タイトルは何のことかといいますと、本日大阪の我が家に戻るなり私を総出で出迎えてくれた虫
に、独自につけてみた名前です。
彼奴らは、珍妙な形をしていて、のろそうな見た目に反して走り出したら速いのなんのって、「うををををを!?」と私が狼狽している隙にスルスルスルッと物陰に見えなくなります。
彼らの色は、二色です。
シルバーと、サテンベージュ
とにかく光沢が凄い。
風体からして禄でもない虫に違いないし、名前すら浮かばない虫です。無駄に高級感があって、しかし「わぁ触ってみたい!」とは決して思わせない、見事な気持ち悪さです。何だか、こんなものが家にいるとは誰にも言えない、みたいな後ろめたさや劣等感すら抱かせるパーフェクトな気持ち悪さ。
シルバーの方がデカく、サテンベージュは一瞬綺麗に見えなくもないですがスルスルクネクネしている点で、やはり問答無用に気持ち悪い。
見る者に、軽く精神的ブラクラを与えます。
てらきもす。
一匹なら捨て置くものを、あろうことかあっちからもそっちからもシルバーとサテンベージュが走り出し、最初は「うををををっ」と叫んでいた私も、最終的には「・・・・・・!」「・・・・・・!」の連続でした。
もはや声も出ない。
どうやら彼奴ら、私が一ヵ月半留守にしている間に、我らが世とばかりに主の私に無断で大繁殖した模様。
彼奴らの名は、知る必要なし。人柄とは、顔に出るもの。振る舞いに出るもの。
無意味に光って厭らしさを誇示しつつ、見つかるや否や物陰にこそこそ逃げ込み、あまつさえ、私が目を細めて敢えて視界を自主規制しているから済むものの、あろうことか尻が二股に分かれているとあっては見過ごせるであろうか。いや、見過ごせない。
無慈悲な迫害者となって、片っ端から掃除機で吸い込んでやりました。
あれで一族郎党と思いたいですが、彼奴らまだ潜んでいる気がしないでもないです。
ということで、よせばいいのに調べてみました。
参考資料 シルバーLとサテンベージュMについて※画像があるので気をつけて!
○嫌いと前フリしつつも飼ってるこの方の探究心に脱帽→ http://home.kendomo.net/others/shimi.html
○Wikipedia→http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%82%A4%E3%83%A8%E3%82%A6%E3%82%B7%E3%83%9F
心底、不愉快な虫であります。
彼奴らに、お前の部屋は汚いんだよ、と嘲笑された気分です。
汚くないよ!毎日二度は掃除機かけてるよ!片付けられない女も卒業したよ!ちょっと旅行で家を空けてただけじゃないか!
1人孤独に部屋で言い訳したとて聞く者はなし。
ダメ押しのように、シルバーLとサテンベージュMが(たまにS、SSも見かける)また走り出てきて、気分が滅入ります。ちくしょう。
午前中に予定していた病院へ行けなかったために、パキシルが切れてはや数日。断薬症状で脳内がパシパシするし、だるいし、気密性の高いマンションの部屋は暑いし、神魚とやらは繁殖しているしで、お昼を食べに行って、軽く買い物をし、掃除し、シルバーとサテンベージュを片っ端から吸い込んだら、もう銀魂新刊を読む気力すらない・・・・。
文鳥たちが抱っこをせがむので、両手に握り文鳥(←手乗り文鳥の最上級を指す)で、やけっぱちに昼寝しました。
この紙虫とやら、紙や衣類を食べるらしいです。そんなもんばっかり食べて喉が渇かないのか、あの光沢はじゃあ紙なのか、色々考えたのですが、それより何より、うちのレアな漫画コレクションと、数十枚の絹の着物、数十本の絹の帯、絹の帯締めとか・・・・
喰ってませんかおまいら。
掃除機内部に耳を澄ませてみても、彼奴らからの返事はないただのしかばねのようだ。
1匹のGを見かけたら8匹いると思えと言われますが、彼奴らの繁殖能力も結構なもののようで詳細は上記のWikipediaで確認はしたのですが、即座に忘却の彼方へ情報をキャッチアンドリリースしておきました。
