先日、健康な人から初対面で「普段何してるんですか?」と訊かれた。
何してるって以前ならまだ何かしていたので答えようがあったのだけど、最近は屍状態なので正直に「寝たきりです」と答えた。
するとお相手は少し考えてから、「お家から出られないってこと・・・?」と聞き返してきた。多分、お相手が想像した生活とは著しくかけ離れているだろうと思った。
「いや、ほんまに寝てるだけです。寝るのもしんどい時はしんどいです。食事とかも無理です」と答えたが、答えた時の私は実に元気に見えたと思う。美術館に行って、芝居を見て、初対面の彼女と居酒屋で一杯やっているのだから、対人恐怖ですとか不健康ですと言っても全く説得力がなかったと思う。
その日の外出は、これじゃいかんと一念発起して、三日前から薬の量を増やし、睡眠をコントロールし、活動量を制限してエネルギーを溜めておいて、計画的にやっと果たした外出だった。1ヶ月ぶりのまともな外出だったのだが、健康な人に伝えようがないのだった。たかが美術館に来るのに何故1ヶ月もかかるのか。何がしんどいのか。普通に働いていた頃の自分から考えても、今の状態は健康な人へは伝達不可能だなと思う。
美術館と芝居を見た後日、再び同じ美術館に出かけた。じっくり見たいと思った作品があったので、時間に余裕がある日にあらためた。しかし、あらためるにもやはり計画的な体調管理が必要だった。
計画を実行するための計画を事前に立てて、計画的に体調管理する。
ややこしいし、面倒になってしまった。以後ずっと、ものぐさ、もしくは単なる怠け者になっている。
最早、寝たきりではなく、単なる「寝たまま」なのではないかと疑い始めた。
いやしかし、鬱病患者がよく「自分は病気じゃなくて単なる怠け者なんじゃないのか?」と自問せずにはいられないように、私も懐疑的になっているのではないのか。
私は、怠け者なのか。それとも、単なる体調不良なのか。
そんなことを寝たまま考えている。
小説を書くには書いている。
なかなか面白い。
しかし、紙に書いたり、パソコンに打ち込んだりは面倒なのでやらない。
寝たまま脳内で書いている。
最近、近隣の工事の音が煩い。
普段なら「いつまで家建ててんねん!」などとツッコむところだが、もう一週間も経つのに一度もツッコんでいない。
寝たまま、頭から布団をかぶる。
体調は悪い。
精神状態は低空飛行を続けていて、さほど不安定でもない。
ただただ体調が、全然治る気がしない。
動悸が酷いので起き上がるのが不安ではある。しかし、頑張れば家事ができる程度ではあると思う。
洗濯物が血まみれで、何だと思ったら指先から出血していた。
細々とした指先への自傷が重なりに重なってえらいことになっている。
フラストレーションが溜まっているのかもしれない。
こんな怠け者モードの時は、自己評価基準を著しく下げなければならない。
ブログを書いただけ偉いじゃないか。
顔を洗っただけ、よくやった。
その上洗濯物を畳んだなんて、凄すぎるよ。
アホみたいなことで自分を褒めてやろう。
うっかり「こんなことも出来ないなんて駄目なやつだ・・・」などと考えだしたら厄介だ。
至極もっともな評価であっても、敢えて全力で回避しなければならない。自分がどう駄目なのか具体的に数え上げることも必要だが、今やるべきじゃない。
ただでさえ地を這っているやる気が、地底に突き抜けてしまう。やる気と自信がなくなったら、人間は生きている意味など無意味に自問し始めるのでよろしくない。
そんなわけで、今日はブログが書けたので、よくがんばったと思う。
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日々日記 | comment(0) |

最近、「右脳が死んでいる」と感じる。
脳について詳しいわけでもないので表現は感覚的なのだが、感受性を司る部分が死に瀕している。
そうなってから、実は長い。このブログを再開した今年3月以後、夏頃から特に顕著になった。
