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2011/09/21 (Wed) 転げ落ちる息絶える - アダルトチルドレン・機能不全家族 -

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<8月24日 過去を思い出し走り書き>

最近必要にかられて過去を振り返ることが多いのだけど、私にとって「回復を目指す」とは、常識や他人の目との戦いなのだと思った。
常識に縛られ従順に生きてきて自分がどんな人間なのか、なにが好きでなにが嫌いでなにが苦しいのかすら分からなくなっていた。極度のアダルトチルドレンとして生きてきた。私のこれまでの人生に限っていえば、私が常識に助けられたことは一度もなかったように思う。周囲に阿ることは安逸ではあったけれど、幸せではなかった。行き場のない悲しみや苦しみや怒りがどんどん降り積もり重なって、息をするのも苦しくなっていった。

絶望しても絶望しても、また常識的であることにしがみついて、普通のふりをして、「普通」でない自分に失望して。繰り返しているうちに、いっそ既存の価値観を全てかなぐり捨ててみたいと思った。当たり前と信じて疑わなかったもの全て一度疑いを持って検証していった。これから先を生きる別の自分のために。
私は極度なまでに常識や社会性を捨てることに決めた。決めたところでアダルトチルドレンだ。どう頑張ったって破天荒になんてなれない。非常識の真似事に過ぎなかった。それでも試みの幾つかは成功して、随分生きやすくなったと思う。年齢に頓着しなくなったのも確かその頃だ。


破綻するまで私は自分がまっとうに生きていくものだと信じて疑わなかった。まっとうに生きる、常識的に生きる、エリートになる、それが当然であってそれ以外の選択肢はないものだと育っているから、原因不明の病気に次々見舞われ周囲から落第していく自分を実感した時のショックは、計り知れないものがあった。どう見てみたところで、私は明らかに落ちこぼれてしまった。大学にトップで入学し、トップを維持し続けたが故に学費を払う必要すらなかったのに、卒業する頃には精神を病み無数の身体症状に襲われ、まっすぐ歩くことすらできず伝い歩きしかできなくなっていた。妬みが強かった友人から、あからさまに嘲笑されたこともあった。取り返しがつかないことを悟ったのは、随分後だったと思う。どこもかしこも徹底的に壊れて限界を超えていたのに、自分はもう駄目なんだと認めるまで随分かかった。

当時は劣等感に苛まれ、同年代の友人たちに置いて行かれる孤独を味わった。焦りもあったし、無駄な足掻きも随分やった。あからさまに馬鹿にしてくる人もいたし、頑張りが足りないと責める人もいた。自分が弱った時ほど、人は普段と違ういろんな顔を見せる。どの感じ方も意見も、常識的で正論だった。自分だけが、正しくなかった。自分の存在そのものが、落第していてみっともなくて惨めで弱くて卑しかった。そんな目で見られなくても、私に植え付けられた他人の目が私を断罪し続けた。


(思い出した瞬間に感情的に書き留めておいた下書きをそのままアップしました。もがき苦しむアダルトチルドレンが一人残らず自分らしく生き抜くことができますように願いを込めて。)

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2010/10/06 (Wed) 死ねなくてごめんなさい ? 虐待・機能不全家族 ?

記憶が流れ込んできた。
小学生の私。
生きててごめんなさいごめんなさいと泣いて叫んで、
土下座して、殺してください!と叫んでいる。

額をつけたフローリングの床が見える。床のかたさ、冷たさも分かる。私の顔は涙と鼻水でぐちゃぐちゃで、全身汗だくで、手のひらも汗ばんで床の上でベトベトしている。天上から見てるわけでもないし、違う場所から自分を見てるんでもない。これは、解離してない私の記憶。でもずっと隔離されてた記憶。

お父さん、どうして真っ赤な顔で勝手に死ね!と怒鳴るの?物を投げつけるの?
おばあちゃん、どうして私を指差してキチガイだって笑うの?
お母さん、どうして大げさにため息ついて、苦笑するの?

「また始まった」て、なに?

私、生きてちゃだめなの?
生きてる資格ないってみんな言う。
お前さえいなきゃって言う。
死んでしまいたい。
でも死ねない死ぬのが怖い。ごめんなさい。ごめんなさい。死ねないから殺してください。
お父さん、おばあちゃん、おかあさん、殺してください。お願いします。お願いします。


※コメント欄は一時閉鎖しています。過去記事へのコメント返信を終えてから開放する予定です。
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2010/02/25 (Thu) 「曖昧な」子供から大人になること ? 機能不全家族 ?

講演会のご案内@東京



今朝、テレビをつけてみたら羽田空港が映っていた。
濃霧で、欠航が相次いでいるという。
人ごみでごった返している空港の映像を見ながら、今日帰らなくてよかったわーと朝食を食べながら弟と話した。

この弟は、二人いる弟のうちの一人で、東京で私を居候させてくれている。
気が良いやつだ。そして頭が良く、センスが良く、私にないドライさを持ち合わせていて、冷静且つ人生経験が豊富だ。私の兄的存在、何でも話せる親友である。

いつだったか実家で父に殺されるとパニックになり弟に電話したとき、彼だけは実家をよく知っているので、私の言を疑わなかった。同じ家庭で育ち、同じ空気を吸った人間が親友として生きていてくれるのは、私にとって大きな支えだ。

ともすれば、私の感じ方が間違っているのではないか、被害妄想ではないかと猜疑心にかられても、私以外の視点からどう見えるのか教えてくれる人がいるに越したことはない。


「家族とは、愛情を基盤とし、肉体的精神的暴力を振るわず、互いを人間として尊重し尊厳を守るべきかけがえのない居場所である」
これは、私や弟にとっては理想的家族であって現実ではなかった。
しかし、多くの人にとって虐待はテレビの中のお話、特別なニュース、身近なようでいて縁遠い出来事らしい。


理想的な家族のあり方と平行して、残虐な世界も同時に存在していることを大人になるにつれ知った。大人になるまでは、何が愛情で何が虐待なのか区別を付ける必要も感じなかった。なぜなら私たちにとって、家族はたった一つであり、よそがどうなのか考える暇はなかった。考えても、無駄なことだった。

別の選択肢があることを実感できて初めて、人間は不満を持つことができる。選択肢がなければ、ただその日を凌ぎ送ることに専念するものだ。


加害者側にも同じことが言える。
暴力や支配以外の家族とのコミュニケーションしか知らず生きてきた人間は、その他にどう自分が振舞うべきか分からない。私が両親を見てきても、実感していることだ。
厄介なことに、両親に子供への「愛情」がないわけではない。常に暴力の中に愛情を、愛情の中に暴力を混入させて差し出して来る。
恐らく両親はそのことに無自覚で、私や弟たちも無自覚だった。

両親や祖母は、常に苦痛とセットの愛情を差し出してきた。
私たち子供は、何とかして飲み込み咀嚼してみせることで親の面子を保った。家族としての心的コミュニケーションまで成り立っているかのように偽装した。


贋物は、いつか明るみに出るものだ。

今同居している東京の弟は、早々に限界を見極め、家族から離脱した。とはいえ、仲違いしたわけではない。精神的にも経済的にも自立したのだ。

もう一人の弟は、実家で引きこもり、経済的に依存しながら心を完全に閉ざした。引きこもりは肉体的にも限界を来たし、強迫性障害は悪化するばかりだ。彼が助かる日は来るのか。考えるだけで絶望的になる。

私は、数多の精神疾患を発病した。人生の殆どが無駄な足掻きだった。根源の掴めない絶望や怒りや憎悪や自分なんて消えてしまえめちゃくちゃになってしまえ死んでしまえと、のた打ち回って日を送ってきた。
そのうち何故か私は生き残り、治療を受けたりやめたりを繰り返しながら、自分はそうそう死なない気がしてきた。

やっと余裕ができてきたのだろう。東京に住む弟が、私以上に早くに私たちの家庭の深刻な破綻に気づき、より多くを理解していることを知った。
一人でもがき苦しむ時期を経て、やっと見つけた親友だった。
それまでの私は、苦しみながらも実家のルールや破綻した言い分を結果的に守ってきていた。弟からすれば、私も実家に取り込まれた一人だったのだろうと思う。実際、あなたはまだ機能不全家族から抜け出していないと治療者からよく言われたものだ。



