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2008/09/30 (Tue) 嬲って味わう

数日前の記事◇青空の種を書いたとき見つけた写真。真夏に撮影。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

2008083003.jpg

毎年実る、柔らかく匂いたつ甘い香り。
完熟を皮ごと頬張る。
店に売られている無花果とは、まるで違う。
濃厚な甘い果汁が、口いっぱいに広がる。


2008083006.jpg

秋はまだ先だというのに、青い柿の実がたわわに枝をしならせていた。
生きるには身軽が良い、と決めているのか、木は余分な実を毎日手放す。
木の根元で、落ちた実はゆっくりと色づいていく。
湿った生温い土の上、熟れるのが先か、土に取り込まれるが先か。
すぐ近く、数日前に落ちた実が熟れきらぬまま、前夜の優しい雨に撫でられ崩れ落ちていた。



2008083011.jpg


がんじがらめに縛られ縛りつけたい。
衝動は、こちらが手繰り寄せる前には儚く消える。


美しいものを味わい胸震わせ恍惚を味わうには、資格が要る。
創意と根気と情熱が要る。
設計図も足りない。
苛立つ。
フラストレーションも、度を越えると扱いかねて呆然とする。
傲慢な欲望の糸に中途半端に引っかかったまま、生かされることも朽ち果てることもできないでいる。



美しいものを味わいたい。
全身が沸騰するような美しいもの。
或いは、爪の先まで凍てつくような美しいもの。
五感を破壊し、引きずりまわし嬲りまわして私などいとも簡単に服従させる美しいもの。



慎重な手つきと丁寧な段取りで、心ゆくまで引きずりまわし嬲りまわして味わいたい。

どんなにか生きた心地がするだろう。
鼓動のひと打ちも、甘く滴る果実になるだろう。
濃厚な果汁を舌で舐め取り、咽喉を鳴らして飲み干して、傲慢に酔い痴れたい。


このところ、そればかり考えている。


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詩と写真 | comment(19) |


2008/09/28 (Sun) 文鳥生涯唯一のラブソング(動画)

※音が出ますのでご注意。


動画で初お目見え。
うちの桜文鳥オス9歳(12月で10歳です)もものラブソングです。実家の母の手の中にいるときに携帯で撮影。


文鳥のオスは、生まれて死ぬまで、唯一のオリジナルソングを歌い続けます。
メロディーは、まさにオリジナル。一羽一羽違います。
メスは、歌いません。チュンチュンと話すくらい。
オスは、生まれてしばらくすると歌の練習を始め、その時から、自分の好みのメロディーを一から作っていきます。文鳥といえど、音楽センスが問われるのです。
自分の満足がいく歌が完成すると、生涯その歌を歌い続けます。

歌は、メスへプロポーズするときに文鳥ダンスとセットで歌います。
いわば、求愛のラブソングなのです。
普段、機嫌が良いときにも歌います。人の手の中で寛いでいるときや、眠くてとろとろしているときなど、安心しているときに歌います。
歌を褒めると、誇らしげに胸を張ります。もともと胸がふっくらしているのですが、さらに胸を張るので文鳥ながら鳩胸みたくなります。
手乗りの小鳥を飼ったことがないと、鳥に表情なんてあるのかと思われることがよくあるのですが、鳥も笑います。ほんまです。歌を褒めると、ももは胸を張って笑顔になるのです。そんなバカなという人も、1ヶ月も文鳥たちと一緒に暮らすと、「あ、今笑ってるわー」「今落ち込んでるよ」とか言います。

ほんまです。


文鳥の平均寿命は6?7年といわれていて、ももは長老級かもしれません。
現在10歳近く。私が闘病をはじめた頃、最も死にたかった頃、一羽と一人で生活をスタートさせたのでした。

ももの妻白文鳥のきりが亡くなり、うちの文鳥はももと、娘の白文鳥むく(現在8歳)の二羽になりました。
中でも私の傍に一番長くずっと一緒にいてくれるのは、ももです。
10年生きていると、利口になって人の心の動きがよく分かります。
数年前から全く飛べなくなり、足腰が弱ったせいかピョンピョンと飛び跳ねることもなくなり、主に二足歩行になりましたが、元気で毎日歌を聞かせてくれています。
用事を頼むとき、主に移動だとか水浴びの用意をしてくれだとか、人の注意を引きたいときにも歌います。歌で用事を頼むのは、ここ数年でももが自分で考え付いたアイディアでした。叫ぶのではなく、歌う。文鳥ももの、人生哲学を垣間見る気がするのは、文鳥バカの証なのか。


ももの場合、これまで2回歌の端々を修正しました。若いときの歌とは、ちょっと変わりました。
前よりもメロディアスになり、テンポがよくなり、たまに歌い終わりを気紛れにアレンジします。アップした動画の最後の部分は、この日のもものアレンジエンディングです。


この歌は、冒頭のイントロが抜けてます。イントロを省くことにしたのか最近イントロが聴けません。
「カルルルルル・・キャルルルル・・・」から始まってたのだけど。人間でいう巻き舌みたいなもので、喧嘩や威嚇や自己主張のときに発する声でもあるのですが、何でも歌に組み込む旺盛な音楽を愛する心に感服です。
彼ももは、歌に関して向上心が強く、人の口笛も真剣に聞きます。クチバシと唇の感覚1ミリまでににじり寄って真剣な表情で「音楽鑑賞」します。しかし、へたくそなメロディーには怒って唇を突きます。唯一ももに尊敬されているのが、口笛上手なうちの父です。
小さな文鳥ながら、父に対してのももの敬意は、傍目で見ていても深く深く、何十分でもじっと動かず真剣に耳を傾け続けます。

今後、この曲がどう変化するのかは、ももしか知りません。
どんな歌でも私を幸せにしてくれます。
いつもありがとう。もも。
これからも、よろしく。


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文鳥 | comment(16) |


2008/09/27 (Sat) 春に似ている



今朝は急に大阪も冷え込んで、起こしてみたら長老文鳥(もうすぐ10歳)ももの顔色が悪かった。
年を取ってから、ちょっとした変化にも体調が変わるようになった。
鳥かごにつけている温湿度計を見てみたら25度。文鳥は、ジャワ島の鳥なので寒さに弱い。ブロ友ばーばらさんも鳥飼いなので、温度設備について聞いてみたら、とても丁寧に教えてくださった。ありがとう!ばーばらさん。

早速、ペット用ヒーターを買いに出かけた。
私一人の体調なら結構どうでもいいので、通院すら平気でさぼる。
しかし、文鳥のこととなると私だけが彼らの保護者なので、迷わず動くことが出来る。

実は先日、同じホームセンターでペットヒーターを買ったら、バカでかい上に高くて熱くて使えたもんじゃなかった。事前に店員に相談したのだが、アルバイトの大学生みたいな新人くさい青年が、しどろもどろに何の役にも立たないアドバイスをくれた。諦めて自分の勘に頼ったのだが、箱を開けてびっくり。二度足になったのだ。

ホームセンターのサービスカウンターでペットヒーターを返品してから、あらためてペット用品コーナーへ。違うペットヒーターを手に、一応確認したいことがあったので店員を探した。
数日前の新人くさい青年がいたので、あいつにだけは二度と相談したくないと、できるだけ離れた店員に訊いてみた。
「ちょっとお待ち下さい」と言われて待っていたら、やって来たのがまたもあの新人くさい青年であった。
またこいつか!?と思ったが、向こうもまたこいつか!?と思ったかもしれない。
研修中で敢えて勉強させるべく対応させているのか。それとも、まさか小動物の担当なのか。
相変わらず要領を得ない説明をされた。商品の箱に書いてあることしか言わない。
私自身、長く接客業をしてきたので何かと不満だった。
あてになるのは自分だけなので、自己判断で買ってきた。前回のヒーターの約半額で済んだ。嬉しい。

↓ペットショップのガラスケースの中でじゃれていた柴犬の仔犬。カメラ目線。
2008092703.jpg

外に出られたときに用事や買い物を済ませておかねば、私は滅多なことで外に出ない。
よって、リストアップしていた買い物を順繰りに済ませた。
秋らしいアイシャドーが欲しくて、あれこれと試してみた。コスメは楽しい。色んな色のパレットを前にすると心が浮き立つ。


カメラも持って行ったので写真も撮った。買い物の量を考えると一眼レフカメラはさすがに躊躇って、コンパクトデジカメだ。撮りたいものが一杯あって、その都度自転車を降りて撮った。荷物の量からして不可能だったが、一眼レフを持っていけばよかった。いつの間にか一眼レフの方が手に馴染んできた。へたくそなのは、相変わらずだけど。


猫に二匹であった。早速、岩合氏の本「ネコを撮る」で学んだ知識総動員で接してみたが、皆忙しそうで、私などには興味が持てないらしかった。飼い猫にまでふられるとは、何という体たらく。やはり貢物がいるらしい。

馴染みのたこ焼き屋に久しぶりに寄って、お昼ごはんを買った。たこ焼き7個で100円。いつも1個おまけしてくれるのが嬉しい。
焼いてくれるのを待っている間、奥の庭からミーミーミーミー聞えるので、店のおばちゃんに聞いたら、やっぱり生まれたばかりの子猫の声だった。
顔見知りの野良猫が毎年うちで子猫を生むのよ、多分生まれたんだと思うから、もう少ししたら出てくるよと話してくれた。カメラ持ってくるから、そのときは是非撮らせてください!とお願いしたら快く笑ってOKしてくれた。楽しみが出来た。ついに猫を思うさま撮れるかもしれない。特に野良猫の面構えが好きなので嬉しい。
警戒心が強くなっている母猫の心をいかに開いてもらおうか、今から貢物は何にしようと考えている。

過眠と過食で殆ど何もできない毎日だった。寝ているだけで飛ぶように日が過ぎていって、正直今日が何日なのかよく分からない。
昨日までベッドの上で干物みたいに干からびていたが、今日は色んなことが出来た。外は色彩と音と匂いで溢れていて、相変わらず帰ってくると高揚感と同時に疲労感に襲われる。
昨日まで何十時間も寝ていたせいか、今日は昼寝せずに行動できた。少しずつ上向きになってきている。干物になっていたときに何となくもやもやしていた鬱憤の正体が分かってきた。
好きなことをしようという気持ちが薄れていたからだと思った。
何が好きなのか、やっと分かり始めたところなのに、病気をやり過ごすことにばかり専念して好きなことは二の次になっていた。
青空は、夏の空と秋の空が半々で、太陽は夏の力強さを残していて、風はすっかり秋だった。
私の心も、何かと何かのちょうど間に立っている気がした。
心がちょっと浮き立つ。


○お知らせ○
オンライントマト栽培DreamFarmは、右下に移動しました。通りがかりにお世話してくださる方々、ありがとうございます!花が咲いたっぽいけど錯覚か?はげまし時に出るコメント欄にお名前入れてくださっても嬉しいです。収穫まであと20日くらい。よろしければ是非ご参加ください。

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日々日記 | comment(4) |


2008/09/26 (Fri) 青空の種

実家の庭には、毎年夏には青い朝顔が咲く。
この朝顔の種は、何年も前に亡くなった母の知人がくれたものだった。
知人は、白血病で亡くなった。その年の夏も、真っ青な朝顔が毎朝花開いた。
以来、毎年種を大事に取って、毎年、母が植えていた。


知人の三回忌の年、この朝顔の写真を撮って母が知人の母親に手紙を書いた。娘さんから頂いた朝顔が、今も毎年うちの庭で咲いていますと、綴って送った。丁寧な返事が来た。

美しさや悲しみや、在りし日の楽しかったことや、なくしたものを内包して、季節ごとに花開く。
母は、朝顔を見る度に、綺麗ねと顔を綻ばせたが、その後決まって静かに眺めていた。

ある年母は、もう朝顔は植えないと言った。
家族の誰も、気持ちを察し、母の言うまま、その年は種を取らなかった。夏の庭を彩っていた青い朝顔に、私も黙って別れを告げ、蔓を取ってまとめて捨てた。

2008083005.jpg


それから2,3年が経った。
冬のある日、父が偶然、植木の枝の間に一粒の種を見つけた。
数年前に刈り取った朝顔の蔓が、僅かだけ引っかかっていた。あの朝顔の種だった。

種は、枝の上で、何度もの春と夏と秋と冬を越していた。雨に降られ、風に吹かれ、太陽に照り付けられ、雪が覆いかぶさった日も、静かに枝の上に佇んでいたらしかった。


2008083007.jpg

種が死ぬことは、あるのだろうか。
母は、根負けしたようにその年の夏、庭の土に再び種を埋めた。
数年を耐えてきたたった一粒の孤独な種は、まるで去年も一昨年も朝顔であったかのように、変わらず蔓と葉を伸ばし、たくさんの真っ青な花を咲かせた。

以来、毎年庭に真っ青な朝顔が途絶えることなく咲いている。

この朝顔を眺める度に、生きること死ぬことはあまりに曖昧で、よく分からなくなる。
この種を分けてくれた母の知人は、美しく心穏やかで背筋が伸びた謙虚な人だったと聞く。
血液の癌、白血病で死ぬことは苦しいことだろう。けれど、きっと苦しいだけではなかっただろう。

私の祖母は、肺癌で亡くなる直前まで笑っていた。
癌で苦しみ絶望する日もあれば、癌を冗談の種にして家族を笑わせ一緒に笑った日もあった。
母の知人と祖母の死は、どこか重なって見える。
苦しみは過ぎるとその人の性格まで変えてしまう。けれど、変わらないものも最後には残る。

2008083002.jpg


命は、よく分からない。
運命に無力であるように見えて、力強く過去と今を結ぶ。
途切れたようでいて、次の日の朝、ふいに大輪の花を咲かせる。

いわし雲を見ていたら、真夏の真っ青な空が恋しくなった。
朝顔の色だ。

2008003001.jpg


関連記事
◇祖母の思い出
◇生者の特権
◇癌と生き死ぬこと

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| comment(4) |


2008/09/23 (Tue) Bubbles - 境界性パーソナリティ障害 -

20080923.jpg

午前中は、まだましだった。気を張っていたところがあった。
いつも連絡してくる男友達Hが、今日と明日は連絡できないと知っていたから私は、そうそうそれでいい連絡なんていらない自分の時間が持てて、また楽な生活にひと時戻れると思っていた。

けれど、一度縮まった距離を急に融通きかせようとしても、私には無理らしい。
午後に一度Hにメールをした。しないと決めていたのに、気づいたら送っていた。

Hは、ボーダーの私に振り回されない数少ない男友達の一人で、私のメールに返信した後、「今友達といるから後でか明日か、話せるときに話そうね」とメールしてきた。
私は、そこでやっと我に返った。
メールを送ることも、まして下らないメールなんて最も普段の私が嫌うところなのに、私はおかしいと気づいた。ボーダーの症状に振り回されていることを自覚した。

