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2008/07/29 (Tue) この世界を全部洗って 13th day

失語症以来、私は言葉というものを一切信用しなくなった。
そんな私がブログを書いている事は、矛盾している。
しかし、言葉というツールを使わなければ、この世で自分が何者であり何を考え何を感じているのかを誰かに伝えることは不可能だ。

私がブログを始めた当初、書こうと思っていたテーマは、病気に関してなど今書いていることとは全く別の、自身の宗教団体での体験だった。
書くことで、表に出ることのない内情を外側の誰かに訴えたかった。
同時に、私が経験した宗教と共に生き、その宗教から自身で脱却するまでの経緯を書くことで、人間が必ず持っている「信じたい欲求」または「信じるという気持ちの働き」の核心を暴くことが出来るのではないかと考えていた。
思えば、虐待経験と通じるものがあった。
「全てお前が悪い」と刷り込まれた家庭内での虐待という名の洗脳と同じく、私が共に生きてきた宗教は高い洗脳性を持っていた。
自身が愛情と思っていたものは虐待だと認める苦しさに似て、この宗教は私を苦しめはしても助けてくれはしないと認めることは、命がけの作業だった。
いまだ一つも記事をアップしないまま、カテゴリーだけ存在している宗教論は、去年書いて完成させたまま、ある理由から敢えて下書きフォルダーに置いてある。


どちらにせよ、このブログで、私が私自身についてありのままに書くことに変わりはなかった。
書くということが、何か次の行動へ繋がればと考えてきた。
ただキーボードに向かって、考えたり感じたりしたことを漠然と書き連ねているだけは、嫌だった。
当初から、それだけは明確だった。
思っているだけで行動しない、感じているだけで表現しない、誰かの顔色を窺って無難に生きていこうと苦心することに、もううんざりしていた。
行動したかった。


目指してきたものが、形になろうとしている。そのために関東に来て、今日で約2週間経つ。
思ってばかりで行動しない人間にはなりたくない、と心に決めているのに、実際に動き始めれば、思うこと、感じること、悩むこと、選択を迫られることばかりで、いちいち歩を止めねばならない。

よくも悪くも遊ぶことが大好きな私は、たまに目的を忘れて友達とはしゃいでエネルギーを空にしてしまい、遊んだ以外何もできなかったけど息抜きも必要だよね、などと言って自分を納得させた日も何日もある。
思い入れが強いから、マイナスの感情もプラスの感情も、平静な刺激も、度が過ぎるといずれにせよ体調を崩す私にとって、作業に向き合うのは勇気を要した。

更には、日が経つごとに疲労は確実に増してきて、今日になっては体の痛みと呼吸困難に加え、精神的にかなり不安定になってきた。解離性障害の私が、いよいよ自覚できる段階に来ている。
理由が分からず泣いたり、眠ってみたり、しかし起きて作業してみたり、そしてまた耐え切れずダウンしたり。
一番恐れていた症状が頭をもたげてきて、苛々する。
自分が誰だか分からない、という症状だ。

私<美鳥>という人格が、この意識から離れたがっている。
ここ数日こそ、私が存在し、私が行動する意味がある時間だというのに、逃げ出したくなっているのだろうか。意識が遠のくということと、逃げ出したいということは、同じことなのだろうか。
それとも、単なる疲労から来る離人なのだろうか。
自分が始めたことなのに、プレッシャーが予想外に重く、正直吐きそうだ。
誰かを巻き込み何かを始めることが楽だった例などない。
全て了解して考えつくして始めたことだから、迷いはないのに、意識が遠のく。
まずいことになったと、昨日から極力体を休めている。
そうしたら、夜中に突然、記憶から消去されていたはずの幼稚園時代の友達の顔とフルネームが全て蘇ってきて、けれど私自身の顔も何も思い出せなかった。
勝手に記憶のレコードを再生され始めると、その先はろくなことがないと、さすがに経験から学んでいる。どうにかしなきゃいけない。

明日、一番肝心なときに、この体がぶっ倒れるなんて馬鹿げた失態を犯すことだけは、一番避けなければならない。私1人なら、どうでもいい。道端で倒れて死んでたって構わない。そういえば、東京で私が死んだって先生には関係ないじゃないですか、と普通にカウンセラーに話した私がいた。
私一人のことならば、私はどうでもいいのだと思う。
群集の中にいても、私は結局ひとりで生きている哀れな人間なんじゃないかと時々考える。


この意識と体から、私が引き剥がされそうになるとき、それは少し死の恐怖に似ている。
突然襲ってきては、体と結ばれている私の意識の糸の全てを一瞬で引きちぎってしまう。
肉体は糸が切れた操り人形そっくりで、視界は暗転し、意識は混濁しては失い、ただ残るのは「1人で立たなければ」という思いだけで、それすら輪郭は曖昧になる。気力だけで輪郭を保つ。
こうして今の状態の私をありのまま綴ることが、最初から今日まで続けて来られた唯一のものだ。


東京での私の目的を話した時、友人N氏は、私に言った。
美鳥さんが途中で死んでしまったら、美鳥さんがやり残したことが残されて、まわりの人まで取り残されるじゃないか、それでいいのか、と。
途中で頓挫するなら、そんなものなくていい。
消えるわけにはいかない。


東京へ来て初めて、激しい雨が降っている。
隣の屋根を大粒の雨が叩いているのか、騒がしい。
ガラス窓越しに、稲妻の光が閃き、雷鳴が轟いてくる。
明日は、晴れるらしい。
今の私は、何がどうと説明はつかないけれど、雷雨が心地よいと思う。


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2008/07/28 (Mon) 蝶ネク ケロミン 12th day

まだ東京にいて、とにかくあれこれ起こるし、かつてない程に私が動けているから、色々書きたいのだけど、今日は朝6時からパソコンに向かいっぱなしで、現在20時。
一歩も外に出る暇がなかった。しなきゃいけない連絡も、したい連絡も出来てない。
画面を見すぎて目が・・・目が乾いてるったらないよ・・・!

おまけに、とある作業のために、朝っぱらから弟と物理学やら相対性理論やらの話をして、ろくすっぽ私は分からなくて、そこらへんを弟にちょっとツッコまれたりした。
そのうち友達まで加わってくれて、一緒に考えてくれたのだけど、何のことやら頭がパニックだった。でも山場を越えることができた。でも、今からもまた山場だから、どこかに一瞬休息できる何かを探してた私の気持ちを察してか、弟がこんなの教えてくれた。


直感で演奏できる、楽譜のいらないパペット電子楽器「ケロミン」 が歌うアメージンググレース


蝶ネクタイって、漫才師じゃなくてカエルがつけるべきベストアイテムだと思った。
似合うなー。
最近、ガッチガチな記事を書いてたから、というか、東京に来てケロミンはなかろうと思ったのだけど、しょうもないものほど血が騒いじゃうよ。
小耳に挟んだのだけど、ケロミンの大合唱があるらしい。どこだー!
ずらっと並ぶと、可愛さ通り越して、さぞや気持ち悪かろう。
それとも、グロくも卒倒しそうに可愛いのだろうか。
見たいー!


ところで、8月3日までコメント欄を閉じているけれど、閉じたくて閉じているんじゃないのです。
交流大好きな私としては、とても寂しいのです。不本意なのです。
ブログが死?ん・・・(出典:漫☆画太郎先生)として、寂しくないわけがないじゃないですか。
しかしながら、あと少し。
どうしても、ここではじめたいことがもうすぐスタート出来るかもしれない。

今日一日で、関東滞在の目的のいまだ3分の1を達成したわけだけど、何人もの友達が力を貸してくれて、私は何が何やら分からぬほど不思議な気持ちです。
私一人では、既に何度もここ関東で寝込んだり倒れたりしてるので、絶対にここまで出来なかったと思う。

コメント欄を閉じていても、ガッチガチなテキストばっかり長文書き連ねてても、来て読んでくださってる方々、本当にありがとうございます。

昨日は対人恐怖で泣いて泣いて、呼吸困難起こしかけて、友達に助けてもらって、それも実際昨日だったのか数日前だったのか、本当はもっともっと遠い日のような気がするけれど。

リアルもネットも、やっぱり私にとって人は人だな、人が好きだと思う。
去年まで寝たきりに近く、殆ど何も出来なかった私が、ここ関東に来られているだけ奇跡だ。
そうして死なずにここで、やりたいことを予定の半分もこなせてなくても、ちょっとずつでも進んでいけてる。全部、あったかい友達のお陰。
動けていることも、笑えていることも、生きていることも、友達があったかいことも、どれも信じられなくて、たまに不思議になる。
人が持つ心の力は、壊すことも育てることも出来るんだと、心の底から不思議になる。



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2008/07/27 (Sun) 途上の人 10th day

昨日は、初対面のブロ友と品川駅で待ち合わせた。
憧れの原美術館で<アート・スコープ 存在を見つめて>という展覧会をやると知って、どうしても行きたかった。

初対面だけれど、私は一切緊張しなかった。
ノーリスク・ハイリターン、今までブログを通じて交流してきて、どんな私を読んでも読み続けてきてくださって、尚且つ私と会いたいと思ってくださる方、私も安心して信頼して会おうと思える方としか会わない、と大阪を出発する前から決めて来た。

相手の方は緊張していると言っていたけれど、私はやっぱり最初から違和感がなかった。彼女はブログを持っていないから、コメントだとかメールだとかで交流してきた。それにしても、ちょっと変わった出会いだったから、印象深い人でもあった。大切に関係を培っていこうと常日頃意識していた人でもあった。

美術館までの道を、色んな話をしながら歩いた。楽しかった。ときどき私がまだ知らない彼女の一面が見えたりした。そんなときは私は話しながらじっと考えて、新たな面を噛み砕いて消化したりしていた。知っているようで知らない関係なのだ。

美術館に着くと丁度お昼だったから、館内のレストランでランチを食べた。
美しい真っ白な壁の回廊と、同じく美しくカーブしたガラス張りの壁は、緑と光が溢れる中庭が見えて抜群の開放感だった。外国人客が何人もいて、日本ではない気がした。
サラダと一緒に頼んだカクテルで、会えた喜びの乾杯をした。昼から味わう冷えたカクテルは、極上の味だった。それからデザートとコーヒーを頼んで、思いつくままに互いのことを話した。話は尽きなかった。笑ったり、共感したり、考えたり、また笑ったりした。
話が弾みすぎて、ラストオーダーですがとボーイに告げられ、閉館30分前だということに気づいた。

慌てて展示を見に行った。

エヴァ・テッペというアーティストのヴィデオアートが素晴らしかった。
真っ暗な小部屋に大きなスクリーンがあって、映像と音が流れる。
自分から期待一杯に足を踏み入れたのに、作品に縛り付けられて、私はエヴァ・テッペによって小部屋に閉じ込められたのだと直感した。動けなくなった私の脳を、ぎゅうぎゅうと圧迫し、捏ね回し、たまらない感覚になった。恐怖とも違う。慄然として動けなかった。
感受性が強い友人は、気分を悪くしてしまった。私も、次の展示室がまたエヴァ・テッペだと知って、思わず立ちすくんで入れなくなる位、一つ目の作品で打ちのめされてしまった。
二つ目の作品でも、私たちは動けなくなった。物凄い力を持った作品だった。

加藤泉の彫刻には、見惚れた。このアーティストには、人間はこんな造形に見えるのか、と最初は衝撃を受けたが、その場にずっと留まって作品とたたずんでいたら、自分の骨格だとかの造形がよく分からなくなってきた。思わず手で触れて、自分の顔を確認したほどだ。
友人は、男と女と子供が並んだ加藤泉の作品を、別の客が「あ、親子だね」と言った言葉に衝撃を受けていた。彼女には、親子だという発想が全くなかったのだという。

トラウマや過去の堆積によって存在している私たちは、同じものを見ていても解釈が違ったりする。
力ある作品は、作家の意図しないものまで見る者から引きずり出す。
私から何が引きずり出されるのか、それが楽しみで最近、私はインスタレーションアートのような、体感型の展覧会ばかり訪ねるのかもしれない。

常設展示の一つは、私の心を鷲づかみにしてくれた。
密かなる廃墟マニアである私は、崩れたコンクリートや、そこからむき出しになったコード類、錆びた鉄、静かに湛えられた水、暗闇と光が混在するその作品に惚れこんだ。一度見て通り過ぎ、帰りにまた寄った。

途中、私が突然派手にすっ転んで倒れて、友達を仰天させた。物凄く心配をかけてしまった。美術館のスタッフまで駆けつけてきて、軽い騒ぎになった。散らばったバッグの中身をかき集めてくれて立たせてくれた友人に感謝。体力もないのに10センチピンヒールとか、アホがやることかもしれない。申し訳なかった。

その瞬間あたりから少し解離して、私はしばらく自分がよく分からなかった。体が夜まで痛んだのだけど、痛くない気もして放置していた。解離している状態で、自分の不調を相手に伝えるのは凄く難しい。外側から見える私は、変わらず元気だったと思う。

美術館を出て、品川駅まで写真を撮ったりしながらエヴァ・テッペの作品の話を何度もした。色々した。互いの感じたものを言語化するのは難しいけれど、喋りあった。面白かった。
品川駅前のワイナリーショップで、お茶することにした。
酒好きの友達は、ランチに次いで、またもアルコールを迷いなくチョイスし、サングリラを飲んだ。私は、熱いカフェオレを頼んだ。

ガラス張りの2F席からは、すぐ下の交差点が見えた。
誰かを待つ人、外国人、浴衣姿の女性、親子連れ、サラリーマン、ビーチサンダルの男、老人、あらゆる人で混雑している。
家路に急ぐのか、どこかへ出かけるのか、信号が変わる度に、向こう側とこちら側から群集が塊になって交差して混ざり合い、横断歩道上は一瞬で混沌となる。
友人との会話の合間合間にそんな光景を見て、昼間に見たエヴァ・テッペの作品を連想した。


友人との話は、尽きなかった。語り尽くせないことばかりで困ったけれど、きっと言葉にできない一番肝心なものは、もう無言で語り終えている気もした。
笑ったり、真剣に話したり、思い出したり、相手の言葉から連想ゲームのように自分の内側から記憶や感情を取り出して、私たちは取り留めなく話し続けた。

友人は、強くしなやかで迷いがあった。なのに口にする言葉は輪郭が、はっきりしている。
適度な対人距離かというとそうでもなく、拒絶と信頼が同居しているように見えた。彼女は何かの途上にあるのだと感じて、同じく何かの途上にある私は、彼女が好きだと思った。


晩御飯まで誘ってくれたけど、断腸の思いで別れた。
彼女は私の決断を笑顔で受け入れてくれて、駅で、またね、と笑って手を振って別れた。
楽しくて幸せで、夢のようだと思った。
私は一人で生きてきて、誰かの中にいても常に孤独だった。
孤独じゃないと思った。ここ関東に来て、思い始めている。

ここでの日々も残り数日になって、やり残した肝心なものばかりがカレンダーに残った。
大阪へ帰る日を、ひとつの覚悟を持ってカレンダーに書き込んだ。
あんなに憎んだ新宿も、呪詛のような<逗子>という地も、人ごみもエスカレーターのない駅も、蟻の巣のように入り組んだ地下鉄も含んだこの関東。
帰りたくない、と思い始めている。




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2008/07/25 (Fri) 不可視の地上 9th day

昨日、ブログで知り合った友達2人とお茶をした時のことだ。

「私って、ブログでは硬いか暗いかドエロか変態ってイメージが定着してて、リアルとはかけ離れ過ぎてるから、会うとびっくりするんじゃないかなぁ」というような、日ごろからの懸念を話してみた。
2人して迷わず、「そうだねぇ」と深く頷いた。
何ということだろう。
やはり、そうなのか。
ありのまま書いてきたことが、逆に真実を捻じ曲げている事実。

特に男友達が「ドエロか変態」という部分に、一拍置いて遠慮がちに頷いた姿が、それなりに衝撃であった。一瞬彷徨った目は、過去記事のあれこれを思い出していたからなのだろう。

