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2008/11/30 (Sun) 精神の血族

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叔父が先日、亡くなった。

私の母の兄だった。
多くの妻と愛人と子供をもうけ、子煩悩で親戚内で人徳篤く信頼されていたが、脳梗塞と脳溢血の末にほぼ全麻痺になってからは、仕事も失い、身体の自由も失い、言語も失い、記憶も曖昧だが、残酷なことに孤独や絶望を感じる器官は生かされていた。静かだが壮絶な孤独のうちに亡くなった。

叔父の妻は、自身の夫の危篤状態においても、実に事務的で、何の感情も浮かばないようだった。ただただ煩わしかったようだ。恐らく、夫の死よりも彼女は株価が気になっていたに違いない。断言できる。
叔父が倒れたときに、延命措置を阻んだ女だ。彼女こそが最も叔父の死を望んでいただろう。
叔父が一代で築き上げた信頼厚い会社は全て女が乗っ取った。彼女は、叔父の妻ではあったが復讐に燃えていた。自分に隠れてあちこちに妾を作り、子供を作り、最終的には愛人と同居しようとしていた叔父の不実に怒りを燃やしていた。叔父が倒れた時には、動けなくなった叔父を嘲笑った。しかし、彼女もまた、本妻から彼を奪った元愛人だ。

親戚の者達は、叔父の行いを知り、女の無情も知り、どう感想を述べても真実には届かない、人間の冥い冥い底なしの沼を覗き込むようで、言葉を失し続けた。
叔父の人生の詳細に対して、何と感想を述べていいのか分からない。


私にとって、叔父の最後の妻は、小賢しい唾棄すべき悪女で、病的な嘘吐きで他人を侮り、外側ばかりを装うことに必死で滑稽なほどに低い人間性を常に露呈していた。自己中心的で醜い虚栄心を、そのまま人型に嵌め込んだような女だった。

よく胸糞の悪くなる出来の悪い嘘ばかり吐いては、私を凶暴な気分にさせた。私はこの女が嫌いで、彼女の言うことは一切信じず、全て先手を打ち、何か実質的被害を被った場合には必ずきっちり返すつもりでいた。気が強い私としては、これまでの慇懃無礼で情も品性もない女に、彼女が最も恐れる「化けの皮を剥がされる」体験をさせてやろうと考えていた。
ついに機会は訪れなかったが、こういう手加減不要な相手というのは存在するのだなと、いつも呆れ半分だったものだ。

悪女に耐性もなく、自身の感じ方に常に自信がない母は、この女の思うがままだった。
女は、これまで嘘八百のお涙頂戴の話をでっちあげては母の同情心を買い、金だけを無心したり、わけの分からない怪しい企みにも何度も巻き込もうとした。
小賢しかった。
しかし、情に弱く「善人」の母は、この女に精神的に対抗する術を持たなかった。常に嘘か真か判断のつかぬ理の通らぬ言葉に振り回され、母は、猜疑心だけでくたくたに疲れていた。
私は、母の傍らで自身の信条を更に固めた。
悪意に対抗するために、更なる悪意と上質な知恵を身に着けよう、と。
他にも、綺麗ごとばかりではない男女の仲や、妾腹に生まれる不遇の子供や、愛と憎しみの相関関係など、叔父の人生を通して見せてもらったものは、数限りない。


叔父は、十代の頃から、メロンの屋台売りから始め、一時は人の道に外れ、しかしまた再起し会社を興した。女癖が悪いことだけが欠点だった。女に恨まれてやむなしの人生だったが、情が厚く、数え切れない人間が彼の世話になり、彼の人間性に心打たれ、彼を慕った。動けなくなってからの叔父は、その身体の内に閉じこめられ、言葉を奪われ、どんなにか窮屈だったろうと想像する。
来る日も来る日も続く、個室の高級老人ホームでの毎日。妻は罵るばかりで、取引先の同情を買えるという理由で彼女は夫が死ぬ前から「未亡人で子供二人を一生懸命育てている」と周囲に言ってまわっていた。叔父は、死ぬ前から既に殺されていたも同然だった。

妹である母をはじめ親戚の誰にも叔父の入院先は知らされることはなく、叔父はリハビリを受ける機会も奪われ、寝たきりで放置された。親戚が彼と会えた回数は、数えるほどしかなく、彼にとって最愛の妾の子の身をひたすらに案じ、幸福を願っていたようだが、会うことは叶わなかった。たった1人の妹である私の母や叔父を心から慕っている親戚は、通夜のみ出席が許され、葬儀には誰一人参列できなかった。だから、叔父が大事に大事にしてきた妹私の母は、お骨を拾うこともできなかった。

叔父が最後に倒れたのは、皮肉にも妻を捨て、愛人とその子供と共に暮らそうと決意した直後のことだった。彼の金で高級マンションに住み子供と暮らしていた愛人は、住処も生活のあても失い、その子供は永久に父親を失った。
病床での7年半は、彼にとって生き地獄だっただろう。死ぬまで、生かされているという残酷さと向き合い続けた。言語野に障害を負った叔父が、病床で何を思い、何を考えたのかは叔父当人しか知らない。


肝臓癌が発見されたが、医者が手術と治療を何度勧めても妻は断った。誰の目にも意図は明らかだった。

彼は、最後の妻を選び損ねた。
しかし、彼は、誰を選んでも満足できなかっただろうと、私は思う。
叔父は、子供の頃離れて暮らさねばならなかった母親の愛情を、出会う女達に求めていた。私はそう確信している。次は、次こそは、と期待しても期待しても、それは決して彼の母親ではない。派手な女性遍歴は、ついに彼が一度も真には満たされることのなかった証のように見えて仕方ない。
私の家系図を鑑みると、親の愛情に恵まれない境遇の人間が、正に樹の枝のように連なっている。叔父の母親は、私の祖母であり、その娘が母であり、そのまた娘がこの私だ。連なりは、樹となり鎖となり、私たち精神の血族を繋げている。


叔父は、昼間に亡くなった。苦しむことなく、静かな死だったという。前日まで意識があり、妹である私の母と言葉を交わしたのが最後だった。
死期が近いらしいと母から電話で聞いてから数十分後、たった今亡くなったと母からのメールで知った。
大阪は、よく晴れていて清々しかった。風が強く、水色の空の中、白い雲がどんどんと形を変えた。
涙は、出なかった。


叔父は、自身の生に死という完結を迎えた。
その死によって、妹である私の母を惑乱させていた悪女との縁がついに切れた。
叔父が叔父自身の人生の重みも価値も責任も何もかも、その身一つに背負って人生を閉じた。
命とは、そういうふうにできている。実によくできている。


生れ落ちることも困難だが、死ぬまでも何と困難な道か。
自殺が叶うだけの身体能力を残されていたのなら、彼は自殺しただろうか。それとも、やはり生を全うしただろうか。

ただひたすらに、人間の生は重く、また死も平等に重い。
どんな生もどんな死も、私は今を生きている自身の頭上に戴くような気持ちになる。

叔父の生と死に思いを巡らせ、私は手を合わせる。


お疲れさま。
それ以上の相応しい言葉が思いつかない。



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◇強く儚い

お知らせ
コメント返信を新旧同時に進行させて頂くことにしました。私の不調のため、お返事が大変遅れていますが、コメント本当にありがとうございます。
お返事出来るか分かりませんが、当記事へのご感想はメールフォームからのみ受け付けております。誠に勝手ながらご了承下さい。


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2008/11/29 (Sat) 日曜日に蕩け落ちる蜂蜜 ? 人格障害・希死念慮 ?

20081129.jpg
前回の記事◇土曜に耳鳴る越境(前編)   ◇土曜に耳鳴る越境(後編)?解離性障害?  の翌日、先週の日曜のこと。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

朝方に目が覚めた。
すぐに気がついたJが水を持ってきてくれて、薬を飲んだ。
子供たちは眠っていて、大人の女2人だけで色々なことを小声で話した。Jの顔色は悪くて、心配になった。彼女も、精神的にも肉体的にも限界が近い気がする。とても無理をして家庭を切り盛りしている。たくさんの問題を一度に抱えて、命懸けの大変な時期に来ている。

子供たちの気配がしないなと思っていたら、隣の部屋でアニメに夢中なのだという。昨日あんなに騒々しく1人で3人分くらいの存在感を撒き散らしていたというのに、子供とは不思議な生き物だ。

アニメが終わると、起きていることがすぐばれた。早速、子供がドーンと飛び乗ってきた。
「みとりちゃん元気になった?カレー一緒にたべたかったてん。しんどいん治った?」と訊いてくる。
「Hくんが眠らせてくれたから元気になったよ。ありがとうね」と言うと、3歳の彼は、にんまりと得意そうに笑った。私をちらりと横目で見てから歌うように「いいよ?」と答えた。
自分の思いやりが私の回復に貢献したと知って、Hくんは、しばらく何度も私が元気か訊ねた。私が答える前に「Hくんがみとりちゃんを寝かせてあげたからね」と自分で答えて、嬉しそうにしていた。

上の子Aくんは、パジャマ姿のままでテレビを見ていた。
そのうち、恒例の兄弟喧嘩がまた始まった。昨夜の騒々しさの再来だ。
生き生きとしている彼らを見ているのが、私は好きだ。
それぞれに高機能広汎性発達障害、多動型ADHDの診断を受けているが、生まれたときから知っている私にとって、それらは彼らの性格、特性の1つでしかない。母親であるJの苦労を抜きにすれば、子供が好きな私にとっては、ユニークで面白いとすら思う。

私や私の弟達は、障害を持たずして生まれたが、親戚の叔父が言ったのには「全員、人形みたい」だったという。大人の前で表情もなく固く感情を閉ざして、ひたすらに行儀が良い私たち兄弟を見て違和感を感じたのだろう。

Jの子供たちからは、そんな怯えた様子が一切しない。
私はママであるJの友達であり、何か大人のような大人ではないような自分たちと同等の友達のようにも感じているようだ。警戒しない子供達を見ていると救われる。


遅めの朝食を全員で食べた。
Jが、熱い黒豆カフェオレを入れてくれた。きな粉の香りがする、優しい甘さのカフェオレだ。昨夜は何1つ食べる余裕がなかった私も、芳ばしいカフェオレの香りと子供たちの声で賑やかな食卓を前にすると食べられる気がした。

前日に買ったパンを少しずつ口に運んだ。気がつくと全部食べていた。
見れば四人全員が違うものを食べている。それが何となくおかしかった。以前一緒に遊びに行ったときと同じ、ばらばらの個性、こだわりがある。「発達障害」と呼ばれようとも、彼らに当たり前に馴染んでしまった私には、やはり障害には見えない。


上の子がゲームをしている間、下の子Hくんとボールで遊んだ。ゴム製のボールは、サッカーをするのに丁度良い大きさだ。サッカーなのか、単なるボールの奪い合いなのか分からない激しい攻防戦で楽しかった。心から笑った。ボールを奪っても奪われても、大はしゃぎで笑い続けるHくんを見ているのも楽しかった。私は、子供が好きだ。子供と遊んでいると色んなことを忘れられる。この子たちの小さな身体のどこから出てくるんだろうと不思議になるくらい、無尽蔵のエネルギーを持っている。笑い、泣き、怒る、感情のエネルギーの純度が高くて動物的で羨ましい。


Jも、いつも子供達に考え事を奪われるようで、私に「考える暇ないやろ?」と笑って言った。合間に、仮面ライダーやアニメを子供達と見た。1人暮らしなら見ることがないチャンネルだ。ストーリーも設定も分からないけれど眺めていた。

それからまた兄弟喧嘩が始まり、ついに怒ったJが子供達を叱っている横で、ぼーっとテレビを見ていた。
すぐに調子に乗ってしまうのが子供達だ。
叱ることができるのは、彼らの将来を考えてでないと出来ないことだなと考えた。ただ怒鳴って威圧して子供を黙らせる方が親は楽だし、子供の言い分など聞かず、何がどう悪いのか説明せずに断罪する方が、やはり楽だ。
何がどう悪いのか、きちんと叱れるJを見ていると、こんな母親でいたいと思う。


J達が出かける時間、一緒に家を出た。
駅までの道を歩いた。Aくんが「内緒やで」と、こっそりハイチュウをくれた。Aくんの目に、私はどんなふうに映っているんだろうなぁと不思議な気持ちになった。私の子供時代、こんなふうに大人と接した経験があるだろうか。何の記憶もない。

自転車の後ろに座っているHくんは、こだわりが強い。今は、もっぱら私の体調を訊くのが彼のブームらしく、「みとりちゃん元気になった?」を繰り返す。「Hくんのお陰だよ」と言うと「いいよ?」とまた歌うように答えた。得意げな顔が子供らしくて良い。


駅前でお礼を言ってJたち三人と別れた。

薬が抜けた素面で電車の乗り換え図を見る。よく分からない。
結局、二度乗り間違えて、えらく時間を食った。
自分の家の最寄り駅に着いて地下から地上に出ると、日が傾き始めていた。

数日前に履きなれたと感じたパンプスが、足を窮屈に締め付け痛い。無感覚な身体に、感覚が戻ってきている。家に帰りたくない。
文鳥たちがどうしているか気になって仕方ない。
でも、帰りたくない。あの部屋には、私しかいない。1人になりたくない。

パソコンにも向かいたくない、ブログも書きたくない、自助グループも治療も企画も何もかも、関係ないどこかに消えてしまいたい。

家の方角に目をやれば、空が蜂蜜を垂らしたように金色に光っている。死とは蜂蜜のように甘いと最近そればかり考えていることを思い出した。

生きているのは義務だ。生かされているモルモットだ。生きていたくない。今日から、どこでどう生きていけばいいのか、少なくとも今この瞬間、生きていたくない。

蜂蜜色の空に比べれば、街路樹の銀杏の葉は随分と色褪せて見えた。
バッグの中で携帯が振動し、友達からメールが届いた。泣きながら読んだ。
家に帰らなきゃならない。
帰りたくなくても向かうのは自分の家しかない。

目的地まで遠ければ遠いほど幾許か救われる。往生際悪く家を素通りし、スーパーに寄って飲み物だけ買ったが、観念した。帰るしかない。


文鳥たちは無事で元気だった。ほっとした。しかし、水が干上がっていて、エサも残り僅かだった。
すぐに水とエサを変えて鳥かごから出してやった。一晩冷え切っていた部屋をエアコンで温める。
むくは、水浴びをした後、私から離れようとせず、ももは書斎の巣箱にこもって歌を歌い始めた。

文鳥たちは、エレベーターの稼動音を覚えている。エレベーターが動くと、私が帰ってきたり、誰かがやって来ることを知っている。私が不在の間、そうしてエレベーターの音を聞く度に私が帰ってきたんじゃないかと呼んでいたのかもしれないなと思った。


助けてくれた友達の一人と電話で話した。
私の状態や生活は、ブログに書いているのが全てじゃない。書ききれるわけがない。追いつくわけがない。辛うじて拾い出して書いている。そのことが分からない人も読んでいる。考えると眩暈と脱力に襲われた。それでも書いていくことを私は続けるんだろうか。

月末にN氏と会うんだよと話した。そういえば、死んでしまったら私は彼とも会えなくなるところだった。苦しいとき、なぜそんな大切なことを思い出せなくなってしまうんだろう。
彼の話をネタに電話口で好き放題話し、友達と一緒に笑った。自分が戻ってきた気がした。でも、頭の中には、水を含んだ砂がギッシリ詰まっているようで、くたくたに疲れていた。


私が生きていられるのは、関わり励ましてくれた全ての人のお陰だ。
救急の人も警察の人も、一秒でも1人で部屋にいられなかった私の横にいてくれた、それだけで私の命が繋がった。その救急車を呼ぶと決断してくれた友達Jには、感謝しきれない。


あの日、あのまま1人きりだったなら、私は頚動脈を切っていた。
死とは、逃避なのだろうか。それとも絶対的支配力を持つ現実に、唯一仇なす方法なのだろうか。
袋小路に閉じられた現実や、無力な自分や、コントロールできない怒りや音を立てて崩れていく決意や覚悟、何もかもに一瞬も耐え切れず、憎しみを全て自分自身へ向けずにはいられなかった。


私の命は、いつも人の中で断ち切られ、人の中で繋がり存えている。その目まぐるしい繰り返しの中で、うっかり私が死ぬことはないのだろうか。偶然生きているように、偶然死にはしないのだろうか。

以前の日常と少しだけ変わったことがある。絶望の色が混じったまま、消えなくなった。
書くことも、人と繋がることも、治療することも、行動することも、絶望が入り混じったままで、日常が朝夕の濃淡を越えていく。




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境界性人格障害 | comment(3) |


2008/11/28 (Fri) 土曜に耳鳴る越境(後編) ? 解離性障害 ?

