--/--/-- (--) スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

スポンサー広告 |


2007/09/30 (Sun) 無礼にはたまに無礼で返す

2007.9.29_diary.jpg

レトロでかわいいチチヤスヨーグルト

実家での二日目。
予想より早く体調が悪化。
吐き気と眩暈と緊張で肩背中が痛い。
かと言って、喧嘩しているわけではない。
とても仲良く家族をやってる。
ただ、いつ地獄に変わるか分からない綱渡り状態だ。


なぜ帰って来るのかと自分に問う。
いつもカウンセリングで問う。
理由はとても漠然としていて、
けれど何か強い力に引き寄せられてまた帰ってしまう。
自己防衛という本能をも裏切る帰巣本能。

英会話では、相変わらず嫌味なおばさんが
自分勝手な振る舞いをしていて、
とにかく彼女が何を言っても何をやっても苛々を抑えられない位
なんだかひどい人だ。
病的に我が強くて、現実より何倍か自分を良く見せよう、
人より良い立場に立とうと必死なのだ。
積極的とかいうポジティブな言葉では表現できない。
病的に肥大した自己顕示欲は、醜い。
とにかく自分が前に出たいばかりに周りが全く見えてない。
誰の話も自分の自慢話にしてしまうし、
その自慢話は大げさな表現をする割に実際はそれほどでもない。
たった1時間なのに毎回4,5回は彼女の発言に引っかかる。
自分の未熟さと同時に、なんとかならないのかとも思う。
その彼女が、クラスの誰も頼んでもないもの勝手に作って、
その経費を私たちに請求してきた。
ついに温厚な母まで本気で怒って、
帰ってきてから色んな事言っていたから、
結構レアな人なんだろう。


先々週の事は謝らなかった。
彼女はそれを当然のように期待していたと思うし、
社交辞令で普通はそうするから、私からの言葉を待っていたようだ。
けれど私は一切何も言わなかった。
一応笑顔だが一切コミュニケーションを取らない事にした。
そもそも彼女が自分でやるべき仕事を勝手に私に押し付けた。
その押し付け方も物凄い失礼だったので、
悪いけど失礼で返すことにした。
私が買ったものにケチを付けたり、
私の住んでる所を下に置く発言をしたり、
もういいよって感じ。
社交辞令すら不要な相手だと思う。


多少失礼な相手に失礼で返してもいいだろう。
正当な怒りは溜め込んでも何のたしにもならない。
自分がしんどくなるだけだから、多少彼女に還元したっていい。
彼女に侮辱されて笑顔で耐えたのは1回や2回じゃないし。
昔は、全部自分のせいにして、腹が立ってもにこにこして、
家に帰って一人になったときにはじめて、
言い返せなかった自分の惨めさ弱さに腹が立って
泣いて体調崩して自傷して、を繰り返していた。
そしてまた、誰に会ってもどんな気持ちでも、にこにこしていた。
全部自分で抱え込めば済むと思っていたけれど、
それでは何も済まされないのだという事をあの頃の私は知らなかった。
表情を作る事が出来なくなり、言葉を発せなくなった。
あの頃の苦しさは忘れられない。
今は、とてもすっきりした気分だ。
失礼な人には腹を立てる。
それが自然な事だ。
それができて初めて、大事な人と心からの笑顔で向き合える。


行きと帰りにクラスメートのNさんと一緒になって話せた。
嬉しかった。
彼女は最初から人と目が違っていた。
クラスの最中も一人違う目をしている。大方黙っている。
何か自分の世界を作っているような、そんな印象だった。
小説を書く人間は、あんな目で人間を観察しているのだと思う。
彼女は彼女の世界を持っていて、
彼女の価値観にそって自分を評価しているようだ。
ひけらかす必要もなければ、謙遜する必要もない。
居心地のいい空気を持っている。
冗談のように「いつか先生って呼ばれてみたいわ」と言って
笑っていた。
彼女の目に私はどんなふうに映っているのか、
Nさんになら聞いてみたいと思う。




