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2010/02/25 (Thu) 「曖昧な」子供から大人になること ? 機能不全家族 ?

講演会のご案内@東京



今朝、テレビをつけてみたら羽田空港が映っていた。
濃霧で、欠航が相次いでいるという。
人ごみでごった返している空港の映像を見ながら、今日帰らなくてよかったわーと朝食を食べながら弟と話した。

この弟は、二人いる弟のうちの一人で、東京で私を居候させてくれている。
気が良いやつだ。そして頭が良く、センスが良く、私にないドライさを持ち合わせていて、冷静且つ人生経験が豊富だ。私の兄的存在、何でも話せる親友である。

いつだったか実家で父に殺されるとパニックになり弟に電話したとき、彼だけは実家をよく知っているので、私の言を疑わなかった。同じ家庭で育ち、同じ空気を吸った人間が親友として生きていてくれるのは、私にとって大きな支えだ。

ともすれば、私の感じ方が間違っているのではないか、被害妄想ではないかと猜疑心にかられても、私以外の視点からどう見えるのか教えてくれる人がいるに越したことはない。


「家族とは、愛情を基盤とし、肉体的精神的暴力を振るわず、互いを人間として尊重し尊厳を守るべきかけがえのない居場所である」
これは、私や弟にとっては理想的家族であって現実ではなかった。
しかし、多くの人にとって虐待はテレビの中のお話、特別なニュース、身近なようでいて縁遠い出来事らしい。


理想的な家族のあり方と平行して、残虐な世界も同時に存在していることを大人になるにつれ知った。大人になるまでは、何が愛情で何が虐待なのか区別を付ける必要も感じなかった。なぜなら私たちにとって、家族はたった一つであり、よそがどうなのか考える暇はなかった。考えても、無駄なことだった。

別の選択肢があることを実感できて初めて、人間は不満を持つことができる。選択肢がなければ、ただその日を凌ぎ送ることに専念するものだ。


加害者側にも同じことが言える。
暴力や支配以外の家族とのコミュニケーションしか知らず生きてきた人間は、その他にどう自分が振舞うべきか分からない。私が両親を見てきても、実感していることだ。
厄介なことに、両親に子供への「愛情」がないわけではない。常に暴力の中に愛情を、愛情の中に暴力を混入させて差し出して来る。
恐らく両親はそのことに無自覚で、私や弟たちも無自覚だった。

両親や祖母は、常に苦痛とセットの愛情を差し出してきた。
私たち子供は、何とかして飲み込み咀嚼してみせることで親の面子を保った。家族としての心的コミュニケーションまで成り立っているかのように偽装した。


贋物は、いつか明るみに出るものだ。

今同居している東京の弟は、早々に限界を見極め、家族から離脱した。とはいえ、仲違いしたわけではない。精神的にも経済的にも自立したのだ。

もう一人の弟は、実家で引きこもり、経済的に依存しながら心を完全に閉ざした。引きこもりは肉体的にも限界を来たし、強迫性障害は悪化するばかりだ。彼が助かる日は来るのか。考えるだけで絶望的になる。

私は、数多の精神疾患を発病した。人生の殆どが無駄な足掻きだった。根源の掴めない絶望や怒りや憎悪や自分なんて消えてしまえめちゃくちゃになってしまえ死んでしまえと、のた打ち回って日を送ってきた。
そのうち何故か私は生き残り、治療を受けたりやめたりを繰り返しながら、自分はそうそう死なない気がしてきた。

やっと余裕ができてきたのだろう。東京に住む弟が、私以上に早くに私たちの家庭の深刻な破綻に気づき、より多くを理解していることを知った。
一人でもがき苦しむ時期を経て、やっと見つけた親友だった。
それまでの私は、苦しみながらも実家のルールや破綻した言い分を結果的に守ってきていた。弟からすれば、私も実家に取り込まれた一人だったのだろうと思う。実際、あなたはまだ機能不全家族から抜け出していないと治療者からよく言われたものだ。