Hは、巻き込まれることなく、やんわりと私の症状を回避した。そのことに少しほっとした。
構って欲しい、寂しいだけで頭が一杯になっていたが、本当の私はもっと優先したいものがあった。
理性の私は、彼が仕事で徹夜明けなことも知っているし、朝から野球観戦に行っていることも知り、ずっと通っていた行きつけのダーツバーが今夜閉店するから、閉店の翌朝まで店にいたいんだと有休を取ったことも知っている。明日までは、彼にとって大事な時間なのだ。


境界性パーソナリティ障害を持っている全ての人がどうなのか分からないが、私は言葉に固執する傾向があるらしい。
相手が発した、ちょっとした単語だとか語尾だとかに真意を探ろうとして過敏になる。
我に返ってからも、頭の中が混乱し続けた。とにかくメールだとか電話だとか一切手をつけないように決めた。こんなときは、一人になるべきだ。
けれど、今日のメールの中にあった「今友達といるから」という言葉に、私は動揺して理性を失いそうになった。同じく文中にあった「話したい」という言葉にも過剰に反応して、見捨てられたと同時に救われたような、心が両端から引きちぎられるような思いがした。
一緒にいるという友達と私を彼が天秤にかけて、私を見捨てたような気がしたのだった。
けれど「話したい」という言葉に、私への執着を見た気がしたのだった。

疑心暗鬼にとらわれた私の目の前で、メールの文は数限りなくパーツに分かれ、白だ、黒だ、白だ、黒だ、と際限なく交互に分類されていった。
結果的にはいつも恐怖心が先立つ仕組みになっている。
午後には、私はすっかり「見捨てられた」気分で一杯になっていた。
無気力で、何もできなかった。

Hにメールしたときは「漫才を見てるよ。面白いよ」と書いたから、Hは「楽しんでてよかった」と返してくれた。けれど、漫才なんて数十分で終わってしまい、私はテレビ番組にすら見捨てられた。
続いて流れるニュース番組は、どれも結局は真面目になんて取り上げてない気がして茶番だと思った。


死体みたいにベッドに転がっているだけで精一杯だった。
胸の中が渦巻いていた。孤独と不安と見捨てられる恐怖と、いっそ見捨ててもらったほうが楽だからいいやという奇妙な安堵、関係性の主導権を相手に渡してしまう自分の不甲斐なさだとか、数日前にボーダーでおかしくなった私が送ったメール「私の服従心を試そうとしてる」という言葉に、Hが「服従心っていう発想自体持ってないよ」と返してきたこと、色んなことが浮かんでは消えた。


そのうち、心中の渦の底を一瞬垣間見た。
何かしこりがある。
大切な友人のブログで、絵を見た。以来、何か違和感がずっと胸の中にしこりのように残っていて、私はとても重大なことを見落として暮らしているような気がしているのだった。
私は、こうして寝ていることしか出来ないんだろうか。
という単純な疑問が浮かんだ。


午前中に干しておいた洗濯物を取り込み、食器を洗った。文鳥たちの世話をして、簡単なものを食べた。かき氷を作って食べた。一眼レフに取り組むというより手遊びで学ぼうと、何枚か遊びで撮った。掃除機をかけて、拭き掃除をした。
ストレッチしながら、散漫なテレビ番組を眺めた。限りなく下らないようでもあり、それが生活だとも思えた。


呼吸が難しくなって、頭痛が本格的に酷くなり、またベッドに倒れこんだ。
テレビは、つけておくことにした。
いつでも捨てていいなんて言っているくらい、月に1,2度つけたらいいほうなくらい、普段テレビは見ないけれど、今日はつけておこうと思った。
発達障害を持った夫婦について、番組をやっていた。スタジオに来ている当事者の人たちの話を聞いていると、何だかボーダーと似ているところもあるんだなぁと思った。それでも結婚する人たちが大勢いるんだなと思ったが、自分と関わりがないことのようにも感じた。
私は、一人でいることはできないが、二人でいることもできない。どちらも苦しい。

今日は祝日で晴天で、風は涼しく、秋めいていて、カーテンを穏やかに揺らした。風に乗って、河原でやっている少年野球の歓声が聞えてきた。普段は、ここまでは聞えてこない。
子供達の声や、遊ばせてやる父親らしき声、立ち話をしている主婦たちの声、休日返上で働いているらしい工場の音、自転車のベル、色んな音が聞えてきた。
私はベッドに倒れこんだまま、流れ込んでくるあらゆる音が風に運ばれて部屋に入ってきては、空中で霧散するのをずっと眺めていた。
音は、しゃぼん玉のようにわれては消えた。


こうして横たわっていることで失われていくものについて考えた。
私は、病気だ。普段は驚くほど忘れてしまうが、私は病気なのだろう。
だってこんなに苦しいし、こんなに死にたいし、こんなに無気力で空っぽだ。
私は、人間なのだろうか。こうやって生きていて何になるんだろう。
そんな漠然とした愚かな疑問まで湧いてくる。


冷蔵庫に麦茶を取りに行って、立ったままマグカップで飲みながら食器カゴを見た。
洗って置いておいた赤いポットが目に留まった。
一人だから十分事足りる小さい赤いポットは、沈んだ色を部屋に置きたくない私にとってお気に入りのポットだ。
一眼レフを持ってきて、思うままに数枚撮った。
出来なんてどうでもいいんだと思った。私の部屋に、私の好きな色彩がある。
赤いポットは、一杯分のコーヒーや紅茶を淹れるのに最適だ。オレンジ色の鍋は、昨日食欲がまるでなかったから、お粥を作った。オレンジ色も好きだ。
銀色のフォークとスプーンは、潔く冴え冴えと光を反射して、悪くないと思った。


胸の中にしこりがあって、これでいいのかと問いかけてくる。
こんなはずじゃない、何か重要なことを忘れていると訴える。段々に強くなる。
大切にしていた何かを、今の私は怠っている気がする。何ヶ月も、もしかしたら今年ずっと怠っているかもしれない。二番目にするべきことを一番にして、逃げている気がする。
楽しむことを忘れている。生活の些細なことや、言葉のひとつひとつや、作品のひとつひとつ。頑張ることにばかり専念しようとして、楽しんでいない。
だから、「私」という存在から体臭がしない。
好きなポットや鍋やスプーンやフォーク、好きな柔軟剤の香りや掃除、どれも好きだったはずなのに、今の私の目を通すと随分と色褪せている。

カメラで、懐かしい色を再現してみた。
苦しくても悲しくてもみっともなくても、たとえば、この一見くだらない彩りや物を、心から愛して生活していたい。そんなふうに暮らしていたいと思っている。
簡単に消えて、簡単に見えなくなり、簡単に聞えなくなるけれど。



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境界性人格障害 | comment(6) |


2008/09/21 (Sun) 人様に頼りっきり オンライントマト栽培

オンライントマト栽培 DreamFarmというブログパーツを、右欄下に設置しました。収穫日まで30日間、設置します。

成り行きで気がついたら芽が出てました。
通りすがりの方々が、お世話してくださってたようで、数日経って今気づいたわたし。

最初は広告表示されるので右上の×で閉じたら、今のトマトの様子が見れます。見れるみたいです。どうなってんのかよく分からへんけど育ってるわぁ。
「はげまし」をいただくと育つ仕組みらしいです。収穫もできるらしいです。
自分の苗は自分では、はげませないらしい。
何でも人様の手を借りることが苦手なACみとりには、一種精神修養のようなブログパーツ!
みなさま・・・応援よろしくお願いします。
一言メッセージもついでに頂けたら喜びます。大層喜びます。(一応二回言うてみる)

このブログパーツは、リンクさせていただいてるブロ友まほさんのところで、興味を惹かれて、はげまし参加させて頂いたのがきっかけになりました。
まほさん、ありがとう。

※そのうち右カラムに移動させるか、一度表示引き上げるかするかもしれません。
重いブログは、気軽に足を運びにくそうな気がしますので。

リアルタイム呟き(ほとんど無駄話)ツイッターも、密かに呟いてますので、どうぞよろしく。
このブログの右下のウィンドウか、過去ログ全て見れますここ→http://twitter.com/mitorin
ツイッターは、リアルタイムなので症状が出ているときも、そのまま呟いてます。


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大阪駄文 | comment(10) |


2008/09/20 (Sat) 壁の国 ? 解離性障害 ?

朝から鬱が酷かった。
そんな日は3日に1度はあるので、気にしないことにした。気にしないことにしたところで、苦しいことに変わりはないのだが。

何も手に付かず、コメント返信だけは出来た。
あとは、眠ることも出来なかった。
今朝方に見た夢が忘れられなかった。これもまた気にしないことにしていたのだが、頭にこびりついて離れてくれなかったらしい。

過呼吸とパニック発作を起こして、それでもボーダーの症状にだけは勝ちたくてメールを絶った。そうしたら、ものすごい孤独感に襲われた。
寝逃げするしかないと思ってベッドに仰向けに倒れこんでいたら、夢のことを思い出し、胃が腐れ落ちていくようで、たまらず吐いた。

Hは、今朝からまた野球の試合に出て行った。惨敗だったそうな。メールを明るく返したが、一度が限界だった。メールを返してこない私にHも何か感じたのか、以来メールが途絶えた。

自分で誓ったとおり、私は一人で戦っちゃいるが、こんな日は正直言って一人はきつい。
でも、ここに誰かいたとしたら、私は躊躇わずリストカットするかもしれない。私を一人にしないでと泣き喚き、今目の前にいる誰かではなく、過去に向かって延々憎しみと怒りと悲しみを吐き捨て続けるだろう。

数日前にボーダーでぶっ倒れたときに、その後なのだか知らないが足の裏を真一文字にカミソリで切ってあった。すごい血が出ていて、掃除が大変だった。歩かない限り足の痛みはさほどでもないが、傷跡から見る思い切りの良さには薄気味悪さを感じる。床に放り出してあったカミソリには、血液が大量についていて、パリパリに乾燥していた。その勢いで誰に刃を向けるか分からず、切腹の真似事癖もあることだし、止めに入った人間が怪我をする可能性が高い。実際、N氏は私を止めようとして手を切りかけた。

攻撃性たるや物凄いもので、二日前もボーダーと解離でHに迷惑をかけた。普段の私とは全く違うらしく、初めて解離した私に接したHは「ダークサイド」と人格に名づけた。後で聞いた。
気がついたら、私はHと話していた。Hは「美鳥が戻ってきた」と言って喜んでいた。声や話し方やトーンが変わるから、戻ってきたのがすぐに分かるのだという。変化と同時に、起こしかけていた過呼吸も起こさずに済んだらしく、良いのか悪いのかまるで分からなかった。

なぜHと話しているのかも分からず、彼に状況を一から説明してもらった。
対応してくれたHに感謝したが、私は尚更一人で生きるべきだと思った。何をやらかすか分からない。迷惑をかけたくない。私自身のために、自分に許せない。散々同じ失敗を繰り返し、自分に失望し、他者に失望し、自分も誰も傷つけてきたから。



記憶に、ぱっきりとした壁があって、これがゼラチン板のように、柔らかくなったり、乾いて固くなったりする。今、向こう側とこちら側がある線ではっきりと隔てられていて、婚約者とのことを日に何度か思い出す。割とクリアに思い浮かべることができる。その向こう側は分からない。「あや」と「スーちゃん」の境に頑強な壁が出来ていて、向こう側、あやの記憶や感情が流れて来ない。だから、何とか一人で生活を送ることができている。

最近、婚約していた男のことを思い出す。もはや、顔も名前も何もかも曖昧だ。船橋に住んでいた時期があった。私が住んでいたのか、何だか分からない。名前は「スーちゃん」だった。スーちゃんは、婚約者と千葉に住んでいた。そのことを考えると、また私は自分が誰だか分からない。

少し前にN氏と電話で話していて、私の過去のことを時系列に彼が纏めようとした結果、全てはほんの数年以内に起こったことらしいことが分かった。
そうなんですか?と驚いた。私にとっては、遠い遠いこと、壁で隔てられた足を踏み入れたことのない異国の歴史のように感じる。特に「あや」について。


今日一日の良いこと探しなんて反吐が出るが、「私」があやの男の夢を見て、「私」があの男と夢の中で対峙していたことが、まだましだった。
たまに、あやが見ている夢が、私の中に流れ込んでくることがあって、無理矢理に見せられた夢は朝から胸が悪くなる。
私が見た夢であれば、私の領域をちゃんと確保できている実感が持てる。
仕組みは今だよく分からないが、壁は、ちゃんと維持されているのだ。


カウンセラーから手紙が来た。もう2ヶ月も行ってないらしい。電話で一度話しませんかと書いてあった。どうしていいのか分からない。
別にかかっている医者から別のカウンセラーを紹介しましょうかという話が先週出た。病院にも行かなければならないが、予約をいつ取ったかが分からない。調べる気力がない。
催眠療法の話も出ている。受けたいような気もするし、何もかもを取り出して投げ出して散らかして私が生き埋めになりはしないだろうか。この話は流れそうだ。

あやを庇護するべきなのか分からない。私が庇う必要があるのか。
私は、あの男は死んでもいいと思っている。生きている限り、姿を現す可能性が高い。何があっても何度ふられても、身を立て直してあやにプロポーズに来るらしいから。
こちらの言も都合も完全無視して、身勝手で自己満足な誓いを立てる人間など、不愉快だ。
私の夢に出てきたのは、なぜだろう。



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解離性同一性障害 | comment(7) |


2008/09/19 (Fri) なくした言葉が舞い戻る

鬼のようにコメント返信をいたしました。
楽しかったです。
大変長らく不調で、ご迷惑、ご心配おかけしました。
反動で、普段から喋りなんですが、コメント欄でこれでもかと喋り倒しています。コメント下さった方々、ありがとうございました。探すの大変、もしくはもうどこに書いたか忘れてるよとお怒りかもしれませんが、どうぞご寛恕下さい。

普段の私は、ボーダーの症状いわゆる見捨てられ不安に苛まれる時期が数日単位で存在し、平常心で過ごせる日がその数倍という状態です。その他の、えらい動悸とか、強迫性障害とか、パニック障害、過呼吸、過食の日があったり、昨日は足をまたズバッと10センチ位切られていたわけですけど、そういう解離とかPTSDとか、諸々は継続されている状態です。いちいち書いていてはきりがないという病名数なので、かかりっぱなしなのでした。何が苦痛で、何が日常なのかも、正直よく分かりません。分かろうが分かるまいが、日常なのでしょう。


希死念慮は、薬のお陰で殆ど湧いてこなくなりました。今で、月に1,2度で済んでいます。勿論死なずに済んでいます。薬が効いているのだと思います。

ただ、ここ数日の私は、数十分単位で精神状態が大きく揺れて、もう大海の大荒らしに揉まれる笹船といった様相を呈しています。これはこれで、何かきつい。

でも、この笹船状態にも、悪くない面があるのです。
日単位で落ち込んでいると何も出来ず寝逃げして何日経ったか分からないということも多々あるものの、一日の間で何度も落ちたり上がったりをするので、ちょうど平常心という隙間が生じるのでした。
この隙間利用により、コメント返信が可能になり、ブロ友さん宅へ遊びに行ったり、ハンコを彫ったり、あまつさえ切って焼く程度の料理は出来たり、今日の昼などは、足切られてまたも人魚姫気分でしたが、その足で歩いて買い物に行けました。

