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2009/05/05 (Tue) オークション依存

ネットオークションに数日ではまりにはまって、通常の生活に支障を来すまでになった。24時間、躁状態。気が気ではなく、落ち着いていられないのだ。

最初は楽しくて面白くて仕方なかった。入札から落札までの競り合いは、自動入札にしていても、なおも面白い。オークション終了までの数分の高揚感といったらない。

一方で、オークションを見ていると何が必要だったのか、何を幾らで買うのが妥当なのか分からなくなってきた。必要最低限で最愛の物にだけ囲まれて生活したいと考えている私にとって、物凄いストレスになってきた。
次々に届く商品を手にする度に、疲弊していく精神。現に前回のカウンセリングで「オークションで心が擦り切れています」と言ったのは自分なのに、その日も帰ってすぐにオークションサイトを夜中まで見ていた。


もはや、ちっとも楽しくない。なのに、サイトに行くことをちっともやめようとしない。
必要なものがあるから買うのではなく、何を買おうかと考えて検索し、物色している自分がいる。
一日あっても時間が足りない。
こんなことやめたい、楽しくない、時間がない、疲れる、お金がない、と思いながらも、気がつくとまたやっている。ギャンブル依存症や買物依存症は、こんな感じなんだろうか。
久しぶりに会う友達にも「オークションがあるから」と言って早めに帰ってきた。冗談のようで現実のエピソード。何を置いても、とにかく気になって気になって仕方ないのだ。
たった1週間で見事に依存症の域に入ってきた。


バンドのライブ用の衣装を2着買ったところで、何だかおかしいな、とふと疑問を抱いた。
なぜなら、バンドは始まったばかりだし、ライブに及んではメンバーが勝手にやろうと言っているだけで、現時点で何の予定もないからだ。
しかし、元々好きなことには手が早い私は、バンドのヴォーカル審査を受ける前に既に一着リサイクルショップでステージ衣装を購入している。
ステージ衣装ばかり3着も持って何をしようというのか。

私は、おかしい。
オークション熱が、ようやく少し冷めてきた。

気を取り直し、ジャズダンスのDVDを見ることにした。これもまた、オークションで買ったものだが、オークションに忙しくて見る暇がなかったという本末転倒な代物となっていた。
DVDにならって、見よう見まねでやってみた。

驚くべきことに、ムーヴィングの前のアップの段階で私は全くついていけなかった。とても単純に見える動きですら、ついていけない。アップの後の40回の腹筋ですら途中でギブアップした。
私は、驚嘆した。
空想の中の私は、もっともっとうまくやれるはずだ。
しかし、その後、基本的ストレッチにもやっぱりついていけなかった。
私の足は180度も開かない。多少努力で柔らかくなってきたものの、私の身体は固いのだ。
徐々に目が覚めてきた。


どうやら、私はいい年をした大人でありながら、オークションで物を買うことで夢を見ていたらしい。

ライブ衣装を買ったら、何となく理想に近づける気がしていた。ダンスの衣装のことを考えると、実際の自分より痩せている自分を想像できて楽しかった。
けれど、落札して手元に届く度に、理想に近づいているのか、現実を見せ付けられているのか、鏡の前で途方に暮れること幾度。それでも、次こそはもっと良い何かを買えば、今より理想の自分に近づけると考えるようになっていた。

なぜこうも簡単なことを忘れていたのだろう。
理想と現実は、違う。理想は、お金では買えない。
物に依存したことなどないのに、何という依存ぶり。
足元を見ずに、遠い遠いところばかり見て爪先だってフラフラしていた。お恥ずかしい話だ。


ようやくオークションという魔の桃源郷から脱し、現実の自分の足を90度以上開くことに努力を注ぎ始めた夕方。
落札したワンピースが届いた。「絶対これが欲しい!これは私が着る運命だ!」と張り切り、私なりに痛い高額を出した思い入れの強い商品だ。
無理に延ばした股関節の痛みをこらえながら包みを手に取ってみれば、落札した瞬間のあの高揚感と達成感と興奮の大きさに比べて、何と薄く軽いものか。
開けてみると、ペラッペラのチープなワンピースが丁寧に梱包されて入っていた。包装紙に貼られた「For You」という金色のシールは、100円ショップで見たような気がする。
嫌な予感がしながらも、試着してみた。