家族の数だけ、家族の形があるだろう。関係性があるだろう。
しかし、人間が人間に振るう暴力の形は、いつもひとつだ。
どんな始まり方であっても、戦争が必ず人を殺しあうように。
機能不全家族は、愛情という大義名分から発し、精神の殺人へ帰結する。


親子殺しは後を絶たず、発見される虐待はまだ良い方で、水面下で死んでいく子供がいる。生き延びても心を殺されたままの子供がいる。子供はそのまま大人になり、暴力や支配と愛情を履き違えたまま、気づくチャンスは僅かばかりで、無意識なまま呪いのコミュニケーションが連鎖する。

せめて連鎖を自覚した者だけは、断ち切る努力をしなければならない。
両親が差し出す暴力とセットの愛情を私はもう二度と一口も口にはできないが、そんな私にできることがあるとすれば、両親は望まぬ精神性の断絶だけだ。


私は、私が受け継いだ私の家族という文化を、次代に継承しない。
断じて継承しない強い意志は、両親がまぎれもなく私の親であるという事実から発している。
私と弟が家族について話し合えるのもまた、同じ親を持った姉弟として育った事実があるからだ。

世界は、いつも分かりやすいツートンカラーで出来ているわけではない。
でも、生き延びる価値はある。
生き延びた分、出会えなかった人と出会える。
もうすぐ東京を去らねばならない。でも、また戻ってくれば色んな人と会える。



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 カテゴリー<機能不全家族>

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機能不全家族 | comment(5) |


2010/02/20 (Sat) 美鳥の講演会のご案内 場所:東京 表参道

■講演タイトル:「両目を開いて生きる」 

うつ・対人恐怖・自傷・自殺衝動・AC・引きこもり・いじめ・虐待・依存など・・・
無数の人間関係・生き辛さの中で自分として生きる実践的方法論。
闘病中の当事者が実体験から語ります。


■講演者:美鳥(みとり) 

 
■日時:2010年5月5日(水・祝)

   13:00 開場
   13:30 開始 16:30終了 (講演会のち懇親会あり・人見知り・沈黙も歓迎)

■会場:東京ウィメンズプラザ 1F 視聴覚室

■最寄り駅 東京メトロ表参道駅 B2出口より徒歩3分

■参加費:500円

■対象者:うつ病・神経症・人格障害・引きこもり・対人恐怖・人間不信・虐待・いじめに興味のある方
    (特に、生き辛さを抱える当事者とその近親者、サポーター歓迎)

■定員:80名(申し込み先着順)


詳しい講演内容、申し込み方法については、追って当ブログ等で告知致します。

真面目な話は真面目に、楽しい話は楽しく、実体験と実践スキルを織り交ぜてお話する予定です。
出演させていただいた境界性人格障害のドキュメンタリー取材での体験、その後の治療経過についてもお話する予定です。

私もスタッフも講演会準備には試行錯誤の毎日を送っています。
その間に考えたことも、ちょくちょく書いていこうと思っていたのに何故か書けず、「忙しいからかしら」と勝手に考えていたのですが、どうやらそうではなかったようです。

誰に向けて告知しているのか、誰が興味を持ってくださるのか、どんな方がどんな生活の中で何を感じてこのブログを読んだり、もしくは講演会に足を向けて下さるのか。今の準備段階では、来てくださる方のお顔が直接見えないから、私が戸惑っていたようです。
以前の私なら、こうなると殻に閉じこもり、とにかくがむしゃらに頑張って7割くらいの高確率でぶっ倒れていました。今は、それだったら私自身がまず開いていなければなぁと思うようになりました。
そう思ったら、こうしてブログを更新することに相成りました。スルッとできました。不思議です。これからは書ければ良いなと気持ちを緩めて臨みます。


