--/--/-- (--) スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

スポンサー広告 |


2008/08/05 (Tue) ファッキンカレンダー

念願だった神経症・人格障害者相互QOL支援コミュニティの第一回目オフ会の準備に追われていた、東京でのある日、泣きながら書いて、アップせずに放置してあった。
下書きに埋もれていたのを、さっき見つけた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

対人恐怖と失望と絶望と不安と恐怖で、夜中の東京の往来で、もう一歩も歩けなくなった。
歩くべきなのに歩けなくなった。
生ぬるい東京の夜の底、友人に、突然電話をした。
会ったことはないけれど、ソウルメイトのように感じる。彼女が東京へ行く前に、私に言ってくれた。何かあったら、ワンコールしてね、かけなおすから。

すぐに電話口に出てくれた彼女と、のんびり猫と海の話をした。
笑った。
励ましと勇気をもらって号泣した。
アドバイスをくれた。自分の心に素直になるだけで良かった。
分かっていたけれど、私はもう一人ではそれが出来なくなっていた。
何もかもが混乱していた。
スケジュールも自分の体調も心も慣れない移動も方向音痴も東京も靴擦れも、混沌として私を内側から壊しかけていた。

通話を切って、また混乱した。
やっぱり自分が嫌で泣いた。
呼吸が出来なくなった。
でも、その後電話をくれた友達のとんでもない笑い話で忘れてしまった。

刻々と事態は変わっていって、悪夢のようだった。
でも、何かあっても必ず守るから、大丈夫だからね、辛かったね、と友達が声をかけてくれる。
そうか、私は辛くて怖くて不安でたまらないんだと、その言葉で思いついた。
東京で大声で泣いたのは、この日と、発作を起こした日の二度だけだった。多分。

とにかく何も考えないで眠るんだよ、と友達に言われて、飲めるだけ眠剤を飲んで寝た。
起きたら、夢を見たことだけ覚えていて、でも内容は忘れていた。
ただ一言、「ファッキンカレンダー!」と夢の中で叫んでいた自分のセリフを覚えていた。

関東での日数もあとわずか。
折り返し地点は過ぎてしまった。
大切な友人、あたたかいあたたかい友人、熱く怒りや情熱を燃やす友人、苦しくても黙って耐えて事後報告の友人、ここでやり残したことを肝心なものほど抱え込んだままの私。
帰りたくないのと帰りたいのと休みたいのと休めないのと、でも後悔したくないから、ここにいる。
ミスをした。見誤った。
病気と人間性を混同したら、他人の善意にくるまれたエゴに潰されてしまう。
ツケはすべて自分で負うつもりだったのに、人間不信極まった私に、友達は何て変わらずあたたかいんだろう。
私に出来ることが限られている。私は、思ったよりも無力だ。そして予想外に人は温かい。日々は、どんどん過ぎていく。
ファッキンカレンダー。
くそったれ羽が生えた日々。



心の病気、
虐待・暴力の残酷さへの理解を広げたく、ランキングに参加しています。
応援よろしくお願いします。  
  
a_04.gif にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ

スポンサーサイト

自助グループを作る | comment(2) |


2008/08/04 (Mon) 波動

20080804dia.jpg
昨日まで滞在していた、東京での思い出の一枚。
飛び入り参加させてもらったブログ友達のバンド風景の片隅。
恐れ多くも実際には会ったことはないブログ友達の、更に知りもしないバンド仲間に「ボーカルで参加したい」とお願いして実現した、厚かましさ極まれりの図。


バンドのメンバーから二つ提案された曲から、歌えると思った方を選択した。東京では、課題曲を含めて決まった曲を数曲リピートして聴き続けた。

人間の基本欲求は、睡眠欲、食欲、性欲だと聞くが、私の場合、このすべてを上回るのが「歌唱欲」なるものだ。歌うことが、とにかく好きだ。好きで、たまらないのだ。
クーラー病で喉をやられても、東京のブログ友達と5時間もカラオケを歌いっぱなしに歌ったりした。耳コピにも余念がなかった。リズムは、心臓の拍動のようなもので、スコアや理屈で解釈しようとしても身につかない。
聴いた。とにかく聴き続けた。


難易度としては、かなり高いと思った。何が難しいって、リズムがとにかく難しい。各パートを聞いてみれば、どの楽器も、とんでもないことになりそうだと思った。実際、ブログ友達から、どのパート練習も悪戦苦闘しているだとか、当日も自分のパートにそれぞれ必死だろうだとか、あまり演奏に期待せず練習程度に考えてね、だとか言われた。
ちょっとプレッシャーになった。聞くだに、せめて足を引っ張ってはならんと思った。


迷惑をかけないように、出かける前に幾つか自身に課題を設けた。

1 病気を公言していないブログ友達の立場を考慮してミスなく振舞うこと
2 音楽でコミュニケーションすること
3 酒好きメンバー故に酒を持参することを忘れないこと
4 私が足を引っ張らず皆さんに楽しんでもらえること
5 物怖じしないキャラを貫き通すこと

1以外は、要は正しく楽しめば良いのだ。今更、物怖じして、おどおどしたり緊張したり卑屈になったりせず、むしろ開き直って楽しみに来ましたと厚顔無恥を晒せば、それが正しい音楽の楽しみ方だ。
普段はやらない、バンド仕様のコーディネートを弟に教授してもらい、足りない靴は前日にリサイクルショップで280円で買った。うってつけのサンダルは、はいているだけで楽しい。


当日、駅前で大きくて重いベースを肩からさげたブログ友達と待ち合わせた。
生まれて初めて、バンドのスタジオに足を踏み入れた。
重い2重ドアが、期待感を増した。
こんな機会を与えてくれたブログ友達に感謝した。
緊張なのか興奮なのか区別がつかない高揚感だ。

メンバーの皆に、簡単に挨拶した。
皆、自然体に少し緊張を織り交ぜたような空気を醸し出していた。何しろ、大阪くんだりから会ったこともないのに図々しくもバンドの花形たるボーカルをやりたいと言って出張ってきた女だから、どんな奴なんだと不審な気持ちも、どこかにあったのかもしれない。

ここぞとばかり大阪人キャラで、積極的にメンバーに絡んだ。絡みすぎないようにバランスを考えたりして、絡んだ。ツッコめるところは、とりあえず全部ツッコんだ。ツッコミコマンド全開だ。

畳み掛けるように、買って行ったプラスチックのコップに、泡盛を注いだ。奇遇にも、最近幼馴染が「美鳥、泡盛好きだよね」と、持ってきてくれたものだった。大阪から運んで来て良かった。
酒好きとのコミュニケーションの基礎は、まずノミニケーション。
皆で乾杯すれば、想定内に、賑々しい空気に変わった。
これから、どんな3時間になるのだろうと、楽しみでどきどきした。


ブログ友達のバンド仲間たちは、皆、とても大らかで優しい空気を持っていた。
全員、陽気で個性的で温かく、面白くて、何より無駄な言葉を必要としなかった。
一度休憩で廊下に出たとき、ギタリストの人とすれ違ったから声をかけたのだけれど、スタジオでのにこやかさは吹っ飛んでいて、不機嫌な顔をしていた。私の言葉に、ぶっきらぼうに答えた。悪い人じゃないと分かったから、そんな反応も面白かった。


