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2014/04/16 (Wed) 指無し姫は生きる 2

※前記事<指無し姫は生きる1の続きです>


予告もなく舞い込んで来る罵倒や皮肉や歪んだ理想化やこき下ろし。
1人暮らしの部屋で、恐怖と孤独に耐える日々の中、真っ黒な絶望にじわじわ飲み込まれていくのが分かる。
人間は、結局どこへ行っても同じなのだ。
家庭も学校も職場も宗教団体も、健常者もメンヘラも皆みんな似たり寄ったりだ。嫉妬、投影、理想化、依存、叶わなければ攻撃。自分が殴られた分、殴りやすい誰かを探している。

私は、大丈夫だろうか。
ブログを通して信頼できるブロガー仲間や友人に出会えたが、同時に、人間の業深さや底抜けの悪意も嫌と言うほど目にしている。引き裂かれる。
私は誰かを不当に殴ってやしないか。私は私をちゃんと直視できているか。ありのままを貫いているか。



ブログの管理画面を開く前から動悸と呼吸困難に襲われるようになった。
震えが止まらない指でキーを打ち、ブログだけは更新し続けた。
荒らしにあって、ブログを閉鎖したり移転を続けるブロガー仲間は少なくなかった。一体今日まで、どれほどのブログが閉鎖に追い込まれたかしれない。
現実世界で痛いも苦しいも言えずに生きてきた人たち。ブログでなら本当の気持ちを言えるかもしれないと、一行一行勇気を振り絞って書いていた人たち。彼ら彼女らの懸命で純粋な声が、匿名の悪意に潰されていく現実。それが私はいつも悔しかった。


卑怯な荒らしに負けない方法は、一つしかない。
何を言われても脅されても、ブログを閉鎖しないことだ。
私にとって、ブログを書くということは、生きることとイコールだ。
ブログは、何が何でも書き続けなければならない。



新たなカウンセラーを、主治医に紹介してもらった。8年間通った臨床心理士で挫折して以来、二人目のカウンセラーになる。

精神分析に重きを置く新フロイト派のサリバン派。バウムや風景構成法、ロールシャッハなどを好んで使う治療者だった。
相性は、最悪だった。
カウンセリングルームに行く度に、希死念慮のトリガーを引かれた。
素面ではいられなくなった。帰宅するためにODしては道路に倒れこんだり、色々な手で自殺をはかろうとしては制止するカウンセラーと揉み合いになり、感情が制御できなくなっていった。
一体自分はどうしてしまったんだろうと怖くなるくらい、この治療者の元で精神状態が悪化した。
8年間通ったカウンセリングが失敗。その次も、失敗。絶望の上塗り。途方に暮れた。

そんな中、ある方から鍵コメを頂いた。関西圏でカウンセラーをしている男性からだ。
こんなふうに書いてあった。
自分のカウンセリングを受けるつもりがあれば十分受け入れる気持ちの用意がある。あなたの記事を読んで、カウンセラーという立場上、あなたの状況を他人事と流してしまうのは自分にとって非常に不自然だった。受け入れの用意があることをこちらからお伝えしておくのが筋ではないかと思った。


非常に丁寧な文面だった。
私の状況や判断を最大に尊重しようという心配りが隅々まで行き届いた長文だった。
私は、以前からその人を少し知っていた。似た感覚・考えを持つ人だろうと感じていた。その時点では、私のブログの姿勢や生き方を全肯定してくれていた。もっと楽に生きたらとすすめてくる人が多い中で、むしろ今以上に今の生き方を貫き通すべきだと言ってくださっていた。私も、自分の人生を生ききるにはそれしかないと確信しつつあった。


少しでも知識がある方なら分かるだろう。
カウンセラーからクライアントを招くのは、非常にイレギュラーだ。禁じ手と言っても良い。それはカウンセラー養成学校に通っていた頃から知っていた。

でも私は、こだわらなかった。
家庭でも学校でも宗教団体でも、私はいつも同じことを学んできた。常識や肩書きや立場は、決して私を救わない。
親たちが一番に私をキチガイと嘲り罵った。教師は私への虐めを止めないどころか虐めの指揮官だった。信者は、善の顔で私の不幸を食い物にし平気で騙し裏切った。ない金と時間を費やした「心の専門家」の治療を10年近く受けても、私は回復しなかった。
大切なのは、私に接する人間の本質だけだ。生き方、あり方が全てだ。
そして、私自身は、考え続けるしかないのだ。
何が最善か。何が真実か。両目を開いて、見極め続ける。死の瞬間まで。


受け入れる準備があると書かれた全文、真摯で濁りがなく、誠実で誤魔化しがなかった。
無条件に信用する気にはなれなかったが、私はあまりにも虚無と孤独で疲れ果てていた。1人で立ち向かい続けることにも限界が近づいていた。

当時のプライベートの日記から、私の状態を記述する単語を拾い上げてみる。
「両足自傷。両指自傷。記憶障害。過食。虚無感。鬱状態。全身、特に背中の痛み。パニック発作。手の震え。髪に火をつけて燃やしたい欲求。殺人欲求。意識消失。点滴。精神薬。OD。凄絶な孤独感。」


2008年12月、ついに生きることとイコールだったはずのブログも、書けなくなった。
全てが行き詰まった。いよいよ死ぬしかなくなった。
迷った末、自殺予定日を少しだけ延期して、体を引きずるようにして鍵コメをくれたカウンセラーのカウンセリングルームを訪れた。
期待は殆どなかった。自分が生きているか死んでいるかすら実感がなかった。ただ流れに任せ体を運んだと言ったほうが正しい。

待合室で、問診票を手渡された。
相談内容欄には「明日生きているか分からない」とだけ書いた。

地獄に仏を私は信じない。地獄から逃げ出した先は、また別の地獄の可能性が高い。自尊心を欠損して生きていくとは、そういうことだ。
期待など殆どなかった。
そんな力が残っているなら、私はまだあと1行でもブログを書くことができただろう。

案内され、向かい合わせのソファに腰掛けた。
最期の治療が始まった。


<⇒3に続く>

関連記事
 ◇<指無し姫は死なない
 ◇<指無し姫は生きる1

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治療日記 | trackback(0) | comment(3) |


2014/04/12 (Sat) 指無し姫は生きる 1

件のカウンセラーとの出会いを語るなら、直前の出来事から書いておかなければならない。
問題のカウンセリングに嵌りこんでいった経緯、支配から逃れられなかった理由、そこから抜け出したきっかけ、抜け出した私が今こうしてブログを書いている理由。全て一本の背骨が通った一繋がりの物語になっている。
この時期に私と関わってくれた誰が欠けても、今日の私はない。

2008年から10ヶ月間受けたカウンセリングから約4年、壊れたまま生きてきた日々を書く。
崩壊し続ける「私」の物語。
死ななかったから、書ける。生き延びる限り、書く。


::::::::::::::::::::


2008年10月、TBS報道特集NEXTで「自分を傷つける女たち(境界性人格障害)」というドキュメンタリーが放送された。
私は、境界性パーソナリティ障害(以後、略語のBPDと記す)の患者の一人として出演した。
私の私生活から通院、BPD特有の行動化の様子などが、テレビで流れた。
私はこんなブログを書いている以上、覚悟があった。病気への理解が広がるなら、私のプライバシーは要らない。どうせ明日生きているか分からないのなら、自分の全部を出してから死のうと決めていた。
だから、モザイクはなしにしてもらった。番組に使われることはなかったが、交際していた男性が撮影したSMプレイ写真まで提供した。
私は、私自身が病気への理解に必要と思うものを必要なだけ提供した。