写真で一目ぼれしたのは、その袖口の蝶の羽のような広がりだ。
しかし、実際に着てみると、美しいはずの袖口は、腕をあげる度に死んだクラゲみたいにペタンと力なく裏返った。生地がペラッペラなのだから、自然の理。これまでにない惨めさに突き落とされた。
何度も腕を上げ下げして、蝶が死んだクラゲになる様を繰り返し眺め、鏡の前で思わず笑ってしまった。
まさに、物を使うのではなく、物に使われた結果である。
便利なオークションだが、今の私にはうまく使いこなせない。
頭を冷やして、脱オークション依存を誓う。


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元片付けられない女 | comment(6) |


2009/04/22 (Wed) 鮮やかな色彩



久しぶりに料理をしてみた。
といっても、焼いたり茹でたりだけなのだけど。コンパクトデジカメが不調で、ぼんやりした画像しか撮れない。なぜだろう。
病院の帰りに寄った100円ショップで、偶然、画像の水色の皿と、別色の黄緑色の皿を見つけた。お揃いのカップもあった。チープなメラミン材に映える鮮やかな色合いが楽しくて、迷わず買った。
その時に、この皿に合わせて久しぶりに何か作るか、と思い立った。

・鱈のレモンバターソテー
・アスパラ(茹でただけ)
・ゆで卵(オニオンソースがけ)
・いちご

前回の記事で書いたバンドのことは、今日一日は考えるのをやめた。毎日欠かさず続けてきたボイストレーニングも今日は休むことに決めた。音楽も一切耳にしないことにした。スコアも見ない。音楽のせいで神経が昂ぶり過ぎて、禄に眠れなくなったからだ。眠りに落ちても、眠剤が効かずに何度も目が覚めたり、眠りが浅くて嫌な夢ばかり見る。絶対必要としてきた昼寝すら全く出来なくなった。
このままではバンドどころか、生活そのものが破綻してしまう。
バンドのことを物理的に生活から締め出すと、少し安定が戻って来た。同時に、家事をやろうという気になった。医者いわく、私は他人のために生きようとし過ぎるらしい。確かに、バンドを始めるとなって以来考えることは自分自身がどうあるかより、メンバーからどう見られるかだけだった。苦しくなって当然だ。

今回は割合長く続いた躁状態だったが、躁過ぎて、くたびれてしまった。常に活動しているせいで家事も疎かになっていたし、部屋は台風一過といった様相を呈している。文字通りのブタ箱だ。
躁状態では、掃除や洗濯など家事一切ができなかった。今日、多少片付けて洗濯機を二度回したが、まだまだ片付いていない。
やらなくても困らない家事といえば、料理だろう。拒食にでもならない限りは、空腹になることはない。大概、チンしたり、お湯を注いだり、最悪袋を開けるだけで何か食べられるからだ。忙しくなると、気が急くこともあって、料理からは最も縁遠くなる。
誰かがいれば腕を揮うのだが、一人だと見てくれすらどうでもいい。
しかし、今日は新しい皿のポップなカラーに助けられた。暮らしの中の色彩が、私は大好きだ。


画像の中で、食材、食器も含めて最も高いものが赤いランチョンマット300円也。
去年の冬に買ったまま冷凍庫に放り込んであった鱈を、バターとレモンでソテーしてみた。
苺は、いちごの王様?あまおうだが、1パック150円だった。
私の得意技の一つといえば、間違いなく<節約>だ。
吝嗇でない、節約生活。安くあげて、質を高く見せることを常に目指す。


健康な精神状態、体調が続いたことはなく、思えば仕事も不安定、当然、収入も不安定で、大概いつもお金がない生活をしてきた。食パンと水だけで生きていた。借金もあった。貧しさと惨めさとその他諸々の当時の状況から、大量殺人欲求を抑えるのにもがき続けた時期もあった。
あの時期をどうにか越えることが出来て、今がある。

解離性障害のためと思うが感情が伴わない記憶だが、労働裁判では長期戦となって、法テラスから借りた弁護士費用(数十万円)と裁判中の生活費を工面、捻出するのに苦労して、負ければ不名誉と多額の借金を覚悟して戦う2年間だった。


メンタル疾患を持つ友人の中に、金銭面で苦労したことがないという人に会ったことがない。
心に疾患を持つということは、ただ心が苦しいだけでなく、生活そのものが苦しくなる。その苦しみがまた心を圧迫し、劣等感や疎外感に苛まれる人は少なくない。
金銭面で、もう少し彼らに援助の手はないものかといつも考える。どの国も同じではあるのだろうが、日本の官僚は、あまりにも無駄遣いが多すぎて、馬鹿馬鹿しいことに巨費を平気で費やしているのを見ると、腹立ちが抑え切れない。


