--/--/-- (--) スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

スポンサー広告 |


2008/01/31 (Thu) 怒りの適量算出法

私は、これまでの人生、いじめられて生きてきた。
家庭では、「死ね」「キチガイ」「精神病院に入れ」など言われ、
「お前に友達が出来るわけがない」
「友達は友達のふりをしてくれてるだけ」
「狂人の血が流れている」「業が深い」など、言い聞かされて育った。
学校でも、いじめにあった。
このことは、触れた機会がなかったが、今回思い出した。
小学校二年以外は、常に教師からのいじめ、または友人間のいじめ、
トラブルに巻き込まれてきた。
小学校時代は、一年間教師筆頭にクラス全員からいじめられた。
授業中、教師からボールを蹴りつけられるなど日常茶飯事で、
勉強は出来た方だったが、成績表はがた落ちに落とされた。
一番好きだった国語に、一番最悪な点をつけられた。
標的にされた友達は、国語に1をつけられ、不登校になった。
無理やり、女子とキスさせられ、不登校になった男の子、
少し塾で習ったことを口にしたばかりにいじめられ不登校になった男子、
私は、解離のおかげか信仰のおかげか、通い続けた気がする。
教師は、その後、別の学校でも同様のことを続け、
教育委員会から、懲戒処分を食らった。
友達からのいじめもその後受けたが、どれも陰湿で、抵抗しようがなかった。

教師に、いじめの標的にされたのは二度だ。
私は、いじめられながら、彼らの姿を見ていた。
首謀者、傍観者、陰口、新しいいじめ方の計画、相談、実行、
私の反応を見て、にやけるクラスメートたち。
彼らは私を全員で眺めて楽しんでいたが、
私は彼ら一人ひとりを見つめ返し、眺めていた。
人生経験になったと思う。

中学校でも、いじめにあった。
学校で寛いだことはない。
高校時代は、私は冷めすぎていて、全然違う性格だった。
よって、いじめは傍らで行われたが、私は関せずのスタンスだった。


私に一貫していたのは、「ごめんなさい」だった。
私が悪い、全部悪い、ごめんなさい、ごめんなさい。
私の言い方が悪くてごめんなさい。
あなたの気分を害してごめんなさい。
存在していて、ごめんなさい。
あなたの望む優しさを持ってなくてごめんなさい。
許してください。ごめんなさい。


それだけで、生きてきた。
大学時代に、この24時間謝罪態勢はピークに達した。
冗談に思われるかもしれないが、遠くの国の戦争をテレビで見ても、
ああ、ごめんなさい、と謝っていた。
全世界に、自分が存在していることを、謝罪し続けていた。


アダルトチルドレン、鬱気質、心を病むほどに自分を追い詰める人は、
大概、自分を責めすぎる思考回路を持っている。
いやみな人間、無神経な人間に対し、自分を守れない人も、
この傾向にある。
怒りを、うまく燃やすことができない。
それは、とても苦しいことだ。
ずっとそうして生きてきたから、分かる。
とてもとても、息をしていることすら苦しいくらい、とても苦しいことだ。
優しい人は、自分の至らなさを見つけるのは、大の得意だが、
相手の欠点が見えても、それも全部自分の責任として背負ってしまう。
自動的に、相手への怒りも、自分の責任へと転化する。
ごめんなさい、そんな気持ちで生きている。
私も含め、そんな性質の人間が、
自分が持っている権利や怒りを見つけ出すのは、至難の業だ。
権利や怒りを見つけ出す作業なんて、したことないからだ。


私は、そんな状態から脱出し、挙句、裁判の原告をやったり、
実家が悪徳リフォームに騙されたり、葬儀会社に騙されたり、
マンションの過失で水害被害に二度もあったり、警察呼ぶはめになったり、
それら全部を一人で解決するため奔走するだけに数年かかった。一
裁判の原告になるはめになった職場では、非人道的いじめを受けた。
うわー大人になっても、何にも変わらないんだな、と思った。

神様から随分スパルタな鍛え方をされた。
結果、ありがたいことに、私の芯は、怒りでぶれることはなくなった。



大人になり、カウンセリングを受け始めて数年後、私は、反撃を開始した。
いじわるな人間に対し、幾ら腹が立っても、善良な人間として、
彼らに怒っては大人気ない、と考えていたが、
どうやら、そんな世の中ではないようだった。
いじわるな人間の持っている悪意を上回る知恵と悪意こそが、
世の中への対抗策であり、自分を愛することであり、
愛する誰かを守ることなのだと悟った。


私は、怒りを正当に表明することにした。
救いようもない意地悪な人間は、大いにいじめることにした。
子供時代、私が私自身のために戦えなかった分、
戦うこと、行動することが誰かを守ることなのだ、
それを信条として生きていきたいと思った。

そのかわり、怒りを表明する前に、
その内訳を事前にじっくり分析する癖がついた。
今まで非難されてきた分、自己分析は得意だ。
自分の至らない部分は、意識せずとも山ほど知っている。


なんでこんなこと書いているかって。
今朝、ブログ友達と話していて、あることを聞いたのだった。
「美鳥さん、あのブログで名指しで非難されてたよね」と。
私は、そのブロガーさんには、意見の相違はあったものの、
私の考えは、お伝えすることだけお伝えしたので、
以来、その方のブログへは行ったことがなかった。

ブログ内で名指しとは。
そんなことする人いるんだろうか。
何が書いてあるのやら、と訪れてみた。


大爆笑だよ。


朝一で、笑わせていただいた。
あろうことかブログ記事内で、名指しで私を完全否定。

「ブログは、一種のメディア。
メディアである限り、どういう目的で、読者は誰で、
何を伝えるかは考えておかなければいけない。
メディアであるなら当然の倫理。
美鳥さんの記事は、倫理に反する。
生々しすぎる。
はなはだしい価値観の相違がある。
それだけ言っておく」


まとめれば、以上のような感じだ。
もっともらしいですよ。これは。

うん。実に、もっともらしい。

そして、実にスカスカでペラペラで、
偉そうな言葉を並べ立て、自分は大層な言葉の陰に隠れて、
幼稚に私を、ばーかばーかと、罵っているだけだ。
脱力した。

余談だが、この方は、私を非難した後も親密なコメントを
このブログに寄せたりして、だから私は何も知らなかった。
が、その間にブロガーさんは、
ご丁寧にもご自身のブログの私の痕跡をしこしこ一つ残らず消していたようだ。
何も知らない私が訪れたときには、私のコメントは全て消されていた。
自分のブログなんだから、何をしてもよいだろう。
しかし、ならば、あの親密なコメントは謎。

私を非難した記事に、いかに中身がないかは、
記事を変えて、ブロガーさんの主張を全て解体し、
いかに中身のないスカスカか、ご披露してさしあげようと思う。
そして、このブロガーさんが、
いかに読者の目を舐めているかも明らかになるだろう。


反撃ではなく、反論だ。
ブロガーさんのような、単なる非難は全く非建設的だが、
批評は、建設的なものだと信じる。
まして、私をわざわざご指名なのだから。
無作為な悪意でもって人をいじめる人を、
いじめる労を、私は何とも思わない。


ブログとはいえ、メディア倫理に照らし合わせれば、
私のような記事は、匿名で書くにはふさわしくなく、
実名で書くべきこと、ですか。
匿名の人間に対し、匿名の人間が非難する矛盾。
2ちゃんねるの祭りより劣る、茶番だ。


余談だが、実名で書いても私は、構わない。
究極のところ、私が顔をさらして語ることで、
虐待やいじめや暴力、
心の病と戦う尊さが正しく世間に伝わるというのなら、
顔くらいさらしたってお釣りが来ると思っている。

既に、どこに住んでいるかも書いているし、
私の主な友人知人は、このブログを知っているし読んでいるし、
私が何も誤魔化すつもりがないし、私がどんな夢を持っていて、
どんなふうに行動したいのか、私の周囲には既知のことだ。
ここに書いている以上でも以下でもない。
私は、ありのままだ。
表に出たって、友達にだって、
ここで書いてることと同じことを話している。
私の遺書になりかねないので、弟だって、読んでくれているのだ。
誤魔化せやしない。



それにしても、名指しとは。

残念ながら、私は冒頭に書いたように、
人生完全否定されて、死ねと言われて育った人間なので、
今さらブログで名指しで否定されようと、痛くもかゆくもない。
100人の否定者がいようとも、1人の友人がいれば100人力だ。

むしろ、大歓迎。
大爆笑。

もっともらしいことを言って、
更に自ブログの訪問者に私の名を晒し、否定し、
私にダメージを負わせたつもりらしいけど、私は手を打って喜んだよ。
私を腹の底から笑わせてくれ、
そして私のネタになろうと、ブロガー自ら名乗り出たのだから。
私が、ブロガーさんの鍵コメに対し、
あくまでブロガーさんの匿名性に傷をつけまいと、
苦心しながら精一杯コメントをお返ししたことは、全くの無駄だった。
しかし、私は何事も大切にしたいので、
無駄をリサイクルして、自分を豊かにしようと思う。


怒ることを日本人は、あまりよしとしない傾向にある。
でも、怒りの表明を、私は大切にしている。

怒りは、その人そのもの、愛されたい願望と同義だからだ。
私は、数年前まで、誰かに怒りを表明することを一切しなかった。
傷ついたときにも、へらへらしたり、黙ったりしていたと思う。
好きな人にも嫌いな人にも愛されたがって、媚びへつらい、
そんな嘘偽りの自分を嫌いになるのは当然だった。


私が心がけている怒りの表明ルールは、
私の理性でコントロールする、感情のパーセンテージでもある。
以下が、対人関係における基本的私のパーセンテージ。

怒りは、二割引きすることにしている。
これは、対等な人間として自己を主張する権利を私も有しているからだ。
つまり、八割はお返しする。
あとの二割は、私が飲み込む。
勘がいい相手なら、この飲み込んだ二割を察してくれる。
しかし、察しが悪い相手だからこそ腹が立つのであって、
大概は自分自身がのむ。


感謝は、十割そのまま。
自分の感情に、上乗せも手抜きもしない。
感謝は、ありのまま伝える。
嘘をつかない。大袈裟にも伝えない。
感じたまま、いただいた美しい心、そのままを出来るだけ壊さないように、
大切にお返ししたい。


誠意は、十一割。
一割、上乗せする。
これは、自分が後悔しないため。
そして、自分の間違いを指摘されたときに、
意固地になって自分を見失わないため。
いつでも、謝罪する姿勢を失わないため。
相手を、対等な人間として尊重するため。


これらを総合すれば、私は相手様に全部で七割お返しすることになる。
相手に届く、届かないは、最終的にどうでもいい。
私が、後悔しなければいい。
声をあげるだけでも、
私が守りたい人、守られるべき人を守れるなら、それでいい。
何もせずに、誰ひとり守れず、ごめんなさいしかいえなかった私は、
もう、いない。
忍耐は、する。
しかし、なんでも程度というものがある。


あくまで匿名の上で私を非難するならいいだろう。
大いに自身のブログで、メディアだランキングだ倫理だと、
もっともらしくてスカスカな言葉を並べ立てれば良いだろう。
そんな言葉が好きな方たちと、親交を深めればよい。
ご自由に。

しかし、このブログの世界で、名指しで非難するということが、
どれだけタブーなことか、
怒りにかられて我を見失ったブロガーさん自身、
自分が何をやらかしてしまったのか、
全然ちっとも全くこれっぽっちも分かってないらしい。


名指しでなければ、私もスルーした。
私のブログで、醜い言葉をわめき散らさない限り、どうでもいいもの。
その方のブログが、スカスカチープになっていくだけだ。
しかし、名指しされたので、私は私の信条にのっとり、
七割、お返しすることにした。
ただし、私を名指ししたブロガーさんにではない。
ブロガーさんの記事を読んで、私のところへ来てくださった方、
そして、色々な事情を抱えながら、それでも通って来てくださる方々、
誰かにお伝えできたら、それでいい。


そして、私が一番ブロガーさんの記事を喜んだ理由は、
ブロガーさんの姿勢そのものが、
今、学校や職場で横行している、いじめ体質そのもの、
まさに象徴的な行為だったからだ。
無作為な悪意。
これが、いじめの本質だ。
正体だ。
いじめの本質を書く機会を得て、私は喜んでいる。
気が向いたときに、ブログの匿名性、メディアの倫理、
いじめの本質、無作為な悪意に対抗する、
上質な悪意について書こうと思う。


怒りとは、決して感情に任せて、烈火のように燃やしてはならない。
私にとって、怒ることと愛すること、守ることは、同義だ。
怒りは、静かに、冷静に燃やさなければならない。
激しいだけの烈火は、誰にとっても醜い火傷を残すのだ。




心の病気、
虐待・暴力の残酷さへの理解を広げたく、ランキングに参加しています。
応援よろしくお願いします。
         
 a_04.gif にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ

スポンサーサイト

檻の中で生き延びる | comment(10) |


2008/01/30 (Wed) 幻聴

一日中、ちょっと脳がおかしい。
物凄く活性化しているのを感じる。

夢でもなく、独り言でもなく、昼間、
自分の意志とも記憶とも違う言葉が、ずっと頭を流れた。
聞いたこともない女性の文句を、
性別も分からない誰かがずっと喋り続けていた。
女性は、なんとか中子(なかこ)って言った。
苗字も、聞いたことがない響きで、漢字もちゃんと覚えていたのに、
数時間で忘れてしまった。
話題は、中子のことだけじゃなかった。
何か別のことも、ずっと話していた。
ネガティブなことばかり、誰かがずっと脳の中で一方的に、
脈絡もなく喋っているような声が聞こえ続けて、
やっと体が動かせるようになったときには、私は意味もなく落ち込んでいた。
一文ずつで、次の文への脈絡もなくて連続性もなくて、
意味も分からないのに、聞いているだけで落ち込む言葉たち。
よく分からない。
記憶があるうちに、書き留めておけばよかった。
いつも長い会話は、幻聴幻覚が起きてしばらくは覚えているが、
何だったんだろう、と考えている間に書くことを忘れている。
夢は書き留められるのに、幻聴は書き留められない。
コントロールできない。
もういい。
もう慣れた。気にしない。



テレビを見ながら、音楽を聴きながら、音楽に合わせて歌いながら、
全然違う感情の詩を書いていた。
脳が一度に動いているようで、同時に色々なことをやっていた。
気がついたら夕方だった。
外に出ないから食べたいものが家になくて、宅配を頼んだ。
そこからちょっと、記憶が飛んだ。
それから、テレビでサッカー観戦した。
観戦しながら、また詩をたくさん書いた。


巻と高原、二人ともが怪我をして交代して、せつなかった。
巻の頑張りと痛がりように、私まで痛くなって思わずわき腹を押さえて、
気づいたら、私が痛い痛い、とか言っていた。
どんだけ感情移入してんねん。


後半3点も入って、う?ん・・・と複雑な気持ちになった。
後半、相手がバテてたよね?
前半、マークも甘かったから凄くいいプレイしてたのに、
どうしても点に繋がらず、ゴールがものすごい狭く見えた。
カウンターくらう度に、あああ!と叫んで、
一人で手に汗握って身もだえしていた。
巻・高原ファンとしては、どっちかに一点は入れさせてあげたかった。
でも、中澤が飛び込んだときには、スカッ!としたなぁ。
ボールごとゴールに飛び込んで、あの瞬間は、
ゴール広い!めっさ広い!いけるで?!と思った。
勝てて良かった。
オシム監督も、思ったより全然元気そうで、ほっとした。
今月からまたサッカー続きで、はらはらどきどきした毎日が待っていそうだ。
楽しみ。

しかし、応援に熱が入りすぎたせいか、
試合が終わったと同時にパニック発作の予兆が襲ってきた。
最近、ちょっと調子が良かったから、
調子乗って久しぶりにコーヒーを飲んだのが良くなかったのか。
カフェインは、パニック障害には、やはり禁物らしい。
頓服飲んで、今は頭痛と手の震えで、ややダウン。
嫌になる。

でも、引きこもりダイエットっていうんだろうか。
引きこもってるあまり、食料がなくて、お菓子の類なんて、もっとないから、
間食することなく、無駄に食べることもなく、
気がつくと努力なしに、やや痩せていた。
ちょっと得した気分だ。
「引きこもりダイエット」とでも思わなくては、
何だか今日はもうやってられない。
ポジティブという言葉は「それで何が解決するねん」
とひねくれ気味な私は、抵抗があって好きじゃないけど、
今日こそはポジティブに行こう。
ポジティブ大事。
半分、やけくそ。


今日は、ブログ友にお呼ばれ(?)して、下ネタ話で盛り上がって楽しかった。
盛り上がりを見るにつけ、そして何より記事を読んで、
ああ、私も恋がしたいのかも? したくないのかも? したいのかも?
うろうろした。
好きな人とお風呂に入る。
何度でも、それは飽きない幸せなことだよなぁ、と思った。
セックスするより、何だかそれは幸せなことじゃないだろうか。
恥らってる彼女が面白くて、可愛くて、それも一つの小さな幸せで、
私まで何だか幸せになった。


明日こそは、区役所に行かねばならない。
自立支援の継続手続きに行かなければならない。
行くよ。行くんだ。
病院の先生が書いた診断書が手に入ったので、
なかなか見る機会もないから、夜にゆっくり中を見てみた。
病名は、一体どうなっているのか、と。
そしたら、まさにミミズがのたくったような文字で、半分くらい判読不可能。
○がついてるところは、分かる。
強度の不安・恐怖感に○がついているが、自覚なし。
不安?恐怖? 全然分からない。

あとは、自我同一性障害・離人症・強迫性人格障害
他人の会話が聴こえてどうたらこうたら、にょろにょろにょろ?と書いてある。
病院の先生っていうのは、ドイツ語か何か書きなれてて、
こんな字になるんだろうか。ろくに読めやしない。
発病時期を書く欄もあるけれど、全く事実と違う。
今まで手続きしてきた32条の書類とか診断書は、一体どうなっているのか。

幻覚とかに○がついてて、今日の昼間のことを思い出した。
でも、今日は、いつもと違って映像が伴ってなかった。
いや、でも私はなんとか中子という人の名前を、なぜ漢字で記憶しているのか。
文字が見えたのか、彼女自身を見たのか、何か紙で読んだのか、
「中子」は、年齢、35過ぎ。
ストレートの真っ黒な髪を肩まで伸ばした中年女性。
でも、映像の記憶はない。
中子という人間の姓名だけ。

統合失調症には、○がついていない。
もどかしい。
わけの分からない症状と、医者やカウンセラーの診断や見解や、
様子を見られていることとか、誤解されていたり、うまく伝わってなかったり。
情報交換していくしかないけれど、
今日のことをちゃんと明日まで覚えているだろうか。


明日は、カウンセリングだ。
一週間は、あっという間。
今日の私は、おかしい。
おかしかったということを、明日まで覚えていたい。
Rからのメールが気になる。
私と連絡が取れなくて、寂しそうなメールが気になる。
そういうことが理由なのか、理由はいつでも分からない。




心の病気、
虐待・暴力の残酷さへの理解を広げたく、ランキングに参加しています。
応援よろしくお願いします。
         
 a_04.gif にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ

解離性同一性障害 | comment(12) |


2008/01/30 (Wed) All Things Away

20080130sphy.jpg

<カウンセリング 2008.1.24>


いつも、約1時間カウンセリングは行われる。
あっという間に時間が過ぎることもあれば、
いつまでも時間が終わらないときもある。
時間の感覚は、私のそのときの心の状態を反映して、
伸びたり縮んだりする。

内容が盛りだくさんなくらい、あらゆる事が分かった先週は、
1時間が、2時間くらいに思えた。
前日までの体調不良、心が不安定だったこともあって、
すぐには頭の中が整理できなかった。
スケッチブックに書いてみたり、メモを取ったり、
あらゆることをして、把握する今日まで一週間かかった。

生きにくさの変化について、話した。
私の記憶、そしてK先生が把握している過去の私、
それらを照らし合わせて、生きにくさが変化していることを実感できた。

K先生は、今の私は、本当は物凄く不安で寂しくて心細くて、
一人でいることを怖がっているという。
枯れきって死んでいた私の心に、感情が伴い始めて、
そのことに戸惑い、感情移入が激しい自分に困っているのだという。

私は、相変わらず自分のことはよく分からない。
そうですか、そうでしたか、としか相槌を打てない。
ただ、確かに今の私は、過去なんてどうでもいいと思っていて、
なぜか今の自分自身が感じるもの全てに対応するのに精一杯だ。
誰が死のうと、自分が死のうと、全く関しなかった昔とは違う。
今、生きていることに精一杯。
泣いたり笑ったり、解離したり、眠ったり、そんなことに必死だ。


「どれだけ意識を保っていようと頑張っても、解離は防げない、
無理なんだと思います。諦めました」
先生に、話した。
今月の自分のあまりの酷さに、自分自身に愛想を尽かした結果、
自暴自棄に敗北を認めることにした。
自分が分からないのに、自分を律しようなんて、所詮無理だ。
どれだけ意識を保とうと努力しても、私は私から離れてしまう。
もう無理だ。
誰か、どうにかしてくれ。

私にとっては、悲痛な覚悟だったのだが、意外にも、先生は笑った。
暗い私に反して、笑顔で頷いた。
「当然です。無理なのよ。努力したって無理」と笑った。
なんだ、そうなんだ、そうだったんだ、私は納得できた。
私も、思わず苦笑した。
多分、私自身がそう実感するまでは、
先生に幾ら言われても納得できなかっただろう。
「頑張ろう」「意識を保とう」「解離を防ごう」
そんな諦めの悪い頑張りこそが、
私を余計に解離へと追いやっていたのかもしれない。
辛いから、苦しいから、意識と記憶を飛ばすのだから。