硬くて暗くてエロで変態の四拍子を、今更否定はしないが、実際の私はどちらかというと、なりが派手なので黙っていると頭が軽めの姉ちゃんに見られる、と思っている。
むしろ、そうでいたいと思っている。
思っていても、外出時の半分は、数日入浴していない、帽子かぶってごまかしているがスッピン、顔もいつ洗ったっけ、という状態だ。
せめて少し元気なときくらい、病人故と開き直り、好きなものを人の目を気にせず着ようと思う。
そのせいで、全く病人には見られない。優先座席で息も絶え絶えに座っていても、見知らぬかくしゃくとした爺さんに睨まれたりする。
病気が回復するにつれ、黒やグレーなどモノトーンのものを身に着けるのは避けるようになった。高じて、黄色だとか紫だとか、素っ頓狂な赤だとかを着るようになった。そのせいで、余計に病人に見られなくなり、外出時の万が一に周囲にヘルプを要請するのは難しい。

メンヘラ3人が集まって話してみれば、これは誰もが経験していることなのだと分かった。
鬱やパニック障害など目に見えない心の病気を持っていると、立っているだけで辛いときでも優先座席に座らせて下さいとは言えなかったりする。友達の友達は、いつも障害者手帳を持っていて、それを見せて座らせてもらうのだとか。
目に見えない病ならではの苦労だと思った。


目に見えないが故に、私自身も自分の調子が常にいまいち分からない。
昨日は、敢えて余力を残して友達と別れ、夕方には新宿に戻って来た。
戻ってくるなりダウンした。
ベッドに倒れこみ、延々眠り続けた。メイクも落とせなかった。どうでもよかった。
ヒットポイントを使い果たしてから宿屋で休憩するパターンを、少し変えることにした。いつ敵が来るかハラハラしながらの宿屋までの一歩一歩は、いっそ立ち止まりたい程に恐怖の歩みだ。

今日一日は、一歩も外出せずに自分を休めることにした。
服を殆ど洗濯した。洗濯が大好きな私は、少し幸せになった。

夢の中で、私は久しぶりに時速300キロを越すスピードで自在に空を飛べた。数ヶ月前に身に着けた「意識すれば壁もすり抜けて飛べる技」が、最近衰えていたが復活した。10年以上かけて夢の中の私は、次々に能力を伸ばしている。
その100分の1でもいいから、せめて現実の私もパワーアップできると良いのだけれど。
夢の中で、私は互角の敵と戦い、負けたり勝ったりした。
負ければ死と支配される恐怖に震えた。勝てば平常心になった。うかつな喜びを味わうことはない。続くと思っているからなのだろう。勝って胸を撫で下ろす自分がいても、手放しに安心することがない。良いことなのか、悪いことなのか。どちらでもなく地に足をつけているだけなのか。
起きるなり「疲れた」と口にしてしまう。

さっき、ブロ友が電話してくれた。私の不安を軽くしてくれた。魔法みたいだ。
あとは、私がきちんと実行するだけ。行動しなければ、思ったことは叶わない。
行動し叶えなければ、ただの無謀で終わってしまう。勇気かどうかは、終わった後で決まることだ。
私に出来るだろうか。何が何でもやり遂げたい。


昨日から対人恐怖が酷く、無意味に気心がしれた弟にもビクビクしている。ロフトのベッドで昨夜から、出来るだけの接触を避けてとにかく無口に横たわって過ごした。涙が出てきて、孤独感と不安でひっそり泣いた。
楽しいことも、たくさんある。
だけど、その隙間を狙うかのように、恐怖や不安や孤独が襲ってくる。


そしてまた、明日が来る。
明日は、初対面のブログで知り合った方と会う。
私の憧れの美術館で。
静かなゆっくりした時間を過ごせたらいいですね、とメールを交わした。
明日は、穏やかな天気でありますように。



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2008/07/23 (Wed) 港と太陽と赤い靴  7th day

神奈川滞在二日目。
眠剤の調整を失敗して、あまり熟睡できなかった。
「お互いに無理をしない」が合言葉の旅だ。ブロ友とホテルのレストランで、のんびりゆっくり朝食を食べた。窓から観覧車が見えないのが、有難かった。

部屋へ戻って、色んなことを話しながらベッドやソファで寛いだ。部屋は涼しくて、外は曇りで翳っていた。晴れてきた外気の熱を窓越しに感じる頃、昼食も兼ねて赤レンガ倉庫まで遊びに行った。
僅かに記憶に残る観覧車やホテルや道は見ないふりをした。

赤レンガ倉庫は、古くて美しくて色んな香りがする建物だった。全階の雑貨屋を見てまわった。バスボムやら石鹸やら売っているLUSHが入っていて、ひとしきりクリームなんかで手を洗ってもらう。すべすべして気持ちよかった。こめかみにつける練香水「蝶々婦人」が良い香りで気に入った。ブロ友とはしゃいでしまった。あの店は、いつ行っても楽しい。どこか怪しい雰囲気もあって、楽しい。

初めて食べるフランスのガレットをランチに食べた。
友達は、好物だというチョコバナナのガレットを無言で黙々と食べていた。彼女は、美味しいものを食べているとき、無言かつ実に満足げで幸せそうだ。そんな顔を見るのが楽しい。

ひとしきり赤レンガ倉庫を楽しみ、私は一眼レフで撮りたいだけ写真を撮った。会う前から「美鳥ちゃんが何かに集中してるときは放置プレイでいいのね」と言ってくれていたから、しかしやはり何もかもがぶっ飛んでしまって申し訳なかったのだけれど、撮りたかった写真を何枚も撮れた。こんなことは珍しい。

お互いメンヘラ、健康体ではないので、赤レンガ倉庫で疲れた。とにかくホテルに戻ろうと外に一歩踏み出せば、そこは灼熱、釜茹で地獄かと目を疑うばかりの晴天。屋根ひとつないので、紫外線に殺菌される菌のような心地で、ふらふらとホテルを目指した。途中で、マクドのマックシェイキ(とにかくバニラにはまっている)を買って、しかしそれでも疲労激しく、あと少しホテルが遠かったら私たちは倒れてたよね、ヒットポイント0になってたよね、と後で笑った。

クーラをガンガンきかせたホテルの部屋で、取り替えられたばかりの真っ白な柔らかいシーツにくるまれて昼寝した。
私は、やたらとうなされた。
夢の中で闘っていた。怒っていた。
目が覚めたら友達が「うなってたよ」と教えてくれた。
友達と会える楽しい毎日。けれど、やり遂げるべき目的もある毎日。プレッシャーだとか対人恐怖だとか、ここ関東に数限りなく刻まれている忘れたい記憶の数々と私は無意識に闘っているらしい。
悪夢は、しばらく心にどんよりとした曇りを残して、鬱々とした気分になった。


それから、夜まで思いつくままに、色んなことを話した。
笑ったり真剣に話したり、思い出したり、思い出しそうになる記憶に鍵をかけなおしたり、病気や自殺や事件や宗教についても話した。
おなかがすいたねーと、適当に着替えて夜の町に出かけた。昼に比べると、嘘のように涼しい。生ぬるい風が吹いても、涼しく感じる。

近くの飲み屋街がものすごく良い味を出していて好きだ。ホッピーのプラスチックケースを何段も重ねて板を載せただけの道路に出されたテーブルに、チープなスチールの椅子。
中でも「馬鹿屋」という店があって、メニューを見てみれば馬肉と鹿肉の店だった。
焼き鳥屋やスナックやパブに混じって、ジャズバーがあったり、イタリアンの店があったりする。
チープなネオンや酔っ払ったサラリーマンや、一見、この町に不似合いなOLや学生の姿も、哀愁ある陽気を醸し出して味がある。特に、ジャズバーのドア越しに聞える微かなドラムやピアノの音色が、心弾ませてくれた。
少し遅かったこともあって、体に優しいうどんを食べようと探した。美味しいきしめんを食べた。面白いおっちゃん客がいて、店の人とも笑ってやりとりした。こんな些細な会話が私は大好きだ。
関東へ来て以来、久しぶりに心和む時間だった。

ホテルまで戻ってくると、途端寂しくなった。明日で、ブロ友とは別れて、また次の場所へ移動する。昼間にN氏と連絡がついた。彼は、私の冗談と本気を以前から取り違えるが、まだ変わりなく、私まで彼がどこまで冗談でどこまで本気で話しているのか、恐らく性格からすれば全てありのままなんだろうなぁと思うと、少し傷ついたり傷つかなかったりした。しかし基本的に、面白い。


今日は、撮りたかった写真が一杯撮れた。人工物を撮ることに熱中している。
足は、靴擦れだとか色々で傷だらけだ。
絆創膏が毎日手放せない。
例年になく毎日汗をかいていて、普段からは考えられない位、自分の足で歩いている。
なまっちろかった肌が焼けてきた気がする。
明日からの予定は、仕切りなおして明日に立てる。
とても楽しい時間を過ごすことが出来た。互いのマイペースと体調と病気の症状を尊重し合った結果、のんびり休み休みの観光だった。
こんな時間を忘れていたな、とブロ友に教えてもらった気がした。
どれだけ一緒に笑って、話して、食べて、歩いて、眠っただろう。
関東が、嫌いではなくなってきた。



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2008/07/22 (Tue) 迷彩  6th day

あっという間に、東京での数日が過ぎた。
光陰矢のごとしを、肌身で感じている。
同時に関東に、どうしても慣れない自分もいる。その土地、土地を愛したいのに関東ばかりは、うまくいかない。何故だろう。

とはいっても、友達との出会いは全て楽しく、頼もしい。
ブログを通じて一年近く交流を深めてきた人たちとの初対面は、全く初めてという感覚がない。
数人と会ったけれど、何故なんだろう?と不思議に思う間もなく誰とも違和感を感じない。ずっと前からの友人みたいに思う。

一方で、大阪で立ててきたスケジュールは、どうやら3分の1を消化できれば上々らしいということが分かってきた。
思えば、私は病人なのであった。
そのことを大阪でも度々忘れて体調が悪化するまで何故だか自覚できないが、ここ関東では特に自分自身の体調や心の調子への自覚のなさが如実に表れる。

昨日は、友達と調子よく5時間もカラオケで歌ってきた。その直前までは、全く動けずベッドで寝てばかりいたのに、起き上がるなり飛ばした。元気だったからだ。
そして、また私のHPは0になった。
帰りに急に前後不覚になって道路で倒れた。
前も後ろも右も左も上も下も分からなくなって、体から自分が引き剥がされないように、しがみつくだけで精一杯だった。友達に借りた可愛いオレンジ色のスカートを汚したのが申し訳なかった。友達は私をおぶってくれようとして信じられない気がした。本気の思いやりなんだと思った。

その前日には、滞在先の最寄り駅までブログ友達が来てくれた。普通に合流して、普通に一緒にお茶を飲んで、とりとめなく話した。オフ会の規約の話をしたり、私や彼の病状の話をした。
鬱病で休職中だったり、ボーダーの治療中だったり、双極性障害だったり、その他色々、世の中の偏見は相変わらず殆ど変わりなくて、精神科や心療内科に通院していることを周囲にカミングアウトすることが憚られる現状は、一歩も進んでいない。
そんな中で、互いの病気を知った上で、時間をかけて交流を深め、くだらないことも楽しいことも苦しいことも葛藤も間違いも、互いに見守り続けてきた関係は、普通に出会う関係とは違うのかもしれない。


急遽、ブロ友の提案で小雨の中、都電荒川線の初発に乗って、あてもなく終着駅の三ノ輪まで出かけた日もあった。三ノ輪は、私がずっと探していた本物の下町そのもので、重いカメラもこのときこそ活躍してくれた瞬間はなかった。戦火を免れた町だからなのだと、古い商店街の老人が教えてくれた。

これもまた急遽、江ノ電に乗りに行こうと、あてもなく出かけた日もあった。寺の境内の骨董市で、戦時中の軍服や本物の銃弾、防毒マスクまで手にとって見せてもらった。階級章などの話は、面白かった。当時生きて戦った人たちの存在を生々しく感じ取り、戦争という忌まわしい日本の歴史への捉え方が、私の中で確かに変容した。

江ノ島までの道すがら両側に立ち並ぶ店でウィンドウショッピングしたり、もんじゃを食べたり。夜は、花火を見に行こうかなんて言っていたけれど、体力が限界なのと篤姫見たさに東京へまた戻ってきたりした。
その日は、ブロ友の家に着くなりダウンした。

激しく活動してダウン、を東京へ来て以来、繰り返している。思ったよりも私は動けない。実感する。歯がゆい思いをしている。でも、支えてくれる友達のお陰で、とにかく無理せず最低限の体力を維持して最後まで動き続けられるように、調整できている。


今のところ、関東でやり遂げたいことは準備段階で殆ど何も進んでいない。

今後、明確に決まっている関東での予定は、三つ。

当事者と家族のオフ会規約作り。規約を損ねると、共依存や自傷行為の伝播や人間関係の複雑化などで、支え合いの会は途端に機能しなくなる。1年近く考えてきた機能を有した会の第一歩を、ここ関東で作りたい。

もう一つは、ブロ友のバンドに飛び入り参加させて貰う事。美鳥らしいかなり厚かましいお願いだよね、とブロ友は苦笑して、それでも生バンドのボーカルという私の長年の夢を叶えてくれることになった。友達だけでなく、乗り気になってくれた友達のバンド仲間に会ったことはないけれど、こんなお願いをかなえようとしてくれるのは、一重にブロ友の人柄だと感謝した。

三つ目は、私自身の身の振り方に関わる。どこまで出来るのか、わからない。でも一か八かだ。いつでも。


宿泊先を、私は決めずに関東へやって来た。実際に会ったこともないブロ友が、うちに泊まっていいよだとか、一緒に遊びに行こうよとホテルと取ってくれたりした。無謀な私の旅を支えてくれる人たちがいる。この先10日ほどの宿泊先は決まっていない。多分、東京にいるのだろうけれど、全ての旅程をきちんと決めて動くことは私には出来なかった。見切り発車だ。信頼できる友達がいるから出来ることなのだと思う。

今は、関東に来て三人目の初対面のブロ友と神奈川にいる。

相変わらず新宿駅は私を苛立たせ、新宿という土地に殺意すら抱く。新宿駅にいると私は、東京という街を憎んでいると確信する。
その新宿駅から、ここ神奈川へ来るときに乗った電車は、あやの男がかつて住んでいた土地、今も住んでいるかもしれない土地行きだった。乗り換えずに乗っていれば、私はあの土地へ運ばれる。あの男もかつて、こんなふうに毎日東京とあの地を往復していたのか。その間の時間、あやは男からの電話を待っていたのだ。来る日も来る日も。

わけが分からなくなった。私は、あの土地へ行くべきだと思った。行って何をするのか分からない。けれど今行かなければ、いつ行くのだという気もした。
殺意が芽生え、電車は私を右へ左へ激しく揺れて振り回すから、いっそ私は電車ごとこの体を宙に投げ出して地面に打ちつけ、殺して欲しいと思った。誰かを何かを殺してしまうかもしれない私を、殺してくれと叫びたかった。
号泣しそうになる自分を抑えて震える指で頓服を取り出したら、落としてどこかへ転がって消えた。私が泣いていようが、得体の知れない薬を飲んでいようが、頭痛でガンガン壁に頭を打ち付けていようが、誰も構わなかった。
根源の分からない激情は10分か20分ほどで突如去って、無感情が訪れた。
その隙に頓服を取り出して、ガリガリと齧った。
乗り換えろ。乗り換えろ。あの地へは行くなと友人の誰もが言う。

気がついたら乗り換えていた。着いた駅からは、観覧車が見えて、私はまた根源の分からない衝動的な怒りや哀しみや混乱にとらわれて動けなくなった。
生きてやる、乗り越えてやるという思いが、足を動かした。
改札を出てブロ友と会ったら自分が異常なことが理解できた。観覧車は駄目なんだと伝えた。解離が酷くて自分が何を喋っているのか、自分が遠くて分からなかった。