ガスが停められそうになって三か月分まとめて支払ったり、NTTから法的手段を取りますよ払いなさいという脅迫状督促状が来たりとか、そういういつものまだお(まるでだめなおんな)パターン、ヘコむようなこともあったんですが、概ね症状の隙間利用により、なんとか生活をこなしています。


日々考えることは尽きず、感じることも尽きません。書きたいことも幸いなことに尽きたことなく、関わっていきたい人、手を携えて行きたい人が少しずつ増えていく日々です。

現実の世界で何が私に出来るのか。そのことを、最近よく考えます。
東京で第一回目を立ち上げた<神経症・人格障害者相互QOL支援コミュニティ>を、機能性高い持続力のある磐石のコミュニティに作り上げるには、どうすればいいのか、具体的に考え続けています。
参加者全員の持っているその人らしさが自然発揮でき、それぞれの病気を抱えながらも互いに実際の生活の質に自然と目が向き、苦と楽の両方でバランスよく繋がり続けられるコミュニティを目指しています。願わくば、当事者の周囲の家族や極近しい恋人にも理解を訴えていけるような会。訴えられるだけの発信力がある会。想像するのは簡単ですが、行動しやり遂げられなければ、こればっかりは机上の空論で終わってしまいます。

想像するだけで行動しない人生は、もううんざりです。今まで、苦しいと思っても苦しいと表現すら出来なかったし、怪我をしても手当てすらろくにしませんでした。自分をいたわるという発想が一切ありませんでした。好きでもない人のために必死で共感し行動し、自分の人生は横に捨てたまま、好きか嫌いかも分からない人のためにだけ生きていました。私の人生は、始まっていなかった、死んでいた、生まれていなかったのだと思います。



少なくとも私のブログにリンクさせていただいている方達は、殆どがそれぞれの病と闘病されています。病気は、私が理解できるものもあり、私が持たない病気は勿論、残念ながら想像の粋を出ません。しかし全員、誇るべき戦友です。半分以上は、実際にお会いして良い友人付き合いをさせて頂いています。リンク以外にも、実際に会ってくださり、色んなお話をしたり笑ったり泣いたり、共感したり、理解が及ばない自分に気づかされたり、何より実際に生きているのだと、その存在そのもので励まされてきました。


ブログと現実を、私は一切分けていません。現実だと思って書いています。
ブログを始めたときから、ネットはネットに過ぎないと考えてきました。このパソコンのモニターの向こう側へ行かない限りは、私の言葉、行動、信念も、誰かの言葉、行動、主張も、どれも最終的な説得力を欠いてしまうと感じてきました。
プライバシーの問題から個人情報を具体的に公表できない分、せめてありのまま書いてきました。
会ったときに「ブログと違う」と言われたら、それは私が嘘をついているのだろうと思い、誰とも会ったことがない頃から「ありのまま。ありのまま」と自分に言い聞かせてきました。

実際に私に会ってくれたブロ友たちが、どんな印象を抱いたのか本当のところは分かりませんが、大抵会うなり普通に話し始めて、何だか違和感全くないね、と笑いあうのが恒例になっています。


今、私は数十分か1時間か、もしくは2時間か、苦しみと苦しみの丁度間にいて、平常心で書いています。楽しい作業です。読んでくださる方がいらっしゃると思うと、それだけで嬉しいです。
コメント返信を久しぶりに書いていて、本当に楽しいなと感じました。人間が好きだと思いました。

勿論、相容れない人もたまにいます。私は病気とリラックスすることと寝ることと薬を飲むことと、せめて掃除をすること、友達と話すこと、勉強すること、本を読むこと、何より文章を書いて写真を撮ることなどに忙しいので、正直どうでもいいレベルです。
今までの私は全ての非難を受け入れようと必死でした。今までとは、多分数年前、ブログを書き始める前の私です。随分と時間を無駄にしてきました。何より精神力を無駄にしていました。無意識に、非生産的なことに自身を注ぎ込み、注ぎ込み続けなければ身の内の絶望に内側から食い破られそうでした。必死でした。

ブログを書き始めたとき、私は一体誰に向けて何を発信すればよいのか、一体こんなブログを誰が読んでくれるのだろうかと疑問でした。
しかし、私はものを書くときは常に「ドSでいよう」と心に決めています。
誰かに伝えたいことがあるのなら、おどおどと誰かの顔色をうかがったり非難を恐れたり、何を書いて何を書いたらまずいだろうとか、強いものに巻かれようか、弱きに擦り寄ろうかなど考えていては、書く価値はないと思ってきました。

時間が足りないこと、体力が足りないこと、病気であること、外出できないこと、お金がないことが、何より足枷になっています。でもこんな足枷は、健常者も全て持っていると思います。私が働けていた頃は、毎日が働くためだけに存在していて、重い体を引きずって帰ってきては流れ作業でシャワーを浴び、翌日のお弁当を作り、ちょっとメールチェックしたら、もう寝なければ朝起きられない時間です。そしてまた翌日職場に出かけ、たまの休みは、せっかくの休みだからと必死で動き回っていました。もしくは、死に体で部屋に引きこもっていました。


私が死んでもやりたくないことは、「病気に感謝する」というありがちな感謝です。これだけは、私の病気の原因や理由、今も同じような状況で戦ってらっしゃる方達の苦しみを思うと、多少アッパーな気分になったとしても、病気よありがとうなんて口走りたくありません。


けれど、こうしてブログを書き、共感してくださる方と言葉を交わせたり、実際にお会いできたり、電話で話したり、そして私が知らないところでただ読み続けてくださる方がいらっしゃったり、感謝せずにはいられません。


克服した病気の中で「失語症」、この病気は今だ思い出しても辛く、誰に話すときも、ブログに書くときも泣かずに話すことが今だできません。
そのときに失った言葉を、今こうしてここに書き、誰かに読んでもらえることが奇跡だと思います。


徒然と書きました。
思いつくままに書きたくなりました。
コメント欄では、いつも書いて読み返しもしない、出来るだけ喋っている状態のままにしたいので思いつくまま書くという方法をとっています。
そんな感じで今日は、記事を書いてみてもいいじゃないか、と思ったのでした。
モニターの向こう側のあなたへ。
末文までお付き合いくださって、ありがとうございます。



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日々日記 | comment(4) |


2008/09/18 (Thu) 形から入ります。冬に使えるアルパカはんこ - 消しゴムハンコ -

大阪には、抜く草がないのですよ。趣味の一つが草抜きの私には、その点で過酷な環境です。頭の整理をするのに丁度よい作業だから。
しばらく草抜きをやってないせいか、先日手が震えるわ、そわそわするわで精神を衛生的に保つべく、久しぶりに消しゴムハンコに取り付かれてみました。

2008091801.jpg
インクを集めてます。単純に集めてます。インク高いんだなー。でも持っているだけでカラフルさが幸せ気分にしてくれて、大変重宝します。特に、何でも形から入りたい私は、インクをズラーッと並べたいんですね。この画像は、私が悦に入ってる画像です。札束とかあんまり興味ないんですけど(貯める前に使いたい人なので)インクとか絵の具はズラーッと並べたいです。色の名前を見てるだけで楽しいです。


消しゴムハンコから離れてちょっと久しいので、スパンもあることだし何を彫ろうかなぁと、しばらく図案集をめくって、「そうだ!アルパカを彫ろう!」と決定。
寒くなってきたときに、色々使えるなぁと思ったのでした。
使うインクを変えれば、紙にでも布にでもガラスや陶器にも押せてオリジナルグッズが作れる点が、ハンコの最大の魅力かと思います。
毛糸の靴下やマフラーに使えるアルパカはんこが目標。

1時間くらいで彫りました。久しぶりなので出来が不安でした。けれど、いつも彫りっぱなしで友達にあげちゃうか、一度も押さずに次を彫るといった感じで、彫ることが目的なので押したことが殆どなかったです。けれど、今回ツイッターを見てくださった方がアルパカハンコ見たいとメール下さったり、コメントくださったり、ツイッター見てくださってるだけで感激でして、公開してみますことに相成りました。


アルパカハンコ
2008091802.jpg

本当は、綿布に押して、マフラーのタグのように縫い付けたりすると可愛いんだけども、根がおおざっぱなので、プレゼント用紙バッグの端っこにペタンと。

ちなみに、消しゴムハンコをされたことのない方は、ふーんと思われるかもしれませんけど、これ大変でした。印字されている部分が凹凸でいうところの凸部分です。ハンコで線を描こうとすると、ミリ単位で線を残して、それ以外は削り落とすのですね。アルパカの毛並みが・・・っ曲線の連続がクラクラしました。消しゴムハンコの中では、これが中級くらい・・?
文字とか、ふざけてんのか彫れるわけないやん無理無理とか毎度イライラしながらも、きっちり丁寧に彫ってしまう悲しい性A型。むしろ難易度が高ければ高いほど燃える負けず嫌い。意外と長続きしているのは、ハンコの世界が奥深いからかもしれません。
ちなみに負けず嫌いゆえ、今では彫れないものはないと豪語できるまでに、立派なハンコマニア(彫り専)に成長しました。

読者の方に、「ナンシー関さんの影響ですか?」と訊かれました。皆さん、案外ツイッターの呟きを御覧いただけているようで、密かにブログとは違う方針で設置しているツイッターなので、見てくださってありがとうございます。
「消しゴムハンコが趣味のひとつ」と答えると、必ずそのご質問を頂きます。リアルでもよく訊かれます。
ちなみに、消しゴムハンコをはじめた契機は、ナンシー関さんとは関係がございません。逆に数年前、あまりに同じことを訊かれるので初めてナンシー関さんを知りました。私が知ったときには、ちょうど亡くなられた頃でした。消しゴムハンコ=ナンシー関さん というほど有名な方だったみたいですね。今はメジャーになった消しゴムハンコですが、パイオニア的存在だったのでしょうか。


2008091803.jpg
先述のようにハンコといっても、使い方は幅広いです。今回のように布用インクを使うと布地にも押せます。私の洗顔用どうでもいいヘアゴムに押してみました。横に伸びるので後から気づいたんですけど、装着したらアルパカがダックスフンドになります。マイガッ。アルパカじゃなくて、ダックスって彫ってればよかったよ。最初から狙ってたっぽくすればよかった・・・。


レースハンコ
2008091804.jpg
ハンコは繰り返し押せるので、これは1レース(←単位が分からん)だけ彫って、何度も横に押していってズラ?ッとレースに見せかけるというハンコです。一番最初の画像のアルパカの横にあるのが、レースのハンコ。これ1個でレースが出来ちゃいます。
一番小さい穴は、シャープペンシルでプスプス刺していっただけです。
普段は、漫画のスクリーントーンを削るときなんかに使うデザインカッターと丸刀で彫ってます。
図案が細かければ細かいほど、デザインカッターが大活躍してくれます。


形から入りたい人なので、まだ消しゴムハンコ1個しか彫ったことがない頃、デザインカッターがプロっぽいというだけで無性に欲しくなりまして、しかし「デザインカッター」という呼び名が当時分からず、とりあえず彫刻刀セットを買ったんですが、やはりデザインカッターがないと気分が出ないっていうか、デザインカッターがないと私の腕が存分に発揮されない、道具がよくない、あたら才能をむげにしてしまう、いかんそれはいかん、と考えまして、画材屋にまで足を運びました。

画材屋は、いつ行っても楽しくてドキドキしますが、何だか劣等感も刺激される場所です。
私が行った画材屋には、鉛筆みたいに細くて神経質そうでウンチク好きっぽい黒ぶちメガネ男性スタッフがいました。
消しゴムハンコ彫るから、彫刻刀じゃなくて、ほらプロが使うアレ、あんなんあるやん、ああいうの出せ、と催促しましたら「消しゴムハンコなら、今お客様がお持ちの彫刻刀で十分ですよ」と言い張って、なぜかなかなかデザインカッターを出してくれなかったのです。「皆さん、彫刻刀で彫ってらっしゃいますよ」と言われまして、「皆さん」て誰だよと自意識過剰な私は、大変ムッとしました。(←被害妄想)

なんだ消しゴムハンコ馬鹿にしてるのですかとカチンと来ましたけど、欲しいものは欲しい性分でして、そういうところ聞く耳持たないので、いいからアレよこせという私と、デザインカッターっていう名前すら知らないお前ごときに売りたくねぇよといわんばかりの黒ブチメガネ店員と軽く揉めました。そこらへんちょっと嫌な空気になったんですけど、無事デザインカッターを入手しました。
帰りは、すごく幸せでした。デザインカッターを手に入れた喜びというよりも、今こうして思い返せば、あのスタッフからもぎ取った達成感が大きかった気がするのですが、気のせいでしょうか。


漫画のスクリーントーンなんかも、これで切ったり削ったりできます。スクリーントーンとベタ塗りの作業も大好きです。漫画を描いていた友達のをよく手伝ったものですが、天職じゃないのかと思いました。元来、俯いてみちみち作業するのが向いてるのかもしれません。


こうして写真に撮ってみる機会がなかったので、今回気づいたことですが、ハンコを押したものを撮影するのは案外難しいですね。何せ平面だから味気なく映ってしまう。
しかし、こうして公開できる場があるのだったなぁと気づいて、新鮮な気持ちです。
この消しゴムハンコの趣味が高じて、図案自体を自分でデザインしたいと思い始め、イラストの勉強を始めました。インクも山ほどあることですし、力作のハンコも既にいっぱい彫ってあるので、また機会があれば、こちらでアップしてみたいと思います。


何冊か消しゴムハンコの本を持っています。今回は、こちらの作家さんの図案をお借りしました。

またまた、消しゴムはんこ。 (セレクトBOOKS) (セレクトBOOKS)またまた、消しゴムはんこ。 (セレクトBOOKS) (セレクトBOOKS)
(2006/07/01)
津久井 智子

商品詳細を見る


ハンコなので、もちろん手紙の隅に押したり何度でも何にでも使えます。作家さんたちが最近発表されている作品は、パーツごとに色彩をかえて重ね押しして完成するものになってきてます。
アイディアとデザインを競う作家さんたちのプロ根性を垣間見ることができる、楽しみな世界でもあります。消しゴム(ハンコ用ハンケシくんがおすすめ)、彫刻刀、インクまでついたスターターキットも売ってます。手軽に始められて完成が早いので、楽しいですよ。


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ハンドメイド | comment(14) |


2008/09/17 (Wed) ひまどうふ

前々から書いてみたい記事がある。
境界性パーソナリティ障害者同士の友情関係について。

ブログから始まり、今やリアル友達となった【道草日和】のhimaちゃん(通称:ひまを)とは、同じパーソナリティ障害、特にボーダーを抱えている点で悩みも重なるが、障害も重なるために、当初は多少の不安を抱えて付き合いをスタートさせることになった。私自身がボーダーなのに、こんなことを言うのはおかしいのだが、ボーダーに対する偏見があった。仲良くなれば破綻する、と。
しかし今や、大の仲良し。病気の話などから入ったせいか、バカ話から真面目な話から普通話さないようなことまで、てらいなく話せる。縁とは、不思議なものだ。