先生は、今こそあなたは、
解離を必要としているのかもしれないですね、と言った。
固く閉じていた私が、柔らかく感情を開こうとしている今だからこそ、
色んなものから守るために、無意識に解離を必要としているのだろう、と。
私には、仕組みは分からない。

ただ、この忌むべきシステムを壊して、
新しい自分を自分の手で作るためには、今の私を作った過去を掘り起こし、
全て私の目の前に並べて、把握しなければならないと思っていた。
けれど、焦ってはいけないのだという。
一人では、危険だと先生は言った。
確かに、一人の部屋でフラッシュバックを起こしたり解離したり、
私は、そのことを恐れている。
こうしてカウンセリングで出来ることがあります、と先生が言った。
納得できた。


私は、もっとちゃんと自分のことを記憶して、自分のことを考えたいのに、
記憶はどんどん流れていって、思い出したり、忘れたり、
そしてここ一ヶ月程は、ほとんど過去の具体的な記憶がない。
なぜ今、記憶がないのか私には分からないが、先生には分かるようだ。
今は、あなたが耐え切れないからなのよ、という。
私は、どんなことも耐えられるような気が、いつもしている。
死んだりしなない限りは、大丈夫なのだと思っている。
でも、その感覚自体が、事実とは違うのだと先生は言った。
強烈な離人感、自分のことが最も分からない感覚、
その感覚こそを意識するようにしたほうがいいといわれた。


私は、昔の職場をとても気に入っていたのだが、
その記憶も、最近になって改竄されていることが分かった。
昔の私は、セクハラや嫌がらせで、相当悩んでいたという。
そうなのか。
驚く。
全く思い出せない。
そんなこともあったような、でも大したことではなかったような、
第一、今の私は、こんなにあの職場が懐かしく感じているのに。


最近の私が一番先生に訊きたいことは、
一体何を目指して、何を心がけて一週間過ごせばいいのか、ということ。
先生は、「自分自身をケアすることを意識して生活したら」と言った。
ケア。ケア。ケア。
意味が、分からなかった。
先生は、言い方を変えた。
「あなたが友達の気持ちをケアしたり、文鳥のむくちゃんをケアしたり、
同じことを自分に対してすればいいのよ」
またも、理解不能。
「あなたは、それができないし、思いつきもしないでしょう」
言われて、その言葉には頷いた。
更に、先生は言い方を変えた。
「あなたは今、遊んではいけない、休んではいけない、
楽しんではいけない、と思っていない?」
訊かれても、何となく思い浮かぶのは、
以前心がけていた、散歩するだとか美術館に行くだとか、
一人でも手作りのお弁当を持って花見に行くだとか、
イラストを描くだとか、どれも何もしてない、ということ。

「そうかもしれませんけど・・・」
煮え切らない私に、先生は訊いた。
「あなたは、人からケアしてもらおうと思っている?」

「思ってません」

即答していた。
人からケアしてもらおう、なんて思っていない。
恐ろしくて、怖いのだ。
誰かに甘えたり、誰かを心から信頼したり、もたれたり、
誰かの腕の中で安らいだり、想像しただけで恐怖に襲われる。
そんなものを望むのは、もうやめたんだ、ときっぱりした決意がある。
危ない。誰かとともに安らぐのは危ない。
捨てられたくない。裏切られたくない。愛されたくない。愛したくない。
危険信号が常に明滅して、そんな危機感だけが、今の私には明確だ。


ああ、だから私は私でいられないんだ、と思った。
自分を労わる、自分を休める、自分を手当てする。
それが分からないから、突っ走って転んで、一人で起き上がって転んで、
泥まみれになって、涙を流して叫んで、近寄ってくる人たちを蹴散らして、
また走って、足をひきずって、泣いて。
なんて滑稽で孤独で哀れな姿だろう。


自覚して、いよいよ私は自分を諦めた。
私は、自分があてにならない。
「そう。あてにならない」
先生が、言った。
「あてにならない自分を、あてにならないときちんと感じるのが大事です」
「痛い、苦しい、悲しい、さびしい、不安。
全部をちゃんと感じようとするのが大事です」
難しいな、と思った。
怖いな、と思った。
でも、私は、一旦、私自身を諦めようと思った。
あてにならない。
そのことを、ちゃんと認めよう。


私では、全く自分を動かせないから、先生に具体的に訊いた。
以下が、先生からのアドバイス。

1 外出するにしても、家の中にいるにしても怪我に注意する。
2 怪我に注意して、短時間、近場に出かける。
3 友達と出かける。ただし、「ケアしなければ」と感じない友達と出かける。
4 あてにならない解離している自分を自覚すること
5 肌をいたわる(指の自傷を含め)
6 悲しい、苦しい、辛い、痛い、楽しい、嬉しい、感情を確認する


最後に、先生は言った。
「久しぶりに外に出たら、風が吹いてて、驚いて、感動しました」
そう言った、さっきのあなたの表情、見たこともないくらい
柔らかくて、いい表情をしていましたよ。


嬉しくて、涙が溢れそうで、私は何も言えなかった。
次の日、散歩に出かけた。
風の中で自分を紐解いて、全部風に飛ばして、
今の私は誰でもないんだ。
風に全部任せよう、と思った。

◇<風が吹くこと>



最近の私。
1月17日◇<解離。解離。解離。>
1月23日◇<水中惰眠>
1月25日◇<柔らかな葉っぱ>



心の病気、
虐待・暴力の残酷さへの理解を広げたく、ランキングに参加しています。
応援よろしくお願いします。
         
 a_04.gif にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ

治療日記 | comment(6) |


2008/01/28 (Mon) 柔らかな葉っぱ

久しぶりに音楽が聴けた。アルバム1枚分。
最近の私にとっては、すごいこと。


一青窈のベストアルバムを、初めて聴いた。
今日、なんとなく聴きたくなった。
「うれしいこと。」が、一番好きだった。
かわいくて、甘くて、愛したり愛されたりする嬉しさでいっぱいの歌。


:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

あのね、聞いて

あたしね うんと可愛くなりたいのよ

爪も切って桜貝だし

きちんとほめてくれた

たくさん愛されてるとね

何もかもが当たり前

ありゃあたしも気づいてみたら

すごく愛されてたよ
        
                    一青窈 「うれしいこと。」


:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::



聴きながら、ベッドに寝そべって、スケッチブックに、
先週のカウンセリングで分かったことを書いて、
図にして、頭の中を整理した。

最近、色んな感情で自分がいっぱいになることが多い。
体調を崩したり、心も不安定だ。
「生きにくいなぁ」と思う。
その感覚を、ちゃんと掴もうと思った。


数年前の私も、「生きにくい」と思っていたようだ。
カウンセラーが言うには、カウンセリングを始めた当初は、
私は全く表情がなくて、誰に共感することも出来ず、
親の言うことが全て正しいと思っていて、自分に価値はなくて、
世界の人間の9割は敵だと思っていたらしい。
記憶はないが、カウンセラーがそう言った。


息苦しさで常に胸が詰っていたのを、覚えている。
自分では扱いきれない感情で、自分自身に蓋をされている感覚だった。
周囲からよく「死体みたい」「話しかけても反応がない」
「笑わない」「人形みたい」「枯れきっている」と言われていた。
私自身、あと半年くらいで自然に自殺か何かで死ぬだろうな、
と、ぼんやり思っていたから、
何にも苦しいことや痛いこと、悲しいことは、なかった。
パニック障害や解離で怪我をしたり病気を放置したり、
そんなことは、あったけれど、私の心は死んでいた。
多分、私には感情がなかった。
ただ、早く終わらないかな、と思っていた気がする。


今と数年前の「生きにくさ」は、多分真逆の意味だ。
今は、感情が私の身体の外側に溢れ出している。
蓋をされている感覚が、ない。
むしろ、感情が伴い始めると、
こんなに生きにくいのだ、と実感して、困っている。
世界は、こんなに美しくて温かいものなのだと驚く。
世界に初めて触れている。
風を、生まれてはじめて感じている。
急に色づいてきた世界に、私は、少しくたびれている。
体調や心の調子が不安定なのは、
天に届ほどてっぺんまで上っていた階段を、
ちゃんと生きるために地面目指して
一段ずつ下りているせいなのかもしれない。
ちゃんと自分の足で歩いていることを、私が感じている証なのかもしれない。


カウンセラーのK先生に、自分をケアすることを意識するようにいわれた。
意味が、よく分からなかった。
むくちゃんだとか、友達だとかにケアしてるように、
自分をケアすればいいのよと言われたが、
私は自分のために何かすることが苦手で、何も浮かばなかった。

たとえば、肌をいたわることだとK先生は、言った。
私の指先を見たからなのだと思う。
自傷で血がにじんでいた。


そんなことを思い出して、
部屋を掃除してから、顔を丁寧にオイルマッサージして、
クリームみたいに泡立てた石鹸で洗顔して、
久しぶりにパックした。
美容液をぐんぐん吸って、私の肌が生まれ変わったみたいだった。
乾いていた植物が、どんどん水を吸いあげるみたいに、
みずみずしくなっていく私の肌。
生まれたばかりの双葉みたいだと思った。

生きている。
生きているから、渇くのだ。
うろ覚えの「うれしいこと。」を口ずさんで、
新しい恋を見つけたときみたいな、
ひたひたと満ちてくる柔らかな心地に浸っている。




心の病気、
虐待・暴力の残酷さへの理解を広げたく、ランキングに参加しています。
応援よろしくお願いします。
         
 a_04.gif にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ


日々日記 | comment(18) |


2008/01/28 (Mon) 処女の足だって縺れる

私は、宮崎駿作品が苦手だ。
殆どの日本人が宮崎駿を好きなようだ。
CMだとか宮崎駿の仕事ぶりだとか、
やたらマスコミがもてはやす風潮にある。
こんなことを言えば、殆どの日本人に嫌われるだろうが、
私は、宮崎アニメは、生理的に受け付けない。

あああああ・・・言ってしまったよ・・・!


なんだかんだで結局殆どの作品を見ていて、
セリフを一部覚える位には、何度も見ている。
しかし、正直、落ち着いて見ていられない。
そわそわする、苛々する。
和みはするが、落ち着かない。
感動はするが、どこか腑に落ちなくて居心地が悪くなる。
肝心のヒロインに、なぜか全く感情移入できないのだ。
「魔女の宅急便」と「耳をすませば」は、例外。
大好きだ。何度も見た。


MTに、宮崎駿作品は、私は見るのしんどい、正直嫌い、と話したら、
そりゃそうだろ、とあっさり返ってきた。
え、なんで?と訊いたら、

「宮崎アニメに出てくるのは、全員少女やん。
 姉貴、少女が嫌いやん」

と言われた。


ああ!そうか!そうだよ!
凄く納得した。
さすが。
私の嗜好を知り尽くした、彼ならではの鋭い一言。


宮崎アニメを見ていて、いつも私が無意識に呟きたくなる言葉は、
「どいつもこいつもセックスしてから、もっぺん出直してきやがれ」
という、下品も下品、
酒瓶抱えてやさぐれた、おっさんみたいなセリフである。
実際は、もっとアレな言葉で毒づいていたりしなくもないが、
私の人品も疑われかねないし、禁止用語なので控えておく。

子供の情操教育には、とても優れた映画だと思う。
宮崎アニメを否定する者は、
純真な子供心を解さない日本人、という空気をひしひしと感じるが、
その空気ともども、私には息苦しい。私の心が薄汚れているのか。
しかし、私は大人であって子供ではない。
あくまで大人の私の目線で書いてみようと思う。


「少女が嫌い」

確かに。
私は、大人の心を宿した少女は好きだが、
少女ということに甘んじている少女が好きではない。
肉体的に処女だろうと、どうでもいいが、精神的処女が苦手だ。
大人にも、この「精神的処女」がいて、
そういう女性が私はとても苦手なのだが、
詳細を書いていると、この先の本題からずれるので、今は控える。

いい女になりそうな空気を、肌身離さず持っている少女が、好きだ。
年齢関係なく尊敬する。
あまり見かけないが、たまに、そんな奇跡的な少女はいる。


宮崎作品に登場する少女は、全て「精神的処女」に見える。
この「精神的処女」は、宮崎駿世界を構築している象徴的柱だ。
宮崎駿映画に「いい人」は登場するが、「いい女」は出て来ない。
登場人物の男も女も、ことごとくセックスしなさそう、と感じる。
作中、たまに大人の女が出てくる。
でも、皆大人の顔をしているだけで、色気がない。
ズボンをはいている、スカートをはいている、
しかし性器を持たない、そんな人形劇を見ているようで、
私には、窮屈で仕方ない。
リカちゃん人形を着替えさせているときに、
何となくスカートをめくって性別を確認したくなる違和感に似ているのか。
これじゃ、ただの変態と思われかねないので、別の言葉を選んでみる。


「いい人」になることは、案外容易い。
しかし、「いい女」の空気を少女でいながらにして纏うには、
少女本人の意志と大変な努力がいる。
無邪気なままでは、決してなれない。
「精神的処女」は、無邪気で一途で、よそ見をしない。
そんな「少女」が主人公の物語。
私が、宮崎アニメに感情移入できない理由は、
そこらへんにあるのだと思う。


いい女が出て来ない作品というだけで、
嗜好が偏った私は、興味が半減する。
宮崎アニメは、私にとって肝心な「色気」に欠ける。
宮崎駿自体、色気なんて出す気はないだろうから当然だが。
例外の二作は、どこか色気を感じるから好きなのだろう。
主人公が「少女」でなければならない説得力がある。
私にとっての「いい女」とは、
大人であることを存分に味わえる度胸を持った女だ。
大人となることを、自覚して行動する少女だ。


宮崎駿は男性だからなのか、少女に夢を持てて羨ましいと思う。
宮崎アニメの少女は、まるで草花のように、すくすくと、
真っ直ぐ太陽目指して、美しい雨粒だけを吸って息をしているかのようだ。

私にとって、少女とは、もっと、生まれもって女だ。
まなざしは真っ直ぐでも、体は基本的に軟体で、しっとりと潤っている。
精神は、外気に敏感で、刺激によって、くぼんだり膨らみを帯びたり、
うねりを伴ったりする。
少女の精神には、生まれながらに女という機能が具わっている。
一例として、女というものは幼女であっても、友達との関係性や、
他者との力関係を、誰から教わるでもなく、肌で知っていたりする。
少年とは、まるで違う。
私から見ると、少年の方が草花に近い。

そういう少女という存在が先天的に持っている生々しい女らしさに、
宮崎駿は常に虚勢手術を施す。
メルヘンチックな手法で、女性器を縫い閉じてしまって作品を仕上げる。
それが、宮崎作品の魅力なのだと思う。
宮崎アニメの中には、幻想の子供、理想の少女が生きている。


ここまで宮崎駿を連呼しておいて何だが、
実は、この記事は、宮崎駿のことを書きたいのではない。
例の「世界で一番聞く価値のある言葉は?」の、あの映画についてである。
映画評など、文才のない私には到底無理だ。
例の映画で与えられた衝撃は、昨日の今日では、ちょっと言葉にできない。
けれど、そのうち感想位は書いてみたいな、と思っている。

私に、文才がないばかりに、まずは宮崎駿などを持ち出している。
宮崎駿について語りたいのではなく、
あくまで私が、「精神的処女性」がくだらない、
と思っているのだと理解していただけると有難い。
有難いというか、平身低頭、お願い致します。


次は、私の体験を持ち出して、文才の欠落を更にカバーしてみよう。

海外を旅行したときのことだ。
いわゆるバックパッカーで、あるヨーロッパの町に泊まった。
気が優しいゲイ男性が一人で管理している可愛いコンドミニアムだ。
5階建てのアパートの2階部分だけが、観光客の宿泊用になっていた。
出入り口で、アパートの住人の少年に出くわした。
彼は、6,7歳に見えた。
当時、私は二十歳くらいだったと思う。
少年は、女性である私を見るなり、さっと身を引いて道を開け、
ドアを押さえて手を差し出し、「どうぞ」と彼の国の言葉で言った。
彼は、少年だったが、既に立派な大人の端くれだった。
私は、思わず日本の6,7歳の子供と比べてしまった。
率直に言えば、日本の子供は彼に比べて遥かに幼稚だと思ったのだ。

育てる親の意識も、多分全然違っているのだろうし、
日本の子供のあり方と、海外の子供のあり方、
自立心の養われ方などが、まるで違うのだと思った。
日本では、子供が子供らしくあることが良しとされる傾向にある。
大人と子供の区別がつかない子供が多い。
実際、子供だか大人だか分からない大人もいるけれど。

その国では、子供と同様に、老人の姿も、日本とはまるで違った。
明るい色の衣服を身に付け、ユーモアセンスがあり、
いつでも恋する準備が出来ているような老人が、多く目に付いた。
大人になって、失ったものを数えるのではなく、
「大人」でいることの愉しみや幸福を、
現在進行形で味わい続けている人たちと、多く出会った。



長々と、前置きを書いた。
「精神的処女性」に価値、関心を見出せない私は、
大人であることの豊かさと味わい深さの真髄を、
先日出会った映画から、再び、痛烈に感じたのだ。


前回の記事で書いた、映画に登場するセリフ。
「世界で一番聞く価値のある言葉」の正解は、


「Pussy」



映画「セント・オブ・ウーマン」の中で、
アル・パチーノ演じる、失明した老人が言ったセリフである。
耳を疑うが、本当にこれが、
ストーリー展開においても重要なセリフの一つだ。


上記に限らず、
この映画のセリフは、全て名言、と言っても過言ではない。
これ以上に素晴らしいセリフ、胸を打たれたシーンは数え切れない。
多分、MTは、その中から、間違いなく私が飛びつくシーンを
見事ピックアップして、私に話した。
今となっては、この映画と出会わせてくれたMTに感謝している。


冒頭から最後の最後まで、
人間の喜怒哀楽全てが詰まった映画だった。
こんな作品が作れるものなのか、と、ただただ驚嘆。
既に見た方も、たくさんいらっしゃると思う。
何年も前の映画みたいだから。
素晴らしい映画だった。

以下は、見たことがある方にしか分からないかもしれない。
ちょっとだけ、ネタばれ注意。



自殺シーンが、リアルだ。
作り物である映画に対して言うセリフじゃないかもしれないが、
あれは、作り物じゃない真実のシーンだ。
自殺を止める、命を救うには、等価の命を要する厳しさ、現実がある。
そして、今日生きられれば、今はそれでいいのだ。
銃を置くことを、
「放棄するのではない。ただ、ここに置くだけだ」
という言葉が、それを象徴している。
下手な映画だと「二度と死ぬなんて言わない」
などと、安いセリフを吐くシーンだろう。
明日のことなど見える位なら、人生、苦しみもなければ味もない。


子供であるということは、損だ。
人生を味わうための舌が、未発達なのだ。
大人になることは、大切な何かを失う、なんて言葉は嘘っぱちだ。
子供でい続けるということは、
人生の味わいを取りこぼしていくことなのだ。
大人になること、一人の人間としての人生、
その苦味も甘みも味わい酔えることは、何て豊かで贅沢なことだろう。
ジャックダニエルを、「付き合いが長いから」と<ジョンダニエル>と呼ぶ老人。
時間をかけてじっくり熟成させた人生の芳醇な味を、
味わえる舌を持つ人に、私は熱烈に憧れる。
囲炉裏端で背を丸めて、もっともな人生訓、昔話を語る老人もいいだろう。
けれど、私自身は、年を取ることを楽しみ、
楽しみ続けて、悩み続けて、若者と対等に生き続けていたい。
アル・パチーノ演じる老人が、咆哮のように若者に投げつけた言葉。
「Grow up!!」
腹の底まで響いた。



ジョンダニエルを味わい、ダンスも女性のエスコートも完璧、
しかし盲目の老人の足もまた、
ときにもつれ、倒れこみ、往来でひっくり返る。
「足が、もつれても踊り続ければいい」
タンゴの調べが、あんなに美しいとは思わなかった。
人生、誰もが足はもつれるもの、
それすら味わい楽しむことが、生きるということなのか。
それとも、もつれる足が、既に人生の味わいそのものなのか。


人生の泥沼に足を取られ続け、視覚を失った老人にとっての
「世界で一番聞く価値のある言葉」は、「Pussy」。

「セント・オブ・ウーマン」は、
人間くさい生き方とユーモアが大好きな、私の心を鷲掴みにした。



心の病気、
虐待・暴力の残酷さへの理解を広げたく、ランキングに参加しています。
応援よろしくお願いします。
         
 a_04.gif にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ

檻の中で生き延びる | comment(6) |


2008/01/27 (Sun) 濃く淡く

昨日、起きてまず考えたのは、今日はサッカーがある、ということ。
調子を見て、夜はスポーツバーに出かけることにした。

朝から掃除して、本を読んで、吉本新喜劇を見た。
新ギャグ「あかんやんなぁ?」が、いい。
今月休んでいた英会話を、来月から再開することにした。
クラスメートの皆が大好きだ。会いたい。
クラスメートのSさんは、産休で休んでいたが、今日、実家のほうに、
出産祝いのお返しを持ってきてくださったらしい。
赤ちゃん、見たいなぁ。


夕方になっても調子が良かったから、
お皿に苺を山盛りにして、食べながらMTお勧めの映画を見た。
私は、映画というものに期待しなくなって久しい。
なかなか完璧な映画に出会えないからだ。
特に、セリフ。
薄っぺらなセリフも嫌いだが、思わせぶりで実はスカスカのセリフも嫌いだ。
難解な言葉は、もっと嫌い。
頭から尻尾まで、ぎっしり餡の詰まった鯛焼きみたいな映画を目指す監督は、
ほとんどいない気がする。


