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2008/08/31 (Sun) 愛情放棄 ? 引きこもり・強迫性障害 ?

母と弟が喧嘩している。かなり最悪な空気だ。

15年引きこもって、完全に人とのコミュニケーション能力を失った弟は、家族と小声の命令形でしか話さない。口調は、どこかの国の皇帝のようだ。誇張ではない。
小声なのは、引きこもっている自分を近所に恥じるが故、自分の存在を隠すためだ。

社会経験のない弟は、この家で唯一の子供となったせいか母親から頼られることが多い。特に金銭の管理や、資産運用、弟がやっている株の資金源も両親のものだし、今現在揉めているのは、母が所持しているクレジットカードの一枚を破棄しろだとか、しないだとか。

私は、弟は実年齢で見てはならないと思っている。彼は、幼稚園児だと思っている。成長過程で通るべきところを通らなかった。随分と前の段階で躓いていたツケが、15歳で一時に襲ってきただけだと思っている。
幼稚園児に、一家の家計や金銭の管理をさせるのは常軌を逸している。

弟は、強迫性障害、強迫性人格障害のために、一から十まで完璧でなくては気が済まない。我が家には、一日に朝と夕合わせて3紙?4紙の新聞が届くが、これを家族の誰かが手に取って<汚染される>前に、彼は一字一句洩らさず読みきらなくてはならない。

同じく、親が資金を出して弟に任せた株も毎日毎日、一分も休まず取り組んでいる。株、株、金、金だ。月に1度、100円を使うことも恐れる弟が、株の利益と不利益に固執し振り回され続けている。本人は「株で儲かったら本を買う」「株で儲かったらパソコンを買う」「姉貴にも儲かったら小遣いやるからな」と言うが、私は小遣いも何もいらないしマイナスが出てもいいから、いっそ外出して数百万円の豪遊でもして世界を知って欲しいと思う。
世界を憎み、自身を卑下し、世の中の人間を小馬鹿にして生きている彼には、伝えても伝わらないだろうから言わないけれど。

彼が強迫性障害を発症し、悪化していく様を私と東京の弟MTは親から聞いては「いっそショック療法で風俗にでも一度行けばいいのに」と、半ば本気で話し合った。緩やかに人が死んでいくのを、この実家で毎日目にする。


母は、色々なことを深く考えるのが苦手な性質だ。
だから、クレジットカードだとか資産運用だとか、面倒なことはつい弟に任せるようだ。管理権兼管理義務を負った弟は、以後、必ず何かと口を出す。
自身が働けないことを申し訳なく思っているのか、もうそんな気持ちも殆ど失せ、社会に出ることは二度とない自分は死んだも同然と思っているように私には見えるけれど、弟は金銭にうるさい。細かすぎる位、細かい。倹約に倹約、絞りに絞りたがる。一切余分のない切り詰めすぎた金銭感覚は、私は見ていて息苦しくなる。


その弟と母が、クレジットカードを巡って喧嘩している。
互いに何について苛立っているのか分からなくなっているようだ。
弟は、母の考えが浅い、金銭管理がなっていないと苛立っている。
母は、弟の偉そうな口調や小声だけれど怒鳴る非常識な話し方、普通でない振る舞いに怒っている。弟がクレジットカードについて命令形で「だから言っとるやろ!このカードはいらんやろ!解約しろ、言うてんねん!」と言えば、母は「あんた自分が使った食器くらい洗ってよ。それくらいできる普通の人になろうよ・・・その話し方も普通じゃない常識じゃないよ・・・」と苛々投げ捨てるように応じている。
会話として、成立していない。
けれど、二人は延々同じパターンで会話している。最早、コミュニケーションではなく、互いに壁に向かって不満を吐き捨てているに過ぎない。


私は、無関係にこの記事を書いている。
弟が、深夜に偶然聞いて気に入ったという曲をさっき私に「この曲いい曲よな?」と話しかけてきたけれど「そうやな。ええ曲やな」と相槌を打ってから文鳥を遊ばせていた。弟は、まだ私と何か話したそうだったけれど、私は応じることが出来なかった。
弟に暴力を振るわれたり、脅迫されたり、殺すぞと言われたり、毎日小声の命令口調で一方通行に怒鳴られ、興味があろうとなかろうと株と金の話だけして、私が興味を示すものには必ず悪意や嫌悪の茶々を入れる。そんなことの繰り返しだと、弟を何とかしたいという気持ちとは別に、友人としても付き合いたくないという感情が否応もなく生まれてくる。
姉や弟というものは、そういう感情で留まるものなのかもしれない。東京の弟MTが、今や私にとって弟ではなく異性の親友のように感じているように、年齢と共に兄弟を単純な血の繋がりのみではなく、人間性からも見るようになった。
成長し自立するにつれ家族や兄弟という枠組みから解き放たれ、自然、血縁よりも相性や好意を重視するようになるのかもしれない。

こんな感情を持ちたくはないのだけれど、心の中に存在するわだかまりや恐れや嫌悪は、どうしても否定できない。自分の身を護るためにも、心を護るためにも。
MKを生んだ母は、こんなふうには彼を見ることはないのだろう。そう信じたいが、母親になったことがない私には、よく分からない。



昼間、母が「あともう一つ、違う仕事がしたいのよね。バリバリ働きたいのよね」と言った。
私は「仕事があるとしたら、弟を治して外に出してやることだよ」と軽く言った。
重い話題ではあるが、あくまでも軽い口調で話さねばならない。会話の導入部分で母が面倒がってしまっては、会話が前に進まないことを散々知り尽くしたからだ。
母は、いつものごとく「でも、MKが病院に行かないじゃないの。薬を飲もうとしないじゃないの。薬を飲んだら早く治るっていうのに・・・」と言った。聞き飽きたセリフだから、言い飽きたセリフで返した。
「強迫性障害は薬で軽くなるけれど、人間不信は薬では治らない。病院でも治らない。人間不信が改善されない限り、彼の場合通院も不可能。この世界中で1人でもいいから、好きな人、信頼できる人、愛情を持てる人が出来なければ無理」と話した。

母は最初、「1人でもって、あんたあの子は外に出ないやん。外に出ないのに、どうやって会うのよ」と言った。「だから、お母さんかお父さんしかいない。一言で言えば、お母さんしかいないよ」と伝えたけれど、母は黙ってしまった。
「あの子は、小さいときから外が嫌いだったし、人見知りだったよね」と母が言うから、「それはそうだけど」と答えてから、内心で「人見知り全部が引きこもるわけじゃない」と思った。母は、いつも先天的な原因に責任転嫁したがる。

それから、「愛情ならあるでしょう」と言った。何のことかと一瞬思ったが、よく聞いてみると弟MKは、母からの愛情も感じているし、彼自身も家族を愛しているじゃないか、と言う。
全て誤りだと思ったけれど、殆どについて黙っていた。
我が家に、無理解と無関心は存在しても、愛情は存在しない。愛情とは、心安らげることだ。MKが、家で安らいでいないことは、誰の目にも明らかだ。椅子すら<汚染されている>と言う弟は、一日中立ちっぱなし。眠るときはソファに新聞紙を広げて張り合わせ、座って寝ている。常に自分の持ち物が<汚染>されないかと気がかりで安心できない。人が話すのも唾が飛ぶと言って嫌う、逃げる、ときに罵倒する。


愛情や安心感について母に話しても、理解されないことは分かっている。
だから、ただ一つだけ、母に言った。
「愛情と執着は似てるけど違う。弟は、お母さんに執着はしていても愛してはいないし、愛されているとも思ってない」
母は、「そうなの?」と言って、何を考えているのか何も考えていないのか黙った。
沈黙から感じ取ったのは「愛情ならあるのに本人が感じようとしないんだから仕方ないじゃない・・」という彼女の呟きだった。本当のところは分からない。ただ、違うことを感じているのであれば、今現在はもう少し状況はましになっている筈だ。
母は、そこで違う話をし始めた。弟のことを話していたのと同じ調子で、仕事場の人のことを話し始めた。私は、紅茶を飲みながら軽い軽い落胆を覚えたけれど黙っていた。
この落胆の連続が、ずっと続いていくのだろうと思う。完全に諦めることは出来ないが、出来ないことが、こうしてブログを書く原動力の一つになっているのかもしれない。
書いて伝えずにはいられないのかもしれない。
引きこもって15年。外には一切漏れることがない、我が家の現実。引きこもったまま15年過ぎた私の弟の現実を、外側に伝えたい。この完璧に閉じられた我が家の外へ、外へ。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

境界性パーソナリティ障害と対人恐怖で、コメント返信やメール返信が難しい状態です。
今月は不調続きで、ボーダーの症状を抑えるため、ご迷惑をおかけすることがないよう、対人関係が回避傾向にあります。にも関わらず、変わらず応援して下さる方、いまだお返事一つ書けない状態で初めてコメント下さり通ってくださる方、ありがとうございます。
お待たせして、本当に申し訳ありません。
末文になりましたが、最大級、感謝致します。足跡を残して下さる方も、ただ読んでくださる方も、偶然来てくださった方も。
いつも* uta+cotori *を読んでくださって、本当にありがとうございます。


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機能不全家族 | comment(4) |


2008/08/28 (Thu) よにんぐらし 宇仁田ゆみ著

よにんぐらし(4) (バンブー・コミックス)よにんぐらし(4) (バンブー・コミックス)
(2008/05/17)
宇仁田 ゆみ

商品詳細を見る



大好きで大好きで、本屋に行く度新刊が出ていないかとチェックしていた漫画「よにんぐらし」の最終巻が出た。一気に読んだ。
大きな事件もドラマもない。四人家族の、ありふれた日常が散りばめられた漫画だ。
よにん家族の、ありふれた日記のようでもある。
大好きな作品。


漫画の冒頭の「人物紹介」を引用。
ちはる(おかあさん 本田家の常識部門舵取り役)・本田タロー(おとうさん 一年の半分は半袖)・ゆり(おねえさん 悩み多き元気少女)・コタロー(おとうと 一年中ハダシ半ズボン)


作中で、ちはるとタローが子供達から「おかーさん」「おとーさん」と呼ばれているところが、何だかあったかい。タローが自分のことを子供たちに「とうちゃん」と言うのも、あったかい。
場面場面に、子供の素直な感性が生き生きと描かれている。その都度内心驚くちはるとタローが見ていて、楽しい。
母親のちはるが子供に接するときの目線が、とても優しい。大人としてやさしい簡単な言葉で、ありふれた世界の一つ一つを教えていく。私は<母親>という存在やイメージが苦手なのだけど、ちはるには抵抗なく共感できる。温かい気持ちになる。

父親のタローは、妙に味がある。虫が大好きで、公園の木で見つけた蝶のさなぎが羽化するのを夜を徹して見に行ったりする。田舎の少年のように元気で飾り気がなく、でもやっぱりちゃんと子供たちの父親、大人だ。

大人と子供が混同されたり、大人が子供に媚びたり、子供が窮屈な思いを一切しないのが良い。読んでいて、平らかで和やかな気持ちになる。

この「よにんぐらし」の中に登場する、ヨッちゃんというギャルママも好きだ。ギャルとまるで縁がなさそうな夫直人の素朴さも、心和む。


ありふれた日常の些細な一コマを、紙とペンだけでこんなにも面白く温かく魅力的に描き出せる作者宇仁田ゆみは、実力がある漫画家だと思う。
機能不全家族で育った私には、機能している家庭というものがどんなものか具体的に想像できない。それが、この漫画の中には、当たり前のように存在している。
嘘だ、嘘くさい、など思わない。家族の誰一人無理することなく、それぞれを尊重できている。そんな家族が、自然に描かれている。よにんそれぞれがそれぞれの表情で、笑っている。ありふれた話でありながら、説得力がある。

ドラマチックな展開も、大仰なハッピーエンドも一切ない。どんな話?と聞かれたら、よにんで暮らしてる話だよ、としか説明できない。とてもとても、ありふれた温かさに満ちている。ただ、それだけなのだ。それだけだけど、何度も何度も読み返している。
最終巻を読み終えて、とても寂しい気持ちもあるけれど、何年経っても手元に持っていたい大切な漫画の一つになった。



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本棚 | comment(6) |


2008/08/27 (Wed) 透き通る日も 曇り濁った日も


スター aiko 歌詞情報 - goo 音楽



寂しいと濁ってしまう
本当は何が欲しいのかも分からなくなってしまう
贋物でも何でも良いことにしてしまう


間違いに気づけてよかった
本当は簡単じゃないものが欲しい
だから手に入らなくてもいい

届かないから憧れる
強くなりたいと願う
大切にしたいと思う


あぶり出される言葉がいつでも
私を拒絶するわけじゃないんだ




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境界性人格障害 | comment(5) |


2008/08/26 (Tue) 絆創膏があればいい

起きたら枕元にティッシュが何枚も丸めてあって、広げてみたら血が染みていた。なんだろうと思ったまま、かなり不調なので考えるのも面倒で寝ていた。
少しだけ庭に出ようとしたら、足が痛い。見てみたら両足を5箇所切ってあった。カミソリが行方不明だけど、どこに行ったか分からない。足が痛いのと、精神的に昨日から臨界点を越えてしまって、もうどうにもならない。構わず歩いた。

でも、手当てするべきなのだなと今これを書いていて、思いついた。病院へ行くと手当てしましょうと医者が言うのだが、私は手当てをいつも思いつかない。

うかつに身体に触れられるのが嫌で、いつも断る。誰にも触れて欲しくない。野良犬か野良猫に似ていると思う。可哀想だからと一度ミルクをやったなら、二度目はどうするのか考えてなきゃいけない。飢えた野良は、ミルクをくれた人間の都合など考える余裕がないから無条件で頼る。どこで切り上げるのか。医者の場合は、当然、診察の十数分で切り上げる。
薬を塗られて包帯を巻かれ、でも家に帰るときは1人だ。

謎のメールが一通来た。私は覚えがないが、向こうは私のことを知っている模様。昨日は、ありがとうとか、書いてある。わけが分からない。解離したときに何かどこかで接触したのか。返信して訊くべきなのか、何か危ない匂いがするのでスルーすることにした。
もう自分がバラバラでよく分からない。

足を切られると、どうしようもない。移動できない。靴が履けない。困った。
夕方に決まって具合が悪くなるということを忘れていて、大阪に移動しようとしたのだけれど頓服を飲んでダウンしているうちに、動ける時間じゃなくなった。
そしてまたも不安になっている。
1人で暮らせるんだろうか、と。

ここで暮らせるわけでもないし、暮らす気もないけれど、単純にいつも不安になる。大阪で私は、いつもどうやって一人で暮らしているんだっけと、忘れてしまう。
足のことも隠せた。パニック障害の発作も、いつものようにトイレでやり過ごす。ダウンすれば、こっそり頓服を飲んで怠惰に昼寝していることにする。
これしかないけれど、これでは駄目だ。
目的がある。十分休んだから、また一歩先に進む時期が来た。
歩きたくない私がいるなら、歩くべき私もいる。
いつも足を切る私がいるが、もう慣れた。うんざりして腹も立たない。
どれだけ切ろうが好きに切ればいい。絆創膏が皮膚代わりになる。
自暴自棄と意地の区別が、つかなくなってきた。あまり良い傾向じゃない。
何だかとにかくボーダーでACで解離がお得意な自分にうんざりだ。
とりあえず生きてるから上出来。