真綿で首を絞められるように、最初は全く自覚がなく、薄っすらとした違和感しかなかった。言葉にならない違和感というものは、些細なようでいて実は重大な違和感であることが多い。意識の表層にあがって来なければ自覚できないし、自覚しなければ言葉にならないし、言葉にできないことは問題視することもできない。
秋になり、いよいよ息が出来ないレベルになってきた。
私は、あらゆる理由をこじつけて自分の脳の右側の沈黙を放置した。生きていくには、その方が都合が良い気がしていた。実際、感受性を封じれば封じるほどに周囲は歓迎しているように見えた。
同時に、私の中の何か大切なものが色褪せていくのを感じた。摘み取られた花が、少しずつ萎れ、枯れ、色彩を失っていくように、私の中の色彩も濃淡も曖昧模糊となり、生きているのがつまらなくなった。
大した絶望でもなく、重い苦しみでもなく、ただ喉元に何か詰められたような、それでいて生きるには何の問題もないような日々になった。様々な症状は相変わらず継続しているものの、この曖昧模糊な感じが回復してゆくということなのかななどと、ぼんやり考えていた。だとしたら、私は何かを引き換えに何かを得ようとしているのだ。悲劇的なことではない。
えらいことになっているぞと問題の核心をようやく自覚したのは、先月末のことだった。
一人になって考える時間を多く持ったこと、頭をガツンとやられるようなアドバイスをしてくれた友人、直感的に私のモノトーンに枯れ果てた内面を言い当てた友人、さまざまな助力を得ての突然の自覚だった。
昔、失語症になった時の精神世界と実によく似た状況に陥ってしまっていた。
あらゆる事物が立体感を失い、質感も失って平板になりかけていた。目に映るものは色彩のコントラストを弱め、感情も脆弱になり、私自身から剥がれ落ちようとしていた。
その時期、私はいわゆるゲシュタルト崩壊の最中にいた。両手の指を全て切断しなくてはおかしい、指がついているのはおかしい、と強烈な違和感が毎日毎日続く。何をしていても目に付く自分の指が異常に見えて仕方なかった。
身体感覚をはじめ、あらゆる感覚が以前と変わっていることに気付いた。
私は焦って、どうにかあるべき形、正しい形に持って行こうとした。死に物狂いになっても私の感覚は引き攣った足のようにどうにも戻らず、痛みと焦りと違和感に耐え難い時間を過ごした。
自分はこう感じるが、本当はあのように感じるべきである。自分はこう考えるが、本当はあのように考えるべきである。自分はこうしたくてたまらないが、あのルールからすればやってはいけないことである。考えてはいけないことである。考えれば考えるほど苦しくなるから駄目だ。駄目だ。駄目だ。駄目だ。
自分を頭を抑え続けた。多分、それが良くなかった。とても良くないことをした。
その間の煩悶をブログに書くことがなかったのは、書いて良いのか悪いのかなど下らないことを考えていたからだ。
結果、私の右側、感受性は殆ど機能を止めてしまった。創作意欲や想像力が著しく減退した。写真を撮るのも面倒なだけで、さほど楽しくなくなった。何を表現しようかと、うろうろと思考は彷徨うが、そもそも以前ならばそんなこと考えもしなかった。ただ、作ったり書いたりすることが私にとって自然だったのに、今や意識しなければ欲求さえ失ったままの自分がいた。
医者に相談して、私はカウンセリングを休止することにした。直前には自傷欲求や希死念慮が酷く、死ぬしかないと思っていたので、とにかくカウンセリング治療も一度休むようにと言う医師のすすめに従った。いつまで休めばいいのか分からず、来週行くのか、それとも永久に行かないのかも分からなかった。
体調が悪く、起き上がれない日々が殆どで、10月は外出したのは片手の指で足りる。その間、私ができることといえば文章を書くことだった。
どうしても書きたいものは、ゲシュタルト崩壊の時の手指への違和感から、指なしでいたいという自分を物語に盛り込んだ童話だった。
