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2009/09/17 (Thu) 勲章0.5  ? 投薬治療・人格障害・自律神経失調症 ?

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予想はしていたが、久しぶりに病院に行ったら「自律神経失調症やね」と診断を頂いた。数々症状はあるのだが、中でも呼吸困難と脂汗はどうにかしたかったので改善策はないか訊いたが、「安静にしておいてください」とだけ言われた。
じっとしていても走っている時くらいの動悸がし続けているので、いっそ、運動したほうが良いとか、パーッと気晴らしした方が良いとか言われたかった。「安静にしておく」のは今の私にとって滝修行と同義なのだが、今は耐えるしかないようだ。


そんなわけで、また病名が一つ増えた。今更、へこみもしない。精神状態が変わるにつれ、体調に変化が起ることはこれまでのパターンで承知している。
肝心なのは、変化が良いものか悪いものかだけである。
自律神経を壊したのは、明らかにカウンセリングでぶっ倒れた日がきっかけだ。しかし、あれはあれで良かった。避けて通れなかった。むしろ必要な過程の一つだ。ならば死なない程度なら何でも引き受けよう。


比較的しっかりしていたので、医者に最近の解離や昏倒の話をした。私の過呼吸は相当酷いレベルにあたるらしい。これもまた死なない程度なら仕方ない時期かと思うと話したら、医者のN先生にも異論はないらしかった。カウンセリングがハード過ぎるのでは?という指摘を今回も貰ったが、カウンセラーのM先生と信頼関係を築けていますと話すと安心したようで、一つの進歩としてカルテに書き込んでくれた。

次に話題になったのが、薬についてだった。
私が通っている病院の先生は、私の病気について「薬では治らない」と断言している。医療のみをまるで万能のように語る権威主義の医者が私は大嫌いだが、N先生はそうではないので信頼している。
薬には副作用があり、一度服用すると断薬するのに苦労するし、女性にとってはホルモンバランスが不安定になり、不妊に繋がったりもする。
「薬は必要最小限に」が、私とN先生の共通意識だ。

2ヶ月ほど前、現在処方されているうちの抗鬱薬の量を減らしましょうかと最初に言い出したのはN先生だった。その時、私は、まだ自分の回復進度にあまり自信がなく、自覚もなかった。カウンセリングがハードなことは分かっていたので、いつ落ちるか分からない精神状態を抱えての減薬は不安があった。
以後、何度か提案されたが、まだ不安なのでと断ってきた。


今回の診察で、自分から減薬について切り出した。自然に口をついて出た。自分で驚いた。先月まで感じていた減薬への不安は消えていた。減っても、私はやっていける自信があった。
自律神経失調症で体調は最悪なのに、減薬する気になっている自分というのは不思議だ。
N先生が難色を示すかと思ったが、先生はすぐに、
「そうですね。減らしても大丈夫だと思います。減らしましょう。賛成です」と言った。
先生の目から見ても、最近の私は解離や体調不良はあれど、鬱状態からは抜けているらしい。

そんなわけで、体調は悪いが、解離も不安発作も起こすが、抗鬱薬が半錠減った。


私が、ブログに載せないと決めているものは、最低三つある。
自傷の画像、自分の顔写真、処方されている薬画像である。
この三つは、ある共通した理由でもって掲載してきたことはない。ある私の個人的見解、信条による。
今回は、例外中の例外、私にとって全く違う意味合いを持つので、是非載せたくなった。
冒頭に載せた画像は、私の処方されている薬のひとつである。

減った薬の量は、1日半錠分だ。
爪の先ほどの減薬。たったこれだけの減薬まで、随分苦労した。
私にとっては、小さくも大きな進歩だ。
シートで処方されていた薬が、こうして1個半ずつパッケージされているのを見るのは気分が良い。半錠減ったのを実感するためにオーダーしたパッケージだ。やっとここまで来れたのだ。


薬を出せば出すだけ儲かる精神科。薬を出さない分だけ儲からない。特に精神疾患の患者をみる場合、問診する時間は自然多くなり、患者の話を聞くだけ聞いて薬は最低限しか出さないのは、商売上がったりなのだ。
薬の副作用を訴える患者に、副作用を抑える薬を処方し、また副作用が出たらその副作用のための薬を出す。そんなふうにして、薬をどんどん出す医者が多い。
日本の精神医療はまだまだ杜撰で、患者たちも他の科とは違い、精神医療の質の見極めが難しい状況にある。そんな無知に付け込む医者が、また何と多いことか。
私自身も、相当に病院を渡り歩いて来た。病院を渡り歩く度、体調が悪化したり、症状が変化したりした。処方箋は毎度異なり、診断名も毎度異なった。触診と称されて下着にまで手を入れられた。治療遍歴は、イコール医療不信との戦いでもあった。

その末にたどり着いた現在の病院。
親身に話しを聞いてもらえるのは勿論、薬は最低限にしましょうと、患者の身になって実践してくださっている今の病院N先生には感謝している。


処方箋を受け取って薬局へ向かう道すがら、表彰状を手にした気分だった。薬局で薬を待っている間も、息はできないし脂汗はダラダラと流れ続けるし暑くて寒くてとんでもなくしんどい。それでも、嬉しかった。


処方箋が何度も私の希死念慮を打ち消してきてくれた。
薬は私の人格障害そのものを治すことはないが、治療生活や日常生活を支えてきてくれた。
ようやく少し、私は自分の足で立てるようになり、支えてくれる人と出会えるようになったらしい。
半分に割られた錠剤を眺めては抱きしめたくなり、にやにやしている。



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治療日記 | comment(9) |


2009/09/16 (Wed) 他人の顔 私の意識  ? 解離性障害・境界性人格障害・カウンセリング ?