取材の話が来た当初、テレビ関係の人間というだけで私は全く信用せず打ち合わせのテーブルに座ったが、相当な時間をかけて知ったディレクターN氏は、信頼に値する人物だと感じた。
その彼から、事前に説明を受けていた。
全国誰もが見るテレビに、精神障害者として顔出しで出ることのメリットは、はっきり言って一つもない、と。しかし、当事者の表情まで放送出来るなら、より伝わることは間違いない。

私は、誤解されやすいこの病の苦しみが、最善の形で伝わって欲しいと願っていた。

モザイクなしで良いです。そう言ったら、ディレクターは驚いた。
「もうちょっと考えた方が良いですよ。知り合いや家族が見るかもしれない。途中で気が変わったら言ってください。いつでも処理しますから」と言った。
気は変わりません、と私は答えた。

自分がブサイクだろうがキモかろうが、どうでも良い。それが私の生だ。生きることは苦しくて、下らなくて、なかなか死ねなくて、諦めが悪くて、みっともなくて、少しでもましに生きようと今日明日を足掻くしかない、それが私の偽りない事実だ。格好つけても仕方ない。ブログでやっていることと何も変わらない。どんな場でも私は繕わずにいられるのか。自分を試してみたい気もあった。

事実、最後まで後悔しなかった。涙にまみれて醜態をさらす自分の顔を画面いっぱいに眺めても、その気持ちは変わらなかった。


放送直後から、ブログの来訪者が激増した。
番組の感想が、コメント、鍵付きコメント、メールを通して数え切れないほど私の元に寄せられた。書き込み主は、主に同じようにBPDで苦しむ当事者の方々だ。

当時まだまだ認知度の低かったBPDのドキュメンタリー番組が放送されただけで、価値があった。そのことを評価する声を頂いた。
一方で、「BPDの苦しみはあんなものではない」「私たち当事者はあんなことが言いたいわけではない」といった批判的な声もあった。
一当事者に過ぎない私のブログのコメント欄に、制作サイドへの批判を書き込んでも当事者の声はどこにも届かない。憂さ晴らしのように感情任せに批判してくる鍵コメントやメールが増え続け、対応しようのない私は何度もダウンした。孤独だった。

力を振り絞り、記事を書いた。
意見があれば直接、実名でテレビ局へ感想を送ってください。当事者の声こそ最も価値がある。実名こそ価値がある。

その記事に応えて、何人もの方が実際に動いて下さった。実名で感想を送りましたと連絡くださった。倒れこんだベッドの中で報告を受けて、その勇気ある行動に心から救われ、泣いた。

この時の体験が、その後の講演活動に繋がった。
醜悪だと笑われようがが何だろうが、とにかく自分のありのままで人の前に立つこと、当事者が当事者の声と言葉で自らを語ることの大切さを実感した。私の捨て鉢の勇気に応えてくださる方々がいることを知った。


「番組は番組制作者の作品に過ぎない、当事者の声ほど説得力を持つものはない、美鳥さんが伝えたいことは自分自身で伝えるべきだ。」
そう言ったディレクターN氏の言葉も、その後の私の道を決定的にした。
当時の私は、暇さえあればSMプレイの話ばかりして、頻繁にボーダー患者ならではの二極論をぶつ、分別のないクソ生意気な小娘だった。それでも、1人の人間として対等に対話してくれた。N氏からは、日本のこと海外のこと、宗教のこと動物のこと昆虫のこと野球のこと、数え切れない程多くのことを教わった。
人のプライバシーを最大に尊重することの大切さを教えてくれた人でもある。「マスゴミ」と揶揄される報道の仕事に、こんな誠実な人も携わっているのだという事実は、私の世間への目を開かせてくれた。
彼は、後に、間接的に私の命を救った一人ともなった。


番組放送後、しばらく経っても訪問者の数は一向に減らなかった。
昔から読んでくださっている方なら、うちのブログではコメント欄が匿名の誰かに荒らされることが日常茶飯事になっていたことは、ご存知だと思う。
特に悪質なものが多かったのは、鍵つきコメントだ。罵詈雑言の長文を書き込み続ける複数の匿名に粘着に絡まれ続けた。
番組放送以後は、私にコンタクトを取ってくる人そのものの数が増え、比例して悪意あるコメントも増えた。
例えば、ある鍵コメが「発信は見苦しいですよ。さっさと自殺したらどうですか?」と書いて来たかと思えば、数日更新しないでいると、別の誰かが「読者の気を引きたくて更新してないのでしょう?痛々しい」と書き込んでくる。そんな調子で、そのうちストーカーも現れ、警察署に相談に赴くはめになった。

精神のバランスを欠く時間が増えた。
プライベートな日記で苦しみを吐露した。ブログ友達に手伝ってもらって、荒しコメントの論理分析を必死でやった。それでも耐え切れず意識は朦朧とし、ODし、ダウンを繰り返した。

生きるために書いているブログで、生きる気力を支えられ、生きる気力を奪われる。
でも、書くことをやめるわけにはいかない。
孤独だった。

<⇒2に続く>




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治療日記 | trackback(0) | comment(5) |


2014/04/01 (Tue) 指無し姫は死なない

20140401.jpg


4年前、治療と称する洗脳を受けた。
普通のごくありふれた面談方式のカウンセリングだった。
てっきり治療だと思っていた。
常にどこか違和感を抱いてはいた。でも、他に行くところはなかった。
助かりたい一心で通った。

治療者に不信感を抱くのは、自分の<認知の歪み>のせいだと信じた。
治療のせいで狂わされているなんて、考えもしなかった。
10ヶ月後、治療から離れた時には、もう手遅れだった。

カウンセリングルームは、密室だ。
<クライアントの認知の歪み>は、ある種の治療者にかかれば完璧なアリバイになる。


犯人不明の完全犯罪。
犯人は、<認知の歪んだ>私かもしれない。
カウンセラーへの不信は、<ボーダー特有のこき下ろし>かもしれない。
何もかもが分からなくなった。崩壊した。
トラウマから、私はすっかり枯れた植物のようになった。

それでも書くことをやめたくなくて、僅かに生き延びた私の残骸を集め、辛うじて書いた記事だけアップしてきた。
何に苦しんでいるのか、ブログにも書けなかった。説明不足の記事は、読者の方を混乱させたかもしれない。私は、自分に何が起こっているのか全く分かっていなかった。だから、何をどう書いて良いのか見当もつかなかったのだ。

文字にしようとすると言葉が消えてしまう。
ブログを書くため、無理やり自分に暗示をかけて意識を過去に飛ばした。そのせいでフラッシュバックを起こし、泣き喚きながら2つ前の記事などは書いた。
文字通りの悪足掻き。どうしてもこのブログには、ほんとうの私だけを記さねばならない。


枯れてゆく自分を捩じ切るまで絞って、一滴残らず純粋な私を注ぎ込み講演をやった。
心をこめた。なげうった。でも自分の全部には届かなかった。来てくださった方に何と言えば良いか分からなくなった。枯れてゆく。
じわじわ死んでいく自分を前に呆然と立ち尽くすしかできなくなった。

私の声が掠れていく。
消えてしまえば私の心はどこにも痕跡を残せない。
他愛ない言葉すら、出て来るまで異常に時間がかかるようになった。
Ustream放送にTwitter、友人や恋人との会話まで、24時間緘黙傾向に苛まれる日々を4年続けた。
私に何が起こったのか、誰にも分からなかった。自分でも分からなかった。
いつもそうだ。本当に痛いことは、人目につかないところで見えない形で刻まれる。
私の人生は、あと何回こんな馬鹿げた転覆を繰り返すのだろう。


事態はもう永久に変わらないかに思えた。
きっちり4年、変わらなかった。
長かった。多くを失った。


しかし、それも今終わりを迎える。
苦しみと熟考と行動の末、私に何が起こっていたか、はっきり分かった。
もう少しで完全に私を取り戻すことができる。
あとは、このブログに怖くて怖くて書けなかったことを書くだけだ。

