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2009/05/31 (Sun) 夢の世界 人格の配置 ? 解離性障害・カウンセリング ?



思えば、今日で5月が終わってしまうということで、慌ててこのような写真を載せた次第。

二日間ほど、夢の世界に逃避していた。
眠剤なしで、朝から晩まで、食べる以外は眠っていた。こういう日を月に何度か設けている。設けなければ、どうやら生活に支障が出る。

解離性障害のせいなのか、現実よりも夢の世界の方が、私にとっていつもリアルだ。
とはいえ、現実的な夢を見ることは殆どない。
基本的に、私は生身の身体で時速300?400キロで飛ぶことが出来る。面白いもので、夢とはいえ最初は数十センチ浮くだけで怖かった。いまや、地上から2,300メートルあっても怖くない。しかし、今日の夢の中の私は、飛ぶ能力が不安定で、少し怖かった。何故だろう。


夢の世界には、五感が伴っている。
自分の足で歩いている感覚があり、匂いがするし、風も感じる、色彩は豊かで、街も下町も山も海も川も鉄道もあり、あらゆる人間がいて、笑いもあれば戦いもあり、誰かが死んだり、空から血の雨が降ってきたりする。血の雨は、いつもぬめっていて生温い。舌の上で、錆びた味を放つ。今日の夢は、そういえばそんなシーンもあった。

眠れば眠るほど、夢は実家が舞台となり、私は父を殺そうとしたり、父が私を殺そうとしたりしたから、私はいつも包丁を手放さず、しかし結局父に刺されてしまった。
怒りの声をあげる自分の声は、現実にあげている声だった。
散々うなされて起きた。

夢の世界に逃避するのは、今回は、そろそろ潮時らしいと悟った。


昨日は、そうして夢の世界が居心地が良すぎて目を醒まさなかったこと、突然不安定になったこともあって、予約していたカウンセリングを急遽キャンセルしてしまった。
かわりに先生と何度かメールを交わし、不安が整理できたので、今日あらためて行ってきた。

交代することなく、気懸かりなことは全て話すことができた。先生からの意見も聞けた。雑談まで出来た。ほっとした。
つい最近まで、私はカウンセリングルームで笑ったのを見たことがない、と先生に言われていた。今日は、随分と笑った。最近、笑えるようになったかもしれない。
「カウンセリングルームでは、笑わない」「カウンセリングルームでは、自動会話ロボットになる」が、私の長年のカウンセリングで習性となっていたから、この変化は驚異的だ。カウンセラーを変えて良かった。

幾つも話して、幾つも解決したが、保留となったのは人格について。
主に生活している私とAとSの相互関係のバランスが悪く、私は最近何となく「あと一人足りない」と感じている。これは、既にもう一人いるから「足りない」と考えているのか、「足りない」と感じることで新たに生み出してしまうのか、不明だ。
Sと、度々距離が離れること、少年Kに誰も近づけず、誰も彼と交流できないこと、Aは全体を把握はしていないが、もう少し多いと言っていること、等々が今のところ保留の問題となっている。特にKをどう扱うかは、カウンセラーにKが危害を加えたことも含め、重大だ。

カウンセラーと最も仲がよく、カウンセラーへの執着が強いのがAだが、Sは、Aに過保護なきらいがあって、私が辟易するときがある。同時に、私は孤独も感じる。しかし、私は「一人で生きる」という意識が強いから、保護は必要ないともいえる。Sは、全く非協力的というわけではない。ただ、何かしらの理由でAの保護に執着していて、男性不信が強いせいか、Aのキーマンとなっているカウンセラーに警戒心を抱いている。信用していないといってもいい。

これらが複雑に絡み合って、私は時々凄く疲れる。
かといって、誰かに頼ろうと思わない。守ってもらおうとも思わない。恋愛したいとも思わない。不思議なくらいに、私はそんなところが強い。
しかし、Aと私にほぼ同等の頻度で会っているカウンセラーの先生は、そんなふうにきっちり丁寧に保護欲求と自立心を切り分けたかのように、Aと私の性格は役割分担されている、というようなことを言った。
ややこしい。


ブログについても、少し話した。実は、B氏の話はまだ続く。
しつこいようですが、ここから先が真骨頂なので、まだミチミチ書く予定です、とカウンセラーの先生に話したら、まだ続くのか、と大笑いされた。昨日で、ようやく私が満足する帰結を得たのだ。私自身がさすがに飽きつつあるが、大事なことなので、きっちり最後まで書こうと思っている。

色んなことを考えようとするが、Aが最近何を思ったか奇声を上げることにはまっているようだ。そのせいで頭の中がうるさくて、考えも纏まらない。保護役Sは、こんなときに「上の方」に行ってしまってAを抑えられない。私とAは、キャラクターは相反するのに、常に近くにいる。皮肉だ。

夢の世界に逃避しようとしても、あちらもひとまず煮詰まってしまった。当分は、無理だ。
残るは、ダンスだ。太古の荒々しいリズムに乗って、思い切り踊って来よう。
明日は、レッスン日だ。
こうして書くのは、実は明日、サボってしまいそうな雰囲気だからなのだ。
明日は、ダンスレッスンにきちんと行く。
とにかく踊って、一度すべて考えることをやめてみる。


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解離性同一性障害 | comment(2) |


2009/05/28 (Thu) 調味料バトン

真面目な記事ばっかり書くのも私が飽きちゃうので、久しぶりにバトンをやってみました。

何気なく答えていっただけなのに、回答が、かぶりにかぶってしまいました・・・。
大好きだから、というわけじゃないんです。
ただ、アレのかわりになるものが、いつも見当たらないだけです。
朝に、昼に、夜に、必ずやって来る悩ましい時間・・・。
こんなときどうしたらいいんだろうか、私なんかに思いつかない、と途方に暮れるていると、いつも助けの手を差し伸べてくれるのは・・・・・私とは住む世界の違う冷たく黒く凛と屹立したアレなのです。
アレしか、ないのです。

そして、アレはいつも私の期待に応え、あまつさえ食卓でのアレの秘儀がいかに奥深いものであるかを、教えてくれます。
慎ましさを装ってみても、私の舌は、いつしか気がつけばアレの虜。アレの前では私もただの女であることを、否が応にも認めさせられる日々。
未だ成熟を知らぬ私の舌が、どうして抗うことが出来ましょう。
アレが優しく、情熱的に、紳士的に、時に強引に誘う妙なる美味の世界に溺れる私はただの女。ただ浅ましく喉を鳴らし、我を忘れて貪るだけ・・・・。誘う手からようよう逃れても、ソレやコレでは満足できず、こんなこといけない・・・と思いながらも、私の身体はまたアレを求めてしまうのです・・・。


◇自己紹介バトンに答えてみた
◇アフリカ楽器はレアだがケースはもっとレア(ハンドメイドバトン)


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調味料バトン

Q1 お家に珍しい調味料ってありますか?
A1 調味料コレクターなので腐るほどある。というか、実際腐っている。
Q2 この調味料がないと生きていけない!というものは?
A2 ポン酢!!(゚∀゚*) ポン酢(゚∀゚*)は、あらゆる食材の味を引き立て、それ一本で料理を完成へと導く、日本が生み出した万能の調味料だッ!!!!
Q3 目玉焼きには何をかける?
A3 塩コショウ。半熟に焼いた黄身の甘みを引き立てるべく、白身と黄身への塩コショウ加減に注意する。白身に対して黄身はコショウが殆どかからないよう十分留意し、黄身面積に対し約1~3%の塩が最も好ましい。
Q4 お餅には何をつける?
A4 砂糖醤油か、きな粉。一口食べるごとにいやらしいくらい餅に砂糖醤油をこすりつけて食べるのが好きだ。きな粉も同様に、一口食べるごとにきな粉を(ry
Q5 これがあるとちょっとおしゃれ♪と思う調味料は?
A5 紐で束ねられたシナモンスティック。紐で括られたニンニク。紐で括られた唐辛子。紐で括られたブーケガルニ。括ってるの何かいい。
Q6 サラダにつける調味料は何?
A6 ポン酢!!(゚∀゚*)  ポン酢!!(゚∀゚*) 
Q7 味噌汁のダシは何から取る?
A7 いりこ(粉末)  最近の味噌ってダシ入ってるよね
Q8 てんぷらは何の調味料を付けて食べる?
A8 てんぷら大好き。岩塩。抹茶塩。柚子塩。黒七味。山椒塩。天つゆ。
Q9 ハンバーグには何のソースをかけますか
A9 ポン酢!!(゚∀゚*)  か、ケチャップとソースで作る自己流ソース。
Q10 カリッカリのホクホクのから揚げに、何の調味料をかける?
A10 塩かコショウかウージャンフェン。
Q11 調味料の「さしすせそ」。全部いえる?
A11 砂糖 塩 ポン酢!!(゚∀゚*) 醤油 味噌 
Q12 オススメしたい調味料を教えてください!
A12 皇帝塩・ウージャンフェン・黒七味・ ポン酢!!(゚∀゚*)

バトン | comment(6) |


2009/05/26 (Tue) 対人関係の怒りの表現はボケとツッコミでいけ ? 上質な知恵と悪意 ?

