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2010/04/30 (Fri) ポケットに林檎

◆5月5日開催 美鳥の講演会「両目を開いて生きる」インターネット申し込み受付明日で締切りです◆




一歩も弟の家から出ていない。
引きこもって、講演会の原稿を書いている。

しんどい作業かというとそうでもなく、凄く楽しい。
プレッシャーがあるかというと今のところ全然感じない。解離もなさそうだし、精神の落ち込みもない。
たった1日や数時間で精神状態が落ちる可能性は常にあるのだが、その時はその時でその時だと思っている。何かちゃんとやれる気がする。私はやりたいことをやれている実感がある。



講演会を決意したのは、3年前だ。
具体的に決めたのは2年ほど前。
実現できるまで長い時間がかかっている。
私は、どうしても匿名の世界に馴染めない。
現実に支えられることが、どれだけ大きいか知っているからだと思う。
現実に何かしたいとか、匿名でない世界で人と出会いたいとか、ドキュメンタリーに出るならモザイクは要らないとか、常に匿名でない現実の私で何ができるかを考えてきた。



決定的に思い知ったのは、何年前だっただろう。
とあるブロガーさんが、会ったこともない私のブログを読んで「ペイフォワード」してくださったことがあった。
最悪な時期に、映画みたいな出来事が起こった。
起こしたのは、一人のブロガーさんだった。

今、過去記事を調べてみたら、2008年の3月だ。


◆今すぐ2008.3.7 
◆怪物2008.3.7
◆へこんだ林檎2009.3.12


送り主の住所欄には、県名と市名のみ記されていた。
私が行ったことのない地だった。

私は、いまだにこの方の住所を知らない。
2年経つ今でも、かの地に足を踏み入れたことがない。
それでも私にとって特別な地名になった。


私は、ペイフォワードの1通過点でありたいと生きている。
私の身を通過していったものは、暗い絶望や憎悪や嫉妬だけではなく、それに拮抗し打ち勝つだけの誰かの見返りを求めない決断と行動があった。
その潔さと行動力たるや、実際受けてみないと分からないだろう。私の長年の人間不信の怯えなど、木っ端微塵にぶち抜いた。見事で爽快だった。


私がブログに書く内容は、幾つかの理由から、あまり人が聞きたがらないことを書いている。とにかく「ありのまま」書くことにしている。私ができることは「ありのまま」だ。弱さも強さも恐怖も喜びも勇気も、できるだけ取りこぼさずに私のありのままを書くことだ。

そして今度は、人前でありのままに話すことになった。
対面でなければ話せないこと、私の声でなければ意味がないことを伝えることになった。


私を通過していったものの上に、私はいま生きている。

やってられねーよ。
やってやるよ。
もうやれないよ。
まだまだやるよ。

繰り返して生きている。


自分の弱さに愛想が尽きているときに、こんな私なんて死にやがれと罵って世界で一番自分を殺してやりたいときに、この広い日本のどこかのたった一人の誰かが、早く何か食べさせなきゃと慌ててダンボールに放り込んでへこんだ林檎を送ってくれた。

そんな一人一人が実は何人も何人もいる。
驚異だ。
私にはできないことを、できる人がいる。

私は私にしかできないことで違う誰かに送る。
送ることができると思うと、原稿を書いていても楽しい。

当日は、原稿なんて捨ててしまいたい。
書いた手紙を投函する前に相手と会ってしまうのと同じじゃないか。
でも、限られた貴重な時間を最大限に有効活用しようと考えると原稿書きは避けられない。
これはこれで楽しんで書いている。



明日の夜中に、申し込み締切りになる。
予想外にたくさんの方にお申し込み頂いて、アンケートの一つ一つを拝見しては、知らず声に出して応えている。本当は返事を書きたいけれど、時間も体調も許さない。ただひたすらに講演会を楽しみに待つ。

ボランティアで告知に協力してくださっている方々に、あらためてお礼申し上げたい。
皆さんのおかげで、私は参加者の方たちとお会いすることができる。
できるだけ多くの方と私も一緒に笑って、笑顔で帰っていただくことを楽しみに、今原稿を書くことができている。



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講演会「両目を開いて生きる」 | trackback(0) | comment(2) |


2010/04/28 (Wed) 東京に着いたどー!! 

◆5月5日開催 美鳥の講演会「両目を開いて生きる」申し込み受付締切り3日前です◆ 講演会についてのお問い合わせは、コメント欄にでもお気軽にどうぞ。




東京に来たどー!!


雨降ってる中、大阪から空路で東京にやって来ました。
悪天候で、飛行機揺れまくり。
体内で内臓がふわっと浮くのを何度も感じて「うひょー・・・」と無言で耐える揺れ方でした。そのうち吐き気してきた。でも、私は飛行機が大好きなので良いのです。

東京は、雨。大阪も雨だったけど、全国的に今日は雨なのかな。
荷物が重くて重くて、最寄の駅まで弟に迎えに来てもらいました。

東京在住の弟の家に長期泊めてもらうことが多くて、今回もお世話になります。
この弟、凄い頼れるやつなのです。

まず何よりとにかく、境界性パーソナリティ障害の行動化や感情の上下に全く動じず、巻き込まれず、ドライにして、且つ冷静で基本優しく、しかしベタベタせず、ドライなのです。(ドライ2回言っておく)

前回の東京滞在は2月。その時に手酷い挫折を味わって、感情が抑え切れなかった私はリストカットの衝動に襲われたのですが、弟のたった一言で自傷欲求が霧散して、次の瞬間笑ってました。


そんな相手なので、あちらはどう思っているか分からないけど私は居心地の良い同居です。気も合うし。

ここへ泊まると弟はロフトスペースの下部を部屋とし、私は上段のベッド全体をマイスペースにします。
たまにはベッドで寝なよと譲るのですが、弟は若干寝ることを「時間の無駄」と考える節が強くて、自分のやりたいことに命一杯打ち込んでいたい人なので、まともに寝ようとしないのです。そこがまた都合よくて、一日のうち何度もダウンしてベッドを必要とする私と、できるだけ起きていたい弟と、自然噛みあっています。


そんな弟が今ぐーぐー寝てますが、彼が着ているのがこれ。

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リンク先の着用している女性モデルの表情とポーズは必見です。



移動で疲れてるので、だらだら今日は好きなこと書いてます。
いや毎回、好き勝手にしか書いてないけど。


ここで突然ですが、お知らせです!


講演会の参加申し込み締切りが、あと3日となりましたー!

ギャァァアアア!て、叫びたくなるのは、今回ばっかりは自分が講師だからなんだと思います。
あまり緊張しないタイプなので、当日が怖いとかそういう理由じゃないんですけど。
意味はないんですけど。
何か「日が迫ってる!」と思うと、ギャァァアアア!て叫びたくなるんです。


この下↓に、前回の記事よりも倍分かりやすい講演内容の骨子3つの説明を書いたのですが、後日にまわします。

なんか今日はもう疲れちゃって、「東京に着いたどー!」て言いたかっただけなのです。


今日は、ぐっすり寝ます。
明日から、ガッツガッツと講演会の準備です。
こっから先は、一人の戦いです。
当日の準備など凄く煩雑なことをスタッフさんが「全部お任せあれ」と頼もしくも言ってくださったので、私は私の領分を果たさねばならぬ。



行ってみようかなと思われた方は、講演会のお申し込みこちらからどうぞ。
インターネット締切り(4月30日)まで、あと3日です。
百聞は一見に如かず。
遠目からでも見物に来てください。
公演内容は、おもろく真剣に頑張ります。専門的な内容は私が話さなくても専門家の方が話せば良いと思っています。当事者の当事者しか話せないあれこれは、意外にどなたにも参考にして頂けるのではと思っています。

すべては私、初体験ですので、講演とかしたことないので、なんでここまで言えるのかとツッコまれるんですが、既に友人複数からツッコまれてますし、既に自分で数百回してますので勘弁してください。「有言実行」と、そのために自虐的につくりだす「背水の陣」が、私の得意技です。



いつものツイッターみたいなノリになってしまいました。
疲労で突発性難聴出まくりなんで、寝まーす。

皆さん、良い夢を。
おやすみなさい。




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2010/04/26 (Mon) 講演内容いろいろ ※講演会参加申し込み締切り5日前です

◆5月5日開催 美鳥の講演会「両目を開いて生きる」申し込み受付中です◆ 締め切り間近です。講演会についてのお問い合わせは、コメント欄にでもお気軽にどうぞ。



20100425.jpg
画像は記事と関係ないけど鳥カフェに行ったときにアフリカンダンス友達に貰った手作り封筒。イラスト描く能力皆無の私には脅威です。大事にしてます。


なんだかんだで講演会締切り5日前になりました。


ご参加迷ってらっしゃる方により詳しく講演の雰囲気を知っていただくために、公演内容の概要を箇条書きでもお知らせした方がよいかなと考えていました。
しかしながら、ブログで書けない部分を講演会で全部お話したいのが講演会企画の出発点だったので、具体的概要は控えておきます。今のところ。


ただ、講演会でお話する内容について決定していることを、書き留めてみます。

1.講演内容はブログに書いていない核心部分がメインです現在の当ブログは、1年半ほど前の内容、心情を書いております。休止していた期間があったため、読者の方が私の感じ方や考え方が現在へ飛躍したように伝わらないため、ブログ記事は最新の内容ではありません。よって、講演内容は過去のブログ記事をすべて踏襲しながら、ブログでは書いたことがない内容が主になります。

2.私は専門家ではなく、当事者です。
講演内容は臨床心理学のデータや基礎を交えたものにはなりますが、あくまで当事者としての私の経験に基づきお話致します。

3.私の具体的経験を軸にお話します
当ブログに記載しています私の来歴 ◇私について に沿って当時のお話をします。かなり情報量が多いので、ご興味お持ちの方はご参加前に目を通して頂けると、より分かりやすいと思います。

4.レジュメ配布はしません
当講演会の方針で、当日にレジュメのようなものは一切配布致しません。かわりにスクリーンやらホワイトボードやら使います。メモを取るなどは歓迎です。録音・撮影等は他の参加者の方のプライバシー保護の観点から固くお断りさせて頂きます。

5.回復を目指す具体的方法を提示致します
あくまで当事者としての私が10年以上の色々な治療の中から、自身で確立してきた回復方法の提案を致します。すべて私が試行錯誤し、実際に試して成果があったもののみです。すべての方に当てはまるとは限りません。回復方法の提案は、主に以下についてです。

・対人恐怖
・衣食眠と金銭とコミュニケーション
・うつと生活
・共依存
・境界性パーソナリティ障害(周囲の方の接し方も含む)
・精神科通院 カウンセリング療法
・自己不全感の回復
・自傷行為からの脱却
・機能不全家族
・アダルトチルドレン
・診断名とどう向き合うか
・欠損した自尊心を取り戻す


ザッと書いてみました。こんなにいっぱい!?とお思いでしょうが、これを全て3つの要素に分類してお話しますので大丈夫です(と思います)。3つの要素の方が肝心だと思うのですが、それは当日のお楽しみということで。

以上のテーマにかぶらないと思われて興味はあるけれどご参加を躊躇われている方は、こちらのチェックリストをご覧下さい。
または、人間の心の難しさと、良い意味でのしぶとさ、生きる上での具体的経験や知恵に関心がある方ならどなたでも歓迎です。
美鳥がどんな人間なのか遠くから観察されたい方も歓迎ですよー。



予想以上のお申し込みを頂いて、もちろんプレッシャーはあるのですが皆さんとお会いできるのが楽しみでもあり、今日は講演後の懇親会もどき用に、私のおすすめ大阪土産(私もまだ食べたことがない珍物)をご用意してます。
私もまだ食べたことがないっていうのは、滅多なことじゃ食べる気になれない代物だからです。そんなもの持ってくんなとか言われても気にしません。美味しいお菓子やお茶はスタッフさんがご用意して下さるそうなので、私は私らしくイロモノ土産をご用意しました。
試食に挑戦する勇者をお待ちしています。



参加お申し込みは順調に頂いています。
私が言うのもおかしいのですが、お申し込みいただく度にびっくりしています。

これも一重にボランティアで告知を打ってくださったブロガーさん達のお陰です。まだ振り返るのは早すぎるのですが、振り返ってみればこの講演会は私一人の思いから始まり、実現には多くの方の当事者のご協力なりには実現できない講演会です。

自分のことだけでも手一杯、今日は元気でも明日は元気か分からない、そんな状況にいらっしゃる方が多いと思うのに、当事者の皆さんのお気持ちと行動力に深く深く敬意を抱いています。ありがとうございます。


自分が生きていて良いのか、喋ってよいのか、笑ってよいのか、分からない時期がありました。
声も失って、言葉も失いました。
人間全体を呪って憎しみで自分が破裂しそうでした。
それでもやっぱり今の私は、人間が大好きです。出会いの数だけ、良いことばかりは起こらないと痛感しても痛感しても、やっぱり人間が好きです。失敗しても苦しくても、死なないで生きて、自分に正直であろうとする人が好きです。

今の私がお伝えできることを精一杯お伝えできますように。
明後日には、羽田に到着します。
お先に、参加者の皆さんのお越しをお待ちしています。
皆さん、体調や精神状態や生活、さまざまと戦われながらのご参加だと思います。
どうぞお気をつけてお越し下さい。


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2010/04/19 (Mon) 藁と救命ボート ? 境界性人格障害 ?