贅沢にも、聴衆は、私だけだ。
全員で演奏してボーカルの人がMCを入れ、メンバー紹介をしてくれた。
彼らのレパートリーの3分の1程、ぶっ通しで聴かせて貰った。
鼓膜が破れるかと思ったが、そのうち体中が音に震えているのに気づいて、脳髄まで響く音に酔った。
耳じゃなく、肉体で音を聴く。
踊るも、リズムに乗るも、直接生身にぶつかってくる音の振動を味わうのも、自由だ。
楽しめばいいだけだ。
聴かせてくれた。どっぷり浸った最高の時間だった。


誰からともなく今回の課題曲「波動」のフレーズが流れ、気がついたら全員が音を合わせたり離れたりして、各々練習している。
一度通して演奏し、残響音が消えるまで息を止めては、緊張を解き、それぞれ沈黙する。自分のパートに足りないもの、合わせられない部分、創意工夫、様々に考えを巡らせる時間だ。

そこにタイミングをはかって、自分から入っていく最初の一声は、さすがに少し緊張した。
いつの間にかギターがイントロのフレーズを演奏し始め、私が加わり、ドラムが加わり、ベースが加わり、コーラスやハーモニカが加わる。
不思議だった。
誰が誰に駄目出しをするでもなく、それぞれがそれぞれの感受性で一回ごとに自分の音を磨いていくらしい。回を増すごとに確実に良くなっていく。
そんなやり方も、その場の空気に学んで倣った。

合間には、泡盛だとかビールだとかお茶だとか好き勝手に飲みながら、冗談を言ったり笑ったり。そして、また音楽に没頭する。


音楽を楽しもうという空気の中に、メンバー同士の信頼と、克己心が一本筋になって通っていた。
音楽でコミュニケーションが取れている。
幸せで、仕方なかった。こんなふうに、何にも心縛られず、音を楽しんでみたかったのだと思った。
この人たちは、音楽が好きなんだと直感すれば、あとは私も、楽しみながら曲を磨くことだけに集中した。

1人で歌うのとは全く違った。
誰かがミスすると、途端に自分の調子が取れなくなるし、私が入りを間違えると皆に影響が出る。けれど誰もミスを指摘したりしない。ただ次へ、それぞれ生かせばいい。
ドラム、ベース、ボーカル、ギター、コーラス&ハーモニカ、全員が円になって楽しんだ。
真剣なのが、最高に楽しかった。

音を合わせ、演奏を一度終えては、それぞれ無言で考え修正し、また合わせるを繰り返した。
かなりの難易度だったにも関わらず、制限時間内に、ついに最良の演奏「波動」が完成した。


バンドの演奏をよく「生音」と表現するが、確かに生きた音だと実感した。
ドラムやベースやギターや歌声で、実際、体の内臓までが振動するのだ。
生き物のように、音が命を持っていた。
理屈は、いらなかった。

バンドのリーダーが「じゃあ、次は2週間後ね」と冗談を言った。バンドのマネージャーが、レパートリーリストにマジックで「波動」と書き加えた。
全員に、心からお礼を言った。

スタジオを出たとき、生きていて良かったと思った。
ブログ友達に感想を訊かれて「めっちゃ楽しい!」と答えた後で「生きてて良かった!」と答えた。
何度も繰り返し口にしているうちに、死にたくないでも、消えたくないでもなく、生きていることが幸せだと感じられることが嬉しくなった。


その直後、私は駅前で立っていられなくなった。

昨日、発作起こして死ぬかと思った、悲惨だったんだよーと、ベースを抱えた友達に笑って話しているうちに、前後不覚に陥った。2週間を越える長旅に疲労がピークに達していたこともあるのかもしれない。

似たことが前日にあったばかりだった。
間抜けにも、前日と同じキーワードで解離を起こした。
前日は、死ぬかと思った。
あやが表に出たのかもしれないと後で考えた。
あのまま呼吸ができないまま息が止まったり、うっかり内側の闇に落ちたまま永久に私が戻って来れなくなったかもしれないと思うと怖かった。
死にたくないと思った。消えたくないと思ったばかりだった。



何度も何度も意識を失いそうになって、体と意識を繋ぐ糸がプツプツと切れる。光が眩しくて仕方なかった。
気づくと、改札の柱の前の地べたに座りこんでいた。
激しく頭痛がして、3,40センチ後ろに、見覚えのある少女がずっと無言で立っているのが見えた。奇妙な感覚だ。私の目は開いていて、前を向いているのに背後の暗がりに立つ少女が妙にくっきり見える。

乗っ取られるのが怖くて、抗った。どうやれば抗えるのか分からない。いやだいやだと呟くくらいしか出来ない。怒りが湧いてくるのに、その怒りごと私がどこかへ消えてしまう。怖かった。
何度か気がつくと、友達が私の横に座っていて、私の手をさすってくれていた。でも、またストンと意識が落ちる。何度繰り返しただろう。

友達がもう1人合流して、2人にやっと自分の異常を伝えることが出来た。後ろにいるのだと伝えた。怖かった。怖いのに、その恐怖すら私ごと、やっぱりどこかへ持ち去られてしまいそうだ。

2人とも、私の症状をブログや話で知ってくれていて、あれこれと説明を要しなかったから本当に助かった。しばらく休憩してから、フリーペーパーを皆でのぞきこんで、打ち上げの店を決めた。
知らない間に、私が戻ってきていた。
一瞬で私がさらわれようとしたり、気づかない間に自分が戻ってきたりしている。
それでもやっぱり、今日はどうだった?と友達に訊かれて「生きてて良かった」と答えた。
言葉に、嘘はなかった。
死んでしまったら、この体に音は響かない。






心の病気、
虐待・暴力の残酷さへの理解を広げたく、ランキングに参加しています。
応援よろしくお願いします。  
  
a_04.gif にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ

自助グループを作る | comment(12) |


2008/08/03 (Sun) はじめる  Last Day

東京へ来たときは、街までこんなに遠いのか、と思ったのに、羽田へ向かう道中は、あっという間だった。
羽田を発って、約1時間。たったの1時間。
飛行機が飛び立つ瞬間の感覚が大好きで、その数分だけは意識があったが、空にあがるなり眠りに落ちた。18日間の関東への旅の最終は、富士山も見ることなく毛布をかぶって寝ている間に終わってしまったのだ。目を覚ますと、関西にいた。


目が覚めきらない気だるい体のまま飛行機の降り口から吐き出され、空港の到着口に降りたった。18日ぶりの関西は、目が眩むような、かんかん照りだった。乱れた髪を帽子で押さえつけて、半分寝ぼけたまま、荷物受け取り口のベルトコンベアーが、ぐるぐる動くのを見ていた。

人生こんなもんだな、とぼんやり思った。
全ては、ちっぽけな自分の体におさまってしまえば、ありふれた生の一幕にしか過ぎなくなる。
いつでも継続の途中でしかない。


空港を一歩出れば、当たり前だが街は関西弁に満ち溢れ、エスカレーターは東京と逆の右側。東京へ足を踏み入れたときと同様、関東に馴染みつつあった私は、異邦人になった気がした。

文鳥を預けていた実家に戻るまでの車中、ずっと上の空だった。どうしてもやり遂げたかった、精神障害を持った当事者間の相互支援コミュニティのスタート。これからのことを考え続け、早速持ち上がった課題や自分自身への失望や不安に対して、何か一つでも具体的に策を練ろうと考え続けた。