闘病中の当事者の方は私が知る限り外出が困難な方が多く、私もそうですが体調が優れないことが多く、金銭的にも苦しい方が多いのが現実です。

そんな方々の貴重なお時間と、実際に足を運んでくださる労と、私と実際会ってみたい(もしくは遠目からでも観察してみたい)と来てくださるお気持ちを無駄にしない講演会にしたいとスタッフ共々、打ち合わせを重ねています。

さっきの「顔が見えない戸惑い」は、考えてみれば私だけの不安ではなく、私に会ったことがなく足を運んでくださる方皆さんが感じることでもあるんですよね。
私は、暗い人間とか怖いひととかいう印象がブログでは強いらしいですが、それは単なる文体が見せてる幻影です。断言します。

安心してきてくださったら嬉しいです。お会いできるのを楽しみにしています。出会いに幸あれ。


申し込み受付は、もう少し後になりますが、多くの方に足を運んで頂ければ僥倖です。
まずは、先行で告知のみ。



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※ただいま東京滞在で多忙のためコメント返信ができたり、できなかったり不安定です。申し訳ありません。

講演会「両目を開いて生きる」 | comment(11) |


2010/02/17 (Wed) 私は誰だか分からない ? 解離性障害 ?

東京滞在18日目。いや20日目?
よく分からなくなってきた。

すごくいっぱいの方にお会いした。
何より講演会の打ち合わせは、数限りなくやった。
私が大阪に戻っても、まだ準備も打ち合わせも続くが、何とか開くための土台や箱が準備できた。
一旦、大阪に戻っても良い頃だ。


東京にいる間も色んなことが起こり、”色んなこと”などと一言で括れぬあらゆることが起こったのだが、全く書く暇がない。びっくりするくらい、ない。

楽しいことがある日は夢中で楽しんでいるので、書く暇も心の落ち着きもない。
最悪なことがある日は必死になっているので、やはり時間などない。

大阪では合間に”休む日”を意識的に設けるので文章が書ける。
東京では、大阪の5,6倍は動いているので忙しくて書く暇がない。日ごろ臥せってばかりいるので、この活動量でもまだ普通の人より生ぬるい。でも、私のいまの治療進度から客観的に見ると、まずまずやっている方だ。

よくやった、自分。
と、自画自賛してみる。そうしないと、気が焦っている。あと残り数日しか東京にいられないのか!と思うと、何かせねば!何かせねば!とウロウロしてしまう。


昨日からは、ブログで知り合っていまやリアル友達のひまを宅に泊めてもらっている。お母様の手作り料理が美味しかった。昼間にひまをと作ったチャーハンも美味かった。せっかく会っても昼寝しているか一緒にDVD見てるか食べているか飲んでいるか、やはりまた食べて寝ているかだが、のんびりできて気を遣わなくて楽だ。


しかしながら、ついに私の限界が近づきつつあるようだ。

今朝あたりから、自分が誰なのか分からなくなってきた。
東京に来て20日近く経ち、いつ来るかいつ来るかと恐れていた解離性障害の重めの症状がやって来た。幻覚幻聴や、脳の内側でいろいろな声や存在がざわめくようになるまで、時間の問題と思われる。


東京へは、片道切符でやって来た。
いつ帰るべきか、東京でどこまで講演会の準備を進めるか、毎日考えてきたが、そろそろ帰りの切符を手配しよう。

前回、自助グループを作るために東京へ来たときと同じく、去るのはとても名残惜しいけれど。

「自分が誰だか分からない」感覚は、表現しがたい性質の苦痛だ。
自分がないから苦痛もないはずなのだが、酷く疲れる。自分を取り巻いている人や物の在り様を把握するのに苦心する。苦心している自分も遠いから、どこか虚しい。曖昧な不安が24時間靄のように私を覆い続ける。
何かの拍子に交代しないか、昏倒しないか、常に恐れている。もしかしたら、その瞬間の同行者に迷惑をかけてしまうかもしれない、この手の恐れが一番強くて厄介なのかもしれない。


