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2008/10/31 (Fri) 「恋する身体」の人間学 小浜逸郎

「恋する身体」の人間学―シリーズ・人間学〈2〉 (ちくま新書)「恋する身体」の人間学―シリーズ・人間学〈2〉 (ちくま新書)
(2003/06)
小浜 逸郎

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最も敬愛する評論家、小浜逸郎の著書を読了したので、メモとしてアップ。
とにかくベタ惚れに惚れている評論家だ。

帯には「せつなさは、どこから来るのか?」とあったが、これは彼が書いたんじゃない煽り文句に間違いないと思った。この手の評論新書というのは売り上げのためにタイトルや帯が中身と全然違うなんてことが、ままある。


実際は、恋愛には殆ど触れず、一見硬い印象を受ける。

冒頭から、プラトンやデカルトに始まり、発達心理学、絵画表現、短歌、ソシュール、バタイユ、フロイト、おおよその人間が辿ってきた「身体と情緒」を巡る哲学、思想を引っくり返して問題点を指摘した上で、身体と情緒と言語の関係性を明快に述べている。
一冊で世界中の思想、哲学をおおよそ総ざらいできる点が、お得感満載だ。


あらゆる社会問題をテーマに評論を書いてきた彼だが、一貫して彼が考察を深めているのは「エロス(他者とのかけがえのない関わり。「性愛」としてのエロスではなく、家族や配偶者や恋人や友人関係を含む親しい関わり全般を指す)」。
彼が一貫して論じ続けている「共感存在としての人間」について語られた人間学の入門書という印象だろうか。

章立てだけでも面白いものがあったので、以下に並べてみる。

第1章 哲学が苦手としてきたテーマ ?身体と情緒
第2章 人間は動物の一種だが、ただの動物ではない
第3章 心とは「はたらき」である
第4章 身体とは「意味」の体系である
第5章 情緒とは「開かれ」の意識である
第6章 「意味する」とは何を意味するのか
第7章 言語の本質とは何か
第8章 身体と情緒の「意味」性
第9章 性愛感情とは何か
第10章人はなぜ恋をするのか


列挙すると何やら小難しくも見えるが、読み始めると止まらない面白さだった。
小浜逸郎は、べらぼうに頭が良くて人間臭く、感受性も高く、思想家として切り口が鋭く、論理的であり同時に文学的な評論家だ。
その絶妙なバランス感覚に、私は強烈に憧れ魅かれて読み続けている。


第9章「性愛感情とは何か」の中の、一部を抜粋してみる。
「すばらしく」かつ「いやらしい」性愛の世界に言及している。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
性愛の領域は、「すばらしいこと(陶酔)」と「いやらしいこと(卑猥)」とに極端に分裂したあり方として私たちに感知されています。
(中略)
 これは不思議なことですね。私は性に目覚めた思春期の頃から、このことが不思議でしようがありませんでした。こういう分裂した世界は他にありませんから。
 一方では、隠された秘め事であるから、みだりに公開してはならないとされ、他方では、これは素晴らしいことだと言われる。たとえば皇室で皇子が誕生したとき。(中略)誕生する前に何が行われたのかは明らかですね。誰も表だって口にはしませんけれど。
 それが隠されたことであるのを皆が前提とし、結婚や子どもの誕生を神聖なこととして祭り上げる。人間が関心を寄せざるを得ないことがらが、特殊なタブー感覚によって、まじめで厳粛なこととしてとらえられる一方、あたかもその反動のように、にやにやさせるような、いやらしいこととしてもとられられるわけです。私たちは、性愛領域に対して、いつもこうした限定、一種の二重になったモードの使い分けをしながら、かかわっています。
 なぜ性愛の世界だけがこうなっているのでしょうか。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

上記は、私が幾度も考えてきたことそのものだったので、興味深かった。
結婚し一人目を生んだ友達が、「二人目が欲しいけど出来ない」と雑談の延長で話してきたことがあった。そのとき、言葉に出来ない違和感を感じた。
これは、クリスマスイブを「聖夜」と呼び、「きよしこの夜」や讃美歌が流れる一方で、日本中のホテルがカップルたちで満室と聞くときの感覚と似ていた。
もしくは、保健体育の時間に「いやらしくない。大切なことです」といって、セックスについてクソ真面目に教えられたときの空気にも似ている。

すばらしいことなのか、いやらしいことなのか良く分からない、何やら口を閉ざしているのが無難のようにも思われる、性愛の世界は確かに不可思議だ。
その不可思議さに惑わされているような気がして、私は積極的に性について考えてきた。
受動的ではなく能動的に性と関わることで、性コンプレックスを克服しようとしてきた。
理屈ではない、自分の身体を通して実感したことだけを集めて、自分なりの答えが出せたなら、女として生まれた私を脅かす性の世界を征服し、不安や恐怖から解放されるのだと考えてきた。その延長線上に、SM遊戯はあるのだと思う。


SMについて話しているときが一番目が輝くよね、などと友人から言われる。
小浜氏が書いているように、確かに性愛の世界は二重構造になっているお陰で、私の話は友人間で「ネタ」として通用するのだろう。すばらしくもいやらしい性の世界を、人間の習性として語ることで二極に跨ることが可能なのかもしれない。
ちなみに、性についてオープンに語る割に、聞くのも生理的に受け付けない性的な話題が私には結構ある。
その違いがよく分からなかったのだが、今回小浜氏の論を見てみれば、私はどうやら、この二重構造、モードを使い分けられない人との性的な会話に生理的嫌悪を抱くようだ。


といった性愛に関する記述が、この本の必ずしもメインではない。

「情緒(心)」なるものが個別的で有限な身体のうちに閉じこめられてあると感じ」続ける人間という存在そのものの命題に、本著は繋がっていく。
「人間というものはいつも自分の個別的な身体を超えた何ものかを求める存在だ」というのが、小浜氏の原理的モチーフだ。
これは私が幼い頃からすぐ傍に感じ続けてきた絶望でもあるような気がしている。そして、誰もが少なからず抱えている不安や枯渇ではないだろうか。

友達がいても、恋人がいても、配偶者がいても、子供がいても「孤独」だと言う人は多い。有限な身体を持つ私たちは、個として保障されると同時に、他者と永久に隔てられる運命も引き受けなければならないからなのかもしれない。


最終章の最後「聖典とアダルトビデオ」の部分が、実は一番小浜氏らしいのではないかと楽しみに読み進めていった。やはり実に彼らしい結びだった。

「下世話な例を挙げますが」と断った上で、ビジネスホテルのシングルルームには、必ず聖書・仏典と有料アダルトチャンネルが置いてあるが、これは何を意味しているか、と問答しているのだ。
私もなるほど皇室のおめでたニュース同様、長年の疑問であったと思った。

小浜氏の答えに納得した。
彼の人間学は、やはり地に足が着いていて面白い。


本著の内容は、翌年に出版された「エロス身体論」に引き継がれている。
こちらでは、私が気になる「母性」「娼婦性」「性差」「病気・死」「労働」まで具体的に考察されているというので、かなり楽しみだ。
実はもう手元にあるので、読書熱が上がってきたら読み始める予定だ。



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日々日記 | comment(4) |


2008/10/29 (Wed) 情熱で目隠し ?失語症・コンプレックス?

お前は音痴だ音痴だと、子供の頃から言われ続けて育った。
主に父親と祖母から、刷り込みのように繰り返しからかわれた。
鼻歌を歌っただけで、爆笑される家庭環境だった。
そう言う父親は、今も昔も抜群に歌が上手い。

私は人前で歌うことが苦痛でたまらなかった。
自分の声が大嫌いだった。
ピアノを習っていたから音楽は好きだった気がする。でも歌は大嫌いだった。

小学校2年生の時、私の歌を「うまい」と褒めてくれた先生がいた。
終わりの会で「みとりさんは歌が上手い。皆の前で歌ってね」と言われ、皆の前で歌った。
私に「心」という概念を教えてくれた先生だったが、私が記憶しているのは、そのときに歌ったこと位だ。随分とお世話になった恩師だと思う。
先生なりのお世辞だと思った。
しかし、怯えて小さな声で歌い終わった私に、クラスメートが拍手してくれた。
これもまた、お世辞だったかもしれない。
けれど、私は歌が嫌いではない気がした。

好きなことと上手いことは別だ。
相変わらず家では、歌う度に笑われた。
まるでピエロだった。とにかく私が歌うとおかしいらしかった。
からかいのネタを一つ提供するだけで、家族は腹を抱えて笑った。
私は、コンプレックスを抱えたまま大人になった。


失語症で喋れなくなった数年前、私はノイローゼで毎日「うう」とか「ああ」とか、獣のように呻き咆えては床を転げまわり頭を打ちつけ続けた。
段階的に言葉を失っていったが、最後まで発することが出来た言葉は、メロディに乗せられた言葉だった。
歌うことだけは、辛うじて出来た。
泣き喚き、息をしている一秒も耐えられない地獄の泥沼を転げまわった。
狂うことに精も根も尽き果てたとき、ふと奇妙な平静が訪れることがあった。
そんなとき、私は歌を歌った。
歌いたい曲が歌いたいように歌えなかった。
私は確かに歌が下手糞だと思った。
泣きながら歌った。
そしてまた、発狂寸前の不安や絶望や苦しみが襲ってきて、獣になって私は自分を痛めつけ続けた。

そのうち音楽も分からなくなった。歌も歌えなくなった。
けれど、このときに必死で身に着けた独学の発声法が、言葉を取り戻した今になって、ささやかな遺産として残った。

数ヶ月前に東京に滞在したときは、ブログで知り合った友達のバンドにボーカルで参加させてもらった。夢のような時間だった。
◇波動
人前で歌えず、喋ることもままならず、俯いて出来るだけ目立たないように生きていた私が、歌いたい歌を歌いたいだけ歌えることが幸福だと思った。
生きていることを実感した。


偶然、命拾いした後の昨日、一人で歌いに行った。
3時間半、好きな歌をぶっ通しで歌い続けた。楽しかった。
喋ることよりも私は、歌うことが好きかもしれない。
飽きないし、疲れても疲れても、まだ歌いたいと思う。

散々、下手だ下手だと言われてきた。数限りないコンプレックスの一つだった。
歌っていると、自分が生きていることを実感できる。
今の私にとって、上手か下手かはどうでもよくなった。
全身の血が騒いで踊りだす喜び、楽しみを感じることが出来るなら、それでいい。
生きている人間を前に、上手だ下手だと採点するなんて野暮だ。
それが何の役に立つ。



大好きなEGO-WRAPPIN' 。
歌うと100倍楽しい、全身の細胞が沸騰する歌。
サイコアナルシス EGO-WRAPPIN' 歌詞情報 - goo 音楽


○お知らせ
先日の記事◇狂乱を生きる - 境界性パーソナリティ障害・希死念慮 - (10/27) を全文加筆修正しました。

関連記事
◇波動
◇狂乱を生きる - 境界性パーソナリティ障害・希死念慮 - (10/27)

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治療日記 | comment(4) |


2008/10/27 (Mon) 狂乱を生きる - 境界性パーソナリティ障害・希死念慮 -

※10月29日午後2時 全文加筆修正しました。

20081027.jpg

昨夜、境界性パーソナリティ障害(BPD/境界例/ボーダー)の症状で、うっかり自殺するところだった。
希死念慮は以前より激減して月に1度か2度になっているが、境界例が引き起こす希死念慮は全く質が異なる。凶暴過ぎて抑止不可能だ。

昨夜の私を一言で表すならば「狂乱」だった。
狂った人間というのは、必ずしも苦痛や悲痛だけ表出させるものではない。
完全に壊れたコンピューターと同じく、泣いたかと思えば笑い、笑ったかと思うと絶叫し、また泣き喚く。


あるきっかけで、あっという間に症状を悪化させた私は、ものの数時間で死ぬしかないと思った。
境界性パーソナリティ障害は、分単位、酷いときは秒単位で感情が変化する。
私は常に対人関係、相手のちょっとした言動が引き金になる。
悪化するも、穏便に留めるも、相手とのやり取り次第になる。
いつ何の拍子に死ぬか分からないのが、境界性パーソナリティ障害の最低最悪な面だ。

死のうと思い立つと、気懸かりな事は2つだった。

私の大切な文鳥2羽と、友人N氏の仕事。
文鳥は言うまでもなく私の唯一の家族で、友人に関わる事柄は私の生きる目的そのものと重なっている。これだけは命懸けと自身に言い聞かせてきただけあって、死ぬとしても優先すべきは決めていた。友人に迷惑がかかるならば、死ねない。確認したかった。
私が死んだ場合、どんな迷惑がかかるのか、とメールに書いて送った。私がこれまで彼に送ったメールの中で、最短のメールだった。

同時に、同じ大阪に住む幼馴染のJにメールを書いた。明日午前中から会ってお昼でも食べない?という、誘いのメールを書いた。これから死のうというのに、何故そんなことを書くのか自分でも分からない。一緒にお昼が食べたいな、と思ったから書いた。そんな自分に疑いすら持たなかった。
最早自分が一体何をどう感じ、何をしようとしているのかすら分からず、暴走する。まさに壊れたコンピューターだ。


時間の感覚が失われた。
どれくらい待っているのか分からなくなってきた。
返事を待っている間に私が私でなくなってしまうか、死んでしまうかどちらかだろうと考えて、友人N氏に追加でメールを書いた。
遺書になった。

意識が保てなくなってきたので、もし私が死んだら弟MTと友達hに訊いてください、お願いします、あの二人なら私が死んでもやり遂げたいことが何か知っていますと書き、朦朧とした頭でうろ覚えの弟の自宅の電話番号を書き、住所を調べる気力もないので記憶にある最寄り駅とマンション名だけ書いた。
このとき書いた連絡先は、後で見てみれば間違いだらけだった。
私が死んでいたら、N氏は私の弟MTと連絡が取れなかっただろう。

境界性パーソナリティ障害の苦しみを書き、実際のところ朦朧としていて禄に書けてはいなかったが、私がボーダーなのは機能不全家族の辻褄合わせを自分の体でやったからです、と書いた。愛されたかったけれど愛されず、愛されない理由を自分の身の内で探していたらボーダーになったのだ、と書いた。


読み返さずに送った。
泣いても泣いても、絞りきれない悲痛と絶望と苦痛、悲鳴が襲ってきた。
普段は、自殺者の遺書など最悪だと私は考えている。死んでゆく者が生きている者に一方的に拒否できぬ重大な頼みごとを書き残す行為は、残酷に過ぎる。
遺書や遺言は、ときに遺された者にとって足枷にしかならないことを、この目で何度も見てきた。
なのに自分が死ぬとなると、考える間もなく遺書を書いていた。


