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2009/08/18 (Tue) 真っ黒な血液 ? 解離性障害・境界性人格障害・夢 ?

◇記憶は決して死ぬことがない ? 解離性障害 ?で少し触れた、私の高校時代のフラッシュバック(幻覚)について、カウンセラーの先生とメールを交わした。
当時は無感情だった私が、幻覚の中では、怒るべき相手に怒ることができたことになる。大きな進歩だ、と先生は仰った。

しかし、私の怒りは、「白い服を着た天然パーマの少年」が教師に暴行するという形で表現されていて、私自身の怒りと一致しているわけではない。私の怒りは、少年が代行している。彼と私が一致することが、次に目指すべき段階らしい。

そのことについて先週のカウンセリングで話していたら、恐ろしい心地になった。
「私が少年と同化したら、私は人を殺してしまいます」と話した。
以前から、私は理由のない無差別大量殺人欲求にかられることが頻繁だった。最近は、そんな衝動も消えたが、幻覚の中で少年が抱いていた暴力性、残虐性は、あの衝動と酷似しているように感じる。

自分に自信がなかった私は、怒りを怒りとして抱いてよいのかわからず、結果、内側で暴力的な少年と無感情な私に切り分けられたとも考えられる。
また、切り分けたからこそ、私は私でい続けることが出来、誰も殺さずに済んだのかもしれない。

理由のない無差別大量殺人欲求は、実は確固たる理由があるのだ。
しかし、長い年月の間に重なりに重なり、あまりにも多重で複合的過ぎて、自分でも衝動の根を見つけ出すのが難しい。
ほんの些細な出来事だったはずの高校時代の一幕。そのワンシーンにすら、私の怒りは少年の留まるところのない破壊欲求を借りなければ封印を解くことはできなかった。


時期を同じくして、またも過眠症が重くなり、一日中殆ど眠っている。異常に眠くて眠くて、何をしていても一旦眠気が襲って来ると抗えない。


今日、夢の中で、この世で最も殺したい男に久しぶりに会った。
男を前に、私の体の内側が急激に膨らみ始めるのを感じた。
生まれて初めての感覚だった。
それは膨張し続け、内臓を押し広げ、内側から皮膚を押し上げ、ついには私の皮膚の無数の毛穴からにじみ始め、一気に体中の皮膚から噴き出した。
真っ黒なコールタールのような液体だった。血しぶきのように、真っ黒な毒液を噴き出しながら、茫然と私は突っ立っていた。目の前が真っ黒な霧で霞んで、男がよく見えなかった。

真っ黒な体液は、私の憎しみだった。
憎しみが私の体の内側で暴れ、皮膚を押し上げ、噴き出し、あたりを真っ黒に汚した。

私は、こんなふうに生きている。では、私を真っ黒にしたあの男の体液は、何色でできているのだろうか。
かっさばいて確かめたくなる。殺したくなる。


夢では叶うかもしれないが、夢の私はそれをしない。
かわりに私が朽ち果てて、知らない男に髪をつかまれ、持ち上げられた。
鎖骨から下を失った私は、引っこ抜かれた雑草のようだった。男に運ばれる間、青紫の皮膚と、内蔵や骨が床に散らばっていく音を聴いた。目だけ意識が残っていたから、据わった目で男を見上げた。男に怒りを抱くことはなく、恭順した。
男は私を別の女の体と同化させ、私を犯した。私は狂乱の愉悦を感じ、別の女を後ろから犯した。何が何だかわからなくなった。


憎しみと怒りと破壊欲求と性欲と愛情が組み合わされた、一匹のキメラが私の中に棲んでいるらしい。
誰も憎まないように、誰も殺さないように、誰も悪者にしないように。キメラはどんな矛盾も混沌も餌にして喰い尽くす。だが、憎しみや怒りの中に、私のもっとも大切なものが隠されている。獣に食わせて、なかったことにしてしまってはならない。
喰われているのは私だ。私なのだ。



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治療日記 | comment(6) |


2009/08/14 (Fri) デッサン 梨  ? 油絵を描く日まで ?

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今年一番の躁状態だった頃、ダンスやバンドと同じく、半ば衝動的にネットで高級油絵セット(天然木箱入り)を買った。サイズ違いのキャンバスまで3枚も同時購入した。あの時は、ものすごいやる気であった。

ダンスとバンドは始めたが、油絵を始めることは出来なかった。
ダンスレッスン代に加えて油絵教室代までは捻出不可能だ。

興味を持った趣味は、大抵独学でやってきた。
というか私は人から物を習うのがあまり好きではなく、習っていても自分の好きにやれなければやる気を失う大人気ない人間なので、油絵も独学でやってやろうと試みたことは何度もあるが、実際の私は油絵セットのセット内容も理解できず、金属のヘラ状のものは何なのか、小瓶に入った怪しげな液体は何なのか、キャンバスをどうしたら良いのか、何一つ分からず見事にお手上げで、せっかくの高級油絵セット(天然木箱入り)は、一度蓋を開き蓋を閉じ、それきり今日までデスクの下で眠り続けてきたのだった。

初手からこんなに敗北感を味わう趣味というのも、これまで出会ったことがない。
油絵は、なんだか今までのようにはいかない敷居の高さを感じた。
移り気なので、そのうち油絵はどうでも良くなり、以前のように見ることだけ楽しんできた。