家族の数だけ、家族の形があるだろう。関係性があるだろう。
しかし、人間が人間に振るう暴力の形は、いつもひとつだ。
どんな始まり方であっても、戦争が必ず人を殺しあうように。
機能不全家族は、愛情という大義名分から発し、精神の殺人へ帰結する。


親子殺しは後を絶たず、発見される虐待はまだ良い方で、水面下で死んでいく子供がいる。生き延びても心を殺されたままの子供がいる。子供はそのまま大人になり、暴力や支配と愛情を履き違えたまま、気づくチャンスは僅かばかりで、無意識なまま呪いのコミュニケーションが連鎖する。

せめて連鎖を自覚した者だけは、断ち切る努力をしなければならない。
両親が差し出す暴力とセットの愛情を私はもう二度と一口も口にはできないが、そんな私にできることがあるとすれば、両親は望まぬ精神性の断絶だけだ。


私は、私が受け継いだ私の家族という文化を、次代に継承しない。
断じて継承しない強い意志は、両親がまぎれもなく私の親であるという事実から発している。
私と弟が家族について話し合えるのもまた、同じ親を持った姉弟として育った事実があるからだ。

世界は、いつも分かりやすいツートンカラーで出来ているわけではない。
でも、生き延びる価値はある。
生き延びた分、出会えなかった人と出会える。
もうすぐ東京を去らねばならない。でも、また戻ってくれば色んな人と会える。



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 カテゴリー<機能不全家族>

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機能不全家族 | comment(5) |


2010/01/11 (Mon) お菓子の家 ? 機能不全家族 ?

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正月の準備で、私が担当したのは黒豆煮と雑煮。

雑煮は、祖母が毎年作ってきた。その味なしでは新年を迎えられない。
祖母が亡くなってから、彼女の雑煮の味を再現できたのは私だけだったので、以後私が担当になった。

祖母は九州生まれで、私の両親も九州生まれ。
私は関西で生まれたが、九州式の味で育ってきた。

私がもし誰かと結婚することがあるのなら、私が新年に作る雑煮は間違いなく祖母の雑煮だ。
美味い。とにかく美味い。何よりも、私たちはずっとこれを食べて1年1年を越してきた。舌が覚えている。

祖母が残したもの、両親が受け継いだもの、私が引き継がねばならないものは、数限りない。料理の味付けは勿論、物理的なもの精神的なもの習慣的なもの、様々だ。虐待の歴史も勿論含まれる。私の病気も、引きこもりの弟も、両親それぞれの問題も、東京の弟の行き方も。
正の遺産と負の遺産、そしてどちらでもないありふれた遺産が混在している。
その中から私は注意深く、私の意志でもって、私の望む生き方に適うものだけ取捨選択しなければならない。


一方で、私が新しく創り出すものもある。
おせち料理で余った2切れのハムを家族5人分の一品にできないかと考えた。正月3日のことだ。
思いつきで冷蔵庫にあるものを組み合わせて作った。それが写真の小さなオードブル。

材料は、以下。
ハム(ブラックペッパー)・クリームチーズ・ローズソルト・青リンゴの薄切り・黒豆・三つ葉・ブルーベリージャム

想定外に美味かった。気負ってやるよりも、失敗も楽しみのうちと適当にやるほうが案外出来が良いらしい。

黒豆の味付けも私がやったが、私の好みは祖母とは全く違う。祖母は甘いものが好きで柔らかいものが好きだった。私は、豆の香りを殺さない薄甘くて煮すぎないアルデンテの黒豆を作る。
両親は、祖母の黒豆とは違ってお前の黒豆もそれはそれで美味いと言った。来年も同じでいいらしい。少しずつ、我が家の正月のスタイルも変わっていくだろう。


引きこもりの弟は、悪化していた。引きこもりは勿論のこと、強迫性障害が悪化している。両足は過酷な生活のせいで壊死を起こしかけていた。足首は以前の2倍に腫れ、赤黒くぱんぱんに皮膚が張って、表面は白く乾いて剥がれ掛けている。少なくとも2,3年は入浴していないため、強烈な臭気を放ち、長年日に当たらないために青白く、洗いすぎた手は荒れ放題だ。
更にはコミュニケーションが取れない。彼は日本語の使い方を忘れ去りつつある。

最も最悪なのは、不潔恐怖のために外出できないので通院は勿論、手当ても受けられないこと。一般家庭で引きこもって生活していて、足が壊死して腐りかけるなんて想像もしなかったが、現実になろうとしている。


そんな弟の惨状も、実家では日常に溶け込んでしまって、実家はさながら童話の世界のようだ。
お菓子の家は幸せそうだが、影には魔女が潜んでいる。満腹になって眠る幸せと、殺され食われる恐怖が平然と同居している。


私は、どっちへ行けばいいのだろう。
道は決まっているのに、実家で心が彷徨った。
新年の陽気な番組や家族との話題で、あははと笑っているときも常に精神が虚ろだった。

私は混沌にのまれて死ぬわけにはいかない。正の遺産と負の遺産をきっちり分けて生きていく。
しかし、負の遺産にのまれ、脱する必要すら自覚していない人間が目の前にいる。弟だ。
彼を見捨てるのか。私にできることは本当にもうないのか。出来るとしたら何だ。出来ないとしたら何故だ。
考えが自然浮かんでは堂々巡りした。

それでも楽しいこともたくさんあった。いつもそうだ。いつもこうだった。
我が家は混沌としている。どの家庭もそんなものなのだろうか。ホラー映画の序幕のように、惨劇の前にはわざとらしいまでに幸せな日常シーンがお決まりなのか。


機能不全家族の生活は、恐ろしいシーンが待ち受ける童話そっくりで空恐ろしい。
登場人物たちは、後に何が待っているかなど毛頭知らず、懐かしい祖母の雑煮を味わい、両親が作ったつきたての餅を食べ、旨い酒に舌鼓を打ち、土産話に花を咲かせて笑いあう。
その隣で、死神さながらに人生の半分を引きこもったまま朽ちて行きつつある人間が、耐え難い臭気を放ちながら突っ立って足を腐らせかけている。


楽しいことも嘘じゃないし、惨劇も嘘じゃない。
怒りも嘘じゃないし、血の繋がりも嘘じゃない。

単純でない現実の羅列に、実家滞在中はずっと沈思黙考していた。


ただ、来年も私は祖母の味と全く同じ雑煮を作るし、しかし黒豆は踏襲することなく私流で煮る。
思いつきで両親は決して作らない類の料理も作る。

たったこれしか明晰でない。しかし、明晰であることには違いない。
この掴みどころのない恐怖と、相反する自分の確かさの同居を、うまく言葉にできないでいる。


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機能不全家族 | comment(1) |


2009/06/27 (Sat) そこにいるのに ? 虐待・機能不全家族 ?

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私には、過去の記憶が殆どない。
10年近く内省、自分の記憶を辿る作業を続けているが、それでも繰り返し同じシーンが流れるだけで、それ以上の記憶を発掘することが出来ない。


家族内で毎晩リンチを受けていた13?15歳頃のことを思い出そうとしても、思い出せる記憶は片手に足る。
中でも、焼きついている母の表情は、思い出す度に私に哀しみと怒りを呼び起こす。当時、私はぼんやりとそれを見ているだけで、何の感情もなかった違和感すら覚えていなかっただろう。後になって知った。あれは、卑怯な人間の表情だったと知った。


私を屈辱的な方法でいたぶる祖母も、怒鳴りつけ暴力を振るい物を壊す父も、まだ可愛げがあった。彼らは、理由は分からないが私を虐めて楽しんでいた。

そんな時、母はきまって慎ましい表情で俯き、しかし向かいの祖母に見えることを知ってか、祖母達に追従するように、しかし虐められている私に遠慮するように同情するように、曖昧に微笑んでいた。

虐める側にもつかず、しかし私を守るでもなく、母はいつもそうだった。父が暴力を振るったり、死ねとか穀潰しだとか悪罵した時だけは「その言い方はだめよ」「暴力は駄目よ」とたしなめていた。

では、他の言い方ならいいのか?
そもそも私は、なぜこんなに完全否定されながら、生きる価値はない、狂っていると言われながら、生かされているのだろうか?
私は殺してくれと頼んでいるのに、なぜ殺さず、更には家族だなどと言うのだろうか?