馬鹿の一つ覚えで5階のベランダに出て室外機に登った。
肌寒い夜風にさらされながら、そういえば明日は何を着てランチに行こうかと考えた。

気がついたら部屋に戻り、ノートを広げてペンを握っていた。
詩を書いた。
羊水と胎盤と赤ん坊の詩だ。
決して生まれたくなかった赤ん坊の詩を書いた。

それから死に方を考えた。
考えながら、自分のための遺書を書いた。
泣いて泣いて、泣き喚いているから、書いた文字が自分でも判読不可能だ。ノートの一面が真っ黒になるまで書いた。
死のうとしている自分にあてて遺書を書いた。狂っていた。


よくこんなに泣けるものだというくらい泣いた。
過呼吸がやってきて死ぬかと思ったが、死ななかった。いつも生殺しだ。
ふと、一つだけ憎しみが頭をもたげた。
私を診断した精神科医の一人の言葉を思い出した。
「あなたの来世はシダ植物」と私に言った。その一言に私は何年も苦しんだ。信仰していた宗教団体の有名な幹部だったから、何年も信じていた。
医療法違反もいいところだ。あの医者だけは許せない。
死ぬなら、彼女のイニシャルくらい遺書に書きとめようと思った。
思うだけで力尽きた。
ひどい疲労で身を起こすことができなかった。


次の瞬間、じっとしていられなくなった。
裸足で外に飛び出し、泣き叫んでまわりたくなった。

身を起こして、椅子の足にもたれた。
「私はここで死ぬんだな」と静かな気持ちで部屋を眺めた。
気がつくとペンを片手に、部屋の様子をノートに書きとめていた。

私は、何でも言葉にしたがる。


合間に、ツイッターに心境を書いた。
このブログの管理画面には、サーバーメンテナンスで入れなかったから、そこしかなかった。
以前からツイッターは、症状を持った私をサンプルとしてリアルタイムで書く場にしている。
ボーダーで死ぬということはどういうことなのか、最後までサンプルとして徹しようということだけが頭にあった。病気への理解を広げたい、これだけは死んでも徹したいといつも心に決めている。

両親のことは不思議と一切考えなかった。
友人Nに迷惑がかからないだろうかと考え、文鳥たちを今のままの環境で誰か世話してくれるだろうかと考えた。

また突然、絶望と死の哀しみに襲われて、目の前が真っ暗になる。
泣き叫んで、暴れた。
私の死を、まだ死んでいない死ぬ前の私が泣いて悼み、悔やんでいた。
私が息絶える瞬間まで、孤独という猛毒が体中を駆け巡り狂わせた。



気がついたら、眠剤をかきこんでベッドで眠っていた。
泣いた顔のまま寝たから、翌日である今朝は、肌がガサガサに荒れていた。


友達Jが、午前中、バスで私の町まで来てくれた。

私の大のお気に入りのカフェでランチを食べた。
お気に入りのスクランブルエッグサンドとベリーチーズトーストをつまみながら、私はJに「私、昨日死のうとしたんだよー」と話した。
遺書を書いたり、Jをランチに誘ったりしていた昨日のことを話す私を見て、Jは実感が持てないようだった。
私も、持てなかった。
いつもそうだ。多分、解離性障害のせいだ。何もかも、辛いことほどあっという間に他人事になってしまう。


お気に入りだった「豆乳カモミール」がメニューからなくなっていたけれど、店主に訊いたら作ってくれた。
味わっていると、私生きてるんだな、と一瞬妙な気持ちになった。
Jと色んなことを、思いつくままたくさん話した。
楽しく、穏やかな時間だった。


私の家に場所をうつして更に話し続けていた時だった。
私が遺書を送った相手、N氏から電話がかかってきた。
今メールを見て驚いて電話した、と言うから、すみません。生きています。と伝えた。
はた迷惑な話だが、私にとって自殺は最早遠い遠い他人事で、彼に生きていると連絡するのも違和感があって、連絡していなかった。
ボーダーである私を一番よく知っている彼は、「今まで貰ったメールの中で一番過激やったなぁ」と笑いながらも、ふとした拍子には死んでしまうボーダーの現実もよく知っている。私が生きているから、笑えるのだった。

彼と話していると、突然感情が洪水になって胸の中を荒れ狂い、気がついたら、わーわー泣いていた。死にたいと思うまでの経緯を話した。カウンセラーと話しているような感覚だった。
何もかもから自動的に目を逸らしていたが、私が死にたいと思った理由もきっかけも、ちゃんと存在したのだと初めて気づいた。


忙しい仕事の合間に電話をくれた。25分間の会話だったが、解離性障害のためなのか、ボーダーのためなのか、泣いたかと思えば冗談を言って笑い、近況を伝え合ったかと思うと、もう無理ですもう明日にも私は死ぬかもしれない時間がない時間がないと泣き喚いた。
どの感情も本物だった。
全てを抑えて、私は今日まで泣けなかったのかもしれない。
私に必要だったのは、誰かに共感をもって冷静に聞いてもらえることだったのかもしれない。
押さえ込んでいた不安を解放して、「私はもう駄目だ」と言葉でだけでもいい、普段は決して口にしたくない弱音を吐くことだったのかもしれない。
自分の強さも弱さも知っている人に、どちらも知って欲しかったのかもしれない。


隣にいるJは、電話が終わるまで黙って待っていてくれた。
電話を切って最初の数分間、目の前にいるのが誰なのかよく分からなかったが、話している途中で、そうだJだった、と感覚が蘇り、またいつもの私になった。
Jは、N氏と何度か会ったことがある。
まるでカウンセラーと話してるみたいだったね、と私に言った。


帰りのバス停までJを見送った。
途中で、3匹の子猫に出会った。カメラを置いてきた私は携帯すら家に置いてきてしまい、Jの携帯を借りて写真を撮った。
ありがとう、とバスに乗り込んだJに笑顔で手を振った。
陽が傾いたオレンジに色づいた道を自転車で家まで帰りすがら、生きてるんだな私、と思った。




境界性パーソナリティ障害の私の生は、とても危うく不安定だ。
常に私を追いたてる<明日死ぬかもしれない>強迫観念は、あながち強迫的でもないのかもしれない。

昨夜死のうとした私は、今日友達と大好きなカフェに行き、スタンプカードのスタンプが増えたと喜んだ。その店にしかない大好きな豆乳カモミールを味わい、Jと冗談ばかり言っては笑い、真剣な話をしたり、また笑ったり、東京に遊びに行こうと計画を立てたりした。

昨日の今日でそんなふうに生きている私は、明日生きているか分からない。
正気の沙汰ではない。
生と死が紙一重、そんな狂乱を生きている。


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カテゴリー<baby bitch I am. 境界性人格障害>

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境界性人格障害 | comment(12) |


2008/10/25 (Sat) つれづれと孤独

20081025turezurenaru.jpg


つれづれと孤独

さくさくと歩き

つれづれと孤独

否 否 とつぶやき


煌々と飲み屋のあかり

ジュージューとソースが香り

わやわやと賑わいの声

さやさやと風が飛ばす

ガラガラとシャッターが下り

ひたひたと夜が充つ


すたすたと家路に着き

ひゅるひゅると夜風

さらさらと前髪が散り

ざわざわと風渡る

つれづれと孤独


ひえびえと指先

ほろほろと頬を伝い

否 否 と歩調を速む


ウォンウォンとエレベーター

やれやれと安堵し

ガサガサとコンビニ袋

つれづれと孤独

否 否 とうつむきがち

否 否 と顔をあげる


ガチャガチャと鍵を開け

ぱたぱたと靴を脱ぎ


慣れた手探り

パチンと部屋に灯りをともす




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詩と写真 | comment(17) |


2008/10/23 (Thu) 行きはよいよい

20081023.jpg
やきとり大好き。酒は日本酒か泡盛が良い。

数日前に調子を崩したとき、奇妙な衝動が起きて、夜明け前の大阪の町に飛び出し、「あああああ!」と叫びながら、疾走したくてたまらなかった。
その名残か、今日もまたじっとしていられない気分だったので、ウォーキングに出かけた。
4時過ぎのことだ。

いつもは川の方へ歩くのだけど、今日は逆方向に歩いてみることにした。
ついでなので用事を済ませるべく、2つの銀行と郵便局に寄って、更には目的の店に行き、食器洗い用スポンジと電池だけ買って帰って来ようと思った。

歩く歩く、とにかく歩いた。
ヒールをはかないで歩くのは新鮮だ。
スニーカーの類などは私は激しく似合わないので普段は敬遠している。
数日じっとしていられない状態が続いていて、大嫌いなのに貧乏ゆすりが止まらない有様だった。動きたいという体に素直になってみることにしたら、何と身が軽いのか。
どこまでも歩いて行ける気がした。

いつもは自転車でしか行かない店に歩いて着いた。
その間、注意欠陥障害の気がある私がまっすぐ歩けるわけもなく、近所の犬としばらく会話したり(痛々しい姿ではある)、写メを撮ってみたり、花壇の花に見惚れたり、古い建物に心魅かれたりしながら歩いた。

店で偶然、つけづめを売っているのを発見した。
安い割に意外にも質が良い。多少そっけないデザインも、自分で上からデコレーションを足せば良いと思った。どれかひとつ買おうと思って選んでいたら、結局三つになっていた。
つけるのも外すのも慣れてしまうと、ツケヅメはとても便利だ。つけづめに限らずネイルが大好きなので、楽しい時間だった。時間を忘れた。
その後、可愛いフェルトのランチョンマットに引っかかり、また厳選に時間を食った。
カラータイツを真剣に選んだのも、また時間を食った。カラータイツなど今は買うつもりはないのだった。欲しい辛子色と紫があったけれど、何デニールが妥当なのか分からず結局買わなかった。

そうこうしている時間というのは、勿論立ちっぱなしだ。移動は全て徒歩なので、刻々と体力を消耗する。しかし、目の前のことに夢中になると全てがぶっ飛んでしまうADHD傾向の私は、そのことに気づかなかった。

更には、ちょうど夕飯の時間になったので食料品売り場に行ってみれば、半額セールの真っ最中。
バナナとセロリと魚が安くて買い込んだ。
この時点で、もはや私は帰りも徒歩であることをすっかり忘れていた。

店を出ると、来たときには明るかった外が、すっかり暗くなっていた。夜である。しかも、嫌なことに地面がぬれている。そういえば夜は雨だといっていたけど、運よく免れたのだなぁと胸を撫で下ろした。

両手に重い袋を提げて、歩き始めた。
何と遠くに来たものか。
家までが、遠い。荷物が、重い。
交差点で荷物を降ろして一休みしていたら、小雨が降ってきた。
大したことはないだろうと思っていたら、車のライトに照らされた雨は、結構な降りだった。

途端、気持ちが怖気づいた。
家まで無事に帰れるのだろうか。(おおげさ)
足は痛いし、荷物は重いし、雨は降ってるし、家までが遠い。

歩くことに集中した。どうせ歩くなら痩せられるようにと胸を張って大またでサクサク歩いた。
しかし足が痛い。股関節が、あさってを向いてる気がして仕方ない。気分は、エド・はるみである。


行きと違って、帰りは黙々と一目散に家に向かって歩き続けた。
足を止めたのは、二度だけだった。
一度は、焼き鳥屋の前。
二度目は、近所の工場の前。(工場マニアです)
家に着いたら、8時だった。

普段、部屋の掃除をしただけで一旦寝込んでいる女が、計3時間半も歩きっぱなし。
信じがたいが、既に全身が痛い。
明日寝込んでないと良いなぁと、今から祈る。



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日々日記 | comment(4) |


2008/10/22 (Wed) 蝋燭人間 ? 解離性障害 ?

◇もぐらたたき ? 解離性障害・睡眠障害・他 ?の続きです
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

20081022.jpg

<解離>という人間の仕組みは、実によく出来ている。
直面しがたい事実を前にすると発動する防御本能の成せる業。
しかし、この本能が生育歴によって機能過多が常態化されたものを<解離性障害>というのだろう。
この障害が何から私を護ってくれているのか不明だが、この障害のせいで私が何を失っているかも不明だ。私は、私が分からない。


分からないなりに精一杯一日を生きてやろうとすると、自動的に自分の状態が疎かになる。

その日の夜になって、限界が来た。
何となく「疲れている」と感じ始めた頃だった。頓服を飲むべきか迷っていたから、多分いつもの呼吸困難か、パニック障害の予期不安か、難聴か、何かに襲われていたのだと思う。
けれど自分から<離れている>私には、疲労を疲労として自覚できなかった。


Hと電話で話した。そのときは、まだ元気だった。多少疲れている気がしたけれど、まだ頑張れると思った。料理するからまた後で、と電話を切った。

ブログを通じて知り合った友達から電話がかかってきた。
丁度、役所での手続きについて教えてもらいたいことがあって、有難かった。
何でも訊いてと快く言ってくれる友達に、思いつくまま質問した。訊きたいことは山ほどあった。思えば、それだけ私が手続きについて山ほど不安を抱えていたことの裏返しでもあったのだと思う。

私の調子が突然悪くなったのは、会話の最中だった。

彼女と具体的に今の自分について話していると、現実が全く違って見え始めた。
解離で私が見ている現実は、多分不安や恐怖が取り除かれた不自然な世界だ。
友達が言うには、私は何度も入院してておかしくないし、命を護るために入院すべきだと思ったことが今まで何度もあるんだよ、と言った。
私にとって、今の状態はこれまでに比べればさほど悪い状態ではないと思っていた。数年前の死体と何ら変わりなく他殺、自殺欲求だけが欲望だった頃に比べれば、今の私は随分まともに生きられている。しかし、友達から言われると、そうなのか!?と衝撃を受けた。
私は自分がよく分からないから、なぜ今自分が「入院したい」と思うのかが分からない。
脳内に指令だけが下る。理由は私はいつも知らない。

手続きのことなど具体的に教えて欲しかったことを聞いたり、現状を話したり、外出介護のヘルパーのことを訊ねたり、そして実家のことを話していると、突然暗転した。


目の前が真っ暗になって音が聞えなくなったと思ったら、そのまま7?8メートル真下に落下した。自分の体がどこにあるか、全くわからなくなった。
意識の内側の床底が抜けたと表現すればいいのか、真下にある真っ黒な穴に吸い込まれるように一瞬で自分が消えた。
蝋燭の火が、音もなくふっと消えるのに似ていた。あまりにもあっけない。
その瞬間、珍しく恐怖を感じた。自分の体がどこにあるのか全く分からないから、意識を掴めない。あまりにも自分までが遠く、どっちの方向に体があるのかすら分からない真っ黒な世界だった。