このところの体調について、闘病記として重要に思われてきたので記述。回復を目指す方にとっての何かの参考にして頂けたら幸い。


以前少し触れたが9月6日のカウンセリングで、かなり重度の過呼吸発作。きっかけは、Coccoの拒食症と自傷痕をそのまま写した雑誌の表紙と内容についてM先生と話していたこと。この問題は、その後約1週間大きな痛手となった。日数をかけて、分析。自傷とは何なのか、他者に向かう自傷を見せる行為を何故私が絶対にしないのか、嫌うのかがカウンセリングで明確になった。プライドの問題などではなかった。私という人間の本質を問う問題だったらしい。
お陰で、この雑誌の特集への評論が近々纏められるだろう。

あまりに酷い発作だったため、フラッシュバックやビジョンや幻覚に襲われる。そのまま昏倒したらしく、以後、身体の痛みに悩む。
自分の中に潜在している途轍もないトラウマや葛藤の大きさを察知し、カウンセリングが怖くなる。一ヶ月は行きたくないなぁとぼんやり考えた。


次のカウンセリングまで、カウンセラーM先生とメールでやりとりをする。その間、私の境界性人格障害の症状が表出し、無茶苦茶なメールを送ってしまったため、久しぶりに先生からの拒絶を味わう。しかし、これまで一貫し一度もブレのない先生の「正当を支持し、不当は拒絶する」という姿勢に、猜疑心は自然薄れていった。私が安定していようが、不安定になろうが、先生の人格がブレない。その場に流されて適当な同情や慰めを言ったり、ルールを変えたりしない。不変であることが私の根深い人間不信を少しずつ融かしている。


発作時の硬直、痙攣のせいか、体中が強張って痛い日が続く。
過眠が続き、食欲はなし。吐き気や眩暈に襲われる。

9月11日、意を決して活動することにする。しかし、昼ごろから体調が急激に悪化。体中の痛み、皮膚の麻痺(特に顔面)、24時間暑いのか寒いのか分からず脂汗が流れ続ける、呼吸が出来ない、息苦しい、時々無呼吸になる状態が続く。熱っぽいため風邪を疑うが、いつもより低体温で微熱すら出ない。

翌日、友達と食事に行く約束をしていたが、あまりに体調が悪いため断る。流れ続ける脂汗がいつも汗と違いきもちわるいので、1日に3度もシャワーを浴びたりするが、脂汗が止まらない。

9月13日、カウンセリングへ。
過眠の時の鮮やかで五感が伴う夢について話す。夢の世界での戦争はダイナミックさを増し、私の意識が夢の世界にいたまま戻って来ていないような状態だと先生が言った。夢分析では、私の夢は進行中で、且つ内容は神話的な側面を持ち、深い意味がありそうだ。
解離や過呼吸を起こさないように用心していたので、危険そうな話題などは自己申告で避けた。一度発作を起こすと、しばらく怖くて話題を掘り下げることが出来ない。夢以外では、政治や心理学や人間について雑談形式で話して終了。
面談中、離人感が強烈で、何度も意識が肉体から離れた。身体が操縦できない状態が何度か訪れ、表情筋すらうまく動かず、突っ張ったまま。息もし辛く、脂汗が流れ続けるので、帰りは朦朧としていた。

翌14日も、カウンセリングへ。
前日よりも随分体調が良くなっていたが、相変わらず身体の痛みと脂汗、呼吸困難が続いている。自律神経失調症の症状である可能性が高くなってきた。思えば、6日にカウンセリングで酷い発作を起こして以来だ。精神が肉体に及ぼす影響をあらためて感じるが、無駄な苦労ではない避けて通れない体調不良であると覚悟してカウンセリングに向かう。


最近、心理学や臨床心理学を勉強しているが、そこで感じたことなどを先生に話す。これまで10年近く、三人のカウンセラーにみてもらってきたが、最も長く通い、最も効果のなかったカウンセラーとの面談について、いまだに解消できていない憤りが強い。真に回復を目指すカウンセラーのあるべき姿勢、そのカウンセラーに対するクライアントのあるべき姿勢、つまり「覚悟」という一点について先生と話す。
依然、顔の皮膚が最も麻痺していて、手で触れると自分の顔がゴムのように感じる。息苦しい。身体が痛い。
過去のカウンセラーとのやりとりがフラッシュバックとなって蘇り、気がつくと眩暈と光過敏に陥り、身体の操縦ができなくなっていた。そのまま昏倒したらしい。
気がつくとカウンセリングルームの床の上で寝ていた。先生に起こされるが、意識が朦朧としていて身体と脳が切断されているかのように重い。時間が2時間ほど飛んでいる。昼に来たはずなのに外に出ると夜だった。少し話に熱中して過去に意識が飛ぶと倒れる繰り返し。倒れると先生に迷惑をかけてしまうので倒れてはならないと思うと、核心に触れる話がなかなかできない。どうすればよいのか分からない。強烈な離人感に襲われ、朦朧としたまま帰宅。合間の記憶が殆どない。

夜0時頃、ふいに友達に電話。鬱病の友人が死んでしまったのではと不安になったから。無事だった友人と3時過ぎまで喋る。その時は自分の不調を忘れていたので、強い離人感が続いていたのだろう。電話を切った後、カウンセラーのM先生にメールを書いて送っていたが、殆ど記憶になし。

