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2012/06/21 (Thu) この世で一番簡単なもの、セックス。 - 境界性パーソナリティ障害 -

2012年7月16日(月曜・祝日)、東京にて講演会を開きます。詳細・お申し込みは、こちらの記事をどうぞ⇒◇講演会「両目を開いて生きる」2012年7月16日開催(お申込み先着順)



境界性パーソナリティ障害者として、苦しんできた。
記憶では、この記事を書いた頃、境界性パーソナリティ障害の患者としてドキュメンタリーの取材を受けないかという話が来た。
毎日通いで取材に来たディレクターN氏と、境界性パーソナリティ障害(当時はまだ「境界性人格障害」と呼ばれていた。以下、ボーダー)について、取材中色んなことを話した。
当時、ボーダーは病院でも匙を投げられる病気だった。ボーダー患者を取り巻く現実は、今もそう変わらないだろう。
この記事を書いたときの私にも、殆ど希望なんてなかった。克服したと思っていたのに、状況が変われば簡単に自分は壊れた。自分の醜態に自分が一番ショックを受けた。
番組が放送されて、私は一患者としてモザイクなしで出た。自分のことはどうでもよかった。ボーダーについて理解が広がるなら、撮られたくないものは何もない、プライバシーは要らないと言った。あの気持ちは、今でも忘れない。今でも変わらず持っている。

毎日、ボーダーという悪魔と手を取り合って、もつれた足で無理やりダンスを踊らされる日々。
生き延びるためには、自分の腕ごと切り落とさなければならない気がした。だけど、その勇気がなかった。躊躇っているうちに、色んな人を傷つけた。傷つけた分、自分も傷ついた。
私は誰とも深く関われない。
関われば、悪魔と心中してしまう。

そんな数年前に書いた記事。
全文、引用。

=======================
◆Sweet Poison Juicy Syrup


この世で一番難しいもの。
言葉。

この世で一番簡単なもの。
セックス。


言葉は、気持ちのどこまでも一つ一つ拾い上げても、
真実の欠片も語りつくせない。
いつも、口にした瞬間に、そうじゃない、とどこかで思う。


セックスは、何もかも、ごちゃ混ぜにする。
お互いの隙間もすれ違いも誤解も何でも、
快楽だけはシンプルで分かりやすい。
快楽を感じないセックスも、シンプルで分かりやすい。

言葉は、いらない。

言葉を失って赤ちゃんからやり直した。
セックスに溺れて、セックスでいつも体を壊し、気絶を繰り返した。
リストカットは、いらなくなった。
切り刻むかわりに、全身をサンドバックにすることにした。
セックスは、いつも痛くて気持ちよくて乾いていて生々しい。
言葉よりナイフ、ナイフよりペニス。
自傷の道具は、シンプルさを極めていった。

道具がシンプルになればなるほど、混乱して壊れていった。
殴り続けて踏み躙りすぎた脳と体と心は、ぐちゃぐちゃになった。
脳も臓器も痛みも悲しみも怒りも喜びも快楽も、
ペニスでぐちゃぐちゃにミックスされて、どろどろのジュースになった。

純度100%ミックスジュース。
いつでも躊躇わず飲み干した。
胸につかえているイガイガした言葉が、
どろどろのジュースと一緒に、するりと融けて胃に落ちる。
だから、今日も生きられる。
味わいたいものも、味わいたくないものも、全部混ぜてしまえばいい。
甘いような苦いような味がする。
まるで子供の頃にのんだ、風邪薬のシロップ。


=======================


つまり私は、私をお姫様のように甘く大切に扱ったかと思うと、サンドバッグのように無慈悲に足蹴にし、殴りつけ踏み躙る人間が必要だったのだ。その両極で自分を引き裂き続ける痛みが必要だったのだ。

それは、愛じゃない。
それは毒。
それは刑罰。
それは残虐。

たとえどんな理由で望む残虐でも、引き裂かれて痛くない人間はいない。

愛情とは一貫して揺らがないから強い。
強いから信じられる。
信じられるから、あたたまる。
あたためられるから、また生きてゆける。

だけど、愛情を求めながら引き裂く人間を求めずにはいられなくなることがある。求め始めたら、止まらない。出口が、ない。

当時の苦しみを、まざまざと思い出す。
私は自分が子供の頃から飲まされた毒を、他人に飲ませたり飲まされたりして、愛情ごっこがしたかった。
ごっこ遊びに命を懸けて、あと少しで壊れてしまう心を懸けて、全身全霊で愛情を探した。真っ暗闇の中、死に物狂いで、手探りで。

だけど、毒を煽った目で耳で声で腕で探したって、そこに温かい腕はなかった。
傷だらけの体と傷だらけの心が残った。
瀕死の体と心では、私はどこにも行けなくなった。


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2011/06/11 (Sat) 孤独依存 - 境界性パーソナリティ障害・解離性同一性障害 -

20110611.jpg

今生きているのが不思議という数日を過ごした。むしろ死んでないことにびっくりした。
春からまた意識が飛ぶようになった気がする。特に5月後半から今日までが酷いかもしれない。
1日1回は情緒不安定で気がつくと泣いている。
出来るだけ感情を言葉に変換しようとする。
最初は何一つ思いつかない。
少し考えて「不安」が出てくる。不安なら「怖い」のかもしれないと思う。
「怖い」のなら「助けて」て思っているのかもしれない。
そうして連想ゲームをやらなくては、自分がなぜ泣いているのかが分からない。

リストカットしなくなって随分経つ。
なのに最近、異様に手首が痛む。昔切った場所が痛む。今まさにスルリと刃が静脈の上を撫でて、スパリと薄い皮膚が切れて、血が滲んで、滲み出す血に押し開かれて内から皮膚が傷口を開く。ただの幻覚なのに痛覚がある。

手首を押さえて泣く。
大抵気付くと、キッチンの床に涙で顔をびしょびしょにして、全身汗だくで座り込んでいる。膝から床もびしょびしょに濡れてる。キッチンにいるのは、リストカットを抑制するために冷凍庫の氷を握り締めるから。

「寂しい」「ひとりが怖い」「誰か助けて」
こういう言葉は全部、封印している。強く抱えすぎて、少しでも腕を緩めると誰彼ともなく傷つけてしまう確信がある。
緩く解こうとしても、解く場所が見つからない。泣くと少しすっきりする。でも意識が遠のく。次に気がついたら死んでいるかもしれないと思う。記憶障害の助けにTwitterに呟いているけど、空白だと怖くなる。その間の自分が見当たらない。

なぜまた手首が痛むのか理由が見つからない。
ただとても心の中の風景が、昔とよく似ている。
暴力的なものに魅かれている。愛されたいとは思えないけれど、ズタボロにされたいと頻繁に思う。思う瞬間に脳内に映像が流れる。
殴られる蹴られる切り刻まれる。嘲笑される踏みつけられる燃やされる。溺死に焼死に生き埋めに突き落とし。泥と砂と血と肉片で汚れた私が見える。

思うと映像が流れる、これはいつもそうだ。いつもこうだから苦しい。何が現実で何が空想で何が願望で、その奥の「本当の自分」とやらは得体が知れない。
「本当の私」が願ってるものは違うものなんじゃないの?
カウンセラーなら言うだろう。医者も言うだろう。

本当は、愛されたいんですよね。本当は、優しくされたいんですよね。

よく分からない。
愛されたくないし、優しくされたくない。
口に出してみると、一番私の本心に近い。嘘じゃない。私は、人が愛と呼ぶものが怖いし、人が優しさだと信じて疑わないものが怖い。


私は向いてない。
ネガティブなときもボジティブなときも思う。
愛すること愛されることに、向いていない。
愛や優しさは、何かの冗談にしか思えない。どうしてこんなふうに思うのか。
行き着くのは、全部過去のエピソードだ。現在でもなく、未来でもない。
過去とても痛くて苦しい思いをした。同じ痛みは二度と耐えられないと恐れている。それだけだ。

勇気さえあれば怖いものなんてない。そういう言葉は、役に立たない自己暗示だと気付いてしまっている。
怖いものは、怖い。恐怖を殺して未来に飛び込んでも、水底から恐怖は息を吹き返し必ず復讐に戻って来る。恐怖は殺すものじゃなく、飼い馴らすものなのだ。分かっているけれど、恐怖の尻尾すら掴めない。


記憶がとんだ間に自分がどこにいて何をしていたのか分からない時、この場所までどうやって何しに来たのか分からない時、つまり私は私一人で寝起きして私のことは私しか知らないことに気付いたとき、要するに自分が孤独だと気付いたとき、戦慄で体が震える。
怖い。私は何のために生きているのか、何に向かって頑張っているのか、よく分からなくなる。
逃げ出したい。やめたい。眠りたい。休みたい。死にたい。死んでしまいたい。暴力的な死で殺しても死なない執着の息の根を止めたい。

