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2009/06/29 (Mon) 人魚と靴  ? 自傷・解離性障害 ?

気がつくと、次々と靴を購入していた。
毎日、宅急便で靴が届く。
一体いつどこへ履いて行くというのか。最早、目的など何もない。
なぜ靴を買うのか。そこに、可愛い靴があるから。


元々、靴が好きだ。
人を前にカメラを構えると、まず私は無意識にその人の足を撮る。靴を撮る。
同じく、どこか売り場へ行くと靴を見る。服は、何を着ていいのか今だ方向が定まらない。しかし、靴は何が可愛くて何が可愛くないのか、何故か基準がはっきりしていて楽に選ぶことが出来る。
着物用の下駄、草履を合わせ、一度数えてみたら70足の靴があった。恐ろしい数である。私は、一体何を考えているのか。数えてはじめて、靴依存とでも言おうか、病的なものを感じた。


最初は、10センチのヒールか、ブーツを買っていた。その時は、まだ良かった。
足を怪我して動けなくなり、足の大切さに目覚めたのか、気がつけばヒール0?3センチ以内の柔らかい靴にばかり目が行くようになった。当然、買った。普段、滅多にカジュアルな恰好をしないのに、カジュアルな靴にも手を出した。


それから更に、私の靴好きは止まらず、オークションを知ってから尚更に止まらず、最早靴は100足に届かんばかりになっている。当然の如く、財布は文字通り空になった。洋服に回す金もないから、それぞれの靴に合わせる服があるかどうかも分からない。食費もないし、これが月末でなかったなら、光熱費も支払えなかっただろう。
明らかに、私はおかしい領域に入っている。
何事も好きと依存の境目は、生活を脅かすか脅かさないかに懸かっている。


本題は、これからだ。
私は、足への自傷が多い。
私がやったのか誰がやったのか足の裏が切れていた。いつもこのパターンだ。
切った後で歩いたらしく、そこかしこに点々と血の痕が残り、今日は掃除する気にもなれなくて放置している。

昔かかっていたカウンセラーに、足を無意識に傷つける時は、「頑張りすぎている自分を止めるために、これ以上歩かないように足を切っているのだ」と言われた。なるほど、そうかもしれないとも思う。今の私が頑張っているかというと疑問だが、それは解離故の無自覚かもしれない。ここのところ母について記事を書いているのは、今のカウンセラーから、現在の私が抱えている問題と母の在り様がリンクしていると指摘され、その痕跡を自分自身自覚したからだ。

不特定多数の目に触れるブログで、存命の母について書くことは、正直胸が痛む。しかし、私はこの作業をきちんと終えねばならない。そうしなければ、私は私の身の内にいる母と、現実の母と、共倒れになってしまうのだ。
連鎖を断ち切る以前に、わけの分からない理屈やすり替えや誤魔化しで、無関係な他者を傷つけることがない私になりたい。ここを目指すことは、境界性人格障害からの回復に確実に繋がって行く。

精神的に正念場であることに間違いはない。
であれば、足を切るのも理解できる。
しかし、同時にこんなにも大量に靴ばかり買うのは何故だろうか。
届いた靴は、いまだ試し履きすらできない。両足がむくんだり腫れたりしていて、入らないのだ。
それでも私が靴を買うのは、何故だろう。
多種多様な靴、どんな恰好をしても、どんな場に出かけようとしても、靴にだけは困らなくなった。このバリエーションの多さは、何を指すのだろう。

私にとっての、足と靴。

私の足は傷つき、私の靴は新しい。


関連記事
◇人魚姫式自傷
◇姫がレンジでチンしてポイ
◇人魚姫志願
◇人魚姫式自傷2
◇解離性障害者のアンビバレンツ - 解離性障害・自傷 -


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日々日記 | comment(10) |


2009/06/27 (Sat) そこにいるのに ? 虐待・機能不全家族 ?

20090627.jpg

私には、過去の記憶が殆どない。
10年近く内省、自分の記憶を辿る作業を続けているが、それでも繰り返し同じシーンが流れるだけで、それ以上の記憶を発掘することが出来ない。


家族内で毎晩リンチを受けていた13?15歳頃のことを思い出そうとしても、思い出せる記憶は片手に足る。
中でも、焼きついている母の表情は、思い出す度に私に哀しみと怒りを呼び起こす。当時、私はぼんやりとそれを見ているだけで、何の感情もなかった違和感すら覚えていなかっただろう。後になって知った。あれは、卑怯な人間の表情だったと知った。


私を屈辱的な方法でいたぶる祖母も、怒鳴りつけ暴力を振るい物を壊す父も、まだ可愛げがあった。彼らは、理由は分からないが私を虐めて楽しんでいた。

そんな時、母はきまって慎ましい表情で俯き、しかし向かいの祖母に見えることを知ってか、祖母達に追従するように、しかし虐められている私に遠慮するように同情するように、曖昧に微笑んでいた。

虐める側にもつかず、しかし私を守るでもなく、母はいつもそうだった。父が暴力を振るったり、死ねとか穀潰しだとか悪罵した時だけは「その言い方はだめよ」「暴力は駄目よ」とたしなめていた。

では、他の言い方ならいいのか?
そもそも私は、なぜこんなに完全否定されながら、生きる価値はない、狂っていると言われながら、生かされているのだろうか?
私は殺してくれと頼んでいるのに、なぜ殺さず、更には家族だなどと言うのだろうか?

言っても父は聞かない性格で、困った母が泣き出すと私の責任だと更に父は憤怒したものだった。
毎晩、夕飯の席では必ず私への執拗な虐めが繰り広げられたが、私が最も恐れるのは、母が泣き出すことだった。
母が泣くと、母だけが大事な父は、激昂するのだ。
お前のせいでお母さんが泣いてるやないか!と。
私への責めは激しくなった。麻痺して無感情になっているときでも、私は母の涙には内心苛立つことが多かった。泣くしか出来ない母に、情けなさを感じていたのかもしれない。子供である私は、たった一人で大人3人の前に立ち、泣いても殴られてもからかわれても馬鹿にされても屈辱の時間に耐えているというのに、母は何もせず、一言も発さずに泣くだけか、と茫然としていた。
母が何故泣くのか、思えば私はちっとも理解できなかった。今も、よく分からない。きっと、母自身もよく分かっていなかったはずだ。そして、あの頃のことを母は全く覚えていない。母は、何もかも忘れているのだ。


誰も止めるものがいないキッチンでの<家族会議>は、地獄だった。
ノイローゼの果てに私は、夕飯に毒を盛られているという疑念に取り付かれ、食事が取れなくなった。本気でそう考えたのは、ただの妄想からではなかった。

私を散々からかって虐めて私が泣き出すと皆は指差して笑い、そこから父が切れて暴力や怒声が続き、私は土下座して「殺してください」とお願いしたり、何のことかもよく分からないが「許してください」と泣き、飽きた家族は「頭がおかしいから・・・」と私を遠巻きにひそひそと声を交わし、泣きじゃくる私を完全に無視し始める。

父は、野球のナイターに一喜一憂し、母は憂鬱な顔で食器を洗い始め、祖母は何事もなかったかのように、もしくはわざと面白い話題を出して笑ったりする。

私は、ここにもう立っていなくていいのか?と聞いたこともある。「あんたが立ちたいなら、いつまでも立ってなさい」と母は言った。祖母は、母を遮って「あーもうこの子はこれやから」と頭の上で指をクルクルと動かし、相手にするなと母に目配せをする。