予定していて実行できていない重要な用事は、あと2つ。
あと2つやったら大阪に帰る。

大阪に戻ったら、とっくり自分と向き合って、濃度100%の内観ブログ記事を書く。
これまで触れてこなかった問題も。
私の解離性同一性障害の症状について。
過去の大量無差別殺人衝動について。
私が現在も形式的にのみ所属している宗教団体での洗脳と脱洗脳の経験について。

他にもいっぱいあるかもしれない。
とにかく、書けなかったことを書くのだ。
書くために、大阪に戻ろう。



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※現在、多忙と体調不良のためコメント返信ができません。申し訳ありませんmm

講演会「両目を開いて生きる」 | comment(2) |


2010/02/10 (Wed) 逃げない温度

東京に来てがあっという間に日々が過ぎた。今日でかれこれ10日滞在している。
講演会の準備は、今のところ順調だ。
毎日誰かと会ったり、会うために休息したり、打ち合わせしたり、会場の下見に行ったり、また打ち合わせしたり勉強したり、遊びに行ったり、のみに行ったり忙しい。

私の旅行鞄には、滞在分の薬が入っている。
来るときには薬ではちきれて体をなしていなかったポーチも、昨日から口を閉められるようになった。薬の減り具合で、東京での経過日数を知る。薬が切れると、断薬症状で動けなくなる。薬のストックがある限りは、東京にいたいと思っている。


友達は、頻繁に私の体調に注意を促してくれる。
昨日の感覚も忘れてしまう私に、私がこれまで何日活動していて何日休んだか、いつパニックやフラッシュバックを起こしたか、私が忘れてしまう私についての情報を教えてくれる。

私は大抵、他人のことのように聞こえる。
私は、自分のことがよく分からない。体と意識の連結が悪い。
リストカットの衝動にかられて自分をズタズタにしたくても、数時間後には感情と体が乖離して忘れてしまい、悲しいことや辛いことは何もなかった気がしている。そんなことがよくあるようだ。

自分の感覚はあてにならないことを知っている。だから、友達のアドバイスを聞いて自分で考え、行動を減速したり、減速しながら調子を見る。もう少しがんばれそうだったら、出せるだけは力を出して東京での日々を充実させる。


精神疾患を持っていたとしても時間をかければできないことはない。だから焦らないこと、諦めないことが肝心なのだと最近やっとわかってきた。
言い聞かせなければ自分を制限することができなかった時期もあったけれど、余計に遠回りしてしまうことを学んだ。何百回何千回の失敗の後に。



低空飛行の毎日。
ときどき一瞬で墜落。木っ端微塵に砕け散る。でも死なない。不思議なくらい、誰かがそばにいてくれる。

派手なフラッシュバックの発作を、東京へやって来て既に数回やらかしてしまった。
一度は、遠い北海道の地の友達が、電話で私の何が何だか分からない号泣や話を聞いていてくれたことがあった。
電話で繋がっていなければ、私はどうなっていたか分からない。


東京という土地に馴染みはないし、電車の乗り換えも今だ全く分からない。昨日も余分に電車賃を払ってしまった。気づいたのは、改札機が切符を吸い込んでしまった後だった。
エスカレーターで立つ位置も大阪とは真逆。慣れるまで数日を要した。
同じ日本なのにアウェー感に襲われる。

けれど、ここにはブログを通じて知り合った友達が何人もいる。ブログという匿名の世界で知り合いはしたが、互いの真偽を確かめ合いながら距離を縮め、顔を合わせ、現実に名乗りあい、自分を明かしあい、友人となれた。自分が何者であるかを明かすのは覚悟が要る。逃げ場を作らない覚悟を持つ人の存在は、私を強くする。


ここへ来て、はや10日が経つ。
東京という土地に、まるで馴染めない。
でも、大阪で一人暮らしをしている時より数倍笑う。数倍喋る。新たに出会う。
その分、傷つく。傷つける。学ぶ。近づく。恐れる。感動する。不安になる。温かくなる。
心がしなやかに伸びる。
人は不思議だ。