お金がないことは怖いことではない。少しでも工夫して、何とか楽しく生活してやろう。
そう思えるようになったのは、つい最近のことだ。
そのうちに、少しでも工夫して、自分らしくて質も悪くなくて、流行に遅れを取らぬ楽しいものを着ていたい、と思うようになった。

うまく工夫して、両方叶うようになった。

ついでに、何年賞味期限が切れていようが、自分の直感と嗅覚で可食と不可食を見分けられるようになった。
今夜食べた鱈は、購入して約半年経っているが、先月飲んだ牛乳は賞味期限を10日過ぎていて、先々月食べたレトルト卵粥は賞味期限を2年過ぎていた。いずれも私は無事で何ともなかった。
節約に加えて、見極めと丈夫な胃腸、これも特技と言っちゃ特技に違いない。



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元片付けられない女 | comment(0) |


2008/04/29 (Tue) 元片付けられない女のペリー来航

20080428dia.jpg

一目惚れバックストラップパンプス。
お値段何と780円。
意地で探せば、リサイクルショップにも、宝が一つは眠っている。




何かを買うとき、私は、気張る。
気負うのではなく、気張る。
物があればあるほど良い、と思っていた「片付けられない女」時代。
脱出して以来、一切、不要なもの、買い物ミスは、したくない。

文字通り、足の踏み場のない部屋に暮らしていたために、
そこからの脱出は、容易ではなかった。
いらないものであっても、捨てることは苦しい。
都度都度に、これはあれに使えるのでは、
それはここに使えるのでは、と纏わり付く思念を振り切り、
ようやく必要で、かつ持っていて心潤うもののみを、手元に残すことができた。


だからこそ、今後は、後悔するものを買いたくない。
金銭の問題ではない。
人生を生きる上で、最も重要な精神的快適生活のため。


そんな私が、究極の選択を迫られてきた。
去年からのことだ。
携帯電話、新機種の選択。

あまりのボロさに、見る者全てが息をのむ、現在の私の携帯だ。
デコ携帯?水玉?
と見せかけて、ただの傷だらけだ。

ネタとして、画像にしてアップしようかとも思った。
十分に、上質な失笑、驚嘆、英雄的自虐ネタになるであろう。
しかし、弟MTが、
「それ見たら、絶対男は寄ってこない」
ときっぱり言った。
ブログといえど、リアルと何ら分け隔てのない私のブログ。
験が悪いので、アップしないことにした。

どれだけ酷いか。
機械音痴の両親ですら、言葉をなくす、ボロである。
人前では、出せないボロである。
外で電話をかけるときは、私はササッと取り出し、
ササッと髪の中に隠して会話する。
思えば、不憫な日々を過ごしてきた。
反論の余地もない。
なんで、こんなもん今まで平気で持ってたんだ。


今こそ、友人、知人、世の人々に、声を大にして言いたい。
携帯電話を持っているからといって、
写メール機能がついてて当然とは、甚だしい偏見だ、皆さん。

思えば、これまでの日々、友達の些細な言葉、
「ああ、じゃあ、それ写メで送ってくれる?」
に、何度口ごもってきたことであろうか。

「いや・・私、写メっていうか、パソコン派だから・・」
などと、何度、苦し紛れに逃れてきたことか。

挙句、
「私、携帯いらない。縛られたくない。
ちまちまメールとか、打つのも嫌い。美しくない」
など、苦し紛れの美学を披露するに至っては、不憫以外に言葉がない。


一番気になってきたのは、優秀な専属アドバイザー弟MTの、
「それは男がドン引き」という一言だ。
それは、困る。
恋が出来ないのは、困る。
「男がドン引き」な場合、その手前で大概において、
「とっくに女はドン引き」なのである。


焦りと期待と新しい世界へ踏み出す緊張を胸に、
携帯電話を検討し始めた。
今日まで、約半年。
周囲から「換えろ」と言われ始めて、数年。
単に、携帯に一切興味が持てず、不精していただけだったのだが。


カタログを手にしてみれば、
そこには、なんということだろう。
ドラえもんの世界が、あった。

私が、6年以上もボロ携帯を使用し続けている間に、
世の技術は、飛躍的に進歩していた。
夢のようだ。


電話なのに、写真が撮れる?
電話なのに、音楽が聴ける?
電話なのに、動画が撮れる?
電話なのに、テレビまで見れるのか!