彼女へお土産を渡し、彼女からプレゼントを貰った。思いもかけないプレゼントだった。涙が止まらなくて困った。闘病は、苦しい涙も流れるけれど、こんなとき、うれし涙が止まらなくなる。私が私である感覚が戻ってきた。

ホテル近くのレストランで、美味しい夕飯を食べた。友達は、数年ぶりだというビールを実に旨そうに飲んだ。幸福そうな顔を見ていると、私まで嬉しくなった。サーファーをしている店員との会話が面白かった。大阪みたいだな、と思っていたら、会話を見ていたブロ友が「関西人の美鳥ちゃんは関東人と全然話す方法が違う」みたいなことを言った。違う、違うのか、とホームシックに一瞬襲われた。確かに異質な自分を関東では実感する毎日だ。


ホテルの部屋は、とても快適で、数日振りにこうしてPCに向かうことができた。ブロ友は、既に背後のベッドで眠っている。

明日も、ネットに繋ぐことが出来る。
久しぶりだから、一気に思いつくだけ書いた。
こんなふうに散漫に書くのは、本当は好きじゃない。
ただ今日、あらゆる人間が渦巻く広大で迷路のような新宿駅を歩きながら、私は関東へ来て感じているもの全てをちゃんと把握できていないのだと思った。順序だてて感じたことを把握したり丁寧に見直したり、説明したりする暇なく、次から次へと目的と時間と事件と完全ダウンがやって来る。

楽しいことばかりではなく、今日は昼までダウンしていて、ようやく眠れたと思ったら最低な悪夢を見た。数日前から、うっすらと自覚しているが、ここへ来て最も都合が悪い対人恐怖の症状が出始めている。まさに、そんな夢だった。

弱音の吐き方を知らないと私は気づいた。
ここ関東へ来て、今日初めて気づいた。
倒れはしても、休養を要しても、とにかく弱音を吐くことがない私は、哀れではないのかと思った。
奇遇にも、東京行きの前にカウンセラーと話して気づいた、自身の根深い人間不信、対人恐怖を再自覚しつつある。

ここ神奈川のホテルで、気の置けないブログ友達とゆったり過ごし、こうしてPCに向かえば、楽しいことが幾つあって、苦しいことが幾つあるのか、どんな泣き言を封印しているのか、そのうち分かるんだろうか。
私自身が何者であるのかが、毎日問われている気がする。
私の目には、無機質で混沌とした発狂寸前に見える新宿駅で、今日、気づいたこと。



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2008/07/19 (Sat) 東京は愛せど

ろくでもない記憶しかない街、東京。
けれど好きな街でもある東京。
昨日で、疲労がピークに達し、今日は1日寝込んでいた。

今日で全国の梅雨が明けたとネットニュースで、さっき知った。
シャワーを浴びたら、吐きそうになった。
色々厄介な体。
今から初対面のブログ友達に会う。
ネットを通じて、色んなものを分かち合ってきた仲間の一人だ。
真剣に話したことも、真剣だからこそ縁を切ろうかなんて考えたことも、楽しさも、一人で抱える心細さも依存心も、色んなものを通過して濾過されて今がある、仲間の一人。

顔を合わせたことがないだけで、さして緊張もしないけれど、あちらはどうなんだろう。
何だか楽しみだ。
あと少し体調を回復させたら、家を出る。


聴く度に切なくも、背中を押してくれる大好きな曲。




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2008/07/17 (Thu) 東京に負けた日 1th Day

東京が好きだと思っていた。
降り立ってみれば、東京は私を拒んでいた。
私も東京を拒んだ。帰りたいと思った。

何度か泣きそうになった。
エスカレーターの並び方が大阪とは逆で、重いスーツケースを引きずって左に立っていると不安定で不安定で、まっさかさまに落ちてしまいそうで泣きたかった。

弟MTが、家に一番近い駅で待ってくれている予定だった。
私は途中で彼に電話をかけて「東京怖い・・・東京の人は皆冷たそうに見える・・・駅が分からん・・・電車も分からん・・・何も分からん・・・」と泣き言を言ってみた。
彼は、いつもの寛容さで笑いながら聞いてくれた後で「皆、東京人は東京じゃないのに東京の顔してるから大丈夫」と言った。そうは言われても、東京の慣れない地下鉄で喉もカラカラで半泣きの私には、いまいち説得力に欠けた。
「バニラシェイキを・・・・そっちに着いたときにマクドのバニラシェイキ持って、待ってて・・・」と、お願いした。今最もはまっている食べ物、それはマクドの100円マックシェイキバニラなのだ。
東京に負けそうな私は、彼がマクドのバニラシェイキを持って待っていてくれれば、何とか泣かずにたどり着けると思った。

MTは、私のお願いにあっさりと「近所のマクド改装中やから、ごめん持っていかれへんわ」と言った。互いによくそういう冗談を言うから、「またまたーそんなこと言ってー」と返したら「いや、マジで」と言われた。
どこまで東京は、私を拒むのか。

「コーラ買ってあるから」と有難い言葉に「コーラじゃない、マックシェイキ(バニラ限定)がいい!」とか子供のようなことを言ってから、MTに「そんなこと言わんでええんちゃうん」と窘められ、「ごめんなさい」と謝って、項垂れて地下鉄に乗った。
間違いなく私は東京に歓迎されていない。
バニラシェイキの一件で、私は確信した。

MTと落ち合ってからは、一人で出歩けば99%道に迷う方向音痴なので、道を覚えるのに必死だった。途中で見たマクドは、確かに運悪く改装中だった。

弟の家に着いた。文句を言ったくせにコーラを美味しく頂いた。お茶も美味しく頂いた。喋れるだけ喋っていたら、あまりの話の飛びっぷりに「ADHDやな」と久しぶりに呆れられた。気づくと、5つも6つも話題に出したまま次の会話をしている。そういう弟も明らかに脳の機能が人と違って、そのせいで大学を留年しかけた位なので、なんだかんだ言っても私の話題の変化に対応可能だ。似ている。


普段からベッドは使わないというから、ベッドの上を早速自分の城にしてみた。MTの部屋は、かっちらかっているが、相変わらずお洒落だ。何かとにかく、こじゃれている。お洒落雑貨屋みたいな感じだ。いちいち写真撮ってアップしたいくらい。楽器も豊富で、ピアノやらギターやら。パソコンは4,5台ある。並んでいる雑誌も格好良い。しかも全部読んでいるのが格好良い。ただ、何か部屋が臭い。東京ど真ん中のマンションの宿命なのか。趣味のプログラムのこととなると掃除家事どころか、睡眠すら削りに削って立って寝たりするやつだから、そっちにはエネルギーは今は割いてないとか本人は言っていた。そのうち私もなれてしまって、なれって怖いな!と思った。たった数時間で慣れるとは。

さっき、弟が仕事に出ていってしまったので、朝まで私は一人ぽっちだ。数時間で部屋の勝手は分かったけれど、どんなとこでも馴染むのは割と得意だけれど、明日からの東京での予定を考えるとパニックになりそうだ。不安でたまらない。

今日、ここまで辿り着けたことが奇跡に近い。
体力的に無理しすぎている。解離しているのか、何なのか、相変わらずよく分からない。体調は、結構悪い。よくまあ、こんな無謀な旅に踏み出したものだと自分に呆れる。
「無謀」を「勇気」と称していいのは、それなりの結果を出してからだな、と思う。
明日から、どう動こうか。
目的は決まっているが、日程が決まらない。複数の条件が重なりすぎて、表にしてもパニックになる。予定が立てられないと動けない。動けないと、各所にご迷惑をおかけする。

でももうとにかく今日は寝る。
体が資本。心も資本。
眠剤を飲んで寝よう。
すべては明日から。

おやすみなさい。


○ご連絡

今回の旅に関わってくださる方達。
とにかく東京に来ました。ご心配おかけしました。とにかく東京におります。連絡まで、時間を少し要するかもしれませんが必ず連絡致します。

ブログを読んでくださる方々。
今日から来月頭まで、私の文字通り一か八かの関東の旅をお伝えします。
詳細は、明日以降。各人のプライバシーを考慮しつつ、お伝えしていきたいと思っています。



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2008/07/16 (Wed) 前夜

本当は今頃は実家に着いている筈なのだけど。
今日もどん底の鬱状態が続いていて、本当は指一本動かしたくない。眠りたい。とにかく眠っていたい。でも眠ると、あからさまに明日からの予定と不安を反映した夢を見るから、ちっとも休まらない。

私は、常に”アングラ友”というものを必要とする。
去年までは、私が一からマゾヒストに育て上げていたR。
最近、今度はSのアングラ友を見つけた。つくづく、Rのようなタイプが私は好きなんだろう。色々と似ている。

昨夜パニックになりブログを読んで心配してくださった方からメールを頂いた。リアル友Jからも電話がかかってきた。弱音が吐けないのだろうか、私はどれにも反応できなかった。ありがとうと、ごめんなさいを口にもできずメールも返信できなかった。

そんな昨夜、偶然、アングラ友と連絡が取れた。
相手は、軽度のサディスト。軽度も重度も本当はないのだが、一般的に言えば軽度なんだろう。サディストもマゾヒストも、その筋の世界では至極ノーマルなのだが一般的には変態と呼ばれるらしい。

10年程前に、人間としての自分にも他人にも世界にも失望して全てを滅ぼしてやりたかった頃、呪いの言葉を吐かせまいと神が仕組んだのか、私は失語症にかかった。
そんな私を救ってくれたのが、一般的に”変態”と呼ばれる人たちの存在だった。

それなりに私は被害も被った。さすが”変態”と呼ばれるだけあって、会話の成り立たぬ社会逸脱者も多くいた。そのうち、一般人の中に、悪人や善人、性格が合う合わない、人間として尊敬できる出来ないといったレベルがあるように、”変態”の中にも、あらゆる人種と人格がいることを知った。

目が肥えた私は、私を高めてくれる”変態”だけを身近に一人は確保するようになった。
”確保”というと、とても事務的な表現だけれど、まさに”確保”だ。頓服のシートを常に財布にしまってあるように、アングラ友達は常に私のそばに確保してある。いつでも取り出せるように。いつでも自分自身を立て直せるように。

今の私のアングラ友ISの人柄は、別の機会に書こうと思う。きっと私が求めている何かを、彼らは共通して持っている。たわいない会話だけで構わないのだ。ただ私とコンタクトを取ることを楽しんでくれる、私も楽しみにできる、一切のストレスを持たない、そして腹の探りあいを全く必要としないあけすけさ、そんなものが私をほどくのだと思う。


誰の呼びかけにも応えられない中で、ISにだけは接触できた。ISは私の病気のことなど一切知らないし、私は話そうとも思わない。私がISに依存することもなければ、ISが私に恋愛感情を抱いたりといった妙に湿った関係になることもない。お互いサッカーが好きだからサッカーの話だとか、お互い知っている珍しい変態の話なんかをする。食べ物の話、旅先での話、昔の話、とりとめもなく話すけれど、昨日はISは、いつも借りている仕事場ではなくて自宅にいた。だから、私は電話で話せなかった。私も鬱で思考回路は止まっているし、何の準備も出来てないこともあって、早く寝なきゃと思った。
旅先からも連絡するよ、と伝えて、彼がいつ戻ってくるのかと聞くから旅程を話した。そうして回線を切った。

声を聞けなくて、寂しいというのでも何でもなかった。
頓服がうまく効かなかったときのような、軽い失望感だけが残った。



今朝起きてみれば、やっぱりIS効果はカケラも残っていなくて、鬱状態で動かない体と、今日一日どうすればいいのかというパニック状態の頭を抱えて、ひたすらベッドに横になっていた。
メールをくれた人にせめて「ありがとう」と伝えるべきだった、なのに何故ISと連絡を取ったのかと罪悪感で脳がぐるぐるした。


廃人のように過ごしていたが、昼にやってきたメールで、私は最後の意地を出した。
次の瞬間には動けなくなるかもしれないから、その瞬間に動いた。
リストアップした用事を見直して、旅先の東京でも出来ることは全て後回しにした。
出来るだけのことを、やった。荷物は、異常に多くなった。半月以上の滞在なんて、正直何をどれだけ持っていけばいいのか分からない。軽度のADHDも最悪な形でミックスされて、二度手間三度手間を繰り返し、最終的にはもう迷ったり考えたり、気づけば全然違うどうでもいいことをしていたりする自分に諦めて、何でもかんでも荷物に放り込んだ。
今の私は、パニック状態だ。でも今日中に、実家まで行かねばならない。文鳥を預けなければならない。そのためなら、必要経費だと思い、入らない荷物は宅配で送ることにした。


今、こうしてブログを書いている今、私はまた自分が嫌になっている。分単位で自分が変わる。揺れ続けて真っ当に立っていられない。何が必要で、どうしたらいいのか分からない。

明日からの旅は、私がブログを始めた頃からの夢だった。
昨日、メールを下さった方、ありがとう。
言葉を一度失って取り戻してみれば、ありがとうという言葉にこめるエネルギーも、全て私自身の行動に変えて御礼にしたいと思うようになった。
今も私は鬱状態で動けなくて、大阪でこれを書いている。明日からのことを考えると、頭がおかしくなりそうだ。不安で不安で、私は何て大それたことを始めようとしてきたのか、と後悔すらしたくなる。
泣きながら、これを打っている。何がこんなに苦しいのか鬱は本当によく分からない。

心配して、励ましのメールをくれた方、ありがとう。電話で話そうとしてくれた方、ありがとう。
最後に、偶然私と志同じくすることとなったN氏、ありがとう。ビジネスでもプライベートでもなく、何かありがとう。悔しさで私は動く。
世間の無理解は悔しい。悔しいから、発信していたい。悔しければ悔しいほど、私は感情を言葉にして発したくなるのかもしれない。私自身が生きているありのままを伝えたいと思うのかもしれない。
殺されてたまるか、生きてやる、そんな気持ちだけで今日まで来た。
原点は変わっていない。原点があったから、私は今日も生きている。前を向いていられる。


呪いも希望も、思うばかりの私は、もう死んだ。死んだんだと思いたい。
新しい私で、明日、飛行機の窓から富士山が見えたらいいな、と思っている。



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2008/07/15 (Tue) 孤独回避の方程式

酷い鬱が来た。
やっぱりな、という気持ちが殆ど。
いつも何もかも嫌なことなんてなくて私は全然元気なんじゃないのか、と思い始めたあたりで、嘲笑うかのように現実を知らせにやって来る。
生きてるの嫌だよね、終わらせたいよね、寂しいよね、一生孤独だよね、と声がする。
せめて泣かないように頑張るけれど、こういうときは駄目だ。

信じられないことだけれど、明後日から半月以上の旅に出る。
なのに酷い鬱が来て、一歩も外に出たくない。
銀行を二つまわって、支払いを済ませて、郵便局へ寄って、区役所へ書類を送って、荷物を作って送って、旅行の荷造りをして、病院へ行って薬を貰いに行って、まだまだ、まだまだ用事は残ってる。
それを、あと24時間ほどで全部やらなきゃいけない。
無理だ。

無理なのは動けないことより、心が重くて重くて死にそうなこと。
孤独が重い。私の足をどこまでも引っ張って、水底に沈めようとする。
コンクリ詰めで真っ黒な海に沈んでいく姿が目に浮かぶ。

全てのきれいごととか、きれいごとと思われてないセリフまでが綺麗なだけの役立たずに思えて、ふざけるな、と怒鳴りたくなっている。

境界性パーソナリティ障害の私は、私と闘わなくちゃいけなくて、この戦いには誰も手を貸すことが出来ない。他の同病者も同じ。自覚してしまえば、これは自分の戦いなんだと同時に分かってしまう。
これって、二者関係にこだわって、常に相手の存在や言動の一つ一つでようやく自分を成り立たせているボーダーにとって、とてもとてもハードルが高い事実だ。
でも、相手の手を借りてしまったら、それはもう戦いじゃなくなる。

鬱は、甘え方を覚えなきゃならない。頼ることに不慣れだから無理をしてしまう。だから、頼ることも覚えると楽になる。

それじゃ、境界性パーソナリティ障害は?