私のやり切れぬ思いを皆さんにお裾分けしようというわけではないのですが、まあ得てして「気持ち悪い」と「面白い」は紙一重なわけですから、さっきリンクをスルーされた方にサービスで二度目のリンクを貼っておきます。色んな交尾の形態があるのね、と感心しました。その点だけは、気持ち悪くも興味深かったです。
参考資料 シルバーLとサテンベージュMについて ※念入りに二度目のリンク
○嫌いと前フリしつつも飼ってるこの方の探究心に脱帽→ http://home.kendomo.net/others/shimi.html
○Wikipedia→ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%82%A4%E3%83%A8%E3%82%A6%E3%82%B7%E3%83%9F
大阪に戻って、ようやく東京から本当に戻ってきた、と実感できました。
我が家に戻るなり紙虫的な幕開けなわけですが、大掃除したことだし、めげずに心新たに明日は病院へ行ってきます。
諸所諸事情で、コメント返信が遅れております。コメントありがとうございます。必ずお返事させて頂きます。
心の病気、
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Osaka Spirit 駄文 | comment(2) |

庭で今日収穫したみょうが
衝動的に庭に飛び出すこと、一日に最低一度。
<草抜き依存症><庭依存症>とでも呼んで相応しいかもしれない。
心が晴れないな、何か自分の感情がよく分からないな、現状が把握できてないな、と感じるや否や、庭に飛び出している。
いつでも飛び出せるように、庭作業用の正装一式まとめて常に揃えてある。
部屋着のワンピースの下にジーンズをはく。靴下をはく。上から長袖シャツを羽織る。つばが広い帽子をかぶる。以上は、日光避けと蚊避けのため。
庭に出るだけなので人目は一切気にしない格好だ。トリックアートに勤しんで、睫毛に執拗にマスカラを塗り重ねたり、髪を巻いたりする必要もない。スッピンが良い。どうせ汗で全部流れてしまうのだ。髪は邪魔にならぬように、ひっつめるのが良い。
我ながら、完璧な草抜き仕様。5分で支度が出来る。
庭には適当なスリッパで下りる。手には、使わなくなったプラスドライバー。スコップよりもドライバーが草抜きには適している。必要とあらば、剪定ばさみ一つ、高枝切りばさみを一つ。
異様な風体の女が一匹、ドライバーかでかい鋏を持って右往左往する様は、普通ではないと思うが、あまり構わない。草を抜くことしか、考えていないからである。
草は、様々な種類生えている。これでもかと生えている。大きな草から小さな草、正体不明のきのこや蔦まで、四季折々に生えてくる。
草の根を見定めて、すぐ横にドライバーをさす。根のまわりの土をほぐして良い頃合を見計らって草の根元を掴んで引き抜く。根っこから引き抜かなければ、翌日には次の葉を出している。踏まれてもへこたれない雑草は、多少抜かれてもへこたれない。
軍手越しに土の感触を味わうのは嫌いなので、全て素手でやる。当然、爪の間に土が入る。でも構わない。軍手など生温いことをやっていても、雑草は抜けないのだ。どうしても取れない土は、つけづめで隠せばそれで良し。
素手で作業していると、草と一緒に掘り出されたミミズをうっかり掴んでしまったり、蟻が上ってきていたり、死んでからからになった蝉やカナブンの死体を掴むこともある。それもまた、構わない。馴れてしまった。色々生きているんだなと感じる。栄枯盛衰、弱肉強食を、土の匂いをかぎながら眺める。
庭に住む生き物は、数限りない。数種の蟻、何種類もの蝉、カミキリ虫、何種類もの蜂、蝶、何かの蛹、青虫、芋虫、だんご虫、バッタ、カマキリ、蜘蛛、名前が分からない虫色々。
雀、山鳩、トンビ、尾長、ムクドリ他色々な鳥。
鳥や虫たちは、食事か遊びにやって来る。庭で育てている色んな作物や果実を目当てにやって来る。
季節によっては、産卵や巣作り、羽化や冬眠のためにもやって来る。
一つの庭の中に、日陰と日向が常に存在する。家や木が影を落した部分から、くっきりと別世界が広がる。温度も違うが棲息する生き物も変わる。生えている草も変わる。生き物達の動作もスピードも日向と日陰では、あからさまに違う。