自分の意識がどこにあるか全くわからなくなったから、戻ってきたときに「交代された」と思った。あんなに数メートル真下に吸い込まれるように落ちたことは、今までなかった。

しばらく内側と外側が同時に見えていた。内側の真っ暗闇を眺めた。底がないんだなぁと思った。真っ暗で何もない。何もないのか、見えないだけなのか。


時々意識が回復する。
まだ携帯電話を握っていたから、気絶しているわけではないのだと分かった。
電話口から彼女の声が聞えるが、うまく喋れなくて、また暗闇に落下した。
<7?8メートル>というのは、体感としてそれくらいの距離があるからだ。底はないのだが、ふっと吸い込まれる穴ぐらが意識の7?8メートル下に存在している。いつも不思議なのだが、そこまでは遠近感がある。体感する落下距離と、視覚で捉える落下距離とは異なる。

何度も戻ってきては落下するを繰り返した。


心配しながらも、落ち着いて対処してくれる友達の声が時々聞えてきた。
「大丈夫だからね」とか、「横になりなさい」と言ってくれる声を覚えている。
聞えてくる言葉が、私をおかしくした。
正体不明の怒りや憎しみが湧いてきて、喋れなくなった私は、それを伝えることすら出来なかった。
「私に優しくするな」「私を労わるな」「私のことを心配するな」「私は一人で生きられる」
そんな反射的な感情が抑えられず、真っ黒な世界で体もないのに私は暴れまわった。
心から心配してくれていることが分かるのに、理屈と感情が真っ二つに分離する。
思えば、私がN氏と一緒にいて最も派手な怒りや絶望や自傷欲求や拒絶を抱いて暴れたのも、切腹しようとしたのも、泣き喚いたのも、「私に優しくするな」という怒りが引き金だった。


その後は、よく分からない。
Hからメールが来たから、またよく喋れないときの箇条書きみたいなメールを送っていた。
うまく説明できたのか分からないが、説明なしに状況を理解してくれたのだと思う。

気がつくと眠っていた。
リアルな母親の夢を見た。
明らかに母性を拒絶する私の心をうつしとったままの夢だった。

数時間で目が覚めた。その後、全く眠れなくなった。
世界が何もかも色を変えたように見えた。
この世は絶望の海に沈んでしまった。

毎日ぼんやり自覚していたよりも現実ははるかに大変で、私の症状は自分で思うより重いのかもしれない。そう考えれば、カウンセラーが心配したり、友達が心配したり、私はどうということはない時でも医者に外出するなとか、休めと言われることにも辻褄が合う。

確かに、現に何もできてないし、最近まっすぐ歩くことが出来ない。
突発性難聴のせいだ。聞えなくなると三半規管の異常の影響で、平衡感覚も失う。
歩けば何かにぶつかったり倒れたり、つかまり立ちするが、倒れても今のところまた起きて生活している。
単純に考えれば、これは無理をしているということだろう。


解離性障害を抱えながら諸々の症状や、まして過去と向き合うなど、難しいことだと理屈でいつも考えるが、実際は、しいとかいうレベルじゃない、と感じた。

現実が、途端にクリアに見えてくると、私は蝋燭の炎のように消えてしまう。
しかし現実を生きなければならない。
役所へ行って何が何でも手続きを終えなければならない。既に2ヶ月が徒然と過ぎてしまい、私は窮状に立たされつつある。
相談に乗ってくれる友達がいて、私は幸運だ。
しかし、相談するということは、普段解離することで不安や恐怖を麻痺させている自分を自覚することに繋がる。避けて通れない。
かといって、近づけば<私>という人格が消えてしまう。
誰もいなくなった私の意識や体は、どうなるのだろう。
今回は戻って来れても、次はどうなるのだろう。
あの真っ黒な穴に吸い込まれて、誰が助けてくれるのだろう。私にしか見えない内側に、私以外の誰が手を差し出してくれるだろう。誰もいない。

いるとしたら<あや>だ。
私は、再び幼児退行しなければ生きていけないのだろうか。
解離が防御本能だとするならば、私は私という人格を護るべきなのではなく、<あや>に預けるべきなのだろうか。
私は<母性>と相性が悪く、<あや>は母性の塊のような男性から生まれたので、甘やかされること頼ることに慣れている。


全く自分が分からなくなった。
ただ次いつあの真っ黒な断崖絶壁にふっと落とされるのだろうかと思うと、どこでもいいから掴んでいたい。けれど、どこにも掴む場所はない。
私の意識は無力で、手離しで断崖絶壁に立っている。
そういう場所なのだと理解しなければ、私は人格を保つことに失敗するかもしれない。
初めて<死>の恐怖を感じた。(続きます)


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◇あやの誕生日


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解離性同一性障害 | comment(0) |


2008/10/20 (Mon) もぐらたたき ? 解離性障害・睡眠障害・他 ?

20081020.jpg

持っている症状が、一度に襲ってきた。
幾つか重なることはあっても、ここまで何重にも重なることは今までなかったかもしれない。
私が持っている症状一覧 → ◇私の紹介

昨日の朝起きた時点で、酷い鬱だった。
当ブログ右下設置のTwitter(リアルタイム更新)に書きこんでいた昨日の自分の言葉

過眠症に勝てない ひどいこれ

また寝てた 寝るの本当しんどい もうやだ

自分の状態がわからないのが私が持つ病気の中で一番のネックなので、意地で記事を書いた。自分を自分で把握するためだ。
◇ここらが限界 ? 解離性障害・過眠症 ? (10/19)


過食が止まらず、過眠が酷かった。
突発性難聴で耳が聞えなくなったかと思ったら、三半規管をやられて平衡感覚を失う。そのせいで、まともにまっすぐ歩けなくなる。
何とか歩いて家事をこなそうとしても、瞬間に眠りに引きずり込まれる。
何ひとつまともに出来ないことが、鬱に追い討ちをかけた。

入院したい もう無理 8:32 AM yesterday from web

悲痛な気持ちだったわけではない。あくまで冷静で、天気の話をするように無機質だ。いつもそんな感覚で自分を眺めている。「入院したい。もう無理」と書いたのは私の手だが、私の心が叫んだ言葉ではない。淡々と綴っただけ。
少しだけ苦痛を感じた。
一人で暮らすのは到底無理だ、という淡い絶望と苦痛。


昼ごろだったか、急に躁状態になった。
自分の不甲斐なさに逆ギレしたのだった。
死のうが何だろうが生きてやる、一人で生きるのだ、と自分に言い聞かせて、過食も過眠も振り切り、難聴も歩けないのも振り切って、ガシガシ家事をやった。
頭の中にあるのは「一人で生きてやる」その一言だけだ。
部屋を片付けて、掃除して、洗濯機をまわし、その間に食器を洗って、鳥かごを掃除した。


そうしていると気分が高揚してきた。私もまだやれる、と思うと嬉しかった。
意地で止められるものなのか、過食衝動がぴたりと止んだ。気がつくと、眠気も酷かったときの5分の1程度。体を休めていても、眠らずに我慢できる。
自分に自信が出てきた。

けれど瞬間気が緩むときがあって、そんなときは目の前が真っ暗になった。
自分が一体何をしているのか、なぜこんなに苦しいのか分からないことが絶望的に思えた。

気がついたら、リストカットの衝動が抑えがたくなっていた。突然のことだった。
意地で起きていよう、過眠に負けたくない、と思えば思うほど、リストカットが必要になってきた。
切られた手首は、ずっと痛みを記憶している。あらゆる理由で私はリストカットという行為を嫌悪しているが、衝動は全く別もので、理性を総動員しても抑えがたい。
無意識に手首を掻き毟っていた。そのとき、私は泣いていたのかもしれないし、泣かなかったかもしれない。
負けたくない、負けたくない、負けたくない気持ちで頭の中がいっぱいだった。
言葉を司る脳の一部に、ロックがかかったようになった。喋れないかもしれない、という疑念に縛られた。以前罹患した失語症とも違う、最近頻繁に襲ってくる観念だ。

根を上げたくなった。
もう勝手にしてくれという自暴自棄な衝動。たった数時間の間に、どんどん症状が入れ替わる。リストカットの衝動に耐えている間にも、また難聴だ。終わらないもぐら叩きのように、あっちを塞げばこっちから出てくる、永久に苦しみという生き物が死に絶えることはない。


気がついたら解離が酷くて、自分の手足が自分のものに思えなくなっていた。
唐突に平常心が訪れた。


ストレッチとヨガをやって、休憩した。
Hと電話で話した。

ツイッターを読んで、私の午前中の調子の悪さを知っていたHは、午後から意地で挽回した私を褒めてくれた。
何でも自分でできる、やれるんだ、こんなことどうってことはないんだ、と思っていた私も、そうして手放しで褒められると、涙が出てきた。
ここで泣いたら、私はただの赤ん坊のような気がして、泣くのは堪えた。


話している間に、少し呼吸がしにくい自分に気づいてきた。
体が疲れていて、神経が尖っている。
でも夜までは、意地でも寝たくなかった。頓服を飲むと眠くなるので、薬は一切使えない。
過眠は、もう苦痛なだけだった。
起きてできることをやりたかった。


電話を切って、キッチンに立って手早くシチューを作り、蒸しかぼちゃを作った。
平衡感覚がなくて、少し苛々した。スピードを落さずに作った。勢いをとめると、もう何もできなくなる気がしたから、自分を止めないようにした。


目の前の症状に対処していくだけで精一杯だった。
今自分が何をどのくらい無理してやっているのか、そもそも私は今健康なのかそうでないのか、考える暇もなかった。疲れているかどうかも考えなかった。
体調不良なのはいつものことで、調子が良いときの方が珍しいくらいだ。
一々体調を見ていたら、何もできなくなる。
ただ寝てばかりで何もできなかったこれまでの日々を思うと、もう止まりたくなかった。

頑張りたいというよりも、楽しみたかった。
眠くても、過食で苦しくても、難聴になっても歩けなくても、とにかく小さな部屋ひとつの中ででも動いて動いて、楽しみたかった。部屋を綺麗にしたかったし、自分らしく今日こそ過ごしたいと思っていた。それだけだった。
そのためには、目の前を塞ぐ症状に一々当たっていくしかない。
数十分に一度、悲観が訪れるが、構っていたら何もできない。
何かが出来ると、その都度気持ちが明るくなった。これでいいんだと思った。

でも、夜になって限界が来た。
私の精神の内側に真っ暗な断崖があることに私は、まだ気がついていなかった。
解離で体から自分が離れた瞬間、何もない真っ暗闇に、「私」がストンと落ちて消えた。


◇蝋燭人間 ? 解離性障害 ? に続きます。



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◇ここらが限界 ? 解離性障害・過眠症 ?(10/19)
◇眠りの独房 (10/18)
◇私は私を喋れない  - 解離性障害・人間不信・摂食障害 - (10/16)
◇ファンタジック ? 解離性障害・パニック障害・突発性難聴・失語 ? (10/11)

解離性同一性障害 | comment(8) |


2008/10/19 (Sun) ここらが限界 ? 解離性障害・過眠症 ?

過眠症がますます酷くなってきて、幻覚幻聴、起きていても夢の世界にいたりするので、限界を感じてきた。

そんな状態だから、勿論、家事も出来なければ、顔ひとつ洗うことができない。
用事は山積していて、考えると発狂しそうだ。
買い物にも出られなくなった。いよいよかもしれない。

医者に言えば、入院の準備はすぐ整えてくれるだろう。
元々今年から通院を再開したのは、入院したかったからだ。
自分ひとりで自分の生活を維持できなくなって、精神的にも限界を実感したからだ。一人で暮らしていては危ないというような、明らかな危機を、いつもの感情が伴わない頭で感じたから。


送られてきたメールに返信しなかった、電話に出なかったことで、母親からまたもメールがたくさん来ていた。心配攻撃だ。「とにかく心配だから、メールを入れておいて。朝読むから」と書いてあった。正直「元気です」と書く気力も余裕もないのだけど、放置しておくと東京のMTにまで様子を聞くために電話やメールをしたりするので、「寝てた。元気です」みたいなことだけ書いて送っておいた。


今手続きしようとしている件もそうなのだけど、ひたすら実家がネックだ。高すぎるハードル。入院のことも、私が何度も踏みとどまっているのは、実家のことがあるからだ。
両親は、私をとにかく実家に引き戻そうとする。
私は、今の大阪のこの部屋を失い、実家で暮らすことになれば、いよいよ壊れてしまう。実家に戻ることだけは、何が何でも避けなければならない。
そんな私の意志が、両親は気に食わない。「あんたは帰ってきたくないのよね。そこにいたいのよね。一緒に暮らすのがいやなんでしょ」と、母が恨みがましく言う。
「元気なの?」と心配はするが、「元気だよ」と言えば済んでしまう。確認したいだけなのだ。
相変わらず私の病気については無知で、知ろうとも学ぼうともしない。私の病気が、自分たちの子育てを否定したと考えているから、直視しがたいようだ。
私の現状は、もはや誰が原因だとか追究するような余裕はない。数年前に諦めたし、理解しようとしない人間は、家族であろうが何であろうが治療を妨げるだけで碌なことがない。


実家に戻るより、入院したほうがましだ。
金銭的な問題があって、入院も多分不可能だけど。
カウンセリングに行っていないのが良くないのだろうか。
精神的に疲れている自分に、さすがに気づいてきた。昨日、とあるメールでまた疲労がひとつ追加され、過眠に追い討ちをかけている。
病院の方が近いから、医者に話すべきか。医者が紹介してくれるカウンセラーにとりあえず会いに行くべきか。
ホームセンターに注文していた電球を取りにいかねばならない。部屋も片付けたい。まともなご飯が食べたい。掃除したい。出かけたい。文鳥ズのパウダーフードを買いに行きたい。役所に行って手続きを2つ。銀行に行って手続きを2つ。
大好きなニューヨークからエアメールが届いている筈だ。下の郵便受けに取りにも行けない。
郵便受けから手紙を取ってきてくれるヘルパーを本気で雇いたい。
私の一人暮らしは綱渡りで、数ある症状のうちどれかが悪化すると途端に生活が破綻する。


体中が痛いから頓服を飲もうかと考えるのだけど、飲むと確実に過眠が悪化する。耐え難いパニック障害の発作以外は頓服は避けることにした。夢の世界が、物凄く疲れる展開になっている。あちらに行くのもいやだ。しかし、夢と現実が混同してきて、こうして起きているときにも幻覚幻聴が酷い。