私は、所在なく2階に上がる。そして、吹き抜けの2階からじっと耳を澄ます。
そうすると、必ずしばらくしてから声を潜めて家族達が私の話を始める。大概は、私の悪口だ。彼らに口ごたえしたときの私のセリフをまた誰かが引用して、ああ言ったけどおかしいよあの子、などと言っている。
私は、隠れて聞いているのがばれないように、泣きすぎて横隔膜が痙攣するのを抑えながら耳をそば立てている。聞かないほうが良いに決まっているのに、聞いてしまう。

そのうちに、母達が「あの子さえいなければ」とか、弟二人は良い子なのにとか、父に至っては「あいつは死なな変わらん」「もう飯もやるな!」と言っているのが聞こえてきた。


そんなことが年単位で続くと、ただでさえ憂鬱な夕飯の席が、私にとっては死の食卓になった。精神的に抹殺されようとしている。加えて、彼らは私を必要としていない。厄介者扱いし、玩具のように扱う。それに、私は無能で役立たずで、両親や祖母の期待通りの成績が取れない、東大に行くなんて無理だ、何の意欲も涌いて来ない、死にたいだけだ、生きているのが恥ずかしいだけだ。
食事に毒が盛られていても、おかしくはなかった。

私の怯えは、彼らにはパフォーマンスに見えたらしく、気に食わなかったらしかった。私は、また頭がおかしい、被害妄想が酷い、何言ってんの!そんなんなら食べなくていい! と言われた。
しかし、後で母は、「おなかすいたでしょう」などと言って労わって来た。
わけが分からなかった。
毒が入っているかもしれない。入っていないかもしれない。どちらか判断できず、余計に精神が異常をきたしていった。優しくしたり、虐めたり、安心させたかと思えば、裏切ったり。愛情とはそんなものだと私は考えるようになり、この歪んだ感覚は成人してからの恋愛関係に多大な問題を引き起こすこととなる。思えば、こんな環境にあれば、境界性パーソナリティ障害は立派に育つ。


家庭内は、常にパワーゲームだった。媚びれば媚びた分、小遣いから食事、おやつの内容まで違った。媚びとは、良い成績を取り、教師から褒められることだった。当然、家庭でも学校でも、その場の権力者の顔色を常にうかがい気を張っていた。異常に張り詰めた空気は、私を異人に見せたのか、学校でも虐められた。
友情や愛情には必ず理不尽な罰が伴い、感情表現すると必ずまずいことになる。
学習した私は、どんなふうに生きていたのか。
私自身の内面のことになると、まるで思い出せない。年表として持っているが、感情が欠落している。



今の私は、自分を殺すものを遠ざけ、自分を生かすものだけを大事にすることにしている。
母を見れば見るほどに、私の決意は強固となる。
私は、誰も守れない人間にはなりたくない。
虐待の連鎖は私の代で断ち切らなければならない。本当は、温かい家庭であった、行き違いはあっても親達も思いやりを持っていた、そんなふうに思いたかったが、現実はそうではなかった。現実を直視しなければならない。直視できる強さが欲しい。
私の人生にあっては、母のような弱弱しい微笑を一度も浮かべることなく死にたい。
今なら、分かる。
俯いていたのは、母が無意識にでも、自身が恥ずべきことをしていると知っていたからだ。

私は、何をやっても駄目で、エリート学校に入らなければ将来は絶対に不幸で、何も長続きしないし、頭がおかしいと罵られていた。毎晩言われ続けて、自分でもそうだと信じて疑わなかった。
けれど、私は今、自分を誇りに思う。
ただ間違いを恐れ、誰かの顔色をうかがって、自分を殺すことは絶対にしない。
自分を確かに持てば持つほど、持たない人間から疎まれる。その覚悟も出来ている。私は、自分の手と目と耳が届く限りの大事な人が困っているとき、一緒に戦える人間でありたい。心に歪みなく、真直ぐに生きていたい。

私は、ここにいる。
いないふりをしようとも、俯こうとも、沈黙しようとも、誰かの前に、あなたの前に、私はいる。
生きると決めたと同時に、伝えることを決めた。
私自身が、機能不全家族、虐待の連鎖から回復することを目指し、そして私個人の小さな体験が、同じく苦しむ誰かの元へ勇気とエールになって届くように。
懸命に願い、生きている限り、活動を止めないことを誓う。



参考記事(ブログ内リンク)
◇キッチン1◇キッチン2
◇キッチン3
※以上、シリーズ未完。

カテゴリー<機能不全家族>
(私個人の体験のみ書いています。解離性障害、境界性パーソナリティ障害、人格障害からの回復への道程として)

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機能不全家族 | comment(10) |


2009/06/24 (Wed) 中立という凶悪  - 機能不全家族・対人・解離性障害 -

母に久しぶりに失望した。
案件が案件だけに、人間として見下げた。見下げたよ、それだけ生きてきてそんな価値観か、と電話口で私は何度も言った。

母には、人格というものがない。
ふわふわと漂っている。
「まだ生まれていない人」とは、私のカウンセラーの言葉だ。
いつも中立で、自分の意見というものがない。しかし人間だから、それなりに他人に不満や憤りを抱え、話してきたりする。かといって、打開策を見つけようとはしない。母は、まるで意志を持たない水のようだ。傾いた板の上を、ただただ流れ落ちていく。

母は、記憶のアーカイブが殆ど存在しない。すぐに何でも忘れてしまう。母こそが、重度の解離性障害かもしれない。
母の中立は、私には保身にしか見えない。感情は起るのに、行動にしようとしない。あっちの顔もうかがい、こっちもうかがっては、どちらも正しい、と言って済ませようとする。そして実際、そんなふうに行動してしまう。そんなふうにとは、何もかも曖昧に、どっちつかずに、だ。
結果、彼女を取り巻く事柄は規律を失い、場の力関係によって彼女は善悪を右へ左へやって、問題を混乱させる。

自分を当面の正しさの物差しにする覚悟のない人間は、関わる人間を不幸にする。
母と話していると、世の中は混沌として黒煙に覆われているかのように感じる。
母は、おっとりとして主張がない。だから、母という人間が一向に見えてこない。だから、母は自分自身でも言っているが、心許せる友人はいない。母を理解している人間も、一人もいない。



私は、母とは真逆に生きている。
昔は、そうではなかった。
今も、名残はある。意識や記憶がぼんやりとしていることは多い。解離性障害のせいだ。
これに加えて自分というものがなかった。これは、私の過去最悪の罪の一つだと、今は考えている。

自分が意見を持つということは悪いことで、誰の言うことも平等に聞き、考えるべきだと思っていた。結果、私は私でいては都合が悪いのだった。その場の混乱をいつでも治められる賢く理性的な人間であろうとすれば、感情よりも理屈を先に立てるしかなかった。誰かの役に立つことに喜びを見出し、自分のためだけに自分を主張すると居心地が悪くて、怠慢を働いているような気がして、奉仕の心に生きた。その方が、楽だった。人から感謝されると、殺した自分も報われるような錯覚を抱いていた。

しかし、理屈は正論であるのにも関わらず、無力だ。
無力に頼り続ける私は、どんどん輪郭を薄めていくしかなかった。
私は、システムでいられなくなり、はじめて自分は欠点があり、抑えられない感情もある人間なのだと気づいた。苦しいという感情に終始支配され、理性的でなどいられなくなった。他人のことに首を突っ込む余力は、勿論なくなった。なくなっても、自分の役割を果たそうとし続けた。