草を抜いていると時間を忘れる。庭が、自分の手で綺麗になっていくのが嬉しいが、それ以上に心の中が整理されていくのを感じる。一つ一つ草を抜いていくと、一つ一つ自分があるべき場所に戻っていくような気がする。箱庭療法に似ているのかもしれないと思う。
抜きやすい草と、抜きにくい草がある。後者がわんさか生えているのを見ると、正直うんざりする。しかし、苦労の分、抜き終わった後の達成感は大きい。いつしか嬉々として取り組むようになった。
中には、どこから飛んできたのか、妙に高級感を醸し出す草もある。抜くのを躊躇う。鉢から種がこぼれて花を咲かせた植物も、抜くのを躊躇う。以前、なぜかニラが自然発生していたので、ニラだニラだ庭にニラが飛んできた、と卵とじにして家族全員で食べたら、翌月、近所の庭で青い花を咲かせているのを見た。ニラに限りなく似ているがニラではないので要注意、とネットにも書いてあった。しかし、美味しかった。誰も体調を崩すこともなかった。
何を取り除いて、何をどこにどう残すのか、庭にいると常に自然と選択を迫られる。
真夏の太陽に照り付けられながら、うつむいてみちみちと草を抜く。
合間に、好きな人のこと、嫌いな人のことを考える。過去のことを考える。今のことを考える。自然と思い出す日常の一コマもあり、そんなときは自分がどう感じたのかをなぞって考える。手だけ動かしていると自然と頭が動く。
ブログの記事を頭の中で書いてみたりもする。
今日考えたのは、7月にスタートさせた神経症・人格障害者相互QOL支援コミュニティのこと。延々、考えていた。主宰者としての課題は山ほどあり過ぎる程あって、焦るけれでも焦っても何にもならない。一つずつ着実に不安要素を潰していってアイディアを凝らし手を尽くして、安心して参加してもらえる会、持続力のある会、参加者全員にとって有意義な会にしたい。成人の引きこもりに対して何か出来ることがあるんじゃないのか、私がしっかりと責任を持てる範囲はどこまでだろう、何ができるだろうと考えた。
それから「崖の上のポニョ」を思い出し、埼玉県で判決が下った幼児置去り餓死事件の6歳児の供述を思い出した。6歳の少年が、弟が餓死したのは全て自分のせいだ、母親は悪くないと供述している事件だ。ポニョに登場する5歳のそうすけと、完全に重なって見える。
宮崎駿のあれはどうよ草を抜いてる場合じゃない、と思ったけれど、その腹立ちも解消できてしまうものか、草抜きを続行した。
巣作りの場所を探している蜂達が、慌しく飛んでいた。私の周囲を八の字に飛ぶから怖かった。蜂一匹に滅法無力だ。赤く熟れたいちじくの実一つに、蟻とカナブン数匹が頭を突っ込んで自然の甘味を貪っていた。邪魔しないように気をつけた。蜘蛛の巣は、いくつか張られては困るところに張られていたので、撤去願いとして巣を払った。別の場所に再建設を要請。
一つの庭の中に、私と植物、私と昆虫、など関係性が出来上がる。ちょっとしたドラマも起こる。
植物の立場の優劣、昆虫の立場の優劣など、それぞれに主人公の私が決める。一つ一つのアイテムと対峙し対話し交渉し決断する。
抜いた草も、雨が少し降るだけで新しく芽吹く。
草がすっかりなくなってしまうことがない。
季節ごとに、庭に飛んでくる種子は違い、自分の季節が来るまで大人しく地中で寝ている種もある。
終わりは、求めていない。
栄枯盛衰、実りと実りの恩恵にあずかるものあり、その影で死するものあり、一雨の通り雨で芽吹く葉がある。雨の日は、そんな様を座敷から眺める。
考えること感じることをやめない私の心と同じように、移ろいを止めない庭がある。
箱庭は、いつもどこかに不満を残す。期待も残す。不可解と理解が混在する。
思いもかけず芽吹いた葉は、要不要に関わらず、たまに大事に置いてある。
心の病気、
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spychology | comment(4) |