彼女が大阪に遊びに来てくれて、その日にうちに泊まるという暴挙も何なくクリアし、前の東京滞在では何泊も泊めて貰った。コミュニティのオフ会をスタートさせるのに本当に色々力になってくれたし、私が突然ぶっ倒れる、フラッシュバックで過呼吸起こして失神して解離して、散々迷惑をかけたのに変わらず付き合ってくれた。

方法にもよるが、心の病気を抱えた者同士が支え合おうとすると、色々と困難だ。そこは人間同士だし、心に傷を持っているとトラウマが重なったり、転移したり依存したり共依存関係に陥ったり、誰かの鬱が自分にうつったり、その逆も然り、ナイーブな関係になる。

ブログというネットの世界を越えて、現実の世界で支えあえるコミュニティを運営し続けていく上でも、一度ぜひきちんと書いてみたいテーマだ。


今回は、とりあえずそういうのは置いといて、ひまをの家に泊めて貰った時、彼女が作ってくれた最高のレシピをご紹介。


感激した。何だこの酒がいける完璧な味は!と思い、材料や作り方を聞いたが、至って簡単。簡単で美味いものって、文句なく素晴らしい。今や、これを作るために私のうちの冷蔵庫には、アボガドとキュウリと豆腐が常備されている。

作り方
アボガド 1個
キュウリ 1本
豆腐   小パック×3
ポン酢  適量(ちょっと多目がおすすめ)

アボガドとキュウリを乱切りにし、食べる15分ほど前にポン酢をかけて置いておく。豆腐に好きなだけのせて、ポン酢を上からかけて、出来上がり♪
ひまをが考えたオリジナルレシピらしいので、ベタだが「ひまどうふ」と名づけて、毎日食べている。アボガドは栄養価が高くてお肌に良いので、女性にも最適なメニュー。
ちなみに、アボガドとヨーグルトを混ぜて顔にパックすると、すべすべになる。


ある日のひまをパスタ。
2008091302.jpg
冷蔵庫の中にあるもので作ったと言ったけれど、パプリカの赤と黄色が綺麗で野菜とキノコたっぷり、トマト缶で煮込まれた絶妙な味だった。栄養もたっぷりだ。これも、ペロリとたいらげた。私が寝ている間なんかにパパッと作ってくれていて、起きたら上げ膳据え膳のもてなし。
ひまを、嫁に来い。と言ったけど、肝心の返事が何だったか忘れてしまった。何だっけ。

慌しく毎日が過ぎて、なかなか書けないけれど、たくさんの会ったこともなかった人たちに御世話になった。そんな今年の真夏の東京滞在中、食生活が安定してたなぁと思うにつけ、ひまをの手料理を思い出す。

関連記事(ひまをと大阪観光記)
◇なにわバカンス
◇毒舌女×2 in 大阪
◇大阪骨董市は喋り倒して値切り勝ち
◇毒舌女コンビ 大阪のメッカ難波で遊ぶ
◇たこ焼き羊羹はアホの勲章

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日々日記 | comment(10) |


2008/09/16 (Tue) おやすみなさい。また明日。

昨夜、ボーダーで失敗して生き地獄を味わっていた。一晩中。
以前と違うのは、やけくそなのか、多少学習したのか、とりあえず死なないように心掛けること。衝動が起きても、とりあえず私の部屋の階5階からは飛び降りないこと。なんかそんな阿呆みたいな心がけを、どうにか維持する。

朝食を食べたら、すぐにベッドに入った。起きていても、碌なことを考えない。頭痛も酷いし心臓も相変わらず心因性の何たらでおかしい。自分からメールするなと言った相手からは、当然メールが来ない。来ないことが不自然に思えて、一体私は何がしたいんだと自己嫌悪を通り越して、自分への嘲りや呪いに変わるから、とにかく眠ることにした。

幸いピンチを乗り切るべくなのか、過眠症という味方がついている。病気が味方というのもおかしいが、心の病は突き詰めれば自己防衛機能が働きすぎている状態といえる。眠剤も頓服も、こんなときは一切必要ない。何時間でも睡眠可能。昏々と眠り続けた。
昼食の時間に起きて、昼食を食べた。また眠った。
3時ごろ、ブロ友さんからのプレゼントが送られてきて目が覚めた。何だこの可愛さは!と虜になってしばらくカメラで撮り続ける。メールするなと私が言ったくせに、舌の根乾かぬうちに嬉しくてプレゼントの画像を友人に写メールで送りつける。

また強烈な眠気に襲われて、悪夢の泥沼に沈没した。
何年間も続いている夢のストーリーは、新たな展開を迎えた。私が変化している。

目が覚めて、友人からのメールを見た。何度かメールを交わしているうちに電話で話すことにした。自分の病気について、きちんと説明が出来た。多くを説明せずとも分かってくれていた。私にとっては、現段階では十分すぎるくらいに。
けれど「分かる」とは決して言わない人だ。人が持つ多面性や深みは、どこまでいっても不明だと知っている人だ。それでよかった。利口な人ほど他者を尊重し、謙虚で無駄口は叩かないものだ。それでこそ互いを尊重するに値する。


ブロ友さんから頂いたプレゼントが今日届かなければ、何か違う展開になっていた気がする。一点も光が見えなかった私から、アクションを起こしたくてもどうすればいいのか分からなかった。せいぜい悪夢で唸っているだけが精一杯だった。
感情が5分単位で激しく変わる。同時に現実の私の生活も体調も何もかも5分単位だ。
昨夜は死に掛けていたが、今日は午後から助けられ、そしてとりあえず今のところ明日は生きているだろう。

ちょっと足取り乱れて心乱れた方が、表現したい私には丁度いいのかもしれないと思った。私が耐えず揺らぎ不安が襲ってくるから、足元を固めようと散り散りになった自分を探す。最近は、悪くない確率で自分が見つかる。見つからないときもあるが、そんなときは時間が過ぎるのをじっと耐える。

私のやけくそとポジティブは、いつも紙一重だ。
友人のお陰で半日で自分が見つかった。戻ってきた。
けれど、彼ら彼女らが何か特別なことを考えているわけじゃない。彼ららしく生きていることが、結果的に私を助けてくれることがある。
ありがとうと伝えるには、ちょっと違う気がして、私は私が出来ることを明日もしようと思う。



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日々日記 | comment(2) |


2008/09/15 (Mon) 天涯孤独の指先



特定の男が、私の生活に丁寧な点を残す。
一人で生きていくと決めた私には、きっと不愉快なことだ。

今どこにいるだとか、何をしているだとか、今何を食べてるだとか、そんなことどうでもいいじゃないか。
今日仕事がはかどらなかった、帰りにバーに寄った、友達の野球チームで先発ピッチャーやった、そんなことも、いちいちどうだっていい。

私の生活は丸く丸く閉じられていた。ようやく完全に閉じられようとしていた。
歪な円は、外側からの刺激によって、へこんだり、くぼんだり、裂けたりするが、それを何度も何度も意地で綻びを縫い付けて、私という人間だけを中に閉じ込め、空気を入れて膨らませ、誰も入って来られないように閉じてしまって、その中でのうのうと暮らす計画だ。

天涯孤独と誰かは言うかもしれず、一人が気ままでいいと誰かは言うかもしれない。
良し悪しは、私自身は分からない。ベストではないが、ベターだ。今の私が取れる最善の防御法だ。


下らないメールが、私の生活に一点、一点、点を残す。
一人本を読み、ブログを書き、一人発作を起こして気絶し、一人で起き上がり、買い物に行き、過食し、3日は絶食したり、ふいに泣き出したり、記憶が飛んだり、足が血まみれだったり、血まみれの床を掃除したり、友達と会ったり、電話したり、何かを作ったり、写真を撮ったり、薬を欠かさず飲んだり、そんなことをして生活している。
その中に、なじみのなかった点が刻印される。容易に消えない。

大して興味もない読みかけた本に似ている。何となく先が気になる。一行読めば、次の一行も一応読んでおきたくなる。そんなふうに、私の意識は点から点へ辿り始める。知らないうちに点と点を繋いでいることに気づく。次の点が刻まれるのを、心待ちにしている自分に気づく。
いつの間にか私の生活は私だけのものではなくなり、他者が入り込んでいる。

閉じかけていたものを、無責任に壊すのか、と怒りを持っても、相手が入り込んで来るんじゃない。点を追いかけているうちに、自分の足で外に彷徨い出ただけのことだ。

連絡が来る度に私は、笑ったり泣いたりしている。感情が色んな方向に揺れては弾む。
次の瞬間、不愉快な動悸で咳き込む。
パニック障害の予期不安にも似ているから、とにかくベッドで眠ろうとする。努力すればするほど、動悸は酷くなる。
私の体は、おかしい。
今に始ったことではないが、こんなに動悸で生活が困難になると思っていなかった。心臓が痛い。動けない。息をしているようで、息が出来ない。

医者は、検査した結果、完璧な健康体だと言った。俄かには信じられなかったが、太鼓判を押され、納得するしかなかった。心因性のものらしい。


点と点が線を作り、その描線が期待はずれに美しく楽しく、そしてどこか歪で人間臭く、ピカソのエッチングのように艶やかで鮮やかな軌跡を描いた場合、線を辿りたい、どこへ辿り着くのか自分の目で見てみたいと思う衝動は、理性で止められるものなのだろうか。


待つのは大嫌いだ。
私が一人でいられなくなるから。
けれど、適当にスプーンで混ぜて作ったラッシーを飲みながら、ぼんやりと今何をしているのだろうと考えている。考えること、想像をめぐらすことは、待つことと同じだ。私の時間が、特定の男に奪われる。返してはくれないだろう。時間はいつでも、感情と引き換えに奪われるものだ。待つのは大嫌いだ。もう誰にも、私から何一つ奪わせてやらない。


窓の外に目をやると、向かいの電柱の天辺でカラスが羽を休めて、こちらを見ていた。黒い嘴と丸い背中と二本の足が、霧雨の中、ぼんやり霞んでいる。
もう何度目か分からない決意を固める。
私は、もう何一つ奪われたくはない。与えられて奪われる位なら、最初からそんなものないほうがいいに決まっている。

グラスの中で氷がゆっくりと融けて丸くなる頃、聞きなれた着信音が聞える。
見慣れた名前。ありふれた、どうでもいい言葉の羅列。けれど、追いたくなる点の連なり。
思わず指でなぞりたくなる。さっきの決意は、すぐに戒めに格下げされている。
苦しいのか、楽しいのか、追いたいのか、逃げ出したいのか分からない。
息ができないのは、そのせいだ。



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境界性人格障害 | comment(4) |


2008/09/14 (Sun) さめざめしてる君に歌う

友人Hとは、よく依存や人と人との距離感について話す。
そういう話題は、私にはかなりヘビーだ。
心理的距離が縮まってしまうじゃないか、と会話自体が怖くなる。似た考えを持っていると知ると、ますます怖くなる。共通項を見つけると人は親近感を持つものだが、私は逆に恐怖が増す。
そのせいで気が合うHと話している最中に、これまで解離したこと2度、フラッシュバックで泣き喚いたのが4,5度、情緒不安定で突然泣き出すのも数度。

私は極力迷惑をかけたくないからと、具合が悪くなるとすぐに会話を切り上げることにしている。
突然切っても構わないとHも言う。
ボーダーの症状が出ると、優しい言葉をかけられれば攻撃に転じるし、拒絶や傍観の姿勢を感じると見捨てられ不安で死にたくなる。Hは、具合が悪くても付き合うよと当初言ったが、具合が悪いときに付き合われると私が相手に依存し始めそうで怖いからと断った。
分かった。理解しているから美鳥の都合で途中で電話を切っても自分は全然構わない、安心して切っていい。あとで謝る必要もない、とHが言ってくれた。
私の状態が悪化すれば、すぐに電話を切って距離を取る。それが、とりあえず今できる最善策だ、と合意している。
私が頼んだわけでもないのに、私の人格と、境界性パーソナリティ障害の症状を分けて見てくれているらしい。私がしたくて攻撃したり試したり泣いたり喚いたり死にたくなったりするわけではないことを、なぜか自然と理解してくれている。


昨日は、彼の子供の頃の話を聞いて、フラッシュバックを起こし、過呼吸でぶっ倒れた。
Hの親が、目の前で自殺しようとした時の話を聞いた。告白するように、突然彼が話し始めた。心の準備がなかったことが致命傷になった。
「親が自殺しようとしていたのを見た」と聞いた途端に、感情の制御が利かなくなった。息が出来なくなった。
3分に1人自殺で亡くなり続けている日本だ。私にとっても珍しい話じゃなかった。けれど、フラッシュバックに耐え切れず電話を切った。後で考えれば、Hにとって大切な話の途中で切るのは、Hを過去の記憶の中に一人置き去りにしてしまった気がしたが、どうしようもなかった。
数時間後に繋がった電話で謝った。一人にしてごめんと。Hは切ってくれて構わなかったと言った。自分にとっては過ぎたことだけれど美鳥にとっては何かがまだ過去のことじゃないんだな、と言っただけだった。
近すぎず遠すぎない関係が、心地よいと思った。


私は、人との距離が縮まることを極度に恐れるようになった。自分のボーダーの症状を自覚し、何年も足掻いた結果、そうなった。回復の過渡期だと思っている。
今の私は依存が怖いし、もうこれ以上自分のボーダーの症状で誰のことも傷つけたくないから、誰とも恋愛をしないのがベストじゃないけどベターだと思う、と以前Hに話したことがあった。

美鳥は何にでも目的に前のめりなのに、そこだけは美鳥らしくないんだよな・・・もったいないと思うんだよ、とHは言った。もったいないも何も、ボーダーの私と関わってみれば分かるのに、と考えたが、知っても変わらず私と関わろうとしているのが、Hなのだった。私は口をつぐんだ。

人を傷つけないために距離を置くのがベターだと思いたい美鳥の気持ちは分かるけど、俺はどう考えても、ベターだともベストだとも思えないよ、とHは言う。そうだろうか。本当にそうだろうか。私には、どうしてもベターにしか思えない。
最悪じゃないけど良くもない、ワースだ。人と距離をそこまで取らなきゃいけなことが良いわけがない、本当はそんなことしなくていいんだ、とHは言った。
信頼できる人間が一人でもできたら、そんな覚悟はしなくていいものなんだ。そう言って、寂しそうだった。


そんな私なんかと関わって、Hに何のメリットがあるわけ?
声が自然尖るのを押さえられない。何度訊いても気が済まない。

ACの私は、他人からとても利用されやすかった。誰にも嫌われたくないから、誰にでも習性で媚びる。相手の理想や願望を相手より先に読んで、自己犠牲も厭わず何でも叶えてやる。一言で言えば、とても便利だ。私は、私を殺して生きてきた。気づかずに私は死んでいた。
そのことに気づいた今、もう誰にも都合よく使われたくはないし、私は私を大事にしたい。大事にしない人には、一切興味がない。
私の都合良さにいつかつけこむ気なのか、それとも私が大嫌いなボーダー好きの男なのか。可哀想でドラマチックで弱くて何もできない女が好きな男なのか。