◆5月5日開催 美鳥の講演会「両目を開いて生きる」申し込み受付中です◆ 締め切り間近です。講演会についてのお問い合わせは、コメント欄にでもお気軽にどうぞ。



20100419.jpg

「境界性人格障害の症状は、年齢と共に自然、徐々に寛解していく」という俗説がある。
難病とされていて、匙を投げている専門家が多い中、患者にとってはある意味希望の言葉である。

しかし、私はどうしても腑に落ちない。

今こんなに苦しくて周囲から人も離れていくし、一時期の共依存に浸かることができても、また孤独と不安の中に逆戻り。根底には、自分なんて誰にも愛されないという確信と、だからこそ世界一愛されたいという強欲さが同居して、絶望と渇望が喰らい合いを続けている。こんな毎日と付き合い続けて、果たして年月が解決してくれるのだろうか?


病とは別に、対人技術はそれなりに向上していくかもしれない。ただし、まともな環境に自分がいられたらの話だ。しかし、境界性人格障害は、自己不全感と人間不信で溺れかける瀕死の状態に等しいため、穏やかな環境を獲得し維持し続けていくのは難しい。

「貧すれば鈍する」という言葉がある。
「貧乏すると頭の切れる人でも愚かになる。さもしい心を持つようになる」の意である。金銭に関しての慣用句だが、私は境界性人格障害者の求めても求めても満たされない渇望状態と酷似しているように感じられてならない。

「窮すれば濫す」
「貧乏すると、どんな人でも、生活に追われて堕落する」の意もまた同じで、求めても得られても飢餓感が満たされなくなると、境界性人格障害者は依存できるならば誰でも良い心境になる。もしそこで、少しでも受け入れてくれそうな態度を見せる相手を見つけると、「誰でもいい」は瞬間に「好きで好きでたまらない」へ裏返る。
「ついに運命の人に出会った」と世界中が光に満ち溢れて見える。

これは決して憶測でも何でもなく、私の過去の実体験から書いている。
重度の境界性人格障害だった。


「貧すれば鈍する」という言葉を知ったのは、私が泥沼の共依存不倫を続けていた頃、祖母が繰り返し言った言葉だった。当時、私はこれこそが愛で、何が何でも不倫だろうが何だろうが相手は私を守ってくれる、私の愛人、浮気相手、他人の家庭を踏み荒らす不届きな女という汚名を返上してくれるものと信じていたから、自分が貧している故に鈍しているとは思いもしなかった。

このだめんずパターンは以後も続き、私は驚く速さで次々と婚約したり別れたりまた出会ったりしている。その都度「ついに出会った」を繰り返していた。愚かだったが、私の当時の鑑識眼などその程度だった。


手酷く裏切られた。または、出会った瞬間に輝いて見えた男は、数日で色褪せてダサいぼろ雑巾のごとき古着に見えた。
自分の見る目のなさにも失望したが、毎度何故そんな男が輝いて見えるのか、そして何故友達が付き合っているような安定した関係を結べないのか長年なぞだった。


長く考えに考えて、内省を続け、その間懲りずに失敗を続け、ダメ女の称号に違わぬ痛々しいネタ伝説を作り続け、ついに私は気づいたのだった。

「溺れる者は藁をも掴むと言うが、溺れる者は高確率で藁しか掴まないのが人生らしい」ということに。

貧しい家に生まれ、継母に苛められ、いじわるな姉妹に苛められて、でもある日運命の王子様が現れて幸せになりました、めでたしめでたし。という結末にならないのが人生なのだ。人生は、御伽噺ではない。


幼少期の孤独を切り抜けるために、私は幾つものファンタジーを心に抱いていった。
愛されるため、心に空いた穴を埋めるため、千切れそうな命綱の代わりに私を世界に繋ぎとめてくれるものを探し、いつか助けてくれる人を待ち続けていたのだと思う。
自分の孤独で精一杯で、愛が何なのか思いやりが何なのか、何をすれば愛されて、何をすれば自分のことだけ見てくれるのか知恵をこらし、媚でも何でも使った。痛々しいまでに必死で命がけで愛されようとした。なのに私がやることなすこと、相手を傷つけた。もしくは怖がらせた。もしくは重荷になって相手を潰した。


これではまずいらしいと気づくまでに相当の年月を費やした。

その間に結婚した友達も複数いる。置いてけぼり感は否めないが、私は藁しか掴まなかったのだから仕方ない。藁なのか救命ボートなのか見極められるようにならなければ、遅かれ早かれ私は孤独の池に溺れ死ぬのである。


死なないために勉強し、死にたくなるような苦しみを乗り越えるべく思考回路や習慣を変えた。すぐに輝いて見える男は時間をかけて観察することにした。少しずつの習慣が私を変えて、手酷い絶望を味わうことはなくなった。

その他、治療面でも、周囲の人からもサポートを受けて回復してきたのだが、サポート面の話は今回は置いておく。


今日まで生きてきて、境界性人格障害の症状が驚くほど寛解してきて、人と安定した信頼関係を築けるようになってきたとき、ふと、境界性人格障害が年齢と共に寛解するなんて嘘っぱちだと思った。

手にした藁を手離す恐怖を乗り越えて、一旦何も掴むもののない自分だけが頼りの時期を過ごさねば私は学ぶことができなかった。手がふさがっていては、目の前に掴むべきものがあっても掴むことができないのだ。
頼りない何の役にも立たない藁を掴んでいるのに、これは救命ボートなんだといつまでも自分に言い聞かせていたって明日も明後日も助かることはないのだ。


この蒙昧ぶりは、年齢が解決するだろうか。

いつまで経っても精神年齢が向上しない人はいる。
何度失敗しても、考えることを諦めて藁を掴んで不安だから違うもので更に自分を麻痺させて、死ぬ寸前まで依存に酩酊して千鳥足で生きている人もいる。

境界性人格障害は、甘い病気じゃない。
症状に見舞われ続けるのは苦しい。でも、その苦しさの中には特有の美意識と悲壮の美と、微量の陶酔が入り混じっている。それら微量の甘い毒を退けては孤独に耐えられなくなる。これらの甘い毒への依存が回復を躊躇わせる要因の一つだ。

自分を何とか保ち生かせてくれている甘い毒を断ち切るのは、苦しい。辛い。怖い。先が見えない。
そして当人は人格障害で溺れかけている。生き残る可能性は低い。それでも回復したいと足掻くのか。断ち切るかどうか決めるのは、当人だけだ。

回復は狭き門だ。境界性人格障害は生易しい障害ではない。
耐えて年月を忍んでも、自然に治るものではない。
それが現実なんじゃないのか?


ある時、とある老女に出会った。
彼女は、どう見ても酷い境界性人格障害だった。(本人は、自律神経失調症だと言っている)
彼女の年齢は、78歳である。

年齢と共に寛解しているどころか、私が知っている数年の間にもどんどん悪化していった。

ここまで孤独が人を蝕み、人生を閉塞させるものかと私はぞっとした。他人事ではなかった。

彼女は、自分の何を治療すべきなのか分からずにいる。
精神科の薬を飲み、入退院を繰り返しているが、医者に対しても境界性人格障害特有の絶賛とこき下ろしばかりで、医者すら信頼していない
アドバイスする人間のことは遠ざけてしまう。ただただ慰めの言葉と、自分への忠誠を求める。有り余る金をちらつかせ、誰でもいいからそばにいてもらうために金を握らせ、金が欲しいならそばにいて、毎日電話するようにと頼んでまわっている。善意で彼女に関わった人は皆侮辱されたと怒って離れていった。
離れていく理由を、彼女は全く理解できずにいる。
彼女の目には、救命ボートが藁に見えている。
そして、78歳の今も奇跡の王子様を待っている。
すぐにも沈んでしまう金という名の船に乗って。



すべての悲惨には、等しく終わりが来るなど私には思えない。
回復の鍵はすべて、患者自身とサポートする周囲の人間の知恵と覚悟にかかっている。そのどちらが欠けてもハッピーエンドは来ない。

去年カウンセラーを探していた時に「境界性人格障害は治療しません」というカウンセラーに驚くほど遭遇した。境界性人格障害は、医者ともうまくいかない例が少なくないのだ。(ちなみに解離性同一性障害についても除外しているカウンセラーが多かった)
匙を投げられている病気だが、だったら、だからこそ、寛解してきた私にできることがある。微力でも何でも行動せずにはいられない。境界性人格障害は、治らない病気ではないと私は考えている。方法も幾つかある。

私自身が試し、経験してきたものの中から、患者の回復への具体的な道と、患者を支える家族や当事者の患者への接し方について今後書いていきたい。



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2010/04/18 (Sun) 骨と肉と骨 ? 自傷・カウンセラーとクライアント ?

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原因不明の全身痛が日に日に悪化してきた。
座っていても痛いし、寝ていても痛い。
痛みのせいか、ストレスのせいか、それとも最近カウンセリングで触れたトラウマのせいか、悪夢で叫んで飛び起きる毎日。ゆっくり休みなさいと医者から言われているが、休めない。

歯医者に行ったら、「歯じゃなくて全身痛から来てる可能性が高い。今の状態だと治療継続は無理」と言われて、歯の治療に使う高周波治療器を肩にあてられて帰された。歯医者に来て、そんな治療だけ受けて帰る患者は前代未聞だとか。
歯科助手と一緒に思わず笑いが止まらなかったが、笑ってられるのはその時だけで、帰宅してまた痛みに苦しむ。


処方されている痛み止めは、初期は効いていたが今は全く効かなくなった。一体、どこがどう痛んでいるのか自分でも把握できない。

ただ、ものすごく自分の精神や魂が肉体に縛り付けられているのだな、と実感する。
身体感覚が麻痺していたり、鈍磨している解離性障害の私にとって、ここまで実感することは滅多にないかもしれない。

自分が、肉と骨で出来ているなと感じる。骨と骨を肉や筋やその他色んなもので繋いであって、それぞれが連携している。神経が張り巡らされていて、常に電流が流れている。流れた電流が脳に戻って、痛覚を私に与えている。

リストカットなどの自傷行為のことを、「生きるために傷つける」と当事者はよく言うが、私はよく理解できる。
温かく柔らかいものに包まれていると、そこにのみこまれてしまい自分が溶け込んでしまう不安を覚える。自分の輪郭が薄くて弱いと、柔らかさこそが恐怖になる。

痛みは、自分を確かめられて安心する。
観念的な孤独や不安に襲われていた状態から、一気に痛覚によって肉体を引き寄せられ、まるで自分はそこに存在しているだけで許される物体のような無我の心地になる。
もしくは、痛みを感じない自傷の場合、痛みを感じない自分を確認してやはり物体のような境地になる。

温かく柔らかいものと対極にあるからこそ、それもある意味、身体感覚のみに呑み込まれている状態だとも思う。
どちらも本来の自分ではないと私は思う。


痛い痛い痛いばかりが意識を占拠するようになって、色んなことが落ち着いてまともに考えられなくなってきた。
東京行きの航空チケットが買えない。いつでも買えるものだが、多分これは何かから逃げようとしているから買わないのだ。


まずいと判断して一昨日カウンセリングに行ってきた。
相談しようと思ったのは、今のカウンセラーの前にかかっていたカウンセラーと私の関係について。
限られた日数の中で、限られた時間内に、全身痛に襲われている私が相談しなければと思ったのは、前代のカウンセラーとの関係。

これを、私はこのブログで書くことすら避けてきた。
1年ほどブログを休止していたのは、この3人目のカウンセラーとのやりとりや治療過程で何度も死に掛けていたからだ。精神的に何度も死んだし、生まれ変わった気がしたし、途中で私は何度も土下座し、最後はカウンセラーとの電話で何度も怒鳴られ、パニックを起こし、解離を深め、自殺を決意し、指を全部切り落とそうとし、そうして何とか生き延びてブログを再開したのが最近なのだ。

考えることすら苦痛だったけれど、講演会を前に私は自然過去と向き合わなければならなくなった。

カウンセリングに行って過去について話してる場合じゃない。講演会の原稿を書いたり、体調を整えたり、やらなきゃいけないことは山ほどある。自分を追い詰めて航空チケットを買うのだ。一日かけてでもチケット購入ボタンをクリックすることが最優先じゃないのか。

そんなことも考えたが、やっぱり私は今も闘病中だ。そして、過去がどれだけ今の足を引っ張るのかも知っている。過去は待ってくれない。トラウマは待ってくれない。動かなきゃいけない時でも、休みたい時でも、今向き合わなければならないときがある。


一昨日の金曜日にカウンセラー(現在4人目)と話し合ったことを、このブログにちゃんと書こうと思う。
その中には、私が1年間通い、ある意味心酔したカウンセラーの話が出て来る。そのことについて今は詳しくは書けないが、書かなければならない時が来た。自分のために。

治療に通って、医者やカウンセラーの心無い言葉や態度に、逆に傷ついた経験を持つ患者は多い。
傷つくのは、それなりに信頼しているからだ。藁をも縋る思いで「専門家」を信じるからだ。回復を熱望するからだ。
人間同士の付き合いだからだ。しかし、治療者は権力を持っているからだ。

一言ではいえない問題を、1年間のカウンセリングで抱えた。
それは難題中の難題とも思える。思い出す度に良い思いでも悔しい思い出も、感謝も怒りも同時に湧いてくる。
これらの感情を全てあるがままに認めて、その中から私は自分が本当に感じていたこと、本当に見えていたもの、見えていたのに恐れたものについてよく考えなくてはならない。

回復への道は遠い。回り道もある。でも時間は生きている限りは誰にも平等に存在するのだと信じたい。



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2010/04/17 (Sat) 続 わたなべさんちのガレージ ? 大阪駄文 ?