20081128.jpg
◇土曜に耳鳴る越境(前編) の続きです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

救急車が来るまでも私は生きていられない気がした。電話を切ったら、着信を見て電話してきてくれたブロガー友達と繋がった。泣き喚いた。うまく説明できず「救急車が来る」しか言えなかった。友達が何か言ってくれたが、私の頭では理解できなくなっていた。
そういえば救急隊から電話が入ると言っていたのを思い出して電話を切った。友達にメールした。

救急車のサイレンが聞え、担架を持った救急隊員が3,4人来た。
ドアを開けるだけが精一杯で、私は錯乱状態で何も説明できず、子供のように泣き喚くしかできなかった。
警官も、2,3人来た。あっという間に、うちに人が詰め掛けた。状況が把握できず呆然とした。
私が「ブログが・・」とか「ドキュメンタリーが・・・」と泣き喚くから、救急隊員や警官が私のパソコンをのぞきこんでいた。
名前を訊かれた。実名を名乗ったが、それを私は自分の名前だと実感できないのだ。年齢も答えたが、囚人の番号札と変わりない。解離性障害だ。
「ちくしょう!」とか「殺してやりたい!」とか叫び続けた。

別の友達が携帯に電話をくれた。自助グループのメンバーだった。
ドキュメンタリーの続編も、理解を求めるのも100%不可能ですよ、とコメントに書かれた言葉を思い出し、話した。
気がついたら泣きながら叫んでいた。
「絶対負けない!絶対やってやる! ブログも自助グループも展覧会も全部! ちくしょう!口先だけの人間にやられてたまるか!やらなきゃ誰がやるんだよ!殺したい!死ね!負けてたまるか! 」
友達は、全部聞いてくれた。「大丈夫だからね。守るからね。大丈夫だよ」と言い続けてくれた。
私は、彼女に叫んでいるようで、自分自身に言っているんだと思った。負けてたまるか。口先だけの人間に好き勝手言われてたまるか。

救急隊員の目を盗み、齧れるだけどんどん薬を齧って飲み込んだ。
もうすぐ友達のJが来る。多分、子供たちを連れている。こんな不安定な私を子供たちには見せられない。Jの子供たちが、私は大切で仕方ないのだ。薬が必要だった。
途中で気づかれ、救急隊員に取り上げられ怒られた。これ以上駄目だというが、何が駄目なんだろう。まだ隙をついて飲もうと思った。1人で生きられる。


救急隊員の白いビニールの手袋に、私の名前や症状、年齢、通院先、カウンセラーなどが書かれてあった。
私は、謝った。
私は大丈夫だから、他の大変な人のところへ行ってくださいと頭を下げた。
私は冷静ですと言ったが、全然冷静じゃないですよと救急から言われた。確かに全身の震えが止まらない。
実家はどこですかと訊かれ、恐怖で震えた。実家には伝えないでくれと叫んでいた。
友達Jさんが来るから、それまではここにいますと救急隊員や警官が言う。

「どうしたいですか?したいようにしますよ?」と、何度も救急隊員が言う。私に訊いてくる。
私は、もはや答えようがなかった。
どうしたいのかも分からなければ、どうすればいいのかも分からない。考えられない。
「わかりませんわかりません。大丈夫です」としかいえない。
それでも訊かれ続けるので、
「どうしたらいいんですか?私の病気は治らない。どうすればいいんですか?」と訊き返すしかなかった。
「人格障害は治らない」
と言った私に、場が静まった。私は絶望して両手で顔を覆って泣いた。治らないんだな、と実感した。誰も私の言葉に反駁できない。


とにかくJの到着を待つしかなかった。
その間、私は自分の病気や家庭について、語れるだけ語った。
救急隊員であろうと誰であろうと、とにかく私は語りたかった。伝えたかった。ドキュメンタリーの話もした。再放送するならば見てくださいと伝えた。とにかく知って欲しかった。他に自分に出来ることが何も見当たらない。
入院の場合、どういう手筈が必要なのか、救急の場合どこへ連れて行かれるのか訊いたりもした。その合間、合間に激情が襲ってきて泣いた。
駆けつけてくれるJは、DVと戦っていて自由に動ける状態じゃない。彼女をこちらに来させてはいけないんだと救急隊員に激しく言い募ったり、警官に「彼女の夫こそ逮捕してください」と泣き叫んだりした。
私の錯乱に気圧されたのか、そんな悲惨など見慣れているのか、返す言葉がないのか、誰もが沈黙していた。


警察の方々がパトカーでJたちを迎えに行った。間もなくして、玄関に子供たちの声が聞えた。
みとりちゃん、どうしたん?大丈夫?しんどいん?と、3歳と7歳の声が聞える。色々な人たちの間を縫って駆け寄ってきた子供たちは、「みとりちゃん、パトカーに乗ってん!パトカーに乗ってんで!」とご機嫌だった。彼らを抱き寄せると、ほっとした。見慣れたJの顔を見て、更にほっとした。

みとりちゃん、どうしたん?大丈夫?どうしたん?と、子供たちは気遣ってくれた。
私はいつも彼らには嘘をつかないことにしているから、ごめんね、ちょっとしんどいねん、と答えた。

子供たちを見た瞬間の私の表情のことを救急隊員が「随分表情が変わった。安心されたようですね」と言った。私のことをJと救急隊員が話し合ってるみたいだった。私は、相変わらずどうしていいか分からなかったが、私に話しかけてくる子供たちの相手をしていると、もう何もかも過去のことのようにも思えた。

救急隊員と警察が帰り、私はJの家に連れ帰られることになった。
1人でいたくなかった。

早速、子供たち二人は遊び始めた。うちにバイオリンがあることを覚えていた3歳のHくんは、まだ小さいからバイオリンを持つとギターを持っているように見える。彼もギターにすることにしたらしく、弦を弾いて奏でてくれた。
7歳のHくんは、私の異常に気づいているようだった。でも、普段どおりDSでゲームを始め、「みとりちゃん、やらせたろか?」と、私にルールを教えてくれてゲームを貸してくれた。
キーボードを発見したHくんが、今度はでたらめなピアノを弾きながら保育園で習った歌を披露してくれた。
いつもの兄弟喧嘩が始り、はしゃぎまわったり、遊んだり、喋ったり、急に騒々しくなり、私はぼんやりしていたが笑っていた。


何を持っていいか分からず、着ていた服の上にコートを羽織り、携帯と薬、財布、ポーチを持った。文鳥二羽ともカゴに戻し、エサと水を確認し、ヒーターとサーモスタットをセットして確認し、文鳥たちに説明した。ごめんね、調子が悪くてちょっと一晩出てくるけど、必ず帰ってくるから待っててね、と話しかけた。上のAくんが見ていて、「何話してたん?」と訊いてきた。動物を飼ったことがない彼には、動物と話す私が不思議に見えるようだった。

Jと子供たちと私、4人で家を出た頃には、ODした薬がまわってきた。まっすぐ歩けているのか、分からない。
電車に乗って彼女たちの家に着くと夜の10時近くになっていた。
子供たちは、大はしゃぎだ。
私は、くたくたになっている気がして寝ようとしたが、子供が一緒にカレーを食べようと誘う。「みとりちゃんと食べるねん。カレー一緒に食べようね」と言ってくれる。嬉しい。慕ってくれる子供たちが可愛い。
Jの夫に挨拶するも、もはや自分がどこにいるのかよく分からなかった。
子供たちに「疲れてて具合悪いの。救急車が来たくらいしんどいから、眠らせてね」と話した。
Jが敷いてくれた布団に、そのまま倒れこんだ。


カウンセリングと病院の往復に、私はすっかり疲れていた。どちらに行っても私は死にたくなる繰り返しだった。ODしたり、飛び降りようと屋上まであがって頑張ってみたり、車道に飛び出てひかれようとしたり色々やったし、とにかく1人の部屋に帰りたくない毎日だった。
そんなものが積み重なった末、診断名は右往左往した結果「解離性同一性障害」と下され、ブログは荒らされていた。
臨界点を越えてしまった。


浅い眠りの中、隣のキッチンでHくんが「みとりちゃんの分のカレーもついで」とか、「みとりちゃんと一緒にカレー食べる」と言っているのが聞えてきた。思わず笑った。「寝かせといたり」と言っているJの夫の声も聞えてきた。

1人が耐えられなかった私には、そんな声のどれもが有難くてたまらなかった。安心した。1人じゃないんだと思えた。もう何日も眠れない日々が続いていたが、こうして眠りたかったのだと思った。
傍らに賑やかな家族の声を聞きながら、深い眠りに落ちた。


関連記事
◇金曜に濁る私と清い世界(前編)?解離性障害?◇金曜に濁る私と清い世界(後編)?解離性障害・境界性人格障害?
◇土曜に耳鳴る越境(前編)


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解離性同一性障害 |


2008/11/28 (Fri) 土曜に耳鳴る越境 (前編) - 解離性障害・OD -

カウンセリング(◇金曜に濁る私と清い世界(前編)  ◇(後編))の翌日の土曜日、病院へ行った。

医者は、私を解離性同一性障害だといった。カウンセラーは、解離性障害だが解離性同一性障害とは違うといった。食い違いが、苦しくてたまらなかった。何でもいいから診断名も含めて、治療方針を定めたかった。今のままでは、もう1日も耐えられない。
明日自分が生きているかの保障もない。


診察券をなくしていたから再発行を頼み、診察時間までいつもどおり散歩に出かけた。
普段より酷い気分なのだな、と歩きながら自覚する。
世界中が色褪せてしまったか、私が色褪せてしまったかのどちらかだ。歩くスピードに合わせ、風景が他人事に流れていく。陽射しは私の肌の表面を温めるが、木枯らしは私の骨を芯から冷やす。
単なる物体である私。
目の前を通り過ぎる車の流れに放り捨ててしまおうかと何度も考える。考えても考えても、午前中の明るい日差しが思考を遮断して、また私を思考しない物体に変えてしまう。
そうして、ただてくてくと歩き、花屋の店先に並べられたポインセチアを眺めたり、古い家屋の木戸に当たる日と影を眺めたり、文房具屋で修正テープを買ったりした。
来た道を、またてくてくと歩いて戻った。靴擦れしやすかったパンプスが、やっと私の足に馴染んだのか、それとも身体が無感覚なのか、妙に全身が軽くて、乾ききった海綿体のように頼りなかった。


診察室に入り、医者のN先生に、カウンセリングの進度や<あや>について簡単に話した。
診断名は何ですか?と訊くと「解離性同一性障害」とN先生は答えた。
わけが分からなくなった。医者とカウンセラーの見立ては「解離性障害」という点で一致しているが、私が最も憎む<あや>については何1つ解決しない。10年近い治療の末に、やっと私が誰なのかがわかってきた気がしていたのに、やはり私は自分が誰だか分からない「解離性障害」なのか。
健常な人は、一体どんな自我を保っているのだろうか。物心ついた頃から解離性障害の私には、想像もつかない。自分の顔、身体、名前、声などを、自分のものだと疑いを持たず違和感も持たずにいるというのは、どんな感覚なのだろう。

医者の見立ては、医者の見立てだ。
これまでも、医者とカウンセラーの見立ては食い違ってきた。だから、私はその間を取っていようと保留し続けてきた。
<あや>は、存在するが存在しない。私は、私であるけれども私でなくなるときもある。
そんなふうに中立を保ってきたが、最も苦しい私こそが中立でいられるわけがなかった。保留し続け、自分の上に起こる現象をあったような、なかったような曖昧なラインに留め続け、考えまいとする姿勢にも限界が来ていた。

どうすれば治るんですか?と医者を詰問したが、「薬では治りません」が答えだった。私は、誰よりそれを知っていた。せめて頓服の量を増やして欲しかった。渋々1錠だけ増やしてくれた。
薬で人格障害は治らないし、この虚無感も孤独感も埋められはしない。それでも、生きていくために薬が必要だ。とりあえず自分のうちに帰り、1人の部屋で1人でいるにしても薬がなければ今の私には不可能だ。

医者に頭を下げて、診察室を出た。
その横にあるベッドに5分でいいから横になりたい、と咄嗟に思った。見知らぬ他人でもいいから、誰でもいいから声が聞える場所に少しでいいから横たわっていたかった。そうしたら、また少し頑張れる気がした。

けれど、鈍い私の足取りはそのままそこを素通りした。疲れてはいるが横たわる程でもなく、単に寂しいだけなのだと思った。


帰りは、酷い無気力に襲われていた。
目の前には、希望もなければ、不満もない。ただ現実が無言で横たわっているだけで、私は最早言葉もない。「苦しい」「寂しい」「どうにもならない」そんな言葉を発したところで、応えてはくれない。絶望とは、いつも無言で、私当人のささやかな感想すら受け付けてはくれないのだ。


家に戻り、サイドブログの作品作りに没頭しようとするが、意識が散漫で定まらない。自分自身を形なく消滅させたくなる。消したいと思っている私自身を、言葉で縁取ることに何の意味があるだろう。そこに私はいない。もしくは見つけた瞬間に、私は抹消せずにはいられないだろう。


私が病院へ行っている間に、コメント欄にコメントが増えていた。一人物からのものだ。次々と舞い込んで来る。数日前に突然訪れ、突然私のことを何もかもわかっているかのように語り、一言も交わしたことのない私を絶賛していた人物が、一転してこき下ろしへと急変していることに脱力した。
テキスト通りの理想化とこき下ろしは、当初からの予想通りだ。
私が反論したことに対する反論も、予想通りのセリフの羅列。
どうしてこうもある種の人間は、獣道のように同じパターンを辿るのか。
BPD(境界性人格障害)の私は、この行動パターンはうんざりするほど見てきている。同じ匂いというものは、すぐに分かる。
対象恒常性の欠如だ。
全て受け入れてもらいたい、受け入れてもらえるはずだと考え近づく。しかし、受け入れてもらえそうにないと知るや、お前など下らない断罪してやると理不尽な怒りにかられる。0か100、白か黒の行動パターンが、よりによって私のブログのコメント欄で繰り広げられていた。

現実の私は、解離性障害が最も重くのしかかり、息も絶え絶えに家に戻ってきたのだった。
そんなコメントを書き込むビジターは、相手は誰でも同じことなのだ。私でなくても良いのだ。依存とは、そういうものだ。人間すらも道具に変えて、自分の不満や不安にうまくパチリと嵌め込める対象を求めているに過ぎない。

相手になどしても仕方ない相手だが、私のブログのコメント欄に書き込まれていること、第三者の読者の方達への影響を思うと、反論だけはきちんとしておくべきだと思った。朝方に書いた記事は、そのためのものだったが、同時に相手からの攻撃を予想はしていた。覚悟して帰ってくるべきだったが、虚無感に占拠されて失念していた。


書き込まれたコメントに一応目は通すが、断言と攻撃と屁理屈と無作法、目に余る言葉の羅列。
普段ならば平気だっただろう。
今このタイミングで、私のことを何も知らない人間が、さも知っているかのように意見する。しかも意見でもなんでもなく、意見という形をとっただけの私怨、私情、依存。分かってもらえるはずという甘え。口の汚さ。
人間性の低さに、眩暈がした。
何もかもうまくいかず自分自身をまず立て直さなければと必死でしがみついていたタガが外れてしまった。
パニックに陥った。


ひとりの部屋で、泣き喚いた。
死にたいと殺してやりたいと生きたいが同時に私を襲った。
中でも最も頭に来ることは、患者を馬鹿にされたことだった。
「ボーダーは死のうとはするが本気で死にはしないから大丈夫」などと書かれたが、知人がボーダーで命を失ったばかりだ。私自身も、死にかけている。救命救急の現場でも、ボーダーの衝動的自傷行為が原因で死んでしまう患者が増えている。
本気であろうが本気でなかろうが、人は死ぬときは死ぬのだ。

コメント欄は、私のブログだが私だけのものではない。公開され第三者にも読まれることを想定せずに書かれたものは最低だ。配慮がなさすぎて傲慢で礼儀知らずでクソだ。
ボーダーで苦しむ当事者も、そのことで大切な人を失った人も来るこのブログに、「ボーダーは死ぬふりはするけど死なない」など、よくぞ書いたものだと腹が立って腹が立って仕方なかった。


泣き喚き、苦しくて苦しくて怒りで暴れまわっていたが、そのうち思いつく先にメールしたり電話したりし始めた。無意識だった。
繋がった友達が、1時間後にはそこに行くよと言ってくれた。
言ってくれるなり、私は大丈夫な気がした。「大丈夫。ちょっとおかしいけど大丈夫」と断ったが、友達は救急車を呼ぶと言った。
普段人を頼ることがない美鳥だから、電話してきただけで十分に限界を超えている、手助けしようとすると自分で出来るからと遠慮するのは美鳥のパターン、という友達の判断だった。

私は、わけが分からなくなっていた。確かに、今まで1人で耐えられていたはずのものが今日は耐えられない。一分も生きていることが耐えられない。泣き喚いても泣き喚いても終わらない苦痛、静まらない怒りや憎しみや絶望に耐えられない。


◇土曜に耳鳴る越境 (後編)に続きます)


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◇金曜に濁る私と清い世界(前編)  
◇金曜に濁る私と清い世界(後編)



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解離性同一性障害 |


2008/11/26 (Wed) 金曜に濁る私と清い世界(後編) ? 解離性障害・境界性人格障害 ?