携帯電話のカタログを開く瞬間。
それは、恍惚なるとき。
のび太の部屋の机の引き出しに飛び込むが如き、
心踊る冒険。
まさに未来旅行だった。


こんな電話が世に出ているのであれば、
長年、半ば本気で夢みてきた
「たけコプター」も、「どこでもドア」も、
「もしもボックス」も、潔く諦めよう。
未練は、ない。


この手に入れるのだ。
未来携帯を。
骨董携帯を捨て、私の閉ざされた鎖国生活に、文明開化をもたらすのだ。
脳内ペリー、来航!


まずは、じっくりと思い描くことから始めた。
私の、理想的携帯電話。

それは、まず第一に、
決して、決して、後々「ああ、これにするんじゃなかったな」
と、後悔することのない、携帯電話だ。

プラス、
「これを持っていれば、素敵な恋がやって来る」
と、無謀にも妄想できる携帯電話。

そして何より、
「見て、この携帯。写メできるのよ?」
と、胸を張れる、携帯電話。

くどいようだが、携帯電話を持っているからといって、
写メ撮れて当然などと、思わないでほしい。


新携帯への期待は日々膨らみ、理想が高すぎる故に、一向に決まらなかった。
機能面もデザイン面も重視していたものの、検討途中、
思わず妥協し、デザインのみに走ってしまったこともあった。
紫色のミラー携帯という、誰が見ても「美鳥らしい」と納得のデザインだった。
しかし、やはり機能面を度外視することは出来ず、諦めた。
何度も、苦渋の決断を重ねた。


今日、ついに決定した。

ある意味、妥協した。
しかし、ある意味、貫いた。
見極めた。

これぞ、私のために作られた携帯。
何となく、選ぶことに疲れ果て、面倒くさくなったとか、
そんな気がしないでもないが、とにかく決めた。

気が変わる前に、ショップに電話して予約した。

唯一、妥協点があったとしたら、色だ。
私が一番こだわる、色だ。
希望は、ゴールドかパープルだった。
明日、届く携帯は、「ピンクゴールド」とかいう、中途半端な色だ。
中間色は、好きではない。
しかし、そこは目をつぶろう。
挽回できる。
理想の携帯ストラップを見つければ、済む。

ようやく携帯電話が決まったというのに、
今朝から私は、今度は理想のストラップを探し、文字通り血眼である。

手元に置くものに、一切、妥協せず。
愛せるものしか持たない、置かない、元片付けられない女の意地だ。



では。最後に。
ここで、叫んでもいいだろうか。


皆さん!
私!
6年間!
骨董携帯、使ってきました!
でも!
明日!
携帯!
変わります!


なんと!

写メールが!
写メールが、撮れます!
動画も!
音楽も!
テレビまで!

黒船が来るよ!



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元片付けられない女 | comment(10) |


2008/03/25 (Tue) 女の功名は十両から

一昨日、日曜日のこと。
記事◇走りたいスイッチを書きながらテレビをつけたら、
偶然NHKの「新日曜美術館」が始まって、
まさに「日展」の歴史を放送していた。

○NHK 新日曜美術館 http://www.nhk.or.jp/nichibi/

壇ふみが出ている。
彼女の存在が、大好きだ。
司馬遼太郎の「功名が辻」がドラマ化される度に見てきたが、
壇ふみを越える「千代」を見たことがない。

以来、壇ふみを見ると、「千代」にしか見えない。
彼女が千代を演じたのは、随分前だと思う。
なのに、今だに忘れられない。
「新日曜美術館」で見たときも、「あ、千代だ」と思った。

大らかで朗らかで知恵と知性に溢れ、
落ち着きと気品と無邪気さ、懐の深さ、落ち着き、女性らしさを
全身から百合の花のように静かに放っている。
あの「千代」がもう一度みたいなぁ、と久しぶりに壇ふみを見て思った。


理想の女性像として「千代」が、常に頭にあるのだけれど、
千代には遠く及ばず、あれもこれもそれも足りない。
言ってみれば、全て足りないのだが、
壇ふみの、変わらぬ朗らかさに触れて、
「功名が辻」を、久しぶりに読んでみることにした。
何回目か分からぬ再読だ。