職場でも、学校でも、近所でも、友人でも、「嫌な人」というものは必ず存在する。気が合わない程度じゃない。何故か向こうから絡んで来て、こちらを不愉快千万な気分にさせる「嫌な人」。「嫌な人」とは、働き蟻が何匹になっても必ず2割は怠ける法則を持っているように、どこへ行っても遭遇する。生きている限り、避けられないらしい。

たとえ相手が関わりたくない「嫌な人」であっても、私は「対等」であるかどうかに敏感だ。
嫌なことをされれば、されっぱなしで耐え、「何か文句を言っても自分が疲れて損するだけだし」などとは考えない。何だか理不尽だと思えば「ここが?で、おかしくないですか?」と投げ返すことにしている。
そんなこと煩わしい、無駄な労力だ、疲れるだけだ、とはよく聞かれる言葉だが、方法をしっかり身につければ疲れることなく気持ちもすっきりして、身軽に生きられる。


嫌な人との対人関係において重要なのは、どれだけ腹に据えかねていても、決して声を荒げたりしないことだ。感情も荒げる必要はない。そんなことをするのは、野暮だ。

心境でいえば、バラエティトーク番組の司会者のような気持ちでいると丁度良い。それが、大阪人のノリだと最高だ。相手の短所はボケとして、あまさずツッコんであげる。相手のボケぶりが引き立って、よりキャラが立って来る。これぞボケに対する適切な愛情表現だ。場の面白みも増して来る。

ツッコミスタイルは、揺ぎ無く維持しておくべきだ。予測がつかないボケにいつでも柔軟に対応できるように、自分らしいツッコミ方を身に着けておく。
ボケとツッコミのコンビ芸人を見ていたら分かるだろう。独特のボケがあり、対応したツッコミがある。そこに絶妙な間が加わると、エンターテイメントとして上質となる。


この技を、例えば嘘がうまい傲慢な偽善者に応用してみよう。
こちらがひたすらにボケのおかしさを的確にツッコミ続けていると、偽善者は仮面が剥がされ混乱して来る。
元々偽善者の構造は、偽善か善かの境界を曖昧にして、自分の利だけ押し通すところにある。彼ら特有の曖昧さを取っ払い、解体して純粋に偽善のみをツッコみによって曝け出させるのが肝要だ。嘘吐きは、自らの嘘に自らはまって自己破綻すると相場が決まっている。それでこそ、偽善者としてのキャラも立とうというものである。

とはいえ、私がやっているのは攻撃ではない。あくまで、おかしいなぁと感じた点をおかしいと指摘するのみで余分な労力は必要ない。
私はただ、事実をありのままアホのように繰り返し言っていれば良いのだ。やることは、それだけ。至ってシンプルだ。

対称的に、偽善者はコロコロと言うことを変える。目的のためには手段を選ばない品性のなさが、偽善者の偽善者たる由縁なのだ。それはもう呆れる位にペラペラと事実を捏造してくれる。挙句、偽善者は嘘に嘘を重ね、自分で自分の嘘にはまっていく。何が本当なのか分からなくなり、何故自分の利が通らないのか考える余裕も失い、小賢しい思考は停滞し、途方に暮れる偽善者というのは、一見の価値ありだ。


最終的に、何が真実であるかを相手に認めさせる必要は全くない。言い負かす必要もない。
大切なのは、自分に揺らぎがなく、相手はおかしい、ということを自分が実感できればそれで良い。偽善者が、自分の嘘がばれてしまうと焦っている時、逆に後ろめたいことがなく泰然としている自分を体感する事が大切だ。
場合によっては、自分が間違っていたと感じるときもある。その時は、潔く自分を正す。これもまた、自分が自分に対して品性を保つためだ。勝ち負けではない。自分の人生に自分で責任を取る。それだけのことだ。


バンドで知り合ったB氏とは、短期間とはいえ様々あった。
最初から最後まで、私は嘘をつくことなく、社交辞令も一切使わず、真直ぐにいることを心掛けた。相手が、私の人間性も見たいといったし、私も相手の人間性を見たかったからだ。相手を映す鏡となる私が歪んでいれば、相手を正しく知ることは出来ない。

偽善たっぷりのメールを貰ってから、即座に私は電話したということは以前の記事に書いた。その時の会話が「決して言い争いではなく、会話の3分の1は笑ってすらいた」というようなことも書いた筈だが、その理由は上記のような「ツッコんで自己破綻を待つ」方法を取ったからだ。ついでに、ボケに華を添えるべく、シュールな冗談もところどころに散りばめておいた。これは、私個人大いに笑えた。

彼との会話は実に面白いネタとなり、誰に話しても笑ってくれる。カウンセラーも大笑いした。笑いのセンス、ウィットが人生のスパイスであるとは誰が言った言葉だろう。
偽善者に腹を立てるだけは、やめにした。やつらは、うまく料理すれば実に立派な笑いのネタになる。


考えがここに至ったのは、過去の自分の七転八倒、失敗しっぱなしの経験があった。


理不尽な言動で絡んでくる相手、偽善と嘘を織り交ぜて利用してくる相手、無神経な相手に対して、真直ぐ生真面目に生きようとしている人間が、なぜいつも道を譲らねばならないのだろう。
なぜ、理不尽を耐え忍ぶことが、人間関係において一種の美徳であるとすら言われるのだろう。
それが、果たして本当に最善の方法なのか。
それが、本当に精神的省エネなのか。
それで自分は笑って流せるのか。蓄積されてはいかないのか。

私の、長年のテーマだった。


真直ぐあるべきものを曲げると、必ず目に見えない部分が壊れていた。
私は、大人しくて、主張もできず、怒りは全て悪いものだと思っていたから、全て笑って流していた。そのかわり、誰かに依存すること、依存されることに執着し、人間関係の虚無を濃密過ぎる関係で打ち消すようになっていた。
実際は、打ち消せてなどいなかった。糸は絡みに絡み、私の心は捩れ続けた。苦しかった。死んだ方がましなくらい。

私は、確信した。
怒りは、怒りとして真直ぐあるべきだ。
愛情は、愛情として真直ぐあるべきだ。
そこに相関関係を作ってしまってはならない。

怒りを抱いた時、怒りの内訳をしっかり考察し、その怒りに関係した人間とその場できちんと解決するべきだ。
そうしなければ、扱いきれなくなった怒りは、人間を内側から崩壊させる。

誰も彼もの区別なく周囲に怒りを振りまくヒステリックな人間になってしまうかもしれない。向けるべき相手に怒りを向け片をつけておかないと、無関係な周囲に過剰な怒りの反応を示すようになる。

もしくは、誰も彼もの区別なく、周囲に私が悪いからどうか許してくださいと縋りつく人間になってしまうかもしれない。とにかく何でもいいから誰かどうにかしてくれと全て投げ出し、自暴自棄と自己憐憫に陥る。プライドは地に落ちるので、自分のことが嫌いになる。



過去どちらも通った道だ。
どちらをも完全に断ち切ることが出来たのか、今再度確認する時期にある。しかし、ほぼ確信になりつつある。少なくとも私は、以前より賢明に生きている。



無神経な嘘吐きが大手を振って歩いていても、私は対等に大手を振って歩く。
譲る必要のない道は、譲らない。
運悪く嘘吐きと出くわした時は、あなたは嘘つきですね、と微笑んで挨拶すれば良い。
不愉快な言葉を吐いて来るだろうが、そのうち嘘吐きは自分が掘った穴にはまる。穴の底で彼は、何だかよく分からないが恥ずかしくて苛立たしく後ろめたい思いにかられるだろう。
その時点から、私が負担する謂われのない怒りは、以後そっくり嘘吐きが負担することになる。


身軽になった私は歩き去り、大切な友人に会った時、こんなことがあったよと笑って話すだろう。
それから、友人がもし似たような嫌な人間に会って困っている時は、忍耐する必要もないし、泣き寝入りする必要もないし、耐えることは美徳でもなく、疲れる必要もなく最後は笑えるネタにすることだって出来るんだよ、と笑って話すことが出来る。



次回は、楽しい実践編をお送りします。

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日々日記 | comment(10) |


2009/05/24 (Sun) 理不尽の連鎖 ? 機能不全家族 ?

20090524.jpg

理不尽な事でも、それが数十年に渡り日常的に繰り返し行われると、一体何がどう理不尽なのか分からなくなってくるものだ。

暴君のような父親の元で育った知人が、かつていた。
彼女の家では、父親の一言は絶対だった。両親共に働いていたが、父親は生活費を別にしたので母親の稼ぎだけで兄弟3人を育てた。父親の暴力、暴言は日常茶飯事で、夜中に父親が包丁を持って窓伝いに殺しに来たこともあった。

そんな彼女の家の食卓は、拷問だった。
団欒からは程遠く、何か少しでも父親の機嫌を損ねるようなことがあると責め立てられる。
まともな家庭ではなかった。
しかし、彼女にとって家庭とは、それ以外に存在しなかった。理不尽に耐え忍ぶ毎日は、彼女に父親を殺したいという憎しみすら抱かせた。


彼女は大学入学と共に牢獄のような実家を出て、一人暮らしを始め、やがて結婚することになった。
相手の家の夕食に招かれた26歳の時、彼女は衝撃的な場面に遭遇した。

婚約者の食卓では、皆が笑って冗談を交わしながら食事し、特に子供達の父親への接し方は、まるで彼女の家と違った。
恋人の父親が、妻や子供達に「ごはんおかわり」と言うと、皆が「もう、お父さん自分でよそいなさいよ」と囃したてた。
咄嗟に、恋人の父親が怒鳴り喚き食卓は惨状になる、と彼女は恐怖で身を硬くしたが、当の父親自身当然のように楽しく笑っている。

皆が笑っているその場で、彼女だけが青ざめていた。こみ上げてくる生理的な恐怖心に襲われ、吐き気をこらえていた。
目の前の光景を受け入れられず、子供達が父親と冗談を交わす度に、ビクビクと怯えた。それは最早、反射的で、彼女自身も自分でコントロールできなかった。
彼女の家では、絶対に有り得ない光景だった。家事は女がするもの、と父親から蔑まれてきた彼女は、男女同権を日頃から強く唱えていたが、実際は自分は疑うこともなく家事は自分がするものだと思い込んでいたことに気づいた。


恋人の家から戻ってきた彼女は、結婚は無理かもしれないと私に話した。
彼女は言った。
あれが普通かもしれないけれど、結婚して自分があんなふうにできるかと考えたら到底できそうにない。多分、疑いもなく夫の世話をしてるし、食卓で一言でも口をきこうものなら子供達を叱り飛ばすだろう。
恐ろしくて、自分は絶対に夫自らごはんをよそわせることはないだろう。そして、子供達もそれが当然なのだと思って育っていくのだろう。そして、自分の子供達はいつか言うのだろう。なぜ家事は女の仕事なんていわれなきゃいけないんだ、と。かつての自分のように。