関わった人のプライバシーが最大限守られるよう注意する。
記事タイトルは、書きかけの童話タイトルの一部を取った。
主人公の指無し姫は、もう死ななくて良いかもしれない。



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2011/12/27 (Tue) ここにいていい

20111227.jpg

2ヶ月近く更新してなかった。
あまりにたくさんのことがあった。
連続して謀ったように同じパターン同じ構造を持った出来事に打ちのめされた。
1日1日を過ごすだけで精一杯、碌に意識がない日もあり、とある事件で幻覚を見るようになり、それを知った医者やカウンセラーから統合失調症を疑われたり、訪問看護士を入れる話が出たり、3日前にはテントを持って樹海へ出かけてそのまま失踪する予定を密かに立てた。

感情的でもなく悲劇的でもなく、思考や想像の飛躍も一切なく、冷静に客観的に死と死に至るまでの方法を、死ぬ理由に照らし合わせて計画立てた。決行日までのカウントダウンもおよそやった。普段、数字や時間の計算が苦手な私が、あらゆる条件を足したり引いたり掛けたり割ったりして算出した。たまに自分が目的に向かって進み果てるだけの鉄の魚雷のように感じることがある。不良品を間引くように事務的な手つきで不良品を選出し、私が決して受け入れることができない醜いものを私自身でくるみとり、私ごと丸めて捨てることができるならと思った。

最近の私は、心がとことん苦しくなると口を閉ざす。連絡も断つ。にも関わらず私が今回本気で決行するつもりでいることが何故分かったのか、気付いて迷わず手を差し伸べてくれた友人たちを不思議に思う。ありがとうと言うべきなのかもしれないけれど、空想の樹海で一度死んだ自分がまだこの体の中まで戻ってこれないのか、何だかぼーっとしている。
僅か3日後の今、こうしてブログを書いているのは3日前の死のうと決めた気持ちが軽かったわけでもなく、3日の間に劇的に私が変身したのでもなく、ただいつもの自分に戻ることができたそれだけ。

微々たる進度でも私は少しずつタフになってきている。打たれ慣れたのでもない、打たれ強くなったんでもない。私は多分この種のダメージには生まれて今日までずっと弱い。もっと鈍感になれたらいいね、スルーできるといいねとアドバイスされる。心配してくれる色んな人に言われる。
だけど、私は私が醜悪で残酷だと感じるものに対して鈍感になるつもりはない。私は、このままで生きていく。このままでしか生きていけない。決まっている。あらゆる理由で私はこのままでいい。このままでいいんだ。

タフになってきたのは、私の心の皮膚が分厚くなって鈍くなってきたからじゃない。
どんな形のどんな重量のどんな性質のどんな凶器が、どの角度からどんな手段で自分の生命の心臓に突き刺さるのか、きちんと目を開いて見ることができるようになったからだ。

凶器を握った手がどんな手かも見える。凶暴な手はすぐ分かるから、すぐ退けられる。怖いのは、一見優しい手。きれいな手、礼儀正しく常識的な手。見栄えのいい正義や愛情を美しい絹の手袋を纏うように装っている手は、凶器よりも恐ろしい。

善良に見える手ほど、残酷に凶器を駆使する。そうして私の苦痛と血で汚れたままの手で日常へ帰ってしまう。私は置き去りのまま。私の血も苦痛も絶叫も涙も、何もかもなかったことになってしまう。もしくは実際よりも何倍も軽んじられる。同意しなければ私は狭量で神経質な人間として烙印を押され、全ての出来事に曖昧な始末がつけられる。

純粋な悪意から生まれた純粋な害意は、私にとって殆ど無罪だ。
分かりやすいものの何が怖い?何が痛い? 苦い毒は、親切だ。甘い毒は、飲み干して息の根が止まるまで舌に優しく甘いのだ。

私自身のこの手も、知らず凶器を握り誰かへ刃を向けていないかいつも考える。にこにこしながら誰かを殴りつけてないか、心配顔で踏みつけてないか考える。こうして考える癖は多分一生消えないだろう。やめる気もない。私は自分が被害者なのか加害者なのか考えたいんじゃない。自分や他人をジャッジするために考えたいんじゃない。

私は多分、子供の頃の私自身を目の前にしてずっと生きている。
私は私自身に向かってこの日記を書いている。幼く、悪に無知な子が無防備に傷つき続け、守る術もなくさらされ続け、魂を蝕む甘い毒を泣きながら飲み続けていた子供。無言で喉を掻き毟って一人で泣いていた子供。あの子に、もうこれ以上同じ毒を飲ませるわけにはいかない。もう沢山だ。
他人が飲むのを見るのも嫌だ。ましてこの手で飲ませるのも嫌だ。


2ヶ月の間に味わった痛みは、場所も関わる人も全部違うのに謀ったように質も深さも同じ痛み。繰り返し繰り返し、同じ場所同じシーンで自分を守れず絶望する繰り返し。
たまに戦闘ゲームのような夢を見る。何度も何度も同じシーンをやり直しさせられる。殺されても殺されてもまた挑戦させられる。相手を倒すまで夢は私を自由にしてくれない。あの夢とそっくり同じ。

こんな場面ではいつも、私に与えられた道は2つしかない。負けを認めて絶望に絡め取られて死ぬ。もしくは、突然自分の明瞭な声を聞く。
一声で絶望が霞んで色を失くす。

絶望をまた一つ捨てた。
きっと私はどこへも行かなくていいのだと思う。
なのにここに踏みとどまる勇気がなくて、臆病にかられて闇雲に歩きだす。
ここまで来れた。この場所は私の心でちゃんと見てちゃんと聞いてちゃんと確かめて見つけた場所だ。
私はどこへも行かなくていい。


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2011/08/27 (Sat) むしろ元気な時しか通院できない

精神科医ってどこまで患者の訴えをまともに聞いてるんだろう? 医者は、患者の状態を正しく把握するために最善の努力をしているんだろうか?
うつ病で通院している友人から、とある話を聞いて、精神科医と患者の理想的関係とは一体どんなものか?久しぶりに強い疑念を抱いて考えてみた。

医者と患者の関係は、主に診察室においてのみ。その診察室で物理的に患者はどれくらいの時間医者と顔を合わせてるのか、ざっと計算してみよう。
1回の診察時間を5~10分、1ヶ月に2度の診察と仮定する。1年間通院した場合、医者と患者が会う総時間数は僅か2~4時間になる。
医者は、患者の生活そのものに関わってくる書類を書く機会がある。障害者手帳はじめ、障害年金の申請、職場への休職願いに添える診断書。医者の書きようで受けられるサービスが変わってくる。

友人の場合、医者が友人の家での生活能力について、実際とは異なる状態を書類に記した。気付いた友人が訂正を求めたけれど、頑として訂正に応じないのだという。友人は「できません」と申告しても、「あなたはできているはずだ」と医者が譲らないという。実際のところは、医者が譲らないのではなく「(医者個人のプライドの点から)譲れない」だけなのだろうけれど、医者が年間2~4時間の診察のみで、診察室外の患者の常態まで把握していると妄信するのはいかがなものか。


自分自身を鑑みると、私が病院に行く時は大抵元気な時だ。家にいる時とは、状態がまるで違う。
受付時間内に外出するにはメンタルとフィジカル両面の調子が整っていなければ不可能だ。身支度して病院までの道のりを乗り切れるだけのパワーがある時でないと病院へは出かけられない。診察室では医者と話すわけだから、人と話せる精神状態でなければならない。
条件が揃った時に病院へ行く。だから、医者はかなり元気な状態の私と毎回会っていることになる。
前述の友人もまた、元気な時しか病院に行けないという。