しかし、物語が湧き出てきた頃、私は書いてはならないと自分を抑えた。書いたら、まるで自傷を推奨しているように思われるとか、読んだ人が気分を害するだろうとか、何より自分自身が指を切りたい自分は正しくないと思っているから、正しくない自分をたとえ物語の<指なし姫>に肩代わりさせたところで、やはり耐えがたいことだった。
悲劇に酔いたい私の自慰行為なのではないかとも考えて、いやになった。
いやしかし私が指を全て切り落とさねばならぬと思うのは、指がついていることがおかしいと思うのであって、全く自傷衝動とは違う欲求だ。しかし、同時期に私は左腕を手首から肘まで深々とナイフを刺して、手羽先をさばくように掻っ捌いてしまいたいという明らかな自傷欲求も抱えていたから、何が何だか分からなくなった。
湧き起こってくるあらゆる感情を抑えているうちに、心の中で童話は端切れを残して殆ど千切れ去った。当時は、それで仕方ないのだと思っていた。
けれど、今、私は自分で捨ててしまったその物語を惜しんでいる。
あれが私の静まり返った脳の右側だったような気がしてならないのだ。
いつか何かの本で、人が持つ唯一の翼は想像力であるという言葉を目にしたことがある。あの物語は、私の翼だったのではないのか。あの物語は、指があっては異常だと感じる私をありのままに肯定してくれたのだ。
頂いたコメントに返信を書くという形でブログを更新しようと考えたのは、今の自分で書ける文章が他に見当たらなかった苦肉の策だった。
私は自分ひとりで自分の内面に向き合う術を失ってしまい、途方に暮れていた。
頂いたコメントに返信しなくてはと読んでいるうちに、誰かと対話する言葉は湧いて来ることに気付いた。殆ど左側しか動いていない自分の脳を考えると、その中でも特に私が考えてきたこと、たとえば病気や対人関係についてなら書けそうだと分かった。
今だ思い出す度、涙が止まらなくなるほど、失語症の時代は恐怖だ。徐々に言葉を失って、また失語になるのではと考えると恐ろしかった。けれど、こうして言葉を取り戻せるのではないかと希望が見えた。続けて書いた五つの返信記事は、私がまた私に戻るための必要な手順だった。不思議にも、初めてコメントくださった方が多く、私が失敗から学んだことや試行錯誤している最中の事柄をお話くださる方が多かったから、私はその方々を通して自分を見ることもできた。
生きている人に触れると、生きている自分が応えることを再確認して、少しずつ以前のような自分らしい文章を書けるようになりたいと思い始めた。
今日も、私の脳には偏りがあって、片側は暗室のように光が足りない。
先月末から、光を当てる作業を始めた。数ヶ月ぶりに美術館に行ったのだ。一日で、想定以上の効果があがった。それでもまだ、ほの暗い。
私が、私自身のために作ってやらなくてはならないのだ。あの千切って捨てた童話を一片残らず拾い集め、繋ぎ合わせて自分の手に取ることができたら、私は大きく変われる気がする。
どれだけ時間がかかっても、取り組む価値があるだろう。
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日々日記 | comment(2) |
記事更新のお知らせです。
今日、とあるブログ記事を読んでいて、「なに言ってんだコイツ・・・全然意味わかんねぇ」と思ったら、自分が書いた記事でした。びっくりしましたよ。
◇返信5 − 境界性人格障害者と付き合う −
頂いたコメントの中で、境界性人格障害の方とお付き合いされてらっしゃる方がいらっしゃいました。お返事を書いていく中で、私がこれまで勉強してきたことと、境界性人格障害である自身の経験が重なり、少しなりとも参考にして頂けるのではないかと書いた記事です。
境界性人格障害の患者を身近に持ち、真剣に向き合ってらっしゃる方々をサポートできるよう成長したいとは、先々の私の目標の一つなのですが、そんな思いをあらたにこめまして、全文修正致しました。