◇金曜に濁る私と清い世界(前編)?解離性障害?の後編です

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

荒れ狂う怒りと憎しみと絶望の突端に立って、じっと真下のコンクリートの路面を見つめていた。
距離が足りない。
ふと見上げると、このビルにまだ上階があることに気づいた。
道に迷った旅人が標識を見つけたときのような安堵で、胸が震えた。

エレベーターの横、重い鉄の扉を押すと、非常階段が螺旋を描いて上へ上へと続いている。
まだ上がある。まだ上がある。一歩ずつ階段を上がった。
一段上がるごとに救われていくような気がしたが、同時にこれは死刑執行台に続く階段なのだとも思った。

どちらでも、どうでもよかった。
生きていて、どうなる。
カウンセラーは、誰も彼もがいつでも「ゆっくり一緒に考えていきましょう」だ。
私は、考えてきた。考えても考えても私の中は底なし沼で、果たしてここを探り続けたところで報われる保障などどこにもない。
医者は、役所に提出するときの診断書には、あれこれと書けるだけの病名を書くが便宜上のものに過ぎず、励ましてはくれるが、私の現実には届かない。薬が私の脳を濁らせ、ただそれだけで一体何年が過ぎただろう。
その間、私は何度死にとりつかれ、窒息しかけ、孤独に置き去りにされ、人や薬や自傷や口当たりの良い愛とやらで空洞を埋めようと躍起になり、全て毒となり内側から蝕まれ、泣いても叫んでもどこへも行けないここにずっと太い鎖で繋がれたまま、ただ生かされている。

新しいカウンセラーに期待したが、やはり治療は「ゆっくり」だ。
カウンセラーは、間違えてはいない。
多分、人の心、私の心が「ゆっくり」以外に対応できない。剥き出しの血管のように、切っ先に触れただけで大仰に破れ裂け、内圧に耐え切れない血液が常に溢れ出そうと待ち構えている。心とは、脆弱で堪え性のない破裂寸前のミミズのような生き物なのだ。
生かし続けるには、あまりに脆すぎて私はもう扱いきれない。憎しみが過ぎる。


非常階段は、屋上の手前で鍵がかけられていた。
踊り場から身を乗り出すと、何にも遮られることのない上階独特の清涼な風が自由に舞い上がり、ひゅるひゅると気ままに遊んでいた。
世界は美しいな、と思った。


手すりには、4本のパイプがついていて、足をかけるのにうってつけだった。
やるしかない、やれ、やれ、と自分に言い聞かせた。
一段目に足をかけた。パンプスが邪魔で苛々した。
数十センチの一段分、私は空に近くなった。
町を見渡してみれば、私が入り込んだことのない路地まで迷路のように俯瞰できた。
冷たい冬の風が私を右へ左へ滅茶苦茶に嬲った。みるみる凍えていく頬や指先を感じたが、心は何も感じなかった。
虚しくて虚しくて仕方なかった。風は私の心までは冷やしてくれない。
二段目に足をかけた。身体を支えているのが困難になった。
私は、声をあげて泣いた。眼下に歩いていく人の影を見たが、空につきそうな最上階にいる私の声は、地上の誰の耳にも届かない。

世界は濁りが無く、美しくて、自由で、なのに私の体全体にはコールタールのような死がべっとりと覆いかぶさり醜悪な物体に過ぎない。
濁りのない風が私を全部吹き飛ばす。
かじかんだ指先で凍てついたパイプを握り締め、ちくしょうと泣き喚き、靴でガンガンそこら中を蹴った。怒りも罵りも呪いも、全部この世界では搾り出した直後に清浄な空気の中へと霧散してしまう。

へたりこんで泣いた。なぜ泣くのかも分からず泣いた。

私は誰なんだろう。ここにいていいんだろうか。生きている意味はあるのか。意味なんて下らないことだ。ならば、なぜこんなに死ぬことが難しいんだろう。

指がかじかんで手すりを握っていることもできなくなった。
ガタガタ震えながら、泣き喚きながら、階段を下りた。
今死ねないのなら、他にやることはない。

気がつくと、カウンセリングルームのインターホンを押していた。立っていられずに、壁にすがりついて泣き続けた。馬鹿になった気がした。
カウンセラーが出てきた。
「誰でもいいからボランティアの方か病院の方を呼んでください。私は一人では家に帰れない」と伝えた。
自分が情けなくて廊下で倒れこんで泣いた。

カウンセラーは、一緒に行きますよと言ってコートを取って出てきた。マンションの住人なのか私の横を何人もすり抜けたが、私はもうどうでもよくてドアの前にうずくまって泣き喚いた。

エレベーターに乗り込んだら、もう動きたくなくなった。死ねなかった絶望なのか、単に苦しいのか、情けない自分への失望なのか、泣く以外の行為を忘れてしまった。

路上に出たら、また死にたくなった。
交差点の赤信号が見えて、駆け出した。はねられて死にたかった。
私が到達する前に、信号は、あっさり青に変わった。私は、いつも死に損ねる。


急に馬鹿馬鹿しくなった。
何事もなく交差点を渡り歩いていく人々を眺めていると、私は大仰に悲劇ぶっている気がした。
歩いて元の場所に戻ると、カウンセラーがタクシーを呼びましょうと言って立っていた。
私は、生垣や石垣に身をもたせて、もうどうでもよかった。
家には帰りたくない。帰ったら、また同じ日々だ。
小雨が降っていた。カウンセラーのコートの肩に、冷たい銀色の雨滴が無数に降りかかっていた。
道端にへたりこんで、財布に入れておいた薬を10錠一気に齧って飲み込んだ。
他にないか探したが、バッグの中にも見当たらなかった。
通り過ぎる人たちが奇異の目で私を見下ろして行くのを、ぼんやり感じていた。
カウンセラーは、ずっと横に立っていた。

「あやを呼んでください。あやが家に帰ればいい」
私はカウンセラーに喚いた。
「私は、別にあやさんと会いたくもないし、美鳥さんにまず無事に家に帰って欲しい」
と、カウンセラーは穏やかに言った。
こんなときばかり私かよ、と私は唇を歪めた。


薬が効かないかと、ぼんやり地べたに足を投げ出して小雨に打たれていた。

家までタクシーで送るとカウンセラーは言ったが、反射的に私の男性蔑視、男性恐怖、嫌悪、憎悪が刺激され、視線を跳ね上げた。
「で?家に行ってから何するんですか?」
にらみ付けた。カウンセラーは「そのまま私は帰りますよ」と小さく笑った。
私は、苛々した。
偽善者め。


怒りが湧いてきて、カウンセラーは偽善者か、私をどうとでも良いとみなしている冷徹な人間だと恨みがこみ上げてきた。
死にたい死にたいと泣き喚いた。
それから、ああ私はカウンセラーに迷惑をかけている、これはきっと境界性人格障害の症状だと気づき、立ち上がった。
「すみません。大丈夫です。私は一人で帰れます」
カウンセラーは、私を少し見返してから「とにかく気をつけて」と言ってカウンセリングルームに戻って行った。

けっ死んでやるよ、と思った。
治療なんて進まない。
いつもいつも「ゆっくりそのことは考えていきましょう」だ。 もう十分だ。こうして泣き喚く自分も苦しいのも悲しいのも怒りで我を忘れるのも、もううんざりだ。


自転車をとめていたのを思い出して、冷え切ってくたくたの体を引きずって歩いた。ツイッターに書き込んでから、家に帰りたくないなぁとダラダラと雨の中突っ立っていた。

薬が効いてきた気がした。
随分たってから自転車を押して歩き始めた。

気がつくと、そこにカウンセラーが立っていた。
私が無事帰るのか、私の姿を探していたらしい。

カウンセラーは反省していた。
「カテゴライズせずに、患者をありのまま把握しようとする私の悪い癖が出て、あなたを混乱させてしまった。病名にしろ状態にしろ、とにかく美鳥さんが納得できる形での治療をしましょう」と言った。
私は、ぼんやりカウンセラーを見上げた。
納得できる形とは何だろう?
病名はどうでもいい。
私が見える少女や真っ黒な断崖絶壁や、幻聴の説明が明確になされるのなら、どうでもいい。
それらの説明がつかなくなって私は宙ぶらりんのまま、症状に振り回され続けているのだ。


心配してくれていたのだと、やっと理解できた。
自転車を押して、歩いて歩いて家まで歩いた。
途中でスーパーに寄った頃には、ODのせいでまっすぐ歩けず、フラフラになっていた。
普段は絶対に買わないお菓子を買い込み、餅を買ったりした。
帰り着いたことは記憶になく、気がついたらベッドに倒れこんで眠っていた。
お菓子は食べ尽くしたらしく、後でゴミ箱の中から発見した。


治療のことも何もかも、もう考えたくなかった。
パソコンを見てみると、会ったこともない私を理想化した男のコメントが次々に舞い込んでいた。私にとって、境界性人格障害や番組のことは最早遠い話で、その瞬間の私を殺しかけているものは、解離性障害という病の先が見えない絶望だった。
理想化に応じない次は、こき下ろしと決まっている。
案の定、思い込みと押し付け、親切心に見せかけたエゴまみれの見知らぬ男のコメントは、みるみるうちに私への嘲りと攻撃に変わった。
ブログと他人が作った番組1つで私のことを知ったかのように錯覚し、人のブログのコメント欄に「死ね」だの「あなたのやろうとしていることは100%不可能だと断言する」だとか、数日前の私への絶賛はどこにいつどうやって消えたんだ?
こんな人間を私は腐るほど知っている。
疲労で頭の芯が太い鉄の棒のように硬化した。うんざりして反吐が出る。
そんな不快感も、大量の薬が曖昧に誤魔化してくれた。

私は、ブロガー友達にメールして、電話で話した。同じく、ボーダーと戦う同病者だ。
苦痛なんて、どうでもいい気がした。
たくさん笑った。
今日死のうとしたけど無理だったよと話したら、同じくボーダーの友達は感覚を理解してくれた。
感情のジェットコースター。
世界が、瞬間、瞬間に色を変え、その都度私も変化し腐れたり蘇ったり蝕まれたり硬化したり寛いだりする。

薬で紛らわせるのにも限界が来ていた。
翌日は病院に行き、その夜に私の家には、救急隊員と警察が詰め掛けた。
笑えていたのに、心から笑えていたのも本当なのに、脳の中心を貫いて決して熔解しない怒りと絶望も本当だった。


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治療日記 | comment(6) |


2008/11/25 (Tue) 金曜に濁る私と清い世界(前編) ? 解離性障害?

20081125.jpg

20時45分全文加筆修正
<カウンセリング 2008.11.21 の記録> 
「心理学とは、どこまでいっても全て仮説」とは、今月から通い始めた新しいカウンセラーの言葉。
人間の心を定義の枠にはめずに、あくまで一対一で対しようという姿勢は、今までのロジャース派のカウンセラーとは明らかに手法が異なる。

8年間、私はあるカウンセリングルームで女性カウンセラーの治療を受けてきた。
来談者中心の、いわゆるロジャース派のカウンセリングだったのだろう。
うまくいっていたようでもあり、これ以上は限界だと思うところ多々あり、最後のカウンセリングで私は初めての怒りを露わにし、以来行っていない。
医者に紹介してもらい、試しにと通い始めたカウンセリングルームは、電車に乗らずに行ける近所ということで続いている。先週の金曜日で、3回目。
カウンセラーは、今週から私を苗字で呼ばなくなった。本名は、苗字も名前も違和感を感じて仕方ないと言ったら、「みとりさん」と呼んでくれるようになった。私は、それだけで有難い。

前回のカウンセリングは、不審な思いを残して終わった。
一時間のはずのカウンセリングが、1時間も越えた。
カウンセラーが私に家族構成など質問し、家族のツリーを図にしていった。その最中、カウンセラーが言うには小学校時代の友人関係の話になった時点で、私が倒れたという。

先週のカウンセリングのことを覚えていますか?とカウンセラーが訊ねた。
嫌な話だ。カウンセラーが変わってから、こうしてカウンセラーの方から話題を提供されたいと散々求めていたというのに、話したくないこと思い出したくないことに直接切り込んでこられるのも、辛いものだ。あらためて実感した。

前回のことで記憶にあるものを、思いつくまま話した。
◇頭蓋に泳ぐ短編小説-解離性障害・境界性人格障害・カウンセリング-(前回の記録)

ブログの記事にした後で思い出したことは、泣き叫びながら、抜いたコンセントの先で自分の足を何度も何度も突き刺していた気がしたが、遠い過去のことなのか、さっきのことなのか分からない状態だったことだ。いつものソファに座りなおし足元を見たら、抜けたコンセントが目に映り記憶が混乱したままだ。

もう1つ、私の脳裏に一枚の写真のように焼きついて離れない光景が、ふと浮かんで消えなくなった。
カウンセリングルームの椅子にカウンセラーが座り、その手前のデスクの下に潜り込んでカウンセラーに顔を向けているらしい人物を、2?3メートル後ろから映したような周囲が暗がりで覆われた光景だ。

カウンセラーが何を話すのか、私はカウンセラーに前回何があったのか問い返した。警戒心で全身が金属のように凍てついた。

カウンセラーは、先週私は解離し、<あや>が出てきてカウンセラーと話し、あやが机の下に潜ったり、小さな人形で遊んだりしていたと答えた。
小学校1年か2年。言葉の使い方や発声、行動から、それ位の年齢だという。幼稚園でもないし、3年生でもないという。

あやの性格について、私は、初回のカウンセリングで「彼女と私は水と油。正反対の性格で嫌い」と説明したらしい。記憶にない。
カウンセラーが会ったあやは、まさに私とは正反対だったという。
時間にして数十分間だったとカウンセラーは言ったが、その数十分で「正反対の性格でした」と言うまでに、何かやりとりをしたのか。何があったのか。

あやは、気が済めば引っ込むという。3歳くらいの人格だと理解できずそれが出来ないパターンが多いが、あやの場合気が済んだら引っ込み、数分で私が戻ってきたらしいから、彼女は現実を割と把握できているから、もっと幼い人格よりは何か希望が持てるようなことを言っていた。


こういった事実を聞くのに、私は相当精神を破壊された。粉々といっても良い。
自分の中の他人。
これをどう受け止めればいいのか。
交代しても、ちゃんと戻って来られるようだといわれても、一人で暮らす私は希望とも何とも思えない。
次は無理かもしれない。
真っ黒なあの空間に落ちてしまったときの恐怖を思い出すと、淡々と話すカウンセラーに苛々した。自分にも苛々した。


私は誰なのか?
もしかしたら私は、あやの系図を引き継いでいるのかもしれないと考え、ぞっとする。
あやには、「逗子の男=ママ」がいる。
私は、この男に激しい殺意を抱き続けている。あやに対しても殺意が抑えられない。私の中に、最も憎むべき人間が存在している。
私には、「ママ」はいない。私という人格は、ふいに現れた気がして仕方ない。
強いて言うならば、私という人格の母親は「孤独」で、悔しさと怒りと意地だけが私には備わっている。「孤独」から生まれて、生きるということにしがみつくために私は生きている気がする。


その後のカウンセラーの言葉で、私はとどめを刺された。
現在の精神医学のカテゴリーに必ずしもあてはまらないのが心というもので、心理学とは全て仮説に過ぎないというカウンセラーらしい言葉だったが、私を絶望に突き落とした。
私の診断はどうなるんですか?と問い詰めたら、カウンセラーが答えたのだった。
「解離はあるが、解離性同一性障害ではない可能性があり、しかし、あやという人格は確かに存在する」というものだった。


何だよそれ。と思った。
過去の記憶、子供の頃のことなど訊かれたが、最近思い出したくないことを思い出したこともあって、考えたくないから黙っていた。

解離性障害ではない可能性を挙げる理由として、カウンセラーは言った。
「解離性障害というには、「美鳥」という人格、あなたは、あまりにも鮮やかです」

抽象的な言葉だが、カウンセラーが何を言わんとしているのか瞬時に理解し、納得した。
確かに私は、鮮やかだ。
数年前までは、なかった鮮やかさだ。対照的だから分かる。

3歳頃から数年前まで、私は酷い離人感の中生きていて、それが当然と思い生きてきたがために、その違和感を誰かに言語化して伝えて自分の感覚を確かめようなどと考えたことすらなかった。
カウンセリングを開始して2年が経過した頃、ようやくカウンセラーに指摘され、私を覆い続けている数十センチもの分厚いゼラチン質の膜のようなもの、たまに音がこもって聞えない現象、手足や身体や顔が自分のものと思えない、名前も実感できない、部屋が突然数十倍に広く感じたり、人から話しかけられても現実感が持てなかったり、すべてがのっぺりと見えたり、自分という感覚がなく、意識を保っているだけで酷い疲労を抱えていたことなどが自覚できた。