永遠に世界が崩壊し続ける絶望病かもしれない。
知識を誰かから与えてもらうことはできても、アイデンティティを支えるために他者を必要としている限りは、ボーダーに希望はない。
鬱っていうより今の私は、想像以上の孤独に絶望しているのだ、きっと。

旅立つ日は、いつものカウンセリングの日だ。今週は、いけない。当分行けない。
最後にカウンセラーと話したときの自分のセリフと苛立ちと絶望を思い出すと、また更に絶望する。
私は結局誰のことも信じてなくて、がむしゃらに一人で生きようとしていて、結局独りだ。
メビウスの輪のようになっているんだろうか。
もう随分と進んだ、と経過時間と疲労度から現在地点を算出するが、いつもなぜか同じところへ戻ってきている。
方程式が間違っているんだろう。普通の人間とは違う別の計算式が必要だ。
徒労ばかりは、もう疲れた。
明後日、予定通りの飛行機に乗れるかすら、今の私には分からなくなった。




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境界性人格障害 |


2008/07/14 (Mon) 塩田千春<精神の呼吸> 里山ランチとチュニジアディナー

一昨日から母が泊まりで大阪に来た。一泊二日の大阪旅行。
メインは、滅多に外食しない母が希望した「変わった料理」と、私が何年も通っている美容院。
躁状態だった私は、調べに調べて、レストランを予約した。
ついでに、私のメインである国立国際美術館での塩田千春展も追加。会期中に二度行く予定なので、7月中に一度目を行っておきたかった。


自分の体力や精神力を考えて、ランチ時に店の最寄り駅で待ち合わせした。
半日かけて完璧にリサーチした店は、ここ↓
satoyamacafe20080714.jpg


全て有機野菜が使われていて、ごはんはおかわり自由の玄米ごはん。メニューも味付けも、実にユニークで、居心地が良くて女性に人気、テレビの取材が来たこともあるらしいが、行列が出来る店だということだった。行列に並びたくない私なので、ずらっと並んでいたら近くの第二候補に行く予定だったのが、運よく行くなり入店できた。
私が頼んだのは「れんこんうどん御前」↓
lunch20080714.jpg


写真右上のお惣菜のセットが入っている器は、日本画などに使われる顔彩パレットだ。野菜尽くしで、少しずつ色々食べたい女心を見事に押さえている。母は、大喜びだった。
食後にコーヒーを頼んだら、器が可愛かった。何もかも女性好み。手前のホールのようなフロアには、大きな独特のシャンデリアが天井からさがっていて、ランプ大好きな私は写真を撮った。
国立国際美術館の近くにあって、この美術館にはよく行くから、今度はこの店に一人で来ようと思った。コストパフォーマンスも高い、居心地が良い店だった。


ランチを食べて満足したところで、徒歩で国立国際美術館へ。
国立国際美術館は、建物が安藤忠雄の設計で、独特の構造をしている。外から見ていると、ただの巨大オブジェに見えるのだが、中はとても深くて広い。開放感がある。

私が大好きなアーティスト、塩田千春の展覧会<精神の呼吸>が見たくて、どうしてもはずしたくないプランだった。
ちょうどこの日は、同時開催している<モディリアーニ展>のイベントの日だった。モディリアーニが300点の肖像画を残したことから、美大生が来場客の似顔絵を300点描いて館内に展示するという企画。炎天下の下でやっていたので、美術館までの道すがらで既に暑さにやられていた私たちは、美術館にだらだらと駆け込んだ。
モディリアーニ展に出向く人が多かったけれど、何だか興味が持てない。とにかく塩田千春が見たい。早く見たい。塩田千春のような作品に触れたことがない母は、面白いのだろうかという疑念に満ちていたようだ。
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国立国際美術館

感想は、とにかく素晴らしかった。何もかもが、素晴らしかった。
↑の画像は、靴を使ったインスタレーション作品だ。鳥肌が立つ感動だった。
この作品に使われている靴は、全て寄付されたものだ。あらゆる靴があった。短いエピソードが添えられていた。あらゆるドラマを持っていた。何年も前に亡くなった夫のものだったが捨てられず、今回が手放すときと思い有難い企画です、と添えられた老年の女性からの革靴。フランスのパリで買ったけれど随分と背伸びし過ぎて足にあわず、結局二度しかはけなかった、と添えられた若い女性の赤いヒール。若いときには背が低いことがコンプレックスで厚底のこの靴を買ったが、年を取ったら危ない危ないと添えられた、熟年男性の靴。半身不随で、それでも外出したくて買いました、と添えられた年齢も分からぬ方の靴。妊娠中に、まだ生まれてもいないのに店で見つけた赤ちゃん用の靴、生まれたら靴をはかせるどころじゃない毎日で、結局はかせることはなかった、と添えられた小さな小さな靴。

どれも胸を熱くさせるものがあった。
重なるという表現では言い尽くせない。作品すべて、私の心に深く深く食い入った。


インスタレーションアートに初めて触れた母も、感動していた。
塩田千春の表現は、決して奇を衒ったものではなく、日常的な皮膚感覚に拠るものだと感じた。トラウマなど、精神的なものと捉えられがちだが、フラッシュバックなどの追体験は皮膚感覚に最も近い。塩田千春の作品は人間の本質を深く抉り出す力がある。今後の作品を、ずっとずっと追っていきたいアーティストの一人だ。


この日の課題は、とにかく無理をしないことだ。
ミュージアムショップを眺めてから、閉館まで美術館の椅子に座って涼しさを堪能した。見たばかりの作品について話したり、来ている人たちのファッションを眺めたりしていた。
私のこの日の格好は、そういえば、しばらく母から言葉を奪った。黄色いチュニックに、ハイウエスト部分に黒の太い皮リボン。黒のサブリナパンツに、エナメルのヒールに白と銀のパールリボンがついた靴。服装の派手さが浮かないように、メイクは自然いつもより濃くなって、「なんか・・・・あんたじゃないみたい・・・・変じゃないけど・・・・」と母は唖然としていた。でもしばらくすると目が慣れてきたらしく「可愛いじゃないの」と言ったから、良かった。素っ頓狂なもの着ちゃったなぁと思っていただけに。でもいいや、今まで好きな格好をしてこなかった分、これからは好きな格好をしてやる、第一ここは大阪だし、と開き直っていただけに。
他人から承認を受けるのも、開き直りの最後の一押しには重要らしい。


予約してあったアフリカのチュニジア料理の店で、人生初のチュニジア料理とやらを食べた。
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大阪では唯一のチュニジア料理店で、チュニジアから公認されているチュニジア料理店らしい。といっても、私も母も、チュニジアってどこ??という状態だったし、メニューを見ても、見たことがない料理ばかりだ。ネットで調べておいた前知識を参考に、いくつか食べた。

↓人生初体験。世界最小のパスタ「クスクス」
kusukusu20080714.jpg


何もかもが、劇的に美味かった。デザートまで文句がなかった。特に魚を丸ごとオーブン焼きにしたファルなんとかが絶品だった。
どれも、何の香りと断定できないエキゾチックな香りがする。変に日本人好みにしたりしないで、純粋にチュニジアの味だというところが、一番気に入った。
ここのシェフはチュニジア人で、日本語、特に関西弁がペラペラだ。食事が終わったときに、席まで来て話しかけてくれたから、いつもの厚かましさを発揮して、チュニジアのことを聞いた。そうしたらチュニジア大使館のものらしいチュニジアのパンフレットを頂いた。楽園のような国だ。美しい。
地中海独特の、キリスト教文化とイスラム文化が混ざりあった町並みで、真っ白な壁に真っ青なチュニジアンブルーのドアが美しい。
水煙草について知りたかったのだが、ようやくシェフから聞いて分かった。なるほど、そういうものなのか、と思った。シェフは、大阪で唯一ある水煙草専門店の場所まで教えてくれた。
大阪にいながら異国の味を満喫できて、楽しかった。シェフとも話せて、大満足だ。


翌日は、母と私の行きつけの美容院へ。
母は人生初の縮毛矯正だ。
私は、いつもどおりのオーダー。でも、カットだけ少し変えてもらった。軽く軽く、夏らしくしてもらった。
元ホスト店長は、私にはいつものツッコミと「お前」呼ばわりと、ため口、そして抜群の技術をふるってくれて、話はやはり面白かった。気が合うんだよなぁと思った。
同時に店長は、母の施術もやっていたのだが、私がつかれきって席で寝てる間に色々話したらしく、後で母から聞いたところ「娘さんは最初、清楚で上品でとっつきにくくて話しにくいイメージがあったけど、話してみたらうるさいくらい喋るからイメージと違ってた」とか言ってたらしく、私には子供の頃からの呪いでしかない「清楚で上品でとっつきにくい」にショックを受けた。店長も、最初はそう思っていたのか!と衝撃を受けた。
それから、でも話してみたら違うと分かってくれたから、カットを変えてきてくれたんだなぁと思った。出会ったばかりの頃、オーダーする度に、「ええっ・・・それにするのか」というような怪訝な顔をされていたのは、私という人間が外見から伝わってなかったからなんだろう。
今、私にため口だとか、遠慮ないツッコミだとか、ボケだとか、下ネタだとかホスト時代の話だとか、美容師界の裏側だとか話してくれるのは、年に数度であっても会話を重ねてきたからこそ生まれたコミュニケーションなんだなぁ、と少し感動した。


美容院からの帰りは、店長の話で持ちきりだった。そのまま、私の家の近くのカフェに行こうとしたのだが休日で休み。仕方ないので部屋に戻って、普段滅多に食べないピザを頼んで、うまうま食べた。
ピザハットのチージーロールには、メイプルシロップがついていて、デザートも一度に食べられる感覚が、お得感を倍増。しかし、ピザって高級品だよな、と母と話した。

髪を巻くことになれていない母に、巻き方講座を開いた。しばらく慣れるまでは大変だろうと思う。でも髪型を変えると、女はもれなく楽しそうだ。幾つになっても綺麗でいたいのが、女という生き物なんだろう。

夕方、バス停まで母を見送った。
また躁状態のときに買った素っ頓狂なキャミソール(200円)とマーメイドスカート(200円)で見送りに行って、暇だったから覚えたてのルンバの基本を踊って見せていたら、母に止められた。
これだから日本は合わねぇや、外聞ばっかり気にして人生楽しまないんだから、といいたくなったけど、思えば私は外国を殆ど知らないのであった。

見送ってから部屋に戻り、ベッドに倒れこんだ。
明日は病院へ行った後は、どこに行こうかなーと考えていた私は、明らかにおかしかった。ブレーキがついていない車でサドンデスレースをやってたみたいなものだ。

夜から見事に体調を崩し、後は解離で意識不明。
無謀なレースのつけが来たのが、今朝のこと。
前記事◇なんて分かりにくい世界



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日々日記 |


2008/07/14 (Mon) なんて分かりにくい世界

午前中に、近くの公園まで来てくれた友達と、友達の子供とちょっと話す。子供は、相変わらず可愛い。でも、私たちが深刻に子供の父親のことを話すと、まだ3歳なのに「話したらあかん!あかん!」と母親の口を塞ぐ。大事な話してるからね、と言っても「あかん!」と言う。その一言には、多くのものが込められているのだと感じた。3歳だから自分の気持ちや主張をうまく表現する方法を知らないだけで、子供は既に肌身でどんな話か分かっている。
「好きだよー」と子供を抱きしめてやる友達を見て、胸が痛んだ。
友達の気持ちも、子供の気持ちも、どちらも分かる気がして、泣きそうになるのを堪えた。

この世界が、もっと分かりやすいならばいいのにと思った。
善と悪が分かりやすく、誰かにとって良いことが、誰にとっても良いことであるならいいのに。思いやりの形に、分かりやすい正解があればいいのに。


私と母の関係も、分かりにくい。
私の部屋を訪れて、母は驚いていた。彼女が知っている部屋と、まるで違って、整頓されて綺麗だと驚いていた。
私の本棚には、心理学関連の本も並んでいて、中に「毒になる親」も並んでいた。
母は、「<毒になる親>なんて本がある・・・」と呟いた。私は、「そうね」と言って、違う話に切り替えた。本棚には、私が持つ病気のひとつ「境界性人格障害のすべて」という本も並んでいたが、どちらも母が手に取ることはなかった。
話を切り替えれば、もうそれで済んでしまった。
私と母の間には、既に不文律が出来上がっている、私が作り上げようと目指してきた不文律だと感じた。母とは、家族とは、私の病気の話はしない。理解してもらおうとは、一切考えない。触れない。なかったことにする。それを両親が望んでいるから、命がけで抗っても彼らの現実逃避は変わらず、私の立場ばかりが悪くなっていったから、お互いのために一切触れない。深入りしない。
そんな関係になった。


それでいい。もう私は求めない。
相手が家族であろうとなかろうと、理解しよう、真に人生と向き合おうとしない人と交わす言葉を、私はもう持たない。全て使い果たし、死にそびれて今がある。これでいい。
ベストじゃないが、ベターだ。


一泊二日の旅は、普段、病的にワーカホリックで1日のうち一分も休むまいとする母にとって、良い息抜きになったみたいだった。実家にいると彼女は、くたくたでも何かやる。私の部屋では、勝手が分からないのもあり、場所が違うこともあって、「疲れたー」と素直に口にして寝転がったりしていた。
多分、人生の半分ぶりに訪れた美容院では、楽しんでいたみたいで、私の担当の店長とも楽しく話していた。私は、隣の席だったけれど半分の時間は熟睡していて、殆ど知らないが。
人生初めて、母の天然パーマの髪がストレートになり、最新の髪型になった。明らかに若返った。

引きこもりの弟について、相談された。私が答えられることは、いつも同じだ。
「少しは出かけてくれたらいいんだけど・・・あの子は、世の中の楽しいことを何も知らないから。どうにかして出かけてくれないかしら。いつも出かけなさいって言ってるんだけど」と母は言う。
私は、
「彼は、引きこもり以前に人間不信。人間だらけの外に出ても、怖くて汚くて自分に自信がなくて、誰からも馬鹿にされそうで、自分を守る術も知らなくて、楽しむ以前の問題を持ってる。誰か信頼できる人が、この世界中に一人でもいいからいれば、彼は自然と外に出る日がいつか来る」
と話したけれど、母が理解したのかしなかったのか、分からない。
理解は、行動になってはじめて理解と言えると思う。
母は、行動できない。


母を見送った昨日の夜から、私は、決定的に体調を崩した。
解離したらしい。殆ど記憶がない。

ある方に8枚もの写真を添付して、確か数十分かけて長文メールを書いていたのは、覚えている。
けれど、今朝見てみれば送信されていなければ、下書きにも保存されていなかった。最悪だ。

更には、朝食を食べようとレンジを開けてみれば、そこにはこんがり焼けたパンが入っていた。すっかり冷めていたから、夜の間に焼いたのだろう。私しかいないこの部屋で、こんがり焼けたパンの存在は無言の他者の存在をアピールしているようで、朝から脱力した。
躁状態のまま、この波に乗ったままで長期旅行に出たかった。躁状態でもなければ、自分にはこなせないと無意識に思っていたのだろう。先月からの私は、異常だったから。
なのに、今日、出発を直前に控えた今日というタイミングに根を上げた自分の体に失望した。


色々とやらなければならないことがあるのに、今日の私は一切動けなかった。何もできなかった。
昼ごろからは本格的に体調が悪化して、起き上がれなくなった。
吐き気と呼吸困難が何時間もおさまらず、無理やり眠ったら、数日後からの長い旅程への不安をそのまま写し取ったような夢を見た。夢分析を受けずとも、ド素人でも分かる。私は、今になって不安を抱えている。こんなとんでもなく無謀な旅を計画して、果たして私はどこまで走れるのだろうかという不安を。

目が覚めても不快感は止まらず、そこでようやく頓服を飲むことを思いついた。ゴールデンキウィを食べて、麦茶を飲んで、アイスクリームを食べた。そうしたら、ようやく頓服が効いてきて、何とか体を起こしていられるようになった。