前回の、意味不明でフワッとわけが分からなかった支離滅裂乱文を読んでくださった読者の方、相済みませんでした。
コメントくださった方に、深くお詫び申し上げます。
修正しました記事は、こちらです。
◇返信5 − 境界性人格障害者と付き合う −
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境界性人格障害 | comment(1) |
※10月29日 23時 全文修正
当方の事情で、勝手ながら「コメント返信を記事としてアップ」させて頂くのも、5回目のこれが最終となります。
今後は、お一人ずつにコメント欄でお返事を書く以前のスタイルに戻します。
◇お知らせ (10/08)に頂いたコメントは、少しずつコメント欄で返信させて頂きます。今回の◇返信1〜5までに頂きましたコメントは、事前のお知らせ通り返信しない方針でおります。ご了承ください。
ここで少し、このブログのコメント欄について。
実はこれまで、私のブログにおいて、皆さんから頂くコメントや感想に対する返信が、実は大変重要なのでは、と考えていました。まず書いた私自身が更に考えを深められる点において、記事よりも返信で書いたコメントの方が余程的を射ているということが過去もよくありました。
返信文もやたらと長くなってしまうのが恒例です。今回、私のフィジカル、メンタル両面の調子が整わず、やむを得ずこのような「コメント返信を記事にする」という形態を取りました。しかし、今後何か病気への理解や、当事者からの率直なご意見を頂いた際は今回のような形態で記事にさせて頂こうかと考えています。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
イチゴさんへ
イチゴさん、こんばんは。はじめまして。
コメントを頂いた時、リアルタイムで受信して拝見しました。とても根が深い問題だと感じ、Twitter(当ブログ右下に設置しているリアルタイム呟きです)で短く感想を述べさせていただいたのですが、携帯からでは御覧頂けなかったかもしれません。
イチゴさんが読んで「救われました」と書いてくださった記事は、ボーダー症状の真っ只中で何が一体回復なのか分からずにいた昔書いたものです。あの記事には、答えがありません。ボーダーという暗く出口のない陰鬱な通奏低音が鳴り響き、孤独を発しても弱弱しく、どこにも届かない海底の行灯のようです。
あの記事を書いたのは私ですが、今の私は違う地点に立っています。ボーダーから回復しようとしている。あの記事を書いた時も、回復したがっているように見えるかもしれませんが、何が回復なのか明確に分からない患者は、目指す方向もわからないので、苦しんでいる割に回復を目指しようがない、むしろボーダーでいた方が楽であるという面もあります。あの記事を読んで、「救われました」とコメントを頂いたこと、実は不思議に感じました。
以下は、真剣に悩んでらっしゃるイチゴさんに対し、かなり辛口の返信となりますこと、ご容赦下さい。
私個人の経験から、愛憎や、愛情の顔をした虚無のスパイラルが如何に不毛な苦痛の関係性を生むか知っています。イチゴさんから頂いたコメントに、同様のものを見出さずにはいられませんでした。
気付いたことはお伝えせねば嘘になると思い、数日考えた末に書いています。是非、最後まで読んでくだされば幸いです。
まず最初に私が強烈に感じましたのは、境界性人格障害である彼の問題とは全く別に、イチゴさん自身が何らかの人格障害である可能性が実に高いということです。
お会いしたこともなく、一度のコメントでここまで申し上げるのは一種の冒険です。
人格障害者の心性は、人格に障害を持たない人間にとっては、実にデタラメで一貫性がなく、付き合うには苦痛を感じるものです。しかし、同じ人格障害者にとっては、相手のデタラメさや一貫性のなさが、自身の言葉にならない感覚にフィットするあまり、魅力として映るようにできています。
境界性人格障害とは何か?