過去の私は、母自身である。
しかし、私は、自分を殺すことはついに出来なかった。その差は何だろう。分からない。
とにかく、今の私は、母と真逆に生きている。

私は、批難を覚悟で自分の物差しを持ち、自分自身にも他者にも明示して生きている。最初に自分の姿を明らかにしなければ、相手は反応しようがないし、余計な気を遣わせてしまう。私は、ありのままであると、いつでも誰かに言えるように生きている。対人恐怖を持っていた私、今は境界性人格障害の私は、特に人が怖いという人の気持ちがわかるから、実質的に裏表のない人間でいようと生きている。
母は、明確な私に拒絶反応を示す。自分自身を明らかにするということは、自然、他者との対立を意味することが多い。尊重し合えるような筋の通った人間ばかりではないどころか、信念をもって主張している人間を前にすると、無関係であっても何故か自分の領域を侵されると危機感を覚える人が多い日本だ。

そんな不都合もあわせて、私は引き受けている。私は、こうやって生きていく。


母の価値観は、最悪だ。
今日、母の知人との付き合い方を聞いていて確信した。

母が「可哀想なのよ」と頻繁に話題に出すTさんは、独身で守銭奴で四六時中孤独で、プライドがなくて、プライドが高く、金持ちなのにまだ金を欲しがり、友達は金で買うものだと言っているが、友達すらいない人だ。
Tさんは、札束でベッドを作れる位の金持ちだった。しかし、人間不信だ。被害妄想も酷い。なのに、そこらの男を簡単に引き入れる。そうして、自分の部屋の掃除などをさせ、報酬をやらないから相手が怒ったり付きまとってきたりする。その度に、男って嫌だ、皆私の財産を狙っている、と言っている。

Tさんの懸念は、お金がなくなったらどうしよう、という一点だ。不安で夜も眠れない。そのうち思いついた。ボケかけている男性Hの妻になって、彼が死んだ後も年金を貰い続けようと考えた。しかし、彼女の財産は既に今でも使い切れないほどある。なのに、まだ欲しがる。

Hさんが家族といないときを見計らって家へ先回りし、Tさんは婚姻届に判を押させた。その後、彼女はHさんについてではなく、Hさんの年金額を調べ始めた。それから、Hさんの子供達に自分の財産を奪われないように、弁護士に相談もした。


母は、最初は悪いことだと思っていたし、止めようとしていたが、今は助けてやる気になってきたという。Tさんに、結婚の証人になって欲しいと頼まれ、引き受けるつもりらしい。

母の理屈は、でたらめだ。
Tさんの立場に立ったら、哀れに思えてならないし、自分もTさんだったら同じように考えるかもしれない、と思ったらしい。
確認したが、母はではTさんと同じことをするのか?と訊ねると、即刻、「しないよそんなこと」と返ってきた。2,3度確認したが、しないということだった。
哀れに思える知人なんて、友人ではない。ましてその禄でもない友人の詐欺紛いの婚姻届に、私の母が証人として名を記す。私は怒りで眩暈がした。

哀れだったら何をしてもいいのか。
可哀想なら、関係ない他人を巻き込んでもいいのか。


「それだけ生きてきて、まだそれか。哀れだから何だ。その人が何故今哀れなのか分かってるだろう。なのに、友人としてお母さんがやることはそんなことか。まして、自分ならやらないと即答するような行為を知人がしようとしてるのに、心の中だけで「間違ってるのに。哀れだなぁ」と思うだけで、言ってやらないのか。怒りを感じないのか? 自分の近くにいる人間が、他人を陥れようとしているのに、一人の人間として憤りを持てないのか?」

母は、何か色々言っていた。
母は、色々言うのだ。だってTさんはこう言ったから、などと。誰が何を言おうが関係ない。母がどう思っているかだ。母の価値観を問うと「最初は間違ってるかなと思ったけど、Tさんがあまりに可哀想で、自分がTさんの立場だったらそんな気持ちになるかもしれないなぁと思って」と答えた。
Tさんは、詐欺だ。詐欺師の言葉に同情してやる必要などない。何故引きずられるのか。母は、そして自分という物差しを持って他人から批難されることを恐れる人間は、必ずあっちにもこっちにも共感してまわる。どっちの理屈にも引きずられ、最後は自分の感情的都合で物事を採決してしまう。


「お母さんは、情にだらしない。最低な人間。自分がないわけ?哀れと思ってしまう相手なんて、友達でも何でもないよ。対等な人間を見つけたら? そんな哀れで卑怯な人間に加担してる暇があるなら、MK(引きこもり15年・重度の強迫性障害)のことでも考えたら? 情にだらしないから、引きこもりのMKをどうしようもできないんだよ」

そう言ったら、母はTさんのこととMKは関係がないなどと言っていた。
関係は、あるんだよ。


母は、いまだ生まれていない人だ。
私は、怒りでクラクラしている。
いまだ生まれてきていない人間は、何と情にだらしなく、卑怯で、利己的で、無力だろうか。
私も、かつてそうだった。
弱いということは、罪悪だ。自分に向き合わないということは、誰とも向き合わず、彼岸から無言で嫌がらせをしているようなものだ。


母は、私の怒りに、こう言った。
「それは、あんたの価値観でしょ。お父さんに聞いてみる」
「何を聞くのよ? 私は私の価値観に照らし合わせて、母の娘としてそんなことする母親は気持ち悪くて腹立たしくて、自分なら友達になりたくないと感じて、そのまま怒ってるだけよ。自分がどう思うかでしょ?お母さんはどう思うのよ?感情を出したらどうなの?」

母は、「感情を出すのが良いことなの?」と批判的な声をあげた。それから、また言った。「それは、あんたの価値観でしょ」

結局、母は自分の価値観はどうなのか口にしなかった。
ないのだそうだ。
感情もないらしい。
私は、とにかく腹が立つ。
感情もないならそれでもいい。だが、間違っているのではと少しでもひっかるようなことを友達がしているとき、勇気を持って指摘し、時には怒らずして、何の意味があるのか。
そんなふうに生温い目で私を見てくる友人など、私は友人とは思えない。


母は、まだ生まれていない。
今頃、父に意見を聞いているのだろう。
そして父は、よく分からないからおざなりに答えているだろう。手に取るように分かる。私が育った家だからだ。


この話は母の中で育つこともなく、
だから私はここに書き、
私の胸に留め、
私は母にはなるまいと固く強く誓う。


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機能不全家族 | comment(4) |


2009/06/22 (Mon) 夜を殺せ ? 境界性パーソナリティ障害・解離性同一性障害 ?

20090622.jpg

人間の手指の間には、水かき部分がある。
ここにご丁寧に全て、ホッチキスの芯を刺してくれたバカがいる。今回は、よくぞまあこれだけ刺したなという数。そして、予想外に血が出る部分なんだな、と実感。
誰がやったのかは、分からない。察しは付くが、現段階で決め付けることは、やめよう。手当てという手当てもやる気が起きない。たまらなく憂鬱だ。

前に数回同じことはあったが、私は痛みを感じなかった。しかし、穴が2つしっかり残っていることは、ままある。すぐに治ってくれる程度の傷なのが幸いだ。
この傷は早めに治るだろうと無理矢理楽観的に考えることが出来るが、随分前に太腿を剃刀で切られていた傷が、なかなか治らない。それもまた、手当てする気が起きない。

私は、一体誰に何の理由で切られたり刺されたりしなければならないのか。誰かの自慰行為のような自傷の後始末を、この私が何故しなければならないのか。足の怪我よりも何よりも、解離性障害が私の生活を阻んでいる。
ブツ切れの時間を生きていると、いつ何を食べたのかがまず分からない。どこかが痛いと、何故いつこんなことになったのか分からない。血まみれのホッチキスを見つけたところで、それをどこかに隠しても何にもならない。

怒り。
どこへ向けていいのか分からない怒りで発狂しそうになるから、出来るだけ考えず、目の前の出来事を処理することに専念する習慣がついている。
しかし、また考える。考えそうになって、行き場のない怒りは自分へ向かい、死んでしまえと自分を呪うが、呪っている間にまた時間が切れる。