横になっているときに、目が覚めている状態で、今日は何かに背中をどしんと叩かれた。かなりの重みを持ったものの感触がして、音もした。はっきりとした感触だったから、振り向いても何もないのを確認してから気味が悪くなった。
私の体調が回復するのを待っていてくれたブログ友達と、電話で話した。
お互いの不安を話して、お互いにアドバイスしあうことができた。
電話を切ったときには、とても安らかな気分になっていて、だから今これを書けている。
一人でいると笑うことは少ないけれど、心許せる友達と話すと自然に笑っている。
電話を切ってから、人の縁は不思議だという思いが、こみあげてきた。
こうしてブログを書いていなければ、決して出会わなかった友達S。
会うなり、ずっとずっと前からの友達のように何の違和感もなかった。

私はずっと一人で、一生孤独な宿命を持っていると、子供のときから大人になっても、家族と宗教団体の人たちから言われてきた。信じていた。
どんな病気でもいいけれど、孤独でいることだけには耐えられないと思った。死にたかった。

声をあげることが出来るようになるまで、私は誰を探すこともできなかった。
でも、私は一人ではない。
日本中を探せば、世界中を探せば、一人ではないかもしれない。
声をあげられない人に、私が声をかけることも出来るかもしれない。
もたれあうのではなく、支えあえる関係を目指すことは、ときに命がけかもしれないが、難しくても不可能じゃない。



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日々日記 |


2008/07/13 (Sun) 凍りづけ怪獣

本当に書くべきことは、こういう日常のことじゃない。
私は、逃げているなと今思った。
木曜日のカウンセリングでの記録を3回分、私は珍しくこのブログに書いていない。
17日から来月まで、私は大阪にいないから、カウンセリングにも当分行かない。
書いておくべきだ。なのに、違うことばかり書いている。


数日前に、1時間程で、ある短編小説を書いた。
私が一気呵成に書いて、さほど編集を要する点も決定的な欠陥も見当たらず、それなりに満足して、しかも小説という形体を用いて、一度に最後の一文まで書けることは滅多にないのに、書けた。
生まれてはじめてと言っていいかもしれない。

小説を書いている最中に、その瞬間まで忘れていた子供の頃の記憶が鮮明に蘇って、ペンがただそれを忠実にトレースして文字に置き換えていった。自動筆記みたいだ。
その小説に表れた自身の内面に、私は怯えた。
みるみる完成した小説の主人公は、小学校時代の私。
出来上がってみれば、最初に漠然と抱いていたイメージよりも、孤独で悲しくて恐ろしくて夢が詰まったストーリーになった。

小説の話題は勿論、カウンセリングでも話題になった。核心へ核心へ、迫ることを私は恐れているのに、着実に近づいていっている。そんな予感がする。怖い。


時期が来たら、サイドブログにアップしようと思った。
記憶が蘇る時期というものが、あるのだと知った。
痕跡も前触れもなく、子供時代の私の心を支配していたもののひとつが、ノートの罫線の間に突如、現れた。
小説の中に、勝手に現れた。

現れたという事実自体、私の本意なのか不本意なのか、今日になっても分からない。





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治療日記 |


2008/07/12 (Sat) ドライヤー と わたし

ドライヤーを使いつつ、皆さんのブログにお邪魔してました。
ついさっきのことです。
何だか目の端がチカチカと赤いわね、と思ってドライヤーを見てみたら、ドライヤーが



メラメラと燃えてました


うをををををっ!!!???

と、慌ててスイッチを止めて、コンセントを抜きました。

それでもしばらく、コードがちろちろと燃えていたのでした。

マイナスイオンドライヤーだったのに・・・・やはりネットギャザリングで安価で買ったからだろうか。それとも今月の私の星座の金運

とにかく出て行く一方だが、仕方がない。
のせいかしら。


仕方がないって言われたら、ほんとに仕方ないよね☆

何だか、ある一定のペースで、突発的事故に見舞われて、突発的出費を強いられてる気がする。
なまずのオッサン事件は6月30日でした。
最新突発事故が起こったのは、7月4日です。
ブログに書こうと思ったまま書けてませんけど、自虐ネタ神は、お伝えした通り絶賛降臨中!!なのです。


どんだけ出費してんねん!!
こっちは数日後の旅行の航空チケット、怖くて片道しかまだ入金してないんだよ!
入金しようとすると、災難が起こる。そして、やむをえない出費ばかりなんだな、これが。

4日に払ったばっかりだから、しばらくないと思っていたのに、今度は、こう来たか。


自虐ネタ神よ。

読めねぇぇ!! 
あんたの次の攻撃が読めねぇよ!!


あり得ないことばかりの連続で、納得いかないなー。
ネタにするのも、何かもう追いつけないよ。
明日の朝、うっかり忘れてまた使っちゃって、自分で自分の髪にフレア(出典:ファイナルファンタジー)かけるようなことは、万が一にもないだろうな。


なーんてね。
ちょっと愚痴っちゃう。
こうも不自然に災難が続くのは仕込みだろ?と思われるのは大阪人として癪だし、第一災難に遭い損になるから証拠画像をアップしたいけど、明日は朝から忙しいし、もうありえない時間だから、それも今日の災難のうちみたいになってるから(現在AM2:00)もう寝ます。寝て、忘れます!
きっと皆寝静まってて、誰もリアルタイムで読まないかもしれないけど、今読んでくださったあなた、私は今自虐ネタ神に魅入られてかわいそうです

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

下らないのに堂々シリーズ化。
わたしの災難レベルに比例して大好評。

第1弾◇腐ってたっぽい牛乳 と わたし
第2弾◇腐ってたっぽいサラダ と わたし
第3弾◇芋けんぴ と わたし
第4弾◇照りつける電灯 と わたし
第5弾◇ ドSシステム と わたし
第6弾◇なまずのオッサン と わたし
第6.5弾◇自虐ネタ神降臨中(未発表突発的災難。カミンスーン☆
第7弾◇ドライヤー と わたし

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大阪駄文 |


2008/07/11 (Fri) 逃亡カードは二度使えない ? DV ?

明日の朝は、友達が家に来る。彼女の命が危ない。
けれど、彼女の両親は彼女から現状を聞いても、まだ夫は話せば分かる相手だと思っているらしく、行動を起こそうとした。
彼女は保健所からも、私の友人N氏からも「行動を起こすとしたら命がけで一度だけ」といわれている。彼女の両親がそこに安易に介入するのは、彼女と子供たちの命に関わる。

今の私に出来る事があるとすれば、まともでない人間の心理状態を分かりやすく、彼女の周囲に説明出来ることだと思った。彼女や彼女に味方する人間がどう出たら、相手がどんな心理になってどんな衝動を起こし、何をやらかすのかを、これまで学んできた知識や情報から或る程度予測できることだ。
事態がこれ以上悪化しないように、彼女の父親と面談することにした。



相手の性質の悪さを理解せず、とにかく立ち向かうだけが良い生き方とは、私は思えない。
逃げなければ、永久に解決しない問題だってある。
何より私は、大切な戦友Jを失いたくない。
彼女と彼女のかわいい子供たちが、ある一人の男に殺されたとしたらと想像してみた。
私のこれからの人生をどう生きていっていいのか分からない。
一生かけても、その男を許せないだろう。
自分たちと同じ世界に住んでいるからといって、その人間の心もここにあると思ってはならない。
別次元の暗闇の底にいて、自分を殺すか皆を殺すかと思いつめている人間は、ときにふとした契機で周囲の人間を巻き込み、同じ暗黒に引きずり込んでしまう。




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日々日記 |


2008/07/11 (Fri) ノーブレーキ



リサイクルショップで。
左500円(←300円値切った)と右300円


あからさまに疲れている。疲労がピークだ。毎朝、起きるなり疲れている状態が先月から続いている。
しかし、一種の躁状態なのか、前々から計画していた数日後からの長期ビッグイベントを控えているせいか、毎朝起きるなり、とにかくじっとしていられない。
今まで、1週間のうち外出するのは病院とカウンセリングだけで、それすら帰ってきたら寝込んでいたのに、明らかにここのところの私は、おかしい。
「ボーダーは、張り切らないほうがいいよ」とは、友人N氏のアドバイス。
言ってくれている主旨は理解できるのだが、私のフルスロットルな脳は止まらないのだった。
体調が悪くても、頓服をいつもの倍に増やして、躍起になって毎日あちこち出かけては何かしら、やり続けている。

今日は、さすがにこれではいかん、と自覚した。
外には絶対に出ないことにした。それでも、何かあると出かけようとした。自分を抑えた。
できるだけ寝ていることにした。少し眠れた分、体力が回復したのが分かった。

しかし、起きても躁状態の私は、優柔不断な母の予定まで作り上げた。パワーが有り余ってしまい、人の世話までやってしまったのだ。明日12日は、母が泊まりに来て、私希望のアート展に行ってから、有機野菜の店でランチを食べて、夜はアフリカ料理の店に行く。翌日は、母の美容院について行って、私がオーダーすることになっている。
店の検索、店の予約、交通ルート、タイムスケジュールを完璧に組み立ててメールにして送信。母の「かわった料理が食べたい」という希望に沿って、アフリカ料理の店にしてみたけど、アフリカ料理って何だろう。食べたことないなぁ。楽しみだ。

午後に、家の不用品を知的障害者授産施設に寄付した。捨てるしかないかと思っていたけど状態を見てもらって感謝されたから、かえって申し訳ないくらいだった。他にも服やバッグ、色々持ち込んでいる。そしてかわりに、まけてもらったり、納得いかない値段にはつい値切っちゃったりして利用させて頂いている。

このショップに、私はとてもお世話になっている。ここで買って私の生活を助けて貰ったこと数知れず。主に、靴はここのばっかり。トップの写真は、数日前に躁状態で「いかんいかん、疲れている私は、この疲れを吹っ飛ばすべく1時間でいいから、ひとカラ(ひとりでカラオケ)に行って悦に入らねば!」と思い家を飛び出した足で、何故かこの店に吸い込まれていたのだった。お陰で、更に体力を使うカラオケに行かずに済んだ。出費はショックだったが、同時に嬉しさや楽しさも味わえたから、大人しく家に帰った。良い買い物だったし。
帰ってきて、買った靴の数、はけなくなった靴を捨てた。
リリースした分、キャッチできる。
キャッチできた分、リリース。


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日々日記 |


2008/07/10 (Thu) 世界の蒸留

サイドブログ【Baby Bitch I am.】更新しました。


昨夜アップした記事▽本能感染 は、私本人が今この瞬間「うんこだ」と確信しました。お目汚しは、読んでくださる読者の方々に申し訳なく、忍びなく、即刻取り下げました。

同タイトル同内容のまま言葉を磨きなおして、出直して参ります。
磨いたって元うんこなのに?と言っているのは誰ですか。


【Baby Bitch I am.】に、これまでアップしてきた作品を、ほぼ全作修正しました。
▽オモチャ姫 以外は全てです。

【Baby Bitch I am.】.は、読者の方と私にとってのインスタレーションアートでありたいと考えています。
作品として不十分だと感じた場合は、読者の方々には恐縮ですが、今後も躊躇わず修正を加えていきます。加えた場合はご連絡致します。
私は、残念なことに、まだまだ未熟です。修正は、厭いません。
重要なのは更新頻度でも言葉でもなく、作品世界の純度だけです。


そんなサイドブログ【Baby Bitch I am.】を、今後ともどうぞ宜しくお願い致します。
一度味わってくださった方も、読んだことのない方も、生まれ変わった作品世界を、一度そのお手に取って頂ければ幸いです。


                美鳥 2008.7.10 am11:24



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お知らせ |


2008/07/09 (Wed) くねり格差

サイドブログ【Baby Bitch I am.】更新しました ▽本能感染
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死ぬまでにやりたいことの一つ。
それは、ルンバ(ダンス)。
ホームステイでもいいから、最低3ヶ月はニューヨークに住んで、ニューヨーク在住ダンサーTちゃんお勧めのダンスホールへ行って、最高にセクシーなルンバを踊るのが夢。

今日、偶然ネットでレッスン動画を見た。またもや躁状態に入っている私は、じっとしていられないので、とにかく動画と一緒に踊ってみた。
躁状態故、覚えが早いじゃないか、やっぱり私はやればできる子だと思ってたよ、と甚だしい自画自賛の末、いざ姿見の前で同じダンスをやってみた。

大変、気持ち悪かった。
どっかのメルヘンな森に住む珍妙な妖怪の動きを思わせる。
セクシーのカケラもなく、妖艶どころか、耐え難く妖しく気持ち悪い。

しかし、何事も努力だ、と柄にもない言葉で自分自身を奮起させ、少し頑張ってみることにした。
ダンスレッスンには前から行きたいのだが、金銭の都合もあるが、まず体力面でレッスンの度に私は数日寝込むだろう。体力がなさすぎるのだ。


気負いは十分なのだが、とにかく自分の動きが気持ち悪いので、早々に飽きた。
一人でくねくねしてて、一体これが何になるってんだ。
はぁはぁいう。
すぐに、はぁはぁいう。

細い人がくねくねするのを見ていると、同じ円心でも、とてもくねくねに見えるのだが、細くない私がくねくねしても、そこらへん、どうなってるのかよく分からないのだった。
のたうってるのね・・・という感じ。

ダンサーのTちゃんが帰国するというから、ルンバを習おう。
好きこそ物の上手なれという、夢見がちな痛い女専用、力強い慰めもある。
好きなら大丈夫だ。スタイルは如何ともし難いが、Tちゃんならそこらへんもカバーしてくれるだろう。勝手な期待。

ダンスの中でも、私はルンバしか興味がない。あれを、10センチくらいのTストラップピンヒールで、勿論そのときにはモデルばりにスレンダーで、思い切り踊り狂ってみたい。
脳内自己完結セクシーじゃなくて、誰が見てもセクシーな公認セクシー希望。

姿見の前での練習は、二度としない。
直視しても絶望という名の現実しか横たわっていない場合、すかさず目を逸らさねばならぬのだ。

鏡は撤去して、練習。練習。



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日々日記 |


2008/07/08 (Tue) ADHD×2の大人のランチ

サイドブログ【Baby Bitch I am.】更新しました ▽三文芝居
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今日は、幼馴染の戦友Jと隣の市で待ち合わせて、ランチに行った。
Jは、現在、夫から酷いDV被害を受けている。子供2人は上の子が広汎性発達障害、下の子はADHDの多動児だ。余りに夫の暴力や暴言や、これから予想される事態が悪化していて、とにかく会いたかった。会って話をしたかった。子供たちは、そろそろ色々分かる年頃になっていて、先週か2週間前に会ったときにも、何かしら感じているようだった。だから、子供たちがいない昼間に、Jと会って法的な問題や親権や、これからのことや、私が友人から聞いたアドバイスなど話したかった。
何より、凄まじい日々を送っていることを知って、会わずにはいられなかった。会って私に何ができるわけでもないが、私自身がとにかく会いたかった。

大阪は、ざんざん降りに雨が降ったかと思うと、2,3分であがり、またざんざん降りの繰り返しだった。自転車に一眼レフやらノートやらを積んでいたから、用心して持って行った袋に全部入れて、途中雨が上がる度に写真を撮りつつ到着。
早めに着いたから、マクドでノートを広げ、音楽を聴きながら作業していた。
Jは、30分ほど遅れるとのこと。何故かというと、「美鳥に話すより事前に伝えておいた方が効率が良いと思って一生懸命ブログを書いていたから」だった。
彼女も、目の前のことに熱中すると周りが見えなくなるADHD。そして、私も同じく軽度ではあるが、ADHD。本末転倒なのだが、気持ちと行動が分かりすぎて笑ってしまった。