一言で言うと「言動の一貫性のなさ」に尽きるのではないかと思います。
白だといった瞬間に黒だと言ったり、愛していると言ったかと思えば、お前なんていらないと言う。ありがとうと泣いて感謝したかと思うと、お前に分かるわけがない!と相手を責める。
何故、境界性人格障害という病が生まれるのか、その点は今回は省略させて頂きますが、少なからず生まれて今まで、家族をはじめ人間関係のカオスの中で生き延びるために身に着けざるを得なかった背景があります。
イチゴさんが書いてくださった彼も、元々デタラメな家族環境にあったために、自分自身もカオスに染めることで生き抜いてこられたのかもしれません。
>知り合った頃の彼はボロボロに傷ついている感じで、アタシといると癒されると言うのでほっておけなくなり 人格障害であることも告白され、理解しようと色々サイトも見ました…
彼の場合、彼自身が自分の病気に対する理解にいまだ及んでいないように感じた一文でした。
昔は分かりませんが、今の私でしたら、大切に思う相手には、まず自分が人格障害であることは告げません。他の病気と違い、境界性人格障害は時として、相手に自分が不愉快な態度を取ってしまった時、それは自分の意志ではなく、病気がさせているものなのだと言い訳になってくれます。
そういった逃げ道を作るのは、他人を傷つけることなく生きて行こうとする覚悟が揺らぐので、私はある時から自分で塞ぐようになりました。自分を癒してくれる相手にも刃を向けてしまうのが、この病気の最悪に悲劇的な面なのです。
境界性人格障害者は、基本的に自分自身をゴミクズだと思っています。ですから、交際相手も理想から離れた人に魅力を感じて付き合いますし、二股をかけては誰かの心理を操作してみたり、自暴自棄な態度を取ってみたり、急に泣いて縋ってきたりします。
例えば人格障害である彼は、「可哀想」に見えるかもしれません。しかし、上記のような行動をする人を前に、イチゴさんがまずしなければならないことは、ご自身を相手の攻撃から守ることです。彼の言動には、彼自身が責任を取るように仕向ける意識が大切です。それは同時に、イチゴさん自身もご自身の言動に責任を取ることとイコールです。
この点は、境界性人格障害者と付き合うにあたって、厳しく取り組まねばならない点です。理性や頭で、境界性人格障害の問題行動の元凶や思考回路を理解することは重要ですが、感情や人情で共感することは慎重に避けねばなりません。人格障害に対しては、情だけで救えないのが現実です。
>ずっと彼のいいように、楽になれるようにと考えていたつもりだったのですが…最近新しく彼女が出来ました…もうアタシのことはいらなくなったのだろうと身を退くことにしたのですが、彼はそれを拒むんです。
ボーダーに対して最も不適切な対応は「彼のいいように、楽になれるように」と考えることです。
ボーダーは、いいようにしてもらっても、楽になれるように考えてもらっても、満足することはなく、楽にもなれません。境界性人格障害者に真に必要な他者は、自分が如何にブレても、絶対にブレない相手です。
赤ん坊に接するように接しては、ボーダーは悪化します。彼は、人格障害であるかもしれませんが、大人であることに変わりはありません。人格障害のままで生きて行く道もあるのかもしれませんが、もし彼がそのような考えであるならば、イチゴさんが悩まれても、どのように彼のためを思っても、徒労に終わる可能性が高いです。ボーダーを支えるということは、優しさや曖昧さを持っていては出来ません。本人は勿論のこと、ボーダーは周囲の人間の人間性も暴く鏡のような面も持ち合わせています。
彼のことを思われるのでしたら、まずイチゴさん自身が一貫性を強固に保たれることが最も重要です。
例えば、イチゴさんは家庭を別にお持ちです。私は別段かたい倫理観を持ち合わせているわけではありませんので、あくまでも物理的レベルでお話しますが、家庭を持っている人と付き合うのは多くの矛盾を抱えざるを得ません。
最も大きな矛盾は、「何でもしてあげたい」と仰るイチゴさんであっても、ご家庭をお持ちであれば、彼のボーダーの振り回しに全て付き合う時間はもてません。
先ほど申し上げたように、ボーダーにとって最も支えとなるのは、「行動パターンに矛盾を持たない、誰にも嘘をついていないと思える相手」です。逆に、行動パターンに矛盾が多く、どこかに秘密を持たなくてはならない関係や、ある種取引をせねばならない相手とは、症状が悪化する場合が多いです。恋愛関係であろうと何だろうと、事前に不倫だと申し合わせてスタートしようとも、どのような条件化であってもです。また、そのような相手を選ぶことで、境界性人格障害である自分を切り捨てずに生きて行ける状況を無意識に作り出して逃げ場にすることも多いのではないかと私は感じています。