相手の好意的なセリフや態度が、私の中で警鐘となる。この人は、何が目的で私と関わるのだろうと考える。反射的に相手の真意を読もうとしてしまう。
メリットのあることしか人間は、しない。メリットを求めない慈善事業は、すぐに限界が来る。慈善事業には頼らない。碌な目に遭わない。浮ついた偽善には付き合っていられない。私は一人で生きるんだ。いつも自分に言い聞かせる。

Hのみならず異性の友人に、私は必ずこの手の猜疑心を抱かずにはいられないのだ。


もう何度目か分からない同じ質問に、Hは穏やかに答えた。
友人関係はビジネスじゃないんだ、そこにメリットもデメリットもないよ、そんなふうに考えてると、美鳥が追い詰められてしまうよ、苦しくなるよ。

確かにそうだと思った。
私は、無闇な猜疑心にとらわれて、いつも人間不信で肝心な部分を完全に閉ざしている。


黙って考えた。Hの言葉を咀嚼して、恐怖心が薄らいできた。
この人は、力になりたいと言っているが私に転移し自分の身を滅ぼす人ではないのかもしれないと思った。私の心に土足で踏み入ったり、私が恐怖して遠ざけたいものを無理矢理押し付けたりもしない。
境界性パーソナリティ障害や解離性障害やその他諸々を抱えたままの私の、人間性を見ている。病気に関してはサポートしようとしてくれている。

警戒が解けた分、いつもよりたわいもないことを山ほど話した。話している間に日付が変わり、4時近くにまでなった。

仕事で忙しくて洗濯物を干しっぱなしで忘れていた、とHが洗濯物を取り入れた。そのあと静かになった。受話器の向こうから、かすかに鈴の音が聞えてくる気がした。
どこにいるの?と訊いたら、ベランダで涼んでるんだと返ってきた。鈴に聞えたのは、虫の声だった。

涼しくなったね、もう秋なんだねと言ったら、Hが毛布について、何気ない一言を呟いた。
私は、その一言がものすごく気に入った。
突然、小説が書きたくなった。
机に向かって、ノートを開き、ペンを握った。瞬間、書き始めていた。
真夜中のベランダで、ペンの音がする、と受話器の向こうからHの小声が聞えた。
私は、黙ってペンを走らせた。Hは、私が一節を書き終わるまで、黙って待っていてくれた。

物語が生まれていくのを、ペンで必死で追いかけ書いた。スピードに追いつけず、ペンは罫線をはみ出し、そのうち文字がどこに収まってるかなんて、どうでもよくなり、思わず笑った。楽しくて歓喜で血が沸いた。
失語症で言葉を失った私が、誰にも一言ももう何も伝えることなどなかった私が、小説を書いている。Hと話している。友達と話せる。ブログが書ける。メールが書ける。電話が出来る。

こうして話せていることが凄いことなのかもしれないな、とHが言った。
私は、生まれる言葉を捕まえるのに夢中で、生返事を返した。
受話器の向こう側から、虫の声が聞えていた。
静かにハイな明け方だ。



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2008/09/13 (Sat) 小麦粉で10分でパン

どうした弾みか、昨夜からこれを作ろうと決めてた。↓↓
20080913b.jpg

その名も、「平焼きパン」。
名前の通り、素朴で素朴で素朴なパンだ。
材料は、小麦粉、ベーキングパウダー、塩、牛乳、以上。
これを混ぜてこねて、フライパンで焼いて出来上がり。
ボール一つで出来るし、バターも砂糖も入らない点がダイエット中の身には嬉しい。
キッチンで倒れたり解離が多い私でも、10分程度で後はフライパン任せに出来る、かなりお手軽なメニューだ。

味は、まあ材料のとおりだった。
材料を混ぜてこねて焼いたら、うん、こんな味だよね、という味だった。
パンが発見されたのは、エジプトで偶然の産物だったと聞くけれど、そういう時代を食べながら思い出した。その時代、よう知らんけど。
甘辛ソースがかかったチキンと、カフェオレと一緒に食べた。意外にバターは合わない。スコーンのように、クロテッドクリームが合いそうだと思った。外側はカリッと、中はふんわり。冷めても意外に美味しい。
気づくとこのパンばかり夢中で食べてた。サザエさんみたいに「んがぐぐ」となった。地味に危ないパン。でも美味しいパン。中にくるみを混ぜたり、全粒粉で作ってもおいしそう。


滅多に料理をしようと思わなくなっていたから、このパン一つ作っただけで、我ながらどんだけ調子ええねん、とツッコみたい。実際今日は、朝から料理をして、キッチン恐怖で吐き気で一度寝込み、それから友人の電話で笑って泣いてフラッシュバックを起こし、次にかかってきたN氏の電話で真剣に色々話し、笑い、電話を切って、また意味不明だが泣き、そして今に至るのだけど、総じて元気だ。
掃除や洗濯ができて、文鳥の世話ができて、今日は1週間分くらい笑ったし、消しゴムハンコに取り掛かるところ。

2008091303.jpg

↑↑ 大分前に作った中華セット。花巻(中国のパン)は、どんな料理にも合う優しい味。形も可愛いので簡単な割に食べる人に喜んでもらえる。こってりしたソースと特に相性抜群。

どちらもレシピは、この本で↓ 小麦粉の偉大さ、世界中の小麦粉料理に挑戦できる。それぞれのパンに合うおかずや、アレンジまで載っている参考頻度の高い優秀本。

小麦粉ごはん―いつものおかずとおいしいあれこれ小麦粉ごはん―いつものおかずとおいしいあれこれ
(1994/11)
キム アヤン

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2008/09/12 (Fri) 食べること笑うこと歩くこと



<病院 2008.9.12>

予約しても行けないことが多い病院に、今日は行けた。
少しずつ調子を取り戻してきているのを実感していたけれど、久しぶりに外に出られると自分が戻ってきた気がした。
いつも見慣れた部屋の中は、勿論見慣れた色彩ばかりだ。外に出ると、何もかもが新鮮に思える。
東京と実家に滞在して、しばらく離れている間に大阪のうちの近所はあちこち様変わりしていて、変化が激しい町の活気を感じて楽しい気分になった。前には気づかなかったところに工場ができていた。工場萌え・廃墟写真大好きの私は、カメラを持ってこなかったことを後悔しつつ思わず足を止めそうになって従業員に不審がられた。


予約していても待ち時間は、いつも最低1時間はかかる。
その間、病院の周りを散策するのが、いつの間にか楽しみになっている。
調子が悪いときは俯いて手近な店に行くのだが、今日のように晴れていて、皆がのんびりと歩いている道を歩くのは楽しかった。
ぬいぐるみのような茶色い巻き毛の犬を散歩させているおばさんと話した。犬は、毛だらけでどこに目があるのかわからなかった。リードに犬の名前が刺繍してあったから呼んでみたけれど、犬にとっては慣れっこらしく、しばらく私にじゃれついてから、行きつけらしい花屋に駆け込んで行った。そこの主人に高い高いしてもらって、尻尾を激しく振っていた。表情は見えないが、物凄く喜んでいるのが分かる。

そのまま近くの店に行った。たまたま探していた樹脂製のランチョンマットを見つけたから、デザインを選んでいたら通りがかったおばあちゃんに「それどないして使うん?」と聞かれた。ごはん食べるときに使うんですよ下に敷いて、と答えたら「ああ?そうかいな」と心底納得したようで、頷きながら去って行った。普通に喋りかけてくるのが、大阪のおばちゃんなのだった。
マットを買って、寒くなってくるので文鳥のカゴ用の温湿度計を買い、パンプス用の靴下とブーツキーパーを買った。秋だなぁと思った。

ギャルが多い町なのだけど、外に出ると必ず可愛い女の子を何人も見かける。ムートンブーツとチェックとアニマル柄とカラータイツが気になる。洋服熱を刺激されて、雑誌を立ち読みしたりした。ついでに「猫の時間」で岩合さんの猫写真を堪能して、別の雑誌で絵本特集をやっていたから、それも読んだ。
ブロ友空さんと初めて会ったときに一緒に探して行った、絵本カフェが載っていた。新たにバスを改造してペンネンネネムのもうひとつの店として、あちこちまわるらしい。
店自体、内装、メニュー、小物、絵本、壁から天井、棚からソファ、椅子、スタッフのエプロンまで徹底的にこだわった店だったのだけど、それがバスになったらどうなるのだろう。
気になる。かなり気になる。出かけたい。


診察では、心臓が痛いことを言わなければなと思っていたのだけれど、先週受けた血液検査の結果が出ていて、「ものすごい健康体ですよ」と言われた。てっきりホルモンバランスがどうこうなってるんじゃないかと勝手に思っていたから意外だった。心因性のものらしい。
確かに何かに熱中しているときや、友達と馬鹿話しているときは自覚がないのだが、寝る前だとか机にじっと向かっているときだとかに心臓が痛いと感じる。実際、鼓動が物凄く速くなるので咳き込んだりする。
多分、ここのところボーダーから今一抜けきれていなかったことと、友人が私に電話できないほど咳が止まらないこと。この二点が、ずっと頭から離れない。そのせいなのだろう。心因性ということで、あまり気にしないことにした。実際、今朝からは殆ど症状が出ない。

その後は、確かカウンセリングに7月から一切行っていないこと、予約も入れてないことを医者に話した。その時点では、まだ私は何ともなかった。医者が少し表情を変えて「そうなんですか」と言うから、そうなんですカウンセリングがうまくいってないというか、カウンセラーが女性だからなのかもしれないというか、私の人間不信のせいでうまくいかず・・・と話したら、「私の方でカウンセリングをしましょうか」と言われた。もしくは、紹介すると。

思ってもいなかったから、ちょっと面食らった。今のカウンセラーとは7年もの付き合いだ。8年目に入っている。変更することを考えたことがなかった。考えてみますと伝えた。
それから、東京での話をして、急に鬱っぽくなってきた。私には催眠療法が必要ではないのか、別の私と話したという友人もいるが、私の中にいるそれを私は庇わなくてはならないのか、と医者に訊いた記憶がある。
頭に激痛が走って意識が遠のいて、その後何も覚えていない。先生が何か話し続けていたなぁという感じだけ覚えている。
気がついたら、病院のベッドの上だった。保護といえばいいのか隔離といえばいいのか。何度目かも、そろそろ分からなくなってきた。話題がまずいのか。しかし、医者と意思疎通しようとしない限り治療も進まない。困った。


眠れば治る。休ませてもらってから、帰ることにした。無理をして帰りに自転車でまた倒れたりすると、面倒なことになる。
カーテン越しに、順番待ちしている老人が看護婦にセクハラ発言しているのを聞いたりしながら、毛布を頭までかぶって寝ていた。
すぐ近くの診察室からオッサンの悲鳴が聞えてくる。
「先生・・・もうあきまへんわぁ・・殺生な・・もう泣きますわぁ・・」と泣き言を言っても先生に「そうですか。でももう少しいっときましょ」と軽くいなされ、何かでドスドス叩かれ続けていた。何の治療なのだろう。私が通院している病院は、精神科が主ではないから色んな患者さんがいる。

「あっきまへんわぁ・・・痛い・・・もう堪忍ですわぁ・・・」と言う合間に、無慈悲にもドスドス聞えてくる。叩かれると泣き言もいえなくなるらしい。唸っているオッサンが、何か面白くて悪いけれど笑ってしまった。治療が終わったらしく「俺・・・ほんま今日頑張ったわー!な?頑張ったやろ!」と周囲の看護婦に褒めてもらいたがっていたのも、面白かった。
大阪人は、悲愴を笑い飛ばすのがスタンダードだ。

2008091202.jpg

帰りに、スーパーで食材を買った。栄養状態が良いと医者から言われたのは、多分実家で毎日食べていた夕飯のお陰だと思う。今、実家は父が週の殆どの夕飯を作ることになっていて、後片付けも父がやることになっている。父は、案外凝り性なので、毎晩何かしらバランスのとれたものを作ってくれていた。
結果が血液検査にはっきり出ると、食生活って案外大事だなと思う。
それから、そういった数値とは全く違ったところで、唐突に意識を失ったり、心臓が痛かったり、動悸がしたりするんだなと思うと、体って不思議だ。
スーパーでも、知らないおばちゃんに突然訊かれた。「とうもろこしって、どれ買うたら甘いんかよう分からんなぁ」と同意を求められた。私も、とうもろこしの山を前に、分からんなぁと思っていたから笑った。こんなことが、大阪ではよくある。他にも、「姉ちゃん、これは今日安いからな、買うとかな損やで!買うとき!」と買い物カゴをさげた人にすすめられることもよくある。


病院に行ければ上々と思っていたから、一眼レフを持って出るのを忘れた。写真は、携帯で撮ったもの。蛍光水色の花や、蛍光オレンジの花が出ていた。初めて見たけれど菊の一種なんだろうか。
外に出るのは、面白い。忘れていた。外に出ると些細な出会いがあって会話があって、いつの間にか笑っている。外に出られて良かったと思える。

Jとお昼を食べようと言っていたのに、そういえば体調不良で流れていた。Jのユニークでパワフルな子供達と思い切り遊びたい。
Tちゃんが帰国している間にダンスも習いたいんだった。ニューヨークの友達も紹介してもらおうとか勝手に計画している。
美術館も行きたいし、カメラを持って出かけたいし、イラストの練習もまた始めたい、久しぶりに消しゴムハンコも彫りたい、着物も着て出かけたい、またバンドもやってみたい。

部屋に戻ると体力の限界だった。夕方まで眠るはめになった。
でも、私らしさが戻ってきた。また失うかもしれないけれど、それがあなたの病気だと医者に言われたけれど、戻ってきた自分を大事にしたい。



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日々日記 | comment(4) |


2008/09/11 (Thu) ネコを撮る 岩合光昭

私は、大のネコ好きだ。
しかし私が持っているネコの写真集は、岩合光昭氏のものだけだ。
以前書いたこともあるが◇俄然ネコぼけ、他のカメラマンが撮ったネコには興味が持てない。

違いは何なのだと訊かれると、うまく言葉に出来なかったのだが、この程、買ったまま自身の本棚の未読コーナーに並べてあった岩合氏の本を読みきって、ようやく腑に落ちた。

ネコを撮る (朝日新書 33) (朝日新書 33)ネコを撮る (朝日新書 33) (朝日新書 33)
(2007/03/13)
岩合 光昭

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タイトル通り、まさにネコの撮り方が書かれた本だ。しかし、読み終えてみれば、ネコを撮るというよりも、ネコの自然な表情を引き出すネコとの接し方が書かれてあった。

接し方によって、ここまで変わるのかというほど、岩合氏が撮るネコの写真は、実に表情豊かだ。
私のようなド素人は、ネコを見るなり駆け寄り、最近はそれは避けているが、はやる心抑えがたく、ネコへの関心で全身むらむらさせている。私のようなストイックさに欠ける女は、どのネコを撮っても同じ表情しか撮れない。薄々気づいてはいたが、これはカメラの技術ではなく、被写体であるネコとの関わり方に問題があるのだった。

