べよう。
今回だけじゃ分析しようがないだろうから、あと数日のTwitterも後日纏めたら、何か分かるかもしれない。何も分からないかもしれない。
ボーダーに打つ手は山ほど身に着けたのに、解離性障害にはお手上げだ。詰みかけてる。いやもう詰んでるのかも。

参考に昨日8日のTwitterの一部抜粋


◆「自殺か他殺の可能性の場合は即入院」と医者に言われてるけど、「人格交代してもいい」「自分は降りたい疲れた」てのは自殺願望に入るんだろうか?自殺よりまだ全然前向きな感情かな。わかんねー。既に解離起こしてんのか??自分の感情が随分前から分からないんだよな。どうしたんだろう私は??

◆意識とんでる間に見たかった番組録画してあって、自分がやったのか「人格」とやらがやってくれたのか分からないけど、こういう優しさに触れて踏ん張らなくちゃと思うのはこれで3度目。孤独だけど孤独じゃないこのシステム。ちょっと頑張る気力が湧いた。私が諦めたらそこで試合終了です。(安西せんs

◆諦めたい諦めたい。本当は諦めたい。もう頑張りたくない。消えたい。降りたい。休みたい。自分のどこにもエネルギーが見つからない。涙も出ない。死にたいって明確な意識もない。解離解離解離で意志も思考も靄になる。本心が自分で分からない。全員の意思を聞いてまわろうかという気になっている。

◆今このタイミングで内側に潜ると二度と戻ってこれなくなる気がする。とても潜りやすい意識状態だとは思うんだけど。それとも今の状態は、「潜れ」て示唆なんだろうか。「青い部屋」が見当たらない今、それもあまり意味がない気がする。なんとなくだけど。何が正解か分からない。私が決めるしかないのか


私は、どうしたいんだろう。
どうしたいかは別として、どうするべきなんだろう。
なんでこうなっちゃったんだろう。
どうなっちゃうんだろう。


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2010/11/06 (Sat) ここにいるのにいない私

つい今書いてアップしたブログの文章が、無味乾燥です。
分かってるのにアップする。
もうどうしようもない。お手上げだ。
自分が本当に見当たらない。この状態が、もうずっと続いている。
自分に何が起こってるんだろう。
昨日は珍しくちょっと感情を取り戻せたのに。
私に、何か起こってるんだろうか。
楽観を装ってたけど、本当は凄く怖い。
自分がここにいない。いるのに、いない。


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2010/11/06 (Sat) 散歩したくらいでダウンする自分が嫌すぎる

ちょっと朝ごはんを買いに出たら温かくていい天気だったから、朝から散歩した。
貫禄のある猫に遭遇。何とか友達になろうとして長時間粘ったけど駄目だった。興味は持ってくれたみたいだけど、なんだこいつという冷めた目だった気がしないでもない。

その後で、2匹の子猫に遭遇。顔を見るなり逃げられた。この町の野良猫は、すごく警戒心が強い。

気を取り直して、古本屋まで歩くことにした。目当ての本がないか探してから、ぶらりと駅を目指した。途中で一眼レフを持ってこなかったことを後悔した。でも携帯でもそこそこ撮れたから、まだ良かったかもしれない。久しぶりに写真を撮る気になった。自分が誰だか分からなかったり、他人と喋っているのが自分じゃない違う誰かのように感じる毎日が続いているけど、「写真を撮りたい」と表現したい気持ちが湧いてきてるのは、回復してきてるしるしかも。

通りかかったパン屋で、焼きたての朝のパンを買った。それからぐるっと迂回して家まで引き返すことにした。
合間に気になった店をのぞきながら家に帰ったら、昼過ぎていた。
朝ごはんを買いに出たのに、朝ごはんを食いっぱぐれた。

焼きたてパンを食べて、しばらく尖閣諸島問題を調べていた。
そしたら猛烈に体調が悪くなった。

息苦しさと全身の痛みと、吐き気と眩暈と。パニック障害の発作の前兆だ。
朝から調子に乗って、普段やらない散歩をやったからなのだと思った。

何でもこのパターンな気がして仕方ない。一日をまっとうできることが殆どない。
何かできる体調になったから、ちょっとやってみる。そしたら、すぐに体調が悪くなる。しんどいだけじゃなくて、パニック発作や解離やらの症状に怖気づく。薬を飲む。症状は去るけど、副作用で眠くなる。寝る。起きると夜になっていて、予定の何もできてない。そんなパターン。