とにかく一日中寝ていた日だった。嫌になるなーと思った。手を付けても何でも途中で眠くなるもんだから、テレビも見ていられないのだった。私が寝続けていて一切音を立てないから、父にまで心配された。カウンセラーや医者から過眠症と言われているから一応「過眠症が出ちゃって」と言ったら両親に鼻で笑われた。なぜ笑う。
昨日、眠剤を飲まなかったのに0時から朝の9時くらいまで寝ていて、起きてお茶を飲んだらまた寝た。午前中のうちにまた起きて、家族の洗濯物を干して乾いたら畳んで。それ以外は、また寝てた。寝すぎやん。めっさ寝てるやん、と気づいたのは19時。父が、夕飯の支度でバタバタしていて、ああ手伝わなきゃと思ったけれど体が動かなかった。
手足が半月以上むくみっぱなしだし、気温に鈍感なときと、やたら暑いときとある。気温に鈍感なのは、解離性障害で前からなのだけれど、ガーッと暑くなったときはいてもたってもいられぬ暑さ。プールに飛び込みたくなる。そういえば、やたらと喉も渇く。のどかわいたのどかわいたばっかり、私が言ってるらしい。どっかおかしいのかもしれない。
夢では、あらゆるところに行く。色んな人に出会い、いろんな出来事が起こって、私は泣いたり笑ったり怒ったり不安になったり、現実よりもリアルに自分の感情を感じ取れる。夢の世界は、もう一つの私が生きている世界だと思う。ストーリーも場所も、ずっとずっと繋がっている。
何日かぼんやり考えていることは、恋愛とSMとセックスについて。パートナー志願が現れて、私は何だか戸惑っている。面白そうだ、楽しそうだと思う反面、恋愛やセックスに繋がっていく可能性もあるんだろうかと考えると、重い話だなぁと感じるのだ。破綻や不信の始りのように感じる。パートナーは厳選して厳選するから、私のスローペースについて来れない男は去っていい、と言ったら、納得し楽しんでいた。以後、連絡は一切絶って放置プレイ状態にしている。
口だけの「厳選」なら、言わないほうがましだから、本格的に厳選中。厳選しながらも、迷っている。運悪くも私が設けるハードルを乗り越えてくる人間が残ってしまったら、私は次にどうすればいいのか考える。その先を考えていない。乗り越えてくる人間なんていない、今乗り越えても次は無理だろう、私が逃げてしまうだろう、追っては来ないだろう、追ってほしくもないし、ではなぜ私は話をするのだろう、と矛盾した感情が交互に訪れる。
今日は、どうでもいいことを書こうと思って書いている。コメント欄を閉じて、独り言のように書いている。普段は、このブログの片隅のウィンドウのツイッターでどうでも良いことを呟いている。一時期、私のボーダーの症状が重くなったときにツイッターは外した方が読者の皆さんにとって良いと考えたのだけど、考えが変わった。
ありのままの私というのであれば、ツイッターもありのままの私だ。文字制限があって一度に140文字しか入力できない。自然とどうでもいいことや簡潔なものしか呟けない仕組みになっている。
ボーダーで攻撃的になっているとき、私は140文字の中で自分を罵り世界に失望した。また同じことがあるかもしれない。あの140文字という檻にボーダーである私という獣を閉じ込めて、陳列しているようにも思えた。あの檻の中から外に出ることがなければ、私はボーダーの当事者や、対処に困っている家族や恋人や周囲の人、境界性パーソナリティ障害に全く触れる機会のない人たちにも、何がしかの情報を提供できるかもしれないと思った。
我を失った呟きは、まあ痛々しくて、痛いという一言に尽きるのだろうけれど、痛くないメンヘラ、痛くない病人っていうのも嘘くさいだろうと思う。
特に、境界性パーソナリティ障害が痛々しくない筈はないと思う。愛されたくて見捨てられたくなくて、みっともなかろうが何だろうがピエロのように踊り狂ってしまうのがボーダーの一つの特徴でもある。
明日は、本当に寝てる場合じゃないよ自分。大阪に戻らなあかん。
大阪に戻って、切れた薬を貰い、医者に行き、カウンセラーに1ヶ月以上ぶりに会って話して、大阪弁のボケとツッコミで溢れた街を歩きたい。そしたら、この硬い硬い、ずっと硬い続きのブログも、ちょっとは柔らかくなると思う。硬い文章ばっかりも、私らしくないのです。居心地が悪くなってくる。あれもこれも書きたい強欲なのかもしれない。