犬やネコの写真を撮って「可愛い」と言わせることは、簡単だ。犬ネコそのものが既に可愛いからだ。
こう撮ればうけが良いという黄金率も存在する。
アイドル写真のように、駅長帽をかぶらされたネコとか、魚眼レンズで頭でっかちに撮られたネコだとか、分かりやすいあどけなさだけが売りの子猫だとかが、その類だろう。

岩合氏の写真は、ネコも人間と同じ数だけ喜怒哀楽があり、表情と表情の一瞬の移ろいまで捉えている。ネコが、ネコくさく映し出されていて何ともいえない味がある。
他のネコ写真集と彼の写真が一線を画して見えるのは、どうやらその点が大きいのだなと感じた。


映像関係の仕事をしている友人に、一度野良猫を前に一眼レフで撮るやり方を習ったことがある。彼曰く、動く動物のもといる場所に焦点を合わせていても、一向に撮れるわけがないという。
なるほど、だからいつもぶれるのか、と阿呆のように得心した。
レンズを覗き込んだときに相手が別個の意志と感情をもった生き物であることを忘れがちな自分に気づいた。

ネコのあとからカメラでついていっても間に合わない、行く先を読んで、あらかじめそこにレンズを向けて待っていろ、ということで、その日私は、ちゃらけたワンピースなぞ着ていたのだけどネコを撮りたいあまり地面に腹ばいになり、カメラを向けること数十分。
理屈では理解できても、これがネコという生き物は、こっちに来るだろうという予測と必ず反対方向に歩くのだった。
ワンピースで腹ばいになって天下の往来で恥をかいている割に、一向に報われない。

試行錯誤の末、もはやネコ様の気紛れに頼るのみで何回もシャッターを切った。
友人は、猫の扱いがうまく、さすが動物に慣れていると豪語するだけあった。うまく誘導してくれるのだが、肝心な私は、シャッターチャンスを逃し続けて、もう露出も混乱してきて白飛びしたり大変だった。
最終的には友人は、遠巻きであった。道行く人にこいつとは知人じゃないと言いたげにも見えたが、単に私に付き合うのに飽きたのかもしれない。かなりの長時間一匹のネコを撮り続けた。
指導してもらった甲斐があり、2枚だけ満足がいくネコ写真が撮れた。


満足といっても、岩合氏の写真と見比べてみれば、私が撮ったネコの表情って、何を考えているのか全く読めない。何というかネコが心閉ざしている、もしくは私を冷静に眺め返しているように見える。それはそれでネコ好きの私は構わないのだが、写真としては面白みに欠ける。仏頂面で一辺倒の表情のネコしか私は撮っていないのだ、と岩合氏の写真を見ると思い知る。


岩合氏を前にして、特にオスネコは自分の格好良さや渋さを見せつけたがるらしい。「格好良いね」「いいよ?」などと声をかけ褒めると、更にネコはのってきて、ポーズを決めるのだという。オスネコとは、どの国でもそうだと岩合氏は言う。実に羨ましい話だ。


岩合氏のネコ写真の魅力は、表現の多彩さにある。
渋いオッサン、まどろむばぁちゃん、若気の至りの子供、獰猛なオス盛りの若者、色香漂うメス、失敗したときの顔、笑ったときの顔、得意げな顔、何にも考えてない顔、眠いだけの顔、睨みつける顔、どれも味がある。居酒屋でよく見かけるサラリーマンのような顔をしたネコがいれば、縁側に座って煎茶をのんでいるおばあちゃんのような顔をしたネコもいる。
ネコとして生まれた誇りを感じさせる表情あり、哀愁あり、生きる喜びや人間と触れあい満面の笑顔で笑っているネコもいる。
背中にも味がある。
ネコ科の動物というのは、体の一部が見えているだけで味のある写真になるという氏の言葉が印象的だった。尻尾や耳、背中、模様、確かに何がしかを語りかける。


「分からないから生まれる面白さ」についても、彼は本作中で書いている。
人間の目線で、ネコという生き物を決め付けて見ないことにしている、と。
それは、人と対するときにも似ていると、私は読みながら感じた。
分からないから、関わりたいと思う。分からない部分があるから、次も話してみたいと思う。分からない、あなたと私は別個の人間であるという感覚が、尊重へ繋がるのだと思う。


本書を読むまで、岩合氏は人間臭いネコがすきなのだと思っていたが、どうやらそうではないらしい。
ネコが、もともと持っている千も万もの表情を引き出せる彼が、ネコに魅了されているのだ。彼自身が書いているが、ネコがいると聞けば世界中どこへでも行ってしまう、まさに「ネコバカ」なのだった。


ネコと出会えば挨拶を欠かさず、ネコの気分を害しないようにさりげなく接し、温かみと敬意をもって撮らせてもらう彼のスタイルや信条を活字で読んでいると、カメラマンとしてではなく岩合氏自身の人間性にとても心惹かれた。話してみたい、会ってみたいと思う。それは、もしかしたらネコにしても同じなのかもしれない。岩合氏にこそネコが見せる表情が、ファインダーの中におさめられている。
カラー写真数点と、文中に何枚も白黒写真が登場するが、どれも最高に味がある。白黒写真でここまで満足できるネコ写真は、いまだ見たことがない。

カメラを持たない人にも、ぜひおすすめする一冊だ。
文字は人なり。文は人なり。という言葉があるが、写真も人なり。
ネコと、ネコに魅了された岩合氏の人間性に触れ、温かくゆるやかな気持ちになれる。


関連記事
◇俄然ネコぼけ
◇猫って。
◇駅に住む猫

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2008/09/10 (Wed) 心配という名の制御 - 機能不全家族・AC -

心配されることが嫌いだ。苦手ではなく、嫌いと言い切っていい。言ってくれる相手には一切他意がない。分かっている。けれど、条件反射で嫌悪感が先に立つ。カウンセリング療法が進むにつれ薄れてきたものの、反射機能の構造を把握できた今も、抵抗感は今だ色濃く残っている。


心配だ、と親が言うとき、それはいつも心配をかける私や弟達子供の存在を意味していた。
私は、私を心配する親を心配しなければならなかった。親はいつも何か突発的なことがあると、おろおろして長女の私に指示を仰いだから、親が不安にならないように振舞った。もしくは、私が率先して頼りになる長女を演じて、必要とされたかったのかもしれない。
親は、ますます私を頼った。
いまだあの家庭内での私のポジションは、頼りがいがあるという点では揺ぎ無い。
家族の誰よりも決断力があり、行動力があり、口が立つ、どこへ出ても物怖じしない。


親でなく誰かが「美鳥のことが心配」と口にすると、反射的に拒絶したくなる。
やめてくれ、と思う。
私のことを心配するあなたのことを心配しなきゃいけなくなるから、私のことは私で出来る放置しておいてくれ、といいたくなる。いないことにしてくれたらいい、とすら思う。

もしくは、親が「心配だから言ってるのよ」と言うときは、私を思い通りに動かしたいときだった。
親は過度の心配性で、何か新しいことに挑戦するときには常に「心配だ」「不安だ」「?なったらどうするのよ」「どうせ?ってなるよ」などと言った。新しいことに全く挑戦できない子供だった。良い子を頑張って演じ、新しいことに挑戦しても、親が言うような突発的事故や不運や失敗が起こったらどうしようと、そればかりが頭を占めて何ひとつ集中できなかった。
不安や叱られる恐怖や、そういったマイナスの原動力が私を良い子に育てていった。

つい最近まで、私の中で、行動することはイコール失敗することだった。一時、努力が実を結び成功したとしても、次に訪れるだろう失敗を恐れた。
自然、動きはぎこちなくなり、何をやるにも常にピリピリしていた。ストレスで爆発しそうだった。異常なほど失敗を恐れる完璧主義だった。
自己評価も低かった。幾ら努力しても、次こそ失敗するかもしれないからだ。いつでもそれは成功への途上でしかなく、成果は何一つ認められなかった。


「あなたのことが心配だ」は、私への不信、私をコントロールしようとする前兆、私が相手の世話をしなければならないときのキーワードだ。
そんなふうにインプットされている。
だから、誰かを心配するのも嫌だった。
人の痛みに関心を持たなかった。心配しても何にもならない。感情は、人を振り回すだけ。感情の発露は、エゴだ。他人の痛みに関心を持たなくなったのは、意図的ではなかった。気がつくと、そんなふうになっていた。理由はいろいろあったのかもしれないが、一つはこの「心配」というキーワードがあまりにも私の中で負のイメージを持っていたからだと思う。


最近、母の態度が少し変わった。私の病名について相変わらず知らないし教えても忘れるようだが「倒れたらどうなるの?」「どうしたらいいの?」などと訊いてくる。心配しているのだ。
しかし、やはり私は受け入れられない。
心配するくらいなら、病気について学んでくれ。私のことはどうでもいいから、弟に対して行動で示してくれ。そう考えるだけだ。
「どうでもいいよ。死ぬわけじゃないだろうから放置しとけばいい」と答えた。心の底から、そう思う。私が倒れても、きっとおろおろしているだけの親。私は欠片も期待しなくなった。親の前では、弱っている自分は極力見せない。だから大阪に住んでいる。一緒に住めば「心配」するだろう。冗談じゃない。

どうしたらいいの?と私に訊くんじゃなくて、どうして自分で調べようとしないのか。何度も言っているのに、病名も覚えていないし症状についても知らない。だから勿論対処法も知らないし、自分たち家族に問題があるとも思っていない。私も東京の弟MTも、機能不全家族や引きこもりや神経症などについて随分と話したり本をすすめたりしたのに。

「心配」していれば、それで気が済むのだろうか。それは、思いやりなのだろうか。それは、価値があるのだろうか。私はそんな親の「心配」を、有難く思わねばならないのだろうか。有難く思えない自分に、後ろめたさを感じなければならないのだろうか。


過度に干渉したり、子供が何かに挑戦しようとしたときに過度に心配したりするのは、機能不全家族、毒になる親の特徴の一つでもある。
心配が、決して思いやりに繋がるわけではないことを、私はこの身で知っている。
行動しない思いやりは、思いやりではない。
決意がない言葉は、温かみに欠ける。
人間不信な私だけれど、この確信だけは手放さない。
個人的な感情を押し付けるだけの行動しない思いやりは、たくさんだ。



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機能不全家族 | comment(7) |


2008/09/09 (Tue) クッションか毛布みたいな ? 境界性パーソナリティ障害 ?

大事にしてくれるかもしれない人を、どうしていつも自分から壊してしまうんだろう。
試して試して、悪人に仕立て上げて、ほらねあなたはそういう人でしょう、ずるくて汚くてエゴにまみれてて愛なんて言っても口先だけで、愛情なんてありはしないでしょう。
そんな結論以外、信じたくないのは何故だろう。


ボーダーが見せる最悪のシナリオと同時に、期待や冷静が胸をよぎる。私は相手を見ている。ちゃんと見えている。と同時に、次の瞬間何も見えなくなる。

私の弱さ脆さを知っている人間は、不都合だ。私の傍にいるべきじゃない。
私は次に失敗したら、もう死んでしまう。
恋も愛も致命傷になる。誰も信じないで頼らないで生きていける力があるのなら、恋愛せずに一人で生きていける自分でいよう。
私の弱音は、私だけが知っていればいい。絶望も同じく。


恋愛とかなしの関係ね、と笑って言ったら、「いいよ」と答えが返ってきた。
本当にそう思っている人間の声の調子じゃなかった。
口先だけ、ドライを約束するやつ。
私と関わろうとする人間。
知っても受け止めようとする人間。
受け止めなきゃならない義理もない。大して続きもしないくせに。


都合が良いだけの関係なんて、私は大嫌いだし興味ないからじゃあばいばいね。
彼は、何でそうなるんだよ、と笑った。
私は自分が大事だから粗末にしないよ、と言ったら、「そうか」と言った。
じゃあねもう次はないからばいばい、と言ったら「またね」と静かに返ってきた。

頭悪いんじゃないのこいつ。
腹が立った。


ボーダーの行動原理から外れた反応をする人間を前にすると、言葉にできない怒りが湧いてくる。
決して、私と一緒に堕ちようとしないから。
中には、堕ちないで私に手を差し出そうとする人がいる。
その手を掴んだと同時に、どうせ一緒に堕ちるんじゃないの?
私は、相手をまるで信用していない。
なぜなら、自分のパーフェクトに絶望的な仕組みを自分が一番よく知っているから。

私は、どれだけ理性でコントロールしようとしても、フラッシュバックを引き起こす単語が数十ある。この全てを踏まずに良好な関係を築き続けるのは、感情を持った生身の人間には不可能だ。
だから私は、私と深く関わろうとする人を前にすると尻込みする。
相手が無計画で無防備で衝動的に偽善的な気がして、信用できない。


都合の良い友達を目指すなら、私の体調なんて社交辞令でだって気にするもんじゃないでしょう。放っておいて、それがお互いのために良いと言ったら、「そうか。じゃあそうするよ」と穏やかに返ってきた。

腹が立つ。
それから、無闇に悲しくなった。
悲しくなったら、こいつの思うつぼだと思うと、悲しさはおくびにも出したくない。
声を殺して泣いたけど、ずっと静かに穏やかに私の次の言葉を待つのは優しさか、とそれも腹が立った。
数日間、心臓に痛みが続いている。鼓動が速くて、じっと寝ているだけでも時に咳き込む。
息を殺して泣くのは、パニック障害のときの呼吸困難に似ていて怖い。心臓が早鐘のように打って、泣きながら咳き込むという失態を犯した。


美鳥が何を抱えてるのか分からないけれど、それを全部一人で抱え込むとパンクするよ、人間不信にならない?と訊いてきた。

とっくにパンクしてるし人間不信だよ。病気二桁くらいあるよ精神科とカウンセリングに7年通ってるよ、でも10年以上よくならないよ、それでも自分で生きなきゃいけないから誰のことも頼らないよ。関わると間違いなく損するよ。

露悪的に言ってやったけど、その言い方自体が既にボーダー特有の症状だったから、もう一言も口をききたくなくなった。
私は人から失望されたくないが、それ以上に、もう自分にこれ以上失望したくない。


深夜の2時半まで話すことになった電話で、私は完全に沈没してしまった。
客観視している自分を更に客観視するというループにはまりこんで、何一つ言葉を発することもできなければ、空元気の演技も空々しく、相手は私の感情の動きに敏く、とりあえず誠実だからどうしようもなかった。ボーダーの行動化にも巻き込まれないので、私に打つ手はない。
自己嫌悪と心臓の痛みで吐き気がしながら、無理矢理眠剤で自分を寝かしつけた。