恋愛ができないんだ。昔より人が好きになった。とてもとても好きになった。自分のことも好きになれた。たまに死ねって思うけど、ほぼ毎日生きてることは最低限いいと思えるようになった。
でも気がつくと、自分のまわりにきっちり線を引いて、そこから手前に誰も入れないようにしている。あらゆる手を使って、一定の距離から中に入れないようにしている。声が聞こえるところまではいいけど、腕を伸ばして私に触れる距離は駄目。私の声が聞こえる場所まではいいけど、私の体温は届かない距離がいい。それ以上は、私が苦しくて苦しくて死にたくなる。私が明るく元気よく私でい続けるためには、一定の孤独を服用し続けなければ叶わない。

今更気付いたわけじゃないけど、私にとって最もタブーな恋愛に挑戦してみようかと考えた今年、半分を過ぎたことを思うと一歩も進んでいない自分に絶望した。

そうしたら知らない声が「性格かわろうか?」と言った。ある日突然のことだった。
私とは、まるで違うタイプの女性だ。私はGと呼ぶことにしているけれど本当の名前は知らない。
私は自信がないから普段、自信たっぷりな態度で構えている。卑屈でいると自信のない自分から離れられなくなるから、無理やり自信を装備している。
対して彼女は、自信があるないどちらでもない。きっと、どちらかなんて事すら気にもしていないだろう。愛されることや愛することを、彼女なら自然のこととしてこなせそうだ。「私」をここから先進めていくのに、私では向いていない。彼女なら前進できる。そう思えて仕方ない。

「死にたい」と「消えたい」ばっかり考えている。
前者は自分に対する徹底した猟奇的な暴力、後者は前向きな生に対する全力逃避。
優しさや温もりを求める気持ちは見当たらない。




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2010/05/11 (Tue) メランコ

夜中になると悲しいことを思い出す時間が増えてきた。
数十分前までは大好きなgagaの動画を見て、椅子の上で座ったまま踊って振り付けを覚えて歌って、彼女のパフォーマンスの素晴らしさに感動して涙して上機嫌だった。
ひとところ発散すると現実に戻ってきて、今夜もまた悲しい現実に対面した。

メールが一通戻って来ない。東京にいる間に取りたい連絡なので数日待っていたが来ない。自分が悲しみや不安で破裂する前に催促のメールを書いた。とてもとても事務的であることを心がけて、短文にした。


自傷欲求が湧いてきた。
手首を切らなきゃと思う。
でも、切ることはないだろう。今の私は、ファンタジーと現実の境目で生きている。ファンタジーにどっぷり浸かることができず、しかし現実と親和性が高いわけでもない。どっちつかず。

Twitterで呟くのは、少し気が楽だ。反面、気を遣わねばとも思う。
私はTwitterで、ブログ世界か現実世界で面識のない方とはフォローし返さないポリシーなので、そこそこに気心がしれた人としかフォロワーになっていない。

だから思うように呟ける。皆銘々に呟いていて、気が向いたら誰かに話しかけたり、適当に話題を切って自分の呟きに戻ったりする。気楽な空間だ。

そんな場所でリストカットしたいとか呟いていいんだろうかとも思う。誰かの悲しい心を引き出してしまわないかと不安になる。
夜中は、さすがに殆どのTwitter仲間は眠っているので、私は気楽に呟く。リストカット衝動にかられて、願望のまま呟いた。Twitter仲間が翌朝私のネガティブを煮込んだような呟きを目にして、気分を害さないことを祈る。


こんなふうに呟いた。

好きな人にとって自分が必ずしも1番でも2番でもないどころか、100番目とかもっとどうでもいい位置にいると認めざるを得ない現実があるって事実は、厳しすぎて涙も出ない。」

ここで140文字。ツイッターは、一回に140文字しか書き込めないから、まさに呟き。面白い。

報われない恋愛感情は捨てられたらいいのに。そして都合が合う誰かを見繕って、最初は自分を誤魔化してたとしてもそのうち本気で好きになれたりしたらいいのに。報われても報われなくても好きなものは好きだ。」

ままならない現実に、時々足掻く。
釣り上げられた魚が船底で海に戻りたいよとバタつくみたいに。


メランコリックみとり。
自分を客観視して、名前をつけて決着をつけようとしたところ。

しかし、あえなく次のTwitterでこんなことを書いた。

リストカットしそうでやばす。何これ何これ。まずいまずい。あっちのエネルギーをこっちで蓋するからそっちから出てくるみたいな。手首を切るのっていつも思うけど自分が自分を切ってるのは本当のことじゃない。自分以外の誰かが持っている何かの感情が片手に宿ってケーキカットみたいに切る。共同作業 。

突然のリストカット衝動。何故かは分からない。多分、見捨てられ不安からきている。この場合だと「メールが来ないこともひたすらに耐えてきたがこの苦労が報われないかもしれない可能性が出てきたこと」に見捨てられるかもしれない予期不安を覚えているのだろう。

最後のツイート。

リストカットが、結婚式の「初めての共同作業です」のケーキ入刀か。言葉面だけでなく男性不信の私の感覚に凄く合ってる。



よくわからない私の心の動き。
靖国行った日から内側が3つに分かれている。AとSがいる。Aがいると私は不安定になりやすくなるからやめて欲しい。
待ちかねているメールが来た時に、私が美鳥じゃなかったとき、どうやってその後の対応するんだろう。
全部なしにするのは嫌だ。

安定剤が効いたらしい。思考レベルが落ちた。総括的に考える脳がストップかけられた。
何だっけ。

そうそう。
リストカットは、自分の片手に誰かの強い感情(拒絶・無関心等)が憑依して、私の手首を切ってしまう。
だから私は体に傷をつけたくない。傷が自分のものだと思えないから、愛しくもなく腹が立つこともない。

ついでに気ままに書いたツイッターだけど、リストカットは結婚式のケーキカットと同じ共同作業て思いつきに腑に落ちた。

眠剤とか痛み止めのチャンポンで文字もよく見えなくなってきた。
とにかくアップしてみよう。
おやすみなさい。


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2010/04/19 (Mon) 藁と救命ボート ? 境界性人格障害 ?

◆5月5日開催 美鳥の講演会「両目を開いて生きる」申し込み受付中です◆ 締め切り間近です。講演会についてのお問い合わせは、コメント欄にでもお気軽にどうぞ。



20100419.jpg

「境界性人格障害の症状は、年齢と共に自然、徐々に寛解していく」という俗説がある。
難病とされていて、匙を投げている専門家が多い中、患者にとってはある意味希望の言葉である。

しかし、私はどうしても腑に落ちない。

今こんなに苦しくて周囲から人も離れていくし、一時期の共依存に浸かることができても、また孤独と不安の中に逆戻り。根底には、自分なんて誰にも愛されないという確信と、だからこそ世界一愛されたいという強欲さが同居して、絶望と渇望が喰らい合いを続けている。こんな毎日と付き合い続けて、果たして年月が解決してくれるのだろうか?


病とは別に、対人技術はそれなりに向上していくかもしれない。ただし、まともな環境に自分がいられたらの話だ。しかし、境界性人格障害は、自己不全感と人間不信で溺れかける瀕死の状態に等しいため、穏やかな環境を獲得し維持し続けていくのは難しい。

「貧すれば鈍する」という言葉がある。
「貧乏すると頭の切れる人でも愚かになる。さもしい心を持つようになる」の意である。金銭に関しての慣用句だが、私は境界性人格障害者の求めても求めても満たされない渇望状態と酷似しているように感じられてならない。

「窮すれば濫す」
「貧乏すると、どんな人でも、生活に追われて堕落する」の意もまた同じで、求めても得られても飢餓感が満たされなくなると、境界性人格障害者は依存できるならば誰でも良い心境になる。もしそこで、少しでも受け入れてくれそうな態度を見せる相手を見つけると、「誰でもいい」は瞬間に「好きで好きでたまらない」へ裏返る。
「ついに運命の人に出会った」と世界中が光に満ち溢れて見える。

これは決して憶測でも何でもなく、私の過去の実体験から書いている。
重度の境界性人格障害だった。


「貧すれば鈍する」という言葉を知ったのは、私が泥沼の共依存不倫を続けていた頃、祖母が繰り返し言った言葉だった。当時、私はこれこそが愛で、何が何でも不倫だろうが何だろうが相手は私を守ってくれる、私の愛人、浮気相手、他人の家庭を踏み荒らす不届きな女という汚名を返上してくれるものと信じていたから、自分が貧している故に鈍しているとは思いもしなかった。

このだめんずパターンは以後も続き、私は驚く速さで次々と婚約したり別れたりまた出会ったりしている。その都度「ついに出会った」を繰り返していた。愚かだったが、私の当時の鑑識眼などその程度だった。