今日、見た映画は、
まさに頭から終わりまで、一切、手が抜かれていないパーフェクトな映画だった。
こんな映画に出会ったのは、何年ぶりだろう。
正直、最近の映画には、うんざりしていた。
苺で手がふさがってなければ、そして見るのが二度目ならば、
私は間違いなくノートとペンを持って、最初から最後まで、
映画のセリフを殆ど書き留めなければ気が済まなかっただろうと思う。
ストーリーも映像も俳優も舞台も小道具も、そして何よりセリフが凄すぎ。
ずーっと雷に打たれ続けているような感覚。


この映画を私に勧めたのは、弟のMT。
彼のセンスを私は信用しているので、見たいなぁとは思っていたが、
「映画」というだけで、もうなんだかなぁしんどいんだよなぁ、と気乗りしなかった。

ところが私に勧めてきた何度目かに、MTが教えてくれた。
映画の中に出てくるらしい、ある一つのセリフ、問い、だった。

「この世で、一番聞く価値のある言葉は、何か知ってるか?」

そんなセリフが出てくるというのだ。

「一番聞く価値のある言葉」とは、何だと思う?
MTに訊かれ、
私は「う?ん・・・・」となった。
「そんなものないやろ?」と答えた。
今、この記事を読んでくださっている方は、何だと思うだろう。


MTは、映画に出てきた答えを一言、私に教えてくれた。
その答えは、全くの予想外で、
そして私の心臓ど真ん中をぶち抜く、最も私好みな解答だった。

瞬間私は、「その映画すごい!絶対見るよ」と言った。
それからは、あいにく調子が悪くて映画を見るどころじゃなかった。
ネットで映画を送ってもらって、見るまでに1週間かかったろうか。


本当に、素晴らしい映画だった。
どのシーンを取っても素晴らしい映像、セリフ、ストーリー、演技。
想像以上に、素晴らしかった。
MTは、繰り返し見ているらしい。
見る前は、それは見すぎちゃうか、と思っていた私だが、
私も、必ず繰り返し見るだろう。
こんな映画は、なかなかちょっと出会えない。
映画を見終わって、少しぼんやり色んなことを考えた。
感動で打ちのめされて、呆然としていた。


夕飯を食べていたら、サッカーが始まった。
映画の感動疲れで、スポーツバーは、パスした。

聴いてるだけで恥ずかしくて消え入りたくなるような歌手が
抜擢されることが多い国歌斉唱。
今回は、平原綾香で安心した。
高原と巻がFWだったので、幸せのあまりしばらく、ぼーっとなった。
最高に私好みなツートップだ。
岡田監督に感謝だ。
巻を見ていると、
いつも大きなゴールデンレトリバーとか
ラブラドールみたいな犬を思い出すのは私だけだろうか。
巻も高原も、FWらしい強い気質を持っていると思う。
隙あらばゴールを狙ってやろうという獰猛さを、
日本人らしいというのか、胸の内で静かに燃やしている雰囲気が好きだ。
ストイックさと情熱が同居した男性は、惹かれる。
駒野は、将棋の飛車みたいだな、と思った。色んな意味で。
川口は、相変わらず凄い。
川口がいるうちは、日本代表は何か絶対大丈夫、と思わせてくれる。
今日も、彼は落ち着いて見えて、頼もしかった。
ゲームはいまいちだったけど、やっぱり手に汗握って見た。楽しかった。
岡田さんは頑張ってると思う。応援している。
だけど、やっぱりオシム監督に戻ってきて欲しいなぁ。



現在、左手指二本が、突き指状態だ。
足の傷跡は、あと一息で完治というところで。
かなり痛いので何かあったらしいが、またも記憶なし。
カウンセラーに、以前のように手帳をつけるように言われた。
確かに、手帳をつけていないと自分を把握できない。
昨日は、映画とサッカーで幸せな一日だった。
部屋で過ごす一日にも、濃淡があるのだな。



心の病気、
虐待・暴力の残酷さへの理解を広げたく、ランキングに参加しています。
応援よろしくお願いします。
         
 a_04.gif にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ

日々日記 | comment(13) |


2008/01/26 (Sat) てなずけたい

散歩した日のこと。

川原に行く前に、コンビニでたまっていた支払いを済ませて、
熱いお茶と、アメリカンドッグと、甘栗を買った。
川に向かって、ぶらぶら歩いていたら、猫に遭遇。
こんにちは、と声をかけたが逃げられた。
遠くから、じっと見るので自己紹介して、袋を見せたけど駄目だった。
帽子かぶって、サングラスかけてたのがまずかったのか。
猫好きなあまり、猫からしたら攫われそうな危機を感じるのか。
明らかに私を見る目が不審者を見る目。
猫が好きなのに、全く猫の友達ができない。
孤独だ・・・・・。


傷心を癒すべく、近所の友達犬に会いに行った。

2008012502


こんなとき、犬は何て心癒されるんだろう。
私が持っている袋を控えめに嗅ぐ。
明らかに、食べたそう。
でも、くれ、と言ってはいけないと躾けられているのか、
無理やり首を突っ込んだりはしない。
ちゃんと礼儀をわきまえている。紳士だ。もしくは、レディだ。
すごいなーと思って、色々話しかけていたら、
たらー・・・と、犬の口から、よだれが垂れた。
多分、私の話など耳に入らない位、すごくすごく我慢しているのだ。
犬の可愛さって、こんなところだ。
我慢を知らないうちの文鳥たちも、少し見習ってほしいものだ。


まだ温かいアメリカンドッグをちぎって、一口あげた。
ぺろっ、とひとのみだった。
普段、文鳥になれているので、犬の口に驚く。
もう一口あげたら、それも、ぺろっ、と一瞬で手のひらから消えた。
絶対からだに良くないから、それ以上は、あげなかった。
この犬は、たまに小学生とか幼稚園児に絡まれている。
そんなときは、少し迷惑そうな、でも、仕方ねーなーという顔で相手している。
名前も知らないけれど、長生きしてほしいなぁ。


それから、川原に行って、草むらに座って、
お昼ご飯にアメリカンドッグを食べつつ、熱いお茶を飲んだ。
ケチャップとマスタードが同時に出る、あれを考え付いた人はすごい。
そして、毎回楽しい。
ずっと部屋にいて外に出られなかったから、
風が吹いていることが奇跡みたいに感じて、すごいなぁ、と感動した。
じっと草原に座っていても、川はきらきら流れていって、
風は、ときどきに強く弱く吹いて、
鳥の群れが風に乗って、弧を描いて飛んでいた。
川の上を、鴨が群れを作って、ぷかぷか泳いでいる。
天気が良くて、川の漣が、銀色のうろこみたいに輝いていた。
川原を、はしゃいで走り回る犬に何匹も会った。
なんとかテリアっていうんだろうか、皆服を着ておしゃれをしてる。
しかも、躾けが行き届いている。
冬用コートを着た、むくむくの小型犬が可愛かった。


好きな公園に寄った。
私以外には、公園の掃除に来ているおっちゃんしかいなかった。
ハトがいたから、甘栗を分けてあげた。
どんどん集まってきて、公園は戦場のようになった。
ハトって、あんなに常に頭をシェイクしていて大丈夫なんだろうか。
頭を振るものだから、物がよく見えてない気もする。
たまにフェイクで何も持ってない手を出すと、ハトが一斉に私の指をかみまくる。
痛いけど、笑ってしまった。

2008012512



そのうち、気が弱いスズメ、気が強いスズメ、見たことのない鳥もやって来た。
全部で、3,40羽になった。
見知らぬ鳥は、右往左往するハトとは違って、私にアイコンタクトを送ってくる。
「こっちやで」というので、投げると、ササーッとすごい速さで走って、
細い長いクチバシで、キャッチする。
スズメも走るが、足が小さいためか、あとちょっと、というところで、
ハトの大群にタックルされて、何度も吹き飛ばされていた。
スズメも食べられるように、甘栗の遠投、遠投。

欲張ったハトが、大きな栗を丸ごと飲み込もうとして、のどをつまらせ、
クチバシからはみでた栗を奪おうとするハトたちと、壮絶なバトルになった。
ハトって、本当に目を白黒させるのだなぁ、と思った。
2008012511


一人で鳥と戯れて笑っているうちは気がつかなかったが、
場所をかえてブランコに乗っていると、生垣の向こうから、
掃除していたおっちゃんが、ものすごく不審げに私を見ていた。
あやしまれてる・・・・。
でも、最近本当に慣れた。
浮いたり沈んだりして、楽しめるときが限られているから、
外に出ようと思えたときは、思い切り自分がしたいことをする。


さっきまで向こうでたむろっていたハトたちが、私の移動に気づいて、
全員が私に向かって、歩いてきているところだった。
おっちゃんの視線より、
私めがけて歩いてくる3,40羽のハトの方が圧巻だった。


帰りに、また犬のところに寄ったら、今度は私の手から栗の匂いがするらしく、
フンフンフンフン嗅ぎまわっていた。
頭を撫でながら話していたら、知らないおばちゃんが通りかかって
「あらあら可愛いわねぇ」と、笑っていた。
褒められたよ、可愛いって、よかったね、と話していたら、空から雪が降ってきた。
冬の弱い太陽の光にも、すぐに溶けて消えてしまう雪だった。
行きには置いてなかった枕が、犬のそばにあった。
触ったら温かくて、湯たんぽのようだった。
家の人が、冷えるから持ってきてくれたらしい。
おまえ愛されてるね、あったかいの嬉しいね。
犬は、私の話をじっと聞いてくれた。
よかったね、あったかいね、風邪ひかないようにね、また来るね。
犬の肩を叩いて、頭を撫でて、家まで帰った。


何気ない人や犬や動物と会う度に、私は自然に笑う。
帰ってきて、部屋に入ると、また涙が出てくる。
笑っているのも、泣いているのも、どっちも私。
それでいいのかな、と思った。

無理やり歩いたり走ったり、無理やり笑ったり泣いたり、
そんなのはやめようと思った。
そんなことを、最近の私はしていたんだと思う。
自分をつかみたくて、何とか解離を乗り越えようとして、
回復のためならば、どんな過去でもひっくり返す気でいた。
必死だったのかもしれない。
でも、外に出てみれば、そんなことより凄い感動が待っていた。
風が、吹いていた。
走らなくても、歩かなくても、ブランコに座っているだけで、
風は、どこにいても吹いていた。
風が吹いてる、風が吹いてる、何度も胸の中で繰り返した。
当たり前のことだけど、そんなことが奇跡に思えた。

私の散歩を楽しいものにしてくれたのは、風と動物たちと人。
私一人で戦っても、頑張っても、限界がある。
ありがとう。ありがとう。
伝えるために、今度は、ビーフジャーキーでも持って、
あの犬と、ハトたち、できれば猫にも挨拶に行こうと思う。



心の病気、
虐待・暴力の残酷さへの理解を広げたく、ランキングに参加しています。
応援よろしくお願いします。
         
 a_04.gif にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ

日々日記 | comment(6) |


2008/01/25 (Fri) 風が吹くこと

2008012503

銀色の自転車 光りながら遠ざかる















2008012508

雨あがり 鳥は風と遊ぶ
















2008012507

行き交う道筋 足をとられる















2008012506

少年野球の監督席 時を語る

















2008012505

名のない木の実 空に咲く

















2008012504

鉄の体  雨と光に崩れる

















2008012509

まるで滑走路  まっすぐ空へ伸びる
















2008012510

ゆりかご 風が揺らす
















笑うこと 



泣くこと 



歩かなくても




風は吹くこと

















2008012501

おまけ。





心の病気、
虐待・暴力の残酷さへの理解を広げたく、ランキングに参加しています。
応援よろしくお願いします。
         
 a_04.gif にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ



詩と写真 | comment(12) |


2008/01/25 (Fri) 草の香り

私が、戻ってきた。
ふいに。
昨日までの私は、なんて私らしくなかったか。
今の私を、逃してはならない。

今の私なら、歩ける。
外は久しぶりに晴れている。
水色の高い高い空と、低く流れる真っ白な雲。
小さなカメラを持って、途中でたこ焼きを買って、
好きなノートと手帳と色とりどりのペンを持って、
大好きな草の匂いを感じに行こう。
太陽の下、小鳥や虫や犬や人を、見に行こう。



↓心の病気、
虐待・暴力の残酷さへの理解を広げたく、ランキングに参加しています。
応援よろしくお願いします。
         
 a_04.gif にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ

解離性同一性障害 | comment(10) |


2008/01/24 (Thu) 怖いだけ

昨夜は、涙が止まらなくて、呼吸困難になって、頭痛に襲われて、
ようやく頓服を飲むことを思いついて飲んだら、薬ごと吐いた。
手の震えが止まらなくて、今度は眠剤を飲んだら、
殆ど効かなくて、夜中、何度も何度も目が覚めた。
起きているのか寝ているのか分からない状態で、色んな夢を見た。
いつも通り、凄絶な美しさと悪意と憎しみと感動の世界だった。

ベッドに横になっているだけで苦しい。
目が覚めたと思うと、また眠りに引きずり込まれる。
今朝、起きたら、泣きっぱなしで寝た顔は、ひどかった。
ひどい顔だなぁ、と思っている間に、また意識を失うように眠った。
食べる気にも飲む気にもならず、カウンセリングへ出かけた。
また時間に遅れてしまった。


今日のカウンセリングで一番よく分かったことは、
「今の自分はあてにならない」ということ。
一人暮らしは、今、何とかやれているけれど、
意識、記憶が激しく飛び、感情も睡眠も乱れるだけ乱れていて、
日常生活が普通に営めなくなっている。
悪化すると、一人暮らしはすぐに限界が来る。
でも、実家に帰ることだけはやめたほうがいいと先生。
私にとって一番安全なのは、やっぱりこのマンションで暮らすこと。

先生は、私は相変わらず、とても無理をしていて、
本当は不安で辛くて、一人でいるのが怖い、と強烈に感じているのだ、
と言ったが、私には、全く実感がなかった。
最近の私が、やたら吐くようになったのは、
感情を失っていた私の中に、感情が伴い始めたからなのだとも言っていた。
先生は、顔を擦りむこうが、足を切ろうが、病気で倒れようが、
全く、頓着していなかった過去の私を例に挙げた。
そんなふうに具体的に言われてみれば、自分に頓着していないことが分かる。
でも、今の自分が分からない。
無理しているのか、安らいでいるのか分からない。


カウンセリングで、ブログ仲間のことを割合、普通に話せた。
一晩経って、私も何か落ち着いたところがあるのかもしれない。
そう思って帰ってきたと同時に、また涙が止まらなくなった。
部屋のドアを開けた瞬間、涙が溢れて止まらなくなった。
わけが分からない。
自分で自分を持て余している。


私は、「さびしい」とか「心配」とかいう言葉を、あまり使いたくない。
なぜなら、それは私の親が私を縛るために使ってきた言葉だから。
親だけじゃない。
過去、寂しい人たちが寂しかった私に群がって、
私から色んなものを奪っていった。
私は誰からも何も奪いたくないから、本当は、好意を口にするのも怖い。
親と同じことをしたくないと思うあまり、
自分が持っている相手への好意が、本当に相手を見て持っている好意なのか、
自分が単に寂しくて、自分の何かを勝手に相手に重ねて、
好意だと思いたがっているのか、私は、偏執なまでに、いつも考える。
でも、私は彼女に「寂しい」と書いて送らなかったか。
一番嫌いな言葉を、私は書いたのではなかったか。


帰ってきて泣きながら、彼女の足跡を見つけた。
ありがとう、と感謝すると同時に、私がすべきことは何だろうと考える。
それが、習性になっている。
依存だとか、転移だとか、そんなものが私は大嫌いだから、
もし、この悲しみが、そんな下らない私個人のエゴに根ざしたものなら、
私は、彼女の終章を祝うどころか、悲しむ資格もない。


彼女のブログの最終章を読んで、私は、私を生きなければ、
もっと強くならなきゃ、という激しい思いにかられた。
懸命に生きる人の姿を見る度に、私はそう思う。
言葉なんて、所詮言葉でしかない。
懸命に生きている人の姿に報いるには、
生きて自分を磨く以上のものはないと信じる。

私の両親は、私を虐めて愉しむ点では強者だったが、
本当は、とてもとても弱い人たちだ。
子供を虐めなければ、そうして子供を奴隷にしなければ、
寂しくて不安で一人では生きていけない人たちだったのだ。
だから私は、自分の弱さを極端に憎むところがある。
弱い私は、決して優しくなれない。
寂しい人は、同じように寂しい人としかなじめない。
私は、そんな人にはなりたくない。
両親のようには、なりたくない。
そんな思いが、常に頭から離れない。
あなたは、自分自身を追い詰めているようだと先生は言った。
確かに、追い詰めている。
混乱していて、まだ分からないけれど、
彼女が最終章を書いたこと、そして私の中での強さの在り方、
寂しいという言葉を嫌う私、今の私自身の身の去就、
そんなものが一つになって、私は混乱している。

ただ一つ確かなことは、
情けないことに、今の私は自分のことも手に負えなくなっているということ。


解離が、私から全てを奪っていく。
私自身の感覚すらも。
記憶も定着しない。
こんな私が、どうやって自分を知り、自分を律し、
自分らしく生きていけばいいのか。
今日も、買ってきたごはんを、気づけば半分食べたところだった。
食事すら、まともに出来ない。
いつ食べたのか、食べてないのか、不明。
先生は、それは以前からそうよ、と言っていた。
そんなこと言ったっけ、とそれすら曖昧。

でも、この解離のお陰で、私が今まで生きて来られたのも事実。
カウンセリングでのことを、きちんと書こうと思ったけれど、
今日の私は、うまく書けない。
物凄く疲れた。
とにかく、疲れた。


今の私は、弱い。日常生活すら、まともに出来ない今の私。
弱すぎて、途方に暮れる。みっともない。
畜生。畜生。罵りたくなる。
起きているのも寝ているのも怖い。
怖いのか。
自分で書いた、この文字に驚いている。
やっぱり私は、ひとりでいるのが怖いのか。
怖いと寂しいは、同義なんだろうか。
じゃあ、彼女の終章に泣いている私は何だ。
ただのみっともない言葉を垂れ流す恥ずべき人間だ。
だったら怖い私ごと消えてしまえ、と願う。
でも、そんな私は消してくれないのだ。
混乱しているけれど、これだけは分かる。
解離は、残酷な悪魔だ。



↓心の病気、
虐待・暴力の残酷さへの理解を広げたく、ランキングに参加しています。
応援よろしくお願いします。
         
 a_04.gif にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ

日々日記 | comment(8) |


2008/01/23 (Wed) 海

混乱して、涙が止まらない。
ブログのお友達が、心の物語を書き終えて、
今日で最終日を迎えた。
立派に戦いを終え、ブログタイトル通りの安住の地を
自分自身の力で見つけ、手に入れた。
目にした記事で、
こんなに自分自身が衝撃を受けるとは思わなかった。
泣きっぱなしで涙が止まらない。
私は、彼女の記事を、全部まだ読めていない。
彼女の記事を読むと、記憶のない私の記憶がどこからともなく蘇って、
フラッシュバックを起こすから。
だから、詳細を私は知らない。
だけど、彼女が戦う姿を私は記事で見ていて、
いつも励まされていた。


最近は、彼女が無神経なコメントに対し、
一蹴して女っぷりをあげたことに、
気が強い私は、モニターの前で笑って手を打った。
私が自殺について書けば、一言シンプルに私の記事を評してくれた。
コメントを読んで、私は笑った。
彼女も手を打って笑ってくれたのだろうか、と思った。

こうして書いていても、まだ涙が止まらない。
彼女からはじめてコメントをもらったときの喜びや、
リンクを貼ってくださった気持ち、
お互いにお互いの過去を慮りながら、恐る恐る言葉を交わしたこと、
色んなことを思い出す。
お別れは悲しい。
ネットの世界は、こうして別れていってしまうものなのか。
人生には、どうして別れがつきものなのか。
私は、彼女とまだまだ話したいことがたくさんあって、
ただ普通に世間話をしてみたかった。
彼女の文章は、決して波を止めない海のように、
荒れ狂うときもあれば、穏やかに凪ぐこともあり、
太陽を乱反射して輝くこともあり、
光をのみこんで真暗な闇へ変わることもあった。
お付き合いの時間など関係なく、
私は友人だと思うと、どんな繋がりであれ、
やっぱり私にとって尊い友人だ。
彼女は、これからも海のように力強く生きていくだろう。
でも、ここにいる私は、やっぱり彼女の最終日が悲しい。


ブログを公開するようになってから、
私は、ネットと現実の区別を、つけないことにした。
文字だけの世界でも、モニターの向こう側にいる一人一人の存在を、
決して忘れないでいようと思った。
多分、元々私はそんな人間なのだ。
私が、いまだリンクのお申し出を頂いても、
私のブログに誰のところへもリンクが貼れないのは、
一番最初に私のブログに相互リンクを申し出てくださった方とのお約束を、
まだ果たせていないからだ。
私は、彼女の復帰を待っている。
でも、もう会えないのかもしれない。
これは守るべき義理ではなく、私は私のブログを一生懸命書き、
私が好きだと思う方のブログへのリンクを貼らせていただくことが、
待っている私の正しい姿勢なのかもしれない、
そんなことをずっと考えて、迷っている。
ネットの世界は、何て不自由なのか。
現実の世界の不自由さと、何ひとつ変わりない。
私が私であること、私でありながら誰かへの思いを形にすること、
私と誰かへのバランスをとること。
いつも、どの世界に行っても難しい。