理性的に自分を律して生きることは、誰にとっても苦痛で、思うさまに感情を吐き出し、ぶつけ、跳ね返ってきては泣き、怒る方が、まだましであるという場合も多いと思うのです。
もし、イチゴさんが彼に対して悩まれていて、具体的に行動を起こしたいとまで考えてらっしゃるのであれば、イチゴさんご自身の個人的な彼とは無関係な生き方の部分まで、矛盾はないか、自分に嘘をついてはいないか、を省みることが大切だと思います。
また、ボロボロに傷ついている人は、まず自分で立ち直らねばなりません。誰かと愛情関係を結んだりするのは、その後です。愛情によって救われたいと私も何度思ってきたか分かりませんが、愛憎のスパイラルを生み出すばかりで、不毛な苦痛を味わい、人生への絶望を重ねて来ました。
人格障害の回復は、ある日突然天からもたらされる神の慈愛や、恋人の愛情だけでは決して救われない類のもののようです。
また、厳しいようですが私は、誰かに献身的にボランティア精神で人生を支えるとか癒すなどということは不可能だと思っています。大業です。もし取り組もうとするならば、自分のすべて、家庭も何もかもかなぐり捨てる覚悟で向き合わねばなりません。自分自身の生き方を正すことに専念し、救いたい相手がどれだけ揺らいでもブレても、自身は揺らがないでい続ける覚悟が必要です。例えば、相手のボーダーの症状、不適切な言動には悉く人間らしく拒絶を示し続けなければなりません。
ここまでは、境界性人格障害者との向かい合い方について主に書きました。
以下は、冒頭の件に戻ります。
最初に私が、イチゴさんご自身が人格障害なのでは?と書いたのは、実は文面から、イチゴさんの主体性が全く見えないままに文が終始したからでした。
境界性人格障害者にとって、皮肉にも、振り回しや不安定な感情、価値観にうまくフィットして、共依存を築きやすい人格ではないのかと感じたのです。
イチゴさんご自身は、当事者の一人でありながらコメント文の中で、影を持たない、実に薄い薄い存在として立ち現れています。
私が最も違和感を感じ、注目した点でした。
自我が薄いか、もしくは境界性人格障害である彼の感覚との境界線が曖昧になっているのではないかと考えました。
以下、イチゴさんの自我について考えてみました。
内容ではなく、表現に注目してみてください。
>今日も彼女と会っているようなので、ホントはアタシが邪魔なのでは?と言うと、めんどくさいから好きにしろ!と…
あくまでも「彼にとって邪魔なのではないか?」であって、自分が主体ではありません。言外に、「彼が邪魔だというなら去る」と含んでいます。
彼の気持ちを知りたいという気持ちがあるから質問するという行為が発するわけですが、訊く言葉の中に、イチゴさんご自身は彼と一緒にいたいのかいたくないのかという主体性が欠けています。主体性は、大切なことを話し合う場面であればあるほど、明確にすべきです。相手の立場に立って一人考えることは大切ですが、相手と向き合ったときには、あくまでも自分の立場から言葉を発さなければ、コミュニケーションは複雑に絡まってしまい、本質が見えなくなります。お互いに言葉を投げ合っても、全くすれ違ってしまい実りを得られないのは、こういった言葉の構造があるからだと私は考えます。
彼の人格障害が問題ではなく、この場面はイチゴさんの自我のありように問題があるように感じました。
また、出方をうかがってくるようなセリフ、本心を探られるようなセリフは、疑心暗鬼なボーダーにとっては「相手が何を考えているのか分からない」という恐怖にかられるやりとりです。恐怖にかられるとボーダーは投げやりになってしまいますので、本心を知りたいというイチゴさんの意図は遂げられないことになってしまいます。
>新しい彼女は独身ですし、彼のことを好きなよう(アタシに嫉妬するので)だから世間体を気にすることもナイし…
イチゴさんの主体性が、また見えません。むしろ、最も妙な立ち位置だと感じました。
彼がどんな条件の女性を選ぶのかは、彼の問題です。条件がどうであれです。世間体を気にしないで済むことがいかに重要か不倫経験者の私は重々身にしみていますが、それでもやはり、人間はいつも独身だから選ぶとか、世間体を気にしないで良いなどという理由だけで相手を選べるほど器用でもありません。