昨日、友達のJがお昼に誘ってくれた。時間も決めた。そのとき、私は元気だった。
眠ったら気分も変わっているかもしれないと期待したけど、今朝起きても変わらないどころか、ろくに眠れず、朝からパニック発作と解離に苦しんだ。
家を出なければならない時間になっても私はベッドの上で屍のように動けず、Jに今日は無理だとメールした。事情を知ってくれているJは、快くまたね、ちょっとでも眠れるといいね、とメールしてくれた。

頓服をのめるだけのんでベッドに入っていた。
時折うとうとと眠れたかと思うと、色んな色んな夢を見た。やっぱりろくに眠れなかった。
夜の7時までベッドから出られずにいた。
病気とは別に、現実的な問題を今10は抱えている。あらゆるジャンルに及んでいる。
新しい対人関係が幾つも。
血液検査の結果と、新たに出てきた心臓の不調も問題だ。
そして仕事の問題と、役所関係と、勉強しなければならないことが山積。
それら全てを反映する夢を見る。
夢の中で起こったことが、あまりに現実的だから、起きてから思わず確認する。夢だったのか、現実なのか。

自分のことが、まるで分からなくなっている気がする。
それとも、人との距離感を常に考える新しい私だから、何もかもの先が見えないんだろうか。

「またね」と言ったとおり、何事もなかったかのようにメールが来た。
よっぽどの馬鹿か、何かよからぬ目的があるか、親切馬鹿か、共依存好きのどれかだ、きっと。
こいつ頭悪いんじゃないの、深入りしない程度に付き合えばいいのだ、と自分に言い聞かせてから、メールを返した。
一度でも私が崩れたなら、依存するのなら、依存されるのなら、いつでもすぐに切る。
そういうやついらないから、と言ったときも、そういえば穏やかに「いいよ」と返ってきたんだった。
馬鹿ならそこで騒ぎ立てたり申し開きしたりするものだ。
よく分からない。


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2008/09/08 (Mon) セラピスト・文鳥

2008090801.jpg
私がボーダーの症状で泣き喚きながら記事を書いていようと、ベッドに突っ伏して泣いていようと、無気力にぼんやりしていようと、文鳥たちは実にいつものペースで彼らなりの生活を営んでいる。
決まった時間に起床し、朝食を食べ、菜っ葉を食べ、水を飲み、さて出かけるかとカゴを飛び出し、長老のももは飛べないので私が目的地まで丁重にお送りする。
一番気に入っている部屋で最も高い場所にある巣箱まで送り届ける。ももは、今年に入って老眼のせいか視力が格段に落ちて羽ばたく力もないので、万が一足を滑らして落下したときのために、巣箱の下にはクッションを敷き詰める。

そうしていると、何時間もこもって出てこない。
むくは元気が有り余っていて退屈だから、たまに私の様子を見に来る。
水浴びするから水をためろと要求したり。

まだ大阪のマンションの室温は高くて、クーラーがないとうだって死にそうに暑くなる。冷房のためにキッチンとの境のドアを閉めている。文鳥たちの餌や水がある鳥かごは部屋にあって、別荘にしている巣箱はキッチンにある。
巣箱にこもっていた文鳥たちが、こちらの部屋に来たいときは、ドアの向こうから文鳥語で「開けろ!開けろ!そっちに行くんだぜ!」と叫ぶ。開けるまで叫ぶし、面倒で聞えないふりをしていると、むくなどは小さい体でドアにとび蹴りをかます。開けるしかない。
餌を食べ、水を飲み、こちらの部屋である程度遊んだら、また別荘に帰る文鳥ズ。
またも「開けろ!開けろ!向こうに行くんだぜ!」と叫ぶので、またドアを開けなければならない。聞えないふりをしていると、やって来て私をつつく。意思表示がはっきりしている。
コミュニケーション能力が高くて、小さい体の文鳥に宿る知恵には舌を巻くことが多い。

文鳥たちが私を笑顔にしてくれたり、文鳥たちと食べる夕食(彼らは白米しか食べられないが)は心和む。
最年長の桜文鳥ももとは、私が闘病を始めたばかりの頃から約10年の付き合いになる。
最近、抱っこをよくせがむ。握ったまま一緒に昼寝することも多い。
健康で長生きして欲しい。

元気で、いい子にしてくれてて、ありがとう。楽しくしててくれて、ありがとう。
毎日寝かせるときに、二羽に声をかけるのが常になった。
この部屋で私が責任を持つとしたら、この愛すべき文鳥二羽に対して。
それだけは確かなことで、不安定な私を、生きることによく繋ぎとめてくれる。

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文鳥 | comment(2) |


2008/09/07 (Sun) 廃墟の檻のパブロフの犬 ? 境界性パーソナリティ障害 ?

また落ちた。
ボーダーの溝に落っこちた。
気がついたらフラッシュバックで泣き喚いていた。電話を切った。メールで迷惑をかけたくない旨だけ伝えた。
人を巻き込みかけた。巻き込む直前に気づいたけれど、少しだけ手遅れだった。でも、付き合いが浅いから良い。懲りたら私に近づかなければいい。良い教訓になる。ボーダーの私には、近づくな。傷つくのはあなただ、と無言で警告できる。態度という事実ほど説得力がある警告はないだろう。


セックスをしたくなるときは、二つある。

好きだと思ったとき。
不安になったとき。

男ばかりがセックスを欲してるんじゃない。その事実を直視し、平気で女の性欲なんてもっと凄いよと口にする私は、それでも男を汚いものとして見たがる。

不安になったら、男の欲望の影に逃げ込めばいい。相手にセックスを提供してやる。これが欲しかったのでしょう、これさえあれば無駄口叩かないでしょう、と自分の体をくれてやる。
有難く受け取れと下賜してやってから、のうのうとさも当然かのように快楽に逃げ込むのだ。

唐突に脈絡もなく快楽に誘うのは、私の常套手段だ。
私の心に入って来ようとする男を遠ざけるためには、物理的に遠ざけても何にもならない。そんなもの、形でしかない。
心から遠ざけたいのであれば、男を見下し、精神的に除外するのだ。
そのためには、男を私以下の存在に貶めなければならない。精神論では駄目だ。計画を立て、実行に移し、男を乗せ、実際に男の愚かさを私の目の前で露呈させ、飽き足らず媚びて情欲を煽り、徹底的に能無しのペニスの勃起と萎縮だけの男に貶める。
そうして私自身の目に刻み付ける。
思ったとおり、この男は信用するに足りない。
自分を納得させるためだ。


私を一番粗末にしているのは私自身で、男は私の恋愛という市場での価値を正しく見極め、それ相応の対価で買っているだけなのかもしれないと薄々気づいている。
大安売りしかけた。
逆に心配された。心配されたら、更に私の市場価格が下がってしまうと慌てて更に値段を引き下げた。その判断には逡巡もなかった。習性になっている。
ご機嫌を窺うのは犬の得意分野だ。機嫌を損ねたかもしれない、この人はなぜ私の過去を知りたがるのだ、なぜ私などに関心を持つんだ、この人が病んでるんじゃないのか、と不安に襲われた途端、セックスすれば全て有耶無耶にして流せると閃いた。いつも閃くことは結局セックスだ。
子供には飴玉、男にはセックスだ。
と、境界性パーソナリティ障害の私は心得ている。流されない男はいないし、流されまいと抗うなら絶対に流してみせよう。私自身のために、男は常に欲望に弱くなくてはならないのだ。
そうして誤魔化したいのは愛だの恋だのじゃない。人を信じることが出来ない臆病な自分を誤魔化したいのだ。何も考えずにいたいのだ。そんなときにセックスは、何てうってつけなんだろう。

自分の大安売り、境界性パーソナリティ障害。
どれだけ大事に大事にしようとしても、大事にしたことがない私には全てが初めてだ。
二足歩行を始めたばかりのパブロフの犬だ。
ベルが鳴れば涎を垂らす。
ずっとそうして生きてきたから、ボーダーパブロフの犬は、不安のベルが鳴ると涎を垂らす。餌の時間だ。肉を提供して、もっとうまい愛情にありつける。ありつけないなら死を意味する。ならばいっそ殺してくれ。と、所詮犬は尻尾しか振れない哀れなやつ。


だから恋愛は、無理なんだな。
死にそうだ。記憶が自動で再生される。現在を生きているのに、全く違う人間が私に向かって誠意を尽くして話をするのに、私の目も耳も鼻も口も手も足も心臓も、何もかも過去にしか生きていない。
CPTSDは、パブロフの犬を作り上げる。
昨日まで餌が出てきたとしても、今日出てくるとは限らない。
なのに幻の餌を期待して、誰もいない廃墟の檻の中、幻のベルを聴いては犬は涎を垂らし続けている。



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境界性人格障害 | comment(2) |


2008/09/06 (Sat) 依存恐怖症らしい ? 境界性パーソナリティ障害・対人恐怖症 ?

サッカーのバーレーン戦が、夜中の3時からだから起きてないといけないんだよね、と私は話した。

それじゃ一度寝たらいいよ、3時に起こしてあげるよ、それから一緒に見ようかと友人は言った。

やったーと言ってから沈黙し考えた末、大丈夫だからいいと断った。

怒りを含んだ声に、友人は戸惑って笑った。

なにがいいの?と訊いた。

怖いからいい、と答えた。

何が怖いの?と友人は、不思議そうに問うた。

何が怖いのか分からなかった。怖いものは、怖い。怖いものについて、何故考えて言葉にしなきゃならない。怖いだけでは、何故駄目なのか。

違う話をしていたのに、またサッカーの話になった。気が合う。困る。

何が怖いのか訊いていいかと友人が言った。

その頃には、精神状態を密かに立て直していた。いっそ言ったほうが友人が病んだ人格に気づいて距離を取ろうと考えてくれるかもしれない。思いつくまま答えてみることにした。

依存するのも、依存されるのも疲れた。

自分が言った言葉に気づき、気がついたら泣いていた。怖くて泣いた。悲しくて泣いた。泣いていることを気づかれたら共依存の始まりになるかもしれないと思い隠した。

私は、依存に疲れているらしい。

人を振り回すのも、振り回されるのも、悲しくて哀れで疲れるし自分も相手も駄目にする。

私は、他者を尊重して、今までゴミにしてきた自分自身も尊重したい。

サッカーの話一つで、ここまで過剰に反応しなければならない私という女に、業の深さを見る。

恋愛とか無理なんだよ興味もないし依存と好きの区別も説明も、永遠につかないことくらい知っている。恋愛は嫌でも微量でも依存を含んでいるものだ。

ボーダーの自分と、ボーダーのチープで巧妙でドラマチックで陶酔的な振り回し行為と媚びに喜んで尻尾振る男を見るのが嫌になった。

餌を与えなきゃいいのに、私は餌を与えようとするから、餌を与えようとする手を切断しようとしたが、切断できるものではなかったから、いっそ自分を消してしまいたくなった。

しかし生きていきたいし自分も他者も尊重できる人になりたいから、何でもひとりで出来る寂しくない自分になることにした。不可能でも、試みようとしないよりはいい。

極端だと事情を全く知らない友人は、言った。俺達は似ていると言ったから、相手に自己投影するのも依存の始まりだと私は怖くなった。怖い怖い怖いしか頭の中に湧いて来ない。

類似点も錯覚も何もかもが、依存の始まりに見える。

距離が縮まることは、破滅への駆け足のようにしか見えない。距離は縮めずにいようよ、楽しくいこうよ、面倒なことは置いておいてさ、と笑って言う私は道化のようで、友人も見抜いている。黙っているだけで。

3時に起こすことがどう依存なの?と訊くから、物理的距離が縮まれば精神的距離が縮まる、依存にならないかもしれないけれど、依存のスタートを切ることになるかもしれない、だから私は頼らない赤ん坊じゃないと答えた。

彼が不登校児を登校させるまで尽力した話に私は感動し涙したけれど、直後に怖くなったのだった。

人を助けようとする人は、紙一重で依存し依存してくれる相手を探しているのかもしれない。私を助けようというのならば、私に依存してもらいたがっているのかもしれない、と邪推したのだった。

怖い場所を避けて避けて、誰のことも傷つけまいと真逆の道を歩いていた筈なのに、元の木阿弥に戻ってきている落胆。

明るい話をしても笑っても、誠実な彼は、私の言葉を忘れることはなかった。不都合だ。私の弱さを知っている人が存在することは、私の虚勢を脅かすのだと知った。

泣きながら言った私の言葉、あれだけが本当なのだろう。

依存すること、依存されることに疲れた。

胸が張り裂けそうに悲しいが、何が悲しいのかは分からない。肝心なことは、いつも恐ろしくて考えられない。都合よく、普段は忘却している。

サッカーの話一つで、まっすぐに正した筈の私の人格は醜く歪んで崩れ落ちる。

努力とは砂上の城だ。

心臓が痛い。



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境界性人格障害 | comment(19) |


2008/09/04 (Thu) シルバーL サテンベージュM

タイトルは何のことかといいますと、本日大阪の我が家に戻るなり私を総出で出迎えてくれた
に、独自につけてみた名前です。

彼奴らは、珍妙な形をしていて、のろそうな見た目に反して走り出したら速いのなんのって、「うををををを!?」と私が狼狽している隙にスルスルスルッと物陰に見えなくなります。
彼らの色は、二色です。
シルバーと、サテンベージュ
とにかく光沢が凄い。
風体からして禄でもない虫に違いないし、名前すら浮かばない虫です。無駄に高級感があって、しかし「わぁ触ってみたい!」とは決して思わせない、見事な気持ち悪さです。何だか、こんなものが家にいるとは誰にも言えない、みたいな後ろめたさや劣等感すら抱かせるパーフェクトな気持ち悪さ。
シルバーの方がデカく、サテンベージュは一瞬綺麗に見えなくもないですがスルスルクネクネしている点で、やはり問答無用に気持ち悪い。
見る者に、軽く精神的ブラクラを与えます。
てらきもす。

一匹なら捨て置くものを、あろうことかあっちからもそっちからもシルバーとサテンベージュが走り出し、最初は「うををををっ」と叫んでいた私も、最終的には「・・・・・・!」「・・・・・・!」の連続でした。
もはや声も出ない。

どうやら彼奴ら、私が一ヵ月半留守にしている間に、我らが世とばかりに主の私に無断で大繁殖した模様。

彼奴らの名は、知る必要なし。人柄とは、顔に出るもの。振る舞いに出るもの。
無意味に光って厭らしさを誇示しつつ、見つかるや否や物陰にこそこそ逃げ込み、あまつさえ、私が目を細めて敢えて視界を自主規制しているから済むものの、あろうことか尻が二股に分かれているとあっては見過ごせるであろうか。いや、見過ごせない。

無慈悲な迫害者となって、片っ端から掃除機で吸い込んでやりました。
あれで一族郎党と思いたいですが、彼奴らまだ潜んでいる気がしないでもないです。

ということで、よせばいいのに調べてみました。

参考資料 シルバーLとサテンベージュMについて※画像があるので気をつけて!