普段は、症状ひきずって体を引き摺るように仕事へ行って、へとへとで帰ってきて他に何もできずぼろきれのように眠り込み、まるで眠れない夜もあり、悶絶して朝を迎えてまた仕事へ行く繰り返し。休日は屍のように横たわったまま、食べ物を買いに出る元気もない。
けれどいよいよ薬が切れてきて、どうしても病院へ行かねばならなくなった時、数日前から病院へ行くため準備を始める。体力を確保し、計画的に調子を整え、努力の末に確保した元気でようやく病院へ。
「病院に行ける時は、結構元気な時。だから医者には実際より軽い症状に見えているだろう」という話を、私は他の闘病仲間たちからもよく耳にする。

経験豊富な医者ならば、勿論ある程度予測して診察してくれるのだろうけれど、診察室と家で患者がどのくらい状態が異なるかは、結局患者本人から聞くしか確認する術はない。
だけど中には患者が訴える生活状況の困難さを「そんなわけはない」と否定する医者がいるとは驚きだ。

「医者だからといって、患者の何もかも知ってるわけじゃない。何もかも把握できるわけじゃない」
という、人間として当然の前提を持つのは、医者にとって何か不都合でもあるのだろうか。あるのだとしたら、医者の個人的な保身しか見当たらない。それはもはや治療とは無関係だ。

患者の密かな頑張り、密かな苦悩、誰にも見せない生活上の惨状、病院にたどり着くまでの苦労、患者が胸に秘めて歯を食いしばって頑張ってる瞬間がいっぱいある。それらを知ってくれとまでは思わないけれど、せめて「診察室での患者だけが全てじゃない」ことを医者は最低限頭に留めていて欲しい。
実際私は比較的元気な時にしか通院できていない。



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2011/08/01 (Mon) 千のおにぎり - 拒食・解離性障害・境界性パーソナリティ障害 -

20110801.jpg

徐々に始まった拒食傾向が悪化してきた。1ヶ月前から、食べることが難しくなってきた。
意識しなければ朝起きて寝るまで一口も食べずに済んでしまう。体が受け付けない。がんばって食べると、吐く。
何故だろう?何故だろう?と理由が見当たらず、あれこれ試行錯誤しているうちに悪化してしまった。

ダイエットを始めようと思ったわけではない。
そもそも私は美味しい食べ物が好きだし、体重計の数字には興味がない。筋肉は欲しいなと思うけれど、それは健康的でいたい、かっこよく踊りたい、ちゃんと歌いたい理由がある。無意味な痩せには興味がない。
何故なのか、とにかく食べることが苦痛な日が増えてきて、そのうち普段着ている服がぶかぶかになってきて、あまりの変化なので測ってみたら以前より7キロ減っていた。会う人会う人に「小さくなった!」と言われるので、余程変わったんだと思う。

ここまで食べることが苦痛になったのは、2年程前の心理療法時以来だ。
あの時ととても似ている。
空腹は感じるのに、いざとなると食べる行為がたまらなく苦痛だ。体が雲みたいに軽くてつかみ所がなくて、何にも入れたくない。食べ物を入れると、私が掻き消えてしまいそうになる。

意志の力で何とか向き合うと、目の前の食べ物全部が私に訊いてくる。

「食べるのか?」
「生きるのか?」

一皿に5品目載っているとしたら、それぞれ全部が一斉に問いかけてくる。スーパーに行けば全ての棚の食材から問いかけられる。軽い恐怖とパニックで頭の中がぐちゃぐちゃになる。逃げ出したくなる。

2年前は、初めての経験だったから、顔つきが変わるまで打つ手が浮かばず痩せた。水一滴でも飲むと吐いてしまう状態だった。色々症状の地獄めぐりをしてきたものの、今度こそ死ぬかもと思った。

過去の経験から、今回は色んな工夫で何とか最低レベルの食生活を維持している。

食べるときには、できるだけ食べている意識を持たないように上の空で少しだけ食べる。
大好物のすいかの季節なので、すいかだけは切らさない。
食べるより飲むほうが苦痛が少ないので、牛乳でシェイクしたプロテインを飲んでいる。
一食は、たっぷりの生野菜を食べる。サラダには、蒸したささみをプラス。
ドレッシングは出来るだけ質素な味が良いので、エキストラバージンオイルと酢と塩と胡椒。
新たに編み出したのは、自らの解離的脳をうまく利用して、食べものそれぞれが植物であって食べものでないと自分に思い込ませて食べること。レタスは、レタスだと思わないようにする。ふかふかの畑の土の中で太陽を浴びている緑色の瑞々しい「植物」だと考える。椎茸は、原木の並ぶ高原や森を想像する。そうすると私の意識や五感は実際にそこへ飛んで、土や森や陽射しや気温や湿度や空気の匂いを感じる。そうすると不思議と気が紛れる。
厚揚げも、大豆畑を想像して食べると口に入れることが出来た。
食べることは当たり前のことかもしれないが、拒食になるとあらゆる工夫をしなくては食べられなくなる。こんな食べ方は正しくないって言う人がいるかもしれない。でも、とにかく食べなければ生きられない。今を乗り切るためには仕方ない。できることは何でもしようと思う。


最も難しいのが、炭水化物の摂取。
過食のときにはパンやお菓子など炭水化物を詰め込みたくなるのに、拒食になると最も抵抗を感じる。過食と拒食は、きっと根っこが繋がっている。背中合わせになっている。
パンやごはんを食べると、胃の中にどすんと砂袋を落とされた気分になる。体が重くて重くて耐えられない。涙が出る。
吐いちゃ駄目だ生きるんだ、苦しみに陶酔するかと自分を叱咤する。
何のために食べるのか?
自問しそうになる自分も抑えつける。何のために?じゃない。理由や目的を求めるのは、きっと単に生きることを否定したいからだ。
同時に妙な納得感もある。自分の今の在り方に、これでいいと感じている心もある。否定しなければならない。納得しそうになる自分を徹底的に無視して食べものを身体の中に捻じ込む。毎度やらなければ、食べられない。


偶然昨日読んだ本「解離性障害」(著:柴山雅俊)の中で、拒食について書かれてあった。
以下抜粋。(P161~162)
<拒食症にはどこか転換型ヒステリーと同じ「満ち足りた無関心」を思わせるところがある。彼女たちは人間関係にまつわる不安や感情を身体の肉とともに削ぎ落とし、制御し、それによってそれまでの自己愛的意識の連続性を維持しており、それなりに満足しているように見える。思春期にあらたに生じてきたさまざまな問題を、自己身体(=肉)との関係に置き換えて、自らの身を削ぐことによって葛藤を処理しているようにみえる。ちなみに私は身を削ぐという意味で、このような防衛を「身削ぎ=禊ぎ」と呼んでいる。
 拒食症の患者は不安や感情を肉とともに切り離し、自らの身体全体を変容させることによって意識の連続性や同一性を保持しようとしている。自分の身体に向けられた他者の視線については、ひどい痩せにもかかわらず、むしろ否認しているようにも見える。>


私は、現時点で拒食症と診断されたわけではないし、そこまで悪化しないだろうと思っている。どんどん違う手を考え続ければ、今のところ対処できている。
でも、ここに書かれてある「身削ぎ」の感覚はとても理解できる。
前回の拒食の時も、私は自分の中の一部を否定するために全存在を否定して削ぎ落とした。そうするしか方法がなかった。そうすることを私が選んだ。そこまで追い詰められた「治療」が、果たして本当に良かったのか未だ答えは出ない。下手をすれば死んでいた。治療者が解離性障害を理解していたわけではかったから、BPD向けになされた治療は悪影響も及ぼしたと思う。当時の治療法で心のバランスを失い命懸けの毎日で随分辛かった理由が、この本を読んで分かった気がした。