手酷く裏切られた。または、出会った瞬間に輝いて見えた男は、数日で色褪せてダサいぼろ雑巾のごとき古着に見えた。
自分の見る目のなさにも失望したが、毎度何故そんな男が輝いて見えるのか、そして何故友達が付き合っているような安定した関係を結べないのか長年なぞだった。


長く考えに考えて、内省を続け、その間懲りずに失敗を続け、ダメ女の称号に違わぬ痛々しいネタ伝説を作り続け、ついに私は気づいたのだった。

「溺れる者は藁をも掴むと言うが、溺れる者は高確率で藁しか掴まないのが人生らしい」ということに。

貧しい家に生まれ、継母に苛められ、いじわるな姉妹に苛められて、でもある日運命の王子様が現れて幸せになりました、めでたしめでたし。という結末にならないのが人生なのだ。人生は、御伽噺ではない。


幼少期の孤独を切り抜けるために、私は幾つものファンタジーを心に抱いていった。
愛されるため、心に空いた穴を埋めるため、千切れそうな命綱の代わりに私を世界に繋ぎとめてくれるものを探し、いつか助けてくれる人を待ち続けていたのだと思う。
自分の孤独で精一杯で、愛が何なのか思いやりが何なのか、何をすれば愛されて、何をすれば自分のことだけ見てくれるのか知恵をこらし、媚でも何でも使った。痛々しいまでに必死で命がけで愛されようとした。なのに私がやることなすこと、相手を傷つけた。もしくは怖がらせた。もしくは重荷になって相手を潰した。


これではまずいらしいと気づくまでに相当の年月を費やした。

その間に結婚した友達も複数いる。置いてけぼり感は否めないが、私は藁しか掴まなかったのだから仕方ない。藁なのか救命ボートなのか見極められるようにならなければ、遅かれ早かれ私は孤独の池に溺れ死ぬのである。


死なないために勉強し、死にたくなるような苦しみを乗り越えるべく思考回路や習慣を変えた。すぐに輝いて見える男は時間をかけて観察することにした。少しずつの習慣が私を変えて、手酷い絶望を味わうことはなくなった。

その他、治療面でも、周囲の人からもサポートを受けて回復してきたのだが、サポート面の話は今回は置いておく。


今日まで生きてきて、境界性人格障害の症状が驚くほど寛解してきて、人と安定した信頼関係を築けるようになってきたとき、ふと、境界性人格障害が年齢と共に寛解するなんて嘘っぱちだと思った。

手にした藁を手離す恐怖を乗り越えて、一旦何も掴むもののない自分だけが頼りの時期を過ごさねば私は学ぶことができなかった。手がふさがっていては、目の前に掴むべきものがあっても掴むことができないのだ。
頼りない何の役にも立たない藁を掴んでいるのに、これは救命ボートなんだといつまでも自分に言い聞かせていたって明日も明後日も助かることはないのだ。


この蒙昧ぶりは、年齢が解決するだろうか。

いつまで経っても精神年齢が向上しない人はいる。
何度失敗しても、考えることを諦めて藁を掴んで不安だから違うもので更に自分を麻痺させて、死ぬ寸前まで依存に酩酊して千鳥足で生きている人もいる。

境界性人格障害は、甘い病気じゃない。
症状に見舞われ続けるのは苦しい。でも、その苦しさの中には特有の美意識と悲壮の美と、微量の陶酔が入り混じっている。それら微量の甘い毒を退けては孤独に耐えられなくなる。これらの甘い毒への依存が回復を躊躇わせる要因の一つだ。

自分を何とか保ち生かせてくれている甘い毒を断ち切るのは、苦しい。辛い。怖い。先が見えない。
そして当人は人格障害で溺れかけている。生き残る可能性は低い。それでも回復したいと足掻くのか。断ち切るかどうか決めるのは、当人だけだ。

回復は狭き門だ。境界性人格障害は生易しい障害ではない。
耐えて年月を忍んでも、自然に治るものではない。
それが現実なんじゃないのか?


ある時、とある老女に出会った。
彼女は、どう見ても酷い境界性人格障害だった。(本人は、自律神経失調症だと言っている)
彼女の年齢は、78歳である。

年齢と共に寛解しているどころか、私が知っている数年の間にもどんどん悪化していった。

ここまで孤独が人を蝕み、人生を閉塞させるものかと私はぞっとした。他人事ではなかった。

彼女は、自分の何を治療すべきなのか分からずにいる。
精神科の薬を飲み、入退院を繰り返しているが、医者に対しても境界性人格障害特有の絶賛とこき下ろしばかりで、医者すら信頼していない
アドバイスする人間のことは遠ざけてしまう。ただただ慰めの言葉と、自分への忠誠を求める。有り余る金をちらつかせ、誰でもいいからそばにいてもらうために金を握らせ、金が欲しいならそばにいて、毎日電話するようにと頼んでまわっている。善意で彼女に関わった人は皆侮辱されたと怒って離れていった。
離れていく理由を、彼女は全く理解できずにいる。
彼女の目には、救命ボートが藁に見えている。
そして、78歳の今も奇跡の王子様を待っている。
すぐにも沈んでしまう金という名の船に乗って。



すべての悲惨には、等しく終わりが来るなど私には思えない。
回復の鍵はすべて、患者自身とサポートする周囲の人間の知恵と覚悟にかかっている。そのどちらが欠けてもハッピーエンドは来ない。

去年カウンセラーを探していた時に「境界性人格障害は治療しません」というカウンセラーに驚くほど遭遇した。境界性人格障害は、医者ともうまくいかない例が少なくないのだ。(ちなみに解離性同一性障害についても除外しているカウンセラーが多かった)
匙を投げられている病気だが、だったら、だからこそ、寛解してきた私にできることがある。微力でも何でも行動せずにはいられない。境界性人格障害は、治らない病気ではないと私は考えている。方法も幾つかある。

私自身が試し、経験してきたものの中から、患者の回復への具体的な道と、患者を支える家族や当事者の患者への接し方について今後書いていきたい。



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2010/04/13 (Tue) 痛みが愛しい愛しい愛しい

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1週間ほど前から、解離が悪化してきてついに限界が来た。
兆候を感じて、自戒の意味もこめて2日前に、 ◇ダウンを避けて視点をずらすという記事を書いたのに、解離性障害は手強くて失敗したようだ。


今、自覚できる状態は以下。

・頭痛(1週間前から継続)
・全身痛(神経から来ているらしいが原因不明)
・動悸(自律神経失調症といわれている)
・息苦しさ(これは大体いつものこと)
・過眠(回復のために敢えて寝ているが疲労は一切回復せず)
・悪夢(気がかりな友人のこと・3人目のカウンセラーとのこと・実家のこと・戦っている阿鼻叫喚の夢など)
・食欲なし(空腹は感じるが食べ物を美味しく感じないのでどうでもよくなっている)
・無感覚(飲食や排泄を忘れる)
・無感情
・自傷欲求
・死にたい衝動
・美術館へ行った時以来ずっと何かしらに抱いている怒り


とにかく全身が耐えがたく痛い。起きていても座っていても寝ていても痛い。
痛み止めを飲んでも、効いている間もうっすら痛みを感じる。薬が切れるとまた元通り。むしろどんどん悪化している気がする。湿布の消費量が半端なくて病院に行かねばならない。

痛いことが続いて、かつ無感情でいると、死にたくなる。死にたいというのは多分、本能的な逃避願望だと思う。感情というよりも、現実から請求される行動指向のように思う。

医者なら「うつ病です」とか言うのだろうが、私は診断名にはほとほと愛想を尽かしている。診断名は私を治してはくれない。
これらの身体症状や精神状態が何から来ているのか知っている。脳のセロトニンどうこうじゃなくて、単に今の私が現実に行き詰っているから。

私は、「仮面うつ病」要するに隠れうつ病とも呼ばれる「精神的に自覚がなく、身体の症状としてあらわれるうつ病」と診断されている。何やねん「隠れうつ病」て。
全部一くくりに「うつ病」としないのは、臨床現場とは縁のない医学会で症例区分に励む学者気質の方々の仕事の成果であって、実は当事者に混乱を招いているだけのような気がしている。

私は「仮面うつ病」の他にも「自律神経失調症」と診断されていて、これは仮面うつ病が定義する症状と丸かぶりだ。区別がつかない。区別をつける理由がよく分からない。そもそも「自律神経失調症」という病名の前には「心身症」があったのだが、「心身症」の定義が曖昧なので、より確かな定義にしようと「自律神経失調症」があらわれた。そして今は知っている方は少ないかもしれないが、「自律神経失調症」の定義が曖昧なので、「身体表現性障害」という病名が現われた。しかし、この病名についても調べてみたら、自律神経失調症と何ら変わりなかった。学者たちは一体誰のために診断名を増産しているのか分からない。「増産」という表現を使っている時点で、私は相当にこの分野に怒っているらしいと今気づいた。