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解離性同一性障害 |


2008/08/25 (Mon) 腔腸動物

AC特有の思考が止まらない。
自分の行動や思考や在り方全てに、点数を付けずにはいられない。採点は、減点方式。考えれば考える程、点数は減る一方という仕組み。
点数は、自分から見た自分ではない。あの人は私を見て、ここに幻滅するだろう、あんなところも嫌だろう、私と接触するのも嫌だろうと、具体的な誰かの心の中を推測して点数を付ける。減点対象となるチェック項目は、私の欠点ではない。私の存在価値だ。
どこからどう考え始めても、着地点は自己嫌悪と決まっているから、もういっそ考えずに済めばいいのだけど、堂々巡りに考える。
鬱というより、アダルトチルドレン、プラス、境界性パーソナリティ障害特有の極度な見捨てられ不安。見捨てられる前に、どういう理由で見捨てられるかまで予測して、心の準備を怠るまいと、みっともないくらいに必死で1分刻み1秒刻みに生きている。


生きていたくない。ふと気絶して、そのまま永久に目が覚めなければいいな。もしくは思考を一切停止して、食べて寝て欲求を満たすだけの道具になりたいな。だけど笑顔でいる。生きているのが嫌だ。食べたり飲んだりも空々しい。虚しいのに、ずしりと重い。無気力。何もしたくない。でも何かしなければ駄目になる。誰とも話したくない。けれど誰かと話したい。

自分の存在そのものが気持ち悪い。生きている肉体が、気持ち悪い。思考も感情も、気持ち悪い。
一日中吐き気がしていた。パニック障害の発作の予兆が襲ってきたけれど、何とか乗り切った。食事はきちんと食べた。生きているのが嫌になって、今まで聞く気にならなかったジャンルの音楽ばかり携帯に詰め込んだ。音楽が、せめて気分だけでも違う私を形作ってくれるかもしれない等と、淡い期待をしたのだろう。一日中PCに向かっていて、くたびれた。でも家族と話すときは、やたらと明るく元気だ。1人になって自分と向き合わざるを得ない時間が訪れると、生きているのが嫌なんだと実感する。
私が分裂している。
死にたいけれど、生き生きとすること。笑いたくないときに、笑うこと。ゴミになって打ち捨てられていたいのに、有能な人間のように活動すること。
どれも私の得意分野だ。

「さびしい」という言葉を封印したのが、良くなかったのかもしれない。かといって、もう取り戻そうとも思わない。ただ虚しいだけで、その空虚さを埋めようと期待や努力をすることがなくなった。捨て鉢でも何でもいいから、私が出来ることを精一杯やれればいい。そのために私は、誰かと繋がりながらも独りでいることを覚悟した。選択肢なんて、ない。虐待は許せない。他者の痛みへの無関心には、怒らずにはいられない。私に出来ることがあるなら、死んでもいい。私が生きていることで迷惑をかけるのなら、弱音を吐く心を殺したい。
私は、本当にさびしくなくなってしまった。
茫漠とした虚無感に慣れることができずに、中途半端に生きている。叶いはしないと知っているのに、恋愛相手を探してみたり、ありふれた家族に憧れたり、今より友達に心預けられる自分になりたいだとか、ぼんやり思っているときがある。それは不可能だと、それもまたぼんやり思い出す。
ぼんやりしている私は、空っぽの内側を生温くぬめらせて生きていく。
卑しい腔腸動物だ。生臭くて吐き気がする。



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境界性人格障害 |


2008/08/24 (Sun) 殺される前に死にたい ? 境界性人格障害・人間不信 ?

限界が近いと感じていたのは気のせいではなかった。
大好きな作家の新刊が出たので嬉々として読んだら、内容がまずかった。
抑えてきた境界性パーソナリティ障害の症状が、臨界点を越えてしまった。

その作家が書く主人公は、いつもアダルトチルドレンの典型みたいな主人公。劣等感と人間不信と見捨てられ不安で一杯で、本当は誰かに助けを求めたいけれど、諦めて黙って生きている主人公。
恋することで、ありのままの自分を受け入れて貰える喜びだとか自信だとか、生きている実感、人生が外に開かれていく新鮮さ、信頼し、信頼してもらえる安堵だとかを覚えていく。心の成長物語といっていいかもしれない。
心情をいつも丁寧に描く作家だ。作家自身、間違いなくアダルトチルドレンなのだろう、しかし、ありのまま誰かに受け入れてもらえる安心感、ありのままでいいのだという承認を実体験してきたのだろうと、いつも想像する。

作家の短編「真珠のカケラ」は、まさに私自身の物語のようにも感じる位、作家が書く小説は、いつも私の心を丁寧に一つ一つ拾い上げて言葉に変換してくれる。
だから、シンクロ率が高い。感動もするが、衝撃も大きい。

主人公は、恋が出来るが、私は恋が出来ない。恋愛を嫌悪していると言っていいし、男性を信用していない。信用できない。では、女性を信用しているのかと問われると、やはり信用できていないらしい。つい最近のカウンセリングで初めて自覚して衝撃を受けた事実だ。
随分と人間不信から回復したと自分では思っていたのに、実際は、私はただ意固地に一人で生きることに固執するようになっただけで、誰かに心預けるだとか、誰かの前で心を解く、もしくは寛ぐことができていない。言葉が話せるようになっただけ、人を好きだと思える瞬間が増えただけ数年前よりも千倍、万倍もましだが、その頃とは単に苦しみの質が変わっただけのような気もする。

私は、恋が出来ない。恋愛は、文字通り私を殺す気がしている。真夜中の山中で無理心中されかけた経験のせいかもしれない。
その時のことを私は情報としか思い出せず、私でない私の記憶としか自覚できないけれど、「恋人の前でうっかり眠ると殺される」だとか「愛していると口にする男は危ない」だとか「情熱は人を殺す」「愛することは殺すこと、支配すること」だとかいう警告だけは、明確に脳に刻まれている。


これまでの長い長い苦しみは何だったのか。うっかりメールを書いて送ってしまった。
至極冷静に書いたつもりでいて、メールを短くしよう、短文に短文に、と考え削れるだけ言葉を削って用件だけにしたら、最悪なメールになったようだ。
送信してしまった後で、読み返すのも恐ろしいが最低なものを送ってしまったかもしれないと思った。


崖っぷちに追い詰められたとき、誰かが私を突き落とそうと一歩ずつ私に近づいてきたとき、選択肢は二つしかない。
相手に突き落とされれて死ぬか、突き落とされる前に自分から飛び降りて死ぬかだ。
前者の方が、私は怖い。
どちらにしろ私は死ぬのだ。だとしたら、前者はショックが大きい。殺されるショックも大きいが、相手が私を嫌ったという事実が更に大きい。
後者は、まだましだ。傷つけられる前に死んでしまえば、せめて相手から嫌われてはいないかもしれない、という僅かな可能性だけは残していられる。自分から死んだのだと思えば、相手から嫌われていないかもしれないという微かななけなしの慰めを残していられる。


私を敵視して食って掛かる人間など、どうでも良い。罵倒や拒絶には、子供の頃から慣れている。不快な感情は、今の私を生かせこそすれ、私の自尊心を一筋も疵付けることは出来ない。
好意や友情や愛情は、違う。温かい信頼ほど、恐ろしいものはない。
信頼する気持ちが育てば育つほど、私はすぐさま死ぬべきだと自動的に考える。
悪意や敵意の先にあるものは、見慣れている。暴力と支配、服従か反逆かだけだ。
温かい信頼の先にあるのは、一体何なのだろう。
その先を、私は知らない。唯一、情報として持っているのは、信頼すれば殺される可能性が高い、ということだ。体も殺されるが、その前に心を殺される。
心を少しでも誰かに傾けて肩透かしをくらうくらいなら、最初から1人で立てる限りは立っていたい。

けれど、実際の私は一人で立ってはいない。
誰にも完全には心許さず、ふとしたことで孤独に絶望しては、生きていて何になる、と死にたくなる。本当に死にたくなる。完全なる孤独は、何も生み出さない。真っ白なだけだ。

小説を読んでいて、いつの間にか主人公に自分を重ねていた。
愛されること愛すること、誰かとささやかでありふれた生活の一部を共有すること、自分がいなくなったら困る人がいること、温かく抱きしめあえること、手を繋げること、食卓を共有できることは、いいなと思った。ドラマチックでなくてもいい。
私は多分、恋愛がしたいんじゃなくて、家族が欲しいのだ。ありふれた家族が。

私の今の生活の中には、小説に描かれたシーンのひとかけらも存在しないことに気づいてしまった。これまでにも、そんなものが存在しただろうか。存在したかもしれないが、全ては殺されてしまった。信頼の先には、裏切り、惰性、暴力、エゴしかない。


今日まで頑張ってきたボーダーの症状に、私は負けてしまった。
泣いたらきりがないと思い自分を誤魔化し、眠ってしまおうとしたらパニック発作に襲われた。死ぬかと思った。死ぬかもしれない以上に、家族にばれるのが怖かった。えらい騒ぎになることは必至だ。頓服を1錠飲んでも効かなくて、出来るだけ飲みたくないが落ち着くまで追加した。
涙が止まらなくなってきて、布団をかぶって泣いた。死にたかった。方法はどうでもいいから、とりあえずあと5分後には生きていたくないと思った。思っただけで、死ぬのも面倒だった。
今の私は、中途半端に回復していて、ぽとりと死ぬことが出来ない。
思うよりも遥かにエネルギーが要る。
分かっているから、責任の取り方にエネルギーを回すべきだと思った。
渾身、気力を振り絞って出来うる限り冷静に何日も何日も考えに考え、抑え付けて抑え付けて書いたメールは、最悪だった。でも、信頼と恐怖の半分半分で常に出来ている私の半身、恐怖には完全に即した内容になっている。あれもあれで、嘘じゃない。でも、あれだけじゃない。
光と影のように、怒りや悲しみや絶望の傍らに、いつも信頼や好意や期待や確信が立っている。
たまに片方しか見えなくなる。光がふいに消えてしまう。死に物狂いで努力しても努力しても、歯を食いしばっても地に爪を立てても、光はふいに消えてしまう。

嘘をついたようでいて、嘘ではない。影は、私の子供時代。
光は、私の意地。でも、意地だけでは光は護れないようだ。

信頼に足る人、近しい人が天敵。
罵倒する人、支配したがる人、虐げる人は、不本意だろうが懐かしくて身に馴染む。
DNAに刻まれてしまったのかもしれない。
人間不信、対人恐怖、境界性人格障害。
影を押さえ込み、光を大切に護り続ける方法がどうしても分からない。
ボーダーの私は、また人を傷つけた。


○お知らせ○
お返事が遅れています。本当に申し訳ありません。回復を見て必ず返信させて頂きます。応援して下さる方、クリックしてくださっている方、まだお話したことがない読んでくださっている方、お一人お一人に感謝をお伝えしたいです。いつも本当に、ありがとうございます。


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境界性人格障害 |


2008/08/21 (Thu) 脱線間近 ? 境界性人格障害 ?

私は、境界性人格障害だ。
自分がそうだと自覚が出来るまで、随分と失敗してきた。
ターゲットは、誰というのでもない。主に男性に対してだが、相手が女友達であっても、相手との距離感が分からなくなることが頻繁にあった。
境界性人格障害に関わらず、相手との距離感がよく分からない人と、多く出会った。
不必要に攻撃的であったり、嫉妬やっかみが強かったり、私をコピーしようとしたり、私をコントロールしようとした。

回復期にあると信じている今の私は、あくまで回復期であって、回復したわけではない。
中途半端な状態が、物凄く苦しい。
毎日更新するか、一日に2,3度更新することもある中で、5日もこのブログを停止していたのは、苦しかった。思うままに書けば、間違いなく誰もが気分を害する言葉しか書けないし、そんなときの自分の呪いには私がうんざりしているから、書かないことにしていた。
無理せず言葉が出る一瞬の安定を狙ってメールを返信したりしたけれど、すぐにまた苦しみにのまれた。

そんな日々からようやく立ち直ったかに見えたが、依然として心がずしりと重い。
どうしても、どうしても確認しなければ気が済まない事柄がある。或る程度、私の症状を知る弟MTは「メールも電話もよせ」と言う。私も、これは私だけの問題なのだから、私個人が解決することだ、何から何まで確認を取らなくては関係に不安を覚えるのは私の問題だ、と自分に言い聞かせて、連絡を取らずに我慢すること数日。

しかし、もはや限界が近い。
相手は、一時私のターゲットにもなった友人だが、病気を理解しようとする姿勢を貫いているがために私は何度も助けられている。だから私も尊重せねば、尊重したい、と自身に湧き上がってくる境界性人格障害特有の見捨てられ不安や相手への猜疑心、私は騙されているのではないか、私は軽く見られているのではないか、という被害妄想を抑えつけている。
けれど、抑え付けているものは永久に失くならない。失くならないが故に、私は人格障害なのだ。どうすれば良いのだろう。

頻繁に連絡を取るでもない私は時間を持っているが、彼は仕事に忙しく、そして頻繁に連絡を取ることをさほど好まないように見える。私が連絡しなくなったら、そのまま消えるのだろうなぁと確信できる希薄な繋がりだ。相手にとっては、どうでもよい相手の1人だろうなぁ私は、と確信。卑屈に考えているのか、実際そうだからなのか私には判別不可能だ。相手は大して何も考えてはいないだろうし。

だから、尚更連絡を控えるのだが、一方で境界性人格障害という病気では繋がっている。しかし相手は全くの健常者だ。病気の知識を持ってはいても、感覚は決定的に伝わらない。
この無闇な不安だとか、どこまでも落下し続ける恐怖だとか、私は相手にとって無価値でどうでも良いのだろう、ならば応答する相手は私を騙しているのだろうか、という猜疑心だとか。
そういった諸々の感情(症状)を、相手が実感できるわけではない。

伝える方法はないかと「ビンタプログラム(名前はシュールだが30分もあればボーダーの見捨てられ不安を体感できる)」などというプログラムを、冗談交じりに考案したりしたものだが、感覚のずれを人に伝えることはボーダーに限らず、難しい。


我ながら随分と我慢したと思うのだが、我慢しても、どうにもならなかった。ということで、連絡して確かめたいと思い始めているけれど、連絡することで曲解されて、ありもしない裏側を探られるのは嫌だ。そして、不安や恐怖と勝手に無言で戦ってきたが故に、電話した時点で泣き出しそうな自分がいるから、これまた相手にとってさぞや鬱陶しいことであろうと思う。しかも、ビジネスなのかプライベートなのか、最早分からない関係。仕事中に会社に電話して、私は会社でどういった位置づけにされるのか。聞いたところ、仕事柄そんな電話は多いから構わないですよと彼は言った。「そんな電話」て何?と追求せずにはいられなかった私は、もう本当に我ながら鬱陶しいが、まさにボーダーなのだ。
気がかりな不安を全て箇条書きにして、一つ一つ質問してチェックし、採点し、自分が相手にとってどれ位の位置づけか確認したい衝動にかられる。そうすれば、相手にもストレスがかからない適度な距離が分かる。気をつけることができる。いっそ私に、その点を逐一教えてくれ、と叫びたくなる。


相手が忙しいこともあって、電話はやめてメールにするべきだ。
しかし、こちらのメールが25kbの長文だろうが、3kbの短文だろうが、PC嫌いな友人からの返信は常に3kb。
彼に悪意も他意も一切ない、そのような人ではないと知っていながら、ボーダーの私は、メールでやり取りすればする程、自動的に猜疑心と恐怖と不安が膨らんでいく。更には、彼のメールはとても怖い。用件だけを書いてくる。誤解を避けるためだという。短文の理由も本人から聞いて知っているので、普段はその方が近づきすぎるのも怖い私には丁度良かったりするのだが、調子を崩すと、もう恐ろしいったらない。
メールの文章の外側に、行間に、文字と文字の間に「お前鬱陶しいんだよ」「こいつ頭おかしいから適当に流しておこう」「忙しいのに面倒臭い」などと、書かれてもない言葉があぶり出しのように浮き上がって見える。
すべては、私の無闇な恐怖心や人間不信や過去の体験のせいで、勝手に見ている被害妄想のせいだ。言葉による被害に延々遭い続けてきたために、言葉に過剰反応する傾向にある。