あー治療って難しいし、病気と付き合いながら生活向上に努めるのって難しいなー!と、半ばやけくそで叫びたい。先月や今月が、たまたまこんな状態なんだっけ。いつもはどうだったのか、不思議に思い出せない。最近、特に調子が悪いんだろうか。


夜になったら、動悸が止まらなくなった。今も動悸がしている。心拍数があがると、むせる。咳き込むというか。これは多分自律神経失調症。

いろんな症状名はついてるけど、総合すれば「生きづらい」。
どうやったら「自分」に戻れるのか方法を探しているけど全然見つからなくて途方に暮れている。

最近、自分の体調に愚痴ってばかりな気がしてきた。
猫は、いいな。飄々と運命を受け流している。自分の居心地が良い場所を幾つかちゃんと持っている。私の落ち着ける場所って、どこだったっけ。そういえばそんなことも良く分からなくなってる。思い出せないなぁ。どうしたんだ私。



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2010/11/03 (Wed) 花と林檎

20101103.jpg

通院日の帰りに、花屋で自分用のミニブーケを買いました。
自分の面倒すら見れない状態なので、鉢植えなんかはことごとく枯らしてしまう。だから、花束を買います。バラで買って組み合わせるとか面倒臭いし自分のセンスに自信がない。なんだかんだで高くつく。ミニブーケなら、お安くて可愛い。花屋での安全牌です。

今回買った花束には、姫りんごが混じっていました。小さな赤いりんごが花の真ん中に。
うおー!可愛い!でも、林檎をどうやって花束に・・・!?
疑問が湧いて花束を解体してみたら、姫リンゴに容赦なく竹串がぶっ刺さってました。見た目は可憐なのに、舞台裏は結構思い切ったことになってます。

最近、一眼レフをとんと使わなくなりました。お気づきの方もいらっしゃるかもしれませんが、ブログにアップする写真数もドーンと減っています。というのも、メインのパソコンをかえたらカードリーダーが合わなくて別のPCで落としてこっちに送ってみたいに、ややこしくなっているのです。
環境を整えれば楽々クリアできる問題かと思うのですが、何せ部屋の大掃除が1ヶ月やっても終らず、パソコンの整備どころじゃないのでした。

冒頭の花の写真は、携帯で撮りました。
綺麗な花束だったので、ぜひ皆様に写真でお裾分けしたくなりました。写メクオリティですみません・・・。
あっ・・・今気づいたけど、肝心のリンゴが写ってないじゃないの・・・。

花の名前とか疎いので分からないのですが、一番大きな花の上に、ちっこい青虫が乗ってるの見えるでしょうか?
ブロ友さんがプレゼントしてくれた青虫です。
「この青虫を見た瞬間に、あ!ミトリンにあげよう!て思った」
との本人談なのですが、なぜ私が青虫好きだと知っていたのか。エリックカールのはらぺこあおむしが好きで、ちょこっとグッズも持っているのだけど、言ったことはなかったのに。

このちっこい青虫、すごくちっこくて、小指の先に乗ります。そこまでちっこいくせに、綺麗で丁寧なつくり。さらには触覚がついていて、こんなもんどうやって作るんでしょう。てづくり好きとしては、作業工程も気になります。


閑話休題。
しばらくコメント返信ができなくなり、悩みに悩んだ末にコメント欄を閉じました。今も閉じています。
「過去記事へのコメント返信が終りましたら開放します」とお知らせを打ってきました。本当に遅々としたスピードですが、体調が許すときにコメント返信をしています。
今日数えてみたら、あと11件のコメント返信を残すまでとなりました。「お返事は書けませんがそれでも良いと思われる方だけコメントを」と書いたときもあったのですが、そこにも温かいコメントを頂いて、返信せずにはいられない気持ちになっています。

このブログを始めて以来、こんなに長くコメント欄を閉じていたことはなかったと思います。閉じたままで書くブログ記事は、出す宛てのない手紙を書いているような気分です。誰が読むのか分からないから不安なような、寂しいような、でも書くことに意味があるような。

お待たせしているコメント返信を終えて、またリアルタイムでコメント欄で皆さんと対話できることが楽しみになってきました。
また、1ヶ月も2ヶ月も返信できずお待たせしてしまっているコメントくださった皆さん。不安定で覚束ない私に、変わらぬ温かなお気持ちを書き綴ってくださってありがとうございます。

生きづらい、生きるのしんどい、泣きたい、投げ出したい。それでも生きていかなきゃいけない。それぞれの孤独の間で交わす言葉や存在がどれほど温かいことか。


▼こちらもどうぞ
◇ほぼ毎日つぶやいてます→Twitter
◇波と偏りが激しい最近読んだ本の本棚→Booklog(PCからご覧の方は、右カラム下に本棚があります)


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2010/11/02 (Tue) 大きな機械のちっぽけなネジ ? 解離性同一性障害 ?