私は、ネットの世界でこうして文章を書くことが、向いていないのだと思う。
親しくさせていただいているブログ仲間が、苦しみを吐露すると、
私は駆け寄って、その手を握りたくなる。
抑揚のない文字ではなく、旋律を持つ声で互いを支えあいたいと思う。
弱さを罵る奴がいたら、友人の前に立ち、私が罵り返してやりたくなる。


混乱していて、うまく書けない。
虐待経験も心の病気も、現実世界ではなかなか声に出せない。
経験者同士が出会い、語れることなんてない。
そして、そんなものを傍らに投げ捨てて、
たわいない、本当につまらない話こそ、たくさんしたかった。
こんなにネットの世界での友人が、私にとって大きな存在になるとは、
私は、彼女の今日の記事を読む、ついさっきまで、予想していなかった。
彼女の思いが、一番尊重されるべきだ。
彼女の、新しい門出だ。
ただ笑って拍手で彼女を見送れ。

なのに、私は悲しくて悲しくて、全然涙が止まらない。



心の病気、
虐待・暴力の残酷さへの理解を広げたく、ランキングに参加しています。
応援よろしくお願いします。
         
a_04.gif にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ

日々日記 | comment(8) |


2008/01/23 (Wed) 水中惰眠

過眠傾向が出てきた。
睡眠がコントロールできない。
眠剤が効かず、3,4時間で目が覚める。
仕方ないので何かし始めると、また眠気が襲ってきて、
何時間も眠る。
また起きたと思うと眠る、繰り返しだ。
もう少し力を抜いてブログを書こう、休みます、と言っておいて、
また色んなことを、考え始めたからかもしれない。
解離と過眠は、似ている。
でも、眠ると必ず悪夢を見るから嫌だ。
かといって解離も、自傷や怪我をすると困るから嫌。


吐き気が、また襲ってきた。
なんだか、最近も同じパターンに陥ってたような。
医者には、カウンセリングも休んだらどうかと言われた。
色んなことを、今は考えるべきじゃない、と。
でも、明日、外に出たいからカウンセリングに行くことにした。
あやのことに触れられたら、今度こそ話すまい。
何か、他のことを話したい。
あやの話は、怖い。
過去の記憶が、私を壊す。
何とか他の方法で、私の中の彼女を葬り去ってしまいたい。
それとも、私は彼女を抱きしめるべきなんだろうか。
考えるな、と言われても、カウンセリングに行く私は、
良い状態なのか、悪い状態なのか。
吐くのは、受け入れられない過去や記憶が
入り込んでくる時だと、カウンセラーが言っていた。
そう言われても、自分が分からない病の私には、
何が入り込んできているのかすら不明。
切実に、岸辺露伴のスタンドが欲しい。
ジョジョを知らない方は、すみません。
自分が本になって、全部読めたらいいのに。


ATMに行かなければ、ならない。
まとまったお金をおろす。
結構、恐怖だ。

以前、お金をおろしにATMの前まで行って、そこで解離した。
ATMにいたはずの私は記憶が飛んで、
次に気がついたら店で買い物していた。
レジ係の金額を告げる声で、我に返った。
カゴには、覚えのない山ほどの商品が入っていた。
いきなり別の時空に連れて来られたような感覚で、
すぐには対処できず、物凄く戸惑った。
とにかく支払わなければ、と慌てて財布を探ると、
中には、おろしたはずのお金は一銭も入っていなかった。
青ざめた。
ATMの前に立ったところから記憶が消えていた。
商品をカゴごと係員に押し付けて戻し、
パニックになってATMまで走った。
戻りながらバッグの中を漁ったら、
ATMで貰ったらしき領収書が入っている。
引き出したものの、お金を取らずに戻ってきて、
誰かに盗まれたのだろう。大事な生活費だ。
泣きそうになって銀行へ連絡して、
盗られたかもしれない、と騒ぎになった。
パニックになった私と、冷静な係員との問答の末、
私は、引き出さず、領収書だけ貰っていたことが分かった。
領収書に、記憶のない私自身の行動が、きちんと記録されていた。

脱力した。
心の底から自分が嫌になった。
記憶が残らない。
馬鹿馬鹿しいが、自分に腹が立つ。
係員は、言葉をなくした私を怪訝そうに見ていた。
私は、再び買い物をする気もなくなって、
自己嫌悪と心細さで、泣きながら家に帰った。

また、あれと同じことになったらどうしよう、と思うと、
誰かに銀行までついてきて欲しくて、不安になる。



数日前は、友達のことについて記事を書いたらしい。
本人からのメールで知った。
DVで苦しんでいる付き合いの長い戦友について、
私は、記事を書いてアップしたらしい。
本人からメールが来て、書いてくれてありがとう、と言われて、
私は何のことか全く意味が分からなかった。
全部、記憶が消えていて、
しかも記事自体、どこを探しても既になかった。
書いてアップして、しばらくして消したらしい。

何を書いたのかすら、覚えていない。
なぜ消したのかも、もう分からない。
真剣に考えなければならない事ほど、記憶が飛んで、
自分をコントロールできない。
苦痛だ。
数ヶ月前も、おかしかったらしく、
東京の弟から自分の様子を聞いて、ぞっとした。
記憶のない私は、ある程会話らしきものが出来るらしい。
かろうじて、会話が成立するかしないかという状態だという。
動きもするし、反応もするが、
体がうまく操れないような印象だったといわれた。
だから、マンションで一人で解離しても、
ドアチェーンは開けられないだろうから、
チェーンかけといたらいい、と弟に言われた。
自分を室内に留めておくために、自分でチェーンをかけておく。
奇妙な話だ。
何より、全く記憶がないことが、気持ち悪い。


辛くても生きていけるように、
3歳の私は「解離」という技を身に着けたらしい。
でも、大人になってひとりで生きていくには大きな枷になっている。
今、この瞬間の不自由や自分への苛立ちに比べれば、
私がこんなふうになった原因を作った家庭環境の具体的な話など、
私にとっては、第二第三の問題だ。

どれだけ休めば、どれだけ何を思い出せば、
私は、本当の私という人格に近づけるのか。
全部、私の中に答えがあるのに、私は私を知ることができない。
片っ端から記憶は消えて、どうでもいいことしか残らない。
ただ、感情が残るだけ。
ときに、感情すら残らない。
休んでいたら、
休んだ分だけ自分から遠ざかるような気がして焦る。


自分の人生であって、自分ではない感覚。
何も入っていない底なしの水の中に手を突っ込み、
何かつかもうとして何も掴めず、
永遠に手探りでかき回し続けているような徒労感。



↓心の病気、
虐待・暴力の残酷さへの理解を広げたく、ランキングに参加しています。
応援よろしくお願いします。
         
 a_04.gif にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ

治療日記 | comment(2) |


2008/01/23 (Wed) コメントくださっている皆さんへ

文鳥記事、また最新記事「自殺は迷惑か」について、
皆さん、心のこもったコメントをくださり、ありがとうございます。
コメント、おひとつおひとつを、何度も読ませて頂いています。
皆さんそれぞれの人生観、そして思いやりと真剣さに溢れていて、
皆さんとブログを通して出会えました幸運に、
あらためて感謝でいっぱいになりました。
ありがとうございます。


皆さんとの交流を大切に、
心や命についてお話できる場となれれば幸せだと、
常日頃願っています。
貴重なコメントを、ありがとうございます。
全てのご意見が私にとって、大切な言葉となっています。
頂いたコメントに、必ず後日返信させて頂きます。
私は、感動しても感情のまとまりがつかなくなることがあり、
感謝と感動で、今すぐには返信ができない状態です。
申し訳ありません。
取り急ぎ、感謝をお伝えしたく、
せめて今の気持ちを、と期間限定記事にさせて頂きました。


皆さんからのコメントを読みながら、
「自殺」という現代社会が抱える命題について再考しました。
私自身、色々と考えることがあり、
皆さんそれぞれのコメントから、更に様々、思い起こすことが出来ました。
自殺に関しまして、後日、更に記事を追加してみたいと思います。

ブログを公開した当初から、私は不安でした。
私の中にはもう、書くことはないような気がしていたからです。
皆さんのコメント、皆さんお一人お一人のブログの言葉、存在、
全てが私の背中を押してくださっています。
私一人では、約150もの記事を書くことは出来ませんでした。
一時、言葉を失い、話せず、読めず、書けずだった私が、
ひとえに皆さんのお陰で、こうして今、文章を書くことが出来ています。
出会えた全ての方と、私はご縁を感じます。
大切にしたい、大事な大事な繋がりです。
ありがとうございます。


取り急ぎ。
皆さんに、心からの感謝をこめて。


                   美鳥


以下、私信です。

初めてご訪問くださった楸さんへ

自殺について書いたのは、足跡から拝見した、
あなたの記事が契機の一つとなりました。
お声をかけてくださって、本当に嬉しかったです。
「お手柔らかに」と書かれていらっしゃったので、
私の返信を、ご不安を抱えて待ってくださっているのでは、と思い、
今ここに一言ですが、返信させて頂きます。

そんな怖い女ちゃうから、安心してや?(笑)


心の病気、
虐待・暴力の残酷さへの理解を広げたく、ランキングに参加しています。
応援よろしくお願いします。
         
a_04.gif にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ

お知らせ | comment(2) |


2008/01/22 (Tue) 自殺は迷惑か

よそ様のブログで、なんじゃそら、というコメントを見つけた。
とても面白いブログなので、息抜きに通わせて頂いているのだが、
ブロガーさんが、ある日、電車の人身事故について書いた。
いつも明るい調子とは違い、ショックを受けた様子が伝わってきた。
そこに、ある人がつけたコメントが、こんなものだった。

「物凄く冷たいのかもしれませんが、故意の人身事故って、
色んな人に迷惑をかけるのだから、勘弁してほしいです。
生きたくても生きられない人がたくさんいる中、
自ら進んで永遠の安息を選ぶのなら、
それなりに人に迷惑をかけないようにしてもらいたいですよね」


私は、爆笑した。
すばらしいコメントだなぁ、と惚れ惚れした。すばらしい。
こんな完璧なコメント、そう滅多に出会えるものじゃない。
この手の人間が必ず言うキーワードを、
奇しくも全て備えた、パーフェクトなコメントだ。
冒頭に「物凄く冷たいかもしれませんが」と、
枕詞を決して欠かさぬ配慮も、また一流だ。
「生きたくても生きられない人がたくさんいる」
とは、この手の人たちの共通の教科書にでも書いてあるのか。


他人の生に頭が巡る位ましな状態なら、誰も死にはしないのだが。
いまだ自殺を「迷惑」といえる方たちのツルツルなオツムの中には、
綺麗なお花がいっぱい咲いてるんだろう。
さぞや「安息」で満ちているだろう。羨ましい。
こんな方には、一度ぜひとも自殺死体と対面して、
同じセリフで、自殺者に直接、大いに語って貰いたい。


このコメントを書いた誰かは、
自殺は全く自分と関係がないと高を括っているようだが、
自殺は、とても身近になった。
他人事じゃない世の中になった。
自殺者が毎年、増えに増えて、日本じゃ3分に1人自殺している。
実際、私の知人の中で、自殺した人は数人いる。
私の過去の恋人は、身内に自殺されてPTSDを抱えて生きていた。
私自身、一日中何とか自殺できないかと、それしか考えなかった。


その頃、私の仕事場の裏の駐車場が、
近所でも有名な投身自殺スポットだった。
現場に遭遇しないときでも、翌日、
飛び降りた人の身体で、破壊されたフェンスなどを、よく見た。
ブロックまで粉々に砕けていた。
それらの痕跡だけでも、私は、いつも言葉にならない衝撃を受けた。

そのビルが選ばれるには、理由がある。
人目に付かない階段で、自由に屋上まで上ることができ、
確実に死ねる10階以上のビル、そして、
裏通りに面した駐車場に、車があまりとまっていないからだ。
私の仕事場の駐車場から救急車で運ばれていった人たちの安否は、
翌日の新聞記事などで、知った。
自殺者の身元や年齢や当日の状況を読むだけで、胸が痛んだ。
階段入り口の防犯カメラから、時間も割り出される。
階段を上り始めて投身までの時間は、わずか3分。
九州から出てきた女子大生。
下着姿で朝に下宿先のマンションをふらふらと出て、
まっすぐにビルまで約15分ほど歩いて来て、
徒歩で階段を上り、3分後投身。
よく晴れた、青空の朝だった。
落下した場所が悪く、フェンスに一度直撃して落ちた。
そのために、直後は血まみれで、まだ息があった。
私が出社したとき、人だかりが出来ていた。
いまだに私は、
私の仕事場の裏で亡くなった人たちの出身地や経歴、年齢を覚えている。
忘れられない。


人の死は、すべて悲しい。
事故でも自殺でも病死でも老衰でも、悲しい。
そして人の死は、平等に重い。
私は、いつも思う。
命の平等は語られるのに、なぜ死の平等は語られないのか。


誰も心から自殺を望む人間なんていない。
本当に死が「永遠の安息」なら、今の瞬間にでも私は死ぬ。
心の病気のみならず、借金、不治の病、身体障害、老老介護、
生活苦、失恋、職場の人間関係。
懸命に生きていれば、死にたくなる理由には困らない。


苦しんで思いつめ、孤独で心の中に誰もいなくなったとき、
ちょっと背中を押されれば、ちょっと電車が走りこんでくれば、
思わず飛び込む、思わず飛び降りる、思わず首を吊る、
自殺とは、そんなものだと思う。
直前までは、誰もが何とか生きようと本能的に踏み止まっている。
生きることを本能とする生物だから。
しかし生きることが、苦しい。
一秒でも息をしていることすら苦しい。
苦しくて何度も発狂する。苦しいから、死へと背を押される。
生きようとして、死へ。苦しんで、死へ。
そうやって、少しずつ牛馬のように孤独に鞭打たれて、
死に追いやられるのが人間だ。
最後は、枯れ果てて干からびて、ぽとりと死ぬ。
センセーショナルな行為であっても、
自殺者の心は乾いて何の情動もない。
自分で「進んで」死ねるほど、死ぬことは楽じゃないし、
人間の意志は、万能ではないのだ。


人が死んだことを「迷惑」だと、片付けられる人間は、
なぜか、生きている人間にも、平気で「迷惑」だと言える。
自殺者のお陰で電車が遅れて、
会社に遅れて「迷惑だ」と言ってる位なら、
ああ、オツムがツルツルなんだね、と笑って一蹴できるが、
死に鈍感な人間は、人の生にも鈍感だから、嫌いだ。
実際「生きたくても生きられない」ような弱者を前にしても、
この手の人間は、きっと、こう言うのだ。
「物凄く冷たいかもしれませんが、
人の世話になって生きてる人って、迷惑ですよね」と。
病気でやむなく休職していても、
「あなたに休まれて、迷惑」「会社にしがみつかれて迷惑」
「暗い顔されてたら迷惑」「存在自体うざい」「給料泥棒」
「休めるなら私も俺も、病気になりたいよ」
平気で言う。


「物凄く冷たいかもしれませんが」と念入りに前置きしようが、
何だろうが、自分で前置きしているとおり「物凄く冷たい」のだ。
自覚がありながら、言いたがる。

こんな笑える人間が世迷言吐いても、
思想・言論の自由なんてものが、守ってくれる。
自殺者の思いは、守られない。
死んだら負けだと、こういう人間の言を聞くにつけ思う。
そんな甘っちょろい世の中だから、
私も大いに生きて、せいぜい遠慮なく毒づいてやろうと思う。



心の病気、
虐待・暴力の残酷さへの理解を広げたく、ランキングに参加しています。
応援よろしくお願いします。
         
 a_04.gif にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ

自殺 | comment(19) |


2008/01/22 (Tue) 文鳥とうさぎの深い関係

過去画像を掘り出せたこともあり、
うちの文鳥たちを、あらためてご紹介。

20080121bun1.jpg

奥から手前へ、娘のむく、父のもも、母のきり。
文鳥ズの名前は、植物の名前に統一している。
椋の木、桃の木、桐の木。

文鳥はなぜか、PCが大好きだ。
モーター部分が熱を持ってるので、ホットカーペットと思っている節がある。
この写真で言うと、左上が一番人気、特等席。
そこから三羽、ずらっと横に並んで寝るのが大好き。


そして、作業している人の手に乗るのが、最も大好き。
マウスを握っていると、ほぼ100%の確立でその手に乗って寝る。
1羽、わずか25グラムの体重だが、3羽並ばれると重い。
暇な左手には全く魅力を感じないようだ。
このときは、私が右手にカメラを持ったから、渋々全員左手に移った。

おいおい、俺たち寛いでたのによー、何やってんだよ、みたいな不満顔だ。
鳥には表情がないと思われているが、ある。
笑ったり、落ち込んだりする。
褒めると笑顔で胸を張る。
本当です。


20080121bun3.jpg

常にクチバシは、ぴかぴかつやつやしている。
天然の輝き。不思議なくらい、常に光っている。

女の子は、もう少しクチバシが細くて小さめなのが一般的だけど、
むくは女の子なのに男顔で、性格も男らしい。
逞しい独身女を感じさせる落ち着きを持っている。


本当は、このとき撮った、文鳥の「歯」の写真を公開したかったけれど、
どこに行ったやら見つかっていない。
鳥は、祖先が恐竜だ。
その名残なのか、クチバシの中に歯がある。
人間みたいな上下かみあう綺麗に整列した歯が。

私が、鳥を好きな理由のひとつは、祖先が恐竜だからだ。
あまり可愛く撮ろうと思わないのは、そんな思いのせいかも、と思う。
絶滅した恐竜への憧れや生物の不思議を感じ、
彼ら文鳥と接していると、敬意のようなものが自然と湧いてくる。


20080121bun2.jpg

カゴ越しに、一つのパンを巡り、不毛なけんか。
両端から仲良く食べればいいのに、と人間は思うけれど、
文鳥様たちにとっては、そういう問題ではないようだ。

むくとももは、特に犬猿の仲で、とにかく毎日、けんかする。
ジャイアニズムな性格が似ていて、そりが合わないらしい。
文鳥は、気が強くて、自己主張が激しい性質の鳥。
毎日毎日、ギャルギャルギャルギャルうるさい。
それが、同時に元気の証。

ママである私は、けんかしていても余程の場合以外、叱らない。
文鳥飼いにとってのバイブル、アニファの「文鳥」に、
こんなふうに書いてある。
「けんかは、文鳥のたしなみです」

フランス人がワインをたしなむように、
ドイツ人がビールをたしなむように、
日本人が、日本酒をたしなむように、
文鳥として生まれたからには、
とりあえず、けんかが出来て一人前なのだ。
自己主張が仕事の鳥、文鳥。
でも、その分、情に篤く、愛嬌があって愛情表現も多彩なので、
何種類か小鳥を飼ったことがあるが、今のところ文鳥が一番面白い。


20080121bun4.jpg

うちのミッフィー1号と、その肩に乗る、むく。
うちの文鳥たちは、ミッフィーと共に暮らしてきたので怖がらない。
見慣れないものを鳥は恐れるが、新しいミッフィーが来ても、
新入りか。 くらいで、すぐに馴染んでくれる。

リアルうさぎと一緒に育ったので、何かと、うさぎに縁がある文鳥様たち。
うさぎと暮らしているときには、よくうさぎの背中に乗ったり、
耳をつついてみたり、鼻をつついてみたり、
自分たちより数十倍体が大きなうさぎにも、全く臆することがなかった。

毎日、3羽がタッグを組んで、うさぎ小屋まで繰り出して、
遊びに行っているというか、からかいに行っているというか、
楽しみにして通っていた。


途中から、もう一羽うさぎが加わったが、
文鳥たちは、二羽のうさぎを、ちゃんと区別していて、
新入りのうさぎには、心許さなかった。
性格が合わなかったのか、新入りを警戒していたのか。
幼馴染のうさぎが部屋に入ってきても歓迎して、
一緒に餌なんか食べて遊ぶし、うさぎが寛いでいても歓迎していた。
新入りのうさぎが部屋に入ってくると、全員で、警報発令。
叫ぶ、叫ぶ。

同じうさぎで、見た目もさほど変わりないのに、
相手をちゃんと認識しているんだ、と驚いた。
文鳥の脳は、多分小さじ半分もないのに。


その後、仲良しだったうさぎと別居することになり、
数年後、偶然、動物病院で再会した。

さすがに忘れているだろう、と思ったのに、
そのときも、相手が幼馴染のうさぎだと文鳥たちは、ちゃんと分かった。
再会を喜び言葉を交し合う私たち人間の隣で、
何を考えているのか、
うさぎと文鳥は、穏やかな目で互いを見つめあっていた。
うさぎと文鳥、共通の言語を持たないようで、
どこかで確かに心通い合わせていたのだと思う。


文鳥たちを見ていると、
人間の方が、脳や心を使いこなせていない気がすることが、
よくある。




心の休息中ながら、ランキングに参加しています。
応援よろしくお願いします。
         
 a_04.gif にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ

文鳥 | comment(11) |


2008/01/21 (Mon) 恋人より欲しいもの

珍しく、つれづれと暢気に書いてみます。

今日は、朝食が食べられました。
すごい久しぶりです。
戦わねば、戦わねば、でグルグルしていたので。
休もう、と思っているのに、昨日も、頭痛と妙な動悸でダウンしていました。
今日は、朝から、部屋を掃除して洗濯したら、エネルギー切れ。