本当の私は、不安で不安で泣き叫びたいのかもしれないな、とぼんやり思う。
不安や恐怖を感じる器官が、私は完全に壊れているので分からない。
ただこれまでの経験で「入院したい」「ヘルパーを雇おう」と考えているときは、精神的に限界に来ているときだった。というのも、カウンセラーに指摘されて、やっと気がつくのだけど。

不安じゃないなら、心細くないなら、別に入院する必要も、介助してくれる人を雇う必要もないのが理屈だと思う。
医者やカウンセラーを前にしたら、案外私は泣き出して、もう限界ですと音を上げるのかもしれない。
今までが、そのパターンだった。
直前までは平静なのに、入院させてくれと言った途端に、わーっと泣き出す。自分でも驚く位、途端に不安や孤独が溢れ出す。

そうなる前に、ヘルパーを雇うだとか手を打つべきなのだろう。限界まで堪えるから、良くない。
頼る人というのが、不思議と思い浮かばない。頼ろうという意識が皆無だ。どこまでも自分は一人でやれる、やるしかないのだという覚悟だけがあって、この意地で乗り切れることは多々ある。しかし、乗り切れないときもあるのだろう。今は、まさにそんなときかもしれない。

どっちみち今の私は動けないので、「今の私は、一人が心細い。」と、出来るだけ自分に言い聞かせて一日過ごしてみようと思う。
寝る以外の時間の潰し方があるなら歓迎だ。テレビでも音楽でもかけっぱなしで、とにかくベッドに近づきたくない。もう眠りたくない。
と、言ってる端からまた猛烈な眠気。



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解離性同一性障害 | comment(5) |


2008/10/18 (Sat) 眠りの独房

20081018.jpg

精神状態が悪化したときには、とにかく睡眠をとるようにしている。
どんなに酷いパニック状態でも、頓服を飲んで眠ってしまえば、目が覚めたときには幾分か落ち着いている。自傷欲求が酷いときも、眠ってしまえば行動化は防ぐことが出来る。
「寝逃げ」は、とても有効だと思う。


一方で、眠りすぎてしまう「過眠症」の私は、眠りたくないときでも眠ってしまう。
今週は、過眠症が酷い。
一日中、食べる以外は眠っている。
タイミングが悪いことに、過食も同時にやって来ているので、自然食っちゃ寝の生活になる。胃が消化できないままに体が眠りにつくので、目が覚めたときは吐き気に襲われる。しかし、過食衝動に勝てず、更に手当たり次第食べては、再び眠りに引きずり込まれる。
繰り返しだ。

昏々と眠っていること多く、あまり夢は見ない。
見たときには物凄い長編を見る。ハリウッド映画も顔負けの動員数の、さながら大アクションサスペンスミステリーバイオレンス映画だ。
数年前から私の夢は、ワールドワイドになったので、私はいつも日本人ではない。火気重機は勿論、銃撃を受けたり、妻を亡くしたり、子供と生き別れたりする。夢の中の私は、必ずしも女性ではない。そして、自分の夢なのに先が分からない。現実の知識や経験を遥かに上回る夢に発展した今、私は夢の世界に勝ったり負けたりする。勝ったのか負けたのか分からないときもある。まるで人生のように、シビアで曖昧で味があって、喜怒哀楽に彩られ、孤独だ。

夢は全て、続きになっている。10年前から、私の夢は全て繋がっている。
私の心模様を反映しているのだと、カウンセラーは言っていた。


眠りたくないときに眠るのは、とても苦痛だ。
まず日にちの感覚がなくなるし、何も出来ないし、酷い頭痛に襲われる。
私が過眠症に襲われるときは、何か考えたくない恐ろしいことや不安があるからだと、それもカウンセラーが言っていた。


そのカウンセラーとは、もう2ヶ月以上、会っていない。
最後のカウンセリングは、東京に行く前だったと思う。今まで、カウンセリングで感情を出したことが殆どなかった私が、初めてカウンセラーに対して怒りを燃やしたときでもあった。

それきり予約を入れない私に、カウンセラーから手紙が届いた。
このまま会えなくなるのは寂しいので電話をください、と書いてあった。
手紙が届いて何日も何日も経ってから、意を決して電話した。

ある程度予想はしていたけれど、なぜカウンセリングに来れないのか理由を訊かれた。
私は、金銭的な問題があって、と言葉を濁した。
本当は、そんな問題じゃなかった。カウンセラーと向き合うことに疲れてしまった。8年目になるが、いまだK先生を「壁」としか思えない自分、進まないカウンセリング療法、私の頑なな人間不信、先生に転移できない虚しさ、話しても話しても自分が分からない解離性障害が阻む治療、そんな色々に疲れてしまった。

K先生が女性であるということも、私は疲れてしまった。
私は、女性や母性を感じさせるものに抵抗を持つ。強迫性障害が唯一入浴恐怖として表れていて、特に浴室の柔らかい照明や、羊水のような温かい湯をたたえたバスタブに生理的嫌悪を抑えられないのは、母性への嫌悪感と繋がっている。


眠ってしまうと何もかもが夢の中。
現実の不安と戦うかわりに、夢の中で国家を相手に戦っている。相手はどこの国とも知れず、ヨーロッパのようでもあり、アメリカのようでもあり、今日の私は白人だったが、あるシーンでは黒人だった。
夢の中の自己像が、相変わらず定まらない。夢の世界は、終わらない。果てしなく続く。


カウンセリングを今後どうしていくのか自分で決めねばならない。役所での手続きも控えて、外出できない私は本気で外出介助のヘルパーを雇おうかと考えている。
一体、こんなにも私の生活を阻む数々の症状とは何なのだろう、と思わず考える。

考えるはなから、また眠りに引きずり込まれる。
過眠症も解離性障害も強迫性障害も人間不信も、どれも心の防御機能のなせる業だ。
けれど私を完全に護ってくれるかというと、私は常に解消されない不安と恐怖に追い立てられている。目が覚める度に、一歩も進んでいない現実と向かい合う。何も変わらない。

また真っ暗な眠りが、ぽっかりと口をあけて私を呑み込もうとしている。
眠りという独房に収容される。
脱獄しても脱獄しても、戻される。
外の世界まで、なんて遠い。



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日々日記 | comment(4) |


2008/10/17 (Fri) ごっさトマト

ブロ友まほさんのブログで知って以来、知らない間に自分で種をまき、知らない間に知らない方々にお世話頂いて育っていたオンライントマトが、ついにあと1日と20時間ほどで収穫となりました?!
始めた頃の記事は、こちら→◇人様に頼りっきり オンライントマト栽培

育った育った、ぐんぐん育ちました。
ご参加いただくには、常時出ている真ん中のハート「はげます」ボタンが基本。はげましていただいた分、大きくなって実がたくさんつくシステムです。

今日の時点で、こんなんなってます↓↓
(最初の広告画面は右上の×で閉じて下さい。枠の四方に出てくる矢印をクリックすると、あらゆる方向から鉢を眺めることができます)




な・・っなんだこれは!!
トマトが、わんさか実ってます!!
真っ赤で美しい。
まさに皆さんのお陰です!


思えば約ひと月前。
始めた頃には、私などに育てきれるのだろうかと不安でしたが、各人鉢をお持ちのドリームファーマーの住人方、そして当ブログに来てくださった時に面倒見てくださった方々のお陰で、すくすくと成長致しました。


自分で自分の鉢は面倒が見れないシステムになっているところが、このドリームファーマーの面白いところです。
見知らぬ者同士が、ドリームファーマーというひとつの世界の中で、お互いの鉢を受け持って、はげましあい、お世話しあってきました。

ブログとは全く違った空気があります。感覚的には、いつもの散歩コースがあって、そこでよく顔を合わせる名前は知らないけど顔見知りの方と、毎日笑顔で挨拶するといった感じでしょうか。

励ましあいのバランスも大切で、相互関係が築かれてはじめてステータスが大ハートとなり、大ハートの数で、鉢のデザインやネーミングプレートのデザインが変わっていきます。
最初は皆さんの鉢をまわるだけで必死で余裕がなかったのですが、そのうちに一言だけ書き込めるコメント欄で、毎日少しずつ交流させて頂きました。

中でも、日本語を勉強中の中国の方がいらっしゃいました。朝の挨拶など簡単な中国語を教えてもらったり、私の名前「美鳥」は、中国語でどう発音するのか教えてもらったりしました。
Mei?Niao と発音するそうな。


私は、毎朝起きるのが大体6?7時。
まずはPCの前に座って、皆さんの鉢を巡回してまわるのが日課になりました。
先述の中国は勿論ですが、皆さん全国に住んでらっしゃって、毎日の天気も微妙に違い、しかしこちらで風邪が流行っていれば、あちらも流行っていたり、旅行で留守にしますからお世話お願いします、と丁寧に書き残してらっしゃる方がいらっしゃったり、帰って来られたら旅先でのささやかなエピソードを教えてくださったり、一行のコメントで随分と楽しく交流させて頂いています。



鉢を持ってらっしゃらない読者さんからの励ましは、「通行人」として表示されます。
お名前を書き込まないで励ましてくださる方を見つけると、何だか痺れます。
名乗るほどのもんじゃねぇよ、と無言で去られるような、何ともいえない漢気を勝手に感じるのです。


このトマト栽培、あと1日と20時間ほどで、収穫となります。
皆さんあっての収穫日。
無事、ここまで育って実りました。ありがとうございます!

明日は、収穫前のお礼回りの予定です。
何しろ今回関わってくださったドリームファーマー住人は、恐らく200人近く。
皆さんあっての収穫日。一行交流が途絶えるのも寂しく、御挨拶にまわります。


あと少しですが、励まし以外にも、時々コマンドが出ます。
「水やり・肥料・受粉・脇芽かき・害虫駆除」などなど。
参加型トマト栽培です。参加してやろうと思われた方は、クリックひとつ、よろしくお願いします。
読んでくださってる方のお名前を知る機会は普段滅多にないことなので、HNだけでも書き込んで頂けましたら嬉しいです。


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大阪駄文 | comment(0) |


2008/10/16 (Thu) 私は私を喋れない  - 解離性障害・人間不信・摂食障害 -

20081016.jpg
右下に設置しているTwitterとは、リアルタイムで140文字内の呟きが書きこめるスペースだ。
私は、一日数度は何か呟いている。つまり、思うまま書き込んでいる。
最初に表示されるのが最新の呟き。
小さな矢印で順繰りに過去に遡ることが出来る。ツイッター仲間と会話していることもある。そんなときは、ライブチャットに似た感覚だ。
仲間との会話や過去の呟きは全てこちら→http://twitter.com/mitorinで見ることが出来る。
ホームをクリックすると、参加してくれている友達の発言も纏めて見られる。


症状が出ているときの記録としても使っている。
使い続けている理由の一番は、リアルタイムの記録だ。
個人的メモではなく、公開という形を取っているのは、当事者やその家族の方などに、症状を持った人間のサンプルとして、もしかしたら何かの役に立つこともあるかもしれない、という思いからだ。

しかし、そういう目的は書き込んでいる最中は一切頭にない。

例えば境界性パーソナリティ障害で苦しんでいるときは、目の前の苦しみしか見えないので、言葉にして吐き出すだけで精一杯だ。


このツイッターは、私自身にも役に立つ。
解離性障害を患っている私は、自分の状態を把握しているようで全く把握できていないことが多いからだ。

ツイッターで昨日から今日の数時間前まで書き込んでいた自分の言葉を、ここに並べてみる。

「気がついたら自傷で指先ボロボロになってる。鬱とボーダーで外に出れない。今日こそ病院に行かねばなぁ・・・・」

確かに今見てみれば、私の指先はボロボロだ。爪とカッターナイフやシャープペンシルの先で指先の肉を削り取る自傷癖が子供のときから続いているが、これが常態化している。


「 診察抜きでとりあえずは薬だけ貰ってきた。バターが有り得ない値段で売ってて思わず4個買ったけど、10個買えばよかったかしら。」

何とか病院へ行き、切れかけていた薬だけ貰ってきた。空いていたから比較的早く帰って来られた。抗鬱薬のSSRIだけは、切れると断薬症状が酷い。何度も味わって以来、恐怖になっている。

帰りにスーパーに寄って、久しぶりに食料を買った。
私の好物のひとつが、バターだ。
カロリー数を見てみれば、マーガリンとカロリー数が全く変わらなかったこともあり、激安だったので4個まとめて買った。半額以下だったし日持ちがするし好物なので、10個買えばよかったかもしれないと思ったが、財布には3千円しか入ってなくて無理だった。


「今の調子で明日役所にいけるかな。ボダと鬱の気配がする・・・・ 」

昨日の夜に書いたツイッターの一言。
役所での手続きに行かなければならないが行けないという状態が、既に2ヶ月も続いている。
手続きができないことは即生活に響くので、この2ヶ月間、穏やかな心地ではない。
理屈では考えるが、体が動かない。
役所の真正面の店には何度か足を運んでいるのに、役所には絶対に行けないのだった。
これを書いていて知ったが、昨日は本格的には落ち込んでいなかったらしい。ボーダー(境界性パーソナリティ障害)の症状と鬱の気配がするだけに留まっている。
けれど昨日の携帯のメール履歴を見てみると、Hに対して多少落ち着きのないメール、振り回しかけているメールを送っている。
彼は、「ボダ抗体(ボーダーに振り回されず、かつボーダーをサポートできる資質)」を持っていると常日頃感じるが、彼が単に疲れていたのか昨夜はスルーされた。その時には私も自覚が生まれかけていて、メールを止めた。


「過食が酷い・・・またこれが来た あやとの境が曖昧 食べ物はただのスポンジに変わってしまう感覚 吐き気がしても足りない感覚 体の真ん中が虚無だ 」

昨日の夜中に書いた文章だ。
記憶は曖昧だが、夕飯を食べた後で甘いお菓子を一袋、甘栗250グラムを全て、柿を3個、他色々食べた。苦しくて吐き気がしたし胃が痛かったが、それでも私は虚無感に襲われた。
過食するとき、満腹中枢など完全に壊れていると実感する。
食べても食べても、全てスポンジのようにフワフワと軽く詰めても詰めても足りないのだ。

過食が出ると、大概私の背後に<あや>が立つ。気配を感じる。
「孤独感」と<あや>は、相性が良いらしい。引き金にでもなっているのか、それとも自身から逃げ出したくて、私が呼び寄せているのか。