結構、無理してブログを書いている。何か書かないと自分がいるのかいないのか分からない。せめて書く。

今日は殆ど自分の意識がなかった。昨日に比べて、今日の方が酷い。予定をこなせない事は、よくあること。別に解離じゃなくても、体調不良でも予期できないフラッシュバックでも、すぐに予定は頓挫する。
でも、解離で全く意識、記憶がなく時間が飛んでしまうことは、落ち込む。自分に失望して、じわじわと絶望が押し寄せてくる。


DIDの治療に意識が向くと同時に、準備が整ったのなら早速どうぞといわんばかりにフラッシュバックや過去の想起が増えた。裸で台風で荒れ狂う海に放り込まれるような心地がする。生きてるのが不思議なくらい自分がグチャグチャになる。抑え付けて蓋をして、「なかったこと」にしていた悲しみ、怒り、憎しみが自分を突き上げてきて、自分が自分を殺そうとする。悲しみの奥にあるものは、怒りなのだと思う。自分を虐待した者、虐めた者に対する怒りなんて突き抜けて、自分に降りかかった運命そのものに対する怒り悲しみなのだと思う。

それは自分への怒りに果てしなく似ている。私たちは取り違えやすい。苦しみから決して逃すまいと自分を縛る運命に抗っているうちに、自分を殺したくなってくる。


そんなふうに凄絶な日もあるのに、昨日も今日も私は自己が希薄で、殆ど記憶がない。ふわふわと曖昧に漂っているだけで、自分を殺したいなんて思うこともない。感情もない。
人間の意識や脳の働きは、誰が決めているのだろう。結果的に、自分が決めているのだろうか。それとも、あらかじめセットされたプログラムなんだろうか。私は誰なんだろう。

頭に靄がかかっている。時計の針は、手品のように瞬間移動する。その合間の私は、この世に存在していない。誰も知らない。このまま私が消えたとしても、私を探す者はいるのか。私はどこに消えるのか。
生きている実感も、死んでる実感もない。
気味の悪い焦燥感だけが背中を這い回っている。

誰か助けてってSOSを出すべきだと声がした。でも、何から助けて欲しいのかよく分からないよ、不適当な言葉だろと木霊が返ってきた。そういえば曖昧だ。ただ逃げたいだけなのかもしれない。「誰か助けて」は、「どこか違う場所に連れてって」てことかもしれない。
「どこか」なんてなくて、私はここに踏みとどまってなくちゃならない。私はもう、無力で自信がなくて自分のことが嫌いで、怒りを感じる前に悲しみで打ちひしがれて、ただ耐えて自分に蓋をしていた子供の頃とは違う。


逃げても何にもならないことを知ったから、逃げずに自分が壊れない程度に解離が働いているんだろうか。大きな機械の中のちっぽけなパーツに成り下がった気分がする。どれだけ自分が自分らしく生活しようと頑張ろうとも、機械の都合の前には私の存在表明なんて無意味だ。生きてることが、つまらない。


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2010/11/01 (Mon) 不適応交代人格 ? 解離性同一性障害・通院日記 ?

所用でしばらく実家で過ごして29日に大阪に帰ってきた。
その足で、病院に行った。

近況を聞かれたから、実家に滞在中、私の目の前で父がペットを虐待してペットが死にかけたことを話した。私は泣き続けたり、蕁麻疹が出たり、数日父への殺意を抑えるのに必死だったりで、状態はあまりよくなかった。

前回の診察で受けた血液検査の結果は、「百点満点です!」と医者に笑顔で褒められた。とりあえず医者にすすめられた運動をやったり、きちんと寝たり食べたりを心がけているからだろう。血液は満点なのに、自律神経失調症やらメンタルの悪化で体調は不安定なのだけど、血液だけでも満点でよかった。

最近、パニック障害の発作がまた時々起こるようになっているし、今月は鬱状態の日が殆ど。さらには、公の場であんまり会話が盛り上がらなかった気がしたときに「私ってつまらない人間かも。○○さんに嫌われているかも」とか考えてしまう日が多い。
そういうことは医者に話しそびれてしまった。