休まなければと考える一方で、休んでいる暇はないと思った。時間と共に次々と課題が明確に浮かび上がり、自身の未熟さは自覚が深まるばかりだ。出来るか出来ないかは別として、アイディアをこらし続ける。具体的方策が浮かばないのなら、それは会が終わる時だ。
アイディアが浮かべば、次は実行するために必要なものを考える。
幸か不幸か、思考が連鎖して連鎖して、止まらない。


すべては始ったばかりだ。
私の生の記憶は殆どなく、私は、脳内で勝手に書き込まれたり削除されたりした味気ない年表と、新しい友人、そしてこれから作っていく新しい日々しか持たない。
すべては、ここからの私次第なのだろう。
始めるだけで、何とエネルギーを要するんだろうか。
長い長い、遠泳の始まりだ。
生きていて良かった。
始めることができる。




○お知らせ○
私事で多忙なため暫定的に閉じていたコメント欄を、明日から再開します。
是非、お気軽にコメント下さい。お待ちしてます。


心の病気、
虐待・暴力の残酷さへの理解を広げたく、ランキングに参加しています。
応援よろしくお願いします。  
  
a_04.gif にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ


自助グループを作る |


2008/08/02 (Sat) 手のぬくもり 17th day

7月30日、実現を目指してきた、神経症・人格障害者相互QOL支援コミュニティを立ち上げ、その第一回目を東京で開いた。
来てくださった方々、ありがとう。
他県からや、初対面なのに来てくださった方、仕事で大変な中来てくれた方、ありがとう。
立ち上げるまでに、各方面で協力してくださった方々、ありがとう。
遠くから応援してくださった方々も、ありがとう。
何度も何度も折れて崩れて立てなくなった私を助けてくださって、ありがとう。
思うばかりじゃ嫌だった。
今の私が病人であっても、病気を持った当事者だから分かること出来ることを行動に変えたかった。
でも、1人じゃ出来なかった。
本当に皆さん、ありがとう。
始ったばかりの会だから、主宰として勉強に勉強を重ねて、体力のある会に育てあげていきたいと心新たに誓った。


翌日から、ブロ友himaちゃんのうちに二泊させてもらった。東京に来てから何泊させてもらったか。
昨日は、何気なく話していた会話の中で自分でフラッシュバックの地雷を踏んで、発作を起こした。
気がついたら玄関で倒れていて、顔中涙と鼻水でぐっちゃぐちゃだった。呼吸が出来なくて、死ぬかと思った。
himaちゃんがいて、毛布やタオルや枕や色んなものがあって、それからベッドに寝かせてくれた。頭が痛くてたまらなくて、頓服を飲んで、彼女が持ってきてくれた凍ったペットボトルにハンカチを巻いたものを額に当てたりしているうちに眠った。ぐっすり眠った。私に、病院へ行こうとか、救急車を呼ぶとか言ってくれたらしいけれど記憶にない。意識が引きずり落とされて、少女が泣いている声を聞いた。ママがいないと言っていた。多分、あやだ。あやの男、ママが浮かんでは消えた。ママは少女の頭を撫でてくれて優しかった。
そんなものは嘘だから私は否定したかった。全力で拒否したかった。
そんなことがあった。

翌日は、himaちゃんが作ってくれたご飯を食べた。彼女が作ってくれる食事は、とても美味しい。発作を起こした後でも食べたくなるくらい、美味しい。美味しいものを食べると幸せになる。
だらだらと買い物に出かけて、リサイクルショップで靴を二足をワンピースを買った。全て280円。靴は翌日のバンドに着ていく服にぴったりだったから嬉しかった。
それから、だらだらとカラオケを1時間だけやったり、ゲームセンターで太鼓ゲームだけやったり。また歩いて帰ってきたり。そういえば行き帰りで鷹の種類を飼っている工場のおっちゃんたちと仲良くなって、鷹を触らせてもらったり喋ったりした。


今日は、バイトに出かけたhimaちゃんの後に彼女の家を出て、午前中にアルタ前で待ち合わせて、N氏とお茶をした。N氏が「食べなきゃ」と言ったから、前日の発作以来体調が優れなかった私は、そうだな、食べなきゃこの後歌えないや、とケーキセットを頼んだ。味は、あまり覚えていない。N氏、面白い。1時間半は、あっという間だったけれど色んな話ができて面白かった。相変わらず互いに遠慮なく言い合えるのが面白い。アドバイスも頂いた。鷹の写真を見せて、鷹の名前を教えてもらった。すぐに忘れた。これからバンドに行って歌うんだよと、曲を聴かせたり、ポニョについて話したり、日本について話したり、インスタレーションヴィデオアート展「液晶絵画」について話したり、お互いについて話したりした。


方向音痴を承知しているN氏に送って貰い、午後からブロ友うさまっくのバンドに飛び入り参加すべく、電車で移動。心温かく迎えてくれたバンドの方たち、ありがとう。何より、素晴らしい夢の時間をくれたうさまっく、ありがとう。いきなり生バンドの演奏でボーカルで歌わせてくれ、しかも1日で、なんて普通ない厚かましいお願いだ。本当にありがとう。前日に発作で死ぬかと思ったけれど、死ななくて良かった。あやが表に出ているのを感じたけれど、戻ってこれてよかった。私が私でいられて、良かった。


うさまっくとhimaちゃんと三人で居酒屋で打ち上げをした。明日には、この関東を去らなければならないと思うと、悲しくて寂しくて何ともいえない気持ちになった。
駅で別れるときは、思わず泣いた。
彼や彼女だけでなく、ここ関東に大切な誇るべき友人が、たくさん出来た。


私と会ってくれた人たち、ブログで知り合い、会うまで正体の分からないネット上の私、色んな厄介な病気を持っている私に会いたいと言ってくれた人たち、ありがとう。
互いの都合で会いたくても会えなかった人たちもいる。次は会いたい。
ありのままの個性豊かな友人たち。
病気を持っていようが持っていまいが、私は大好きだ。
病気という共通項を持っていなければ会うことはなかっただろう。
縁も人も生きることも命も時間も偶然も、すべてが温かい不思議で充ちている。


明日、関東を発つ。
東京を離れたくない。
台風でも来て、飛行機が飛ばなきゃいいのにと思っても、明日は素晴らしい晴れだとか。

生き延びたい。死にたくない。私は、私という人格でいたい。この記憶は誰にも渡さない。
哀しみなのか怒りなのか決意なのか悔しさなのか、わけも分からず泣いた。
またね、と泣きながら握手を交わして、駅で別れた。
新宿を、もう憎めそうにない。



心の病気、
虐待・暴力の残酷さへの理解を広げたく、ランキングに参加しています。
応援よろしくお願いします。  
  
a_04.gif にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ


自助グループを作る |


2008/07/29 (Tue) この世界を全部洗って 13th day

失語症以来、私は言葉というものを一切信用しなくなった。
そんな私がブログを書いている事は、矛盾している。
しかし、言葉というツールを使わなければ、この世で自分が何者であり何を考え何を感じているのかを誰かに伝えることは不可能だ。