ランキングに参加しています
クリックしてもらえたら とてもうれしいです
         
 a_04.gif にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ


スポンサーサイト

日々日記 | comment(0) |


2007/09/29 (Sat) 帰省

2007.9.28_diary.jpg

嫌な場所へ向かうときには、
いつもなぜか出発までに予定外の用事が増えたり、
急に体調悪化して数時間寝込んだりがパターン。
今日もそのとおりのパターンで、実家に帰ってきた。
来月、フリマに出店者として参加する。
その準備もあって、荷物で両手ふさがってて、
帰りのラッシュに巻き込まれ、電車の中ではグロッキーだった。
荷物で小突いてしまった人たち、ごめんなさい。
小突いてしまって膝ガクガクになっても、
不器用な私のカートで踵を引いてしまっても、
振り返りもしない疲れきったサラリーマンの人たちを見て、
ほんと偉いなーと引きこもりの私は頭が下がる思い。
自分にもそんな時期があった事をなんとなく思い出した。

帰省で一番嬉しいのは、私の大切な家族3羽の文鳥たちと会えること。
ちゃんとママを忘れず、元気でいてくれた。
今は色んな理由で離れて暮らしてるけど、
元気でいてくれたら、それが一番。

明日は、実家近くの英会話クラス。
嫌味なおばさん、セクハラが激しい先生、
もう二度と行くかと思っていたけど、明日は絶対行く。
密かに一番気が合うと思ってたクラスメートが小説を書いてることが分かって、
その小説を明日持って来てくれるからだ。
英会話に行くというより、
小説と小説を書いている本人と話したくてたまらない。
創作する人、自分だけの世界を表現しようとしている人が、大好き。
嫌味もセクハラも、それはそれ、これはこれ。
楽しみだ。


英会話技術は全く進歩しないけど、
毎日やってる色彩検定の勉強のせいで、
色関係の英単語知識だけが豊富になってきた。
ダイレクトメールだとか服のボタンだとか、
電車の色、道に落ちてる空缶の色、
とにかく何でも色を見ると気になって気になって、
マンセルがどうとか、
PCCSの表記がどうだとかばっかり考えるようになった。
余りの情報量の多さに既に頭の中は完全にパンク状態。
大好きな色彩の勉強に、
まさか私が大嫌いな数字や記号がここまで絡んでくるなんて
全く思ってなかった。
私の一番嫌いなものと一番好きなものがテキスト内で同居している。
複雑な気分だ。
色んな組織や学者や学会がいて各々記号作ったり、事情は分かる。
分かるけど、頼むから表記は世界でひとつに統一してくれ。
ちゃんと一歩ずつやれば、受験日には、
ちゃんと覚えられてるんだろうか。
こんなの皆ほんとに覚えてるの?




ランキングに参加しています
クリックしてもらえたら とてもうれしいです
         
 a_04.gif にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ


日々日記 | comment(0) |


2007/09/27 (Thu) たわいない

2007.9.27_diary.jpg


Hちゃんおすすめのラーメン屋へ、ちょっと夜のドライブ。
車の運転には、性格が出るなぁと思った。
運転上手くて安心して乗ってられて楽しかった。

食卓恐怖症の私は少し不安だったけど、楽しく過ごせた。
ラーメンも、とても美味しい。
コーヒーも美味しい。
人と楽しく食事したのは、すごく久しぶりかもしれない。

バッグを褒めてくれたから、
サイズ違いで買ってしまったキャミソールをリメイクしたんだと話した。
英会話教室で厭味なおばさんがいて、
チクチクいじめられた鬱憤を全てぶつけて作ったバッグだ。
今まで我慢していたけれど、私が愛する町を馬鹿にされ、
ついに沸点を越えてバッグが出来た。
なんだかすごく褒めてくれて、
作り方とかアイディアとか驚いていて、変な気がした。
そうか。かわいいのか。上手くできたのか。
嬉しかった。
怒りエネルギーを創作に向けられたらいいね、
と言っていたカウンセラーの先生の言葉を思い出す。
こんなふうにして、
作ったものを見てくれる友達がいてくれて嬉しい。
自分が思ってるよりもう少し色んなことを、
私は出来てるかもしれない。


帰り、久しぶりに見る淀川の橋からの夜景は、相変わらず綺麗だった。
この景色が大好きなんだと話すと、Hちゃんも言った。
ずっと住んでるけど、ここの景色はいつ見ても綺麗だと思う、と。
たわいもない会話と、食事。
生きてるから味わえる、たわいない幸せ。
とても楽しかった。
Hちゃん、ありがとう。