功名が辻〈1〉 (文春文庫)功名が辻〈1〉 (文春文庫)
(2005/02)
司馬 遼太郎

商品詳細を見る



一番好きなシーンがある。
千代が、夫、一豊のために「竜のような馬」を買うシーンだ。

侍の綺羅は人である。
よき家来、数多くの人数をもつことだ。
美服ではない。
というのが、千代の考えであった。


多くの家来を持っているために、
一豊は具足を作ろうにも困る貧しい身なりをしている。
しかし、竜のような馬を、千代は躊躇いなく「買うべきだわ」と確信し、
夫にすら内緒にして、嫁入りの頃から隠し持っていた黄金十枚全てはたいて
夫にこの馬を買うのだ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


伊右衛門が黄金十枚で馬を買ったといううわさは、
長浜城下だけでなく、安土城下にもひろまった。
「ほほう、山内伊右衛門とはそれほどの男なのか」
伊右衛門を知る者も知らぬ者も眼をみはった。
もともと平凡な男、という印象しか、家中のものは、もっていない。
このうわさで、人々の心のなかにある伊右衛門像が一ぺんに修正されてしまった。
人が、他人を見ている眼は、するどい一面もあるが、
他愛もないうわさなどで映像をつくってしまうようである。
千代は、そういうことを見ぬいていたようであった。

(省略)

「伊右衛門は、二千石の身上で三千石の身代相応の兵を養い、
なおかつそれほどの財貨をもっていたのか」
非凡、という印象をあたえた。
それがやがて、
内儀が持っていたらしい。といいつたわったとき、
うわさは一そうに感動的なものになった。
「伊右衛門殿は、よい妻女をもたれている」
そういううわさほど、山内家というものの奥行きの深さを印象させるものはない。
織田家の戦闘員は、五万である。
三人ずつの家族をもっているとして、十五万人が伊右衛門のうわさをした。
娯楽のすくないころだから、他人のうわさが、劇、小説などの役目をはたしている。

(省略)

千代は、馬などよりも、その「うわさ」を黄金十枚で買ったといっていい。
馬は死ぬ。うわさは死なないのである。
伊右衛門は、家中で名士になった。


               『功名が辻 (一)』 司馬遼太郎
                 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



「馬は死ぬ。うわさは死なないのである。」
の部分が、大好きだ。

人が死ぬとき、どれだけ貯め込んでいても、
お金を持って、あの世に行けるわけではない。
自分の身ひとつ、この心一つしか持って行けない。
死ぬ瞬間のことを考えると、
ペンやノートや服や靴、アクセサリー、パソコン、携帯電話、
通帳、貨幣、本棚、CD、今この瞬間の時間さえ、
全てただの物にしか見えない。

身の豊かさを買うことで、心の豊かさを買えるのならば、
なんて素晴らしいお金の使い方だろうと思う。
そんなふうに、お金も時間も使いたい。

難しい。
果敢な英断と、勇気と、何より、動じない芯の強さ、
揺らがない価値観、多少の犠牲も厭わない大らかさが要る。
そして、この世には男と女しかいない。
女と生まれたからには、男の愚かさ、女の愚かさを笑う前に、
男の長所を磨きあげるような、女の特性を輝かせたいと思う。

千里の道も一歩から。
千代への道も、一歩から。
まずは、司馬遼太郎先生に「才女」の心得を、
再度、ご教授賜ろうと、1ページ目を開いたところ。


追記

千代は、いらない着物の端切れを縫いあわせて
小袖(着物)を縫ったことでも有名だ。
その柄合わせが素晴らしかったことから、
秀吉の妻寧々が大層気に入り、千代の美的・創作センスが知れ渡り、
後に皇居にまで献上することになったとか。
パッチワークの先駆けともいえるかもしれない。
千代紙、とは千代の名を由来とするとも言われている。
彼女らしい自由な発想と創作意欲、無邪気な遊び心が大好きだ。


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元片付けられない女 | comment(12) |


2007/12/30 (Sun) 脱「片づけられない女」

私は、かなり重度の片づけられない女でした。

どれくらい片付けられなかったかというと、
大学時代、猫を飼っていて、部屋にいるときに写真を撮りました。
後日、現像があがってきて、写真を見ましたが、
一向に猫が見つからず、ウォーリーを探せ状態でした。
真冬なのに、扇風機があり、その手前には掃除機が転がり、
天井からは洗濯物が下がり(2週間ほど干しっぱなし)、
7、8千冊ほどあった本、漫画が散らばり、
その隙間に常に遊びに来ている友達が数人埋まっていて、
床には、ゴミだか小物だか分からないものが散在。
白黒ぶちだった飼い猫は、数分後に辛うじて発見されました。