翌、今日15日。
変わらず体調不良。「息をしなくては」と常に意識しなければ身体が呼吸しないので苦しい。脂汗も相変わらず流れる。動悸が酷く、何かの拍子にあっけなく死んでしまうのではと不安。夢に新しい展開があったが、何がどう開けるわけでもなく、何かの過渡期にあるようだ。頻繁に記憶や時間が飛ぶ。起きていても息苦しくてたまらないので、その方がましだ。そういえば、一昨日のカウンセリングで先生が「ある程度解離している方が今は美鳥さんにとって良い」というようなことを言っていたのを思い出す。
逃避としての解離ではなく、緩衝としての解離が起っているらしい。色々なアプローチはあれど、問題を回避しているのでなければ全て良しとする。


依然、顔への違和感が強烈。殆ど皮膚感覚がないのは、何故だろう。
昨夜送っていたメールに、M先生から返信を頂く。カウンセリングで倒れた日、大きな迷惑にはなっていないとのこと。夜道が怖くなっていたので昼の時間をお願いしたが、やはり私の解離や昏倒があるので夜の時間で対応して頂くことになった。正直、自分が不甲斐ないが、どうしようもない問題なので柔軟な対応に感謝。


私の最初のカウンセラーの姿勢について、先生から返信。「ロジャリアン(ロジャースの来談者中心療法の弊害に自覚のないカウンセラー)の態度は、不当な家族関係の最悪の再現だ」との的確な指摘。何年通っても一向に人間不信が回復しなかった理由が、あらためて明確に理解できた。

混沌の中にい続けてもいいじゃないかと言いたがる「回復したがっているようで回復したがらない人たち」についても、考えを深める良い機会になった。無意識の嫉妬心、他人の足、特に混沌から這い上がろうとしている人間の足を引っ張りたがる心理が、これでほぼ完全に分析、把握できた。自己愛性・回避性人格障害についても新たに学ぶことが多かった。人間の心理について学べば学ぶほど、回復とは狭き門だと実感する。


この一週間、3度のカウンセリングと、何通もの先生との往復書簡(メール)、体調不良と夢と思索によって得たものは大きい。
できれば数日内に、体調が戻ってくれれば有難いのだけど。このままこれが続くと、パニック障害の発作が頻繁に出るようになるだろう。それは避けたい。



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治療日記 | comment(4) |


2009/09/10 (Thu) 処方箋 拒絶  ? 境界性人格障害完治を目指す・カウンセリング ?

境界性人格障害の症状が色濃いときは、分析できているようで全く見当違いなことが多い気がするので避けたいが、以前より自己把握が出来るようになってきたということで、数日間の自分について振り返ってみる。


相変わらず思うのだが、解離よりも、境界性人格障害(以下BPD)の症状に見舞われた時が最も苦しい。人間何が最も苦しいって、自分を嫌いなときが最悪に苦しい。消えてしまえ、死んでしまえ、お前なんかいない方がいい、と自分自身に向かって罵りながらも、身体だけは漫然と生きている自分を見続けるのは羞恥に堪えない。

BPDについて、私自身が一患者としてドキュメンタリーに出演させて頂いたこともあり、この症状が最も厄介で悪質で最低だと認識しているから、随分と自分なりに勉強してきた。
BPDの見捨てられ不安や、妄想様の自虐的思考回路、論理の破綻、感情の暴走、数分置きに右へ左へ激しく傾く世界観、依存心と不安と恐怖心。その他、様々症状は挙げられる。
中でも、最もBPD特有のものといえば、「論理の摩り替え」「悲劇の捏造」だと私は認識するようになった。
どんな過去があっても、理由があっても、現在目の前にいる無関係な人の前で「論理のすり替え」「悲劇の捏造」をやらかしてはならない。BPDであっても、なくてもだ。尊重し合う人と人の関係にあって、起ってはならないことだ。

そんな最低な思考、行動パターンを、精神状態が不安定になると途端にタガが外れたようにぶちまける自分をあらためて知るにつれ、自己嫌悪は相当に募ってくる。
過去の経験や習性に縛られず、今ある目の前のことをしっかり見て、聞き、語り、価値ある行動を選び取り、価値ある人と関係を深めること。BPDにとって最も難しいことだが、これに挑戦しなければ、永遠に苦しみと憎しみと自虐と自己嫌悪の堂々巡りを続けることになる。


PBDの症状にお手上げで、生きていても何も良いことがなくなり、死のうとしていた時に助けてくださったのが、現在のカウンセラーの先生である。
が、悲劇的なことに、その先生に対して攻撃するという最悪な状況を私は繰り返し作っている。以前より頻度は減ったが、まだ私はBPDから抜け出せずにいる。再認識した数日前から、私の自己嫌悪はピークに達している。先生に対して申し訳ない思いと、同じことを繰り返す自分、今の自分の病的な側面を生み育てた過去という歴史、負けまいと立ち向かうと解離に足を掬われ、すべて自分の不徳でしかない事実には、無力感でいっぱいになる。

先生以外に対しては、この攻撃性は今のところ向かわない。皮肉なことにBPD患者の心性には、信頼と拒絶という対極が同居している。その時最も信頼を向けている人に対して、最も拒絶心が生じる。助力を請うた自分の手で助力者の救いを断つといった、矛盾した甚だ理不尽な行動を取らずにいられなくなる。
皮肉な悪循環から抜け出なければ、BPDは治らない。BPDそのものを治す前に、真の助力者を自ら拒絶し治療への道を断ってしまう。