数ヶ月前から増やされた薬の話になった。
自分が飲んでみて合わないと感じた薬は、拒否できる病院。なのに、飲まないと言ってもまた処方されるとある薬。またも「1回飲んだだけでも副作用がしんどかったので飲みたくないです」と言った私に、医者は引き下がらなかった。
「これは飲んで欲しい。極端なこと言うと、他の薬全部なしでこの薬だけは飲んで欲しいってくらい、これだけは飲んで欲しい」と気持ちに訴えてくる医者。
珍しく強引だなと思って、なぜそこまですすめるのかと聞いた。処方箋には「安定剤」と書いてあるけど、自分に合う安定剤は既にあるので要らない気がするのだ。

医者の答えは、
「この薬は離性同一性障害(DID)の人格交代を抑える作用があります。これは飲んで欲しいな」だった。
そうだったのか。ただの安定剤だと思っていた。

交代云々の話から、「最近、カウンセラーのY先生のところ行ってないみたいですね」と言われた。かれこれ半年近く行ってないかもしれない。
というのも、Y先生のカウンセリングルームで2度交代を起こして以来、交代を防ぐことを優先にカウンセリングを休んだほうがいいような気がしたから。正直に言うと、交代が怖かったから。


医者は、私と殆ど同意見で、
「他の人格のことは出来るだけ意識しないで生活した方がいいです。人格交代を起こさない状態を維持することが大事です。それが本当のあなたですから」と言った。

DID患者は、一つのことにのめりこみやすいし、現実よりあちらの世界に取り込まれやすく、暗示に弱い性質がある。人格を無視して生活することはできなくても、できるだけ意識せずに「自分」の生活を維持して生活の中に価値を見つけてはぐくむこと、それがDIDの治療には大切なのだと思う。色々本を読んで、幾人かのDIDの友達と話し合って、私は今そう考えている。

非現実的なものにどこまでも取り込まれてしまうと勿論日常生活が困難になる。意識すればするほど人格がクリアな輪郭を持ち、ともすれば更なる分裂増殖の可能性もある。バラバラになればなるほど生活が困難になる。この世は、1つの体に幾つもの人格を同居させて生きていけるようには、できていないんだから。

そんな話をしたら、医者先生は「その姿勢が良いです。それでいきましょう」と評価してくださった。

現実とあちらの世界を浮遊する自分の尻尾をしっかり掴んで地に足をつけておきたい。
交代人格を無視しては生活できないのは、現実。昨日、記憶にないメールが2通送信されているのを知った。記憶にない意識にないことが多い。でも、自分の人格状態にこだわらないこと、自然に生活することって大事だと思う。


精神薬数種類のほかに、痛み止めと湿布の山。
薬局で怪訝そうに薬剤師が「どこか痛むんですか?」と聞いてきた。
「どこって・・・あちこちいたいです」と答えたら、「原因はなんでしょう?」と聞かれた。答えに窮した。
多分、精神的に緊張状態にあるから常に体がこわばっていてこるんだと思う。加えて、頚椎ヘルニアの可能性が高いらしく、そのせいで全身に痛みが走っているのではないか。よく分からないけど、痛み止めを飲まないと眠れない。

診察は、短いけど有意義に終った。
主治医のDID回復へのアプローチが前より分かって、私がどっちに向かって回復したがっているのか理解してもらえているのだと思った。
最近は落ち着いているから、大きな記憶や時間のすっぽ抜けはない。できるだけ、浮遊しそうになる意識を現実に繋ぎとめて、自分らしく生活することを心がけている。
少し前からはじめた。解離性同一性障害から回復を目指して、自分がやりたいことを思い切りやりたい。一番やりたいのは、次の講演会とワークショップの開催。
目標があることが、ありがたい。


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美鳥(みとり)

Author:美鳥(みとり)
被虐待サバイバー。解離性同一性障害、うつ病、対人恐怖症ほか色々闘病中。境界性パーソナリティ障害寛解しました。毎日の光と影を綴ります。生育歴・来歴・病歴・活動はこちらをご覧下さい⇒<はじめに Profile>

講演活動・ユーストリーム放送しています。
講演のご依頼ご相談は、当ブログメールフォームからお願い致します。

診断名の有無に関わらず、生き辛さを抱える方々と温かい繋がりを目指しています。ご感想ご意見など、お気軽にどうぞ。お待ちしています。

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