そんな折、ある展覧会に出かけ、ある画家の先生と知り合い、その先生I氏に、「きみは来年、油絵と写真を出展する」と、強引に決められてしまった。
「写真は出しますが、油絵は描いたことがないので無理です」と言ったにも関わらず、I氏は頑として譲らなかった。「描ける描ける」と言うばかりであった。私の絵を見たこともなければ、写真だって一度も見たことがないし、そもそも私と彼はその日初対面だったのだ。
強引という他、いいようがない。

私は、その日から原因不明の憂鬱さに囚われ、7月の一時期を過ごしていた。
絵なんてクソ喰らえだ。
というまでに、一時期心が荒んだ。何故なのかは分からなかった。とにかく、多少やる気があったのに、画家のI先生と会ってから一切のやる気が失せてしまったのだ。


理由が分からない鬱状態は、非常に疲れる。
というわけで、I先生との事をカウンセラーのM先生に相談した。何日かして、憂鬱の理由を掴んだ。更には、そこから脱する方法をM先生に教えて頂き、それを知った瞬間に私はやる気を取り戻した。鬱状態がリセットされ、絵を描いてみようという気にまでなった。

偶然目にした講座に申し込み、1日限りのデッサン教室に行ってきた。過眠が酷くて、デッサンなど嫌でたまらなかったのだが、遅刻しながらも行って来た。行ってみたら、あまりの面白さにはまってしまった。

冒頭の画像は、私が生まれて初めてのデッサンで梨(多分幸水梨だった)を描いたものだ。
歪んでるやん等という指摘は、間違っている。
モチーフにと渡された梨が、実際歪んでいたのだ。
(影の方向がおかしいやんという指摘は正しい)

真直ぐな線や、まともな円すら描けないのに、いきなり歪な梨を渡され、見ながらデッサンするように言われた。まん丸であれば良いものを、歪な果物は相当に難易度は高かった。

しかし、ああいう先生というのは凄いもので、たった60分の間にデッサンの基礎の基礎が分かったような気分にさせてくれる。一度もデッサンというものをやったことがないのに、教室のその場の空気やら勢いやらで、どうにか梨っぽいものが描けた。
帰りに合流した友達に見せると、「想像してたよりデッサンぽいな」という、褒め言葉なのか何なのか分からないが、まあ悪くない評価だった。
デッサンへの苦手意識はなくなった。お陰でほんのちょっと、油絵への苦手意識も弱まった。今日や明日は無理でも、来年の展覧会の時期には一枚くらい描けていそうな気がしてくるのであった。それは多分、私が調子乗りだからなのであった。


家に帰って改めて見てみると、梨ではなくピーマンに見えた。
何故ピーマンに見えてしまうのか考え、手直ししていると、ピーマンですらない、ただの黒丸に見えてきた。デッサン教室の先生は「まるで本物がそこにあるかのように描くべし」と言っていた。梨に見えなければ、梨を描いたことにはならないではないか。

以来、スケッチブックを常に机の上に広げて、通りがかった時に思いつくまま、ちょこちょこと描き込み始めた。教室でのアドバイスを思い出しては考え込み、消しては描き、消しては描き。
努力の甲斐あって、一応本日、私のデッサン一作目「梨(多分幸水梨)」が完成した。

ど素人なので恥もクソもない。
これがどの程度の完成度なのか私には判別しようがないのを良いことに、完成したことだし公開してみることにした。
そこそこやってきた写真だとか文章だとかダンスだとかなら、恥ずかしくて絶対にやれない暴挙だと確信する。知らないとは幸福なことだ。絵は、自己満足に楽しんで行こうと思う。何も分からず一から挑戦するというのも一興だ。

講師の先生が仰っていたが「デッサン力は筋力と同じ。鍛えたら鍛えた分だけ力がつく」そうだ。しばらく、色んなものをデッサンして、我流で好きなように練習してみようと思う。どんだけ変な絵でも、迷わず載せることにする。どうせドラえもんも満足に描けないマイナスからの出発なのだし、失うものは何もない。
恥はかき捨て。上達の過程(或いは進歩のなさ)を、読んで下さる方と楽しめたらそれでいいなと思う。

果たして来年の展覧会までに私は油絵を一枚でも描くことが出来るのか。
来年もブログを書き続けていることに違いはないので、読み続けて下さる方がいらっしゃれば、どうか生温い目で見守って頂ければ有難い。



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| comment(8) |


2009/08/13 (Thu) ホイップ ?過眠・夢分析・カウンセリング ?