もし、ここに書かれた一文を彼に言ったのだとしら、彼は激怒するのではないかと思いました。私は少なくとも、有難い言葉ではありません。イチゴさんは、他者との精神的境界線が非常に曖昧で、無意識に相手の領域に踏み込んでしまう傾向にあるように感じます。
相手の彼女の嫉妬心にまで考えを及ばせるのは、彼女の立場からしても失礼に当たることではないでしょうか。個人的には、そう思います。彼女の苦しみを想像でき、こうして想像されている時点で、イチゴさんがご自身の感覚に従うならば、すぐに身を引くべきです。
イチゴさんが優先されるのは、どなたでしょうか。イチゴさんでしょうか。彼でしょうか。彼女でしょうか。
自我が曖昧ということは、対人関係においてのプライオリティも自然曖昧になります。彼の人格障害とは全く別に、イチゴさんご自身が、対人関係において煩悶するシーンは多くないでしょうか。
彼が聞きたいのは、イチゴさんご自身が、どうしたいのかだけが聞きたいのではないでしょうか。彼の人格障害は最早この時点で、無関係です。
イチゴさん自身の問題も少なからず大きく影響しています。
他人のことを思い行動するのは、得てして心地が良いことです。
私は、随分と自分の問題から目を背けるために、ボロボロな人や、どうしても自分を必要とする人のために尽くしました。それもまたズタボロになりましたが、自分の人生に対する決定をするよりも100倍楽でした。
しかし、自分の現実を考え、決定し、意思表示し、関わった人間それぞれの意志がかたまるまで辛抱強く待ち、他者の決定を尊重し、受け入れる覚悟は、総じて大変苦痛です。
>彼の望みはアタシと彼女と2人の彼女と付き合っていきたいようです…
彼のしたいようにさせてあげたいと思うのですが、彼女のほうが気の毒で
言っても聞いてもらえなくて…オマエの言ってることがわからん!と…
イチゴさんの主体性の希薄さが、ここでも顕著です。
彼の望みは彼の望みで、どう決定するかは彼次第です。彼が決定しなくとも、イチゴさんが決定することもいつでも可能です。
この点が、とても重要だと思います。彼が決めようが、彼の彼女が気の毒だろうが、イチゴさんはイチゴさんのことしか決められません。考えること、話し合うことは大切ですが、決めるのは自分だけです。誰かに決めてもらおうと期待するのは、別に彼が人格障害でなくとも、他者の領域を侵し、彼を尊重しない行為と同等になってしまいます。
イチゴさんご自身は、二股である状況にどう感じてらっしゃるのでしょうか。自分が納得いかないから別れたい、もしくは彼女と別れて欲しい、もしくは二股でも良い、と彼に話すのは私はとても自然だと思います。しかし、彼女のほうが気の毒かどうかは、イチゴさんが口にすべきことではないと思うのです。それは、今度はその彼女の領域、彼女の決定、彼女の煩悶や嫉妬をある意味、イチゴさんの支配下に置く行為となります。先ほども申し上げましたように、独身の彼女の権利を侵犯していることになります。
イチゴさんが悪意を持ってらっしゃらないことは感じます。
悪意をお持ちだなと感じたら、時間や言葉を割いて返信は書かないのが私のルールですので、全て私が考えたことを率直に書かせて頂いております。
>ここにきて、彼の気持ちが少しわかったような気がします
実はイチゴさんは、もう十分お分かりではないかと私は思います。
分かる分からないの次元ではなく、単に見えないのではないでしょうか。行動が支離滅裂な人の気持ちは、どれだけ目を凝らしても見えないのが普通です。
ボーダー患者によっても個人差はありますが、イチゴさんが語られる彼については、自覚のない支離滅裂さや、回復を目指すのではなくボーダーの衝動に任せて生きている傾向が強いように感じます。ボーダーの心は、誰かが救えるものではなく、慰めも慰めとならない病気です。しかし、本人の覚悟があれば治る病気です。私は、確信しています。
ボーダーと接するには、共感や優しさも勿論必要ですが、相手の障害に振り回されない強い人生観と一貫した言動、相手の非は非として指摘し、クッションとなってやったり逸らしてやったりせず、相手の言動はきっちり反射して返す。その厳しさが不可欠です。
答えは、イチゴさんご自身の中にあるはずです。
イチゴさんが理解すべきは、彼の心情ではありません。イチゴさんご自身のお気持ち、人生観、価値観です。イチゴさんの自我の確立が大きな課題ではないのか。そのように考えました。