境界性人格障害の症状だと理解しているが、理解したところで感情というものは抑えられるものではない。抑え続けると、ある点を越えると、後は逆に急速に膨らみ始める。それはもう、無限大に膨らむこと膨らむこと。
これをまた抑え続けていっても、破綻は目に見えている。そして、ここまで破綻寸前の自分を抱えて、相手と冷静に話せるものではないだろう。
第一、彼は、たまにとはいえ、そんな私に構わなければならない義理はない。
ああ、こんな馬鹿みたいで粘着質で意味不明な執着、自分でもどうでもいいと思っている。どうでもいいと思いたいと思っている。相手は尚更、うんざりだろう。関わる義理もないし。

というような悪循環で、いまだ連絡できずにいる。


心中の地獄ループを、言葉にして書いてみた。実に、地獄ループだ。
停止ボタンがついていないジェットコースターに乗っている気分だ。発狂し猛スピードで走り続けるジェットコースターを止めるボタンは、私が自分で探さなければならない。でも、一瞬も止まれないから、在り処を探している間に朽ち果てそうだ。自分では無理だ。誰か止めてくれ。

これは、ずっとずっと続くのかもしれない。
どうにか自分を保っているが、あと数日これが止まらないなら、もう限界で壊れるだろうなと思う。
ちょっと投げやりな気分だ。
出来る限り、このまま走り続けているうちに燃料切れで事も無くおさまってはくれないだろうかと、珍しく受身で静観の姿勢だ。心の内では、発狂列車がレールを軋ませ轟音轟き火花を散らせて走り続けているわけだが。

「敵は己の心だ!」とか、戦闘漫画でよく見かけるが、境界性人格障害との戦い以上にリアルな「己との戦い」はない気がする。
勝負は白か黒、生きるか死ぬかだ。
うっかり負けてしまったら、自分が自分に殺される。もしくは、尊重したい相手に遠ざけられる。
これだけは、グレーゾーンがない。



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境界性人格障害 | comment(8) |


2008/08/20 (Wed) ポーニョポーニョポニョ♪さかなのこっ♪

以下は上映中の映画「崖の上のポニョ」を見た私の個人的な感想を、ほんの少しだけ書いてみました。これから見る予定の方は、スルーすることをおすすめします。

私は、宮崎駿が日本で人気が故に、徹底分析したい人です。
率直に言えば、毎度どの作品も納得いきません。テーマも伏線も悪くないのに、最終的な作品全体の質は60点いくかどうかだなと感じています。
上から目線で偉そうです。自覚しています。すいまっせん。
今回は、ただの個人的感想です。なので、既にイラッときた方は、以下は読まないでください。
後日、私なりに「崖の上のポニョ」を一作品として分析し、論じてみたいと思っています。



宮崎駿アニメについて、以前書いてみたことがあります。
気が向いた方で宮崎駿の盲目的ファンでない方、不愉快に思われない方だけ、こちらの記事をどうぞ。
◇処女の足だって縺れる

今、東京の弟も実家にいるのですが「崖の上のポニョ」どうよ?という話になりました。
「もののけ姫」など劇場に3度は足を運んだにも関わらず、現宮崎駿嫌いな私は、見てみたいけど見たくない微妙な気持ちのまま面倒なので見てませんでした。

崖の上のポニョは、「不安と神経症の時代に送る作品」と宮崎駿が位置づけてるそうな。
神経症色々で常に不安を抱えてるらしい私としては、何だ私に喧嘩売ってるのか、と勝手に怒り心頭(←自意識が病的に過剰)。機会があれば見るけれど、ハヤオに何が分かる、と上から目線でした。
しかし、テーマがとても気になっていました。気にならないわけがないです。
いまだ見てもない新作を批判しつつ(「見た上で言ったほうがいいよ・・・?」と忠告してくれた友人多数)内心では、期待していました。


「崖の上のポニョ」を2度見た弟MTの感想は、「ポニョは、一見明るいけれど、よく見れば気味が悪い作品」でした。「ボーダー(境界性人格障害)の匂いがする」とも言ったので、ますます興味を惹かれました。
是が非でも見たくなりました。


というわけで、さっそく鑑賞。

以前の記事では一切触れなかった宮崎駿アニメに対する或る懐疑が、ずっとずっとあるのですが、今回の「崖の上のポニョ」を見て、やはり!と個人的に確信しました。

毎度同じパターンの後味の悪さが、今回の「崖の上のポニョ」でも、相変わらず一切改善されていない。
「もののけ姫」あたりから一貫して顕著に見受けられる傾向です。
観るものを毎度毎度、思わせぶりに引っ張ってきておいて、最後の15分ほどで煙に巻く手法。
監督に他意はないのでしょうが、誰か教えてあげた方がいいのでは、と偉そうに思うわたし。


ネットで調べても調べても、ジブリアニメは高評価。
今回の「崖の上のポニョ」も、右に同じ。
今のところ「崖の上のポニョ」のテーマやストーリーの細部までを分析、批評しきった映画評に遭っていません。殆ど見当たりません。
「楽しかった」「可愛かった」「面白かった」「絵が綺麗だった」「ぽーにょぽーにょぽにょ♪(←気がつくと私も一日中歌っている・・・)」こんな感じが大半です。

「理屈抜きに楽しめばいい」という感想が幅を利かせてるようだけど、そこに落ち着いてしまったら宮崎駿の思惑通りです。思惑とかって、どんだけ腹黒い見方してるねんと、全国の駿アニメファンを敵に回しそうでチキンな私は若干怖いです。でも、思惑は思惑ですよ・・・
「楽しかった」「面白かった」などの感想に紛れて「意味が分からない」「説明不足」という感想も、ちらほらと見受けられるのも事実。



私の個人的感想としては、一言で言えば、「崖の上のポニョ」は、予想以上に薄気味悪い仕上がりの映画でした。ポニョは可愛かったです。しかし一作品として、薄気味悪かったです。

最初は、子供向けメッセージと、物を考えて見る大人向けメッセージと、敢えて監督が二重構造に製作しているのだな、と見ていました。実際、脚本も話のつくりもキャラも、二重構造になっています。私が見る限り、そうでした。その見事なつくりには感嘆しました。

しかし、そのクオリティが維持されたのは途中まで。
いつもの宮崎駿監督の悪癖とでも言うのか、最後の15分で、これまで引っ張ってきた肝心のテーマを丸投げしちゃった。

意図的か?と思いきや、開き直ってる感が否めない。素っ頓狂な唐突なエンディングと、ダメ押しのように流れるポニョのテーマソング。
開き直り、極まれり。
あれだけ技術を持ったスタッフと、監督自身日本アニメ界を背負う大人物でありながら、なぜ最後の最後で自分が引っ張りに引っ張ってきた当初のテーマを丸投げしてお茶を濁すエンディングにしてしまうのか。甚だ疑問です。

監督は、「映画を見終わった子供達がポニョの歌を口ずさんでいて欲しい」と仰っています。子供だけじゃなく、いい年した大人の私も漏れなく「ポーニョポーニョポニョ♪さかなのこっ♪」と歌ってしまいます。歌わずには、いられないのです。詳しい感想を求められても咄嗟には出ないというか、アホみたいに思考が停止します。停止せざるを得ないつくりになっているのです。

テーマは途中で丸投げされているのに、勢いだけは最後まで維持されています。あれ?と戸惑っているうちに、何か楽しくて覚えやすい歌が最後に流れて「わぁい!何だか分からないけど楽しいや」となってしまう。むしろ、楽しまないと損、童心に返らねばならない、という強迫観念すら芽生えます。
作画やキャラや色彩やそこらへんは、さすがジブリですが、逆の意味でも、さすがジブリといわざるを得ません。宮崎駿監督は、これが限界なのか。



偶然今日、新聞で見かけた宮崎駿と親しい鈴木敏夫という方が書いているエッセイを読みました。
読むなり、またもや色々言いたくなりました。(←つくづく偉そう)

そこには「宮さんは、自分は72歳で死ぬと言っている」と書かれてありました。要するに、監督は、自分は72歳で死ぬと予測しているというよりも確信して、鈴木さんなどに話してるらしい。

ほんまやな?


所詮、人間は人間。
寿命を1人勝手に確信して口にする人というのが、私は苦手です。当たってようが、当たってまいが、それは今日の占いでA型は1位だった並にどうでもいいことです。
自分の感覚を信じるのは、良質な作品作りには不可欠。しかし、それが自己崇拝にまで濃縮されてしまったら、最終的には作品作りの足元を掬いそうです。


そもとも本人が口にする死ぬ死なないほど、あてにならないものはない。
弟MTと話しました。
好きな漫画家、古谷実の漫画には、おっぱい星人が必ず出てきます。
おっぱいが大好きなので「俺は○○のおっぱいが見られるなら本気で死んでもいい!」とのたまいます。周囲が本人に何度確認しても「死ぬ!絶対死ねる!」と言うので、実現させてやろうと手を貸すのですが、実際見れたところで、全然死ねなかったりするのです。
そんな漫画、そんな人間が好きなので、新聞で読んだ上記の宮崎監督のエピソードは、何やらカリスマ特有のいやらしい自己暗示に思えて、いやーな気分になるのでした。ジブリにおいてヒエラルキーの頂点にいるのだなぁ、天辺たる自分を崇めているのだなぁと、いやーな気分になるのです。


「不安と神経症の時代」と銘打たれた作品ですので、あらためてレビューを書きます。
書きますと言ってアップしてない記事が溜まってきてますが、全て覚えています。毎日気になっています。忘れ去られた去年のとかでも、自分で覚えています。すいません・・。書きたいことが一杯で、なかなか一つずつ消化できてない状態です。
ブログはずっと続きますので、必ずアップしますので、気長に遊びに来てください。


後で製作現場に密着した「仕事の流儀」の録画を見ます。
内容は知りませんが、見たらレビューを書かずにはいられないと思います。
その際は、微に入り細に入り作品を細かく分析し、作中に並べられただけで丸投げされたテーマについて、論じる予定です。


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日々日記 | comment(2) |


2008/08/19 (Tue) 再開します

気がついたら随分と長いブログ休暇になっていました。皆さん、如何お過ごしでしょうか。
私は、主に庭木の剪定に専念をしておりました。切って切って切りまくり、なぜ私は剪定職人にならなかったのかしら、素人にしておくには惜しい腕だわ、と自画自賛して翌日、疲労がたたって漏れなく寝込む日々でした。体力がなさ過ぎるので、剪定職人は諦めます。
切る、捨てる、が苦手な両親は喜んでいました。祖母存命の頃は、何でもかんでも捨てて切りたがる祖母の仕事だったのですが、私が受け継いだようです。剪定しているとき、どの枝が不要かと樹木全体を眺めるとき、忘れ去っていた過去の様々な嫌なあいつだとか、そいつだとかを思い出して、黒い気持ちになるのです。私の心の中のダークマターよ、さようなら。思いをこめて枝を切りますと、一枝ごとに心が晴れていきます。


やおら関係のない話ですが、人から言われて気づきました。今日誕生日でした。ハッピーでも何でもないです。サザエさん方式を2年ほど前から採用したため、年は取らないので、ハッピーでもアンハッピーでもなく、昨日も今日も明日もまた、変わらぬ日常が過ぎれば、それで良いのです。肉体年齢はどうでもよいですが、知恵だとかは1年毎に5歳ずつくらいアップしていけばいいな、と思います。洗練されていくものがあればよいなと思います。
おめでとうをくれた友人、ありがとう。誕生日と関係なく私の大好物すいか(巨大で激甘)を送ってくれたN、ありがとう。すいかがあれば、世は事も無し。生きてて良かった。
こうしてすいかのことを書いていると、それだけでまたすいかが食べたい。すいかと、リンゴ飴が大好物なので夏にしか好物を思うさま食べられないのです。今年は、いまだリンゴ飴に遭遇していません。あればダース買いしたい。林檎も飴も好きというわけではないけれど、リンゴ飴になると大好物に格上げ。リンゴ飴とは、あれは飴でもなく林檎でもなく、その味と食感と色が渾然一体となることでリンゴ飴という妙味に到達するのです。


どうでもいいことを、ここまで書きました。
ブログって不思議なもので、こうして書いているときには向こう側に誰かの存在を感じます。読んでくださる方が存在することを実感します。
久しぶりに書くと、どうでもいい近況報告までしたくなります。
久しぶりに会った友人と、何から話していいか分からなくて手当たり次第に思いつくまま話すのと同じ。

ボダから回復しましたので、ブログにお邪魔したりメールの返信を書いたり、コメントのお返事も少しずつ書かせて頂きます。今までお待ち下さった方々、ありがとうございました。おかげで焦らず大波を乗り過ごしました。

更新がない日、死?ん・・としてた当ブログに来てくださっていた方たち、ありがとうございます。ランキングクリックしてくださって、ありがとうございます。返信のあてもない腫れ物状態の私に、コメントくださった方たち、ありがとうございます。
読んでくださっている皆さんに、記事でお応えしていきたいと思っています。
ボーダーの症状は恐ろしいですが、過ぎた後には必ず日常の尊さを実感します。
またこうして、文章が書けるようになって、私は楽しいです。



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日々日記 | comment(27) |


2008/08/14 (Thu) 尊重する:50 死ぬ:50

自分が境界性人格障害を患っていることを、すっかり忘れていた。

突然、絶望と孤独で目の前が真っ暗になった。なぜ絶望するのか、なぜ今突然こんなにも孤独がくっくりと浮かび上がったのか、まるで分からなかった。
布団をかぶって泣いた。嗚咽が漏れないように声を殺したけれど、抑え切れなかった。
孤独、悲しみは、どうしてこんなに苦しいんだろう。どうして果てがないんだろう。孤独で孤独で、どこまでいっても孤独な自分が悲しくて悲しくて、途方に暮れて泣いた。

次に、会いたい人の顔が浮かんだ。そこからは、衝動と理性の葛藤になった。
ボーダーの症状に襲われたならば誰とも会ってはならない。話してはならない。
これは、今までの失敗経験から、何が何でも自分に課しているルール。


私は私自身を尊重するように、大切な周囲の人も尊重しなければならない。決して、自分自身の一時の絶望や孤独がどれだけ深いとも、誰の足も引っ張ってはならない。寂しくても、寂しいと言ってはならない。一言目は、ただの弱音で済むが、同情や関心を貰えばボーダーで判断力を失った私は、必ず相手に依存し、相手を傷つけ、傷つかないなら傷つくまで相手を傷つけなければ気が済まないだろう。そして、一番最後に自分を殺すのだ。

今の私は、苦しい。自分がボーダーだと自覚する前は、まだましだった。今は、自分の不安定さが病気だと知っているから、どこにも感情の逃げ場がない。世界など壊れてしまえばいいと思っていたのに、いつの間にか私は、世界への憎しみと同時に、世界への慈しみを抱くようになった。大切にしなければ、壊さないようにしなければ、と思うようになった。

以前の私には、守るべきものなどなくて、むしろ常に死んでいるも同然だった。だから、いつ死んでも何ら困ることはなかった。必要な人はいたが、大切な人はいなかった。愛でてくれる人はいたが、支えてくれる人はいなかった。必要としてくれる人はいたが、尊重してくれる人はいなかった。