私がブログを始めた当初、書こうと思っていたテーマは、病気に関してなど今書いていることとは全く別の、自身の宗教団体での体験だった。
書くことで、表に出ることのない内情を外側の誰かに訴えたかった。
同時に、私が経験した宗教と共に生き、その宗教から自身で脱却するまでの経緯を書くことで、人間が必ず持っている「信じたい欲求」または「信じるという気持ちの働き」の核心を暴くことが出来るのではないかと考えていた。
思えば、虐待経験と通じるものがあった。
「全てお前が悪い」と刷り込まれた家庭内での虐待という名の洗脳と同じく、私が共に生きてきた宗教は高い洗脳性を持っていた。
自身が愛情と思っていたものは虐待だと認める苦しさに似て、この宗教は私を苦しめはしても助けてくれはしないと認めることは、命がけの作業だった。
いまだ一つも記事をアップしないまま、カテゴリーだけ存在している宗教論は、去年書いて完成させたまま、ある理由から敢えて下書きフォルダーに置いてある。


どちらにせよ、このブログで、私が私自身についてありのままに書くことに変わりはなかった。
書くということが、何か次の行動へ繋がればと考えてきた。
ただキーボードに向かって、考えたり感じたりしたことを漠然と書き連ねているだけは、嫌だった。
当初から、それだけは明確だった。
思っているだけで行動しない、感じているだけで表現しない、誰かの顔色を窺って無難に生きていこうと苦心することに、もううんざりしていた。
行動したかった。


目指してきたものが、形になろうとしている。そのために関東に来て、今日で約2週間経つ。
思ってばかりで行動しない人間にはなりたくない、と心に決めているのに、実際に動き始めれば、思うこと、感じること、悩むこと、選択を迫られることばかりで、いちいち歩を止めねばならない。

よくも悪くも遊ぶことが大好きな私は、たまに目的を忘れて友達とはしゃいでエネルギーを空にしてしまい、遊んだ以外何もできなかったけど息抜きも必要だよね、などと言って自分を納得させた日も何日もある。
思い入れが強いから、マイナスの感情もプラスの感情も、平静な刺激も、度が過ぎるといずれにせよ体調を崩す私にとって、作業に向き合うのは勇気を要した。

更には、日が経つごとに疲労は確実に増してきて、今日になっては体の痛みと呼吸困難に加え、精神的にかなり不安定になってきた。解離性障害の私が、いよいよ自覚できる段階に来ている。
理由が分からず泣いたり、眠ってみたり、しかし起きて作業してみたり、そしてまた耐え切れずダウンしたり。
一番恐れていた症状が頭をもたげてきて、苛々する。
自分が誰だか分からない、という症状だ。

私<美鳥>という人格が、この意識から離れたがっている。
ここ数日こそ、私が存在し、私が行動する意味がある時間だというのに、逃げ出したくなっているのだろうか。意識が遠のくということと、逃げ出したいということは、同じことなのだろうか。
それとも、単なる疲労から来る離人なのだろうか。
自分が始めたことなのに、プレッシャーが予想外に重く、正直吐きそうだ。
誰かを巻き込み何かを始めることが楽だった例などない。
全て了解して考えつくして始めたことだから、迷いはないのに、意識が遠のく。
まずいことになったと、昨日から極力体を休めている。
そうしたら、夜中に突然、記憶から消去されていたはずの幼稚園時代の友達の顔とフルネームが全て蘇ってきて、けれど私自身の顔も何も思い出せなかった。
勝手に記憶のレコードを再生され始めると、その先はろくなことがないと、さすがに経験から学んでいる。どうにかしなきゃいけない。

明日、一番肝心なときに、この体がぶっ倒れるなんて馬鹿げた失態を犯すことだけは、一番避けなければならない。私1人なら、どうでもいい。道端で倒れて死んでたって構わない。そういえば、東京で私が死んだって先生には関係ないじゃないですか、と普通にカウンセラーに話した私がいた。
私一人のことならば、私はどうでもいいのだと思う。
群集の中にいても、私は結局ひとりで生きている哀れな人間なんじゃないかと時々考える。


この意識と体から、私が引き剥がされそうになるとき、それは少し死の恐怖に似ている。
突然襲ってきては、体と結ばれている私の意識の糸の全てを一瞬で引きちぎってしまう。
肉体は糸が切れた操り人形そっくりで、視界は暗転し、意識は混濁しては失い、ただ残るのは「1人で立たなければ」という思いだけで、それすら輪郭は曖昧になる。気力だけで輪郭を保つ。
こうして今の状態の私をありのまま綴ることが、最初から今日まで続けて来られた唯一のものだ。


東京での私の目的を話した時、友人N氏は、私に言った。
美鳥さんが途中で死んでしまったら、美鳥さんがやり残したことが残されて、まわりの人まで取り残されるじゃないか、それでいいのか、と。
途中で頓挫するなら、そんなものなくていい。
消えるわけにはいかない。


東京へ来て初めて、激しい雨が降っている。
隣の屋根を大粒の雨が叩いているのか、騒がしい。
ガラス窓越しに、稲妻の光が閃き、雷鳴が轟いてくる。
明日は、晴れるらしい。
今の私は、何がどうと説明はつかないけれど、雷雨が心地よいと思う。


プライベート サーファー UA 歌詞情報 - goo 音楽




心の病気、
虐待・暴力の残酷さへの理解を広げたく、ランキングに参加しています。
応援よろしくお願いします。  
  
a_04.gif にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ

自助グループを作る |


2008/07/28 (Mon) 蝶ネク ケロミン 12th day

まだ東京にいて、とにかくあれこれ起こるし、かつてない程に私が動けているから、色々書きたいのだけど、今日は朝6時からパソコンに向かいっぱなしで、現在20時。
一歩も外に出る暇がなかった。しなきゃいけない連絡も、したい連絡も出来てない。
画面を見すぎて目が・・・目が乾いてるったらないよ・・・!

おまけに、とある作業のために、朝っぱらから弟と物理学やら相対性理論やらの話をして、ろくすっぽ私は分からなくて、そこらへんを弟にちょっとツッコまれたりした。
そのうち友達まで加わってくれて、一緒に考えてくれたのだけど、何のことやら頭がパニックだった。でも山場を越えることができた。でも、今からもまた山場だから、どこかに一瞬休息できる何かを探してた私の気持ちを察してか、弟がこんなの教えてくれた。


直感で演奏できる、楽譜のいらないパペット電子楽器「ケロミン」 が歌うアメージンググレース


蝶ネクタイって、漫才師じゃなくてカエルがつけるべきベストアイテムだと思った。
似合うなー。
最近、ガッチガチな記事を書いてたから、というか、東京に来てケロミンはなかろうと思ったのだけど、しょうもないものほど血が騒いじゃうよ。
小耳に挟んだのだけど、ケロミンの大合唱があるらしい。どこだー!
ずらっと並ぶと、可愛さ通り越して、さぞや気持ち悪かろう。
それとも、グロくも卒倒しそうに可愛いのだろうか。
見たいー!