誰が茶碗にご飯をよそうのか。それだけのことに、一つの家族の在り様が見えてくる。
それは、家庭という密室の箱の中で、家族という媒体を介し、ほぼ疑われる機会もなく受け継がれて行く。
頭で、理性で、「これはおかしい」「許せない」「変わりたい」と考えていても、変革が終わったわけではない。
習性に抗うとき、必ず最大の恐怖が訪れる。
刻み込まれた嘘、根拠のない劣等感、恐怖心は、抗わず服従し沈黙を守り、恭順することが最も安全であるかのように錯覚させる。先述の友人が、どうしても食卓で嫌なのに夫に怯えてしまうように。

刷り込まれた習性に挑み、長い長い年月をかけて積み重ねられた理不尽な事実を「NO」と突っぱねなければならない。何度も行動し確かめることで、ようやく自分の感覚が、自分の生き方に合致してくる。
「自分らしさ」「自分らしく生きる」という言葉は、今の世の中に氾濫しているが、手に入れるのは決して容易くはないと私は感じている。理不尽な習性を自覚し否定し、何度も何度も恐怖に直面し挑み、失敗と成功を繰り返し自分の感覚を修正していかなければ、手に入らない。


その後も悩み続けていた彼女だが、結婚した後、離婚した。
今どうしているのかは知らない。
私が、縁を切ったのだ。
理不尽な家庭で育った彼女は、私ととても気が合った。6年間、同居するまでに。
しかし一方で、私を嘘や脅しで支配しようとし、私を羨んだかと思えば蹴落とそうとした。やがて私へのストーカー行為にも発展した。

常軌を逸した彼女の背景を知ってはいたが、私はそれをも「NO」と拒まざるを得なくなった。理不尽に苦しんできたからこそ、中立は現実逃避や誤魔化し以外の何物でもない。拒まず受け入れれば、私の中の理不尽に馴染みやすい習性に自ら囚われることとなる。
それはきっと、私が意識しないうちに、大切な友人や恋人や配偶者や子どもへ波及し、特に家庭においては高い確率で次世代へと連鎖する。

縛る鎖は、見つけた時に断たねばならない。
はかりしれない恐怖と痛みと孤独を伴うとしても。


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ブログ内リンク カテゴリー<機能不全家族>

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機能不全家族 | comment(18) |


2009/05/23 (Sat) 怒りの下ごしらえ ? 鬱・AC・上質な知恵と悪意 ?

前回まで◇くたばれ社交辞令の猿 ◇くたばれ社交辞令の猿2 ◇偽善者も使いよう? 上質な知恵と悪意 ? のあらすじ
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

バンドボーカルを始めた私。

ベース氏(B氏)と、ドラム氏(D氏)と出会う。初日から、B氏の<女性を無力なペットのように扱う態度>にイラッと来るが、先入観はいかん、と自分を宥める。人見知りだというD氏は、まるでアルパカのように穏やかだ。

「お試し期間」ということで始めたため、合否をくれと言った私に「審査はしない」「落す落さないじゃない」等々、仕切ってるらしいB氏の意味不明な基準から関係が始まる。

次から次へと出されるハイレベルな課題に取り組んでいきつつ、スタジオ練習にも入り、メンバーと仲良くなる。特に、ベース氏は私のプライベートを知りたがり、キモいくらいに訊いてくる。ベース氏からの電話は長く、長時間の電話2回。しかも、一度はかけ直させられた。「彼氏おんの?」と口癖のように訊いてくる。後に計4回訊いてきた。答えても訊いてくる。うざい。

スタジオでちょっとばかり具合が悪くなり、数分私が倒れる。「気にせんでええから」と言って変わらず接してくれた二人に感謝したが、その際、ベースが嘘吐きだと密かに判明する。しかも、幼馴染であるドラム氏にも嘘を吐いていることが判明。

練習を続けていたある日「バンドスコア売り切れてるわ?」と何気なく送ったメールに、ベース氏から返信。「みとりさんがバンドするのは早いんじゃないかと思う。だからごめんなさい」と、ボーカル断りの連絡をメールで貰う。

オイゴルァ! こんな重要な用件をメールで済ませるだと?
私の怒りのレフリーが立ち上がる。

すぐにベースに電話して、「なんでこういう用件をメールで済ますわけ?」と訊ねる。
「直接言ったらみとりさんが傷つくと思って」と偽善満点のお答え。

怒りのゴングが鳴り響く。

断る理由は、人間性にも、やる気も歌声も何ら問題ないが、前回のスタジオでちょっとばかり具合が悪くなり数分私が倒れてたことだという。口だけの完璧主義者な本人は、スケジュールを二度変更し、1度遅刻している。自分のことは棚上げである。

とりあえず断る理由云々、バンド活動云々など、どうでもよくなり、彼奴の人間性に反吐が出る。
お綺麗な言葉を並べれば、ゴリ押しでも自分の思い通りに人を動かせると侮っている模様。摩擦を面倒がって、理不尽を飲み込み黙って引き下がる泣き寝入り人間ばかりではないことを、きっちり思い知らせてくれよう

これでスッキリ!
偽善者の調理法実践スタート。
(次号につづく)




関連として、後に<理不尽な抑圧の連鎖・虐待の連鎖について>の記事をアップします。
鬱・神経症・人格障害者にとって重要な<怒りの表現>に関する私見は、以下のブログ内リンク先を御覧下さい。

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日々日記 | comment(4) |


2009/05/22 (Fri) 夜とチャイラテ

先週から、体中に青痣ができている。
主に左半身、足から腕までだ。何だろう。
記憶にない怪我は、よくあることなので気にしないようにしている。
しかし、やはり、何だろう。


今日は、一日中ほとんど寝ていた。よくこんなに眠れるな、というくらい。
内側の四足で歩く子ども人格Aと夢を共有することがある。
昨日と今日の夢は、同時に見ていた。
悪くない夢だった。
彼女が加わると、すぐに分かる。
夢のストーリーや情報に、私と違う感覚が混じる。

半覚醒の状態で、Sも交えて話し合った。
私もAもSも、穏やかな心地で話し合えたことは、初めてかもしれない。
特にSは、いつもいるわけじゃない。
カウンセリングをどう受けるべきか話し合ったが、結局SとAが前回の件で仲違いしていて面倒なことになった。次のカウンセリングを受ける順番として、Aが1番、Sがフォローの2番、私が3番となった。
AがSに寄せる信頼は篤いが、Aは、現カウンセラーにも何やら並々ならぬ信頼を置いているようだ。
皮肉なことに、普段相性の悪い私とAは、カウンセラーの体調を心配しているという点で話が合った。



今日は、とても涼しく静かな夜だ。
数日前に私が夜中に戻ってきたら、道すがら何匹もの猫が急ぎ足でどこかへ向かっているのに遭遇した。猫集会の日だったらしい。
どうやら、ボスの座を巡り、そこかしこの縄張りで争っているようだった。
その後も、うちのまわりは昼も夜も猫達の喧嘩の声で騒がしかった。集会でも話し合いが決裂したとみえる。
今夜がこんなに静かなのは、ついに終結したのだろうか。
随分と長い抗争だった。
猫の世界も、大変だ。


連日の記事の続きは、下書きを書いた後で更に整理したくて下書きフォルダに戻した。
いやというほど眠ったはずなのに、夕方までの睡眠とは別に、また睡魔が襲ってきている。
久しぶりに作ったチャイを飲んだら、ぐっすり明日まで眠れそうだ。



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日々日記 | comment(4) |


2009/05/21 (Thu) 偽善者も使いよう ? 上質な知恵と悪意 ?

20090521.jpg


続けてリアルタイムで書いてきた◇くたばれ社交辞令の猿  ◇くたばれ社交辞令の猿2 だが、心底「くたばれ」と思っているので、我ながら表題が気に入っている。正確に言えば社交辞令というよりも、他人を貶める嘘が許せない。そんな輩は遠慮なくくたばってくれと願う。
怒りは、婉曲せず潔くストレートに出すべし。自戒。


前述の記事では、少し説明不足だった。通称が一定しないまま書いたので分かりにくいが、最近知り合ったバンドメンバー2人とのことで、B氏=ベース D氏=ドラム となっている。
私が「口だけの完璧主義且つ偽善の猿」と断罪したのは、B氏について。
実は、鬱病をはじめとする多くの神経症等の当事者にとって重大なテーマを含んでいるので、今後も書く予定。よろしければ、過去記事を読んで頂ければ幸い。



昨夜、急遽だが、あらかたのカタを付けてきた。
私のいつものパターンで、直感と勢いだけで行動したら、何だか8割くらい片付いた。
しかし当初は家を飛び出したものの、向かう電車の中で我に帰り、傷つく確率が遥かに高いことに気づき、終始手足の震えが止まらなかった。
甲斐あって、幸運なことに勇気は無駄にはならなかった。

一対一で話したことがなかったD氏と居酒屋で話し、終電間際に帰ってきた。帰りは胸がすっとしていた。完全に解決するのは、6月初旬。しかし、やるだけやった。後はどうとでもなれ。というよりも、結果が楽しみだ。

B氏に関しては既に「猿を意のまま思う存分調理できた」という調理済みの状態となっている。後は何も知らないB氏が、どう足掻いて醜態を晒すのか観察するため泳がせている。

他にも例えば先日記事にした私とB氏のやりとりは、実は表面上は穏やかなものだった。ショックで最初は泣いた私。話題は変わらず不愉快なものだったが、3分の1は笑って会話しただろうか。私が終始、ボケという形で怒りを笑いに換えた。手が付けられない偽善野郎だと初手で知ったので弄ぶことにしたのだ。相手の化けの皮が剥がれれば、ショックなどどうでもよくなった。私がボケるまま笑っていたB氏は、勘の悪いただの気の毒な野郎に成り下がっていた。