診断名が役立つのは、生きる上に置いて2,3の場面でだ。その場面では、大いに活用するべきだと思っている。

また、診断名の話に逸れてしまった。その話は違う機会に詳しく書こう。
私はうつ病に関わらず、解離性障害にしても何にしても、医学会がずーっと続けている診断名の細分化に怒りを抱いているので、つい話が逸れてしまうのだ。


私のいまの状態に話を戻そう。
今の状態は、「仮面うつ病」と「自律神経失調症」と「解離性障害」の諸症状と全部かぶっている。自傷欲求は「境界性人格障害」の症状の一つだし。アダルトチルドレンも自傷はするし。症例を並べるとわけがわからなくなってくる。

しかし、とにかく私の心が感じてきた何かをおざなりにしてきた結果だろうということは、経験から分かっている。幾ら休養しても何をやっても一向にびた一ミリも回復しないのは、気に病んでいることがあるからだ。
さっきから、その原因を考えている。
乗り越えられる、やれる、頑張れると昨日まで意欲的に思えていたことが、今日になると悲痛なものに変わってきた。悲しくて意味もなく泣いている。
何故泣くのか、泣くときに自然頭に浮かんでいる複数の事柄を必死で拾い集めようと意識を集中させている。


冷静であろうとするのに、死にたい死にたいばかりが頭をよぎって考えをかき乱すから、痛み止めの薬を飲むためにお茶を入れた。
弾みで、ポットの湯を左手に注いで火傷してしまった。

瞬間に、熱湯の痛みに私は泣きそうなくらい、癒しや安堵を感じて陶然となった。
刺すような痛み。骨に響く痛み。皮膚を痺れさせる痛み。甘い痛み。

自傷へ気持ちが傾いていることを知った。
陶然としながら、自傷を嫌悪する私は自分に失望し、しかし抗いがたい痛みを卑しく味わった。

それが、このブログを書き始める数分前の出来事。
どうしてこんなことになったのか、薄々気づいている。
この記事は、私が私のために書いた。
怖いことから逃げないために。
逃げてもいい時がある。しかし、逃げたいときほど立ち向かわなきゃいけないことがある。
今は、間違いなく後者だと思う。
でも今の瞬間は、間違いなく自分をメッタメタに傷つけて傷つけて、あわよくば死にたい。
どうやって立てばいいんだ。


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2010/01/15 (Fri) ちゃぶ台の上にも1ヶ月 ? 境界性パーソナリティ障害 ?

20100114.jpg
実家のインコ”いろは” 
常にカメラ目線
人間でいうところの幼稚園年長さんになりました



プロフィール記事を見ていただければお分かりのように、私についている診断名は複数ある。診断書に書かれていない、もしくは自己申告していない症状も合わせると二桁は越える。
それらが毎日の生活に出るわけではなく、あっちが引っ込んだと思えばこっちが出てきて、治ったかと思ったら治っていなくて、単に解離していて自覚が持てていないだけ、ということが頻繁にある。

以前記事で「診断名や何病かはどうでも良いと思っている」と書いた理由の一つは、上記のような状況があるからだ。
それ以前に、もっと重大な精神疾患者全般に通じる私なりの自論があるのだけど、それは別の機会にしよう。

とにかく、色々症状が出たり引っ込んだりするのですっかり忘れていたのだが、私の病気の一つは境界性パーソナリティ障害なのであった。
思い出したのは1ヶ月前、去年のことだった。

ある日突然、とある友達との関係に、無性に不安を抱くようになった。「嫌われているのでは・・・?」という不安だ。不安は日に日に増していき、このまま行くとどうなるかは明白だった。不安に耐えられなくなり、近日抑圧のタガが外れて感情が爆発し、最悪、その友達の気分を著しく害するのだ。その後、気まずくなって疎遠になり、縁が切れる可能性も高い。


最悪の事態を避けるべく、まず私が始めたことは、チェック項目を設けることだった。
境界性人格障害の不安発作には、パターンがある。必ず不安に陥るきっかけがある。以前は、理由もなく幼少期のトラウマだとか何だとかで突然不安になるものだと考えていたが、そればかりではないことに気付いた。
健常者からは理解できなくても、境界性人格障害者ならではの感受性で、不安や見捨てられ恐怖を呼び起こされる事実や原因が確かに存在することがある。


自分に課したチェック項目は、多岐に渡った。

まず考えられるのは、不安になった1ヶ月前に、友達との間で実際に何かあった可能性。

1ヶ月かけて考えたが、何も思い当たらなかった。強いて言えば、前よりもメールの回数が減っていることくらいだ。しかし、そんなことで不安定になるような希薄な関係でもない。
それに、メールを送っても返ってきても、不安が解消されるどころか日に日に強まっている。何故だろうか。


何となく頭をかすめた記憶があった。
その友達に、2週間ほど前に電話をかけた時の会話だ。
不安のあまり、別段用事もないのに電話してみたのだ。不安を相手に伝えることなく、自分でこっそり突き止めようと思った。境界性人格障害(ボーダー)の不安発作は、もし何でもないのなら相手に対して失礼だ。相手に知られることなく、自分を立て直せるならそれに越したことはない。

しかし、電話はうまくいかなかった。何となくだが話が盛り上がらず、電話を切った瞬間に深く落ち込んだ。
いつでも会話が盛り上がるとは限らないから、気にすることはないかもしれない。そもそも取り立てて用事もなく電話をかけたのだから、あんな感じが妥当だろう。
では何だろう、私のこの不安は。


チェック項目を、まだまだチェックする。

友達とは無関係の私の個人的なコンディションのせいで、過敏になっている可能性がある。
例えば、最近体調が悪い。連動してメンタルも落ち込んで、結果ナーバスになっているのではないか。
もしくは、メンタル面に問題があるとか。友達とのやりとりの中で私の感情が遊離して、無関係なトラウマを無意識のうちに引き出したのかもしれない。


チェック項目は、まだまだある。

他の友人との間で感じた不安定さや引っ掛かりを、親しいその友達に投影している可能性だ。一人とうまくいかないと、すべての人とうまく付き合えない気がする時がある。それかもしれない。

あらゆるシュミレーションを脳内で繰り広げ、一つ一つ可能性を潰して、更には途中で相手には暴露せず秘かに自分と相手の様子を見た。


そんな具合に、1ヶ月チェック項目と向き合ってきた。
一重に、過去の同じ轍を踏まないため。自分の境界性人格障害の不安発作で、誰かに迷惑をかけないためだ。

チェックを終えたところ、ひとまず私とその友達との間には、喧嘩もなく、行き違いもなく、すれ違いもないという結論が出た。
本当に何も原因が見当たらない。
原因が見つからないなら、お手上げだ。

改善しようがないという絶望と、正体不明の不安が限界に達した。


唐突に友達に言ってしまいそうだ。
「私のこと、嫌いになったよね?」
「私、何か悪いことしたよね?」
「私と距離置こうとしてるよね?」

以上のように、質問の形を取りつつも、ほぼ断定、決めつけ的質問だ。
「嫌いになった」「悪いことをした」「距離を置いている」

もし相手にそんな気が微塵もなければ、言われただけで相手は傷つくだろう。
私も、境界性人格障害の友達から言われて傷ついたことがあるから分かる。

しかし、このままでは私は近いうちに破壊王になってしまう。せっかく築いてきた友人関係のちゃぶ台返しだ。怒りのためじゃない。不安や恐怖にいたたまれずに、私はこれまで友達と共有してきた信頼関係や何かを一気にぶち壊してしまう。


思い切って、電話することにした。
前回と違って、今度は正直に自分が「あなたにボダッていて不安で仕方ない」と伝えるしかない。そうして、自分が何か気を悪くすることを言ったりしなかったか、私とあなたの間に何か不愉快な事件が起こらなかったかを率直に訊くのだ。ただし、感情的ではなく、関係を大切にするために。私の症状から、大事な友人関係を守り継続するために。


電話に出た友達は、私の唐突な告白に少なからぬショックを受けた。
彼女は私が東京に来ることを知って、私との遊びプランを考えて楽しみにしていてくれたらしい。
私から連絡が来て、てっきり遊びの予定を立てるのかと思いきや、「私、あなたから嫌われている気がする」と言われたものだから、「なんで?なんで?」と彼女は面食らって傷ついた。

正直に話した。
何もなかったと思うけど1ヶ月も前から不安で何とかしようとしていた」「理由を考えてたけど分からないから、ボーダーの症状かもしれない」

友達は私の話を聞いてくれて、率直に「悲しいよ」と言ってくれた。
胸が痛んだ。


とはいえ、境界性人格障害(ボーダー)の厄介なところは、猜疑心や不安がなかなか消えないところ。その都度、とことん納得するまで分析しておかなければならない。少しの引っかかりでも残していると、残った不安がまた膨らんで同じことの繰り返しになってしまう。
だから、友達に付き合ってもらって、私が不安になり始めた1ヶ月前に遡り、現在までに私が不安になるようなきっかけがあったのか一緒に考えてもらった。