言っても父は聞かない性格で、困った母が泣き出すと私の責任だと更に父は憤怒したものだった。
毎晩、夕飯の席では必ず私への執拗な虐めが繰り広げられたが、私が最も恐れるのは、母が泣き出すことだった。
母が泣くと、母だけが大事な父は、激昂するのだ。
お前のせいでお母さんが泣いてるやないか!と。
私への責めは激しくなった。麻痺して無感情になっているときでも、私は母の涙には内心苛立つことが多かった。泣くしか出来ない母に、情けなさを感じていたのかもしれない。子供である私は、たった一人で大人3人の前に立ち、泣いても殴られてもからかわれても馬鹿にされても屈辱の時間に耐えているというのに、母は何もせず、一言も発さずに泣くだけか、と茫然としていた。
母が何故泣くのか、思えば私はちっとも理解できなかった。今も、よく分からない。きっと、母自身もよく分かっていなかったはずだ。そして、あの頃のことを母は全く覚えていない。母は、何もかも忘れているのだ。


誰も止めるものがいないキッチンでの<家族会議>は、地獄だった。
ノイローゼの果てに私は、夕飯に毒を盛られているという疑念に取り付かれ、食事が取れなくなった。本気でそう考えたのは、ただの妄想からではなかった。

私を散々からかって虐めて私が泣き出すと皆は指差して笑い、そこから父が切れて暴力や怒声が続き、私は土下座して「殺してください」とお願いしたり、何のことかもよく分からないが「許してください」と泣き、飽きた家族は「頭がおかしいから・・・」と私を遠巻きにひそひそと声を交わし、泣きじゃくる私を完全に無視し始める。

父は、野球のナイターに一喜一憂し、母は憂鬱な顔で食器を洗い始め、祖母は何事もなかったかのように、もしくはわざと面白い話題を出して笑ったりする。

私は、ここにもう立っていなくていいのか?と聞いたこともある。「あんたが立ちたいなら、いつまでも立ってなさい」と母は言った。祖母は、母を遮って「あーもうこの子はこれやから」と頭の上で指をクルクルと動かし、相手にするなと母に目配せをする。

私は、所在なく2階に上がる。そして、吹き抜けの2階からじっと耳を澄ます。
そうすると、必ずしばらくしてから声を潜めて家族達が私の話を始める。大概は、私の悪口だ。彼らに口ごたえしたときの私のセリフをまた誰かが引用して、ああ言ったけどおかしいよあの子、などと言っている。
私は、隠れて聞いているのがばれないように、泣きすぎて横隔膜が痙攣するのを抑えながら耳をそば立てている。聞かないほうが良いに決まっているのに、聞いてしまう。

そのうちに、母達が「あの子さえいなければ」とか、弟二人は良い子なのにとか、父に至っては「あいつは死なな変わらん」「もう飯もやるな!」と言っているのが聞こえてきた。


そんなことが年単位で続くと、ただでさえ憂鬱な夕飯の席が、私にとっては死の食卓になった。精神的に抹殺されようとしている。加えて、彼らは私を必要としていない。厄介者扱いし、玩具のように扱う。それに、私は無能で役立たずで、両親や祖母の期待通りの成績が取れない、東大に行くなんて無理だ、何の意欲も涌いて来ない、死にたいだけだ、生きているのが恥ずかしいだけだ。
食事に毒が盛られていても、おかしくはなかった。

私の怯えは、彼らにはパフォーマンスに見えたらしく、気に食わなかったらしかった。私は、また頭がおかしい、被害妄想が酷い、何言ってんの!そんなんなら食べなくていい! と言われた。
しかし、後で母は、「おなかすいたでしょう」などと言って労わって来た。
わけが分からなかった。
毒が入っているかもしれない。入っていないかもしれない。どちらか判断できず、余計に精神が異常をきたしていった。優しくしたり、虐めたり、安心させたかと思えば、裏切ったり。愛情とはそんなものだと私は考えるようになり、この歪んだ感覚は成人してからの恋愛関係に多大な問題を引き起こすこととなる。思えば、こんな環境にあれば、境界性パーソナリティ障害は立派に育つ。


家庭内は、常にパワーゲームだった。媚びれば媚びた分、小遣いから食事、おやつの内容まで違った。媚びとは、良い成績を取り、教師から褒められることだった。当然、家庭でも学校でも、その場の権力者の顔色を常にうかがい気を張っていた。異常に張り詰めた空気は、私を異人に見せたのか、学校でも虐められた。
友情や愛情には必ず理不尽な罰が伴い、感情表現すると必ずまずいことになる。
学習した私は、どんなふうに生きていたのか。
私自身の内面のことになると、まるで思い出せない。年表として持っているが、感情が欠落している。



今の私は、自分を殺すものを遠ざけ、自分を生かすものだけを大事にすることにしている。
母を見れば見るほどに、私の決意は強固となる。
私は、誰も守れない人間にはなりたくない。
虐待の連鎖は私の代で断ち切らなければならない。本当は、温かい家庭であった、行き違いはあっても親達も思いやりを持っていた、そんなふうに思いたかったが、現実はそうではなかった。現実を直視しなければならない。直視できる強さが欲しい。
私の人生にあっては、母のような弱弱しい微笑を一度も浮かべることなく死にたい。
今なら、分かる。
俯いていたのは、母が無意識にでも、自身が恥ずべきことをしていると知っていたからだ。

私は、何をやっても駄目で、エリート学校に入らなければ将来は絶対に不幸で、何も長続きしないし、頭がおかしいと罵られていた。毎晩言われ続けて、自分でもそうだと信じて疑わなかった。
けれど、私は今、自分を誇りに思う。
ただ間違いを恐れ、誰かの顔色をうかがって、自分を殺すことは絶対にしない。
自分を確かに持てば持つほど、持たない人間から疎まれる。その覚悟も出来ている。私は、自分の手と目と耳が届く限りの大事な人が困っているとき、一緒に戦える人間でありたい。心に歪みなく、真直ぐに生きていたい。

私は、ここにいる。
いないふりをしようとも、俯こうとも、沈黙しようとも、誰かの前に、あなたの前に、私はいる。
生きると決めたと同時に、伝えることを決めた。
私自身が、機能不全家族、虐待の連鎖から回復することを目指し、そして私個人の小さな体験が、同じく苦しむ誰かの元へ勇気とエールになって届くように。
懸命に願い、生きている限り、活動を止めないことを誓う。



参考記事(ブログ内リンク)
◇キッチン1◇キッチン2
◇キッチン3
※以上、シリーズ未完。

カテゴリー<機能不全家族>
(私個人の体験のみ書いています。解離性障害、境界性パーソナリティ障害、人格障害からの回復への道程として)

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機能不全家族 | comment(10) |


2009/06/24 (Wed) 中立という凶悪  - 機能不全家族・対人・解離性障害 -

母に久しぶりに失望した。
案件が案件だけに、人間として見下げた。見下げたよ、それだけ生きてきてそんな価値観か、と電話口で私は何度も言った。

母には、人格というものがない。
ふわふわと漂っている。
「まだ生まれていない人」とは、私のカウンセラーの言葉だ。
いつも中立で、自分の意見というものがない。しかし人間だから、それなりに他人に不満や憤りを抱え、話してきたりする。かといって、打開策を見つけようとはしない。母は、まるで意志を持たない水のようだ。傾いた板の上を、ただただ流れ落ちていく。

母は、記憶のアーカイブが殆ど存在しない。すぐに何でも忘れてしまう。母こそが、重度の解離性障害かもしれない。
母の中立は、私には保身にしか見えない。感情は起るのに、行動にしようとしない。あっちの顔もうかがい、こっちもうかがっては、どちらも正しい、と言って済ませようとする。そして実際、そんなふうに行動してしまう。そんなふうにとは、何もかも曖昧に、どっちつかずに、だ。
結果、彼女を取り巻く事柄は規律を失い、場の力関係によって彼女は善悪を右へ左へやって、問題を混乱させる。

