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2011/10/11 (Tue) 世界が明度を上げる - PTSD・労働裁判 -

20111011.jpg
本裁判をしたことを一度たりとも後悔したことはない。
生まれてはじめて自分の傷つけられた誇りを取り戻すべく、最初から最後まで主張を貫いた。あの経験がなければ今の私はない。いじめられようが、嘘をつかれようが、裏で汚い手をまわされようが、絶対に引かない覚悟で裁判所に通った。証言台にも立った。震えそうになる声を振り絞って自身の証言に嘘偽りないことを誓い、裁判官の質問にも相手の弁護士からの尋問にも真っ直ぐ答え続けた。

金銭的なことを考えるなら、労働裁判なんてやるもんじゃない。大赤字だし逆恨みされるし、善良で目立つことを嫌う人たちからは「裁判するような気性の荒い人」として見られることもある。人は往々にして理不尽や悪と戦うよりも、陰で不平不満を漏らしながらも和を乱さない人間を好む。私もかつてはその一人だった。むしろ不平不満さえ「よくないこと」と口に出すことがなかった私は、心の中でぶすぶすと湿った陰鬱を腐らせ性質が悪かった。

それまで散々に雇用主の悪口を言って死ね死ねと言ってた同僚は、いざ裁判となると証言台に立つのを嫌がった。恨まれたくない、家族がいるからと。
それが普通の感覚だろうけれど、私はそのことに納得できない類の人間だったから裁判所に通ったのだろう。当時はまだ、私は自分の苦痛の正当性が疑わしく、世間やまして弁護士や裁判所や法律が自分の主張を認めてくれることなんてあるのだろうかと、やっぱり疑わしかった。自信がなかった。怖かった。不安だった。

裁判所の証言台で「証言で嘘偽りを申しません」が、嘘っぱちなこともあるのだと知った。
被告の口から出てくる言葉は、嘘まみれ。捏造された証拠まで出てくる始末。
それでも証言台でしおらしく被告は「嘘偽り申しません」と宣誓した。ああいうある種向こう見ずで良心に欠けた人間もいるのだと、世間知らずの私は唖然としたのを覚えている。

勝ち取った勝訴。控訴されての高裁。どれも馬鹿馬鹿しい被告の一人芝居に見えた。
私は私で、被告をどうしようとは思っていなかった。ただ自分がどんなふうに自分を主張し、どこまで心折れずに最後まで貫けるか、他人の顔色ばかり見て正邪を歪め否が言えず心を衰弱させてきた私が、自分の尊厳を守るためにどこまで戦えるのか、それが私の裁判だった。


すべてが終わった日、高裁を出る前から私は泣き続けた。
ずっと一緒に戦ってくれた弁護士は、エレベーターの中で泣きじゃくる私の横でただ黙っていた。きっと私の万感の思いを感じとってくれたのだろう。

高裁を出たら、明るい光が溢れていて川がきらきら光っていた。空気が澄んでいた。世界が明度を上げたのを感じた。

赤字だろうが、職を失おうが、逆恨みされようが何だろうが、どうだって構わない。世界が変わったのだ。
自分の力で、力を貸してくれる人たちを探し出し、話し説得しお願いして、嘘偽りなく自分の正当性を訴えることで世界を変えたのだ。


私が初めて自分のためだけに戦った場所、それが京都。
けれど勝ち取った誇りや満足感とは別に、私は今だにその地に足を踏み入れることができない。

ここ大阪から京都はとても近い。京都行きや河原町行きの電車をよく見かける。目にする度に苦しみが甦る。京都は私にとって、観光地でも思い出の土地でもなくなった。とんでもない職場での悪環境、いじめ、裁判の記憶なしに京都を思い浮かべることができない。


裁判は、途方もないエネルギーが要る。裁判経験者でなければ理解されないのかもしれない。正当性とは、証明する前から明らかになっているものだ。特に私の起こした労働裁判では、曖昧さなどどこにもなかった。当然である正当性を、敢えて2年もの間繰り返し主張し、益体もない相手の嘘八百を一つ一つ否定し続ける疲労は、どんな言葉でも言い表すことができない。

記憶が消えない。私を睨んでいた被告のあの愚かしい目の光り。最高裁まで訴えてやると意気込んでいた愚かしい被告の夫の怒り。結局最高裁まで訴えることをしなかった、彼らのあの無知と芯のなさ。職場のいじめや悪環境で歩くことが困難になり、体中の痛みをこらえながら通った弁護士事務所への道。文字通り私をたらいまわしにした労働基準監督所ほか公的相談機関の人間のあてにならない仕事ぶり。うだるような京都の夏。地下鉄の改札の音。次は京都、の車掌アナウンスの声。窓外の京都の景色。