ところで、8月3日までコメント欄を閉じているけれど、閉じたくて閉じているんじゃないのです。
交流大好きな私としては、とても寂しいのです。不本意なのです。
ブログが死?ん・・・(出典:漫☆画太郎先生)として、寂しくないわけがないじゃないですか。
しかしながら、あと少し。
どうしても、ここではじめたいことがもうすぐスタート出来るかもしれない。

今日一日で、関東滞在の目的のいまだ3分の1を達成したわけだけど、何人もの友達が力を貸してくれて、私は何が何やら分からぬほど不思議な気持ちです。
私一人では、既に何度もここ関東で寝込んだり倒れたりしてるので、絶対にここまで出来なかったと思う。

コメント欄を閉じていても、ガッチガチなテキストばっかり長文書き連ねてても、来て読んでくださってる方々、本当にありがとうございます。

昨日は対人恐怖で泣いて泣いて、呼吸困難起こしかけて、友達に助けてもらって、それも実際昨日だったのか数日前だったのか、本当はもっともっと遠い日のような気がするけれど。

リアルもネットも、やっぱり私にとって人は人だな、人が好きだと思う。
去年まで寝たきりに近く、殆ど何も出来なかった私が、ここ関東に来られているだけ奇跡だ。
そうして死なずにここで、やりたいことを予定の半分もこなせてなくても、ちょっとずつでも進んでいけてる。全部、あったかい友達のお陰。
動けていることも、笑えていることも、生きていることも、友達があったかいことも、どれも信じられなくて、たまに不思議になる。
人が持つ心の力は、壊すことも育てることも出来るんだと、心の底から不思議になる。



心の病気、
虐待・暴力の残酷さへの理解を広げたく、ランキングに参加しています。
応援よろしくお願いします。  
  
a_04.gif にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ

自助グループを作る |


2008/07/27 (Sun) 途上の人 10th day

昨日は、初対面のブロ友と品川駅で待ち合わせた。
憧れの原美術館で<アート・スコープ 存在を見つめて>という展覧会をやると知って、どうしても行きたかった。

初対面だけれど、私は一切緊張しなかった。
ノーリスク・ハイリターン、今までブログを通じて交流してきて、どんな私を読んでも読み続けてきてくださって、尚且つ私と会いたいと思ってくださる方、私も安心して信頼して会おうと思える方としか会わない、と大阪を出発する前から決めて来た。

相手の方は緊張していると言っていたけれど、私はやっぱり最初から違和感がなかった。彼女はブログを持っていないから、コメントだとかメールだとかで交流してきた。それにしても、ちょっと変わった出会いだったから、印象深い人でもあった。大切に関係を培っていこうと常日頃意識していた人でもあった。

美術館までの道を、色んな話をしながら歩いた。楽しかった。ときどき私がまだ知らない彼女の一面が見えたりした。そんなときは私は話しながらじっと考えて、新たな面を噛み砕いて消化したりしていた。知っているようで知らない関係なのだ。

美術館に着くと丁度お昼だったから、館内のレストランでランチを食べた。
美しい真っ白な壁の回廊と、同じく美しくカーブしたガラス張りの壁は、緑と光が溢れる中庭が見えて抜群の開放感だった。外国人客が何人もいて、日本ではない気がした。
サラダと一緒に頼んだカクテルで、会えた喜びの乾杯をした。昼から味わう冷えたカクテルは、極上の味だった。それからデザートとコーヒーを頼んで、思いつくままに互いのことを話した。話は尽きなかった。笑ったり、共感したり、考えたり、また笑ったりした。
話が弾みすぎて、ラストオーダーですがとボーイに告げられ、閉館30分前だということに気づいた。

慌てて展示を見に行った。

エヴァ・テッペというアーティストのヴィデオアートが素晴らしかった。
真っ暗な小部屋に大きなスクリーンがあって、映像と音が流れる。
自分から期待一杯に足を踏み入れたのに、作品に縛り付けられて、私はエヴァ・テッペによって小部屋に閉じ込められたのだと直感した。動けなくなった私の脳を、ぎゅうぎゅうと圧迫し、捏ね回し、たまらない感覚になった。恐怖とも違う。慄然として動けなかった。
感受性が強い友人は、気分を悪くしてしまった。私も、次の展示室がまたエヴァ・テッペだと知って、思わず立ちすくんで入れなくなる位、一つ目の作品で打ちのめされてしまった。
二つ目の作品でも、私たちは動けなくなった。物凄い力を持った作品だった。

加藤泉の彫刻には、見惚れた。このアーティストには、人間はこんな造形に見えるのか、と最初は衝撃を受けたが、その場にずっと留まって作品とたたずんでいたら、自分の骨格だとかの造形がよく分からなくなってきた。思わず手で触れて、自分の顔を確認したほどだ。
友人は、男と女と子供が並んだ加藤泉の作品を、別の客が「あ、親子だね」と言った言葉に衝撃を受けていた。彼女には、親子だという発想が全くなかったのだという。

トラウマや過去の堆積によって存在している私たちは、同じものを見ていても解釈が違ったりする。
力ある作品は、作家の意図しないものまで見る者から引きずり出す。
私から何が引きずり出されるのか、それが楽しみで最近、私はインスタレーションアートのような、体感型の展覧会ばかり訪ねるのかもしれない。

常設展示の一つは、私の心を鷲づかみにしてくれた。
密かなる廃墟マニアである私は、崩れたコンクリートや、そこからむき出しになったコード類、錆びた鉄、静かに湛えられた水、暗闇と光が混在するその作品に惚れこんだ。一度見て通り過ぎ、帰りにまた寄った。

途中、私が突然派手にすっ転んで倒れて、友達を仰天させた。物凄く心配をかけてしまった。美術館のスタッフまで駆けつけてきて、軽い騒ぎになった。散らばったバッグの中身をかき集めてくれて立たせてくれた友人に感謝。体力もないのに10センチピンヒールとか、アホがやることかもしれない。申し訳なかった。

その瞬間あたりから少し解離して、私はしばらく自分がよく分からなかった。体が夜まで痛んだのだけど、痛くない気もして放置していた。解離している状態で、自分の不調を相手に伝えるのは凄く難しい。外側から見える私は、変わらず元気だったと思う。

美術館を出て、品川駅まで写真を撮ったりしながらエヴァ・テッペの作品の話を何度もした。色々した。互いの感じたものを言語化するのは難しいけれど、喋りあった。面白かった。
品川駅前のワイナリーショップで、お茶することにした。
酒好きの友達は、ランチに次いで、またもアルコールを迷いなくチョイスし、サングリラを飲んだ。私は、熱いカフェオレを頼んだ。

ガラス張りの2F席からは、すぐ下の交差点が見えた。
誰かを待つ人、外国人、浴衣姿の女性、親子連れ、サラリーマン、ビーチサンダルの男、老人、あらゆる人で混雑している。
家路に急ぐのか、どこかへ出かけるのか、信号が変わる度に、向こう側とこちら側から群集が塊になって交差して混ざり合い、横断歩道上は一瞬で混沌となる。
友人との会話の合間合間にそんな光景を見て、昼間に見たエヴァ・テッペの作品を連想した。


友人との話は、尽きなかった。語り尽くせないことばかりで困ったけれど、きっと言葉にできない一番肝心なものは、もう無言で語り終えている気もした。
笑ったり、真剣に話したり、思い出したり、相手の言葉から連想ゲームのように自分の内側から記憶や感情を取り出して、私たちは取り留めなく話し続けた。

友人は、強くしなやかで迷いがあった。なのに口にする言葉は輪郭が、はっきりしている。
適度な対人距離かというとそうでもなく、拒絶と信頼が同居しているように見えた。彼女は何かの途上にあるのだと感じて、同じく何かの途上にある私は、彼女が好きだと思った。