そうしたら、彼女のプライベートがちょうど1ヶ月前から不安定になっていたことが判明した。詳しく聞いてみると、深刻な状況だった。彼女自身も、1ヶ月前から元気が出ないし何もやる気がないと言う。彼女の状況をその時初めて知った。元気がなさすぎて、そのことを私に話す元気もなかったのだ、きっと。
2週間ほど前、秘かに意を決してかけた電話で、彼女が私と話していても心ここにあらずの様子だったのは、彼女がとても不調だったからだと分かった。


上の空の彼女の応対が、私には素っ気無くて社交辞令に思えた。話も盛り上がらないし私と話していても一向に楽しくなさそうな様子に、「嫌われているのかもしれない」と解釈した。
私がボダったのには、きっかけがちゃんとあった。
友達のプライベートな理由で私が知りようもない出来事が、彼女の雰囲気をいつもと違うものに変え、私はそれを受話器越しに感じていたのだ。何とはない違和感に、ボーダーは敏感だ。



その日、私は自分のことを新たに知り、友達も自分自身の調子について新たに知った。
私は、境界性パーソナリティ障害の思考傾向をいまだ少なからず引きずっていることを自覚した。
友達は、電話口で相手が感じる程、自分が元気を失っていることを自覚した。それも1ヶ月も前から。

お互いに確認して、思わず笑った。


今回の友達は、境界性人格障害ではない。だから、私の見捨てられ不安から来る唐突な発言「嫌われてると思ってた」などは、感覚としては理解できないだろう。でも、知っていてくれるから一緒に考えてくれる。

暴露して考え話し合って、私の中から不安は跡形もなく消えた。
こんなことなら1ヶ月も悩むんじゃなかった、とも全く思わない。
私は、自分の症状、特に境界性人格障害の猜疑心で一杯になって攻撃的になったり、破滅的になったりした私で大事な人を傷つけたくない。
かといって、境界性人格障害だからといって、全ての不安が根拠のない妄想だとか、全ての猜疑心が相手への不当な不信だとも決め付けたくない。

自分の心の中に何が起こっているのか。
相手との間に何が起こったのか。起こっていないのか。
どこまでが私の思考で、どこまでが不安や恐怖が見せる幻影なのか。

1ヶ月かけて考えるだけの価値はあった。
境界性人格障害から回復するための、これも一つの大切な経験値だ。



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境界性人格障害 | comment(2) |


2009/10/29 (Thu) 境界性人格障害者との接し方

記事更新のお知らせです。
今日、とあるブログ記事を読んでいて、「なに言ってんだコイツ・・・全然意味わかんねぇ」と思ったら、自分が書いた記事でした。びっくりしましたよ。

◇返信5 ? 境界性人格障害者と付き合う  ?


頂いたコメントの中で、境界性人格障害の方とお付き合いされてらっしゃる方がいらっしゃいました。お返事を書いていく中で、私がこれまで勉強してきたことと、境界性人格障害である自身の経験が重なり、少しなりとも参考にして頂けるのではないかと書いた記事です。
境界性人格障害の患者を身近に持ち、真剣に向き合ってらっしゃる方々をサポートできるよう成長したいとは、先々の私の目標の一つなのですが、そんな思いをあらたにこめまして、全文修正致しました。

前回の、意味不明でフワッとわけが分からなかった支離滅裂乱文を読んでくださった読者の方、相済みませんでした。
コメントくださった方に、深くお詫び申し上げます。

修正しました記事は、こちらです。
◇返信5 ? 境界性人格障害者と付き合う  ?

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境界性人格障害 | comment(2) |


2009/10/29 (Thu) 返信5 ? 境界性人格障害者と付き合う  ?

※10月29日 23時 全文修正

当方の事情で、勝手ながら「コメント返信を記事としてアップ」させて頂くのも、5回目のこれが最終となります。
今後は、お一人ずつにコメント欄でお返事を書く以前のスタイルに戻します。
◇お知らせ (10/08)に頂いたコメントは、少しずつコメント欄で返信させて頂きます。今回の◇返信1?5までに頂きましたコメントは、事前のお知らせ通り返信しない方針でおります。ご了承ください。

ここで少し、このブログのコメント欄について。
実はこれまで、私のブログにおいて、皆さんから頂くコメントや感想に対する返信が、実は大変重要なのでは、と考えていました。まず書いた私自身が更に考えを深められる点において、記事よりも返信で書いたコメントの方が余程的を射ているということが過去もよくありました。
返信文もやたらと長くなってしまうのが恒例です。今回、私のフィジカル、メンタル両面の調子が整わず、やむを得ずこのような「コメント返信を記事にする」という形態を取りました。しかし、今後何か病気への理解や、当事者からの率直なご意見を頂いた際は今回のような形態で記事にさせて頂こうかと考えています。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

イチゴさんへ

イチゴさん、こんばんは。はじめまして。
コメントを頂いた時、リアルタイムで受信して拝見しました。とても根が深い問題だと感じ、Twitter(当ブログ右下に設置しているリアルタイム呟きです)で短く感想を述べさせていただいたのですが、携帯からでは御覧頂けなかったかもしれません。

イチゴさんが読んで「救われました」と書いてくださった記事は、ボーダー症状の真っ只中で何が一体回復なのか分からずにいた昔書いたものです。あの記事には、答えがありません。ボーダーという暗く出口のない陰鬱な通奏低音が鳴り響き、孤独を発しても弱弱しく、どこにも届かない海底の行灯のようです。

あの記事を書いたのは私ですが、今の私は違う地点に立っています。ボーダーから回復しようとしている。あの記事を書いた時も、回復したがっているように見えるかもしれませんが、何が回復なのか明確に分からない患者は、目指す方向もわからないので、苦しんでいる割に回復を目指しようがない、むしろボーダーでいた方が楽であるという面もあります。あの記事を読んで、「救われました」とコメントを頂いたこと、実は不思議に感じました。


以下は、真剣に悩んでらっしゃるイチゴさんに対し、かなり辛口の返信となりますこと、ご容赦下さい。
私個人の経験から、愛憎や、愛情の顔をした虚無のスパイラルが如何に不毛な苦痛の関係性を生むか知っています。イチゴさんから頂いたコメントに、同様のものを見出さずにはいられませんでした。
気付いたことはお伝えせねば嘘になると思い、数日考えた末に書いています。是非、最後まで読んでくだされば幸いです。


まず最初に私が強烈に感じましたのは、境界性人格障害である彼の問題とは全く別に、イチゴさん自身が何らかの人格障害である可能性が実に高いということです。
お会いしたこともなく、一度のコメントでここまで申し上げるのは一種の冒険です。

人格障害者の心性は、人格に障害を持たない人間にとっては、実にデタラメで一貫性がなく、付き合うには苦痛を感じるものです。しかし、同じ人格障害者にとっては、相手のデタラメさや一貫性のなさが、自身の言葉にならない感覚にフィットするあまり、魅力として映るようにできています。

境界性人格障害とは何か?
一言で言うと「言動の一貫性のなさ」に尽きるのではないかと思います。
白だといった瞬間に黒だと言ったり、愛していると言ったかと思えば、お前なんていらないと言う。ありがとうと泣いて感謝したかと思うと、お前に分かるわけがない!と相手を責める。
何故、境界性人格障害という病が生まれるのか、その点は今回は省略させて頂きますが、少なからず生まれて今まで、家族をはじめ人間関係のカオスの中で生き延びるために身に着けざるを得なかった背景があります。
イチゴさんが書いてくださった彼も、元々デタラメな家族環境にあったために、自分自身もカオスに染めることで生き抜いてこられたのかもしれません。


>知り合った頃の彼はボロボロに傷ついている感じで、アタシといると癒されると言うのでほっておけなくなり 人格障害であることも告白され、理解しようと色々サイトも見ました…

彼の場合、彼自身が自分の病気に対する理解にいまだ及んでいないように感じた一文でした。
昔は分かりませんが、今の私でしたら、大切に思う相手には、まず自分が人格障害であることは告げません。他の病気と違い、境界性人格障害は時として、相手に自分が不愉快な態度を取ってしまった時、それは自分の意志ではなく、病気がさせているものなのだと言い訳になってくれます。
そういった逃げ道を作るのは、他人を傷つけることなく生きて行こうとする覚悟が揺らぐので、私はある時から自分で塞ぐようになりました。自分を癒してくれる相手にも刃を向けてしまうのが、この病気の最悪に悲劇的な面なのです。


境界性人格障害者は、基本的に自分自身をゴミクズだと思っています。ですから、交際相手も理想から離れた人に魅力を感じて付き合いますし、二股をかけては誰かの心理を操作してみたり、自暴自棄な態度を取ってみたり、急に泣いて縋ってきたりします。