つくづく私は、純粋に嫌いだと思い知った人間に対してサディスティックだ。


こんな私の態度や言動が偏っていて不快だと感じる人は、多いのではないか。事なかれ主義の日本人気質からしても、受け入れがたいだろう。
特に、自分に自信が持てない環境にあったり、自分のあり方に迷いを持っていたり、誰かの心無い言動に深く傷つけられた経験を持っている人ほど、私が実際行った対応を知れば、よくやったとカタルシスを得るか、自分の領域までもが脅かされるような危機を覚えるか、大なり小なり、そのどちらかになるのではないだろうか。

そう思いながらも、実は敢えて書いている。
後で更に記事を増やすつもりでいる。


自分に自信が持てない鬱や神経症患者や虐めや虐待経験者が、生活の中で度々直面する「心ない人間からの攻撃にどう対応するか」という問題に、私は散々ぶち当たり悩んできた。
その手前には、「怒りをどう扱うべきか」という難問が待ち構えていた。そのもっと手前には「自信・自己肯定とは何か」という更なる難問が立ちはだかり、完全なる立ち往生の末、精神崩壊した。
答えが出ないまま右往左往している間に、随分と攻撃をまともに受け、人間嫌いを深めたものだ。


悩みぬいた末、私は、対人関係において常に「上質な悪意と知恵」を携帯するようになった。思い切った決断だったが、自分を守るため、脅かす者を退けるため、大切な友人を守るため、しっかりと根を張り生きるため、欠かせないと確信し、このブログを始めた当初から書いている。
私にとって、ブログで何度でも外側に向けて書きたい重要なテーマだ。


今回のバンドでの人間関係は、久しぶりにこのテーマを思い出させてくれた。再び、じっくり考えている。机上の空論は嫌いだ。実践にしか興味がない。その点で今回の件に遭い、感謝すら覚えている。



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2009/05/20 (Wed) くたばれ社交辞令の猿 2 

前回の記事◇くたばれ社交辞令の猿から一晩明け、東京の弟MTに相談したり、体調が悪い中返信してくださったカウンセラーのメールを読んだりして、やっと自分が何に本来怒っているのか分かった。

嘘を吐かれたことだ。
しかも、嘘のパターンで、嘘に嘘を塗り固められた。
そういう場合は騙されっぱなしのふりをしているのが相手との余計な軋轢を増やさない安全策だったりする。
哀しいかな、性格改造後の私は、すぐさま指摘して突き崩した。
捏造に励んだ相手には申し訳ないが、嘘は嘘だと指摘することに決めている。
散々迷って悪あがきした挙句、私はこの生き方以外出来ないと腹を括ったから。


そもそもの始まりは、バンドと恋愛などプライベートを分けたいと思っていた私とは裏腹に、「彼氏はいるの?」「ダンナはいるの?」「いつから彼氏いないの?」「仕事何してるん?」等々遠慮なく訊いてきたB氏にある。
プライベートを訊かれれば、私の場合当然病気の話に触れないわけにはいかなくなるが、それも簡単に留めておいた。しかし、踏み込んで訊いてきたのは、またもB氏だった。
そのB氏が現在「情を持ちたくないから、プライベートとバンドは分けたい」と言っている。矛盾している。まるで私の病気が、バンド仲間の空気を崩したかのように摩り替えられているが、私の意図したこととは別方向に最初から動かしていたのはB氏だ。


そのB氏は、私のカミングアウトを訊いたとき、「D氏には言わないでおくわ。それは、みとりさんのタイミングで言いたいだろうし、俺は黙っとくわな」と言った。そのスマートな対応に私は感謝した。 距離感としても、ベストだと思ったからだ。

しかし。

前回のスタジオ練習で、突然体調不良で倒れた私は、数分気絶していたようだ。
D氏にも迷惑をかけた。
事情を知らないだろうと思い、休憩時間にD氏に直接私は話しかけた。
そうしたら、思いもよらずD氏が私に、
「あいつから聞いてる」
と、目でB氏を指した。
さっき聞いたというよりも、随分前に聞いた様子だった。多分、B氏が「それは黙っておくわ」と言った直後だ。

私は、少なからずショックを受けた。
しかし、B氏の心遣いかもしれないと思った。そう解釈することにした。


昨夜、B氏からメールでボーカル断りの連絡が来て、メールで断りってないんじゃないの、と電話して理由を尋ねたら、ただひたすらに病気のことが理由だという。
しかし、病気のことといっても知らないのだという。知らないけれど、完璧にやりたいから不安は持ちたくない、と言われた。
しかし既に私は、彼B氏の仕事の都合で2度予定を変更されている。電車が止まったとかで彼らが遅れたこともある。その時も私は責めなかった。
インフルエンザが流行っているが、外出の機会が少ない私より、彼らの方が感染の可能性は高い。それ以外にも、この後も、仕事で穴をあけることはないのか、風邪を引かずにいられるのか、モチベーションを保ち続けていられるのか、遅刻しないでいられるのか。

そう訊いたが、B氏の答えは「レベルが違う話だ」ということだった。
レベルか。
全て人は、地続きだということを知らないらしい。

完璧を求めて手に入るならば、彼はメンバー集めなどやっていないだろう。これまでの仲間達と末永くやっていることだろう。


病気について、そんな認識のB氏がD氏にどう説明したのか分からない。
とにかく、「俺は黙っている」と私に約束したのに、早くも破ってB氏はD氏に話していた。

そのことも私は咎めず、流した。

しかし、昨夜の電話の中でB氏が私を責める口調で、
「あんなふうに突然倒れたら、何も知らんD氏がびっくりするやん」
と、言った。
私が予想外にB氏の話術にはまらず、丸め込めないので出した最後の手、といったところだった。
すかさず私は言った。
「D氏には、この間はなしたけど、とっくに知ってたよ。きみが話したんやん」
B氏は言葉に詰まった。

自分が話しておきながら話していないふりをして、私の良心を痛ませ、自分の思い通りに動かそうとして失敗したのだ。無様なり、B氏。
ストレートに言えないのか。
逃げ場を作らず、自分の立場に責任を持って、後ろ暗いことは排除して人と向き合えないのか。
対等に向き合わない人間の言を、私が尊重しなければならない義理はない。


病的に嘘吐きな人間と裁判をやりきった私だが、得てして嘘吐きとは無意識に自分に都合の良い嘘をその場その場で拵える。
そんな人間は、無意識に人間全般を舐めている。見下している。
これくらいの嘘なら、ばれないだろう、かえって人間関係の潤滑油になるだろう、くらいに考えている。
嘘を見抜く相手の能力を侮っているのだ。
たまにそんな輩に出会うと、頭隠して尻隠さずの愚者に見えて、こちらが恥ずかしくなる程だ。


私は、嘘に耐性がある。敏感だ。
私のこれまでの人生は、嘘ばかりだからだ。
解離性障害の私は、ファンタジーという嘘を自分で作り、その中で生きてきた。周囲の家族も、うちは何の問題もない家族だ、というファンタジーに逃げ込んでいる。
現在、世間一般の人たちが程ほどに受け入れられる嘘や社交辞令であっても、私は生理的に受け入れることができない。
潔癖だからではなく、嘘に塗れてきたから、もうたくさんなのだ。
嘘をつかない人としか付き合えない。
極端であろうとなかろうと、私はこれで仕方ないと諦めた。
かわりに引き受けなければならない孤独は孤独として存在するが、同種の孤独を知り、孤独って悪いもんじゃないと語り合える嘘偽りのない友達がいれば、それでいい。
嘘で私と関わる人に、私は興味が持てない。
嘘を吐きたくないから、嘘を吐く人とは付き合えない。
それが今ここにいる私の真実だ。


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◇くたばれ社交辞令の猿

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2009/05/20 (Wed) くたばれ社交辞令の猿

驚天動地。

色んな意味で信じていたが、色んな意味で裏切られた。
メールで。
ここが肝心。
重要なことだと互いに認識していながら、「あなたのため」という口上が添えられ、メールで拒絶された、そのことが裏切り。
相手は、とても耳障りの良いことを言ってたけど、それは全部私が嫌いな「優しく拒絶する」てやつだった。
斬るときは、バッサリ斬れよ。
往生際悪いのが、私は嫌いだ。優しさだとも思わない。


情がどうのと言われたが、情が絡む話題に食いついてきたのは、相手だ。プライベートに踏み入った理由は、私の人間性が知りたかったからだろう。なのに、終わりはメール1通か。

よりによってカムアウトしてなければ、私の首はつながったわけだ。
ただの体調不良だった、貧血だった、と嘘をつけば済んでいた。私は、やらないが。
私の人間性が好きだし、能力にもやる気にも何ら不満はないという。けれど、B氏は完璧主義だから続けていく不安があるからなんだとさ。

じゃああなたは、風邪を引かないのか? インフルにかからないと保証できるのか? 遅刻しないと保証できるのか? 仕事の都合で活動できなくならないと保証できるのか?