晩御飯まで誘ってくれたけど、断腸の思いで別れた。
彼女は私の決断を笑顔で受け入れてくれて、駅で、またね、と笑って手を振って別れた。
楽しくて幸せで、夢のようだと思った。
私は一人で生きてきて、誰かの中にいても常に孤独だった。
孤独じゃないと思った。ここ関東に来て、思い始めている。

ここでの日々も残り数日になって、やり残した肝心なものばかりがカレンダーに残った。
大阪へ帰る日を、ひとつの覚悟を持ってカレンダーに書き込んだ。
あんなに憎んだ新宿も、呪詛のような<逗子>という地も、人ごみもエスカレーターのない駅も、蟻の巣のように入り組んだ地下鉄も含んだこの関東。
帰りたくない、と思い始めている。




心の病気、
虐待・暴力の残酷さへの理解を広げたく、ランキングに参加しています。
応援よろしくお願いします。  
  
a_04.gif にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ


自助グループを作る |


2008/07/25 (Fri) 不可視の地上 9th day

昨日、ブログで知り合った友達2人とお茶をした時のことだ。

「私って、ブログでは硬いか暗いかドエロか変態ってイメージが定着してて、リアルとはかけ離れ過ぎてるから、会うとびっくりするんじゃないかなぁ」というような、日ごろからの懸念を話してみた。
2人して迷わず、「そうだねぇ」と深く頷いた。
何ということだろう。
やはり、そうなのか。
ありのまま書いてきたことが、逆に真実を捻じ曲げている事実。

特に男友達が「ドエロか変態」という部分に、一拍置いて遠慮がちに頷いた姿が、それなりに衝撃であった。一瞬彷徨った目は、過去記事のあれこれを思い出していたからなのだろう。

硬くて暗くてエロで変態の四拍子を、今更否定はしないが、実際の私はどちらかというと、なりが派手なので黙っていると頭が軽めの姉ちゃんに見られる、と思っている。
むしろ、そうでいたいと思っている。
思っていても、外出時の半分は、数日入浴していない、帽子かぶってごまかしているがスッピン、顔もいつ洗ったっけ、という状態だ。
せめて少し元気なときくらい、病人故と開き直り、好きなものを人の目を気にせず着ようと思う。
そのせいで、全く病人には見られない。優先座席で息も絶え絶えに座っていても、見知らぬかくしゃくとした爺さんに睨まれたりする。
病気が回復するにつれ、黒やグレーなどモノトーンのものを身に着けるのは避けるようになった。高じて、黄色だとか紫だとか、素っ頓狂な赤だとかを着るようになった。そのせいで、余計に病人に見られなくなり、外出時の万が一に周囲にヘルプを要請するのは難しい。

メンヘラ3人が集まって話してみれば、これは誰もが経験していることなのだと分かった。
鬱やパニック障害など目に見えない心の病気を持っていると、立っているだけで辛いときでも優先座席に座らせて下さいとは言えなかったりする。友達の友達は、いつも障害者手帳を持っていて、それを見せて座らせてもらうのだとか。
目に見えない病ならではの苦労だと思った。


目に見えないが故に、私自身も自分の調子が常にいまいち分からない。
昨日は、敢えて余力を残して友達と別れ、夕方には新宿に戻って来た。
戻ってくるなりダウンした。
ベッドに倒れこみ、延々眠り続けた。メイクも落とせなかった。どうでもよかった。
ヒットポイントを使い果たしてから宿屋で休憩するパターンを、少し変えることにした。いつ敵が来るかハラハラしながらの宿屋までの一歩一歩は、いっそ立ち止まりたい程に恐怖の歩みだ。

今日一日は、一歩も外出せずに自分を休めることにした。
服を殆ど洗濯した。洗濯が大好きな私は、少し幸せになった。

夢の中で、私は久しぶりに時速300キロを越すスピードで自在に空を飛べた。数ヶ月前に身に着けた「意識すれば壁もすり抜けて飛べる技」が、最近衰えていたが復活した。10年以上かけて夢の中の私は、次々に能力を伸ばしている。
その100分の1でもいいから、せめて現実の私もパワーアップできると良いのだけれど。
夢の中で、私は互角の敵と戦い、負けたり勝ったりした。
負ければ死と支配される恐怖に震えた。勝てば平常心になった。うかつな喜びを味わうことはない。続くと思っているからなのだろう。勝って胸を撫で下ろす自分がいても、手放しに安心することがない。良いことなのか、悪いことなのか。どちらでもなく地に足をつけているだけなのか。
起きるなり「疲れた」と口にしてしまう。

さっき、ブロ友が電話してくれた。私の不安を軽くしてくれた。魔法みたいだ。
あとは、私がきちんと実行するだけ。行動しなければ、思ったことは叶わない。
行動し叶えなければ、ただの無謀で終わってしまう。勇気かどうかは、終わった後で決まることだ。
私に出来るだろうか。何が何でもやり遂げたい。


昨日から対人恐怖が酷く、無意味に気心がしれた弟にもビクビクしている。ロフトのベッドで昨夜から、出来るだけの接触を避けてとにかく無口に横たわって過ごした。涙が出てきて、孤独感と不安でひっそり泣いた。
楽しいことも、たくさんある。
だけど、その隙間を狙うかのように、恐怖や不安や孤独が襲ってくる。


そしてまた、明日が来る。
明日は、初対面のブログで知り合った方と会う。
私の憧れの美術館で。
静かなゆっくりした時間を過ごせたらいいですね、とメールを交わした。
明日は、穏やかな天気でありますように。



心の病気、
虐待・暴力の残酷さへの理解を広げたく、ランキングに参加しています。
応援よろしくお願いします。  
  
a_04.gif にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ

自助グループを作る |


2008/07/23 (Wed) 港と太陽と赤い靴  7th day

神奈川滞在二日目。
眠剤の調整を失敗して、あまり熟睡できなかった。
「お互いに無理をしない」が合言葉の旅だ。ブロ友とホテルのレストランで、のんびりゆっくり朝食を食べた。窓から観覧車が見えないのが、有難かった。

部屋へ戻って、色んなことを話しながらベッドやソファで寛いだ。部屋は涼しくて、外は曇りで翳っていた。晴れてきた外気の熱を窓越しに感じる頃、昼食も兼ねて赤レンガ倉庫まで遊びに行った。
僅かに記憶に残る観覧車やホテルや道は見ないふりをした。

赤レンガ倉庫は、古くて美しくて色んな香りがする建物だった。全階の雑貨屋を見てまわった。バスボムやら石鹸やら売っているLUSHが入っていて、ひとしきりクリームなんかで手を洗ってもらう。すべすべして気持ちよかった。こめかみにつける練香水「蝶々婦人」が良い香りで気に入った。ブロ友とはしゃいでしまった。あの店は、いつ行っても楽しい。どこか怪しい雰囲気もあって、楽しい。

初めて食べるフランスのガレットをランチに食べた。
友達は、好物だというチョコバナナのガレットを無言で黙々と食べていた。彼女は、美味しいものを食べているとき、無言かつ実に満足げで幸せそうだ。そんな顔を見るのが楽しい。