このブログにおいて、かつてここまで人気を博した記事があっただろうか。
今日は、皆様(あくまで一部の物好きなみなさまだが)気にかけてくださっている◇わたなべさんちのガレージ ?駄文? のその後についてご報告したい。

去年の7月にアップしたにも関わらず、そしてどうでも良い記事だったにも関わらず、「わたなべさんちのガレージ気になってます!」「わたなべさんちはガレージになってましたか?」「わたなべさんちの続編を期待しています!」と、講演会申し込みフォームからもファンレターを頂く始末。
みなさん物好きですね。

わたなべさんちも、こんなにネット上で関心の的になっているとは思いもしないだろう。


経緯をご存じない方(で暇な方)は、是非こちらから前回の記事をご覧下さい。(暇なときに)

◇わたなべさんちのガレージ ? 駄文 ?

半年前は、こんなふうになってました。わたなべさんち。

20090708watanabe.jpg


めっさ工事中。


そして、あれから約半年後の4月初旬、私みとりが、みなさまのかわりに、この足と目でしかと事後調査をしてきた。
みなさまの関心は、わたなべさんちは本当にガレージを作っていたのか?に尽きるであろう。

よって、今回は多くを語る必要はない。
証拠画像だけで良い。
結果のみが全てだ。

おまいら目よく見開いて、よく見ろよ。ちゃんと最後まで見るんだぞ。


これが大阪クオリティだァァァ!!!


1枚目(左手手前が旧”わたなべさんち”)
2010041701watanabe.jpg





2枚目(近距離から確認。確かにガレージができている)
2010041702watanabe.jpg





3枚目(看板で最終確認へ)
2010041702sledwatanabe.jpg





4枚目(ガレージ入り口の看板)
2010041703watanabe.jpg




わたなべちゃうやん!



わたせさんやん!!wwwww





次回の駄文シリーズは、「モンゴルのおっちゃん」をお届けします。モンゴル人じゃなくて大阪人です。
こんな大阪を愛する私の講演会が5月にあります。ちゃっかり宣伝。
講演後の交流会(ざっくばらんなお茶会1時間)には、大阪クオリティなお土産も持っていきますよ。
皆さん来てね!

◇大阪駄文カテゴリー 過去記事全部読めます


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○講演会最新情報

今回の講演会についての最新情報、講演内容、参加者へのメッセージ、お知らせは、以下のリンクからご覧下さい。開催当日5月5日まで記事が追加されます。
<カテゴリー 講演「両目を開いて生きる」>





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2010/04/16 (Fri) もう生きられない33の理由

以下は、講演会のちらしにどうしても載せたかった箇条書きの参加者へのチェックリスト。
印刷コストや、紙面のスペース上、やむなくちらしからは全文削った。こちらに転載することにした。
ひとつでも○がついて、かつ私の講演に興味を持ってくださる方と是非お会いしたいと思って書きはじめたものだ。


しかし書いているうちに箇条書きは私の過去の感情の想起となり、連想式に一行の躊躇いもなく一気に書き上がった。
箇条書き33は、すべて過去の私だ。
群集の中にいても、一人でいても、私は独り言のように毎日何十回も「もうだめだ」を呟いていた。
私は生きるのに向いていない。もうこれ以上はもたないから、「もうだめだ」という意味。早く楽にしてくれと神とも悪魔ともつかない何かに懇願していた。早くこの生に終止符を打って下さいと。

今の私は、この33のチェックリストに幾つ○がつくだろうか。半分はクリアしている。その他は、△を付けるかもしれない。いずれにしても、誰かの中に私と同じ感情が1つでも宿っているとするならば、少なくとも私は語り掛けたい言葉を持っている。私も生きるのが辛かった。でも今生きていますと、なぜどうやって今生きているのか具体的に話すことができる。


◆もう生きられない33の理由◆

  1 とにかく生きづらい

  2 死にたい
 
  3 人生に希望が持てない

  4 好きかどうか分からない友達と何故か付き合ってしまう

  5 恋愛しても満たされない

  6 本心で付き合える人がいない

  7 劣等感が強い

  8 根源の分からない罪悪感が強烈

  9 自傷をやめられない

  10自分に価値があるか常に自問してしまう

  11満たされている筈なのに虚しくて仕方ない

  12思っていることをどこまで口にして良いか分からず黙ってしまう

  13作り笑いをしていることが多い

  14いじめられた、虐待を受けた、裏切られた経験が忘れられず前に進めない

  15社会に出るのが怖い

  16わかってもらえない哀しさと分かってもらおうとする自分を破棄したい

  17行動原理の分からない他人に苛められたり振り回されることが多い

  18社会に馴染めないと思う

  19自分を変える努力をしようとしても報われない

  20他人から嫌われるのが怖い

  21理解されない孤独を抱えている

  22治療を受けているがなかなか治らない

  23外出すると必ず体調が悪くなる

  24この世の99%と反りが合わない

  25他人が馬鹿で幸せそうに見えて羨ましいが彼らのように生きたいとも思えない

  26友達が欲しいが出会いが怖い

  27誰かに思い切って相談しても見当違いな答えが返ってくる

  28怒るタイミングを逃し理解されない悲しさを抱えることが多い

  29今の治療方法が正しいのか、予想外に治療時間がかかっていて不安を抱えている

  30家族に以上のような問題を抱える人がいてサポートの仕方に悩んでいる

  31ニュースの惨事(親殺し子殺し無差別殺人)が他人事に思えない

  32生きるために自傷を繰り返しているがいつまでもこのままでは生きていけないことに気づいている

  33生きることに疲れた

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

- 付記 -

生きるのは苦しい。けれど、死ぬのもとてもとても難しい。自分を傷つけるのは簡単。けれど、虚しさに恭順するのもとてもとても難しい。生かされている残酷さに立ち往生していた。

しかし、過去の私が言葉で表すことができなかった苦しみを、今の私は理解し表現することができるようになった。
「もうだめだ」以外の言葉を覚えた。

境界性人格障害も治すことができる。散々踏んだり蹴ったり、治療で更なるトラウマも負った。それでも私は回復している。

人間不信も乗り越える方法があった。辛い過去も、過ぎ去った後に清算することができる。

そのことを、今の私は知っている。
信じるのではなく、知っている。
信じることは期待と想像を根拠とするが、知っているということは実体験を根拠とする。
私が、私の目で見て、耳で聞き、手で触れ、喜怒哀楽でボロボロになり、それでも地べたを這いずって生きて体感したことだけが根拠となっている。

苦しい人ほど、根拠のない観念的思索に期待する余裕はない。
だから私は、知っていることのみを講演で話すと決めている。


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2010/04/16 (Fri) 舞台裏だって何だって思ってるまんま書けばよい

◆5月5日開催 美鳥の講演会「両目を開いて生きる」申し込み受付中です◆



20100416.jpg
近所の桜。北海道は今日0度だったそうです。皆さんのところはいかがでしょう。

講演会の申し込み締め切りまで、あと2週間を切りました。(怖っ
申し込んでくださってる方々、ありがとうございます。コメント欄のコメントとはまた違って、直接頂くメッセージなどに日々講演会への活力を漲らせています。迷ってらっしゃる方は、ご予約はお早めにどうぞ。先着順となっております。

前回の記事◇痛みが愛しい愛しい愛しいから、半死状態で復活しました。意外に早いのは、5月5日の講演会まで何が何でも倒れるわけにいかない計画性がものを言っているのかも。でも半分はまだ死んでますので明日カウンセリングで完全復活を試みます。


こんなことで大丈夫なのかな!?

ちゃんとやれるのかな みとり!?


プレッシャーとやらなのか雄叫びたくなるのが大体1日に2,3度あるにはあります。
他の時間はだいたい悪夢にうなされて布団の中です。でも、合間に作業はちゃんとやれてます。スタッフの方々の支えがなければ潰れてます。みんなありがとう。

どうやら精神的なものが身体症状に出ちゃって、全身神経痛になってるらしいです。人生初の症状です。そんだけプレッシャーなら何で講演会とか大それたことやっちゃうのよって声もあるんですけど、やりたいったらやりたいのでいいんです。やるんです。やればできる子なんです。本番に強い子なんです。


でもなぁ原稿殆ど書かずに敢えて臨むのってどうなのよ、ドライスタイリッシュ野郎の弟にも「原稿は書いててもいいんじゃないの」とやんわりたしなめられたし、でも私はライブ感を前面に出したいしそれが持ち味なのよとまだやったこともないのに言い訳していたら、昨日ちょうどわたしの性格と喋りを知ってる友達から、「みとりに原稿は必要ないんじゃないかと思う」と言われてくれちゃいました。渡りに船とばかりに「そうだよね!」と叫んで一件落着しました。


私も原稿が完全に用意されてる講演会に行って「行って良かった!」と思えた講演会は、経験上皆無なんです。あと、こっちを向いて喋らない講師も嫌いです。あと、質疑応答の時間に「何でもご質問どうぞ」と大きく出ていながら、いざ質問されると「それは主治医の先生にまず相談していただいて」と前置きだけ念入りで、結局ダラダラ喋って奥歯にもの挟まったような物言いで答えたようで何にも答えない「専門家」も嫌いなんです。


この間東京滞在中に、多摩市まで受講料を払って誰とかという(←もう忘れた)教授だか何だかの講演を聴きに行きました。昼食たべる時間がなかったので、慌てて近場のラーメン屋で「こってりラーメン」を食べました。700円でした。美味かった。
奇遇にも、講演会の受講料も700円でした。しかし始まって5分で「帰りたい!」と心底思い、授業中に教室を走り回る子供の気持ちがよく分かりました。窓ガラス全部割ってまわって盗んだバイクで走り出したい衝動にかられました。「ラーメン代返せ!」て叫びながら。正しくは講演料返せの間違いでしたけど、無形のものに払うお金に厳しいのです私。ちなみに一緒に行った友達は開始5分で爆睡してました。切ない時間でした。




生まれて初めて講演会やるのに、言ってみればまだやったこともないのによく人様の講演にここまで言えるなと自分でも思うんですけど、ある意味自分の首を絞めるため、普段講演会に言って感じていることを素直に書いてみました。


私の特技は、良くも悪くも「根拠のない自信と勢いがある」ことなのです。そして「何度赤っ恥をかいても懲りずにスタートダッシュは勇ましく、それ故にこける時に顔から派手にこけて大怪我する(心が)」ことなのです。そうして顔で滑った分ようやく前進するのが私のスタイルなんです。


こんな講演やだわーと普段思ってるような講演を私がやっちゃったら、まず私がヘコんで半年は浮上してこないと思います。
でもしかしそれでもやっぱり最初にこうして書いておいて、自分を追い込んでおきます。自分で自分の首絞めすぎて、加減を間違えて当日は虫の息なんてことにならないように、自己管理にも励みます。明日はカウンセリング行ったついでに一人カラオケで歌い踊り狂ってきたいのですが、カウンセリングの内容次第ではどんよりして直帰かもしれません。でも着々と講演準備は整って、早くお話したいことでいっぱいです。



ところで、そんな今回の講演会の内容について。
既に申し込んで頂いた方はご存知だと思うのですが、申し込み時に「アンケート(任意)」があります。
この質問事項は、全て私が考えて作りました。私が作らないと意味がありませんでした。
参加前にここまで訊くのは何故かしらとあやしまれる方も多いと思います。しかし、どうしてもこのアンケートは外せませんでした。というのも、私はできるだけ来て下さる方のお時間を大事にしたいからです。


人間は明日死ぬかもしれず、1日は24時間しかありません。毎日私はそう思って生きています。
よく、講演後のアンケートがありますが、あれは主催者側の次回に役立つものじゃないですか。参加者としては、当日の内容に反映してくれたらいいのにとよく思ってきました。
今回は講演という形ですが、人との出会いは次回もお会いできるか分からず、一期一会です。
そんな皆さんの貴重なお時間を割いて来てくださるのですから、来てくださる方それぞれに出来るだけ届く具体的なお話をしたいと思っています。


答えてくださったアンケートは毎日拝見して、講演会での講演内容に反映させていっています。言ってみれば、私が話したいなぁと思っていることでも、来てくださる方に関心が薄ければそれは第二第三にまわすつもりです。一方通行でない参加者と私ができるだけ双方向で向き合える講演が今回の目標とする形です。
(集計したアンケート結果を講演中で開示したりすることは一切ありません。また、プライバシー保護に努め、今回の講演内容に反映させる以外の目的では一切使用致しませんので、ご安心下さい)



とにかくも匿名でない世界、現実の世界で対面でお会いすることが大切です。
百聞は一見に如かずです。百の記事よりも一見です。物見遊山にでもいらして下さい。
行ってみようかどうしようかと迷ってらっしゃる方は、お時間あれば来てみて下さい。


人間の心に関心をお持ちの方は、性別年齢立場問わず、どなたでもご参加OKです。病気の有無、経験は無関係です。心と人間と社会の中で自分らしく生きる実践論がテーマです。引きこもりや不登校で悩んでらっしゃるご家族の方などのご参加もOK。教育や医療関係の方も是非いらして下さい。