そんなときは、大好きなペンダントライトの下、
ベッドの上で読書です。
大好きな評論家、小浜逸郎さん
<「恋する身体」の人間学>という本を読み始めました。
いつでも読めるように、ベッドサイドのテーブルに置いています。
同時に、「銀魂」も常に数冊、積んであります。
すると、8割位の確率で「銀魂」に手が伸びます。
今日も、つい銀魂を読んでいたら、いつの間にか夕方まで昼寝してしまい、
かわりに昼食を食べ損ねました。

小浜さんの本も、読み損ねました。
冒頭を、何度も何度も繰り返し読むはめになっています・・・・。
まだ本題にすら、入ってないです・・・・。
今回の著書は、今までになく哲学色が強くて、ちょっと苦戦。
最終章「人はなぜ恋をするのか」を、楽しみに頑張ります。


彼の著書は、どれも切り口が新鮮で、特に教育論が優れています。
斬新で、鋭敏で、身体感覚を言葉で明確に説明し、
精神論や言葉遊びに逃げず、かつ文学的で芸術的。
本当に頭が良い人というのは、こういう人のことだろうなぁ、と毎度、感心。
でも、「銀魂」にも、毎度、感心。
面白いもの。
大人のためのジャンプ漫画だもの。


長い長いカラフルな夢を、ずっと見てました。
一番印象的だったのは、ニューヨークの5thアベニューに立って、
空を見上げて、
「ここが、世界の中心。ここが、世界の交差点」
と、何度も繰り返していた私。
喜びと感動で、胸がいっぱいになった。
恐怖も怒りも憎しみも、相変わらず色濃い夢だけれど、
何か新しいエネルギーが私の中で育っている気がする。


これを機に、写真だけのブログを新しく作ろうか、とも思ったけれど、
やはり一緒くたに、
闘病記もSM話も画像も詩も、ここに載せることにしました。
何でもかんでも並べて、全部ひっくるめて私。
それが私らしいかもしれないと思って。

過去のファイルから、旅先や日常で撮りためてきた、
植物、建物、料理、街、自然、色んな画像が出てきました。
少しずつ、こちらでアップします。
ご感想いただけたら嬉しいです。


写真の素人とプロの違いは、ずばり、撮影枚数の違いらしいです。
素人ほど、何枚も何枚も撮る。
数打ちゃ当たる、というやつですね。
私の場合、100枚に1枚位という、超低打率。
しかも、完璧!と思えるものは一枚もなし・・・。

かの有名な写真家は、
モデルを前にして1、2枚撮ったら撮影終了らしい。
もうちょっと撮ったらどやろ、と思うくらい。
凄いなー。


ところで、昨日テレビで、久しぶりに「やべっちF.C.」を見ました。
サッカー選手、リレークエスチョンが面白かった。
稲本、おもろいなぁ。
あんなにおもろい人とは、知らなかった。
高原の髪がバッサリ短くなってて、びっくりしました。
黒縁めがねが意外に似合う。
全然違う人に見える。
どっちの雰囲気も好きだけど、
ずっと見ていたら今の方が、いい気がした。
野球選手のファッションと、サッカー選手のファッションは、どこか違う。
サッカー選手の方が、私は好きです。
ワールドカップでの、高原のゴールは、
何度繰り返し見ても、飽きることがない。
過去のVTRが流れましたが、やはり今回も、痺れました。
すごいおもろいこと言うのに、
サッカーの話になったら、どの選手も顔つきが変わる。
表情が引き締まる。
一流選手の気概を、垣間見た気がしました。
スポーツ番組は、というかテレビ自体殆ど見ませんが、
やべっちF.Cは、いつ見ても面白い。


一度もスタジアムに観戦に行ったことがありません。
スポーツバーで見るのが、今のところ一番楽しい。
テレビで十分楽しめてしまうので、観戦に行く気にならないけれど、
これは、すごく楽しい機会を逃しているんじゃないだろうか。
どうなんだろう。



最近、画像ファイルを開いていると、OSが頻繁に落ちます。
多分、dllファイルだとかが、1つ壊れっぱなしなせい。
修復を試みたけど、駄目だった。
怖い。怖いよー。
バックアップは取ってあるけれど、
PCが壊れたら私は生きていけないような。
今は、恋人よりパソコンが必須アイテムです。
昔は、恋をしていなければ生きていけない、みたいな
泳ぎ続けるマグロみたいでしたが、ひとまず休憩。

マウスコンピューターから、価格無視、スペック最重視で、
新しいPC買おうか、と思いながら、
ノートかデスクトップか決めかねて迷っています。
こちらで自由に選べば確実に手に入るところが、
恋と違って、パソコンの素敵なとこですね?。



心の休息中ながら、ランキングに参加しています。
応援よろしくお願いします。
         
 a_04.gif にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ

日々日記 | comment(8) |


2008/01/20 (Sun) 人魚姫志願

<カウンセリング2008.1.17>

当記事は、主に足を自傷した<人魚姫式自傷>について書いています。

・・・・・・・・・・・・・・・・

カウンセラーに、朝起きたら、足の裏が血だらけでした、
と話したら、かなり驚かれた。
カウンセリングに行った当日、私は自覚がないだけで、
かなりの解離状態だったため、ただの報告程度の気持ちだった。
色々経験した自傷の中でも、少し珍しいな、変な発想、と思っただけだ。

解離すると、痛みも苦しみも悲しみも、現実感覚もなくなる。
どうでもいいのだ。
ところが、その前後に何があったのか、
どんな気持ちだったのか、と執拗に訊いてくる。
違う話がしたいのに、足への自傷に話題を戻す。
思い出そうとするが、何も思い出せない。
何かあったっけ、とカレンダーを見つめるが、
私には普段から日にちや24時間という感覚がないので、分からない。
カウンセリング当日の私の状態は、こちらの記事<解離。解離。解離。>
に書いた。


いつも、こんなふうなのだ。
だから、カウンセリングがなかなか進まない。
解離とは、虐待という酷い環境の中で生き延びるために身に着けた、
「自分を消す」という自己防衛機能なのだが、
治療では逆に、この機能が大きな障害になっている。

こうしてブログに綴っても綴っても、
考えても考えても、私は、自分のことが分からないし、
肝心な記憶ほど、思い出せないのだ。
自動的に強固なロックがかけられている。


カウンセラーのK先生は、足の自傷に至った前日のことを知りたがる。
最初は、なんでしょうか、よくわかりません、と答えていたが、
話しているうちに、泣いている自分の姿を思い出した。
どうしてあんなに泣いていたのだろう、と思った。
1週間ほど前のことなのに、既に私には他人ごとだ。
解離とは、恐ろしい病気だ。


K先生は、リストカットでもなく、アームカットでもなく、
足を傷つけなければならなかった理由があるのだ、といった。
そういえば、私も自傷に気がついた朝に不思議に思ったのだった。
なぜ、解離した私は足の裏なんて切り刻んだのだろう、と。

また話が逸れて違う話をしていたときに、私はふと言った。
「最近、毎朝目が覚めるとまず、「戦わなきゃ」と思うんです」
先生は、何と戦わなきゃ、と思うんですか、と訊いたが、
そのときは、よく分からなかった。
とにかく毎朝、そう思うのだ。
そして、起きるなりPCの電源を入れて、ミルクティーを入れて、
飲みながら、とにかく自分について書く、
書かなきゃ、自分のことを考えなきゃ、戦わなきゃ、と思う。
そうして朝食を食べることを忘れるのが、最近では日常だ。

また別の話をした。
朝青龍をテレビで見かけるようになったから、
仮病野郎め、と私はまた腹が立っていたからだ。
先生と、あんなのが解離性障害なものか、と話すと気が収まった。

また、あやの話になったから、またパターンで泣いた。
なぜこうも泣けるのか、自分で不思議で仕方ない。
今までと違うことを、私は言った。
「あや」に関する記事が増えてきて、
ブログでカテゴリーを作ろうかと思うけれど、
そうしたら、バラバラになって死んでいるあやの体が繋がって、
生き返ってしまうようで怖い、と泣いた。
何かが、私の心の中で進行している。
あやの死を悼んでいただけの私の中で、何かが変化してきている。


突然、ああ、と私は気づいた。
私が「戦わなきゃ」と思っているのは、あやを失った今、
「ひとりで歩かなきゃ」「ひとりで頑張らなきゃ」
「前に進まなきゃ」と、思っていることなんだな、と。
「虐待の連鎖を止めなきゃ」
「そのために行動しなきゃ」という意味なんだな、と。


実は、そんな自分自身に息切れを感じていた。
もういやだ、戦いたくない、歩きたくない、頑張りたくない、
前に進みたくない、愛されたい、誰かにもたれたい、
そんなふうに、心の底では感じていた。

ブログの管理画面で、そんな気持ちを綴った自傷前日の記事が見つかった。
私は、疲れ果てていた。
さびしい、疲れた、もういやだ、考えたくない、過去を忘れたい、
戦いたくない、誰か助けて、
そんなことが、山ほど書いてあった。
それを、私はアップしなかった。
そんな泣き言を言う私は、役に立たない。
そんなことを言っていたら、私の人生は駄目になる。
病気に負けてしまう。
だって、もう誰もいないんだから。
病気だろうが何だろうが、人生は止まってくれない。
自分で歩いていかなきゃ、生きていけない。


そんな気持ちを思い出して話したら、
K先生は、やっと謎が解けた、という顔をした。
リストカットでは意味がなかったのね、と言った。
意味が分からず問い返したら、
「あなたは、心の底では本当は、もう前に進みたくない、
歩きたくない、休みたい、と思っていたのに、
本体のあなたは進まなきゃ、歩かなきゃ、休んじゃ駄目だ、
と思って自分を追い立てていた。
だから、解離したあなたの無意識は、
もうあなたが歩けないように、進まなくていいように、
休めるように、無理やり足を切り落としたんでしょう」
と言った。
私は、K先生の言葉に、かなりの衝撃を受けた。

本当に、そう思っていたからだ。
足を切るなんて、普通そうは考えない。

切り取った足の皮や肉は、数日経っても部屋のあちこちから出てきた。
合わせると、相当の量だった。
そのことも先生は
「あなたは、ブログを書くことを、身を削る思いで書いている。
身を削らなくては書けないと思っているでしょう」
と言われた。
本当に、そのままのことを考えていたので、また衝撃を受けた。
削っても削っても、核心に到達しない自分に苛々していた。
下書きばかり、10も20も書いた。
まだ足りない、もっと掘り下げなければ自分が見えない、
虐待の真実が伝わらない、でも思い出せない、
こんなことじゃ駄目だ、私は何もできない人間になってしまう、
もっと自分を削らなきゃ、もっと自分のことを考えなきゃ、
思い出せ、思い出せ、と必死だった。


努力が、たまに記憶にヒットして、フラッシュバックを起こした。
それが、思えば足を自傷した前日の記事、
<キリンの首><消える>だった。
ただし、この記事のことや、解離寸前の激しい頭痛などは、
こうして記事を書いている今思い出したことだ。
カウンセリング中には思い出せず、話せず仕舞いになった。
思えば、ものすごい苦痛だった。
私の記憶を一冊の本にたとえるなら、多分1ページの切れ端の切れ端、
指先ほどの断片を見るだけで、私は壊れてしまった。

私は、恐ろしくなったのだと思う。
自分が抱える怒りや苦痛や恐怖に
一人で立ち向かわなければならないことに。
ものすごい頭痛と、止まらない涙が、恐ろしかった。
もう少しましな状態だと思っていたのに、
もう少し私は強い人間になれたと思っていたのに、
トラウマ一つ思い出すだけで、自己を失い昏倒する私。
どう戦っていいのか、もう分からなくなったのだろう。

今の私も、そうだ。
分からないし、医者に「あや」のことを考えるな、外に出るな、と言われた。
今の私には、耐えられないから。
悔しい。こんなことしてる場合じゃないのに、と焦る。
でも、ほっとしている。
虐待について考えずに済む。
辛いことを思い出さずに済む。
思い出しさえしなければ、少なくともあんな恐怖や痛みは訪れない。
ただ、24時間がブツ切れに流れ、記憶が飛び飛びになるだけ。


自分で嫌になっていた。
歩かなくていいように、カミソリで足を傷つけた。
今も、傷が残っている。
当時、足の裏は、傷だらけ。
解離していた私は、泣きながら切ったのだろうか。
それとも、黙々と切ったのだろうか。
カミソリの場所を探し当て、
歩きたくない、という思いで傷つけたもう一人の自分を、
私は抱きしめて、大切にしようと思う。
歩かなくていいよ。
戦わなくていいよ。
そういって、慈しみ、安らがせてあげようと思う。


虐待の連鎖をとめたい、病気への理解を広げたい、
自分の内面を掘り下げなければ、誰かに知ってもらわなければ、
そんな回復へ向かうための戦いは、少しの間、
お休みしようと思う。
自然に思い出したことは、記事にするかもしれないが、
目的に向かって自分を追い立てるのは、自分自身の身を守るために、
今はお休み。
大好きな絵や本や、映画のことについて書いたり、
好きな動画を紹介したり、
撮った写真やハンドメイド作品の展示を増やしてみよう。
読んでくださる方たちも、
この美鳥の休暇を一緒に楽しんでくださったら嬉しい。


足を切らなければならなかった、もう一人の私が、
かわいそうで、仕方ない。
戦いたくない、歩きたくない、怒りたくない、誰かに守られたい。
そんな声を、私は捻じ伏せて捻じ伏せて、
傷だらけで血だらけの足で、がむしゃらに走っていた。
ごめんね、ごめんね、涙が止まらない。

私は姫じゃないと書いたけれど、本当は、
優しくてかわいくて、いつも笑っている愛される姫になりたかった。



関連記事(* uta+cotori *内)リンク
(解離性人格障害と共に生きる私自身の備忘録として)

□自傷直前の記事
<キリンの首>
<消える>

□自傷内容 翌日の記事
<人魚姫式自傷>

□自傷翌日の記事
<姫がレンジでチンしてポイ>

□カウンセリング当日の解離状態
<解離。解離。解離。>


心の病気、
虐待・暴力の残酷さへの理解を広げたく、ランキングに参加しています。
応援よろしくお願いします。
         
 a_04.gif にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ

解離性同一性障害 | comment(13) |


2008/01/20 (Sun) あなたは、あなたの美しさを知らない。 side A

※ この記事は、性的・SM描写を多分に含んでいます。
未成年の方、嫌悪を抱かれる方は、閲覧をお控えください。
コメント(誹謗・中傷以外)歓迎です。

関連記事 (はじめに、こちらをご覧ください)
□<あなたは、あなたの美しさを知らない。 Introduction>



youdontknowA.jpg

<あなたは、あなたの美しさを知らない。>




Rが射精管理に耐えた。
何日も耐えた。
辛い、辛いと何度もメールが来た。
私は、Rの限界が何日間か、把握している。
今日も駄目、今日も駄目、と彼を追い詰め、
限界の倍の日数、耐えさせた。
彼は、夢精した以外、最後まで耐えた。


かわいい かわいい
あたしのペット


慈しむように撫で、それから爪を立ててやると、
Rは、私の指の動きを見下ろして、喘いだ。

ミトリ ミトリ
ミトリの指
細くて長くて白くてきれい


Rは、私の指が好きで堪らない。
爪の形まで、好きでたまらないという。


悪いこ
そのきれいなあたしの指を汚してる
これは誰のなんなの
言ってごらん


ああ ミトリ だめだよ
だって だって だめだよ

Rは答えないんじゃない。
興奮しすぎて、答えられないのだ。
証拠に、Rの体液が粘りを増して私の指に絡みつく。


だって何?
きかれたことに答えなさい


私が指を離すと、Rは、せつなく息を吐いた。


だってミトリ ミトリの指が 
ミトリの指が きれい きれい
俺おかしいよ
ミトリのせいじゃないか


私は、思わず笑ってしまう。


なんでもあたしのせいなのね
傲慢な赤ちゃんR
あたしのきれいな指が汚れるのは
あなたのこれが 
だらしないからだけでしょう

ごめんね ごめんねミトリ


Rは、「ミトリ きれいだ きれいだ」と呻きながら、射精した。
私は、Rの苦しげな声と、あられもない性器と、
そこから迸る体液が、きれいで、いとおしいと思う。

私が命じるままに従う自分に、
「ああ 俺はなんでこんなこと」
「やばい 俺なんでこんなことしちゃうんだろ」
Rが「どうしよう」というたびに、私の背筋を寒気のような熱が走る。
Rは、うわ言を口走りながら、
私に身体を操られ、恍惚として、陥落し続ける。


かわいい かわいい ペットのR。
赤い縄で縛られて、膝で立たされたまま動けない。
彼の目の前で、
足を組んでソファに座った私の脚は、ブーツに包まれている。
ファスナーの音を、わざと立てるように、ゆっくり脱いでやった。
Rが、食い入るように見ている。
私の脚は、黒い網のストッキングに包まれている。
その足を、Rは見つめる。

蒸れた女の匂いが好きなんて。
まったく私の趣味じゃない。
私がMなら、こんなプレイ、何にも感じやしない。
だがRは、こんなふうに虐められるのが、大好きなペットなのだ。
手が、かかる。


私のつま先で身体を辿られ、うめき声をあげて悶えるR。
猿轡をかまされて、やめてほしくても、言葉にならない。
言葉なんて、いらない。


言いたいことがあるなら 目で言ってみなさい
そしたら なんでも言うこと聞いてあげるから


私は、できもしない無茶を言う。
彼は、潤んだ目を羞恥で伏せ、
躊躇うように私を見上げ、
許しを乞うように首を振る。
無意識に私へ突き出されたRの性器が体液を零す。


卑猥で生々しくて、なんて素敵。

そんなにあたしの脚がすき?

彼が呻く。悲鳴のように呻くから、
ソファから立ち上がって、猿轡をといてやる。

ああ ああ 好きなの 好きだよ
ミトリのその脚で俺の顔を撫でて


必死で私を見上げて懇願するから、
そんなことしてあげない、と笑った。


望みどおりには してあげないよ
あなたが想像できるような 
安い責めはしないのよ
これから Rがあたしに何をされるか分かる?


彼は、分からない、と何度も答える。


教えて 教えて 教えて ミトリ


私は、身をかがめて彼の男らしい喉を片手で掴む。
きれいだ、と彼が言う私の指で、彼の喉と性器を掴む。
悲鳴のような嬌声をあげ、身を捩るRを押さえつける。
押し付けた私の体を薄く覆ったベビードールの裾が、
とめどなく溢れる彼の、生ぬるい体液で汚れる。
喉から優しく手を滑らせて、彼のかたい髪を撫でてやる。

耳元に唇を近づけただけで、また悲鳴をあげるR。
ろくに話しかけられやしない。


ねぇ R ?
よく覚えておいてね
あなたがどんな予想をしても
私の命令は絶対読めない
あたしはいつもお前の予想を裏切るの
予想できないから不安でしょう?
でも しってるのよ
それが気持ちよくて仕方ないのよね R


ああ そんなのがいい
そんなのがいいんだ ミトリ
それがいい いいよミトリ


Rが呻く。
私は、喉で笑う。
「いい」と「ミトリ」しか言ってない。
脳まで犯されて、彼は他の言葉を忘れたみたい。
耳朶を甘く噛んでやると、Rは、また悲鳴をあげる。


ほら、と血のように赤いレースの裾を捲くりあげ、
ストッキングを見せてやる。
黒いガーターベルトを外してみせる。

Rは、目を見開いて苦しげに息をつく。


きれいだ きれいだ
ああ ミトリ


Rは、馬鹿になってしまった。
何をされても同じことしか言えないR。
吠えるしか能がない犬みたい。


Rの口で 脱がせてごらん
できたら ご褒美あげてもいいよ


Rは、鍛えられた体を真赤な縄で後ろ手に縛られ、
腿を固定され、体中を縛られて、
膝立つことしか許されていない。
自由がきかない身体で、私にいざり寄る。
目の前に立つ私のストッキングを
口でくわえて一生懸命脱がせようとするRの瞳は、
羞恥と劣情で濁って見える。
光彩が妖しい光で満ち、瞳孔が開く。
ストッキングの黒い網目が、Rの綺麗な白い歯に絡みつく。
肉に喰らいつく飢えた獣のようだ。
荒い息とクンクンと犬のような、こもった嬌声が響く。

Rのかたい顎が、何度も私の太ももを擦る。
私は、快感で瞳を眇める。


へたくそ!
もっとうまくできないの?
立ってるあたしが疲れちゃうじゃない
早くしなさい


わざと苛立つ声をあげてやると、Rは、哀しげな声で鳴く。
大好きな私の足で、足蹴にされて、よろめきながら恍惚と鳴く。


ごめんね ごめんね ミトリ
がんばるから
俺がんばるから
ああ きれい
きれい きれいだよ ミトリ


Rは、額に汗を滲ませて、性器を硬く突き上げ、
息も荒く、喘ぎ続け、
私よりよっぽど疲れているように見える。



狂ってるね R
もっと壊してあげようね


頭を撫でると、Rは私の足に頬をすり寄せ、
甘えたように、うっとりと呟く。


ねぇ 俺はミトリのペットだよね?
じゃあ俺は ミトリの犬なの?


さあね?
どうかなぁ


私は、答えをあげない。
犬かどうかは、これから決める。
私が、Rの全てを決める。



Rが、やっと脱がせ終えた。
褒めてもやらずに、
私はRが口にくわえたストッキングを乱暴に取り上げる。


ねぇ R ?
目隠しでも猿轡でもない
Rは そんなものじゃ満足できないでしょ?


ストッキングや下着、女性の匂いが大好きなRは、
大好物の餌を主人に取り上げられて、切なげに鳴く。


お前が大好きなことしてあげようか
Rをもっと壊してあげようか
壊されたい?