先生に対して、不信でいっぱいで、裏切られるのでは、騙されるのでは、傷つけられるのでは、と恐怖で一杯で自己保身しか頭になかった去年の冬頃、私と先生のやりとりは殆ど喧嘩のようだった。
いかなる理由があっても、疑う必要のない相手に対して、まだ起ってもいない悲劇を恐れて先回りし、やられる前にやらなければ殺されるとでもいうように必死で先手攻撃した。治療に行っているはずなのに、行けば攻撃した。すべてが怯えから来る妄想に端を発していたと思えば、相手が先生であろうと誰であろうと関係なかったのだと思う。
先生は、そういった私の理不尽な攻撃を悉く拒絶した。
私は、それまで味わったことのない完全敗北を味わった。己れの浅ましさ、弱さ、愚かさ、程度の低さを突き付けられた。
私は、あれほど本気で死にたいと思ったことはない。

自分が相当に味わってきたはずの理不尽な攻撃を、私自身が過去の悲劇にとらわれ、目の前の無関係な人に理不尽をなすりつけていた。それが、あろうことかそのまま撥ねかえってきたのだ。

かえってきたものの醜さといったら、目を背けようにも背けられない醜悪さがあった。
過去の痛ましさは誰かの前では痛々しい美になる。手首を切ろうが、ODで酩酊していようが、口さがなく大事な人を罵ろうが、どこか甘い蜜のような美があった。
哀れであること、傷ついていることが、大抵、免罪符にされた。
免罪符として認めなければならない程度の相手でしかなかったこともある。私の病的対人関係にドラマチックにつきあってくれる人は、相手からしても病的な私の方が都合が良かった。共依存というやつだ。共依存という言葉でなくてもいい。自分の都合のためなら、互いの人間性は無意識にどこかへ押しやってしまう人たちのことだ。私も、かつてはそうだった。


先生は、私の過去と現在にある正当性と不当性を明確に切り分けた。当時は、私は生きるか死ぬかに必死で、そんな先生の姿が何を目指しているのか分からず、冷めた目で見ていた。それまでのカウンセラーという職業の人たちへ募りに募っていた不信感のせいでもあった。
分析して何になる?
分析せずに私を助けてくれ!
そう思っていた。
同時に、誰も私を助けることなどできないのだから、助けようとしないで欲しいと矛盾したことを考えていた。


去年から今まで、他にも様々なやりとりがあって現在があるが、日曜日のカウンセリング以来、またも私はBPDの症状が酷く、不安定な精神状態で書いたメールの内容は、大半が「不当な攻撃」とみなされた。どんな理由であれ、人として理不尽な攻撃は一切受け入れることはできない、と久しぶりに宣言された。

以前は、千尋の谷に突き落とされたように絶望で身体が空洞になったように感じたものだ。
今も大して変わりない気分ではあるが、多分私はこの絶望や孤独から学ばない限りは、一歩も前に進めないのだ。

自分次第で拒絶されることもあるカウンセリングとは、そうそうないだろうと思う。
なぜなら、カウンセラーが拒絶したらクライアントの死ぬ可能性は高いからだ。
しかし、生温く私の正当性も不当性も曖昧に認めてくれるカウンセラーであれば、緩やかに効くモルヒネの役割は果たすだろうが、BPDという地獄の堂々巡りから脱却させる特効薬には永久に及ばない。


自分の手で崩した信頼関係を築きなおすには、不当な攻撃をした自分を認め、不当なものを不当と真直ぐ返してくださる先生に誠意をもって応えなければならない。
拒絶という薬を、私は自分に必要なものとして飲み干すようになった。
苦い苦い薬だ。死にたくなるくらい苦い。のんだと同時に目の前の曇りが晴れ、見たくない自分の醜悪さが見えてくる。
また、それを飲まねばならないのか。また、自分の弱さを見なければならないのか。先生が返してきた拒絶を前に、無様にも私はどうにか逃れようとしている。

しかし多分、また私は先生の信念に負けるだろう。
回復したいと願っているのは私であり、治療を目指す先生であり、今の私は不信と恐怖で安定を欠き続け、先生を拒絶しようと必死だが、やはり私の目標もまた、先生と同じくBPDの完治なのだ。



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境界性人格障害 | comment(7) |


2009/09/08 (Tue) 私の目と耳と口と手 ? 解離性障害・境界性人格障害・人間不信・カウンセリング ?

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土日に、関東から来てくれたブロ友と大阪で遊んだ。

無理し過ぎることもなく、行きたいところに行き、思いつくまま下らない話も大事な話も出来たし、おいしいものをたくさん食べたし、楽しくて大切な時間だった。

日曜日に中間地点の駅で別れて、ブロ友とは反対の地下鉄に乗り込んだ。その足で、カウンセリングルームに向かった。良い友達と会うと、エネルギーを貰える。今の先生にかえてから、私は話をしに行くのではなく、治療に行くようになった。回復を目指している、という確かな手ごたえと方向性を感じられるようになった。これまでの2人のカウンセラーとは、何年付き合っても得られなかった手ごたえだ。
回復を目指すことは、厳しいことだ。つくづく、そう思う。
単に自分の現段階を把握したり、不安定な心を宥めたり、感情を言葉に換えて記憶にタグをつける作業をしたり、そんなことよりももっと厳しい。けれど、必ず遣り甲斐がある。