また、私が来ていただけたらいいなと思っているのは、まだ精神科の門を叩いたことがない故に病名を持たず、普通の人でいるには自信がないけれど病気と名乗っていいのかも自信がない方です。引きこもりなどは、その一例です。

診断名は、人が生きる上で全く重要ではありません。(回復の段階で非常に重要となる時期はありますが)本当に問題なのは何病かということではありません。症状の数に苦しみが比例するものでもありません。誰かと比べて相対的に判断すべきものでもありません。個人が個人的に感じる苦しみ「生き辛さ」だけが問題です。
私は、その立場を貫きます。


私に診断名が多いのは、それだけの回数精神科へ行って状態を見てもらったからです。ドクターショッピングと呼ばれる転院も繰り返しました。その都度、病名は増えたり減ったり、誤診されたり修正されたり。ただそれだけのことです。
何らかの理由で病院に行くことができずにいる「未患者」の方、病院へ行くほどではないけれど「生きづらい」方も、そんなご家族の方も、是非いらして下さい。


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2010/04/13 (Tue) 痛みが愛しい愛しい愛しい

◆5月5日開催 美鳥の講演会「両目を開いて生きる」申し込み受付中です◆




1週間ほど前から、解離が悪化してきてついに限界が来た。
兆候を感じて、自戒の意味もこめて2日前に、 ◇ダウンを避けて視点をずらすという記事を書いたのに、解離性障害は手強くて失敗したようだ。


今、自覚できる状態は以下。

・頭痛(1週間前から継続)
・全身痛(神経から来ているらしいが原因不明)
・動悸(自律神経失調症といわれている)
・息苦しさ(これは大体いつものこと)
・過眠(回復のために敢えて寝ているが疲労は一切回復せず)
・悪夢(気がかりな友人のこと・3人目のカウンセラーとのこと・実家のこと・戦っている阿鼻叫喚の夢など)
・食欲なし(空腹は感じるが食べ物を美味しく感じないのでどうでもよくなっている)
・無感覚(飲食や排泄を忘れる)
・無感情
・自傷欲求
・死にたい衝動
・美術館へ行った時以来ずっと何かしらに抱いている怒り


とにかく全身が耐えがたく痛い。起きていても座っていても寝ていても痛い。
痛み止めを飲んでも、効いている間もうっすら痛みを感じる。薬が切れるとまた元通り。むしろどんどん悪化している気がする。湿布の消費量が半端なくて病院に行かねばならない。

痛いことが続いて、かつ無感情でいると、死にたくなる。死にたいというのは多分、本能的な逃避願望だと思う。感情というよりも、現実から請求される行動指向のように思う。

医者なら「うつ病です」とか言うのだろうが、私は診断名にはほとほと愛想を尽かしている。診断名は私を治してはくれない。
これらの身体症状や精神状態が何から来ているのか知っている。脳のセロトニンどうこうじゃなくて、単に今の私が現実に行き詰っているから。

私は、「仮面うつ病」要するに隠れうつ病とも呼ばれる「精神的に自覚がなく、身体の症状としてあらわれるうつ病」と診断されている。何やねん「隠れうつ病」て。
全部一くくりに「うつ病」としないのは、臨床現場とは縁のない医学会で症例区分に励む学者気質の方々の仕事の成果であって、実は当事者に混乱を招いているだけのような気がしている。

私は「仮面うつ病」の他にも「自律神経失調症」と診断されていて、これは仮面うつ病が定義する症状と丸かぶりだ。区別がつかない。区別をつける理由がよく分からない。そもそも「自律神経失調症」という病名の前には「心身症」があったのだが、「心身症」の定義が曖昧なので、より確かな定義にしようと「自律神経失調症」があらわれた。そして今は知っている方は少ないかもしれないが、「自律神経失調症」の定義が曖昧なので、「身体表現性障害」という病名が現われた。しかし、この病名についても調べてみたら、自律神経失調症と何ら変わりなかった。学者たちは一体誰のために診断名を増産しているのか分からない。「増産」という表現を使っている時点で、私は相当にこの分野に怒っているらしいと今気づいた。

診断名が役立つのは、生きる上に置いて2,3の場面でだ。その場面では、大いに活用するべきだと思っている。

また、診断名の話に逸れてしまった。その話は違う機会に詳しく書こう。
私はうつ病に関わらず、解離性障害にしても何にしても、医学会がずーっと続けている診断名の細分化に怒りを抱いているので、つい話が逸れてしまうのだ。


私のいまの状態に話を戻そう。
今の状態は、「仮面うつ病」と「自律神経失調症」と「解離性障害」の諸症状と全部かぶっている。自傷欲求は「境界性人格障害」の症状の一つだし。アダルトチルドレンも自傷はするし。症例を並べるとわけがわからなくなってくる。

しかし、とにかく私の心が感じてきた何かをおざなりにしてきた結果だろうということは、経験から分かっている。幾ら休養しても何をやっても一向にびた一ミリも回復しないのは、気に病んでいることがあるからだ。
さっきから、その原因を考えている。
乗り越えられる、やれる、頑張れると昨日まで意欲的に思えていたことが、今日になると悲痛なものに変わってきた。悲しくて意味もなく泣いている。
何故泣くのか、泣くときに自然頭に浮かんでいる複数の事柄を必死で拾い集めようと意識を集中させている。


冷静であろうとするのに、死にたい死にたいばかりが頭をよぎって考えをかき乱すから、痛み止めの薬を飲むためにお茶を入れた。
弾みで、ポットの湯を左手に注いで火傷してしまった。

瞬間に、熱湯の痛みに私は泣きそうなくらい、癒しや安堵を感じて陶然となった。
刺すような痛み。骨に響く痛み。皮膚を痺れさせる痛み。甘い痛み。

自傷へ気持ちが傾いていることを知った。
陶然としながら、自傷を嫌悪する私は自分に失望し、しかし抗いがたい痛みを卑しく味わった。

それが、このブログを書き始める数分前の出来事。
どうしてこんなことになったのか、薄々気づいている。
この記事は、私が私のために書いた。
怖いことから逃げないために。
逃げてもいい時がある。しかし、逃げたいときほど立ち向かわなきゃいけないことがある。
今は、間違いなく後者だと思う。
でも今の瞬間は、間違いなく自分をメッタメタに傷つけて傷つけて、あわよくば死にたい。
どうやって立てばいいんだ。


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境界性人格障害 | trackback(0) | comment(2) |


2010/04/12 (Mon) 両目を開いて生きる 再掲  ? 講演会「両目を開いて生きる」 ?

◆5月5日開催 美鳥の講演会「両目を開いて生きる」申し込み受付中です◆(近日、頂いている講演会についてのご質問へのお答えと、講演内容(予定)と、交流会(1時間程度です)についての記事をアップします。)




このブログ記事も、先月でアップ数1000を越えました。
振り返ってみれば、最初の記事が2007年9月。以来、2年半?3年、このブログを書いていることになります。ここまでお付き合いくださっている読者の方に、まずは深く深くお礼申し上げます。友達からも「みとりのブログは文字数が多くて読むのしんどい」とか言われる始末。そんなこと言ってくるやつが1人や2人じゃないので何とか文字数を減らそうと毎日頑張るけれどこんな感じです。自分でも文字数多いの分かってます。だから読んでくださってる方々、すいまっせん。そして本当にありがとうございます。ふかぶか。


今回開催する講演会のタイトル「両目を開いて生きる」は、実は過去の記事のタイトルです。このブログをスタートして3ヶ月余り後の2007年12月15日にアップしました。以来、このブログの背骨のように私を支えている記事でもあります。

今回の講演会のタイトルは、迷わず「両目を開いて生きる」としました。
3年近く経っても、色々なことがあっても、これだけは変わりません。

ブログを始めてからも、色々な人に出会い、治療に挑戦しては失敗し学び成功し、自分の弱さに反吐が出て自傷し、ODし、自殺しようとし、人を傷つけ、人を遠ざけ、もう私に二度と誰も近づくなと頭を抱えても、やはり今私の中心を貫いているのは相変わらず「両目を開いて生きる」ことです。

そんな過去の記事「両目を開いて生きる」を以下に再掲します。
当時の私は、こんなことを考えていたらしい。そして同じことを今の私も考えている。自分が書いた数年前の文章を読むのは、過去のアルバムを見るようで不思議な感じがしますね。

変わらぬ気持ちで、講演会に臨みます。
講演会の詳しい内容とお申し込みはこちらをご覧下さい。→ ◇◆講演会「両目を開いて生きる」申し込み受付中です◆◇




2007/12/15 (Sat) 両目を開いて生きる 2 - 人格障害者の生 -


以下は、私宛てに、ある方から鍵つきでのコメントを頂いたときに、私が返信したものです。
殆どそのまま、転載してありますが、
ブログを読んでくださる方へのメッセージになればと、一部加筆致しました。

何か感じて頂けましたら、お気軽にコメントください。
感想をお聞かせ頂ければ、嬉しいです。
お待ちしています。
(誹謗・中傷の類は勝手ながら、削除させて頂きます)


私が頂いたコメントは、ご本人の快諾を得まして紹介しています。
当初鍵つきで頂いたコメントを、記事として公表しようと思った経緯も、
前回の記事「両目を開いて生きる1 - ある方からのコメント - 」に記載しています。

先に読んで頂けましたら、幸いです。



:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
(私 美鳥の返信)


コメント、ありがとうございました。
整然としたブログでの文章に比べ、思い付くまま書かれたような文章が、印象的でした。

いつか、私自身のブログで書きたいと漠然と思っていたテーマを、あなたのコメントの中に見つけ、記事でお答えするには時間がかかりそうですので、コメントをくださったお礼を取り急ぎ、と思いこちらに来ました。


ブログでの匿名性についてですが、とりあえず私のブログに限っては、匿名性は、私のためというより訪問してくださる方のためにあるものだと思っています。ブログを私自身のために書いていますが、同時に外に向けて書いています。
後で書きますが、私が常に他者や社会を意識しているからです。

あなたも感じていただけたとおり、私は出来るだけありのままを綴っています。ありのままであるということは、たとえネットや文字の世界であっても、読む人の心に突き刺さるものです。そうであって欲しいと思っています。読む人の心に突き刺さって初めて、ありのまま書く意味があると思っています。

けれど、その痛みを快と思わない方が多くいらっしゃいます。そんな方は、私のブログには二度と訪れることはないでしょう。現実で、私の部屋を訪れ無言で去ることは私を傷つけることですが、ブログの世界では、躊躇なくそれが出来ます。
また、私のブログを訪れてくださる方は、心の病気を持った方がほとんどです。私自身も同じ状況ですから、彼ら彼女たちの心が、毎日平常ではいられないことを知っています。彼らが辛いときには、私が望んでいたとしても、私のブログに来なければ済みます。
互いに気を遣わず自由に出入りできること、必要としたときに必要としている方に読んでもらうこと、そんな適度な距離感が逆に、私が私らしくいられる必要条件になっています。


文章を書くことは、確かにあなたが書かれたように、客観的に自分を眺めることだと思います。ただ、それは健常な人格を持つ方の感覚ではないかと思うのです。プロフィールにあるとおり、私は人格障害を患っています。簡単に言えば、自分という感覚の輪郭がとても曖昧です。他者との境界も曖昧です。特異な病気であり、なかなか健常な方には理解されない感覚です。
そんな私にとって、文章を書くことは、客観という言葉は当てはまりません。感覚的ですが<主観>と表現する方が正しく感じます。私以外にも人格障害者のブログや文、詩などを拝見しますが、皆さん似た感覚で書いているのだろうと感じます。
皆、人格という根本的な自己像をつかめず、またはコントロール出来ず、試行錯誤しています。試行錯誤している間にも、暴走した人格が自分が望むのとは別の事件、経験を招き寄せ、苦しみが倍増します。簡単ですが、人格障害とは、そんな病気です。


不可解な病ですが、原因は単純です。
誰も自分の人格を正しく見てくれなかった、そんな幼少期を、人生を送ってきた、それだけのことです。
人は、生まれ落ちたときから、自分自身を他者に鏡のように映し、自己を知っていきます。自分がありのままの姿であっても、不幸にも家庭環境等により、それを受け入れてもらえない間違った像を結ぶ鏡に囲まれて生きていると、自分自身の本当の姿と現実世界での自分に、矛盾が生じ、気付かないまま年を経て、いつか破綻するのです。


あなたが私に伝えたかったことは、両目を開けて生きるのではなく、片目で生きた方が楽ではないのか、その方が私自身の傷を癒すにも良いのではないか、そういう意味だと思いました。
私は、片目どころか両目を閉じた両親、家族の中で育ちました。片目を閉じた方とも多く出会いました。そんな方は、とても精神のバランスが取れています。
でも、私は先述のような理由、家庭環境により自己が曖昧なので、もうこれから先の自分は両目とも真っ直ぐ開いていたいのです。
虐待は、連鎖します。虐待に限らず、人は、自分がされたことを、他人にします。自分がかけられた言葉しか相手にかけられませんし、自分がされたことしか相手にできません。
同様に、自分が片目しか開いてなければ、相手も片目しか開いてくれないのだと、私は思っています。

あなたの過去をお話くださいました。感じたことは、あなたは、他の生き方を知らなかったのだろうということです。教えられていなかったというだけのことだったと思うのです。(省略)