「周囲に迷惑をかけない」ということが、常に私の大前提になっている。
そこそこ迷惑をかけて生きているものだよ人間は、とよく言われるが、私にはまだよく分からない。以前より理解できるようになったけれど多分そんなふうに鷹揚になれないでいる。ある時期からの私の信念と通じているところがある。難しい。
本の後半に、解離の治療には安心できる場所と信頼関係が必須だと書かれてあった。読んでいたら涙が出た。
食べたくないのに無理やり食べるのは疲れた。自分で自分を叱咤し続けて他人から隔離するのも疲れる。ロボットみたいに自分を操縦してる。頑張ってる自分と頑張れない自分を、淡々と監視するのは虚しくて疲れた。だけど、これ以外に何の方法があるんだろう。

「千と千尋の神隠し」の中で、千がおにぎりを食べて泣くシーンがある。食事の時間になると思い出す。
あの涙と今の私の涙は違うな、と思った。涙に含まれている感情の分量が違う。
千のように泣いておにぎりを食べたい。



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2011/03/03 (Thu) 尻尾なしトカゲの暮らし - 解離性同一性障害 -

診察日。
いつもはやらないのだけど、今回はメモ持参していった。伝えなきゃいけない症状がたくさんあって、混乱してきたから。

思い出せるだけ思い出して、数日間の絶不調のときのしんどい症状を挙げたら以下の8つになった。
・動悸(1年くらい続いてる慢性症状)
・眩暈(不調の前ぶれに出ることが多いような)
・幻覚(視覚は生きているけれど「見せられる」脈絡のないビジョンの連続)
・幻聴(一番しんどいのは「死んじゃえばいいのに」の幻聴に抗うこと)
・記憶の欠落(今回はおよそ丸1日)
・記憶にない買物(いつも金銭的に困る理由)
・指をカッターで削ぐ軽自傷(人前に出せない手になっている)
・全身痛(頚椎症とストレスのためか交代のためか不明)

ここに、去年から悩んでいる個人的な現状を一つと、最後に「カウンセリング再開」と大きく書いてもっていった。

カウンセリングは、もうかれこれ1年休んでいる。
カウンセリングの場で、あまりに交代が頻繁になるので生活の維持が困難になること、私の恐怖心、医者からのドクターストップがあって、休止中だ。再開できないか、相談してみようと思った。

今年どうしても挑戦したいことがある。そのためにカウンセリングを受ける気力が湧いてきた。1年間休止したなら十分な気がする。タイミングや方法にもよるけれど、自分にちゃんと向き合った分、少しずつだけど前進していくのを感じる。今も、何人かの信頼できる友達に相談したり、自分で調べたり勉強したり考えたりして、気づくことがたくさんある。カウンセラーの手を借りて、もう少し前に進んでみようかと2ヶ月考えて決めた。


医者はまず私の8つの症状を聞いて、薬を増やすことを提案してきた。
そうでなくても前々から主治医は私にどうしても飲ませたい薬があるのだ。解離や人格交代を抑える効果が望めるから、飲んで欲しいらしい。私は太るのがいやだ、薬は最低限にして頑張りたいという旨を貫いて譲らず、医者との押し問答が続いてきた。かれこれ、その薬を飲んで欲しいと5回はやりとりした記憶がある。

今回も、「太るのがいやです。薬は最低限にしたいです」と同じことを言う私。
医者は、幾つか他の薬を提案してきた。どれも副作用が気になる。
私は数日前は、あまりに症状で苦しんでいたから、いっそ鎮静剤でも打ってもらってしばらく朦朧としていたいと考えたり、「入院しなくちゃ一人では到底やれない」とまで考えていた。なのに、今日は割合落ち着いていたから、喉元過ぎればなんとかで、またも医者と押し問答になった。

結局、私が折れて、新しい薬が追加された。副作用で痩せる場合と太る場合とどちらでもない場合があるようで、これはもうロシアンルーレットだ。大人しく飲むしかない。これまで私と「薬は最低限で」を共有してきた主治医らしくない強引さだったので、よほど私が良くない状態なのかもしれない。


一人暮らしで闘病中の私にとって、一番の課題は「自分を保ち、生活を保つこと」だ。
生活という根底が揺らぐと全部が駄目になって、治療どころじゃなくなってしまうから。

主治医も何度も私に「あなたでいることが大事です」と言ってくださった。自分で言い聞かせるよりも他人に言われた方が説得力がある。あれはいつもちょっと不思議。


メモのおかげで、訊きたいことは全部訊けた。かなり混んでいたけれど、相変わらずちゃんと質問には答えてくれる。
トカゲの尻尾切りのたとえ話をされた。印象的だった。
自分の身に危険や恐怖や不安を感じると、トカゲは自分の体を半分敵に投げ出して逃げますよね。解離って、そういうものなんですよ、と。

私は、実家の庭でよく見かける、尻尾が生えかけのトカゲを思い出した。
いつも考えるのだ。尻尾は無尽蔵に生えるのだろうかとか、次の尻尾が生えるまで、このトカゲは敵に遭遇したら生き延びることができるのだろうかと。


解離で切り離すといっても、恐怖という敵に投げ与えていることに変わりない。
その度に私は尻尾を失って、もとの姿に戻るまで怯えて暮らしているのかもしれない。恐怖を宥めながら根治治療も進めていきたいとあらためて思った。

カウンセリング再開は、OKが出た。
私が積極的になったからかもしれない。私自身が勇気を持たなくては、どんな治療も進まないのだ。


薬を受け取って、追加された薬について説明を受けた。やっぱりロシアンルーレットだ。どうしても太りたくない。自己暗示で「これは痩せる薬だ」と飲んだら、私の体細胞が暗示にかかって実際痩せるほうに効くかもしれない。そんな益体もないことを半ば本気で考えた。


ぼんやりしながらスーパーで食べ物を買った。ぼんやりしてるせいで、1時間以上もいたみたいだ。くたくたになった。
でも、ゆっくりまわった分、買い逃しなし。体調不良が続いているから、しばらく買物しないで済むと思うとちょっと気が楽。

帰宅してベッドでダウンしつつ、本をガツガツ読んだ。最近、ベトナムやタイに行きたくて、食い気の張った私はベトナムに住んでた方のベトナム食事情本を読んでるときが凄く幸せだ。同時に、境界性パーソナリティ障害の本と洋酒の本を読んでいる。

調子が悪いときは、部屋でできることをできるだけやる。
そんな目標は前当たり前にもつようになれていたけど、去年から駄目になっていた。本が読めるようになっただけ、些細だけど進歩は進歩だと思う。まだまだ不調は続きそうだけど、一つずつ丁寧に自分を取り戻したい。何もかも、まずスタートラインまで取り戻して、そこからまた始めたいから。
切り離した尻尾がまた生えてくるまで、尻尾なしのトカゲなんだって自覚を持っていたい。そうじゃないと、思わぬところで転げ落ちてしまいそう。虚勢とか、そういうのは捨てて捨てて、自分の姿をちゃんと目で捉えていたい。見失うのは、苦しくて悲しい。



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2010/11/27 (Sat) 受け継ぐ 受け入れる ? 解離性障害と統合失調症 ?