そう言ったら「レベルが違う」と言われた。
レベル? レベルも何も、同じことだ。私が倒れていたのは数分。復活して、また通常通りやって帰ってきた。帰りは全然普通だった。私も。皮肉にも、あなたたちも。そのことに感謝した。母の呪いにも勝てた。

なのに、突然メールでお断り。

「優しく言おうとして言えないし、みとりさんがショック受けるだろうかメールにした」と言われた。拒絶の言葉を、どう優しく言うつもりなのか。そんなことやろうとする時点で優しくない。それどころか卑怯だ。道理でごちゃごちゃ意味の分からない回りくどい文句で主旨が分からないと思った。しかもメールでか。それは、私が傷つくからじゃなくて、あなたが傷つくからだ。「ずるいね?」と私は笑った。ずるいかな、と相手は言った。ほらね分かってないから、ずるいのだ。

ストレートに物を言うのが、そんなに怖いか。普段言う必要がなくとも、それなりに交流してきた人間に対して払うべき誠意はあるだろう。誠意というものは、相手の顔色をうかがって出したり引っ込めたり、出し方を画策したりはしない。それは、<保身>と呼ぶ。


「情が移る前に決めたい」ということなんだけど、しょっぱなの情を扱いきれずに、その後どうやってくつもりなんだい? 最初に健康体を選んでスタートしたからといって、情がなくてどうやって続くんだい?
「もう一人に電話する」と私が言ったら「もう情が移ってるやん。個別に見てるなんて」と言われた。
はぁ!?
個別に見てるよ私はもともと。人間は、バーガーセットじゃない。二人セットで見るなんて、そんな感覚で人間性を見極められるのか?何言ってんだ。
<情>が悪いとは私は思わない。使いようだ。要するに、B氏がうまく扱えず自分が情に傷つくから早々に私を切り離したいだけだ。

言ってることとやってることが違うB氏。
これきり、と考えている彼に対し、私は「私は、やりたいから。理由が病気だけなんて馬鹿げてる。私は二度と倒れないし、言ったら必ず実行する。やる気は誰にも負けない。他にもあたりたければ、そうすればいいよ」と答えた。
「でも、今後やりにくくなるんじゃないの。プレッシャーやん」とB氏が言った。
「いいよ。何でも。やりたいものは私はやる」
「そういうストレスが良くないんじゃないの?病気にも」と言われたから、本当イライラした。

病気って何なのか、彼は知らない。理解していない。病気にも重篤から軽症まであって、回復期もあり、こういってはなんだが、私は人間関係の中で、この人病んでるなぁと思う思考回路と行動をもっている人は、いわゆる「正常」とされている人たちの中に圧倒的に多い。
私は、回復期にあって、治る算段もできたから色んなことを始めている。

今回の「そういうストレスが良くないんじゃないの?病気にも」は、私をプツリと怒らせた。
声こそ荒げなかったが、「これはストレスじゃないでしょ。やりたいことをやる上で必ず通る障害なんだから、乗り越えるだけだよ。実際、高いレベルを求められても私は恥じない努力を今までしてきたよ。知ってるよね」と答えた。何がストレスかは、病人だろうが私が決めることだ。無知な人間にとやかく言われることじゃない。


本当に言いたかったのは、ストレスっつーのは、きみのような人間のわけのわからない優しさだよ!だった。優しさと拒絶をミックスして飲み込めと迫って来る。正面から来るべき時に背後からグサリとやられる。肝心なときほど逃げ場を作って、優しいようでいて卑怯な人間の言動に、反射的に不快とストレスを感じるのだ。

私は、やらねぇなぁ・・・・ということの山盛りやられて、でもそれは覚えのある世間の「社交辞令」というやつだった。
「あけっぴろげ」「オープンすぎる」「裏がなさすぎる」とは、私の性格に対しよく言われることではあるが、皆何に怯えている? 社交辞令という芸だけ巧い猿に何の価値がある。


「他も経験したほうが、みとりさんにとってプラスになると思うから、他も探してほしい」と言われた。
私は、鼻で笑ってしまった。
「他を探すかどうか、それがプラスになるかどうか、これでやめるか、私のことは私が決めるからいいわ。他人から言われることじゃない。私はそんな弱い人間じゃない」


また連絡してね、と伝え、連絡する、と電話が切れた。


最初はショックで泣いていたが、今はもやもやする。
母が言った呪いが、まさに寸分違わず現実になったわけだ。
これが「世間」「普通」「みんな」ってやつ?
大多数が使っていて、私が全く理解できない「社交辞令」か。
TPOで使い分けるならまだしも、日本人はどこへ行っても社交辞令の一つ覚え。
本音を隠しておくべき場は、会社くらいなものだ。他でも社交辞令なもんだから、お互い何を考えているのか分からず、相手を探るべく、また社交辞令になる悪循環。

私は違う。
違ってて構わない。
はじき出すなら、はじき出せ。
私に逃げ場はいらないと言ったら「あかんやん」と言われた。
またも、「そういうのが病気にあかんのんちゃうん」と。
だーかーら、私が病気になったのは、自分に嘘をつく人間に囲まれてきたからだ。例えばあなたのような。自分が傷つきたくないから、無意識に優しさを装って自己主張を通す時、中立のふりをする。被害者にも加害者にもならない絶妙なバランスで安全な逃げ場を確保する。他者という犠牲を強いて。

逃げ場を作って生きている人間は、無様だ。私は散々見てきたし、身をもって実感しているから、例え少数派であろうと、一向に気にしない。
「逃げ場がないのは、あかんやん。みとりさんが傷つくやん。だから病気になるんちゃうん」と言ったB氏に対し、
「これでいいねん」
とだけ答えておいた。
病気と、私の信念は関係ない。
私は確かに日々障害を抱えて生活してはいるが、人間を見る目まで舐めてもらっちゃ困る。
社交辞令という芸達者で優しいだけの猿は、くたばれ。


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◇くたばれ社交辞令の猿2

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日々日記 | comment(4) |


2009/05/19 (Tue) コンクリートの上の太陽 - 失語症・フラッシュバック・自他殺欲求 -

20090519.jpg

カウンセリング中のフラッシュバック
4月25日


何かの話の流れで先生が、
「美鳥さんは失語症を経験されてるからお分かりでしょうが、言いたいことを言えないという時ほど言葉は出てこないもの」
と言った瞬間に、<失語症>というキーワードから当時にスリップした。

会話自体は、私の過去とは無関係だったのに、私は自分に問いかけてしまった。
あの失語という地獄の季節、私は一体何を言いたくて言えず、失語になったんだろうか?と。


気がつくと私の両目から、熱い涙が後から後から溢れ出て止まらなくなり、手離しで泣いている自分がいた。


殺したい。


言いたくていえなかった言葉は、<殺したい>。


殺したい。
誰も彼もを殺したい。
自分も殺したい。
自分だけでは足りない。
そこらへんの誰でもいい。
できるだけ多く。
全部殺してやる。
1人じゃ足りない。2人でも足りない。
もっと、もっと、できるだけたくさん。
殺したい。殺したい。殺したい。


それを、誰にもいえなかった。
実行に移した夜は、とある偶然で遂行には至らなかった。

殺したかった。
殺したかった。
それしか先生を前にして言えなかった。



先生が私に紙を差し出した。
恐らく私が失語になって筆談しか無理だと思ったのだろう。
カウンセリング中に難聴になり、喋れなくなった時に筆談を頼んだことがあったから。

私は、真っ白な紙の上に、川が見えて泣いた。
失語のとき、川の堤防に座って、毎日流れを見ていた。
真っ白な頭で、ただ川面を眺めていた。
言葉を失うと、感情も消えてしまった。
あの頃の私は、もう泣くことができなくなっていた。
言葉を失った私は、太陽の陽射しと共に温められ、冷えていくコンクリートの上に座り続けていた。



その後の記憶が途切れ、後でAの日記で知った。
私と交代したAが、カウンセラーの先生との時間を楽しんでいた。

私が生きているのは、現在なのか、過去なのか。
時々、何もかも放り出したくなる。



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治療日記 | comment(0) |


2009/05/18 (Mon) 灼熱と郷愁

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体力が限界で、ブログを書く時間が作れないでいる。
物凄いフラストレーション。
現実では、色んなことが起こっているのに、文章として書けないのは、全てが流れていく川に足を浸して茫然と突っ立っているような気分になる。

ここ最近、経験したこと。

ストリート音楽祭。
バンドのスタジオ練習。
愛鳥の通院、闘病。
実家へのしばらくの帰省。
実家の人たちを実験、観察し自分の過去を振り返る苦痛の作業。
大切な知人の死。
スタジオで急遽ぶっ倒れて練習を中断させた醜態失態。
残虐な犯罪と死刑制度と精神鑑定と責任能力と量刑判断についての考察。
昨夜のカウンセリングルームでの解離と空白の時間とびしょぬれのスカートと頭痛と寒さと怒りと悲しみと卑屈な思考と自暴自棄と、解離性同一性障害という病を自分ごと潰して殺してボロ雑巾にしてやりたい憎しみ。


今日は、ダンスレッスンに出かける。
こんなに行きたくないのは、初めてだ。

生きてどうする。
空白の時間、交代の直前の予兆、足掻いても結局無駄な努力に直面すると、いつも頭をよぎる。
解離は、虚無だ。私の時間と記憶と生きる欲求を真っ白に塗り潰し、支配する。
また時間は飛んで、記憶は飛んで、身体は私から離れ、私の感情も離れ、魂がもぬけの殻になった身体は邪魔で、運ばれることだけ知覚して、暗澹とした生温い眠りにつき、目が覚めればさっきまでの激情も全て去っている。何食わぬ顔で生を続行しても、迷惑をかけてしまった周囲にどれだけ謝っても、謝罪すら重々しく空気を沈殿させるだけ。
唯一の救いは、理解ある友人を持つことができ、何もなかったように普通に接してくれたこと。

けれど、私は怖くて怖くてたまらなかった。次はどうなる。私は、どうなる。私にすら分からない。自分のことも、仲間のことも。

いつもの絶妙なタイミングで母が私に言った。
「そんなふうに突然倒れられて、バンドの人たちは、あんたとはやっていけないと思ったんじゃないの?」

ああ、ずっとこうだった。
母の会話は、いつもこう。
とても穏やかで優しくて温和で仕事場でも、どこへ行っても母は優等生で人望が篤い。
でも、私にはいつもこうだった。
今もそうだ。
母に悪気はない。悪気がないから、最悪なのだ。


あらゆる虚しさに支配される。
分厚い虚無の真下に、灼熱のマグマがうねり流れている。血よりも美しい赤を目にすることはできないが、この真下にあるのだと信じる。
今いる虚しく真っ白な世界は、私を置き去りにする。
真っ白な世界は、私から感情も時間も奪う。
サイドブログのことばかり考えている。
あの世界は私にとって、虚しい問いなどひとカケラも意味を持たない。
憐憫も、陶酔も、後悔も、自虐も、賛辞も、何も必要ない。
私がそこにあるだけ。
あの世界が、私を生かす。懐かしくてたまらない。

■Baby Bitch I am.