ダイエットなんて頭をかすめもしない。
食べなければ死んでしまう、体の真ん中に何もかもを吸い込んで無にしてしまう巨大な風穴が空いていて、穴を塞ごうとそればかりが頭を占める。塞がなければ自分がここにいることが出来ない。ぽっかりと開いた虚無に抵抗して、私は食べ物を飲み込むように体に詰め込み続ける。


「鬱が酷い。外は快晴なのにな。この酷さで役所行けば普段解離でめちゃくちゃ元気に見られる私もちょっとは説得力出るだろうか。でも鬱で外出られないのであった。」

役所に行かなければ、と考えた今朝の一文。
外に出ると、人と会うと、私は自動的に私ではなくなってしまうことが多い。慣れない場所や行きたくない場所、苦痛を伴う作業は必ずそうだ。
私ではなくなるから、私は楽々と無造作にやり遂げるのだが、その後でツケがまわってくる。倒れたり、過呼吸を起こしたり、パニックの発作に襲われたり、過眠症になったり、希死念慮や自傷欲求にかられて膨大なエネルギーを消耗する。


「鬱+過食+難聴+人との会話が困難 という状態。 これで役所へ?こんなときはどうでもいいやと思えるから支度さえできたら行けそう。何もかもどうでもいい。」

前回のコメントから数時間後の私の言葉。
そして更に数時間たった今の私は、もはや他人事のように感じている。
解離性障害患者とは、こういうものだと理屈で理解はしているが、この独特の感覚は、うまく説明できない。

私は酷い鬱で、過食が酷く、難聴で耳をやられている。今も続いている。
そして、会話が出来なくなっている。
文章を書くことは出来るのだが、声に出して自分の状態を説明したり世間話をしたりが出来ない。
咽喉に蓋をされているような感覚がする。失語症ともまた違う。頭の中は色んな感情が詰まっているのに、人に向かって音声で伝えることが、とても難しいと感じている。何故だろう。耳が聞えにくくなっていることと関係があるんだろうか。
誰かに向かって話してみたら、案外話せるのかもしれない。確かめていないから、分からない。

私は自暴自棄になっていた。
苦しかったのかもしれない。と、今は思う。
「死にたい」とか「消えたい」と何度か頭をよぎったのは覚えている。

書いたときには、実感がなかった。
料理のレシピを読み上げるように、「鬱+過食+難聴+人との会話が困難」と書いた。感情は伴っていなかった。現在の「美鳥の状況」をレポートしている感覚だけで書いた。

鬱が酷すぎて、どうでもよくなっていたのだと思う。
自分の身ひとつうまく動かせない不甲斐なさやもどかしさでも感じていたのだろうか。


呼吸ができにくくなってきたので、ベッドで横になっていた。
私がこれから手続きをしようとしている諸々を経験した友達がいる。ふと思いついて、彼女にメールを書いた。
役所に行けない自分の背中を押して欲しい、という気持ちがあったのかもしれない。「行ったほうがいいよね?」と書いて送った。
本当は、彼女の家へ行きたい思いが強かった。遠く遠くにあって、会ったこともないけれど、私の大切な友達。彼女が語ってくれる彼女の家に、すぐにでも遊びに行きたかった。
ただ黙ってそこで海の音を聞いて、何も考えずにぼーっとしたいと思った。
思いつくままに、どうでもいいたわいない話を彼女としたいな、と思った。
そんな思いはうまく書けない気がして、質問だけ送った。「行ったほうがいいよね?」と。


別の友達が、私のツイッターを見てメールしてきてくれた。
私は、役所に行こうとしていたところだった。自暴自棄で、喋れないがとにかく体だけでも役所へ運んでやろう、あとはどうとでもなれ、とぼんやり考えていた。
「今日は、美鳥は体調が悪いよ。見てないけど断定するよ。役所は明日じゃだめなの?」
と書いてあった。
それを読んでから、私はようやく自分自身に目を向けた。
料理のレシピを読み上げるように自分を観察するのではなく、「私は体調が悪いのか?」と確認するべく自分を振り返った。

ツイッターを見た。
鬱で過食で難聴で人との会話が困難。
自分が、そう書いたじゃないか。
私は、調子が悪いらしいと気づいた。そして何も、こんな日に絶対に行かなければならないわけでもない。
彼女からのメールで我に帰った。


「さっき「鬱+過食+難聴+人との会話が困難 という状態。」と書いたけど自分は元気だと思ってた。解離。友達が教えてくれた。みとり調子悪いよ、て。ありがとう。今日は役所はやめとく。」

苦痛や不調を感じる器官が麻痺して、私はロボットになっていた。ロボットの操縦桿を無感情に握っている、もう一人の私がいた。
そのことにようやく自覚が持てた。
彼女からメールで指摘して貰わなければ、私はとんでもない無理をするところだった。


自分自身で体調不良を記述していながら、そこに感情は伴っていなかった。
私は、それなりに元気だと思っていたし、多少無理すれば出来ないことではないと思っていた。
でも多分、今日無理に出かけていたら、途中の道で解離してわけが分からない状態になるか、道中で発作を起こしてぶっ倒れるか、記憶がなくなるか、役所で喋れずにパニックを起こして泣いて、やはり気絶していただろう。


役所に行く予定は返上して、ぼんやり本棚を整理した。ベッドで何度も横になって体を休めた。体中が痛くて、呼吸ができなかったからだ。

そのうち、メールに気づいてくれた海辺で暮らす友達から、返信が来た。
メールを読んで、声をあげて泣いた。
役所に行けない私の不安や恐怖を、うまく伝えられずとも分かってくれている文面だった。


役所に2ヶ月も行けない理由が、ようやく明確になった。

私は、人間不信から立ち直りきれずにいる。
特に、病気について家族から理解されたことがない。
そのせいか、カウンセラーや医者にすら、自分の症状を出来るだけ話したくない。
まして、役所に行って自分の現状を話すなんて、苦痛以外の何ものでもないのだった。

手続きには、病歴やこれまでの私の過去や今の環境など、自分自身についての説明が不可欠だ。私は「信じてもらえない」という観念から、逃れきれずにいる。
傷つきたくないから、信じてもらえそうにない相手には話したくない。
まして、私は解離性障害で、恐らく自分自身で把握しているよりも遥かに自分自身のことが分からない。今自分が調子が良いのか悪いのかすら分からないのに、記憶にない過去までどうやって伝えればいいんだろう。

役所に誰かついて来て欲しいと切実に考えるようになったのは、ずっとずっと前からだ。
解離しているときは、私は一人で十分暮らしていけると感じていられるのだが、解離から冷めたり、翌朝の記憶のない自傷で部屋に血が飛び散っていたり、外出先で記憶が飛んで帰り道が分からなくなったり、ひとつでも自覚すると途端に恐ろしくなる。

お金があるならヘルパーを雇いたいと思う。何をしてくれなくてもいいから、とにかく付き添って私が私でいられているかどうか見てみてくれるだけでいいから。


メールをくれた友達は、恐れる必要はないと教えてくれた。
闇雲な不信感が半減した。
けれど、まだ心に大きな不安が残っている。
家族すら一切認めようとしない私の病気を、役所の赤の他人が、禄に説明もできない私の話を信じてくれるのか?
試してみなければ、分からない。
人間不信を治すには、人間の中でしか治せない。
私から出向かなければ変わらない物事は、勇気を出して私が動くしかない。


私の不調を指摘してくれた友達は、私の解離性障害の症状を理解してくれている。だから、私自身の手で「鬱+過食+難聴+人との会話が困難な状態」と書いてあったにも関わらず、敢えて私に「調子が悪いから出かけるのはやめな。見えないけど断定するよ」と言ってくれたのだった。

海辺に住む友達も、私の人間不信や役所不信を理解してくれた。だから、「安心して大丈夫だよ」と丁寧な理由をつけて話してくれたのだ。


そしてこうして自分自身の状態を見直して書くことで、私は初めて自分を理解できている気がする。
理解してくれている第三者の目や言葉がなければ、私は情けないことに自分の状態がわからない。

役所への説明や私の過去については、ブログの自己紹介を印刷して持って行ったり、医者やカウンセラーに聞いてもらうようにお願いしてみようと考えている。
私は自分のことが分からない。
それが、私の病気のひとつ。
サポートしてくれる友達がいる。
ここから一歩前に、どうにかして進みたい。


関連記事
◇ファンタジック ? 解離性障害・パニック障害・突発性難聴・失語 ?
◇胃の腑にスポンジを詰めても詰めても足りない(摂食障害)
◇ある日の過食の記録
◇人間不信の申し子 ? 機能不全家族 ?
◇解離性障害者のアンビバレンツ(解離性障害)


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解離性同一性障害 | comment(4) |


2008/10/14 (Tue) 一日と一瞬 

お祭りに行ってきた。
小学校からの友達Jと、Jの子供達二人が一緒。
行く前にネットで調べ、「非常時の炊き出し体験」があることを知った。是非とも食べてみたい、と空の下で食事するのが大好きな私は炊き出しと、フリーマーケットに狙いを定めて出発した。

体調は前日は最悪だった。しかし、幸か不幸か5分単位で変わる感情と体調のため、昨日が駄目でも今日は絶好調ということがよくある。
幸運にも予定の日は、私の体調も精神状態も楽しむ準備は万端だった。

Jは、ADHD。私もADHD傾向が強いが、行動パターンや失敗パターンが酷似している。
例えばその日、集合予定時間があったのだが、私は久しぶりの外出で準備に手こずって1時間遅れ。メールしてみたら、彼女たちも予定どおりにはいかず、功を奏して同時刻に集合した。
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想像以上に、人、人、人の波。
お祭りという雰囲気に包まれていて、前日までは雨だったのに晴天。子供たちも大人たちも、皆生き生きとしている。

フリマも、人、人、人。
出店者と話したり、商品について聞いてみたり、笑顔の合間にキラリと値段交渉のやり取りをしたり、知らない人との交流が、フリマでは楽しい。
中でも「ジャンケンに勝ったら100円引きます!」の手作り看板を出している女性たちの店があった。そこで、その日一二を争う欲しい服を見つけた。
普通の店で服の100円引きは大したことではないが、フリマでの100円は大きい。私の欲しい服は交渉の末1300円から1000円になったが、あと一押ししたかった。
Jの息子Aくんを連れて行き、私のかわりに店主とのジャンケンに挑んでもらった。
3回勝負の末、見事勝った。

勝ったー!!と満面の笑みを浮かべて私や周囲から勝利を祝う拍手と歓声を浴びて笑っている少年を見ると、楽しくて仕方なかった。頭をぐしゃぐしゃにして「ようやった!」と褒めちぎって、一緒に笑いあった。

靴を二足買った。新品で2足で500円。可愛いしサイズがぴったり。買わずには、いられない。澱んでいない赤いオープトゥのパンプスが可愛くて一目ぼれした。欲しかった黒の指輪も購入。お金がなくとも、フリマで目さえ肥えれば、服や靴には困らない。


子供達二人と大人二人、計4人でたこ焼きを食べた。
大阪っ子は、外に出ると必ず「たこ焼きが食べたい」と言い張る。粉とソースの味は、DNAに刻まれているのだろうか。

fes2008101304.jpg
偶然居合わせた女の子。顔が似ていて思わずシャッターを切った。


下の子Hくんが、多動型ADHDだ。
動く動く。とにかく動く。世界中のあらゆるものに興味を示しては次に興味を示す。
何が好きで何が嫌いかはっきりしていて、けれど気分次第のようなところもあり、自己主張が強くて、わずか3歳とは思えないくらい自己表現力が発達している。
大概の事件の発端は、このHくんなのだが、笑いを提供してくれるのもHくん。
大人もそこらの子供も絶対できないような発想で動き回り、遊び、彼の視点で世界を眺めてみると、刺激的で面白い。

昼少し前から祭りに行って、昼食を食べ、あちこち巡り、およそ7時間ほど一緒にいたが、どれだけ笑ったか知れない。
各々の主張がはっきりしているので、往来ひとつ歩くでも珍道中だ。何が起こるか分からない。たまに子供達と遊べる私は、やんちゃで生き生きしていていいなぁと思えるが、母親である友人Jの普段の苦労はどれほどだろうとも考えた。


せっかくの外出、お祭りだが、どこであろうと子供達はそれぞれやりたいことをする。
やってはいけないことをやれば、祭りであろうが遊びであろうが、親として叱らなければならない。
兄弟喧嘩が勃発すれば、買い物どころではなく仲裁に入らねばならないし、公平を期していないとどちらかが不満を訴える。大変だ。

聖人君子でもない限り、四六時中菩薩みたいな穏やかな顔ばかりではいられないのが人間。
ハプニングが起こり、子供を叱れば子供は一時泣いて訴えたり、沈んだりする。
同じようにママである前に一人の人間であるJも、心乱れたり沈んだりする。
遊びに行っても躾は躾。
親子関係も、人間同士。とても難しいのだと肌身で感じた。


私の目に映る二人の子供達は発達障害を抱えながらも、表情が生き生きとしていて特別人見知りでもなく、いつも聞いて欲しい楽しい話題を持っていて、いざとなると兄弟愛は強く、とてもとてもいい子たちだ。
それは、Jの力、意地、今だ子供達の障害について勉強し続け、努力し続けている友人の愛情の賜物だと思っている。

それでも、Jは悩み続けている。
子供達への愛情と、躾がこれで良いのだろうかと悩み続けている。
子供を育てる責任を知っているから悩めるのだと思う。
悩まない親は、問題があっても、まず問題意識すら持たないものだ。

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上の子が行きたがっていた、二足歩行ロボットのトーナメント。
ロボットは貸し出しで、プレイステーションのコントローラーで参加者の子供達が闘う。
滅多にロボットなんて見ない私は、高性能に驚いた。子供達の操縦が見事で、何度も技が繰り出される。プロレスを見ているようで、観衆は手に汗握って見つめていた。
格ゲー大好きだった私は、懐かしい気持ちになった。
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準優勝した子の表情。真剣かつどこか余裕を感じさせる。


祭りは15時で終わり。
ついでにJが、近くのリサイクルショップを案内してくれた。
またも服を買った。
考えてみれば私は東京から戻ってきてからの2ヶ月、まともにメイクして出かけたこともなければ、遊びや買い物目的で外出したことがなかった気がする。
衣替えをしようとしたが、どれも飽きていたり傷んでいる気がしたりして、楽しくなかった。
久しぶりに洋服や靴を買うと、どこに着ていこうか、どうやって合わせようかと考えるだけで楽しくなる。


駅までは、上の子と二人で向かった。
その道中、色んなことを話した。私が小学校2年生の彼にとって「ママの友達」ではなく、私個人になっていく過程が楽しかった。軽度の発達障害を持つ彼は、道を覚えるのが得意だ。方向音痴の私にとって、これ以上頼もしい同伴者はない。