例えば人格障害である彼は、「可哀想」に見えるかもしれません。しかし、上記のような行動をする人を前に、イチゴさんがまずしなければならないことは、ご自身を相手の攻撃から守ることです。彼の言動には、彼自身が責任を取るように仕向ける意識が大切です。それは同時に、イチゴさん自身もご自身の言動に責任を取ることとイコールです。

この点は、境界性人格障害者と付き合うにあたって、厳しく取り組まねばならない点です。理性や頭で、境界性人格障害の問題行動の元凶や思考回路を理解することは重要ですが、感情や人情で共感することは慎重に避けねばなりません。人格障害に対しては、情だけで救えないのが現実です。


>ずっと彼のいいように、楽になれるようにと考えていたつもりだったのですが…最近新しく彼女が出来ました…もうアタシのことはいらなくなったのだろうと身を退くことにしたのですが、彼はそれを拒むんです。

ボーダーに対して最も不適切な対応は「彼のいいように、楽になれるように」と考えることです。
ボーダーは、いいようにしてもらっても、楽になれるように考えてもらっても、満足することはなく、楽にもなれません。境界性人格障害者に真に必要な他者は、自分が如何にブレても、絶対にブレない相手です。

赤ん坊に接するように接しては、ボーダーは悪化します。彼は、人格障害であるかもしれませんが、大人であることに変わりはありません。人格障害のままで生きて行く道もあるのかもしれませんが、もし彼がそのような考えであるならば、イチゴさんが悩まれても、どのように彼のためを思っても、徒労に終わる可能性が高いです。ボーダーを支えるということは、優しさや曖昧さを持っていては出来ません。本人は勿論のこと、ボーダーは周囲の人間の人間性も暴く鏡のような面も持ち合わせています。



彼のことを思われるのでしたら、まずイチゴさん自身が一貫性を強固に保たれることが最も重要です。
例えば、イチゴさんは家庭を別にお持ちです。私は別段かたい倫理観を持ち合わせているわけではありませんので、あくまでも物理的レベルでお話しますが、家庭を持っている人と付き合うのは多くの矛盾を抱えざるを得ません。
最も大きな矛盾は、「何でもしてあげたい」と仰るイチゴさんであっても、ご家庭をお持ちであれば、彼のボーダーの振り回しに全て付き合う時間はもてません。

先ほど申し上げたように、ボーダーにとって最も支えとなるのは、「行動パターンに矛盾を持たない、誰にも嘘をついていないと思える相手」です。逆に、行動パターンに矛盾が多く、どこかに秘密を持たなくてはならない関係や、ある種取引をせねばならない相手とは、症状が悪化する場合が多いです。恋愛関係であろうと何だろうと、事前に不倫だと申し合わせてスタートしようとも、どのような条件化であってもです。また、そのような相手を選ぶことで、境界性人格障害である自分を切り捨てずに生きて行ける状況を無意識に作り出して逃げ場にすることも多いのではないかと私は感じています。
理性的に自分を律して生きることは、誰にとっても苦痛で、思うさまに感情を吐き出し、ぶつけ、跳ね返ってきては泣き、怒る方が、まだましであるという場合も多いと思うのです。

もし、イチゴさんが彼に対して悩まれていて、具体的に行動を起こしたいとまで考えてらっしゃるのであれば、イチゴさんご自身の個人的な彼とは無関係な生き方の部分まで、矛盾はないか、自分に嘘をついてはいないか、を省みることが大切だと思います。


また、ボロボロに傷ついている人は、まず自分で立ち直らねばなりません。誰かと愛情関係を結んだりするのは、その後です。愛情によって救われたいと私も何度思ってきたか分かりませんが、愛憎のスパイラルを生み出すばかりで、不毛な苦痛を味わい、人生への絶望を重ねて来ました。
人格障害の回復は、ある日突然天からもたらされる神の慈愛や、恋人の愛情だけでは決して救われない類のもののようです。
また、厳しいようですが私は、誰かに献身的にボランティア精神で人生を支えるとか癒すなどということは不可能だと思っています。大業です。もし取り組もうとするならば、自分のすべて、家庭も何もかもかなぐり捨てる覚悟で向き合わねばなりません。自分自身の生き方を正すことに専念し、救いたい相手がどれだけ揺らいでもブレても、自身は揺らがないでい続ける覚悟が必要です。例えば、相手のボーダーの症状、不適切な言動には悉く人間らしく拒絶を示し続けなければなりません。


ここまでは、境界性人格障害者との向かい合い方について主に書きました。

以下は、冒頭の件に戻ります。
最初に私が、イチゴさんご自身が人格障害なのでは?と書いたのは、実は文面から、イチゴさんの主体性が全く見えないままに文が終始したからでした。
境界性人格障害者にとって、皮肉にも、振り回しや不安定な感情、価値観にうまくフィットして、共依存を築きやすい人格ではないのかと感じたのです。

イチゴさんご自身は、当事者の一人でありながらコメント文の中で、影を持たない、実に薄い薄い存在として立ち現れています。
私が最も違和感を感じ、注目した点でした。
自我が薄いか、もしくは境界性人格障害である彼の感覚との境界線が曖昧になっているのではないかと考えました。

以下、イチゴさんの自我について考えてみました。
内容ではなく、表現に注目してみてください。

>今日も彼女と会っているようなので、ホントはアタシが邪魔なのでは?と言うと、めんどくさいから好きにしろ!と…

あくまでも「彼にとって邪魔なのではないか?」であって、自分が主体ではありません。言外に、「彼が邪魔だというなら去る」と含んでいます。
彼の気持ちを知りたいという気持ちがあるから質問するという行為が発するわけですが、訊く言葉の中に、イチゴさんご自身は彼と一緒にいたいのかいたくないのかという主体性が欠けています。主体性は、大切なことを話し合う場面であればあるほど、明確にすべきです。相手の立場に立って一人考えることは大切ですが、相手と向き合ったときには、あくまでも自分の立場から言葉を発さなければ、コミュニケーションは複雑に絡まってしまい、本質が見えなくなります。お互いに言葉を投げ合っても、全くすれ違ってしまい実りを得られないのは、こういった言葉の構造があるからだと私は考えます。
彼の人格障害が問題ではなく、この場面はイチゴさんの自我のありように問題があるように感じました。
また、出方をうかがってくるようなセリフ、本心を探られるようなセリフは、疑心暗鬼なボーダーにとっては「相手が何を考えているのか分からない」という恐怖にかられるやりとりです。恐怖にかられるとボーダーは投げやりになってしまいますので、本心を知りたいというイチゴさんの意図は遂げられないことになってしまいます。


>新しい彼女は独身ですし、彼のことを好きなよう(アタシに嫉妬するので)だから世間体を気にすることもナイし…

イチゴさんの主体性が、また見えません。むしろ、最も妙な立ち位置だと感じました。
彼がどんな条件の女性を選ぶのかは、彼の問題です。条件がどうであれです。世間体を気にしないで済むことがいかに重要か不倫経験者の私は重々身にしみていますが、それでもやはり、人間はいつも独身だから選ぶとか、世間体を気にしないで良いなどという理由だけで相手を選べるほど器用でもありません。

もし、ここに書かれた一文を彼に言ったのだとしら、彼は激怒するのではないかと思いました。私は少なくとも、有難い言葉ではありません。イチゴさんは、他者との精神的境界線が非常に曖昧で、無意識に相手の領域に踏み込んでしまう傾向にあるように感じます。
相手の彼女の嫉妬心にまで考えを及ばせるのは、彼女の立場からしても失礼に当たることではないでしょうか。個人的には、そう思います。彼女の苦しみを想像でき、こうして想像されている時点で、イチゴさんがご自身の感覚に従うならば、すぐに身を引くべきです。
イチゴさんが優先されるのは、どなたでしょうか。イチゴさんでしょうか。彼でしょうか。彼女でしょうか。
自我が曖昧ということは、対人関係においてのプライオリティも自然曖昧になります。彼の人格障害とは全く別に、イチゴさんご自身が、対人関係において煩悶するシーンは多くないでしょうか。

彼が聞きたいのは、イチゴさんご自身が、どうしたいのかだけが聞きたいのではないでしょうか。彼の人格障害は最早この時点で、無関係です。
イチゴさん自身の問題も少なからず大きく影響しています。


他人のことを思い行動するのは、得てして心地が良いことです。
私は、随分と自分の問題から目を背けるために、ボロボロな人や、どうしても自分を必要とする人のために尽くしました。それもまたズタボロになりましたが、自分の人生に対する決定をするよりも100倍楽でした。
しかし、自分の現実を考え、決定し、意思表示し、関わった人間それぞれの意志がかたまるまで辛抱強く待ち、他者の決定を尊重し、受け入れる覚悟は、総じて大変苦痛です。



>彼の望みはアタシと彼女と2人の彼女と付き合っていきたいようです…
彼のしたいようにさせてあげたいと思うのですが、彼女のほうが気の毒で
言っても聞いてもらえなくて…オマエの言ってることがわからん!と…