昨日、病院に行ったら、
「カウンセリングがハード過ぎるのでは?」
と、言われた。
前々から、何度も指摘されていることだ。

ハード過ぎるのは分かっているので、「そうですね」と森田和義アワーのように答えるほかなかった。人生のハード度に対して、治療がソフトっていうのも釣りあい取れなくて埒が明かないだろうと最近思うので、別段気にしていない。進みすぎるのも問題だが、遅すぎるのも問題だ。「ゆっくり一緒に考えていきましょう」などというカウンセラーには、もう飽き飽きだ。ゆっくりやってると思っていたら全く進んでいなかったのが、二人目までのカウンセラーの治療。回復への必要過程として「ゆっくり」かと思いきや、カウンセラーの自己保身のための「ゆっくり」であった。治療を受ける者としては、たまったものじゃない。人生は慎重に生きねばならないが、時間だって待ってはくれないのだ。
たとえれば、使わない車の駐車料金を延々請求されているようなものだった。もっと早く気づくべきだったが、何事も経験しなければ分からない。カウンセリングは、治療の場でなければならないとあらためて思う。休息を挟んだとしても、次のプロセスへの係留でなければならない。巷に溢れているある種のカウンセラーは、治療者ではなく、ただの融通が利かないコンピューターシステムと大差ない。
というような、カウンセリング談義は、長くなるので今度にしよう。


前回のカウンセリングは、自覚以上に強烈だったらしく、予期しない症状が出てきた。あまりにも過眠症状が強くなり過ぎて、生活のあらゆる場面で支障を来すようになった。
先日は、大事な届け物を受け取らなくてはならないのに、インターホンが鳴っても玄関まで出ていくことが出来なかった。後で再配達してもらう手間を考えれば、出ておけばよいものを。眠りに全身を絡め取られて指一本動かせないのだ。

今も猛烈に眠い。既に30時間ほど、ほぼぶっ通しで眠ったにも関わらず、猛烈に眠い。
ちょっと休憩、とベッドに体が触れるともう駄目だ。
白いシーツが、ホイップされた生クリームのように滑らかで柔らかい。あっという間に布団にくるまれて眠りに落ちる。
その後は、色鮮やかでリアルでドラマチックな夢を延々見続ける。


前回のカウンセリングで体験した幻覚、私の内側の人格の表象が今だに尾を引いているのか、原因ははっきりとしないが、夢の世界への親和性が高まっている。

元々面白い夢の内容が、更に面白くなってきた。深層心理に変化があった顕れだろう。

私は、自分の夢の世界が好きだ。たとえとんでもない悪夢でも、やはり夢の世界に親しみを感じる。現実は表現が限られているが、夢の世界の表現には限りがない。
現実よりも夢の方が五感が研ぎ澄まされ、喜怒哀楽や心の機微が豊かになる。夢の世界の設定は現実離れしているが、五感がリアルなので違和感を全く感じず、現実離れしている分、面白みが増す。

そんな調子なので、現実と夢を混同してしまうことも多い。夢で体験した怪我が、覚醒した後も痛覚として二日間残り続けた。夢での体験が身体化されると、脳が完全に混乱する。それとも、脳が混乱する結果、知覚として残るのか。


いずれにせよ、四六時中眠くてたまらないのは、一見暢気に見えるのだが、当人はかなり辛い。やりたいことどころか、やらねばならないことも手につかない。ようやく始められたと思ったら眠っていて、次に目が覚めたらもう就寝時間になっている。普段は眠剤なしでは眠れないのに、こんな時は薬なしで翌日の昼まででも平然と眠り続ける。起きる頃には、のどがカラカラに乾き切って、体中が痛い。眠いということは、眠る以外のことに興味が向かなくなることでもある。
先日は、1日しかないデッサン教室に行きそびれるところだった。眠くて眠くて、どうしても起きられなかった。キャンセル料を支払い、材料費を無駄にし、デッサンを習う機会を引き換えにしてでも、5分の睡眠時間が欲しかったのだ。
どうにか遅刻してでも行くことができたが、遅刻が嫌いな自分としては、何となく鬱っぽくなった。


こんな強烈な過眠症状の狙いは、2つ考えられる。

一つは、現実逃避としての眠りだ。
その場合は、もう少しカウンセリングで核心に触れる度合いを狭める必要があるかもしれない。狭めようとか、広げようなどと考えて、フラッシュバックや幻覚が起るわけでもないので、コントロールが可能かは疑わしいところだが。一人暮らしの状態で、生活に支障を来すと治療そのものが破綻してしまうので気をつけなければならない。


もう一つは、自律的な眠りだ。
無意識で起った変化を整理し、咀嚼し、定着させるために眠っているのだとしたら、少々眠り過ぎるのも無駄ではない。夢の世界には、表現の制限がない。世界の隅々に自分が反映されている。

後者である可能性が高いと自分では考えている。
最近、カウンセリングで明らかになってきた自分自身の傾向を考えると、私は自分が思っているよりも直感的に生きている。同時に、論理的に生きている。相克しそうな直感と論理だが、夢の世界ではどちらも抑圧されることなく、ありのまま生きている。

私が私を理解するためには、覚醒している世界だけでなく、夢の世界は勿論のこと、先日の幻覚や、内側の人格の言動、どれも私の表象として活用すべきかもしれない。




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治療日記 | comment(6) |


2009/08/09 (Sun) 記憶は決して死ぬことがない ? 解離性障害 ?