どれを取っても苦痛と結びついている。


京都を苦痛に感じ続けるのも癪だから、どうにかして克服しようと試みてきた。
つい最近は、京都の美術館に私の大好きな画家の絵が来ているかもしれない、サージェントの絵が見れるなら京都に行くことだって出来るかもしれないと行く予定を立てた。
美術館までの地図を見て、駅からバスに乗り美術館までの道のりをシュミレーションするだけで心も体も拒絶した。

最近、京都に住んでいる友達ができた。
京都においでよと誘われても、私は行くことができない。その理由を滅多なことでは理解されないから、とにかく京都へは行けないと伝えるしかない。悔しかった。


そうしていたら、回復してきていた頚椎症が突然悪化した。
裁判を起こすことになった職場で徹底的に壊れたのが、私の頚椎だ。以後、何年経っても後遺症が残っている。

職場が原因で負ったその怪我は、あろうことか解雇の理由にされた。体が弱い人間は雇えないとあからさまな不当解雇だった。理不尽で不名誉な侮辱、屈辱と身体の痛みが相俟って、あの町への抵抗は決定的になった。

ここ最近身体的に無理をしてたのも確か。同時に京都を思い出すことで、仮面うつ病の診断を受けている私は心に不調を来たす前に身体で表現しているのかもしれない。

あの頃、辛かったね。
あの頃、悔しかったね。
あの頃、一人だったね。

いまだ心は覚えている。いまだ心は傷ついている。
どれほど時間が流れても。心は明白に苦痛を訴えている。

24時間、痛み止めが欠かせない。
今ある痛みを抑えるために痛み止めを飲んでいる気がしない。
過去の傷が今痛む。
戦いぬいた自分は誇らしい。けれどそれだけ傷も負った。

これを書いていたら涙が止まらなくなった。泣くとは思わなかった。
この涙も今の涙ではない。
過去の涙が今流れる。



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労働裁判 | trackback(0) | comment(0) |


2007/12/29 (Sat) 労働裁判

最後の職場は、裁判を起こしてやめた。

雇用条件から給料、仕事内容、何から何まで嘘づくし。
月給で入ったのに、いつの間にか日雇い制にされそうになった。
入社する以前から私の悪口を雇用主は、周囲の社員に言いまわっていたから、
入社当日から、私は周囲の社員から無視という嫌がらせを受けた。
私を手足に使い、社員と決裂させて、
最終的には私以外の社員を切り捨てる予定だったらしい。
実際、私が籍を置いている間に、
何人も嫌がらせを受け、不当解雇され、もしくは自主退職した。


職場環境が最悪で、初日から歩けなくなり、それでも私は通い続けた。
入社して1週間ほどして、私は他の社員に思い切って話しかけた。
私の人間性を知ってもらうと、後は本当に仲良しになった。
昔、いじめを受けていたときの経験が生きた。
何度訴えても、職場環境は改善されず、私は起き上がれなくなり、
トイレにすら自力で行けない状態になった。
「殺してやる!」と私は、ベッドの上で叫んだ。
あのとき、私の身体が動けていたなら、私は何をやっていたか分からない。
息をしていても、体中に激痛が走った。
救急車を呼ぼうかと本気で迷った。
母に来てもらった。
その電話一本かけるにも、何度も痛みで気絶するかと思った。
パニック障害、鬱、強迫性障害、人格障害、
どれも同時進行だったが、なぜか記憶がない。


全治1ヶ月、その後も療養が必要、との診断書も出したが、
私の嘘だと雇用主に一喝された。

労働基準監督署、弁護士事務所、労働局、あらゆるところへ相談にまわった。
自分の生活のために、名誉のために、
何もしないでやられっぱなしでいるのは、我慢できなかった。


私は、それまで自分の生活を守ることを第一に、大人しくしていた。
同僚が、嫌がらせを受けている場で、
私はいまひとつ雇用主とやりあえなかった。
雇用主は、気分屋で女王気取りで、
自分にへつらわない人間は平気で切り捨てる。
ごめん、ごめん、と謝る私に、同僚たちは、
あなたは結婚してなくて一人暮らしだし、
クビになったら大変だから、と理解を示してくれた。
でも、悔しかった。
友達のために戦えない自分が、嫌で嫌で、それもストレスになった。
ある日、爆発して、雇用主と一対一でやりあった。
客が来るのも構わず、私は雇用主を言葉で滅多切りにした。
雇用主は、怒りでぶるぶる震えて私を呪い殺しそうな目で睨みつけていた。
私も、睨み返した。
嘘つきなんて、怖くない。
私の生活は奪えても、私の誇りを奪われてやるものか。