家に一度戻ったJが、自転車の後ろで眠くて船をこいでいるHくんを乗せて駅に戻ってきた。
お土産を袋の底が抜けそうなくらいたくさん持たせてくれた。
使わないからと、巻き髪用のコテも色々。
親のように心配してくれる友達に、心の中で頭を下げた。
帰り際、「またね」と手を振る私に、どんな表情で見送っていいのか分からず、そっぽを向いて寂しそうにしている子供の表情が印象的だった。

電車と自転車を乗り継いでの帰りは、満足感と肉体的疲労でぐったりした。心がずっと高揚していた。疲労のせいか、パキシルの断薬症状に似た症状に襲われて、半分解離したまま、山ほどのお土産を手に、家路に着いた。


Jは、DVと闘っていて、子供達二人を抱えて生きていく覚悟を固めようとしている。
これからこそが、本当に大変で険しい道なのかもしれない。
そのときに、私が彼女を色んな意味で支えられる人になっていたいと強く思う。


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この日、印象的な出来事があった。
昼間、祭りの広場で、Jがふと空を見上げて「風船が飛んでる」と言った。
彼女の指先を追って私は空を見上げ、子供達も一斉に空を見上げた。
雲ひとつない青い空を、真っ白な風船が飛んでいく。
てんでばらばらな私たち一行が、一瞬会話を忘れて見惚れた。
雲ひとつない青い空を飛んでいく風船の白さは、喧騒の中にいた私を、瞬間的に敬虔な気持ちにした。


色んなことがあった一日。色んなものを記憶し、手に入れた。
Jや子供達と数え切れない位笑ったこと。泣いた顔、叱る声、さまざまな私たちの感情。
手に入れたお気に入りの赤いパンプス。
偶然見た、青い空と真っ白な風船。

本当は、もっともっとあって数え切れない。
今日になれば忘れてしまったことも、全部大事だった。
楽しいとか、充実しているとか、きっとこういうことを指すのだ。



関連記事
◇The Rifle On The Crossroad



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日々日記 | comment(6) |


2008/10/11 (Sat) ファンタジック ? 解離性障害・パニック障害・突発性難聴・失語 ?

「手が震えて止まらないのが厄介で、タイピングミス続発。
なんで震えてるのだろうか。分からん。 」

と、私がプライベートの日記に書いたのが、一昨日のことだった。
3日前から所用で忙しく、睡眠不足が続いていた。用事は、昨日の夜寝る直前まで終わらず、思えば消耗しきっていた。
手の震えが止まらなくなり、メールを書こうにもキーボードをうまく叩けない。気持ちは元気なので、何通でも書く。しかし、誤字脱字だらけになった。修正するにも指が震えて困難だった。
不便だな、とは思ったが他には何も感じなかった。
解離が酷いと「手が震えている」という事実は認識できるが、「なぜ手が震えているのだろう?」と考えることが出来ない。
解離を防ごうと思っても不可能だ、とは私のカウンセラーが言った言葉だ。
私の身体と心であるはずなのに、実際コントロールは不可能だ。
目の前の事実ひとつ、自分の身体の状態ひとつ正確に認識できていないのだから、不可能で当然なのだ。

日記に「手が震える」と書いているにも関わらず、私はそのまま頑張り続けた。頑張っている意識もなかった。


◇解離性障害者のアンビバレンツ という記事で書いたが、解離性障害者は、疲労や苦痛、もろもろを感じ取る感情そのものが気づかないうちに死んでしまい、自分が解離していることすら自覚できない。


およそ3日間、私は知らない間に無理をし続けていたらしい。


昨夜、まず両耳が突然聞えなくなった。
ストレスが過度にかかった場合、よく襲われる突発性難聴だ。
右か左のどちらか片方はよくあることだが、両耳は今まで数えるほどしか経験がない。
何かおかしいなぁと思った。
解離性障害のせいで、自分が疲れているかどうか分からない。気にせず、キッチンに立とうとした。


斜めにしか立てなかった。
平衡感覚が失われていて、まともに歩けない。三半規管がやられたせいだろうと今になって思うが、解離している私は、ああ歩きにくいなぁと思っただけで、キッチンまで酷い足取りで歩いた。シンクや食器棚、あたりかまわずガンガンぶつかって、ようやく歩けた。


それでも、自分の調子が悪いとは気づかなかった。


更に、パニック障害の発作に襲われた。解離していようが、これは最悪に苦しかった。
そのときになって、私はちょっと調子が悪いのかもしれない、と思った。

少し蘇りはじめた意識を自分の脳内に向けてみれば、物凄いスピードで感情と言語が失われていくのを感じた。失語症にかかったときと、そっくりだった。
言葉を失うと、感情も思考も何もかもを失ってしまう。頭の中が真っ白になる。私は、ただの死体になる。

嫌だな、と思った。
状況にそぐわない、軽い軽い感情だった。
秒速で脳内の言葉と感情が全て砂に変わっていく。サラサラと音を立てて、すべては私の頭蓋から滑り落ちては消えていく。


私という輪郭がなくなった。
自分の輪郭が壊れ始めて僅か数十分で、私は死体同然となっていて、言葉が理解できなくなっていた。後になって分かったことだ。


もう一人の私が、「何となくだけど、誰かと話した方が良い」と判断した。
自殺しようとしたときと、殆ど同じだった。
私とは別の誰かが冷静に判断を下し、実行する。
Hにメールした。

「ちょっと回復してきた
話したいけどスローしか理解できない
10分くらい」

メールを受け取ったHは、「少し回復してきて、話したいけど、ゆっくり話してもらわないと理解できない状態だから、10分程度話がしたい」と、正しく解釈してくれたようだった。
Hと電話で話した記憶が、ぼんやりと残っている。

とてもゆっくりとHが話しかけてくれた。
それでも必死で注意を注がないと彼の言葉は言葉ではなく、意味を持たないただの音になる。
意識を集中して耳を傾け、聞かれるままに今の自分の体調を話したりしていた。
Hと話しているのは私のようでいて私ではなく他の誰かだった。
一度Hが「話している間に、調子がちょっと戻ってきたね」と言った。
その言葉は覚えている。
けれど、それ以外に何を話したのかはよく覚えていない。


気がついたら、今日の朝だった。
昨夜の記憶を殆ど失って、今朝私はとても元気だった。
早速、忙しいからと延期してもらった友達との約束を、急遽、今日にしてもらおうと思い立った。
生憎、友達に予定が入っていて、月曜に約束した。
元気が有り余っていて、気力も充実していた。

昼過ぎに、Hがメールを寄越した。
「昨日よりちょっとでも良くなってるといいけど、調子はどう?」と書いてあった。
そのメールを見て、はじめて昨夜のことをぼんやりと思い出した。
それまで昨夜のメールのやりとりや体調の悪さは、遠い遠い記憶になって殆ど意識に引っかからなかった。
「とても元気だよ!」と返したが、何かおかしい気もした。


昨夜は、私ともう一人別の誰かがいた、という感覚だけが残っている。メールも電話もHの言葉を聞き取り答えていたのは、私だったのかが曖昧だ。
どうやって電話を切ったのか覚えていないし、何を話したのかも殆ど覚えていない。
ひとつ確かなのは、Hが落ち着いて対処してくれなかったら、私は戻って来れなかったかもしれないことだ。
数年前のいのちの電話の相談員の方が電話に出てくれなければ、<私>は死んでいたかもしれない。あのときと、そっくりだ。Hに感謝した。


Hは、一度私でない誰かと会話をしたことがあるという。
昨夜もそうだったのだろうか、と考えたくもなくて、Hに昨日の電話のことは聞いていない。
限りなく夢に近い現実の中で息を吸い、限りなく現実に近い夢の中で息を吐いている。
事実に対して、どう感じていいのか私はよく分からない。
苦しみのない生き地獄にいるのかもしれない。
症状のオンパレードだった。
今日になれば、解離性障害の私は、やはり苦しいも悲しいも何もない。
ただ言葉を失うのだけは、嫌だ。



関連記事
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◇原本アンドロイド 4 後編(解離性障害)
◇できるかどうかじゃないんだ(失語症)
◇孔雀の羽 ? 自我同一性障害 ?(解離性障害)
◇ここに居たい。明日も居たい。(解離性障害)


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解離性同一性障害 | comment(6) |


2008/10/08 (Wed) 右肩あがりダイエット

(2008.10.10 全文加筆修正しました)

念願の体脂肪計が届いたので、数日前に測ってみた。

驚愕の数値であった。

体脂肪計が届いたらダイエットを始めるから、前日に好きなものを食べておこうなどと考え、ドーナツを食べた自分とか、牛肉を食べた自分とか、ココアを飲んでた自分とか、諸々のツケが一気にまわってきた気分であった。

目玉が飛び出そうな体脂肪率を見てしまっては、ダイエットを始めずにいられるであろうか。
いや、いられない。
この体重計は、体脂肪率どころか、筋肉量、基礎代謝量、水分量、骨密度、頼んでないのに小数点まで出してくれる。どうせなら記録をつけるべきであろうと考えた。



急遽、血眼になってネットを彷徨い、ダイエット日記を探しまくる。
中でも一番優秀に思えたダイエット日記に早速登録。ダイエットを始めた。

このダイエット日記は、システムが徹底している。
まずは、ダイエットを始めようと思ったきっかけから、理想の芸能人、痩せたら何がしたいかまで、具体的に書き込む。
夢を現実にするのだという実感が持てる。そして、へこみもする。理想の女性は、ミラ・ジョボヴィッチなのだが、どの口が言うんだと自分を責め立てることになり、書き込みながら、さっそく落ち込んだ。ただでさえ体重で落ち込んでいるのに、無駄な落ち込みだ。

高すぎる理想とは、ときに人を駄目にする。


毎日の記入欄は、その日の体重と体脂肪率、朝、昼、晩、間食に食べたものを全て書き出し、全てのカロリー数と食品目を記録。これを書いていると、砂糖と小麦粉がいかにカロリーの爆弾かを身をもって実感する。
食事のバランスには、毎日点数がつけられる。もうちょっと野菜を摂りましょうとか、たまにはきのこも良いですよ、などアドバイスまで付いてくる。
至れり尽くせりだが、何やらプレッシャーを感じないでもない。常に見張られているような、油断ならない雰囲気だ。

更に、その日にやった運動やデスクワークなどの時間を書き出し、それぞれの消費カロリー数を計算して記入。その日の日記と、自分で定めた「決まりごと8項目」について、できたかできなかったか自己採点する最後に更に総合的に自己採点する。
ダイエッターのモチベーションを、あの手この手で高めようという意図満々のシステムだ。


ところで私は、このかたカロリー計算というものをしたことがなかった。必要がないと思っていた。
揚げ物は殆ど食べないし、スナック類も食べない。果物は、やたらと食べるが、野菜が好きだし、自炊はしないが(体調悪くてできないが)そこそこのものを食べている気がしていた。
数字というものが大嫌いで、見ると瞳孔が開く、計算、思考不可能という理由もある。


しかし、今回ばかりは避けて通れない。
その日に余ったカロリーは、確実に体内に蓄積されて脂肪になるのであった。何カロリー摂って何カロリー消費しきれていないのか、知らずにはいられなくなった。
下手にネットでダイエット理論を仕入れすぎたばかりに、たった一日で私は強迫的ダイエッターに変身したのだった。
体調が優れないにも関わらず、始めて今日で3日目。ダイエットに取り憑かれた。


食事のカロリー計算と食事バランスをチェックしたなら、次は運動だ。

「そうだ!○○しよう!」
と、思い立つと私はすぐにやらなければ気が済まない性質だ。
これは一種病的な強迫観念だ。「明日は死んでいるかもしれない」と「思い立ったときにやらなければ人生が駄目になってしまう」と考えている。
昼食前になって突然「そうだ!ウォーキングとランニングをしよう!」と思い立った。
朝はどんよりとした気分だったのに、思い立った次の瞬間には、もう着替えていた。
カロリーをガンガン消費してやると意気軒昂だった。

足だけが難があった。

数日前の自傷で両足裏の皮膚はなく、すっぱりと切れている。しかし、思い立ったときには、やらなければ気が済まないので、靴下を二枚履きしてシューズを履いた。
行ける、と思った。問題ない。
足なんて、悪化してもたかがしれている、とエレベーターに乗り込んで思った。


午前中まで寝込んでいたのが嘘のようだ。何て外は気分が良いのだろう。
歩いた、歩いた。どんどん歩いた。
身体が軽い気がして、ちょっと走ってみた。おお!走れる!と、気分が良くなり、さらにちょっと走った。
良い具合に汗をかいて気持ちが良かった。
途中、近所で見たことがないくらい毛がフサフサしている美ネコに出会った。行きと帰りに挨拶したが、おいそれと心開いてくれそうになかったので、通いつめることにした。こういうことをするから、ネコに好かれないのだろうか。
ウォーキングは、心まで潤してくれる。


帰ってきてから、ストレッチをして、クールダウンにまで余念がなかった。やるとなると、徹底してやらねば気が済まない。医者から私は「強迫性人格障害」の診断も下りている。納得できないが、こんなときは認めざるを得ない気もする。

そうして靴下を脱ごうとしたら、足が悲惨なことになっていた。
皮膚がないのに、ガンガン歩いて汗が出たために、靴下がひっついて最悪に痛い。

足の痛みに加え、時間と共にどっぷりと疲労が襲ってきた。
その頃になってやっと、ダイエットに取り憑かれている自分に薄々気づき始めた。
普段の私の不甲斐ないほぼ寝たきり生活に比べて、今日は何というハードスケジュールだったろう、と初めて実感したのだった。
夜には、弱点である首に疲労がまとめて直撃し、首と背中中に湿布を貼って寝るはめになった。


上記のような涙ぐましい努力にも関わらず、私の体重と体脂肪は、信じがたいことに右肩上がりに増えている。
どうしてかしらと傾げる首も、思わずわななく。
これ以上増えるなんて、あってはならぬ事態だ。恐ろしい。


気を落ち着け、考えてみた。
そういえば私は「食べない」ということに、恐怖心を抱いている。
「明日死んでしまうかもしれない」という先述の強迫観念に似て、「食べないことにはどうしようもない」という意識が強い。

病気を抱えて一人暮らしだ。自分だけが頼りだ。
最低限、とにかく食ってさえいれば、いざというとき何とかなる気がする。
栄養をつけるのだ、栄養を、と常に考えている。要は、不安になればなるほど、私は食べるのであった。


そこに加えて、ダイエット日記の「食品のバランスチェックシステム」が私を更に追い詰める。

朝に野菜を食べれば、豆が足りないといわれ、昼に豆を食べれば、夜にはきのこを食えといわれる。
品目を増やせば量の加減がよく分からなくなり、挙句に食べたくもないときでも「食べなければ」「21時を過ぎたら何も食べられない」「規則正しくきちんと食事しなければ」と考えるので、無理に食べている。ダイエット始めてからずっと、食べすぎで胃がもたれている。こんなダイエッターも珍しいであろう。
懇切丁寧なアドバイスは結構だが、いちいち言うことを聞いていると、わけが分からなくなってきた。
朝から晩まで、苦手な数字の計算に忙しい。食べる度に、鶏肉何グラム、かぼちゃ何グラム、と考え、記録をつけていると、えもいわれぬ疲労に襲われる。



そもそも個人的に、ダイエッターとはカツカツとしているイメージが強い。どちらかというと好きではない。はっきり言えば、嫌いだ。
よって、こんなダイエットをしている自分が、好きになれないのだった。
だから私は、これまで何度もダイエットに失敗し続けているとも言える。


今日も身体はガタガタで、昨日より悪化していた。
数日前から続いている過眠症も加わり、寝てばかり。そして、体中の痛みのせいか、悪夢ばかり見る。
ダイエット日記の最終日は、来年の1月となっている。その頃にミラ・ジョボヴィッチになれているかというと、なれていない可能性100%である。

高すぎる理想は、ときに人を駄目にする。

私の努力に反して、ダイエット日記の折れ線グラフは、興味順調に右肩上がりである。
ダイエットを始めたばかりに、私の生活は酷くなった。こんなはずではなかった。
明日は、カクリと右下がりに折れることを祈って、今日もカロリー計算にとりつかれている。

始めて早々だが、私はダイエットをするべきじゃないのかもしれない。



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日々日記 | comment(12) |


2008/10/06 (Mon) ターニング ? 男性恐怖症 パニック障害 離人症 ?