ひとしきり赤レンガ倉庫を楽しみ、私は一眼レフで撮りたいだけ写真を撮った。会う前から「美鳥ちゃんが何かに集中してるときは放置プレイでいいのね」と言ってくれていたから、しかしやはり何もかもがぶっ飛んでしまって申し訳なかったのだけれど、撮りたかった写真を何枚も撮れた。こんなことは珍しい。

お互いメンヘラ、健康体ではないので、赤レンガ倉庫で疲れた。とにかくホテルに戻ろうと外に一歩踏み出せば、そこは灼熱、釜茹で地獄かと目を疑うばかりの晴天。屋根ひとつないので、紫外線に殺菌される菌のような心地で、ふらふらとホテルを目指した。途中で、マクドのマックシェイキ(とにかくバニラにはまっている)を買って、しかしそれでも疲労激しく、あと少しホテルが遠かったら私たちは倒れてたよね、ヒットポイント0になってたよね、と後で笑った。

クーラをガンガンきかせたホテルの部屋で、取り替えられたばかりの真っ白な柔らかいシーツにくるまれて昼寝した。
私は、やたらとうなされた。
夢の中で闘っていた。怒っていた。
目が覚めたら友達が「うなってたよ」と教えてくれた。
友達と会える楽しい毎日。けれど、やり遂げるべき目的もある毎日。プレッシャーだとか対人恐怖だとか、ここ関東に数限りなく刻まれている忘れたい記憶の数々と私は無意識に闘っているらしい。
悪夢は、しばらく心にどんよりとした曇りを残して、鬱々とした気分になった。


それから、夜まで思いつくままに、色んなことを話した。
笑ったり真剣に話したり、思い出したり、思い出しそうになる記憶に鍵をかけなおしたり、病気や自殺や事件や宗教についても話した。
おなかがすいたねーと、適当に着替えて夜の町に出かけた。昼に比べると、嘘のように涼しい。生ぬるい風が吹いても、涼しく感じる。

近くの飲み屋街がものすごく良い味を出していて好きだ。ホッピーのプラスチックケースを何段も重ねて板を載せただけの道路に出されたテーブルに、チープなスチールの椅子。
中でも「馬鹿屋」という店があって、メニューを見てみれば馬肉と鹿肉の店だった。
焼き鳥屋やスナックやパブに混じって、ジャズバーがあったり、イタリアンの店があったりする。
チープなネオンや酔っ払ったサラリーマンや、一見、この町に不似合いなOLや学生の姿も、哀愁ある陽気を醸し出して味がある。特に、ジャズバーのドア越しに聞える微かなドラムやピアノの音色が、心弾ませてくれた。
少し遅かったこともあって、体に優しいうどんを食べようと探した。美味しいきしめんを食べた。面白いおっちゃん客がいて、店の人とも笑ってやりとりした。こんな些細な会話が私は大好きだ。
関東へ来て以来、久しぶりに心和む時間だった。

ホテルまで戻ってくると、途端寂しくなった。明日で、ブロ友とは別れて、また次の場所へ移動する。昼間にN氏と連絡がついた。彼は、私の冗談と本気を以前から取り違えるが、まだ変わりなく、私まで彼がどこまで冗談でどこまで本気で話しているのか、恐らく性格からすれば全てありのままなんだろうなぁと思うと、少し傷ついたり傷つかなかったりした。しかし基本的に、面白い。


今日は、撮りたかった写真が一杯撮れた。人工物を撮ることに熱中している。
足は、靴擦れだとか色々で傷だらけだ。
絆創膏が毎日手放せない。
例年になく毎日汗をかいていて、普段からは考えられない位、自分の足で歩いている。
なまっちろかった肌が焼けてきた気がする。
明日からの予定は、仕切りなおして明日に立てる。
とても楽しい時間を過ごすことが出来た。互いのマイペースと体調と病気の症状を尊重し合った結果、のんびり休み休みの観光だった。
こんな時間を忘れていたな、とブロ友に教えてもらった気がした。
どれだけ一緒に笑って、話して、食べて、歩いて、眠っただろう。
関東が、嫌いではなくなってきた。



心の病気、
虐待・暴力の残酷さへの理解を広げたく、ランキングに参加しています。
応援よろしくお願いします。  
  
a_04.gif にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ

自助グループを作る |


2008/07/22 (Tue) 迷彩  6th day

あっという間に、東京での数日が過ぎた。
光陰矢のごとしを、肌身で感じている。
同時に関東に、どうしても慣れない自分もいる。その土地、土地を愛したいのに関東ばかりは、うまくいかない。何故だろう。

とはいっても、友達との出会いは全て楽しく、頼もしい。
ブログを通じて一年近く交流を深めてきた人たちとの初対面は、全く初めてという感覚がない。
数人と会ったけれど、何故なんだろう?と不思議に思う間もなく誰とも違和感を感じない。ずっと前からの友人みたいに思う。

一方で、大阪で立ててきたスケジュールは、どうやら3分の1を消化できれば上々らしいということが分かってきた。
思えば、私は病人なのであった。
そのことを大阪でも度々忘れて体調が悪化するまで何故だか自覚できないが、ここ関東では特に自分自身の体調や心の調子への自覚のなさが如実に表れる。

昨日は、友達と調子よく5時間もカラオケで歌ってきた。その直前までは、全く動けずベッドで寝てばかりいたのに、起き上がるなり飛ばした。元気だったからだ。
そして、また私のHPは0になった。
帰りに急に前後不覚になって道路で倒れた。
前も後ろも右も左も上も下も分からなくなって、体から自分が引き剥がされないように、しがみつくだけで精一杯だった。友達に借りた可愛いオレンジ色のスカートを汚したのが申し訳なかった。友達は私をおぶってくれようとして信じられない気がした。本気の思いやりなんだと思った。

その前日には、滞在先の最寄り駅までブログ友達が来てくれた。普通に合流して、普通に一緒にお茶を飲んで、とりとめなく話した。オフ会の規約の話をしたり、私や彼の病状の話をした。
鬱病で休職中だったり、ボーダーの治療中だったり、双極性障害だったり、その他色々、世の中の偏見は相変わらず殆ど変わりなくて、精神科や心療内科に通院していることを周囲にカミングアウトすることが憚られる現状は、一歩も進んでいない。
そんな中で、互いの病気を知った上で、時間をかけて交流を深め、くだらないことも楽しいことも苦しいことも葛藤も間違いも、互いに見守り続けてきた関係は、普通に出会う関係とは違うのかもしれない。


急遽、ブロ友の提案で小雨の中、都電荒川線の初発に乗って、あてもなく終着駅の三ノ輪まで出かけた日もあった。三ノ輪は、私がずっと探していた本物の下町そのもので、重いカメラもこのときこそ活躍してくれた瞬間はなかった。戦火を免れた町だからなのだと、古い商店街の老人が教えてくれた。

これもまた急遽、江ノ電に乗りに行こうと、あてもなく出かけた日もあった。寺の境内の骨董市で、戦時中の軍服や本物の銃弾、防毒マスクまで手にとって見せてもらった。階級章などの話は、面白かった。当時生きて戦った人たちの存在を生々しく感じ取り、戦争という忌まわしい日本の歴史への捉え方が、私の中で確かに変容した。

江ノ島までの道すがら両側に立ち並ぶ店でウィンドウショッピングしたり、もんじゃを食べたり。夜は、花火を見に行こうかなんて言っていたけれど、体力が限界なのと篤姫見たさに東京へまた戻ってきたりした。
その日は、ブロ友の家に着くなりダウンした。