ランキングに参加しています
クリックしてもらえたら とてもうれしいです
         
 a_04.gif にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ


日々日記 | comment(0) |


2007/09/26 (Wed) design adDict

2007.9.26_diary.jpg


     私は私を形でしゃべる、土でしゃべる、
     火でしゃべる、木や石や鉄などでもしゃべる。
     形はじっとしている唄、
     飛んでいながらじっとしている鳥
     そういう私をしゃべりたい。
                    河井寛次郎




目にした言葉に打たれ、散々迷った挙句、
この言葉には勝てずに買ってしまった。
こんなムックが出来て、嬉しい。
一冊、端から端まで眼福。
一番魅かれたのは、スウェーデンのデザイナーFRONTの作品。
特に、頭にランプをかぶった精悍な黒いリアルな馬。
アホくささとアートの瀬戸際感がいい。
青木正美さんの近代作家の自筆原稿は、
食い入るように読んだ。
特に坂口安吾の原稿。字と文章がとても合っている。
原稿の素朴な文字は、
私の大好きな坂口安吾の
「ラムネ氏のこと」という短編を思い出させた。
作品になる前の作家の試行錯誤の跡は、
完成された作品よりある意味面白い。
デザイン系雑誌で、こんな特集を組むのは珍しい。


次号の特集は建築デザインとのこと。
こういう時だけ思う。
建築家と付き合って良かった。
人に話せば度肝を抜くような最悪な経験ばっかりしたけど。
雨の中、携帯取り上げられて、
靴を片手に裸足で40分も歩かされたり、
数百円のラブ定額代でわけの分からんいちゃもん付けられたり、
キレられたり、その数倍キレたり、
公衆の面前でおんぶさせろと強迫されたり、その他色々あったけど。
建築に興味を持つようになった事で、
彼と付き合った意味も十分ある。
と、思うことにする。
<design adDict>。
巷の見飽きたデザインやインテリア雑誌とは一味違う。
次号が楽しみ。




ランキングに参加しています
クリックしてもらえたら とてもうれしいです
         
 a_04.gif にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ


日々日記 | comment(0) |


2007/09/26 (Wed) 血に悪魔

カウンセリング 2007.9.26


カウンセリングで涙を流さず泣いた。
話した内容は、現実と夢の関係、私が最近読んだ心理学の本、
写真やブログを使った自己表現、
医者に勧められている精神障害者認定と生活保護などについて。
いつもの夢の記録に加えて、
今日は今抱えている不安を書き出したものと、
先生への気持ちを書いたものを渡した。


気持ちを文字に書き出してみたら?とは先生からの勧めだった。
自分の中の不安を文字にするまで、何日もかかった。
書きはじめてすぐに、体調が悪化した。
手が震えて仕方ないので、ペンは諦めてキーボードへ変えた。
吐き気がして、涙が自然と出て、そのうち嗚咽していた。
あまりにひどいので中断してベッドに横になり、
これは一体何がどうなってるんだ、と混乱した。

自分が誰なのか、自分が何を感じているのか分からない解離性障害。
病気の知識があっても、
この病気と20年以上付き合ってきたからといっても、
いまだに自分が何を感じているのか、分からない。
体調を崩した事ではじめて、自分の心を知る。
そうでなければ、不安なのか苦しいのか楽なのか、一切分からない。
不安を書き出したところで何か答えが出るのか、
答えが出たとしても、
その通りに遂行する力が自分にはないんじゃないか、
ただただ、無力感に襲われる病。


虐待という残酷な行為は、悪意をもって行われない。
愛情という仮面を被って子供を虐める。
受ける子供は虐められる以外の愛情を知らず育つので、
虐待だと気づき、自ら逃れることは難しい。

虐待を受ける子供だけが不幸なのではない。
親自身があらかじめ不幸なために、虐待は起こる。
自分の不幸に立ち向かえない親は、
生まれてきた子供を無意識にマインドコントロールする。
自分の孤独を埋め、夢を叶えてくれる人形へ作り変える。
子供とは母親自身の幸せのために奉仕すべきであり、
それ以外価値はない、世間を決して信じてはいけない、
恐ろしいところだから親の元にいなさい、
親の言う通りの人生を歩みなさい、と
毎日毎日生活のあらゆる場面で子供への刷り込みを繰り返す。
長い年月をかけ、子供の人としての尊厳を奪ってしまう。
心理学関係の本を読めば書いてある、そのセオリーは
活字で読めば大袈裟だと感じるけれど、
私自身がその見本のようなものなので、
自分が一番良く分かっている。
虐待そのものより、もっと恐ろしいのは、
親から施された洗脳が、
被虐待児の人格そのものに深く根をおろしてしまうことだ。