尊重しなければ、尊重しなければここで間違えてしまったら、私はともかく、大切な人を傷つけてしまう。それだけは絶対に嫌だと思った。本当に大切ならば、誰も見ていない独りきりの今こそ、独りのままで独りで戦って勝たなければならない。

湧き上がってくる孤独と悲しみを抑えこんで、自分は一人で生きていける、と言い聞かせた。何度も何度も。そうしていたら、たった今も1人でいられない、誰かに温かく抱きしめてもらいたい、せめて声が聞きたいと考える私なんかが、1人で生きていけるわけがないと思った。

自分自身への憎しみが湧いてきた。
孤独や悲しみや絶望を生む自分の弱さを憎んだ。死ねばいいと思った。邪魔だ。
気がつくと「死にたい」と口にしている。何度もカミソリを手に取って、実家はまずいからどこで切るべきかと考えた。泣きながら考えて、リストカットも結局尊重ではないと放り出した。ますます自分が嫌になった。薬を飲んで寝るか、言葉にして書くしかない。私には、書くことくらいしか出来ない。

自分を痛めつけたいときに、薬を飲んでちょっと落ち着こうかなんて、ちっとも思わない。二階から飛び降りたら、どの程度痛くて、どんなふうに自分の体は傷ついてくれるだろうか、あの窓だろうか、この窓が最適だろうかと考えた。漂白剤を飲もうか、人目につかない腹を切ろうか。
こんなに私を憎んでいる人間は、私以上に存在しない。


絶望の波が少し引いたときには、冷静に自分の今後を考えた。
以前から私は、もう生涯誰とも恋愛しないだろうと考えているけれど、ではどうやって具体的に孤独をそこそこ埋めようかと考える。
決して近くない距離、いっそ遠いくらいの距離が長く付き合うには、丁度良い。境界性人格障害は、人との距離感が分からないからだ。近くても遠くても苦しい。けれど、近すぎるより遠すぎるほうが良い。相手を傷つけずに済むから。
恋人でもない、愛もいらない、そこそこの思いやりと都合だけで繋がる精神的距離が遠い男性が必要なんじゃないか。いっそ相手が既婚者だったり、物理的にも隔たっている方が都合が良い。数ヶ月に一度話すだけでもいい。ただし、セックスは必要だ。しかし、愛はいらない。そんなものは、邪魔なだけだ。男に要求するものは、避妊具と、ちょっとの思いやりと、病気を持っていないことだけ。それだけでいい。SMは、不要だ。あれは紛らわしくて面倒だ。愛がなくても、そこに愛らしきものを生み出す遊戯だ。愛は、湿っているから必ず腐れて滅びる。ドライな方が、いい。

最近考えている馬鹿げた計画は、それほど非現実的には思えなくなってきた。一般的には馬鹿げていて幸福から遠ざかる行動と捉えられるが、この病気を抱えて誰のことも尊重しようとするならば、相当の覚悟が要る。既に私の感覚は、一般的じゃない。大切な人を傷つけず生きていくなら、やむを得ないことかもしれない。

でも、そんな生き方は嫌だと思う気持ちも湧いてきた。そんな方法しかないなら、死にたい。そんなことをしてまで生きて何になる。大切な人から蔑まれるようなことは、したくない。

生きることも腐ることも死ぬことも、どれもどっちつかずだ。苛々する。死んでしまえと自分を呪う。気がつくとまた私の声で「死にたい」と聞える。違う、死にたいんじゃない。死ぬなんて、あっけなくて生温い。もっともっと残酷な罰がいる。欲望が業が深い分だけ、滅多打ちに自分を打ちのめし死ぬ寸前の苦しみを永劫与え続けないと、この私の気が済まない。


少し前に始めた、気楽につぶやきますと言っていたツイッター。このブログの右下に設置してあるウィンドウの言葉。上限は、140文字。気がつくと、そこへ延々数分毎、数十分毎に感情を抑えられるだけは抑えて言葉を書いていた。


ツイッターは、いずれ近いうちに外すつもりで、後に残さないつもりで書いてきた。だから、どうでもいいことばかりだった。でも、ボーダーの発作が出た今日、ツイッターを設置しておくべきじゃないと気づいた。
私は、自分を抑えて抑えて、発狂寸前まで抑えなければ、140文字の内にありったけの無差別な罵倒と憎しみと呪いをこめて、見ている誰かに感情をぶつけてしまっただろう。


慌ててパソコンを落として、外に飛び出した。狂ったように草を抜いた。いつも思う。草を抜く作業は、私にとって不要な人間、過去私を苦しめた人間の首を抜いているように感じるのだ。作業していると、あらゆることを思い出す。忘れ去ったはずのことまで、自動再生される。それを振り切って地面を掘り続ける。草の根で蟻の巣が壊れ、蟻たちが大騒ぎしていても、上から土をかぶせて黙々と埋める。蜘蛛と蝉と蝶と蜂とダンゴ虫には敬意を払う。蟻は、家族のように見えるから憎しみが湧くのかもしれない。

眩暈がして、動悸が止まらなくなり、心臓が痛いなと思ったら庭で倒れた。動悸が過ぎて完全に倒れたのは初めてかもしれない。よく分からないまでも「突発性心不全で私は死ぬのか」と、瞬間思った。意識はあったから、土ぼこりを払って立ち上がった。蚊に刺されていた。最悪だ。

嘘か本当か、血を吸う蚊はメスだけと聞いた。
さすがだ。オスは常に単純馬鹿で、メスは常に強欲で汚い。そんなふうにできている。


家の中に戻ってきて、部屋に閉じこもった。
もう、孤独も悲しみもどうでも良くなった。今日は生きたいとは思えない。死にたい。
涙は流れる。何が悲しいのか分からないけれど。
涙は、そういうものだと思う。排泄と変わりなく、生きていれば悲しかろうが悲しくなかろうが勝手に流れる。こんな機能ごと、自分を潰してしまいたい。

ボーダーは、もぐら叩きに似ている。全部の穴を塞いでしまったら、ゲームもコミュニケーションも成り立たない。
出口を失った孤独と悲しみと怒りは、自分自身の中で暴れ続ける。破壊欲求が止められない。今この瞬間は、とりあえず3階あたりから飛び降りないと気が済まない。
でも私は、私を尊重しなければならない。
そして、大切な人のことも尊重しなければならない。
破壊することも破壊されることも慣れている。
尊重することも、尊重されることも慣れていない。
知るわけがない。
尊重なんてどうでもいいから、私を壊して世界を壊して体と精神と魂の隅々に罰を与えて、微塵に砕き続けて欲しい。
誰もやらないなら、私がこの手でやらなければならない。

後になって、何が引き金になったのかが分かった。
恋愛漫画を読んだのだ。
良い作品を読んだ、と最後のページを閉じて一息ついたら、途端に心が真っ黒になった。
何も見えなくなった。
信じるのも期待するのも愛も恋も憧れはするけれど、二度と縁はないだろう。近づくものは全て私が遠ざける。愛も恋も、私を殺すだけだ。ただただ甘ったるいだけで、麻酔に似ている。生かしてくれたことなどない。陶酔させてから、私を支配し、殺そうとする。殺されたくないから、愛も恋もいらない。


生きることと、死を希求することが、いつの間にか重なって見える。
今の私の目は、多分孤独で真っ暗に曇っている。
生きているのが苦しい。生きていても、今日ばかりは意味なんかない。




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境界性人格障害 | comment(14) |


2008/08/14 (Thu) 枝を裁つ真昼

アップし損ねた、昨日の日記。

いつもの「自分が誰だか分からない」という状態に陥ってきたから、明日にでも大阪に戻りたい。戻れないかもしれない。
昨日までは、まだ余力があったものの今日になって体が動かなくなった。全身が痛い。筋肉痛で寝ていても痛い。そして寝ても寝ても眠い。いつもは5?6時には起きるのに、今日は9時にやっと起きた。それから朝食を食べて寝た。昼過ぎに起きて、昼食を食べて、また寝た。寝てばかりだ。
「そんなに寝るから体の調子がおかしくなるねん」と強迫性障害極まれりの弟にまで言われる始末。
どうしてこんなに眠るんだろうか、と考えて考えて、ようやく昨日、庭木の剪定を7本もやったことを思い出した。

急に思い立つと何が何でもやらなければ気がすまないたち。一切予定していなかったのに、そうだ!蜜柑の木の剪定をしなければ!と思い立つなり庭に飛び出し、帽子もかぶらず剪定ばさみで、バッツンバッツン切りまくった。暑くて眩暈がして、更に脳まで湯だったようになってぼんやりしたが、満足した。
剪定とは、人生に似ている。
せっかく伸びた枝も葉も、実りの前には不要なのだ。敢えて捨て去る覚悟をして、実りを得るのだ。人生もまた、斯くの如くありたいものだな。
と、部屋に戻ってきて、かき氷を食べながら陳腐な哲学になど浸った。


そのときの無理がたたったらしい。
筋肉痛は、大きくて重い剪定ばさみを猟奇殺人犯のように庭で振り回したからだ。渾身の力で枝を切ったからだ。届かない枝にも無理矢理背伸びして切った。○フィのゴムゴムの腕が、昨日ほど欲しいと願ったことはない。脚立を出せばよかったのでは、とは後の祭りなので考えないことにする。



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機能不全家族 | comment(2) |


2008/08/13 (Wed) 絶望が生を生む ? 虐待・機能不全家族 ?

昨夜は、両親が悲痛という悲痛を身に纏い、ダイニングテーブルで2人並んで座り、沈み込んでいた。
面倒くさいので、私は放置しておいた。
彼らがこそこそと話していた内容は、意味が分かるようで分からない。
普段何も考えず問題があっても何も起こらなかったふりをして、全て棚にあげているために、定期的に現実と向き合わざるを得なくなったとき、そのツケの重さで悲惨に押し黙るのが恒例なのだ。


発端は、またもや母の足のことで、もはや仕事中、心頭滅却しても痛いという。昨夜帰ってきたら、椅子から立ち上がるのも無理だった。私は「病院にいけば?」と一応言うだけ言ったが、やはり行く気はない。

母は「一体何だろう・・・この痛さは・・」と沈み込んでいた。
いやいや、私が「半年前の怪我のせいじゃないの?」と言ったときは「違う。単なる使いすぎだと思う」と言って、父も「そうやな。年やから無理してるんやな」と言ったのに、今度は「一体何だろう・・」か。実に母らしいなぁと思った。何も言わずにいた。

話が進むにつれ、父が「それにしても何やろな・・・その腫れ方は」と言った。すると母は「半年前の怪我以来なのは、確かなのよね」と言った。父が「ぶつけたって言ってたもんな。あのとき骨が何かなったんかもしれんな」「そうねぇ」

ええー・・・・・どっちやねん。どれやねん。どないしたいねん。と、内心でツッコみながら私は尚も黙って文鳥をあやしていた。さっき言ったことと逆のことを言うのは、彼らのいつもの会話パターン。
つまり、本人たちは何もわかっていないのだ。なぜなら、ただ痛いだけで病院で調べてもらったわけでもなく、自分で何だろうかと調べたわけでもない。ただ痛い痛いと言っているだけなのだから、怪我から半年経っても「痛い」「何だろう・・?」から一歩も進んでいないのだ。


母は、「もう仕事できないかもしれない・・」と悲痛だ。父は、「そうか・・・そうなのか・・・」と母と同じく。
暗い。2人が醸し出す不幸感が、キッチンにみっしり充満している。2人とも未来に希望が持てなくなって、ただひたすら俯いていた。
体や健康こそが資本だ。
怪我をしたときに会社に言えば、明らかに労災が下りて病院へ行き、役に立つとも立たぬとも、何がしかの状態を知ることができた。なのに、それをしなかった。
昔の私とそっくりだ。
痛みには我慢し、目上の者の前では、ひたすら忍耐。滅私奉公に励み、人間的感情も自身の健康も顧みず、ただひたすらに良い子として勉強や業務に励むことだけが価値観。疑いも持たない。


私は、阿呆臭くて、実家であてがわれている祖母の部屋に引っ込んだ。身を守るためでもある。こんなとき、うかつに何か失敗すると彼らの人生への恨み言や鬱屈は全て私に向けられる。感情の矛先を彼らは常に探しているのだ。

その後も、小声でぼそぼそと両親が何事か生活の不安を話し合っていた。希望は見いだせそうにない。なぜなら、彼らにはツケがある。何もかもを、その場の感情で反射的に棚上げしたり棚上げしたり、責任転嫁したり言い訳したりしてきたツケがある。
逃れられるようで、逃れられない。引きこもりの弟の存在も、こんなときの両親には、ようやく重くのしかかるようだ。たかが数時間で薄れ忘れ去ってしまう重みだが、それなりにこんなときは悩んでいる。

「MKが働いてくれたら・・・」(働けるわけがない。彼は重度の病人で精神年齢は15歳で止まっている。自我の形成は更に幼稚園あたりで止まっている)

「MKに株をやめさせなくちゃ・・あんなもんやらせてても何にもならない・・・」(始めさせたのは両親。私はMKは病気で金銭を扱う社会性を一切持たないから逆効果だと反対した。でも「何もしないよりは何かやらせた方がまし」という考えなしの母らしい感情論と、「金が入る」という父のいやらしい金銭欲によって、私の意見は却下。気がついたら、金を持たせてやらせていた)

「MKが働いてくれたら・・・」(元に戻る)


以上のような、話していても仕方ない地点をグルグルグルグル巡って、無意味な悲壮感だけを共有して父母の会話は終了。それなりに愚痴を言えたので、2人とも感情的に落ち着いたようだ。不安が軽減されたなら、現実の問題は彼らの場合更に軽減されている。何だったっけ?というくらいに忘れている。


父の機嫌は今日も最悪に悪い。いつ罵倒されるか、いつ物が壊れるか、いつ手を上げてくるか分からない状態だ。一番危ないのは、文鳥たちだ。文鳥たちを日ごろ自分が物凄く可愛がっているから文鳥たちは父に懐くのだが、機嫌が悪くなると「こいつらは死ねばいい」とか「焼き鳥にして食う」「殺すぞ!」と怒鳴り、小さな文鳥相手に腕を振り回し、昨日は叩き落そうとした。

機嫌が悪くなるきっかけは、誰も分からない。母も分からない。
しかし、機嫌が悪いことだけは、確かに分かる。私が子供の頃からそうだったけれど、顔の筋肉が全て浮き出て硬直し歪み、顔つきがまるで変わるのだ。
今朝も見てみれば同じ顔をしていたから、狂人として私は近づかないことにした。文鳥たちも可哀想だが、カゴに入れたままにした。

そんな父は、自分が怠っている家の手入れのせいで入ってきた蟻の行列に向かい「お前らは糞だ!死ね!」と怒鳴っていたし、ドアや引き出しの類は全てバンバン開け閉めする。母からバスが遅れているから遅くなるとメールが来たら「バス何やっとんや!ほんっまにあいつらは馬鹿やな!」と罵倒し、足を引っ掛けた新聞には「誰や!こんなとこの新聞置いてんのは!」と誰にともなく怒鳴る。ニュースにも怒るし、自然現象にも怒り、さえずる文鳥にまで「黙れ!うるさい!殺してやろうか!」と怒る。
特に彼が怒るのは、他人のために自分の時間が取られたときだ。
司法書士の試験勉強を朝から晩までやっていて、病的なまでに頑張っている。息抜きは一切しないし、どこへも出かけないし、誰かに少し力を貸すだとかもしない。したがらない。やむを得ずやると、不機嫌になる。「命がおかしくなった」と言う。
父は、40年以上今の宗教をやっていて、口にすることは「他人のために生きたい」「人の役に立たなあかんな」など、大乗仏教らしいことを口にするが、その実、山奥で1人滝に打たれて人生を悟った顔をしている行者のようだと、私は、いつも思う。
山奥に1人でこもっていれば、さぞや楽だろうなーと私は父を見て思う。
人の中に生きるからこそ、辛いのだ。苦しみや哀しみや乗り越えるべき課題は、いつも人と人の間で生まれるのに、彼は1人で生きて人生を悟ったふりをしている。家族の中にいるのに、彼の目は自分自身しか見ていない。