次々に記憶が掘り起こされたり、揺らいでいたものが根を張ったり、現実に変化が起ったり、幻覚に襲われたり、内側の声に意識を阻害されたり、色々なことが毎日起きている。
これら全ては、回復途上で避けられないものと捉えている。
指先への自傷は止まらない。苛々していることに気づく。
内的な変化のスピードに比べて、現実に行動できるスピードが追いつけない。自分への歯がゆさが、自分の指を削るという行為に転換されている。
私は、今感じているままに動きたいのだ。思ったことを、すぐに実行したい。実行して試してみなければ、本当の答えを自分のものにできない。

土曜日にカウンセリングに行ったが、全く予期しない話の流れで、完全に眠っていた記憶が蘇った。殆ど空白になっている高校時代の1シーンだ。
当時の私は、職員室のその場面にあって完全に無感情だった。
しかし、思い出した瞬間に、抑え切れない怒りがこみ上げて来て、私はカウンセリングルームで激しい頭痛とパニックと幻覚に引きずり込まれた。

数十センチ目の前で私の内側にいる少年が教師に飛びかかった。教師のはらわたが引き裂かれ、鮮血が飛び散った。私は頭から血しぶきを浴びて、少年が更に教師に暴行を加え続けるのを見ていた。彼が怒鳴ったのか、私が怒鳴ったのか、実際の私の声だったのか、「私の人生を返せ!」と泣き叫んだ。
気がついたら、先生が立っていて、私は涙で顔中どろどろになっていて、自分の記憶なのか何なのかしばらく分からず、茫然としていた。


どこからが現実で、どこからが幻覚で、何が真実なのか、どれもあまりにリアル過ぎて区別がつかなくなる。最近、特に多い。

3人目の今のカウンセラーの先生に出会ってから、私はどんどん変わってきている。
人格障害の症状は、ほぼ出なくなった。心性が変わったと言ってもいいかもしれない。人の中にあって苦しくない状態というものを、もしかしたら生まれて初めて味わっているのが今の私かもしれない。

治療は、まだ続く。
ここからが本当の治療だ。
私は、過去の空白を掘り起こして行かねばならない。今、その作業をしている。
一体何が起こったのか。私は何をしたのか。どう感じたのか。本当はどうしたかったのか。目を背けたいことも、直視しなければならない。
といっても、何が掘り起こされるのか、まるで見当がつかずにいる。何が出てくるのか分からない地面を掘るのは恐ろしい。いっそ地中にあるものが、掘り起こした時には全て死んでいてくれたらいい。

けれど私の場合、全てが土の下で確実に生きながらえている。腐敗し、腐乱しても尚も当時のままに生々しく蠢いている。一つ掘り当てただけでパニックを起こした私は、次に土を掻くのが恐ろしくなっている。けれど、それらを土中に埋め続けていても、決して死んではくれないらしい。


性的被害に遭った記憶以外に、殆ど空白だった高校時代。空白だからこそ私は生きて来れたのかもしれないと思った。
しかし、記憶が消去されたわけではない。
だから、解離性障害という私の病がある。

記憶は死んでくれないのだ。
記憶は、絶対に死なないのだ。



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解離性同一性障害 | comment(4) |


2009/08/05 (Wed) チョコミントと林檎飴

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賛否両論あるようだが、チョコミントアイスが好きだ。
安くて美味いスーパーカップのチョコミントは、滅多にスーパーでも見ない。見かけた時には買い溜めておかないと次いつ入荷されるか分からないので、貧乏根性丸出しで毎日食べるはめになる。

アイスクリームフレーバーの豊富さでいえばハーゲンダッツが群を抜いている。しかしながら、そういえばハーゲンダッツにチョコミントは存在するのだろうか。新作が出れば出来うる限り食べてきたが、チョコミントを食べた記憶がない。イロモノ過ぎて、ハーゲンダッツも手を出さないのだろうか。あるなら是非食べてみたい。


今年の夏は、無事にスーパーカップのチョコミントを食べ、夏祭りで大好物の林檎飴も思うさま買い食いし、あまつさえ朝食にも林檎飴を食べたので、大方満足だ。今回知ったことだが、林檎飴を食べたことがないという人が多過ぎる。私にとっては、昔からの屋台の定番商品だと思っていたのだが、両親も食べたことがなかった。見た目が赤すぎてアレだから、皆避けるんだろうか。凄く美味いですよ。

後は、毎年恒例のスイカを数十玉食べることが出来れば万々歳だが、例の引ったくりで約10万円越えのビッグな損失が出ているので、諦めた。


10万だぜ!?
10万!

昨日思いつきで計算してみて分かったことなのだが、携帯だけでも7万円、現金2万円近く、家の鍵のつけかえ2万円近く、財布1万5千円、その他失ったもの多数、ざっと見積もっても軽く10万円を越えるのだ。
携帯のローンが後1年分残っているので、そこに加えて新しい携帯のローンを組む気にはなれず、今だに新しい携帯を買っていない。よって、待ち合わせ時には公衆電話を使っている。テレホンカードも引ったくられたので、10円玉を使用している。常に公衆電話を探しているが見当たらない。あの緑色の公衆電話が見つかると、心底ほっとする。

悔しいので、次は前より良い携帯を一括で買ってやろうと目論んでいるが、そうなると後何ヶ月携帯なしで生活することになるのか。今はさほど困っていないが、多分困っているのは連絡してくる友達の方だ。突然の私信で悪いけれど、ねぇさん連絡先すべてを再度教えてください。