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解離性同一性障害 | comment(2) |


2009/05/14 (Thu) 歌うとか叩くとか奏でるとか孤独とか 

20090514.jpg

随分と経ってしまったが、初めて「自分の(所属する)バンド」といえるバンドでの初スタジオ練習でのことだ。

互いに一度も演奏したことのない私達。課題が4曲決まり、2週間後に練習するスタジオも予約した。スコアが郵送で届き、当日まで互いの力量はまるで分からない状態での見切り発車。

2週間の必死の努力といったら、思わず自分を見直してしまった。
私は、自分が好きなことにかけては負けず嫌いなので、人生の半分がバンド経験年数という他のメンバーに劣らず立派に歌ってみせる、と鼻息も荒かった。

しかし、実際にやってみると曲の難易度もさることながら、人に聞かせるために歌ってきたことがない私は、0からの出発というよりもマイナスからの出発となった。
100回練習して1歩進む。が、1回歌う毎に、4,5個の課題を見つける。要するに、歌えば歌うほど課題が増えていく地獄巡り。

歌えると思った次の回では、歌えない駄目だと思う繰り返し。可能と不可能を目まぐるしく行き来する。しかし、とにかくやるしかない。なぜなら私は、お調子者で、出来る算段もないのに、ただ絶対やりたいという願望だけで「必ずやってみせる」と実行前に有言するタイプ。既にバンドメンバーには「時間があれば私に歌えない曲はなくなる」とまで言った。ぽかーんとしていたドラム氏の表情が忘れられない。よくまあ言ったものだ。自分で自分の首を絞めるのが大得意な自虐女なのだ。


100回練習の末に1回は報われるという、喜ぶべきか、情けないと嘆くべきか、ともかくも地味な練習を延々続けた。やりながら、自分って案外ストイックな面もあったのだな、と思った。熱しやすく冷めやすい私が、他人まで巻き込んで結果を出そうとしているのは、かつてない事態だ。

飛ぶように日だけが過ぎた。
プレッシャーのあまり、スタジオ練習の前夜は、ちっとも眠れなかった。
眠剤でどうにか眠りについたものの「こうしてる場合じゃない!」と夜中にガバッと何度も起きる繰り返し。後でメンバーに話したら「そこは寝てたらええやん」と笑われた。確かに。

当日は、落ち着かなくて随分早目に家を出た。予約の数十分前にスタジオに着いてしまった。
メンバーはまだ来てなくて、私は会員登録を済ませたら、やることがなくなった。いつも持ち歩いているカメラで写真を撮ったり、ソファで寝たり、フライヤーを眺めたり、フロントの男性がハンダゴテで何かくっつけているのを眺めた。ギターか何かの部品だろうか。

私しかいなかったロビーに、他のバンドマン達が集まり始めた。
これまで私には縁のなかった人種たち。別の意味でちゃらけた格好の私は、実に浮いていた。が、異質な私に目もくれず、彼らは隅のソファーに座って銘々楽器を取り出したりして話し始めた。
私は、横目で盗み見た。
赤い髪をこれでもかと立ち上げたパンクロッカーのような男性は、有刺鉄線のようなブレスを腕に巻きつけている。ギターパートらしい男性は、常に小さな音で何か弾きつづけている。そうしていないと落ち着かないようだ。何のパートなのか、もう一人は常に足で脳内の音楽のリズムを取っているらしい。そうしながら、次のライブはどこそこに出たいなど音楽の話に熱心だった。


総じて全員、独特の空気をまとっていた。
青白いでもなく、日に焼けているでもなく、内向的でもなく、かといって外向的でもないように見える。これからスタジオに入って奏でる音楽は、とりあえず物静かでないことは確かに思えた。しかしメンバー同士敬語で話し合う姿は、派手な見た目に似合わず実に穏やかだ。
それは、私が出会った今回のメンバーにも共通している。

手遊びにカメラをいじりながら、彼らの空気を一言で表現するなら何だろうと思いを巡らせた。
内包されたエネルギーが常に身体の内側で循環しているのを感じる。彼らの中では、世界が生まれては新しく創られ続けているのかもしれない。肉体という物質に阻まれ抑圧されているが、迸り駆け出す瞬間が訪れることも知っているから、穏やかにその時を待てる人たち。

「ストイック」という言葉がぴったりだなと思った。


彼らがスタジオに入る頃、私のバンドのメンバーたちがやって来た。
約2週間ぶりに会うメンバーをあらためて見てみると、確かにさっきまで眺めていたバンドマンたちと纏っている空気がそっくりだった。
体育会系でもなく、文化系でもなく、ファッションを意識してはいるが過剰に自己主張するでもなく、演奏以外は、存外穏やかな印象を与える人たち。


入ったスタジオは、何だかかなり良いスタジオらしく、バンド経験の長い二人はやたらと感激していた。慣れた二人に教えてもらい、マイクや譜面台やミキサーを準備する。
生の音は、やっぱり凄い。一発で耳がおかしくなった。ドラムの音に内臓を叩かれているようだ。ベースの響きは、私の背骨を弦に変える。これがバンドの楽しみなのだけど。音に圧倒されて、しばらくスタジオ内で安全地帯を探し、マイクを持ってうろうろした。

慣れている二人はとても楽しそうだ。私は、楽しむ余裕なんて殆どなかった。何千回も練習でリピートしたのに、うまく歌えない。現在、メンバーはボーカルの私以外はドラムとベースだけだから、頼りになる音がなくてメロディーラインを捉えるのが難しい。
スタジオの片面は全面の鏡なのだが、できるだけ自分が映らないように端っこに立って歌った。楽しさもあったが、プレッシャーで端から吹っ飛んでいった。

でも、来なきゃよかった、とは思わなかった。やるしかない、しか頭にない。
しかし、なんて音痴だ。とてつもない音痴だ。歌いながら、思わず自分を呪う。歌うことがしんどい。

歌うって何だったっけ?
呼吸は、どうするんだっけ?
どう立ってればいいんだっけ?
どこでブレスして、どう音程を取るんだっけ?

当然のように分かっていたことが分からなくなってきた。

そのくせ、ベース氏に感想を求められれば、「今のは確かにドラムが遅かった」などとストレートに感想を述べる。基本、生意気な性格は変わらないのが我ながら哀しい。素の自分でいることを心掛けていると、そういうことになる。最悪である。
「そうか?もっと早いねんな」と汗だくで素直に反省するドラム氏に、密かに敬意を抱いた。
最後に、遊びでドラム氏がキューティーハニーをロック調にアレンジして叩き、幼馴染のベース氏が合わせて演奏してくれた。お互いに笑っている二人の顔が印象的だった。


2時間の練習は、あっという間に終わった。
ロビーに戻って、スコアや水や煙草、それぞれを広げて音楽のことを話した。

ベース氏は、何度も私に「どうだった?」と訊いてきた。訊かずにはいられない様子だった。
事ある毎に繰り返し同じ質問をされて困惑した。

うまくできたとか出来なかったとか、例えば私は40点だったとか、楽しかったとか楽しくなかったとか、何かありそうなものだが、考えても考えても私の感想は実に曖昧なのだ。

さっきうまくできたところができなくて、できなかったところができたりする。誰かがうまくできても、誰かができていなかったりする。話し合って解決し、すぐにクリアできる課題もあり、これはあと何回かやらないと合わないね、という点もあった。かといって、楽しくないわけではなく、しかしもっとうまくなりたいとも思う。そう思うから、何度でも同じ曲を皆で一緒にやっても飽きることがない。
私は、うまく答えられずに、「楽しかった」だけ繰り返した。


スタジオを出たら、とにかく空腹だった。
帰りに3人でラーメンを食べに行った。
そこでは、バンドと全然関係ない話をして、たくさん笑った。大阪人ならではのボケとツッコミで会話する。私は、どちらにもツッコむという役どころになりつつある。毒舌だからなのか。
男友達って、面白い。あっさりさっぱりしていて私は好きだ。


前日に眠れなかったと私が言った時に「寝とったらええやん」と笑ったのはドラム氏だが、後にベース氏から「あいつは今朝の5時まで叩けん曲延々リピートして聴き続けて、緊張とプレッシャーで寝てなかってんて」と教えてくれた。
そう話してくれたベース氏は、どうやら自分の影の苦労は表に出したくないタイプのようだ。口には出さないから一見余裕があるように見えるけれど、今回の課題曲は難しくて当然なんだといっていた。彼も苦労しているようだ。

皆、個人練習は孤独なのだった。
一緒に演奏するまでは、各々がどこまで完成させているのか分からない。各々のパートに代わりはいないから、自分の持分からは逃げられない。プレッシャーだ。
それらをスタジオで集めて、曲として一つに纏め上げる作業は、1曲につき気が遠くなるほど時間と集中力、仲間と呼吸を合わせる勘が要るようだ。
バンド活動の基本は、意外にも独りで技を磨く職人のような根気強さが土台となっている気がする。


私は、もっともっとうまくなりたいと思った。100努力して1報われる焦れったさも歯がゆさも乗り越えて、もっとうまくなりたい。メンバーの足を引っ張らず、鏡に映る歌っている自分から逃げたりせずに、堂々と歌って、私もメンバーと一緒に楽しめるくらいの余裕が持てるように。

悔しさと楽しさと情熱と執念と向上心が、先へ先へ引っ張ってくれる。
気を抜くとそれらがプレッシャーになり、精神的に引きずり回され疲れ果てる。
でも、それでも、とにかく音楽と歌うことが大好きだ。そのためなら、一人の時間も悪くない。
こんな種類の孤独もあったのか。



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バンド | comment(0) |


2009/05/07 (Thu) 通低音 ? コンプレックス・AC・境界性人格障害・人間不信 ?