友達から貰ったエネルギーを地下鉄の中で確かめ続け、駅を下りた。


電車の中で想像していた以上に、その日のカウンセリングは辛かった。行く前から私の心理状態を乱していたのは、とある雑誌だ。そのことについて先生と話していたら、何がどう引き金になったのか、光過敏と頭痛と眩暈と過呼吸とフラッシュバックとビジョンと幻覚と幻聴と、あらゆるものに一度に襲われた。
気がつくとカウンセリングルームの玄関で寝ていた。毛布が敷かれていて、かけられていて、何が何だか分からない。傍にカウンセラーの先生がいて、長時間の過呼吸で倒れたこと、Aが出てきてネックレスとヘアピンを取ってカバンに入れていたことなんかを聞いた。朦朧として、光が眩しくて、身体に力が入らず、何が現実で、何が記憶で、自分が誰で、誰が私なのか分からなかった。離人感が酷くて、手が見慣れない他人の手のように思えて気持ち悪かった。知らない間に靴を履いていた。

携帯を見てみたら、到着した時間から4時間が経過していた。夜の11時。逆算すると最寄り駅までの地下鉄の終電に間に合わなくなる時間だ。


こうして書いていても、当日のことがあまり詳細に思い出せない。
覚えているのは、逗子の男にレイプされて殺意を抱いたが殺せなかった時のこと、先生が「大丈夫」と言う声、私を安心させてどうするつもりだ信頼なんて嘘っぱちだという恐怖と怯えから来る攻撃性、友達と同居していた時、一人きりで手首を切ったり、包丁を腹に突き立てた時、これ以上切るまいと必死で氷を握り締めていた光景、無言だった空、遠くの他人の声にすらパニックを起こし、わけの分からない苦しみで絶叫しのたうち回っている光景、冷蔵庫の稼動音だけが響く薄暗いキッチン。
過去なのか、幻覚なのか区別のつかない映像や声。

恐怖から湧き上がって来る憎しみと怒りと怯えで、どうかなりそうだった。
息が出来なくて死ぬかもしれない恐怖は、どうでも良くなった。
人を信じて傷つけられる恐怖に比べれば、どうでも良くなった。
人を信じる心が私に在って、人に助けを求めなければ苦しい時もあること、自分ひとりではどうにもならない事も在ること、それら全部を認めたくなくて、しかし認めなければならず、恐怖で死にたいと思った。

4時間という時間で、私の内的世界で起こった出来事はあまりにも多い。多過ぎて、書き出せないし、思い出せない。


先生が、熱いコーヒーを淹れてくださった。
気つけがわりに飲んだ。自宅まで帰るという最後の頑張りがある。意識をしっかり持っていなければならない。

先生に謝罪と礼を伝えて、カウンセリングルームを後にした。
また、引ったくりに遭ったときのことを思い出し、恐怖でくらくらする。解離の時によく起こる、自分の足がうまく動かない症状に見舞われていた。身体が歩き方を忘れている。
数十秒差で電車が行ってしまったが、追いかける気力もなくて、人気のない地下鉄の椅子にぼんやり座っていた。意識が朦朧として、何もかもがどうでも良くなる。家に帰らなきゃとか、しっかりしなきゃとか、何もかもどうでも良くなって来るのを、残り滓のような気力でぼんやり押しとどめていた。

後は、どう帰ったのか分からない。
帰って来て、先生にメールを書いて送っている。送信ボックスに残っている。確かに私が書いて送ったらしい。記憶が殆どない。


その後、かなり不安定な精神状態が続き、発作の時に何があったのか、体中が痛くてたまらない。苦痛の中、昏々と眠り続けた。山ほどの悪夢を見た。夢も、今の私を助けてくれない。どこにも逃げ場がない。
久しぶりに、死んでしまった方が楽だと考えた。


昏々と眠り続けた。他に何をやる気もなく、過眠症が悪化して、唐突に猛烈な眠気に襲われ、気絶するように眠り込む。合間に数十分起きていられるのだが、また眠りに引きずり込まれる。

数時間前に、ようやく夢で私は安心することを体験した。
人を信じること、人を好きだと感じること、私は誰を殺さなくても私でいられること、自分を傷つけなくても自分でいられること、そんなことを実感できる夢を見た。


カウンセラーの先生を信頼している。
しかし、何かあると私の過去や記憶や、習性として刷り込まれた不信が襲ってきて、今の私は完全にはその不信に勝てないようだ。
それでも、過去の人間が私を傷つけたからといって、今現在繋がっている人たちが私を傷つけるとは限らない。恐怖を理屈で押さえ込むことは出来ないが、私が信頼する先生も友達も、私を傷つけてはいない。
傷つけられていない現在の事実よりも、過去に喚起される恐怖心の方が何倍も強い。恐怖心にかられると、私を傷つけない人にまで先回りして遠ざけようとしたり、拒絶したり、防衛しようとして攻撃性が高まる。どんな理由があっても、私は私を傷つけない人を恐れてはならない。

「怯えるな」と自分を叱咤し、「怖い」という自分の声を聞く。
どちらからも目を逸らしたり、耳を塞いだりしない。
私が目を逸らせば、私の手は傷つけてはならない自分や大切な人に切りつける。
私が耳を塞げば、私の口は聞く価値のない下らない自虐と不信を垂れ流す。

分かっているから、目を開き、耳を澄ます。
そうしながら、逃げ出したくもある。
苦しい。


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治療日記 | comment(4) |


2009/09/04 (Fri) 近くて最も遠い町

明日、仲良しのブロ友が遊びに来る。
関東住まいなので、前回は私が東京に行ったとき以来だ。なかなか会えないのだが、結構電話やメールで話してきたので、あまり久しぶりという感じはしない。