重なるときは重なるもので、今や私の通信生活の大部分を支えているこのパソコンから、妙な音がし始めた。
ヴィーン・・・ヴィッ・・・ヴッ・・ガガッ・・ガッ・・・ヴィー・・ン・・・と、不穏極まりない音がする。ファンの音だろうとは思うが、最悪HDなら修理代で新しいパソコンが買えるだろう。
いよいよこのパソコンがお陀仏になる日も近いのか。今日か、明日か、今なのか。ハラハラする。
パソコンが壊れると、書くという作業が出来なくなる。パソコンでメール受信もできなくなる。
携帯を持たない今、パソコンを失えば、いよいよ私は情報社会からはじき出され、アナログという孤島に島流しだ。


日々不安を抱えていたら、東京の弟MTが「うち3台パソコン余ってるけどいる?」と言ってきた。持つべきものは、気前の良い弟である。
「メントスいる?」的なノリで、「パソコンいる?」だ。
2つ返事で有難く頂戴することにした。

彼は、プログラミングマニアで、パソコンマニアで、プログラムを書いたりソフトを作ったりすることを生き甲斐としている。私には全く分からない世界だが、ロマン溢れるLINUXに纏わる話などを聞いていると、なるほど虜になる気持ちも分かるような分からんような。

ともかく、現在彼の家に7台もパソコンがあるらしいので、余っている中で一番良いスペックのものを着払いで送ってもらうことにした。前々から、弟の趣味の良いTシャツも狙っている私は、「ついでに、余ってるオシャレTシャツを間に詰めて送ってよ」とさりげなくオーダーしたが、「それはないわーないやろー」とあっさり断られた。かわりに「余ってるパソコンで一番良いやつは、何か凄い良いわ。二番目か三番目のでいいよな?」と訊かれたので、「それはないやろーないわー」と断った。
よって、オシャレTシャツなし、一番良いスペックのパソコンを貰うことになった。


捨てる神あれば、拾う神あり。
持つべきものは、気前の良い弟である。
送料1300円を負担するだけで済んだ。
あとは、届いた時に壊れていないことを祈るばかりだ。


ところで、色々と今後のことを決定していく時期に入り、パソコンがやって来ることもあり、部屋の大々的大掃除を計画しているのだけど、一向に捗らない。
思考は安定しているのだが、意識に無意識が勝っているのか、昏々と眠り続けて起き上がることが出来ない。今日こなす予定だった用事6つ全て、実行できなかった。

かわりに見た夢が、美しくて面白くて毒々しくてドラマチックで、切なくて、爽快で、スケールがでかくて、リアルで、何時間でも夢の世界にいたかった。
最近、この手の夢を見ることがなかった。また見るようになったのは、何か意識できない部分で大きな変化があったからなのだろう。もう続きはないのかと思っていたが、実家から逃げ出す夢から始まり、10年程前からストーリーが継続している。今や、私の夢は地球規模、世界規模になっていて、ついには大気圏に近い高さまで飛ぶことが出来るようになった。無意識と夢と現実の変化について興味が尽きないところだが、分析を受けるまでは純粋に夢を楽しんでおこうと思う。


思いつくまま最近のことを書いてみた。
最後に、どうしても気になる商品を一つ。
PILOT開発の新作ペン フリクションボール

CMでこんな魔法のようなペンを知ったのは先月のことだが、毎朝毎晩、欲しくて欲しくてたまらない。私は、シャープペンシルや鉛筆が苦手で、何を書くにもボールペンでしか書かないのだが、修正跡の野暮ったさには常々不満を抱いていた。そんな私の救世主到来。これは、摩擦熱で消えるというのだから、まさに魔法のペンではないか!
買いに行きたいのだが、寝てばっかりだったり、部屋が散らかりすぎていたり、ペンを買いに行くより役所に行かなくちゃいけなかったりで、いまだ手に入れていない。女は「自分へのご褒美」がやたら多い生物といわれるが、1本210円のご褒美なら今出費しても罰は当たるまい。

別段、取り立ててまだ何も頑張ってはいないが・・・・。


今日見た夢の続きが脳内で上映されない限りは、明日は頑張る予定。




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日々日記 | comment(14) |


2009/08/04 (Tue) 治さなくても良いと思っていたかった ? 解離性同一性障害・自傷・幻聴 ?

重大な局面に差し掛かっているからか、調子が良いのか良くないのか分からない事が連続して起る。

久しぶりに行こうと思っていたダンスレッスンは、あっさり行かないことにした。優先してやらなければならないことがあったからだが、何だか分からないけど憂鬱という鬱状態のせいだったと思う。
そんな月曜日から、手指への自傷が始り、今日も止まらないので、指先がボロボロになっている。カッターナイフで鉛筆を研ぐように指の肉を薄く削ぐ。この軽い軽い自傷は、子供の頃から続いているようだ。実家に帰った時など、母親に指摘されることが多い。

今朝は、久しぶりに足裏への自傷を発見した。傷の数は無数だが、深いもので6箇所。両足だ。
起きて何気なく足を動かしたら、凝固した血液がバリバリと剥がれて、声をあげた。
足を切ったり削いだりした後に歩き回っているのか、毎回、部屋中が血痕だらけになる。そのまま眠ったらしく、ベッドにも血痕。掃除する気力がないので、いまだ放置している。