そして私は、耐える。耐えるしかない。
境界性パーソナリティ障害に数日前から襲われ続けている。けれど、行動化すまいと耐えている。

自傷も、自暴自棄も、未来への不安も、現在ここにいる虚しさも、何もかも投げ出して死んでしまいたい衝動も、徹底的に自分を痛めつけてやりたい憤りも、全て封じ込めている。
私の過去に何があろうと、その過去が今の私の人格に何がしか重大な影響を与えているとしても、このあらゆる衝動を誰かにぶつけたり、自己卑下するために他者から罵ってもらおうとしたり、錯乱して相手を罵倒したり、急激な不安に襲われ泣き崩れ土下座して謝罪したり、そんな嵐を起こすまい、誰も巻き込むまいと決めている。

今年の春のこの決意は、私が境界性パーソナリティ障害という病気と付き合っていく上で、少なからず自信を与えてくれた。人と付き合っていく上で、自分自身の正当性を保ち、他者も侵害しないでいられるかもしれないと、安心できることが増えた。

境界性パーソナリティ障害は、対人関係で最も最悪な状況を作り出し、相手が巻き込まれてしまうと、更に底無しの混沌を引き起こす。自分も、相手も、駄目にする。
境界性パーソナリティ障害者にとって「耐える」ことは、苦手だ。不安を抱えていられないのだ。元々の人間不信の上に、人格障害が引き起こす悪循環と連鎖に疲れ切ってしまう。

その挙句に、私は命を繋ぐことも限界を迎えた。
生きるために、本当の意味で自分と他者を同時に尊重しよう。
決意は、死ぬ以上に苦しかった。
だが、だからこそ二度と同じ過ちを繰り返したくない。


本の世界に逃げ込んだり、私が大好きな夢の世界に逃げ込んだり、買物で寂しさ虚しさを埋めてみたり、そんなことでどうにか自分を誤魔化して来たが、何度も何度も波が来て、昨日の夜中にもう無理だと思った。

私の人格を濃厚に染め上げている虚無と破壊衝動と自己卑下と対人恐怖は、私の身一つの中で循環しながら、濃度を高めているだけのように思えるときがある。
耐えるしかないから、ただひたすらに耐える。少なくとも、私の人格障害で周囲を傷つけたり、貶めたりせずに済む。私も、後悔せずに済む。
しかし、それでは私はどうなる。苦しみに蓋をした私は、どうなってしまう。いつまでこうしていたらいいんだ。生きていて、どうなるんだ。

絶望とも、怒りとも、悲しみとも付かない混乱に襲われ、ふいに泣いた。泣いている自分がまた憎らしくて泣いた。眠剤で誤魔化した。しかし、正直なもので夢は銃弾で飛び散った血と肉の匂いでむせかえっていた。目が覚めても、夢のままの匂いが鼻腔に残っていた。


今夜の大阪は、今年一番の突風だ。真っ暗な夜を、雨滴と風が激しく殴りつけている。いっそ走り出て、自分の何もかもを壊してしまいたいが、今の足ではそれも叶わない。
今の自分の滑稽さを笑ってみたり、悲嘆に暮れたりしながらバスルームにたどり着くと、天井の換気口から、ごうごうびゅうびゅうと唸り声が聞こえてきた。

「明けない夜はない」。
胸の琴線を掠りもしない。
私は夜ではないし、朝でもないし、世界でもない。明日のことなど分からない。分かったところで何も出来ない。出来ないことが多過ぎる。
体中が痛くて、身体の芯は空っぽで、頭の中は嵐が渦巻き、脳は未来予想図を描く努力に励み、心は流れのまま嬲られ浮いたり沈んだり狂ったように繰り返す。
私の手は、誰のものか。私の身体は、なぜこれなのか。私の心は、どうなっているのか。いつから私は生きているのか。分からない事が多過ぎる。分からないことは苦しい。無為に苦しい。


私は、世界に見切りをつける。
世界も、あっさり私を置き去りにする。
なのに翌日、世界は何事もなかったかのように朝を招き、何事もなかったかのように私を世界に呼び戻す。
明日も、きっと同じ日が来る。
逃げられない。



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境界性人格障害 | comment(6) |


2009/06/19 (Fri) 二本足

泣きたい。
今日の私の心境。

火曜日に捻挫して以後、とにかく安静を心掛けてきた。安静にしていれば良くなる、今週中には。と、勝手に決めていたところがあった。そうでも決めていなければ、独り暮らしで今の状態は精神的にきつい。

何とか騙し騙し本の世界に逃げ込み、怪我をした右足の下に枕を二段重ねにして高くし、湿布は数時間毎にはりかえ、暇さえあれば睡眠が大事だと眠ってきたが、今日、週末になっても室内の移動さえ困難だ。怪我をした当日と殆ど変わりない状態だ。這って移動するか、びっこを引いて掴まり歩きか、跳ねて距離を稼ぐか。どれも二次災害を被る危険と隣り合わせで、今日になってもこんな状態なんて、予定と違う。

数歩の移動が難しいので、移動の際には事前に計画を立てなければならなくなった。まるで将棋の駒になった気分だ。一度で移動できる距離は限られている。出来るだけ有効に室内を移動し、複数の目的を同時に果たしつつ、足を守るためにベストを尽くさねばならない。


こうなってみて気づくのだが、現在、うちにいる文鳥もも十歳半は、飛べないし、ほぼ全盲だ。私がいなければ、ももの生活は立ち行かない。
彼のカゴはバリアフリーに改造してあるが、一日に二、三度、餌と水を取り替えなければならない。加えて、目の疾患にかかっているから、両目を洗ってやって目薬をさす作業を一日に3度。その後、ももが必ず自分の書斎(私のベッド脇の棚の上の巣箱)に行くと言い出すので、そこまで送り迎えをしてやる。ももが外出(カゴをあけている間)に、一日二度はカゴの中を簡単に掃除する。
たったこれだけのことが、不自由な足になると物凄い負担に思える。
ももを片手に膝で移動するにも、飛び跳ねて移動するにも、びっこを引いて移動するにも、ももを落したら危険なので神経を使う。ももにも介助が必要で、介助している私にも介助が必要。老々介護って、こんな感じなんだろうなぁとしみじみ思う。


安静に徹しようと思ったが、生活上、そうもいかなくなってきた。
迷い考えた挙句、歩行よりも自転車の方が足への負担が少ない気がして、期待をかけて買物に出てみた。
思ったより危険だった。確かに移動中は楽だが、自転車の乗り降りの時は常に一か八かの大勝負だった。しまったと思ったが、後の祭りだ。

スーパーでは、カートが松葉杖代わりになってしまい、様子がおかしいから色んな人から見られる。その表情から、昔、解離で道路に吹っ飛んで顔面に怪我をしていた時のことを思い出して鬱になった。少し違うだけで好奇の目で見られる。
店内にヒステリックな母親がいて、7,8歳くらいの少女に「あんたをほんまホウキでぶっ叩いてやりたいわ!」と叫んでいた。私が買物を終えるまで、ずっと母親は少女を怒鳴りつけていた。見るべきは私じゃなくて、あのブサイクな生物だろ?と、私は母親を観察し、母親の母親らしき女性も観察し、少女の内心を憂えた。


出来るだけ室内でも移動せずに食べられるものを買い込んだ。「頑張っている自分への御褒美」も買った。単に怪我をしただけだが、御褒美でもなければやってられない。怪我する前にやっていたダイエットなど、この際二の次だ。
とにかく足を治さなければ精神科にも行けない。かといって整形外科に足の治療へ行ったとしても、不便な生活に変わりはあるまい。