自分を当面の正しさの物差しにする覚悟のない人間は、関わる人間を不幸にする。
母と話していると、世の中は混沌として黒煙に覆われているかのように感じる。
母は、おっとりとして主張がない。だから、母という人間が一向に見えてこない。だから、母は自分自身でも言っているが、心許せる友人はいない。母を理解している人間も、一人もいない。



私は、母とは真逆に生きている。
昔は、そうではなかった。
今も、名残はある。意識や記憶がぼんやりとしていることは多い。解離性障害のせいだ。
これに加えて自分というものがなかった。これは、私の過去最悪の罪の一つだと、今は考えている。

自分が意見を持つということは悪いことで、誰の言うことも平等に聞き、考えるべきだと思っていた。結果、私は私でいては都合が悪いのだった。その場の混乱をいつでも治められる賢く理性的な人間であろうとすれば、感情よりも理屈を先に立てるしかなかった。誰かの役に立つことに喜びを見出し、自分のためだけに自分を主張すると居心地が悪くて、怠慢を働いているような気がして、奉仕の心に生きた。その方が、楽だった。人から感謝されると、殺した自分も報われるような錯覚を抱いていた。

しかし、理屈は正論であるのにも関わらず、無力だ。
無力に頼り続ける私は、どんどん輪郭を薄めていくしかなかった。
私は、システムでいられなくなり、はじめて自分は欠点があり、抑えられない感情もある人間なのだと気づいた。苦しいという感情に終始支配され、理性的でなどいられなくなった。他人のことに首を突っ込む余力は、勿論なくなった。なくなっても、自分の役割を果たそうとし続けた。

過去の私は、母自身である。
しかし、私は、自分を殺すことはついに出来なかった。その差は何だろう。分からない。
とにかく、今の私は、母と真逆に生きている。

私は、批難を覚悟で自分の物差しを持ち、自分自身にも他者にも明示して生きている。最初に自分の姿を明らかにしなければ、相手は反応しようがないし、余計な気を遣わせてしまう。私は、ありのままであると、いつでも誰かに言えるように生きている。対人恐怖を持っていた私、今は境界性人格障害の私は、特に人が怖いという人の気持ちがわかるから、実質的に裏表のない人間でいようと生きている。
母は、明確な私に拒絶反応を示す。自分自身を明らかにするということは、自然、他者との対立を意味することが多い。尊重し合えるような筋の通った人間ばかりではないどころか、信念をもって主張している人間を前にすると、無関係であっても何故か自分の領域を侵されると危機感を覚える人が多い日本だ。

そんな不都合もあわせて、私は引き受けている。私は、こうやって生きていく。


母の価値観は、最悪だ。
今日、母の知人との付き合い方を聞いていて確信した。

母が「可哀想なのよ」と頻繁に話題に出すTさんは、独身で守銭奴で四六時中孤独で、プライドがなくて、プライドが高く、金持ちなのにまだ金を欲しがり、友達は金で買うものだと言っているが、友達すらいない人だ。
Tさんは、札束でベッドを作れる位の金持ちだった。しかし、人間不信だ。被害妄想も酷い。なのに、そこらの男を簡単に引き入れる。そうして、自分の部屋の掃除などをさせ、報酬をやらないから相手が怒ったり付きまとってきたりする。その度に、男って嫌だ、皆私の財産を狙っている、と言っている。

Tさんの懸念は、お金がなくなったらどうしよう、という一点だ。不安で夜も眠れない。そのうち思いついた。ボケかけている男性Hの妻になって、彼が死んだ後も年金を貰い続けようと考えた。しかし、彼女の財産は既に今でも使い切れないほどある。なのに、まだ欲しがる。

Hさんが家族といないときを見計らって家へ先回りし、Tさんは婚姻届に判を押させた。その後、彼女はHさんについてではなく、Hさんの年金額を調べ始めた。それから、Hさんの子供達に自分の財産を奪われないように、弁護士に相談もした。


母は、最初は悪いことだと思っていたし、止めようとしていたが、今は助けてやる気になってきたという。Tさんに、結婚の証人になって欲しいと頼まれ、引き受けるつもりらしい。

母の理屈は、でたらめだ。
Tさんの立場に立ったら、哀れに思えてならないし、自分もTさんだったら同じように考えるかもしれない、と思ったらしい。
確認したが、母はではTさんと同じことをするのか?と訊ねると、即刻、「しないよそんなこと」と返ってきた。2,3度確認したが、しないということだった。
哀れに思える知人なんて、友人ではない。ましてその禄でもない友人の詐欺紛いの婚姻届に、私の母が証人として名を記す。私は怒りで眩暈がした。

哀れだったら何をしてもいいのか。
可哀想なら、関係ない他人を巻き込んでもいいのか。


「それだけ生きてきて、まだそれか。哀れだから何だ。その人が何故今哀れなのか分かってるだろう。なのに、友人としてお母さんがやることはそんなことか。まして、自分ならやらないと即答するような行為を知人がしようとしてるのに、心の中だけで「間違ってるのに。哀れだなぁ」と思うだけで、言ってやらないのか。怒りを感じないのか? 自分の近くにいる人間が、他人を陥れようとしているのに、一人の人間として憤りを持てないのか?」

母は、何か色々言っていた。
母は、色々言うのだ。だってTさんはこう言ったから、などと。誰が何を言おうが関係ない。母がどう思っているかだ。母の価値観を問うと「最初は間違ってるかなと思ったけど、Tさんがあまりに可哀想で、自分がTさんの立場だったらそんな気持ちになるかもしれないなぁと思って」と答えた。
Tさんは、詐欺だ。詐欺師の言葉に同情してやる必要などない。何故引きずられるのか。母は、そして自分という物差しを持って他人から批難されることを恐れる人間は、必ずあっちにもこっちにも共感してまわる。どっちの理屈にも引きずられ、最後は自分の感情的都合で物事を採決してしまう。


「お母さんは、情にだらしない。最低な人間。自分がないわけ?哀れと思ってしまう相手なんて、友達でも何でもないよ。対等な人間を見つけたら? そんな哀れで卑怯な人間に加担してる暇があるなら、MK(引きこもり15年・重度の強迫性障害)のことでも考えたら? 情にだらしないから、引きこもりのMKをどうしようもできないんだよ」

そう言ったら、母はTさんのこととMKは関係がないなどと言っていた。
関係は、あるんだよ。


母は、いまだ生まれていない人だ。
私は、怒りでクラクラしている。
いまだ生まれてきていない人間は、何と情にだらしなく、卑怯で、利己的で、無力だろうか。
私も、かつてそうだった。
弱いということは、罪悪だ。自分に向き合わないということは、誰とも向き合わず、彼岸から無言で嫌がらせをしているようなものだ。


母は、私の怒りに、こう言った。
「それは、あんたの価値観でしょ。お父さんに聞いてみる」
「何を聞くのよ? 私は私の価値観に照らし合わせて、母の娘としてそんなことする母親は気持ち悪くて腹立たしくて、自分なら友達になりたくないと感じて、そのまま怒ってるだけよ。自分がどう思うかでしょ?お母さんはどう思うのよ?感情を出したらどうなの?」

母は、「感情を出すのが良いことなの?」と批判的な声をあげた。それから、また言った。「それは、あんたの価値観でしょ」

結局、母は自分の価値観はどうなのか口にしなかった。
ないのだそうだ。
感情もないらしい。
私は、とにかく腹が立つ。
感情もないならそれでもいい。だが、間違っているのではと少しでもひっかるようなことを友達がしているとき、勇気を持って指摘し、時には怒らずして、何の意味があるのか。
そんなふうに生温い目で私を見てくる友人など、私は友人とは思えない。


母は、まだ生まれていない。
今頃、父に意見を聞いているのだろう。
そして父は、よく分からないからおざなりに答えているだろう。手に取るように分かる。私が育った家だからだ。


この話は母の中で育つこともなく、
だから私はここに書き、
私の胸に留め、
私は母にはなるまいと固く強く誓う。


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機能不全家族 | comment(4) |


2009/05/24 (Sun) 理不尽の連鎖 ? 機能不全家族 ?