父が不機嫌になる理由は、いつも母すら理解できない。
昨夜、小声で私に「お父さん、何であんなに怒ってるの・・・?」と母が訊いてきた。私は「さあ?勉強が捗らなかったからじゃないの」と適当に答えた。母の質問は、無意味なことを彼女自身も知っているから黙った。それから「だからお母さん言ったのよ。お父さんがああなると何するか分からないから、むくちゃんをお父さんから離したほうがいいよって」と言った。
どんな口調と表情で言うかといえば、料理のコツを伝授するような様子だ。

我が家は、いつ父が暴れるか分からないので、全員息を潜めて生活してきた。特に、野球中継が始ると最悪になった。試合運びが悪いと、あらゆる物が壊される。暴れる。怒鳴る。怒りをぶつけるために子供の欠点や怠惰を探しに、ふいに部屋にやって来たりするので安心できない。
母は、小声で家族全員に通達する。
「お父さんが怒るのは、あんたたちも悪いのよ。宿題しなさい。勉強しなさい」

かといって、子供が四六時中、息をつめて勉強を続けるでもない。
たまたま野球が負けた日、弟MKがテレビを見ていたら、見つかった父からバットで思い切り殴られた。弟の体が飛んだのを私は昨日のことのように覚えている。

その直後、どうなったのか覚えていない。私は、殺されると思った。恐怖で髪が逆立つとは、あのことだ。明日は我が身だった。
母は多分「なんでそんなことするのー!?」と父に言ったかもしれない。
母はいつも傍観者で、どっちにもつくし、どっちにもつかないのだ。
そして、父の暴力を一度も受けずに生きてきた人間が母だ。いつも目の前で子供が被害にあうのを、彼女は胸を痛めながらも「あんたたちも悪い。お父さんも悪い」の一言で済ませた。
心優しい母としては、どちらの立場も尊重したかっただけなのだろう。
ただ、彼女は理不尽な出来事が起こっても、子供の悲しみや恐怖や痛みに共感して寄り添うことは出来なかった。
母は、子供の世話をすることと、子供の心を理解することの区別がつかない。



ここに書いたことは普段、大阪で生活していると不思議なくらい忘れている。本当に不思議だ。
カウンセラーも言ったことだが、私はいまだ肝心なことを何一つ話さず、ここにも書いていない。
ようやく少しだけ、書けている。本当に少しだけ。


この家は、ずっとずっと変わらない。病巣そのものだ。
悩むことも、絶望することも、苦痛を感じることも、私には、さほど不幸には思えない。
悩むべきことに悩み、絶望すべきは絶望し、苦痛は苦痛と感じ続けることは、一つの貴重な能力だと思う。可能性だと信じる。

この家には、絶望があるのに絶望がない。
悲鳴をあげても、響かない。
悩みも絶望も苦痛も理性も愛も憎しみも、一緒くたにして日常の汚水に流すのみ。

私も随分と、本当に途方もない時間をかけ随分と、自分自身をゴミにして日常に垂れ流してきたものだ。生きるとは、そんなことだと信じて疑いもしなかった。
今の私は、絶望し、悩み、苦痛には呻くことが出来る。
はじめて、生きていると感じる。



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機能不全家族 | comment(6) |


2008/08/12 (Tue) 万能の子羊なんていない ? 機能不全家族からの回復 ?

実家で何日目が過ぎようとしているのか、経済的に逼迫している現在、少しでも栄養をつけようという魂胆で滞在している。精神的には1人が断然楽なのだけど。
以前は、こんなに長く滞在していると、せっかく立て直した真っ当な対人距離の感覚や、新しく自身で獲得した価値観が揺らぎ、酷い体調悪化を招いていた。今全くそんなことがないかと問えば、安眠できなかったり、保身のための警戒心を解けなかったり、懸念はないことはない。

ここ実家は何かに似ているな、と今日思った。
アマゾンの奥地に似ている。
危険だが珍しいものを見ることが出来る。
機能不全家族や、虐待側の論理、幼稚な人間性、暴力で人を支配する方法、共依存など、ネタの宝庫だ。

とある方からメールを頂いた。
機能不全家族に生れ落ち、自我を封じられ、価値観から思考回路まで徹底して洗脳されたところから、自我を再獲得する戦いは、命がけだとあらためて思った。
実際お会いできない誰かに、微力でも戦いの手助けとなれるなら、この家も役に立つと皮肉に思った。

1人でも多くの誰かへのエールになるのなら。
私の経験を交えて、機能不全家族について書いてみたい。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

私の家族は、機能不全家族だ。その見本のような家だ。心理学の本を読んでいると、寸分違わぬモデルルームを見ている感覚に陥る。


機能不全家族の私の家には、愛情がない。
個人の思惑だけが、てんでばらばらに散在している。
一つの屋根と、ぐるりと囲む壁一枚が《家族》を形成している。

《家族》が、違和感を感じることはない。家族同士の気持ちのすれ違いや、価値観の相違などに考えを巡らせることもない。機能不全家族の「不全」とは、「不幸」に直結するものではない。機能が停滞しているからこそ、そこには独特の安定感と安心が生まれる。息苦しさを感じたとしても、全員、そんな閉塞感など存在しないように振舞う。無言のうちに、自身の不平、不満、家族との相違に目をつぶり耳を塞ぎ家族ごっこを演じること、それだけを共通の目的としているのが、機能不全家族だ。
「機能不全」は、機能破綻の寸前を表す。機能不全家族の特徴の一つは、不全状態が全員の無言の合意によって維持され続けていく点だ。

共有し守るべき理念が明確であればあるほど、個々の人間同士は強く結びつき依存し癒着し、そこに理想的安定が生まれる。《家族》という形は、それだけで高い洗脳性を持っている。
家族は、個々のためにあるのではなく、個々が《家族》のために存在するようになる。

家族の決定や感性に、家族の誰かが異を唱えることは許されない。
もしやるのなら、命がけと言って良い。その者の発言がどれだけの正当性を備えていようとも、問題にならない。《家族》という形を維持する以上に重要な事柄など存在しない。家庭内での苦しみや悲しみや怒りなども、同様に微々たる問題だ。重要なのは《家族》だ。

家族団結の足並みを乱す家族は、家族の一員とは認められない。認めたが最後、破綻寸前の形は一気に崩壊し、これまで必死で維持し続けてきた《家族》が、全て無に帰してしまうからだ。

強固に共有してきた目的だからこそ、機能不全家族は全員が《家族》の崩壊を何よりも恐れる。《家族》の崩壊は、世界の崩壊を意味する。全員、和を乱す感情や感覚を必要とあらば迷わず殺す。悪循環となり、自我を殺し捧げた《家族》は、ますます重要なものとなり、《家族》にすがりつき依存し、癒着し、自分を異形に歪めていく。
思考停止、辻褄合わせ、理想偏重思考など、機能不全家族に必要とされる能力は、子供らが成人する頃には、彼らに着実に受け継がれる。年が経てば経つほど、機能不全家族は自分たちが人間らしく自立して生きていないことに気づけなくなる。洗脳が完了するのは、時間の問題だ。


実家の家族、両親と15年引きこもったままの弟MKは、自分たちの家庭のどこがどう問題で自分たちの人生が暗闇に覆われているかに気づいていない。

私の家族各人の機能を簡単に表してみる。
父の役割は「気まぐれで横暴な独裁者」。
母の役割は「傍観者・正義」。
弟MKの役割は「頼りになる頭が良く知識豊富な長男」。
一番下の東京在住の弟MTの役割は「家族を和ませる可愛い末っ子」。

長女の私の役割はというと、感情的には簡単に表せなくなるが「自慢できる長女・愛情も憎しみも甘受する万能なるスケープゴート」だったのだと思う。

阪神大震災の急場などには、生活の全般の指揮を私が執った。葬儀で争いが起こったときも私が着地点を定め、両親が求めるままにシナリオを作り、台本までタイプして用意し、希望通りの決着を見た。それは私の才能ではない。こなせなければ私は家族の中で役割を失い死んでしまうのだ。だから、必死に身に着けた。死に物狂いで身に着けた保身は、能力ではない。ただの機能だ。


子供の頃から、そんな役割を担っていたが、同時に私は家族にとって物笑いの種であり、からかいや嘲笑の的であり、彼らの嗜虐心を煽り満足させることができる、うってつけの生贄だった。
三つ子の魂百までとは真実で、私は家の外に出ても、家庭内の役割を見事にトレースした。
頼りになり頭が良く心優しいが、虐めるにも愉しく、からかいやすく、生贄にしやすかった。そんな役割を演じなければ、私は安心できなかった。他人から求められる「私」は、いつもそうであるべきだと思っていたから、頼られるか、虐められるかしなければ不安でたまらなくなった。
私が今だ完全に脱し切れない依存心の正体だ。
私の境界性人格障害という病は、間違いなく家庭環境から来ていると思っている。



何度も何度も対話を試みたり、参考になる本を薦めたりしたことは、私も東京に住む弟MTも経験がある。しかし、父は家族のことなど一切関心がないし、母は読んでも「問題がない家なんてないんだから家が特別なわけじゃない」という一言で片付けてしまう。
我が家が特別であろうが一般的であろうが、頭を悩ませる問題が消えるわけではない。現に母は、定期的に悩みの底に沈む。けれど、結局「どこも同じよ」の一言で思考を停止した後、本の内容など元から読まなかったことにして、問題意識ごと消去してしまうのだ。

「問題意識の消去」は、機能不全家族の一員としては実に優秀な能力だ。
自身の理想と現実に齟齬を見出した場合、迷わず現実を理想に摺り寄せようとする。
この能力は、例外なく家族全員が備えている。だからこそ破綻寸前でも決して破綻しない、髪一筋も乱れぬ最悪な団結力を示す。




私と東京に住む弟MTは、かつて機能不全家族を成す歯車の一つだった。
自我の形成と葛藤の末、家庭の洗脳状態から逃れて今に至った。
特に私は、家庭の中でスケープゴートの役割を担っていたがために、ある時を境に自我が崩壊してしまった。生きていても、頼られるか虐められるかのどちらかだから、生きていたくなくなった。
機能不全家族の一員だった頃の私は、苦痛があって自我がなかった。だから、生きている実感や心の底から感じる喜びや楽しみがなくとも、安心だけはあった。明日、どう虐められるのだろうか、夕飯に毒を盛られるのではないだろうか、今夜殺されるのではないだろうか、色んな不安はあっても、それは全て自身の安定のために必要だったから、理不尽を感じたことはなかった。

私は馬鹿の一つ覚えで、どこへ行っても家庭内での役割を演じる以外知らなかった。友達とも恋人とも自分自身とも、苦痛と忍耐なくしては関係を築けなかった。それ以外の関係を知らなかったから、世界とは苦痛に満ちていて当然だと、疑いもしなかった。世界はいつも私を虐め、嘲笑い、利用し、気まぐれに遺棄する。自尊心は歓迎されない。主張すればキチガイ扱いされるだけ。
死んだほうがましだから、呪縛された肉体ごと命を絶つことにした。
偶然生き延びて、今日がある。


洗脳から逃れることは、一度自分を殺すことを指すのかもしれない。
恐ろしい行為だが、肉体さえ守りきることが出来れば上々だ。
その後、運が良ければ今度こ生まれることが出来る。




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機能不全家族 | comment(4) |


2008/08/11 (Mon) 人間不信の申し子 ? 機能不全家族 ?

東京へ行く前からだから、かれこれ1ヶ月はカウンセリングに行っていない。次の予約は、していない。8月は、行かないかもしれない。

重い問題にぶち当たった。カウンセリング療法7年目にして、はじめて。
私は、とても警戒心が強いらしい。ちょっと見ないくらい強いようだ。そのせいで、治療が進まない。けれど、これだけはどうしようもない。私もカウンセラーにもっと打ち解けて早いこと高額出費と精神的苦痛を強いられるカウンセリングを終わらせたい。
幾ら私本人が思っていても、心は自動的に警戒する。人間不信は、理屈ではどうしようもできない。
けれど、ここを乗り越えなければ私は、また容易に死の溝に転げ落ちる。
孤独である、誰一人信じられないということほど、人間を確実に殺せるものはない。

私は、根深い人間不信から一つも立ち直っていない。
無関心な父親と過干渉な母親、世間体第一の祖母、両親のルールに従い水面下で蹴落としあう姉弟の最悪なメンバーで構成された機能不全家族の申し子、それが私で、私はいまだに誰一人にも心を許してはいない。家族はおろか、大切な友人たちにまで。

東京旅行を1週間後に控えた7月10日、知りたくも無い事実を知った。
大切な気づきだが、最悪な気づきでもあった。
迷ったけれど今日、記録として残しておく。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

<カウンセリングの記録 2008.7.10 前編>


東京行きを、カウンセラーは心配した。
私の体調は不安定で、症状もどんどん変わる。入院したいと言ったかと思うと、次の週にはやたら元気だったりする。そしてとにかく焦っていた。東京でやらなければならないこと、その下準備すら殆ど進まないことに私は苛立っていて、カウンセリングに殆ど義務感で通っていた。先月は、そんな月だった。

カウンセラーの心配に対し、私は「そうですか」と適当な相槌を打っただけだった。
それから「心配してどうするんですか?」と不思議に思ったので問いかけた。
カウンセラーは、色んな表現を使って私に、何がどう心配なのかを言葉にして説明した。
私は、耳を傾けた。心は一切傾かなかった。
「心配だ」という言葉を聞いて私が抱く感情は、全くの無関心、無感情、もしくは冷ややかな怒り。いつもそうだ。

カウンセラーが言うことは、理屈ではもっともだった。治療という目的で繋がっているだけではなく、人間としての7年間という付き合いがある。私にとっては、ここ1、2年の付き合いのように感じているし2年以上前のカウンセリングなど記憶にない。けれど、カウンセラーは全て覚えているし、私と感情を交わそうとしてきた。だから、カウンセラーの「心配」は、何も偽らざるもののように思った。
けれど、カウンセラーの「?が心配」「?なってしまったら、どうしようかって心配」と聞くにつれ、徐々に私の無関心は度合いを深め、終いには冷淡な気持ちに変わっていた。

「心配だから、何なんですか。私が東京で困ったときに、先生がどうできるわけでもないから、どうでもいいじゃないですか。私が東京で死んだとしても、先生に何がどう関係あるっていうんですか。そんなことは、どうでもいいことじゃないですか」

感情は一切混じらなかった。心底、何を言ってるんだろうこの人は、とカウンセラーに対して感じた。
心配って何だろう。心配だから、どうだというんだろう。何が出来るわけでもなく、そんなものはただの先生の個人的感情だ。私に伝えられても私には何の利もない。

後から振り返れば、カウンセラーはカウンセラーであることを越えて、私と関わっている人間らしい感情として「心配だ」と言いたかっただけなのだった。その言葉に私が普通ではない無関心を示すから、繰り返し私に本当に心配だと伝えようとしていただけだった。