数日分の買物をしただけで自転車カゴが重くなって、いつもならば歩けば1分の道のりがひどく遠い。びっこを引いても歩けるようになるかなと目論んでいたが、この分じゃ歩行も当分困難だろう。一人で暮らすのが辛い。かといって誰かがいてほしいわけじゃない。そういう人間関係に疲れている。ああまずいと思ったが、気が滅入ってきた。世界中で一番、日本で一番とは言わないが、大阪のこの街で今のこの瞬間は私が一番不幸だと思わせてくれ。

また一か八かの博打で自転車を漕ぎ出そうとしていたら、目の前を、足の障害なのか、病気の後遺症なのか、部屋着姿でよぼよぼと歩いている老人がいた。少し見とれていたら、買物袋が傾いてパンを落としてしまった。曲げられない足に苛々しながら拾い上げた。老人は私に目を留めてから、少しずつ少しずつ歩を進めて向かいの整骨院に入って行った。その光景も、私を鬱々とさせた。


ポストをのぞくための3歩も惜しんで、まっしぐらに部屋に戻った。行く時には入らなかったサンダルに、腫れた足がはまりこんでいた。昨日は、まだましになったと思っていたのに、足首がつくりもののように腫れている。苦労して足からサンダルを抜き取って、情けない気持ちでまた部屋を這い回って片付けた。


いっそ開き直ろうと思い、今の生活を工夫することを少し考えた。
このデスクからベッドまでは、およそ4歩程度なのだが、その4歩の往復でも無事な方の膝に負担がかかり、痛みが増える分不安が増し、精神的に追い込まれて来た。
よって、部屋では常にメッセンジャーバッグを斜めがけしておくことにした。そこに何でも放り込んで移動する。主にデスクに本を置き忘れたから戻るとか、ベッドに携帯を忘れたから取りに戻るとか、そんなつまらない往復での消耗をカットしようという試みだ。早くもそのバッグ自体を忘れるという失敗をやらかした時には、自暴自棄になった。いっそ足に麻酔を打って、小一時間位、後先考えずに走り回りたくなった。

こんな経験も次の強さになるんだとかわけの分からない理屈をこねて、地味に養生している。今更ながら、人間には足が二本しかないのだ。左の足と、右の足しかないのだ。右が駄目なら、左しかない。左も駄目になったら、私の生活はその瞬間からどうなってしまうんだろうと考えてしまった。起り得ない事でもない。物凄い不安が襲って来た。一人暮らしは、自分だけが頼りだ。身体が資本だ。

一人で暮らす中での風邪も怪我もその他病気も経済苦も、孤独に耐えうる力を鍛えてくれる気がする。不安だろうが何だろうが、時間が過ぎていくままに生活するしかない。
依存心と関連が深いのが、BPDだ。久々に境界性パーソナリティ障害(BPD)の症状が出かかっている。対人関係が不安で不安でたまらなくなってきた。客観視を心がけ、ある程度自分を突き放して冷静に眺め、自己陶酔は排除する。行動化だけは抑えなければならない。
色々な意味で、耐えるということが今の私の課題なのだろう。



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日々日記 | comment(6) |


2009/06/18 (Thu) ジョジョ(しかも第四部)がフィギュアにッ!!

2009-05-11-jojo4kuji.jpg

全然知らない人は、すいません。
冒頭から謝っておきます。
全国のジョジョファンの皆様、遅ればせながら私も知ってしまいました・・・!

これを・・・!↓↓
全てが初立体化! 一番くじ「ジョジョの奇妙な冒険 第四部 ダイヤモンドは砕けない」、6月中旬発売ッ!@JOJO

全商品画像はこれ↓↓
一番くじ  ジョジョの奇妙な冒険第四部 ダイヤモンドは砕けない


二日前の捻挫で足首が1.5倍になっていて、くるぶしが見えなくなりました。昨日は、2倍はあって、くるぶしの形のデカいコブみたいな腫れがあったので、一見くるぶしがなくなったように見えて実は回復に向かってる状態だと勝手に解釈してるんですが(←希望的観測)、精々安静にしていようと思った矢先に、このニュース!!

早速、街中のコンビニに駆け回りたい衝動を何とか現在抑え続けています。
でも、早くしなくちゃ売り切れてしまう!


そんな今日は、党首討論があったみたい。見逃してしまいました。見たところで珍しい動物特番みたいな感覚でしか見れなかったと思うんですが、テレビ見ながらツッコむのが好きなので若干悔しいです。
あの方々も「先生」と呼ばれたりしますが、私がこの世で「先生」と呼ぶにふさわしいと思うのは唯一、漫画家の先生方です。
中でも、日本で最も大好き且つ尊敬する漫画家は、「ジョジョの奇妙な冒険」の作者 荒木飛呂彦先生です。
このジョジョシリーズのファンはコアな人たちが多いです。現在、第1部?7部まで出ています。ジョジョファン同士でまず挨拶代わりに交わされるのは、「何部が一番好き?」という会話です。そもそもジョジョファンなら大概全シリーズ好きなんですが、皆敢えてそこは順番をつけるんです。(多分)


私は、第4部が好きです!


以前の自己紹介バトンでも書きましたが、第4部をこよなく愛しています。

今回、この第4部が初立体化、アイテム化されました。
何というビッグニュース!!
身を捩らずにはいられない垂涎もの企画!!こればっかりはコンプリートして、本棚にズラリと並べたいです。普段は、全くフィギュアには興味がありません。うちにあるフィギュアといったら、漫画「寄生獣」のミギーだけ。そんな私に、コンプリートしたいとまで思わせる今回のフィギュア。ジョジョの魅力は強烈で、私の財布の紐も容赦なく緩めてきます。


ジョジョの一貫したテーマは「人間讃歌」。テーマもテーマですが、何しろ面白い!こんなに読者をどきどきさせっぱなしな漫画は、そうそうないです。他では絶対に読めないストーリーです。
セリフは、どれも名言に数えたい位ハイクオリティ。荒木先生の絵は、フランスでも個展を開いたりして、海外でも評価が高く、一目で分かる誰にも真似のできないペンタッチと色使い。

構図も素晴らしく、コマ割もまるで最高の映画を見てるようなんですが、中でも有名なのが「ジョジョ立ち」といわれるリアルでは恐らく不可能な立ちポーズ。
これに実際挑んでいるファンは多く、ファンのブログなどでは一心不乱にジョジョ立ちの技を磨く人々の姿が見られます。ファンをアホにさせてしまう、ジョジョの魅力恐るべし。
このジョジョ立ちをも、今回のフィギュアは見事に再現!

第4部を選び、更にはジョジョ立ちも押さえ、第4部の重要キャラはきっちり押さえた商品化。
普通はフィギュアが一番欲しいとかなるんでしょうが、どれも欲しい。個人的には、作中の漫画家 岸辺露伴の大ファンなので、ヘブンズ・ドアーのノートが欲しいです。あと、由花子がいない・・!とショックを受けていたら、ちゃんとグラスに描かれていたので、あれも欲しい。ていうか、普通に商品化して欲しい。普通に売れると思う。


集英社 ジョジョの奇妙な冒険(音が出ますので注意)
http://annex.s-manga.net/jojo/

一見、ジャンプ漫画にありがちなバトル漫画?と思わせておいて、敵キャラの一番の望みは「吉良吉影は静かに暮らしたい」。
御託なしに「面白い!」と読者を唸らせる漫画です。


私は、とりあえず足が明日1.2倍くらいに治っていたら、自転車で街中のコンビニを大人気なく駆け回ってきます!
8月に景品として出る予定らしい同じく第4部の岸辺露伴のフィギュアも本気で欲しいです。ゲームセンターの景品なんかで出るらしいけれど、これも普通に商品化して欲しい。