午前中に、まだ続く引ったくりの事後処理のため、各方面に出張った。私は、傷や怪我を治療するという観念が前から非常に薄い。殆ど持ち合わせていない。そのせいで過去、重病を放置して死にかけた位、自分の体に無頓着だ。
あまり気にせず、傷口も手当もせずにサンダルを直ばきして、あちこちまわっていたら、傷口がサンダルに張り付いてパクパク開いた。片足なら、まだ歩きようもあるが、両足裏なのですっかりくたびれてしまい、昼を食べに自宅に着くなりベッドに倒れこんだ。
そのまま、とんでもなくリアルで美しく不思議で痛みを伴う夢の世界に沈み込み、午後の予定は全てキャンセルせざるを得なくなった。


以前から続く足への自傷。最近、どんどん傷が深くなっていっている気がするが、私は大丈夫なのだろうか。
私自身の思考は落ち着いていて、バランスが取れている。しかし、私のものではない感情が流れ込んできて、鬱状態ではある。本当なのか夢なのか分からない記憶や感情も蘇って、その都度カウンセラーに、実際あったことなのか、夢なのか、確認したくなる。実際、昨日人格Aの夢が夢なのか現実なのか分からなくなり、数日前の自分の記憶さえ捏造されたものではないのかと不安になり、メールで確認を取った。しかし、まだ自分があてにならないという不安は残っている。

私自身は安定していても、記憶が飛んでいる間に何かやらかしてしまう危険性が高いなら、いっそ入院するべきなのでは、と頻繁に考えているのも事実だ。
安定しているのか、安定していないのか。判断が難しい。
境界性人格障害や人間不信、対人恐怖については、ほぼ寛解し、驚く程安定している。
しかし、解離性障害についてとなると全く自信が持てない。

以前のように明日死ぬか知れない状況ではないが、かといって何の障害もなく生活が出来るかというと、何をするでも不確定要素が絡んできて手が出せない状態であることに変わりは無い。

こんな曖昧な状態の中にあった私は最近、
「解離性障害は治さなくてもいいのではないか」
と考えるようになっていた。


生活を営んでいるのは私であり、時間や記憶が飛んでも何とか生活できる環境にある。私が出かける先といえば、病気に理解がある病院や友達のところ、もしくは殆ど単独行動と決まっている。誰に特別迷惑をかけるでもない。通院先の看護士と人格Aが仲が良いらしいが、そんなものだと思って自分とは無関係だと考えるようにすれば、さしたる支障はない。カウンセリングでも、交代はあるが前のように暴力的な人格の気配はない。内側に存在は常に感じるが、以前のようにすぐ近くにはいない。暴力的なKが、私たちの近くにいる時はどんな状況なのか、何となく解釈が出来るようになってきた。実際、一度は制御することが出来た。

障害を持ちながらも、うまく適応できる場所を探して生きていけば、解離性障害については、このままでやっていけるのではないかと思った。境界性人格障害や人間不信、対人恐怖などは、苦しくて苦しくてすぐにでも治してしまうか、死んでしまいたいくらい苦しかった。あの苦しみに比べると、解離性障害は、どこかフワフワしていて、曖昧で、ぼんやりしていて、現実と夢の境が曖昧で、苦しいのだが苦しいとは何だったっけ?と意識が端から薄れていく。


それでも、カウンセラーの先生の治療のお陰で、随分と自分の輪郭がはっきりしているから、「私もいつか消えてしまうのではないか」という恐怖が自然と和らいできた。
考えてみれば、自分の輪郭がはっきりしてきたからこそ、他の人格との統合が必要だなどと思わなくなったのだ。私は私であって、AでもSでもKでもないし、私とは違う次元に存在している青い部屋の3人の男達など、もっと無関係だ。背の高い葦が生えた家に住む女性は、存在しているようで存在していない、私にとっては雲の上にある架空の御殿の主に近い。
やはり、私は私だ。しっかり今を生きているのは私なのだ。


しかし、幻聴が頻繁になると、一気に体調も悪くなる。目の前のことを途端にこなせなくなる。
それまではっきりしていた私の輪郭が一気に崩れる。私は、自分が誰なのか分からない状態に陥り、離人感が強くなり、覚醒しているのが面倒になる。かといって、眠ることもできない。眠剤が効かなくなるのだ。日常的な眩暈や頭痛、吐き気、光に異常に過敏になるなども強くなる。

幻聴は、最近男性の声が多い。青い部屋にいる3人のスーツを着た男性達が何か話し合っているのだ。いつも声は聞こえるし、会話の1フレーズも明確に聞き取れるのに、何を話しているのか全く理解できない。理解できたことがない。彼らは、私やAやSとは全く別次元のどこかにいて、だから会話も別次元なのだ。とても難しいことを話し合っている。それしか分からない。

彼らの声は煩くてたまらない。会議は、いつも白熱している。
私の一つしかない脳を、無理矢理分割されて、私のパート以外全てフル稼働されているような疲労を感じる。パソコンでいうと、メモリが足らずにフリーズ寸前の状態とでもいおうか。

最近、そこに知らない男性の声が加わるようになった。3人とは、まるで違うタイプで、年齢も恐らく40?50代。3人よりも年配だ。彼は単独で発言するが、次の会議の曜日を指定したり、意見を纏めたりする役割をこなしているようだ。無機質な印象の3人と違い、人間らしい感情を持つ人物に感じる。