友達はそうでもないらしく、「色々あったからなぁ・・」としみじみ電話口で言った。
確かに私も彼も、去年の夏から色んなことがあった。色んなことを越えられた気がする。

せっかくなので大阪のうちに来る予定でいたのだが、私が全く部屋を片付けられない状態に陥ってしまった。それでも何とか片付けようと毎日手帳に「部屋の片付け」と記してきたが、まるで実行できないので数日前に「うち、無理」と、あっさり諦めた。
せっかく遊ぼうというのに、この調子では恐らく部屋の片付けで全てのエネルギーを消耗して、肝心な時にぶっ倒れるのがオチだなぁと薄っすら思ったのだ。


そんなわけで、予定を建て直し、大阪プランを相談して練った。
「どっか大阪で行きたいとこない?」
と訊いて、お互いに考えようと言って1ヶ月は経っただろうか。
つい昨日、友達が「ちょっと気になってるとこがあるんだよねー」と言うので、じゃあそこに行こうぜ、どこ?と訊いてみたら、「飛田新地」と返ってきたので、驚いた。

飛田新地とは、大阪で松島遊郭に並ぶ有名な旧遊郭町。現在も昔の名残を色濃く残す町だ。店先は飾り窓になっていて、店の中に一人、おねえさんが座っている。その隣にやり手ババアのような女性がいて、手招きして客寄せする商いを、今も変わらず続けている。

大阪人でも滅多に近づかない危険地域、いわゆる「ディープサウス大阪」にある。行ってみたくても絶対に行けない場所である。ネットで調べてみても、情報は僅かだ。危険過ぎて、写真撮影も困難な町なのだ。グーグルマップですら、飛田新地のコア地域には立ち入っていないことを今日知った。

しかし、どうしても行ってみたい場所でもある。
実は、私は長年、吉原などの遊郭文化をずっと追いかけている、遊郭マニアである。大阪の飛田新地は前から知っていた。


しかし、ディープサウス大阪は、とにかく危ないのであった。写真撮影などもってのほか。あいりん地区と呼ばれる町の中心にある警察署は、暴動対策のため鉄格子で護られている。市民を護る警察署が、要塞のような完全防衛の構え。ちょっと他にはない町だ。
飛田新地情報も勿論だが、このあいりん地区に住むホームレスの方々の生活なども調べる限り調べたこともあった。調べれば調べるほど、素人が物見遊山で出かけられる町じゃないなぁと実感した。
普通に暴動とか起こってるし、普通にアパートから栽培してる大麻が見つかるし、普通にタバコが一本売りだし、怖い人達がうろついているし、合法違法ドラッグ何でも買えると聞くし、ダンボールハウスも、新聞スーツも珍しくはない。
同時に、人間臭さも究極に漂う場所であり、人間好きな私は行ってみたい。でも、危険極まりない。
ディープサウス大阪は、私にとって、物理的には近いが、ある意味日本で最も遠い町なのだ。


というようなことを、友達に話して聞かせた。
「飛田新地は、レトロで赴きある一見の価値ありの町らしい」としか知らなかった友達は、絶句していた。
行きたいが、ある意味命懸け。
「う?ん・・・どうする・・・?」と、2人して悩んでしまった。
私は、最近引ったくりにも遭っている。サウス大阪で遭ったわけではないが、更にディープな大阪へ出向いて行くと思うと、完全武装してもまだ安心できない。引ったくり被害以来、軽くPTSDになってしまい、夜にカウンセリングルームから帰るときは、常に360度見回さなければ歩けない挙動不審な女になっている。
そんな私に飛田新地は無理そうなので、レトロ好きな友達にうってつけの町を提案しておいた。どちらかには出かける予定だ。


他には、カラオケ行ったり、たこ焼き食べたり、お好み焼き食べたり、ネカフェに行ったり、白いたい焼きを食べたり、大阪の夜景を見に行ったりする予定。

私の足の状態が今ひとつ完全でないこと、私の体調は先が読めず、友達は鬱病ということがあって、しんどくなったらしんどいと互いに自己申告する。しんどいのにしんどくないふりをしなければならない苦痛を、私も友達も何度も経験して思い知っている。健康な人には分かりにくいしんどさが、説明なしに通じるので楽だ。
そんな友達というのは、こんなブログを続けて来なければ得られなかった得難い宝物だなと思う。わざわざ関東から来てくれるのに、友達が「最悪、体調が悪くて会えないっていうのも全然ありだから、遠慮しなくていいから」と言ってくれたのには驚いた。

明日を楽しみに、今日は早めに寝ることにしよう。



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大阪駄文 | comment(3) |


2009/09/04 (Fri) もっくよ?もっく♪ もくもくもっく♪ ? 小桜インコ ?