一方私は、同じことばかり何度も話すカウンセラーを胡乱に思った。なぜそんなに、どうでもいいことを繰り返すのか。そんなにも「心配だ」と伝えたがる裏側が気になる。
「心配」と口にすることで、私との心理的距離を詰めようとしているのだろうか。それとも、私を試しているのか。もしくは、私を感情面で突き崩そうという意図でもあるのだろうか。

長い付き合いのカウンセラーは、私のそんな心理を見抜いていたらしく、私に逆に問いかけた。
「それじゃあ、どうしたら心配してくれてるなぁ、と感じられるの?」
そんなことを考えたこともなかったが、気がつくと迷わずスラスラと答えていた。

「私と運命共同体なら信じます。例えば文鳥たちは私が死ぬと困ります。でも先生は、私が死んでも困らない。私の経済状態がどうなっても、それはそれで困らない。このカウンセリングルームを出れば、私にとっても先生にとっても、どうでもいいことです」

それから、過去の体験を話した。これまでも、同じだったことを話した。

この数年で私は色々なトラブルを抱えてきた。精神的な問題だけでなく、住宅での被害と賠償請求を二度、引越しを一度、男性とのトラブル一件、殴られたりした。祖母の容態もいよいよ悪化し、私の経済的困窮は極まっていた。そして、労働裁判をしていた。ほかにも色々あったみたいだが忘れた。

その都度カウンセラーに相談したが、それは大きな助けになってくれたときもあっただろうが、決断するときは私一人であり、決断の責任を取るのもまた私一人だ。当然のことだ。
2年間の労働裁判は私の精神状態をかなりおかしくしたようだが、私はやり遂げた。あの裁判でもし負けたなら、私は精神的にも経済的にも生きていなかったと思う。

負けた場合、私は無職で弁護士会に数十万円の借金を負い、敗訴という汚名を着せられ侮辱された名誉は侮辱されたまま、証言などで協力してくれた友人たちにも顔が立たない、大阪のマンションも引き上げなければならない、病気の治療もできなくなる、そんな最悪な結末も起こり得ると覚悟していた。
法廷へ何度も出向いた。弁護士との打ち合わせも。私は、いつも一人だった。
法廷の証言台に立ったとき、そのときも当然1人だった。
裁判長以下、裁判所にいる全員、傍聴席の人間までも全てが一斉に起立し、私は宣誓書を読み上げた。そのときも1人だった。
被告が長々と冗長に書き綴った嘘八百の屈辱的な陳述書は、私一人に向けられた侮辱だった。
被告が作り出す嘘や嘘の証言は、全て私一人を憎むが故だ。

怒りや屈辱や耐え難い苦痛で何度震えたか分からない。そんな私を見ているのは、いつも私一人だった。カウンセリングルームで裁判について話しても、ただ話しているだけの感があった。裁判に限ったことではない。

カウンセラーを前にすると、私はいつも口述筆記の機械になる。感情がなくなる。ただただ1週間で自分の身に起こったことを忠実にカウンセラーに話すのが私の役割だ。
恐らく、自動的に他人からの共感を拒絶しているのだと思う。
相手が共感を示すのをあらかじめ予測してまで、心を鎧っているようだ。これは、このときのカウンセリングで初めて気がついた。
私にとって、あまりにも自然な習性となっているために、全く自覚したことがなかった。
共感を拒絶するからといって、私が人の好意を解さない人間なわけでもないし、人に対して不親切なわけでも冷たいわけでもない。人からの共感の言葉は、聞いているようで実は私の耳を右から左に素通りしてしまうというだけなのだ。

そのとき私は、ふいに思い出した。
男友達N氏が私の部屋にいたとき。◇死臭の獣
私は酷い発作を起こして倒れ、リストカットしようとしたり切腹しようとしたりしてN氏と揉み合い、私は泣き叫んでは倒れて、呼吸困難と失神と痙攣を繰り返した。
あのとき、N氏が私の横に座って一言、言った。
「何があった?」
私の過去を問うものだった。
1人の人間として、私と向き合おうとしてくれた。
けれど私は、確か首を横に振って
「話しても信じない。話しても信じない」ばかり言って泣いた。
N氏が
「なんで?話さな分からんやん」
と穏やかに言ったのに、私は悲しみを通り越して怒りで一気に目の前が真っ赤になった。
「信じない。絶対信じない。誰も信じない。話しても信じない。信じない」
そればかり叫んだ。

あのときの自分の言葉を忘れていたが、ふいに思い出したのだ。
「私の苦しみ、私に何があって何がどう辛かったかなんて、話したところで誰も信じてくれない」
N氏に言ったときよりも、具体的にカウンセラーを前にして言葉にできた。

そうだ、と自分の言葉に手ごたえを感じた。
これで繋がった。あのときの意味不明な私自身の言葉「信じない」に繋がる。
何を信じないのか。それは、私の苦しみや辛さを指していたのだ。
無意識に叫んだあのときの言葉は、無意味ではなかった。私にとって、もしかしたら最大の意味を持つ言葉かもしれない。
話したって誰も信じないのだ。信じたとしても、意味はないのだ。
私はとっくに一人で、とっくに傷ついた後で、そして時は過去になっている。過去を抱えて今を1秒1秒経ていく私にあった真実を、今更誰かに話したところで何になる。
信じるわけはない。
信じてもらったところで、それは何の力も持たない。
そんなもの、ただの言葉だ。
言葉を私は信じない。むしろ、言葉を憎んでいる時間の方が遥かに多い。

そんな私が、カウンセリングに7年も通っていることは、思えば馬鹿馬鹿しいことではないのか。言葉を信じず、なのにただ対話するだけで何がしかの成果を得ようとしている。しかも乗り越えるべき問題は、重大だ。私は、ここへ何をしに来てるんだろう。

相変わらず無感情なまま、しかしふと自分自身へ疑問が生まれた。


<カウンセリングの記録 2008.7.10 後編>に続きます。



関連記事
◇ありのまま書く
◇死臭の獣
◇手首に真っ白な小鳥


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機能不全家族 | comment(3) |


2008/08/10 (Sun) リアルタイムつぶやきTwitter始めました。

mitorin.jpg
ブロリア友達 道草日和のhimaちゃんが、Twitterなるものを始めて、楽しそうだなーと思ってたので私も試しに始めてみました?。
右も左も分からないけど、設置できちゃった。
Twitterが何かすら、いまだよく分かってないのに設置しちゃった。

呟くというのがミソらしいので、ブログの片隅でブツブツ呟いてみるよ。
どうでもいいことばっかり呟いてみて、飽きたときに、やめる予定です。

呟きはこちら↓ か、ブログのサイドバー下方にリアルタイムで表示中。
mitorinのTwitter

力抜けすぎなくらいでツイッターは良いみたいだね。
プロフィール画像、ひまをが、ぬいぐるみ画像を使ってたから、私もそれで行こうと、うってつけのお宝画像を掘り出してきたよ。

ねこぢる大好き。
「ぢるぢる日記」とかまでコンプリートで持ってるよ。アニメまで持ってるよ。ねこぢる蒐集が趣味だったよ。怖いとかキモいとか言われても、いいの。
無邪気に邪悪なとこが大好きなの。
ねこぢる作品の中で一番「虫裁判」の話が大好きって腹が黒すぎるのかな。
腹黒いですか?
いいえ。腹黒くありません。


とかを、このTwitterで呟けばいいのね。


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大阪駄文 | comment(10) |


2008/08/09 (Sat) 戦争とシンボル

hiroshima20080808.jpg
以下、原爆ドームについて私の個人的な意見を述べるに過ぎません。感情的に不愉快に思われる方は、閲覧をお控え下さい。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

スカスカな言葉と綺麗ごとが大嫌いだ。一見、善良で意味ありげな言葉こそ、スカスカで中身があった例がない。

二度と戦争を起こしてはならない、平和の尊さを考える機会にしようという意味で、原爆投下の日に行われる日本の「平和記念式典」は、意義深いと思う。
しかし、広島の平和記念式典の中継を見て、いつも感じる違和感がある。
原爆ドームが冠する「平和のシンボル」という言葉だ。
平和のシンボルとして世界遺産に登録された原爆ドームではあるが、世界唯一の被爆国である日本が、自ら原爆ドームを「平和のシンボル」と呼んで良いのだろうか。
シンボルとは、象徴の意。あらゆる意味を内包すると同時に、如何様にも取れる危険な曖昧さを持つ、いわばイメージの器だ。


平和記念式典では、「平和の使者」と謳われる無数のハトが一斉に飛び立つ。
例えばハトが平和を象徴していることは理解できても、原爆ドームが平和のイメージに直結することはない。敗戦国、被爆国日本としては、その実、無理がある論理の飛躍のように感じるのだ。奇跡的に原爆の中、生き証人として残ったあの原爆ドームがよりによって「平和のシンボル」と呼ばれるとは。皮肉な気持ちになる。地獄を味わった原爆体験者があれを見て、口々にそう言うのだろうか。少なくとも私の目には、あれが平和を象徴しているようには見えない。


私の親戚は、防空壕の中で被爆した。這い出してみれば、あたりは地獄と化していて、彼女は、はぐれた姉を探して歩いた。そのときに灰をしこたま吸った。黒い雨も浴びた。
以来、何十年も原爆症で苦しんで、一時期は結婚も無理だと思われた。未だに病弱で、何をするにも原爆の体験が彼女の人生を妨げなかったことはない。
彼女はずっと原爆の記憶と共に生きてきた。



広島を訪れ、原爆ドームを1人で見に行ったことがあった。
初めて目にしたとき、正直、現実感が持てなかった。
すぐ近くを牧歌的に路面電車が走り、ビルが立ち、平和記念公園は、だだっ広くて美しく、あのドームだけが異様で、ファンタジーのようだった。

想像していたよりも小さなドームの丸屋根を、しばらく見上げていた。
真っ青な空に、赤黒く錆びた鉄筋がくっきりと弧を描いていた。他の古びた歴史建造物と何も変わらぬ美しさに見えた。
視線を徐々に落とせば、歪んだ窓の鉄枠が目に入った。それから、幼子が気紛れに遊び乱した跡のような、無残に破壊された瓦礫の山を見た。

誰にともしれない怒りと悔しさがこみあげてきた。
瓦礫の一片一片に、当時の人々の断末魔や絶叫や爛れぶら下がった皮膚や猛烈な喉の渇き、歩く度に一瞬で足を焼く焦土の地獄を見たからだ。
恐怖と絶望と十数万人の呻きと怒りを感じた。
そして壮絶な地獄を生き延びた生き証人が存在し、いまだに原爆症や癌や白血病で苦しんでいる現実。
原爆ドームを前に、「平和って尊いな」と考える余地は、なかった。
凄まじいおぞましさと虚無を、直感しただけだった。
戦争の対義語「平和」を連想することもなかった。そんな生温い思考は巡りもしなかった。
かわりに、目の前の悪しき遺物への激しい嫌悪にかられ、こんな物は、いっそ抹消するべきだと叫びたくなった。原爆も戦争も体験していない私ではあるが、あのドームと対峙し続けることは容易ではなかった。
ただ静かにおぞましい残虐が、空っぽな骸を曝していた。


「日本人の犠牲者をこれ以上出さずに戦争をやめさせ平和を取り戻すには、原子爆弾投下はやむをえなかった」
アメリカの原子爆弾投下正当説は、聞き飽きた。
その理屈から言えば、原爆ドームは、まさに「戦争と平和のシンボル」と呼ぶに相応しく思える。
アメリカは、そう呼べば良い。都合も、精神衛生上も良かろう。戦争は、ノールールであり、勝者が歴史を作るのは世の理だ。
しかし、実際の広島には、戦える兵士なんて殆どいなかった。投下された爆心地、1平方メートルあたりの加重は、35トン。女子供、病人老人が呻いて黒こげになり折り重なり、死臭と絶望のみが横たわっていた。


国をあげての式典開催の意義は分かる。
しかし、国のお偉いさん方の式典の挨拶は、朝礼の校長の無駄に長いスカスカな説教に聞えるのは何故だろう。
「平和のシンボル」という言葉に、日本という国が持つ一面、日和見主義で浅薄な大衆心理が集約されているように思えてならない。
地に足の着かない中身のない言葉は、誰にでも分かる平易さ故に、大衆の心を動かしやすく、問題意識を曇らせやすい。直視し難い地獄絵図に「平和」という言葉を織り交ぜるだけで、現実はマイルドに中和され、まだ何とか見易くなる。原爆は、近いようで遠い歴史にも感じてくる。語り部がいなくなった日、昔話のように語られるのではないか。

それでいいのか。たかが言葉だが、人々の命と生活と人間らしさを一瞬で無差別に奪った人類最悪の核兵器使用の証拠に「平和のシンボル」と冠することが、後世に原爆の恐怖を伝え、核兵器使用を抑止する力を持ち得るのだろうか。

「戦争への反省と平和への思いの象徴」だとかト書きが付くと、まだ聞えが良いが、しかしそれでも違和感は拭えない。
アウシュビッツ収容所を「戦争と平和のシンボル」と呼ぶならば、同じく私は激しい抵抗を感じるだろう。当時の被害者にとっては少なくとも、平和はアウシュビッツの外側に存在していた。それが、真実だ。そのことを思うと、過去の残虐に「平和」という言葉を冠する必要性は、私には全く感じられない。

「原爆ドームは核兵器による人類最悪の無差別虐殺のシンボル」とでも呼んだ方が、被爆国の心情に適うのではないか。少なくとも、今も生き、苦しんでいる被爆者達の心情により近いのではないか。

平和記念式典で、一斉にハトが放たれる。
飛び立つ平和の象徴ハトと同時に、映し出される平和のシンボル原爆ドームを見ると、毎年、複雑な気分になる。



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日々日記 | comment(4) |


2008/08/07 (Thu) 治療という概念がない ? 機能不全家族 ?