イチゴさんの主体性の希薄さが、ここでも顕著です。
彼の望みは彼の望みで、どう決定するかは彼次第です。彼が決定しなくとも、イチゴさんが決定することもいつでも可能です。
この点が、とても重要だと思います。彼が決めようが、彼の彼女が気の毒だろうが、イチゴさんはイチゴさんのことしか決められません。考えること、話し合うことは大切ですが、決めるのは自分だけです。誰かに決めてもらおうと期待するのは、別に彼が人格障害でなくとも、他者の領域を侵し、彼を尊重しない行為と同等になってしまいます。

イチゴさんご自身は、二股である状況にどう感じてらっしゃるのでしょうか。自分が納得いかないから別れたい、もしくは彼女と別れて欲しい、もしくは二股でも良い、と彼に話すのは私はとても自然だと思います。しかし、彼女のほうが気の毒かどうかは、イチゴさんが口にすべきことではないと思うのです。それは、今度はその彼女の領域、彼女の決定、彼女の煩悶や嫉妬をある意味、イチゴさんの支配下に置く行為となります。先ほども申し上げましたように、独身の彼女の権利を侵犯していることになります。

イチゴさんが悪意を持ってらっしゃらないことは感じます。
悪意をお持ちだなと感じたら、時間や言葉を割いて返信は書かないのが私のルールですので、全て私が考えたことを率直に書かせて頂いております。

>ここにきて、彼の気持ちが少しわかったような気がします

実はイチゴさんは、もう十分お分かりではないかと私は思います。
分かる分からないの次元ではなく、単に見えないのではないでしょうか。行動が支離滅裂な人の気持ちは、どれだけ目を凝らしても見えないのが普通です。
ボーダー患者によっても個人差はありますが、イチゴさんが語られる彼については、自覚のない支離滅裂さや、回復を目指すのではなくボーダーの衝動に任せて生きている傾向が強いように感じます。ボーダーの心は、誰かが救えるものではなく、慰めも慰めとならない病気です。しかし、本人の覚悟があれば治る病気です。私は、確信しています。

ボーダーと接するには、共感や優しさも勿論必要ですが、相手の障害に振り回されない強い人生観と一貫した言動、相手の非は非として指摘し、クッションとなってやったり逸らしてやったりせず、相手の言動はきっちり反射して返す。その厳しさが不可欠です。

答えは、イチゴさんご自身の中にあるはずです。
イチゴさんが理解すべきは、彼の心情ではありません。イチゴさんご自身のお気持ち、人生観、価値観です。イチゴさんの自我の確立が大きな課題ではないのか。そのように考えました。


境界性人格障害者の周囲の方々は、へとへとに疲弊している方が多いです。境界性人格障害者の問題行動が疎まれる理由もよく理解できるのですが、その障害者と付き合わざるを得ない方達にヒントとなる核心的教科書はまだまだ少ないです。少しでも参考にして頂ければと、長文で失礼致しました。

悩まれて調べられたとのことですが、もし未読でなければ以下の本をおすすめします。
ボーダー治療の先駆者でいらっしゃって、境界性人格障害者の周囲の人たちのために書かれた、具体的な対処法のワークブックのようなものです。

境界性人格障害=BPD 実践ワークブック―はれものにさわるような毎日をすごしている方々のための具体的対処法境界性人格障害=BPD 実践ワークブック―はれものにさわるような毎日をすごしている方々のための具体的対処法
(2006/02)
ランディ クリーガージェイムズ・ポール シャーリー

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頂いたコメントから、今回は周囲の方の対処法にのみ言及しました。境界性人格障害という病気の厄介さ、闇の深さ、回復と非回復傾向にある患者については主旨からずれるため、敢えて言及しませんでした。
有意義なコメントを頂きまして、本当にありがとうございました。


◇2008/04/06 (Sun) 水底に至る - 境界性人格障害 -

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

はりモグ さんへ

はりモグさん、こんばんは。はじめまして。お返事が大変遅くなりまして、申し訳ありませんmm
いつも読んで下さっているとのこと、本当にありがとうございます。最近特に、書くことがままならなくなり、只今色々と鋭意努力中でして、そんな最中に大きな励みの言葉を頂きました。

不慣れな中、コメントくださって、ありがとうございます。
私も今だ、他のブロガーさんのところへコメントを書くのは緊張します。最後の送信ボタンを押すと、別に変なことを書いていなくても「やってしまったのでは・・・!?←なにを?」という気になります(笑)ご迷惑かなどお考えなく、今後もどうぞお気軽にコメント下さい。コメントでの交流が、私はとても楽しみです。

>― ボーダーにとって、「もう行かないと言ったけれど、待っていてくれるかもしれない。待っているのだろうか」と期待や不安で揺れ動く状況は、できるだけ避けた方が良いと私は思っています。 ―― 本当に…本当にそうですね。『言外のコミュニケーション』が素晴らしいものになるときもあるのかもしれませんが、時にはそれが激しい毒になるときもあると感じています。

「コミュニケーションの毒」と銘打たれてらっしゃいましたが、この日本人にありがちな曖昧さというのは、ボーダーや人間不信の治療現場では、まさに毒であると思います。
私個人が、あまりこういった言動を好まないというのも理由かもしれません。出て行けと言ったら出て行ったのに、「何で出て行ったんだよ」とか揉めるときがあるじゃないですか。ああいうやりとりは、言外に察しろよ、ものの弾みで言ったんであって本心じゃないんだからと言いたい場合が多いと思うんですが、私は大阪人なせいか、「どないして欲しいねん!」とツッコんでしまうんですね。

きっと、ストレートにストレートに表現しようとしても、人間の味わいとでも言うのか、行間ににじみ出る何とも言えない言外のコミュニケーションとは生まれるものだと思っています。そうしてにじみ出てくる人間味が私は大好きです。

>こういったことについてもやもやとしていた心を明晰に表現していただいたように思えました。ありがとうございます。
直接のご返信は下さらなくても、一つ一つの記事・つぶやきに美鳥さんのメッセージと意思をはっきり感じられます。
どうぞご自愛ください。

こちらこそ、ありがとうございます。
コメント返信という、読者の方から頂いた言葉に触れなければ自分の位置が分からなくなっているここ1ヶ月です。
私自身が自分にもやもやしながら、苦肉の策ではじめた返信記事。心を明晰にしてくださったのは、はりモグさんはじめ、コメントくださった方々のお陰です。
コメント、ありがとうございました。
また是非、お気軽にコメントいただけましたら嬉しいです。楽しみにお待ちしています。



◇返信 1 ? 神経症・AC・人格障害からの回復 ? (10/18)
◇返信 2 ?Coccoの真相・境界性人格障害からの回復 ? (10/19)
◇返信3 ? 精神科と投薬治療 ? (10/21)
◇返信4 ? 解離性同一性障害の治療・良い病院悪い病院 ? (10/24)
◇2009/10/08 (Thu) お知らせ


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境界性人格障害 | comment(3) |


2009/09/10 (Thu) 処方箋 拒絶  ? 境界性人格障害完治を目指す・カウンセリング ?

境界性人格障害の症状が色濃いときは、分析できているようで全く見当違いなことが多い気がするので避けたいが、以前より自己把握が出来るようになってきたということで、数日間の自分について振り返ってみる。


相変わらず思うのだが、解離よりも、境界性人格障害(以下BPD)の症状に見舞われた時が最も苦しい。人間何が最も苦しいって、自分を嫌いなときが最悪に苦しい。消えてしまえ、死んでしまえ、お前なんかいない方がいい、と自分自身に向かって罵りながらも、身体だけは漫然と生きている自分を見続けるのは羞恥に堪えない。

BPDについて、私自身が一患者としてドキュメンタリーに出演させて頂いたこともあり、この症状が最も厄介で悪質で最低だと認識しているから、随分と自分なりに勉強してきた。
BPDの見捨てられ不安や、妄想様の自虐的思考回路、論理の破綻、感情の暴走、数分置きに右へ左へ激しく傾く世界観、依存心と不安と恐怖心。その他、様々症状は挙げられる。
中でも、最もBPD特有のものといえば、「論理の摩り替え」「悲劇の捏造」だと私は認識するようになった。
どんな過去があっても、理由があっても、現在目の前にいる無関係な人の前で「論理のすり替え」「悲劇の捏造」をやらかしてはならない。BPDであっても、なくてもだ。尊重し合う人と人の関係にあって、起ってはならないことだ。

そんな最低な思考、行動パターンを、精神状態が不安定になると途端にタガが外れたようにぶちまける自分をあらためて知るにつれ、自己嫌悪は相当に募ってくる。
過去の経験や習性に縛られず、今ある目の前のことをしっかり見て、聞き、語り、価値ある行動を選び取り、価値ある人と関係を深めること。BPDにとって最も難しいことだが、これに挑戦しなければ、永遠に苦しみと憎しみと自虐と自己嫌悪の堂々巡りを続けることになる。