20081006.jpg
かぼちゃと鶏肉のすいとん汁

うちにケーブルテレビの工事が入ることになったのが先週。
知らない男性が部屋に来るというのは、物凄いストレスだった。しばらく自覚がなかったが、工事日が決まった日から毎晩悪夢を見る始末だった。
昨日の工事は、実にスムーズに済んだ。良かった。
一人が工事しつつ、もう一人が私に新サービスの説明をするという流れだった。

私の部屋にあるもので、一番多いのは「マンガ」である。全ての好きな漫画を持っていたら間違いなく床が抜けるので、再版のかからないレアなマンガだけ手元に置いてある。
このマンガがズラリ並んだ本棚を動かす作業が、今回の工事で一番の難作業だった。
自分が何を読んでいるか、何が好きかを知らない人に知られるのは何だか気持ち悪い上に、とにかくさっさと工事を終えて部屋を出てもらわねば私の恐怖心がピークに達しそうだった。結果、頼めば手伝ってもらえたのだが、自分で本棚を動かすことになった。
作業は困難を極めた。
何だってこんなにマンガがあるのだろうと思ったが、好きだから仕方ないのであった。
本棚から取り出して、とにかく部屋中置けるところに積み上げた。

工事中私に営業トークをしていたスタッフが、部屋中に積み上げられたマンガを見てふと「マンガがお好きなんですねぇ。しかもマニアックに揃えてますね」と言った一言から、マンガ話に花が咲いた。彼は、毎週末はマンガ喫茶に通うほどマンガが好きらしい。
主にカイジの話で盛り上がる。私は読んだことがないのだが、カイジマニアの友達hから散々聞いてきたネタをもとに盛り上がる。

光に切り替えようと思っていたところで、料金プランも今より安くなるので、その場で即決でプロバイダもろとも新規契約した。
何かと営業さんが「おとこらしいっすね?!」と私に言っていたのが、少し気になった。よく言われるのだが、そういう性格なのだろうか。

本棚を戻しましょうかと申し出てもらえたけれど、断った。ちょうど良い機会なので、本棚裏の配線を徹底的に満足いくものにしたかったからだ。本もついでにいらないものは処分したかった。
なので帰ってもらったが、元に戻すのに何時間もかかった。
動かす前には壁と家具の間にきっちりおさまっていた本棚が、いざ元に戻そうとすると入らないのだった。そんな馬鹿な。
出てきたものは入るだろうと自分を励ましながら頑張ったが、数センチも足らず、ときにはミリ単位で入りきらず、随分と時間を食った。
方向音痴の人間は、物を限られた範囲におさめることが苦手だといわれるが、私がまさにその通り。本棚をはめこむというだけで、1時間も要した。


足の怪我が思ったより酷く、酷いと気づかず昨日部屋の片付けに夜までかかったため、足が今日になって真っ赤になった。痛い。特に、靴下が嫌いなので素足だったのが良くなかった。夜には、足全体が痛んで仕方なかった。

足の裏の自傷は、過去何度かあるが二番目に酷い被害で、今回は両足裏の皮が全部はぎとられた状態で、右足にザックリと一文字の切り傷。今日気づいたが、右手の人差し指も切れていた。
一切記憶がない点が、本当に納得がいかない。

工事のお陰で配線もすっきり家具の後ろに全て隠し、前日に買っておいた節電タップ6コ口で電源を増設し、私の屍のごとき精神状態を反映していた部屋も、嘘のようにスッキリと片付いた。晴れ晴れとした気分だった。

けれど、夜になって突然、強烈な離人感に襲われた。
うわーなんだこれは、と思っている間に、みるみるうちに世界中がのっぺとした一枚絵に変わり、音は遠く、気分や感情も遠ざかった。
久しぶりに料理をしていた時なのだが、キッチン恐怖症が出たのか、それとも疲労か、工事が自覚以上に負担だったのか、理由は分からない。


寝る時間になると、今度はパニック障害の発作に襲われ、眠れず久しぶりにまた動悸が激しくて、苛々した。眠れずに何度も起きた。こんなときは、眠剤も効かない。

最低な体調で目覚めた。
けれど、部屋は美しい。そして、全身は筋肉痛。本棚運びが、こたえたらしい。
それでも、部屋が片付いていると気分が向上する。デスクまわりも機能面を向上させ、何より床の上でこんがらがっていたコードがないのが予想外に気分を向上させてくれる。

今朝から、本格的ダイエットを始めた。
部屋が片付くと、何かしらそんな気分になる。
ちょうど注文しておいた体脂肪計が届いて、男友達に体脂肪率を見事言い当てられたことで、女のプライドが著しく傷ついた。しかし、彼本人が13キロのダイエットに成功しているので、私は逆に励まされてしまった。やるしかない。

取り掛かりたい作品が二つあって、そちらにエネルギーはまだまわせる程じゃないのだけれど、片付いた部屋は、怠惰な生活を切り替えてくれそうだ。
まずは、さぼっている病院に行く。役所に手続きに行く(これが役所大嫌いな私の一番の難関)。カウンセラーに電話する。
この三つを済ませたら、作品を作ることに専念しようと思う。
10月は、屍月間から脱却するのだ。


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日々日記 | comment(4) |


2008/10/05 (Sun) 解離性障害者のアンビバレンツ - 解離性障害・自傷 -

一昨日から、必要に迫られて部屋を片付けている。
幼児退行◇あやの誕生日していたときに必要だった玩具色々が、押入れに眠っていたので、昨日色々捨てた。

またも足が痛くて、デスクの上には蓋が開けっ放しのオロナインが置いてあった。蓋が行方不明。
床には、点々と血痕があった。かなりの出血量だ。
嫌な予感がして痛む足の裏を見たら、太マジックで描いたかのような真一文字の傷跡があった。またも、躊躇いを感じさせない思い切りのよさ。前回の左足の傷跡もまだ消えていない。凝固した血液を皮膚の内側に閉じ込めたまま皮膚ができてしまって、足裏に消えない線ができてしまった。
今度は右足だ。刃物が見当たらないので、何で切ったのかも分からない。

今日は、うちに工事が入るから朝から忙しいというのに、動かねばならないときほど、それを妨げるかのように足を切られる。カウンセラーいわく、もう一人の私が動きたくないと思っているときに足を切るのだとか。

自分の部屋に、見知らぬ男性が来るのがとてもストレスだ。恐怖だ。工事なんか一生来んな、と思う。
とはいえ、マンション全戸に工事が義務付けられているので仕方ない。差込口のある壁が本棚の裏なので、本棚を移動せねばならない。
今日は、大仕事になるというのに足を怪我している悪条件。
へこんでいても仕方ないので、いつものことといえばいつものことなので、やるしかないので今から作業しよう。

持っている病気の中で、解離性障害ゆえに自身の解離性障害に目が向くことが、他に持っている症状よりも少ない。
こういう足を切られたり、気づいたら思いもよらない場所に立ってたり、そのせいで道に迷ったり、やたら同じものばかり冷蔵庫に山のように買ってあったり、友達が別の私と話したと言ったり、目に見える形で支障が出ると、ああ鬱陶しいと思う。


今朝の大阪は、曇りときどき雨が降っている。
ともあれ部屋を片付けて、工事をさっさと終えてもらって、すっきりした部屋で寛ぐことを楽しみに今日を過ごすことにしよう。ひとまずは、靴下三枚履きだ。恒例になってきた有難くない行事だ。


関連記事
◇あやの誕生日
◇2008/01/12 人魚姫式自傷
◇2008/01/12 姫がレンジでチンしてポイ
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◇人魚姫式自傷 2

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解離性同一性障害 | comment(2) |


2008/10/04 (Sat) 文鳥だって悩みます ? 文鳥の生き様に学ぶ ?



食い気>眠気(眠くてリラックスしているので羽毛が膨らんでます)
うちの白文鳥むく(♀ 8歳)です。


桜文鳥もも(♂ 約10歳)と 白文鳥きり(♀ 享年7歳)の娘です。
文鳥の中でも、美形ギャル顔かと思っています。

とにかく食いしん坊。
盗み食いして味を覚えた中でも、味噌汁とポテトチップスが大好き。どちらも健康に絶対悪いので、こっそり食べますが、味噌汁は椀のデザインを覚えているし、ポテトチップスは袋のデザインを覚えているので、空になった袋の中に潜り込んだりします。
文鳥の脳は、恐らく小さじの先ほどもないのですが、70%は眠ったままだという人間の脳と違って、フル稼働しているのかもしれません。賢いです。

彼女むくは、ももときりの娘。自家製文鳥です。卵のときから、知っています。
初めてももときりが孵した卵が、むくでした。
手乗りにするには、生後2週間ほどで親から離し、人間が手ずから餌をやるのですが、そのせいでドーンと育ったむくが部屋デビューしたときには、両親は自分たちの子とは認識できず、縄張り意識が強い文鳥社会なので、かなりいじめられました。

幼いながらも、文鳥ながらも落ち込みはひどく、むくは数ヶ月の鬱状態に入りました。
文鳥が鬱なんて、と思われるかもしれませんが、そこは人間と同じで、私が帰宅すると、むくは部屋の片隅で何もない壁に向かってポツンと立ち尽くし、首をうなだれてずっと過ごしているのをよく見かけました。

私のポリシーとして、あまりに酷い怪我に発展するような喧嘩には口を挟んでも、それ以外は出来るだけ彼ら文鳥のルールを尊重すると決めています。人間である私が持っている善悪の基準とは別に、文鳥である彼らの善悪やルールが存在します。
自分の力で文鳥社会の中での地位を築かなければならない、シビアな文鳥世界。
人間である私に受け入れてもらうことと、文鳥社会の中で認められることは、また別の問題なのでした。私は、陰ながらに、むくが明るく暮らせることを願って見守るのみでした。


あるときから、私が集めて並べていたマニキュア瓶が、毎日倒されるようになりました。
出かける前には全て立たせておくのに、帰ってくると一本残らず全部で2、30本倒されているのです。犯人は誰なのか。三羽の文鳥ズのどの子かには違いないのですが、長らく現場を押さえることができず、わかりませんでした。

ある休日、マニキュア瓶目掛けて飛んでいって、飛び蹴りを食らわすむくを見ました。
あたかも敵に挑むかのように、むくは文鳥特有の「キャルルルルル!」という威嚇の声をあげて、次々と瓶をクチバシの鋭い突きを繰り出しては薙ぎ倒し、倒れない瓶は足で蹴り倒し、踏み散らし、一本残らず倒したのでした。物凄い怒りでした。ライバルももに追い回され、突つかれ、首根っこを噛まれて宙ぶらりんに吊り下げられようとも怯えて無言だったむくが、マニキュア瓶に挑みかかる様子は鬼気迫る迫力でした。

私が立て直すと、「まだ生きていたのか!」といわんばかりに瓶に向かって再び「キャルルルルル!」と挑みかかり、やはり全部倒してしまいました。

その頃から、食事のときの箸に向かっても怒って戦いを挑むようになり、ペンにも向かってくるようになりました。
日々、むくの顔が生き生きとしていきました。

彼女は、どうしても勝てないライバルももに対して喧嘩で勝つ方法をずっと模索していたのでした。

マニキュア瓶や箸やペンに対して連勝を続けたむくは、ももに向かっていくようになりました。追いかけられて逃げ回るだけでなく、少し怯えながら逃げ腰ながらも「キャルルルルル!」と声を発して対抗するようになりました。


文鳥のむくなりに、うちの中での立場に数ヶ月悩んだ末、文鳥として生きていく覚悟を決めたのだと思います。いじめられるばかりでなく、立ち向かっていく術を必死で学ぼうとして、見事性格の改善に成功しました。
「喧嘩は文鳥のたしなみ」といわれるほどに、自己主張が強い文鳥社会において、へこたれていては生きていけないのです。
喧嘩ができて、一人前の文鳥。気が強く誇り高い文鳥本来の文鳥魂の覚醒を見るようでした。


いまだに彼女は、マニキュア瓶や箸を許しません。それらは、さながらむくのサンドバック。
やっつけると胸を張って、誇らしげです。
うちの文鳥ズの中で、彼女だけがペットボトルやワイン瓶の天辺に立てます。バランス感覚が抜群、身体能力も高く、食欲も旺盛で遊ぶことが大好きです。今の彼女は、生き生きとしています。



動画は、先週撮ったものです。
文鳥ズが好きな豆苗を、むくが食べているところ。
片足で押さえて食べています。
けれど就寝時間近くなので、眠くて眠くて半分寝ぼけています。携帯カメラを向ける私に、豆苗で汚れっぱなしのクチバシのまま、何やってんの?とカメラ目線。
眠気より食い気。それが、むくらしい。