来週には、大阪に戻る予定。病院がお盆休みに入る前に、薬を調達しなければならないことを思い出した。カウンセリングは、かなりヘビーな問題を抱えたまま、キャンセルして次の予約はしていない。

過食は、相変わらずだ。朝食を二度食べ、昼食は一度だったが、夕食はやはり二度食べた。トマトの過食も相変わらず。ただ、精神的には少しずつ落ち着いてきた気がする。一番苦痛なのは、境界線が混じっているせいで流れ込んでくる余計な記憶、記録。加えて、過食すると必ずすぐに出来る口内炎の痛み。ビタミンがいいとコメント欄で友達が教えてくれたし、トマトこれだけ食べてるんやから、口内炎にもめっちゃ効くわぁ、効かなおかしいわぁ、と思っていたけれど、ビタミン摂取する前にトマトの酸味に口内炎を直撃されて苦痛が増してる模様。
大阪には口内炎用の薬を置いてあるのだけれど。
実家には、殆ど薬というものがない。


実家に戻ってくると、いつも最初にショックを受けるのは弟の異様な姿と生活様式だ。普通の人たちばかり見て、普通に暮らしていると目にしない光景なので、久しぶりに実家に戻ってくると、しばらくは慣れない。引きこもりも十年単位になってくると、外見からして異様な空気を纏うようになる。言動も、ただごとではないことばかりだけど。


ところで実家は、昔から今も、医者不信だ。一切、信用しない。
やむなく通院することになっても、はなから医者を信用していないものだから、話半分にしか聞かない。結果、検査したもののしっぱなしで二度と通院しなかったり、貰った薬を飲まなかったり、最終的には知識もなく、感情に基づいた自己解釈により、ろくに治療をしない。

これには、父が幼少期から青春期まで激しく傾倒していた薬完全否定の宗教の影響が強い。現在の信仰とは全く毛色の違う信仰だが、子供の頃に身についた価値観とは容易には変えられないようだ。いまだ父は、どこに根拠があるのか分からない独自の解釈を続けて、ろくに体を治療しない。

母も、どういった理由からかはよく分からないが、父と同じく、医者、薬、治療を信じない。
だから、私が毎日服薬していることを快く思っていないし、母からすれば、全く得体のしれない薬を飲んでいる娘の状態を不気味にすら思っている。
少し前に母が大阪の私の家に泊まりに来たとき、「薬で変になるんじゃないの?大丈夫なの?」と、やたらと質問してきた。かといって、薬について知ろうとしない。知らないものを人は無意味に恐れるものだ。


その母の足が、恐らくだけれど去年の怪我を契機に、悪化している。骨が痛いという。このままだともう仕事を続けられないかもしれない、と思うほど痛いらしい。ただ座っているだけでも苦痛だとか。
見てみれば、驚くほど腫れていた。随分前から、その状態らしい。骨折しているのでは、と疑いたくなるほど、骨のような何かが丸く浮き出ていて、足の甲も腫れている。

病院に行きなよ!と驚いて私が言うと、「行ってもどうせ変わらないからね」と言った。しかし、その後で「新聞配達してても痛いのよ」と言う。母は、宗教関係の新聞配達をして十数年。毎朝五時に、子供の小遣いのような賃金で、ほぼボランティアのように新聞を配っている。

早めにいったほうがいいよ、もう十分無理してるんだし全然治ってないんだから、限界が来てる今行くべきだよと言ったけれど、母の答えは「いやぁ。行ってもどうせ同じだろうから。これは多分、変わらないと思うわ」だった。新聞を休んだら、やめたら、と言ってみたが「朝が一番痛いけど、必死で動いてると痛みを忘れるからね」との答え。


こういう理屈で私は、子供のとき捻挫しても病院に行かないことが多かった。だから小学校時代は年中びっこを引いていた覚えがある。捻挫は癖になって、靭帯を切ったこともあった。
行っても仕方ないから、という理由で、脱水症状で死に掛けたときも(密かに死に掛けたが家族は知らない)捻挫のときも、インフルエンザも高熱も何かも、とにかく医者に行くということは殆どなかった。かといって置き薬があるかというと、そうでもなく、病気とは、ひたすら苦しみに耐えるのみ、が当然だった。私も勿論、そう思って生きてきた。
薬は毒、が我が家の常識だった。
だから、吐くほど具合が悪かろうが何だろうが、学校は休んではならないと思っていたし、実際どんなときでも大抵通った。休むことは、父が許さなかった。

私と一番下の弟MTは、家族と精神的に隔絶することで、通院や健康管理や薬に対して考え方をまるで変えたけれど、実家の両親と、引きこもって暮らす弟は変わらずこのルールで生きている。
だから、弟も専門家の手を借りることができず今日まで来た。強迫性障害は、薬を飲むと軽減することが多いが、それすら最早不可能だ。
実家にいる人間は全員、医者不信、薬は毒、病院へ行っても変わらない、痛み、苦しみは耐えるしかない、と考えている。


実際、医者が頼りになるかどうか、薬が効くかどうかの真偽は置いておいて、苦しみを軽減しようだとか、一度病院へも行っておこうとか考えても良いと思う。
痛い、痛い、苦しい、苦しいと言いはするのに、手当てをしない。
この家は、変わっていないなぁ、とぼんやり思った。
私が、この家族に言えることは、もう何もない。



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機能不全家族 | comment(10) |


2008/08/06 (Wed) トマトトマトトマトトマト

酷い過食。とにかく過食。
すっかり忘れていたが、私とあやの境界線が薄れると、過食がやってくるんだった。過食は私の症状じゃない。あやの症状だ。止められない。腹立つ。

量も酷いが、それはまだ実家なので隠れての過食で量はまだいい。
何を過食しているかというと、トマト。なぜなら、うちの畑は色々作っていて、今一番採れるのがトマト。冷蔵庫を開けて、いつも入っているのがトマトなのだ。
それ以外は、ごはんを何食も食べている。
早速、口内炎が出来た。胃腸が荒れるのが早すぎる。
口内炎で酸味のあるトマトを食べるのは、結構な拷問だ。痛い。しみるったらない。
赤い完熟トマトばっかり食べているから、今吐いたら吐血みたいなことになるんだろうな。どれだけ食べても吐く気には一切ならないが。


また記憶中枢が壊れでもしたのか、記憶の自動再生が午後から始った。
記録にない記憶、忘れていた記憶を、音声付リアル映像で勝手に脳内に流される。
いつ、どこで、どんなときに、という状況が分からない。ナレーション、説明一つないから不明。
ただ、録画された映像を再生されるのみ。

あやと男の会話シーンだった。
男が言う。
「あやは、懐かしい。初めて会った気がしないんだよな。誰かに似てるな、何かに似てるな、とずっと考えてて、やっと思い出したよ」
「なぁに?」
と、あやが甘ったれた声で訊く。
男は答える。
「乗馬をやってたときの、俺の相棒の馬に似てるよ。朝日号って言って、人馬一体というけれど、本当に信頼してた馬だった。何でも分かり合える馬だったよ」

あやは、一瞬哀しそうな顔をしてから、満面の笑みを浮かべる。
なんだか嬉しいなぁ人じゃないのが嬉しいなぁ、言葉はいらないってことだもんね。馬は死んだの?あやは、その馬の生まれ変わりなのかなぁ。


喜んでた、あや。ちょっとはプライド持てよ。
馬か。乗馬の馬か。
それじゃあ男よ。
お前が最終的には「俺の独り相撲だった」と言った家族ごっこの出演者、妻と子供は何類何科の生物だ?

こんな映像を流されるのは迷惑だ。
いっしょくたに男と消えろ、死ね、あや。
怒りで苛々した。
こういった記憶は、そのうちまた忘れてしまうことが多い気がする。
ありふれたすぐに忘れそうな馬の名前まで、正確に再生できる記憶自動再生装置には呆れる。それだけの記憶力が、普段の私にもあればいいけど。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

○私信○

こちらに掲載しましたお知らせにお返事、ありがとうございました。
慎重を期して記事にすべき内容と心得ます。
数日後になりますが、アップさせて頂きます。


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解離性同一性障害 | comment(8) |


2008/08/06 (Wed) 蝉時雨

蝉の声が、耳をつんざく。
ここ実家では、1日何度も何度も眠って体力を回復させている。
眠剤は、飲み続けていると効力が弱くなるので、今は一錠減らしている。それだけで眠りが浅くなる。何時間寝ても眠いのは、熟睡できないからかもしれない。
夢も、やたら見る。最近は欲求不満なのかと疑いたくなるくらい、男性器が登場。フロイト様の分析など必要ない。あからさまに男性器。多分、私の心理状態の何がしかを表している。何を表しているのかは、多分傍の案件だから放置しておこう。

実家では入浴恐怖が増したことがあって、かれこれ言えないくらい入浴していない。
今日になって、恐ろしい不安に襲われて、永久に孤独なのだと覚悟したりした。私は多分、誰かと恋愛することは終生ないだろうと思う。恋心を抱いたとしても、そこから先、相手と時間や物質や場所や食べ物を分け合い、愛がどうの、責任がどうのとやる気は一切ない。

こんなとき、大阪にいれば洗濯したり掃除したりして気を紛らわせる時間がある。ここ実家では、主に庭に出る。無数の蝉が発狂したように喚き続けている。昼も夜も。
庭に出ては、雑草を引っこ抜く。草を引っこ抜くのは、人間の身体から首を引っこ抜く感覚に似ていると私はいつも思う。そんな夢を何度か見た。
抜いても抜いても、一雨降れば、またどこからか生えてくる雑草。頼りなげな柔らかい葉を持っているかと思えば、その根は網目状に土深くまで大地を掴んで離さない。厭らしい草が無数に生えている。


素手は土にまみれ、Tシャツの内側をぬるい汗が伝うのを感じたときにふと、そうだ私は関東まで行って、肝心の逗子へ行かなかったと思いついた。
あやの男が住んでいるであろう地。関係のない私までを狂わせる地。あやを生み、愛を教え、愛を踏みにじって、捨て台詞それでも愛してるという糞尿撒き散らして逃げていった男。死のうとしたあやが死んだか否か東京の会社で、テレビニュースで見ていた男。次の月も、何事もなかったかのように平気でやって来て、あやを抱いて、あやを縛って遊び、後の自慰行為のオカズ用に裸体を撮り溜めた男。
肖像権の侵害だ。
あの男が、全て持って行った。
愛も世界の成り立ちも、頼ることも信じることも、数限りなく。
これほど全身全霊かけて憎い人間に会ったことはない。
同時に、これほどどうでもいい人間も、そうはいない。

小生意気なサガンが言っていた。
これが最後の恋だと思う恋は、最初の恋。
これが最初の恋だと思う恋は、最後の恋。


それなりに説得力がある。
しかし、最初で最後だった女の場合、どうなるのか。

「愛してる」という言葉が、世界中で一番大嫌いだ。生涯、この耳で聴きたくない。この言葉を誰かから差し出されたとしたら、私は、そいつを殴りつけて躊躇わず毒をあおろう。もしくは今度こそ躊躇わず、そんな腐った言葉を口にする男を一突きに殺してやろう。
そんな言葉の大安売り会場、恋愛になんて近づきたくもない。

逗子の男は、あやを迎えには来ない。
インターネットは、便利過ぎて、実に使い勝手が良い。
写真の左手の指に、例のドナドナ鼻輪の銀色リングがやたらと光っていた。見つけたのは、東京行き寸前だった。私は気がついたら泣き喚いていて、5階のベランダの室外機の上に裸足で立っていた。
あのまま飛び降りていたら、理不尽だろう。5階から飛べば助からない。リストカットの衝動で手首を掻き毟って、カミソリを手にして、放り出し、泣き喚いて発作を起こして呼吸困難で死にかけて、死に掛けたまま生きている自分をこの世で一番に憎んだ。

憎むべきは、逗子の男だろう。

また、私とあやの境界線がぶよぶよと形を崩し始めている。
ゼラチン質の境界の壁は乾いていると頑強なのに、水気に異常に弱いのだ。
メスを求めて発狂した蝉の声が、私の脳まで掻き乱す。ふいに泣き出したりする自分自身が分からない。
あやはあや自身を殺したが、私は私を殺さない。
腐った愛を撒き散らしてそこら中汚した男が、きっちり全て回収しに来い。
お前の糞尿がいまだ臭って、おちおち生きていられない。



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日々日記 | comment(2) |


2008/08/05 (Tue) ファッキンカレンダー

念願だった神経症・人格障害者相互QOL支援コミュニティの第一回目オフ会の準備に追われていた、東京でのある日、泣きながら書いて、アップせずに放置してあった。
下書きに埋もれていたのを、さっき見つけた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

対人恐怖と失望と絶望と不安と恐怖で、夜中の東京の往来で、もう一歩も歩けなくなった。
歩くべきなのに歩けなくなった。
生ぬるい東京の夜の底、友人に、突然電話をした。
会ったことはないけれど、ソウルメイトのように感じる。彼女が東京へ行く前に、私に言ってくれた。何かあったら、ワンコールしてね、かけなおすから。

すぐに電話口に出てくれた彼女と、のんびり猫と海の話をした。
笑った。
励ましと勇気をもらって号泣した。
アドバイスをくれた。自分の心に素直になるだけで良かった。
分かっていたけれど、私はもう一人ではそれが出来なくなっていた。
何もかもが混乱していた。
スケジュールも自分の体調も心も慣れない移動も方向音痴も東京も靴擦れも、混沌として私を内側から壊しかけていた。

通話を切って、また混乱した。
やっぱり自分が嫌で泣いた。
呼吸が出来なくなった。
でも、その後電話をくれた友達のとんでもない笑い話で忘れてしまった。

刻々と事態は変わっていって、悪夢のようだった。
でも、何かあっても必ず守るから、大丈夫だからね、辛かったね、と友達が声をかけてくれる。
そうか、私は辛くて怖くて不安でたまらないんだと、その言葉で思いついた。
東京で大声で泣いたのは、この日と、発作を起こした日の二度だけだった。多分。

とにかく何も考えないで眠るんだよ、と友達に言われて、飲めるだけ眠剤を飲んで寝た。
起きたら、夢を見たことだけ覚えていて、でも内容は忘れていた。
ただ一言、「ファッキンカレンダー!」と夢の中で叫んでいた自分のセリフを覚えていた。

関東での日数もあとわずか。
折り返し地点は過ぎてしまった。
大切な友人、あたたかいあたたかい友人、熱く怒りや情熱を燃やす友人、苦しくても黙って耐えて事後報告の友人、ここでやり残したことを肝心なものほど抱え込んだままの私。
帰りたくないのと帰りたいのと休みたいのと休めないのと、でも後悔したくないから、ここにいる。
ミスをした。見誤った。
病気と人間性を混同したら、他人の善意にくるまれたエゴに潰されてしまう。
ツケはすべて自分で負うつもりだったのに、人間不信極まった私に、友達は何て変わらずあたたかいんだろう。
私に出来ることが限られている。私は、思ったよりも無力だ。そして予想外に人は温かい。日々は、どんどん過ぎていく。
ファッキンカレンダー。
くそったれ羽が生えた日々。



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自助グループを作る | comment(2) |


2008/08/04 (Mon) 波動

20080804dia.jpg
昨日まで滞在していた、東京での思い出の一枚。
飛び入り参加させてもらったブログ友達のバンド風景の片隅。
恐れ多くも実際には会ったことはないブログ友達の、更に知りもしないバンド仲間に「ボーカルで参加したい」とお願いして実現した、厚かましさ極まれりの図。


バンドのメンバーから二つ提案された曲から、歌えると思った方を選択した。東京では、課題曲を含めて決まった曲を数曲リピートして聴き続けた。

人間の基本欲求は、睡眠欲、食欲、性欲だと聞くが、私の場合、このすべてを上回るのが「歌唱欲」なるものだ。歌うことが、とにかく好きだ。好きで、たまらないのだ。
クーラー病で喉をやられても、東京のブログ友達と5時間もカラオケを歌いっぱなしに歌ったりした。耳コピにも余念がなかった。リズムは、心臓の拍動のようなもので、スコアや理屈で解釈しようとしても身につかない。
聴いた。とにかく聴き続けた。


難易度としては、かなり高いと思った。何が難しいって、リズムがとにかく難しい。各パートを聞いてみれば、どの楽器も、とんでもないことになりそうだと思った。実際、ブログ友達から、どのパート練習も悪戦苦闘しているだとか、当日も自分のパートにそれぞれ必死だろうだとか、あまり演奏に期待せず練習程度に考えてね、だとか言われた。
ちょっとプレッシャーになった。聞くだに、せめて足を引っ張ってはならんと思った。


迷惑をかけないように、出かける前に幾つか自身に課題を設けた。

1 病気を公言していないブログ友達の立場を考慮してミスなく振舞うこと
2 音楽でコミュニケーションすること
3 酒好きメンバー故に酒を持参することを忘れないこと
4 私が足を引っ張らず皆さんに楽しんでもらえること
5 物怖じしないキャラを貫き通すこと

1以外は、要は正しく楽しめば良いのだ。今更、物怖じして、おどおどしたり緊張したり卑屈になったりせず、むしろ開き直って楽しみに来ましたと厚顔無恥を晒せば、それが正しい音楽の楽しみ方だ。
普段はやらない、バンド仕様のコーディネートを弟に教授してもらい、足りない靴は前日にリサイクルショップで280円で買った。うってつけのサンダルは、はいているだけで楽しい。