人は決して1人では成り立っていません。
自分が存在することで、誰かに影響を与えるのならば、私は両目で誰かを見たいし、相手からも両目でしっかり私を見てほしいのです。
そのことは、私の心の傷の手当になります。決して、回復を遅らせたりすることはありません。不必要に自分を追い詰めているとも感じません。

あなたが、あなたの過去を周囲に隠しているように、ブログでは、なかなか書く機会がありませんが、私は普段とても快活で悩みがない人間だと思われています。
実際、私には闇ばかりではありません。関西人らしくお笑いが大好きですし、漫画が大好きです。ドライブも散歩も旅行も好きで、おしゃれも好きで、食べることも歌うこも好きです。
解離性人格障害のため、いくら苦しくても悩んでいても、表面には決して出ません。
人の本質は、常に裏側に隠れている、そのことを、私は自分自身を通して実感します。




最初に、ネットの匿名性について書きましたが、訪問してくれる方が何故顔も見えない私の文章を読んで「ありのまま書いている」だとか「赤裸々」だとか感じてくれるのだろう、と不思議でなりません。
匿名だから、嘘を書いてある可能性もありますし、違う私を書いている可能性もあるのです。なのに、私を「ありのまま」だと感じ、勇気ある行為だと感じ、自らも自身と向き合ってみます、と言ってくださる方、またあなたのように、そんなに自分を突き詰めるのは良くないのではないか、と心配してくださる方もいます。
読んでくださる方に信じて頂けるからこそ、私は私自身を補強できているのです。
ありのまま書くことに、苦しみを感じないのです。
努力と根気、勇気を要しますが、私は私を愛することができています。
自分をありのまま見つめ、見えるままに人に伝える苦労など、自分を愛せない苦しみに比べれば何ということはありません。


私が取り急ぎ、こちらにコメントさせていただいたのは、少し不安を抱いたからでした。
私は、記事タイトルにも書きましたが<言葉が媚びれば私が消える>と信じている人間です。あなたのコメントから感じたのは、私のブログに対する快よりも、不快に寄ったものではないかということです。
快と不快は境界が曖昧です。心に真っ直ぐ突き刺さる快と、心の表面をざわざわと撫でるだけの不快は、とてもよく似ていると思います。
リンクを貼って頂けたことは、とても光栄ですが、このコメントをご覧になって今一度ご自身のお心の内を確かめ、もし不快だと判断されれば、そのときはリンクを解除し、どうか私のブログはお忘れください。


片目を閉じた方も、私は好ましく思います。
とてもバランスが取れていて、羨ましい位です。
でも、私が片目を閉じれば、人格に傷を負った私にとって、それは致命傷になるのです。
両目を開くことも悪くないと思います。
ブログを始めた当初は、批難を覚悟していました。
しかし、皆さんとても温かく、マナーを心得た方たちばかりで、嬉しい驚きでした。


裁判の原告を経験し、私は外の世界、社会を意識するようになりました。
極小さなコミュニティが集まって、社会は形成されています。
小さくても、声をあげることの大切さを学びました。
私が知り得る限りの虐待や暴力の残酷さ、
心の病気を抱えても尚、生き抜くことの苦しみと尊さを、
当事者の私は、読んでくれるお一人お一人に向けて伝えたいのです。


今の私が誰かに出来る心配りとは、書くことだけです。
相手をよく映せる鏡でありたいと、自分を出来るだけ磨いて待つことだけです。
私の前に立ち、ご自身がよく見えた、と仰っていただけることが、何より幸せなことなのです。



                              美鳥





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◇言葉が媚びれば私が消える 2007/11/23 (Fri)

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2010/04/11 (Sun) 缶ジュースのはなし ? アダルトチルドレン ?

◆5月5日開催 美鳥の講演会「両目を開いて生きる」申し込み受付中です◆(近日、頂いている講演会についてのご質問へのお答えと、講演内容(予定)と、講演後のサプライズ土産についての記事をアップします)




今しか知らない友達などはこういうと驚くのだが、私は、全く自己主張できない人間だった。
以下は、何一つ大げさに書いてはいない。ある人には冗談に思われるかもしれないが、過去の私が死にたいくらい悩んでいた「生きづらさ」のエピソードの一つだ。


私は、究極のアダルトチルドレンだった。自分のことよりも他人のことが優先。人の役に立つことばかり考えて、自分のことはどうでも良い。人から嫌われたくないとか、嫌われてもいいから自己主張しようかとか、そんな選択肢も頭になかった。生きるということは、役割を演じることだった。家庭でも、学校でも、職場でも、友達関係でも、その場の皆が居心地が良いように立ち回ること。それが私にとって人の中で生きることだった。

結果、どこでも褒められる子供だったように思う。
中学時代や高校時代、一時期わたしの性格はガラリと変わった時期があったが、それを除いては従順で聞き分けが良く、大人しくているのかいないのか分からない存在だった。
それでも、ここぞという時には重宝される子供だった。大人にとって一番都合が良かった子供のように思う。相手が何を自分に望んでいるのか本能的に嗅ぎ分けて控えめに動いた。大人の自尊心を傷つけぬように、あくまでも自分が進んでそうしたいかのように装うことも忘れなかった。


うまくいっていたのはある時期までで、成人して社会に出ると取り返しのつかない失敗が積み重なっていった。

本来は、それは失敗とは呼ばず単なる人とのすれ違いと呼ぶべきだったし、取り返しがつかないのは自分のことを棚に上げて他人のことだけに躍起になっていたからだが、それ以外の生き方を知らなかった私は、社会で役に立たない自分の存在を嫌悪するようになった。


人からの要求をかなえようと思ったら、無尽蔵のエネルギーが要る。
あっちを叶えればこっちが叶わず、しかし私は誰も彼もの役に立ちたい。精一杯立ち回るのだが、どうしても片手落ちになる。何故なら、私は私以外の何者でもないし、何もかも理解できる神様でもないし、身は一つだし、心は傷つきやすいから。
それでも他の生き方を思いつかなかった私は、他人に尽くし続け、自分を削り続け、犠牲にこそ自分が存在しているかのように感じ、そこに生き甲斐を見出すことから脱しきれず生きた。
20年ちょっとで私のエネルギーはすっからかんになった。

多くのアダルトチルドレンがそうであるように、破綻の前後が問題なのではない。もっと根深く、もっと長い年月をかけて真綿で首を絞めるように苦しみが致命傷になっていく。20年ちょっとも、よくもったものだと思う。振り返るからこそ言えることだが、人間は意外にタフだ。タフだから残酷だ。取り返しがつかないくらい袋小路になるまで破綻することができない。


破綻してからの私は、自分の存在を恥じるようになった。
自分から出る生体反応のようなものまで耐えられなくなった。
ただひたすらに、自分のようなクズが生きていることが恥ずかしかった。


自然、私は生きている人間が示すような反応を示さないようになった。
家を一歩出たら、生理的活動を止めるようになった。

喉など乾かないふり、腹など減らないふり、喜怒哀楽を持っていないふり、疲れないふりをした。
他人から気遣われたくなかった。自分などのために他人が親切心や気遣いをしてくれるのが心苦しくて仕方なかったのだ。周囲の人たちは全て輝いて見えた。自分は、風に吹かれて飛んでいくゴミが入ったコンビニの袋と同等だった。そんな私が、周囲の人たちに人間扱いしてもらうのは苦しかった。


誰かと出かけても排泄もしない顔をしていた。
職場でトイレに行くことはなかった。あの当時、私はどうしていたのだろうか。不思議だ。怪我をしても、全く痛まない顔で仕事をした。解離で道路に吹っ飛んで顔の皮膚を半分火傷して、溶けたアスファルトをこびりつかせて、普通の顔をして職場に戻って仕事したこともあった。
死に掛けたときがあったのだが、その時はさすがに真っ青で大量の冷たい汗をかいて歩けなくなった私を見て社長が病院に行けと言われたので、痛くないふりは無理だった。しかし、麻酔入りの点滴を受けた直後に職場に戻り、また仕事の続きをした。

私は、人のエネルギーを浪費させないために、生きている気配を殺そうと強迫的に専念した。


しかし、日常的に避けられない善意があった。
職場で、何気なく奢られる缶ジュース一本だ。


社長と2人きりで仕事をすることが多かった。社長は、朝の仕事を大体片付けると必ず自動販売機で一休みのための缶ジュースを買って来る。その度に私の分も買って来る。最初、私は頑なに拒否した。いいですすみませんいいんですと首を横に振った。そのうち、社長が何故受け取らないのかと訊くようになったから、喉など渇きませんと言った。社長は、自分だけ飲むのは嫌だし、受け取ってくれると嬉しいのだけどと言った。

こういう言い方をされると、私に断る理由はなくなった。彼が望むのは、どうやら私が受け取ることらしい。美味しく飲むことらしい。ならば、私はそれに応えなくてはならない。


応じるようになったものの、次の苦しみが待っていた。
販売機の前で、何が好きかと訊かれるようになったのだ。
生きていることすらひた隠しにしたいのに、どの飲み物を美味しいと感じるかと訊かれたのだ。私は混乱した。初日、どう答えたのか分からない。

その時間が毎朝苦痛になり、社長が缶ジュースを買いに立ち上がる瞬間が怖くて、仕事中も手が震えるようになった。脂汗が出て、吐き気がして、飲むどころではなかった。

110円の缶ジュースが重くて重くてたまらなかった。私は密かに月額私のジュース代と社長のジュース代を計算し、店の売り上げを計算し、バイトの人数と時給を計算した。自分が存在していることで、とんでもない罪を働いている気がした。罪悪感と申し訳なさから、人の10倍必死で働いた。
110円の缶ジュースに報いるためには、働いても働いても足りなかった。


カウンセリングに通い始めたのは、この頃だったと思う。

朝の缶ジュースは、自分で選べるようになった。
それでも、基準はいつも他人だった。

私は、どれが好きなのか分からなかった。相変わらず自分が生きていることを、全世界に向けて土下座して生きていた。だから、社長は私にどれを飲んで欲しいのだろうかとばかり考えて、社長と同じものを頼むようになった。


相手がそれを望んで私に奢るのではないことも分かっている。
しかし、相手がどう思っていようが関係ない。不安な人間、自分の存在を赦せない人間は、盲目なのだ。自分と不安しか見えない。怖いのだ。嫌われるのが怖い。110円奢るほどの相手じゃなかったと一瞬でも思われたくないから、必死で働いた。


治療によって改善されてきた私は、社長から奢られるジュースを苦痛のままでも受けて飲めるようになった。社長は嬉しそうであった。

私がいくら内心で土下座して生きていようと、気配を殺して生きていようと、私が存在し続けている事実はそよとも動かない。それは耐え難い現実だったが、現実は受け入れるほかない。抵抗することを私は諦めた。

そのうち私は、奢ってもらえるのを心待ちにするようになった。そうして、1,2年経った頃、ズラリと並んで私を圧迫していた自動販売機の缶ジュースは、私に選らばれるために存在するようになった。私は、これが美味しいとか、これは美味しくなかったと社長と話せるようにまでなった。


他人のために生きることをやめるのは、世界を引っくり返して自分も死ぬような覚悟を要した。
何度も何度も、他人のために生きられるのか?と、自問が続いた。現実は、生きられなかった。私は、他人のために役に立たねばと生きてきたが、自分を削って与え続けてきた結果、すっからかんになってしまった。
真に役に立っているかすら分からなかった。自分のことすら面倒が見れない自分が、他人の役に立っているのか。本当は、役に立っていると自分が自分のために感じていたいだけで、私がやっていることは最終的には他人を侮っていることなのだと気づいた。
私が、私のために犠牲を払われるのを嫌うように、他人もまた自分のために私が犠牲になるのは受け入れがたい重さであるはずなのだ。親切や思いやりは、犠牲という形で差し出しても、相手の心を損ねてしまうのだ。



当時を懐かしいと思えるくらい年月経って、今は「奢るよ」と言ってくれると単純に嬉しい。

私はさらに、ある時から社交辞令を一切辞めた。
またACに戻らないよう自分を追い込む意味でも、私に社交辞令は通じないよと周囲に喧伝してまわった。この手続きは、やはりまた葛藤とストレスだった。それでも敢行した。
結果、社交辞令の可能性が高い「奢るよ」にも、漏れなく乗っかり、本音で楽しめるようになった。


現在の私は、「厚かましい」とよく言われる。厚かましい分、好意を持った相手には厚かましく奢ることも贈り物をすることも何をするにも躊躇しなくなった。貰ったり、あげたりの相互関係に苦痛を感じなくなった。


昔と何が変わったのだろう。
一つ確かにいえることは、私はもう何もできない私ではないということだ。何でもできるわけではないし、自信満々なわけでもない。だけど、とりあえず何かはできそうだと感じて生きている。

今一方的に貰ったとしても、私は相手に何か違う形で返せるかもしれないことを知っている。自分の力をある程度信じられるようになって初めて、110円のジュースは110円分以上でも以下でもない純粋な好意に過ぎないことを知った。


乾いた喉を誤魔化して断って、断った後も本当は受け取っておいた方がよかったんじゃないかと煩悶したり、受け取ったらその10倍も働いたり、そんなことしなくていいのだ。

心から「ありがとうございます」と受け取れる。そして、受け取ったジュースを美味しく飲める。美味しいですねと心から相槌が打てる。その幸福感は、言葉に表すことができない。些細なことなのに、世界が美しく見える。空の広がりを感じる。自由とは、こんなことかもしれないとすら思う。


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◇共依存 原本アンドロイド(カテゴリー)
※シリーズ未完 実話1?5部まで終了

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2010/04/11 (Sun) ダウンを避けて視点をずらす ? 解離性障害 ?