私の病気(各神経症・パニック障害・鬱)は、
数十年単位で受けた虐待による。
私が受けた、例えば両親たち3人からの毎晩の虐めや、
成績上位主義、父親からの性的被害は黙認されていたり、
傷ついて泣く私を必ず指を指して笑い、
お前は精神病院に入院するしかないと罵られ、
穀潰しと嘲笑われ、生きる資格を取り上げられ、
お前さえいなければ家庭は平和なのにと糾弾され、
子供として親へ責任を取れと迫られ、
数え切れないあれやこれが、今の私を作った。
いくら抗っても勝てなかった。
泣けば笑われ、怒れば呆れられ、泣き叫べば
「ほら 精神病が始まった。お前にはキチガイの血が流れてる」
と嘲笑され、放置された。
狂っていたのは彼らだったのに、
彼らに力でも立場でも精神でも、一度も勝てなかった子供の私は、
そのまま大人になり、持つ必要のない敗北感、無力感、人間不信、
自己不信を抱えることになった。
自分に向き合うカウンセリングを6年続けても、
まだ私はそこから脱出できずにいる。
30年近いマインドコントロールが、
ある一つの出会いや数年の治療で全て解けはしないだろうか、
そんな魔法を期待したことも何度もあった。
けれど、人の尊厳を取り返す事は、何て遠くて苦しい道なのか。
30年のマインドコントロールが、数年で解けるわけがない。
あまりにも長い暗闇での生活で、
私は醜悪で脆弱で唾棄すべき獣に変わった。
人ではない習性で生きている。
今は一歩ずつ、一歩ずつ、と自分に言い聞かせている。


両親は、治療に反対し続けている。妨害もする。
批判は、しょっちゅうだ。
けれど、何も知識を持たない。
娘が受けている治療やカウンセリングについて知ろうともしない。
ただ、批判する。
彼らはいつも「あんたはカウンセラーに洗脳されて悪化している」という。
その言葉が、最近になって、
治療に批判的な両親を完全には認め切れなかった私の頭を打ち砕いてくれた。
両親は、私にとって最早
ただ血が繋がっているだけの加害者でしかないのだということを、
私は認めなきゃいけない。
愛に溢れた家庭で育ちたかったという叶いもしない幻に、
いつまでもしがみついていてはいけない。


今も、実家にいると、私は狂いそうになる。
実家での私はとてもいい子で、自分のためには一切行動しない。
常に家族のために、一日何度も発作で倒れながらも家事をこなす。
家族全員の心のバランスを考えて行動する。
自分自身が何を感じてるかなんて、感じる暇は一切ない。
これまでそうするしか生きる権利を得られなかった。
だから私はとても良く躾られた犬のように、
細々と主人達の顔色をうかがって働くのだ。
機嫌を損ねると罵られ、あざ笑われ、
反論するとキチガイ扱いされる。
今月は殺されかけて、大雨の中庭に隠れて泣いた。
もうやめたい!
こんな事やめたい!
私だって私の人生を生きたい!
普通に笑ったり自分がしたい事を思いっきりやってみたい!
心の底では、そう感じている。
きっとそうなのだろうとしか、今の私には分からないけれど。


治療を始め、サポートしてくれるカウンセラーや医師に助けられ、
やっと私は、自分の足で立ち、自分のために生きようとし始めた。
そんな私を両親は「悪化している」「カウンセリングも病院もやめろ」と言う。
彼らからすれば、娘の自立は彼らへの謀反でしかない。
裏切り行為にしか見えないらしい。
自分達の娘がそんな悪い事をするなんて思いたくないから
「カウンセラーに洗脳されている」という理屈をひねりだしたようだ。
洗脳していたのは、あなた達だ。


これまで人生のほとんどをマインドコントロールの下で生きてきた。
それはすっかり私の習性になっている。
どこにいても、誰と会っても習性通りの行動をする。
その場で求められているキャラクターを演じる。
明るく屈託のない私、大人っぽく礼儀正しい私、少しバカっぽい私、
気が利く私、道化役の私、正義感を貫く私、
アングラな世界に浸る私、いろんな私がいて混乱する。
自分らしいと自分で思える行動はいまだに1割にも満たない。
第一、何が自分らしいのかも分からない。
行動を数日経って思い返し、そのときの気持ちを思い返し、
自分らしいかどうかではなく、快不快で区別することが精一杯だ。
苦しい。
一部の隙もなく、
私のまわりをみっしりと覆い尽くしている苦しみ、哀しみ、
そして怒りで窒息しそうだ。