自覚して以来、目覚しいスピードで膜が晴れていったような気がする。
今の私は、大きなストレスがかかった時に無防備でいると急激に解離に襲われる。最近の解離は特に顕著で、恐怖さえ感じる。しかし、それ以外はしっかりと自分という形を留めていられる。自分の価値観や、やりたいことや考え、嗜好が明確にある。


しかし、はっきりと病名が分からないということは、治療方針も定まらないことになる。
私は、これまで10年近く闘病してきた。一回7千円を越えるカウンセリングに月に4回、8年通い、通院も続けている。しかし、いまだに私のカルテには無数の病名が散らばっていて治療方針は、いまだ定まっていないように感じる。
治療なんて、ちっとも進まない。
私はもう10年も闘病しているのに何がゆっくりだ。ふざけんな。


あやと会話したというカウンセラーに侮蔑の目を向けた。怒りが湧いた。
あやと話す人間を、私は心から軽蔑する。特に相手が男性であれば、あやと会話した最中に刺激されたであろう男の劣情を想像し、侮蔑の心が押さえられない。
治療が進まない絶望と、淡々としたカウンセラーの態度と、どうしようもない自分という曖昧さと、回復への焦りや、色々なものが混濁して渦巻いた。

男は皆あやが好きですよね? あやと話せてよかったですね。私は可愛げがなくて、あやは可愛いですよね。
カウンセラーに答える隙を与えず、罵り半分に言葉を投げつけて靴をはいた。
カウンセラーは、あやさんが好きではないとか、ゆっくり一緒に考えていきましょうなどと言っていた。カウンセラーは、いつでもそうだ。ゆっくり、ゆっくり。ゆっくりやってる暇なんてない。
カウンセラーは、信用できない。あやと接触する男は、全部遠ざけたい。

絶望がどんどん追いかけてくる。後ろを振り向かずカウンセリングルームを出た。


もう、うんざりだ。


ドアを出た。死のうと思った。
歩いて歩いて走って、突き当たりの踊り場から身を乗り出した。飛び降りれば全て終わる。

猛烈な怒りが湧いて湧いて、悔しくて泣いた。泣きながら、呆然とした。
カウンセラーも、あやも、あやを生んだ男も、私も、何も一向にどうにもならない私自身も、何もかも、もうどうにもならない。
憎しみがこみ上げて、死ね死ね死ねと自分に向かって罵倒する私がいる。
一方で、疲れ果てて無感覚な私がいた。
何がこんなに憎いんだろう。何がこんなに腹立たしくて、どうにもならないんだろう。もう分からない。考えるのも疲れた。

下の道路を通行人と車が行き交っていた。
罵りが私の頭蓋一杯に満ちてあふれ出した頃には、ここから飛び降りられると思い、じっと待った。踊り場から身を乗り出して、色んな人が歩いていくのを見ていた。真下のマンホールまで、遠いようで近かった。距離感が分からなくなってきた。
風が強くて、煽られた髪が唇に纏わりついて不愉快で唸った。
頭が真っ白になった瞬間に飛び降りる。


◇金曜に濁る私と清い世界(後編)?解離性障害・境界性人格障害? へ続きます

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治療日記 |


2008/11/21 (Fri) 博打を打って何が悪い? ドキュメンタリーに出演した理由 - 報道特集NEXT「自分を傷つける女たち」 -

ある方へのコメント返信ですが、記事として転載致します。
もっと纏めてからのつもりでしたが、この考えは今後揺らぐことがないと確信しましたので、とりあえずアップします。
番組についての私の意見は、別記事にします。
番組は私にとって過ぎたことではなく、あくまでようやくのスタート地点です。ここから学んだことを次へ生かすべく、考え続けています。思考に沿って、記事に換えていきます。もういいじゃないかと思われる方は、読まずにスルーして下さい。番組が1つ放送されたからといって、当事者の苦しみが伝わるわけはありません。無理解の家庭で育った私は、甘い期待は一切持っていません。

私が一患者として出演させて頂きました番組 TBS報道特集NEXT「自分を傷つける女たち」(境界性人格障害)へのご意見、ご感想は、番組ホームページ、またはTBSテレビ局へ直接お寄せ下さい。世論が動くとき、それは一個人が行動したときのみです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(以下、コメント返信を転載)

申し訳ありませんが、私は「ファン」は一切いりません。
行動し協力してくれる者のみ信頼します。
あなたがテレビに文句があれば、あなたの実名でテレビ局に訴えればよいことです。
私は、私の立場でメディアと関わっています。
「病気への理解を広げたい」と真剣に考えれば、視聴率重視のテレビに乗らなければ、ちまちまとブログを書いていたところで死ぬまでに到達できません。私は博打に出たのです。そこのところを、あなたは私という人間を侮っていらっしゃる。
身を切らせて骨をたつ、それすら失敗するかもしれない信用ならないメディアに、私は乗ったのです。同時に自助グループやサイドブログ、今新たな企画も立ち上げていますが、ごちゃごちゃと口先だけで私をご自身の理想像に仕立て上げてらっしゃる暇があるのならば、あなたが行動できることをなさってください。
それは、私のブログの更にはコメント欄という小さな場所でやっていたところで誰も相手にしないのです。少なくとも私は不愉快です。

N氏への信頼どうこうの前に、私がどういう目で人間を見て接しているか、あなたは実際私と会ったこともないのに「元の美鳥さんに戻ってください」とはどういう意味でしょう。私を実際に知る友人は、矛盾ない私のこれまでの軌跡を知っていますし、今の私の着地点は、いまだ記事にはしていない。敢えて全く書いていません。
言葉という狭義で誤解されやすいもので中途半端に発信されたものだけを全てと鵜呑みし、私のリアクションを待たずに次々と熱っぽく一人語りされていますが、一度頭を冷やして出直してきて下さい。

あなたは私をご存知ない。
私は相手が誰であろうと、生意気です。会えば分かるでしょう。
ちなみに、あなたが書かれたプロデューサーがどうのこうのですが、そのようなこと知っております。
しかしあなたは、あの撮影がどれだけの期間でどういう経緯で行われ、何がカットされ、私がどう意見しどう考えが変わってきたのか、何も知らない。知っているのは私のみです。

無理解に理解を訴えることは、馬鹿げた行為に近いです。私の家庭がそんな家庭ですから、私が過剰な期待や信頼をもってメディアに露出したなどと考えるのは愚の骨頂です。私は馬鹿ではない。そして、口だけの臆病者でもありません。

あなたが訴えたいことは、あなたが顔をさらして大衆の前で訴えればよい。私に対して意見するものではないことにお気づきでない。
私は、大衆に向けて今回の番組で訴えました。その際に覚悟したことは、あなたのような「メディアなんて信用ならない。テレビはクズだ」という安易なメディア批判のみに終始する方達が含まれていることを想定していました。
私も同じ考えでしたから、その感覚は重々分かりますが、納豆といえば納豆に飛びつき、バナナといえばバナナに飛びつく情報に無防備で無責任な大衆こそ私は病的に見えます。

信用するに足ろうが足るまいが、ブログを書いているだけでは伝わらないのです。こうしている間にも患者は死んでいく。真剣に理解を広げたいと考えたとき、一か八かでメディアに乗らない限りは、当事者の小さな声は埋もれて消えてしまう残酷さに、あなたは直面したことがあるでしょうか。私は常に絶望し続けています。

あなたが本当に当事者の意識を持ち、真剣に目的に向かい行動しようとしたとき、果たしてメディアなんてクソだ、という一言で片付くでしょうか。

私の覚悟とは、誰を信頼するでもなく、私が自分で判断したことの全ての責任を取る、という覚悟です。
N氏がどうだとか関係ありません。確かに彼とは交友がありますが、誰であろうと途中で見切れる程度の低い人間性の友人は、私は切り捨てます。実際、そうしてきました。今後もそうでしょう。彼は私の審査を1年通過し続けている。それだけのことです。もっともっと長く私のそばにいて、行動し支えてくれる友人もいる。行動しない口先だけの人間はいりません。よって「ファン」もいりません。
理想化するのみで私に何がしかの期待をし、自分は動かない、私は私、あなたはあなたであるのに、あなたはご自身がなさるべきことをすれば良いだけではないのですか?

N氏とは意見を交わしています。私を報道したいのであれば、どこのメディアでも構いません。その都度問われるのはメディアの体質ではなく、究極は私が何をやりたいか、どんな障害があってもそれらをうまくすり抜けてどう発信するか、自己責任のみです。

あなたが書かれた組織図のようなもの、今回の撮影とは質が異なります。TBSで放送されるからといってTBSが制作するわけではない。企画そのものからして、そうです。
「テレビメディアほど信用のならないモノは無い」と書きましたが、同時に「無理解、無関心な傍観者ほど信用のならないものは無い」と同義です。
メディアとは、発信する者と受ける者相互の作用で生み出される文化です。
受け手が愚痴ってばかりいては、メディアの質は下がる一方です。行動しなければ、報道も法律も政治も福祉も、何も動かないのです。主体的に関わらざるを得ない、絶望も失望も引き受けて行動してこそ、はじめて世論が動くのです。

私が顔をさらし、自分の最たる恥部、症状をすべて曝け出したのは、「普通の人たち」の鈍感を突き破って何がしか訴えが届けばとの信念、その一点のみです。
私が最も信じるのは、諦めない私自身と、こんな私を支え共に行動してくれる有志たちです。口先だけの批判、決め付けてそこで行動を止めてしまう人たちもいりません。N氏が、「もうこれでこの件は報道しない」と口にしたなら、私は彼を殴っていたでしょう。実際、私はやる女です。ボーダーであろうが、彼をターゲットに一時期理想化していようが、私の強みは命懸けで病気への理解を広げたい、その一点が決して揺らがない、何ものも優先するという本能です。私は、行動しない人間はいつでも切り捨てる。

行動すれば、あらゆる矛盾や失敗、挫折、無理解、誤解に衝突します。私が主催する自助グループなど、一回目で私は100点満点中10点を自己採点しました。私は完全ではない。それどころか不完全で、あらゆる人に迷惑をかけ、支えて頂いて発信できている。10点であろうが、始めたものは続けます。次は30点取れれば良いほうかもしれません。恥をかく前にやめたほうが楽です。
それでも、その場で発信し続けなければ何も変わらない。
無理解への覚悟の上に、報道も私も作品も何もかもが存在します。
責任を取るとは、行動することです。
行動するには、最も効果的な方法で、限られた自分の命、時間をいかに有効に使うかに知恵をこらすことです。
愚痴を言っている暇はありません。
メディアの功罪、歴史は私も多少学んでいます。知った上での覚悟と、知らない上での自暴自棄は違います。
私は全ての材料を揃え、覚悟して博打に出ました。
この私にこれ以上意見されるのは、筋違いです。
あなたが何かあの番組から感じたのであれば、テレビ局に伝えてください。対等に話ができる立場にあなたが立とうと努力してください。
腐れていようが何だろうが、ちっぽけな自分の声に耳を傾けてくれるプロは、殆どいません。それでも期待し失敗覚悟で行動しなければ、泣き言だけで終わります。


ボーダー当事者だけでなく、そのご家族がみればあのODやリスカのシーンは「うちだけじゃないんだ」という救いになったでしょう。病名すら知らなかった方は、誤解したかもしれません。医療従事者が見た場合、自分ならまだ対処法を知っていると思ったかもしれません。それも全て、テレビ局に寄せられてはじめて実際の声となり、次に報道されます。
あらゆる立場の人間が、テレビを見ています。感じること、考えることは様々です。
まだ記事にしていませんが、私は数日前、うちを偶然訪れた電力会社の方に病気をカムアウトし説明しましたが、ボーダーがどうのという以前の問題でした。精神科と聞いただけで、そこから説明を要するほどに世間というものは無知なのです。
メディアは、そういったまるで無知な大衆に向かって影響力が強い分、それはうまく利用すれば可能性に最も近い。放射状に発信できるのです。

ファンは、いりません。理想化も懲り懲りです。
私は、ただの一人の人間です。
同じく、1人の人間として、どんな立場にあろうが何病であろうが、何の仕事をしていようが、目的を同じくして行動する人間のみ私は信頼します。 共感を寄せてくださり、読み続けてくださる方に深く深く感謝します。
私に向かってではなく、私を越えて外側に発信してください。
私があなたの理想像を引き受ける義理はありません。
私の覚悟の深さを、あなたは実感できていません。浅はかな判断で身をゆだねるほど、私は甘い人生経験はしてきていません。裁判も経験し、法律の不完全さにも何度歯がゆい思いをしてきたか分かりません。
それでも諦めません。
矛盾も失望も誤解も引き受けます。
私も、矛盾や無力や誤認する、1人の人間だからです。
今後コメントされるのであれば、私への理想化をやめて下さい。私が感じたこと考えたことを否定し意見されるのであれば、それはもう私との対話ではありません。ご自身の価値観を私といういれものに注ぎ込みたいだけです。
私に身分を明かすのではなく、テレビ局に身分を明かし、意見して下さい。私に何がしか訴えても、私はあなたのかわりにはなれない。匿名に隠れて意見しても何も通じないことを、あなたはご存知です。でしたら、メディアに向けてこそ行動すべきです。
私は、そうしました。
今後も、変わりません。

2008/11/21 09:08 | 美鳥




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境界性人格障害 | comment(11) |


2008/11/18 (Tue) 人魚は歩きたい ? 解離性障害・自傷・ドキュメンタリー出演 ?

20081118.jpg
最悪に体調が悪い。

記憶にない足の自傷が頻繁になっていて常態化してしまい、感覚が麻痺して、このブログに記録するのを忘れていた。

二日前だったと思うが、朝起きてみれば、両足が切れていた。
足は血だらけ、床畳も血だらけという、いつものパターンである。
2本カミソリが放り出してあったので、それを使ったのだろう。
起き上がって歩き始めて、ようやく足が痛いのに気づき、見てみれば切れている、の繰り返し。嫌になる。

左足が深手を負い歩くのも困難だったが、その日の夜は精神的におかしくて、じっとしていられずその足でウォーキングに出かけたり、翌日も部屋を飛び出してウォーキングに出かけ、そして今日も出かけたのだった。足が痛い。

突発性難聴が、予兆もなく突然襲ってくる。
片耳が聞えなくなったり、酷いと両耳が塞がるが、そうなると三半規管の影響か、平衡感覚を失うのでまっすぐ歩けなくなる。

今は、足の痛みと酷い頭痛と吐き気、眩暈。
書きたいこと、書かねばならないこと、私の病状と信念を最もよく知るディレクターN氏が徹夜明けなのに電話に付き合ってくれ、私はやっと自分がなすべきことを自分の力で明確に掴んだのに、体調が悪化して出来ずにいる。


有言実行は自分を追い詰めて一か八かモチベーションを引き上げるという私の常套手段で、前回の記事でお知らせした通りに準備を始めた。ろくに寝ていない。
寝ていないといえば、かなりの期間ろくに寝ていない。

数十分時間が飛んだ。
気がつくと目の前、今机の上に空の錠剤シートがある。
薬の数が合わない。よく分からない。酷い眠気だ。
何錠空なのか数えるのも面倒だ。
書きたいことがある。表現したいことがある。時間がない。
よく分からない状態になっている。


(昨夜、書きかけたままで解離し、アップできなかった日記)

私が出演させて頂きました境界性人格障害についてのドキュメンタリー
TBS報道特集NEXT 「自分を傷つける女たち」について、あらためて記事を準備中ですが、体調、精神状態がついて来ずブログでのアップが遅れています。
リアルタイムで思いつくまま、こちらのシステムで私の心境を書いています。撮影中の出来事など記事にしていないことも書いています。
上位表示されている発言が最新のものです。過去に遡って御覧下さい →Twitter
当ブログ右下に設置しているTwitterウィンドウからも遡って御覧頂けます。



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解離性同一性障害 | comment(6) |


2008/11/16 (Sun) サイドブログBaby Bitch I am.再開のご連絡 ? 境界性人格障害・写真・詩 ?