20101127.jpg

昨日は、病院の診察日だった。

先生は、最近、私の解離や人格交代の頻度について必ず質問してくる。
最近自覚してきた「2ヶ月前からの解離」についてと、「友達が、美鳥から来るメールが誰が書いたのか分からないような美鳥らしくない文章がたまにくると言っていた」などを話した。

そこで、思い出した。確か2週間くらい前に、自分は解離性障害ではなく統合失調症なのではないかと考えて恐ろしくなって、翌朝一番に予約なしで病院に駆け込む気でいたのだった。友達がくれたアドバイスが鎮静剤のように効いて、鷹揚に構えられるようになったものの、頭の隅に引っかかったままだ。

「私は、統合失調症なんですか? 解離性障害なんですか?」
何度目か分からない質問。
通院し始めて、折に触れてこの質問を投げかけてきた。返ってくる言葉は「絶対に統合失調症ではない」だ。それでも私は疑いを拭いきれなかった。幻覚や幻聴は、確かにある。これが解離性障害がもたらすものであって、統合失調症が原因でないとする医者の根拠がまるで分からなかった。もし解離ではなく統合失調症ならば、治療法と心構えを変えねばならない。

言い方を変えて質問した。
「もしかして私は、本当は統合失調症じゃないんですか?」
私がショックを受けることを見越して、医者はわざと嘘をついているのかもしれない。正しい判断力が働かない。この話題になると、私はまるで冷静でいられない。


統合失調症はとても苦しい病気だと知っている。この目で見てきた。もう亡くなったが、父方の祖母が統合失調症だった。自分も発病するのではないかと、ずっとずっと思ってきた。
耐え難い苦痛と孤独と差別と偏見に晒される病気だ。


祖母の陽性症状が激しくなると家中が荒れた。
猜疑心や警戒心、何かに追われている妄想、特に夜中に取り乱して家族中を起こしてまわったり、そうでない時にも常に幻覚や幻聴に襲われている様子だった。当然、生活を営むのも困難で、下の始末も大変だったと記憶している。祖母の様子を見ているだけで、自分の精神が妄想の世界に連れ去られてしまいそうな恐怖を感じていた。当時、私は小学生だった。

祖母の苦しみを理解する者は、うちの家族には誰一人いなかった。むしろ、無理解と偏見と見下しが基本だった。
私は、祖母に随分辛くあたった。機能不全家族の一員として立派に役割を果たしていたとも言える。私は、他の家族にならって子供心に優越感に浸り、祖母に厭味を言ったりすることで自分の安泰な地位を一時期確保した。親たちが悪く言う者をいっしょに悪く言うと、自分の株があがるし、自分への信頼度が上がることを知っていた。家族も団結した。祖母以外の家族からどう評価を受けるのか常に気にして振舞っていたことを、はっきりと思い出せる。


成人して自分が本格的に精神の破綻を迎えたときに、祖母に対していかに無理解で残酷なことをしていたのか知った。激しく後悔し、深く恥じた。謝罪したくても、祖母はもうこの世にはいない。最後まで、辛く厳しい人生を歩んだ人だった。病気によって苦しみ、孤独にも苦しんだ。

私は、「父方の祖母の血を引いているキチガイ」と、あらゆる機会に家族から罵られてきた。私は、自分に流れる血が生まれながらに汚れていて、どう頑張っても「まともな人」になれないことに絶望した。そもそも祖母がそんな病気だから私が罵られるんだと密かに恨みにも思った。
今になれば、親たちの罵りには根拠がない。私は祖母を恨むべきではなかった。


「統合失調症」という病名は、私にとって特別な響きを持つ。本来の意味以上の意味を含んでいる。
「私は頭がおかしい」「私は汚れた血を引いてしまった」「私はいつか発狂する」「私は誰からも理解されない」「私は世の中の邪魔者である」「私は友達ができない」「なぜなら、父方の精神異常者の血を引いているから」
日常的に繰り返される刷り込みによって、私の劣等感には頑強な根っこが生えた。「統合失調症」という根っこ。「宿命」ともイコールだったかもしれない。


病院の待合室はごった返して、いつになく混んでいた。
明らかに落ち着きをなくした私を見て、医者は丁寧に時間をかけて説明してくれた。
「解離性障害の解離状態、複数の人格が存在する状態、幻覚幻聴時の状態は、統合失調症のそれと全く同じなんです」
「それじゃ・・・私は統合失調症なんじゃないんですか?どっちなんですか?」
「説明が難しいです・・・脳の状態が同じなんです。まったく重なっているんですよ。しかし、あなたには今自分を一方的に罵る声もなければ、何もない壁と話したりテレビと話したりはしない。だから、大丈夫です」
「大丈夫といわれても、祖母が統合失調症でした。遺伝します」
「そうです。2人に1人の確率で遺伝するといわれています。でも、病気が遺伝するんじゃない。そういった脳の傾向が遺伝するだけです。たとえば、感受性が鋭い、繊細で神経質、ナイーブで対人関係で傷つきやすい、そういった性質を受け継いでいるということです」

「遺伝」というならば心当たりがある。私の赤ん坊の時のエピソードだ。

私は、生まれたときから異常に聴覚やそのほかの感覚が過敏だった。両親が食事するとき、私は2部屋分襖を隔てた部屋に寝かされていたが、両親が新聞を慎重に慎重にめくる「パラリ」という新聞のかすかな物音すら聞きつけて泣き出す神経質な子供だったらしい。
「どうしてあの音が聞こえるのか不思議だった」
と、今でも両親は言う。

この話をしたら、医者は「そういったことですよ」と言った。
私は、どうやら本当に祖母の血を引いたのだ。それは、重い重い事実だった。小学生だった私は祖母に辛く当たって理解しようともしなかったし、自分は祖母よりも正常だと信じて疑わなかった。かわいそうで惨めそうな人だなと思った。いつも俯いていて、孫としてどう接したら良いか分からず「頭がおかしい祖母にあれこれ教える頼れる長女」のスタンスを選んだ。とんだ傲慢で優しさのカケラもなく、無知で恥ずかしい人間だった。

私の人生が、両親や祖母の代、そのまた前の前の先祖から受け継がれてきたものの集大成だとは受け入れている。やっと受け入れられるようになった。けれど、そこに自分の過去の罪が加わると、重みに心が潰れそうだ。


次第に重くなっていく心の中で、医者と話して何点か確認した。
私が祖母の資質を受け継いだことが、必ずしも私が過去「辛かった」と感じた原因の全てではないということ。自分が辛いと感じた出来事は、資質とは別にやはり辛かったし、不当な出来事はやはり変わらず不当なのだということ。
一方からの見方に捉われず、全体を捉えられるようになったのはカウンセリング治療のお陰だ。


その後も統合失調症と解離性障害のかかわりを説明し続ける医者が、「統合失調症の資質を持った人は、傷つきやすい」と繰り返すことに、私は少し苛立った。
「それは、例えば、同じ辛い出来事にであっても、傷つきやすい人は傷つき、平気な人は何ともないということですか?」
辛い出来事は、辛いことであるべきだ。そんなふうに私は白黒つけたかった。傷つきやすい人間に非はなく、平気な人間は単に鈍感で感性が鈍いのだと白黒つけたかった。
けれど、
「そうです。生まれつき傷つきやすい人は、います。平気な人は、平気です」
あっさり、医者は答えた。私は、感情的になった。傷つくやつが悪い、と言われた気がしたのだ。

「たとえば、先生はどうなんですか?」
突然水を向けられた医者は、え?と身を乗り出した。
「先生は、傷つきやすい人ですか?それとも案外平気な人ですか?」
意地悪な質問だなと思った。私は、意地悪な質問をしている。自覚があった。

「私も、受け継いでいる人間なんですよ」
先生は、言った。私は、衝撃を受けた。
小さな悪意でぶつけた質問に、先生は真っ直ぐ答えてくださった。
「ぼくも、2人に1人、遺伝した当の人間です。だから、この仕事をしている。統合失調症も解離性障害も、悪いことばかりじゃない。他人に共感できる力がある、ホスピタリティ豊かな人が多い。そうでなければ、ぼくはこの仕事はできていません。うまく使えば、自分にしかできないことができる。同じようにあなたも、そうでなければ東京で講演会なんてできなかったでしょう」

気がつくと、私は泣いていた。
医者は、どうせ「私は、まあ・・どうなんでしょうね」とか言って言葉を濁すだろうと思っていたのだ。相手は精神疾患だ。相手が執拗に質問してくることについては、無難に答えておくのが常道だ。下手に情緒不安定になられても困る。医者が自分の個人的な話を語る必要なんてない。少なくとも、これまでの医者はそうだった。