20090524.jpg

理不尽な事でも、それが数十年に渡り日常的に繰り返し行われると、一体何がどう理不尽なのか分からなくなってくるものだ。

暴君のような父親の元で育った知人が、かつていた。
彼女の家では、父親の一言は絶対だった。両親共に働いていたが、父親は生活費を別にしたので母親の稼ぎだけで兄弟3人を育てた。父親の暴力、暴言は日常茶飯事で、夜中に父親が包丁を持って窓伝いに殺しに来たこともあった。

そんな彼女の家の食卓は、拷問だった。
団欒からは程遠く、何か少しでも父親の機嫌を損ねるようなことがあると責め立てられる。
まともな家庭ではなかった。
しかし、彼女にとって家庭とは、それ以外に存在しなかった。理不尽に耐え忍ぶ毎日は、彼女に父親を殺したいという憎しみすら抱かせた。


彼女は大学入学と共に牢獄のような実家を出て、一人暮らしを始め、やがて結婚することになった。
相手の家の夕食に招かれた26歳の時、彼女は衝撃的な場面に遭遇した。

婚約者の食卓では、皆が笑って冗談を交わしながら食事し、特に子供達の父親への接し方は、まるで彼女の家と違った。
恋人の父親が、妻や子供達に「ごはんおかわり」と言うと、皆が「もう、お父さん自分でよそいなさいよ」と囃したてた。
咄嗟に、恋人の父親が怒鳴り喚き食卓は惨状になる、と彼女は恐怖で身を硬くしたが、当の父親自身当然のように楽しく笑っている。

皆が笑っているその場で、彼女だけが青ざめていた。こみ上げてくる生理的な恐怖心に襲われ、吐き気をこらえていた。
目の前の光景を受け入れられず、子供達が父親と冗談を交わす度に、ビクビクと怯えた。それは最早、反射的で、彼女自身も自分でコントロールできなかった。
彼女の家では、絶対に有り得ない光景だった。家事は女がするもの、と父親から蔑まれてきた彼女は、男女同権を日頃から強く唱えていたが、実際は自分は疑うこともなく家事は自分がするものだと思い込んでいたことに気づいた。


恋人の家から戻ってきた彼女は、結婚は無理かもしれないと私に話した。
彼女は言った。
あれが普通かもしれないけれど、結婚して自分があんなふうにできるかと考えたら到底できそうにない。多分、疑いもなく夫の世話をしてるし、食卓で一言でも口をきこうものなら子供達を叱り飛ばすだろう。
恐ろしくて、自分は絶対に夫自らごはんをよそわせることはないだろう。そして、子供達もそれが当然なのだと思って育っていくのだろう。そして、自分の子供達はいつか言うのだろう。なぜ家事は女の仕事なんていわれなきゃいけないんだ、と。かつての自分のように。

誰が茶碗にご飯をよそうのか。それだけのことに、一つの家族の在り様が見えてくる。
それは、家庭という密室の箱の中で、家族という媒体を介し、ほぼ疑われる機会もなく受け継がれて行く。
頭で、理性で、「これはおかしい」「許せない」「変わりたい」と考えていても、変革が終わったわけではない。
習性に抗うとき、必ず最大の恐怖が訪れる。
刻み込まれた嘘、根拠のない劣等感、恐怖心は、抗わず服従し沈黙を守り、恭順することが最も安全であるかのように錯覚させる。先述の友人が、どうしても食卓で嫌なのに夫に怯えてしまうように。

刷り込まれた習性に挑み、長い長い年月をかけて積み重ねられた理不尽な事実を「NO」と突っぱねなければならない。何度も行動し確かめることで、ようやく自分の感覚が、自分の生き方に合致してくる。
「自分らしさ」「自分らしく生きる」という言葉は、今の世の中に氾濫しているが、手に入れるのは決して容易くはないと私は感じている。理不尽な習性を自覚し否定し、何度も何度も恐怖に直面し挑み、失敗と成功を繰り返し自分の感覚を修正していかなければ、手に入らない。


その後も悩み続けていた彼女だが、結婚した後、離婚した。
今どうしているのかは知らない。
私が、縁を切ったのだ。
理不尽な家庭で育った彼女は、私ととても気が合った。6年間、同居するまでに。
しかし一方で、私を嘘や脅しで支配しようとし、私を羨んだかと思えば蹴落とそうとした。やがて私へのストーカー行為にも発展した。

常軌を逸した彼女の背景を知ってはいたが、私はそれをも「NO」と拒まざるを得なくなった。理不尽に苦しんできたからこそ、中立は現実逃避や誤魔化し以外の何物でもない。拒まず受け入れれば、私の中の理不尽に馴染みやすい習性に自ら囚われることとなる。
それはきっと、私が意識しないうちに、大切な友人や恋人や配偶者や子どもへ波及し、特に家庭においては高い確率で次世代へと連鎖する。

縛る鎖は、見つけた時に断たねばならない。
はかりしれない恐怖と痛みと孤独を伴うとしても。


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機能不全家族 | comment(18) |


2009/04/16 (Thu) 遺言書と引きこもり ?機能不全家族・ひきこもり・強迫性障害?

20090416.jpg
※多少、長文ですが重要な記事にて、最後までお付き合い下されば幸いです。

機能不全家族(Wikipedia 機能不全家族)の中で苦しんでいた時代から遷り変わり、私は機能不全家族の外円に接して生きている。
心は、この家族の病理を受け付けられないままでいるが、頭は、闇の仕組みを理解し把握し、生きるために適切な態度をマスターしている。受動的でもなく、能動的でもなく、積極的でもなく、消極的でもない。

かつて私は、狂っていた。私も、とでも言おうか。
「機能不全家族」という名前も知らなかった。それ以前に、どれほど自分が苦しくても屈辱を味わわされても、リンチを受けても、「これが普通の家族」と信じて疑わなかった。それどころか、愛情すら存在すると信じて疑わなかった。
カウンセリングを受け、本を読み漁り、自己分析を出来うる限り重ね、体験を重ね、今の私は、狂気を知って正気を知った、そのスレスレの狭間で息をしている。私は、自分の人生に責任が持てる。少なくともその努力が出来るまでに回復した。

同じ環境で育った弟MKが引きこもって、15年が経つ。
過去の同級生は、仕事を持ち家庭を持ち、子供を持ち、家を建てた者もいる。
MKの暮らしは、人間のものとは思えない。人間不信、極度の強迫性障害、コミュニケーション能力ほぼ欠落、友人なし、ネット上にもなし、民族蔑視の極み、劣等感の極限、髪は去年から洗わず切らず、全身から悪臭。その他、挙げればきりがない。
絶望と憎しみを煮詰めると、諦めという惨劇が生まれる。彼は、人間としての惨劇そのものだ。

一つ屋根の下に暮らしておきながら、いまだMKの問題を直視できない両親。
私は、彼らが直視しないままに問題に取り組むように時々仕向ける。

私が心掛けることは、至極簡単だ。
 怒らせてはならない。私の身が危うくなる。
 ある一定の領域以上は、踏み込んではならない。私の精神状態が乱される。
 相手の間違いや矛盾に気づいても、正そうとしてはならない。感情的になると頭が働かなくなり、拒絶の塊になる相手だから。


以下は、数日前の電話。
私も父も、最初から最後まで声を荒げず、感情もフラット。
私たちは、実に<うまく>いっている。
家族の和さえ乱さなければ、何でもまかりとおる。
暴力もリンチも暴言も嘲笑も、まかりとおる。
そして、私の話もある程度まかり通る。
例え、99%の確率で彼らの耳を素通りするだけだとしても構わない。
私は今、自分が後悔しないためだけに生きている。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「もしもし。体調はどう?昨日、また夕食の時に胸苦しくなったってお母さんから聞いたけど」