彼女は、実家の食卓に彼女専用の椅子を与えられています。
夕飯の時間数十分前、人間よりも早く自分の椅子に着席して、じっと待ちます。
着席といっても小さいので、背もたれの天辺に大人しく立って、食事の準備が整うのを落ち着いて見守っているのでした。
何よりも炊きたてごはんが大好きで、食い気のためなら行儀を守る、文鳥らしからぬ律儀な面も持っています。


母親のきりが亡くなった頃、父であり、むくの最大の喧嘩仲間だったももは、高齢で飛べなくなっていました。
きりが死んだ翌日の不思議な出来事は、また別の機会で書きたいけれど、きりの死をどうして知ったのか、むくとももは、きりがいない生活をどう生きていくのか話し合ったようでした。
その日から、彼らの関係は一変しました。


今や、むくはももに愛情を注ぎ、ももの介助をするようになりました。

ももが移動したいと私に向かって鳴いていても私が気づかないとき、叫びながらむくが飛んできて知らせます。
ももが転んで起き上がれないとき、むくが得意の飛び蹴りで起こしてやります。
それでも、どうしようもないときは、私にももの危険を知らせに来てくれます。

また、リーダーは昔からももなのですが、むくは常に生活のタイムキーパーです。文鳥ズで取り決めでもあるのか、就寝時間を過ぎても寝かせる準備を私が忘れていると、必ずむくが叫んで人間に抗議します。
同じく、文鳥たちが寝ている時間にドライヤーやテレビの音などがうるさいと、自分たちが我慢できる騒音レベルまで人間が落さない限り、叫んで抗議し続けるのも、いつもむくです。そんなときは、マナー違反を彼女に丁寧に詫びた上で、遠慮して極力静かに心掛けます。すると納得してもらえて、多少の騒音は譲歩してくれます。決して、怒りすぎず、しかしきちんと主張する。
人間と自分たち文鳥ズの共同生活が、譲り合いであることを心得ているかのようです。


高齢で片目は白内障でほぼ失明していますが、変わらず元気で健康で、遊び好きで、自己主張がはっきりしています。
俯いていた子供の頃のむくの背中を、時々思い出すことがあります。
よく頑張ったね、むく。
親ばかと知りつつも涙ぐんでしまう私。
むくがいるから、生活全般介助を必要とするももを、安心して見ていられます。
むくが、私やももを支えてくれる日がくるなんて。
私の中では、むくはいつまでも末っ子。
けれど一羽の文鳥としてのむくの生き様には、多くのことを無言で教えて貰っています。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
関連記事
◇文鳥生涯唯一のラブソング
カテゴリー<文鳥>

次回のカテゴリー<文鳥>では、今のももとむくの仲良し動画をお届けする予定です。

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文鳥 | comment(7) |


2008/10/02 (Thu) ちどりあし ? 境界性パーソナリティ障害 ?



実際の千鳥という鳥よりも「千鳥足」という言葉の方が、知られている。
千鳥の歩き方を見たことがあるだろうか。それは、まさに千鳥足だ。

ボーダーから何とか回復しようと、一日の大半を依存心と戦うことに費やしている。そんな私の毎日はまっすぐ進むことが困難で、なかなか計画どおりに行かない。

昨日は、えらく活動的だった。自覚があるが、あのエネルギーはHから貰ったものだ。私自身のエネルギーではない。
それを持続していくのは、私一人の力量だ。それが難しい。
歩みが止まる度に、一々Hの手を借りているわけにはいかない。彼には彼の生活があり、それはきっと恋人同士であろうが、結婚した配偶者であろうが同じことなのだと思う。別個の人間として、自分の受け持ちはせめて自分で背負うことが自尊心に変わる。

情けないことに、今朝から私はまたも無気力で、毎朝楽しみにしているオンライントマト栽培のドリームファームすら手につかなかった。
しかし、Hのことを考えることはなかった。ただ無気力で、やらなきゃいけないことを考えると気が塞いだ。
そしてまた、いつもの過眠症が都合よく訪れる。
眠ること眠ること。こんなによくまあ眠れるものだ。

眠れば必ず夢を見る。
夢の中で私は、やりたいと思っていることや、やらなければならないことをこなしていた。よって、別段楽しい夢でもなく、悪夢でもない。
目覚めると、珍しく部屋が散らかった私の部屋だ。部屋は、いつでも私の心理状態を見事に視覚化してくれる。こんな部屋に住みたくない。なのに放置したまま何日も眠りこけている。
「私って現実逃避してるんだな」と自覚させられる夢ばかり見る。
かといって、現実の私の体は動こうとしない。



昨日の今日で突然この無気力だ。我ながら呆れる。
依存とは、依って存在すると書くが、Hの魔法の効力が続く間は私は生きていられるが、効力が切れると私はただの無力な人間に成り下がるわけだ。
誰とも適度な距離を保っていられると、私は一人でどこまでも生きていけると感じるのだが、少しでも精神的距離が縮まると途端に脆くも崩れ去る。あくまでボーダー回復期であって、回復していないことの証だと思う。


ひとまず私が何が何でもやらなければならないことは、明日の友達との打ち合わせまでに私が出来るだけの準備をやること。
もう一つは、日曜にやって来る地デジ対応のための室内工事までに部屋を片付けて本棚を動かすこと。

後者は、実に気が進まない。地デジなんてどうでもいい。テレビは、いつ捨てても構わないと思っているし、B?CASカードに纏わる胡散臭さ100%の実情を知る身としては、テレビなぞ余計にいらない。が、工事費用はマンションが出すし、マンションが全戸工事といえば応じざるを得ないので仕方ないのだった。


昨日が夢のようだなぁと、またもベッドの上で干からびながら思い返した。
久しぶりにまともに外に出たせいか、途中で解離したらしく、気がつくと全然知らないところを自転車で走っていた。
という軽いハプニングはあったが、解離から醒めきらぬまま、ぼんやりと道を探して、ぼんやり帰って来れたので問題はなかった。

久しぶりに食料や日用品以外の買い物もした。
福祉団体に椅子を寄付したついでに、買ってきた。靴やコートや服。
特に滅多に外出しないから履く機会も殆どないくせに、うちには山ほどの靴がある。
私が一番撮りたいのは、人間、その次に廃墟や工場など建物なのだが、友達にモデルを頼むときには大概靴や足にレンズを向ける。無意識だ。
靴がなぜこんなに必要なのか、自分でも分からない。他のものは無駄なものは買わない主義なのに、靴だけは目を留めると買ってしまう。物凄くシビアな値段でしか買わないけれど、靴と香水と着物は集めてしまう。
写真の靴は、昨日買った靴。500円。
抹茶のような深緑のパンプスで、デザインの襞が美しいと一目惚れした。いつ外にはいて出られるのかは、未定。私は、靴持ちだが肝心の足は千鳥足だからだ。
次にいつ調子が戻るか分からない。
Hには、不調だけ伝えた。かといって、彼が自分の生活を投げ打って私を助けはしない。私がそれを嫌うし、彼は私の役目と自分の役目を混同しない。

あっちこっちうろうろして、辛いところだ。
一応、明日の予定を立てるとしよう。
明日は、ちゃんと衣替えをしよう。昨日買った素っ頓狂なコートは、紙一重でものすごく可愛いコーディネートになりそうだから、諦めず手持ちの服でコーディネートしよう。黄色のカラータイツがあればいいのかもしれない。
そして友達と心行くまで互いの感性を持ち寄って話し合い、楽しい時間を過ごせばいい。


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◇依存恐怖症らしい
◇廃墟の檻のパブロフの犬
◇クッションか毛布みたいな
◇さめざめしてる君に歌う
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◇Bubbles
◇魔法をもつひと

境界性人格障害 | comment(4) |


2008/10/01 (Wed) 魔法をもつひと  - 境界性パーソナリティ障害 -

20081001.jpg

ありがとうと伝えたい人がいて、今日この記事を書いている。
その人は、この記事を読むことはない。
彼には、ありがとうとメールで伝えたけれど、彼の存在を書き留めたくて書いている。
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◇天涯孤独の指先


9月の私は、男友達Hの生活パターンに振り回された。
気がつけば私の生活は、彼からの朝のメールを貰うまでは始められなくなっていた。
四六時中メールを待ち続けることだけで頭が一杯で、何も手につかなかった。
それだけ、私にとって彼が魅力的な男性だからだった。
人間性に最も魅かれる。自分を大きく見せようともせず、いつでも自然体で自律心をもって生活し、楽しむことを忘れず、他人の苦しみに対し慎重で芯の通った思いやりを貫いている。
欠点もたくさん知っている。それでも、魅かれる。

彼の一挙手一投足に、私の感情は面白いほど揺さぶられ、完全に主導権を握られた。私は、不安になりフラッシュバックを頻繁に起こし、境界例の症状を抑えられず、彼に暴力的な言葉をぶつけたり、泣いたり、試したり、それは最悪な状態を行ったり来たりした。


私は、彼の連絡を待つばかりの自分の状況を歯がゆく思い、しかしやはり彼からの連絡を待つことだけに終始した。
彼からメールが来たり話したりすると、自分が生き生きとしてくるのが分かった。彼と話す以外の楽しみは、全て色褪せてしまった。興味が持てなくなった。

9月は、それだけで過ごしたと言っても過言ではない。完全に私の想定外だった。
時間を浪費している感覚が否めなかった。私がやりたいことは、たくさんあったはずなのに、何だったのかすら考えるのが面倒だった。
苦痛でたまらない時間だから、眠ることにした。

けれど眠りから覚めてみれば、数時間しか経ってない。その都度、落胆した。彼からの連絡のみが、私の生活になったいた。
彼に依存しきってしまった私は、もはや私ではなかった。
無関係なはずの彼の仕事や、彼の趣味や外出が、私の生活パターンを全て縛り付けていく。

けれど、彼は何ら変わりなく、我を失っているのは私だけなのだった。
彼が私の時間を奪ったのではなく、私自身が彼に自分の生活を明け渡したのだ。明け渡す必要などないのに、私は私であるべきなのに、私がいなくなってしまった。
何ひとつ手につかず、常にHのことを考えている私は、生ける屍だった。


Hと話す時間は楽しかったが、ふとした単語でフラッシュバックを起こす頻度が増し、対人恐怖や人間不信に襲われて、Hに全てをぶつけた。極力抑えても抑えても、体を乗っ取られたかのように私はHを罵ったり試したり媚びたり、そしてまた罵った。

症状が出ても、すぐに理性を取り戻した。私の意地だ。
謝る度に、Hは何もなかったかのように笑って回復を喜んでくれるだけだった。
私が理性を取り戻せたのは、私の意地を汲んでくれ、私の苦しみを理解してくれ、支えようとしてくれる彼のお陰が大きかった。私一人の意地だけでは抑えられないくらい、見捨てられ不安やフラッシュバックで引き起こされる錯乱は酷い。


昨夜、Hと久しぶりに電話でゆっくり話した。
色んなことを話した。彼に話せないことは一つもないと言っても過言ではない。何でも抵抗なく話せる。
思うままに話し、Hも変わらず誠実で、心の機微に敏感で、優しさと甘えを履き違えることはなかった。彼は、何が愛情で、何が依存で、そして何が私を活かし、何が私を腐敗させるかをよく知っていた。
そして、そこから私を引っ張り上げる方法も知っていた。
私のために無理をすることはない。彼は、いつでも彼らしくあるだけだ。


昨夜のことは、忘れないうちに、このブログに設置してあるツイッターに書きとめた。
Hとの関係がどうなるのか分からなかったから、ブログにきちんと書いたことがなかった。
順番立てて書かなければならない。
境界性パーソナリティ障害から回復しようと足掻いていた私に、本当の意味で精神的に手助けしてくれる人が現れた。
こんな人がいるとは考えたこともなかった。
彼は、ボーダーの私に振り回されず、症状の向こう側の私の人間性のみを見てくれる。見事なまでに、彼の目は見通している。私の本来の人格と、人格に負わされた障害が、彼の目には確実に別物として認識されている。

私は、得がたい親友と出会った。
これが、恋愛に発展しようと、発展しまいと、どうでもいいと私も彼も考えている。
私たちは、どんな形でも長く付き合っていけると信じる。

今まで見たこともない強さと優しさと不思議な信念を持っている。
私がどうなろうとも、彼の信念は揺らぐことはない。だから私は、彼を信頼できる。
彼は、彼自身を裏切らない。そういう人は、信頼できる。
境界性パーソナリティ障害者が、信頼できる人間は数少ない。でもだからこそ、目が肥える。

Hとどれだけの時間を共有してきただろう。
その間、Hの生活は私と会う前と何ら変わらず充実していたが、私の生活はHに好意を持てば持つほど堕落していった。甘い堕落に流されていく自分自身は、見るに耐えなかった。
だから私の体は、過眠症を引き起こし、意識を現実から遠ざけていた。

昨夜、色んなことを話し合って、彼の信念を知り、私は自分の意識を反転することができた。昨日まで屍で、何もできずベッドで眠ることで自分から逃げていた私は、昨夜日付が変わった頃、生まれ変わった。

数ヶ月先延ばしにしていた福祉団体への寄付をして、靴と服を買い、ずっと食べたかった月見バーガーを食べた。美味しかった。切らしていたポン酢を買えたし、何枚も写真を撮った。楽しかった。買い物をして、空っぽの冷蔵庫に食べ物を詰めた。壊れたまま換える気力もなかった携帯のイヤホンも買ってきて付け替えた。


私にとっては、一ヶ月殆どできなかったこと。
Hにとっては、できて当たり前のこと。
なのに、Hは私の今日一日の出来事を、ものすごく喜んでくれた。

昨日までの自分が嘘のようだ。
Hからのメールは、全く気にならなかった。
けれど、Hへの好意は全く変わっていない。Hとの距離感も変わらない。
以前よりも信頼が増しただけだ。不思議な安定感。
大切なものに気づかせてくれた。
私は、私でちゃんと生きている。

ありがとう H。


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美鳥(みとり)

Author:美鳥(みとり)
被虐待サバイバー。解離性同一性障害、うつ病、対人恐怖症ほか色々闘病中。境界性パーソナリティ障害寛解しました。毎日の光と影を綴ります。生育歴・来歴・病歴・活動はこちらをご覧下さい⇒<はじめに Profile>

講演活動・ユーストリーム放送しています。
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診断名の有無に関わらず、生き辛さを抱える方々と温かい繋がりを目指しています。ご感想ご意見など、お気軽にどうぞ。お待ちしています。

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