けれど、躊躇なく自分について答えた医者の姿勢に、感銘を受けた。患者としてというよりも、人間として対等に接してくれているのだと感じた。

「あなたが統合失調症になることは、絶対にありません」

安堵と、何か言葉にならない悲しみが溢れてきて、ボロボロ涙がこぼれた。
解離と統合失調症の症状が一部完全に重なっているということも事実。祖母は、統合失調症だった。孫である私は統合失調症ではなく、解離性障害になった。
この病気は、果たして苦しいのだろうか。自分のことは、まるで分からない。私がもし客観的に自分を見たら、自分も苦しんでいるのかもしれない。やっぱり自分のことは、よく分からない。


そのままベッドにうつされた。
上半身だけ枕に預けて泣いていると、過去の罪や後悔が押し寄せてきた。
祖母が症状に振り回され、半狂乱になっていた姿が幾つも幾つも思い出された。その時に何もできず、ただぽかんとしていた自分の愚かさを呪った。私が今精神疾患と闘い、過去祖母もまた精神疾患と戦っていた。同じ病気ではないが、幻覚幻聴がどれほど辛いか今の私には分かる。現実と異なる世界を内側に抱えて人から変な目で見られたり、家族からも理解されず偏見の目で見られる惨めさ、症状に振り回されて自我が崩壊していく苦痛、恐怖。今なら分かるのに、今もう祖母はいない。

様子を見に来た看護士が、私の襟元まで毛布をそっと引き上げながら、私を覗き込んで、
「くるしいね」
と優しい声で言った。
いつものように、私は暴れだしそうになった。自分が弱っているときに、手当てされたり優しくされるのが苦手だ。看護士は安心させようと私のそばにいてくれている。でも、私には逆効果だ。気持ちは有難いけれど、抗いがたい暴力性が頭を擡げてくる。
「大丈夫です。大丈夫ですから」とだけ答えて目を閉じた。そうして誰もいないことにした。

内心で、違うんだと思った。
自分は、苦しくて泣いてるんじゃないとハッキリ分かった。
どうしようもなく悲しいから泣いているんだ。

今なら理解できるのに、祖母に自分だけでも寄り添えなかったことが悲しい。祖母は、どれほど孤独だっただろう。私たち家族の中にあって、幻覚や幻聴と現実の区別がつかず、おかしな言動を取ってしまう自分を抑える術もなく、きっと生きていることすら辛かっただろうに。理解されない悲しさは、どれほどだっただろう。
誰かが自分の悪口を言っている、警察が追ってくる、息子をさらいにやって来る、誰かが自分を捕まえようとしている、殺される、そんな妄想をよく口にしていた。そんなときの祖母の目は、この世を見てはいなかった。地獄を覗き込みすぎて、黒目は無明の底なし沼のようだった。


血というものに、どんな意味があるのか分からない。
けれど、虐待も含めて自分の過去を振り返り、受け入れていけばいくほど、現実とはスッキリと分かりやすいものばかりでできているのではないと気づく。私の両親はあくまで私を生んだ両親であり、彼らは悪人ではなく一般的に善人だ。そして、長い年月の中で変化してきた部分もあり、全く変わらない悪質さもある。
両親に期待することをとうにやめた私は、自分の人生をどう生きるかだけを考えている。そこで再び、両親や自分に流れる血に気づく。どうしても両親の生き方が反映される。ときに反面教師として、ときに自分に実りを与えてくれた人たちとして。

統合失調症だった祖母の血も、私は受け入れようと思う。私が思わなくとも、私に流れる血は自然の理のままに受け継いでいる。
私が克服したいと思った。私の代の課題なのだと思った。受け継いだものの中から苦しみを取り除き、自分らしく生きることは私の課題だ。挑む価値があると思った。私は、心無い罪を犯している。亡くなった祖母に会って、詫びることも話を聴くことももう絶対に叶わないことだ。



薬局で薬を受け取った。
泣きすぎて、鏡を見ると目が真っ赤だった。

統合失調症の薬も、昔より遥かに改良されて、症状を抑えて生活することも可能になってきているという。
祖母は、現代医療を全否定する宗教洗脳を受けていたせいで、薬は絶対に飲もうとしなかった。薬を飲んでしまったら神の国にいけないとでも考えているかのように、頑なに薬を拒んだ。

宗教は異なるけれど、私も宗教洗脳に苦しんだ。苦しんで苦しんで、命からがら抜けることができた。
私と祖母は、よく見てみれば似ている。
ただ、私は生きていて、祖母はもう死んでしまったことだけが違う。
せめて、私はちゃんと生きてます、苦しみも孤独も受け入れて温かな人間として生きていきますと言えるように、生きていきたい。
私は生きているのだから、ここまでどうにか生きてきたのだから、懺悔ではなく誓いとして、祖母の生も死も胸にしっかり抱いていたい。



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2010/11/01 (Mon) 不適応交代人格 ? 解離性同一性障害・通院日記 ?

所用でしばらく実家で過ごして29日に大阪に帰ってきた。
その足で、病院に行った。

近況を聞かれたから、実家に滞在中、私の目の前で父がペットを虐待してペットが死にかけたことを話した。私は泣き続けたり、蕁麻疹が出たり、数日父への殺意を抑えるのに必死だったりで、状態はあまりよくなかった。

前回の診察で受けた血液検査の結果は、「百点満点です!」と医者に笑顔で褒められた。とりあえず医者にすすめられた運動をやったり、きちんと寝たり食べたりを心がけているからだろう。血液は満点なのに、自律神経失調症やらメンタルの悪化で体調は不安定なのだけど、血液だけでも満点でよかった。

最近、パニック障害の発作がまた時々起こるようになっているし、今月は鬱状態の日が殆ど。さらには、公の場であんまり会話が盛り上がらなかった気がしたときに「私ってつまらない人間かも。○○さんに嫌われているかも」とか考えてしまう日が多い。
そういうことは医者に話しそびれてしまった。


数ヶ月前から増やされた薬の話になった。
自分が飲んでみて合わないと感じた薬は、拒否できる病院。なのに、飲まないと言ってもまた処方されるとある薬。またも「1回飲んだだけでも副作用がしんどかったので飲みたくないです」と言った私に、医者は引き下がらなかった。
「これは飲んで欲しい。極端なこと言うと、他の薬全部なしでこの薬だけは飲んで欲しいってくらい、これだけは飲んで欲しい」と気持ちに訴えてくる医者。
珍しく強引だなと思って、なぜそこまですすめるのかと聞いた。処方箋には「安定剤」と書いてあるけど、自分に合う安定剤は既にあるので要らない気がするのだ。

医者の答えは、
「この薬は離性同一性障害(DID)の人格交代を抑える作用があります。これは飲んで欲しいな」だった。
そうだったのか。ただの安定剤だと思っていた。

交代云々の話から、「最近、カウンセラーのY先生のところ行ってないみたいですね」と言われた。かれこれ半年近く行ってないかもしれない。
というのも、Y先生のカウンセリングルームで2度交代を起こして以来、交代を防ぐことを優先にカウンセリングを休んだほうがいいような気がしたから。正直に言うと、交代が怖かったから。


医者は、私と殆ど同意見で、
「他の人格のことは出来るだけ意識しないで生活した方がいいです。人格交代を起こさない状態を維持することが大事です。それが本当のあなたですから」と言った。

DID患者は、一つのことにのめりこみやすいし、現実よりあちらの世界に取り込まれやすく、暗示に弱い性質がある。人格を無視して生活することはできなくても、できるだけ意識せずに「自分」の生活を維持して生活の中に価値を見つけてはぐくむこと、それがDIDの治療には大切なのだと思う。色々本を読んで、幾人かのDIDの友達と話し合って、私は今そう考えている。