20090507.jpg

「バンドを始めることになりました」
と、私が言った日。
カウンセラーは、へーという顔をしてから「キーボードか何かですか?」と訊いてきた。
「いえ・・・ボーカルです」
と、答えると、カウンセラーは更に意外そうな表情をした。
それから、
「歌は上手いんですか」
と訊いてきた。

以上。
このたわいない短いやりとりについて、私は何日悩んだかしれない。
「歌」にまつわる会話は、カウンセリング中で極力避けてきた。なぜなら、思い出したくもないエピソードがあるからだ。


去年ブログが書けなかった時期に、私は毎日とんでもなく情緒不安定で死ぬことばかり考えていて色々あったのだが具体的なことは今は省略するとして、自殺計画が頓挫してカウンセリングルームのトイレに閉じこもり、Sと話してゲラゲラ笑ったり泣いたり、また死のうとしたり、安定剤をゲーゲー吐いたり、そのうち何が何だか分からないが同じ歌を繰り返し大音量で歌い続けて、カウンセラー及び近隣住人(おそらく)にとんでもないご迷惑をおかけしたことがあった。少なくともカウンセラーは、とち狂った私のリピートし続ける歌をいやという程聴かされているのだ。
カウンセラーに対する私の迷惑ぶりはそれだけに留まらず、思い出すと自分を瞬時にパーンと一発射殺したくなるので、それも今は省く。
とにかく、あの時のことを思い出すと、私は「うわああああ!」と恥ずかしさのあまり叫んでしまう。穴があったら即座に入る。その上から誰か私を跡形もなく埋めてくれ。


その後、有難いことにカウンセラーが当時のことを進んで話題に出すことはなかった。
しかし、私は内心、常に怯え続けてきた。
「歌」という単語や「音楽」という単語がカウンセラーとの会話中に出てくると、ディズニー映画のキャラクターのように飛び上がり、ダッシュで家に逃げ帰りたい衝動にかられるようになったのだ。
実際そうするわけにはいかないので、歌について話が出ても、何食わぬ顔で会話を交わす。その実、心の中では「うわあああああ!!」と腹の底から絶叫し、我が身の醜態に頭を抱えて恥ずかしさのあまり転げまわってきたのだった。


出来れば、「歌」「音楽」などは極力避けたい話題なのだ。
しかし、バンドを実際に始めるとなると、カウンセラーに相談しないわけにいかなくなった。
バンドや歌うことが、私に楽しさと同時に苦痛をもたらすのだ。

歌うという行為は、私にとって重要なことだ。
人間不信の私にとって、歌う場所が複数の人間で構成されるバンドとなると、人間嫌いが悪化する原因ともなりかねない。距離を間違えた付き合い方をしてしまえば、一歩間違えると体調も精神状態もすぐボロボロになる。これまでで痛感していることだ。
だから、会う前から、私はメンバーの人となりを想像しては怯えた。
誰かに失望してこれ以上人間を嫌いになりたくない、という恐れと、私なんか嫌われるのではないか、という恐れで身動きが取れなくなっていった。

「誰にとっても良い子でいたい」というAC気質も、早々に私を疲れさせていた。
まだ会ったことのないメンバーに対して、どうあれば「良い子」として認められるのか読み取ろうとするのは難しい。しかし、出来る限り認められたいがために、ああでもないこうでもないとメールの一文などで精神をすり減らした。

加えて「100点でなければ0点と同じ。80点でも意味がない」という、0か100かの境界性パーソナリティ障害めいた思考が、自己評価を最低に陥れてしまった。

自分から始めたいと名乗りでたくせに、始める前から疲労しきって、自分をどう扱っていいのか分からない。こんなことなら、始めなきゃよかった、とすら一時期心底後悔した。始めるにしても、まだ自分には早すぎたのだ、と考えてみたりした。


簡単に表現すれば、「不安」なのだ。「不安」の根源はどこにあるのか。「コンプレックス」だ。
このコンプレックスが曲者で、常に私に忌まわしい想念を強いる。


冒頭のやりとりでまず私が気になったのは、私がバンドを始めたと言ったら何故「キーボード」と言われたのだろうか、という点だった。以前、ボーカルとして友達のバンドに飛び入り参加させてもらったことも知っている筈なのに。(◇波動
音楽の話題は苦痛だが、気になって仕方ない。勇気を出して、次の回にカウンセラーに質問した。
「私がバンドをやる、と話した時に「キーボードですか?」と訊いたのは、私が歌うような人間には見えないからでしょうか?」
ストレートに訊きたかったのは、「私はボーカルにふさわしく見えないのか?」だった。しかし、怖くて訊けなかった。
先生は、「いや、美鳥さんはピアノができると聞いてますから、まずキーボードなのかなと思っただけです」と両手で鍵盤を奏でる振りをしながら答えた。私が質問自体を曖昧に濁したために、不満足な答えが返ってきてしまった。

もう一歩、踏み込んでみた。
「私は去年、ここのトイレに閉じこもって大声で歌い続けてたことがあったじゃないですか・・・・あの時は本当におかしい状態で・・・でもとんでもなく音痴だったんじゃないかと・・・私なんかがボーカルをやるのはおかしいと思われたんじゃないかと思って」
話しているだけで、変な汗がにじみ出て来る。最悪な気分だ。
すると、先生は、
「いや。ボーカルと聞いて、へ?そうなのか、と思っただけですよ」
と、あっさり答えた。

カウンセラーという職業人が、へ?そうなのか、などという感想でいいのだろうかと思わずツッコみたくなった。こういうツッコミは、これまで数々あるのだが、逆にこれがあるから続いているのだとも思う。その理由も、今は省かねばならないけれど。

カウンセラーの裏の意図や表情が見えないか様子を探ってみたが、見当たらない。
何もない。97%くらい何もない。あとの3%は、自分の卑屈さが作る影のようだ。
「バンドのボーカルをやります」という発言に対し、「へ?そうなのか、と思っただけですよ」を、ようやく信じることができた。納得できた。


途端に今度は、別の気懸かりが思い出された。
「ボーカルです」と答えた時にカウンセラーが、
「歌は上手いんですか?」
と訊いてきた、その理由だ。何とストレートな質問だろうか。そして、何と最も訊かれたくない質問だろうか。
あの質問は、何故出たのだろうか。去年のことこそ口に出さないが、あの時の私の歌が本当に酷かったのではないだろうか。だからカウンセラーは、私がボーカルをやるなんてちゃんちゃらおかしいと実は考えているのではないのか。散々聞かされたはずなのに、知らないはずはあるまい。しかし、それは失礼だから「上手いんですか?」などという質問へと無意識に婉曲して私に寄越したのではないのか。

疑惑を持った時の私の頭はフル回転である。実際は、上記の10倍数のパターンを考えているが、きりがないのでやめておく。コンプレックスとは、最悪な意味で無限の想像力を持っている。

「上手いんですか?」という単純な質問が、「下手なんだろ?」という悪意との二重奏に聞こえてきた。それは、時間と共に私の中でプレッシャーへと変換されてゆき、「お前なんかに上手く歌えるのか?」と嘲笑する何者かの声になっていく。
最早、カウンセラーの人格からも解離し、実際の私からも解離した、妄想的世界に片足を突っ込んだ状態となる。とても苦しい。

しかしこれもまた、カウンセラーに質問すれば、「いやボーカルときいて、ただ上手なのかな、と思っただけですよ」と言われそうだ。

そのカウンセラーから、面白い話を聞いた。
バンド=派手・目立ちたがり・外向的 と一般的に思われがちで、実は私もその1人だった。
しかし、そうでもない、鬱病患者などでバンドをしているのは比較的よくある話で、楽器を始めたことで回復する人も多いという。
バンドをやる人間とは、ある独特の空気を持っているらしい。その時は、「へ?そうなんですか」と相槌を打っていた私だが、後日身を持って実感し納得した。

コンプレックスや鬱や躁に揉みくちゃになりながらも、勢いで始めたバンド。そこでの話も、ここに書いていけたらいいなと思っている。私のコンプレックスと現実との悪戦苦闘も含め、メンバーもなかなか面白いのだ。


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◇波動



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治療日記 | comment(5) |


2009/05/05 (Tue) オークション依存

ネットオークションに数日ではまりにはまって、通常の生活に支障を来すまでになった。24時間、躁状態。気が気ではなく、落ち着いていられないのだ。

最初は楽しくて面白くて仕方なかった。入札から落札までの競り合いは、自動入札にしていても、なおも面白い。オークション終了までの数分の高揚感といったらない。

一方で、オークションを見ていると何が必要だったのか、何を幾らで買うのが妥当なのか分からなくなってきた。必要最低限で最愛の物にだけ囲まれて生活したいと考えている私にとって、物凄いストレスになってきた。
次々に届く商品を手にする度に、疲弊していく精神。現に前回のカウンセリングで「オークションで心が擦り切れています」と言ったのは自分なのに、その日も帰ってすぐにオークションサイトを夜中まで見ていた。


もはや、ちっとも楽しくない。なのに、サイトに行くことをちっともやめようとしない。
必要なものがあるから買うのではなく、何を買おうかと考えて検索し、物色している自分がいる。
一日あっても時間が足りない。
こんなことやめたい、楽しくない、時間がない、疲れる、お金がない、と思いながらも、気がつくとまたやっている。ギャンブル依存症や買物依存症は、こんな感じなんだろうか。
久しぶりに会う友達にも「オークションがあるから」と言って早めに帰ってきた。冗談のようで現実のエピソード。何を置いても、とにかく気になって気になって仕方ないのだ。
たった1週間で見事に依存症の域に入ってきた。