それじゃ百貨店のレストラン階に行くか、となったのだけど、これがレストラン階になかなか上がれない。目の前に興味があるものを見つけると、目的など全て吹っ飛ぶADHD女が2人。
これが可愛い、あれが可愛いと手に取ったかと思うと、それでダンナがああでこうで、私は最近こうで昨日そんなことがあって、と会話に忙しい。
お互いに我に返ってレストラン階をまっしぐらに目指そう、と決めた。
ランチは、すごく美味しかった。最近ろくな食事をしていなかった。食欲がないというのもあるが、一番には面倒だから。食事に割く時間が勿体無いと思ってしまう。
食べ放題のパンが美味しくて、頼んだグラタンは普段あっさりしたものばかり食べている私には最高にこってりしていて、とにかく美味しかった。食べながら、喋る喋る。昼間、ランチタイムにしては、かなり濃い内容になった。

彼女が、一時期離れようとした行政の相談窓口やカウンセリングに再び通っていることを知って、ひとまず少し安心した。DV問題の一番難しいところは、被害を受け続けているにも関わらず、常態化した暴力に被害者自身が麻痺して問題を放棄してしまうケースが多いことだ。生きるか死ぬかの瀬戸際までに追い込まれないと、被害者自身が「私が悪いわけではない」と気づくのは難しい。一種の洗脳状態にあるからだ。

食事を済ませたら、ショッピングだ。とはいえ、私はとにかく見るだけと決める。
時はバーゲン。靴のフロアに降り立つと、私たちは知らぬ間にはぐれていた。が、はぐれていることにもお互い気づいていなかった。
何しろADHD。それぞれの興味の対象を見つけると、満足するまで我に返ることはない。

私は、見つけたシルバーゴールドのTストラップピンヒールに夢中だった。Jがどこで何に夢中だったのかは、知らない。そのうち、好きなアクセサリーブランドを見つけて、私はそちらへふらふらと吸い寄せられ、更にその奥の化粧品コーナーに吸い寄せられ、気になっている香水ブランドを探した。けれどなかったから、そうだディオールのプワゾンを久しぶりにつけようと思って、ディオールのコーナーへ出向き、美容部員のお姉さんとああだこうだと楽しく香水話に興じていた。プワゾンは、たまに気になるが手に入れたいとは、なかなか思わない。何故だろう。結局、気が変わってジャドールをつけて帰ることにした。
プワゾンとジャドールの香水テスター紙も貰ってきた。香りが消えてしまうまで、いつも手帳に何かしら挟むことにしている。お金がなくても香水が楽しめる。

自分の欲求を全て満たした瞬間に「あ!そうだ。Jと来てたんだった!Jはどこだ?」とコーナーを出た。同じく、私を探しているJと落ち合った。お互いの行動パターンが分かるだけに面白い。
「私はサングラスをかけたりはずしたり、ひたすらしてたわぁ」とJが言った。じゃあそこに行こうよとなって、子供を迎えに行く時間が迫っているにも関わらず、二人で、ひたすらサングラスを試着し続けた。私が一応欲しいけど買えるわけもなく諦めたジル・スチュアートのサングラスがバーゲンで安くなっていて、買う予定もないのだが、とにかく楽しい。しかし、どこかしらジル・スチュアートらしさを演出せねばと思っているのか、演出しているのか、ツルに余計なものがついているジル・スチュアート。最終的には、いらねーや、と思った。Jも、ひたすら自分好みのサングラスを探していた。
何十分費やそうが、ADHDの2人。誰も止める者は、いないのだった。

ようやく気が済んで、デパ地下で買い物。やたら安いセールをやっていて、果物や文鳥たち用の野菜を買ったりした。
Jは、食材やパンやお惣菜を「冷凍しとけばいいから」と山ほどお土産に持たせてくれた。4人家族のJの家のより私の袋が大きい。Jの愛情のでかさを感じた。
これじゃ、どっちがどっちを励ましに来たのか分からないと複雑な気分になった。有難かった。凄く有難かった。何だか母ちゃんみたいだなぁと、感謝を噛み締めた。

Jと別れたのは4時近くで、その頃には、すっかり雨が上がり、水溜り以外はアスファルトはすっかり乾いていた。蒸し暑い空気と照りつける太陽に、午前中のあの激しい雨は幻だったんじゃないかとすら思わせた。
撮りたかった場所、場所で自転車を止めて、撮りたいと思ったもの全てにレンズを向けた。

行きに通った橋を、また渡る。
そこで、気がついた。
私はいつも、橋の上で気を失いそうになること。行きも同じく、意識が飛ぶのを感じた。最近、Jに会うために前よりよく通る淀川の上にかかる長く大きな橋なのだが、自分の不安定さを感じて行きに家で頓服を飲んでから出かけた。それでも、淀川の上のあの橋は、私をおかしくする。

極貧やら色んな病気やら自殺・他殺欲求の果てに失語症になった私が、よく通ったのが淀川端だったからだろうか。何を思い出すでもないのだが、瞬間瞬間に意識が飛ぶ。
これまで何となくだった危うい感覚を、今日はっきり自覚できた気がした。


帰ってきたら文鳥ズが「何やってたんだよ」と退屈顔で迎えてくれた。留守番のお礼に、大好物のきゅうりを献上した。


そういえば。
ランチに決めた店が、ランチタイムでものすごく混んでいて、入り口で順番待ちの名簿を書いた。私は、今朝から調子がおかしくて、やや解離ぎみでぼーっとしていて無意識にアホな書き込みをしてしまった。画像の一番下の行が、おかしくなっちゃってた私の名前。
lunch20080708.jpg


狙ってない時の失敗は、非常に恥ずかしい。書き直そうとしたらJが「そのままにしときー。どんなイントネーションで呼ぶんやろ」と、わくわくして言うから、敢えてそのままにしておいた。順番待ちに、楽しみができた。
「2名でお待ちの音名さん(←なんかこんな漢字)」と呼ばれるのか。
「2名でお待ちの大人さん」と呼ばれるのか。

果たして、私たちの順番がまわってきた時、店員は名簿を見て戸惑い気味に少し首をひねってから、やや控えめな小声で、
「2名でお待ちの大人さん?」と呼んだ。
「そっちで来たか!」
と笑えたけど、何か不満だった。
「がっかりやな」と、Jと笑った。

画像が残っているのは、Jが「撮っておけ」と言ったから。
今、凄絶な戦いを始めようとしているけれど、今もその真っ只中にあるけど、中学時代から、やんちゃで、おもろい人です。
負けんな、J!



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2008/07/07 (Mon) 足下の辺境

昨日アップした記事◇私が死ななかった理由(カテゴリー<Live for The end. - 自死と癌 - >)を、大幅に加筆修正した。

自分が書いたものながら、あまりに冗長で的を射ず苛々した。
本当は昨日直したかったのだが、あれを書いていると体調が崩れに崩れ、あっという間にダウンした。
何度も何度も、危うく意識を失いそうになった。背後斜め下にストーンと落ちそうで、何度も椅子に座りなおした。心と体が足場の悪い崖っぷちに立って、グラグラ揺れていた。実際、体はいつも通り大人しくパソコンに向かっているのだが激しく揺れるったらない。いつも思うのだが、あれは何だろう。高確率で私は、地震と勘違いすることが多い。震度4?5だ。

そもそも自殺について書こうなんて思っていなかったのに、何故書いたのか不明だ。気がついたら書いていた。そして見るに堪えず、朝から修正したら、またも体調が最悪。吐きそうだ。


吐きそうといえば、理由がもう一つある。
先週の木曜のカウンセリングで、思いもしなかった自分の本音を知った。
絶望的な本音だ。
自分が一体、誰を信じていて誰が信じられないのか、私はそもそも自分を認めてやれているのか分からなくなった。何もかも振り出しに戻ったかのような失望だ。落胆のあまり、家へ直帰した。

私と友人N氏との過去の言葉のやり取りを、カウンセリングで思い出したことが、振り出しに戻る決定打になった。
一ヶ月前なのか二ヶ月経ったか、あの日、私は泣きながら、絶叫し包丁を振り回し自分の一番奥底に眠る本音を何度も何度もN氏に向かって叫んだ。繰り返し。
なのに、当の本人である私自身は、自分が叫んだ言葉の意味すら分かっていなかった。


人間不信の根本の部分が、いまだ何ら改善されていなかった。
カウンセリングに通い始めて7年。7年の時間と費用を費やしたのにだ。
やっと自分を掴んだかと思うと、まだ底があることに面食らう。泥沼だ。
核心は、恐怖だ。知りたくないことが眠っている。
でも知ってしまったから、もう元には戻れない。

本心は、ここから逃げたいなーと思っている。
もう「トラウマ」とかいう言葉は、うんざりだ。聞き飽きたし、チープだ。いつまでも付き合っていたくない。逃げたい。なかったことにしたい。
そのせいか、夢の中で私は毒入りミルクティーを作って弟たちに飲ませるために、赤いポットで湯を沸かしていた。
同時に自分も飲んで死のうと決めていた。
幼い弟たちを騙して飲ませることに罪悪感はあったが、全ては、その都度「仕方ない」という気持ちで片付いた。そんな夢だった。


そこそこの年数生きてきて、大人になったのに、私は今だに子供の頃の体験に傷つき続け、世間一般で言うところの全うな生き方を失い続けている。
CPTSD、トラウマ、虐待、フラッシュバック、パーソナリティ障害、名前は何だっていいが、とにかくこの傷は、一体いつになったら瘡蓋となるのか。

私を傷つけ続けているものを自覚する度に、私以外の誰かを傷つけるものも、私は憎む。
「誰か」が誰を指しているのか、とても曖昧だ。実家の弟を指しているのか、私の大切な戦友たちを指すのか、そこらの見知らぬ人たちも指すのか、遠い国の人たちも含むのか。
とにかく誰でもいい。人の心を傷つけるものを私は憎む。
私の中にも、誰かを傷つける刃がある。
でも、恐れていたら何も出来ない。
動くことで誰かの敵を切ることが出来るなら、何でもいいからしたいと思う。
そのためなら、永遠に瘡蓋などいらないのかもしれない。
傷つくことの痛み、痛みに否応なく人生を支配され続ける生々しい悔しさは、同時に可能性のようにも感じる。同じ境遇に立つ誰かに、私でも何か出来ることがあるかもしれない。
可能性は、いつも紙一重で不可能に転ぶ。
だから可能性には、一か八か賭けることにしている。



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2008/07/06 (Sun) 私が死ななかった理由

パニック障害と希死念慮について、私の体験の一部を書こうと思う。
十年近く前の話だ。

最初の発作は、ある日突然、前触れもなく起こった。
眠っていた真夜中、突如不気味な不快感に襲われ、目が覚めた。ベッドから立ち上がったが、数歩進んで息ができないことに気づいた。吐き気と眩暈と幻聴に襲われ、そして何も聞えなくなった。
目の前が真っ暗なのに、ぐるぐると渦を巻く狂気が、その輪を部屋いっぱいに広げたかと思うと、次の瞬間には眼球の奥へ砂粒ほどに窄まった。何度も何度も繰り返しだ。静寂という騒音が頭蓋の内側で打ち鳴らされては共鳴し、前も後ろも右も左も、自分が立っているのか倒れているのか、座っているのか、どこにいるのか、生きているのか死んでいるのかも分からなくなった。
自分が声を発しているのか、喚いているのか、絶叫しているのか、沈黙しているのかも分からない。
死ぬかもしれないだとか、発狂するかもしれないだとかいう感覚すら、発作中は一切なかった。
意味も意義も理由も契機も見当たらず、ただ私は嬲り殺され続けた。
けれど、死んではいなかった。
気がつくと、狂乱は去っていた。真っ暗な部屋のカーテンの隙間から、外の街灯の明かりがほの白く射していた。
助かった。
何から助かったのかも自覚はなかったが、それだけ思った。
感想は、それだけだ。
このわけの分からない発作は、その後度々起きるようになった。助かっても、助かってはいない。永久に続く拷問だった。真っ暗闇のプールに投げ込まれ、もがいてももがいても頭を押さえつけられ、発狂して窒息するまで頭を押さえ続けられる終わりのない絶望。


当時の私は「パニック障害」という病名すら、知らなかった。
今でこそよく知られるようになったが、その当時は通院していた私でも、聞いたことがなかった。

診断が下りるまでの間、わけが分からなかったが、自分なりに解釈した。
「キチガイの血が流れている」とは、子供の頃から耳慣れてきた言葉だったために、ああ、私もいよいよ発狂するのだな、と絶望した。
それから、死の瞬間とは、あんなふうに暗黒の世界で窒息したまま、足を掴んでぐるぐると無闇に振り回されるのかもしれないなどと、発作の経験は私を恐怖に陥れた。安寧としての死ではなく、凶暴で終わりない死を喚起させる病が襲ったことは、死に方を探していた当時の私にとって、皮肉な話だった。発作は、死にたい気持ちを確実に後押しした。


私が今生きているのは誰かのお陰というのなら、それは美談として人から歓迎されるかもしれない。
けれど現実は、全く違った。

私には、誰もいなかった。
私は当時、ずっと一人で、唯一の同居人は殆ど顔を合わせることはなく、顔を合わせては蔑まれ、嘘をつかれ、嫌がらせを受けていたから、24時間殆ど私は死神と二人きり、物で足の踏み場もない6畳の部屋で蹲ったり、転げまわっては絶叫したり、壁にひたすら頭を打ち続けたりしていた。
両親も祖母も、毎日私に「死ね」もしくは「キチガイ」と罵倒を浴びせた。

あのときほど独りだったことはない。
誰かがいても、誰も見えなかった。
人の存在そのものに、私は傷つき続けた。息をしているだけで傷ついた。もう死ぬだろうと思っても、また翌日も生きていて、また顔も見えない誰かの呼吸にすら傷ついた。
とにかく死にたくてたまらなかった。
生きているメリットは、ひとつもなかった。
生きていても、どうせ泣いたり喚いたりパニック発作で死に掛けても死にはしないのだ。
「終わらせたい」と、ただそれだけを念じるようになった。
息をしているだけでもう、うんざりだった。
私を止める者は、いなかった。いつでも死ねた。
自殺は、難しいようでいて実にイージーなのだと分かった。


理想的な死の形を私は具体的に思い描くようになった。
偶然見た深夜の香港映画のワンシーンが、まさに理想の死そのものだったのだ。
そのワンシーンについては、ブログのどこかで何度か書いた記憶がある。
この方法なら、私は私を一度きりで殺すことが出来ると直感した。この方法でなければならない、と信じた。自分への憎しみが、イージーな自殺を別のものに変えてしまった。皮肉にも簡単に死ねなくなった。
近いもので代用しようかとも考えた。しかし、妥協するには自分自身への憎しみが勝りすぎていた。
私を徹底的に跡形もなく嬲り消し去る残酷さを見つけ、憧れ求めたた。
恋焦がれた残虐な死に、ブラウン管の外の世界で出会うことは、ついに叶わなかった。

私は、死に損なったまま、発作で中途半端に嬲られ続けられながら、不本意に生き続けた。

死を希求する思考から逃れるのは容易ではなかった。理想の死、自分自身に自分自身の気が済むまで徹底的に罰を与えいたぶってから殺したい思いは、ずっとずっと消えなかった。このときのイメージとSMの世界は、ある部分で重なっていた。死に損なった私が、その後を生きた数年は、SMという麻薬のお陰かもしれない。


今、私が生きているのは、ただの偶然に過ぎない。
自分への憎しみが過ぎて、100回以上自分を殺したくても殺す方法が見つからなかったからだ。
当時の私に、救いも希望もなかった。想像していたよりも現実は無慈悲で、何にもなかった。
必然なんて、この世にはない。美談やきれいごとを、私は信じない。
私は、ただ死に損なったから命を継いだ。運があと少し背中を押せば、気まぐれに私は私を殺せていた。それが私にとっての真実だ。

後々になって、そうした真実を持ったまま、一言も残すことなく運悪く自分を殺すことに成功した人間は、これまで数え切れない程存在しただろう、と私はよく考えた。
実際、私の周囲で自殺した人間は複数存在する。そんな人たちの思いは、どうなるのだろう、とよく考えたものだった。