非現実的なものにどこまでも取り込まれてしまうと勿論日常生活が困難になる。意識すればするほど人格がクリアな輪郭を持ち、ともすれば更なる分裂増殖の可能性もある。バラバラになればなるほど生活が困難になる。この世は、1つの体に幾つもの人格を同居させて生きていけるようには、できていないんだから。

そんな話をしたら、医者先生は「その姿勢が良いです。それでいきましょう」と評価してくださった。

現実とあちらの世界を浮遊する自分の尻尾をしっかり掴んで地に足をつけておきたい。
交代人格を無視しては生活できないのは、現実。昨日、記憶にないメールが2通送信されているのを知った。記憶にない意識にないことが多い。でも、自分の人格状態にこだわらないこと、自然に生活することって大事だと思う。


精神薬数種類のほかに、痛み止めと湿布の山。
薬局で怪訝そうに薬剤師が「どこか痛むんですか?」と聞いてきた。
「どこって・・・あちこちいたいです」と答えたら、「原因はなんでしょう?」と聞かれた。答えに窮した。
多分、精神的に緊張状態にあるから常に体がこわばっていてこるんだと思う。加えて、頚椎ヘルニアの可能性が高いらしく、そのせいで全身に痛みが走っているのではないか。よく分からないけど、痛み止めを飲まないと眠れない。

診察は、短いけど有意義に終った。
主治医のDID回復へのアプローチが前より分かって、私がどっちに向かって回復したがっているのか理解してもらえているのだと思った。
最近は落ち着いているから、大きな記憶や時間のすっぽ抜けはない。できるだけ、浮遊しそうになる意識を現実に繋ぎとめて、自分らしく生活することを心がけている。
少し前からはじめた。解離性同一性障害から回復を目指して、自分がやりたいことを思い切りやりたい。一番やりたいのは、次の講演会とワークショップの開催。
目標があることが、ありがたい。


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2010/04/18 (Sun) 骨と肉と骨 ? 自傷・カウンセラーとクライアント ?

◆5月5日開催 美鳥の講演会「両目を開いて生きる」申し込み受付中です◆ 締め切り間近です。講演会についてのお問い合わせは、コメント欄にでもお気軽にどうぞ。




原因不明の全身痛が日に日に悪化してきた。
座っていても痛いし、寝ていても痛い。
痛みのせいか、ストレスのせいか、それとも最近カウンセリングで触れたトラウマのせいか、悪夢で叫んで飛び起きる毎日。ゆっくり休みなさいと医者から言われているが、休めない。

歯医者に行ったら、「歯じゃなくて全身痛から来てる可能性が高い。今の状態だと治療継続は無理」と言われて、歯の治療に使う高周波治療器を肩にあてられて帰された。歯医者に来て、そんな治療だけ受けて帰る患者は前代未聞だとか。
歯科助手と一緒に思わず笑いが止まらなかったが、笑ってられるのはその時だけで、帰宅してまた痛みに苦しむ。


処方されている痛み止めは、初期は効いていたが今は全く効かなくなった。一体、どこがどう痛んでいるのか自分でも把握できない。

ただ、ものすごく自分の精神や魂が肉体に縛り付けられているのだな、と実感する。
身体感覚が麻痺していたり、鈍磨している解離性障害の私にとって、ここまで実感することは滅多にないかもしれない。

自分が、肉と骨で出来ているなと感じる。骨と骨を肉や筋やその他色んなもので繋いであって、それぞれが連携している。神経が張り巡らされていて、常に電流が流れている。流れた電流が脳に戻って、痛覚を私に与えている。

リストカットなどの自傷行為のことを、「生きるために傷つける」と当事者はよく言うが、私はよく理解できる。
温かく柔らかいものに包まれていると、そこにのみこまれてしまい自分が溶け込んでしまう不安を覚える。自分の輪郭が薄くて弱いと、柔らかさこそが恐怖になる。

痛みは、自分を確かめられて安心する。
観念的な孤独や不安に襲われていた状態から、一気に痛覚によって肉体を引き寄せられ、まるで自分はそこに存在しているだけで許される物体のような無我の心地になる。
もしくは、痛みを感じない自傷の場合、痛みを感じない自分を確認してやはり物体のような境地になる。

温かく柔らかいものと対極にあるからこそ、それもある意味、身体感覚のみに呑み込まれている状態だとも思う。
どちらも本来の自分ではないと私は思う。


痛い痛い痛いばかりが意識を占拠するようになって、色んなことが落ち着いてまともに考えられなくなってきた。
東京行きの航空チケットが買えない。いつでも買えるものだが、多分これは何かから逃げようとしているから買わないのだ。


まずいと判断して一昨日カウンセリングに行ってきた。
相談しようと思ったのは、今のカウンセラーの前にかかっていたカウンセラーと私の関係について。
限られた日数の中で、限られた時間内に、全身痛に襲われている私が相談しなければと思ったのは、前代のカウンセラーとの関係。

これを、私はこのブログで書くことすら避けてきた。
1年ほどブログを休止していたのは、この3人目のカウンセラーとのやりとりや治療過程で何度も死に掛けていたからだ。精神的に何度も死んだし、生まれ変わった気がしたし、途中で私は何度も土下座し、最後はカウンセラーとの電話で何度も怒鳴られ、パニックを起こし、解離を深め、自殺を決意し、指を全部切り落とそうとし、そうして何とか生き延びてブログを再開したのが最近なのだ。

考えることすら苦痛だったけれど、講演会を前に私は自然過去と向き合わなければならなくなった。

カウンセリングに行って過去について話してる場合じゃない。講演会の原稿を書いたり、体調を整えたり、やらなきゃいけないことは山ほどある。自分を追い詰めて航空チケットを買うのだ。一日かけてでもチケット購入ボタンをクリックすることが最優先じゃないのか。

そんなことも考えたが、やっぱり私は今も闘病中だ。そして、過去がどれだけ今の足を引っ張るのかも知っている。過去は待ってくれない。トラウマは待ってくれない。動かなきゃいけない時でも、休みたい時でも、今向き合わなければならないときがある。


一昨日の金曜日にカウンセラー(現在4人目)と話し合ったことを、このブログにちゃんと書こうと思う。
その中には、私が1年間通い、ある意味心酔したカウンセラーの話が出て来る。そのことについて今は詳しくは書けないが、書かなければならない時が来た。自分のために。

治療に通って、医者やカウンセラーの心無い言葉や態度に、逆に傷ついた経験を持つ患者は多い。
傷つくのは、それなりに信頼しているからだ。藁をも縋る思いで「専門家」を信じるからだ。回復を熱望するからだ。
人間同士の付き合いだからだ。しかし、治療者は権力を持っているからだ。

一言ではいえない問題を、1年間のカウンセリングで抱えた。
それは難題中の難題とも思える。思い出す度に良い思いでも悔しい思い出も、感謝も怒りも同時に湧いてくる。
これらの感情を全てあるがままに認めて、その中から私は自分が本当に感じていたこと、本当に見えていたもの、見えていたのに恐れたものについてよく考えなくてはならない。

回復への道は遠い。回り道もある。でも時間は生きている限りは誰にも平等に存在するのだと信じたい。



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美鳥(みとり)

Author:美鳥(みとり)
被虐待サバイバー。解離性同一性障害、うつ病、対人恐怖症ほか色々闘病中。境界性パーソナリティ障害寛解しました。毎日の光と影を綴ります。生育歴・来歴・病歴・活動はこちらをご覧下さい⇒<はじめに Profile>

講演活動・ユーストリーム放送しています。
講演のご依頼ご相談は、当ブログメールフォームからお願い致します。

診断名の有無に関わらず、生き辛さを抱える方々と温かい繋がりを目指しています。ご感想ご意見など、お気軽にどうぞ。お待ちしています。

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