何をされるか予想もつかないRは、私を見上げ、
観念したような、怯えたような、
それでいて深い崇拝をこめた眼差しをしている。
こんな目、そうそう見れるもんじゃない。


この

かわいい

変態め


私は、取り上げたストッキングでRの頭部を縛る。
彼は、必死で抵抗する。
恐ろしいのだ。
構わず私は冷徹に彼を縛る。
さっきまで、私の足を薄く覆っていた繊維が彼の口と鼻をふさぐ。


瞬間、呻いて彼は射精した。
縄で固定されたRの
かたい筋肉で覆われた体がしなり、
赤い縄がRに食い込む。
痙攣し、のたうって、Rは溢れるままに声を迸らせた。
生臭い、男の体液の匂いが、鼻をつく。
射精している彼は今、私の匂いしか感じていない。
羞恥と自身を貫く快感に、Rは目をかたく瞑ったまま。
彼自身すら、彼の姿を見ていない。
私だけが、見ている。
私は、至福のため息をつき、
熱で潤んだ両目で、Rの卑猥な一部始終を眺める。


いくときは、ちゃんと言いなさいって言ったでしょう
どうして いくって言えないの?


荒い息をつきながら、
Rは焦点の合わない瞳で、声を上擦らせる。


ああ ミトリ ごめんなさい
だって こんなのだめだよ 
無理だよ
がまんできない


体を震わせながら、Rは切れ切れにすすり泣く。
快感に最も正直な器官の先端からは、
まだ濁った体液が、糸を引いて床に滴り落ちる。


そんなにあたしの匂いがすき?
こんなことでいっちゃうなんて
とんでもない変態ね R


ああ ミトリ ミトリ
好き 好き
どうしよう
ああ ミトリすごいよ
すごいよ
俺 こんなんでいいのかな
俺 すごいことしてる
やばいよ どうしよう
どうなっちゃうんだよ


Rの声は、既に悲鳴だ。
なんて心地良い響き。
もっと泣け。
もっと叫べ。
もっと喚け。


壊れていいよ
壊してあげる
もっと壊れたいくせに
もっと壊されたいくせに


Rは、一度射精すると、頭が跳んでしまう。
クリアにならない。
どんどん頭が快感で濁る。
熱に浮かされた病人と、まるで同じ瞳になる。


ごめんね ほんとごめんね
こんな俺でいいのかな
俺こんなんで ミトリ ひいちゃうよね


どうしてそんな心配するの?


だって俺こんなの変だよ
おかしいよ


私がRをおかしくしてるのよ
お前は余計なこと考えなくていい
もっともっと おかしくしてあげる
Rの頭の中を 犯してあげる


Rは、私の言葉を聞いただけで、既に喘いでいる。
私に頭の髄まで犯されたくて、犯されたくて、
既に思考のほとんどを、私に明け渡している。


それともいや?


いやじゃないよ
いやなわけない
いやじゃないって知ってるくせに
知ってるくせに ミトリ


知ってるわよ お前のことなんて
Rはあたしのペットだよ
Rのからだはミトリのなに?


おもちゃ
おもちゃ
ミトリのおもちゃです


私が教えた通りに、Rは答える。
賢い犬。


いい子ね
そうだよ お利口さん
鳴いてあたしを愉しませる
お前はそれだけでいいの
Rが泣いても喚いても
何度射精したって
あたしが飽きるまで放してあげない


ああ そんな
そんな ミトリ


いやなの?
じゃあやめようか
ミトリに弄ばれて可哀想なR
かわいそうだから やめてあげようね


Rの顔が、悲痛に歪む。

私は、そんな顔が見たい。
もっと泣いて。
もっともっと叫んで。
お願い。お願い。もっと見せて。


あーあ 泣いちゃった
泣くくらいいやなら やめてあげるね


意地悪く笑う私に、
Rは、許しを請うように、
俯いてすすり泣き、熱で枯れた喉で囁く。


やめないで
やめないで ミトリ

かわいそうな俺を見て 
かわいそうなのがいい

お願い 俺の全部

ミトリ ミトリ
かわいそうな俺を見て


おねがい おねがい

俺を見て ミトリ

きれい きれい

ああ ミトリ



私なんかより、
私の前にすべてを曝け出すRの方が、ずっとずっと綺麗だけれど。

教えてやらずに、私は全てを見ていてあげる。


(了)



↓ランキングに参加しています
クリックしてもらえたら とてもうれしいです
         
 a_04.gif にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ

SM algolagnia | comment(6) |


2008/01/19 (Sat) あなたは、あなたの美しさを知らない。Introduction


この記事は、性的・SM描写を多分に含んでいます。
未成年の方、嫌悪を抱かれる方は、閲覧をお控えください。
コメント(誹謗・中傷以外)歓迎です。


後ほど更新します記事
<あなたは、あなたの美しさを知らない。sideA>
について。


次回記事は、SMの世界を綴った、
現実をもとに構成されたフィクションです。



普段は、主に心の病気について書いている当ブログです。
カテゴリー<algolagnia(sm)>は、たまにしか更新しません。
唐突にSM世界を描いたエントリは、配慮を要すると思い、
当記事を書きました。


読んでくださる方で、
SMを経験されたことのない方に、
私のSM観をお話したいと思います。
食べ物の嗜好などと同様、人それぞれですが、
以下は、SM愛好家の世界では、極一般的なSM観です。


SMは、現実から切り取られた、ひとつの世界です。
奇妙さと、滑稽さと、愛おしさと、狂おしさ、
アイデンティティの崩壊と再構築、鏡を覗きこむような無邪気さ。
全てが混然となって快楽となる遊戯を、SMと呼びます。

SMの世界では一般に
「Sは、サービスのS。Mは、満足のM」といわれます。
Sが鞭を振るおうが、Mが満足しなければSはMを打てません。
人間だから、当然です。
Mもまた、ろくでもない人間から鞭打たれれば腹が立ちます。
Mを鞭打っていいかは、Mが選び出したSだけです。


SMを経験してみたいという人に、私はよく言う言葉があります。
「人の頭を踏みつけるところを想像してみて」
誰もが、想像しただけで精神的衝撃を受けます。
怖い、できるかどうかわからない、と答える人が多いです。
それが、当然です。
SだMだといっても、普通の人間です。
鞭も縄も針も拘束具も使わない、
ただ、足で人の頭を踏みつけるという行為。
その行為にかかる、精神的負荷。
これをSとMの両者が、敢えて乗り越えた先に、
繊細で互いを癒しあうSMプレイがあります。
この抵抗を乗り越えなければ、味わえない快楽がSMです。
快楽の度合には、常に対価が求められるのです。


人を支配すること、支配されることは、
相手の心が傷ついたときにも受け入れる覚悟が必要です。
プレイ中では、嫌でも引き受けることになります。
Sがリードするでもなく、Mがリードするのでもありません。
Sの感性とMの感性が、即興で創りあげる奇妙な世界です。
精神的にも肉体的にも危険が伴うため、
閉塞された空気の中に、
互いへの濃密な信頼と不安が息苦しいほどに満ちています。
素晴らしいプレイを体感すると、SもMも感動して泣きます。
Sは、よく頑張ったね、とMを抱きしめて泣き、
Mは、嬉しい幸せだ、と泣きます。


SMプレイを望む人たちを、私は滑稽に思うことがあります。
切実過ぎて、滑稽だと思うのです。


分かりやすい例として、縛りを挙げたいと思います。
例えば、縄で人体を縛るには、頭がよくなければ無理です。
有名な亀甲縛りなどありますが、
あれは無数の縄を使っているように見えて、
実は縄は、一本か二本しか使われていません。
一本数メートルもあるので、扱うだけで大変です。
手ほどき本や、ひたすら縛りだけをレクチャーするDVDが出ているくらい、
知識と涙ぐましい陰の努力が必要です。
危険を考慮して、Mの体調が悪化したときなどに備え、
すべての結び目を記憶し、すぐに解けるように縛ります。
しかし、恐れてゆるく縛るとMは不満を持ちます。
絶妙な力加減と、
相手によって変化させられる鋭敏な感覚が求められます。


吊り上げる場合は、
人体の重心がどこにあるのか知り尽くさなければ、不可能です。
気管や血管の場所も把握して、危険を避けます。
勉強会があれば、プロの方や極めたい素人は、出かけていきます。
麻縄を使う本格的な縛りの場合には、植物でできているため、
日ごろからの縄の手入れが必要です。
例えば、縛りが下手なSは、
ハイレベルなプレイを望むMからは下に見られます。
逆に、ただ自分の満足ばかりを追求したがるMは、Sに嫌われます。
かといって、自分に媚を売るMも、Sは嫌います。
常に、自然なMの反応を見たがるのが、Sという人種です。
Sは、常にMの満足を求め、Mは、常にSの満足を求める。
そして、同時に快楽を共有しようとする。


上記以外にも、医療プレイなどを専門とするSは、
数限りない知識を要します。
それらの知識は、大概Mに隠れて懸命に勉強し、
そして披露するときには、
何の苦労もないかのような涼しい顔をしていなければなりません。
表情一つでも間違えれば、それを目にしたMが不安になり、
プレイが楽しめないものに一変するからです。

蝋燭プレイなど、大概のSが、Mに施す前に自分で試しています。
Mを傷つけないためです。
力加減を知るために、Mに施す前に自分で試すSは、多いです。


そんな数え切れない負担と手間をかけてまで、
SMプレイを愉しもうとする貪欲な人たちは、どこか滑稽です。
そして、切実です。
そこまでして、彼らは何を得ようとしているのか。
問いは、私自身にも同時に向けられます。
私は、なぜSMを必要とし、その行為から何を見出しているのだろう。


次回のエントリは、
私の現実をもとに創作したフィクションです。

プレイそのものの1シーンを切り取り眺めることで、
SMの世界、サディストの感性と内面を描き出したくなりました。


パートナーとして登場するRは、38歳。
普段は、建設関係の営業職、仕事にも熱心な二児の父親であり、
社交性があり、スポーツ万能で、
明るく裏表のない、ごく普通の男性です。
常に人を笑わせる機転とユーモアを持っています。
少々、寂しがりやなところがあります。
私と出会った当時、
彼は、自分の嗜好は変わってはいるが、Mではない、と言いました。
どちらかというと、今まではSだと思っている、と。
男性は、大概そう思っています。
大概の男性が、
ノーマルなセックスでは、リードする立場にあるからです。


彼の性的嗜好は、少々変わっていました。
羞恥、匂いに対するフェチズム。
とにかく女性のあらゆる部分の匂いが大好きです。
世間で言うところの”変態”です。
自分の嗜好に戸惑い、恥じ、妻に隠していました。


私の感性でも、理解が難しい嗜好でした。
しかし、私は、彼をMとして育ててやろうと考えました。
飛びぬけて肥大した不安や罪悪感、背徳、羞恥を持つ人間は、
うまく育ててやれば優れた感性のマゾヒストになる、との確信を、
私は、彼で試してみたくなったのです。
私の感性が、彼をどれほど変容させることができるのか、
自分の力に興味がありました。
私は、彼の前では、サディストであることを選択しました。
Rも、Mである自分が見てみたい、と言いました。


これは、過去のお話です。
今現在の私は、SでもMでもなく、またMでありSであり、
人という業深い生物を愛でる遊戯、SMを好みます。
ノーマルなセックスも好きです。
多分、何でもいいのです。
興味を惹かれる誰かと、
深く心を通い合わせることができるなら、
きっと私は、どんな手段であっても構わないのです。


こんな世界もあるんだな、と
楽しんで読んで頂けると、幸いです。



□あなたは、あなたの美しさを知らない。 side A




心の病気、
虐待・暴力の残酷さへの理解を広げたく、ランキングに参加しています。
応援よろしくお願いします。
         
 a_04.gif にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ

SM algolagnia | comment(4) |


2008/01/19 (Sat) 夢分析に関する記事について

いつも、* uta+cotori *を訪れてくださっている皆さんに、
ご連絡です。
カテゴリー<dream>で公開しておりました記事を、
一旦すべて、削除致しました。

夢が果たしている役割、夢という世界の不思議、
夢分析、心理分析が及ぼす心への影響などについて
書いてみたいと思い、設けていたカテゴリーです。
しかし、読んでくださる方に、現状では不親切だと思い、
より分かりやすい記事構成に変更することにしました。
これを機会に、すべてのカテゴリーについても、
一度見直してみたいと思います。


私が見る夢の世界を支えている要素は
「愛情・性・破壊欲求」の、三つです。
色濃く反映された世界です。
15年間ほどの心の有り様に伴い、
夢の世界は、驚くほどに変容していきました。
私の夢は、15年前から物語が継続しているのです。


その過程を、分かりやすく表現したいと思います。
そのためには、私の夢の世界の地図が、どこから始まり、
どんなふうに姿を変えていったのか、
全体図から、お話しすべきだと思いました。

15年前の原点となった夢、
そしてその後の過程の概略をご説明した上で、
2007年4月から現在進行形の、私の夢の記録を、順に更新致します。
他カテゴリーの記事の合間、合間にエントリすることになると思います。


人の心は、現実では、なかなかに不自由ですが、
無意識の世界は驚くほど自在に変化し、そして色鮮やかで美しく、
無限の広がりを持っていることを、お伝えできればと思います。
大概は、悪夢です。
そして、奇妙で、不安に満ち、暗示と示唆の影が射しています。
そこに一筋、光が見えます。
生きたい、生きたい、と願う、私自身の願いです。


残酷だけれど愛情と性と破壊欲求、
そして再生へのエネルギーに満ちた、
私だけの世界です。
最近、このもうひとつの世界を、自分の心そのものだと実感し、
愛おしく感じられるようになりました。
壊れた心を、自身の心の力で再生していく物語です。


いつも読んでくださる皆さん、ありがとうございます。
コメントで言葉を交わしたことのない方にも、
この場を借りまして、ぜひ感謝の言葉を捧げたく思います。
お気軽に、お声をかけてくださいね。
いつもありがとうございます、と心から、お伝えしたいです。



               * uta+cotori * 美鳥



心の病気、
虐待・暴力の残酷さへの理解を広げたく、ランキングに参加しています。
応援よろしくお願いします。
         
 a_04.gif にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ

お知らせ | comment(4) |


2008/01/18 (Fri) 体だけは残して

病院に薬だけ貰いに行ったら、
意外にも空いていたので、今年初の診察を受けた。
ここでも例外なく、足の自傷について驚かれた。
なぜそんなことを!?と訊かれたので、
カウンセラーに言われたままを伝えた。
足の傷は、病院でみてもらったのかと訊かれたので、
そういえば病院に行くなんて考えもしなかったなぁ、と思った。
処置しよう、と言われたけれど断った。
何度も言ってくれて、心配されるのが妙な気持ちで、
なんだか嬉しかった。


解離すると、自分の体に頓着できなくなる。
病気なのに放置していて、死にかけたこともあった。
真っ青な顔で痛みで一歩も歩けなくなっても、
仕事します、と言い張って仕事していたのだ。
仕事が、とにかく大好きだったし。
見かねた社長に、
今すぐ病院に行った方がいいとしつこく言われたので、
大丈夫なんですけどね、と言いながら渋々行ったら、
「あなたあと1時間遅れていたら、意識不明で倒れて死んでましたよ」
と医者に驚かれた。
そんなに悪かったのか、と私自身が驚いた。
解離は、色んな意味で危険だ。


私の話を聞き終わって、医者のN先生は、
やはりそこまで解離する理由を訊いてきた。
言葉に詰まる。
仕方なく、あやの話をちょっとだけしたら、
やはり涙が止まらなくなった。
死んでしまいました、
死んだことに私はしていたいようなんです、と話した。
N先生は、今はそのことは考えないように、と言った。
今の私は、
そのことをまともに考えて受け入れられる状態にないという。
「あなたの中の大事な誰かが死んでも、構いません」
といわれた。
「中の誰が何人死んでもいいんです。とにかく、体だけは残してください」
「体だけは、残すんですよ」
と、何度も言われた。
<あや>に執着している私にとっては、
「死んでもいいんです」は酷だった。
でも、死んだことにしていたい今の私にとって、
考えないでいい、といわれることは、ある意味ほっとする。


毎朝、目が覚めたら「戦わなきゃ」と思うんです。
N先生に言ったら、分かります、
あなたから、そんな空気をものすごく感じます、と言われた。


とにかく自分を休めてください、といわれたから、
じゃあ、絵を見に行きたいなぁ、と思ったら、
外出は駄目だと言われた。
解離状態で外出したら、怪我をするから、と。
確かにそうだ。その言葉には、納得した。
転んだり、倒れたり、
車にひかれそうになったり、車道に飛び出していたり。
日常茶飯事で、以前は常に傷だらけだった。
一番怖いのは、また顔を怪我すること。
前回は、運が良かっただけだ。傷が残るのは、怖い。


家にずっとこもっているのは嫌だなぁ、と、
普段は苦痛にならないのに、指導されると嫌になる天邪鬼。
仕方ないので、帰りにスーパーに寄って、食料を買い込んだ。
お惣菜コーナーに行ったら、
そこで痙攣を起こして、倒れている男性がいた。
救急車が来た。
スーパーで、あらゆる人の好奇の目に晒されている男性を見ていると、
ひとごとではない、と思った。
しばらく、自分の部屋でおとなしくしていようと思う。
外に出ると、人ごみでの刺激やら色々あって、自分が保てなくなる。
良い機会だから、大掃除して、着付けのおさらいでもしよう。
戦わなきゃいけないときもあるけれど、
しばらく、ゆっくりのんびりすることを心がけよう。
足は、二箇所を残して、それほど傷が目立たなくなった。


昨日は、思えば震災の日だった。
あの日のあの瞬間の恐怖や、家中めちゃくちゃになったこと、
なくなった人たち、給水車の前に並んだことなんかを思い出した。
センター試験を受けた翌日に、試験会場がぺちゃんこになった。
電車も車もとまって、電話もしばらく繋がらなかった。
あの日を境に人生が変わってしまった友達のことも思い出した。
どうしているんだろう。
しんみりして、テレビに流れる特集番組を見ながら、
これを書いている。
生きていられるだけで、ありがたい。
揺れない大地が、水が、食料が、
電気が、屋根が、すべての人の気持ちが、ありがたい。
あの日ほど、強烈に思ったことはない。



心の病気、
虐待・暴力の残酷さへの理解を広げたく、ランキングに参加しています。
応援よろしくお願いします。
         
 a_04.gif にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ

治療日記 | comment(4) |


2008/01/18 (Fri) 自立支援法って悪法。

やっと、病院に行けた。今年初。
予約していなかったので、薬だけ貰いに行ったら、
思ったより空いていたから、診察も受けた。
激しく泣いた。
このブログにも、後でちゃんと記録として書こうと思う。


来月で、障害者自立支援法の一年間の期限が切れる。
継続申請の書類を、渡された。
私が、通院を始めた10年程前には、期限なんてなかった。
記憶が曖昧だが、少なくとも7,8年前には、なかった。
転院しない限り、ずっと指定の病院で適応されたし、
負担額も、私の場合、今の半分だった。
毎年、診断書代を払って区役所に出向く手間もいらなかった。
区役所にすら、行かなくて良かったのだ。
なぜこの法律が見直されたのか、と背後を考えると嫌になる。
浪費が特技なこの国の、財源確保なのだろう。


認定されるまで、2,3ヶ月かかる。
この日数は、昔と変わらず。 かかりすぎ。
民間なら、ありえない仕事の遅さだ。
書類自体、なんだか安っぽいコピーされた書面だし、
この紙が果たして本当に重要なのだろうかと思えてくる。
提出した書類は、役所内をたらいまわしにされて、
各所で印を貰うようだが、従事者は内容など見ていないと聞いた。
なるほど。そんな雰囲気が、紙面から溢れている。


毎年かかる診断書代も、
精神障害等で通院している人間にとっては痛い。
「自立支援」と称して、支援どころか悪法も悪法だと思う。
一年間という期間が、まず、どう考えても短い。
例えば、軽度の鬱病にしても、一年以内に完治した、という例は、
私のまわりでは、聞いたことがない。


同様に、老人の在宅介護にも「自立」を冠する法律ができた。
これも、悪法として名高い。
幸いにも、私の祖母の場合は、納得がいく査定だった。
私の知人は、在宅介護している親の介護度が、
「自立」と名のつく法律ができてから、再査定され、
要介護度2から、要支援度1に格下げされたらしい。
この法律をありがたがっている人にも、
いまだ一度もあったことがない。


法律の見直しがされてから、私が以前より得したことは、何もない。
書類は三枚、これに原本を足して、区役所に行かなければならない。
出来るだけ早めに、と受付の女性に言われたが、
直前に、診察室で医者から外出禁止命令を受けたばかり。
無理だー。


それに、私は区役所が苦手だ。
行けば、もれなく憂鬱になる。
公務員は一度、民間のサービス業系企業に、
接客修行に行ったほうがいいと思う。
窓口業務で、愛想がないのは致命的。
仕事に何の熱意も持ってないのだなぁ、と納得させる顔と
顔を突きあわせて、小難しい書類を書いていると、
さっさと帰りたくなる。
なのに、やたら遅くて待たされる。
行きたくないなぁ。



心の病気、
虐待・暴力の残酷さへの理解を広げたく、ランキングに参加しています。
応援よろしくお願いします。
         
 a_04.gif にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ

治療日記 | comment(4) |


2008/01/17 (Thu) 解離。解離。解離。

カウンセリングに行ってきた。
数日前にしでかした、足の自傷について話したら、
かなり驚かれた。珍しいケースらしい。

私は、さほど気にしていなかった。
天気の話をする感覚で、ああそういえば足の裏が、と話した。
今日は、解離がひどくて、ちょっとおかしい。
今日だけじゃなく、
一週間前から解離したり戻ってきたり、を繰り返していたようだ。
一切、何も苦しいことはないし、悲しいこともないような気がしていた。
一週間前から続いている感覚だ。