死に損なった私は、しばらく生と死の丁度境目に立っていた。心は生きているわけでも死んでいるわけでもなかった。境界線の真上に立つ私は、いまだ世界に生まれたことのない異世界の生物だった。
生も死も、思っていたよりも不確かで偶然で人間などが、ああだこうだと口にできるものではないということだけ、確信していた。

テレビでは、不治の病と健気に闘う少女を追ったドキュメンタリーが流れ、万人の涙を誘い「生きたくても生きられない人がいるんだから」と、周囲は、決まり文句のように口にする。
その傍らで、異界に生きる私は常に沈黙し、じっと考えた。

「生きたくても生きられない人がいるんだから」と同様の言葉は、この世に溢れかえっていた。
生きてさえいればいつか良いことがあるだとか、前向きでいればいつか報われるだとか、努力すれば必ず良くなるだとか、人を信じてみようよだとか、人に感謝する人は人からも感謝されるだとか、すべては自分次第なんだよ、だとか。
「きっと」「いつか」「必ず」「?していれば」は、そんなに人々を安心させるのか。
同様に「苦しいことには必ず意味があるんだよ」「今苦しい分、必ず未来に嬉しいことが待っていてくれる」「その人が乗り越えられない困難は与えられないんだよ」等に対しても、世の中は歓迎ムードだ。
私が幼少期から信じていた信仰でも、耳が腐るほど聞いてきた。


「生きたくても生きられない人がいるんだから」何だ?と思った。
それが私の苦しみや痛みや叫びや滴るような憎しみと、どう関係があるというのだろう。
生きたくても生きられない人間の死は、人の感動の涙を誘う。
自分を殺したくて自分を殺せてしまった人たちへ向けられる悲嘆の涙は、どうだろう。
残された誰かにとってでなく、死んだ当人にとって、どんな意味があるんだろう。
違うのだろうか。同じなのだろうか。
何がどの点でどのくらい同じで違うのだろうかと、考えるでもなく考え続けた。

「きっと」「いつか」「必ず」「?していれば」の言葉に希望を見出す多くの人は、運命を論じることを好む。論じることは、ある種のカタルシスをもたらしてくれる。


しかし、そんな言葉が本当に力を持つのか?
偶然生き延びた私にとって、全ては戯言にしか聞えなかった。
まるきり異界の、わけの分からぬ呪文だ。
「給食の前には手を洗いましょう」なんて書かれた、誰も見もしない学級目標と何ら変わりないんじゃないのか。
死神と二人きりの人間が首を吊ったって、そのロープの1本すら切ってやれないじゃないか。
少なくとも、私は救われなかった。


パニック障害を罹患したことや、ついに自殺できなかったことや、今生きていること、あらゆる出来事のタイミング等に、私は何らかの啓示など一切感じない。
啓示など、必要ない。すべて後付けの屁理屈だ。
屁理屈は、死神と二人きりの私を救えなかった。

私は、自分を憎み過ぎて自分を殺し損なっただけだ。
私は、心底、死にたかった。100回殺しても気が済まない程に、自分が憎かった。憎くて、たまらなかった。最初に憎んだものは、きっと違うものだったのに、いつしか私は自分だけを憎んでいた。
自分を憎み過ぎて、死ねなかった。
そんな私を助けるものは、あの瞬間、一切なかった。
それが、事実だ。
自殺しようとした幾度もの瞬間を止めたのは、誰でもない。
ただの偶然だ。
こうして私が生きてブログを書いていたり、キーボードを打つ合間に冷たいカフェオレを飲んだり、クーラーの温度設定を見たりできるのは、偶然が与えた時間だ。


当時の、今日も明日も死ねなかったという絶望と、運命に対する失望の感覚を、私は今だに手離していない。自分の意志で手離したくないのだ。私が知る「運命」とやらは、実にいい加減なものだ。

私が死ななかった理由は、成功談でもなく、感動秘話すらない。
それでも私が今、精一杯生きていたいと思うのは、生も死も私にとっては偶然に過ぎないからだ。
自分の身に何が降りかかるかすら読めない人間にとって、運命なんてものは、ほとほといい加減なものだと思うと、私に実際「キチガイの血が流れているか?」など、どうでもよくなった。僅かに常についてまわる疑念が拭いきれないのは、長い洗脳の名残だろう。
ついでに、正しいか正しくないかも、どうでもよくなった。
あのとき何度も死に損なった私と、偶然自分を殺すことに成功し死んでしまった人間のことを考えると、せめて私が知る真実に忠実でいたいと思う。


こんな私が生きている事実をありのまま、今生きている私が伝えたかった。



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境界性人格障害 | comment(3) |


2008/07/05 (Sat) 自虐ネタ神降臨中

サイドブログ【Baby Bitch I am.】更新しました ▽盲者の宝石
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

皆さま、ごきげんよう!

うちのマンションは夜に室温35度を軽く越えるので!朝までに脱水症状でうっかり死んでしまっても何なのでクーラーつけてますが!?皆さん各地で如何お過ごしでしょうか!!
今朝、卵かけご飯を食べようとして手が滑って醤油入れすぎて醤油ごはん食べた美鳥です!
サイドブログの方の最新記事を、コロッコロ書きなおして、すいまっせん!
ほんまにすいまっせん! 
自分でコメント欄閉じておいて皆さんのリアクションが読めず己の所業に怯えている小心者です。
重ねて、すいまっせん!
自分で閉じておいて何ですけど、率直に寂しいです!

なぜ叫んでるかって!?決まってるじゃないですか!ハイテンションだからですよ!鬱陶しいですか?これしきのこと!鬱陶しいのは!
私に間違いなく取り憑いてる自虐ネタ神ですよ!!

自虐ネタ神只今、美鳥に絶賛降臨中ーーーッッ!!(←聖闘聖夜)


文字通り、踏んだり蹴ったりでございます。

たとえば昨日、私の身に降りかかった災厄などは、友人に話してみたところ絶句してました。「何でまた・・・あんた・・・そんなにまぁ・・・・っ・・・次々とっ・・・!あんたの人生って・・・・?」と言葉を失ってました。こちらの「○○ v.s わたし」シリーズで、そのうちアップしたいと思います。アップさせて下さい。そうでなければ、私の諭吉が浮かばれません。(漱石なら良かったのに・・・とは、友人談)


ところで、昨日は銀魂24巻が発売されました。銀魂コミック派でない方には申し訳ありませんが、一言言いたいのが表紙が毎度予想に反しますね。今回は股子でしたね。予想して本屋に出向くものの、今回は股子で来られたら無理。表紙キャラが読めない。

わたし、銀魂発売日を2ヶ月前から待っていました。そわそわと。前日に至っては、一応書店をチェックし落胆して帰ってきた後、体調が最悪な中、前の巻を復習として寝込んだベッドで読み返しておきました。

きもいですか?

いいんですよ。この程度、全然きもくないです。
発売日の早朝に買いに出て
早朝過ぎてまだ売ってなくて出直したことに比べれば!

自分、どんだけ銀魂が欲しいねん!

出版流通関係で長いこと仕事してたんだから、入荷時間など分かりそうなもの。ていうか、分かってたし。まだないだろなーとか思ってたし。
普段病弱な私。そのせいで家を出られず白い小窓から空ばかり眺めて小鳥を羨んでいる私。
でも、止められなかった。自分で自分を止められなかった。高鳴る胸を、押さえることは出来なかった。
気づいたら、帽子をかぶって(←洒落ているわけではない。すっぴん眉毛なし洗顔もせずの酷い面のため)外に飛び出してた。

しかも、ちょっと小走りだった
これは、きもい。きもいね。
年甲斐もないし、多分、年以前の問題だし。

外は、元気に登校する小学生、幼稚園へ向かう子供とお母さん方、メイクばっちりのスカート短くてシャツはだけてる女子高生、皆さん、行くべき場所へ向かっている爽やかな朝。健常なる朝の風景。その景色の中で、私のみが薄汚れていました。心的なものが、薄汚れていて、ああ、私はもうシャバの人間じゃねぇな、とか思いました。ギャル観察が好きな私は、女子高生に会えてちょっと嬉しかったです。朝外に出るのも悪くねぇなと、すっかりエロいオッサンみたいなこと考えてました。


一昨日あたり、ベランダの室外機に立って飛び降りようなんてしていたわたしは、遠い昔のようです。こんなに浮いたり沈んだりするのは、今年の5月あたりに予測はつけてブログでも、前より泣き言が増えるかもしれませんとか言ってましたけど、本当に泣き言が増えています。もともと大したメモリ積んでないのに、XPなのに、無理からVISTAを気取るみたいなことをリアルでやってるからだと思われます。しょっちゅう、CPU稼働率100%でフリーズ、フリーズ、朝6時に起きてるわりに、1日数度寝ていて、コメントで「美鳥さんを尊敬します」とまで書いて下さった方がいるのに、躁状態を越えると実態はこんな感じで、あいすみません。


話は、昨日の災厄に戻りますが、◇なまずのオッサン と わたしでの、わたしの可哀想っぷりたらなかったと思います。
しかし悲劇は終わらない。
あれ以来、なまずのオッサンループに嵌りこんでしまったらしいです。
悪夢ですね。悪夢ですよ。
突発的災難という名の無慈悲な連続トラップ
その出口の見えない迷宮っぷりは、さながら歴史的大作ゲーム「女神転生」を思わせます。攻略不可能な永久迷路です。

みんなー!オラをここから出してくれ!(←ごくうの元気玉的美鳥のワールドワイドな願い)

今回は、私の強迫性障害(浴室限定)のど真ん中狙い撃ちみたいな災難で、最悪でした。なまずのオッサンも、昨日うちに来てくれた助っ人の兄ちゃんも悪気はない。
泣きたいことこそネタにしろ!は、関西人必須の気構え。
泣くな。笑えよ私!

しかし、突発的災難は、常に突発的出費を強いるは、パターン。
昨日の出費額は、奇しくもなまずのオッサン事件とほぼ同額でした。

グッバイ☆諭吉!また会う日までッ!!!



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大阪駄文 |


2008/07/04 (Fri) 星と香水

サイドブログ【Baby Bitch I am.】更新しました(5日午前6時加筆修正)
▽甘く静謐
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数日前、久しぶりに手紙を書いた。
お手紙では、はじめましてと、手紙を書いた。

便箋と封筒には、一匹の羊と、一輪の赤いバラ、一人ぼっちで暮らす小さな王子さまの星。

メールと同じく、一気に思いつくまま書いて、習慣のままに読み返さなかった。
支離滅裂でもいいから、思いが届けばそれでいい。
行儀が良いだけの言葉なんていらない。
一文字ずつ書くスピードが、言葉と共に、数分単位で引き出される記憶や感情が移り変わっていくリズムに合致してくれた。


手紙の最後の一行をしたため、並べた香水瓶を前に、しばらく考えた。
軽やかで爽やかな香りが、遠い遠い足を踏み入れたことのないかの地へ、飛んで行きやすい気がした。王子さまの星に、香水をひとふり、ふりかけた。はじめまして、と胸の中で唱えた。
エタニティという名前が少し大仰に感じられたけど、名前も言葉も、大したことはない。それらが、人の心を正確に掴んでくれることなんてない。心は信じるけれど、私は言葉を信じない。
いつもは香水を選ぶとき、その名前にこだわるくせに、こんなときはどうでもいいやと思った。
スタイルは、いつもアバウトでいい。
私らしくて、これでいいや。
言葉では繋がらない。
心で繋がる人が好き。


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日々日記 |


2008/07/03 (Thu) 自己愛トレード

サイドブログ【Baby Bitch I am.】更新しました
▽オモチャ姫  ▽リアルブラックダムダイブ
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固形物が一切喉を通らなくなった。
吐き気が酷い。
過食よりは、拒食がまし。食費がかからないで済む。食事の時間も取らないで済む。
書かなきゃ、表現しなきゃ、排泄しなきゃ発狂する。

昨夜の殺意なんてものは、なくなった。
何故か知らないが。きっと腹の底あたりにいるのだ、あやは。
昨夜、あやの男のホームページを見つけたときには、グラグラ眩暈がして、はらわたが煮えくり返ったものだが、そもそも私とは関係がない。
私は、てっきりあの男は死んでるんじゃないかと思っていたから、ちょっと驚いた。
口八丁の嘘吐き男で、だからあの男はあんな腐臭がするんだなんて思っていたが、どうやら開業の予定だけは本当だったらしい。愛について嘘をつく男も、妻と子供を養うためには、少しはまともなことを言うらしい。別居するなんて言ってたが、別居はしてないだろう。妻とセックスレスが悩み?50も過ぎればもういいだろう。散々、あやで遊んだんだし。

昨夜は、私の記憶にない映像や言葉や声が、迷惑メールみたいに続々勝手に脳内に流れ込んできて、手は震えるし自傷欲求が酷くて、特にリストカットの衝動が酷く、ベランダから何度も飛び降りようかと思った。死にたいわけじゃないから、何階以上から飛び降りたら死ぬのか知っているから、飛び降りるのは馬鹿馬鹿しくなった。

何をしていても次々と舞い込んでくる脳内の情報に「そんなこと知りたくもない!」と部屋で叫んでいた。家族がいなくてよかった。ついに発狂したと思うだろうから。
しかし、3歳からの私の特技「解離」「忘却」「何も起こらなかったという自己暗示」が自動的に作動したらしい。
今朝になったら、何かあったなとは思うが詳細が何も思い出せない。何かとんでもなく不愉快な映像を見せられたのだが、1シーンも思い出せない。思い出す必要もないし、私とは関係ないことだ。

冷静だし、男の住所を一応古いパソコンから引き出してメモしておくことにした。
先週だったか私に突然連絡を寄越した狂乱ストーカー女M同様、今このタイミングで私が関東へ出向く予定があるのは暗示的だ。

夕方からカウンセリングだ。そういえば先週のカウンセラーとのごたごたを、まだ書いてなかった。
あの続きを今日行って話すことになるかと思うと、だるい。
男のことも、どうでもいい。あの海沿いの家に出向いて決めればいい。
メロドラマみたいに、妻と子供と対面するのかしら。想像すると、つまらないし、多少興味はある。
不倫の罪って誰にあるんだろうと考えるが、私の所有物ではない男の家族を、男が「一番大切」と言うのであれば、男自身が護るもんじゃないのか。あやは、一度だって浮気もしなければ24時間365日何年だっけ5年以上あの男に全部費やした。
何せあの腐臭男のために死のうとしてた程だから、正気じゃない。
一方、男は、あっちとそっちに愛想振りまいて、結局どっちも護らなかった。その責任が愛人にあるとは思えない。略奪愛だとかいう「略奪」が、私にはよく分からないや。互いに自分を切り売りしてトレードしてるだけだろ。面倒で私は不倫なんてやらないが。法的に、妻から慰謝料300万は請求できるのだ。300万用意して不倫はやるべきだ。

心が移ろうのが当然で、よほどの信念がないと持続できないのが愛情だろう。信念のない人間が信用ならないのは当然なのに、書類を交わした途端、愛情を舐めて胡坐かく人間が多い。
略奪愛じゃなくて、愛情ってそんなもんなんだ。「愛情」が万能でゆるぎないなんて馬鹿げた信仰、どうやって持つことができるのか教えて欲しいくらいだ。人間は、もともと動物で、動物は外界からの刺激と欲望に弱いと決まってる。


少し眠ってからカウンセリングに行こう。
昨日から、頓服ばっかり齧っていて、脳がトリップしてる。眠くてたまらん。
気がついたら今日になってた。
昨日のうちにカウンセリング、キャンセルしておくんだった。
この上、女性嫌いな私は、全く転移できないカウンセラー相手に個室で面談か!1時間も!
絶望的だ。疲れた。



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日々日記 |


2008/07/03 (Thu) 切腹解体志願

自傷欲求最大出力。手首は淫乱だ。卑しくもリストカットの記憶に疼いて掻き毟る。0コンマ1秒刻みで止まらない貧乏揺すり。止まったら発狂する。指先の肉を削って削って削りなれてちょっと血が出て面倒だからいっそ切り落としたい。10本セット箱入り鉛筆みたいにバラバラと。
切腹志願。肉切り包丁で腹を縦にさばいて、はらわた全部引っ張り出して隅々までひっくり返して裏返し、しらみつぶしに探したい。腹の辺りにいると思う。子宮がぬめったナマコのようだ。吐く。狭くて生臭くて腐った泥沼の底なし奈落の黒々子宮。体の中に閉じ込められてる。