○嫌いと前フリしつつも飼ってるこの方の探究心に脱帽→ http://home.kendomo.net/others/shimi.html
○Wikipedia→http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%82%A4%E3%83%A8%E3%82%A6%E3%82%B7%E3%83%9F


心底、不愉快な虫であります。
彼奴らに、お前の部屋は汚いんだよ、と嘲笑された気分です。

汚くないよ!毎日二度は掃除機かけてるよ!片付けられない女も卒業したよ!ちょっと旅行で家を空けてただけじゃないか!

1人孤独に部屋で言い訳したとて聞く者はなし。
ダメ押しのように、シルバーLとサテンベージュMが(たまにS、SSも見かける)また走り出てきて、気分が滅入ります。ちくしょう。

午前中に予定していた病院へ行けなかったために、パキシルが切れてはや数日。断薬症状で脳内がパシパシするし、だるいし、気密性の高いマンションの部屋は暑いし、神魚とやらは繁殖しているしで、お昼を食べに行って、軽く買い物をし、掃除し、シルバーとサテンベージュを片っ端から吸い込んだら、もう銀魂新刊を読む気力すらない・・・・
文鳥たちが抱っこをせがむので、両手に握り文鳥(←手乗り文鳥の最上級を指す)で、やけっぱちに昼寝しました。


この紙虫とやら、紙や衣類を食べるらしいです。そんなもんばっかり食べて喉が渇かないのか、あの光沢はじゃあ紙なのか、色々考えたのですが、それより何より、うちのレアな漫画コレクションと、数十枚の絹の着物、数十本の絹の帯、絹の帯締めとか・・・・
喰ってませんかおまいら

掃除機内部に耳を澄ませてみても、彼奴らからの返事はないただのしかばねのようだ。

1匹のGを見かけたら8匹いると思えと言われますが、彼奴らの繁殖能力も結構なもののようで詳細は上記のWikipediaで確認はしたのですが、即座に忘却の彼方へ情報をキャッチアンドリリースしておきました。

私のやり切れぬ思いを皆さんにお裾分けしようというわけではないのですが、まあ得てして「気持ち悪い」と「面白い」は紙一重なわけですから、さっきリンクをスルーされた方にサービスで二度目のリンクを貼っておきます。色んな交尾の形態があるのね、と感心しました。その点だけは、気持ち悪くも興味深かったです。


参考資料 シルバーLとサテンベージュMについて ※念入りに二度目のリンク

○嫌いと前フリしつつも飼ってるこの方の探究心に脱帽→ http://home.kendomo.net/others/shimi.html
○Wikipedia→ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%82%A4%E3%83%A8%E3%82%A6%E3%82%B7%E3%83%9F

大阪に戻って、ようやく東京から本当に戻ってきた、と実感できました。
我が家に戻るなり紙虫的な幕開けなわけですが、大掃除したことだし、めげずに心新たに明日は病院へ行ってきます。


諸所諸事情で、コメント返信が遅れております。コメントありがとうございます。必ずお返事させて頂きます。

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大阪駄文 | comment(6) |


2008/09/03 (Wed) 原寸の箱庭

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庭で今日収穫したみょうが


衝動的に庭に飛び出すこと、一日に最低一度。
<草抜き依存症><庭依存症>とでも呼んで相応しいかもしれない。
心が晴れないな、何か自分の感情がよく分からないな、現状が把握できてないな、と感じるや否や、庭に飛び出している。

いつでも飛び出せるように、庭作業用の正装一式まとめて常に揃えてある。
部屋着のワンピースの下にジーンズをはく。靴下をはく。上から長袖シャツを羽織る。つばが広い帽子をかぶる。以上は、日光避けと蚊避けのため。
庭に出るだけなので人目は一切気にしない格好だ。トリックアートに勤しんで、睫毛に執拗にマスカラを塗り重ねたり、髪を巻いたりする必要もない。スッピンが良い。どうせ汗で全部流れてしまうのだ。髪は邪魔にならぬように、ひっつめるのが良い。
我ながら、完璧な草抜き仕様。5分で支度が出来る。

庭には適当なスリッパで下りる。手には、使わなくなったプラスドライバー。スコップよりもドライバーが草抜きには適している。必要とあらば、剪定ばさみ一つ、高枝切りばさみを一つ。
異様な風体の女が一匹、ドライバーかでかい鋏を持って右往左往する様は、普通ではないと思うが、あまり構わない。草を抜くことしか、考えていないからである。


草は、様々な種類生えている。これでもかと生えている。大きな草から小さな草、正体不明のきのこや蔦まで、四季折々に生えてくる。
草の根を見定めて、すぐ横にドライバーをさす。根のまわりの土をほぐして良い頃合を見計らって草の根元を掴んで引き抜く。根っこから引き抜かなければ、翌日には次の葉を出している。踏まれてもへこたれない雑草は、多少抜かれてもへこたれない。
軍手越しに土の感触を味わうのは嫌いなので、全て素手でやる。当然、爪の間に土が入る。でも構わない。軍手など生温いことをやっていても、雑草は抜けないのだ。どうしても取れない土は、つけづめで隠せばそれで良し。


素手で作業していると、草と一緒に掘り出されたミミズをうっかり掴んでしまったり、蟻が上ってきていたり、死んでからからになった蝉やカナブンの死体を掴むこともある。それもまた、構わない。馴れてしまった。色々生きているんだなと感じる。栄枯盛衰、弱肉強食を、土の匂いをかぎながら眺める。

庭に住む生き物は、数限りない。数種の蟻、何種類もの蝉、カミキリ虫、何種類もの蜂、蝶、何かの蛹、青虫、芋虫、だんご虫、バッタ、カマキリ、蜘蛛、名前が分からない虫色々。
雀、山鳩、トンビ、尾長、ムクドリ他色々な鳥。

鳥や虫たちは、食事か遊びにやって来る。庭で育てている色んな作物や果実を目当てにやって来る。
季節によっては、産卵や巣作り、羽化や冬眠のためにもやって来る。


一つの庭の中に、日陰と日向が常に存在する。家や木が影を落した部分から、くっきりと別世界が広がる。温度も違うが棲息する生き物も変わる。生えている草も変わる。生き物達の動作もスピードも日向と日陰では、あからさまに違う。

草を抜いていると時間を忘れる。庭が、自分の手で綺麗になっていくのが嬉しいが、それ以上に心の中が整理されていくのを感じる。一つ一つ草を抜いていくと、一つ一つ自分があるべき場所に戻っていくような気がする。箱庭療法に似ているのかもしれないと思う。

抜きやすい草と、抜きにくい草がある。後者がわんさか生えているのを見ると、正直うんざりする。しかし、苦労の分、抜き終わった後の達成感は大きい。いつしか嬉々として取り組むようになった。

中には、どこから飛んできたのか、妙に高級感を醸し出す草もある。抜くのを躊躇う。鉢から種がこぼれて花を咲かせた植物も、抜くのを躊躇う。以前、なぜかニラが自然発生していたので、ニラだニラだ庭にニラが飛んできた、と卵とじにして家族全員で食べたら、翌月、近所の庭で青い花を咲かせているのを見た。ニラに限りなく似ているがニラではないので要注意、とネットにも書いてあった。しかし、美味しかった。誰も体調を崩すこともなかった。

何を取り除いて、何をどこにどう残すのか、庭にいると常に自然と選択を迫られる。


真夏の太陽に照り付けられながら、うつむいてみちみちと草を抜く。
合間に、好きな人のこと、嫌いな人のことを考える。過去のことを考える。今のことを考える。自然と思い出す日常の一コマもあり、そんなときは自分がどう感じたのかをなぞって考える。手だけ動かしていると自然と頭が動く。
ブログの記事を頭の中で書いてみたりもする。

今日考えたのは、7月にスタートさせた神経症・人格障害者相互QOL支援コミュニティのこと。延々、考えていた。主宰者としての課題は山ほどあり過ぎる程あって、焦るけれでも焦っても何にもならない。一つずつ着実に不安要素を潰していってアイディアを凝らし手を尽くして、安心して参加してもらえる会、持続力のある会、参加者全員にとって有意義な会にしたい。成人の引きこもりに対して何か出来ることがあるんじゃないのか、私がしっかりと責任を持てる範囲はどこまでだろう、何ができるだろうと考えた。

それから「崖の上のポニョ」を思い出し、埼玉県で判決が下った幼児置去り餓死事件の6歳児の供述を思い出した。6歳の少年が、弟が餓死したのは全て自分のせいだ、母親は悪くないと供述している事件だ。ポニョに登場する5歳のそうすけと、完全に重なって見える。
宮崎駿のあれはどうよ草を抜いてる場合じゃない、と思ったけれど、その腹立ちも解消できてしまうものか、草抜きを続行した。


巣作りの場所を探している蜂達が、慌しく飛んでいた。私の周囲を八の字に飛ぶから怖かった。蜂一匹に滅法無力だ。赤く熟れたいちじくの実一つに、蟻とカナブン数匹が頭を突っ込んで自然の甘味を貪っていた。邪魔しないように気をつけた。蜘蛛の巣は、いくつか張られては困るところに張られていたので、撤去願いとして巣を払った。別の場所に再建設を要請。
一つの庭の中に、私と植物、私と昆虫、など関係性が出来上がる。ちょっとしたドラマも起こる。
植物の立場の優劣、昆虫の立場の優劣など、それぞれに主人公の私が決める。一つ一つのアイテムと対峙し対話し交渉し決断する。


抜いた草も、雨が少し降るだけで新しく芽吹く。
草がすっかりなくなってしまうことがない。
季節ごとに、庭に飛んでくる種子は違い、自分の季節が来るまで大人しく地中で寝ている種もある。
終わりは、求めていない。
栄枯盛衰、実りと実りの恩恵にあずかるものあり、その影で死するものあり、一雨の通り雨で芽吹く葉がある。雨の日は、そんな様を座敷から眺める。
考えること感じることをやめない私の心と同じように、移ろいを止めない庭がある。
箱庭は、いつもどこかに不満を残す。期待も残す。不可解と理解が混在する。
思いもかけず芽吹いた葉は、要不要に関わらず、たまに大事に置いてある。

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治療日記 | comment(8) |


2008/09/02 (Tue) 遊戯前放置プレイ

とにかく一日中寝ていた日だった。嫌になるなーと思った。手を付けても何でも途中で眠くなるもんだから、テレビも見ていられないのだった。私が寝続けていて一切音を立てないから、父にまで心配された。カウンセラーや医者から過眠症と言われているから一応「過眠症が出ちゃって」と言ったら両親に鼻で笑われた。なぜ笑う。

昨日、眠剤を飲まなかったのに0時から朝の9時くらいまで寝ていて、起きてお茶を飲んだらまた寝た。午前中のうちにまた起きて、家族の洗濯物を干して乾いたら畳んで。それ以外は、また寝てた。寝すぎやん。めっさ寝てるやん、と気づいたのは19時。父が、夕飯の支度でバタバタしていて、ああ手伝わなきゃと思ったけれど体が動かなかった。

手足が半月以上むくみっぱなしだし、気温に鈍感なときと、やたら暑いときとある。気温に鈍感なのは、解離性障害で前からなのだけれど、ガーッと暑くなったときはいてもたってもいられぬ暑さ。プールに飛び込みたくなる。そういえば、やたらと喉も渇く。のどかわいたのどかわいたばっかり、私が言ってるらしい。どっかおかしいのかもしれない。


夢では、あらゆるところに行く。色んな人に出会い、いろんな出来事が起こって、私は泣いたり笑ったり怒ったり不安になったり、現実よりもリアルに自分の感情を感じ取れる。夢の世界は、もう一つの私が生きている世界だと思う。ストーリーも場所も、ずっとずっと繋がっている。

何日かぼんやり考えていることは、恋愛とSMとセックスについて。パートナー志願が現れて、私は何だか戸惑っている。面白そうだ、楽しそうだと思う反面、恋愛やセックスに繋がっていく可能性もあるんだろうかと考えると、重い話だなぁと感じるのだ。破綻や不信の始りのように感じる。パートナーは厳選して厳選するから、私のスローペースについて来れない男は去っていい、と言ったら、納得し楽しんでいた。以後、連絡は一切絶って放置プレイ状態にしている。
口だけの「厳選」なら、言わないほうがましだから、本格的に厳選中。厳選しながらも、迷っている。運悪くも私が設けるハードルを乗り越えてくる人間が残ってしまったら、私は次にどうすればいいのか考える。その先を考えていない。乗り越えてくる人間なんていない、今乗り越えても次は無理だろう、私が逃げてしまうだろう、追っては来ないだろう、追ってほしくもないし、ではなぜ私は話をするのだろう、と矛盾した感情が交互に訪れる。


今日は、どうでもいいことを書こうと思って書いている。コメント欄を閉じて、独り言のように書いている。普段は、このブログの片隅のウィンドウのツイッターでどうでも良いことを呟いている。一時期、私のボーダーの症状が重くなったときにツイッターは外した方が読者の皆さんにとって良いと考えたのだけど、考えが変わった。
ありのままの私というのであれば、ツイッターもありのままの私だ。文字制限があって一度に140文字しか入力できない。自然とどうでもいいことや簡潔なものしか呟けない仕組みになっている。
ボーダーで攻撃的になっているとき、私は140文字の中で自分を罵り世界に失望した。また同じことがあるかもしれない。あの140文字という檻にボーダーである私という獣を閉じ込めて、陳列しているようにも思えた。あの檻の中から外に出ることがなければ、私はボーダーの当事者や、対処に困っている家族や恋人や周囲の人、境界性パーソナリティ障害に全く触れる機会のない人たちにも、何がしかの情報を提供できるかもしれないと思った。

我を失った呟きは、まあ痛々しくて、痛いという一言に尽きるのだろうけれど、痛くないメンヘラ、痛くない病人っていうのも嘘くさいだろうと思う。
特に、境界性パーソナリティ障害が痛々しくない筈はないと思う。愛されたくて見捨てられたくなくて、みっともなかろうが何だろうがピエロのように踊り狂ってしまうのがボーダーの一つの特徴でもある。


明日は、本当に寝てる場合じゃないよ自分。大阪に戻らなあかん。
大阪に戻って、切れた薬を貰い、医者に行き、カウンセラーに1ヶ月以上ぶりに会って話して、大阪弁のボケとツッコミで溢れた街を歩きたい。そしたら、この硬い硬い、ずっと硬い続きのブログも、ちょっとは柔らかくなると思う。硬い文章ばっかりも、私らしくないのです。居心地が悪くなってくる。あれもこれも書きたい強欲なのかもしれない。


起きたばかりですけど、また寝ます。
全然普通に熟睡できそう。
おやすみなさい。
また明日。



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美鳥(みとり)

Author:美鳥(みとり)
被虐待サバイバー。解離性同一性障害、うつ病、対人恐怖症ほか色々闘病中。境界性パーソナリティ障害寛解しました。毎日の光と影を綴ります。生育歴・来歴・病歴・活動はこちらをご覧下さい⇒<はじめに Profile>

講演活動・ユーストリーム放送しています。
講演のご依頼ご相談は、当ブログメールフォームからお願い致します。

診断名の有無に関わらず、生き辛さを抱える方々と温かい繋がりを目指しています。ご感想ご意見など、お気軽にどうぞ。お待ちしています。

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