バンドのライブ用の衣装を2着買ったところで、何だかおかしいな、とふと疑問を抱いた。
なぜなら、バンドは始まったばかりだし、ライブに及んではメンバーが勝手にやろうと言っているだけで、現時点で何の予定もないからだ。
しかし、元々好きなことには手が早い私は、バンドのヴォーカル審査を受ける前に既に一着リサイクルショップでステージ衣装を購入している。
ステージ衣装ばかり3着も持って何をしようというのか。

私は、おかしい。
オークション熱が、ようやく少し冷めてきた。

気を取り直し、ジャズダンスのDVDを見ることにした。これもまた、オークションで買ったものだが、オークションに忙しくて見る暇がなかったという本末転倒な代物となっていた。
DVDにならって、見よう見まねでやってみた。

驚くべきことに、ムーヴィングの前のアップの段階で私は全くついていけなかった。とても単純に見える動きですら、ついていけない。アップの後の40回の腹筋ですら途中でギブアップした。
私は、驚嘆した。
空想の中の私は、もっともっとうまくやれるはずだ。
しかし、その後、基本的ストレッチにもやっぱりついていけなかった。
私の足は180度も開かない。多少努力で柔らかくなってきたものの、私の身体は固いのだ。
徐々に目が覚めてきた。


どうやら、私はいい年をした大人でありながら、オークションで物を買うことで夢を見ていたらしい。

ライブ衣装を買ったら、何となく理想に近づける気がしていた。ダンスの衣装のことを考えると、実際の自分より痩せている自分を想像できて楽しかった。
けれど、落札して手元に届く度に、理想に近づいているのか、現実を見せ付けられているのか、鏡の前で途方に暮れること幾度。それでも、次こそはもっと良い何かを買えば、今より理想の自分に近づけると考えるようになっていた。

なぜこうも簡単なことを忘れていたのだろう。
理想と現実は、違う。理想は、お金では買えない。
物に依存したことなどないのに、何という依存ぶり。
足元を見ずに、遠い遠いところばかり見て爪先だってフラフラしていた。お恥ずかしい話だ。


ようやくオークションという魔の桃源郷から脱し、現実の自分の足を90度以上開くことに努力を注ぎ始めた夕方。
落札したワンピースが届いた。「絶対これが欲しい!これは私が着る運命だ!」と張り切り、私なりに痛い高額を出した思い入れの強い商品だ。
無理に延ばした股関節の痛みをこらえながら包みを手に取ってみれば、落札した瞬間のあの高揚感と達成感と興奮の大きさに比べて、何と薄く軽いものか。
開けてみると、ペラッペラのチープなワンピースが丁寧に梱包されて入っていた。包装紙に貼られた「For You」という金色のシールは、100円ショップで見たような気がする。
嫌な予感がしながらも、試着してみた。

写真で一目ぼれしたのは、その袖口の蝶の羽のような広がりだ。
しかし、実際に着てみると、美しいはずの袖口は、腕をあげる度に死んだクラゲみたいにペタンと力なく裏返った。生地がペラッペラなのだから、自然の理。これまでにない惨めさに突き落とされた。
何度も腕を上げ下げして、蝶が死んだクラゲになる様を繰り返し眺め、鏡の前で思わず笑ってしまった。
まさに、物を使うのではなく、物に使われた結果である。
便利なオークションだが、今の私にはうまく使いこなせない。
頭を冷やして、脱オークション依存を誓う。


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元片付けられない女 | comment(6) |


2009/05/05 (Tue) 乱気流

あまり調子が良くない。
バランスが、良くない。
一日中、殆どアドレナリンが出続けている状態で、一見活動的なようでいて、内側のバランスが乱れに乱れている。朝から晩まで頓服を飲んで活動し続けている。

私が近所の郵便局まで歩いて行った帰り、Aが車に轢かれようとして道路に飛び出した。彼女の頭には、事故=死亡 という図式しかないようだ。私は、怪我が怖い。冗談ではない。
最近は減っていたことだった。カウンセリングの来週の予約をキャンセルしたら、絶対に行くんだと言ってきかない。電車の中で泣き喚いて最悪だった。そのせいかもしれない。用事でカウンセリングルームの近くまで行った時も、同じく最悪だった。
私自身は、解離と眩暈、吐き気、身体の痛みが続いているが、脳内のアドレナリンに振り回されて、無理な外出をこなしたり、オークションに依存過多になり、新たにまた予定を増やし続けている。

Sが話し合いたがっていたが、遠い遠い過去のように感じる。その頃から私はそんなことはどうでもよくて、バンドとダンスと人間関係で頭がいっぱいだった。全く落ち着いて考えることも話し合う気にもなれなかった。
私は、全く自分の内側に意識を向けることができず、それはブログが書けないことと連動している。
自分自身をじっと見つめる作業が出来ないでいる。

昨日から、あらためて自分を宥めて、ブログを書くことにした。
現実で色んなことが起こっているのに、ちゃんと言葉にしないのは私がちゃんと生きていないのと同じ事のように感じた。
ふわふわしている。
地に足が着いていない。
そして、疲れきっている。
書きたいことを書きたい。



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解離性同一性障害 |


2009/05/01 (Fri) 廃墟・ガラクタ・錆びマニア



カメラを持って外に出ているとき「何撮ってんの?」と、知らないおっちゃんなどに声をかけられないことが珍しいくらい、変なものを撮っているらしい私は、いわゆる廃墟マニアだ。

同じ廃墟マニアなら分かってもらえるかもしれないが、廃墟とは、廃墟であってはじめて廃墟である。軍艦島の一般公開は、とても残念に感じている。足を踏み入れてはならない聖域だと思っていた。しかし、廃墟マニアであるがこそ一度は行ってみたい聖域。マニア心は複雑である。

こういう↑自販機の横に無造作に積まれたワンカップケースの写真なども撮るのが好きだ。ただのゴミにしか見えないであろう道行く人に不思議そうに見られるが、気にならない。いや、多少気にはなっても、やめられない。

カメラを構えて一番興奮する対象は、廃墟、工場、人工物(使用済)、金属(錆びていると最高)、枯れた花(そのために買って来て花を時間をかけて自然に枯らす)、配線板、あとは人がはいている靴。
そういう写真は、どうやら多数派でない趣味のようなので、撮った後にチェックして自己満足した後、こっそり自分のパソコンにしまいこんで置いてある。


こういう、ある種どうでも良い(個人的には楽しい)話題を書いているのは、現在の私が鬱だか、普通だか、よく分からず、何かとにかく疲れていて、明日も多分疲れて、日曜日は最悪疲れるだろうからだ。廃墟の話は、ちょっとするだけでも癒される。
精神疾患患者やカウンセリング療法のクライアントを取り巻く環境と当事者について集中して書きたい記事があるが、リアルが全く落ち着かない状況なので、やむなく後日にまわしている。


何だか忙しい。加えて、軽度の鬱状態が続いている。
今日は、午後3時まで寝ていた。鬱で全く起き上がることが出来ず、カウンセリングの予定があったが、そんなものには行けない、永久に行きたくない、という気分で眠っていた。
大長編の夢、しかも楽しくてドラマチックで、相変わらずリアルに五感を伴い、現実よりも何でもありの夢の世界は楽しくて眠り続けた。が、寝返りを打ったときに私が少し立てた声をキャッチして、文鳥ももが「退屈だ。かまえ。あそべ。かごから出せ」と叫んで抗議し続けるので、仕方なく起きた。

それから、またも「カウンセリングに行きたくないが、行きたくない時に行かなければカウンセラーに逃げたと思われて悔しいから」という理由で、カウンセリングに行く支度をした。カウンセリングルームまでのエレベーターの中でパニック障害の発作を起こしそうになったので、やむなく頓服を一つ水で流しこんだ。色んなことを話せた。私にとっては、警戒心の元となっている核心に触れる話が出来たことは収穫だった。特に対人関係に関する私のポリシーは、我ながら随分と生意気なものだなと思った。カウンセラーが大笑いするのも無理はない。
でも、これで良いのだ。
今回も、Aと交代せずに済んだ。先生は何度かAの話をしたが、Aの日記に書いてある謎の「がっぱがっぱ」という表現などが具体的に理解できた。Aが私について先生に話すことで私が説明せずに済んでいる事柄がある、ということに気づき、それは単純に有難いと思った。しかし、日記や先生の話から知る限りでは、もう少しどうにかならないものかと思う。
今日も自分の足で帰り、帰りは嬉しくてやはりこっそりステップを踏み、コンビニに寄って夕飯を買って食べた。嬉しいものだ。


生活の合間には、ひたすらにバンド用の英語歌詞を頭に叩き込むべく、同じ曲を計数百回はリピートして聴き続けている。もう何日目になるのか。スローテンポならまだしも、まくしたてる英語。しかもイギリス英語。とにかく努力しかない。こんなに努力しかないものも珍しいだろう。

明日午前中は一人で3時間練習予定。もはやカラオケボックスは私にとって以前のような憩いの場所ではなく、ひたすらに課題曲のみを緻密に練習し続けミスをチェックし、無我の境地で挑むさながら滝修行の場である。

ナーバスだ。週末のスタジオ練習までは、精神はナーバスでハイだったりロウだったり、お先真っ暗だったり、またハイだったりで忙しいだろう。
しかし、突然福井から友達が明日遊びに来ることになり、夕食を一緒にすることになった。
美味しい食事と友人Nとの会話と、Nの子供と3人、のんびりした夜を過ごそうと思う。


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プロフィール

美鳥(みとり)

Author:美鳥(みとり)
被虐待サバイバー。解離性同一性障害、うつ病、対人恐怖症ほか色々闘病中。境界性パーソナリティ障害寛解しました。毎日の光と影を綴ります。生育歴・来歴・病歴・活動はこちらをご覧下さい⇒<はじめに Profile>

講演活動・ユーストリーム放送しています。
講演のご依頼ご相談は、当ブログメールフォームからお願い致します。

診断名の有無に関わらず、生き辛さを抱える方々と温かい繋がりを目指しています。ご感想ご意見など、お気軽にどうぞ。お待ちしています。

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