「そうやねん。何か気分が悪ーくなってな。吐きそうやった」

「試験勉強に根詰めすぎてるからじゃない? 他にも聞いてる限りじゃパニック障害になりかけてる気がするから、休む時は休んだ方がいいよ」

「そやな。やけど、試験日が近いんや。問題が難しくてなぁ・・・もうほんま難しいわ」

「馴れが大事な問題やん。メリハリつけて、やっていったら、そのうち慣れてくるって」

「そやとええけどなぁ」

「ところで昨日、MTと電話で話したんやけど。おばあちゃんの命日のこととか、家系図のことでお母さん遠縁と揉めてたやん。そのうちお父さんら死んだら、うちらで親戚付き合いしてかなあかんし、その家のこともどないするんやろて姉弟で話してんやん。そんなんもそろそろ考えなあかんやん」

「そろそろて、まだまだ長生きするで俺たちは」

「私は自分が明日生きてるかも分からんと思ってるからなぁ。お父さんらも、何あるか分からんやん。人間いつ死ぬかなんて分からんけど、必ず死ぬねんから、その後のこと考えて準備しといてええやん」

「そらそうかもしれんけどなぁ・・・。家のことって何や」

「MKが引きこもって15年なるやん? このまま何もせんで放置しとって社会出られへんままお父さんら死んだら、MKは、あの家にそのままおるんやろ?」

「そりゃそうや。あいつが出るわけないやないか」

「出んでも、あの家と土地持ってるだけで固定資産税とか払ってかなあかんよな? そうなったらMKは払えんし、家と土地売り払うしかなくなるやん。お金が欲しいんやなくて、あの家と土地はうちら家族が住んできたもんやし、それを他人に売り払うんは私はいやなんやん? おばあちゃんのも埋めてあるしなぁ」

「そりゃ俺も嫌やでそんなん。土地とこの家はなぁ・・・守りたいわ」

「どないして守るんな」

「どうもこうも、あいつが外に出んから仕方ないやないか」

「仕方ないって言うには早いんじゃない? 引きこもりの専門家に来て貰うとか、施設で生活できるところもあるし、精神科医の往診に来てもらうとか、方法はいろいろあるけど。何か手を打たな、あいつこのままやん。うちら姉弟は、MKのことは面倒見いひんて決めてんねん。お父さんら死んだらな。それ、前から何回も言うてると思うけど。MKを生きてる間にどうにかせな、家と土地失うで」

「そんなん出来るか!? あいつを警察に渡すようなまねできるか!?」

「警察やなくて、専門家や。強迫性障害も酷くなって、あいつもう自分の部屋にも入れんくなってるやん。椅子でしか寝ぇへんし、引きこもりやなくて精神病の域に入ってるねんで」

「ぶっ殺すか?」

「殺せんの?」

「俺はいややぞ。安らかに死にたいから刑務所には行かんぞ」

「せやったら、専門家頼ったら?」

「できるか。無理矢理あいつを連れ出してみい。MKは俺を殺しに来るで」

「そうなん?」

「俺は嫌やぞ。殺さてたまるか。あいつならやるぞ」

「殺されたらいいんじゃない?」

「あほぬかせ」

「MK、株相変わらずなんやろ」

「そうや。もう24時間張り付いてやっとるわ。でも一銭も儲からんのや。あれは博打や。世界中のあらゆる事件で株価が変わるから、予想なんかつかんのや。あいつはあかん。株ばーっかりやっとるわ」

「はじめから私言うてるやん。お金まともに稼いで使ったことない、社会に出たことなくて、どんだけ本で勉強したかて、儲けられるわけないやん。だいたい時給にしたら、幾らやねん。赤字やん。何年やってんの」

「もう2年以上になるなぁ」

「仕事って、そんなもんちゃうやん。住むとこと食べるもの確保できる安定があるのが仕事やろ?今の状態で株なんて、ただの道楽やん。それで固定資産税とか払っていけるわけないから、家と土地のこと心配してんねんけど」

「仕方ないやないか。俺が責任もってやるわ」

「どうすんの?」

「知るか。そんな先のことは分からん」

「そんな先のことでもないで?お父さんも、最近あちこち体悪くしてるし、お母さんも年やん。MKのこと放ったらかして死んでも、私よう面倒見いひんで。お父さんらの問題やからなMKのことは」

「そりゃそうやけどな・・・人間みんな死ぬからな」

「いつ死ぬかなんて分からんやん」

「そりゃそうや」

「せやったら、家と土地どないするか、お父さんらの好きなようでいいから遺言書作ってや。後で揉めるのも考えるのも厄介事処理するのも、絶対長女で一番しっかりしてる私なんやから。
揉めんように1年か2年以内に弁護士を雇って遺言書を作ってくれる?」 

「恐ろしいこと言うな」

「現実やん。明日来るかもしれん現実。お金はどうでもええわ。MKの事と家と土地で揉めるの嫌やねん。しっかり準備しといて」

「わかった!俺が全部家取り壊して、お母さんに全部やるわ」

「お母さんに? お父さん、長生きしてMKを死ぬまで養ってお母さんのこともMKのことも家族全員のこと看取ってから死ぬっていつも言ってるやん。お母さんより先に死ぬん?」

「いや。死なん」

「そうなんや」

「ややこしいから、もういいわ。とにかく今勉強で忙しいから。そういう今すぐ分からんこと言われても仕方ないわ」

「MKのことは?」

「仕方ないやないか。あいつは何考えてるかさっぱり分からん」

「まあ、今から準備して段取り取っておいて欲しいだけだから。内容は何でもいいから遺言書だけは作成してね。遅くても1,2年以内に」

「まあ考えとくわ。よう分からんわ。じゃ今からまた勉強するから」

「はーい。じゃあまたね」


・・・・・・・・・・・・・・・・

機能不全家族において強いられるルール
(クラウディア・ブラックの言を参考に、思いつくだけ列挙)
1.話すな    問題について話し合うのはよくない。
2.感じるな   感情を素直に表すのはよくない。
3.信頼するな  人を信じるな。家族の事は外に漏らしてはならない。
4.考えるな   疑問を持つのはよくない。ロボットになれ。
5.要求するな  質問しない。頼まない。
6.遊ぶな    家族を第一に。遊ぶこと休むことは許されざる悪。治療も悪。




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機能不全家族 | comment(2) |


2008/12/01 (Mon) 誰かが殺してくれるなら ? 境界性人格障害・AC・機能不全家族?

20081201.jpg
記憶にあることだけを書く。解離性障害のため、いつも記憶は不完全。機能不全家族の中で育ち、私は境界性人格障害になった。



我が家は、近所でも自慢の新築の家だった。
しかし、毎晩、父の怒鳴り声と子供の泣き喚く声が絶えない家だった。
両親と祖母は「大きな声出して!近所であんたはキチガイだって有名になってるよ」と、私に口々に言った。「あんたたちが泣くから、本当外でも恥ずかしいわ!」と罵られた。
誰よりも大声で非常識なことを叫ぶのは父だったが、父の大声は咎められない。なぜなら、父が怒鳴る理由を作る子供達が全て悪いからだ。


父は、一言で言えば機嫌屋で一貫性のない暴君だ。現在の私の主治医は<反社会性人格障害>と診断している。犯罪者と変わらない。つける薬がない。

父が、野球中継を見ているときは、家中が葬式のように静まり返るのが常だった。
不自然に静かな静かな家の中、二階の父の部屋から、野球中継の賑やかしいアナウンスとざわめきと、バットがボールを叩く金属音、歓声と、その都度上がる父の「クソッ!!」か「やった!!」の声だけが聞えてくる。
父が、どの球団のファンなのか私は大人になるまで知らなかった。恐らく、弟達も知らなかった。
ただ知っていたのは、野球の結果次第で父は劇的に機嫌を悪くし、殺人鬼のように顔中の筋肉を怒りで引き攣らせ、子供達の失敗を探しにやって来る。
野球というスポーツは、忌まわしいスポーツでしかなかった。言葉では説明できない反射的嫌悪感は、大人である現在まで続いている。


野球の結果で父の機嫌が左右されることは、家族の誰の目にも明らかだった。恐らく、一番下の弟まで理解していただろう。
しかし、父が悪鬼の形相で暴れる際に欠かさず口にする「まだ宿題してないんか!」「さっさと風呂に入れ!」「また漫画読んでんのか!」「子供は勉強しろ!」などの、もっともらしい口実が、さも最も真実であるかのように、まかり通った。父の理不尽を無言で支援したのは、ただ見ていただけの大人たち、祖母と母だ。