起きたばかりですけど、また寝ます。
全然普通に熟睡できそう。
おやすみなさい。
また明日。
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diary |
母と弟が喧嘩している。かなり最悪な空気だ。
15年引きこもって、完全に人とのコミュニケーション能力を失った弟は、家族と小声の命令形でしか話さない。口調は、どこかの国の皇帝のようだ。誇張ではない。
小声なのは、引きこもっている自分を近所に恥じるが故、自分の存在を隠すためだ。
社会経験のない弟は、この家で唯一の子供となったせいか母親から頼られることが多い。特に金銭の管理や、資産運用、弟がやっている株の資金源も両親のものだし、今現在揉めているのは、母が所持しているクレジットカードの一枚を破棄しろだとか、しないだとか。
私は、弟は実年齢で見てはならないと思っている。彼は、幼稚園児だと思っている。成長過程で通るべきところを通らなかった。随分と前の段階で躓いていたツケが、15歳で一時に襲ってきただけだと思っている。
幼稚園児に、一家の家計や金銭の管理をさせるのは常軌を逸している。
弟は、強迫性障害、強迫性人格障害のために、一から十まで完璧でなくては気が済まない。我が家には、一日に朝と夕合わせて3紙〜4紙の新聞が届くが、これを家族の誰かが手に取って<汚染される>前に、彼は一字一句洩らさず読みきらなくてはならない。
同じく、親が資金を出して弟に任せた株も毎日毎日、一分も休まず取り組んでいる。株、株、金、金だ。月に1度、100円を使うことも恐れる弟が、株の利益と不利益に固執し振り回され続けている。本人は「株で儲かったら本を買う」「株で儲かったらパソコンを買う」「姉貴にも儲かったら小遣いやるからな」と言うが、私は小遣いも何もいらないしマイナスが出てもいいから、いっそ外出して数百万円の豪遊でもして世界を知って欲しいと思う。
世界を憎み、自身を卑下し、世の中の人間を小馬鹿にして生きている彼には、伝えても伝わらないだろうから言わないけれど。
彼が強迫性障害を発症し、悪化していく様を私と東京の弟MTは親から聞いては「いっそショック療法で風俗にでも一度行けばいいのに」と、半ば本気で話し合った。緩やかに人が死んでいくのを、この実家で毎日目にする。
母は、色々なことを深く考えるのが苦手な性質だ。
だから、クレジットカードだとか資産運用だとか、面倒なことはつい弟に任せるようだ。管理権兼管理義務を負った弟は、以後、必ず何かと口を出す。
自身が働けないことを申し訳なく思っているのか、もうそんな気持ちも殆ど失せ、社会に出ることは二度とない自分は死んだも同然と思っているように私には見えるけれど、弟は金銭にうるさい。細かすぎる位、細かい。倹約に倹約、絞りに絞りたがる。一切余分のない切り詰めすぎた金銭感覚は、私は見ていて息苦しくなる。
その弟と母が、クレジットカードを巡って喧嘩している。
互いに何について苛立っているのか分からなくなっているようだ。
弟は、母の考えが浅い、金銭管理がなっていないと苛立っている。
母は、弟の偉そうな口調や小声だけれど怒鳴る非常識な話し方、普通でない振る舞いに怒っている。弟がクレジットカードについて命令形で「だから言っとるやろ!このカードはいらんやろ!解約しろ、言うてんねん!」と言えば、母は「あんた自分が使った食器くらい洗ってよ。それくらいできる普通の人になろうよ・・・その話し方も普通じゃない常識じゃないよ・・・」と苛々投げ捨てるように応じている。
会話として、成立していない。
けれど、二人は延々同じパターンで会話している。最早、コミュニケーションではなく、互いに壁に向かって不満を吐き捨てているに過ぎない。
私は、無関係にこの記事を書いている。
弟が、深夜に偶然聞いて気に入ったという曲をさっき私に「この曲いい曲よな?」と話しかけてきたけれど「そうやな。ええ曲やな」と相槌を打ってから文鳥を遊ばせていた。弟は、まだ私と何か話したそうだったけれど、私は応じることが出来なかった。