長らく休止しておりましたサイドブログ Baby Bitch I am. ですが、更新を再開致します。

現在、コメント欄等にてご感想、コメントを多数頂いておりますTBS報道特集NEXTのドキュメンタリー「自分を傷つける女たち」の長期密着取材、自助グループ発足などのため、休止して参りました。
特に前者は、境界性人格障害について、少しでも理解が広がるならと取材をお受けしプライバシーを捨てて臨んだ取材でした。

Baby Bitch I am. では、主に境界性人格障害者の内的世界を写真と言葉で表現した私の作品集です。
病気への理解を広げたいという思い、また病気に限らず、読者の皆様の目に適う作品を目指し不定期で更新しています。

当ブログでの更新頻度は変わらず、Baby Bitch I am. の方は、しばらく連日更新の予定です。
作品として世界をお楽しみ頂き、過去の作品関わらず、ご感想など頂けましたら幸いです。

今後とも、当ブログともども、よろしくお願い致します。


                             美鳥



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お知らせ | comment(2) |


2008/11/14 (Fri) 頭蓋に泳ぐ短編小説  - 解離性障害・境界性人格障害・カウンセリング -

20081114.jpg
耳だけが私の話を聞いている猫。縞模様が素晴らしく美しいねと褒めると、謝辞がわりに何度も頭突きで応えてくれた。


男性カウンセラー、カウンセリングルームも変えての2度目のカウンセリング。

疲れきった。体が重くて帰りは歩くのが困難。何があったのか、よく分からない。

私の家族構成について祖父母の代まで遡り、父母の兄弟まで入れての関係図作り。
手馴れた様子で先生が図にしていく。私は、訊かれたことに答えていく。

こういうのはまずいな、と思ったのだった。何がどのタイミングでどう過去のトラウマに触れるか分からないから嫌だな、と反射的に抵抗を感じて、しかし必要なことだし、これは続けてきた8年に及ぶカウンセリングで一度は話したことでもあるから、こなせるような気もした。
けれど、グラングランした。何というか、頭蓋の中に重い溶液が湛えられていて、そこに浮かべられた脳が右へ左へ揺らされているような感覚。
眩暈とも違う。独特な感覚。

しかし、順調にこなせた方だと思う。
その後がよく思い出せない。
脳がおかしい、まずいな、と思ったら体の統制がきかなくなって、ゴトンッと自分の体が音を立てた。机か床に落ちたのだと思う。先生が「大丈夫ですか?」といったのを聞いた。


とにかく苦しくて苦しくて悲しかったような。夢のようで思い出せない。
カッターナイフを探して見つからないから、コンセントを引っこ抜いて叫びながらコンセントの先で自分の足を刺し続けたような気がした。刺さるほど尖ってもいないが。それもまた夢のようだし、ずっと昔の実際の記憶かもしれない。
11時から1時間のはずが、私が気がついたら12時半をまわっていて、私は催眠療法用の椅子に寝ていてブランケットがかけられていた。頭がガンガンした。

部屋のものが大方廊下に出されていた。先生も廊下に立っている。妙な雰囲気だった。
先生が私と目を合わさないようになった気がした。
何か話しかけられたけれど、意識が遠のいて時々何の話か分からなくなった。解離が酷いとそれはよくあることだ。
床に目を落したら、中途半端に抜けたコンセントがあって、わけが分からなくなってきた。
「何か腑に落ちないですか」と先生に言われたけど、何をどう言語化すればいいのか分からない。
「腑に落ちない」という言葉が、一番今のところ近いと思ったから、腑に落ちませんと答えた。
頭痛が治まってきて、先生が目を合わせないようにしている気がして、ますます嫌な感覚が襲ってきた。病院で錯乱したときのような、何か記憶にないとんでもないことをやったんじゃないかという不安。

観葉植物が無事でよかった。小机も無事で良かった。
私はカウンセリングに行く前に、あの小机を蹴り飛ばして壁にぶち当てて破壊し、観葉植物は引っこ抜いて窓ガラスを突き破ってベランダから外に放り捨てたいという衝動が抑えられずにいた。
自分を抑えるために病院に行ったときに医者に話して、「私がこれを実行した場合、私はどうなるんでしょうか」と訊いた。医者は「警察を呼ばざるを得ないでしょう」と言ったから、前科がつくのもカウンセラーに迷惑をかけるのも世間様に迷惑をかけるのもとんでもないと思い、重々それだけはやってはいけないと自分に言い聞かせて出かけたのだった。


私の衝動は、社会的に認められない。人間としても、認めがたい。
しかし、境界性人格障害の症状として、否定できない衝動であることは事実だ。
女性のカウンセラーに対して、私は8年近く通っても衝動が起きることはなかった。
カウンセラーが男性だった場合はどうなのだろう?とは、私が8年近く抱いてきた疑問だった。
医者から紹介された今回のカウンセラーは、性別だけでなく、手法も今までとまるで違う。
そのせいか、ボーダーの衝動が、初回の面談で頭をもたげた。
このことは社会的には認められないが、カウンセリング療法で回復を目指す上では、良い経過といえるのかいえないのか。
分からない。


帰りは、13時になっていたこともあって、申し訳なかった。
お前は人の時間を潰す、とは親に散々言われてきたことだ。そんなことを思い出した。
先生は疲れているようで、私とはさっさと別れたいといった感じだった。怖い。不機嫌な男性、黙っている男性、無表情な男性は、怖い。


外に出たら、また頭痛と脳がグラングランと揺すられる感覚に襲われて、電柱に捕まっていた。そのままだと通行人に妙な目で見られることに気づいて、カメラを取り出した。
上達したい。カメラをちゃんと学びたい。
そう思ったはなから、久しぶりにつけかえた一眼レフのノーマルレンズがエラーで使えなかった。いつものマクロレンズは無事だ。体力が回復したら調べて修理に出そうと思う。カメラがなくなったら、私は呼吸の一部鼻を塞がれるような気がして滅入る。


家に帰りたくなくて、写真を撮り続けた。
愛想の良い猫に出会ったので、褒めちぎって被写体になってもらった。
私の腕は最低だが、猫が最高だったために、何とか救われた出来になった。
私のバッグにしきりと首や体をこすりつけていたから、次にあっても覚えていてくれるといいなと思う。


体力は限界。体が、ボロ雑巾のようにくたくただった。しかも、体中が痛い。とにかく痛い。
頓服を飲もうと思ったが、この間のODのときに病院で飲みつくして取り上げられたので財布に予備がなかった。自分がやったことのツケは、必ずまわってくるものだ。
体調が多少不安だったが、疲労でぼんやりとマクドに向かった。
好きな2階席に座り、携帯でEGO WRAPPIN'を最大音量で延々とリピートしながら、紙にペンで小説を書いた。
ある友達と共同制作の計画を立てている。共通のテーマでそれぞれ試作している段階だ。テーマがずっと頭から離れなかったが、急に取り組む気持ちになった。

詩にするつもりだったが私が書き始めたのは短編小説だった。
友達が描いた絵で、私が一目惚れしたものがあった。それをずっと脳裏に浮かべ続け、溢れてくるまま淡々と紙に書き付けていった。最後まで書きあがったら、家に帰ろうと思った。



Jからメールが来て、私の入院や役所の手続き関係を更に調べてくれたことが分かった。小説は3分の1書き終わっていた。Jに電話した。色んな話をした。
私の問題にJは我が事のように考えて調べて協力してくれている。「戦友」と呼ぶに最もふさわしい私の友達だ。役所にあたって私の病状を説明して情報を仕入れてきては教えてくれる。具体的で、次々と真っ暗だった数ヶ月先になすべきことが見えてくる。感謝しても感謝しきれない。

Jも大きな問題を抱えていて、DVからどう脱するのか、いよいよ本格的に現実と向き合う時期を間近に控え、ナーバスになっている。
お互いの話に耳を傾け、思いつくまま話し、Jの言葉に感謝して涙し、Jの子ども達の気持ちを思って涙した。本当に色んなことを話した。


電話を切ったら外は暗くなっていた。
書きかけの小説は、ストーリーを見失った。こういうときに無理矢理頭を使って書くと、予定調和でスカスカな作品になる気がいつもするから、書くのをやめる。

クタクタの体に、Jと話した時間が温かい灯のようにともっていた。
これから家に帰るのだろうか、と考えた瞬間に、掻き消えた。どうしても私は家に帰りたくないのだった。

少し遠くのドラッグストアに出かけた。日用品を買った。
あとは用事はなくなって、帰るしかなかった。


今こうしてブログを書いているが、自分の体までの距離が遠い。
体感距離にして、10メートル。勿論、キーボードを打っているのは私だが、私の意識は真後ろ10メートル離れている。強烈な離人感で、時々視線を移動させたり苦心して体を起こし続けている。

体中が痛い。朝はこんなことはなかった。
嫌な感じがする。カウンセリングが怖い。
来週は、絵を描くのだとか。これもまたハードルが高い。私は、模写は割合得意だが、何もない白紙を差し出されると、とりあえず日本昔話に出てくるような安直な山と太陽を描くしか能のない女だ。絵で何かを表現したり出来るようになってみたいが、それができないから悔し紛れに写真を撮っていると言えないでもない。

とにかく疲れた。疲れた。疲れた。しか口をついて出てこない。
奇妙な一日だった。




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治療日記 | comment(2) |


2008/11/13 (Thu) 甘い蜜を啜る夕刻 ?境界性人格障害・自傷・希死念慮?

カッターナイフを太腿に突き刺す。
二度、三度、四度目で切り裂きたくなるがやらずにいる。
布越しに刺さる刃は痛いだけで、さほどの傷を残さない。
この自傷行為は、7?8年前の私がやっていた自傷の一つだ。切腹も同じく。リストカットやODじゃなく、自分をミンチにしたがるのも同じく。時間が巻き戻されたかのようだ。
しかし、あの頃と違うのは、今の私は失語症を克服し言葉を手にしていること。
書いて伝えることだけは、絶対にやめないと決めていることだ。


昨日は、3歳の頃の記憶がフラッシュバックした。それが自傷のきっかけになった。またODめいたことをやらかしそうになった。支えてくれる友達のことを思い、裏切るようで出来なかった。
泣き喚いて、太腿を刺した。

ひととき記憶が途切れた。ネットショップからメールが来ていて、インドのお香を私が注文したらしい。ご注文ありがとうございましたのメールだ。脱力した。
長袖一式は、やはり見つからない。捨てられたのか。私しかいないこの部屋で「捨てられた」と表現することがおかしいのか。私が捨ててしまったのだろう。


希死念慮が酷い。
些細なことがきっかけで涙が止まらなくなり、嗚咽になり、獣のような咆哮、絶叫に変わり、死にたい死にたいと部屋中をぐるぐると歩き回った。
目が外ばかり見る。
飛び降りたい、死ぬのも死ねないのもどちらでもどうでもいい、飛び降りたい、とにかくこの体を形を留めぬ程に滅茶苦茶にしたい。
そればかり考える。


今日は、本当は色んなことをやる予定だった。
一つだけこなした。後は悉く不可能だった。
些細なメール一つで、また死にたい死にたいの錯乱状態だった。
泣き喚いたかと思うと、ふと正気に戻ったりした。
ゴミを捨てに、夕方、外に出た。


飛び降りようとしている私の部屋の五階はどんな高さだろうか、と下を見てみる。
エレベーターで下りて、今度は下から見上げてみる。
硬いコンクリートの駐車場から見上げれば、吹き抜ける5階まで続く壁。
吹き抜けた上には、空だけがあった。


今日の空は、雲ひとつない。
何もない空は、ときどき憎しみを想起させる。
私の体中を駆け巡る、何者かへの怒りや失望、絶望、悲痛、孤独、何もかもに肩透かしを食らわせて、空は一枚の青い板のように無機質だ。
我が物顔で当たり前の顔をして、空は、私を世界に閉じ込めている。
あそこから飛び降りて、ここに落ちるのか。
足元のコンクリートに目を落した。


部屋に戻り、カメラを手にまた同じ場所に戻った。

コンクリートの上に立ち、最上階の上、憎い空を見上げた。
自由とは何だろうと考えた。
自由とは、欲しいものを欲するままに手にすることだろう。今私が欲しいものは何だろう。


今、この瞬間、死ねたらいいのに。

生きることは曖昧に許され続けて今日も明日も生きているのに、なぜ死ぬことは許されないのか。認められないのか。認められないのに、なぜ私はこんなに死に憧れる瞬間を幾度も幾度も繰り返し、逃れる術を持てずにいるのか。

死を希求することが私を支えてくれる大切な人を裏切ることになるとか、あの人を、この人を、その人を悲しませることになるとか。
苦しいだけ。本当はそんなことを考えたくはない。


死だけが私の望みを叶えてくれる。
成就する。
死に憧れ、甘い死に陶酔し、死への夢想で安らいでいる。
認めても良いのではないかと、ふと考えた。


今この瞬間、死がこの世で最上の甘美。
これが唯一の真実。
なのに不謹慎というだけで、なかったことにするのか。
こんなにも死に憧れるのに。
甘美で醜く爛れた私の死体が今ここにあれば、私は安らいで安らいで、もう何もかも満ち足りて、おなかいっぱいおっぱいをのんで、すやすやと眠る赤ん坊のように満ち足りる。


今、この瞬間、死ねたらいいのに。


雲ひとつない空の下、日が傾き始めた夕刻、私は空想の世界で死んだ。
私の死体を眺めた。
数メートル四方の冷たいコンクリートの上、カメラを片手に歩き回り、私は、自殺した自分の死体検分、現場検証をやった。
私は空を飛んで落下し、地に叩きつけられ内臓を破裂させ、耳や鼻や口から血を流し汚物を撒き散らし、コンクリートの上でひしゃげて死んだ。

私は、ここで死んだ。

ゆっくり深呼吸した。
清浄な死が、この場からかき消えてしまう前に。
肺の奥深く吸い込んだ。
爪先から足、膝、太腿、腰、胸、腕、手のひら、指先、爪、髪、頬、まぶた、睫毛の先まで、死が充ちた。
甘かった。
冬の陽は移ろいやすく、いつの間にか夕刻の陽射しは蜂蜜のように甘い。


私は、私の自殺現場でシャッターを切った。撮りたいものが明確だ。夢中で撮った。
珍しく、私らしい写真が撮れた。
もう少し生きられる。信じた。
一歩ずつ自分の足で階段を上り、5階の部屋まで戻った。




写真は後日アップ予定。

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境界性人格障害 | comment(0) |


2008/11/12 (Wed) 効かないラムネ(後編) - OD・境界性人格障害・解離性障害 -

◇2008/11/11 (Tue) 効かないラムネ(前編)? 境界性人格障害・OD・自傷 ? の続きです。

・・・・・・・・・・・・・・・・

ツイッターを見て、友達Jが電話をかけてきた。
病院について行くから家まで迎えに行くと言う。
私は、朦朧としていて意味がよく分からなかった。

4時に病院に来るように看護士に言われたが、不可能に思えた。しかし、自分で行けるような気もした。いつもそうなのだった。誰かが力を貸してくれようとすると、私は途端に自分ひとりで出来るような気がしてくる。実際、案外自分で出来たりもするから、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
自分の状態を大げさに伝えてしまったと思った。


薬を齧り続けているうちも、文鳥には介護が必要だ。高台に移動したいとももが言ったから、手に乗せてあげてやったら、私がふらふらして3度も床に落としてしまった。
ゴツンと音がした。ももは、目を白黒させて気絶しかけた。
私は、へたりこんで泣いた。
何もできない自分に絶望した。
何もかもどうでもいいとも思った。

自分の命一つが重くて重くて耐え切れない。
その上、私が引き受けている文鳥たちの命2つが、途方もなく重く逃げ場もなかった。何があっても文鳥たちは私の責任だ。その責任が、重くて重くて潰れそうだ。


何時ごろだったか、友達Jが来てくれた。
子ども達2人と一緒だった。
私は既にかなりの量の薬がまわっていて、落ち込んでいいのか笑っていいのかも分からなかった。
シャワーを浴びることもできなかった。メイクもできないし、頭に消臭スプレーをぶっかけて外に出た。

寒いマンションの入り口でタクシーを待った。
病院に着くと30分待ちだといわれたので、隣のコンビニで時間を潰した。
いつもと変わらない子ども達の腕白ぶりが見ていて面白かった。薬で何もかもぶっ飛んで、何を考えるでもなかった気がする。
DVの夫と暮らす友達が、夜に子ども達を連れて私に付き添うことなど、普通考えられない。
なのに何も考えることが出来なかった。

診察室には、1人で入った。
ふらふらしているように見えるのか、大丈夫ですか?と何度も問われるが「頭はしっかりしてます。大丈夫です。しっかり話せますし」と答えたが、「ろれつが回ってないですよ」と言われた。
ドキュメンタリーの取材に協力してくれた医師でもある。放送されたことを話した。
それから、映像を見て、あなたは私より軽い、と友達からメールが来たことを話した。
私は苦しみ足りていない、自殺しなければ苦しいと認めてもらえないんだと話すと、感情の制御が利かなくなり、一気に爆発した。涙が溢れて言葉が接げなくなった。
それでも話したかった。
気がついたらカバンから薬を出して呑み込んでいた。
医者が「やめなさい」と言ったけれど、止められなかった。話すためにも生きるためにも死ぬためにも薬がいる。とにかく薬を飲まなければ私が壊れてしまう。


医者に紹介されたカウンセラーに会ったことを話した。
あのカウンセラーは1人でマンションの一室でやっていて、あれは信頼できるんですか?と医者に訊いた。何か答えていたが、私はろくすっぽ聞かなかった。
男性カウンセラーと個室で2人きりの時間。私は、カウンセラーとセックスしてやる、皆本性を暴いてやる、と薬を齧りながら医者に罵った。
コンドームを持って、パンツ脱いで行ってきますよ、あやなら得意ですよセックスは、と罵り続けた。医者は、私の話よりも私が齧り続けている薬の数を数える方に半分気を取られていた。