最近になって親友に「部屋、怖かったもん」と言われました。


私自身は、片づけるという観念が全くありませんでした。
どれも必要なもので、いつもなぜか部屋から物が溢れてしまう。
隅へ寄せたり詰め込んだりはするものの、それ以外の方法が思いつかない。
片づけなければ、と思うと苛々する。
しょっちゅう、物を探して時間を浪費する。
だから、極力動かないようにする。
自動的に、怠惰な生活になる。
自分に嫌気が差す。
片づけることを諦める。
でも、いつも苛々する。
雑誌のおしゃれな部屋に憧れて眺めはするものの、やっぱり諦める。
自分の部屋に帰ってみると、これはこれでいいような気がする。
でも、なにか苛々する。
その繰り返しでした。


あらゆる試行錯誤、努力の末、
「片付けられる女」になった今は、昔の自分が信じられないくらい、
普段から、まめに洗濯し、毎日掃除機をかけ、拭き掃除をし、
引き出しからクローゼット、どこに何が幾つ入っているか把握できるようになり、
余分なものは買わず、好きなもの大事なものだけを置けるようになりました。
できて当然のことかもしれませんが、以前がひどかっただけに、
かなり「出来る女」になったような錯覚です。
著しい誤認ではありますが、
鬱体質にも関わらず自信を付けたという点で、良い傾向です。

書類関係は、裁判経験で何とか多少改善されました。
支払い用紙関係が、いまだ欠点です。
電気とか電話とか、しょっちゅうとめられたりとめられそうになったり、
今だ克服すべき問題は山積ですが。



部屋は、心を反映すると実感します。
逆に、片付け方を学ぶと、心が安定したり成長したりします。
元「片付けられない女」代表(独断自認)の私が、断言します。
現「片付けられない女」の皆さん、絶対に治せます。
諦めるには、惜しいです。


綺麗な部屋で、好きなものだけに囲まれて、
余分な物や苛々に煩わされずに済む、
お茶を飲んでいても、本を読んでいても、昼寝していても快適な部屋。
片付けることは、自分を愛することの第一歩になります。
私の場合、対人恐怖と人間不信で七転八倒していましたが、
そんな人間関係も以前と比べて格段に楽になりました。
物を取捨選択するということは、生き方を自身で決めるということです。
前と比べて、
日々の小さな幸せを大切に、豊かにゆったり暮らせるようになりました。
人生が、変わりました。


意識変革には、カウンセリング、
片付けられない私のそばで、辛抱強くかわりに片付けてくれた恋人、
そして数冊の本が、私を助けてくれました。


数冊の中で、私が愛読した本を、参考までに以下に。
片づけられない原因は、心理的要因と、脳の機能的障害に大分されます。
私の場合、両方に跨った形での症状でしたので、
以下では、並列して関連本を紹介しています。
私なりの感想を、少し添えました。
リンクは全て、別窓で開きます。

片付けられない方、脱出したいと戦ってらっしゃる方へ、
蔭ながらエールをお送りしています。


・・・・・・・・・・・・・・・

○「家まるごと2日でスッキリ!!辰巳渚の「捨てる!」生活」
重症の私には、さすがに2日は無理でした。でも、片付けようと思う度に事前にこの本を必ず読みました。最低百回は読んだと思います。写真付きというところが秀逸です。なぜなら、片付けるという苦痛の作業の前に、説教たらしい活字を読むのは、片付けられない女にとって、苦痛過ぎて不可能だからです。

「捨てる!技術」で有名になった方ですが、
最近の著者の活動にも、私は関心を持っています。
生活哲学家・消費行動研究家です。
<辰巳渚オフィシャルサイト>


○「どうして私、片づけられないの?―毎日が気持ちいい!「ADHDハッピーマニュアル」 (単行本) 」
私の場合、ADHDのような行動が多く見られます。
例えば、食器を洗っている途中で、急に靴が気になり、気がつくと水を出しっぱなしで、靴の整理をしているだとか。
目的地に急がなければ、と走っている途中で、動物を見ると、途端に時間を忘れてカメラで満足するまで写真を撮っている、など。
原因には、離人症もあると思いますが、社会生活に支障を来し、
自分のことながら、長年困ってきました。
過去のトラウマも大きいですが、私が腕時計を嫌うのも特徴の一つかと思います。
私よりも重度の弟MTから勧められた本で、とても役に立ちました。
いまだ、腕時計は嫌いですが。