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本棚 | comment(8) |


2009/06/16 (Tue) アイスクリームみっつ ? 解離性障害 -

土曜日に母が大阪に来たので、朝から夜まで大阪を巡った。といっても、方向音痴な私なので、主に迷っていた。
でも、初めて食べたペルー料理は珍しいものばかりで美味しかった。

翌日から、近頃なかった酷い鬱に襲われた。何が憂鬱というでもないが、とにかく無気力で、何もかもをリセットしたい気分にかられた。積み上げてきた自分が嫌になったというか、駄々っ子のように自分という積み木を蹴倒して蹴散らして、自分自身に八つ当たりしたいような鬱屈を抱えて過ごした。

そんな最中にカウンセリングに行った。涙がぼろぼろ溢れて、一体何がそんなに悲しいのか辛いのか、自分でもよく分からない。いつもより過敏になっている気がした。
そのうち、窓外から聞こえてくる人の声と音をきっかけに幻視の世界に引きずり込まれた。ヨハネ黙示録の一場面が見えた。怒りにかられ人々を黒い蹄で踏み潰し、人々の悲鳴と断末魔と共に肉から血を絞り出すイエスは、いつの間にか私自身になっていた。おぞましく、愉快で、最低な幻視幻聴だった。身体が震えて涙がどっと溢れた。恐ろしかった。以後時間が飛んだ。


太腿の痛みで、我に帰った。私は剃刀を手にしていた。見ると、一筋肉が切れて血が出ていた。柔らかい部分が傷つくと、ズキズキと痛い。
窓の外は明るい。カウンセリングに行ったのは夜だ。

私的な日記を見てみれば、カウンセリングルームでAが交代し、Sと一緒に帰ってきたことが分かった。Aの日記からは全く不安定な様子は見られず、カウンセラーと相も変わらず楽しそうだ。自傷したのはAではないらしい。Sでもないだろう。ぼんやりしていた私自身なんだろうか。傷に軟膏を塗って絆創膏を貼りながら、考えても考えても記憶はぼんやりしている。そのうち誰がどうしたも、どうでもよくなった。


カウンセラーから心配するメールが来ていた。人から見た私はどうなっていたのか。傍観の立場にあるSまでが、Aと一緒に生活を分担するから、しばらく休んだ方がいいと言った。Sから見ると私は、ある部分が過敏で内向的な世界に入っていきやすいらしい。今回のカウンセリングルームでの件は特殊だから、原因をカウンセラーが調べて知らせてくるまでは考えない方がいいと言われた。Aが、たどたどしいひらがなばかりの文章で、カウンセラーにSの伝言をメールしたものを見つけた。


意識が戻ってからの私は、相変わらず鬱であることに変わりはなかった。こんな時は、やりたくないことは一切やらないに限る。ダンスレッスンにどうしても絶対に行きたくなかったので意識から追い出した。ダンス友達のHちゃんからメールが来て、ああそういえば今日ダンスだったな、と思い出した位、徹底した休息を取った。
私は、子供人格Aとあまり相性が良くないが、そのAがSと一緒に買物に行って私のために高いが美味しいアイスクリームを4つも買って来てくれていた。つけられたメモを見て泣いた。こうして書いていても泣けてくる。一つは既に食べられていた。全部食べたいAにしては我慢したのだろうと思う。財布は私のものなので、ただでさえ高いアイスクリーム計4つは痛い出費なのだが。Aが読めるように手の甲に「ありがとう」と書いた。私は、一人のようでいて一人ではなく、一人ではないが一人だ。
カウンセラーの先生が、Aに私と仲良くするように、SともKとも話し合うようにと頻繁にすすめてくださっているようだ。お陰で、生活が送りやすくなった。子供Aの生活の仕方は奔放過ぎて、金銭面でも本当に困っていたから助かっている。
色んな意味で、最近、Aがキーマンのように思えてきてならない。

当初、私とAを繋ぐものは互いへの反発しかなかったが、今は一つだけ共通項がある。
カウンセラーへの信頼だ。
こうして書いてみると不思議に思う。私は、いつ今のカウンセラーを「信頼」するようになったのか。裏切られはしないのか。信頼することを知らなかったはずの私が、果たして今本当にカウンセラーを信頼できているのか。信頼というものを知らないが、これは信頼のような気がするのだ。不思議だ。

そして、Aのカウンセラーへの信頼と、私のカウンセラーへの信頼は、質が異なるように思う。しかし、カウンセラーの先生の人間としての幸福を自然と願う点では、やはり変わらない。

このカウンセラーは、私を殺す気か。思い切り不幸になればいいのに。
などと思っていた数ヶ月前の私は、罰当たりだ。Aは、そんなこと思ったこともないというが、彼女だって散々カウンセラーの車にひかれたがって朝方まで振り回したのだ。過去に酷い境界性人格障害の行動化が起った点で、私とAは似ている。そこを乗り越え、カウンセラーの先生が私やAと今現在も継続した関係を続けていられるのは不思議だ。私とA、二人に試され、信頼を得た。それは先生の技術ではなく、最後に残った信念と人柄の賜物に他ならない。

Sは、第三者でいるとある時点で宣言し、実際に冷静極まりなくAや私と先生を見ている。そのSが、幻視にのまれた私をサポートしようとしている。私は、自分が思っているよりも今危ない状態なのかもしれない。私は、頑張り過ぎているのかもしれない。

今日も、朝から微動だにせず過ごしたが、夢の中で崩壊するツインタワーの中にいて、脱出するのに死ぬ目にあった。他にも次々と夢を見た。夢での出来事に連動して身体の筋肉が動いているのか、目が覚めてもクタクタになっている。
気分転換しようと夕方にちょっと近所へ散歩に出たら、何もないところで見事転んで捻挫した。数分で痛みが引く軽いものから、靭帯を切るものまで、捻挫は様々やってきた。経験則だが、今回は治るまでそれなりに長くかかりそうだ。元々弱い足首の靭帯が痛む。

当分、じっとしていろということだろう。
片足に湿布を貼れるだけ貼って、これを書いている。



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解離性同一性障害 | comment(8) |


2009/06/12 (Fri) 24h

やりたいことが二桁に上る。
一人でやりたいこと、誰かとやりたいこと、不特定多数の誰かに向けてやりたいこと、遊び、仕事、旅行、色々なこと。

1日が24時間しかないので、少しずつしか出来ない。
プライオリティを付けて、やりたいことを3分の1に減らすべき、と言ったのは、常に冷静沈着なアドバイザー弟MTだ。

なるほどそうだ、だからこんなに色々捗らないのか、と納得はしたが、どれもやりたくて仕方ない。

思えば去年の私は、殆ど寝たきりと言っていい生活しか出来なかった。1日の大半、寝込んでいた。当然の如く、自分の体調に全く自信が持てなかった。動けない時は、やりたいことなんて考える余裕もないものだ。

そこから、少しずつ色々なことが変わって、上向きになってきている。
やれそうだと感じ始めているから、今まで押し込められていた願望が次々芽吹いてくるのだろう。躁状態から来る突飛な願望ではなく、地に足の着いた本当に好きなことが二桁に上り、そのどれもに挑戦してみたいのだ。数が多過ぎるのは、この際仕方ない。これまでに、実現する時間も体力も気力もお金もなかったのだから。


そんなわけで、突然あちこちに出かけたり、人と会ったり、つけづめばかり集めてみたり、バンドを始めたり、ダンスを始めたり、ゴスペルに行ってみたり、ジム通いを始めたり、他にも色々やるようになったのだけど、当然、そんなに急に体も精神もついて来ないので、やはり定期的に寝込んでいる。でも、以前に比べれば回復が早くなった。