どんどん出せるだけ出してバリバリ齧っていたら、シートごと取り上げられた。
絶望で目の前が真っ暗になる。
悲しくて悲しくて、絶叫した。悲鳴をあげた。
薬を取られた!返して!返して!
泣き喚いた。
財布に入れていたのを思い出した。薬をまた飲めるだけのんだ。
それも取り上げられた。
取り返そうとデスクに走り寄ったら止められ、看護士が来て「ベッドで休みましょう」と言った。
いつの間にか友達のJも来て私を抱きかかえていた。
私は泣き喚いて、空になった薬のシートを医者に投げつけた。
「返してください!返してください!」と叫んだ。


そのままベッドに隔離された。
まただ。
いつも病院に来れば、この繰り返し。
死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。

通りかかった看護士に「薬を取られたんです。返してください!」と言ったら「返しますよ」と言ってくれた。でもこなかった。
私はベッドに身を投げ出して泣き喚いた。唸った。
すぐ隣は診察室で、すぐ隣は待合室で、私は発狂して壁にガンガン頭をぶつけ続けた。唸って喚いて泣いた。生きていたくない。死にたい。誰か殺してくれ。いつまでこんなふうに生きてなきゃいけないんだ。
泣いて泣いて、唸って怒鳴って喚いた。
いつの間にか友達がそばにいて、抱きしめてくれていた。
寝ている私の背中をさすってくれていた。子ども達の手だろうか、小さな手が私を何度も撫でた。

診療時間は終わっていた。
薬は今日は出さないと言われ、別の頓服を出された。
薬局に行ったり、診察料を支払ったり、全部友達が知らない間にしてくれていた。
医者が私に入院したほうがいいと言った。
私は苛々した。
うちには文鳥たちがいて、私は帰らなければならない。
入院すれば実家にばれる。入院にかけるお金はない。
部屋に帰れば、薬さえあれば1人で暮らしていける。生きられる。
入院手続きに必要な書類なのか何なのかJが医者から受け取り、何か説明を受けていた。
全く意味が分からなかった。
私は手当てされたりケアされると、心が受け付けない。
今までのパターンしか思い描けないのか、私を世話しようとする人間は私から何かを搾取しようとする人間だ、信じたら裏切られる、もしくは途中で捨てられる、そんなふうにしか思えなくて、打ち捨てていて欲しいとすら本気で思う。


病院の外に出ると、外は真っ暗だった。何時か分からない。
まともに歩けないらしく、看護士と友達に何度も支えられた。
けれど、自分の足で家まで帰りたかった。
やっと少し頭がまともになってきた。
ここまで付き合わせた友達を、これ以上振り回すわけにいかない。
駅が近かったこともあって、今日はありがとう、ここで帰ってね、と友達に言った。
友達はずっと私に「うちに一緒においで。今日はうちにおいで。一緒にいたほうがいいから。一人は無理だよ」と私を自分のうちに連れて帰ろうと何度も言ってくれた。


私は、とにかく自分の足で歩いて、歩けば多分1時間はかかるが、歩いて帰りたかった。
やっぱり1人で生きなきゃと思った。
ここまで付き合ってくれた友達に感謝した。
それ以上に私は自分で歩かなきゃと思った。
これ以上迷惑をかけられない。
一人になって、歩ける自分を確認したかった。

すっかり遅くなって、友達が乗るバスはなくなっていた。
タクシーでそのまま帰ってくれていいよ、私は歩いて帰るよ、と何度も言ったつもりだが、看護士や友達に止められた覚えがある。
その後よく覚えていない。
気がついたら、私のマンションだった。
部屋に入ったら、子ども達がはしゃいで遊び始めた。ふらふらしたけど、和んだ。一緒に笑った。


友達が携帯を持って外に出て行った。夫に迎えを頼もうとしたらしい。
そして彼女は私をどうしても連れて帰って看病しようとしてくれていた。そのことは、今日知った。
暴力、暴言の酷い彼女の夫は、心の病気をバカにしていて、弱い者がなるものと決めつけているらしい。電話口で、彼は怒鳴り続けたようだ。
戻ってきた友達は、目が真っ赤だった。泣いていたのだと分かった。
私を連れて帰ろうとしてくれたことを私は知らなかったから、普段どこへ行くでも夫が監視しているような状態で彼女がここまで来てくれたから、酷い言葉を投げつけられたのだ、としか想像できなかった。

座り込んでJは、途方に暮れたようにへたりこんでいた。
私は、思わず彼女を抱きしめたくなった。
私も彼女も生きることが辛すぎる。

私が電話してダンナさんに事情を説明して謝るよ、とJに言ったが、Jはいいと言った。
禄に動かない頭で、とにかく彼女たちを見送ろうとドアまで行ったが、ここでいいよとJに言われ、子ども達に手を振った。
ありがとう、と手を振った。


1人の部屋に戻り、今日渡された薬を飲んだ。液体で苦くてまずかった。
朦朧としていて、何を渡されたのか確認していなかった。
また涙がこみあげてきた。
何が悲しいのか分からない。
友達の温かさが嬉しかった。
そんなことも全部涙になった。
薬がまわったのか、気を失うようにベッドに突っ伏して眠っていた。
気がついたら、今日昼をまわっていた。

医者が書いた書類を開けてみてみた。

病名:解離性障害
紹介目的:入院の上加療
症状経過:うつ状態、解離性障害で加療されていた方です。昨日にご自分のドキュメンタリーが放送されてから、多くの方からの誤解もあり、薬物を大量に服用し、自殺をほのめかされてます。緊急でご迷惑おかけしますが、よろしくお願いいたします。


入院が必要らしい。


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関連記事
◇2008/11/08 (Sat) TBS報道特集NEXT 「自分を傷つける女たち」境界性人格障害
◇2008/11/10 (Mon) 傲慢に気づかない人間が対等を語る ?人間嫌い・ OD ?



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境界性人格障害 | comment(4) |


2008/11/11 (Tue) 効かないラムネ(前編) ? 境界性人格障害・OD・自傷 ?

カウンセラーを変えた初カウンセリングで話題になった私の「リストカット・ODは茶番。自分をミンチにしたい」について書く予定だったけれど、まさに茶番のODをやらかして病院に行ったので、そのときのことを書く。


昨日のことだから、薬が残っていて朦朧としている。しかし文章は、きちんと書ける。会話もできる。と言ったら「ろれつがまわってない」と医者に指摘された。
体も脳も動いているつもりだが動いてないらしい。何度もキーボードを打ち直す。

何がどうなったのかよく分かっていない。多分、前回の記事を読んだら思い出すんだろう。
そうだった。私が出たドキュメンタリーを見て、「あれより私は大変だったしあれは普通だし、あれじゃ別に支援はいらないよね」といったメールを友達と思っていた人から貰ったことと、もう1人半月以上意味不明な行動を続けて(私にとっては何故彼女がそう動かねばならないのか把握はしてたが)迷惑だった人とも色々あったからだ。
前者は、信頼していた友達だった。
ツイッターと記事を読んでくださった読者の方から「事情はよく分からないが今回は背中から撃たれたのではないでしょうか」と書いてきた方がいた。
まさにその通りだった。
他にも、新しいカウンセラーに不安を抱いていたこと、解離性同一性障害の診断が下りつつあること、いろんなことが重なった。

理由はどうあれ、他にも色んなことに私は嫌気がさしていた。この数ヶ月、どんどん溜まっていく人間が自然うみだす澱のようなものにズブズブと沈められて体の中から腐っていきそうだった。

ディレクターのN氏を私は心から信頼している。だから、作品について私が感想を述べるのを避けている。ディレクターだけの問題ではない。放送したのはTBSだし、ディレクターに迷惑をかけたくないので沈黙している。しかし、ディレクターを信頼している。世間の無理解と軽薄と現実とファンタジーの区別もつかないような鈍磨した感性、それに迎合しなければ資本主義社会でまかり通れない実情を近くで感じただけだ。


「臨界点を突破しそうだ」と友達に話したのが前々日だったと記憶している。限界が昨日来た。友達と話す前から私は頓服を規定量以上ガリガリ齧り続けて、もう幾つ服薬したのか分からない状態だった。友達と話しながら、確か10?15分おきに更に齧り続け、話し終わってから更にお菓子を口に運ぶようにどんどん薬を齧り続けた。
普段貰っている量を殆ど使わないようにしている。あまり薬を体内に入れたくないからだ。だからたくさん余っている。
いつもの10倍飲んでも効いていない気がした。更に飲んで飲んで、そういえばどこまで飲んだらOKなんだろうかと思い、病院に電話した。
看護士に繋がって、幾つ飲んだのか数えてくださいといわれたから話してみた。その時点で3?40錠のんでいた。まだのめる、と思った。話せるし、多少ふらつく程度で眠くもならないし、頭は冴えている気がした。
病院は丁度午前中の診療が終わったばかりで、次は4時からだから4時に来てください、と言われた。
私は、4時まで生きている気がしなかった。だから「生きていたら行きますね」と答えた。
このまま酩酊した状態でいれば、自分のことだから何か突発的にやらかして死ぬだろうなぁと思った。あと4時間も無事でいられる気はしなかった。
看護士は「それ以上薬を飲まないように」と何度も言っていた。はいはいと言いながら、ガリガリ薬を齧った。

病院までは、遠い。自転車で10?15分かかるし、大通りを何度も通る。昔から自傷、自殺というと車に轢かれて轢かれてミンチになりたがる私が、無事に病院まで行けるわけがなかった。
看護士に、「1人暮らしですよね?」と訊かれた瞬間、どっと涙が溢れて、薬をかじりかけたままのパサパサした口で「ひとりです。誰もここにはいない。わたしが死んでも発見されない。そこにいけるわけもない」と泣きじゃくった。更に絶望が増した。
私がどうなっても誰も知らない、誰も見ていないここで、私がどうなっても何一つ現実は変わらない、微々たる存在、もしくは存在すら認められていない今に絶望した。

「4時に来てね。待ってるからね。お茶かコーヒーをのんで、薬はのまないで。薬を飲むならお茶かコーヒーを飲んでね」
看護士が繰り返し言った。
「待ってるからね。4時に待ってるからね」
言っていた。
「いけたらいけます」
と答えて電話を切った。
それから、ガリガリガリガリ、薬をかじり続けた。

効かない薬に苛々した。
そうだ、とにかく私は何があっても記録し続けるんだ、と思い、ツイッターに書き続けた。
死んだにしても幾つ飲んだか参考になるだろうと思った。
これくらいじゃ死なないこともわかっていた。
ここからどうなるか分からないから、書いておこうと思った。
一つずつが、二つずつになり、そのうち放り込めるだけ口に放り込んだ。
天井を仰いで泣いた。泣いても泣いても何が悲しいのかすら分からなかった。
息をつぐ度に薬を齧った。手当たり次第に呑み込んだ。
もう何もかもどうでもいい。

◇効かないラムネ(後編) - OD・境界性人格障害・解離性障害 - に続きます。


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関連記事
◇2008/11/08 (Sat) TBS報道特集NEXT 「自分を傷つける女たち」境界性人格障害
◇2008/11/10 (Mon) 傲慢に気づかない人間が対等を語る ?人間嫌い・ OD ?


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境界性人格障害 | comment(6) |


2008/11/10 (Mon) 傲慢に気づかない人間が対等を語る ?人間嫌い・ OD ?



昨日から殆ど眠っていない。
朝からODし続けている。多少、支離滅裂な箇所があるかもしれないがご寛恕ください。

安定剤を定期的に齧り続ける。もう何錠になるのか分からない。朝から今まで、今から寝るまで。
酩酊感は、何もかもを麻痺させてくれる。
ふらふらで歩けなくなってきた。それでも、感情だけは酷い状態を脱し、ふらふらしながら服を片付けたり、少し家事をした。そうしたら気に入っていたティーポットを割った。お茶を二度こぼした。
挙句、座っていた椅子から転倒し、椅子まで薙ぎ倒されて、なぜだか両脇に酷い打撲を負った。
巣箱にこもっていた文鳥ズが驚いて出てきて、私を高台から見守っていた。
私は常時、へらへらふらふらしていた。


きっかけは友達から一通のメールだった。
番組で放送された私を見て「普通だし元気」ということだった。私は取材に実は半年はかけた。病人として、またよりによって理解が低い境界性人格障害の患者として顔をさらして出演することは相当の勇気を要した。AC(アダルトチルドレン)の性格も手伝って、毎日が苦悶と恐怖の連続だった。AVの撮影と間違われて野次を飛ばされたこともある。カットされていた部分は、私の人格交代などの瞬間だ。また、私はペイフォワードで頂いた網ぐるみを大事に置いておいて、私のような生き方をしていても支えてくださる方を知って欲しくて、そんなシーンを撮影したりもした。
しかしあくまでも私の作品ではなく、報道は常に第三者であり、当事者の私が訴えることが最も大切で近道なことなのだ。
友人からの手紙は、「あなたは元気そうだったし電車にも乗れていたし辛かった私からすればあなたは「普通」だった」だった。
だから何だというのだろう。本当に重症の人間はドキュメンタリーの取材など受けられない。私のような中途半端に動ける人間、そして決意を持った人間しか訴えられないのだと思った。だから敢えて全て晒した。私は自分が一番不幸だとも思っていないし、誰かと不幸比べや幸福比べをすることなんて、とっくにやめた。それが私が出来ることとは無縁だと知ったからだ。私は私でしかなく、誰から何と言われようとも私は私が信じたことを行動するのみだ。

ではどれだけ苦しめば人は「苦しいね」と認めてもらえるのだろうか。
そのことを考えるたびに私は「自殺」という無言の行為に思いを馳せる。
私の両親や一時期親交があった友人などは、そういう考え方だった。
「苦しいって言ってるけどまだ頑張れるでしょ?どうせ死なないんでしょ?」だった。それは私の苦しみは甘えであるということを意味したし、同時に「自殺しない限り苦しみは認定してもらえないのだ」という事実だった。

こんな考え方、誰かと自分の苦しみを天秤にかけ、自分の努力と他人ができないことを天秤にかけ、私はここまでやったが何故あなたは出来ないのか?という問いに、果たして意味があるのだろうか。
鬱病にもそれぞれの状況や背景があり、解離性障害にも存在し、そしてDID(解離性同一性障害)にも様々ある。外出が怖いという理由も、人それぞれあり、私の強迫性障害は例えば弟と比べれば病気のうちに入らない軽症だ。しかしそんなことが何の意味がある?