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(近日、頂いている講演会についてのご質問へのお答えと、講演内容(予定)と、講演後のサプライズ土産についての記事をアップします)


解離性障害は、自分と記憶を切り離して、無意識に隔離する自己防衛の一つでもある。最近やっと少しずつ解離性障害からの回復について真剣に取り組み始めてから、この特性を逆に生かすことを考え始めた。

前回の記事◇ 心中は愛か ? カウンセリングの記録  ?は、わりと無意識にそんな書き方をした。アップしてから客観的に眺めて気づいた。自分が自分の書いた記事にダウンしないように、微妙に視点をシフトさせたのだ。

あの記事に纏わる記憶は、去年か一昨年あたりからフラッシュバックの際に具体的な事柄が追体験されるようになった。他人のものだと認識していた記憶が流れ込んできて、実は自分がその場にいたのだと突きつけられることが多くなった。
追体験が始まった頃は、すぐに忘れていた。フラッシュバックの特徴なのか、解離性障害の特徴なのか、ポーンと過去に飛ばされるのと同様、また気まぐれに現実に引き戻されるので、異次元を行き来するようでどちらにも現実感が持てない。だから、すぐに忘れてしまう気がしている。

しかし、何度も何度も繰り返していると、さすがに自分の認識に疑問が生じてくる。
あれは、私の体験らしいと。

今日、これを書いている今は、私は自分の体験だとは正直感じられていない。また、記憶と私が解離したのだ。
あの記事を書いたときも、思えなかった。思えなかったから、書けた。カウンセリングを受けたのは半月も前だ。その時のことを書くまでに、心の準備に半月かかった。自分がダウンしないためだ。

けれど、全く意識にのぼらなかった時と、のぼるようになった今では何かが違うはずだ。それを言語化できるようになったことも、今は理由は分からないが、何も変わっていないようで少し前に進んでいる気がする。自分ではない他の人格の体験として書くという、多少自分にとってアンフェアな方法を取ったとしても。



今の私の至上命題は、「5月5日の講演会まで、倒れることなく自己管理し、当日ベストな状態で来てくださる方とお会いする」に尽きる。

これが思った以上に難しく、去年の12月から苦心している。
解離性障害は、人格交代がどうのが大変なのではなく、生活がままならないことが大変な病気だと痛感する。なぜ生活がままならないかというと自分が今しんどいのか元気なのかすら分からないことが多いからだ。知覚(痛い・寒い・暑い等)と自分が解離、または感情(喜怒哀楽)と自分が解離、記憶と自分が解離しているので、体と精神の足並みが全く揃わない。揃っても稀だ。

そして、自己管理に意識が向かずに疲労を溜めたり、抑圧を強めたりしてダウンする繰り返しがこれまでなのだった。
実は、以前自助グループを作るために東京へ行ったとき、お粗末な自己管理のせいで所構わず倒れまくった。その時に同行してくれていた友達には随分と迷惑をかけた。びっくりさせた。まるであてにならない自分の体調に自分でショックを受けた。自己嫌悪が酷く、帰ってきてからも1ヶ月寝込んだ。

同じ轍は絶対に踏まない。今回、講演会の企画を立ち上げる前から心に決めている。同じミスを繰り返さないだけの学習と知恵も、以前よりはつけた。苦痛の記憶の中にある2人の視点(Aと私)のAではなく私の視点で前回の記事を書いたのは、工夫としては悪くないと思った。
治療として正しいのかは分からないけれど。
いつか必ず私自身が引き受けなければならない記憶なのかもしれないけれど。

ここで一つ記しておきたい。
あの記事に頂いたコメントの数々に、私はとても驚いた。感謝の言葉をいただけるとは思わなかった。けれど、字数の限られた顔も見えないコメント欄の言葉に、私が何故自分の体験をこのブログで書いているのか確信が持てた。ありがとうございますと頭を下げるのは私の方だ。そのことは、講演会までに一つの記事にして詳しく書きたい。


あと1ヶ月足らず先となった講演会まで、やらなければならないことはたくさんあるけれど、第一に自己管理ができなければお話にならない。治療をするにしても同じで、生活が一番大切だ。ちゃんと寝て、ちゃんと食べて、またちゃんと寝る。この基本を忘れては何もできない。そしてこれが難しかったのが今までの私。現在の私。毎日が挑戦だ。


当日、足を運んでくださる方で、何らかの疾患と闘病中の方は、私と似た状況にいらっしゃるのではないかと思う。
私は、外出するにも1週間前から計画を立ててコンディションを整える。一度外出すると大体3日は寝込む。人と接触すると、最近はそうでもないが、楽しくてもトラブルがあったとしても、どっちみちやはり寝込む。気力と体力が要る。食べるにも眠るにも外に出るにも苦心する。


それでも来てくださる方がいらっしゃるのだから、私は作り物じゃない本当の私のベストコンディションで当日いたい。
魚雷モードでもなく、解離して無感覚な私でもなく、プレッシャーや緊張を他人格にシフトさせたりもせず、私のありのままで立ちたい。


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◇ 心中は愛か ? カウンセリングの記録  ?

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告知にご協力くださっているブロガーさま、ありがとうございます。ご挨拶、コメント返信、メール返信が遅れていまして、申し訳ありません。ご連絡頂いたブロガー様のブログにすぐ飛んで行って拝見しているのですが、全記事読まねば失礼という私の信条がありまして余計に返信等滞っている次第です。重ね重ね、ご協力ありがとうございます。  みとり

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2010/04/08 (Thu) 心中は愛か ? カウンセリングの記録  ?

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<2010年3月26日 カウンセリングの記録>


数日間の躁状態を持ち越してのカウンセリング行き。

家を出る時間も時計を見ずに出たため、早く着き過ぎた。

10時?カウンセリングルーム到着。開始。

いつものように先生がお茶を入れて下さる。私は、食卓恐怖で最初になかなか口をつけることができない。そのまま会話が始まった。

まず先生から、前回のカウンセリングが私へ大きな心理的負担を強いたことを謝られた。
強烈な解離を起こして、その後の記憶がなくなった時のことだ。次に気が付くとカウンセリングルームのカーペットの上にいた。先生から、A(は確実)とK(私の推測)が現れたことを教えられた。
その時、交代している間にAが観葉植物のパキラを食べたらしく、舌に味が残り続けていた。私は一日中吐き気と戦うことになった。あの日のことだ。

解離は、起こす直前は感情が高ぶっていることが多い気がする。けれど、そのうち薄らいで自我が消えてしまう。だから、すぐに忘れてしまう。

この日も、先生に謝られても何のことか分からなかった。
「しんどかったでしょう」と労わるような声で訊かれたが、「しんどかったというか、しんどかったですが何がしんどかったのか・・・・そんなに大したことじゃなくて・・・・大丈夫です」と曖昧にしか答えられなかった。正直、しんどかったことなど何も思い出せなかった。解離だなとは自覚できた。


本題に入った。
何かの拍子に、ふと先生が「愛情」という言葉を使った。

この言葉に強いこだわりと反発と、およそ憎しみのようなものすら持っている私は、反射的に抵抗を感じた。どうしても聞き逃せない言葉だった。

「愛情」の定義について話題は発展した。

「心中も愛」と答えたカウンセラーの言葉に、私は静かに内面の怒りを沸騰させた。
「帰ります」とバッグを取って宣言した。

聞くに堪えない話だ。
確かに、文学、オペラ、歌舞伎、もろもろ、昔から心中ものを「愛」の物語として表現されてきた。
しかし、実際に心中してみろ。実際に心中されそうになってみろ。本当にそれは愛だと最後の最後まで息絶える瞬間まで思えるのか?
私は、思えない。
あれは、まず一人で死ねない人間が愛を建前に道連れを殺す行為だ。


もうこのカウンセラーは駄目だと思った。
話にならない。
カウンセラーに引き止められたが、次に耐え難いことを言うならば二度と来るものかと思った。
カウンセラーは、何も分かっていない。何も。


私は、ずっと沈黙していたと思う。
脳内に、和歌山の真っ暗な山中が浮かぶ。
あのあたりの山々は、左右から大きくせり出している。だから空がとても狭い。夜になると、山間の道路は滅多に車が通らない。カーナビに表示されない道が幾つもある。かと思えば、落石でふさがった道にふいに出くわす。

真っ暗な中を、車のサーチライトだけを頼りに走る。永遠に続くかと思われる真っ黒な山は、物言わぬ巨人が背中を向けて座りこんでいるようだ。この小さい車など、誰にも知られることなく一握りで潰されて何も残らないだろう。

カーナビには、通ってきた道筋が緑色の直線で表示されている。それ以外、地図には何もない。目の前の道はない。新しくできたばかりの道は、カーナビにすら表示されず、私達はどこに向かっているのか明確に分からない。

私は、彼らの後部座席に座っている。
運転席には、男がいる。癖毛の男。淡いオレンジ色のシャツを着ている。
助手席を倒して、毛布をかけられた少女が寝ている。すやすやと寝ている。安心しきって寝ている。
男は、ハンドルを握ったまま時々少女をのぞきこむ。それから眼前の闇をにらむ。繰り返す。

少女は、車に揺られながら眠っている。
殺される。このままじゃ、殺される。

私は、後部座席から見ている。無感情に。

車のエンジン音や、時々タイヤが石を踏む音が聞こえる。道の右手には、黒々とした深い闇が広がっている。底は見えない。昼間に通ったときには、美しい翡翠色をした川が流れていた。そして時々、ダムが広がっている。



カウンセラーに、この脳内に流れる映像を、そのまま実況中継した。
ついでに、愛していると叫びながら男にレイプされたことも話した。全部、シーンが流れた。
窓から、観覧車が見えるホテルの部屋だ。バルコニーからは、夜になるとライトアップされた遊園地が美しい。その向こうに海が見える。その部屋で、朝からレイプされた。愛ではなく暴力だ。何度も私の中に射精しやがった。萎えたペニスで、それでも何度も射精しようと肉の筒となった女の中でペニスを出し入れする男は滑稽で、豚みたいだと私はやっぱりその時も、男の裸の尻を冷静にベッドの後ろに立ってみていたっけ。


途中で、涙が止まらなくなっていることに気づいた。しかし、悲しいのではない気がした。
過去の辛さは、私には分からない。レイプされた彼女、殺されかけた彼女、あれは私だったのかよく分からない。どうしても別人のように思えてならない。だから、彼女に共感することが私にできるのか不明だ。

ただ涙が流れるのは、私は何があっても「殺されるものか」という決意が固いからだ。私を殺すものには、絶対に屈しないという決意だ。決意して、涙が流れる。悔し涙なのか。


私は、カウンセラーに言った。
断固として言った。

「心中が愛?DVも愛?殴るのも愛だから?レイプも愛?妊娠したらおろさせることが決定してるのにレイプするのも愛ですか?」
先生は、そういう意味じゃないと言った。
私は、それを遮った。意味なんてどうでも良かった。今、私は戦わねばならないものがある。今、このカウンセリングルームで私はまた殺されようとしている。そんな気がした。心中もDVも殴るのもレイプも愛だという人間がいるなら、たとえカウンセラーだろうが何だろうが、私は違うと言い切らねばならない。私自身のために。

「先生は殺されたことがないんですね」
皮肉ろうにも皮肉れない。
私の宣言だった。あなたは、殺されたことがないんだ。
あの真っ黒な山と空と道とダムを知らないのだ。
無関心であーもうさっさと終わらせろよと思いながらレイプされて、終わったかと思ったらまたレイプ、またレイプ。トイレに駆け込んで自分の膣にビニール製のビデを突っ込んで、言葉にならない言葉を叫びながら冷たい水を流し込んで流し込んで男の精液を洗い出したことがないのだ。
愛してるから一緒に死んでくれと言われたことがないのだ。
眠っている間にダムに飛び込まれそうになったことがないのだ。
殴られたことがないのだ。愛してるから殴っちゃったんだよなんていわれたことがないのだ。

あれが愛か?
あれも愛か?
私は絶対に認めない。


「殺されたことがないから言えるんです」
カウンセラーへの抗議は、とっくに彼女への言葉ではなくなっていた。
私の、世界中への宣告となった。

「私は絶対誰にも殺させない」
「私は自分の信念を貫いて死ぬなら本望です。何も怖くない。だけどわけのわからない言葉のマジックで言いくるめられて殺されるのだけは絶対に嫌だ。私を殺させない。私を愛しているから言うことをきかせたいから殴るというなら、愛している証にお前の腕を切り落としてみせろと言う。それができないなら私が切り落としてやる」

怒りと武者震いで震えた。涙が止まらなかった。
私は、「殺されるものか」で生きている。
肉体を殺されること、魂を殺されること、心を殺されることを、絶対に赦さないと決めて生きている。
殺されないために生きている。


落ち着いて聞いて欲しいとカウンセラーが言った。
「殺されそうという体験を何回もしてきているのだと分かりました」と。

よく分からなかった。生きるとは、こんなものだとも思った。皆、誰かに殺されそうになって生きている。ただ、自覚がないだけで。

やっと帰ることをやめた。

カウンセラーの説明を聞いた。

会話中に先生が使った「愛情」という言葉は、心理学でいう「自己愛」も含んでいること。先生は、そのつもりでDVや暴力についても「愛情」という言葉を使っていたとのこと。