母は、野球が始ると私たち子供に小声で「早く宿題しなさい!お父さんがまた怒るから!静かにしてなさい!」と言った。母もまた、父を扱いかねて父に反抗するよりも、子供達に言うことを聞かせることに専念した。
父の怒りは、どう考えても子供達に向けられるものではなく、家具が壊される理由にも値せず、まともな人間であれば、父を諌めただろう。
しかし母は、常に父という暴君から私たち子供を守ろうとはしなかった。そんな発想もないようだった。力に屈するのが母の習性だった。
子供達に何の役にも立たない忠告をするのみで、父が暴れ始めても黙っていた。物が壊れたり、暴力が過ぎると「あなた、そこまですることないじゃないの」と父に忠告した。


私達子供は、父という狂気の暴君と、その父に追従し怯える子供達に対してすら常に傍観者の母を、両親に持った。

その2人を支配していたのが祖母だった。
祖母の言葉は絶対で、たまに父と衝突はしたが、口の悪さと気の強さで結局は父をも言い負かした。父を言い負かす際の祖母の決まり文句は「あんたんとこはキチガイの血筋だから」だった。父は、言い返せなかった。父自身がそう考えていたのだ。
彼の母親が、ある宗教に入れ込んでいた。息子である父は母親に従い、生活の全てをその宗教に則って生きてきた。しかし、成人後に入信した現巨大宗教団体は、その宗教を完全否定し<邪宗>と呼んだ。間違った宗教を信仰したものは、重い業を背負うのだ。
確かに俺には邪宗の血が流れている、と父は思い込んでいた。
人生においてうまくいかないことがあれば、「邪宗の命がまだ宿命転換できていないからだ」と必ず言った。この思い込みは、現在も続いている。余談だが、私はなぜか家族の中で唯一「あんたはキチガイの血筋。父方の邪宗の血」と言われて育った。

家庭内は、優越感と劣等感と差別が日常的に横行し、ヒエラルキーの基準は血筋にまで及んだ。カースト制度が布かれていたようなものだ。


見栄張りな祖母は、私たち子供の成績から行儀まで何でもルールを定め、ゲームよろしく兄弟同士を学校の成績で競わせ、毎度の勝者と敗者を決めた。
勝者は、向けられる笑顔の数から褒め言葉、お小遣いの額、おやつの質や量、家庭内での発言権等で常に優先された。
敗者は、常に罵られ嘲られ、努力が足りない、勉強しなさいそんなことで国立大に行けるのか、お小遣いいらないのか、おやつはやらない、勉強頑張らないから駄目なんでしょうと言われ、泣くまで吊るし上げられた。

勝者と敗者は、常にころころと入れ替わり、今月下にも置かない待遇かと思えば、次の月には散々にこき下ろされ、近所の誰々は何位だったのに負けている、恥だ、など劣等感と羞恥心を繰り返し刷り込まれた。
私達子供は、ある日は弟よりも優遇される自身を鼻にかけ弟を両親たちと一緒に嘲笑い、翌日には弟と両親達から蔑まれる。そんな毎日だった。


祖母という気分屋の絶対君主を筆頭に、軍事政権の父と、常に傍観を気取り子供を守らず権力に阿る母、そんな3人の大人それぞれの日によって変わる機嫌や顔色や扱いに応え、我先に愛され特権を得て優位に立とうと必死で互いを蹴落としあう私たち子供3人で、一家族を成していた。

毎日は、家族6人で繰り広げるパワーゲームだ。
ひと時も息をつける瞬間などない。

目を離した隙に子供の一人は兄弟の失敗を母に告げ口し、従順な母は必ず祖母と父に報告し、そして「家族会議」が開かれる。
悪い子供の罪人は、会議が開かれる前から有罪が確定されている。
会議は、祖母のからかいや毒舌、逆らえない母の曖昧な薄笑い、父の喚き怒鳴り威嚇し物を叩き「叩くぞ!」「殺すぞ!」「死んでまえ!」「穀潰しが!」などの言葉が次々と浴びせられた。
弟が会議にかけられると、逃れることができた私は安堵し、いい気味だと弟をにやにやと眺めた。立場はすぐに入れ替わり、冷笑で眺められるのは次は私だったりした。

「お前のせいでこんな時間になった!」と怒鳴り、子供が罪悪感と屈辱で泣き喚き、父に威嚇され、恐怖で更に泣き喚くか、殺される恐怖で押し黙り、祖母と両親が飽きるまで続くのが常だった。

「勉強しないお前が悪い」
それが、全てのルールだった。しかし、今思えば私たち兄弟は皆成績が良かった。トップクラスだった。それでも決して1位にならないと完全には褒めてもらえない。1位を取ると、次も1位を取らなければ、ため息を吐かれる。溜息は、次の有罪裁判を暗示させるものだった。


私は、思いやりや共感というものが何なのか、つい数年前まで理解できなかった。
物凄く冷酷な顔を見せるときがあると、高校時代の友達が言ったことがあった。実際私は他人の痛みに無関心で、同情してみせるという芸当も思いつかなかった。
同様に私もただの物体であり、自分自身の感情に無関心だった。


私が14歳の頃、反抗期を迎えた私は、祖母が作り両親が監視する成績によって細かく小遣い額が定められた金額表に耐えられなくなった。私は勉強することをやめた。正確に言えば、勉強に取り組めるような精神状態ではなくなった。

父の癇癪は恐ろしく、些細な事で物を投げたり壊したりした。暴力を振るわれたような記憶があるが、靄がかかったようで分からない。とにかく、父は恐ろしく、私は常に怯えていた。
勉強しないなら飯を食うなと言われ、夕飯時は毎日私のための「家族会議」の時間となった。
以前書いたことがあるが、食事に毒が入っていると考え、恐怖で食事ができなくなったのがこの頃だ。以来、PTSDで私は余程信頼している相手とでないと薬なしには食事ができない。

毎日絶望で泣き叫ぶまで加虐され、泣き出すと「冗談なのに何泣いてんの。おかしな子ねぇ」と言われ、腹を抱えて笑い出す大人3人は、私にとって最早悪魔に見えた。家出や自殺をよく考えた。しかし、大人3人が間違っているとは思わなかった。大人全員が私を指差し「キチガイ」「勉強ができない」「友達なんかできないよ」「またわけのわからないことを言い出した」と決まって言う。「違う!」と叫んでも、また3人は毎日毎日一貫して私を責める。
私は、自分がキチガイで頭が悪く、将来は貧乏で幸福になれず、友達は全てキチガイの私に合わせてくれている善良な嘘吐きなのだと思うようになった。洗脳といっていい。

日に日に地に堕ちていく私という存在価値と、耐え難い侮辱と、しかし愛されたいという思いの間で私は引き裂かれた。毎日、引き裂かれ続けた。


恐怖と悲しみと罪悪感と絶望、あらゆる負の感情が私の中で暴れまわり、発狂寸前の毎日だった。
どうすれば愛してもらえるのか分からなかった。勉強しなければと思うのに、私の頭は混乱し続けていて、家庭内での地位は激しく変動し続ける。対応できない。大人たちの気紛れさや理屈が私を破壊していく。
愛してもらえない自分が情けなかった。自分自身への失望と悲しみと絶望で泣き叫ばずには、いられなかった。大人たちは、うるさがって「あああ!キチガイはよそでやんなさい!」とよく怒鳴った。「近所に恥ずかしいからやめてよー」と、母が困り顔で私を見ていた。

泣くことだけが、もはや私に残された感情表現だったが、それすらも「キチガイ」と言われる。私は一体どうすればいいのか、自分自身を持て余して泣き疲れては、よく玄関のドアを見ていた。

繰り返し、夢想した。
あそこから誰でもいいから入ってきて、この悪い子供である私を殺してくれないだろうか。ナイフで突き刺され、倒れ、流血し、苦しみで呻き死にかけたら、両親は抱きしめてくれるかもしれない。馬鹿な子供でも、死ぬなと言ってくれるかもしれない。哀れに思って、痛いだろう苦しいだろうと自分のために泣いてくれるかもしれない。
そのためなら、私は今すぐ殺されたい。