○「片づけられない女たち」
具体例は、多少オーバーです。
えらいこっちゃ、と読んでいて思いましたが、自分の周囲を考えてみれば、
少なからず似たような状態でした。
著者が実際カウンリングした実例ですので、説得力があります。
片づけられないことが、人生全体に及ぼす影響の大きさを実感させられる本です。

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元片付けられない女 | comment(12) |


2007/10/26 (Fri) コイン2枚の自己投資

実家へのお土産に、あけびを買って行った。
昔食べた記憶があったような。
名前だけ覚えていて、外見も中身も予想外だった。
珍しい果物好きな両親が、喜んでくれて良かった。

今日一番嬉しかったのは、買ったばかりの靴を初めてはいたこと。
靴ずれ出来たけど、何度か履けば足に合いそうだ。
靴は、遊びで履けるものと、高くても上質なものと、
二種類持っていたいと思う。

前者の、遊びではける色のパンプスが欲しいと思っていて、
最近偶然手に入れた靴は、目を疑う程の激安だった。
物は良いけど、パンプス自体の色があまりに凄すぎるので、
買い手がなかろうと付けられた値段らしい。
デジカメで撮ると、あまりに不自然な色のためか、
レンズが赤みを拾えず、自動補正されて水色に写る。
それくらい不自然なパープルピンクだ。
一瞬、これはないな、と思った。
でも、思いとどまって買うことにした。
使い慣れない色、合わせにくい色、個性が強い色、
そんな色でもちゃんと知って、使ってみて、
感覚を磨こうと心がけていることを思い出した。
それにしても、激しくエキセントリックな色だ。
履いてみると、コーディネート次第で意外にすごく可愛くて、
楽しくて仕方ない。
今年の夏は、黄色いミュールも意外と大活躍してくれて、
履く度幸せにしてくれたものだけど、
このパンプスは、同種らしい。
大事にしたい。

エルメスの腕時計いいなー、ヴィトンのバッグいいなー、
ディオールのサングラスいいなー、D&Gのドレスいいなー、
マノロ・ブラニクの靴いいなーとか、
節操なく憧れて、眺めるばかり。
今の私には、まだ全然ふさわしくない。
私の心の美の師、川原亜矢子の教えを遵守。
色んなものを試して、楽しんで、
ちゃんと着こなせる大人の女になって、
年を取っておばあさんになったとき、
例えばシャネルのスーツが普通に似合う女になれてたら最高だな、
と思う。

先行投資で200円。
安い勉強代だ。




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元片付けられない女 | comment(0) |


2007/10/06 (Sat) フリマに出店

苦労した甲斐あって、売り上げ約2万円。
接客業が、つくづく向いてると思う。
知らない人と話すこと、話しかけてみること、なんて楽しいんだろう。

意外にも、食器なんかより着物に群がるお客様たち。
えげつなく値切る人あり、
思わずこちらから値引いてしまう良い人もあり。
着物に関して、こちらが知らないとでも思ったのか、
知ったかぶりで絹じゃないとか言ってたおばさん、
それは、上等な絹だよ。
手刺繍だよ。
着物を着る人の中に、知ったかぶりしたがる人を見ると、
本当にがっかりする。
なんでもいいから、着物を愛してくれそうな人限定で売った。


私は、ジョッキーブーツとガラスのペンダントライト、
ブランドものスカート、カットソー等を激安で購入。
ペンダントライトを売ってくれた女の子は、
普段ハンドメイドの雑貨も売っているそうだ。
座っているだけで、やわらかくてあたたかくて、
不思議な空気を持っていた。


朝から夕方まで、約5時間。
一体、何人と話したか分からない位、
うちは何故か大盛況で、何を食べる暇もなかった。
喉カラカラ。
腕には、日焼けのあとが・・・・!

でも、物凄く楽しかった。
買ってくれた小犬のぬいぐるみを大事そうに抱いて、
本当にかわいくて仕方ないというように微笑んでいた車椅子のおばあちゃん。
家族全員で使える、と喜んでミッフィーのお皿セットを買って行ってくれた同年代の女性。
後で店舗を構えていた、常連らしい、さばけていて派手で、漢気溢れたおばさん。
シンガポール製のカットソーを「フランス製よ」と言って、
しゃあしゃあと私に売りつけた洒落た女性。
なれない私たちの搬送を親切にも手伝ってくれた福祉団体の○○さん。
たくさんの出会いがあった。
人って、本当に面白い。
やって良かった!