思い返してみれば、自傷した翌日に、多少落ち込みはしたものの、
さほど重要視していなかった。
記事を書くものの、怒ったりするものの、少し後で、あれ?と思う。
そんな繰り返しだった。
足は痛いが、それほどひどい傷とも思わないような、
でも痛いからひどいのかな、不自由だな、という妙に乾いた感覚だった。
でも、考えてみれば、一昨日まで、一番ひどかった右足の裏は、
ざっくり切り込まれた跡が、まだぱくぱくしていた。
「ぱくぱくしてんねん」と、東京の弟に話したのを覚えている。

その時点で、解離していると気づけばよかったが。
難しい。
いつもは私に話の流れを任せる先生が、
やたら足の自傷に話を戻したがるから、
最初は、なんでだろう、程度に思っていた。
聞かれるままに色々話して、一時間ほど後に、
「なぜ手首ではなく足なのか?」が分かった。
重要な理由が、隠されていた。
手首では、駄目だったのだ。足でないと。
私自身、意識しないうちに選択したらしい。
長年カウンセリングに通っていながら、この事実は、衝撃的だった。

なぜ自傷したのか、も分かった。
私は、苦しいこと辛いことがあると解離する。
だから、「自傷」という証は残るが、
衝動の理由が、後から考えても分からないことの方が多い。
一時間かけて、ようやく自傷した前に自分に何があって、
一体何がきっかけになったのかが、今日ようやく分かった。
先生が先週、「あやちゃん」と言って以来、
私は完全に、心の安定を失って、この一週間を過ごしていたようだ。

あやの話を避けたのに、避けているのを見破られ、
今日も、あやの話になってしまった。
また、ぼろぼろ泣いた。
悲しい、と、怖い、しか言えない。
あやが生き返ったら怖い、と言って泣いた。
解離状態が深刻でも、
あやの話だけは、私の何かを激しく揺さぶるらしい。


今日は、本当に解離がひどいらしい。
自覚できるレベルだから、多分、相当ひどい。

一瞬前の記憶が、頻繁に消える。
顔を洗おう、と思ったら、もう洗い終わって顔を拭いた後で、
痕跡を見て、そうか、洗ったのか、という感じ。
そんな感じで、いちいち自分の行動を確認して準備していたら、
電車を一本逃してしまった。
電車に乗ったと思ったら、知らない間に乗り換えていた。
カウンセリング中も、話しながら激しく違和感。

帰りに、髪留めを見に行こうと楽しみにしていたのに、
気がつくと、もう店を通り過ぎた後だった。
知らない間に買い物を済ませていた。
重い袋を持って書店に行ったところまで覚えていて、
その後気がつくと、もうデパ地下に戻って来ていた。

帰りの電車に乗ったら、次に気がついたときは、
自宅の最寄り駅の改札を出たところ。
地上から吹いてくる凍るような風に、寒そうだなぁ、
とマフラーをただしたら、
次に気がついたら、もう家の前まで帰ってきていた。
瞬間移動するような感覚だ。
外が寒かったのかどうかも分からなかった。
でも、指先まで冷え切っていた。

気がついたら買ってきたお弁当を食べ終わっていた。
楽しみにしていたお弁当だったのに、味は分からなかった。
それなら、どうでもいいものにしておけばよかった。
デザートのパンプキンプリンを食べているあたりで、味覚が戻ってきた。
石井のパンプキンプリンは、かぼちゃ入りすぎ。
美味しかったけど。


解離している状態で、母にメールを送ったとか何かしたのか、
母から深刻なメールが来ていた。
気が重い。
履歴を見れば、自分が何を書いたか分かるだろうけれど、
今日は見ないことにした。
東京の弟も、連絡しないでいると、
「もう実家のことは忘れたのね」
みたいなメールが母から来たことがあったというし。
その類だと思っておこう。


英会話の新年会への参加を、キャンセルした。
今の私には、無理だと思って。

ぼーっとしていたから、間違って、
半年連絡を取っていなかったHさんにかけてしまった。
今日、一番の奇跡だ。

お互い間違い電話なので、最初は戸惑った。
声と名前から、相手がHさんだとわかった瞬間、私は思わず
「Hさん!バッグ、ありがとうございました!」と叫んでいた。
叫んだと同時に、涙が溢れた。
やっと、やっと、私のために、
Hさんがデザインして贈ってくださったバッグのお礼を、
言うことができた。
意気地なしだった、私。
お礼さえ言えなくて、ずっとずっと、自分が嫌だった。
病気のせいなのか、それとも私が怠惰なのか、
それとも、裁判以来、
その土地の名前を見ただけで気持ちが悪くなるせいなのか。
裁判をすることになった土地が、怖い。
でも、そこにはHさんをはじめ、お世話になった素晴らしい人たちがいる。
そのギャップで、ずっと悩むだけ悩んで、行動できなかった。
間違い電話をかけなければ、私は、ずっと逃げていたかもしれない。

私が連絡できない理由を、彼女はよく分かってくれていて、
涙が止まらなかった。
私と同じ病気を持っていて、息子さんは、躁うつ病。
子供の病気を理解して、支えようとする彼女は、
一切病気を理解しようとしない両親を持つ私には
奇跡的にも思える家族愛を持っている。
同時に、彼女は、素晴らしいアーティスト。
私は、人に恵まれている。
家族には恵まれなくても、でも、人には絶対に恵まれている。
ありがとうございます、と何度も言ったけど、
涙で、あまり言葉にならなかった。
私に、「ありがとう」と返してくれる彼女に、また涙が溢れた。


そういえば、行きの電車で今日は人から笑顔で感謝された。
バッグを置き忘れてドアまで男性が歩いて行ったから、
男性にバッグを渡した。
バッグは、小さいけどずっしり重くて、
何か重要なものが入っている感触がした。
隣に座っているときは、気難しい印象だった男性が、
私の手の中のバッグを見るなり、パッと笑顔になって、
私に頭を下げて
「ありがとうございます!」
と言ってくださった。
私も、笑顔になった。
駅に着いた。
降りるときも、私に笑顔でお礼を言ってくださった。
些細なことなのに、笑顔を向けてもらうと、私も自然に笑顔になる。
心が温まった。

偶然で、ありがとうと言ったり、言われたり、
不思議な一日だった。


明日、友達と会う予定を後日に変更。
今日も、病院に行けなかったから。
これは、駄目だ。薬が切れる。
何が何でも、明日は病院に行こう。
とにかく何時になってもいいから、行こう。
それに、この解離状態。
医者に相談して、何とか改善しないと、
もうあんな馬鹿げた自傷は嫌だ。


そういえば、自分が片付けたのだろうが、
長袖のシャツが、丸ごと、どこかに消えてしまった。
それを探していたのも、カウンセリングに遅れた理由だ。
かなり探したけれど、一枚も見当たらない。
おかしい。

今日は、自分が全く、あてにならない。
カウンセリングでの話や、
頂いたバッグの話を書こうと思ったが、
今日は、やめたほうがいいみたいだ。
二度と自分を傷つけないように、
今日のカウンセリングで学んだことを復習してから寝ようと思う。



心の病気、
虐待・暴力の残酷さへの理解を広げたく、ランキングに参加しています。
応援よろしくお願いします。
         
 a_04.gif にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ

解離性同一性障害 | comment(2) |


2008/01/17 (Thu) 成分分析

昨日、更新した二つの記事を客観視すれば、
私は、相当怒っていたようだ。

今朝になると、軽い鬱状態。
よくある。
何かを主張することに慣れていない。
誰かに直接怒ったことが、つい最近までなかった。
怒りがこみあげてくると、悲しくて泣いてばかりだった。
いつも自分が悪いと思っていて、
主張して、誰かに、お前だっておかしいじゃないか、
お前にそんなこと言う権利があるのか、
と言われることを恐れ、怒りを決して表に出さなかった。

だから、昨日記事をアップしてから、不安になった。
でも、怒りはやっぱり怒りだと、今の私は感じられた。
励ましや同意のコメントを予想外に頂いたお陰で、
何度も消去しようかと思った記事は、残した。
怒っている私は、皮肉屋でみっともないかもしれない。
怖くて読み返せないが、消さないことにした。


だけど、今、軽く鬱。
なぜなら、件のコメントをもらってから二晩寝て、
目が覚めてようやく、
鍵コメさんへの怒りの成分分析が出来るようになったのだ。


鍵コメさんへの怒り 60%
  内訳  二度に渡り押し付けられた
       あなたの言葉は良くない醜いと言外に言われた
       事前に事情を話した努力が報われなかった

宗教団体への怒り(私の実体験) 40%
  内訳  宗教団体で9割がたが鍵コメさんのような人だった
       人間不信を決定付ける体験を幾つもした


以上が、成分分析の結果。
眺めてみると、鬱になる。
要は、鍵コメさんは、実際の約4割増し、
私の怒りに晒されたことになる。
気の毒だ。
誰って、鍵コメさんもだし、
怒って怒って不毛に苛立っている私という女も。


私が、鍵コメさんが熱烈に現在信仰している宗教団体に属し、
苦渋の経験をしたことで、私は狭量になっている。
体質的に受け付けなくなった。
以前なら、同じ宗教をしている人と結婚するのが夢だった。
今は、そこに属しているというだけで、顔も見るのが嫌になっている。
こんな私と、いまだに親交を絶やさず、私という人間をまっすぐ見てくれている、
現信者の友人たちには、心から感謝する。
彼女たち、寛大で優しい人たちが存在することも知っているから、
私は何とか、バランスをとれている。

一人の友達は、自身熱心に信仰しているにも関わらず、
私の団体内での体験を、否定せず、すべて信じて聞いてくれた。
今まで、多くの人が頷き相槌を打って聞いてくれたが、
その直後に「それでも、続けなさい」と言ったものだ。
これ以上の素晴らしい宗教はないし、
やめたら罰が当たる、不幸になるというのが、
彼ら共通の理屈だった。
私が躊躇うのも、まさに同じ理由だった。

しかし、彼女は違った。
全部話を聞いてくれたうえで、きっぱり言った。
「分かった。もう、やめ。やめたほうがいいわ。
美鳥のためになってないどころか、これやってたら、
美鳥は駄目になる。
明日にでも私が言っておくから、もう明日にでもやめ。
この信心せな絶対幸せになられへんとか、そんなんないから。
罰なんて、あるわけないやん。
罰なんか、絶対当たらへんし、
信心せんくても、美鳥は絶対幸せになれるで」
言い切ってくれた。


彼女は、熱心な信者でいて、祈りの100倍行動していた。
そして、一本ではない、行く筋もの幸福への道が見えている。
私と同じような怒りをもった信者ではなく、
信者である彼女が言ってくれた言葉は、一番私の胸に響いた。
やめよう、と思い切ることができた。
籍は、抜いていない。
なぜなら、何かの拍子にそんなことが知れれば、父から殺される。
比喩でないことは、
以前から記事を読んでくださっている人には分かってもらえると思う。
父は、信仰があれば家族すらいらない、と明言した人間だ。
何をされるか、分からない。
本当は、すべて清算して手続きをしたいのだが。
上記の理由で、紙切れ一枚のこと、と考えるようにしている。



明日は、久しぶりにJちゃんと会う。
土曜日は・・・・行けるか分からないけど、
英会話クラスの新年会。
美容院にも行かなくちゃ。
体脂肪計も買いに行きたい。
理想の女性、ミラ・ジョボヴィッチか、
某海外ドラマのアマンダの写真でも部屋に飾って、
爪の先程度でも近づけるように、美容とダイエットを心がけたい。
怒るのは、もうやめよう。怒って心を滞らせるのは、やめよう。
少しでも、なりたい自分に近づけるように、エネルギーを使いたい。

街に出ると、知らない人と必ず話せるから面白い。
今日は、一日笑顔でいよう。
美味しいたべもの、美味しいスイーツ、美味しいのみもの。
たくさん買って、かわいいものをたくさん見てこよう。
この間見た、髪留めがほしい。
見てるだけで幸せになった。
まだ売ってたらいいな。



心の病気、
虐待・暴力の残酷さへの理解を広げたく、ランキングに参加しています。
応援よろしくお願いします。
         
 a_04.gif にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ

檻の中で生き延びる | comment(8) |


2008/01/16 (Wed) 怒ってます

今回は、怒ってます。
先ほど、記事を更新したとおりですが。
論理的で冷静な女を装ったところで、怒りは隠せません。
こういうものを書くと前回の記事は、
ある意味無駄になるのですが、
あちらは、フォーマル。こちらは、カジュアルです。
詭弁ですね。
どちらも、私です。
強いて言うならば、あちらは心の病気について、
こちらは、信仰と対人関係についてでしょうか。


ブログ開設してから初めて、大変、怒ってます。
最初にお断りしておきます。
こちらは、ビシッと言います。
毒舌です。
怒ってますから。
ただし、そのままだとドン引きだと友人に言われたので、
毒舌4割くらいに留めて、書きたいと思います。


心の病気について書いていると、
いつかは宗教勧誘等のコメントが来るだろうと覚悟していました。
実際体験すると、予想外に腹が立ちました。
実感しましたが、これは宗教どうこうの問題ではないですね。


通りがかりの方でも、ひとつ記事を気に入っていただけたら、
そこにコメントくださるのは、すごく嬉しいです。
何気ない言葉でも、嬉しいです。
また、次もお会いできたらいいな、と思うくらいです。

これは、散歩していて、笑顔で声をかけられるような嬉しさです。
それから、お互いちょっとさりげない話をして、
じゃあまたね、元気でね、と別れる。
些細な出会いだけれど、元気が湧いてきます。


問題の鍵コメさんが、私のところへ最初にご訪問くださったとき、
コメントで記事内容に触れようともせず、
いきなりご自身の信仰されている著書を私に勧め、去りました。
私は、唖然としました。

二度目にコメントいただいたのが、昨夜です。
いきなり私のブログの方針に駄目出しです。
低姿勢で控えめな、完全駄目出しです。
ご本人は、そんな意識は毛頭ないと思います。
多分、迷える哀れな人魚姫の私を、
ご自身が思われる正しい道へ、
導いてくださろうとしたのでしょう。
いいのです。今日は「人魚姫」で。
日本酒飲みながら、書きたいくらいです。
誰かさんじゃないですけど、
ちゃぶ台があればひっくり返してますよ。


ブログで自身を書いている以上、読んでくださる人に、
ある意味私のプライバシーを開示しているわけです。
これは、私のみならず、他のブロガーさんたちも同様です。
皆さん、匿名性と表現の自由度の間で、
ときに慎重に記事を書かれていると思います。
メンタルヘルスをテーマに掲げてらっしゃるブロガーさんは、
なおのことです。
家族にさえご自身の病気を黙っているけれど、
ブログでだけは書きたい、という方もいらっしゃいます。

以上のような状況を踏まえて、
最初のコメントで信仰の話をする人の姿を、
分かりやすく現実にたとえてみましょう。


これは、仕事などで初めて出会い、挨拶し、
互いに名刺交換するなり、
いきなり無言で相手に抱きつくようなものです。
現実のそこらの街角で、見も知らない人にいきなり
「あなたの幸せを祈らせてください」といわれるより、
生々しい感覚を伴います。
ぎょっとします。
怯えます。
そんな出会い方をして、
果たして二度と会いたいと思うでしょうか。

思いませんね。
私なら、近づかないでおこう、と思いますし、
その方が次回何か言われても、
話4分の1程度しか信じないようにします。
それが、まともな人の感覚じゃないかと思います。


件の鍵コメさんは、
言葉遣いは控えめで低姿勢で善良ですが、
何と無神経だろうか、と驚きました。
善良や正義の影には、
常に無神経、鈍感、惰性などが付き纏います。
そのことに、全く頓着されず、
ただただ人を救う情熱に駆られた言葉は、
ツルツルスベスベ、取り付く島がありません。


昨夜の鍵コメさん。
これは、社会でも通用しません。
やめてほしいです。
あなたと、鍵つきという密室でコメントを交わすのが、
私には苦痛になりました。
あなたが、なぜ今回のコメントも鍵つきにされたか、
理由は分かりませんが。
一回目は信仰の話、
二回目は私のブログ方針そのものへの駄目出し。
方針が合わない、相性が合わないのであれば、
二度と来なければいいんです。
それを、会ったこともない、よく知らない人に、
あれこれと指示して、自分の望む方向へ導こうなんて、
他者に対して、あまりにも傲慢過ぎます。
というか、虫が良すぎるんじゃないかと思うんですが、
いかがでしょうか。


例えばご自身の一番身近な恋人か友人に、
私に言ったような同じ言葉で諭して、
果たして翌日から言うとおりに動いてくれるか?ということです。
悩んでいる人があなたの身近にいて、
あなたが仰ったような言葉で、
1ミリでも心動かすことができるのか、ということです。

あなたは、今かくかくしかじかのような醜い言葉を綴り、
それはあなたには合わない。
あなたは、僕が思うように、かくかくしかじか生きるべきであるから、
これからは無理やりでもいいから美しい言葉で詩を書いてください!
などと言われて、
恋人、友人、他人が言うことをききますか?
心に届きません。
なぜなら、動機が弱いからです。
あなたが信仰されている団体の「折伏」という概念、やり方には、
会員を増やそうとするあまり、
この人間らしい「動機」を欠く傾向が強いのです。
欠いているにも関わらず、
そこを「使命」だとか「慈悲」だとか「眷属」だとか「功徳」だとかで
埋め合わせて、ポテンシャルを保とうとする。
しかし、弱い動機は、言葉の力そのものです。
心に届かない言葉は、ただの演説になってしまいます。
それは、言葉の無駄遣いです。
あなたが、とうとうと信仰の話をされる間に、
ひとこと笑顔で「こんにちは」と言えば、
演説するより100倍、人の心を惹くでしょう。


わたしは、元、某巨大宗教団体に3歳から所属していた者です。
脱却した今、何を信じてらっしゃる方でも尊重いたします。
ただし、わたしに押し付けないでください。
何が押し付けにあたるのかは、ご判断にお任せします。
普通の社会でのルールと同じです。

現実であれ、顔が見えないネットであれ、
親密度というものは、確実に存在します。
親密度0で、パーソナリティにあれこれ口を出されても、
私は、一切聞く気はありません。
誰だって、そうじゃないですか。

でも、鍵コメさんは、
ご自分がとても正しいことを言っていて、
誰にとっても幸福な考え方だから、
多少強引でも言わずにはおれない、
そんな烈々たる正義感に駆られた方とお見受けします。

私自身がそうだったから、分かるんです。
組織内で、そういう訓練も受けます。
訓練といっても、軍事訓練のような堅苦しいものでは、ありません。
折伏(勧誘)の仕方、友達に信仰を話すときの話し方、
ひとつひとつ、会合や何かでその都度先輩に教えられ、
訓練を受けるんです。
悩みの聞き方、聞いてきた悩みを教義ではどう見るか、
そして、どんな姿勢で対するか。


私が所属していた信仰の中身をご存知ない方には、
全くわけが分からないと思います。
すみません。


これ以上は、
時機を見てアップしようと思っている記事に書いています。
ただの感情論で語りたくない話ですので、やめておきます。


これを、もし読んでいるなら、鍵コメさん。
言っておきます。
あなたは、今こう思っているでしょう。

「こいつは退転者だ。
正法が分からなくなってしまっている。
恐ろしい。 なんて哀れな人だろう・・・・。
正法を非難している。魔だ。仏罰だ。
正法に触れた者は、
正しいからこそ拒否反応を示すと御書にも書いてあるが、
そのとおりではないか。
美鳥の怒りは、いわば正法が正しい証拠だ。
美鳥は、なんて業が深く、罪深く、
ひどい宿命を持っているのだろう。
そうか だから虐待なんかにあうのだな。
だから心を病むのだな 」

こんなところでしょうか。
教学を踏まえて説明してもいいですが、
それは前回やりましたものね。
覚えてくださっていたら、ですが。
忘れたから、また書いてきたのでしょうね。
一度目に、私が理性を総動員して、あなたの慈悲に感謝し、
コメントをあなたに送ったはずです。
それを、あなたは忘れて、また同じことをしています。
鍵コメさん。
あなたが信仰してらっしゃる宗教が何を言おうとも、
社会で通用しないことを、してはいけません。
あなたが先生と仰ぐ方も、そう仰ってるじゃないですか。
やめてほしいです。


正しい法だとか、慈悲だとか、宿命だとか大きなことを言う前に、
人として、人と関わって生きていきたいです。
すべては、人から始まり、人に終わります。
あなたの先生だって、大聖人だって、キリストだって誰だって、
宗教や哲学は、人を愛し、人の中で苦悩し、
何とか人を救えないだろうか、と命を賭した人たちの
偉大な思想、究極の道具です。
使う人間によって、どうにでもなるのが宗教です。
世界中の人が宗教で争うのは、
人間がそれぞれの欲に合わせて
宗教を利用し、宗教に利用されているからです。
私は、そう結論づけた人間です。
約30年かけて。

鍵コメさん、申し訳ありませんが、
もし読んでらっしゃるなら、この記事と前回の記事が、
あなたのコメントへの返信です。
気が強い女だと驚かれたかもしれませんが、
私の記事をご覧になっていれば、お分かりだったことでしょう。
傷つかれたのなら、おあいこということでお願いします。
あなたがご自身の信仰を非難されれば苦しいように、
私も自身が思いいれを持って続けている
ブログの根底を否定されれば、苦しいのです。
今回のようなコメントを頂き、ただただ残念です。
最初にお返しした私のコメントを再度読んでくだされば、
それが嘘ではないと、お分かりになると思います。