当日、駅前で大きくて重いベースを肩からさげたブログ友達と待ち合わせた。
生まれて初めて、バンドのスタジオに足を踏み入れた。
重い2重ドアが、期待感を増した。
こんな機会を与えてくれたブログ友達に感謝した。
緊張なのか興奮なのか区別がつかない高揚感だ。

メンバーの皆に、簡単に挨拶した。
皆、自然体に少し緊張を織り交ぜたような空気を醸し出していた。何しろ、大阪くんだりから会ったこともないのに図々しくもバンドの花形たるボーカルをやりたいと言って出張ってきた女だから、どんな奴なんだと不審な気持ちも、どこかにあったのかもしれない。

ここぞとばかり大阪人キャラで、積極的にメンバーに絡んだ。絡みすぎないようにバランスを考えたりして、絡んだ。ツッコめるところは、とりあえず全部ツッコんだ。ツッコミコマンド全開だ。

畳み掛けるように、買って行ったプラスチックのコップに、泡盛を注いだ。奇遇にも、最近幼馴染が「美鳥、泡盛好きだよね」と、持ってきてくれたものだった。大阪から運んで来て良かった。
酒好きとのコミュニケーションの基礎は、まずノミニケーション。
皆で乾杯すれば、想定内に、賑々しい空気に変わった。
これから、どんな3時間になるのだろうと、楽しみでどきどきした。


ブログ友達のバンド仲間たちは、皆、とても大らかで優しい空気を持っていた。
全員、陽気で個性的で温かく、面白くて、何より無駄な言葉を必要としなかった。
一度休憩で廊下に出たとき、ギタリストの人とすれ違ったから声をかけたのだけれど、スタジオでのにこやかさは吹っ飛んでいて、不機嫌な顔をしていた。私の言葉に、ぶっきらぼうに答えた。悪い人じゃないと分かったから、そんな反応も面白かった。


贅沢にも、聴衆は、私だけだ。
全員で演奏してボーカルの人がMCを入れ、メンバー紹介をしてくれた。
彼らのレパートリーの3分の1程、ぶっ通しで聴かせて貰った。
鼓膜が破れるかと思ったが、そのうち体中が音に震えているのに気づいて、脳髄まで響く音に酔った。
耳じゃなく、肉体で音を聴く。
踊るも、リズムに乗るも、直接生身にぶつかってくる音の振動を味わうのも、自由だ。
楽しめばいいだけだ。
聴かせてくれた。どっぷり浸った最高の時間だった。


誰からともなく今回の課題曲「波動」のフレーズが流れ、気がついたら全員が音を合わせたり離れたりして、各々練習している。
一度通して演奏し、残響音が消えるまで息を止めては、緊張を解き、それぞれ沈黙する。自分のパートに足りないもの、合わせられない部分、創意工夫、様々に考えを巡らせる時間だ。

そこにタイミングをはかって、自分から入っていく最初の一声は、さすがに少し緊張した。
いつの間にかギターがイントロのフレーズを演奏し始め、私が加わり、ドラムが加わり、ベースが加わり、コーラスやハーモニカが加わる。
不思議だった。
誰が誰に駄目出しをするでもなく、それぞれがそれぞれの感受性で一回ごとに自分の音を磨いていくらしい。回を増すごとに確実に良くなっていく。
そんなやり方も、その場の空気に学んで倣った。

合間には、泡盛だとかビールだとかお茶だとか好き勝手に飲みながら、冗談を言ったり笑ったり。そして、また音楽に没頭する。


音楽を楽しもうという空気の中に、メンバー同士の信頼と、克己心が一本筋になって通っていた。
音楽でコミュニケーションが取れている。
幸せで、仕方なかった。こんなふうに、何にも心縛られず、音を楽しんでみたかったのだと思った。
この人たちは、音楽が好きなんだと直感すれば、あとは私も、楽しみながら曲を磨くことだけに集中した。

1人で歌うのとは全く違った。
誰かがミスすると、途端に自分の調子が取れなくなるし、私が入りを間違えると皆に影響が出る。けれど誰もミスを指摘したりしない。ただ次へ、それぞれ生かせばいい。
ドラム、ベース、ボーカル、ギター、コーラス&ハーモニカ、全員が円になって楽しんだ。
真剣なのが、最高に楽しかった。

音を合わせ、演奏を一度終えては、それぞれ無言で考え修正し、また合わせるを繰り返した。
かなりの難易度だったにも関わらず、制限時間内に、ついに最良の演奏「波動」が完成した。


バンドの演奏をよく「生音」と表現するが、確かに生きた音だと実感した。
ドラムやベースやギターや歌声で、実際、体の内臓までが振動するのだ。
生き物のように、音が命を持っていた。
理屈は、いらなかった。

バンドのリーダーが「じゃあ、次は2週間後ね」と冗談を言った。バンドのマネージャーが、レパートリーリストにマジックで「波動」と書き加えた。
全員に、心からお礼を言った。

スタジオを出たとき、生きていて良かったと思った。
ブログ友達に感想を訊かれて「めっちゃ楽しい!」と答えた後で「生きてて良かった!」と答えた。
何度も繰り返し口にしているうちに、死にたくないでも、消えたくないでもなく、生きていることが幸せだと感じられることが嬉しくなった。


その直後、私は駅前で立っていられなくなった。

昨日、発作起こして死ぬかと思った、悲惨だったんだよーと、ベースを抱えた友達に笑って話しているうちに、前後不覚に陥った。2週間を越える長旅に疲労がピークに達していたこともあるのかもしれない。

似たことが前日にあったばかりだった。
間抜けにも、前日と同じキーワードで解離を起こした。
前日は、死ぬかと思った。
あやが表に出たのかもしれないと後で考えた。
あのまま呼吸ができないまま息が止まったり、うっかり内側の闇に落ちたまま永久に私が戻って来れなくなったかもしれないと思うと怖かった。
死にたくないと思った。消えたくないと思ったばかりだった。



何度も何度も意識を失いそうになって、体と意識を繋ぐ糸がプツプツと切れる。光が眩しくて仕方なかった。
気づくと、改札の柱の前の地べたに座りこんでいた。
激しく頭痛がして、3,40センチ後ろに、見覚えのある少女がずっと無言で立っているのが見えた。奇妙な感覚だ。私の目は開いていて、前を向いているのに背後の暗がりに立つ少女が妙にくっきり見える。

乗っ取られるのが怖くて、抗った。どうやれば抗えるのか分からない。いやだいやだと呟くくらいしか出来ない。怒りが湧いてくるのに、その怒りごと私がどこかへ消えてしまう。怖かった。
何度か気がつくと、友達が私の横に座っていて、私の手をさすってくれていた。でも、またストンと意識が落ちる。何度繰り返しただろう。

友達がもう1人合流して、2人にやっと自分の異常を伝えることが出来た。後ろにいるのだと伝えた。怖かった。怖いのに、その恐怖すら私ごと、やっぱりどこかへ持ち去られてしまいそうだ。

2人とも、私の症状をブログや話で知ってくれていて、あれこれと説明を要しなかったから本当に助かった。しばらく休憩してから、フリーペーパーを皆でのぞきこんで、打ち上げの店を決めた。
知らない間に、私が戻ってきていた。
一瞬で私がさらわれようとしたり、気づかない間に自分が戻ってきたりしている。
それでもやっぱり、今日はどうだった?と友達に訊かれて「生きてて良かった」と答えた。
言葉に、嘘はなかった。
死んでしまったら、この体に音は響かない。






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2008/08/03 (Sun) はじめる  Last Day

東京へ来たときは、街までこんなに遠いのか、と思ったのに、羽田へ向かう道中は、あっという間だった。
羽田を発って、約1時間。たったの1時間。
飛行機が飛び立つ瞬間の感覚が大好きで、その数分だけは意識があったが、空にあがるなり眠りに落ちた。18日間の関東への旅の最終は、富士山も見ることなく毛布をかぶって寝ている間に終わってしまったのだ。目を覚ますと、関西にいた。


目が覚めきらない気だるい体のまま飛行機の降り口から吐き出され、空港の到着口に降りたった。18日ぶりの関西は、目が眩むような、かんかん照りだった。乱れた髪を帽子で押さえつけて、半分寝ぼけたまま、荷物受け取り口のベルトコンベアーが、ぐるぐる動くのを見ていた。

人生こんなもんだな、とぼんやり思った。
全ては、ちっぽけな自分の体におさまってしまえば、ありふれた生の一幕にしか過ぎなくなる。
いつでも継続の途中でしかない。


空港を一歩出れば、当たり前だが街は関西弁に満ち溢れ、エスカレーターは東京と逆の右側。東京へ足を踏み入れたときと同様、関東に馴染みつつあった私は、異邦人になった気がした。

文鳥を預けていた実家に戻るまでの車中、ずっと上の空だった。どうしてもやり遂げたかった、精神障害を持った当事者間の相互支援コミュニティのスタート。これからのことを考え続け、早速持ち上がった課題や自分自身への失望や不安に対して、何か一つでも具体的に策を練ろうと考え続けた。

休まなければと考える一方で、休んでいる暇はないと思った。時間と共に次々と課題が明確に浮かび上がり、自身の未熟さは自覚が深まるばかりだ。出来るか出来ないかは別として、アイディアをこらし続ける。具体的方策が浮かばないのなら、それは会が終わる時だ。
アイディアが浮かべば、次は実行するために必要なものを考える。
幸か不幸か、思考が連鎖して連鎖して、止まらない。


すべては始ったばかりだ。
私の生の記憶は殆どなく、私は、脳内で勝手に書き込まれたり削除されたりした味気ない年表と、新しい友人、そしてこれから作っていく新しい日々しか持たない。
すべては、ここからの私次第なのだろう。
始めるだけで、何とエネルギーを要するんだろうか。
長い長い、遠泳の始まりだ。
生きていて良かった。
始めることができる。




○お知らせ○
私事で多忙なため暫定的に閉じていたコメント欄を、明日から再開します。
是非、お気軽にコメント下さい。お待ちしてます。


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2008/08/02 (Sat) 手のぬくもり 17th day

7月30日、実現を目指してきた、神経症・人格障害者相互QOL支援コミュニティを立ち上げ、その第一回目を東京で開いた。
来てくださった方々、ありがとう。
他県からや、初対面なのに来てくださった方、仕事で大変な中来てくれた方、ありがとう。
立ち上げるまでに、各方面で協力してくださった方々、ありがとう。
遠くから応援してくださった方々も、ありがとう。
何度も何度も折れて崩れて立てなくなった私を助けてくださって、ありがとう。
思うばかりじゃ嫌だった。
今の私が病人であっても、病気を持った当事者だから分かること出来ることを行動に変えたかった。
でも、1人じゃ出来なかった。
本当に皆さん、ありがとう。
始ったばかりの会だから、主宰として勉強に勉強を重ねて、体力のある会に育てあげていきたいと心新たに誓った。


翌日から、ブロ友himaちゃんのうちに二泊させてもらった。東京に来てから何泊させてもらったか。
昨日は、何気なく話していた会話の中で自分でフラッシュバックの地雷を踏んで、発作を起こした。
気がついたら玄関で倒れていて、顔中涙と鼻水でぐっちゃぐちゃだった。呼吸が出来なくて、死ぬかと思った。
himaちゃんがいて、毛布やタオルや枕や色んなものがあって、それからベッドに寝かせてくれた。頭が痛くてたまらなくて、頓服を飲んで、彼女が持ってきてくれた凍ったペットボトルにハンカチを巻いたものを額に当てたりしているうちに眠った。ぐっすり眠った。私に、病院へ行こうとか、救急車を呼ぶとか言ってくれたらしいけれど記憶にない。意識が引きずり落とされて、少女が泣いている声を聞いた。ママがいないと言っていた。多分、あやだ。あやの男、ママが浮かんでは消えた。ママは少女の頭を撫でてくれて優しかった。
そんなものは嘘だから私は否定したかった。全力で拒否したかった。
そんなことがあった。

翌日は、himaちゃんが作ってくれたご飯を食べた。彼女が作ってくれる食事は、とても美味しい。発作を起こした後でも食べたくなるくらい、美味しい。美味しいものを食べると幸せになる。
だらだらと買い物に出かけて、リサイクルショップで靴を二足をワンピースを買った。全て280円。靴は翌日のバンドに着ていく服にぴったりだったから嬉しかった。
それから、だらだらとカラオケを1時間だけやったり、ゲームセンターで太鼓ゲームだけやったり。また歩いて帰ってきたり。そういえば行き帰りで鷹の種類を飼っている工場のおっちゃんたちと仲良くなって、鷹を触らせてもらったり喋ったりした。


今日は、バイトに出かけたhimaちゃんの後に彼女の家を出て、午前中にアルタ前で待ち合わせて、N氏とお茶をした。N氏が「食べなきゃ」と言ったから、前日の発作以来体調が優れなかった私は、そうだな、食べなきゃこの後歌えないや、とケーキセットを頼んだ。味は、あまり覚えていない。N氏、面白い。1時間半は、あっという間だったけれど色んな話ができて面白かった。相変わらず互いに遠慮なく言い合えるのが面白い。アドバイスも頂いた。鷹の写真を見せて、鷹の名前を教えてもらった。すぐに忘れた。これからバンドに行って歌うんだよと、曲を聴かせたり、ポニョについて話したり、日本について話したり、インスタレーションヴィデオアート展「液晶絵画」について話したり、お互いについて話したりした。


方向音痴を承知しているN氏に送って貰い、午後からブロ友うさまっくのバンドに飛び入り参加すべく、電車で移動。心温かく迎えてくれたバンドの方たち、ありがとう。何より、素晴らしい夢の時間をくれたうさまっく、ありがとう。いきなり生バンドの演奏でボーカルで歌わせてくれ、しかも1日で、なんて普通ない厚かましいお願いだ。本当にありがとう。前日に発作で死ぬかと思ったけれど、死ななくて良かった。あやが表に出ているのを感じたけれど、戻ってこれてよかった。私が私でいられて、良かった。


うさまっくとhimaちゃんと三人で居酒屋で打ち上げをした。明日には、この関東を去らなければならないと思うと、悲しくて寂しくて何ともいえない気持ちになった。
駅で別れるときは、思わず泣いた。
彼や彼女だけでなく、ここ関東に大切な誇るべき友人が、たくさん出来た。


私と会ってくれた人たち、ブログで知り合い、会うまで正体の分からないネット上の私、色んな厄介な病気を持っている私に会いたいと言ってくれた人たち、ありがとう。
互いの都合で会いたくても会えなかった人たちもいる。次は会いたい。
ありのままの個性豊かな友人たち。
病気を持っていようが持っていまいが、私は大好きだ。
病気という共通項を持っていなければ会うことはなかっただろう。
縁も人も生きることも命も時間も偶然も、すべてが温かい不思議で充ちている。


明日、関東を発つ。
東京を離れたくない。
台風でも来て、飛行機が飛ばなきゃいいのにと思っても、明日は素晴らしい晴れだとか。

生き延びたい。死にたくない。私は、私という人格でいたい。この記憶は誰にも渡さない。
哀しみなのか怒りなのか決意なのか悔しさなのか、わけも分からず泣いた。
またね、と泣きながら握手を交わして、駅で別れた。
新宿を、もう憎めそうにない。



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美鳥(みとり)

Author:美鳥(みとり)
被虐待サバイバー。解離性同一性障害、うつ病、対人恐怖症ほか色々闘病中。境界性パーソナリティ障害寛解しました。毎日の光と影を綴ります。生育歴・来歴・病歴・活動はこちらをご覧下さい⇒<はじめに Profile>

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