そして、一番の不都合は、やはり記憶が飛ぶこと、自分が曖昧になること、意識が朦朧とすること。
気がつくと知らない場所に立っていることは、最たる災難だ。帰り道が分からない。
先日、引ったくりに遭ったのは、カウンセリングに行った夜のことだった。
人格Aがカウンセラーと別れた後、私は知らない公園の前で引ったくりに遭った。
警察で、一体どこからどこへ行こうとしていたのかと訊かれたが、私はぼんやりしていて「わかりません」としか答えられなかった。警官たちが、尚も訊いてくるので「私は記憶に障害がある病気を持っています」と説明した。途端に、彼らがしんとなったのを妙に覚えている。

引ったくりに対して怒りが湧かないのは、一体自分が誰で、どうなっていて、何があったのか分からないからなのかもしれないと、後になって思った。
被害にあって1,2時間後にカウンセラーの先生にお金を借りるために会ったが、「美鳥さんは、何だかぽかーんしていましたね」と先生が後日言った。


私の記憶にはない今回の足の自傷が、人格のバランスと関係があるのか分からないが、人格Aの感情や記憶が夢やフラッシュバックになって私に流れ込み続けている。こんな時に見る夢は、全て身体感覚を伴う夢と限っている。
人格Aが、左手首をガリガリと削るように、大きな裁ちばさみで幾つも切りつけた。手首の肉が抉れ、血管が破れ、大量に出血し、リストカット特有の蛇が這い上がってくるようなズキズキと疼くような痛みが襲った。
目が覚めても、私の手首は痛み続けて、憂鬱になった。確認したが、手首に傷はない。なのに、今もまだ痛み続けている。私の身体感覚と、Aの身体感覚が重なって、シンクロしているようで気持ちが悪い。
憂鬱になる。
私は、Aに共感して良いのか、無視して自分を保てばよいのか、それとも自分を正せば良いのか、Aを詰れば良いのか。分からずにいる。


引ったくりに遭ったことで、「解離性障害は治さなくても良いのでは」という私の考えは、甘かったことに気づかされた。
私が私であろうとも、意識や記憶がとんでしまえば、自分を護ることが出来ない。
散々分かってきたはずなのに、無意識に辛い治療を避けたかったのだろう。

解離性障害の治療に、いよいよ覚悟をもって臨まなくてはならない時期が訪れようとしている。



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解離性同一性障害 | comment(2) |


2009/08/03 (Mon) Q.E.D.

20090803.jpg
雨上がりの庭で。ブルーベリーの実。


一文鳥として、これほどの方々にお悔やみいただくのは光栄でならない。

このブログを始めた頃には、三羽の文鳥が私と共に暮らしていたが、最後の一羽ももが永眠して、私は一人になった。
最初は、ももの妻きりが、今年の3月に娘のむくが、そして先月7月にももが旅立った。それぞれに、このブログでご報告させて頂いたので、その度に私の大切な文鳥たちへ温かい心こもった言葉を、色んな方たちから手向けて頂いた。今はもういない彼らのかわりに、私から深く深く感謝している。


むくがなくなって以来、ももは一羽になってしまい、以後歌わなくなった。私が彼の10年変わらぬ歌を聴いたのは、4月までだった。
私が知る限り、文鳥は本能が優れていて、仲間の死体を見ずとも死を察知する。察知して数時間で、まるで忘れてしまったかのように切り替わる。切り替える際には、どのように生きていくのか話し合う。
きりが死んだ翌日、ももとむくは盛んに鳴き交わし、以後、それまでの不仲から一転して、夫婦のように身を寄せ合って愛情を示しあうようになった。飛べなくなって足もおぼつかないももが転ぶと、むくが私より先に察知して、飛んでいっては蹴り起こしてやっていた。それでもどうにもならないと、私に助けを呼びに来たものだった。

歌わなくなったももを見るのは、辛いものがあった。
このブログでも、むくの死後、私とももの2人暮らしをどう書こうかと迷い続けた。

文鳥の時間は、人間の10倍速く過ぎる。

雛の頃は、私がももの母親だったが、あっという間に、彼は私を追い越してしまった。

ももは妻を娶り、三羽を立派に育てあげ、センスの良い巣作りをし、オリジナルソングを完成させ、その人生の中で3度、歌に少し手を加えた。何度かの闘病も経験し、指を切断する手術も乗り越えた。
飛べなくなること、見えなくなること、老いていくことの恐怖や不安も味わった。自らの老いに初めて自覚した時のももの様子は、明らかに動揺し、全ての自信を喪失した。
妻きりを亡くした時、彼は娘のむくと数時間話し合い、共に支え合って生きていくことを決めた。本能とはいえ、文鳥も耐え難い孤独を感じるのだと確信する出来事だった。
そのむくを失い、ももは歌わなくなった。

私は、ももの歌を聴きたかった。彼の歌が大好きだったから。
どれだけ辛いことがあっても、もものイントロからクライマックスまで完璧に作りこまれたメロディアスな歌を聴くと、いつも思わず笑った。私が暗記して、時々ももに合わせて歌うと、ももは迷惑そうな顔をしたものだった。