弟に暴力を振るわれたり、脅迫されたり、殺すぞと言われたり、毎日小声の命令口調で一方通行に怒鳴られ、興味があろうとなかろうと株と金の話だけして、私が興味を示すものには必ず悪意や嫌悪の茶々を入れる。そんなことの繰り返しだと、弟を何とかしたいという気持ちとは別に、友人としても付き合いたくないという感情が否応もなく生まれてくる。
姉や弟というものは、そういう感情で留まるものなのかもしれない。東京の弟MTが、今や私にとって弟ではなく異性の親友のように感じているように、年齢と共に兄弟を単純な血の繋がりのみではなく、人間性からも見るようになった。
成長し自立するにつれ家族や兄弟という枠組みから解き放たれ、自然、血縁よりも相性や好意を重視するようになるのかもしれない。
こんな感情を持ちたくはないのだけれど、心の中に存在するわだかまりや恐れや嫌悪は、どうしても否定できない。自分の身を護るためにも、心を護るためにも。
MKを生んだ母は、こんなふうには彼を見ることはないのだろう。そう信じたいが、母親になったことがない私には、よく分からない。
昼間、母が「あともう一つ、違う仕事がしたいのよね。バリバリ働きたいのよね」と言った。
私は「仕事があるとしたら、弟を治して外に出してやることだよ」と軽く言った。
重い話題ではあるが、あくまでも軽い口調で話さねばならない。会話の導入部分で母が面倒がってしまっては、会話が前に進まないことを散々知り尽くしたからだ。
母は、いつものごとく「でも、MKが病院に行かないじゃないの。薬を飲もうとしないじゃないの。薬を飲んだら早く治るっていうのに・・・」と言った。聞き飽きたセリフだから、言い飽きたセリフで返した。
「強迫性障害は薬で軽くなるけれど、人間不信は薬では治らない。病院でも治らない。人間不信が改善されない限り、彼の場合通院も不可能。この世界中で1人でもいいから、好きな人、信頼できる人、愛情を持てる人が出来なければ無理」と話した。
母は最初、「1人でもって、あんたあの子は外に出ないやん。外に出ないのに、どうやって会うのよ」と言った。「だから、お母さんかお父さんしかいない。一言で言えば、お母さんしかいないよ」と伝えたけれど、母は黙ってしまった。
「あの子は、小さいときから外が嫌いだったし、人見知りだったよね」と母が言うから、「それはそうだけど」と答えてから、内心で「人見知り全部が引きこもるわけじゃない」と思った。母は、いつも先天的な原因に責任転嫁したがる。
それから、「愛情ならあるでしょう」と言った。何のことかと一瞬思ったが、よく聞いてみると弟MKは、母からの愛情も感じているし、彼自身も家族を愛しているじゃないか、と言う。
全て誤りだと思ったけれど、殆どについて黙っていた。
我が家に、無理解と無関心は存在しても、愛情は存在しない。愛情とは、心安らげることだ。MKが、家で安らいでいないことは、誰の目にも明らかだ。椅子すら<汚染されている>と言う弟は、一日中立ちっぱなし。眠るときはソファに新聞紙を広げて張り合わせ、座って寝ている。常に自分の持ち物が<汚染>されないかと気がかりで安心できない。人が話すのも唾が飛ぶと言って嫌う、逃げる、ときに罵倒する。
愛情や安心感について母に話しても、理解されないことは分かっている。
だから、ただ一つだけ、母に言った。
「愛情と執着は似てるけど違う。弟は、お母さんに執着はしていても愛してはいないし、愛されているとも思ってない」
母は、「そうなの?」と言って、何を考えているのか何も考えていないのか黙った。
沈黙から感じ取ったのは「愛情ならあるのに本人が感じようとしないんだから仕方ないじゃない・・」という彼女の呟きだった。本当のところは分からない。ただ、違うことを感じているのであれば、今現在はもう少し状況はましになっている筈だ。
母は、そこで違う話をし始めた。弟のことを話していたのと同じ調子で、仕事場の人のことを話し始めた。私は、紅茶を飲みながら軽い軽い落胆を覚えたけれど黙っていた。
この落胆の連続が、ずっと続いていくのだろうと思う。完全に諦めることは出来ないが、出来ないことが、こうしてブログを書く原動力の一つになっているのかもしれない。
書いて伝えずにはいられないのかもしれない。