心の病気、
虐待・暴力の残酷さへの理解を広げたく、ランキングに参加しています。
応援よろしくお願いします。
         
 a_04.gif にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ

檻の中で生き延びる | comment(10) |


2008/01/16 (Wed) 美しい言の葉

以下は、どなた宛かは、書きません。
ご本人の心には、届くあての殆どない言葉ですから、記事にしました。
コメントも普段どおり受け付けています。

多少、皮肉が混じっているかもしれません。
怒ってますからね。
見苦しい記事ではないだろうとの判断で、アップいたします。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


正直、あなたには呆れます。
ご自身の経験、苦しみ、信仰が世界の全てだと思われているのですか。
率直に申し上げて、視野が大変狭いです。

いきなり私のブログにこられて、
唐突にご自身の信仰されている本を押し付けられたかと思えば、
年明けて今度は、
「無理やりにでも美しい思い出を、
それを思い出すために、詩を書いてください!」
ですか。

その上、
「言葉の意味に病んでいたら、
それより美しい言葉で貴方の心を飾れないでしょうか?
過去のイメージに捕らわれているなら、
空や雲の美しさを書き留められないでしょうか・・・
貴方には美しい言葉が合っている・・・
誠実さが悲鳴をあげている。」

に至っては、何が仰りたいのか、
表現が難解で読み解くのに苦労しました。
結果、あなたの意図するところは推察できましたが、
私という対象を逸脱したあなたの、
想像、妄想に満ちているばかりの文章だと理解せざるを得ません。
「美しい言葉」「誠実さ」など、
あなたの独り善がりに狭窄された美しさの定義にも、呆れました。


私にとって美とは、もっと寛容で果てがなく、
数え切れない繊細な襞を持ち、
光と影で織り成された人間の情熱を指します。
あなたがおっしゃる「空・雲、花」などの美しさを賛美する機会を
私が持たないからといって、
なぜあなたにそこまで知ったようなことを言われねばならないのか、
理解できません。


また、自然を讃える「美しい言葉」を詩に書くことで、
「忘れ去る」とは、どういうことでしょう。
あなたが仰ることは、言葉面こそ綺麗ですが、
自然に対する傲慢さを感じます。
虐待とは、そうして忘れ去ることで連鎖していくのです。
人の中で生きるということは、自分が担わないものは
周囲の誰かが担ってくれているということなのです。
そのことを忘れ、自然の美しさ、美しい言葉などで
自分を引き止めていても、何も変わらないのです。


心を病んでいるものにとって、
過去は、あなたが仰ったような
「イメージ」などという生易しいものではありません。
体の中に生きる悪魔です。
あなたは、何もご存知なく、言葉に酔うばかりで
現実の世界をご覧になろうとしませんね。
私が、この記事で書いたことは、ただのイメージではなく、
実際私の身に起こった、抽象的でも何でもない出来事、事件です。
こんな生も、あるのです。


忘れること、気を紛らせること、それは、もしかしたら
一生病気と付き合わねばならない精神病患者にとっては最善でしょう。
私の祖母は、重度の精神障害患者であり、
統合失調症で苦しみ続けましたから、よく分かります。


しかし、心の病は、全く質の違うものです。
あなたは、精神病と神経症をきちんと区別して、
正しく理解されていますか? 
精神病への有効な治療法と、
鬱などの心の病は異なるのですが、お分かりですか?
心の病気を持った人間にアドバイスめいたことを書くのであれば、
その程度の知識を持って発言するのは
最低限のマナーだと心得ますが、いかがでしょうか。


ブログで綴る私の言葉は、全て産声です。
生きるために自身が生きていることを精一杯世界に訴える、
最初の産声です。
それを、あなたはご不快に思われますか。
でしたら、二度とこちらには足をお運びにならないことです。
ネットの世界の自由は、そのように活用すべきです。


あなたの「アドバイスにもならないかもしれない」と前置きされたコメント、
まったく私に役立たないどころか、
多くの神経症患者の苦しみに対しても無神経な言です。
「心の病への無理解の典型」です。


あなたのコメントを拝見していると「スポ根」という古い言葉を思い出しました。
苦しくても悲しくても、とにかくあの夕日を見て走るんだ、というあれです。
夕日を目に映すこともできず、
一切の「美しい思い出」を持ちたくても持てずに生きている人たちがいることを、
あなたは全く理解されようとなさらない。

鬱や虐待で芯から病んでいる人の過去は、過去ではないのです。
現在も自身の尊厳を奪われ続けているのです。
その傍らに一輪の美しい花が咲いていたとして、
そんなものは目の端にも映らない、
映ったとしても美しく感じられない、無機質に感じてしまう、
それが心の病の本当の残酷さ、悲惨さなのです。

詩で救われたあなたは、何度自殺未遂をしようとも、
心は完全に死んでいなかったのです。
本当に心が先に死んでしまったら、
詩なんて読んでも頭に入ってきません。
一切の情動を失ってしまうのです。
想像できませんか。

鬱病患者の多くは、そのような世界で七転八倒しながら生きています。
少し浮上しても、また沈んでしまう、繰り返しです。
私は、彼らの言葉が、醜かろうが怒りで燃えていようが、
自己嫌悪で自分を罵っていようが、
悲しんで泣き叫んでいようが、全て産声だと信じています。
讃えます。
生きていることを、精一杯讃えます。

美しい言葉が、美しいのではありません。
自然が美しいのではありません。
懸命に生きている人間の魂が美しいのです。


自然も世界も、万能ではありません。
それを目に映す人間の心が病めば、
世界も自然もおのずから色あせるのです。
心を病んだものが知り得る、世界の真の正体です。


私は、自然よりも何よりも真っ先に、懸命に生きる人間を賛美します。
私にとって「美しい言葉」とは、大切な誰かへ向ける賛美です。
励ましです。
人の中で、共に生きることです。
このブログは、私も、苦しみながらも確かに生きている、
という記録です。
誰かと苦しみを同じくしたいという願いです。メッセージです。
私の原点となった、あるホームページを運営されているお友達は、
私などの100倍、200倍の苦しみ、痛みに耐え、生き抜き、
回復までの記録を、血を吐くような言葉で綴っています。
私にとって、彼女の存在は勇気です。希望です。
戦友です。
彼女の言葉もまた、どんな形をしていようとも、
私にとっては、美しく尊い産声なのです。
心の病に目を伏せてしまっては前進はありません。
正体を知らなければ、打つ手を考えることはできません。


二度に渡り、私に「アドバイス」なるものをしてくださったあなたですから、
私も一言、忠言させていただきます。
あなたは、あなたのお好きな「美しい言葉」が見当たらない、
中途半端な私のブログになど出入りしていないで、
本当の地獄の中で生きていらっしゃった方たちの体験談など、
お読みになって、見聞を広げられては如何ですか。
真の美しい言葉を口にしようと思うのならば、
真に残酷で悲惨な闇とはどんなものかを、お知りになるべきです。
人に優しさをもって寄り添おうとするのならば、
人を苦しめるものの正体を知るべきです。

人間が自然の美しさに応え、自然を賛美するのは、
言葉をもってしても叶いません。
所詮、言葉は言葉であり、
変革し続けるエネルギーに満ち溢れた命には叶わないのです。
命には、命で応えなければ、叶わないのです。
空は、雲は、花は、雨は、大地は、必死に生きている私たちを、賛美します。
素晴らしく美しい自然に応えるためには、
人間は、自分を見つめ、自分の人生に真摯に立ち向かい、
死が訪れるその瞬間まで、精一杯笑って生きていくだけです。
今は笑えなくとも、いつの日か笑うために、
今悲しいことがあるのなら、泣いていいじゃないですか。
抑えられない怒りは、吐き出せばいいじゃないですか。
そうして、今はうつむいたまま、いつか笑ってやるのだ、と
胸の中で決意を燃やしていても、いいではないですか。
その無言の姿が、私にとっての自然への賛美、「美しい言葉」です。


あなたの詩、言葉が、なぜ私や他者へ向かったときに、
その艶やかさ、しなやかさを発揮しないのか、
私は、それが残念でなりません。
どんなに美しい言葉、素晴らしい文学を持っていたとしても、
他者へ寄り添い、他者を尊重する優しさとして発揮されなければ、
言葉が存在する意味がないと思うのは、私だけでしょうか。



心の病気、
虐待・暴力の残酷さへの理解を広げたく、ランキングに参加しています。
応援よろしくお願いします。
         
 a_04.gif にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ

檻の中で生き延びる | comment(2) |


2008/01/15 (Tue) 1,2,3,4・・・・100 Lives Here

GIGAZINEで、こんな記事に出会いました。
「1歳から100歳までの100人が順番に太鼓を叩いて行くムービー」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

1歳の赤ちゃんから100歳のおばあちゃんまでの100人が
年齢順に太鼓を叩いて行くだけのムービーです。
だだそれだけなのですが
面倒くさそうに叩く人や張り切って叩く人など
いろいろな人がいてとてもドラマを感じてしまいます。

                 (GIGAZINEの紹介文より)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


1歳でも100歳でも、打てば鳴る。
シンプルな楽器、太鼓を選択した制作者に脱帽です。
太鼓を叩くだけですから、一人が映し出される時間は、約2,3秒。
なのに瞬間瞬間の映像は、妙に味があります。
100人並べるから味が出るのか、何なのか。
どの人物も印象深い顔立ちと、二つとない空気を持っています。

連続するカラフルな映像は、
偶然か必然か、音楽のようなテンポを生み出して心地よい。

100の人生、100の顔、100の生に、批評は無用。
映画でもなく音楽でもない。
1歳から100歳までの、シンプルで多彩な100色の音です。





心の病気、
虐待・暴力の残酷さへの理解を広げたく、ランキングに参加しています。
応援よろしくお願いします。
         
 a_04.gif にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ

大阪駄文 | comment(8) |


2008/01/15 (Tue) あやの誕生日

男性には、いろんな人がいて、心が不安定な子が好き、て人がいる。
保護欲をかきたてられるような女の子。
頼りなくて自分から絶対離れないくらい弱くて、傷ついてる女の子。
そんな人を前にすると、私は自分らしく生きられなくなる。
でも、まるごと守られる安心感に弱いから、そんな人に恋をする。
母性溢れるサディスティックな男性を好きになるのも、同じ理由。
SMは、母性と父性を操る遊戯。
男性である恋人に、手に入らなかった理想の「ママ」を求める。

あやは、その典型。


「あや」についての記述が少しずつ増えてきて、
カテゴリーにして纏めようかとも思うけれど、できない。
私は、まだ彼女を死んだことにしていたいからなのだと思う。
記事を纏めることは、彼女のバラバラになった体を繋ぎ合わせるようで、
「あや」が、生き返ってしまいそうで怖い。
ずるい私。



あやが産まれた日の話を、書こうと思う。


あやは、ある日突然、愛するひとの腕の中で生まれた。
比喩じゃない。本当の話。
愛するひとと、二度目にセックスしたときだった。
突然、オギャアオギャア、て産声をあげて、生まれた。
本当に、オギャアオギャア、て、泣いた。
幼児退行して、赤ん坊になった。
あんな泣き方、あれが最初で最後だ。

その瞬間、私は海底にいた。
これも、比喩じゃない。

「あや」が、産声をあげた瞬間、気がつくと海の底にいた。
海は、温かくて酸素で満たされていて、
柔らかくゆらゆらと揺らめいていた。
青い青い水の底に、私は横たわっていた。
頭上に、ぼんやり光があって、どこからか聞こえてくる誰かの産声を、
海の底で、聞いていた。
海の上の、あの光の場所が、
「あや」と「愛するひと」がいる世界なんだと分かった。
でも、海の中は、とても居心地がよくて、安らいで、
私は、ここにずっといていいんだ、と安心した。


「あや」が産まれたのは、なぜだろう。
それは、私が直感したのだと思う。
愛するひとが、すべてを受け入れてくれること。
この人から、私は産まれ、生き直すことができる。
そう直感し、「あや」という人格を選択し、
無意識に私は「あや」を、彼の架空の胎盤へ送り込んだ。


愛するひとは、「私」が直感したとおりの男性だった。
唐突に、奇妙な声で泣く「あや」を、何も言わずに優しく抱きしめた。
「いいよ。泣いていいよ。いいんだよ」
あやのママが、そう繰り返しているのを、私は海の底で聞いていた。
「あや」を正しく育ててくれるママに、めぐり合ったのだ。


愛するひとは、あやを、ちゃんと育ててくれた。
あやは、本当の赤ん坊が辿る成長段階を、現実に辿っていった。
おっぱいを吸うみたいに、愛するひとの指をずっと吸っていたり、
歯が生え出す頃には、歯がゆくて、愛するひとの腕を噛むのが大好きだった。
それまで一度も持ったことのないキャラクターものに興味を示し、
ミッフィーが大好きになった。
愛するひとの「おひざ抱っこ」が大好きで、プロレスごっこも大好きだった。
「いない いない ばぁ」みたいなことをされると、
不安で泣き出したり、でも、愛するひとが目の前に現れると、
うれしくて楽しくて、きゃらきゃら笑い声を立てた。
絵本を読んでもらいたくなって、自分では読みたくなくて、よくせがんだ。
味覚も変わった。
あやは、いちごと練乳が大好きだった。
駄菓子屋で山ほどお菓子を買い込んだりした。
今の「私」は、ほとんど食べない。
「あや」が一番驚いたことは、愛するひとが、
「あや」が失敗しても、決して怒鳴ったり嘲笑ったり、しないことだった。
「あや」が失敗すると、愛するひとは優しく笑って、
黙って片付けてくれたり、手伝ってくれたり、そして、やりとげられたら、
大きな温かい手で、頭を優しくなでてくれた。
失敗したときに、あやが一番恐怖したことは、
向かい合って、失敗をなじられることだった。
「ごめんなさい。ごめんなさい」と、怯えて泣いて蹲るあやを、
愛するひとは、引き寄せて背中を抱きしめて、決して怒鳴ったりせずに、
優しい声で、次は失敗しないように、優しく教えてくれた。
決して、怒鳴ったり、向かい合って罵ったり、しなかった。


愛するひとから産まれたはずの「あや」は、
不思議にも、いつも男性の怒鳴り声に怯えていた。
向かい合って、怒鳴られたり虐められたりしていたのは、「私」だ。
「私」が、家族からキッチンで、そうして何年も何年も虐待されたからだ。
「あや」は、やっぱり確かに私の一部なのだ。


あやが愛するひとと別れるとき、
あやはもう幼稚園児位の年になっていた。
私には、よく分からない。
カウンセラーが、そう言っていた。
自立心が芽生える年頃、反抗心も出てくる。
自立するあやを、あの人は手元から去っていくように感じたんだと思う。
あやが抱えた心の病気が、愛するひとには必要だった。
ママが、赤ん坊を大切に大切に育てるみたいに。
でも、本当に育っていくあやを見て、あせった。
彼も、そんなことを言うようになっていた。
違う表現で。
カウンセラーも、同じことを言っていた。
あやは、彼というママから生まれたけれど、
ママである彼は、あやの成長を見くびってたんだ、て。
もっとずっと、赤ちゃんでいるんだと思ってたんだ、て。
赤ちゃんは、いつか一人で歩けるようになるでしょう、て。



心の病気、
虐待・暴力の残酷さへの理解を広げたく、ランキングに参加しています。
応援よろしくお願いします。
         
 a_04.gif にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ

解離性同一性障害 | comment(3) |


2008/01/15 (Tue) でも。



心のどこかで
ごめんなさい。
心配かけて、ごめんなさい。
て、謝ってる。

母が恋しい。
父が恋しい、と思う。
優しくて、素直で善良なひとたちだよ。


何度も録音された留守番電話の声は、
心配で心配でたまらない、て声。

メールが来て、余命数ヶ月の兄に会いに行く、と母。
何か相談したかったのかな。
話したいことがあったのかも。
邪険にして、ごめんなさい。

眠れない。


心の病気、
虐待・暴力の残酷さへの理解を広げたく、ランキングに参加しています。
応援よろしくお願いします。
         
 a_04.gif にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ

機能不全家族 | comment(2) |


2008/01/14 (Mon) 「毒になる親」の分離不安

母からメールが来た。
「電話にも携帯にもメールにも返事しないのは、なぜ?
何かあった?」

なぜ?て、どうして私に訊くのだろう。
何かあった?て、どうして私に訊くのだろう。

彼女は、確認したいだけだ。
わが子と繋がっているか、
いまだ、臍の緒を確認したいだけなのだ。

彼女が確認したいのは、
「繋がっているのに応えない理由」だ。
でも、もう繋がってはいないのだ。
「あんたの病気がお母さんの子育てを否定した」
とか言った時点で。
苛められて罵られ、屈辱で泣いて死にたいと思っていた私を、
見殺しにして、周囲に阿るように、薄笑いを浮かべていた時点で。


生きている私を理解しようとは、しない。
無自覚に「分離不安」に襲われる度、
目の前のそれを、私に解消してほしいだけ。
生きてるかだけ、確認したいだけ。


ああ、今リアルタイムで母から留守電に、
メッセージが吹き込まれた。

「もしもし? もしもし?
どうした? 何があった? 」て。

また、かかってきた。
もう、やめてくれ。


耳を、塞いでしまいたい。
どうして、連絡しないことを、
そこまで大袈裟に取り沙汰するのだ。

私は、赤ん坊じゃない。
大人だ。


何があった?て、訊かれたって。
何もないよ。
あるとしたら、遠い遠い過去にあった。
都合の良いあなたは、忘れただろうけれど。


自傷で塞いでました、
フラッシュバックで塞いでました、
答えたとしたら、次は、こうだ。

「なんで? なんで? なんで?」
なんでか、はとっくに何百回、何千回も話したよ。
専門家も言ったでしょう。
家庭環境に問題がありました、て。

病気を知ろうとしないから、私が死ぬかも、とか考えるのだ。
本当に自殺しようとしていた頃の私に、
「死ね! 死ぬしかないやないか! 」
と、怒鳴っていたあなたたちが、
自殺する気なんてとうになくなった今、妙に私を気にかける。

「死ね!」とか
「業が深すぎる」とか
言った時点で、もう終わってるんだよ。

こっちこそ訊きたいよ。
「なんで? なんで? なんで私を苛めるの?」
「なんで私が泣くのが、そんなに可笑しいの?」

だけど私は、もう訊くのも期待するのも、やめたよ。
やめたから、たまには一人になりたいだけ。
行動しないうわべだけの優しさを振りかざす家族から逃れて、
行動しようとする自分や、他の誰かの優しさに触れたいだけ。
それすら、あなたたちは許せないのか。
私だって、いつでも明るくていい子なわけじゃない。
少し静かに一人で考えたいときだって、
メールだ電話だって、
幼稚園児みたいに連絡しなきゃいけないのか。
それこそ、「分離不安」だよ。
私への「心配」と、自分たちの「不安」を、
あなたたちは、取り違えてる。


今、東京の弟からメールが来た。
東京に、山ほど実家から電話が、かかってきてるらしい。
たいしたことじゃないのに、いつも大袈裟な騒動になる。
今も、かかってきてるらしい。
ますます、連絡が取れない雰囲気に。
いつものことだ。
私は、具合悪いなんて、一言も言ってないよ?
たった1,2日、
メールを返さなかったし電話に出なかっただけ。
だって、用件とか、そんなことすら一言もないんだよ。
「無事かどうかメールくれ」それだけ。
で、連絡すると、空白の日数を、
どこで、誰と、何をしていたか、を報告させられる。
彼らに、「報告させている」という感覚はない。
親として、知るのが当然の権利であり、
子供は報告する義務があると、当然のように考えているだけ。
うんざりだ。

東京の弟も、呆れて電話に出ないんだろう。
MTよ。
姉は、こんな感じで、だめだよ。
私より、世馴れたあんたの方が上手く応対できると思う。
何とか取り繕ってください。


私の両親よ。
言っても仕方ないから、沈黙して私は、ここに書くよ。

考える前に、
私の病気を知る前に、
過去と向き合う前に、
なんでもかんでも、一から十まで、子供の私に、
幼子みたいに
「なんで? なんで? なんで?」
て訊くのは、やめてくれ!


関連記事
□<奇形の臍の緒>
□<調教師の纏足>


心の病気、
虐待・暴力の残酷さへの理解を広げたく、ランキングに参加しています。
応援よろしくお願いします。
         
 a_04.gif にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ

機能不全家族 | comment(4) |


| TOP | next >>

プロフィール

美鳥(みとり)

Author:美鳥(みとり)
被虐待サバイバー。解離性同一性障害、うつ病、対人恐怖症ほか色々闘病中。境界性パーソナリティ障害寛解しました。毎日の光と影を綴ります。生育歴・来歴・病歴・活動はこちらをご覧下さい⇒<はじめに Profile>

講演活動・ユーストリーム放送しています。
講演のご依頼ご相談は、当ブログメールフォームからお願い致します。

診断名の有無に関わらず、生き辛さを抱える方々と温かい繋がりを目指しています。ご感想ご意見など、お気軽にどうぞ。お待ちしています。

最近の記事

最近のコメント

カテゴリー

月別アーカイブ

QRコード

QR

ブログ内検索

リンク

このブログをリンクに追加する

RSSフィード

メールフォーム 

お気軽にメールください。返信までお時間頂く場合があります。

名前:
メール:
件名:
本文:


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。