タイトルは、ダイエーに行ったらエンドレスリピートされていて、軽く洗脳されてしまい、かれこれ半月頭から離れてくれない「木曜の市」のテーマです。
木曜でもないのに気がつけば口ずさんでしまい、言うなれば真夏なのにクリスマスソングが頭から離れないみたいなきもちわるいことになってるわけです。
噂によると歌は3番まであるらしいですけど、サビしか頭に入ってこねぇ・・・!
音源を探してみたけど、ダイエーさんのHPでも見当たらなかったので、ご存知の方いらっしゃれば教えてください。


画像は、実家に新しい家族としてやってきた小桜インコ(生後1ヶ月)。
いろはといいます。二日くらい家族で協議した結果、飼い主である父が、私が提案した”いろは”を採用してくれました。
これまで文鳥に対しては、愛情もありますが責任も重く、文鳥ズの体調管理に神経注いできたのですが、人の小鳥と思うと気が楽です。孫が出来た祖父母が、両親の躾とか無視して、ついおやつとか玩具とかほしがるまま与えたりするじゃないですか。あの心境が、実によく分かる。

当の父は、情操教育というものを全く受けたことがないんじゃ・・・・という位、生物を育てたりすることに自信がないそうで、当日から悩ましい顔をしていたのですが、「幸せにしてやらなあかん」と言って、実際かいがいしく世話をして、遊んでやったりしているので、いろはと父の絆は日々深まりつつあります。

最近の私の日課は、毎朝電話をかけて、いろはと話をすることです。
話なんて成り立たないだろとお思いの方。私も、電話で文鳥と会話なんて出来た試しがないですが、インコは出来ます。インコの知能すげぇ。

この写真はブレてますが、一眼レフでも撮ってきたし、今後いろはに会いに定期的に実家に帰ろうと思っています。
なので、私の小鳥じゃないですが、いろはの話も書く機会が増えるかと思います。
ショップ一の甘えん坊だったらしく、値札に「甘えん坊将軍です」と書いてありましたが、聞きしに違わぬ甘えん坊っぷり。
甘えん坊将軍いろは、どうぞよろしくお見知りおきを。


では、今から足のリハビリと役所とスイカ買いに行ってきます!


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2009/09/02 (Wed) 砂地フィルター ? 境界性人格障害 ?

20090902_2.jpg


感情に隙間が出来る時期があって、
そんな時は何故かいつも、
どうでも良い相手を探す。

その傍らで、
ふいに携帯電話が鳴って、
楽しみに待っていた人からのメールが届く。

どうでも良い相手よりも何十倍も大事だし、
どうせ話すならメールの送り主の彼と話す方が絶対楽しいはずなのに、
私は何故か返信できずに、
何となく、
どうでも良い相手と、
どうでも良い話で、
割合楽しい話をして、
あはははと笑っている。


あはははと笑いながら、
メールをまたちらりと読み返し、
ああやっぱり好きな友達だなと思うのに、
メールを送ってくれた彼は、
本当に私と会いたくてメールしたんだろうか、
義理で仕方なくメールしてくれたんじゃないんだろうか、
などと胸の端に厭な靄がかかる。


疑いを持つ理由などどこにもないのに、
昨日まで、
ついさっきまで、
このメールが来るまで、
考えたこともなかったのに、
何故私は急にこんなにも不安になるのか。


何故なのか考えようとするが、
どうでも良い相手との話にそれなりに熱中してしまい、
メールの相手のことは考えたくなくなってしまった。

どうでも良い相手よりは考えたい事なのに、
何故考えたくないのか。
私は急に、
どうしてしまったのか。
少なくとも、
好きな友達を選択できない今の私は、
自分を嫌いでもないが、
決して好きでもない。


時々こんなことが起こる。
私は、
自分に急に自信がなくなって、
それは誰かから挫かれるわけでもなく、
目に見えて何があったというわけでもなく、
ある瞬間に突然、
自分の足元が底なしの砂地に変わってしまうのだ。


どうでも良い相手と、
じゃあねと電話を切って、
メールを再び読み返そうかと考えると、
またあの厭な靄がやって来て、
一人きりのからっぽの部屋で、
クーラーの静かな音にじわじわと冷やされていると、
さっきよりも靄がどす黒く胸を染めて、
何だこれは、
何をやっているんだ私は、
と嫌悪と焦りで胸を掻き毟る。


専門家は、
こんな気持ちすら病名という枠で囲うことができるが、
この煙のようなどす黒く曖昧な靄は、
枠には少しばかり引っかかるのみで、
あっという間に拡がり私を汚染する。

専門家は、
化学反応を原子レベルから説明する化学者のように、
今の私の状態を得意げに解説するのだろうが、
私の何故には、
答えていることにはならない。


どうでも良い相手の方が、
心に馴染みやすい時、
浪費されゆく時間が、
インクの染みのように頭上の空を曇らせ、
暗澹たるフィルターの下、
私はしばらく大事なものを見失う。


それはきっと哀しいことだが、
何故か涙は出てこない。

それを時々、
繰り返して、
時々、
茫然と生きる。




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境界性人格障害 | comment(4) |


2009/09/01 (Tue) 向日葵

20090902.jpg


ブログが更新できませんでした。
ご心配おかけしました。
全然元気なので、申し訳ないです。

19日から月末まで、実家で過ごしていました。
東京の弟MTも帰って来るということで、遅めの盆休みでした。
実家では、そりゃもう色んなことがありました。良いこともあり、悪いこともあり、楽しいこともあり、良いものを食って体重が増えまして、あちこち出かけたり、口論したり、ODしたり、庭の剪定したり、壊れた家の壁のスイッチやら風呂場やら修理し、最終日には父が小桜インコを衝動買いしまして、小鳥を飼うにあたっての心得を説いたりして参りました。


総じて、実りある帰省でした。
我が家の場合、仲良くできているなら病んでいる証拠です。
仲良くできるところは仲良くし、根本的なところは徹底的に相容れない。それが私の心中で自然に起ったので、実りがありました。
滞在中のODについては、あらゆる神経症、人格障害の回復へのサンプルとして、非常に重要なターニングポイントとなったので、後日詳しく書いてみたいと思います。