私は自分の通帳を自分の持ち物でありながら長く紛失していた。はんこも同様だ。去年気づいたが、わたしの長袖は一式捨てられている。誰が捨てたのか、私は捨てた記憶はないので他人格が行ったと考えられる。
そして私の命を左右してきた要素は、金銭・信仰・病気の三大要素だった。
今の私は銀行に行けば解離する。通帳が見つかったから記帳したが、右下の数字を見れば残高なのだとわかっていても脳が理解できない。そしてすぐに健忘。把握できない。

私は滅多に外出できない。
電車に乗っていたシーンは、あれはもう春のことだ。あのとき私は頓服を飲んで乗り込み、それでも途中で倒れかけた。それでもあの1シーンで私は「元気」とみなされる。
同じ心の病気を持っていて、外側から見えないからこその苦労を誰しもが味わい、歯を食いし威張って生きている。滅多なことでは誰かに話もしない。だからといって、なぜ苦しいといっている私が「あなたは元気で普通でもっと頑張るべきだ」と言われなければならないのか、私は理解できない。


私の暮らしぶりを「お金がまだある」だとか「元気」だとか「1人で生きていける」だとか「支援はいらないよね」と言う、それは一体私の何を知ってそういうのだ?
私がここで死んだとしても私は何日も見つからない。その頃には文鳥も死ぬだろう。
ここには私を見る目というものがないし、定期的に通う人もいなければ、治療したくても元気なときにしか行けないように脳の作りができている。そして頻繁に記憶はとび、私は自分が元気だと思い込んでいる病だ。

それでも私がましだって?
私は自分を悲劇ぶる気も何もない。病気に格好良いものなんて何もない。
闘病は死に物狂いで、だからみっともない。格好良い病気なんて一つもない。
そして人それぞれ苦しみの質も度合いも表現も違う。まるで苦しみを顔に出せない人もいる。

私と向き合うことよりも、他人が作った映像のしかも数分だけ都合よく切り取られ、大衆向けにソフトに作られ、そして私の意向など無関係で作られた映像を元に、あなたの生活も状態も、カットされたものの大まかも想像できるなんて傲慢もいいところだ。
カットされたものの中に死にかけた私がいた。笑っている私がいて、何時間も泣いてパニックを起こし暴れ、リスカしようとし、切腹し、飛び降りようとし、何も食べられない状態だったし、私はあやの写真もSM写真、自分の裸体も変態行為も見たくもないあやの男の写真も、生涯誰にも話したくなかった性的被害の体験も話した。全ては、病気について知ってもらいたかったからだ。
そんなカットされた映像に、私は腹は立たない。
あれは私の作品ではなく、私は一出演者に過ぎない。

本当の私は、ここにいる。ブログに書き続ける。
そして、これ以上のリアルは、現実、ここ大阪で生きている。
他人が作った映像や、勝手に他人が作り上げるイメージ、全て私とは無関係だ。
私を知りたいなら私と会えばいい。リアルな私は、いつでもここにいて、ブログでも私はこのまま私で、誰に嘘をつくでもない。
リアルとブログを私は分けない。
なぜならブログはリアル世界でのお遊びである。
リアルなこの世界、私の散らかった机の上にある一台のノートパソコンを打つ私の指から一文字ずつ書いている。
ブログとリアルの違いなんてクソほどもない。
私はここにいる。
書いていることそのものが私のリアルだ。
理想化もこき下ろしも、もううんざりだ。
誰にも彼にも見捨てられ不安もつと思ってる人も間違い。
さほど重要じゃないよ。だってあなたは逃げるじゃないか。
助けて欲しいとも思ったことがない。あなたは人を侮っている。特に私を。
言葉に逃げ込んで、何も意思表示せず理屈こねまわして自分は無傷。
保身のみの体のいい言葉で対等かどうかよく考えてみればいい。
少なくとも友達という定義から私は外しているよ。
わかって欲しいなんて思ったことはないね。
わかって欲しいのは当人の方だ。いつも差異ばかりしか話題にできない人。
自分の内部で片付けるべきことを外側で他人に迷惑かけて好き勝手やってる。
私のことを分かった気がしてるらしいが私はキレイでもなければ優しくもないし、助けを求める相手は吟味するし、見捨てられ不安は愛情が伴っている。
私という人間をよく知りもしないくせに侮っているね。
ついていけない。
自分のことにしか余裕がない人間は私は友達にはしない。
尊重を履き違えている。あなたが居心地がいいことと他者が居心地がいいことは全く別問題だが、あなたの価値観が最も優先されるべきだと信じているのだろう。理屈で人間は動かない。ついてこない。理屈のみで生きていた私を知らないあなたは、この言葉にも理解も共感も示さないだろう。
自分勝手は迷惑だ。自分の居心地が良いときは、放棄した分誰かが背負う仕組みになっている人間という集団の原理を知るべきだ。
私に結論を委ねるのは優しさではなく、傲慢。あなたの保身。対等とは、どちらも勇気を出し向き合うことだ。逃げ腰で私に意見を求める関係が、あなたにとっての対等なのか?


今日のODで書き続けたTwitter(リアルタイムで更新しています)
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境界性人格障害 | comment(21) |


2008/11/08 (Sat) TBS報道特集NEXT 「自分を傷つける女たち」境界性人格障害

本日放送のTBS系列「報道特集NEXT」内で、境界性人格障害についてのドキュメンタリー「自分を傷つける女たち」が放送されました。私美鳥も、一患者としてモザイクなしで取材をお受け致しました。御覧頂き、メール等でご感想下さった方々、有難う御座います。

TBS 報道特集NEXT  http://www.tbs.co.jp/houtoku/
「毎週火曜 午後10:45? TBSニュースバードで再放送(注目・特集コーナー)」と書いてあるので、再放送される可能性もあるのか、よく分かりませんが、ご意見・ご感想なども上のサイトで受け付けているようです。よろしければ是非どうぞ。


今年の頭から「境界性人格障害についての日本初のドキュメンタリーを作りたい」とのことで、取材を受けていました。
当初から、病気について少しでも知ってもらえるなら、訴えることが出来るならという思いで、モザイクなしの出演を決意しました。
自身のプライバシーはじめ、境界性人格障害を患った人間として顔や日常生活を晒すことは勇気を要しましたが、迷いはありませんでした。
命の危険を感じ実家から戻ってくる車中で、命懸けで伝えていこうと決心した覚悟を再度問われているような気がする取材でした。

膨大な時間取材を受けましたが、どのような番組となるのかは一取材対象者の私は分からず、今日の放送を見ていました。

境界性人格障害の症状や行動化、苦しみが少しでも健常者や当事者のご家族など伝わればと願います。

私は、私としてこのブログで境界性人格障害について書いてきました。
私の症状をその都度そのまま書いてきましたが、過激すぎてメモとして下書きに留めているだけのものもあります。形を変えていずれ記事にし、参考にして頂けるものに変えたいと考えています。

境界性人格障害は、感情の波が激しく、その都度の心理を記録するのは困難です。
番組を見てくださった方、また境界性人格障害について知ろうと思ってくださる方へ、読んで頂ければ幸いです。
番組内で使われた私のシーンについて、その時の心理状態や思考、行動化と自省など、取材と分からない形でこちらに書いていました。
その一部をリンク集として以下に纏めてみました。


・・・・・・・・・・・・・・・・・

エレベーターで全階のボタンを押した二日前の記録から、以下時系列順。
2月からブログ内に記録してきた中から一部抜粋。

◇2008/04/15 (Tue) 悪魔は認めない
◇2008/04/17 (Thu) どこにも行かないで
◇2008/04/18 (Fri) 悪魔とスゴロクを
◇2008/05/24 (Sat) ありのまま書く
◇2008/05/24 (Sat) 死臭の獣
◇2008/05/26 (Mon) まだ刃こぼれはない
◇2008/05/29 (Thu) 這いずる獣
◇2008/07/03 (Thu) 切腹解体志願

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

以下は境界性人格障害の心理を私が感じるまま書いたものです
◇2008/02/09 (Sat) ひび割れた宝石 ? 境界性人格障害 -
◇2008/02/23 (Sat) Sweet Poison Juicy Syrup
◇2008/04/06 (Sun) 水底に至る - 境界性人格障害 -


追記11月14日  ディレクターと話しました。番組についての感想、批評を書いても良いということですので、後日あらためて、一取材対象者、ボーダー当事者、一視聴者として番組について記事を書きます。



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境界性人格障害 | comment(6) |


2008/11/06 (Thu) カウンセリングオーダー<男性> -解離性障害・境界性パーソナリティ障害・性被害-

20081106.jpg

引き続き調子が悪いが、昨日よりは幾分ましだ。
昨日から途端、日常生活の殆どが不可能になった。部屋は荒れていく一方だ。そして、次々と買い込んで来る食料と本の山。まさに、山と呼ぶに相応しい。

食料は冷蔵庫から溢れているが、哀しいことに魚と野菜と果物ばかりだ。調子が悪化してもダイエットは続けたいらしい。魚であろうと野菜であろうと過食すれば関係ないだろうと思うが、なけなしの意識だけは守っている。
今より貧乏な時期を経験してきたので、安価で買うのもまた習慣づいている。半額セールのときを狙って行く、全てのスーパーの単価を頭に叩き込み比較して買いに行く等、そこらへんは徹底している。

本代が痛い。さほど読めもしないくせに、今週買った本は既に20冊を越える。普段これも買わずにいたから平均すれば仕方のない出費かもしれないが、古書店に通っては何か買ってくる。今日もまた買ってきた。過食と同じく、本も適量をオーバーしている。


昨日は、きちんと医師の指示通りのみ続けているにも関わらず、パキシルの断薬症状が出た。頓服を倍飲んだ甲斐もあってか、今朝は治っていた。
それがまた夕方に再発した。
私は、薬は必要最小限にしか飲まない主義だ。頓服といえど、最小限にとどめたい。
しかし、つい昨日そうも言っていられない状況に自分はいるのかもしれない、と思ったので、迷わず薬を飲んだ。
いつもの量ではやはり中途半端にしか効かず、外で具合が悪くなって参った。

こんなときでも私は、ウォーキングに出かける。半月は続けている。
昨日の今日は、控えるべきだと思ったが、部屋でじっとしていられない焦燥のような、しかし躍動とも呼べるような強烈な衝動が襲ってくるのだ。苦痛でたまらず、何度も部屋を飛び出した。

こうなったきっかけを考えるでもなく考えるが、思い当たることは数多で特定できない。カウンセラーのような専門家なら「その全て」と答えるのだろう。そうかもしれない。解離性障害のせいで、私にはまるで分からない。
昼間にうとうとしたら、最悪な夢を見た。
私は、このブログに書いたことはないが、複数の性的トラウマを抱えている。その一つは、死ぬまで誰にも言わず墓場まで持っていこうと思っている。その他は、話せる相手が殆どいないため、いまだ2人しかしらない。そのうちの1人は既に無関係な人間だ。
その性的トラウマを思い出さずにはいられない夢だった。けれど私は、曖昧に考えまいとして一日を過ごした。
性的被害の残酷さとは、常に自分の身体、存在が罪そのものに取り込まれることだと私は思う。
どれだけ被害者の顔をしたところで、その場に居合わせ何がしかの性的空気、接触を経験すると、抗おうが抗うまいが、その事柄の当事者になってしまう。主体性を持って、事柄に向き合わざるを得なくなる。


明日は、新しいカウンセラーと初めての面談だ。
紹介してもらったカウンセラーのオフィスのパンフレットを病院で貰った。場所を把握しておこうと思い住所を見てみたら、とあるマンションの1室がカウンセリングルームだと知った。
「女性のカウンセラーではなく、男性のカウンセラーを」と強く希望したのは私だが、今ひたすらに恐ろしくなっている。そこへ出向いたからと行って、何か怖いものが待ち受けているでもない。なのに私は恐ろしくてたまらない。逃げ出したい。頭の中で朝から何度も、カウンセリングルームのドアを叩くシュミレーションを繰り返している。
大丈夫だ、私は出来るはずだ、と自分に言い聞かせている。それでも怖い。
病院の医師に電話して、カウンセラーはどんな人なんですか、信頼できるんですか、大丈夫なんですか、と問いただしたくなっている。全てを抑えて、明日を待つ。

8年目の付き合いになる今までのカウンセラーは女性。そのカウンセラーとうまくいかないのは、彼女が女性だからだと思っている。過去、女性とのトラブルが多すぎて母親をはじめとして、私の中の女性像が歪んでいるからだと思う。

今回は、男性のカウンセラー。そうなると途端に、私は別の意味で相手を恐れている。
病院で診察と称して性的被害を受けたことがあるせいなのか、それとも見た瞬間に条件反射に依存心をかきたてられて理想化し激しい恋愛感情を持っては失望するといういつものパターンを想定して今から疲労を感じているのか、とにかく碌なことが待っていそうにない気がして怖い。

今回のカウンセラーは、解離性障害を診れる医者らしい。催眠療法も扱っている。私が最も恐れている治療が、催眠療法だ。私からもう何も記憶など引きずり出さないでくれと、引きずり出されるものに何があるのか知らないくせに、恐怖感だけ強く強く抱いている。

それから、私に労わりの言葉をかけないでくれ、とも考え、私に優しくしようとするのではないか、とまだ会ったこともないカウンセラーに警戒心を持っている。
暴れて部屋中のものを壊しそうな気がしている。昨日、衝動に襲われて襲われて、抑えきれずにしかし抑えた衝動だ。それをやると確実に行動が停止する注射を打たれてしまいなので、やらなかった。全てを自分の身一つに納めなければならないことは、ボーダーの私にとって辛い。回復期ならではの葛藤だ。

明日が怖い。
カウンセラーが好意的なのも怖いし、冷たいのも怖い。
そもそも男性であることが怖い。
そんなときに境界例の症状があらわれると、私は相手を試すか罵るか行儀の良さを気取るか、性的に挑発するか、自傷や自暴自棄な発言、さらには過呼吸にパニック発作、何でもかんでも噴出してくる。
治療に出向くことそのものがプロとはいえ相手に迷惑をかけること必至という構図になっている。
その後で自己嫌悪、自己憎悪も漏れなくついてくる。
それでも治さねばならない。
今のままだと私は、何かの拍子にうっかり死んでしまう。
まともな死に方は出来そうにないというのが、昨日私が心の内で確信したことの一つだ。



関連記事(境界性パーソナリティ障害・解離性障害・カウンセリングルームでの記録)
◇誰が引き金を引く ? 解離性障害・境界性パーソナリティ障害・フラッシュバック ?
◇心配という名の制御 - 機能不全家族・AC -
◇人間不信の申し子 -機能不全家族-
◇這いずる獣
◇あやとやらは何やってんだよ
◇鏡のない世界で
◇孤独の小箱
◇9枚の葉っぱ
・・・・・・・
◇セックスできない
◇セックスできない2


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治療日記 | comment(2) |


2008/11/05 (Wed) 誰が引き金を引く ? 解離性障害・境界性パーソナリティ障害・フラッシュバック ?

今日ついさっき起こったことで、まだ真っ只中なので完全には把握できていない。
とことん調子が悪い。

今朝からは過食衝動が酷く、時期的に考えてPMSかと思ったが、それだけではなかったようだ。
これまで食べる品目と時間を考え計画的な食生活に整えダイエットを続けてきたのだが、全てを無に帰すかのように、意識がある間中何かを口に運び続けた。
哀しいことに、ダイエットしているときは一つ一つを大事に味わって食べていたものだが、過食となると味わう暇もない。そのうち一種の躁状態のようになってきた。

頭の回転が速くなってきた。批判精神もビシビシと鋭く尖る。その分、口数が多くなる。しかし、今誰かと交流をはかれば間違いなく失敗する予感がして、極力抑えていた。

昼を過ぎてもまだ私は食べ続けていた。量は半端なものではなかった。昼までで3?4日分の食料を食べた。カロリーも何もあったものではない。自分に嫌気が差すことで、更に自暴自棄な気分を引き起こした。いっそ食べたいだけ食べてやろうじゃないかと妙に気が大きくなった。

ある瞬間、ふと私はじっとしていられなくなった。
時々脳内に指令が下されるときの「私は入院しなくては生きていけない」と同じように、「病院に行かねばならない」と唐突に思った。
朝起きた時点では、あまり体調が良くなかったから明日でいいやと考えていた。一歩も外に出ないつもりでいた。まして病院は予約制なので、突然行くのはいただけない。

なのに私は思い立って数秒で、着替え始めていた。
「行かなくては。病院に行かなくては。とにかく行くのだ」と、それだけが頭を占領して、食べ物のことすら吹っ飛んだ。
準備しているあたりから、ふらふらと眩暈がしてきた。
ずっと飲み続けているパキシルの断薬症状にそっくりだ。脳内がパシパシと音を立てる。
飲み忘れているわけでもないのに、何だこれは!と焦った。パキシルの断薬症状が私はものすごく苦手だ。一瞬一瞬、不愉快な眩暈に耐えながら準備をして家を出た。自転車に乗っているのも苦痛だ。眩暈が酷い。

診察券を出したら、予約がないので1時間待ちとのこと。いつものことなので、外で時間を潰すことにした。眩暈が酷い。こういうときに同じ薬を飲んでいる友達が頼もしい。メールで、薬が切れてないのに切れてるかのような症状出たことある?と質問した。
あたりの店を冷やかしながら、今日の診察だけはぼんやりと終わらせまいと思った。
私はどこか何かがおかしい、と思った。

突然だが夢から醒めたように、現実がリアルに見えたのだ。現実とは、多分自分自身のことだ。自分が何か巨大な不安や苦痛を抱えていることをすっかり忘れていたかのような感覚。こんなにも私は苦しいのか、と目が醒める思い。

生きているのが苦しくなった。
一体何が私を苦しめるのか。それとも私が何かおかしくて、苦しいのだろうか。などと考えても仕方ないことを真剣に考えた。思考は、眩暈で遮られた。仕方ないからお買い得の魚を買ったり、ヘアアクセを探したりした。

診察室に入ると、医者に喋る隙を与えまいとでもいうように矢継ぎ早に頭にあることを伝えた。
私は自分が分からないこと、元気なときにしか病院やカウンセリングに行かないように無意識に行動していること、入院したいこと、何度か死に掛けていること、優しくされる、保護されると正体不明の怒りにかられて暴れてしまうこと。
これらのことは、医者に話したことはなかった。なぜなら、私はいつも病院へ来るときは忘れているからだ。何も苦しいことはないのに、と思っているから、病院へ行くのは薬を貰うためだけと言っても過言ではない。
いつも顔を合わせれば医者は「大丈夫ですか?」と声をかけるが、何が大丈夫で何が大丈夫でないのか私はよく分からないから「まぁまぁです」と答えるしかない。
ぼんやりして診察が終わる。先生が何か言ってくれるが実感が持てない。
特に「苦しみ」とか「不安」については、私は完全に麻痺している。まるで分からない。