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講演会「両目を開いて生きる」 |


2010/02/06 (Sat) 記憶の孵化

東京で、まだまだ色んなことをやらなきゃいけないのに、酷い精神状態に陥ってしまった。
どうしていいのか今は分からない。
ここではカウンセリングも受けられないし、いつもの精神科もない。
大阪は、遠い。


いつもは内面で静まり返っている幾百匹もの蛇が一斉に蠢き始めたようで気持ちが悪い。
鱗をすりあわせ、冷たくぬめった息を吐き、地をはいまわり絡み合う音が沸き起こる。不都合な記憶が私の中には一杯眠っているらしい。私は時々自分が気持ち悪くなる。

私という混乱、混沌を作ったものは何だろうか。
10年以上の闘病や治療で蘇った記憶は限りない。蘇った端から、また眠った記憶もある。つい昨日思い出したフラッシュバックでの記憶も今日になっては跡形もない。

私の過去。

家庭に問題があった、虐待があった、多分それは一端にしか過ぎない。
他には、たとえば保育園での倒錯的な性の記憶、一切失われているブツ切れの記憶、学校でのいじめ、いじめ未満、友情以上のすれすれの関係、宗教団体での数限りない洗脳と信仰、知人の自殺、不倫、無理心中未遂で殺されかけたこと、貧しくて貧しくて食べられなかったこと、そんな私への蔑視、死ねと怒鳴り続ける父の声、バットで殴られた弟の姿、打ち倒した私を見下ろして冷たく次は殺すと静かに宣言した弟の声、治療者の曖昧で卑怯な姿勢、私自身の認知の歪み、歪んでいないのに歪んでいるように常に感じる強迫観念、ふいにやってくる難聴、幻聴、幻視、頭の中の声、頭の中の会議室、頭の中の部屋、頭の中の壊れた柱時計、泥沼の労働裁判、マンションでの排水被害、愛玩ペットのようなM男との関わり、やはり宗教団体、お金、愛憎、友情を装った自己愛、これ以上あげようと思ってもまだまだありすぎて挙げられない。

家庭に問題があったこと、それは一端に過ぎない気がする。もっと運命とか宿命とか、私が最も嫌いな言葉でしか表現できないような、私という存在に訪れた物語のあらゆるものと私は決着をつけなければならないのだ、きっと。
不倫関係にあり殺されかけたこと、それと宗教団体での体験、裁判、治療過程でのあらゆる体験。一例のこれらは、少なからず今現在の私の在り方に揺さぶりをかけている。



フラッシュバックが酷い。
わけが分からなくて何がつらいのかも今は自分で分からない。
ただ、殺されてたまるかという思いと、あの時殴られたときに殺してやればよかったという思い、こんな私でも私の体験で誰かを汚すことなく誰かと良好な関係を築きたい、そうしなければ私は存在する意味がないという思いに強烈にかられている。

泣き過ぎて疲れた。
明日、目が腫れなければ良いのだけど。
友達が楽しみにしてくれて、一緒に泊まるホテルを手配して招待してくれた。
今日、今この私では行けない。明日までに、いつもの自分に戻っていなくてはならない。
戻らなくては死にたくなるし、死にたいと思いながら安穏に生きられるほど人生は甘くない。

涙が止まらないので眠剤で強制的に止める。
全部、止める。感情も思考も止めて、こんなときは眠らなければならない。

そう言っていたよと友達が教えてくれた。
私が死にたくて生きていた時に、私はなぜか死なず、闘病していた大切な同志は病で亡くなってしまった。その彼女の言葉なんだそうだ。私は知らなかった。
眠剤をのんで布団をかぶる。
このブログの更新ボタンを押したら、私がやるべきことは今はそれだけ。



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※カテゴリー<講演会「両目を開いて生きる」ができるまで>を追加しました。東京での活動や生活の記録です。
講演会の詳細、申し込み方法は、来週追ってお知らせいたします。