度々起こるパニック障害やその予兆は、窒息にとても良く似ている。
まるで手足を縛られたまま
プールに投げ込まれたような窒息感と発狂寸前の死の恐怖。
両親がしたことを、私は散々カウンセリングでも繰り返し話したし、
自分がおかしいんじゃない、両親がおかしいんだ、と
自分の脳に刻んだはずなのに、
なぜかまた思考は自分を責める事に帰結する。
私は何か悪い事をしているんじゃないだろうか、
私は誰にも受け入れてもらえないんだ、
死ぬべきなんだ、
発狂してしまうんだ、と。
それは全て親から繰り返し子供の頃言われてきた言葉そのままだ。
狂っている、
生きる資格はない、
死にたいなら死ね、
お前さえいなければうちは平和なのに。

私が幾ら注意深く自分をコントロールしようとしていても、
過去両親から投げかけられ続けた言葉そのままを、
私の脳は正確に再現し、私に正確に実行させようとする。


マインドコントロールから逃れるのが、本当に大変なんです、
と先生に言った。
制限時間の少し前、ようやく自分の口から出た。
そうだ、私は大変なんだ、と今はじめて実感したかのような感覚。
けれど、カウンセリングで何度も何度も感じた感覚。
いつも転げ落ちてはまた立ち上がり、を繰り返す。
毎回毎回、初めてのような気がする。
コントロールが解けない。
自分を卑下し、自分を痛めつけることが長く私の存在意義だったから、
あなたはもう自由なのだと言われても、不安で不安で仕方ない。
「あなたが一番今頑張っているのは、そのことなのよ」
と先生は大きく頷いた。
私は自己評価が極端に低く、普段何をやり遂げても、
自分を一切評価できない。
自分を褒めることができない。
そのせいで今は、とても怠惰で悪い状態のように感じている。
でも、頑張っているらしい。
私は、ただ苦しんでいるだけじゃなくて、
今の私でも、頑張っているらしい。
そうか。そうだったのか。
私はおかしくないのか。
親が正しくて、苦しい私が狂っているわけじゃないのか。
既視感で頭の芯が鈍く痺れる。
6年のカウンセリングで何度も出くわしてきた、このシーン。
何度、繰り返しているんだ、このシーンを。


何と戦うべきなのかも分からず始まったカウンセリング療法だった。
七年目になって、ようやく私は戦う相手が何なのか分かり始めている。
六年の間にも、いろんなことがあった。
だから分かりにくかった。
タイミングというものも、あるのかもしれない。
私は戦かわなければ。
虐待の連鎖を断ち切らなければ。


虐待経験は、私の中で今も生きていて進行している。
決して過去の事ではない。
今、この瞬間も
私の血と一緒に体中を巡って私を殺そうとしている。
私の体を流れている血の中から、
今度こそ自分を見つけ、
自分らしく生きることしか、
勝つ方法はない。




ランキングに参加しています
クリックしてもらえたら とてもうれしいです
         
 a_04.gif にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ


治療日記 | comment(2) |


| TOP |

プロフィール

美鳥(みとり)

Author:美鳥(みとり)
被虐待サバイバー。解離性同一性障害、うつ病、対人恐怖症ほか色々闘病中。境界性パーソナリティ障害寛解しました。毎日の光と影を綴ります。生育歴・来歴・病歴・活動はこちらをご覧下さい⇒<はじめに Profile>

講演活動・ユーストリーム放送しています。
講演のご依頼ご相談は、当ブログメールフォームからお願い致します。

診断名の有無に関わらず、生き辛さを抱える方々と温かい繋がりを目指しています。ご感想ご意見など、お気軽にどうぞ。お待ちしています。

最近の記事

最近のコメント

カテゴリー

月別アーカイブ

QRコード

QR

ブログ内検索

リンク

このブログをリンクに追加する

RSSフィード

メールフォーム 

お気軽にメールください。返信までお時間頂く場合があります。

名前:
メール:
件名:
本文:


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。