引きこもって15年。外には一切漏れることがない、我が家の現実。引きこもったまま15年過ぎた私の弟の現実を、外側に伝えたい。この完璧に閉じられた我が家の外へ、外へ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
境界性パーソナリティ障害と対人恐怖で、コメント返信やメール返信が難しい状態です。
今月は不調続きで、ボーダーの症状を抑えるため、ご迷惑をおかけすることがないよう、対人関係が回避傾向にあります。にも関わらず、変わらず応援して下さる方、いまだお返事一つ書けない状態で初めてコメント下さり通ってくださる方、ありがとうございます。
お待たせして、本当に申し訳ありません。
末文になりましたが、最大級、感謝致します。足跡を残して下さる方も、ただ読んでくださる方も、偶然来てくださった方も。
いつも* uta+cotori *を読んでくださって、本当にありがとうございます。
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spychology | comment(2) |
![]() | よにんぐらし(4) (バンブー・コミックス) (2008/05/17) 宇仁田 ゆみ 商品詳細を見る |
大好きで大好きで、本屋に行く度新刊が出ていないかとチェックしていた漫画「よにんぐらし」の最終巻が出た。一気に読んだ。
大きな事件もドラマもない。四人家族の、ありふれた日常が散りばめられた漫画だ。
よにん家族の、ありふれた日記のようでもある。
大好きな作品。
漫画の冒頭の「人物紹介」を引用。
ちはる(おかあさん 本田家の常識部門舵取り役)・本田タロー(おとうさん 一年の半分は半袖)・ゆり(おねえさん 悩み多き元気少女)・コタロー(おとうと 一年中ハダシ半ズボン)
作中で、ちはるとタローが子供達から「おかーさん」「おとーさん」と呼ばれているところが、何だかあったかい。タローが自分のことを子供たちに「とうちゃん」と言うのも、あったかい。
場面場面に、子供の素直な感性が生き生きと描かれている。その都度内心驚くちはるとタローが見ていて、楽しい。
母親のちはるが子供に接するときの目線が、とても優しい。大人としてやさしい簡単な言葉で、ありふれた世界の一つ一つを教えていく。私は<母親>という存在やイメージが苦手なのだけど、ちはるには抵抗なく共感できる。温かい気持ちになる。
父親のタローは、妙に味がある。虫が大好きで、公園の木で見つけた蝶のさなぎが羽化するのを夜を徹して見に行ったりする。田舎の少年のように元気で飾り気がなく、でもやっぱりちゃんと子供たちの父親、大人だ。
大人と子供が混同されたり、大人が子供に媚びたり、子供が窮屈な思いを一切しないのが良い。読んでいて、平らかで和やかな気持ちになる。
この「よにんぐらし」の中に登場する、ヨッちゃんというギャルママも好きだ。ギャルとまるで縁がなさそうな夫直人の素朴さも、心和む。
ありふれた日常の些細な一コマを、紙とペンだけでこんなにも面白く温かく魅力的に描き出せる作者宇仁田ゆみは、実力がある漫画家だと思う。
機能不全家族で育った私には、機能している家庭というものがどんなものか具体的に想像できない。それが、この漫画の中には、当たり前のように存在している。
嘘だ、嘘くさい、など思わない。家族の誰一人無理することなく、それぞれを尊重できている。そんな家族が、自然に描かれている。よにんそれぞれがそれぞれの表情で、笑っている。ありふれた話でありながら、説得力がある。
ドラマチックな展開も、大仰なハッピーエンドも一切ない。どんな話?と聞かれたら、よにんで暮らしてる話だよ、としか説明できない。とてもとても、ありふれた温かさに満ちている。ただ、それだけなのだ。それだけだけど、何度も何度も読み返している。
最終巻を読み終えて、とても寂しい気持ちもあるけれど、何年経っても手元に持っていたい大切な漫画の一つになった。
心の病気、
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