コメント返信は現在著しく状態が悪化しているため出来ません。よってコメント欄は閉じさせていただきます。

講演会「両目を開いて生きる」 |


2010/02/04 (Thu) 5月の講演会準備のため東京に来ています

ブログを更新したいしたいと思いながら、色々あって更新できないこと既に10日。
その間に、東京にやって来た。
理由は、1年半ほど前に東京で主催した自助グループを作ったときと動機は同じ。
東京で講演会を開くための準備に来ている。

神経症・人格障害・うつ・引きこもり・対人恐怖症などの当事者と、周囲のサポーター(家族・恋人等)を対象にした講演会だ。東京に来て5日目、打ち合わせや会場への申請書作成その他に取り組み、かなり形になってきた。


目的は、私が最も大切にしている「対面でのコミュニケーション」の場を作りたいからだ。

ネットはネットでしかない。このブログには、私の体験の2割も書けていない。また、文字数や私の文章力の至らなさ、読み手の集中力の問題もあって、少しずつしか書けない。書いても書いても足りない。過去について書いている間にも、毎日症状は継続し、治療も進んだり膠着したりし、人間関係に救われ、人間関係に足を掬われる。全然追いつかない。

しかし、対面で会うと不思議なくらいに言葉を必要としないことが多い。
このブログを書いている「美鳥」という人間はどういう人間なのか、会って少し話すだけで伝えることができる。
実体と顔と名前と声を持って相手と対峙するのは、勇気も要るし、自分が何者であるかを開示する覚悟が要る。
会って後悔することもある。相手にとって私がイメージどおりではなく残念だったということもあるだろう。それでも、私の体験から、会わなくては関係性は決して進むことはない。


昨夜は、ブログと電話で親交があった方と初めて対面でお会いした。
私は文面やブログの性質上、暗いイメージがあるらしいが、あまりに私が見た目は健康そうで底抜けに明るいので驚いてらっしゃった。
同じく私も、メールや電話では分からなかったこと、または解釈が難しかったことがするすると解けていく気がした。
言葉や文字に頼ってコミュニケーションする機会が多いが、私たちは身体そのものでも会話をしている。


私がブログに書きたくて書けていないものはたくさんある。
本当に数え切れないほどあって、よく途方に暮れる。

私がこのブログに書けたことは、実際の体験の2割にも過ぎない。
この1年半に限って言えば、現実で起きた自殺未遂も書いていなければ、バラバラになった人格についても書いていない、引ったくり被害に遭った前後の重大な事実についても書いていない、去年のクリスマスイブにペットが虐待を受けて死に掛けたことも、それで私の解離が悪化し言語障害に陥ったことも書いていない。1年間のカウンセラーとの泥沼の悪戦苦闘も書いていない。そこからいまだ私は完全に抜け出ることができず、苦しみ悩み続けていることも。何も書いていない。

病気の回復のためには、自分について敢えて考えない時間も必要とされる。過去のトラウマを考え直したり、他人格に委託している記憶を無理やり統合しようとしたりするのは愚の骨頂だ。死んでしまったら元も子もない。生命維持が優先される。そうなるとブログはますます書けない。

状態が悪化するほど書かなければならないことが増えるが、実際はブログを書くどころではなくなる。

特に一昨年からの私の状態は、昼に生きていても夜には死ぬかもしれなかった。そんな状況が1年ほど続いた。ようやくブログが書けるようになったら、去年の10月にまたも生命維持が難しくなった。
ありのままを書いていきたい私はブログに記そうとしたが無理だった。治療者からも止められた。
結果、割合に調子が良いときにできたことだけをブログに書き、ブログ上では私の症状は表立つことはなかった。

ブログというツール、ネットという世界が、顔も名前も体も持たない虚構だから、書いたことだけがリアルになってしまう。書かなければブログ上では、なかったことになってしまう。所詮「なかったこと」も、ネットという媒体の枠から私という人格が出ない限り、ヴァーチャルな物語に過ぎない。