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境界性人格障害 |


2008/07/02 (Wed) 千切れろドナドナ

自分が千切れ跳びそうだ。
自分が誰だか分からなくなった。
大丈夫だ。まだ大丈夫だ。
他人事なはずなのに、私の腸が煮えくり返るのは何故だろう。

インターネットは、何でも検索ボタン一つで導き出してしまう。
あやの男を見つけた。
言っていたとおりの店を開業していた。
軌道に乗せて、自分らしく生きることが出来たら、あやを迎えに行くよと言った。
美鈴は、あなたが私のために100回死んでも、あなたとは結婚しないと言った。
駅前で怒鳴りあって争ったのは、あれは何年前で誰だったんだろう。
美鈴だ。
あやじゃない。
そして、私でもない。
歴史として知っている。
いいくにつくろう鎌倉幕府って感じに知っている。

男の顔のイラストは、見間違えもしない。あの男だ。
住所も開業地も、今まだあの地に住んでいるのだ。
リンク先に飛んで、画像3枚に写った左手に結婚指輪を見つけた。
何て光り輝く指輪だろうか。
あれは私には、牧場の牛の鼻輪にしか見えない。
あそこに鎖を繋いで、女と子供が墓場まで牽引するのだ。
ドナドナだ。
誰にとってのドナドナだ。

私の男ではない。
あやの男だ。
じゃあ、なぜ私は調べたんだ。
なぜ私は、旅行の予定を立てようとして、ふと目に付いた地図上の地名から、検索してみようなんて思いついたのか。
下半身は脱力して、何とも言えず冷静だ。
ただ、はらわたが暴れだしそうだ。
発狂した蛇のように、のたうちまわっている。

咄嗟に、ここへ行ってやろうと考えた。
殺してやろうか。
全部壊してやろうか。
こいつが生きてる限り、私の中からあやが消えない。
抹消したい。
デリートだ。
リセットだ。
私が愛してるという言葉を憎むのは、あの男が残した精液だか唾液だか汗だか垢だか、そんなものが私のこの体に、こびりついてどこかに残っているからだ。
洗っても洗っても取れない汚物が、私に残っているからだ。
見つからないから、洗い落とせない。
あやの歴史が残っている。
消しても消しても。甘ったれた無力な女。

はらわたが煮えくり返る。
男に対してなのか、こんな馬鹿げた履歴を残したあやに対してか。

怒りか。
郷愁か。
恨みか。
何だ、これは。妙な感覚だ。

私は違う。あやとは、違う。
あやに同情などしていない。
と書いてみて、そうではないと反駁する声がある。
<あや>を出産したのは、あの男だ。あの男の腹から生まれた女だ。あやは。

じゃあ、私の母親は、だれ?



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解離性同一性障害 |


2008/07/02 (Wed) 致死の家

去年から医者からもすすめられている生活保護について、さらりとメールで書いて母の携帯に送っておいた。病気の回復の時期が分からない今、やむをえない。認定を受けるには、役所の承認がいる。実家へ調査員が出向くのだと聞いたから、もし行ったなら私は生活保護を受けるからどうぞよろしく、と書いて送ってあった。
送ったことを、忘れていた。
昨夜から、私はかなり酷いうつ状態に襲われている。
躁状態だったのだろう。そんなときの実家へのメールなんて、忘れてしまっていた。意識すらなかった。

別件で昨夜、母と電話で話していると、おもむろに母が「それはそうと、これは言っておこうと思って」と切り出した。
「お金のことだけど」と、母が口にした。
お金・信仰・私の病気は、我が家の三大タブーだ。私がそこに加わると、私の命が危うくなる。
私は、黙っていた。
母は、優しい声で、
「お金がなくなったら、いつでも実家に戻ってきて、いいんだからね」と、言った。
脱力した。
ああ、この人は、あの家族は、いまだ何にも分かっちゃいないんだな、と思った。
相変わらず、何にも考えちゃいないんだな、と分かった。

とりあえず、「こっちでしたいことがあるから」と答えた。そうしたら母は、いや、違う、と遮った。
「最初からこっちにずっと住んでいたら、やりたいことも、ここで家族とするんだろうけどね。普通は、そうなんだろうけどね。一度離れたから戻る気はないんでしょ?」と言ってきた。
一見、母が言っている内容は、私が言ったことと何ら変わりない。
しかし、同じことを私が言おうとするとまた「いや、違う」と遮るのだ。
彼女が別のことを言わんとしていることを、感覚的に理解した。
彼女は私が私の意志で大阪に住んでいて、実家に戻る気がない、ということを否定したいらしかった。
経済的に困窮しようとも、生活保護を受けることになろうとも、どれだけ困難であるとも、私が戻る気がない理由を、母は本能的に察知して、否定したいのだ。私への反駁は、彼女なりの現実逃避なのだ。


私は、とっさに15年近く引きこもりっぱなしの実家の弟MKを思い浮かべた。
飼い殺しだ。
まるで、飼い殺し。
とにかく物理的、金銭的に共同生活していれば<家族>だと思いたがる。
この枠からはみ出すと、子離れできていないうちの両親は不安になり、ついには自身から離れていこうとする子に怒りをもつ。全て無意識だ。自分たちでも感情の出所を理解していない。理解しようとは、ついにしなかった。家族の距離感が異常だということを、認識すらできなかった。

私は随分と努力してきた。
弟の引きこもりについて何とかしようと必死になっていた時期は、家族問題などの専門書から分かりやすい手引書まですすめたし、病気について理解してほしいと訴えてきた。出来る限りのことは、やった。しかし、彼らは終始「家族ごっこ」から抜け出ることはなく、むしろ家族ごっこに興じ続けて死にたいらしかった。
これまでの人生に、軌道修正を加えることを、彼らは拒んだ。
私を反乱分子と見做し、力の限り非難し罵った。

最終的に両親が選んだのは、弟を飼い殺し、できるなら私のことも金銭で束縛し、家族ごっこを維持することだった。
私は、そこから専門家の力を借り、あらゆる症状や発作に耐えて、逃げ出した。言葉の暴力を、どれほど受けたか分からない。
弟は、逃げおおせることは出来なかった。長くあの家にい過ぎて、外界を知らない彼は、自身が飼い殺されている現実も見えていない。
私一人が逃げるだけで精一杯で、弟のことはどうしようもなかった。


例えば、その弟の生活に対し、両親は非難はするが、力は貸さない。相談にも乗れない。病気の知識も、いまだ持たない。
非難しては無言の弟に腹を立て、悲嘆に暮れる、が1セット。これを延々15年近く続けている。
1セット終えた後に必ず言う言葉がある。
父は「お前、それじゃ死ぬしかないやないか。信心しろ」
母は「もう本当に・・・・だめよそんなの・・・何とかせなあかんよ・・・」

責めるだけ。前進せずに停滞し、現実から逃げて幻の安泰に身を任せるだけ。たまに感情をぶつけるだけ。暴力に転化するだけ。しかしすぐにまた、気がおさまったら「家族ごっこ」の再開だ。

そんな、あの家の空気を吸いたくない。空気を吸っていたら、私まで侵食されてしまう。


実家は、何もなさすぎる。居場所がない。そして、執着があって、自立と責任に裏付けられたゆるぎない愛情がない。すぐに暴力に変わる。
去年ではなかったか。私をボコボコに殴って、石をつけて神戸港に沈めると言ったのは。あれは冗談ではなかった。母は、顔を真っ赤にして涙を溜めて、私を睨み付けて「どつきまわしてやりたい」と言った。弟は私を蹴り、倒れた私が床で転げてうめいていても、父は何事もなく一瞥するでもなく、果物の皮をむいていた。

いつもそうではない。
ただ、一瞬にして日常に滑り込んでくる暴力が、いつの瞬間にも潜んでいる。
母は、いいだろう。
彼女が標的になることはない。これまでも、なかった。家族の中で、一番心安らかに誰からも非難されず生きてこれたのは、多分母だけだ。
一見かわいそうなのも母だし、何か心配してそうに見えるのも母だ。やさしげなのも母だ。
けれど、すべてまやかしだ。
私を殴りに殴って、石をつけて神戸港に沈めようといった弟の横で、私を憎々しげに睨んで頷いた、あれが母だ。
私が、女性恐怖がいまだ抜けないのは、母と関連があるとカウンセラーは言う。

私は、家族を棄てた。とうに棄てたと思っていたが、本当に棄てることができたのは、去年の8月だ。
父が発狂したように私に向かってきて、大雨の中、私は殺されないように庭に隠れていた。
東京の弟MTに電話し、ブログは私の遺書だ、私が殺されても虐待は隠蔽されてしまう、社会に、できるだけ多くの人にこの真実を伝えて欲しいと泣きながら頼んだ。私が出来ることは、それしかないと思った。負けたくなかった。どうせ死ぬなら、成し遂げたいと思った。

MTが、しっかりと約束してくれたのを確認して、MTが「とにかく何でもいいから、すぐにその家から離れろ」と言ったから、最悪な体調で薬の力を借りて、実家から命からがら逃げ出した。
あの日、大阪までの電車の中で、私は家族を棄てることを決意した。
その決意だけで、今日まで生きてきた。
武者震いなのか恐怖なのか、私は始終震えていて、電車の中で空を睨んで泣いた。覚えている。

私が棄てる以前に、関係性など壊れていたのだ。医者が言うように、「残念ながら、これまでのあなたは親御さんたちのおもちゃ」だったのだろう。

私は人形じゃない。人間だ。
私が生きている限り、私を生んだ親であろうと「殺してやる」「死ね」なんて言葉、私は許さない。
この命は、私のものだ。私は私を護る。
誰にも「死ね」なんて言わせない。
聞いたところで、私はもう動じない。
死ねだとか、お前は生きててもしょうがないだとか、穀潰しだとか、前世の業が深すぎる、頭がおかしい、きちがい、精神病院に入れ、どれも聞き飽きた。
中身のないスッカスカの家族ごっこにも飽きた。
甘い言葉で招きよせる手管にも、飽きた。

あの家は、致死の家だ。


◇殺されてたまるか
◇奇形の臍の緒


◇生きてやる生きてやる
◇調教師の纏足

今見たら、8月でなく11月だった。ずっと8月だと思っていた。私の記憶中枢は、いつも改竄を含んでいる。


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機能不全家族 |


2008/07/01 (Tue) 狐と赤いチェリー

hitokara.jpg

何度歌っても飽きない大好きな曲

躁も躁を極め、ついに「ひとカラ」なるものを人生初体験してきた。
「ひとりでカラオケ」略して「ひとカラ」と呼ぶらしい。友達から聞いた。
私は、歌うことが大好きだ。どれくらい好きかというと、最長時間8時間徹夜で歌いっぱなしを毎週続けていたくらい大好きだ。
うちの近所のカラオケは、激安だ。30分280円で、フリードリンク飲み放題。
駅前でもあるせいか、大学生が多い街だからか、いつも繁盛している様子だ。それを横目に私はいつも羨ましい気持ちでいた。この街の近隣の友人たちとは、私は悉く縁を切り、今に至る。その中には、カラオケに行くだけの友達がいた。禄でもなかったので、縁を切ってよかった。しかし、以来私はカラオケに行けなくなった。
私ほどの歌好きが、もう何年もカラオケに行ってない。

事前にシュミレーションした。友達がいなさそうに見える格好は避けた。しかし、どこかしら気後れがするから、帽子をかぶった。それから、歩き方を考えた。堂々としていればよい。物怖じしていても、物怖じしないのが私のとりえだ。

シュミレーションどおりに入店してみれば、「お一人様ですか?」と元気よく笑顔で聞かれた。怪訝な顔をされるかと思えば、全くそんなことはなかった。内心では嘲笑っているのでは・・・と、営業スマイルを疑ってみたが、そうでもない。とりあえず、1時間にした。

フリードリンクはセルフサービスだから、歌っている途中で店員が入ってくることはない。サービスエリアで、好きなドリンクを選んで、好きなだけおかわりに行けばいい。
ペプシ一杯持って、2Fの指定の部屋へ入った。懐かしい薄暗さだった。久しぶり過ぎて、一体何をどうしていいのかよく分からなかった。しかし、歌いたい曲は腐るほどある。この何年もの抑圧された歌への情熱だけは、誰にも負けない。
5分ほど戸惑って、ようやく、ひとカラ開始。10分後、室内の受話器でフロントに電話した。

「1時間延長してください」

楽しい。慣れれば、楽しくて、たまらない。そして忙しい。
歌いながら、次々と曲を入れていかねばならない。そして、終わっても私、終わっても私、とにかく私が一人で歌い続けるのだ。
おとなしく座って歌っていたが、楽しすぎて、そのうち座っていられなくなった。
迷わず立った。
立つと、テーブルが邪魔になった。脇へ寄せた。
歌いながら踊らずにはいられなくなった。
気分は、既にステージ上のシンガー。私は、妄想に生きているので、そんなちょっと痛々しい感じも全然平気なのだった。人間なんて、明日生きてるか分からない生き物だ。楽しめるときに楽しんでおきたい。
テーブルが更に邪魔になったので、更に脇へ寄せ、完全に一人の世界に入り込んだ。
乗りに乗っているところで、無粋なフロントからの電話。
「10分前ですが、いかがいたしますかぁ?」と訊かれたので「30分延長で」と即決した。

結果、2時間半一人で歌いっぱなし、踊りっぱなし、悦に入りっぱなしで良い汗をかいた。
店を出たら、すっかり日が傾いて、夕方になっていた。
ブリジストンの愛車(参考記事◇なまずのオッサン と わたし)で家路に着きながら、私はやっと自分の人生を生きているんだな、と思った。

自分が何を好きかようやく少し分かって、分かった分自分を遊ばせてやることが出来るようになった。
私の肉体年齢は大人だが、私は子供時代をすっ飛ばして大人になったのだと思う。
小さい頃から、大人の目ばかり気にして、お人形のようにお行儀良くしていた。一方で、生き生きと笑って遊ぶ同年代の子供を羨んだり、行儀が悪いな子供っぽいなと小ばかにしたりしていた。
今の私は、違う。おいしそうなぶどうを前に、悔し紛れに「あれは酸っぱいぶどうなんだ」と負け惜しみしか言えない狐は、もういないのだ。

ようやく私は、回復していくのかもしれない。
それともこれは、とんでもない鬱状態の前触れで、ただの躁状態なんだろうか。

今日の昼間に気がつくと、近所の交差点に突っ立っていた。
今日の大阪は、天気が良くて太陽の光で何もかもの色彩が消し飛んでしまうのではと思うくらい、強い陽射しだった。
フラッシュのような光を浴びて突っ立っている私は、なぜ、いつ、ここに来たのか分からなかった。
ぼんやりした。それから、少し怖くなった。
思わず独り言を繰り返した。
なんで?何しに来たの?どうしてここに来たっけ?なんで?なんで?

何故解離したのか。多分、何かしら無理しているからだ。何だろう。
思い当たることが多すぎて、特定できない。
誰か私を止めて欲しいとも思っている。
こんなに私は、動けないはずだ。
けれど、今ここで止まるわけにいかない。今日はもう、7月に入ってしまった。専念しなければならない。専念したい。自分の内側を覗き込む作業に。
この7月は、私にとって、とても大切な月になる。
だから止まるわけにはいかない。
今の私の心は健康なのか、それともバランスを崩しているのか分からない。






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美鳥(みとり)

Author:美鳥(みとり)
被虐待サバイバー。解離性同一性障害、うつ病、対人恐怖症ほか色々闘病中。境界性パーソナリティ障害寛解しました。毎日の光と影を綴ります。生育歴・来歴・病歴・活動はこちらをご覧下さい⇒<はじめに Profile>

講演活動・ユーストリーム放送しています。
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