引きこもりの弟は、久しぶりに会うと髪伸び放題、髭も伸びて、15年日に当たっていないので青白く、MTがすぐに「妖怪チェ・ゲバラ」と名付けました。妖怪っぽかったのは前からで、前は一年以上身体を洗ってなかったので家中がドヤ街みたいな臭気で充ちていたので、今回はましでした。しかし、彼が人外のものとなっているのは間違いありません。
引きこもりも人間不信も強迫性障害も、一般的に認識されているよりも遥かに厄介な問題です。
実家の弟を見る度に強烈に感じますし、だから私にとって生涯何らかの形で関わり、助力せずにはいられない問題です。



あまりにブログが停滞していた最大の理由は、私の生きる指標のようなものが、驚くほどのスピードで変化し、進化しているからでした。内的変化に伴って、当然のように周囲が動き、私の感情も動き、同時に今するべきことが次々にやって来て、言葉にするのはもう少し先でないとならない気がしていました。

ようやく、再開して一度目の記事をこうして書いています。
下書きは山のようにあります。どれも、変化していく自分をどうにか書きとめようとしたものですが、全て今後はしっかりと言葉にして綴ることが出来ます。
嘆きでもなく、地に足のつかない希望でもなく、しっかりと苦悩し、行動し、頭を打たれ続け、現在の確かなカウンセラーの先生の力を借りて、掴むことが出来た新しい回復への道です。
地から離れるのではなく、裸足の指で大地を掴み立ち、その私が感じたものを具体的な言葉と行動で一人でも多くの方に届けることができればと、今強く願っています。



久しぶりの記事で、長々と小難しいことを書きました。
少しくだらないながらも、私の近況を。

実家で、いつもの庭木の剪定に熱中し、趣味のひとつの草抜きも満足するまでやって来ました。
誕生日を迎えました。今年は、とある理由で物凄く思いいれの強い誕生日で、その日まで逆算して着々と行動していた位重要でした。
ブログ友達が覚えていてくれて、メールが届いたので吃驚しました。まだお返事を書いてない最悪な筆不精で申し訳ないです。

1年半壊れていた実家の壁スイッチをMTと修理し、半年以上壊れていた風呂場の水道を修理しました。引ったくりに遭って以来持っていなかった携帯電話を新しく購入しました。本体価格を友達に話したら、「みとり・・・おかしくなってるよね・・・?」と心配されましたが、良い物が欲しかったのでおかしくはなってないですが、財布は本当シャレにならない危なさです。食費から削ろうと思うので、今はアルパカ君の「焼肉食べ放題奢ってやるから、吐くまで食って元気出せ!」という約束が、激しく私の心の支えです。

何度か実家で料理しましたが、漏れなくダウンしました。実家のキッチンは相変わらず鬼門です。激しくビジョンを見るようになり、精神的につかれているところへ、Aが頭の中で四六時中喋りかけて来るようになり、頭の中が煩くて、若干、自分が心配になりました。
買った携帯電話は大満足でしたが、抱き合わせで買ったフォトビジョンという画像フォトフレームが初期不良で、なのにショップから「修理に出します」と言われ、機嫌が悪くなりました。そりゃおかしいやろということで、得意のやんわり抗議で交換してもらいました。その後に、移動していたら重過ぎてカウンセリング行きのエレベーターの中でドーンと落としまして、気分が暗くなりましたが無事でした。
そんなこんなで、投票できませんでした。物凄く悔やまれたのですが、結果を見ると私の一票は結果的にどう左右するものでもなかったと知り、本当色んな意味で脱力しました。


実家での疲れからすぐには立ち上がれず、またもダンスレッスンを欠席してしまいました。帰省していた分、治療中の歯の詰め物が日に日に削れて、すっかりなくなってしまったので、明日からまた治療再開です。

そして何より、明後日にはブログがなきゃ知り合わなかった友達が大阪に遊びに来てくれます。約1年ぶりの再会。電話や何やで連絡を取り続け、鬱病の彼の生死を彷徨う苦しみも葛藤も、そこから這い上がり、生活を立て直そうとしている姿も知っています。
彼も私の病状を知っているので、お互い一切遠慮や無理はなしで行こうと最初から言っていました。

私が直接彼に何かできるわけでもなく、彼もまたそうですが、自分に真直ぐ生きようとしている人の姿は、存在だけで励みになります。
願わくば、ギター持って来いよ、大阪の路上でライブでもしようぜと言いたいところですが、なんとなく言い出しそびれたので、普通に大阪で遊ぶことになりそうです。


今年は、あと3ヶ月を残すのみになりました。
今日大阪は、少し肌寒い朝でした。
読んでくださっている方は、どの地にいらっしゃって、どんな人生を送ってらっしゃるのか。最近、よく考えます。
苦しくても、諦めかけても、自分に嘘がつけず、真直ぐに生きようと苦悩されてらっしゃる方へ、しっかり確実に届きますように。
たくさんの記事を書き溜めている日々です。




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美鳥(みとり)

Author:美鳥(みとり)
被虐待サバイバー。解離性同一性障害、うつ病、対人恐怖症ほか色々闘病中。境界性パーソナリティ障害寛解しました。毎日の光と影を綴ります。生育歴・来歴・病歴・活動はこちらをご覧下さい⇒<はじめに Profile>

講演活動・ユーストリーム放送しています。
講演のご依頼ご相談は、当ブログメールフォームからお願い致します。

診断名の有無に関わらず、生き辛さを抱える方々と温かい繋がりを目指しています。ご感想ご意見など、お気軽にどうぞ。お待ちしています。

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