先週は、毎日どこかへ出かけていた。
予想通り、反動で今週は1日ジムに行った以外、殆ど動けなくなった。かわりに、散らかり放題になっていた部屋を少し片付けた。本当に少しだけど。

休憩がてら、合間に東野圭吾という作家の小説を2冊読めた。彼の作品は、初めてだ。先週行った美容院の店長が貸してくれた。基本的に、日本のドラマや映画の約9割が性に合わない私は、原作となった小説なんかも避ける機雷がある。そのせいで「容疑者Xの献身」も、興味すら持っていなかった。しかし、小説は素晴らしかった。明日は、一緒に借りた同作家の「白夜行」もあわせて返しに行って、別の本を借りて来る予定だ。あと1冊、東野圭吾を読んでみようと思っている。
小説を読むにも、時間が要る。
優先順位なんて、どうつけていいのか分からない。

とりあえず、書くべきブログ記事の続きを書かねば、私自身が落ち着かない。
なぜ1日は24時間しかないんだろうと、こうして嘆きの記事を書いているわけだけど、この時間を、気懸かりな記事の続きを書くことに費やせば良いのであった。
そのうち個人的にどうでもよくなってしまったら、うっかり書き逃すことになる。私にとって大事なテーマなので、「上質な知恵と悪意」について、どうでもよくなることはないと思うが。
やりたいことも多い上に、きっちりカタをつけたあとは笑いネタにしてしまう傾向が強い。真面目に書くべき問題だから、早々に書かなければ。



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日々日記 | comment(6) |


2009/06/08 (Mon) ヴァージンの犬 ? SM ?

※6月9日 22時30分 全文加筆修正

20090608.jpg


久しぶりに、このカテゴリーの記事を書いてみよう。
<SM algolagnia>
訳すれば、疼痛性愛と呼ぶ。

SMとも言うが、残念なことに一般人には誤解されて定着してしまった。いや、最初からこれが本物のSMですとは出回っていないので仕方ない。
以前記事として書いたかもしれないが、SMにおいて主導権を握っているのは実は「満足の」Mであり、サディストは「サービスの」Sに過ぎない。プレイは、SとMの共同作業だ。プレイにおいてSとMは人間として平等である。主従関係という形を維持するにしても、Mの協力なしには成立せず、Sの自負と知恵なしにも成立しない相互関係だ。

サディストに力がなければ、心優しいマゾヒストは嬉しくもないのに喜んでいる演技をする。これは、サディストの力量不足を証明している。
嘘がつけないのが、SMという遊戯だ。マゾヒストが全てをつまびらかに曝け出すと同時に、暴くサディストも同等に試される。

人の心を扱うには、知性が要る。慎重さも要る。敬意も払う。
女王様の人間性がM男より格下であれば、SMはすぐに茶番劇に成り下がってしまう。逆に上質であれば、一生を変え、支えていくだけの感動を生む。


一度片足を突っ込んだ世界からは、なかなか抜け出せない。私は、SMの世界が好きだ。
どうか私を調教してください、あなた以外では考えられない、私をあなたの犬として躾けてください、私をあなたの手で女の子に調教してください、と私の前に身を投げ出す男性が現れた。


聞けば、彼はM男としてヴァージンだった。調教経験は、一度もない。SMクラブにも行ったことがない。しかし、憧れが止むことはなく苦しい。
何故なのかと訊けば、複数の答えが返ってきた。

自分の願望を否定しなければならないという理性が一つ。金を払う関係では、満たされないだろうという見立てが一つ。職場、家庭などに万が一ばれてしまえば、人生一貫の終わりだという至極全うな感覚が一つ。

要するに、彼は常識や理性や環境に雁字搦めで足掻いて苦しんでいる。自分自身について苦しめるということは、一つの才能だ。自分の本質と向き合わざるを得ない人間だということだ。誤魔化しがきかない人間だということだ。
私は、内心で彼に満点を付けた。


彼は、真剣に悩んでいる。
非常識で変態な願望は、幾ら打ち消しても彼の頭から離れることがない。誰か壊して欲しいと願ってしまう。こんなことに憧れるのは異常だ、変態だ、危険だ、駄目だ、と幾ら打ち消しても打ち消しても、ふとした拍子に考える。ああこのまま叶うことなく自分は死んでいくのか。この願望は満たされないまま、自分は嘘の顔をして生きていくしかないのか。誰にも言えない。妻にも勿論言えない。
欲望と理性の狭間で、彼は引き裂かれ続け、虚しさと絶望を抱いている。
裏の顔がありながら、表の顔ばかりで生きなければならない日々が、彼をじわじわと苦しめている。
彼の鬱屈は、私にはよく理解できた。


彼は私という存在を知り、少し話すなり、私との確実な連絡方法を知りたがった。彼が、出会うべき主と出会ったと直感した瞬間だった。
調教してください、あなたの犬にしてください、あなたしかいない、と彼は言った。私は何も言わないのに、身分を正直に明かした。正直であるということがSMではまず大前提であることを、初手の彼は既に直感していた。
良い素質を持っている。彼を調教することに興味を持った。しかし、敢えてその場での答えは保留にした。一人の男の調教を請け負うことは、重いことだ。軽々しくは決められない。


ところで、私は悪食なのか、容易く理解でき、容易く支配できるマゾヒストには興味がない。
社会的地位や、見識、年齢、あらゆるものが私より上回れば上回るほど、プレイは楽しくなる。数いるマゾヒストの中で、私の目に適うM男は稀だ。ただ欲望を抱えているだけの男に興味はない。欲望の傾向にも興味はない。知る価値のある人間についてだけ知りたい。

サディストの種類に比べ、マゾヒストの嗜好パターンは無限だ。マゾヒストの願望にサディストの欲望が常に制限を受けるという、SMの基本構造がそうさせているのかもしれない。マゾヒストの世界は人間の欲望と業の数だけ存在し、人間そのものの多重性、肉体と精神の関係を面白いくらいにありのまま見せてくれる。

私はサディストでありながら、いつもマゾヒスト男性の嗜好には、何故そんなことにそこまで興奮するのか?と首を傾げることから始る。否定するためではない。あるがままを認めるためだ。

例えば、調教志願の今回の彼は、どうあっても男性であり、社会的地位もあり、結婚している。妻とは、ノーマルなセックスが可能だ。にも関わらず、「女の子になりたい」という願望を捨てられずにいる。その願望は、何故か彼の性的興奮と密接に結びついている。それどころか、ノーマルなセックスでは決して満たされない自己の存在意義にまで及んでいる。
彼は、なぜ「女の子にしてください」と私の前に平伏すのか。
マゾヒストの数ある嗜好の中でも、彼は何故そんな突飛な幻想を抱くようになったのか、興味を魅かれる点だ。
私は、相手の嗜好がどれだけ突飛で変態であっても、スカトロ以外なら針でも鞭でも相手が悦ぶなら何でも出来るので、問題はない。相手が悦ぶなら、私も悦ぶ。
この「相手が悦ぶなら」という点が前述のサディストが受ける制約というやつだ。プレイがうまくいけば、制約は枷ではなくなり、逆に妙味を引き立たせるスパイスとなってくれる。


私の調教を受けたいと懇願する男性は、礼儀も言葉遣いも心得ており、会社でもそれなりの地位にある。結婚し、家も持っている。
ひとつ何かストレスはあるかと訊ねると、会社で部下を叱ることが、苦痛でたまらないという。立場上叱らなければならないからしていることだが、相当なストレスだという。彼自身、自分は繊細で神経質な性格だ、と自己分析した。