カウンセラーになるために学校に通っていた時に、それは知っていたので理解できた。

それから、カウンセラーは言った。
「愛してるといいながらあなたをレイプした男は、本当は「愛してくれ」「愛してくれ」と言っていたんでしょう」
「それは一次的な愛。親子間の愛情。二次的な愛もあり、三次的な愛もあり、愛には段階があると心理学ではあります」


「愛している」と叫びながら、ペニスを勃起させて快楽のうちに射精できた男。あれは「愛してくれ」だったのか。私は、あの男をいまだ殺したいくらいに憎んでいるが、「愛してくれ」には納得した。あの男は、そんな男だった。Aの”ママ”を完璧にこなせる度量を持ちながら、しかし矛盾を抱え、家族を大事にできない男だった。そして彼自身は見栄を張っていたが、ある意味でAよりも寂しく、愚かだった。


大学時代に、私にレズビアン的愛情と、強烈な依存心でもって私の精神活動にとどめを刺した友達がいた。
その彼女とのエピソードを思い出し、カウンセラーに話した。
あの彼女が言った最後の言葉も、あれも結局は「愛してくれ」だったのか。
酷いことばかり言われた。
「私の前で泣くな、喋るな、怒るな、笑うな」と言った。何もかもを禁止され、私は当時誰も彼もに土下座して生きていたから、全部鵜呑みにして自分を殺した。半分は、彼女が私を殺した。彼女が人形のようになった私に言ったのは「甘えたいの」だった。あれも「愛してくれ」か。


ただし、それは低次元の自己愛だ。
私や他者と繋がることのできる愛情ではない。尊重でもない。
自己愛が病的な依存心とセットになると、人を殺すことにすら正当性が与えられる。
少なくとも私が今日まで生きてきた世界では、「愛情」はいつも都合の良い言い訳にしか使われなかった。


どの口からも同じ定義の「愛情」が語られるわけじゃない。
「愛情」という言葉の定義の曖昧さを良いことに、悪用する人間がいる。
私は、「愛情」という言葉を私の辞書から追放している。私の人生史には、どこにも書き込むべき場所が見つからないから。

かわりに、思いを行動にしている。愛してるは言わない。
だからといって私の行動や心情が「愛情」ではないとは誰にも言えない。言わせない。


いつか話さねばならないことだった。
私が一人で抱え、「愛情」という言葉と、それに纏わるエピソードに直視しがたい記憶や憎悪を抱いていたとしても、いつかはこうしてカウンセラーに話さねばならなかったと思う。

たとえば近松心中が、いかに美しい物語であろうと誰の涙を誘おうとも、私に共感できる日は来ないだろう。
一緒に死のうと約束しても、入水しても、どちらかが先に、数秒でも先に死んでしまうだろう。その顔を見ながら、ああ置いて逝かれたと死んでいった人間は何人いるだろう。心中は美しくない。一緒に同じ瞬間に死ねることなんてない。ファンタジーだ。
私にとって、心中は物語ではない。
愛でも美でもない。
心中は、あの和歌山の真っ黒な山と空とダム。すべて真っ黒だ。ただ、それだけだ。



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2010/04/06 (Tue) ◇◆講演会「両目を開いて生きる」申し込み受付中です◆◇

この記事は、5月5日までトップページに掲載されます。
最新記事は、この記事の下になります。



4月2日の告知以来、ご参加申し込みありがとうございます。
前回より頂いたご質問や、こちらからのご連絡を追記しました。追記部分は、オレンジ色で表示しております。

2010年5月5日、私の講演会を開催します。
お申し込み受付中です→講演「両目を開いて生きる」参加申し込み
締め切り2週間前を切りました。お席に限りがございますので早めのお申し込みをおすすめします。講演会についてのお問い合わせは、コメント欄にでもお気軽にどうぞ。

受付開始当日から、多数のお申し込みありがとうございます。
現在、softbank携帯からのお申し込みに自動返信メールが届かない状況となっております。お手数ですがsoftbank携帯をお持ちの方は、当方からの受付完了返信メールが届くまで1日程度お待ち頂くか、PCからお申し込みよろしくお願い致します。(4月6日追記)


「両目を開いて生きる」講演ちらし
↑ちらしの印刷は、ご自由にどうぞ。
○ちらしをダウンロードできます(ご友人などに手渡したい方など是非ご利用ください)

印刷用PDFファイルは、こちらからダウンロード(A4印刷対応です)
◆PDFファイル 講演会「両目を開いて生きる」ちらし ダウンロード(247K)
JPGファイルでご覧になりたい方は、こちらからダウンロード
◆JPGファイル 講演会「両目を開いて生きる」ちらし ダウンロード(1M)

※当講演会の告知、案内に協力頂けるブロガー様募集しております。詳しくは当記事内をご覧下さい。

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○講演タイトル

  両目を開いて生きる
   ?溢れかえる”ココロ”論・診断名・治療法
    それでも私たちは、なぜこんなにも生き辛いのか??

  うつ・対人恐怖・自傷・自他殺衝動・人格障害・引きこもり・いじめ・虐待・依存 等・・・
   現在も闘病中の当事者が語る 「自分として」生きる実践的方法論   


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○講師 美鳥(当ブログ著者)

  当事者のご家族、近親者のご参加も大歓迎です。
 
 「興味本位でいいんですか?」「当事者じゃなくていいんですか?」とのお声を聞きますが、関心ある方どなたでも大歓迎です。人間が持つ心に自覚的でありたい、それぞれの立場で何らかの関心をお持ちの方、是非お気軽にお越し下さい。(4月6日追記)

  お会いできることを楽しみにお待ちしています。

  私についてはこちらの記事をご覧ください。来歴や闘病内容についても改訂しました。
    →◆私について 改訂(2010年4月2日更新)

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○開催日程
 
  2010年5月5日(水曜・祝日・GW最終日)

  東京ウィメンズプラザ 1F 視聴覚室
   住所:東京都渋谷区神宮前5丁目53?67
   最寄り駅:東京メトロ表参道駅 B2出口より徒歩3分
  (渋谷駅からもアクセス可能です。詳しくは、東京ウィメンズプラザのサイトでご覧下さい。)
   
     ・開場 13時?
     ・開始 13時半?
     ・終了予定 15時半

※講演終了後、自由参加の交流会があります。
途中退席、無言参加、人見知り参加、すべて自由。
お菓子とお茶をご用意してお待ちしています。
交流会のみのご参加はお断りしております。

参加費 500円 

----------------------------
○申込み方法

お申し込みは、こちらからお願い致します。
講演「両目を開いて生きる」参加申し込み(別窓で開きます)(締め切り4月30日)

携帯からも申し込み可能です。(QRコードからお越し下さい)
(※現在、softbank携帯からのお申し込みに自動返信メールが届かない状況となっております。お手数ですがsoftbank携帯をお持ちの方は、当方からの受付完了返信メールが届くまで1日程度お待ち頂くか、PCからお申し込みください。よろしくお願い致します)(4月6日追記)
当日のお申し込み・ご参加も可能ですが、受付にてPC・携帯からと同様のお手続きをお願いしています。

その他、申し込みフォームの注意書きと、申し込み完了後に自動返信されるメールを最後まで必ずよくお読み下さい。

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○講師 美鳥からのご挨拶 ?人を疑い人を信じる長い旅?

 私の人間不信の始まりは3歳頃です。私にとって、生きることは長い長い消耗戦でした。

 数年前まで、息をしているだけで精一杯で、生きるために何度も自分を傷つけ自殺を試みました。対人恐怖や解離は、生きる日ごとに増してゆき、声と言葉を失いました。一切喋ることができなかった頃の絶望を、私は忘れることができません。

 孤独は人を殺します。殆どの当事者は黙って耐えているのかもしれません。たった一人で。
 
 「心の専門家」ではなく、当事者にしかできないことがあります。偶然にも生き延びた私は、好きだった文章を書くことで多くの人と繋がり始めました。やがて声と言葉を取り戻し、闘病中の私だから出来る情報発信活動を続けてきました。

 大阪人のオープンで体当たりの体験談を、是非聞きにいらして下さい。当講演会は、私の温かい同胞たちの真心の協力を得て実現しました。生きづらいこの世界で、私もあなたも生きているからこそ共有できる、真剣で楽しく温かい場となるようお待ちしています。また、当事者と共に悩んでらっしゃるご家族への支援ともなれれば幸いです。

 苦しみも涙も難問も、生きる知恵と誇りへと変わりますように。

       2010年 3月30日 美鳥拝

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○講演会最新情報

今回の講演会についての最新情報、講演内容、参加者へのメッセージ、お知らせは、以下のリンクからご覧下さい。開催当日5月5日まで記事が追加されます。
<カテゴリー 講演「両目を開いて生きる」情報>

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○協力してくださるブロガー様(Mixi可)募集です
多くの方にご協力いただき、皆様の真心のお気持ちと行動に深く深く感謝致します。


当講演会は、非営利団体として行うものです。
ご自身のブログ・Mixiなどで、この講演会の紹介をしても良いよと思われる方いらっしゃいましたら、コメント欄にアドレスを貼ってお声をおかけ下さい。
※参加予定の方は、個人情報保護に慎重を期するためアドレスはメールにてお教えくださることをおすすめします。
または、muqol.info☆gmail.com (☆の部分をアットマークに変えてください)に、ブログアドレスを添えてご連絡下さい。
当記事内のちらしデータは、ブログ掲載の際、縮小等ご自由にお使いくださって結構です。
トラックバックも歓迎です。
よろしくお願い致します。
尚、私のブログを殆ど読んだことがない方は、お控え下さい。一部、過激な表現や不愉快な表現を含んでいる可能性があります。

私、美鳥につきましては、こちら→<私について>でご確認下さい。

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2010/04/05 (Mon) 分かち合える体温 触れ合えない体温

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あまりにも久しぶりに、サイドブログ Baby Bitch I am. を、更新しました。
◇Baby Bitch I am.     
カメラと書くことが趣味の一つなこと、こちらのブログとは違うテーマで表現してみたいことがあったので作ったブログです。(すごい前に)

最新更新記事 
◇リアルブラックダムダイブ
以前アップした記事を改訂しました。


サイドブログは、PCでご覧になることをおすすめします。
背景がクリックする度変わります。(背景写真だけはお借りしているもので私のものじゃございません)


Baby Bitch I am. についてのポリシー、ご案内はこちら
◇ご挨拶(Baby Bitch I am.内のカテゴリーに飛びます)

ちなみに、今回開催する講演会ちらしのイラストで、女の子の腕に入っているタトゥーは「Baby Bitch I am.」。
このサイドブログのタイトルになっています。

ちらしを作ってくれた友達が描いてくれたもので、私は全然知りませんでした。
つーか覚えてくれてたんかサイドブログ!と驚嘆しました。すっかり更新してなかったので。

今後は、ちょこちょこあちらも更新します。
病気やら経験やら関係なく、ただ作品として見ていただけると幸いです。
ややこしいですがコメント書いてくださる方は、この記事にコメント下さい。


一人で生まれて一人で生きる孤独。
一人で死ぬ孤独。一人じゃない孤独。
ときどき誰かと分かち合える体温。触れ合えない体温。
動けない体と走る心。走る体と動けない心。

私やあなたや誰かが遭遇するだろう瞬間を、言葉と写真にしています。

たとえばこんな作品。
◇甘く静謐



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「興味本位でいいんですか?」「当事者じゃなくていいんですか?」とのお声を聞きますが、関心ある方どなたでも大歓迎です。私が考える「当事者」とは、勿論何らかの闘病中の方を一般的には指します。が、私は、人間が持つ心に自覚的であろうとする、生きている方すべてが「当事者」であると思っています。楽しい会になる予定ですので是非ご参加お待ちしてます。


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2010/04/04 (Sun) 魚雷にならなくてもいい

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講演会で必ずお話したいことの一つに、「診断名って誰のもの?」という私が長年経験しながら考えてきたことがあるのですが、2時間くらい前からブログの下書きを書き続けて、現在も全く纏まりません。

考えが纏まらないんじゃないんです。
考えはとっくにあって、経験の裏づけもあって、どうあっても当事者の方にお伝えしたいと思っている位なんですが、文章にできないんです。文体が硬い。どうやっても硬くなってしまって、この気取った小賢しい女め!と自分が憎憎しくなってきたので中断しました。


多分、何か気負ってるんですわー。

講演会やるんだ!みたいな。
1ヵ月後目指して、何か立派な人間にならなくちゃならないんだみたいな。
そういう気持ち悪い自意識みたいな、いやらしい感じが今日は強くなってるようなんです。


ちらしのイラスト、レイアウトまで作ってくれたのは、鬱病で仕事今ハードで、他にも色々大変で、特に最近また鬱の波にのまれてるらしい友達です。殆ど文章作成の私と、レイアウトやデザインイラスト担当者の2人で作ったので、友達がどんだけのハードスケジュールで、どんだけ精力心血注いで作ったのか知ってるわけです。
全身全霊かけて作ってくれたちらしを手にした時、こりゃ私は絶対に本番でコケらんねーぞというプレッシャーが、あらためてドーンと来ました。

ちらし作成担当のみならず、ほんまに数年前は虫けらみたいに生きてた私がエールを頂いて、実務面でも何人もの方に支援して頂いてます。精神的にも支えてもらってます。
あまつさえ、既に申し込んでくださる方々がいらっしゃり、ご自身のブログで講演会の案内をしていいですよと申し出て下さる方がいらっしゃり、わけわからん気分になってきました。