今日の医者の言では、私は突然に具合が悪くなるのが特徴だという。確かにそうかもしれない。
「かもしれない」程度の認識なのは、私が解離性障害だからだろう。

今のカウンセラーともう3ヶ月以上会っていないこと、新しいカウンセラーを紹介してほしい旨を伝えた。本当は今のカウンセラーK先生に明日会いに行こうかと考えていたでもないのだが、今出来ることは何でもしたいという逼迫した思いがあった。
私がお願いしたカウンセラーの条件は「男性であること」「臨床心理士であること」「解離性障害を理解していること」だった。特に、男性であることは重要だ。今のカウンセリングがうまくいっていないのは、多分先生の性別が女性だからなのだ。母性を拒絶したいらしい私には、ハードルが高いカウンセラーなのだ。

分かりました、じゃあ紹介状を、と言って医者が立ち上がった。棚の上のカウンセラーの連絡先ファイルを手に取ろうとしたらしかった。白衣の背中が目に映った。
瞬間、私は呻いて椅子の上で頭を抱えた。
言葉にならない感情が噴出してきて、意味も分からず泣いて泣いて、過呼吸を起こすまで泣いた。
医者は、咄嗟に「フラッシュバックですね。急に僕が立ち上がったから、怖かったのか。ごめんね。怖がらせたね」と言った。
私は、違うんです違うんですと言って、ガタガタ震えて泣いた。
確かに医者が言うように怖かったこともある。
同時に、私に無防備な背中を見せられることで私の中の攻撃性が一気に爆発しそうになったのだ。
具体的なイメージとしては、殴りたいとか、刺したい、という思考。
予告もなく反射的に一気に沸点を越える攻撃衝動。
かつてN氏が私が散らかした薬を拾おうとしたときに私に後頭部を見せたときに似ていた。

私に中途半端に優しくするなとか、私から目を逸らさないでとか、恐らくそのどちらもの感情、好意と敵意の同時発生。パニックだ。

過呼吸を起こして泣き喚いているので、私はまたもベッドに隔離された。注射されようとしたが拒んだ。ヘロヘロになって自分を見失いたくない。
病院に来ると、いつもこれだ。自分が嫌になった。
それ以上に、ショックから立ち直れずにいた。
医者が立ち上がった瞬間、背中を向けた瞬間の衝動や絶望や怒りや悲しみは言葉にならず、何が悲しいのか涙が止まらない。
生きているのは苦しい。なぜ生きていなければならないのか。
なぜ私は、こうなのか。
なぜこんなことになってしまったのか。

しばらくベッドで泣いていた。みっともないとか考える余裕もなかった。ここで泣いていなければ、後でとんでもないことになる気がした。1人になったときに抑圧したツケがまわってくることだけは避けなければ、私は危ないのだと感じた。

眩暈が止まらないどころか泣いている間に悪化したから、また診察室に行って、先生に指示を仰いだ。頓服を飲むのが一番良いといわれたから、いつもの二倍頓服を齧った。ガリガリ噛んだ。うす甘いようなうす苦いような香りのないラムネのような味がする。
明日の午前中にも新しいカウンセリングルームに行きたかった。数時間経っただけで、私は今の私であるかどうか分からない。治療しなければ、という今の自分のうちに出来るだけの治療予定を立てたかった。
生憎、予約が取れず新しいカウンセラーとの初回は明後日になった。希望通り男性で臨床心理士で経験豊富なカウンセラーだ。近所ということも嬉しい。

帰りに本を8冊買った。
今の私は、どうかしている。これで今月買った本は20冊を越えるだろう。数冊は読んだが、とても追いつけない。
家に帰りついたあたりで、頓服が効いて、見事眩暈は止まっていた。
医者が言うように、パキシルの断薬症状に似た眩暈に襲われたのは、パキシルの効力を上回るほどの負の感情が私の中で爆発したからなのだろう。頓服で神経を緩めてみれば、いつもどおりの私になれた気がした。

後の記事で、リアルタイムTwitter(当ブログ右下に設置・全文はこちらから→TwitterMitorinページ
の呟きを順にこちらにも掲載しようと思う。
明後日のカウンセリングは、解離性障害を主に見てもらうことになりそうだ。私の内側に存在する「あや」や、7?8メートルもある断崖絶壁と底のない暗闇、人格が溶け合う淡い白ピンクの海、人格を隔てるゼラチン質の壁、健忘、記憶にない自傷、買い物、行動、過去、これらと真剣に向き合ったことはまだない。
境界性パーソナリティ障害についてもだ。
苦しんでいるだけで、ここからどうすればいいのかは試行錯誤の毎日で、今の私は入院すらできずにいる。私の症状を最もよく知るN氏は「確かにみとりさんが入院したら暴れまわるやろうな?」と言っていた。「ケアされる」ということが、私は受け入れられない。何故だろう。「あや」には得意分野なのに。

常に解離性障害で自分の状態が分からない私が、カウンセリングで自分のことをうまく話せるわけがない。それでも、カウンセリング療法が私にもたらしてくれたものは、これまでも大きいから、カウンセリングルームと、通院の二重の構えで治療を続けたいと思う。
「治療」という言葉を意識するのは、何ヶ月ぶりだろう。
私はまたも、自分が病人ではない気がしていたのだ。


○お知らせ
お返事が滞っております。
状態が徐々に悪化していましたが、今日になって限界のようです。
はじめてコメントくださった方、メールフォームからお便りくださった方、また友人にも返信できずにいます。コメント下さって、心から感謝です。大切に拝見しています。
お返事は、しばらくお待ち頂きますようお願い致します。


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境界性人格障害 | comment(4) |


2008/11/02 (Sun) 自己紹介バトンに答えてみた

FC2に「バトン」というツールができたので、さっそく使ってみます。
ヘビーな話ばかりは、あまり性分ではないというか、元来移り気で楽しいことの方が好きなので、たまには良いかと思って遊び心で試してみました。


思いつくまま気ままに答えていたら、質疑応答という形式すら逸脱してしまった気がしますが、お暇な方は最後までお付き合い頂けましたら深謝。


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自己紹介バトン

Q1 あなたのお名前は?
A1 美鳥(みとり)
Q2 生年月日・星座は?
A2 真夏 獅子座 ホロスコープでは最も獅子臭い日生まれ 情熱的だが冷めやすく、べらぼうに強いが案外ポッキリ折れちゃう七面倒な星まわり。そして誠に遺憾ながら反論の余地もない。
Q3 血液型は?
A3 O型混じりのA。人生の8割方をフィーリングで大雑把に生きているが、いざというときの緻密さには「腹黒い」と定評がある几帳面さを使い間違えている感も否めないA型。
Q4 好きな食べ物は?
A4 一夏に数十玉食べるのでスイカ代に困る。毎日マンゴー1個で2ヶ月生きたことがある。質問と答えがずれてきた。どうでもいい武勇伝を語ってしまった。
Q5 逆に嫌いなのは?
A5 酸っぱいもの、青魚は苦手。ジューシーじゃないものも進んでは食べない。クレソンは蝋燭の味がするので食べられないが別に蝋燭を食べたことがあるわけではない。
Q6 異性のタイプはどんなひと?
A6 食べることが好きな人・信念を持っている・社交的・仕事好き・可愛げがある・どついても倒れそうにない・物事に細かくない・鷹揚・行動力がある人。ここまで書く私は何様なんだ。
Q7 いま好きな人か付き合ってる人いる?
A7 好き過ぎて自分でもどうかしていると思うので存外大人しくしている。沈黙は金なり。付き合う予定もない。
Q8 異性のどんなしぐさにグっとくる?
A8 計画どおりに悪戯にはめたときに困っている仕草。しかし、たまに先を読まれて小癪にも防御されるとそれはそれでMなのでときめく。あれ自分って案外キモいな。
Q9 好きな映画は?
A9 「ダンサー・イン・ザ・ダーク」「Fifth Element」「ダイ・ハードシリーズ」「セント・オブ・ウーマン」「ライフ・イズ・ビューティフル」あんまり映画見ない。
Q10 好きな色は?
A10 紫・オレンジ・ビビッドピンク・青緑・黄色。
Q11 趣味は?
A11 人間観察・分析・書くこと・歌うこと・作ること・見ること・値切ること・撮ること・ピアノ・消しごむハンコ・リメイク裁縫・靴着物香水蒐集
Q12 兄弟は?
A12 弟が2人いると言うと意外だねと言われることが多いが何故だろう。男兄弟なので殴り合いの喧嘩もあり一番思い出深いのはふいを衝かれて背後から鉄のゴミ箱で頭部を殴られブラックアウトしたことだ。
Q13 ペット飼ってる?
A13 自立心旺盛だが甘えたがりの文鳥2羽。10年の付き合いなので文鳥語(二桁ある)が分かるのをいいことに文鳥たちにクチバシでいいように使われる日々。しかし愛らしいので甘受している。
Q14 なんか習い事やってる?
A14 そういえば英会話スクールに在籍してるけど、とんでもないセクハラ白人教師が嫌いで足が遠のいているがクラスメートの人たちは大好きだ。ダンスとジャズボーカルを習いたくて仕方ない。
Q15 いまバイトしてる?してるとしたらなに?
A15 バイトって響きが懐かしい。関係ないけどかつてカフェ店舗・経営権と引き換えにバングラディシュ人とうっかり結婚させられるところだったという事を最近思い出した。色々あるのが人生だ。
Q16 いまの身分は?(学生・社会人など)
A16 背水の陣。身を立てる前々段階。気が合わない友達から「すっかりその道で生きていくんやな(^^; 」とメールが来たが本文よりも顔文字の表情は一体どういう意味なんだろうな相性悪いや^^
Q17 携帯どこの使ってる?
A17 パパは犬です。
Q18 何年くらい使ってる?
A18 まだ数ヶ月。音楽・動画・テレビ録画に愛用。
Q19 S?M?
A19 ドSとドM両刀。サランラップフェチやレインコートフェチM男の話は誰に話してもうける。M女のよりM男の世界の方が人間万博博覧会だ。SMについて語る時が一番目が輝いていると褒められたが有難くない。
Q20 身長いくつ?
A20 157センチの筈だけど縮んだ気がする
Q21 体重は?
A21 ダイエット日記を1ヶ月継続して2キロ減。カロリー計算でキレて3日でやめ、今は我流ダイエットで鋭意努力中。ビジュアル的に耐え難いため自主規制で封印したガーターベルトを再び解禁する日まで続ける予定。
Q22 足のサイズは?
A22 23.5cm。手首から肘までと足のサイズは同じという法則、嘘だろと疑い測ってみたら一致した。だからそこも23.5センチです。
Q23 好きなマンガは?
A23 ジョジョの奇妙な冒険第4部・6部・5部(好きな順)。銀魂。栗原まもる。西田東。でろでろ。吼えろペン。他ジャンルこだわらず。うちに来ると誰もが本棚の漫画凄いねと言う。
Q24 好きなテレビ番組は?
A24 セックス・アンド・ザ・シティ アグリー・ベティ 報道 たまにロンハー 話し言葉が完璧な販売員がリアルタイムでお客様とお話する通販番組。失敗しないかとはらはらして見ているが一切の澱みがなく脅威。
Q25 何時に寝る?
A25 私はだいたい0時。文鳥ズは9時。体調が悪いと1日中寝る。文鳥ズは昼間も猫のように殆ど寝ている。
Q26 何時に起きる?
A26 私はだいたい7時。文鳥ズは9時。9時を過ぎても起きない場合、文鳥ズが怒りの叫びをあげるので9時過ぎまで寝てはいられない。
Q27 持病ある?
A27 人格障害・各種神経症。一部保険適用外。あと方向音痴が酷すぎる。一度角を曲がったら最早元の場所には戻って来れない。出かけると家に帰り着くまでに人の5倍は時間がかかる。要するに殆どの時間道に迷っている。
Q28 鞄のなかにはいつも何が入ってる?
A28 頓服・財布・手帳・何色かのペン・携帯・イヤホン・ヘアクリップ・つけづめ用予備テープ・ハンカチ・オロナイン・メガネ・メイク道具ちょっとだけ
Q29 いまの待ち受けは?
A29 国立国際美術館に行ったときの長い長いエスカレーターの写真。その前は夏の黄色ミュールに赤いペディキュア写真。飽きっぽいので1週間に1度は変える。
Q30 いまの着信音は?
A30 チャラララ~ンララ~ン チャンチャンチャン♪ ピヨピヨ~♪ 聞き飽きて最近イラッとくることもあるが面倒なので変えない。あれば一青の「うれしいこと。」に変えたいけど面倒で探さない。
Q31 パソコンには強い?
A31 プログラミングマニアの弟に教えられたりしてきたが実はよく分からない。恐らく知識よりいい加減な私の性格そのものに難がある。こんな私がHP作成の仕事を請け負ったりしたことあり我ながらどうかしていた。
Q32 ブログを始めたきっかけは?
A32 幼少期からやっていた某巨大宗教団体の実情を書くため。しかし家庭で命の危機を確信してから死ぬまで心の病気・虐待について訴えることを決意。管理人の移り気を反映してカテゴリーが増えすぎている。
Q33 ブログを通じて友達がほしい?
A33 ブログであろうとなかろうと気が合う人とは友達になりたい。スタートさせた自助グループの基本は人の輪。支えあうのは難しいが心の病ほど治療に人の支えが有難いものはない。
Q34 特技は?
A34 マッサージ。一か八か。意地悪な奴を虐めるアイディア。妄想。毒舌。背水の陣。味の舌コピーと再現。消しゴムはんこ。草抜き。裁縫リメイク。おおよそ俯いてミチミチやる作業だね。
Q35 質問長い?
A35 質問も長いが私の回答文の方がよっぽど長い。
Q36 資格は何かもってる?
A36 最新は福祉住環境コーディネータの2級。独立しようとしている建築士と婚約する前に合格したので運命的なものを感じたが婚約後すぐに屑男であることが判明し別れたりして人生何があるか分かったもんじゃない。
Q37 これからとりたい資格ある?
A37 調理師免許。華道の何かマイナーなやつ。自動車免許←必ずお前は人を轢くから生涯車は運転するなと家族中から止められているが根拠はないが運転は上手い自信がある。
Q38 実は自分は○○○だ。
A38 今さら隠すことは何もない女だ。といえば聞こえが良いのか悪いのか。あと真面目なのかネタなのか分からない脳神経学・生理学・風俗学などあらゆる方向からの性の歴史、知識が豊富だ。
Q39 子供のころの夢は?
A39 反動か大人になってから夢みがちに。小説家(ありがち)ゲームデザイナー(某FFの影響)占星術師(某小説の影響)考古学者・女優(某漫画の影響)SM嬢(某小説の影響)娼婦(高校生のとき)ソースが見事に漫画だ
Q40 今髪の長さどれくらい?
A40 最長部分で腰まで。電車で腰掛けると背もたれで挟んだ勢いでよく窓に後頭部をぶつける。巻くと結構短くなるので手を抜かなければ後頭部は守られる。
Q41 何色?
A41 髪は茶色。心は虹色。腹は黒色。脳は白黒←境界例。
Q42 スリーサイズをどうぞ
A42 それを知ってどうしようというのか。
Q43 チャームポイントは?
A43 割と福耳。ピアスで化膿し耳たぶがプチトマト大(だが色は茄子)に腫れピアスが埋まり首まで膿が溜まった。泣きながら救急病院へ行くと看護士に頭を押さえつけられ医者が麻酔なしでペンチで福耳を(ry
Q44 今ままで生きてきて一番恥ずかしかった事件は?
A44 近所の階段下に何故か漬物石が置いてあるのだが毎度忘れて猫と見間違い、漬物石に向かって猫撫で声で挨拶し続けている。というのは人生と書いて恥と読む私にとっては百倍可愛げがあるので挙げておく。
Q45 得意料理は?
A45 何でも得意。前菜からメイン、デザートまでフルコース作ることが可能。フレンチは勉強中。最近は低カロリーで美味しいダイエットメニューに凝っている。調子が悪くなるとキッチンに立つだけで気絶するのが難。
Q46 大分あなたのことがわかってきた気がしますが?
A46 それは気のせいだ
Q47 正直、ここまで答えるのに疲れた?
A47 今さら何を言う
Q48 正直、手を出したことに後悔している?
A48 今さら後悔したところで詮無きことだ。
Q49 このバトンをまわすひとの名前を5人どうぞ
A49 まわされても困るだろう
Q50 最後にひとこと!
A50 実は去年の秋~今年2月まで精神状態が最悪で入浴恐怖も悪化し一度も入浴しない(シャワーも不可)まま年を越した事をブログですら言い難く今まで隠していたがこれを読んでもばい菌は移らないので安心して下さい。

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プロフィール

美鳥(みとり)

Author:美鳥(みとり)
被虐待サバイバー。解離性同一性障害、うつ病、対人恐怖症ほか色々闘病中。境界性パーソナリティ障害寛解しました。毎日の光と影を綴ります。生育歴・来歴・病歴・活動はこちらをご覧下さい⇒<はじめに Profile>

講演活動・ユーストリーム放送しています。
講演のご依頼ご相談は、当ブログメールフォームからお願い致します。

診断名の有無に関わらず、生き辛さを抱える方々と温かい繋がりを目指しています。ご感想ご意見など、お気軽にどうぞ。お待ちしています。

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