私の経験上、こういったM男はプレイ中に叱ってやると悦ぶ。優しく叱るのも、厳しく叱るのも良い。ただし、全て相手の予想を裏切り、虚を突いて叱る。なぜ叱られるのか考えさせ、彼が答えを考えている間に彼が答えるであろう答えを先読みし、答えには正解を与えてやらない。その一等上の淫靡な答え、過酷な答えを与えてやると、また悦ぶ。
人間の心とは、こんなふうにできている。SMという遊戯の枠内であれば、叱られることも叱ることも、極上の遊びに変わる。不思議だ。


プレイの質は、サディストの知性と勘と即座に物語を組み立てる能力、マゾヒストの抑圧と信頼と葛藤と快楽と恐怖をありのまま曝け出す覚悟、両者によって上下する。
人間として引き出しの多い者ほど、サディストにとっては面白い。
引き出せそうなものをどれくらい持っているのかは、M男によって違う。感受性と理性と知性が高ければ高いほど、引き出しは多い。そして、彼らは自分自身の精神の深淵を覗き込むことに躊躇し、同時に恋焦がれている。直感的な恐怖を等しく持っている。この世界に踏み出してしまったら、もう二度と自分は元には戻れないことを知っている。だから恐れる。
恐れを飛び越えるために、サディストが手を貸してやる。導いてやる。抑圧も解放も、引き出すのはサディストたる私だ。残さず引き出してやる。

調教志願の彼は、SMの世界に踏み込むことを恐れている。しかし、本当は更にその先にあるものにこそ覚悟が必要だ。それを彼は知らず、知っているのは私のみだ。


一度SMの世界に足を踏み入れれば、二度と戻れないなどという曖昧な観念は吹っ飛ぶ。これまでの曖昧さが嘘のように、身体と精神はぴったりと結びつく。自身の精神を知るには身体に訊ね、身体を知るには精神に訊ねれば分かるようになる。あるがままでいいのだ、と自己肯定できるようになる。他者からの承認を受ける、まして生涯隠しておきたい程の自分の恥部を曝け出し承認を受ければ、精神は味わったことのない安定を得る。ただし、主の前でだ。誰を自分の主人と選ぶかで人生が変わる。調教を受けたことのない彼は、憧れだけを持っている。しかし、精神的に主人を持つということが、どれだけ慎重を要することか彼は知らない。

プレイの回数は、関係ない。上質なプレイであれば、一度で肉体も精神も変化を遂げる。以後、プレイで得たあらゆる感覚は、ずっと死ぬまで彼の身体に刻み込まれるだろう。刻み込めるようなプレイしか、私はしない。
勘の良い良識あるM男性ほど、主人となる女王様の人間性を知ることに重きを置く。彼は、私の人間性を知りたがった。私から短時間で彼が学んだものは多かった。彼は、願望を満たすことが精神の安定に繋がることも、薄々気づいている。一人ではなく、主を必要としている自分にも気づいている。
素質がある。
彼の目に適えば、私への忠誠は深いものとなるだろう。私も、手間を惜しまず可愛がることが出来る。
彼が、切実にSMを必要としている事実。
これこそが、サディストの私にとっての稀なる素材だ。強烈に興味を魅かれる。


私なら、彼を彼が今想像している以上の世界へ導くことが出来るだろう。私もまた、彼という素材を前に、彼の嗜好の発端を見つけ出すという胸躍る観察実験ができる。彼が自覚しているよりもはるか前に遡り、幼少期のトラウマまでもプレイの俎上で解体し、詳細に調べ、彼に最高の悦楽と安堵を与えられる。
SMカウンセラーになれますよ、と彼が冗談なのか本気なのかそう言ったが、あながち的外れではない。プレイ中に私が考え続けるのは、相手の心理のみだ。抑圧と解放について考え続けている。抑圧を解除してやり、安心を与え、全てを暴き出し、解放し、相手のすべてに承認を与えてやる。その瞬間に、私もまた最高の悦びと充足感に満たされる。

私のようなサディストと彼のようなマゾヒストが出会えば、少なくとも彼が想像している以上に世界は質量を増し、制御しがたい遠心力が生まれる。彼は、そのことをまだ知らない。
私が、最初に想定し、考慮し、決断するべきことだ。
彼の調教を引き受けるべきか、迷っている。


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<SM algolagnia>


コメントのお返事が遅れています。すべて拝見しております。ありがとうございます。落ち着いた状態で返信させて頂きたく思っています。必ず返信させて頂きますので、お気軽にコメント下さい。

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SM algolagnia | comment(18) |


2009/06/04 (Thu) みなづき

20090604.jpg
今日、散歩して撮った紫陽花。


気がつけば6月になっていた。
驚く。
去年の冬、私は死ぬ、明日にはもう死ぬ、もう無理だ、と生きていた。
今年の6月を迎えることが出来たのは、虚数のように不可思議だ。ないようで、今ある。


今週は、ひっきりなしに忙しい。
ダンスに行ったり、ジムやプールに通ったり、新しく出来た友達と遊びに行ったり、美容院に行ったり、カウンセリングに行ったりする。合間に、ちょっとした手芸作業、歌の練習、散らかり放題の部屋を何とかする、買物依存から脱出する、等々の課題あり。今日を除いて、一週間のうち6日間は人と会う。
来週は、間違いなく倒れているだろう。けれど、予定を立てていても明日ですら遂行できるか分からない。動けるうちに動かなければ、やりたいことはできない。流れ落ちていく時間の単価が、以前よりも高くなった。

時間と共に、生きている経験は私の内側に堆積していく。経験という層を、私は丁寧に記録し、表現し、虚構を奪い、意味を与えたくなる。言葉という道具が好きだ。何故、こんなに好きなのかは分からない。


好きなことをやるには、時間が要る。
1日は24時間しかない。何かを経験する時間と、経験したものを言葉にする時間が要る。もどかしい。
例えば昨夜、生乾きの髪で突風に吹かれながら頭の中に描いた詩を、書きとめることができない。1日が、たった24時間しかない。当然のことに今更気づき、愕然としている。私は、自分の中に起こるもの何一つ取りこぼしたくはなくて、悲しくなる。


欠けた記憶も、今だどう受け止めて良いのかまるで解らない過去も、私が犯した罪も、誰も取り戻してはくれない時間も、一緒に泣いてくれる人のいない悲しみも、悲しんでもどうにもならない喪失も、どれも私には曖昧で、綿菓子のように掴みどころがなかった。
そんな出発から始まり、どんな運の巡りか去年の冬を越えて、2009年の6月という見知らぬ土地に立っている。私は、生きている事実を確かめずには、いられないのかもしれない。手足や目や耳や口、体中で世界の存在を試し、動いたり、喋ったり、歩いたり、走ったり、歌ったり、買ったり、食べたり、考えたりしている。

そのすべてを言葉にしてみたい。カメラで、生々しく切り取ってみたい。
そうして私の欠落、虚無という平面に、記憶という美しいタイルを隙間なく敷き詰めてみたい。
丁寧に焼き上げ、豊かな色彩で色づけ、二度と決して忘れぬように。
喜びも悲しみも怒りも楽しみも、確かな手触りを持つ記憶として、私の足下に確かに存在し続けるように。この足元を、見失わぬように。

そのための今という時間をどう扱うのか、初歩的なことで四苦八苦している。


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◇生きる
◇つれづれと孤独(自作詩)

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美鳥(みとり)

Author:美鳥(みとり)
被虐待サバイバー。解離性同一性障害、うつ病、対人恐怖症ほか色々闘病中。境界性パーソナリティ障害寛解しました。毎日の光と影を綴ります。生育歴・来歴・病歴・活動はこちらをご覧下さい⇒<はじめに Profile>

講演活動・ユーストリーム放送しています。
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診断名の有無に関わらず、生き辛さを抱える方々と温かい繋がりを目指しています。ご感想ご意見など、お気軽にどうぞ。お待ちしています。

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