境界性人格障害者の周囲の方々は、へとへとに疲弊している方が多いです。境界性人格障害者の問題行動が疎まれる理由もよく理解できるのですが、その障害者と付き合わざるを得ない方達にヒントとなる核心的教科書はまだまだ少ないです。少しでも参考にして頂ければと、長文で失礼致しました。
悩まれて調べられたとのことですが、もし未読でなければ以下の本をおすすめします。
ボーダー治療の先駆者でいらっしゃって、境界性人格障害者の周囲の人たちのために書かれた、具体的な対処法のワークブックのようなものです。
![]() | 境界性人格障害=BPD 実践ワークブック―はれものにさわるような毎日をすごしている方々のための具体的対処法 (2006/02) ランディ クリーガージェイムズ・ポール シャーリー 商品詳細を見る |
頂いたコメントから、今回は周囲の方の対処法にのみ言及しました。境界性人格障害という病気の厄介さ、闇の深さ、回復と非回復傾向にある患者については主旨からずれるため、敢えて言及しませんでした。
有意義なコメントを頂きまして、本当にありがとうございました。
◇2008/04/06 (Sun) 水底に至る - 境界性人格障害 -
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
はりモグ さんへ
はりモグさん、こんばんは。はじめまして。お返事が大変遅くなりまして、申し訳ありませんmm
いつも読んで下さっているとのこと、本当にありがとうございます。最近特に、書くことがままならなくなり、只今色々と鋭意努力中でして、そんな最中に大きな励みの言葉を頂きました。
不慣れな中、コメントくださって、ありがとうございます。
私も今だ、他のブロガーさんのところへコメントを書くのは緊張します。最後の送信ボタンを押すと、別に変なことを書いていなくても「やってしまったのでは・・・!?←なにを?」という気になります(笑)ご迷惑かなどお考えなく、今後もどうぞお気軽にコメント下さい。コメントでの交流が、私はとても楽しみです。
>― ボーダーにとって、「もう行かないと言ったけれど、待っていてくれるかもしれない。待っているのだろうか」と期待や不安で揺れ動く状況は、できるだけ避けた方が良いと私は思っています。 ―― 本当に…本当にそうですね。『言外のコミュニケーション』が素晴らしいものになるときもあるのかもしれませんが、時にはそれが激しい毒になるときもあると感じています。
「コミュニケーションの毒」と銘打たれてらっしゃいましたが、この日本人にありがちな曖昧さというのは、ボーダーや人間不信の治療現場では、まさに毒であると思います。
私個人が、あまりこういった言動を好まないというのも理由かもしれません。出て行けと言ったら出て行ったのに、「何で出て行ったんだよ」とか揉めるときがあるじゃないですか。ああいうやりとりは、言外に察しろよ、ものの弾みで言ったんであって本心じゃないんだからと言いたい場合が多いと思うんですが、私は大阪人なせいか、「どないして欲しいねん!」とツッコんでしまうんですね。
きっと、ストレートにストレートに表現しようとしても、人間の味わいとでも言うのか、行間ににじみ出る何とも言えない言外のコミュニケーションとは生まれるものだと思っています。そうしてにじみ出てくる人間味が私は大好きです。
>こういったことについてもやもやとしていた心を明晰に表現していただいたように思えました。ありがとうございます。
直接のご返信は下さらなくても、一つ一つの記事・つぶやきに美鳥さんのメッセージと意思をはっきり感じられます。
どうぞご自愛ください。
こちらこそ、ありがとうございます。
コメント返信という、読者の方から頂いた言葉に触れなければ自分の位置が分からなくなっているここ1ヶ月です。
私自身が自分にもやもやしながら、苦肉の策ではじめた返信記事。心を明晰にしてくださったのは、はりモグさんはじめ、コメントくださった方々のお陰です。
コメント、ありがとうございました。
また是非、お気軽にコメントいただけましたら嬉しいです。楽しみにお待ちしています。
◇返信 1 − 神経症・AC・人格障害からの回復 − (10/18)
◇返信 2 −Coccoの真相・境界性人格障害からの回復 − (10/19)
◇返信3 − 精神科と投薬治療 − (10/21)
◇返信4 − 解離性同一性障害の治療・良い病院悪い病院 − (10/24)
◇2009/10/08 (Thu) お知らせ
心の病気や虐待について理解が広がりますように。ランキングに参加しています。応援よろしくお願いします。
境界性人格障害 | comment(0) |