ブログで伝えられないことは、対面で伝えたい。
精神疾患者、境界性人格障害者としてモザイクなしでドキュメンタリーの取材を受けたのも、匿名やモザイクで説得力が希薄になってしまうのを避けたかった。
私は、とても伝えたいのだと思う。
そして、出会いたい。生身の私で。
私のブログを読んでくださって共感くださる方、決して諦めず思考を停止せず、時に死にたくなったりリストカットを繰り返しながらも生きることを選択し、私と同じ瞬間に存在している方と直接お会いしたい。


私が交流のあるブロガーさんは、殆どがうつか神経症か人格障害、対人恐怖、人間不信、引きこもりの方々だ。私も含め、ちょっと調子が良かったかと思うと次には今にも死んでしまいそうに悪化する。

以前はコメント欄に、自分がコメントすることで何か力になれないかと苦心していたが、最近それだけでは足りないのだと強く思うようになった。心からの共感や励ましの気持ちから必死で言葉を紡いでも、虚しい気持ちや無力感を感じることの方が多くなった。

パソコンの電源をOFFにしてしまえば消えてしまい、ONにすれば誰かの言葉に触れる。そんな関係は、たとえば孤独で死にたくてたまらない人間をどこまで支えることができるのだろうか。

文字よりも声、声よりも体。遠くにいるよりも、近く。相手の実体を知って、自分の存在も確かに保証し、相手と向き合ってかける言葉の力強さ。わたしは、人間の実体そのものに何度も助けられてきた。


言葉よりも非言語コミュニケーションを介して得る情報の方が人同士の相互理解に役立っていることは、よく知られている。

あなたが生きていて目の前にいて、私も生きていて目の前にいる。その事実が多くを語り、それ以上に伝え合い共に考え支えあうために、私たちは言葉やまなざしや体温を用いる。


まだ出会ったことのない方と出会うために、今は講演会の会場を押さえるために書類申請して、返事を待っているところだ。
来週には返答が来る。
来なくても別の会場を手配する。つまり絶対に私は(詳しくは私の半身のように一緒に動いてくれるパートナーがいる)講演会をやり遂げる。
場所は、東京表参道あたり(現在の予定)、時は5月初旬。来週決定すれば、すぐにこのブログでも告知を打つし、参加申し込み方法も、あわせてお知らせする予定。
対象は、うつ・神経症・人格障害・引きこもり・対人恐怖や共依存など対人関係に障害を抱えている方・いじめ虐待のサバイバー・不登校者・サポートしている近親者の方など。


開催までの経過で、色んなことが起こる。既に私は何十回の挫折感や劣等感を味わい、同じ数ほど友達に助けられ、すごくしょうもない事件で出鼻をくじかれたり、色んなことがあった。

そんなことも、この東京滞在中は書いていこうと思う。

対人恐怖症で失語になった私が、まだ会ったことのない誰かと繋がるための場所を一から作って大切に育てようとしている。慣れないことばかりで、うまくいかないことの方が多いだろう。でも、そんなことほど書いていきたいと思う。

ありのままでいることが私の強みだ。それ以外に今の私は何も持っていない。挫折や劣等感ばかりでも、それが今の私なら私はそのまま書こうと思う。



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講演会「両目を開いて生きる」 | comment(4) |


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プロフィール

美鳥(みとり)

Author:美鳥(みとり)
被虐待サバイバー。解離性同一性障害、うつ病、対人恐怖症ほか色々闘病中。境界性パーソナリティ障害寛解しました。毎日の光と影を綴ります。生育歴・来歴・病歴・活動はこちらをご覧下さい⇒<はじめに Profile>

講演活動・ユーストリーム放送しています。
講演のご依頼ご相談は、当ブログメールフォームからお願い致します。

診断名の有無に関わらず、生き辛さを抱える方々と温かい繋がりを目指しています。ご感想ご意見など、お気軽にどうぞ。お待ちしています。

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