何度かももに「歌ってよ」と話しかけたが、むくが死んでからは、ももは私に用件を頼むときも小声しか出さなくなっていた。しんどいというよりも、その気がなくなったようだった。歌を忘れてしまったようにすら見えた。

私は、どうしても人間で、ももは、どうしても文鳥だった。
私と文鳥たちの絆と、ももと他の文鳥たちの絆は、その質も深さも違っていた。

きりとむくを失った孤独を、私とももはそれぞれに抱え、一つ屋根の下に暮らしていた。それが、ももが死ぬ日まで4ヶ月間続いた。

時々私に甘えることがあり、私も、ももを掌に抱いて、その重みや柔らかさや温かさに頬を寄せた。ももが寂しがり、私の体調が悪い時は、掌に抱いたままベッドで眠った日もある。
どんなに寂しくても、安らかでも、ももは歌わなかった。
私も歌ってとは言わなくなった。
彼は、ただ毎日眠り続け、ただ一羽になっても空腹になれば餌を食べ、きちんと水を飲み、不自由な体で羽を繕い、ももは淡々と生き続けた。


ももは、きりやむくの死を理解し、受け入れていた。むくの死後、生前のように彼女らに呼びかけることは一切なかった。
ただ淡々と、与えられた残りの生を生きることに専念していた。
淡々と、私も見守り続けた。
10年半歌い続けてきたももの無言は、彼に仙人か哲学者のような威厳を与えた。
雛の頃、私は、ももの母親だった。
いつしか、ももは私の人生の師の一羽となった。


彼の死が、天晴れであったことは以前の記事に書いた。
彼の生の何が天晴れであったのか。私は、ももの最後の4ヶ月間を思わずにはいられない。
苦しくても、孤独でも、命を全うした姿に私自身のこれまでの葛藤を重ねずにはいられない。


何故こんなに苦しいのに生きなければならないのか。
何故、どうしようもなく孤独で誰もいないのに、生きなければならないのか。
こんなになっても、まだ生きなければならないのか。

なぜ?
なぜ?

生きたままに自分に問うことを、私はこれまで何千回、何万回繰り返してきただろう。
なぜ?に答えられないまま、生きる意味とは何だ?に気移りし、そのうち、私は存在する価値があるのか?とも自問し続けてきた。
どれにも、不思議と答えが出なかった。
人生の殆どの時間を費やし考えてきたにも関わらず、答えへの手がかりの予感に掠ることもなかった。
闇の中で空を掻く両手が、私の気力を削り続けてきた。

何故生きなければならないのか?という問いは、つい最近まで私にとって必要な疑問だった。
自問することで、悪足掻きを続け、どう生きるのか考えずに済ませられた。それはそれで苦しかったが、どんな条件下であれ今自分が否応なしに生きているという事実を受け入れるよりは、遥かに楽だったのだ。

そんな手探りの10年あまり、思えば常にももが傍にいてくれた。


今年の春、私は、楽であることを捨てた。
自分らしくあるためならば、どんな苦労も孤独も痛みも全部引き受けることにした。
「引き受ける」と言葉にすれば簡単だが、致死量の毒で満たされた杯を毒と知りながら呷る勇気と覚悟を要した。死線をさまよった後にしか、私の病気には確かな光を見ることはできなかった。


最近、ある展覧会で目にして以来、深く心に刻んだ言葉がある。
壺井栄の言葉である。


生まれたのだから 生きねばならない


この言葉に出会ったとき、雷に打たれたような衝撃を受けた。わが意を得たりの言葉だった。


何故?も、意味も、価値もない。
生まれたのだから、生きねばならない。厳然たる事実に過ぎないが、誰もが口にできる言葉ではない。私が、何としても拒絶したかった事実だ。しかし、何をやっても逃れられなかった事実だ。そして、この事実が私の全てを苦しめてきたと言っても過言ではなかった。



大往生であろうが、自殺であろうが、病死であろうが、何であろうが、生まれた瞬間から、命は生きることを強いられる。
ももは、生まれたから死ぬまで生きた。
私も、生まれたから死ぬまで生きねばならない。
命を貫く、シンプルな命題だ。
恐ろしく残酷にして神々しい命題への答えは、それぞれの死をもって証明される。
私は、その日に向かって生きている。
何故?という自問は、もう必要ない。
相変わらず、幻聴と頭痛と悪夢、ともすれば逃げたい現実ばかりが行く手を阻む。人格Aに大きな変化があったのか、私へと流れ込んできた彼女の意識が精神を掻き乱している。
それでも、最後の治療と、目の前の時間と、大切な方々との繋がりを結んでいくだけだ。
私のこの決意が昇華しようとするとき、毅然と生き抜いたももが私の傍から旅立った意味を、ずっと考え続けている。



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美鳥(みとり)

Author:美鳥(みとり)
被虐待サバイバー。解離性同一性障害、うつ病、対人恐怖症ほか色々闘病中。境界性パーソナリティ障害寛解しました。毎日の光と影を綴ります。生育歴・来歴・病歴・活動はこちらをご覧下さい⇒<はじめに Profile>

講演活動・ユーストリーム放送しています。
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診断名の有無に関わらず、生き辛さを抱える方々と温かい繋がりを目指しています。ご感想ご意見など、お気軽にどうぞ。お待ちしています。

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