激しく活動してダウン、を東京へ来て以来、繰り返している。思ったよりも私は動けない。実感する。歯がゆい思いをしている。でも、支えてくれる友達のお陰で、とにかく無理せず最低限の体力を維持して最後まで動き続けられるように、調整できている。


今のところ、関東でやり遂げたいことは準備段階で殆ど何も進んでいない。

今後、明確に決まっている関東での予定は、三つ。

当事者と家族のオフ会規約作り。規約を損ねると、共依存や自傷行為の伝播や人間関係の複雑化などで、支え合いの会は途端に機能しなくなる。1年近く考えてきた機能を有した会の第一歩を、ここ関東で作りたい。

もう一つは、ブロ友のバンドに飛び入り参加させて貰う事。美鳥らしいかなり厚かましいお願いだよね、とブロ友は苦笑して、それでも生バンドのボーカルという私の長年の夢を叶えてくれることになった。友達だけでなく、乗り気になってくれた友達のバンド仲間に会ったことはないけれど、こんなお願いをかなえようとしてくれるのは、一重にブロ友の人柄だと感謝した。

三つ目は、私自身の身の振り方に関わる。どこまで出来るのか、わからない。でも一か八かだ。いつでも。


宿泊先を、私は決めずに関東へやって来た。実際に会ったこともないブロ友が、うちに泊まっていいよだとか、一緒に遊びに行こうよとホテルと取ってくれたりした。無謀な私の旅を支えてくれる人たちがいる。この先10日ほどの宿泊先は決まっていない。多分、東京にいるのだろうけれど、全ての旅程をきちんと決めて動くことは私には出来なかった。見切り発車だ。信頼できる友達がいるから出来ることなのだと思う。

今は、関東に来て三人目の初対面のブロ友と神奈川にいる。

相変わらず新宿駅は私を苛立たせ、新宿という土地に殺意すら抱く。新宿駅にいると私は、東京という街を憎んでいると確信する。
その新宿駅から、ここ神奈川へ来るときに乗った電車は、あやの男がかつて住んでいた土地、今も住んでいるかもしれない土地行きだった。乗り換えずに乗っていれば、私はあの土地へ運ばれる。あの男もかつて、こんなふうに毎日東京とあの地を往復していたのか。その間の時間、あやは男からの電話を待っていたのだ。来る日も来る日も。

わけが分からなくなった。私は、あの土地へ行くべきだと思った。行って何をするのか分からない。けれど今行かなければ、いつ行くのだという気もした。
殺意が芽生え、電車は私を右へ左へ激しく揺れて振り回すから、いっそ私は電車ごとこの体を宙に投げ出して地面に打ちつけ、殺して欲しいと思った。誰かを何かを殺してしまうかもしれない私を、殺してくれと叫びたかった。
号泣しそうになる自分を抑えて震える指で頓服を取り出したら、落としてどこかへ転がって消えた。私が泣いていようが、得体の知れない薬を飲んでいようが、頭痛でガンガン壁に頭を打ち付けていようが、誰も構わなかった。
根源の分からない激情は10分か20分ほどで突如去って、無感情が訪れた。
その隙に頓服を取り出して、ガリガリと齧った。
乗り換えろ。乗り換えろ。あの地へは行くなと友人の誰もが言う。

気がついたら乗り換えていた。着いた駅からは、観覧車が見えて、私はまた根源の分からない衝動的な怒りや哀しみや混乱にとらわれて動けなくなった。
生きてやる、乗り越えてやるという思いが、足を動かした。
改札を出てブロ友と会ったら自分が異常なことが理解できた。観覧車は駄目なんだと伝えた。解離が酷くて自分が何を喋っているのか、自分が遠くて分からなかった。

彼女へお土産を渡し、彼女からプレゼントを貰った。思いもかけないプレゼントだった。涙が止まらなくて困った。闘病は、苦しい涙も流れるけれど、こんなとき、うれし涙が止まらなくなる。私が私である感覚が戻ってきた。

ホテル近くのレストランで、美味しい夕飯を食べた。友達は、数年ぶりだというビールを実に旨そうに飲んだ。幸福そうな顔を見ていると、私まで嬉しくなった。サーファーをしている店員との会話が面白かった。大阪みたいだな、と思っていたら、会話を見ていたブロ友が「関西人の美鳥ちゃんは関東人と全然話す方法が違う」みたいなことを言った。違う、違うのか、とホームシックに一瞬襲われた。確かに異質な自分を関東では実感する毎日だ。


ホテルの部屋は、とても快適で、数日振りにこうしてPCに向かうことができた。ブロ友は、既に背後のベッドで眠っている。

明日も、ネットに繋ぐことが出来る。
久しぶりだから、一気に思いつくだけ書いた。
こんなふうに散漫に書くのは、本当は好きじゃない。
ただ今日、あらゆる人間が渦巻く広大で迷路のような新宿駅を歩きながら、私は関東へ来て感じているもの全てをちゃんと把握できていないのだと思った。順序だてて感じたことを把握したり丁寧に見直したり、説明したりする暇なく、次から次へと目的と時間と事件と完全ダウンがやって来る。

楽しいことばかりではなく、今日は昼までダウンしていて、ようやく眠れたと思ったら最低な悪夢を見た。数日前から、うっすらと自覚しているが、ここへ来て最も都合が悪い対人恐怖の症状が出始めている。まさに、そんな夢だった。

弱音の吐き方を知らないと私は気づいた。
ここ関東へ来て、今日初めて気づいた。
倒れはしても、休養を要しても、とにかく弱音を吐くことがない私は、哀れではないのかと思った。
奇遇にも、東京行きの前にカウンセラーと話して気づいた、自身の根深い人間不信、対人恐怖を再自覚しつつある。

ここ神奈川のホテルで、気の置けないブログ友達とゆったり過ごし、こうしてPCに向かえば、楽しいことが幾つあって、苦しいことが幾つあるのか、どんな泣き言を封印しているのか、そのうち分かるんだろうか。
私自身が何者であるのかが、毎日問われている気がする。
私の目には、無機質で混沌とした発狂寸前に見える新宿駅で、今日、気づいたこと。



心の病気、
虐待・暴力の残酷さへの理解を広げたく、ランキングに参加しています。
応援よろしくお願いします。  
  
a_04.gif にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ


自助グループを作る |


| TOP | next >>

プロフィール

美鳥(みとり)

Author:美鳥(みとり)
被虐待サバイバー。解離性同一性障害、うつ病、対人恐怖症ほか色々闘病中。境界性パーソナリティ障害寛解しました。毎日の光と影を綴ります。生育歴・来歴・病歴・活動はこちらをご覧下さい⇒<はじめに Profile>

講演活動・ユーストリーム放送しています。
講演のご依頼ご相談は、当ブログメールフォームからお願い致します。

診断名の有無に関わらず、生き辛さを抱える方々と温かい繋がりを目指しています。ご感想ご意見など、お気軽にどうぞ。お待ちしています。

最近の記事

最近のコメント

カテゴリー

月別アーカイブ

QRコード

QR

ブログ内検索

リンク

このブログをリンクに追加する

RSSフィード

メールフォーム 

お気軽にメールください。返信までお時間頂く場合があります。

名前:
メール:
件名:
本文:


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。