PBDの症状にお手上げで、生きていても何も良いことがなくなり、死のうとしていた時に助けてくださったのが、現在のカウンセラーの先生である。
が、悲劇的なことに、その先生に対して攻撃するという最悪な状況を私は繰り返し作っている。以前より頻度は減ったが、まだ私はBPDから抜け出せずにいる。再認識した数日前から、私の自己嫌悪はピークに達している。先生に対して申し訳ない思いと、同じことを繰り返す自分、今の自分の病的な側面を生み育てた過去という歴史、負けまいと立ち向かうと解離に足を掬われ、すべて自分の不徳でしかない事実には、無力感でいっぱいになる。

先生以外に対しては、この攻撃性は今のところ向かわない。皮肉なことにBPD患者の心性には、信頼と拒絶という対極が同居している。その時最も信頼を向けている人に対して、最も拒絶心が生じる。助力を請うた自分の手で助力者の救いを断つといった、矛盾した甚だ理不尽な行動を取らずにいられなくなる。
皮肉な悪循環から抜け出なければ、BPDは治らない。BPDそのものを治す前に、真の助力者を自ら拒絶し治療への道を断ってしまう。


先生に対して、不信でいっぱいで、裏切られるのでは、騙されるのでは、傷つけられるのでは、と恐怖で一杯で自己保身しか頭になかった去年の冬頃、私と先生のやりとりは殆ど喧嘩のようだった。
いかなる理由があっても、疑う必要のない相手に対して、まだ起ってもいない悲劇を恐れて先回りし、やられる前にやらなければ殺されるとでもいうように必死で先手攻撃した。治療に行っているはずなのに、行けば攻撃した。すべてが怯えから来る妄想に端を発していたと思えば、相手が先生であろうと誰であろうと関係なかったのだと思う。
先生は、そういった私の理不尽な攻撃を悉く拒絶した。
私は、それまで味わったことのない完全敗北を味わった。己れの浅ましさ、弱さ、愚かさ、程度の低さを突き付けられた。
私は、あれほど本気で死にたいと思ったことはない。

自分が相当に味わってきたはずの理不尽な攻撃を、私自身が過去の悲劇にとらわれ、目の前の無関係な人に理不尽をなすりつけていた。それが、あろうことかそのまま撥ねかえってきたのだ。

かえってきたものの醜さといったら、目を背けようにも背けられない醜悪さがあった。
過去の痛ましさは誰かの前では痛々しい美になる。手首を切ろうが、ODで酩酊していようが、口さがなく大事な人を罵ろうが、どこか甘い蜜のような美があった。
哀れであること、傷ついていることが、大抵、免罪符にされた。
免罪符として認めなければならない程度の相手でしかなかったこともある。私の病的対人関係にドラマチックにつきあってくれる人は、相手からしても病的な私の方が都合が良かった。共依存というやつだ。共依存という言葉でなくてもいい。自分の都合のためなら、互いの人間性は無意識にどこかへ押しやってしまう人たちのことだ。私も、かつてはそうだった。


先生は、私の過去と現在にある正当性と不当性を明確に切り分けた。当時は、私は生きるか死ぬかに必死で、そんな先生の姿が何を目指しているのか分からず、冷めた目で見ていた。それまでのカウンセラーという職業の人たちへ募りに募っていた不信感のせいでもあった。
分析して何になる?
分析せずに私を助けてくれ!
そう思っていた。
同時に、誰も私を助けることなどできないのだから、助けようとしないで欲しいと矛盾したことを考えていた。


去年から今まで、他にも様々なやりとりがあって現在があるが、日曜日のカウンセリング以来、またも私はBPDの症状が酷く、不安定な精神状態で書いたメールの内容は、大半が「不当な攻撃」とみなされた。どんな理由であれ、人として理不尽な攻撃は一切受け入れることはできない、と久しぶりに宣言された。

以前は、千尋の谷に突き落とされたように絶望で身体が空洞になったように感じたものだ。
今も大して変わりない気分ではあるが、多分私はこの絶望や孤独から学ばない限りは、一歩も前に進めないのだ。

自分次第で拒絶されることもあるカウンセリングとは、そうそうないだろうと思う。
なぜなら、カウンセラーが拒絶したらクライアントの死ぬ可能性は高いからだ。
しかし、生温く私の正当性も不当性も曖昧に認めてくれるカウンセラーであれば、緩やかに効くモルヒネの役割は果たすだろうが、BPDという地獄の堂々巡りから脱却させる特効薬には永久に及ばない。


自分の手で崩した信頼関係を築きなおすには、不当な攻撃をした自分を認め、不当なものを不当と真直ぐ返してくださる先生に誠意をもって応えなければならない。
拒絶という薬を、私は自分に必要なものとして飲み干すようになった。
苦い苦い薬だ。死にたくなるくらい苦い。のんだと同時に目の前の曇りが晴れ、見たくない自分の醜悪さが見えてくる。
また、それを飲まねばならないのか。また、自分の弱さを見なければならないのか。先生が返してきた拒絶を前に、無様にも私はどうにか逃れようとしている。

しかし多分、また私は先生の信念に負けるだろう。
回復したいと願っているのは私であり、治療を目指す先生であり、今の私は不信と恐怖で安定を欠き続け、先生を拒絶しようと必死だが、やはり私の目標もまた、先生と同じくBPDの完治なのだ。



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境界性人格障害 | comment(7) |


2009/09/02 (Wed) 砂地フィルター ? 境界性人格障害 ?

20090902_2.jpg


感情に隙間が出来る時期があって、
そんな時は何故かいつも、
どうでも良い相手を探す。

その傍らで、
ふいに携帯電話が鳴って、
楽しみに待っていた人からのメールが届く。

どうでも良い相手よりも何十倍も大事だし、
どうせ話すならメールの送り主の彼と話す方が絶対楽しいはずなのに、
私は何故か返信できずに、
何となく、
どうでも良い相手と、
どうでも良い話で、
割合楽しい話をして、
あはははと笑っている。


あはははと笑いながら、
メールをまたちらりと読み返し、
ああやっぱり好きな友達だなと思うのに、
メールを送ってくれた彼は、
本当に私と会いたくてメールしたんだろうか、
義理で仕方なくメールしてくれたんじゃないんだろうか、
などと胸の端に厭な靄がかかる。


疑いを持つ理由などどこにもないのに、
昨日まで、
ついさっきまで、
このメールが来るまで、
考えたこともなかったのに、
何故私は急にこんなにも不安になるのか。


何故なのか考えようとするが、
どうでも良い相手との話にそれなりに熱中してしまい、
メールの相手のことは考えたくなくなってしまった。

どうでも良い相手よりは考えたい事なのに、
何故考えたくないのか。
私は急に、
どうしてしまったのか。
少なくとも、
好きな友達を選択できない今の私は、
自分を嫌いでもないが、
決して好きでもない。


時々こんなことが起こる。
私は、
自分に急に自信がなくなって、
それは誰かから挫かれるわけでもなく、
目に見えて何があったというわけでもなく、
ある瞬間に突然、
自分の足元が底なしの砂地に変わってしまうのだ。


どうでも良い相手と、
じゃあねと電話を切って、
メールを再び読み返そうかと考えると、
またあの厭な靄がやって来て、
一人きりのからっぽの部屋で、
クーラーの静かな音にじわじわと冷やされていると、
さっきよりも靄がどす黒く胸を染めて、
何だこれは、
何をやっているんだ私は、
と嫌悪と焦りで胸を掻き毟る。


専門家は、
こんな気持ちすら病名という枠で囲うことができるが、
この煙のようなどす黒く曖昧な靄は、
枠には少しばかり引っかかるのみで、
あっという間に拡がり私を汚染する。

専門家は、
化学反応を原子レベルから説明する化学者のように、
今の私の状態を得意げに解説するのだろうが、
私の何故には、
答えていることにはならない。


どうでも良い相手の方が、
心に馴染みやすい時、
浪費されゆく時間が、
インクの染みのように頭上の空を曇らせ、
暗澹たるフィルターの下、
私はしばらく大事なものを見失う。


それはきっと哀しいことだが、
何故か涙は出てこない。

それを時々、
繰り返して、
時々、
茫然と生きる。




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プロフィール

美鳥(みとり)

Author:美鳥(みとり)
被虐待サバイバー。解離性同一性障害、うつ病、対人恐怖症ほか色々闘病中。境界性パーソナリティ障害寛解しました。毎日の光と影を綴ります。生育歴・来歴・病歴・活動はこちらをご覧下さい⇒<はじめに Profile>

講演活動・ユーストリーム放送しています。
講演のご依頼ご相談は、当ブログメールフォームからお願い致します。

診断名の有無に関わらず、生き辛さを抱える方々と温かい繋がりを目指しています。ご感想ご意見など、お気軽にどうぞ。お待ちしています。

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