「キチガイだから話を聞いてもムダ」と夕飯の残りを食べている祖母と、鬱々とした顔で食器を洗う母と、もはや私など存在しないかのようにテレビに夢中の父と、私は泣き疲れて腫れ上がった目で見ながら、暴漢に不運にも刺され、致命傷を負い、死んでゆく私に心配顔で駆け寄り、抱き上げ、私のために泣き、精一杯の注目と愛情と同情を一身に受けることを想像した。

その一瞬の空想の世界でだけは、私はありのまま愛される幸福な子供でいられた。
そして翌日、また6人のパワーゲームが何事もなく続く。
犠牲者と、犠牲者を嬲って愉しむ人間が醜悪な家族ごっこを繰り広げた。
犠牲者の役ばかり引き受けることになった私は、耐え切れずに「殺してくれ!」と両親と祖母に土下座して頼むこともあった。そんな私の姿はただ滑稽で、腹を抱えて笑われるだけだった。もしくは、不快だと眉を顰めて「何バカなこと言ってんの」と気味の悪いものでも見るように無視され、更にキチガイ扱いされた。「被害妄想が酷い。キチガイだ」と言われた。


少女時代の唯一の幸福な空想「誰か私を殺してくれたなら」は、現在の私の境界性人格障害という最悪な病に通じている。
死よりも恐ろしい見捨てられ不安と、愛されるためであれば死に物狂いの努力をし、相手の顔色ひとつに怯え、過剰に反応し、話をしようとした相手の前にも「蹴るなら早く蹴って!」と反射的に土下座せずにはいられない。どうすれば相手から気に入ってもらえるのか、何をやっても駄目な自分は早く死んでしまえと呪わずにはいられない。
「誰か私を殺してくれたなら」「もし私が死んだなら」
いっそ死ぬでもしなければ、私の感情には目を向けてもらえない、苦しみにも痛みにも共感してもらえないと絶望する。

実際、大人たちは私を虐める割に、異常なほど心配性な面を見せた。門限を遅れると「誘拐されたかと思った」と本気で青ざめていた、という具合に。格好の玩具である私の喪失を予感すると、祖母も両親もやっと私を人間として扱ってくれるのだと学習した。そんなときだけ、彼らから愛情に近い慰めが、私へ与えられた。しかし、それは決して愛情ではなかった。
しかし、心配は怒りへ変換され「家族会議」でのネタになる可能性も高く、私はひたすらいい子でいようとし続けた。

愛情と信頼の関係を、私は体感したことがない。
私は境界性人格障害を負うこととなった。
人間を信じることができず、自分の価値を信じることができず、死と自傷と自暴自棄と依存に蝕まれ、耐え難い孤独感と虚無感に襲われる絶望病だ。
健常な女性に比べて、境界性人格障害者は200倍の死亡率といわれる。



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機能不全家族 | comment(36) |


2008/09/10 (Wed) 心配という名の制御 - 機能不全家族・AC -

心配されることが嫌いだ。苦手ではなく、嫌いと言い切っていい。言ってくれる相手には一切他意がない。分かっている。けれど、条件反射で嫌悪感が先に立つ。カウンセリング療法が進むにつれ薄れてきたものの、反射機能の構造を把握できた今も、抵抗感は今だ色濃く残っている。


心配だ、と親が言うとき、それはいつも心配をかける私や弟達子供の存在を意味していた。
私は、私を心配する親を心配しなければならなかった。親はいつも何か突発的なことがあると、おろおろして長女の私に指示を仰いだから、親が不安にならないように振舞った。もしくは、私が率先して頼りになる長女を演じて、必要とされたかったのかもしれない。
親は、ますます私を頼った。
いまだあの家庭内での私のポジションは、頼りがいがあるという点では揺ぎ無い。
家族の誰よりも決断力があり、行動力があり、口が立つ、どこへ出ても物怖じしない。


親でなく誰かが「美鳥のことが心配」と口にすると、反射的に拒絶したくなる。
やめてくれ、と思う。
私のことを心配するあなたのことを心配しなきゃいけなくなるから、私のことは私で出来る放置しておいてくれ、といいたくなる。いないことにしてくれたらいい、とすら思う。

もしくは、親が「心配だから言ってるのよ」と言うときは、私を思い通りに動かしたいときだった。
親は過度の心配性で、何か新しいことに挑戦するときには常に「心配だ」「不安だ」「?なったらどうするのよ」「どうせ?ってなるよ」などと言った。新しいことに全く挑戦できない子供だった。良い子を頑張って演じ、新しいことに挑戦しても、親が言うような突発的事故や不運や失敗が起こったらどうしようと、そればかりが頭を占めて何ひとつ集中できなかった。
不安や叱られる恐怖や、そういったマイナスの原動力が私を良い子に育てていった。

つい最近まで、私の中で、行動することはイコール失敗することだった。一時、努力が実を結び成功したとしても、次に訪れるだろう失敗を恐れた。
自然、動きはぎこちなくなり、何をやるにも常にピリピリしていた。ストレスで爆発しそうだった。異常なほど失敗を恐れる完璧主義だった。
自己評価も低かった。幾ら努力しても、次こそ失敗するかもしれないからだ。いつでもそれは成功への途上でしかなく、成果は何一つ認められなかった。


「あなたのことが心配だ」は、私への不信、私をコントロールしようとする前兆、私が相手の世話をしなければならないときのキーワードだ。
そんなふうにインプットされている。
だから、誰かを心配するのも嫌だった。
人の痛みに関心を持たなかった。心配しても何にもならない。感情は、人を振り回すだけ。感情の発露は、エゴだ。他人の痛みに関心を持たなくなったのは、意図的ではなかった。気がつくと、そんなふうになっていた。理由はいろいろあったのかもしれないが、一つはこの「心配」というキーワードがあまりにも私の中で負のイメージを持っていたからだと思う。


最近、母の態度が少し変わった。私の病名について相変わらず知らないし教えても忘れるようだが「倒れたらどうなるの?」「どうしたらいいの?」などと訊いてくる。心配しているのだ。
しかし、やはり私は受け入れられない。
心配するくらいなら、病気について学んでくれ。私のことはどうでもいいから、弟に対して行動で示してくれ。そう考えるだけだ。
「どうでもいいよ。死ぬわけじゃないだろうから放置しとけばいい」と答えた。心の底から、そう思う。私が倒れても、きっとおろおろしているだけの親。私は欠片も期待しなくなった。親の前では、弱っている自分は極力見せない。だから大阪に住んでいる。一緒に住めば「心配」するだろう。冗談じゃない。

どうしたらいいの?と私に訊くんじゃなくて、どうして自分で調べようとしないのか。何度も言っているのに、病名も覚えていないし症状についても知らない。だから勿論対処法も知らないし、自分たち家族に問題があるとも思っていない。私も東京の弟MTも、機能不全家族や引きこもりや神経症などについて随分と話したり本をすすめたりしたのに。

「心配」していれば、それで気が済むのだろうか。それは、思いやりなのだろうか。それは、価値があるのだろうか。私はそんな親の「心配」を、有難く思わねばならないのだろうか。有難く思えない自分に、後ろめたさを感じなければならないのだろうか。


過度に干渉したり、子供が何かに挑戦しようとしたときに過度に心配したりするのは、機能不全家族、毒になる親の特徴の一つでもある。
心配が、決して思いやりに繋がるわけではないことを、私はこの身で知っている。
行動しない思いやりは、思いやりではない。
決意がない言葉は、温かみに欠ける。
人間不信な私だけれど、この確信だけは手放さない。
個人的な感情を押し付けるだけの行動しない思いやりは、たくさんだ。



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Author:美鳥(みとり)
被虐待サバイバー。解離性同一性障害、うつ病、対人恐怖症ほか色々闘病中。境界性パーソナリティ障害寛解しました。毎日の光と影を綴ります。生育歴・来歴・病歴・活動はこちらをご覧下さい⇒<はじめに Profile>

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