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元片付けられない女 | comment(0) |


2007/10/02 (Tue) 感情の双子

私の両親は、物を捨てられない。
何でも、ないよりはある方がいいという考えで、
倉庫は奥から入り口まで隙間なく天井まで物が埋まっていて、
何も取り出せず、巨大なゴミ箱になっている。
しかもそんな倉庫が4つ、庭を占拠している。
室内も、どこも物で溢れている。
生活の場というよりも物置き場だ。
母などは、「片付けたい」と言う。
でも、一切物を捨てない。
畢竟、どこにもしまう場所がない。だから散らかる。
そしてまた「こんな家嫌。片付けたい」と言うのだ。
片付けたいけど物は捨てたくないらしい。

そんな親なので、子供の頃「片付けなさい」と言われても、
私は片付け方を知らなかった。
私も片付けられない人間だった。
つい数年前まで、必要なものが1割、ゴミが9割の部屋に住んでいた。こんな部屋に住みたくない、きれいにしたい、と思いながら、
ゴミは増えていく一方だった。
必要なものと不要なものの区別がつかなかった。
物に言い訳し、物への情にほだされ、
捨てる罪悪感に勝てず処分を先送りする誘惑に負け続けた。
必要とする理由は幾らでも見つかるのに、
不要だと敢えて捨てる覚悟を持つのは、とても難しい。


以前の私は「過去」を捨てられなかった。
楽しい思い出も苦い思い出も思い出したくない事も、
私はどれも手放したくなかった。
思い出が自分の在処を示す唯一のコンパスのように感じていた。
新しい未来のために、
正しく動かなくなったコンパスを捨てる勇気を持たなかった。
思い出が物に宿ると「愛着」と呼ばれる。
「愛」と称しながら、物を愛さず物にしがみついている自分がいた。
物は私にとってただの物ではなく、
何かを与えてくれる、自分に何かを教えてくれる、
どこかへ導いてくれるコンパスだ、そう信じていた。
私がしがみついていたものは、物に限らなかった。
過去、友人、家族、宗教、恋人。
いいものも悪いものも、何もかも。


鬱や対人恐怖、ノイローゼ、パニック障害は、死を想起させる。
症状が悪化し、思考できなくなり苦しみの感情だけになり、
自分が生きているのか死んでいるのか分からない状態になっても、
死がしんと静まり返って自分の隣に確かに座っている、
その感覚だけは変わらない。
この世のもの一切に、愛情も執着も持てなくなった。
対人恐怖で一歩も外に出られなくなり、
金は底を尽き、
一日に三分の一の食パンと水だけで一週間をなんとか生きていた。
眠っているとき以外の全ての時間は、
泣き喚き床をころげまわり頭を打ちつけ、
自身と世界へ憎しみと絶望を抱くのみだった。
ひと時狂気が静まったときには、床に横たわり、
窓から空と向かいのビルを、よく眺めていた。
あのビルへ上り飛び降りれば、多分全ては数分で終わる。
電車に飛び込めば、数秒で全ては終わる。
数秒、数分で人は死ぬことが出来る。
死ぬことは、なんて簡単なんだろう。
誰にも予想できない、誰も止める事が出来ないくらい、
あっという間に人は死ねる。
どれだけ大事に抱えようとも、死ぬときには、
愛情も執着も何もかもを死神が持ち去っていく。


その頃から、私は自分の人生を、
無意識に数秒や数分で区切るようになった。
限られた数秒数分を、何をして誰と過ごし、何を持って何を使い、
どんな時間を作り出すのか、考えるようになった。
生きていくのに、余分な物はいらない、と思う。


愛情と執着は、良く似ている。
物に対しても。
人に対しても。
愛し守り育て戦う愛情に対し、
執着とは、縛り留め迷わせる。
祖母の不思議なほど穏やかな死を見届け、
尚更、生きていくのに余分なものはいらないと思う。
あたたかい愛情があれば、それだけで生きていける。
人への愛情、物への愛情、人生への愛情。
世の中は、本来はとても清らかで、
結局は愛なのだ。




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元片付けられない女 | comment(0) |


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美鳥(みとり)

Author:美鳥(みとり)
被虐待サバイバー。解離性同一性障害、うつ病、対人恐怖症ほか色々闘病中。境界性パーソナリティ障害寛解しました。毎日の光と影を綴ります。生育歴・来歴・病歴・活動はこちらをご覧下さい⇒<はじめに Profile>

講演活動・ユーストリーム放送しています。
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診断名の有無に関わらず、生き辛さを抱える方々と温かい繋がりを目指しています。ご感想ご意見など、お気軽にどうぞ。お待ちしています。

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