とにかく、私は「もう誰も信じない!」「もう恋なんてしない!」などという手垢付きすぎたセリフを心底から叫んできた女なので、今のこの事態は、正直私にとっては、かなりガクブルなハードル高い状況なのです。


AC気質の名残だなと思うのですが、私は人を頼るのが大変苦手です。
私は、対人関係でダメージを負ったり、人生のここぞというピンチに遭遇すると、頭の中で、「私は魚雷だ。魚雷なんだ」と声が始まります。自己暗示なのだと思います。
それから、ツルッとした銀色の弾丸みたいな魚雷が頭の中に浮かんで、それが青暗い海の中を白い気泡を掻き分けて進んでいくのが何日も続けて脳裏に映し出され続けるのです。


そんな話をスタッフにしたら、「魚雷は最後は砕けちゃうよねー砕けちゃだめよ」と数人から言われました。なるほど私は到達点のことは考えず、単独特攻で突き進むのみしか頭になかったので、魚雷は砕けるのかよ!案外つかえないモードかもしれないとはたと気づきました。
「人間でいいんだよ」と言われ、その言葉には私は泣きました。人間でいいのか私。でも人間でいるのは怖いよ。魚雷だったらピカピカしていて取り付く島もなくツルッとしていて、前に進むためだけのフォルムでまっすぐ進むじゃないか。人間は、皮膚は柔らかいし、血はすぐに出るし、骨は折れるし、息できないと死ぬし、怖いじゃないか。

そんなかつてない不安と同時に、私も人間でいていいのかという不思議な安心感で混乱した日もあります。


しかし、とにかく人間の私が講演やらなきゃ意味がないわけで、魚雷モードの私は事務仕事には向いてるのですが、コミュニケーションには向いていません。私の過度な頑張りが、周囲の人を疲れさせてしまうのです。

バランスをどう取るのか。
私はブログで硬い文で書いてみたり、急に下らない話書いたり、わたなべさんちのガレージについて書いたりして、うまくバランスを取ろうと人間としての自分の試運転をしているのかもしれません。


似たようなことが私のファッションセンスで、いまだに私は何を着てもコスプレしているような気分になります。
解離性障害のせいだと思うんですが、自分がどんな顔をしていたか、その顔はどんな雰囲気を周囲に与えているのかをすぐに忘れてしまうのです。全く自覚がもてない。

だから、私はもう自分が何を着たら似合うのかが全く分かりません。
その時の気分で、何となく着ているだけです。
一つだけこだわりがあって、それは「着ていてテンションが上がるか」です。この「テンションが上がるか」が危険らしいです。大阪では私は地味なほうだと思いますが、関東の友達には軒並み「どこで買ったのそれ!」「どこで売ってるのそれ!」「どうしてよりによってそれを買ったの!?」と驚嘆されます。(どうしてって好きだからに決まってるだろう)
この間、東京で着まくっていたワンピースを見ると、皆さんそんな反応でした。構わず着ました。そしたら、友達全員から「とにかく上に何か羽織っておけ。羽織ったら絶対脱ぐな。脱がなければまだ大丈夫だから。悪いようにはしないから、俺達私達の言葉を信じろ」と言われました。

そんな話題の服が、こちらです☆
20100404.jpg

ワンピースそのものをアップすると、こんなもん着てるの今のところ私しか見ないので、プライバシー保護のため、全員一致で似てる似てると太鼓判押されてる看板をかわりにアップしました。
我ながら思うけど、ほんまに似てる・・・!


ちなみに、大阪に帰ってきて、またも意地でこれを着こなして出かけたところ、大阪生まれ大阪育ちの友達は特に何も言わず、「これ派手やろ・・?」とカマかけてみても「え?なにが?普通に可愛いやん」だけでした。
大阪では無問題。むしろ地味なようです。それか、普通。


いつもこんな看板みたいなワンピースを着ているわけじゃありません。
あまりに関東の友達が私の格好がもたらすであろう良くない風評を心配するので、アドバイスに従って常に上にパーカーとか何かをかぶっています。


なんでこんな記事を書いたかというと、立派なこと書かなくちゃとか、ちゃんとした文章で書かなくちゃとか考えて、無駄に下書きでダラダラ小難しい言葉並べて記事書いてる自分が嫌になったからです。

こういうの曝露療法って言うんでしたっけ。
工事現場の看板みたいなワンピース着ることもある女だぜと宣言したら、何でも肩の力抜いて書けますわー。
何か偉そうなことちょっと書いちゃっても、「え?あの看板女の言うことだろ?」て甘く見てもらえそうで、後ろ向きな気持ちのときは魚雷モードのかわりに看板モードで乗り切れるかもしれませんからね。


バカボンドの有名なセリフで

「やらかくなるのは自信
固くなるのは気負い 」

とありますが、気負わず、やわらかく、楽しんで、しめるところはしめて書きたいことを書きたいように書いていきます。


最後に付け足しておきますが、交通安全看板ワンピは「美鳥のキャラじゃないと到底着れない。そしてどうして意外にも似合っちゃうの?」という嬉しいんだか哀しいんだか分からない感嘆の声も貰っています。


力まず好きなものを着ればいいのさ。
魚雷にもならなくてもいいのさ。人間だもの。



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講演会「両目を開いて生きる」 | trackback(0) | comment(4) |


2010/04/02 (Fri) 私の講演会「両目を開いて生きる」申し込み受付開始します

2010年5月5日、私 美鳥の講演会を開催します。

まずは、ちらしをどうぞ。

「両目を開いて生きる」講演ちらし
↑ちらしの印刷は、ご自由にどうぞ。知人・友人に手渡したいと思われる方は、この記事の後半にあります、PDFファイルダウンロード、もしくはJPGファイルダウンロードをご利用ください。

こちらのちらしは現在、配布・設置場所の審査に提出して、設置開始日の知らせを待っているところです。
決まりましたら、是非お手に取って見て頂きたいので、配布場所をブログでもお知らせします。

文章などは私が書き、ちらしのレイアウトとイラストまで描いてくれたのは自助グループにも参加してもらった友人です。仕事やその他プライベート、そして闘病でも忙しい中、まさに粉骨砕身の気迫で作ってくれました。

その他にも色々な方々が、それぞれの形で協力して頂いています。
ブログがなければ知り合うことのなかった方々です。匿名の世界から交流が始まったのに、そうして出会った方々とチームを組んで、現実世界で何かができるなんて滅多にないことではないかと思っています。

どの一人が欠けても成しえないチームワークを味わっている毎日が不思議でもあります。
人を頼ることが何より苦手で、ぶっ倒れてでも自分で何もかもやった方がましと生きてきたのに、今回の講演会を前に、決定的な不思議な心境の変化がありました。
講演会開催日まで貴重な日々を送ることになりそうです。


それでは、講演会についてお知らせします。
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○講師 美鳥(当ブログ著者)

  当事者のご家族、近親者のご参加も大歓迎です。
  お一人お一人とお会いできることを楽しみにお待ちしています。

  私についてはこちらの記事をご覧ください。来歴や闘病内容についても改訂しました。
    →◆私について 改訂(2010年4月2日更新)

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○講演タイトル

  両目を開いて生きる
   ?溢れかえる”ココロ”論・診断名・治療法
    それでも私たちは、なぜこんなにも生き辛いのか??

  うつ・対人恐怖・自傷・自他殺衝動・人格障害・引きこもり・いじめ・虐待・依存 等・・・
   現在も闘病中の当事者が語る 「自分として」生きる実践的方法論   


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○開催日程
 
  2010年5月5日(水曜・祝日・GW最終日)

  東京ウィメンズプラザ 1F 視聴覚室
   住所:東京都渋谷区神宮前5丁目53?67
   最寄り駅:東京メトロ表参道駅 B2出口より徒歩3分
  (渋谷駅からもアクセス可能です。詳しくは、東京ウィメンズプラザのサイトでご覧下さい。)
   
     ・開場 13時?
     ・開始 13時半?
     ・終了予定 15時半

※講演終了後、自由参加の交流会があります。
途中退席、無言参加、人見知り参加、すべて自由。
お菓子とお茶をご用意してお待ちしています。
交流会のみのご参加はお断りしております。

参加費 500円 

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○申込み方法

お申し込みは、こちらからお願い致します。
講演「両目を開いて生きる」参加申し込み(別窓で開きます)(締め切り4月30日)

携帯からも申し込み可能です。(QRコードからお越し下さい)
当日のお申し込み・ご参加も可能ですが、受付にてPC・携帯からと同様のお手続きをお願いしています。

その他、申し込みフォームの注意書きと、申し込み完了後に自動返信されるメールを最後まで必ずよくお読み下さい。

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○講師 美鳥からのご挨拶 ?人を疑い人を信じる長い旅?

 私の人間不信の始まりは3歳頃です。私にとって、生きることは長い長い消耗戦でした。

 数年前まで、息をしているだけで精一杯で、生きるために何度も自分を傷つけ自殺を試みました。対人恐怖や解離は、生きる日ごとに増してゆき、声と言葉を失いました。一切喋ることができなかった頃の絶望を、私は忘れることができません。

 孤独は人を殺します。殆どの当事者は黙って耐えているのかもしれません。たった一人で。
 
 「心の専門家」ではなく、当事者にしかできないことがあります。偶然にも生き延びた私は、好きだった文章を書くことで多くの人と繋がり始めました。やがて声と言葉を取り戻し、闘病中の私だから出来る情報発信活動を続けてきました。

 大阪人のオープンで体当たりの体験談を、是非聞きにいらして下さい。当講演会は、私の温かい同胞たちの真心の協力を得て実現しました。生きづらいこの世界で、私もあなたも生きているからこそ共有できる、真剣で楽しく温かい場となるようお待ちしています。また、当事者と共に悩んでらっしゃるご家族への支援ともなれれば幸いです。

 苦しみも涙も難問も、生きる知恵と誇りへと変わりますように。

       2010年 3月30日 美鳥拝

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○講演会最新情報

今回の講演会についての最新情報、講演内容、参加者へのメッセージ、お知らせは、以下のリンクからご覧下さい。開催当日5月5日まで記事が追加されます。
<カテゴリー 講演「両目を開いて生きる」情報>

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○協力してくださるブロガー様募集です

当講演会は、非営利団体として行うものです。
ご自身のブログなどで、この講演会の紹介をしても良いよと思われる方いらっしゃいましたら、コメント欄にアドレスを貼ってお声をおかけ下さい。
※参加予定の方は、個人情報保護に慎重を期するためアドレスはメールにてお教えくださることをおすすめします。
または、muqol.info☆gmail.com (☆の部分をアットマークに変えてください)に、ブログアドレスを添えてご連絡下さい。
当記事内のちらしデータは、ブログ掲載の際、縮小等ご自由にお使いくださって結構です。
トラックバックも歓迎です。
よろしくお願い致します。
尚、私のブログを殆ど読んだことがない方は、お控え下さい。一部、過激な表現や不愉快な表現を含んでいる可能性があります。

私、美鳥につきましては、こちら→<私について>でご確認下さい。

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○ちらしをダウンロードできます(ご友人などに手渡したい方など是非ご利用ください)

印刷用PDFファイルは、こちらからダウンロード(A4印刷対応です)
◆PDFファイル 講演会「両目を開いて生きる」ちらし ダウンロード(247K)

JPGファイルでご覧になりたい方は、こちらからダウンロード
◆JPGファイル 講演会「両目を開いて生きる」ちらし ダウンロード(1M)

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ちらしにはかけなかった講演会の内容やポリシーについて更に詳しく、このブログで告知していきます。
また、休止期間が長く、最近は体調不良で更新頻度が落ちていましたが、その間に感じたこと体験したこと考えたこと、大きく変化したことが幾つかあります。本日昼に更新した記事に、その間の出来事は簡単に来歴として記しました。そちらもあわせて、ブログ記事に盛り込んで参ります。

何よりも、講演会という形を取って、何を皆さんにお伝えしたいのか、この数年の私の心的経緯も書く予定です。
しばらく濃厚な記事が続くかと思いますが、どうぞお付き合いください。

読んでくださっている方とお会いできるのを楽しみにお待ちしています。
お申し込み、お待ちしています。



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これは激しく横道に逸れますので、こっそり最後尾に書いてみます。
以前からこの拙ブログを読んでくださっている読者の方で「わたなべさんちのガレージ」という記事を記憶してらっしゃる方いらっしゃいますか?
是非私とお友達になりましょう! 
やっと不肖美鳥、この足と目でしっかりと結果を調査して参りました。
近日、調査結果をご報告いたします。

講演会「両目を開いて生きる」 | trackback(0) | comment(20) |


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プロフィール

美鳥(みとり)

Author:美鳥(みとり)
被虐待サバイバー。解離性同一性障害、うつ病、対人恐怖症ほか色々闘病中。境界性パーソナリティ障害寛解しました。毎日の光と影を綴ります。生育歴・来歴・病歴・活動はこちらをご覧下さい⇒<はじめに Profile>

講演活動・ユーストリーム放送しています。
講演のご依頼ご相談は、当ブログメールフォームからお願い致します。

診断名の有無に関わらず、生き辛さを抱える方々と温かい繋がりを目指しています。ご感想ご意見など、お気軽にどうぞ。お待ちしています。

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