ある朝呼び出された。
雇用主の何もかもが嘘八百だった。
病的な嘘つきの雇用主の言葉は、
閉鎖された会社内では、一社員の私がどう反論しても最後には通った。
お金を取ったとか、ありもしない嘘を雇用主に第三者の前で言われ、
最後は数にものを言わせて、これまた、ありもしない嘘八百を浴びせられた。
祖母の死まで持ち出され、こきおろされ、
私は怒りと屈辱で目の前が真赤になった。
何かと相談に乗ってくれていた税理士にも、最後は裏切られた。
雇用主と二人で、私を責め立てた。
二人とも、既に口裏を合わせ、相談した後だったらしく、
決して私に「解雇だ」とは言わない。
「やめなさい」と一言でも言ったら、法律上、
不当解雇になることを承知の上のことだった。
自分たちの立場が危うくなることを知っている彼らは、
「解雇じゃない。あなたが、やる気がもうないんじゃないかと思って」
と、そればかり言った。
労働基準法など知識をつけていた私は
「解雇という意味ですか?」と何度も問いただした。
それでもやはり
「解雇ではない。ただ、あなたが辞めたがってるんじゃないかと思って」
と繰り返された。
「私は、辞めません。やる気もあります。仕事をしに来ました」
と答えると、「でも、やめたいんじゃないの?」
と返ってきた。
「辞めません」
それだけの応酬が数時間、続いた。
汚いやり方だった。
私は、その場での論破を諦めた。
でも後の裁判を見据え、決して「辞めます」とは言わなかった。
言った時点で、私の負けになる。
どんな屈辱的な目にあわされても、罵倒されても、
生活を奪われても、卑怯者に負けたくなかった。
私は、荷物を纏めて、集荷サービスに預け、その足で弁護士事務所へ向かった。


弁護士会から借金という形で、弁護料を工面し、
全ての書面を揃えて、起訴した。

末期癌で祖母が、息を引き取ろうとしているとき、
その横で、陳述書を書いたりした。
相手から提出された陳述書は、
読むだけで吐き気がするような嘘と、
私へのありもしない誹謗中傷にまみれていた。
怒りと不安で、気が狂いそうになったことが、何度もあった。


テレビでしか見たことがなかった裁判所に私は立ち、証人尋問に答えた。
相手の証人尋問は、見ものだった。
私が何をしなくても、自分で次々と嘘を露呈し、
取り繕っては嘘を重ね、誰の目から見ても狼狽し、哀れなものだった。
私の弁護士は、私の屈辱をきっちりと晴らし、
見事な手腕で私の誇りを取り返してくれた。

裁判は、始めたら、止められない。
地方裁判所で私が勝訴しても、
病的な虚言癖がある雇用主は納得しなかった。
判決の全面不服を主張し、控訴された。
また、裁判が続いた。
高裁で、和解金が膨らみ、ついに金銭的に雇用主が折れざるを得なくなった。
裁判官立会いのもと、数度の話し合いを経て、和解で終わった。
私の手に渡された和解金は、以前の会社でそのまま働いていても、
赤字が出る金額だった。


覚悟はしていたが、高裁までいき、二年間かかった。
当初の予想通り、労働基準監督署も労働局も役に立たない相手だった。
簡易裁判でも、意味がなかった。
上記の機関は、仲裁はしてくれるが、裁くことはしてくれない。
本裁判をして、よかった。
いってみれば、二年という年数は、最短年数だった。


思い出して、とりとめもなく書いた。
書き直すときがきたら、この記事は削除しようと思う。
今は書けないが、色んな人に助けてもらい、裁判を終えることができた。

狂った人間が経営する会社は、檻に等しい。
生活と金銭を人質にとられ、奴隷のようにこき使われ、
人としての尊厳、誇りまで汚され、踏み躙られ、
ときに、人生を狂わされる。



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美鳥(みとり)

Author:美鳥(みとり)
被虐待サバイバー。解離性同一性障害、うつ病、対人恐怖症ほか色々闘病中。境界性パーソナリティ障害寛解しました。毎日の光と影を綴ります。生育歴・来歴・病歴・活動はこちらをご覧下さい⇒<はじめに Profile>

講演活動・ユーストリーム放送しています。
講演のご依頼ご相談は、当ブログメールフォームからお願い致します。

診断名の有無に関わらず、生き辛さを抱える方々と温かい繋がりを目指しています。ご感想ご意見など、お気軽にどうぞ。お待ちしています。

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